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大図書館の羊飼い_感想

オーガスト 大図書館の羊飼いの感想です。
ネタバレ注意です。

大図書館の羊飼い、初オーガストでしたが楽しめました。
個人的にオーガストってライトな作品が多い印象があって、しかも今回は学園ものだしかなりライトな作品なのかなあって思ってたら、想像以上に濃かったです。
ときおり説教臭さすら感じるくらい。
僕は基本的に作者の思想ががっつり織り込まれている作品の方が好きなので好印象でした。

ではこの作品の思想って何なのかというと、僕は「人として人の中で生きろ」っていうことだと思いました。
この物語の一番の柱は、人を自分が上手く生きていくための分析対象としてしか見ず(これの象徴が筧の読書中毒)、深く他人と関わることをしなかった筧が、白崎を中心とする図書部の活動を通して、信頼できる仲間とともに「素の自分で」生きていけるようになる、というところです。
この「素の自分で」っていうのが結構大事で、個別ルートで描かれていたのは大体ヒロインたちが素の自分で生きていけるようになるっていうお話でした。
例えば佳奈ルートなんか象徴的で、昔仲間外れにされたトラウマを持っていた佳奈が、図書部において素の自分でいられるようになります。
さらに、御園との三角関係も、素の自分を出して筧とくっついても、御園とは信頼できる関係があるから乗り越えていけるという話でした。
他にも、桜庭は無理しすぎて絵を描くのをやめてしまっていたり、御園は歌の実力の世界の中で友達をなくしてしまっていたり、つぐみは妹に見栄を張って話を盛ってしまっていたり。(まあつぐみはその嘘を本当にしてしまうというオチだけど。)
とにかく、素の自分で信頼できる仲間と一緒に生きていくこと、これこそが楽しいんだというのが本作の思想だと思います。

この思想に対抗するのが、羊飼いの存在です。
凪は過去のトラウマから、人間でいることを拒否し、人を超えた存在である羊飼いになり、人間を助け導く存在になることで救いを得ようとします。
個人的にはこの考えはよく分かります。ていうか恥ずかしいですが同じようなこと考えたことあります。
例えば人の役に立つ象徴的な仕事である医者になり、人助けをする人間となることで、人の役に立ってる自分は正しいんだと心の支えを得ようとする。こんなことつい考えてしまうことあります汗
でも、明らかにこれはエゴなんですね。
この作品ではこのエゴ、羊飼いになることを完全に否定しています。
凪ルートでは、凪は最後羊飼いになることをやめ、真ルート(?)では筧が羊飼いになることをやめています。
そして凪も筧も、信頼できる図書部の仲間とともに人間として生きていくことを選ぶ、というラストでした。

また、人のなかで生きるというのは、他人の心の中に自分が生きているということ。
人の記憶に残らない羊飼いの存在はそういう意味でも否定されています。
筧がナナイとの別れの際にセリフ、

 「……母さん……、最後の奥さんは幸せな結末が欲しかったんじゃない」
 「ただ、その人と生きていきたかったんだ」

っていうのがこの作品のテーマを一番良く表してると思います。
人と一緒に生きること、それこそが楽しいんだという。
そしてその後ナナイが栞を筧に返すシーンはすごい好きですね。

真ルートのラスト、凪が部室に来たとき封筒を開けたら写真が…っていうのはベタですがやられましたね。
この作品の思想の体現者と言ってもいいつぐみの趣味である写真。
そしてEDも写真立てにCGを映すという演出。
人の記憶に残るという意味で、写真はキーアイテムですね。
写真を見て、眩しくて眩しくて見ていられない、私は羊飼い、人間とは生きている世界が違うと言っていた凪が、その後図書部の皆が凪のこと覚えてたことで喜びを隠せない凪が最高にかわいかったし、泣けました。

あとは、別に人間を超越した存在としての羊飼いになんかならなくたって、人と一緒に生きていくことで、人は羊飼いになれるんだ、という落としどころが良かったですね。
図書部の皆はまさにそれぞれにとって羊飼いだったんでしょう。


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七海nayap  at 15:59
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