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風立ちぬ_感想

スタジオジブリ 「風立ちぬ」 の感想です。
ネタバレです。

なんか急にかなり一般的な作品ですが(笑)
面白かったので感想書いてみたいと思います。

しかし、なんというか難しかった。
今までのジブリ作品ってこんなに大人向けの作品ありましたっけ?
映画館で近くに座ってた子どもは放心状態になってましたよw

物語の大枠は、堀越二郎が自分の夢に沿って、零戦を作り上げるお話です。
二郎の、美しい飛行機を作るという夢は、それ自体素晴らしいことなのかもしれないけれど、同時にそれは戦闘機となって、人類を破滅に導いてしまう。
このお話の中で、こういった構造が確固として存在します。
そんな中で、二郎(あるいは設計士のカプローニさん)のようにこうした夢を持つことは、果たしていいことなのかという疑問が当然出てきます。
しかし、作中でそんな問いに対する答えは与えられず、「生きねば」と言うだけでこの作品は終わってしまいます。

さて、この映画で明らかに象徴的に重要な意味を持ってくるのが、風の存在です。
タイトルにもあるし、カプローニさんもしばしば「風はふいているか?」と聞いているし、明らかにこの作品のキーになると思います。
では風はどういった意味を持ってくるのか。
風は、飛行機を飛ばす力になるが、一方で関東大震災の時の火事を広げる力にもなっています。
つまり、夢を追い求める力となっているが、一方で人類を破滅に導く力にもなっているのです。
だから僕は風は、人間が自然と夢を追い求め、結果として破滅に向かってしまうように、人間である以上人間が抗うことができない人間が進んでいく方向(人間の逃れられない運命のようなもの)を指しているんじゃないかと思うのです。
作中でこのような夢を持つことが尊いのかは描かれていませんが、こういう夢を見ることは人間である以上は避けられないことで、それが善か悪かなんてことを言っても意味はないんじゃないか、っていうのが前提になっているんじゃないかと僕は感じたのです。

この映画で一番重要かつ象徴的なシーンは、序盤の列車で二郎の帽子が風で飛んで菜穂子にキャッチされるシーン、菜穂子との再会の時に風で飛んだパラソルを二郎がキャッチしたシーン、さらにはその後帽子や紙飛行機をベランダで風を通じてやりとりするシーンでしょう。
風で飛んだ帽子やパラソルや紙飛行機が、相手に届く、受け取ってもらう。
風を人間が自然と進んでいく道を示しているのだとしたら、これらのシーンは、二郎が自然と夢を追い求めて飛行機を作るのと同じように、自然と菜穂子に惹かれ一緒になったのだ、ということを意味すると考えられます。
自然と風が吹くように、二人は惹かれあい一緒になった。

最後、零戦が完成すると同時に、菜穂子は二郎のもとを去り山に帰ります。
つまり、二郎の夢が達成されると同時に、二郎は菜穂子を失ってしまいます(夢が叶うと同時に破滅が同時に訪れた)。
最初に述べた、夢を追うと同時に破滅に向かってしまうという構造には抗えません。
風が人間の定めのようなものならば、夢を追って破滅に進んでしまうことはどうしようもないこと。
それでも、破滅が訪れてしまった二郎は、菜穂子を失っても「生きねば」ならない。
人間が夢を追い破滅に導いてしまうことは止められないけれど、それでもなんとかして「生きねば」ならない。
東日本大震災で原発事故が起きたあとの日本で、宮崎駿監督はこんなことが言いたかったんじゃないのかなーって思います。

七海nayap  at 13:45
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