歴史・人物史

2010年03月14日

長谷川等伯

40751e0e.jpg
95e98095.jpg
本日は東京国立博物館に
て開催中の長谷川等伯の没後400年特別展に行ってきました。国宝3点、重要文化財27点など、等伯の78作品が一挙公開されてます。

「歴史ヒストリア」などの歴史番組で長谷川等伯の生涯や作品を何回も映像では見ていたのですが、実際に間近で見ると、ものによっては色が薄くなり剥がれてたりもしているのですが、一つ一つの筆使いがわかり、色も絵によって鮮やかなもの、また落ち着いた色調のもの、描いた年齢年代、依頼した人に対応して違った印象の作品になっていて面白いです。臨機応変な絵師だったのだなあ〜と感じました。
屏風、掛け軸などは綺麗に残っているものもある一方、風化して色褪せ、完成当時とはまったく違う状態になっていて400年の歴史も感じました。

等伯の仏画への集中力には驚かされました。十二天像、日蓮聖人像、息子の死後に描いたという仏涅槃図、楓図などの生命に溢れた花鳥画、武田信玄や利休などを描いた有名な肖像画、障壁画、本当にずっと見ていたいと思うほど深い松林図などの水墨画。その絵師として幅にも感動しましたが、やはり筆の一つ一つのタッチが洗練されて無駄がなく、最小限の表現に留めていて、空白や間の取り方、構図がすごいなあ〜と思いました。小さなサイズの絵でも細かい表現や水墨画の濃淡で表現された濃い霧の景色がなんともいえない空気感を漂わせ、素晴らしかったです。


来客者がすごい人数いて、時間もその分待つのですぐなくなり、一つの作品をじっくり見れませんでした。
最後の作品を見た後、戻ろうとしたら閉館時間で無理でした。
肝心のある作品を順路ミスで見落としてたようです。帰ってから目録を見てて気づきました。
なぜだろう?
超残念。
早い時間か、人の少ない時間に行って、それだけでもじっくりまた見たいけど・・。



画像は本日買った「松林図屏風」のポストカード。小学生のときにほしくて買った「松林図屏風」の切手。
懐かしス!
昔からこの絵は好きでした。
今日は本物の実物を見れてよかった!


naze_naze at 00:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年03月11日

鎌倉の大銀杏

1219年公暁が鎌倉幕府第3代将軍源実朝を暗殺した際
かくれた銀杏の木と伝わっている歴史ある大木。
鎌倉の歴史をずっと1000年も見守ってきた大樹だけに
強風で倒れてしまったのはショックです・・。回復不可能らしい。

地元の人は相当親しみと思い入れ・・あると思います・・。

わたしも七五三の時、鎌倉の鶴岡八幡宮に行った思い出があり、
小学、中学、大学の頃、そして昨年行った思い出があり
本当に残念です。


鎌倉大銀杏


この画像は昨年、鎌倉に旅行した際、撮影した
大銀杏の元気なときの写真です。


寒い冬も一時期あったかくなりかけていましたが
大雪が日本各地で降ったり、天候の寒暖が厳しい冬が続いてますが
皆さん体調は 大丈夫でしょうか?

ノロウィルスもはやってたり、火事にも気をつけたいところです。
春が待ち遠しい人も花粉症の季節ということで微妙なんでは・・と
思います。自分はまったく花粉症にならないので苦しみはわかりませぬ・・。
小さい頃、蝶などの虫をおっかけて過ごしたおかげで花粉には
強いのかな?と思ったりしてます。
都会の廃棄ガスの中で育ったせいもあるかも・・ね。

話しはもどって大銀杏ですが、
相撲さんの髪型の大銀杏を思い出しました。
髷(まげ)の先端が銀杏の葉に似ていることから・・そう呼ばれ
ている髪の結い方です。

春嵐の押し倒しで大銀杏が黒星・・ホンマニ残念、1000場所連続出場の大記録を残し引退です。
大イチョウが倒れた直接の原因は「昨日夕方以来の雪を含んだ強い北西の風」と分析されたようです。2月以降の多雨による地盤の緩みや生育場所が斜面で土壌が薄かったことなども影響したみたいです。根の状態から回復は無理と判断され、資料として保存されると思われます。


家で栽培のにんじんも大きく育ったため茎が太くなり、一株強風で倒れ傾いてました。自然と戦う植物たち・・に共感するこのごろです。

強く生きねば!





naze_naze at 08:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月09日

海峡ゆめタワー

P1090253



高杉晋作像のある日和山公園を降りていき、どうしたものか考えながら歩いていると、大きくそびえ立つ海峡ゆめタワーがやはり気になりました。時間もまだあり、せっかくなのでその後、海峡ゆめタワーにのぼりました。

P1090248




P1090266






P1090317




6ccd61b7.jpg


360度眺めがいいです。







P1090270





P1090271






P1090272






P1090273


こちらは先ほど登った日和山・・の高杉さん。ゆめタワーからも見れました。


P1090274

登った道筋もよくわかります・・けっこうきつい坂道でしたが、上からみても結構な坂でよく登ったなあ〜とついさっきの事ですが振り返ってしまいました。



P1090275





P1090276






P1090277





P1090278








P1090281


南側には、宮本武蔵と佐々木小次郎の対決の場で有名な巌流島が見えました。
駅では「おそいぞ!武蔵」という饅頭(どら焼きみたいなもの)が売っていたので買いました。


bd46c3ef.jpg

上から見てるからか、ちっちゃいです。
龍馬とお龍も来てここで花火してます。

P1090279





P1090282




P1090283


坂本龍馬が兄に送った海戦図つき手紙。
壇之浦の合戦、龍馬もみた下関海戦のあった関門海峡の風景は、
平家や徳川幕府の敗退の地、というか敗退の海。いろいろ考えさせられます。


P1090284








P1090285






P1090286






P1090287




P1090288





P1090292








P1090293








P1090296





P1090297






P1090304





P1090312




P1090313




P1090315
















龍馬伝_3種のミルクパン

龍馬伝のパンが駅で売ってたので買ってありましたが・・眺めのいいタワーで
食べました。飲食して大丈夫だったのか?わかりませんが。








P1090322


P1090324


P1090325




タワーを降りて、見上げるとやはりすごい高さに感じました。




P1090335
駅に向かう道はヤシの木が・・やはりこちらの街並みは雰囲気違います。


P1090336
駅前の建物。








P1090337
駅近くの歩道橋にある平家踊りの像。




P1090339
下関駅到着。


P1090341



P1090343
また列車の旅が続きます。




P1090338
小倉へ向かいます。




naze_naze at 11:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

高杉晋作像見る

815b4d63.jpg


日和山公園の高杉晋作像もきつい階段をのぼり見てきました。
ここは海もみえて見晴らしがよく、高杉さんのそばで昼食をとりました。


P1090128

P1090129

P1090131

P1090135




P1090137

P1090139

P1090141



P1090142

P1090145

P1090154

P1090155

P1090157

P1090161


P1090162


P1090164

P1090168

P1090170



P1090178

P1090181



P1090182



P1090184



P1090185
写真でみるより像は男前で、かっこよかったです。



P1090186

銅像は第二次大戦で使われたらしく、今は備前焼の陶像でつくられ
長州藩の孤高の英雄を今に伝えていて何時間でもみていられそうなほど感動しました。一時間くらいいたような気がします。何十枚も写真撮ってしまいました。
関門海峡の光を受けて渋い色合いをして輝く姿を間近にみれてよかったです。
本当に龍馬の盟友に会えたようで感激でした。



P1090194




P1090196



P1090200



P1090203



P1090204
猫が公園のいたるところにいて、ハンバーグのかけらを近づいてきた猫にあげたら、
喜んでたべてかわいかったです。




P1090220
おもしろい看板発見しました。高杉さんが気持ちよく下関を見下ろせるように、きれいにしてほしいですね〜。


P1090222
さすが南国です。みかんがなっています。
おいしそう・・。



P1090234

最後、この地を去ろうとした時に空を見上げたら、
天に稲妻が走ったかの如く、峻烈さ。あまりに高杉晋作っぽくて感動しました。












naze_naze at 10:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

白石正一郎旧宅跡から生まれた維新の光

20100109白石正一郎宅跡_001

白石正一郎旧宅跡も見てきました。


20100109白石正一郎宅跡_002


1812年3月7日この地に白石正一郎生まれる。
回船問屋小倉屋の主人、そして国学者鈴木重胤の門下。
月照上人、平野国臣、真木和泉らと親しかった経緯から、尊皇攘夷の志に強い影響を受けて、七卿をはじめ、長州藩の高杉晋作、久坂玄瑞らを資金面で援助、土佐藩を脱藩した坂本龍馬なども助けた。
明治維新後は、赤間神宮の二代宮司となった。
1880年8月31日69歳でこの世を去った。

20100109白石正一郎宅跡_003

ここは奇兵隊の誕生の地でもあります。高杉晋作を助け、自身も奇兵隊に参加。
ここで武士も農民も分け隔てのない奇兵隊が結成されたかと思うと
泪がでてきました。平等で自由な発想で、そういう身分をこえて結束して
何かをはじめることの積み重ねがない限り、幕府は倒せなかったであろうし、
日本の身分制度も変わらなかったかもしれません。
回船問屋白石正一郎の存在の大きさは、幕末から維新にかけて無視できません。
大きなことを成す人物の陰には必ずそうした人物を支えていた人がいるのです。
出会いって、本当に歴史を変えられるし、変えていっているのだと感じます。

20100109白石正一郎宅跡_004

実質経済的な面で維新を成したのは彼のおかげであったとも言えるのではないかと
思えてきます。長崎の豪商小曽根乾堂とならんで幕末の志士を助けた白石邸跡に来れて、またまた感動でした。


20100109白石正一郎宅跡_005

長州藩や脱藩した浪人を助け、日本の未来に光を照らした白石正一郎ですが
その住居跡は、今では中国電力のビルになっており、現在では国民の暮らしを照らしていることに、なんだかささやかな共通点を見い出しちょっと嬉しくなりました。
中国電力のCM歌「僕たちにできること」は奥華子さんも歌っていますので、なんだか妙に嬉しかったりします・・。白石さんも自分にできることだったらと思って、人を助け、日本のことを真剣に考えていたのかなあ〜と想像します。



naze_naze at 09:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

高杉東行終焉の地〜妙蓮寺


20100109高杉晋作終焉の地_001

地図看板を見てたら、近所に住む方が高杉晋作終焉の地への行き方を
親切に教えてくれました。


20100109高杉晋作終焉の地_002

携帯に保存してある龍馬の画像を表示して、ともにお祈りしてきました。



20100109高杉晋作終焉の地_003

1839年8月20日萩藩士高杉小忠太の嫡男として萩城下に生まれる。
萩校明倫館で学ぶ傍ら、松下村塾で吉田松陰に師事、尊攘思想を養う。
1863年6月攘夷決行、外国船に砲撃された下関を防衛するため奇兵隊を結成。
1864年8月下関戦争の戦後処理、12月藩論を討幕へ統一。
1866年6月四境戦争にて幕府軍を小倉口で撃退。
1867年4月14日新地の庄屋林算九郎邸の離屋があったこの地で結核のため没した。
       遺骸は奇兵隊陣屋近くの吉田清水山に埋葬。



20100109高杉晋作終焉の地_004

高杉晋作の昇天したこの地の空をふと見上げると、
すがすがしい空がどこまでも高く広がっており、高杉さんが笑っているようでした。



20100109妙蓮寺_001

20100109妙蓮寺_親鸞聖人

すぐ近くに妙蓮寺という寺があり寄ると、鎌倉時代初期の日本の僧で浄土真宗の宗祖とされる親鸞の聖人像を発見しました。






naze_naze at 09:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

厳島神社の大太鼓

20100109厳島神社_萩藩新地会所跡

高杉晋作が襲撃した萩本藩の出先である新地会所跡。



20100109厳島神社_001

厳島神社。ここの木もえらく歴史を感じさせ素晴らしかった・・。


20100109厳島神社_003

20100109厳島神社_005

20100109厳島神社_006


1866年の小倉戦争の時、長州藩が戦利品として
持ち帰った大太鼓が奉納されています。


20100109厳島神社_004

1865年4月、徳川幕府は第二次長州征伐令を発し、
1866年6月、大島口・芸州口・石州口・小倉口の四境で戦いの火ぶたがきられた。
この四境戦争での長州の勝利が倒幕への重要な契機となったといえ、この太鼓の持つ意味は大きさもだがでかい!!


20100109厳島神社_007



20100109厳島神社_002

戦勝祈願の神社として有名らしいです。





naze_naze at 08:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

桜山神社

朝からいろいろ幕末に関する史跡めぐりをしました。


20100109桜山神社_七卿史跡02

七卿史跡。桜山神社の階段の途中にあります。
七卿とは、三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、
錦小路頼徳、澤宣嘉、壬生基修、四条隆謌の七人のこと。
反幕派の公家で八月十八日の政変で破れ、長州に逃れました。

20100109桜山神社_七卿史跡01

元治元年の3月26日、6卿が馬関砲台を巡視、3月29日に5卿がここの招魂場を視察したということです。錦小路頼徳は病に倒れ、馬関(赤間関)で亡くなっています。

20100109桜山神社_01

20100109桜山神社_05

桜山神社です。ここでおみくじを引きました。


20100109桜山神社_06

桜山神社招魂場は1864年1月創建。1865年8月社殿も造営された。
招魂社としてはわが国最初のもの。話題になる靖国神社は有名ですね。
奇兵隊の調練場でもある。

20100109桜山神社_04



20100109桜山神社_03

高杉晋作が招魂場の築くにあたり、詠んだもの。

『弔らわる人に入るべき身になりしに とむらう人となるぞはづかし』

覚悟がかんじられます・・。


20100109桜山神社_07

安政の大獄で小伝馬町で刑に処せられた吉田松陰先生、高杉晋作、政変に散った久坂義助、池田屋で命を落とした入江九一、吉田稔麿、河上弥一、白石正一郎、山県有朋など有名な尊攘討幕運動にかかわった多くの維新の志士たちの神霊をまわりに植えられた桜の木が慰めている・・。


20100109桜山神社_08

奇兵隊、報国隊、鷹徴隊、八幡隊、遊撃隊、整武隊、清末藩育英隊の諸隊士が
身分をこえて等しく祀られている点でこの招魂場の尊さが計り知れる。

20100109桜山神社_09

この木はまるで396名の国を想う想いが空にのびていくような枝ぶり。
ただただ・・感動でした。

20100109桜山神社_10


396名の維新の志士たちの招魂社である桜山神社。
日本はこの396名がいなかったら、
今日のような発展や平和や自由はなかったのでは?
と思えてきます。
ありがとう、この地で奮闘し戦い続けた魂よ。



20100109桜山神社_02

かれらがみつめている下関の街が、朝のやさしい光のなかで輝ききれいでした。

naze_naze at 08:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月08日

姫路城〜瀬戸内海〜下関

aa434b22.jpg

一瞬だけど、姫路到着前に明石の標準時刻の塔?も見れました。


姫路城01


折角なので、姫路城も見たいので姫路で途中下車し、駅から見える姫路城を撮影。
姫路城02


やはりつくりが洗練されている気がします。

姫路城03


(帰宅後、確認したら前にも途中下車してライトアップされた夜の姫路城をみたことがあることが発覚しました。十数年前の話ですが・・。見るのは初めてでなく二度目でした。)

大垣から彦根あたりは雪が積もっていて寒かったですが、
京都・大阪・神戸・姫路にかけては快晴です。
山陽本線の車窓景色01


山陽本線の車窓景色02


山陽本線の車窓景色03


はじめてみる広島から山口へかけての景色は、ずっと撮影していたいくらい綺麗で感動です。

歴史的な背景が全くない尾道城01

歴史的な背景が全くない尾道城02

尾道駅から、城がみえましたが、歴史的な背景が全くない城で、展示の施設だったみたいですが今は廃墟らしいです・・。

瀬戸内海00

瀬戸内海のどこまでも横に広がる水平線の景色は車窓景色として
かなり気持ちよかったです。

瀬戸大橋

中国の岡山県と四国の香川県を結ぶ瀬戸大橋もきれいに見えました。

瀬戸内海01

瀬戸内海の島々や四国が遠くに大きく見える光景は絶景でした。
夕方の光り輝く海もとても美しかったです!


相生駅

相生駅にて、しばし電車待ち・・。静かな駅でした。



シティライナー糸崎-下関

シティライナーで糸崎から下関まで。


光駅

途中気になる駅を発見!光駅・・。夜の暗闇で希望の光がみえてきそうでした。


下関駅

下関駅到着

下関駅到着しました

20100108夕食

あまり食べるところも見つからず、駅のコンビ二の弁当が夕食。
けっこうおいしかったです。

naze_naze at 10:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

冬の彦根城と朝焼け

戦国武将の井伊直政や幕末の井伊直弼で
有名な彦根城を予定を急遽変更して見てきました。
彦根城001

雪が屋根にある城を見るのは初めてかも。
彦根城002

小さい頃から、とある理由で見たい城だったので、予定変更して、
途中下車し雪が降り積もった道をてくてく歩き、
雪の彦根城をみることができました。


ほんとに寒かったと〜。


b2a7d14c.jpg

時間の都合で遠くからしか撮影できなかったけど、なるべく近くまで行き、見たら過去にタイムトラベルしたみたいに綺麗でした。
でも嬉しい冬の城景色、雪の降る街の情緒に感動でした。
元は石田三成の佐和山城が彦根にあったということらしいです。
関ヶ原合戦後、井伊直政が初代藩主になり、
直政の子の井伊直継(後に直勝)が彦根城を築城し、
以後井伊家の居城となりました。

今年は11代藩主の息子で
あの安政の大獄や1860年の桜田門外の変で有名な井伊直弼150周年です。
東京に住んでるから身近なところですが、
雪の桜田門は直接見たことないです・・・。


今年はたまたま雪の彦根城みれた訳ですが、なんか雪繋がりで井伊直弼には雪と血のイメージがつきまといます。実際徳川幕府を守るため、開国へ変えようと努力しての大獄だと思いますが、暗殺されたことで攘夷に油を注ぐことになってしまい、長州藩四国砲撃の敗退後、攘夷の無理から開国へ時代が変わっていくのは不思議です。
井伊直政の銅像01


駅降りたところに井伊直政の銅像があり、そのクワガタのような大きな角が
風格と威厳を今に伝えてかっちょええです!

井伊直政の銅像02


駅の改札付近には甲冑も飾ってあってよいです!

井伊直政の甲冑



0b4c0dc7.jpg

彦根の朝焼け


雪が積もった道を久しぶりに歩き、雪の降る街、朝やけの景色も素晴らしかったです。

雪の彦根駅


駅から見る雪景色の中を行く列車の姿はやはり、
列車の旅していて心から来てよかったと思います。絵になります。


彦根駅姫路行き列車


姫路行きの列車が来ました!

naze_naze at 06:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年11月24日

「天地人」最終回、義と愛の紅葉の武将、直江兼続。

6a8cccfb.jpg
f2479e3c.jpg
e213fea2.jpg
「天地人」先日最終回でした。最後の数回は、大河ドラマ史上もっとも安らかな胸にじ〜んとくる演出でじっくりと感動できるもので、紅葉の武将として上杉に仕え、義と愛を掲げて、人が人として美しくあるべき姿を貫いた生き様は、素晴らしいなあと感じ入りました。信長、秀吉、家康という戦国時代の流れを受けて、越後から、会津へ、そして最後に米沢に移った後は、民・百姓のために心血を注ぎ、晩年は身をひいて余生を過ごす潔さ、紅葉を手に逝くその姿は、泪泪でした。元和五年、1619年12月、江戸の鱗屋敷にて死去、享年60歳。妻のお船は、娘、息子、夫に先立たれ、きっと寂しかったことと思います、同じく江戸鱗屋敷で81歳の人生でした。夫婦の墓は米沢の春日山林泉寺に同じ大きさで寄り添うように並んで建てられており、当時としては異例の建て方ということで、夫婦愛を感じます。

騙し騙されの戦乱にあって、直江兼続のように、本当に敵味方関係なく、上下関係なくこんなにも信用され愛された戦国武将は、他にいないのではと、「天地人」見終わって心に染みるように感じました。

兼続が景勝とともに幼少期過ごした雲洞庵は曹洞宗の禅寺で、私の母方は曹洞宗なので馴染みがあり、謙信の師、北高全祝 や景勝の叔父の通天存達などの僧侶たちが仁愛の精神を武将たちに教え、育て、支えていたことに深い人の繋がりを感じます。
上杉を支えた家臣団の上田衆がいた南魚沼市の六日町、上越国際、石打の辺りは、昔スキーで何度も行ったことありますが、八海山という日本酒を地元の人が一杯振る舞ってくれた思い出があります。五臓六腑に染みわたり、最高にうまい酒でした、あれは今思えば、きっと兼続の頃から越後の人々に代々伝わっている愛だったのかな?と思います。
上杉家の義の精神は、越後、会津の地で息づいていき、そして兼続が残した学問所、禅林文庫、そして上杉鷹山の創設した興譲館などを通して米沢でも継承されていきます。
この厳しい時代だからこそ、直江兼続のような人を見捨てず助け合う考え方やそのためにぶれないまっすぐな行動力が、現代人に勇気を与えると思うし、根源的に人にはそういったやさしさは、やはり当たり前のように大切なことだと思いました。

機会あれば、またいつか行きたいです越後の国。そして会津や米沢の行ったことない場所も是非いつか行ってみたいと思いました。

「天地人」一年間楽しく見れました。今の時代にあった内容で感動する回も多かったですが、原作者、脚本、演出、題字、音楽など各関係スタッフ、俳優陣に本当に感謝したいと思います。


naze_naze at 23:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年11月17日

遷都せんと!(日本の国家形成の中心地、「都」の歴史)

先日・・とある個人的用事を済ませ、・・とある別の用事に向かう途中、歩いてたら、一時は賛否両論の嵐に巻き込まれていた「せんとくん」にバッタリ会いました!
31824365.jpg




それもそのはず、会った場所は、奈良まほろば館の前でした。
33f34088.jpg



時間もあったので、せんとくんに案内され、
たまたまやってた仏像カレンダー展を見てきました。
抽選で有り難い2010年の仏像カレンダーが当たるかも・・
ということでアンケートに答えておきました。
9bd8b3d3.jpg



68021208.jpg



東大寺、興福寺、法隆寺などの有名な仏像、
かなり詳しくないと知らない寺の知らない
仏像の写真(1955年からのカレンダー)が
たくさん展示され、好きな人にはたまらない空間になってました。


中には鑑真和上の写真もありました。
先日特番でドラマ化されていた
「唐紹提寺1200年の謎」という番組を見たのですが、
鑑真や如宝たちの唐の僧侶が仏教を伝えようと(授戒が目的)
命がけで天平の日本に来た熱意には痛く感動しました。

聖武天皇、光明皇后、
藤原仲麻呂、和気清麻呂、
智努、孝謙天皇、道鏡などの当時の重要なそれぞれの人物が
密接に関わりあいながら、政治と宗教が混然一体となって、
新しい時代に日本が急激に変化し流れていったであろうことを感じました。

781年に唐紹提寺が建立されたことも科学的にわかり、
当時を再現したCGでは天平の建物のもつ色彩の鮮やかさが明らかにされ、
1228年前の日本の最先端の文化レベルの高さに驚ろかされました!


0f1c3585.jpg



来年は
奈良の平城京遷都1300年祭ということで、意味ある年なので注目しています。
帰り際にせんとくんに、ある土産物を奈良の親善大使に
渡してほしいと頼まれました。
調度次の目的地で奈良親善大使の方に会えて
渡すことができよかったです。
偶然に恵まれ、せんとくんにたまたま会えてそのときは本当によかったです。






その後、家に帰宅して一息しているそんな時、さらに驚くことに、
奈良の桜井市にある纏向遺跡での卑弥呼(ひみこ、175年頃? - 248年頃)
の居住していた館の発見のニュースに驚きました。

纏向遺跡の近くに、『日本書紀』に記述のある
倭迹迹日百襲媛命の墓とされる箸墓古墳があり、
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)が
卑弥呼と同一人物とされる説が最近有力視されるので
こういった話になっているのだと思います。

日本の謎多き弥生時代そして古墳時代にかけてあった
ヤマト王権の中心地ではないかという可能性が高まり
考古学界は今後さらにざわついてくると思われます!

邪馬台国があった場所が、
九州説か近内説かで長年議論が別れていましたが、
纏向遺跡から、卑弥呼の居住跡そして日本初の宮殿づくりと
思われる計画的な並び方の建物配置の跡や、
日本中の土器、舟の置物などが見つかり、
奈良の纏向が当時の日本の中心であり、
倭国連合の一国の邪馬台国がこの地にあった可能性も深まり、
歴史を学んでいたものとしてかなり嬉しい展開です。


まだまだ断定できる訳ではないみたいですが、
奈良には多くの古墳や天皇が過ごした宮の跡があり、
ヤマト王権の中心地であったことは間違いない気がします。


日本の国家形成の中心地は、
いままでは7世紀以降をはじまりとし、
以下のように時代とともに、
首都が移り変わってきましたが、
今回の発見で3世紀前半からはじまったと
されるかもしれないので、まだまだ新しい発見が
奈良の纏向周辺で見つかるのでは・・と期待しちゃいます。

************************************************************************
<日本の国家形成の中心地、「都」の歴史>
*************************************************************************
天照大御神の子孫ニニギたちが天孫降臨したところにあった
高天原の神が住み始めた中心地。
→【日向国の高千穂峰
--------------------------------------------------------------
出雲を支配した国津神の大国主が天照大御神の子孫ニニギに国譲りする。
→【出雲大社(島根県出雲市)
--------------------------------------------------------------
天照大御神の子孫ニニギたちが東征し、
すでに奈良を統治していた同族ニギハヤヒを味方にして支配した。 
→都は「纒向日代宮」(まきむくのひしろのみや、現在の奈良県桜井市穴師か)。
--------------------------------------------------------------
ニニギの息子


--------------------------------------------------------------
紀元前660年、ニニギの孫カムイワレヒコが東征して、奈良の纏向ヤマトに
国の中心地としての大和政権をたて初代の神武天皇となった。

→都は「纒向日代宮」(まきむくのひしろのみや、現在の奈良県桜井市穴師か)。
--------------------------------------------------------------
2代
3代
4代
5代
6代
7代
8代
9代
10代
11代
--------------------------------------------------------------
71年7月11日、12代の景行天皇が即位。
→都は「纒向日代宮」(まきむくのひしろのみや、現在の奈良県桜井市穴師か)。

       景行天皇の命令で息子のヲウス(ヤマトタケル)が熊襲梟帥を征討する。  
       景行天皇の命令で息子のヲウス(ヤマトタケル)が出雲梟帥を征討する。
       蝦夷征討に出ていた息子のヤマトタケル帰る途中の伊吹山で亡くなる

130年11月7日に12代の景行天皇が崩御
--------------------------------------------------------------
131年1月5日〜190年6月11日まで13代の成務天皇が在位
→皇居は志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや、現在の滋賀県大津市穴太)

147年〜189年頃まで倭国大乱
         天皇の征討といった力の支配への不満が各国で浮上して、倭国大乱の混乱続き、
         倭国には王が不在も同然だった。滋賀の成務天皇は為す術なし
--------------------------------------------------------------
170年〜184年   卑弥呼が誕生し、184年に14歳になる《正式な名前は息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
         ・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)》
        父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)滋賀県米原市
        母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。但馬・出石
→都は「滋賀県米原市?」
--------------------------------------------------------------
184年〜191年   卑弥呼(14〜21歳)、鬼道をもちいる巫女だった卑弥呼は
         各国から共立され倭国女王となる。倭国大乱が鎮まります。

→都は「滋賀県米原市?」
→都は「筑紫橿日宮」(つくしのかしいのみや、福岡県福岡市東区香椎の香椎宮が伝承地)
--------------------------------------------------------------
192年1月11日〜200年年  仲哀天皇 即位  
193年1月11日       卑弥呼(22歳〜30歳)を妃に迎え、神功皇后とした
        
→都は「筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや、福岡県福岡市東区香椎の香椎宮が伝承地)」
→都は「穴門豊浦宮(あなとのとゆらのみや、山口県下関市長府宮の内町の忌宮神社が伝承地)」

        8年間、熊襲討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた仲哀天皇は、神懸りした神功皇后から神のお告げを受けた。
        それは西海の宝の国(新羅のこと)を授けるという神託であった。
        しかし、仲哀天皇は、これを信じず神を非難した。そのため神の怒りに触れ、
201年2月        仲哀天皇は翌年2月、急に崩じてしまった。在位9年で亡くなってしまいます。
--------------------------------------------------------------
201年10月2日〜248年年  仲哀天皇の妃の神功皇后
      奈良の纏向に邪馬台国という倭国の新しい大和王権が樹立したのでは?と私は推測し、仮定します。
      神功皇后が朝鮮出兵し、支配をひろげている記録があり、高句麗対策として魏と同盟するため朝貢したと
      考えられます。

→都は「纒向日代宮」
--------------------------------------------------------------
247年に神功皇后(卑弥呼)は亡くなるが、また倭国内乱が起きないようにその死は伏せられた
--------------------------------------------------------------
248年頃〜269年4月17日まで  神功皇后(卑弥呼)の身代わりに顔も似ていた宗女壱与(または台与)が女王として後を引き継ぎました。

日本の記録には天皇の威厳を保つため、神功皇后(卑弥呼)は269年まで仲哀天皇の皇后として生きて倭国の政治をしたことにした。

266年 秦始2年(266年)に、倭の女王の使者が朝貢したとの記述がある。
269年 倭国女王・壱与亡くなるが、表向きは神功皇后(卑弥呼)が亡くなったということにした。


→都は「纒向日代宮」
--------------------------------------------------------------



--------------------------------------------------------------
672年、→都は、奈良県明日香村、「飛鳥浄御原宮」。
--------------------------------------------------------------
694年、→都は、奈良県橿原市、「藤原京」。
--------------------------------------------------------------
710年、→都は、奈良市、大和郡山、平城京。
--------------------------------------------------------------
740年、京都府南部、恭仁京。
--------------------------------------------------------------
744年、大阪市中央区、難波京。
--------------------------------------------------------------
745年、奈良の平城京に戻る。
--------------------------------------------------------------
784年、京都府長岡京市、長岡京。
--------------------------------------------------------------
794年、京都府京都市、平安京。
--------------------------------------------------------------
1180年、兵庫県神戸市、一時期だけ福原京→平安京に戻る。
--------------------------------------------------------------
1192年、鎌倉市鎌倉幕府。
--------------------------------------------------------------
1336年、大覚寺統の南朝(吉野朝廷)。
→京都以南の大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、
→賀名生(同県五條市西吉野町)、
→摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)
--------------------------------------------------------------
1336年6月、京都に持明院統の北朝(持明院統)。
--------------------------------------------------------------
1392年、3代将軍義満によって南北朝が統一された。
    
    →京都北小路室町に花の御所を造営。
     以降、南北朝が歴代将軍を室町殿(むろまちどの)と呼んだことから、
     その政権を室町幕府、時代を室町時代と呼ぶ
--------------------------------------------------------------
1568年、岐阜市、織田政権。
--------------------------------------------------------------
1576年、滋賀県蒲生郡安土町、織田政権。
--------------------------------------------------------------
1585年、大阪市中央区、豊臣政権。
--------------------------------------------------------------
1603年、東京都千代田区、江戸幕府。
--------------------------------------------------------------
1869年、東京都千代田区、東京を首都とする。
--------------------------------------------------------------
東京はいつまで日本の首都として続くのでしょうか?ね〜。

遷都せんと、いかんという事もないですが、
東京が海に沈んだりする事態になったら、わからんですね・・。


naze_naze at 04:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年11月09日

壁 崩壊20周年

何かの壁が無くなるには
えらく時間がかかる・・。

自分で作った壁。

人との間になんとなく
ある壁。

何かを為すために
乗り越えなくては
ならない壁。

などなど・・。

ベルリンの壁は1961年に作られた悲劇の壁であったけど、今から20年前に崩壊しました。

戦争によって引き裂かれた東西ドイツは、
1989年11月9日、ベルリンの壁の崩壊により、
統一され、民主化が進み、現在に至っています。

この崩壊のニュースを
当時は大きな歴史的な出来事として見てました。いきなりそんな事が起きると思ってなかったのでまだ学生でしたがなにげに驚きました。
喜ぶ市民の姿に単純に「よかった〜」と思いながらも、冷静に見ていました。

壁崩壊の頃の日本はまだ好景気で、我を忘れてしまってた気もしますが、世界も活気づいて発展していて本当にいい時代だったと思います。
20年経って、現在の世界的な不景気。これまた突然ここまでの不況がくると思ってなかったですが、いま振り返って、当時の壁崩壊の映像を見ると、なんか当時みた時の何倍も励まされる気がします。どんな辛い事があっても、いつか喜びに変わる日が来るという希望を感じます。

東ドイツを懐かしむという意味の「オスタルギー」という言葉が今、ベルリンで囁かれ、当時のいろんなものが流行っているといいます。
それだけ旧東ドイツの人が当時大変な生活をしながら生きていたということで、思いが凝縮しているだけに、今になって東ドイツの言葉、食べ物、風習に特別な郷愁を感じるのだと思います。

昭和の時代を今になって大変なこともいっぱいあったけど人が温かかった古きよき時代として懐かしく思うのに似ているかもしれません。

物理的に壁はなくなりましたが、またそれぞれのドイツの方々の中には新たな壁も存在しているのも事実としてあるのだと思いますが、平和になって笑顔も増えた事は間違いないと思います。

壁こわれ
待ち望んだ
再会に
ふたたび射した
笑顔の光

ビール飲んで
ホットドック食って
祝う今!

11/9だけにドイツ人には
いい句を詠んでほしく思います。

壁 崩壊20周年、おめでとう!

ホットドック

新ジャンル


ホットドッグと新ジャンルビールで勝手にドイツの未来を祝いたいと思います。今年は、セバスチャン・ベッテル、ティモ・グロック、ニック・ハイドフェルド、ニコ・ロズベルグなどのドイツ人F1ドライバーにだいぶお世話になったし・・。



naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年08月31日

政権交代

昨日は選挙に行きました。
開票が進む中、480議席も決まり、民主党の圧勝という結果になりました。
歴史的なこの出来事に、ここまではっきりとした差が出るとは・・と正直、驚きました〜。
政権交代に日本じゅうの人々の現状への悲痛な気持ちが込められているのかな〜と感じました。

政権交代後の政策、そして、よいシステムに改革しての新しい政治がしっかり行われ、あらゆる問題が相互に少しずつ改善していくことを願うばかりです。

うまくいくかは誰もが疑問も残るのだと思いますが、いままでにない新しい体制ができるということで、古い考え方やおかしな格差がなくなり、公平な中で一人一人の人権が尊重された明るい日本になればと思います。

可能性にかけての結果と思うので、ここは本当にうまくいくよう政党間の足の引っ張りあいを控え、一致団結し協力しあって強くてやさしい日本が復活再生することを心から期待したいと思います。

いままでの未解決の各問題もどう引き継がれ、どのように解決させ、国民の納得をえていくか見守っていきたいと思います!

あらゆる難問題がつながり、絡まっての今の現実の状況だと思うので、まずは絡まった糸をほどいて、何を優先してどうやってわかりやすいシステムを構築していくのかが問われます。
そのために、広くアイデアを集め、多くの優秀な知恵をしぼって、世界の中での日本がどういう立ち位置で接し、どういう国になりたいのか、未来への展望の具体的イメージを確立しないと、まとまらないと思います。

国づくりは映画づくりのようなもの。映画を撮るにもどういうキャスティングで、どういう舞台で、なにをしゃべらせるか、脚本や絵コンテ、演出プランが重要。適当につくっても感動できる大作はできません。
酔ったり心ない発言するスタッフは、もちろんいたら製作が進みません。予算も重要ですが、予算少ないなら、いままでにない斬新な工夫が必要。いい構図で、またフレームワークでその役者の演技や風景をしっかりとらえるカメラマンも重要ですし、いかにその映像を編集しわかりやすく並べるかも、つくる側の腕の見せ所。
観る側が感動するような作品=生活する側が笑顔で暮らせるような国に、本当になってほしいです。

自分の国にがっかりしてばかりな時期から脱却して、自分の国が好きになれなきゃ、元気に日々の生活をやってけませんもんね〜やっぱり。


naze_naze at 05:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年06月21日

歴史

Archives1970年1月のところに以下の
宇宙、地球生命の歴史、人類の歴史年表をUPしました。



宇宙史、地球生命史【137億年前〜現在】

地球人類史簡略年表01【250万年前〜紀元前2000年】

地球人類史簡略年表02【紀元前2000年〜紀元前1年】

地球人類史簡略年表03【西暦1年〜1000年】

地球人類史簡略年表04【西暦1001年〜1800年】

地球人類史簡略年表05【西暦1801年〜現在】


とくに国や地域やテーマ別にしないように
なるべく年代順に大まかな事項を並べて作成しました。
常に編集中で追加・修正していこうとおもいます。

すべての事象が昔からつながって今があることを感じてもらいたいです。

余談ですが、
多くの民族を含む147人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した結果
わかった人類の系図は、二つの大きな枝にわかれ、
ひとつはアフリカ人のみからなる枝、
もう一つはアフリカ人の一部と、その他すべての人種からなる枝、
であることがわかったそうです。
全人類に共通の祖先のうちの一人が、アフリカにいたことを示唆する
ミトコンドリア・イブと名づけられた仮想的に存在する20万年前の女性。
ミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれ、
父親から受け継がれることはないのです。
したがってミトコンドリアDNAを調べれば、母親、母親の母親、
さらに母の母の母の…と女系をたどることができる。

全人類の全人種がそのミトコンドリア・イブの遺伝子を
受け継いでいるということが1987年に発表されました。
アフリカから移動し広まっていき、移動先の土地の気候や風土にあわせて進化して
すべての人種に枝分かれしたというアフリカ単一起源説の一つの証拠になる論文です。

自分の母親から母親、母親・・・とたどっていくと、
いつの時代かに一人の女性にたどりつき、その子孫をまたたどっていくと
世界のどこかの国に自分と同じ遺伝子を受け継ぐ人が
今もきっとたくさん存在しているということです。
見た目で人はわかないともいえます。中身は一緒ということもありえるのです。

それははるか昔に枝分かれした遠い親戚なのであって
決して敵対しあうものでないと思えてきます。
この事実をもっと世界の隅々にいきわたらせてほしいなとおもいます。

30万年前からはじまる現代人=ホモ・サピエンス・サピエンスの
歴史は、農耕の歴史でもあり、その文明の盛衰が繰り返される中での
戦争の歴史でもあり、産業革命後ここ数百年で発展してきた科学の歴史が
また自然とどう向き合うかが問われています。

なぜいまがあるか?
〜歴史からみえてくるもの、歴史から感じるもの〜
またそうした歴史にそれぞれの新たな「なぜ」を感じて
生きていきましょう!
続きを読む

naze_naze at 00:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年05月09日

『GOEMON』

8e868934.jpg観てきました。

自由奔放で謎の経歴の石川五右衛門を主人公にしたことで、信長の死後の安土桃山の世を、自由な解釈で描いていて映像はきれいでしたがCGでつくった独特の紀里谷ワールドはキャシャーンのそれと変わらない印象もありその点ではよいとも言えるのですが、新しさは感じませんでした。

信長の登場するいくつかのシーンは心にくる深い味わいがありよかったです!さすが橋之助さん。

霧隠才蔵と五右衛門の子供の頃のシーンは、まるで北斗の拳のトキとラオウみたいだったり、茶々と五右衛門のシーンはFF10のようでもあり・・。

画面の作り方やデザイン的にも様々な有名な映画の影響をうけている点がテンコ盛りでした。

関ヶ原の戦いで家康の陣に一人特攻していく忍びを服部半蔵が防ぐシーンは様々なドラマで描かれてきて・・・今回はまたそこが見せ場であり、花の慶次の信長の甲冑を着て暴れるシーンに似て、
それなりにかっこいいとも言え、良いんですが・・ありとあらゆる映画・アニメ・ゲームを知ってる人からすれば、元ネタの映像やシーンがすぐわかってしまいオリジナリティが画面の色調やアクションのカメラワーク以外には感じられないのは残念な感じもしました。

紀里谷さんが好きな
いろんな作品への
オマージュなのかと
思うシーンたち・・。
フルCGの西洋風ゴシックな舞台的なセット感覚のあるファンタジー世界を描きながら、日本の安土桃山時代のいままで語られている史実や人物の役割を自由に変えて再構成した今作品のストーリーは、現代に通じるメッセージとなりえていたのか?

何をこの作品から感じるかは人それぞれだと思いますが、チャン・イーモウのHEROなどでも描かれた暗殺者が天下を担う権力者を殺せないで自ら死を選び果ててゆく・・というシーンも、何度も見ていることもあり、深い感動が映画を見終った時に残ったかどうかは、自分は微妙でした。

大泥棒を信長配下の忍びとして描き、戦争や貧困、復讐の是非をテーマとして、エンターテイメントにわかりやすく描いたのは、楽しめよかったのですが、詰め込みすぎ感はやはりあったので少しストーリーや背景やキャストをシンプルにした方がもっとよくなった気がします。

帰りの道、見上げたら雲隠れしてる満月が、幻想的な光りを放ち、きれいで感動でした。


naze_naze at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年04月10日

レッドクリフPart2−未来への最終決戦−

2ae7004e.jpgさっそく4月10日の公開初日、激しい赤壁の戦いの一部始終を見てきました・・。
時は西暦208年、
曹操軍80万と劉備・孫権連合軍5万の対決は、天の理、地の理、人の理を重んじた孔明の知略・軍略が冴え渡り、周瑜の妻、小喬や孫権の妹、尚香の勇気ある行動、連合軍の勇猛な兵士の結束力が感動の風をまきおこし、見所満載で心熱くなる・・まさに赤い壁の如き“炎の映画”でした。

周瑜と孔明が組んだという歴史的事実は、兵法家孫武の記した『孫子の兵法』の風林火山陰雷の如く・・強さを発揮し、自然への畏敬の念と人民への仁愛をもって、大軍に立ち向かってゆく彼らの姿は素晴らしく、1800年前の出来事に、ただただ信じられない程の思いや、何かさけられぬ人と人との気持ちの凄まじいぶつかり合いがあった・・ことに心底圧巻でした。

そして戦いの末に、勝者もいない・・・という現実が、無惨に残るという「時代を超えても変わらぬ普遍性加減」に、ちょっと虚しい淋しい焦燥感をおぼえました。

ただひとつ言えるのは、あそこに居合わせたすべての一人一人に、それぞれの正義、夢、平安を求める心があり、どちらの側の一人の人間にも正しさはあった思うし、争いがない安定した社会に暮らしたい、、と思う、、その「ことの本質」は同じだったのではないかということ・・。

人は誰も、考え方、やり方、未来への最終イメージは微妙に違っていて、それをいまだうまく表現しきれず、お互いを理解できないと、決めつけ早合点して、われら人類は数千年も争いをくりかえして生きて・・・今に至ってるのかもしれない・・・・とふと思いました。情けなか〜(>_<)

しかししかし凄いです!
この中国の歴史の枝別れしたところにある日本の歴史の先に・・これから何が起きるのかは、われら許容範囲が広くどんな困難にも負けず乗り越えてきた器用で思慮深い日本人の一人一人の日々の思いの積み重ねしだい・・・ですね!?たぶん、う〜ん(´〜`;)戦わずして勝つ的な龍馬流な、この世をもっと面白く的な高杉流な生き方の人がもっともっと日本にも世界にも増えて柔らかい思考が広まればいいなと思います・・。

--------------------------------
江東に
吹く風変わる
丑の刻
漕がれず焦がれ
戦場は燃ゆ・・



江東に
炎広がり
焼かれたは
時隔てても
似てるは何故か・・
--------------------------------
同じ名の土地、、故か、
時と場所超えて、焦土と化し、
その変わらぬ天地と人の運命に
不思議に悲し・・。

そして、
「不死の義」の愛しことに涙すばかり・・。



naze_naze at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月25日

『ワルキューレ』

10bfb8ca.jpg本日はまたまた実話の映画『ワルキューレ』を観てきました。
第二次大戦末期にドイツ軍の中でナチス総統アドルフ・ヒトラーに反旗を翻した将校たちの「ワルキューレ作戦」を描いた作品。
トム・クルーズ演じるシュタウフェンベルク大佐がヒトラー暗殺計画の指揮をとります…が、作戦は成功するのか?彼の信念は世界の秩序を取り戻せるのか?
…といった手に汗握る展開で最後まで目が離せない内容となっております。
この1944年7月20日の『ワルキューレ』の作戦から、9ヶ月後の1945年4月にはドイツ、ベルリン陥落となります。1/29にたまたま深夜放送してて観た『ヒトラー〜最期の12日間〜』につながることを考えると、ヒトラーのドイツが敗戦するのと、シュタウフェンベルク大佐たち反ナチ派のドイツが敗戦するのとでは、戦後の状況もきっと変わっていただろうと思うと、複雑な気持ちにさせられます。
今現在、ベルリン国防省跡には、シュタウフェンベルクたちの反ナチス運動が賞賛され彼らの名前が刻まれた記念碑があり、予備軍司令部があったベンドラー街は、シュタウフェンベルク街と改称されています。
彼らの思いは、ユダヤ人の命を救ったをシンドラーと同じで、そういった人々がドイツ国内にたくさんいたという事実は、人が人としてあろうとした証であり、戦争の悲惨さの中で、少し救われる気がします。

どんな国にも悪い人良い人がいて、悪い国と良い国がある訳でないことを、忘れてはならないと感じました。明確には、完全な悪い人も完全な良い人もいなくて、あくまでそれぞれの人の自分の心の持って行きような気がします。

実際にあった話は、ちょっと受け入れがたい重みがあり、やはり真に迫るものがあります。信じられないことがつい数十年前にあり、多くの犠牲や苦しみの上に、今の平和があると思うと不思議な感覚になります。感謝しなくてはならないというのもありますが、平和も何かのきっかけですぐ幻想や泡のように消えやすく脆いものな気がするので、過去の持つ意味は何かしら今後の時代を生きる上で
参考にして教訓にしなければ、悲しみは繰り返されていくばかりになってしまうと思います。

ちょっと話それるかもしれませんが、日本人は、最近特に何か大きな力に反抗できなくなり、間違いを正せない人たちになりつつある気がたまにします。
敗戦国の民として従順な態度に徹しつつ、外からの文明を巧みに吸収し新たな物をつくり経済で世界に勝利してきたやり方は、本当に明確な民族としての意識がなくあいまいな繊細な美学を持つ日本人の手先の器用さや言葉表現の多彩さが産んだ良さであるといえます。しかし逆に世界の国々に充分に理解してもらうのに苦労するという欠点でもある気がします。答はでないですが、今にして思えば、戦後欧米化は欧米に負けないために必要だったけど、今はそこまで欧米のやり方を肯定するより、本来の日本人の培った伝統や考え方など新しい感覚をもってどんどん復活させた方が発展するのでは?って思えてきます…そんな風にしか言えないけど…。
話戻しますが、人類歴史上最も巨大な楽曲の一つであるワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』の第一夜「ワルキューレ」は、映画でも音楽として蓄音機から流れ、見せ場の一つとなりますが、ドイツ語ではヴァルキューレ、英語でヴァルキリーは、北欧神話に登場する戦いの女神9人のこと。主神オーディンの命を受け、天馬にのり戦場を駆け戦死した勇士たちを天上の宮殿ヴァルハラへと迎え入れ、ラグナロクの戦いに備え世の終わりまで武事に励む勇士たちをもてなすのが務めです。
敗戦濃厚のドイツは、国内の捕虜などの反乱対策案としてこのワルキューレ計画の立案をしていた。シュタウフェンベルク大佐のワルキューレ計画の修正案にヒトラーが神話にあるワルキューレのことを熱く語りながらサインするシーンも、緊張感がありドキドキでした。
この音楽は本当にかっこよくて気分が高揚します♪


naze_naze at 22:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月19日

『チェンジリング』

c02171cd.jpg本日は『チェンジリング』を、気になって仕方ない作品でしたので観てきました。「チェンジリング」は「取り換えられた子供」の意。

これは1928年に起きた「ウォルター・コリンズ失踪事件」を描いた作品です。
ある日9才の息子が行方不明になります。警察捜査の末5ヶ月経ち、ウォルターが見つかり、誰もがホッとするのですが、その見つかった子供がウォルターではなく別人だと母親はすぐわかり、違うと主張するのに、その子はウォルターだと言い張ります。警察に気が動転し成長期の子供を認識できないんだと諭され、母親は仕方なくその見知らぬ少年を連れて帰ることに・・。母親は後日「本当の息子を捜してほしい」と警察に訴えますが、警察は捜査ミスを隠すため、母親を中傷した上で精神病棟に入れてしまいます………信じられませんが実際にあった実話です。

しかし本当にこんなことが起きるのか?
と疑問に思ってしまいます。

どうして?

なんで?

と母親と同じく観てるこっちも混乱してきます。

アメリカのロサンゼルスの街が、この時代は市長や警察本部長の異常な専制政治状態の下であったということもありますが、社会の持つ理不尽さが個人の真実を無視したり、利用したりする恐さを感じ、ぞっとします。そして後になって大量殺人の犯人が捕まり、裁判が開かれますが、なぜそんな事件を起こしたかはあまりわからぬまま絞首刑にされ、ウォルターは死んだのか生きているのか、わからぬまま映画は終わります。
映画では描かれませんが、実際に母親のクリスティンは希望だけを胸に抱き、自分の息子に会える日を待ち続け生き続けたことが伝わってきて、切ない気持ちになりました。

実話だからこそ、恐ろしいし、自分の身の回りにそんなことが起きたらと考えさせられます…。

監督は、クリント・イーストウッド。
私の好きな映画『パーフェクト・ワールド』も監督してます。
子供と大人を独特の視点で描いていて今作品と通じる部分も感じられます。

子供が突然いなくなる「千と千尋の神隠し」な話は、昔からたくさんある…と親からよく聞くことがありますが、子供に会えない親の話は、今も現実に、この日本にはたくさんあって、その辛さを思うと、その親子一人一人が一日でも早く再会できることを願うばかりです。


naze_naze at 23:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月05日

ヒストリエ5巻

bc6a9b1b.jpg寄生獣で有名な岩明均さんのヒストリエが久しぶりに発売。いつも次の巻がでるまでが長く感じられますが、ようやくGet。
約2350年前の話なのに身近に感じられるのは、やはり主人公の内面や葛藤が淡々としているカット割りの中で少ない線でするどく描かれているからと思いますが、はっきり言って生き延びるのがあの時代は想像以上に厳しかったんだろうなぁ〜と感じます。でも絵が重くないのでスラスラ読めるのでやはり岩明さんの漫画はバランスいいな〜と感心します。戦力や物量といった戦術が戦争では重視されがちですが、少ない戦力と物量でもいかに時とタイミングを選びどういった戦略で効率的に兵や兵器を使うかが大事だと気づかされます。

人の戦争の歴史上に偉大な戦略家・軍師は、どれだけいたかまだ勉強中ですが、いろんな時代にいたそんな軍師が何千何万という人の命を左右していくのは圧巻です!

この漫画の主人公エウメネスも、中国の蜀の諸克孔明も、日本の甲斐の山本勘助も、本当にすごいな〜と思います。すごい権力者には必ず兵法に通じた名参謀が軍略家としていつもそばにいたことは注目すべき点で実に面白いなぁ〜と思います。

直江兼続も上杉景勝を支えた参謀として知る人ぞ知る人なので、毎週見てる大河ドラマも、今とても楽しみです!!

ナンバー2には、トップにもない哀しみや深い魅力が隠れているように感じる今日この頃です…。

昔から副班長や影の副部長とかのポジションにいることがけっこう多かったのでこういう立場の人の気持ちがよくわかる気がします。
続きを読む

naze_naze at 18:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年02月27日

MISS POTTER

1e84947e.jpg先日寒い日にMISS POTTERのDVD買いに行ったら品切れ…。別店舗に問い合わせてもらい、一個だけあるということで取り置きしてもらい、、すぐにそこへ買いに行きGETしました!!最初からそっちいけばよかったp(>_<)q

昨年は劇場で観たかったですが、バタバタして行けなかったのですが、先日SWのEP3をテレビでみててユアン・マクレガーの笑顔を見たらこの映画みてないことを思い出し、はやく観たくなりました。ビアトリクス・ポターの描いたピーターラビットの絵がとても素晴らしいのと、彼女の人生で成したことも興味あり、レニー・ゼルウィガーも好きなのでさっそくこれから「ミス・ポター」のDVD観るの楽しみです!

在庫があんなないとは
予想外でした…!?


naze_naze at 08:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年01月31日

『チェ39歳 別れの手紙』

1406fc09.jpgついこの前みた『チェ28歳の革命』に続き、『チェ39歳 別れの手紙』を観てきました。

キューバ革命は成功した。が、しかしゲバラの夢を叶えたのは、きっと彼自身でなくキューバ国民や多くの命をかけ闘った革命戦士や同胞たちだと…39歳のボリビアで革命のためのゲリラ活動をしていたゲバラは語るかもしれない。一つの何かを成したら、そこで平和を体感するのでなく、次の困っている人のために風の如く颯爽と動くチェ。キューバで忽然と姿を消したゲバラからの手紙をフィデル・カストロが読み上げ、公表する所から映画ははじまる。
新たな地、ボリビアにチェ・ゲバラは変装して入国することに成功する。それからの341日間の闘いの日々が、淡々と描かれていく。
観ていると、本当になぜ?彼はここまでして前進していくのだろう…と思う。
それは、革命か死か、という言葉にも現れているが、結果でなく、今なにをしようとして生きているかが、重要であるということをいいたいのだと思えてくる。南米でもっとも貧困にくるしむ国ボリビアから手当しなければ、と医者でもあったゲバラが診断したのは、よくわかる話で、救うために独裁政権を倒し→変える、変えるために自らの身を捨てて→前進し戦うという思考のベクトルが見えてくる。南米に自由の風を吹かすのがチェ・ゲバラの夢だったのだろう。すごいです。純粋すぎる…。

多くの親しい友人や家族、キューバの国民と別れてでも人のために闘い、自分の頑固さをも解放したかったのかもしれない。今回のボリビアでのゲバラは、前回と違い、ジャングルを小部隊で、少ない食料で進む過酷さ…ゲリラ活動を展開し、ボリビアの農民たちや兵に革命の必要性を訴え協力を要求するが、なかなかうまく事態は進展せず、脱落者、病人、怪我人が…。
味方の支援者が捕まり不利な状況を打開できず、通信兵のタニアも戦死してしまい仲間は減っていき、米国に支援訓練を受けたボリビア軍に包囲されて疲弊していくチェ たち…。

最後は足に銃弾をうけ、捕えられ、銃殺され、倒れていくチェ・ゲバラの姿に、なんとも言えないあっけない最後にちょっと悲しいというよりは不自然な感覚を感じた…。ヘリで運ばれていく遺体はもう動かない。


エンディングの歌がおわり、とにかく長い長いエンドロールの間が、死の後の沈黙の無を現しているのが如くで…。映画というよりドキュメンタリーなこの感覚は、制作者や遺族が、あえてチェ・ゲバラを英雄として美化したり神格化したり、特別視させたくないのかな〜?と思ってしまうほど客観的な描き方で、少し困惑はしました。

しかしあの過酷な状況下で結束力を維持するのがやっとの中で、軍としての力を発揮することなく敗れていくチェたちを見ているのは本当につらかった・・です。
でも、
ゲバラたちが、農民の子供に心やさしくしている姿は
感動して涙してしまいました。ああいうことってなかなかできるものでなく
自然にそういうことをしているチェはやはりヒューマニズムを大切にしていて
多くのことを彼から感じます・・


(まだまだ感想はつづきます。あとでまた追記しておきます。疲れたんで…)


naze_naze at 23:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年01月11日

チェ 28歳の革命

4f3c1943.jpg第1部「チェ 28歳の革命」観てきました。

数年前テレビの特集番組で見てから注目、気になってました。彼が死んだ時、その顔はまるでイエス・キリストのように美しかったそうです…。彼はアルゼンチン人ですが旅の途中で人々の苦しみや社会の矛盾を肌で感じ、革命活動へと身を投じます!!彼の行動力と不思議な人をひきつける魅力ある優しさと厳しさ。私はどうしても明治維新の志士たちとくらべて似ている点違う点を思いながら、このエルネスト・チェ・ゲバラの眼差しの先にあった何かを思わずにはいられません。幕末の尊王攘夷の志士や新撰組の結束力とそこからくる危うい厳しい掟の中で崖っぷちの状況で、「革命か、死か!」と仲間を鼓舞して突き進む姿は魂を揺さぶられます。政権を武力で倒す点にこだわりつつ、文字を読み書きできることにもこだわった点が吉田松陰や島津斉彬、橋本左内など多くの開明的な思想に目をむけた人たちや西郷や桂、高杉晋作に似て素晴らしいし、移動進軍しながら民衆の指示を集め軍を大軍にしていき反乱を成功に導いたスパルタクスや、民衆を守り民衆の心を大事に闘った漢をつくった劉邦、蜀の劉備玄徳など多くの歴史上の英雄たちの姿にも重なります。
革命を成功させた後、その場所を去り、自らを自らで安定と名声の中に縛らず解放して、新たな場所に向かい、活動の幅を広げていく精神と、信念を貫こうとするところは坂本龍馬の如くで、ただただ感心して感動します。

映画はゲバラをインタビューしている記者の視点を軸にして革命活動に身を投じ始めた頃の過去に遡り展開され、実際の映像を織り交ぜながら、インタビューシーンと、闘いの日々を描いたドキュメンタリー的なシーンを交互に見せながら、28歳のチェがキューバ革命を成功に導くまでを一部では描いてる。その気さくで人道的で独創的なぜんそくをもち咳込みながら医者としてフィデル・カストロと行動を共にしながら指導者・指揮官として成長するゲバラの姿に、人を差別なく愛し、先頭に立って自由のための闘いを導いた革命家の凄さに驚き涙します。

なぜ彼はこんなに素晴らしくも親しみを感じさせ、人を愛して、大義をもって、あきらめず強く足を進めることができたのか??

こんなすごい人が1955年という近い時代に生きていたことに驚くばかり…だし、日本にも来て、広島の原爆資料館をみて「なぜ、日本人はこんなことをされて、だまっているのか…」と言ったという。

…考えさせられる。

2部「チェ39歳別れの手紙」 では、キューバと家族、カストロに別れを告げ、チェはボリビアへ…。

真実の情熱と愛は、
人を救い、
人を変え、
夢と理想に辿り着けるのか!!

彼の最期の341日間からも魂の目を離せそうもありません。

チェ・ゲバラのように、世界を変えようと、信念をもって生き、死にたい…。


naze_naze at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年11月12日

2009年大河ドラマ「天地人」

bf55b901.jpg来年は上杉景勝に仕えた家老のあの直江兼続の話。
木曾義仲の重臣樋口兼光の末裔という樋口兼豊の長男として、上杉景勝に父とともに近侍したとされる。婿として直江家を継ぐと謙信死後の上杉家の内政・外交の執政で活躍し武巧をあげた。愛染明王の「愛」という字を添えた兜、甲冑をテレビでみたとき感動・・、本を買って写真を見てまた感動しました。

漫画「花の慶次」の中でも義を貫き、愛に生きた戦国武将として描かれ、随所で感動しました。上杉謙信から「天下取りは小事、義を貫き生きることが大事」と諭され、真田幸村には師と仰がれ、伊達政宗にも一目をおかれ、豊臣秀吉や前田慶次に惚れ込まれたとにかく凄い人。最近好きな人も多く注目されています。
年上の妻のお船との夫婦愛も漫画でも描かれていて印象に残ってます。かっこよすぎて何もいえないくらいで…、すごい人たちにすごいといわれる人って、日本史上では他に坂本龍馬くらいしか思い浮かびません!!(あくまで個人的意見ですが…。)

主役演じるは妻夫木聡さん。お船は常盤貴子さん。

まだ「篤姫」終わってないですが、こちらも早くも楽しみです。

今年のいつぞやか・・忘れましたが
KIRIさんの知人でもあるバンドやってる方のblogで
直江兼続の話をしてたのですが、まさか兼続が
大河でこうも早く主人公として扱われると思ってなかったので
正直びっくりでした…p(>_<)q

織田裕二でないけど、キターって感じですっ!!!


naze_naze at 03:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年11月02日

赤壁 レッドクリフ

69b71e21.jpgさっそく観てきましたが、英雄英傑が戦う姿、その知略にとんだ奇策、人を動かす人のやさしさや熱い友情に感動しっぱなしでした。
人形劇三国志で劉備玄徳や関羽、張飛の人物に涙してから何十年も経ちますが、やはり改めてあの時代をかけぬけた彼らの姿に胸がたかなり熱くなり仕方がなかったです。劉備の温厚な性格は小さな私に大きな影響を与えてこんな人になりたいと思っていたことを思い出しました。

いまの世に残る名言、故事成語もたくさん生まれた三国志ですが、いろいろ調べたり関連作品もっと深く知りたいな〜と映画みて思いました。この赤壁の戦いは三国志の中でも見せ場となりもっとも有名な部分で、呉の孫権に仕える周瑜と蜀の劉備に仕える諸葛亮孔明が手を組み、その軍師として輝く姿は見る価値あり、対する魏の曹操孟徳の虎のような形相…その権謀ぶりも圧巻です。

続くpart2 が来年4月公開…まちきれんです。
439cc2ab.jpg
782a189c.jpg
0b9d5b94.jpg
af7e9a26.jpg
070312a0.jpg


naze_naze at 00:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年04月23日

肌の色の意味

太陽が肌の色を決めているという話をしたいと思います。

古来、人は太陽と仲良くして長い間暮らしてきた。
多くの文明が太陽を信仰し、その暦に合わせて生活サイクルをつくってきた。

いまから330万年前にアフリカにいたアウストラロピテクス・アファレンシスは
仲間争いや飢えの理由から森をでて別の森へ移動するために平原へ出る機会が増えていった。

しかし強い日差しの中でも放熱効果をあげ、
紫外線から体内のビタミンDや胎児に必要な葉酸を守るため、体毛を減らして、
メラニンというガードを携えた黒い褐色の肌を身につけ変化していった。


アウストラロピテクス・ガルヒは足が長く移動して狩りをして行動範囲を広げて、
20万年前には我々ホモサピエンス…現代人類に繋がる。

そんなアフリカ人類が、アフリカをでて、アラブで二手に別れ、
一方はアジアからオーストラリアへ、
(こちらのグループは太陽の日差しがよく当たる緯度なのであまり肌色を変化しなくてもよく、
広まるのは早かったし、肌の色も少し淡くなる程度の変化ですんだ。)


また一方はヨーロッパへ、
(こちらのグループは2万年かけて移動、緯度が高く太陽があまり当たらないので
黒い肌のメラニンがあると紫外線がコレステロールにあたってできるビタミンDを
たくさんつくれず骨が柔らかくなったりする病気になる。
そのため肌を白い肌へと変化させる必要がありその対応に2万年かかり〜今のヨーロッパ人種となる。)


太陽の紫外線量が多い地域ほど
黒いメラニンが多い肌がなくては暮らせないということだが、
時間をかけてようやく手にした白い肌をもつ白人も
産業革命の頃は黒煙で空を覆ったことで、
多くの人が紫外線が少な過ぎて骨の病気に途方にくれていたという…。

そして多くの国へ進出した結果、赤道に近い国へ移民した白人は
強い紫外線を防ぐメラニンが少ないため、皮膚がんになりやすくなり移民して
200年たつオーストラリアの人達は、今、皮膚の病気の人が急増しているという。
また黒い肌をもつ人が、北の国で住むと少ない紫外線をさらにとりこめないために
子供は歯がなかなか生えてこないというビタミンD不足に苦しむことになる。

肌の色の意味は、人類の誕生した頃からの太陽との関わりが重要に作用し、
その距離感が密接に関わり、住み着いた土地と切ってもきれない深い関係の上で
形つくられたものであるから、安易に住み慣れた土地を離れては暮らせないし、
肌の色で差別なんてしてるなんて…もう情けないだけ…。

肌の色が違う人がある土地に一緒に暮らすのは体的に、
はなから無理がある…のにそんな土地をめぐって執拗に争ってきた人類の歴史に意味はあるのか!?

とにかく肌からいろいろ学ぶことは多く、物事には必ず歴史があり、
なるべくしてそうなっているという〜
かなりの意味がちゃんとふくまれて〜
我々はこんな肌の色で〜
日本というすごい島国で〜
明治維新まではのほほんと生きてきたわけだ。


生物として、人のあるべき姿の重要さや、変わらないことの大切さも感じるが、
一番問題なのはそんな紫外線の微妙な量が健康に密接に関わっているにも関わらず、
紫外線を吸収し防ぐオゾン層が温暖化で破壊されている現実である。

北海道の札幌はこの前行ったばかりだが、ここでは皮膚が硬く盛り上がる日光角化症になる方が増えているらしい。
オゾンホールが北極にできてから、日本といわず世界中で皮膚の病気が増えていく…のは事実だろう。

いずれ地球上で健康に暮らせる場所がなくなってしまう…かも。
太陽がくれる恵みという名の天使と、太陽がもたらす災いという名の悪魔。

太陽とうまく付き合おうと努力していた古代人の謙虚さを自分らも日々の暮らしの中で感じ、
人のあるべき暮らしや、どうすればよりよくなるのかを、もう一度考えた方がいい時期にきているのでは?…と、
NHKで放送された「病の起源 第2集 骨と皮膚の病」を見て、
切実に感じ入りましたです。人の病に深い意味と長い歴史があることがわかり、
これからの地球や宇宙とのつきあい方を人としてどうするべきか〜を本当に深く考えさせられました。
話はちょっと遡りますが
エコ大紀行で流れている「明日咲く花」は先日、関内行った時、
しみじみ聴いたのですが、環境への人への接し方が愛があるやさしい唄で表現されていて感銘を受けました。
もっと自然に生き、自然に暮らしたいと素直に思えます…

地味に生きるも
派手に生きるも
不自然に生きるも
自然に生きるも

みな人生なんだろ〜な〜



naze_naze at 03:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年02月29日

閏ううるうる四周年

dbc2c7f6.jpg今日は本当の四周年にあたる日。デビューをあえて2/29にしたという話は、なんだか器の大きさを感じます…29だけに、ニクイっ!
グレゴリオ暦や太陽暦の不正確さが産んだものだと思いますが閏う年とかってなんだか、四年に一回あるのにない日があるって本当に不思議です。最近知ったのですが、マヤ暦だと、月は、年に13回満ちることからも、一年は13ヶ月となっており、一ヶ月は、必ず28日で土曜日で終わり、月はじめが必ず日曜日からはじまるという。
13日は必ず金曜日…、7で割り切れるようになっており、正確な周期でわかりやすく、潮の満ち引きや生命のあらゆる生活周期と関連しているので、現代科学ではマヤ暦が見直されているみたいです!

一年が13ヶ月になったら、10干12支や12星座もひとつ増えるのか?わかりませんが、猫年とかオリオン座とかなんかしら新しい生き物や有名な星座が追加されるかも…、そしたら面白いと思います〜。

暦は、己読(こよみ)つまり「己を読む」でからきているそうです。また、しつこいですが『Jupiter』という歌の「I Iisten to my heart」の精神と重なり合う気がします!
いろんな知識が科学を発展させ、古代からの知恵と融合する時代になり、宇宙や自然の法則に呼応しながら、バランスを見極めて日々を過ごす感覚が、これからは必要だし、その方が面白く生きられる気がします。…そんなこんな29日に、また逢う日までさようなら…!

画像は、まるで木星のようなアイスミルクティー。


naze_naze at 14:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年01月13日

嘘っ!800兆の負債!?

録画してあった「バブルへGO!」を観たのですが、面白かったです。…が面白がってる場合でないなあ〜と思うグローバル化が進み、格差も温暖化も進む2008年!
日本が信用され元気を取り戻すには60〜70年代のまずは活動する根性や溢れ出るやる気みたいなものをみんながもたないと難しいと思います!フォークソングの話をテレビ番組でみて、あの頃の唄から感じる世界を見つめ、己を見つめること、心に訴えかける言葉…の純粋な力を感じ…リアルタイムで聴いてない唄もたくさんあるので昔活躍したフォークミュージシャンのベスト版CDもほしいと思いました。話は映画の話に戻ります。タイムスリップものは好きでなんでもよく観るんですが、やはり実際に過去には戻れないけど今を生き抜き、未来に一歩踏み出す勇気の大切さやヒントは作品に隠されており、そこには間違いや慢心を軌道修正し新しい自分、新しい考え方、新しいシステムを受け入れていくことが大切で、そんな真摯な姿勢が自分だけでなく世界を変えていくんだなぁ〜と教えられます。未来にいくSF系のタイムスリップものとは違いあの頃の90年代の東京は確かにあんなだったかもな〜と感慨深かったです。懐かしいというよりなぜ?あんなに皆、金づかい荒いのか?と今だからこそ不思議に思え、ある意味バブル時代ってファンタジーだなと思いました。

しかし日本は戦後から本当に平和だったと思うけど、平和でない時代に向かっていってしまいそうで不安は尽きない…ですね。

明日は成人式ですね。
今年二十歳になる方々は昭和の最後に生まれた世代です…。期待したいですこの世代の若さに!
時の早さがなんだか信じられませんが平成ニ十年も気をつけていかないと、なんもしないままあっという間に過ぎ去ります、きっと。ネズミ年だけに素早く過ぎ去るのでチュ〜いが必要です!


naze_naze at 12:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年01月08日

原油高騰問題

9c7d1ac1.jpgこれは世界的に深刻な影響がでていくエネルギー問題です!
いままで現代人の生活の便利さを支えたのが原油…。つまり死んだ多くの地球上の生物の死骸が蓄積してできた化石燃料です。石炭の時代に変わり20世紀をささえた根源も、原油エネルギー資源そのものも減りはじめているのか?という不安もありつつ、どこかの国に偏りストックされ、欧米の経済的なきっかけから原油の値が上がり悪循環の螺旋が世界中に広がり始めています。原油が上がると、食料品をはじめ、ありとあらゆる商品の物価も上がっていきます!

やはり日本は消費大国だから浪費は避けるという不断の努力が自分含めて日本人全体に足りてない…とふと思います。温暖化した地球・魚などの食料捕獲量の減少・少子高齢化した政治経済システムが崩壊した国に向かいつつあるのか?大丈夫?と思います。このままでは、生活する上で困った状況になり、そうなってからでは遅い気がします。原子力は管理リスクがあり危険は否めない…。クリーンな燃料電池、太陽電池、それにかわるエネルギー開発は、結局生物との密接な関係を保ち続けてこそ得られるものなのでは?と自分では思われます。アメリカの弱体化し、中国の成長が続きそう…イタリアとともに日本の日経平均株価下がりまくってます!教育問題もズタボロ。
数年昔はここまで客観的に各方面から日本を見れなかったですが…今年の日本に難しい難題課題はテンコ盛りだと感じる…それも歳のせいなのか?

重い内容になってしまい、すみません。しかし個人レベルではやれることからやっていくしかありません。
ぐわんバリましょう!


naze_naze at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年11月02日

由布に及ばず

674b28ca.jpg日曜の話ですが、

晴信から信玄へ

勘助から道鬼へ

風林火山もついに見せ場へ
亡くなった由布姫への透明なそれぞれの想ひの中で、生命力は時には『戦うこと』を選択します!

なんだか頭まるめて
皆すっきり…
何故か、気持ちいい
信玄の武将たちの出家シーンにちょっと感動しました。

りつ役の前田亜季さんいい味だしてます!あたり役です。最初だけ出演してた、みつ役の貫地谷しほりさんもよかったし、由布姫役の柴本幸さんはとにかくいままでみた女優で群をぬいていいです!凄い女優さんたちだらけ…で、生と死が描かれていた事もあって、まさに生命力にみちあふれていました。勘助の立場がまたそれを引き立てるのが泣けます(T_T)

これからも皆活躍すると思いますが新人にしかない生命力はこの作品に詰まって妻っている?と言え、いずれ…時が経てば、ご本人たちが気がつくんでは〜と何気に思いました。

まだ終わってませんが
甲斐の虎、越後の龍、
塩送る話も含め、それぞれの国や世の中を想ふ気持ちが素晴らしく、どちらが正しいとか言えない…癒えない…ですが、あの川中島対決をはやく見たい今日この頃です!!

凄いな〜戦国時代!

いってみてみたい…


naze_naze at 02:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年06月13日

『300<スリーハンドレッド>』

26cf5e2f.jpg今日は、6/9から公開中の映画「300」を観に行った!

色調をおとした渋い油絵みたいな画面で構図がとにかくどこをきりとってもよくできていて素晴らしく!内容ともあい、映像的によかった。この映画は、地球人類史上はじめての共和制国家ポリスの一つスパルタの王レオニダスと300人の戦士が、ペルシア王クセルクセス率いる遠征軍100〜200万人相手に戦った「テルモピュライの戦い」を、描いたもの。原作のグラフィック・ノベルを忠実に映像化している感じで、アクションシーンが多く、血しぶきがとびまくりますが、時間をスローにしたりまた再生したりの演出や、当時の世界観が面白い装飾やデザインで表現され、ただの歴史ドラマにしていない感じも新しいと思いました。
紀元前480年8月、2487年前の話です。
専制君主に屈しないで、民主政治を守るため、戦ったスパルタ人の心が、時空を超えて、この映画から伝わってきます!

この300人がいなければ、民主政治の火は今ほど発展していなかったのでは?と思うほど、強烈なインパクトがスパルタという国とギリシャの人々にはあったと思いしらされます。

この時代生きたソクラテス、プラトンの哲学や、エジプトから地中海やアジア全般にわたる世界史は、高校の時、試験にでない範囲を勝手に猛勉強して年表を自作でつくったりしていたので、その頃から好きで注目しています。前にみた映画「トロイ」や、ギリシャ神話の世界は想像の泉に溢れていて、興味がつきないところです!

「すごい人、ひとりいれば、歴史は変わる!」というのは、決して間違った意見ではない気がします。今回は、300人が歴史を動かした感動を体感できるといえるのでは…と思います。その後、サラミスの海戦でアテネのギリシャ艦隊がペルシャに勝利、その翌年にはペルシャ陸軍をスパルタ・アテネ連合軍がプラタイアイの戦いで破り、完全な勝利をえて、ギリシャ諸市はペルシャから独立していきます。このスパルタの重装歩兵密集隊の戦術の優秀さが実証され、ギリシャ第一のポリスとされたスパルタがギリシャ連合軍の最高指揮権をもつことになっていきます。・・・ギリシャ文化や西欧文明にこのスパルタが与えた影響は計り知れないものがあるといえます。
レオニダス王の彫像
世界の歴史2ギリシャとローマ(中公文庫)に掲載されてるレオニダスの像とされている彫刻です。「300」をみてからだとなんだか違って見えます!!














naze_naze at 22:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年05月28日

光と影

10年前『萌の朱雀』という映画観たんですが、あまりにも日本の奈良の林のみどりの深さの美しさを描いていて感動しました。その監督、河瀬直美さんがカンヌで新人監督賞に続いて今回の『殯の森』でグランプリ!!をとりました。すごいっ!河瀬さんは奈良出身でしかも学生時代バスケットボール選手で国体出場経験もあるらしい。奈良の人は頑張り屋さんが多いのか?と、思います。




話はえらく遡りますが奈良の都で称徳天皇(史上6人目の最後の女帝)は
道鏡を皇位につけようとし仏教と政治の融和を夢みたとされ(仮説です)、
その是非を天皇が自ら、自粛したか謎だが、夢は阻まれ翌年死去…

その後遷都した長岡京(京都)では、
政治の中心から寺院など仏教施設は離れた位置に建てられたといいます。

奈良のそういった歴史なければ
今の京都も、東京もないし日本の歴史も変わっていたと言えます。

古くから残る奈良の…日本の自然…が、
カンヌグランプリをとれた大きな要因であると思えてきます。

河瀬監督の大切な身近な人を起用しながらも
大自然と共に撮ってしまうところは、
チャン・イーモウのたまにやるその場で出演者をえらぶやり方にも
似て役者演技に媚びてなく、そんな演出方法は
自然でなぜか力強く私は好きです。

話がややこしくてすみませんが、
とにかく「おめでとうございます」と言いたいです。
『殯(もがり)の森』観てないのではやく観てみたいです。

暗い深刻な事件やニュースが多い中で、いい話いいニュースが増えてほしいんですが…ショックな事がありました。まったく知りませんでした、闘い続けていた事…命ある限り、負けないで…ほしかったです。その歌声に励まされました、ありがとうございました、坂井泉水さん。m(__)m


naze_naze at 23:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年12月08日

1億2779万人

ふと、
いま日本に何人いるのだろう?

気になって調べてみた。

日本の人口   (単位 万人)
平成18年11月1日現在 (概算値)


総 数 男女計 12779万人    男 6232万人女 6547万人
0~4 歳 男女計 554万人 男 284万人女 269万人
5~9 歳 男女計 587万人 男 301万人女 286万人
10~14歳 男女計 599万人 男 307万人女 292万人
15~19歳 男女計 640万人 男 328万人女 312万人
20~24歳 男女計 742万人 男 381万人女 362万人
25~29歳 男女計 822万人 男 421万人女 400万人
30~34歳 男女計 966万人 男 489万人女 476万人
35~39歳 男女計 934万人 男 471万人女 463万人
40~44歳 男女計 797万人 男 400万人女 396万人
45~49歳 男女計 769万人 男 385万人女 384万人
50~54歳 男女計 838万人 男 418万人女 420万人
55~59歳 男女計 1074万人 男 531万人女 543万人
60~64歳 男女計 807万人 男 391万人女 416万人
65~69歳 男女計 760万人 男 361万人女 399万人
70~74歳 男女計 678万人 男 311万人女 367万人
75~79歳 男女計 538万人 男 232万人女 307万人
80~84歳 男女計 365万人 男 135万人女 230万人
85歳以上 男女計 309万人 男 86万人女 224万人

naze_naze at 22:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月23日

地動説

5/23、1543年の今日、
コペルニクスが地動説を発表しました。

自分を中心に物事を考えるばかりでなく、
自分は大きな流れのひとつだという考えも
大事したいものですね。地道に生きましょう!

naze_naze at 14:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月22日

事実へまた一歩

152a4c74.jpg昼ナショナルジオグラフィックを立ち読みした。ユダは唯一キリストの教えを理解した弟子だったと、見つかったユダの福音書からわかったらしいです。
裏切りではなくキリストの指示を理解し従い、キリストの肉体からの解放のためにユダも汚名という名の十字架を背負い、歴史に悪名を残したと思われる…。人は神にも悪魔にもなれるというキリストとユダの二人の命懸けの大芝居がキリスト教そのもので、言い伝えたかったところだったのかもしれない…。ユダヤ人迫害の根拠がくつがえりそう!しかし事実だと思えるこの発見…すごい勘違いのニ千年。


naze_naze at 17:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

1995年01月10日

坂本龍馬をテーマにした卒業論文を提出

「坂本龍馬の変革思想ー船中八策にみる大政奉還の真意を中心にー」
356ページ、約51200文字の長文で、ものすごく大変な作業でした。

未完成な状態で提出し、あとで校正した改訂版を再提出しました。


なんとか卒業させてくれたゼミの教授に感謝しております。

naze_naze at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月10日

地球戦史(紀元前〜15世紀)

地球上でおきた人類の間に起こったと思われる大きな争い、戦いを「地球戦史」ということで有名な戦争名があるものを中心に歴史年代順にすべて列挙してみました。先に私がつくった地球人類史簡略年表を元にして編集してあります。なんと人類は、はるか昔から戦い争ってきたのでしょうか?
すべての戦争がこの世からなくなることを祈って、ここにあえてその人類のあいだにおきた戦争の多さを
記しておきたいと思います。(事件レベルのものはなるべく省略しますが、歴史的に重要なものは加えたいと思います。訂正や追加修正は随時おこなっていきたいと思います。)最初の大きな戦争がいつ起きたかはいまだよくわかりません。調べたところでは文明がある程度熟してきた以下の時代からはじまったのではないかと思えます。私がイメージできる最古の戦争は、神話的側面もいっぱいありますがやはり映像化している紀元前1200年中期におきたトロイア戦争でしょうかね、やっぱり。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
地球戦史
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
●紀元前2925-2776年 - エジプトで戦争が起こった。
-------------------------------------------
●紀元前2900-2334年 - メソポタミアで戦争が起こった。
-------------------------------------------
●紀元前2775-2650年頃 - エジプトで第二次王朝戦争が起こった。
-------------------------------------------
●紀元前2215年頃 - グティの軍がザグロス山脈より撤退し、アッカド軍を破った。
-------------------------------------------
●紀元前2116-2110年 - ウルクとグティの間で戦争が起こった。
-------------------------------------------
●紀元前2080年 - エジプト第9王朝で戦争が始まった。
●紀元前2071年 - アイルランド神話に記録された最初の戦争であるMagh Itheが始まった。
●紀元前2034-2004年 - ウルとアムルの間で戦争が起こった。
-------------------------------------------
●紀元前1932年 - アモリ人、ウルを征服
●紀元前1913年 - 1903年 - エジプトとヌビアの戦争
●紀元前1900年頃 - アカイア人、ギリシアに侵攻
-------------------------------------------
●紀元前1829年 - 1818年 - エジプトとヌビアの戦争
●紀元前1813年 - アモリ人、北メソポタミアを征服
-------------------------------------------
●紀元前1787年 - 1784年 - アモリ人、ウルクとイシンを征服
●紀元前1766年頃 - 中国、殷(商)王朝興り、夏王朝を滅ぼす。
●紀元前1764年 - 1750年 - メソポタミア、ハンムラビ王による戦争
●紀元前1749年 - 1712年 メソポタミアで反乱
-------------------------------------------
●紀元前1700年 - ミノア内乱
-------------------------------------------
●紀元前1595年頃、ヒッタイトがメソポタミアの古バビロニアを滅ぼす。
-------------------------------------------
●紀元前1285年頃、カデシュの戦い【映画「十戒」、「エクソダス 神と王」】
ヒッタイト新王国、古代エジプトとシリアのカデシュで衝突。
ラムセス2世のエジプトを撃退する。
-------------------------------------------
●紀元前1200年中期、トロイア戦争(Trojan War)【映画「トロイ」】
小アジアのトロイアに対して、ミュケナイを中心とするアカイア人の遠征軍が
行ったギリシア神話上の戦争である。
総勢10万、1168隻の大艦隊でアガメムノーンを総大将とするアカイア軍は、
トロイア近郊の浜に上陸し、アキレウスの活躍もあって、待ち構えたトロイア軍を撃退すると浜に陣を敷いた。
トロイア軍は強固な城壁を持つ市街に籠城し、両軍は海と街の中間に流れるスカマンドロス河を挟んで対峙した。
『イリアス』の物語は、双方に犠牲を出しながら9年が過ぎ、戦争が10年目に差し掛かった頃に始まる。
トロイアの勇将ヘクトルとアカイアの英雄アキレウスの没後、戦争は膠着状態に陥った。
しかし、アカイア方の知将オデュッセウスは、巨大な木馬を造り、
その内部に兵を潜ませるという作戦を考案し(『小イリアス』では女神アテーナーが考案し)、
これを実行に移した。この「トロイアの木馬」の計は、アポロンの神官ラオコオンと王女カッサンドラーに見抜かれたが、
ラオコオンは海蛇に絞め殺され、カッサンドラーの予言は誰も信じることができない定めになっていたので、
トロイアはこの策略にかかり、一夜で陥落した。
-------------------------------------------
●紀元前1066年 武王が殷を滅ぼし、周を興す。
●紀元前597年 - 晋と楚が河南省鄭県の邲において激突し、楚の大勝利に終わる。(邲の戦い)
●紀元前586年 - 新バビロニア、ユダ王国を滅ぼす。エルサレム神殿破壊される。
●紀元前575年 - 晋と楚が鄢陵(河南省鄢陵)にて激突し、晋が勝利した。(鄢陵の戦い)
●紀元前550年 - キュロスの反乱 アケメネス朝ペルシア、メディアより自立し建国。
●紀元前539年 - 新バビロニアの首都バビロンはペルシア軍によって占領される。
        バビロニア王国の滅亡。
●紀元前500年頃 - ペルシアとギリシアの間でペルシア戦争( - 紀元前448年)
●紀元前490年 - マラトンの戦いで、ミルティアデス率いるギリシア軍がペルシア軍を破る。
-------------------------------------------
●紀元前480年8月,テルモピュライの戦い【映画「300」】
共和制国家ポリスの一つスパルタの王レオニダス
と300人の戦士が、ペルシア王クセルクセス率いる遠征軍100〜200万人相手に戦った。
●紀元前480年、9月20日ごろ(29日説あり)サラミスの海戦
アテネのギリシャ艦隊がペルシャに勝利
●紀元前479年8月、プラタイアイの戦い
ペルシャ陸軍をスパルタ・アテネ連合軍がプラタイアイの戦いで破り、
完全な勝利をえて、ギリシャ諸市はペルシャから独立していきます。
このスパルタの重装歩兵密集隊の戦術の優秀さが実証され、
ギリシャ第一のポリスとされたスパルタがギリシャ連合軍の最高指揮権をもつことになっていきます。
・・・ギリシャ文化や西欧文明にこのスパルタが与えた影響は計り知れないものがあるといえます。
-------------------------------------------
●紀元前461年 - 第一次ペロポネソス戦争が起こる。
●紀元前434年 - エピダムノスとケルキュラの紛争が起こる。
●紀元前431年 - 第二次ペロポネソス戦争が起こる。( - 紀元前404年)
-------------------------------------------
●紀元前353年 - 斉と趙の連合軍が孫臏の計略により魏と宋と衛の連合軍を破る(桂陵の戦い)。
●紀元前341年 - 斉が孫臏の計略により魏を破る(馬陵の戦い)。
-------------------------------------------
●紀元前338年 - カイロネイアの戦いでマケドニアがアテナイ・テーベのギリシャ連合軍を破る。 【漫画「ヒストリエ」】
●紀元前334年 - マケドニア王アレクサンドロス3世(大王)の東方大遠征
●紀元前333年 - イッソスの戦いでアレクサンドロス大王がペルシア皇帝ダレイオス3世の軍に勝利。
-------------------------------------------
●紀元前323年、ディアドコイ戦争。【漫画「ヒストリエ」】
マケドニア王アレクサンドロス3世(大王)が急逝した後、その配下の将軍たちが
大王の後継者(ディアドコイ)の座を巡って繰り広げた戦争のことである。
エウメネス(紀元前362年? - 紀元前316年)は、
マケドニア王国のアレクサンドロス大王に仕えた古代ギリシアの人物。

ディアドコイの勢力配分
--------------------------------------------------
ディオドロス の『歴史叢書』18巻の3節

アサンドロス:カリア
アンティゴノス:リュキア・パンフュリア・フリュギア
アンティパトロス:マケドニア本国
エウメネス:カッパドキア・パフラゴニア(小アジア北東部)
フィロタス:キリキア
プトレマイオス:エジプト
ペイトン:メディア
メナンドロス:リュディア
ミテュレネのラオメドン:シリア
リュシマコス:トラキア周辺
レオンナトス:ヘレスポントス(小アジア北西部)
--------------------------------------------------
クルティウス の『アレクサンドロス大王伝』10巻の10章
ディオドロス史料と異なる部分

カッサンドロス:カリア
-------------------------------------------------
ユリアヌス・ユスティヌス抄録の
ポンペイウス・トグロス著『地中海世界史』13巻の4節
ディオドロス史料には無い部分

コイノス:スシアナ
-----------------------------------------------
ディオドロス史料と異なる部分

ネアルコス:リュキア・パンフュリア
カッサンドロス:カリア
レオンナトス:フリュギア
-------------------------------------------
●紀元前322年、ラミア戦争

ギリシアのアテナイなどで反マケドニアを掲げる反乱が発生し、
これを鎮圧すべく出動したアンティパトロスが敗北。
アンティパトロスはテッサリア地方のラミアに篭城したが、
アンティパトロスを救援するために小アジアから渡海し、包囲を解いたレオンナトスは
この戦闘中に戦死。
小アジアにいたクラテロスも救援に応じて途中アテネの艦隊を撃破。

●紀元前322年のクランノンの戦いでアンティパトロスと共にギリシア軍を破った。
この後アンティパトロスはアテネに入城し、反マケドニア派を粛清・追放した。
なおこの戦役は、アンティパトロスが篭城した地名から「ラミア戦争」と呼ばれている。
-------------------------------------------
ペルディッカス(⇔エウメネス) VS アンティパトロス(⇔クラテロスやプトレマイオス)
ペルディッカスはアンティパトロスとの連携を狙いその娘との結婚を申し出たが、大王の母オリュンピアスが彼に自分の娘、すなわち大王の妹クレオパトラとの結婚を勧めた。そこでペルディッカスはまずアンティパトロスの娘と結婚し、すぐ離婚してクレオパトラと結婚することを計画した。
このことを知ったアンティパトロスはクラテロスやプトレマイオスと共に、ペルディッカスと対決する姿勢を明確にした。
そこでペルディッカスは、まずプトレマイオスの打倒を目指し大王の家族を伴ってエジプトに遠征し、また彼の支援を受けていたエウメネスに小アジアで地歩を固める事を要請した。
対するアンティパトロスは自身がエジプトに赴き、
クラテロスを小アジアに送ってエウメネスと対戦させた。
ペルディッカスはエジプト遠征の最中、彼に不満を抱いていたセレウコスらによって暗殺されたが、その二日前にはクラテロスがエウメネスによって敗死させられている(ヘレスポントスの戦い)。
-------------------------------------------
エウメネスVS アンティパトロス(⇔アンティゴノス)
ペルディッカス亡き後の帝国の体制を決定するトリパラディソスの軍会が同じ年に開かれ、
その時摂政に就任したアンティパトロス主導のもとで地位と太守領の再編が行われ、
同時にペルディッカス派の討伐も決定され、
その任には軍の最高司令官に任命されたアンティゴノスがあたった。
●紀元前319年のクレトポリスの戦い。
アンティゴノスはペルディッカスの弟アルケタスを破って自殺に追い込み、
続いてエウメネスに矛先を向けた。
アンティゴノスはエウメネスをノラに包囲したが、紀元前319年にアンティパトロスが病没したことで事態は新たな局面に向かいだした。
-------------------------------------------
アンティパトロスの後継問題で内紛
アンティパトロスは自分の後継者として息子のカッサンドロスではなく年長であるとの理由からポリュペルコンに譲ったが、これに不満をもつカッサンドロスがアンティゴノスらと共にポリュペルコンと相対する姿勢を見せた。
劣勢に立たされたポリュペルコンはその打開のためにエウメネスを支援し、
包囲を抜け出したエウメネスはメソポタミア地方で軍団を掌握してアンティゴノスと対戦した。
●紀元前317年、パラエタケネの戦い。
カッサンドロス、アンティゴノス VS ポリュペルコン、エウメネスの戦い
決定打を与えるには到らず、双方引き分けに終わった。
●紀元前316年のガビエネの戦い。
エウメネスはアンティゴノスに敗れ、味方の裏切りによって敵に引き渡され、処刑された。
(あるいはアンティゴノスはかつての友を直接殺すが忍びないとして餓死させようとしたが
移動の際に勝手に部下が喉をかき切って殺したとも)
エウメネスに勝利したことでエウメネスの遺領やエウメネスに組していた太守たちを配下に加えたアンティゴノスは小アジアから東方にかけての広大な地域を制圧し、さらに東方支配の野望を示したメディア太守ペイトンを滅ぼし、名声・実力ともディアドコイの中で突出した存在になっていった。
-------------------------------------------
アンティゴノスの台頭
アンティゴノスVSプトレマイオス
小アジアからシリア・メソポタミア北部にかけてを支配したアンティゴノスだったが、
その勢力があまりに強大であったために他のディアドコイとの対立が激化した。
紀元前315年、バビロンのセレウコスがアンティゴノスを恐れてエジプトに逃れたことから事態は表面化し、
       アンティゴノスはギリシアに渡るための船を得るためにシリアに進攻した。

これによりプトレマイオスとの戦端が開かれ、
翌年にはカッサンドロスの支配するギリシアに上陸し
エーゲ海の諸島とペロポネソス半島の大半を制した。

一方プトレマイオスはシリアに進攻、
●ガザでプトレマイオスがアンティゴノスの息子デメトリオスの軍を破った(ガザの戦い)。
-------------------------------------------
●この報を受けてアンティゴノスはギリシアからシリアに移動しプトレマイオスと対峙したが、
プトレマイオスの支援を受けたセレウコスがバビロンに復帰したため
セレウコス以外のディアドコイらと講和しセレウコスを攻撃した(バビロニア戦争)。

しかしアンティゴノスはバビロン攻撃に失敗し、
他方プトレマイオスはキプロス島からキリキア(小アジア南部)、さらにはギリシアへと進出した。
プトレマイオスの勢力の伸張に対して
アンティゴノスはデメトリオスをギリシアに送り込み、その軍は
●紀元前306年にサラミス海戦(キプロス沖、ペルシア戦争中のものとは場所が異なる)で
プトレマイオスを破った。
この敗戦でプトレマイオスはエジプトに撤退した。
勝報を受けたアンティゴノスは自身をマケドニア王であると宣言し、
またデメトリオスを共同統治者とした。
さらにアンティゴノスはエジプトを攻撃したがこれは失敗し、プトレマイオスは翌年王位に就くことを宣言した。
カッサンドロス、セレウコス、リュシマコスもそれに倣って王を称した。
●その後ロードス包囲戦の後デメトリオスがギリシアでカッサンドロスに対して優勢に戦いを進め、
紀元前302年にはアンティゴノスは自身を盟主とするヘラス同盟をギリシアで結成した。
追い詰められたカッサンドロスは講和を求めたが、無条件降伏を求められたために
プトレマイオスやトラキアのリュシマコス、さらにセレウコスらに対アンティゴノスの戦いを呼びかけた。
紀元前301年、アンティゴノスとデメトリオスはフリュギアのイプソスでセレウコスとリュシマコスの連合軍と対戦したが、
この戦いでアンティゴノスは戦死し、デメトリオスも敗走するなど大敗を喫した(イプソスの戦い)。

これによってアンティゴノスの王国は勝者たちによって分割され、
シリア、バビロニア、イラン高原、小アジア東部を支配するセレウコス朝、
キプロス、エジプトのプトレマイオス朝、
マケドニア本国を支配するカッサンドロス朝、
トラキアと小アジア西部を支配するリュシマコス朝が成立した。
セレウコスやプトレマイオスの王朝に比してマケドニアのカッサンドロスの王朝は長続きせず、
カッサンドロスの死後の王位継承争いに乗じてマケドニアに返り咲いたデメトリオスが王位を奪い、
さらにデメトリオスがリュシマコスと新たにディアドコイ戦争に参戦する形となったエピロス王ピュロスに追放されるなど
混乱が続くことになる(最終的にデメトリオスの息子アンティゴノス2世によるアンティゴノス朝が紀元前276年にマケドニアに支配権を確立した)。
●紀元前281年のコルペディオンの戦い。
ディアドコイ戦争最後の戦いでセレウコスはリュシマコスを敗死させ、
プトレマイオス朝の支配するエジプトを除くアレクサンドロス帝国の大部分を勢力下に置くまでとなった。

しかし、この戦いからすぐにセレウコスはプトレマイオスの子ケラウノスに暗殺された。
これにより、ディアドコイの第一世代は死に絶え、戦争は一つの区切りを迎えたと言える。
とはいえ、諸国の戦いが全く終わったといえばそうではなく、
マケドニアでピュロスとアンティゴノス2世がマケドニア王位をかけて戦ったり、
プトレマイオス朝とセレウコス朝が南部シリアを奪い合ったり、
クレモニデス戦争でアンティゴノス朝とプトレマイオス朝が戦ったようにディアドコイの子孫たちはローマに吸収されるまで戦争を続けた。
-------------------------------------------
ローマ帝国の時代へ
●紀元前265年 - 秦と趙による、長平の戦い。趙兵40万人が殺害される。
●紀元前264年 - ローマとカルタゴとの間に第一次ポエニ戦争始まる(‐紀元前241年)。
●紀元前219年 - ローマとカルタゴとの間に第二次ポエニ戦争始まる(‐紀元前201年)。 ローマ、スペインを征服。 【漫画「ヘウレーカ」】
●紀元前209年 - 陳勝・呉広の乱
●紀元前206年楚漢戦争。劉邦、項羽の戦い。
   彭城の戦い
   滎陽の戦い
●紀元前203年 垓下の戦い
この時に城の四方から項羽の故郷である楚の国の歌が聞こえてきた。
これを聞いた項羽は「漢は皆已に楚を得たるか?是れ何ぞ楚人の多きや」と嘆いた。ここから四面楚歌の言葉が生まれた。
●紀元前202年 - 劉邦、項羽を滅ぼし、前漢(‐紀元後8年)を建てる。
●紀元前202年10月19日-ザマの戦い。ローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。
大スキピオ(プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル)率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、第二次ポエニ戦争の趨勢を決した。
-------------------------------------------
●紀元前192年 - ローマとセレウコス朝のアンティオコス3世が戦争(‐紀元前188年)。
●紀元前168年 -ピュドナの戦い。ローマ軍とペルセウス王率いるアンティゴノス朝マケドニア軍との間で戦われた会戦である。小スキピオ(プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス・アフリカヌス・ヌマンティヌス)は父アエミリウスが指揮を取る第三次マケドニア戦争に従軍しピュドナの戦いで活躍した。
●紀元前154年 - 前漢で呉楚七国の乱。
●紀元前146年 - 第3次ポエニ戦争が終り、カルタゴがローマによって滅ぼされる。
●紀元前91年 - 古代ローマで同盟市戦争(- 紀元前88年)。
●紀元前88年 - 古代ローマでミトリダテス戦争(- 紀元前63年)。
●紀元前73年 - 古代ローマで剣闘士のスパルタクスが反乱を起こす(- 紀元前71年)。
●紀元前58年 - カエサルがガリア戦争を開始(- 紀元前51年)。
●紀元前53年 - カルラエの戦いでパルティアがクラッススを破る。
●紀元前48年 - カエサルがファルサロスの戦いでポンペイウスを破る。古代ローマの主導権を得る。
紀元前7〜4年頃イエス・キリスト生誕。
-------------------------------------------
1世紀
●9年- トイトブルクの戦いでローマがゲルマニア人に敗れる。
●18年- 赤眉の乱(- 27年)
●70年- ユダヤ戦争でエルサレムが陥落する。
-------------------------------------------
2世紀
●147年ごろ- 倭国大乱(- 189年ごろ)
●184年- 後漢で黄巾の乱が起こる。
虎牢関の戦い
下ヒの戦い
官渡の戦い
合肥の戦い
-------------------------------------------
3世紀
●西暦208年、赤壁の戦い 【映画「レッドクリフ」】
定軍山の戦い
樊城の戦い
夷陵の戦い
街亭の戦い
五丈原の戦い
●300年- 晋で八王の乱が起こる(- 306年)。
-------------------------------------------
4世紀
●311年- 中国で永嘉の乱。中国北方に異民族侵入が激化。
-------------------------------------------
5世紀
●451年- カタラウヌムの戦いで西ローマ・ゴート連合軍がフン族のアッティラ王を破る。カルケドン公会議。
------------------------------------------
6世紀
●523年 - 北魏で六鎮の乱が起こる。
●532年1月 - ユスティニアヌス1世がニカの乱により退位寸前まで追いこまれるが、皇后テオドラの励ましによって武力鎮圧し、皇帝による専制支配を固める。
-------------------------------------------
7世紀
●655年 - 東ローマ帝国がリュキア沖の海戦でイスラム帝国に惨敗。
●660年 - 新羅と唐の連合軍が百済を滅ぼす。
●663年 - 白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗する。
●672年 - 天智天皇没する。壬申の乱で第40代天武天皇即位。飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)に遷る。
-------------------------------------------
8世紀
●732年 - トゥール・ポワティエ間の戦いで、カール・マルテル率いるフランク王国軍がウマイヤ朝軍を破る。これによって、718年の東ローマ帝国の勝利に続いてイスラム帝国の進撃を止めることに成功。
●755年 - 唐で安史の乱が起こる。(- 763年)
●764年 - 恵美押勝の乱後、淳仁天皇を廃して淡路に配流し、孝謙上皇が重祚(ちょうそ)し、第48代称徳天皇となる。
-------------------------------------------
9世紀
●866年 - 応天門の変がおこる。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる。
●895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
-------------------------------------------
10世紀
●935年 - 平将門・藤原純友による承平・天慶の乱が始まる(- 941年)。
-------------------------------------------
11世紀
●1086年 - サグラハスの戦いでムラービト軍がカスティリア王アルフォンソ6世を破る。
●1096年 - 第1回十字軍出発。
-------------------------------------------
12世紀
●1147年 - 第2回十字軍(-1149年)。
●1156年 - 保元の乱。
●1159年 - 平治の乱。
●1185年 - 壇ノ浦の合戦で平氏が滅亡。安徳天皇は祖母平時子に抱かれて入水し、8歳で崩御。
●1187年 - ハッティンの戦い。アイユーブ朝のサラーフッディーンによりエルサレム王国の十字軍が壊滅。
●1189年 - 第3回十字軍(-1192年)。
●1189年 - 奥州合戦。(奥州藤原氏滅亡)
●1191年 - アルスフの戦い。リチャード1世の十字軍がサラーフッディーンを撃退。
-------------------------------------------
13世紀
●1204年 - 第4回十字軍、キリスト教国家東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃、占領。東ローマ帝国がいったん断絶(-1261年)。
●1204年 - 伊賀・伊勢平氏の叛乱(三日平氏の乱)。頼家殺される。
●1212年 - ナバス・デ・トロサの戦いでアルフォンソ8世のカトリック連合軍がムワッヒド朝揮下のイスラム連合軍を破る。
●1221年 - 承久の乱。
●1241年 - ワールシュタットの戦いで、モンゴルのバトゥがドイツ・ポーランド諸侯連合軍を破る。
●1274年 - 文永の役。 元のモンゴル軍VS日本の北条政権
●1281年 - 弘安の役。 元のモンゴル軍VS日本の北条政権
-------------------------------------------
14世紀
●1331年 - 元弘の変  後醍醐天皇の企て。
●1336年 3月 筑前の多々良浜の戦いで足利尊氏が多々良浜に菊池武敏を破る。
     5月 湊川の戦いで足利尊氏、新田義貞・楠木正成を湊川で破る。
●1338年 - 四條畷の戦い 
     5月 北畠顕家、高師直らと堺浦・石津に闘い、死ぬ。
     8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍とする。足利尊氏室町幕府初代将軍となる。
●1350年 - 観応の擾乱と呼ばれる室町幕府の内部抗争が勃発。
●1351年 - 紅巾の乱。
●1379年 - 斯波氏のクーデターである康暦の政変で管領の細川頼之が失脚する。
●1380年 - クリコヴォの戦い。
●1389年 - コソヴォの戦い。オスマン帝国、セルビア征服。
●1391年 - 明徳の乱
●1396年 - ニコポリスの戦い。オスマン帝国、欧州連合撃破。
●1399年  6月 足利義満の命により大内義弘の兵が朝鮮に渡って倭寇を討つ。
●1399年  12月 応永の乱、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟大内弘茂降伏
------------------------------------------
15世紀
●1402年  アンカラの戦いでティムールがオスマン帝国を破る。
●1409年 - グルンヴァルド(タンネンベルク)の戦い、ポーランド王国がドイツ騎士団を破る。
●1419年 - 応永の外寇。
●1441年 - 嘉吉の乱
●1449年  明で土木の変。皇帝英宗正統帝がオイラート・エセン・ハンの捕虜となる。景泰帝が第7代皇帝に即位。
●1455年 - イングランドで、ヨーク家とランカスター家による王位争い(薔薇戦争)始まる。
●1467年 - 応仁の乱(-1477年)。室町幕府が衰退し、戦国時代へ。
●1474年 - 越前一向一揆
●1480年 越中一向一揆。
●1485年  山城国一揆
●1488年 - 加賀一向一揆
●1493年 - 明応の政変によって足利義材が将軍職から追放される(日本の戦国時代の幕開けとされる)。


naze_naze at 00:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月07日

暦法の歴史

暦法の歴史について下記にまとめました。

なぜ今現在の1年は365日で
各月の日数が違ったりするのか?
歴史的流れを知ると面白いです。

一年は最初304日、そして355日の時代が続き
紀元前45年に365日になります。
各月の名称は最初はすべて神話の神々の名前です。

------------------------------------------
ローマ暦ロムルス暦


紀元前753年(紀元前745年説あり)、
最初のローマ暦が古代ローマで採用された。
この暦法は、ローマを建国したとされる王ロムルスの名をとり、
ロムルス暦と呼ばれてます。
3月から始まり12月で終わっていた。各月の名称と日数は次のとおり。

3月Martius(マルティウス) 31日
4月Aprīlis(アプリーリス) 30日
5月Māius(マイユス) 31日
6月Jūnius(ユーニウス) 30日
7月Quīntīlis(クィーンティーリス)31日
8月Sextīlis(セクスティーリス) 30日
9月September(セプテンベル) 30日
10月Octōber(オクトーベル) 31日
11月November(ノウェンベル) 30日
12月December(デケンベル) 30日

124+180=304日
------------------------------------------

ローマ暦ヌマ暦

紀元前713年、ローマ国王ヌマ・ポンピウスによって改暦が行われ、
Jānuārius(ヤーヌアーリウス、29日間)、Februārius(フェブルアーリウス、28日間)がつけ加えられた。
このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変えた。平年の1年の長さは355日になる。
2年に1度、2月の日数を23日に減じ、
2月23日の翌日に Mercedinus(メルケディヌス)という名の27日間または28日間の閏月を挿入した。
この時期はまだ年始は3月1日であった。


3月Martius(マルティウス) 31日
4月Aprīlis(アプリーリス) 29日
5月Māius(マイユス) 31日
6月Jūnius(ユーニウス) 29日
7月Quīntīlis(クィーンティーリス)31日
8月Sextīlis(セクスティーリス) 29日
9月September(セプテンベル) 29日
10月Octōber(オクトーベル) 31日
11月November(ノウェンベル) 29日
12月December(デケンベル)      29日
1月Ianuarius (Jānuārius) (ヤーヌアーリウス)29日
2月Februārius(フェブルアーリウス)    28日



------------------------------------------
最終期のローマ暦

紀元前153年1月1日〜紀元前46年まで

最終期のローマ暦は、1年は12か月、355日だった。
年始は1月1日であった。1月から順にそれぞれの月の日数は次のとおり。

1月Ianuarius (Jānuārius)(ヤーヌアーリウス)(29日)
2月Februārius(フェブルアーリウス)  (28日)
3月Martius(マルティウス) (31日)
4月Aprīlis(アプリーリス)(29日)
5月Māius(マイユス)(31日)
6月Jūnius(ユーニウス) (29日)
7月Quīntīlis(クィーンティーリス)(31日)
8月Sextīlis(セクスティーリス)(29日)
9月September(セプテンベル) (31日)
10月Octōber(オクトーベル)(29日)
11月November(ノウェンベル)(29日)
12月December(デケンベル) (29日)

------------------------------------------
ユリウス暦(ユリウス・カエサル=ジュリアス・シーザー)


紀元前45年1月1日から実施された。1582年2月24日まで。
7月(クインティリス) を、
カエサル自らの名前Julius(Iulius)
(ユリウス=ジュリアス→ジュライ)に変更した。


大の月を31日とした

1月Ianuarius(ヤーヌアーリウス)  31日
3月Martius(マルティウス)   31日
5月Māius(マイユス)       31日
7月Julius(Iulius)(ユリウス) 31日
9月September(セプテンベル) 31日
11月November(ノウェンベル)  31日

小の月を30日とし、2月のみ29日に。

2月Februārius(フェブルアーリウス)29日
4月Aprīlis(アプリーリス)     30日
6月Jūnius(ユーニウス)      30日
8月Sextīlis(セクスティーリス) 30日
10月Octōber(オクトーベル) 30日
12月December(デケンベル) 30日

365日
------------------------------------------
ユリウス暦(アウグストゥス)

紀元9年以降に使われた方式は次のとおりである。
平年の1年の長さを365日とし、これを12の月に分割する。各月の長さは1月から順に次のとおり。
アウグストゥスは3度の戦いに勝った8月(セックスティリス) を気に入って
自分の名前(アウグストゥス→オーガスト)に変更。
9月を30日にして10月を31日に変更。 8月は31日で一日増えたため2月を28日に削った。

大の月を31日とした。8月と10月を加えた

1月Ianuarius(ヤーヌアーリウス)  31日
3月Martius(マルティウス)   31日
5月Māius(マイユス)       31日
7月Julius(Iulius)(ユリウス) 31日
8月Augustus(アウグストゥス)  31日
10月Octōber(オクトーベル)   31日
12月December(デケンベル)  31日

小の月を30日とし、2月のみ28日に。

2月Februārius(フェブルアーリウス)28日
4月Aprīlis(アプリーリス)     30日
6月Jūnius(ユーニウス)      30日
9月September(セプテンベル)  30日
11月November(ノウェンベル)  30日


365日
------------------------------------------
グレゴリオ暦

1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦である。
現行の太陽暦として世界各国で用いられている。単に新暦(英語:New Style、略称:N.S.、NS)と呼ばれる場合もある。
現在使われている西暦はグレゴリオ暦である。

1年を365日とし、4年に1回閏年を置いて366日とする。
ただし、400年に3回は閏年とせず平年とする(結果的に、400年間に閏年は97回となる)。


暦の概要

それまで用いられていたユリウス暦では、通常の年(平年)は1年を365日とし、4年に1回を閏年として366日とし、平均年を365.25日としていた。

365(日)×4(年)+1(日)=1461(日)・・・4年間の日数
1461(日)÷4(年)=365.25(日)・・・1年間の平均日数
しかし太陽年は約365.2422日であるため、ユリウス暦の方式では1000年で約8日の誤差が生じる。これにより、比較的頻繁に補正することが必要であった。

365.25(日)-365.2422(日)=0.0078(日)・・・1年ごとの誤差
0.0078(日)×1000(年)=7.8(日)=約8(日)・・・1000年間の累積誤差
これに対して、新たに定められたグレゴリオ暦では、平年は1年を365日とし、
4年に1回を閏年とするところまではユリウス暦と変わらないものの、さらに調整を加えて平均年を365.2425日とした。
この調整とは「西暦紀元(西暦)の年数が100で割り切れてかつ400では割り切れない年は閏年としない[2]。」というルールを加えることである。
これはすなわち、ユリウス暦の方式では閏年とされる年であっても400年間に3回は閏年とせずに平年に戻すということである[3]。

365(日)×4(年)+1(日)=1461(日)・・・ユリウス暦による4年間の日数
1461(日)×100=146100(日)・・・ユリウス暦による400年間の日数
146100(日)-3(日)=146097(日)・・・グレゴリオ暦における調整を経た400年間の日数
146100(日)÷400(年)=365.2425(日)・・・1年間の平均日数
この調整により平均年を365.2425日とし、3300年に約1日の誤差とした。

365.2425(日)-365.2422(日)=0.0003(日)・・・1年ごとの誤差
0.0003(日)×3300(年)=0.99(日)=約1(日)・・・3300年間の累積誤差

この365.2425日という値を算出したのはコペルニクスである。
もっとも、主要な天文学者(もちろんコペルニクスも含む)が各々に算出した1年の長さの平均値がとられ、
結果としてコペルニクスの値に近くなったという説もある。

平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦でもユリウス暦と同じである。
すなわち、1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月は31日、4月、6月、9月、11月は30日で、2月は平年が28日、閏年は29日である。

なお、3300年で生じることとなる約1日の誤差については、
長年月の先には地球の運動の変化も考えられることから、その議論は後世に委ねることとされた。



日本におけるグレゴリオ暦導入
日本では、明治5年(1872年)に、
従来の太陰太陽暦を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告された。

この「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)では、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、
グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日と
することなどを定めた。
そのため明治5年12月2日まで使用されていた天保暦は旧暦となった
(明治改暦、明治の改暦)。

この布告は年も押し詰まった同年11月9日(1872年12月9日)に公布されたため、
社会的な混乱を来した。
暦の販売権をもつ弘暦者(明治5年には頒暦商社が結成された)は、
例年10月1日に翌年の暦の販売を始めることとしており、
この年もすでに翌年の暦が発売されていた。急な改暦により従来の暦は返本され、
また急遽新しい暦を作ることになり、弘暦者は甚大な損害を蒙ることになった。
一方、太陽暦改暦を唱えていた福澤諭吉は、改暦決定を聞くと直ちに
『改暦弁』を著して改暦の正当性を論じた。

太陽暦施行と同時に慶應義塾出版局から刊行されたこの書は大いに売れて、
内務官僚の松田道之に宛てた福澤の書簡(1879年(明治12年)3月4日付)には、
この出来事を回想して「忽ち10万部が売れた」と記している。

これほど急な新暦導入は、当時参議であった大隈重信の回顧録(『大隈伯昔日譚』)によれば、政府の財政状況が逼迫していたことによる。すなわち、旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13ヶ月となる。

すると、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を
1年間に13回支給しなければならない。

これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12ヶ月分の支給ですむ。
また、明治5年も12月が2日しかないので、
11ヶ月分しか給料を支給せずに済ますことができる。

しかし、施行まで1ヶ月に満たない期間の中で慌てて布告されたためか、
この布告には置閏法に不備があった。

その不備とは、グレゴリオ暦の重要な要素である
「西暦の年数が100で割り切れ、400で割り切れない年を閏年としない」旨の規定が
欠落していたことである。

このままでは解釈次第では導入された新しい太陽暦はグレゴリオ暦ではなく「ユリウス暦と同じ閏年の置き方を採用した日本独自の暦[6]」ともされてしまう。
また、同布告の前文にある文面もおかしく、グレゴリオ暦で1日の誤差が蓄積されるには3,300年しか要さないにもかかわらず
「七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス」としていた。これは起草者が参考にした天文書『遠西観象図説』の誤りと考えられている。

そこで1898年(明治31年)5月11日に、改めて勅令「閏年ニ關スル件」(明治31年勅令第90号)を出して、グレゴリオ暦に合わせた閏年に関する調整を定めた。

閏年ニ關スル件(明治31年勅令第90号)
神武天皇即位紀元年數ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス

この勅令では、神武天皇即位紀元(皇紀)を用いて閏年と平年とを求めているが、西暦を用いたグレゴリオ暦の採用と事実上違いはない。

この置閏法の誤りを修正する勅令が公布されたときには、
日本で太陽暦を導入してから初めての
「紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年」である皇紀2560年すなわち1900年(明治33年)は、1年半後に迫っていた。

naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

地球人類史簡略年表07【西暦2001年〜未来】

********************************************
【21世紀】西暦2001年〜2100年
2001年1月26日 - インド西部地震発生。M7.9、約2万名が死亡。
7月19日 - プレイステーション2用RPGゲーム「ファイナルファンタジーX」発売。

9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件発生。イスラム過激派によってハイジャックされた4機の旅客機が
アメリカ合衆国内の複数の地上施設めがけ激突。死者2,993名
10月7日 - アフガニスタン戦争開戦。
--------------------------------------------
2002年10月8日 - 小柴昌俊東京大学名誉教授にノーベル物理学賞、
翌日には田中耕一島津製作所社員にノーベル化学賞の受賞が決定する(日本人の同年ダブル受賞は初めて)。


--------------------------------------------
2003年 重症急性呼吸器症候群(SARS)、世界的な大流行。
2月 - スーダン西部でダルフール紛争勃発。
2月1日 - スペースシャトルコロンビア号が大気圏再突入後にテキサス州上空で空中分解。搭乗員7名死亡。

3月19日 - イラク戦争開戦。4月9日、バグダッド陥落。イラクはアメリカ合衆国を中心とした連合国暫定当局の統治下におかれる(〜2004年6月)。

4月14日 - ヒトゲノム計画がヒトゲノムの解読完了を宣言。
7月 新型肺炎制圧宣言が出されるまでの間に、SARSにより8,069名が感染し、775名が死亡した。
10月15日 - 中国、初の有人宇宙船、神舟5号の打ち上げ成功。
12月26日 - イラン・バム地震発生。M6.3、3万5000名以上が死亡。アルゲ・バムが壊滅的な損傷を受ける。
--------------------------------------------
2004年アメリカ合衆国本土にチャーリー、フランシス、アイバン、ジーンとハリケーンが次々と上陸した。
日本の人口がピークの1億2,760万7,000名(2005年2月、総理府の推計)に達し、以降人口は減少に転じる。
    10月23日 - M6.8の新潟県中越地震発生。68名が死亡。
    12月26日 - スマトラ島沖地震発生。インドネシア・スマトラ島沖でM9.3の地震が発生し、大津波によりインド洋沿岸各国に甚大な被害。20万名以上の死者・行方不明者が発生。
--------------------------------------------
2005年 大西洋北部のハリケーンの発生数が史上最多となった。アメリカ合衆国にカトリーナ、リタ、ウィルマといった強いハリケーンが次々と上陸し、ニューオーリンズ市に甚大な被害をもたらした。

    7月7日 - ロンドン同時爆破事件発生。イギリスの首都ロンドンにおいて地下鉄の3ヶ所がほぼ同時に、その約1時間後にバスが爆破され、56名が死亡。
    10月8日 - パキスタン地震 M7.6、9万名以上が死亡、約250万名が家を失う。
--------------------------------------------
2006年 8月24日 - 国際天文学連合で、冥王星が惑星から準惑星に分類が変更される。また、同時に小惑星ケレスとエリスも準惑星に分類される。
10月9日 - 北朝鮮が初の核実験。
12月30日 - サッダーム・フセイン元イラク大統領の死刑執行。
--------------------------------------------
2007年  サブプライムローン問題が深刻化、アメリカ合衆国を中心に世界的な市場の混乱が発生。
5月4日 - IPCC第4次評価報告書が承認され、地球温暖化問題の進行と人類の責任が明確化される。
11月21日 - 京都大学の山中伸弥らのグループが、ヒトの皮膚細胞に遺伝子を組み込むことにより
人工多能性幹細胞(iPS細胞)を生成する技術を発表。
ヒトの胚を利用するES細胞において指摘されていた倫理的問題をクリアできることから、
再生医療実現に向け世界中から期待されている。
--------------------------------------------
2008年 新興国にも恐慌が波及し、世界同時不況へ発展した。サイクロン・ナルギスが発生、ミャンマーを中心に死者・行方不明者は13万4千名以上。
5月12日 - 中国で四川大地震発生。M8.0、約6万8千名が死亡(2008年5月28日現在)。
8月2日 - 『天才バカボン』漫画家の赤塚不二夫が死去(享年72)。
10月5日- 俳優の緒形拳が死去(享年71)。


--------------------------------------------
2009年 1月20日 - バラク・オバマがアメリカ合衆国建国以来、初の黒人大統領として第44代アメリカ合衆国大統領に就任。
2月2日、「CP対称性の破れ」を指摘していた小林誠博士、益川敏英博士、南部陽一郎博士ら日本の三氏の2008年度ノーベル物理学賞受賞。
2月16、GFPの発見と応用研究の成果が認められ、下村脩博士、チャルフィー博士そしてチェン博士が2008年度ノーベル化学賞を受賞。
4月にH1N1亜型に属する新型インフルエンザ(A/H1N1)が人に発症。メキシコで流行してから、世界的に流行した。
6月12日0時 UTC時点において、世界保健機関(WHO)は、新型インフルエンザ(A/H1N1)の世界的大流行(パンデミック)を宣言し、警戒水準をフェーズ6に引き上げた。
6月25日2時26分、史上最も成功したエンターテイナーとして認定されているマイケル・ジャクソンさんが死去。(享年50)
7月22日 - 日本各地、中華人民共和国、インド、太平洋の島で皆既日食を観測。21世紀で最も継続時間の長い日食となる[86]。(2009年7月22日の日食)
8月22日 - ギリシャ・アテネで山火事が発生し、同国政府が非常事態宣言
8月30日 - 民主党が第45回衆議院議員総選挙で絶対安定多数を上回る308議席を獲得し第1党に躍進。よって、自由民主党は1955年の結党以来初めて衆議院第一党を失う。
10月9日 - ノーベル平和賞をバラク・オバマアメリカ合衆国大統領が受賞。「核なき世界」「国際協調」「対話路線」を評価しての受賞。
10月28日 - アメリカ航空宇宙局、スペースシャトルの後継機である初のロケット試験機「アレスI」の打ち上げに成功
12月1日 - 欧州連合(EU)の新基本条約であるリスボン条約が発効
--------------------------------------------
2010年1月1日 - 部分月食観測。
1月12日 - ハイチの首都ポルトープランス近くでマグニチュード (M) 7.0の地震が発生。
1月15日 - アフリカ、インド洋などで金環食。
3月9日 - 北野武がフランス芸術文化勲章コマンドゥール章を受章。
4月2日 - タイの首都バンコクなど各都市の中心部をアピシット政権の退陣を求めるタクシン前首相支持派団体が占拠。
4月10日 バンコクでタイ政府治安部隊と反政府派が衝突し、現地で取材をしていたロイター通信所属の日本人ジャーナリストを含む20人の死亡が確認された。
4月10日 - ロシア西部のスモレンスクにて、レフ・カチンスキ大統領を始めとするポーランド政府使節団が搭乗した政府専用機が墜落し、乗員乗客96名が死亡した。
4月14日 中国青海省玉樹チベット族自治州玉樹県でマグニチュード7.1の地震が発生。 アイスランド南部の火山が噴火し、欧州上空に火山灰が広がった。
5月19日 - タイで反政府派のデモ隊に治安部隊が突入し一部鎮圧、反政府派の幹部がデモ終了を宣言。
5月22日 - スペースシャトルアトランティス号の最終打ち上げ。
6月8日 - ロベルト・シューマン(作曲家)生誕200周年。
7月7日 - グスタフ・マーラー(作曲家)生誕150周年。
7月予定  スペースシャトルエンデバー号の最終打ち上げ。
--------------------------------------------
2011年

1月 - 前年末から、ラニーニャ現象の影響によりオーストラリアで多雨になるほか、ブラジルなど世界各地で大規模な水害が発生。
1月1日 ブラジルで初の女性元首、ジルマ・ルセフ大統領が就任。
エストニアが欧州単一通貨ユーロを導入。旧ソビエト連邦諸国では初めて。
エジプトのアレクサンドリアで、コプト正教会の教会を狙った自爆テロが発生し、21人が死亡。翌2日、首都カイロでは、抗議のため集まった一部信徒が暴徒化した。
中国の北京市が、自動車のナンバープレート発行を年間24万台に制限する渋滞対策を実施。

1月2日 - 香港や台湾、中国本土などの華人系の民間団体が、尖閣諸島(釣魚台)の領有権を主張する「世界華人保釣連盟」を設立。
1月3日 シンガポールの通商産業省が、2010年の国内総生産(GDP)成長率を、過去最高の14.7%(推計値)と発表[8]。
アメリカ・カリフォルニア州のアーノルド・シュワルツェネッガー知事が退任。
1月5日 FAOが、世界の食料価格は2010年12月に過去最高に達したと発表[9]。
中国の李克強副首相が、約60億ユーロ(約6,500億円)のスペイン公債の購入を表明。
1月6日 フランスの自動車会社・ルノーで、日産と共同開発する電気自動車に関する情報漏洩が発覚。
アップルが、Mac用のアプリを提供するMac App Storeをオープン。アプリのダウンロード数が初日に100万を超える。
1月7日 - カタールでAFCアジアカップ2011開催。(1月29日まで)
1月8日 アメリカ・アリゾナ州で、民主党下院議員の遊説中に銃乱射事件が発生し、6名が死亡、議員は重体。
ニジェールで、駐留フランス軍などによる救出作戦が失敗し、アルカーイダに誘拐されていたフランス人2人が死亡。
1月9日 インドのデリーが40年ぶりの寒波を記録し、近隣のウッタル・プラデーシュ州ではホームレス80人以上が死亡。
イランで、イラン航空の国内便旅客機ボーイング727が墜落し、乗客乗員105名のうち72名が死亡。
チュニジアで、失業と食料インフレに抗議するデモ隊が、前日から治安部隊と衝突し、この日までに14人以上が死亡。
タイのタクシン派が、首都バンコクで約2万人の参加する大規模集会。非常事態宣言の解除後では初。
1月10日 米中の国防相が北京で会談し、台湾への武器売却問題で約1年間中断していた米中軍事交流の再開を合意。
中国で貿易統計が発表され、2010年の中国の輸出、輸入の金額がともに過去最高を更新。輸出は2年連続で世界一。
中国汽車工業協会が、2010年の中国の新車販売台数が、2年連続で世界一になったと発表。
バングラデシュで、ダッカ証券取引所の株価が9.25%急落し、取引が停止。一部の投資家が暴徒化。
1月11日 オーストラリア北東部のクイーンズランド州が、前日に発生した鉄砲水により、10人が死亡、78人が行方不明と発表。 中国の第5世代ステルス戦闘機「殲-20」が、初の試験飛行に成功。
インドの格安航空会社・IndiGoが、エアバスからA320系180機(156億ドル相当)を購入。商用機では過去最大の契約。
1月12日 レバノンで、イスラム教シーア派武装組織ヒズボラの閣僚らが一斉に辞任し、挙国一致内閣が崩壊。
ベトナム共産党大会が開幕。(1月19日まで)
パキスタン北西部で自爆テロがあり、20人が死亡。
1月13日 ブラジル南東部のリオデジャネイロ州で、大雨の被害による死者が、この日までに500人を超える。
スリランカ政府が、洪水により、これまでに少なくとも23人が死亡、325,000人が避難と発表。
オーストラリア北東部の洪水が、同国第3の都市ブリスベンに達し、都市機能がマヒ。
1月14日
チュニジアでジャスミン革命が発生。ベン=アリー大統領はサウジアラビアへ脱出し、23年間の独裁政権が崩壊[12]。
イタリアの検察当局が、未成年買春などの疑いで、ベルルスコーニ首相の捜査を開始。
イギリス石油大手BPと、ロシア国営石油大手ロスネフチが、株式持ち合いを中心とする資本・業務提携で合意。
南インド・ケーララ州のヒンドゥー教寺院近くで、参拝者が将棋倒しになり、100人以上が死亡。
1月15日 - 北朝鮮の羅先特別市に中国軍が進駐したと『朝鮮日報』が報道。中国外務省は翌々17日、公式に否定。
1月17日
アップルのスティーブ・ジョブズCEOが、病気治療のため休養すると発表。
南アフリカ政府が、洪水による死者・行方不明者が40人以上に上ると発表。
パキスタン北西部で、バスが爆弾テロに遭い、19人が死亡。
1月18日 - イラク北部で自爆テロがあり、65人が死亡。翌19日には、イラク中部の自爆テロで15人が死亡した。
1月19日
ワシントンD.C.で、アメリカのオバマ大統領と、中国の胡錦濤国家主席が会談。450億ドルの対中商談が成立。
チュニジアで、前大統領派を中心とした暫定政権が発足するも、抗議デモは収まらず。
EUが、クラッカーによる排出枠の盗難を理由に、温室効果ガス排出量の取引市場(EU-ETS)を1週間停止。
1月20日
中国の2010年国内総生産(GDP)が日本を抜き、世界第2位となることが確実に。
アメリカFBIが、ニューヨーク周辺でイタリア系マフィアを史上最大規模の一斉摘発。
イラクで、イスラム教シーア派の聖地を狙った連続爆破テロがあり、50人以上が死亡。
1月21日
韓国軍が、ソマリアの海賊に乗っ取られた韓国船から、人質を全員救出し、海賊8名が銃撃戦で死亡。
SNS世界最大手のFacebookが15億ドルを調達し、企業価値は約500億ドルと評価される。
ベラルーシで、「欧州最後の独裁者」ルカシェンコ大統領が4期目の就任式。
OHCHR、コートジボワール危機で、これまで1カ月間の死者が最低260人に上ると発表。
1月23日
オーストラリアのスワン財務相が、北東部の洪水の被害額は同国史上最悪の規模になると語った。
パキスタン南部で、バスの居眠り事故が発生し、32人が死亡。
イラクのバグダッドとその周辺で、連続爆弾テロがあり、少なくとも10人が死亡。
1月24日
ロシア・モスクワのドモジェドヴォ空港で自爆テロがあり、少なくとも35人が死亡。
イラクのカルバラー周辺で、イスラム教シーア派を狙った連続爆弾テロがあり、最低33人が死亡。
イラン政府が、アメリカから釈放を要求されていた反政府活動家2人の死刑を執行したと発表。
コートジボワールで、ワタラ派がココアとコーヒーの輸出を一時停止。これを受け、ココア価格が上昇。
1月25日
エジプト各地で、チュニジアのジャスミン革命に触発された数万人規模の反体制デモが始まる。
中国の昆明市で、戦略的パートナーシップの推進をテーマに、中国とASEANの外相会議が開かれる。
パキスタン各地で、イスラム教シーア派を狙った連続自爆テロがあり、計16人が死亡。
フィリピンのマニラ首都圏中心部マカティで、バスが爆発し、4人が死亡。
1月26日
霧島連山の新燃岳が50年周期で起こる噴火活動を開始。宮崎県南部や鹿児島県東部で降灰や噴石などの被害を受けた。[45]
ITUが、世界のインターネット利用者は20億人、携帯電話の契約件数は50億件を超えたと発表。
コロンビア北東部の地下炭鉱で爆発があり、作業員20人が死亡。
NASAが、これまで見つかった中で最も古い銀河を発見したと発表。
1月27日
イエメンで数千人規模の反政府デモが発生[49]。翌28日には、ヨルダンの主要都市で大規模な反政府デモ。
中国政府が不動産税の導入を発表し、上海市と重慶市で翌28日から先行導入。
イラクの首都バグダードのシーア派地区で、爆弾テロが相次ぎ、53人が死亡。
イギリスの捜査当局が、ウィキリークス支持のクラッカー集団5人を逮捕し、アメリカではFBIが家宅捜索。
1月28日
エジプト各地で、ムバーラク政権下では最大の反政府デモが発生し、民主化指導者のエルバラダイが軟禁される。
FAOが、「最悪の口蹄疫が韓国で発生した」として、アジア各国に警戒令。
スペインの失業率が、先進国で最悪の水準となる20.33%に悪化したと発表される。
1月29日
エジプトで、25日に始まった反政府デモの死者が100人を超える。国軍は騒乱を黙認し、事実上の無政府状態に。
ドイツ東部で、旅客列車と貨物列車の衝突事故があり、10人が死亡。
1月30日
スーダン南部の独立を問う住民投票の暫定結果が発表され、独立賛成が全体の約99%。
第7回冬季アジア大会が、カザフスタンのアスタナとアルマトイで開幕(2月6日まで)。
1月31日
北海ブレント原油先物が、エジプト危機の影響で、2008年以降で初めて1バレル100ドルを突破。
エジプト危機で、国軍が民衆の立場を支持し、民衆への武力行使を否定する声明を発表。
スマートフォンOSの前四半期シェアで、Googleの「Android」が、Nokiaの「Symbian」を抜き、首位に。
アメリカ・フロリダ州の連邦地裁が、全国民に加入を義務付けた医療保険改革法(英語版)に、2例目の違憲判断]。
ミャンマーで、1962年のクーデター以来となる、複数政党参加の新議会(英語版)が招集される。
2月 [編集]2月1日
エジプトのカイロとアレクサンドリアで「百万人の行進」が行われ[67]、ムバーラクが同年9月の大統領選の不出馬を表明[68]。
反政府デモの続くヨルダンで、国王アブドゥッラー2世が首相を更迭[69]。
2月2日 NASAが、太陽系外惑星の候補約1,200個を発見し、うち54個には液体の水の存在する可能性があると発表。
超大型のサイクロン「ヤシ(英語版)」が、オーストラリア北東部に上陸し[71]、この影響で、粗糖相場が約30年ぶりの高値。
エジプトのカイロで、反政府デモ隊とムバーラク大統領支持派が衝突し、3人が死亡。
2月3日 FAOが、前月の世界の食料価格指数が、1990年の統計開始以来過去最高となったと発表[74]。
イエメンの首都サヌアで、サーレハ大統領の即時退陣を求める2万人以上のデモが発生[75]。
ICANNが、IANAの管理する現行のIPアドレス「IPv4」の最後の在庫がすべてRIRに割り当てられ、無くなったと発表。RIRの在庫も年内に枯渇すると予測されている[77](IPアドレス枯渇問題)。
2月4日 タイ、カンボジア国境のプレアヴィヒア寺院付近で、両国軍の交戦が始まる[78][79]。 エジプトで、ムバーラク大統領の即時辞任を求める「追放の金曜日」デモが行われ、カイロでは推定20万人が集まる。 ミャンマー大統領に、首相(当時)で軍出身のテイン・セインが選出され、同国の「民政移管」が完了。
2月6日 - スーダン南部で、武装解除を拒否する民兵による反乱があり、この日までに50人以上が死亡。
2月11日 - エジプトのオマル・マフムド・スレイマン副大統領が国営テレビでホスニー・ムバーラク大統領の辞任を発表し権限を軍最高評議会に委譲(詳細は2011年エジプト騒乱を参照)。
2月22日 - ニュージーランド南島のクライストチャーチ付近にて現地時間午後0時51分、マグニチュード6.3の地震が発生した。この地震により、日本の富山県の外国語学校留学生の関係者が多数死亡した(詳細はカンタベリー地震 (2011年)を参照)。
2月24日 - アルジェリアのアブデルアジズ・ブーテフリカ大統領が、1992年以来同国にて発令されてきた非常事態宣言を解除。
3月6日東北新幹線に新型新幹線「はやぶさ」デビュー。将来は、日本国内最速の320kmで運行予定。
3月11日 日本の東北地方太平洋岸沖を震源とする、マグニチュード9.0の地震が発生[85]。M9.0という規模は1900年以降4番目(詳細は東北地方太平洋沖地震を参照)。
地震で福島第一原子力発電所が被害を受け、それによって大規模な原子力事故が発生した(詳細は福島第一原子力発電所事故を参照)[86]。
3月17日 - 国際連合安全保障理事会が、リビアに対する軍事介入を容認する決議(国際連合安全保障理事会決議1973)を採択。
3月18日 - フィンランド総選挙が施行され、与党:フィンランド中央党が勝利し、第一党となった。
日付不詳 - 東京電力福島第一原発事故の国際評価をレベル7に引き上げ。旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と同レベル評価。
4月2日 - 英領北アイルランド中部オマー市で車の下に仕掛けられた爆弾が爆発し警官1人が死亡。オマー市では1998年にリアルIRAによって複数の爆弾テロが起こされている。
4/17出崎統さん逝去
4/21田中好子さん逝去

4月20日 - キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長がキューバ共産党第一書記から正式に退任すると発表。これによりカストロ前議長は全ての公職から引退することとなった。
4月21日 - PlayStation Networkにて世界規模の接続障害が発生。4月27日には、システムの不正侵入によって引き起こされた、およそ7700万件にも及ぶ過去最悪の個人情報流出事件が発覚する(PSN個人情報流出事件)。
4月29日 - 英ウィリアム王子結婚式。一般家庭出身のケイト・ミドルトンとロンドンのウェストミンスター寺院で。
5月2日 - 国際テロ組織アル・カーイダの最高指導者:ウサマ・ビンラディン容疑者が、アメリカ合衆国の諜報機関により、パキスタンのアボッターバードにて銃撃戦の末に殺害されたとCNNテレビが報道した[88]。
5月6日 - イギリスで選挙制度改革の是非を問う国民投票が施行され、『制度改革に反対』とする票が67.9%、『制度改革に賛成』とする票が32.1%となった。この結果、イギリスの選挙制度改革は大差で否決され、現行の制度が維持される公算が強まった[89]。

6月30日 -日本で地上アナログ放送において通常番組の放送を終了する予定。
7月8日 -スペースシャトル、アトランティスの最後の打ち上げ、成功。
7月17日 - 第6回FIFA女子ワールドカップで日本がアメリカに勝ち優勝△2-2(○ 3-1 PK)
7月24日 - 日本で地上デジタル放送に移行。
8月15日 - 本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星が地球に最接近。
--------------------------------------------
2012年3月東京スカイツリー完成。
     高さは634メートルとなり世界一になる予定。

2012年05月21日金環日食

2012年05月22日東京スカイツリー営業開始・・点灯式開催。
2012年06月06日金星の太陽面通過、ブラックドロップ効果という珍しい現象も起きる。
2012年12月23日
フォトンベルトによる人類滅亡の日とされている。
プレアデスと太陽系を取り囲んでいるとされる、光子の帯のことをフォトンベルトといい、
太陽系がここに突入するのが2012年12月22日と言われていて、約2万年ぶりのことらしい。
そしてこのフォトンベルトを太陽系が抜けるまでには2000年かかるといわれている。
3日間は太陽の出ない暗黒の世界になるらしいです。強力な電磁波?により現在の電気は
いっさい使えない状態になり太陽が全く出ないため気温もかなり下がるらしいです。

マヤ暦の終わりの日(新しい時代への区切り)と全く同じということがかなり気になりますが、
実際この話は実証された正確な情報とは言えず予想の範囲でその時にならないとどうなるかわかりません。
--------------------------------------------
2013年


2013年2月15日チェリャビンスク州の隕石落下
エカテリンブルク時間 (YEKT) 9時20分26秒にロシア連邦ウラル連邦管区のチェリャビンスク州付近で発生した隕石の落下という天文現象と、隕石の通過と分裂により衝撃波が発生した。







--------------------------------------------
2020年
2029年4月13日小惑星アポフィス(直径400メートル)が300分の一の確率で地球に激突すると2004年12月24日発表したが、
その後、将来的に衝突する可能性も0.0038%(2万6千分の1)になり衝突しないと修正された。
地表からおよそ32,500km離れたところを通過すると予測されている。
--------------------------------------------
2030年
2032年小惑星アポフィス接近時に地球と衝突する確率が上昇するという指摘があり、
ロシア宇宙庁長官は衝突を未然に防止するための会議を開く、と2009年12月30日発表している。

2036年小惑星アポフィス、2036年から2103年の間にわずかながら衝突の可能性がある接近が6回ほど起きると推定されている。
--------------------------------------------
2040年
--------------------------------------------
2050年
--------------------------------------------
2060年
2061年7月28日 - ハレー彗星接近(約76年周期)
--------------------------------------------
2070年
--------------------------------------------
2080年
--------------------------------------------
2090年
--------------------------------------------
2100年
2103年小惑星アポフィス、2036年から2103年の間にわずかながら衝突の可能性がある接近が6回ほど起きると推定されている。
*********************************************
2101年【22世紀へ・・】
地球の生命がバランスを保っていてほしいですね

naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月06日

地球人類史簡略年表06【西暦1801年〜2000年】

*********************************************
【19世紀】西暦1801年
1801年
伊能忠敬、幕命により伊豆から陸奥の沿岸の測量に向かう。中村小一郎ら樺太を巡視する。富山元十郎らウルップ島に至り、「天長地久大日本属国」の標識を立てる。
本居宣長没(72)。
英国がアイルランドを併合。
1802年
幕府、蝦夷奉行を置く。蝦夷奉行を函館奉行と改称する。伊能忠敬、幕命により陸奥・出羽・越後の沿岸の測量に向かう。この冬、近藤守重(重蔵)ら、幕命により択捉島を視察する。
ヴェトナム全土がタイの援助で統一。英仏間でアミアン講和条約。
1803年
伊能忠敬、幕命により、東海道・北陸道・佐渡島の沿岸の測量に向かう。伊能忠敬、国・郡・村の呼称を調査する。
アメリカ船長崎に来航し、貿易を要求する。
前野良沢没(81)。
ナポレオン戦争(1803年 - 1815年)。
1804年
ナポレオン・ボナパルト、フランス皇帝に就任(フランス第一帝政)。
ロシア使節レザノフ、長崎に漂流民を護送、貿易を求める。
ハイチがフランスから独立。初の黒人による共和国。
1805年
伊能忠敬、幕命により伊勢・紀伊・山陽・山陰地方の測量に向かう。
紀伊の医師華岡青洲、初めて麻酔剤を用い乳癌を手術する。
1806年 - 神聖ローマ帝国の解体により、オーストリア帝国成立。
1812年 - 米英戦争( - 1814年 )
1814年 - ウィーン会議(会議は踊る)。
1815年 - ウィーン体制(1848年革命で崩壊)。
1817年 - 光格天皇が譲位し、第120代仁孝天皇が即位。
1818年 - スウェーデン、新王朝ベルナドッテ朝開始。

1819年 - イギリスヴィクトリア女王即位 (〜1901年)
1820年 - スペイン立憲革命(リエゴら主導)。
     ナポリ革命(秘密結社「カルボナリ主導」)。
     清の道光帝が第8代皇帝に即位。
1821年 - ギリシャ独立戦争( - 1829年)。
1821年〜1825年 - 中南米諸国の独立が相次ぐ → アメリカ大陸諸国の独立年表
1822年 - ギリシア独立宣言。
1823年 - アメリカ合衆国がモンロー宣言を発する。
1825年 - 文政の外国船打払令。
     ロシアでデカブリストの乱が発生。
1830年 - フランス7月革命、ブルボン朝終焉。
     大コロンビアが解体。
     ベネズエラ、エクアドルが独立。
1831年 - 天保の大飢饉。
1835年 - ハレー彗星接近。(約76年周期で地球に接近)
1836年1月3日(天保6年11月15日) - 坂本龍馬、誕生。
漫画「おーい!竜馬」では姉の乙女がハレー彗星をみて、竜みたいな馬に見えたことから弟に竜馬と名づけるシーンがある。
1837年 - 徳川家慶が江戸幕府第12代将軍となる。
    大塩平八郎の乱。
1839年 - 中米連邦が解体。蛮社の獄。
1840年 - アヘン戦争(〜1842年)
1842年 - 清国と英国の間で南京条約締結。
1845年〜1849年 - ヨーロッパでジャガイモ飢饉。特にアイルランドで深刻な被害。
1846年 - 仁孝天皇が没し、第121代孝明天皇が即位。
1848年 - 1848年革命。第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争。
1850年 - 清で太平天国の乱(〜1864年)。
     清の咸豊帝が第9代皇帝に即位。
1852年 - ルイ・ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン3世)、フランス皇帝に就任(フランス第二帝政)。
     教皇領接収,ローマ遷都、イタリアの統一。
1853年 - クリミア戦争(- 1856年)。    
1853年7月8日マシュー・ペリーが率いるアメリカ海軍艦隊の来航(黒船来航)
1853年11月23日 - 1858年7月6日_徳川家定が江戸幕府第13代将軍となる。
1854年 - 日米和親条約
     日本、安政東海地震、安政南海地震。
1855年 - 日本、安政江戸地震。
1857年 - アロー戦争(-1860年)
1858年10月25日 - 1866年7月20日_徳川家茂が江戸幕府第14代将軍となる。
1859年 - スエズ運河の建設はじまる、1869年開通。
     イタリア統一戦争開始。
1860年 - 清とイギリス・フランスが北京条約を締結。
1861年 - アメリカ、南北戦争(- 1865年)。【映画『リンカーン』】
     イタリア王国成立。
     清の同治帝が第10代皇帝に即位するが、母の西太后が実権を握る。
     ロシアアレクサンドル2世による農奴解放令
1863年11月19日、リンカーンが南北戦争の激戦地で「人民の人民による人民のための政治」で有名な
            ゲティスバーグの演説を行う。
1864年 - 第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争。
1864年11月8日、リンカーン二度目の大統領選に当選。
1865年1月31日、リンカーンが提出した憲法修正13条が下院で可決。永久に奴隷制が禁止される。
1865年4月9日、南軍リー将軍が降伏。南北戦争が事実上終結。
         →戦争後、大量の銃は海援隊を通して幕末の日本・長州藩へ渡ることとなる。
1865年4月14日、フォード劇場で「Our American Cousin」(イギリス貴族遺産相続にアメリカ人の甥がからむ喜劇)という現代劇を観劇中・・北軍のメリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブースに1.2mの至近距離から拳銃で後頭部左耳後5cmを1発撃たれ暗殺された。
1865年4月15日午前7時21分、致命傷を負った大統領は通りの向かいのテラスハウス、ピーターセンハウスに運ばれた。しばらくの昏睡の後、リンカーンの死亡が宣告された。56歳。
リンカーンの母ナンシーの出身一族ハンクス家の子孫は
今日まで続いており、俳優のトム・ハンクスはそのひとりである。

1866年 - 普墺戦争、ドイツ連邦崩壊。
1866年12月25日、孝明天皇が崩御。
1867年1月10日 - 1868年1月3日_徳川慶喜が江戸幕府第15代将軍(最後の将軍)となる。
1867年 - メキシコハプスブルク家出身のメキシコ皇帝マクシミリアン処刑
    (墺皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の弟)
     オーストリア=ハンガリー帝国成立。
     『資本論』第1巻刊行。
1867年 - 英領北アメリカ法。カナダが植民地からイギリス最初の自治領に。
     孝明天皇が没し、第122代明治天皇が践祚。
(慶応3年10月3日)、土佐藩は単独で大政奉還の建白書を藩主・山内豊範を通じ将軍・徳川慶喜に提出した。
1867年11月9日(慶応3年10月14日)徳川慶喜が土佐藩による大政奉還建白をうけて大政奉還を奏上し、政権を返上する。
1867年11月10日(慶応3年10月15日)慶喜を加えて開催された朝議で勅許が決定した。慶喜に大政奉還勅許の沙汰書を授けられ、大政奉還が成立した。

1868年1月3日(慶応3年12月9日)、明治天皇の名により天皇親政を宣言した。王政復古の大号令とも呼ばれる。
                新政府は王政復古を各国公使に通告。
               
1868年1月25日(慶応4年1月1日)明治に改元したのは実際には慶応4年9月8日だが、慶応4年1月1日に遡って明治元年として適用した。

1868年1月26日夕方(慶応4年1月2日)幕府の軍艦2隻が兵庫沖に停泊していた薩摩藩の軍艦を砲撃、「鳥羽・伏見の戦い」勃発。
1868年1月30日夜(慶応4年1月6日)慶喜は自軍を捨てて大坂城から少数の側近を連れ海路で江戸へ退却。
       (慶応4年3月6日(同3月29日))旧幕府軍の近藤勇らが率いる甲陽鎮撫隊(旧新撰組)新政府軍と戦い完敗。
       (慶応4年3月9日)新政府軍の東山道軍の本隊が旧幕府歩兵隊の脱走部隊(後の衝鋒隊)に奇襲。梁田戦争。
1868年5月3日(慶応4年4月11日)の江戸開城。
1868年5月11日(慶応4年4月19日)宇都宮城の戦い
1868年5月24日(慶応4年閏4月3日)市川・船橋戦争。
        慶応4年閏4月23日閏4月23日、計31藩によって奥羽越列藩同盟が成立
1868年6月10日 - 1868年8月31日(慶応4年閏4月20日 - 7月14日)白河口の戦い
1868年6月10日 - 1868年11月6日(慶応4年閏4月20日 - 明治元年9月22日)会津戦争。
1868年6月21日(慶応4年5月2日)北越戦争
1868年7月4日(慶応4年5月15日)上野戦争。新政府軍は長州藩の大村益次郎が指揮。旧幕府軍彰義隊の指揮は天野八郎。
1868年8月4日 - 1868年9月22日(慶応4年6月16日 - 慶応4年8月7日)磐城の戦い
1868年8月28日-11月1日(慶応4年7月11日- 同年9月17日)秋田戦争
1868年9月3日(慶応4年7月17日)明治天皇が発した江戸を東京と改称する詔勅が出る。天皇即位式を上げる。
      (慶応4年9月8日)明治に改元した。一世一代の制を定める。
       明治元年9月22日 会津藩降伏。
1868年12月4日 - 1869年6月27日 榎本武揚ら蝦夷地を占領、五稜郭を本営とする。 箱館戦争。 
     
1870年 - 普仏戦争、フランス第二帝政崩壊。
1871年 - パリ・コミューン事件。ドイツ帝国成立。
     廃藩置県実施。
1873年 - 明治の改暦。グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる
     明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることなどを定めた。
     太陽暦改暦を唱えていた福澤諭吉は、改暦決定を聞くと直ちに
     『改暦弁』を著して改暦の正当性を論じた。
- 西郷隆盛、江藤新平、副島種臣ら、征韓論に破れ下野。
1874年 - 民選議院設立建白書提出。
1875年 - 清の光緒帝が第11代皇帝に即位。
1876年 - 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱。
1877年 - 西南戦争。花王創業開始。
- ヴィクトリア女王、インド皇帝兼任。

1880年 - 国会期成同盟結成
1881年 - 9年後国会開設の詔、自由党結成。
1882年 - 日本銀行創立。
- ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、
     イタリア王国、三国同盟締結。
1883年 - アフリカ分割、帝国主義の時代。
1884年 - 清仏戦争(-1884年)
1885年 - 内閣制度発足、伊藤博文総理就任(12月)。
1886年 - アメリカ、ジョージア州アトランタでコカコーラ発売。
1888年 - 枢密院設置、市町村制公布。
1889年 - 大日本帝国憲法発布(2月11日)、市町村制施行。
1890年 - 第1回帝国議会、第1回総選挙、足尾鉱毒事件。
1894年 - 日清戦争( - 1895年)。
1896年 - 明治三陸大津波(6月15日・M6.8)。
1897年 - 宮城沖地震(2月20日・M7.9)。
1898年 - 明治民法施行。
1898年 - 米西戦争
- 清で戊戌の政変。西太后が妹の子光緒帝が進める変法派主要メンバーを処刑。
                光緒帝を拘束して中南海の瀛台(エイダイ)に幽閉。康有為、梁啓超は日本に亡命。
1899年 - 清で義和団事件。

西暦1900年
*********************************************
【20世紀】西暦1901年〜2000年

市民運動、共産主義やファシズムなどの台頭
パブロ・ピカソなどの現代芸術
ジャズやロックなどの音楽、映画などによる文化の大衆化
1920年代のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった
ラジオ・テレビ、社会政策による国民文化の形成
近代オリンピックやFIFAワールドカップに代表される大規模スポーツイベントの開催
人・モノ・サービスの国境を越えた移動、海外旅行の一般化、文化のグローバル化
衛星放送、国際電話、インターネットの普及による情報の即時化・全世界化
石炭から石油へのエネルギー源の転換、電力の大量消費
環境問題の世界化、それに対する意識の向上

1901年 - ノーベルの遺言によりノーベル賞の設立
1901年にアンティキティラの沈没船から「アンティキティラ島の機械」と呼ばれる古代の天文コンピュータが回収された。

1903年12月17日 - ノースカロライナ州のキティホーク(町)にあるキルデビルヒルズにて12馬力のエンジンを搭載した「ライトフライヤー号」によって世界で初の有人動力飛行にライト兄弟が成功した。(飛行機の日)
1904年 - 1905年 日露戦争
1910年4月20日 - ハレー彗星接近(約76年周期)3.3等級に達した。
-------------------------------------------------------
1911年 - 辛亥革命
1912年(明治45・大正元年)
1912年 - 1913年 バルカン戦争
1914年 - 1918年 第一次世界大戦
1917年 - ソヴィエト連邦成立。
1918年 - 1922年 ロシア内戦
1919年 - 1924年 シベリア出兵
1920年 - 国際連盟成立。
-------------------------------------------------------
1926年(大正14年・昭和元年)
1927年5月20日 アメリカ合衆国の飛行家チャールズ・オーガスタス・リンドバーグが「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。
1928年 - 張作霖爆殺
1929年 - 世界恐慌
-------------------------------------------------------
1931年 - 柳条湖事件、満州事変勃発
1931年アメリカ合衆国の飛行家チャールズ・オーガスタス・リンドバーグが北太平洋横断飛行に成功。ニューヨークからカナダ、アラスカを経て8/23国後島、8/24根室市、8/26霞ヶ浦、その後大阪・福岡を経て中華民国の南京・漢口までロッキードの水上機シリウス号に搭乗。
1932年 - 満州国建国、五・一五事件
1933年 - 日本が国際連盟脱退。
1936年 - 二・二六事件、日独防共協定締結。
1937年 - 盧溝橋事件
1937年 - 1945年 日中戦争
1936年 - 1939年 スペイン内戦
1939年 - 1940年 冬戦争
-------------------------------------------------------
1941年 - 1944年 継続戦争
1939年 - 1945年 第二次世界大戦
1939年 - ドイツのポーランド侵攻。
1940年 - 日独伊三国軍事同盟結成。
1941年 - 真珠湾攻撃。
1945年3月10日-日本、東京大空襲。
1945年8月6日-日本、広島に原子爆弾投下される。
1945年8月9日-日本、長崎に原子爆弾投下される。1945年8月15日-日本、終戦。
第二次世界大戦での日本人戦没者数は、軍人・軍属230万人、民間人80万人、合計310万人といわれています(厚生労働省発表)。
1945年 - 国際連合成立。
1945年 - 1989年 東西冷戦
1946年 - 国際連盟解散。
1946年 - 1954年 インドシナ戦争
1948年 - 1949年 第一次中東戦争
1950年 - 1953年 朝鮮戦争
-------------------------------------------------------
1954年 - 1962年 アルジェリア戦争
1956年 - 第二次中東戦争
1956年 - フィデル・カストロに出会い従軍医として反独裁闘争に参加することを承諾したチェ・ゲバラはグランマ号(10人乗りのヨットに85人)でキューバに上陸(12月2日)、以後25ヶ月間におよぶゲリラ戦に従軍。
1958年 - 東京タワー12月23日に完成した。
1959年 バティスタが国外逃亡しキューバ革命成立。
     アジア・アフリカの親善大使としてチェ・ゲバラ来日、12日間滞在した。
     このとき、広島市の原爆資料館を訪問し、「アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなり(対米従属)になるのか」と案内人に語った。
-------------------------------------------------------
1961年 - ベルリンの壁建設。
1962年 - キューバ危機
1963年 - 1975年 ベトナム戦争
1963年11月22日ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領が遊説先のテキサス州ダラスで
           犯人とされるリー・ハーヴェイ・オズワルドによって暗殺された。
1964年3月26日、マルコムはキング牧師と最初で最後の対面をする。
1965年2月21日 アメリカの黒人公民権運動活動家マルコムXはマンハッタンのオードゥボン舞踊場で
           15発の銃弾を受け暗殺される。映画『マルコムX』(1993年2/20日本公開)
1965年チェ・ゲバラは国際的な革命闘争に参加するためキューバを離れる。アフリカ各地を歴訪し、コンゴでは一時的に闘争(コンゴ動乱)に参加。
           キューバ共産党中央委員会でカストロはゲバラから自分宛に遺された「別れの手紙」を発表。
1966年 - 1976年 文化大革命
1966年チェ・ゲバラは変装してボリビアへ。ボリビアでの様子を記した日記は『ゲバラ日記』として死後刊行。
1967年 - 1970年 ビアフラ戦争
1967年 第三次中東戦争
1967年10月9日チェ・ゲバラ(エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)は10月8日バジェグランデ近郊のイゲラ村の近くで捕えられ、
          大統領レネ・バリエントス・オルトゥーニョの命令で10月9日に処刑(銃殺刑)された。39歳だった。
          その亡くなった時の顔はイエス・キリストのように美しかったと村民が証言している。
1968年4月4日アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動したキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)
が遊説活動中のテネシー州メンフィスにあるメイソン・テンプルで “en:I've Been to the Mountaintop”(私は山頂に達した)と遊説。
その後メンフィス市内のモーテル、「ロレアンヌ」のバルコニーでその夜の集会での演奏音楽の曲目を打ち合わせ中に、
白人男性で累犯のならず者、ジェームズ・アール・レイに撃たれる。
-------------------------------------------------------
1973年 第四次中東戦争
1973年 - オイルショック

1979年 中越戦争
1979年-1989年 アフガン侵攻
-------------------------------------------------------
1980年 - 1988年イラン・イラク戦争

1985年8月12日 - 日本航空123便が群馬県上野村の高天原山の御巣鷹の尾根に墜落、
        520名の死者を出すも乗客4人が奇跡的に生存。
       「上を向いて歩こう」で世界的に知られる坂本九も
日本航空123便の墜落に遭い、43歳で死去。

1986年2月9日 - ハレー彗星接近(約76年周期)


1989年(昭和64年・平成元年)
1989年 - 天安門事件。
鉄のカーテン撤去始まる、ハンガリー
1989年、1990年 ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一
1989年−1991年 東欧革命
1989年2月9日 - 鉄腕アトム・ブラック・ジャックなどで知られる
国民的漫画家・手塚治虫が死去。
6月24日 - 昭和を代表する歌手・美空ひばりが死去。


1990年-1994年ルワンダ紛争

1991年 - ソヴィエト連邦崩壊。
1991年 湾岸戦争

1992年-1995年 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

1994年5月1日 - F1・サンマリノGPでアイルトン・セナが事故死。
   6月27日 - オウム真理教によって松本サリン事件発生。
   7月17日 - 木星にシューメーカー・レヴィ第9彗星が衝突。
   8月2日 - ビートたけしが東京都新宿区でミニバイク事故。
   8月31日 - ジュリアナ東京閉店。
   10月13日 - 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞。文化勲章は辞退。
   11月1日 - 平安遷都から1200年。
   12月3日 - プレイステーション発売。
1995年1月17日 - 午前5時46分、兵庫県淡路島を震源とする直下型大地震、
        「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」
   3月20日 - 地下鉄サリン事件
1996年7月5日 - 世界初のクローン羊『ドリー』がスコットランドで生まれる。
   8月4日 - 映画「男はつらいよ」の車寅次郎役で知られる
        俳優の渥美清が死去(享年68)。
   9月23日 - 漫画家の藤子・F・不二雄が死去(享年62)。


1997年2月23日 - 世界初のクローン羊開発の成功が判明。
3月13日にメキシコのソノラ州やアメリカのフェニックスを中心としたアリゾナ州の上空で、謎の複数の光点物体が夜間に長時間に渡って多くの人に目撃された。フェニックスの光と呼ばれている。
   3月下旬〜4月上旬 - ヘール・ボップ彗星が非常に明るく観測される。
4月22日 - ペルー日本大使館公邸に特殊部隊突入、人質全員解放(ペルー日本大使公邸占拠事件)。
5月17日 - ザイール独裁政権が崩壊。コンゴ民主共和国となる。
7月4日 - 米国の火星探査機が火星に着陸。
8月4日 - 世界最高齢のフランス人女性、ジャンヌ・カルマンが122歳で死去。
8月31日 - ダイアナ元英皇太子妃、パリで事故死。
9月13日 - インドにてマザー・テレサ国葬。
9月18日 - インドネシアのメナド・トゥア島でシーラカンスの新種、インドネシア・シーラカンスの現生が確認される。
12月1日 - 地球温暖化防止京都会議開幕。11日、京都議定書が採択される。
12月16日 - テレビアニメ『ポケットモンスター』第38話を見ていた人のうち685人が光過敏性癲癇(てんかん)発症(ポケモンショック)。
問題となった映像は18時51分35〜39.5秒で使われたパカパカ。


1998年1月9日 - 奈良県天理市の黒塚古墳で32面の三角縁神獣鏡が発見される(後に1面発見され33面に)。
1月28日 - 『サイボーグ009』や『仮面ライダー』などで知られる漫画家の石ノ森章太郎が死去。
2月7日 - 長野オリンピック開幕。
3月5日 - 長野パラリンピック開幕。
3月6日 - 奈良県明日香村のキトラ古墳で四神の白虎図や東アジア最古といわれる天文図が発見される。
7月25日 - 和歌山毒物カレー事件発生。
9月6日 - 『七人の侍』や『用心棒』などで知られる映画監督の黒澤明が死去。
12月16日 - 国際連合の大量破壊兵器査察を拒否したイラクを米英軍が空爆。


1999年1月25日 - コロンビアで大地震。死者1000人以上。
2月上旬 - 一級寒波の襲来で北海道-九州地方の日本海側に大雪。特に福岡では記録的大雪。
4月1日 - プレイステーション用ソフト「サガ フロンティア2」発売。
       プレイステーション用ソフト「クロノクロス」発売。
5月19日 - スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナスがアメリカなどで公開。(日本公開は7月10日)
6月1日 - ソニーが子犬型ペットロボット「AIBO」の発売を開始。

7月ノストラダムスの大予言ではこの日人類滅亡と言われていたが何もおこらなかった。
8月17日 - トルコ西部地震。
9月21日 - 台湾大地震発生。
12月20日 - マカオがポルトガルから中国に返還される。
12月31日 - 聖飢魔II、解散。23時59分、悪魔たちは霧に包まれ信者の前から姿を消す。更に、ZYYG、T-BOLANも解散。
12月31日 - 1000年代最後の日。

2000年2月17日 - Microsoft Windows 2000日米欧同時発売。
3月4日 - SCEIがプレイステーションの次世代機PS2を発売。
3月8日 - 営団地下鉄(現・東京地下鉄)日比谷線中目黒駅で脱線事故(営団日比谷線脱線衝突事故)。5人が死亡、60人以上が重軽傷。
3月31日 - 有珠山が28年ぶりに噴火。
5月3日 - 西鉄バスジャック事件発生。
5月7日 - プーチンがロシア大統領に就任。
6月26日 - ヒトゲノム、ドラフト配列の終了を宣言。
7月30日 - 三宅島近海で火山噴火によるM6.4クラスの地震発生。
9月15日 - シドニーオリンピック開幕。
10月6日 - 鳥取県西部地震
11月19日 - ペルーのフジモリ政権が崩壊。

西暦2000年
*********************************************

naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月05日

地球人類史簡略年表05【西暦1501年〜1800年】

*********************************************
【16世紀】西暦1501年
1504年 - 立河原の戦い。
1505年 - 明の正徳帝が第11代皇帝に即位。
1507年 - 細川政元暗殺。
1510年 - レオ10世が教皇になる。
     朝鮮で三浦の乱が起こる。
1517年 - マルティン・ルターが「95ヶ条の論題」を示す。(宗教改革の発端)。
     オスマン帝国のセリム1世、マムルーク朝を滅ぼす。
1520年 - オスマン帝国でスレイマン1世即位。オスマン帝国の全盛期。
     デンマークによるストックホルム血浴。
1521年 - アステカ帝国、エルナン・コルテスにより征服される。
     ルター、ヴォルムス国会でカトリック教会との決別を宣言。ヴァルトブルク城にかくまわれ、新約聖書のドイツ語翻訳     をすすめる。
1521年 - 後柏原天皇が即位22年目にして、ようやく即位の礼を行う。
     足利義晴が室町幕府第12代将軍となる。
      明の嘉靖帝が第12代皇帝に即位。
1522年 - ドイツ騎士戦争。
1523年 - スウェーデン、カルマル同盟を脱し、独立(ヴァーサ朝、〜1654年)。国王はグスタフ1世。
1524年 - ドイツ農民戦争。
1526年 - 後柏原天皇が没し、第105代後奈良天皇が践祚。
      インドでムガル帝国が成立する。
1527年 - 黎朝の王位がマク・ダン・ズンによって纂奪される。
1529年 - 神聖ローマ帝国の首都ウイーンがオスマン帝国に包囲される(第一次ウィーン包囲)。
1530年 - フィリップ・メランヒトン、アウグスブルク信仰告白を著す。
1533年 - インカ帝国、フランシスコ・ピサロにより征服される。
1534年 - ローマ教皇クレメンス7世がイングランド王ヘンリー8世を破門。
     イギリス国教会がカトリック教会から分離。
     ジャック・カルティエ第1回探検行。
     イグナチオ・ロヨラらイエズス会を結成。
1535年 - ジャック・カルティエ第2回探検行。イロコイ族の村落ホチェラガをモンレアルと命名。
1536年 - イングランドヘンリー8世がウェールズを併合。
     カルヴァンの宗教改革。
1538年 - オスマン帝国、プレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィア艦隊に勝利。地中海の制海権を握る。
1540年 - イエズス会、ローマ教皇パウルス3世より正式に修道会として認可される。
1541年 - ジャック・カルティエ第3回探検行。
     イングランドのヘンリー8世がアイルランド王国国王(自称)を名乗る。
1543年 - 日本へ鉄砲伝来。
     ニコラウス・コペルニクスが地動説、太陽中心説を発表。
1544年 - ルター訳聖書(新約聖書・旧約聖書全巻)の刊行。
1546年 - 足利義輝が室町幕府第13代将軍となる。
1547年 - イングランド、スコットランドを攻撃して破る。
1548年 - メアリー、フランスへ亡命。
1549年 - キリスト教伝来(日本)。
1555年 - アウグスブルクの和議。ルター派信仰認められる。
     毛利元就が陶晴賢を滅ぼす(厳島合戦)。
1556年 - ムガル帝国でアクバル即位。
1557年 - 後奈良天皇が没し、第106代正親町天皇が践祚。
1558年 - エリザベス1世、イングランド女王に即位。
     リヴォニア戦争、〜1583年。ポーランド・スウェーデンとロシア帝国(モスクワ大公国)との戦争。
1559年 - イングランドとフランス、講和を結ぶ(カトー・カンブレジ条約)。
1560年 - 桶狭間の戦い。
1566年 - 明の隆慶帝が第13代皇帝に即位。
1568年 - 足利義栄が室町幕府第14代将軍となる。
     織田信長が足利義昭を奉じて京に入り、足利義昭が室町幕府第15代将軍となる。
1570年 - エリザベス1世、ローマ教皇より破門。
     石山合戦が始まる。
1571年 - レパントの海戦で、ヨーロッパ連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利。
1572年 - 明の万暦帝が第14代皇帝に即位。
1573年 - 三方ヶ原の戦い。武田信玄が徳川家康を破る
     室町幕府滅亡。
1574年 - 越前一向一揆蜂起する。
1575年 - 長篠の戦い 信長、越前一向一揆を鎮圧する。
1576年 - 信長、安土城を築く。
1577年 - 信長、紀伊雑賀一揆を攻める。安土城下を楽市とする。
    手取川の戦いで上杉謙信が信長に大勝。
1580年 - 石山合戦終結。
1581年 - スペインの植民地であったオランダが独立宣言をした。
1582年 - 本能寺の変。
     山崎の戦い。
     清洲会議。
     教皇グレゴリウス13世の指示で計算された新暦(グレゴリオ暦)がカトリックの国家で使われはじめる。
1583年 - 賤ヶ岳の戦い。
1584年 - 小牧・長久手の戦い。
1585年 - 四国征伐。
1586年 - 正親町天皇が譲位し、第107代後陽成天皇が即位。
     徳川家康、豊臣秀吉に臣従。
1587年 - 九州征伐。
     エリザベス1世、スコットランド女王メアリ・スチュアートを自身への暗殺未遂容疑で処刑。
1588年 - 豊臣秀吉が刀狩令を出す。
     アルマダの海戦。無敵艦隊(スペイン)がフランシス・ドレーク率いるイギリス海軍に敗北。
1589年 - 摺上原の戦い 。
1590年 - 豊臣秀吉による全国統一。
1592年 - 文禄の役(-1593年)。江戸駿河台の吉祥寺内に学寮(旃檀林)創立。
1595年 - 豊臣秀次、謀叛の疑いをかけられ、叔父秀吉に切腹を賜る。
1596年 - 浅間山大噴火。
1597年 - 長崎で日本二十六聖人が殉教。
     慶長の役(-1598年)。
1600年 - 関ヶ原の戦い。
    ジョルダーノ・ブルーノ刑死。
    イギリス東インド会社設立。
年月不詳 - 西遊記成立。
西暦1600年
*********************************************
【17世紀】西暦1601年
1601年  海禁政策をとっていた明王朝下で、マテオ・リッチが北京入場を果たし、住居を得る。
1602年 - オランダが東インド会社を設立(オランダ東インド会社)。
1603年   スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位し、両国の同君連合が成立。
     江戸幕府成立。徳川家康が将軍となる。
1605年  イギリスのガイ・フォークスらが、国王ジェームズ1世らの爆殺を企てるも失敗(火薬陰謀事件)。
     徳川秀忠が江戸幕府第2代将軍となる。
1609年 - 島津氏による琉球王国侵攻(島津侵入事件)。
1611年  後陽成天皇が譲位し、第108代後水尾天皇が即位。
     スウェーデン王グスタフ・アドルフ(獅子王)が17歳で即位。
1613年 - ロシア帝国皇帝にロマノフ家が推戴される(ロマノフ朝)。
1614年 - 大坂冬の陣。 
1615年 - 大坂夏の陣、徳川家康が豊臣氏を滅ぼす。
1616年 - ヌルハチ、後金(清の前身)を建国。
1618年 - ドイツで三十年戦争が始まる。( - 1648年。同年のヴェストファーレン条約で終結)
1620年 - 明の泰昌帝が第15代皇帝に即位するが、1か月で死去したため、天啓帝が第16代皇帝に即位。
1622年 - 長崎でキリシタン55名が処刑される。(元和の大殉教)
1623年 - 徳川家光が江戸幕府第3代将軍となる。
1628年  イングランド議会が権利請願を採択。
     明の崇禎帝が第17代(最後の)皇帝に即位。
1629年 - 後水尾天皇が譲位し、第109代明正天皇が即位。
1634年 - 長崎に出島造成。
1636年 - ホンタイジが国号を後金から大清に改める。
1637年  島原の乱( - 1638年)。
     オランダでチューリップ・バブル事件。
1642年 - 清教徒革命( - 1649年)。
1643年 明正天皇が譲位し、第110代後光明天皇が即位。
    清のホンタイジが没し、順治帝が初代皇帝として即位。
1644年 - 李自成が北京を陥落させ明王朝滅亡。清が李自成を滅す。
1645年 - ネイズビーの戦い。
1648年 タージ・マハル竣工(1632年から建設)。
     三十年戦争終結、ヴェストファーレン体制。
1649年 - チャールズ1世処刑。
1651年   慶安の変。
     徳川家綱が江戸幕府第4代将軍となる。
1654年 - 後光明天皇が没し、第111代後西天皇が即位。
1655年 - 北方戦争( - 1661年。北東欧を中心とした覇権戦争)
1660年 - イギリスで王政復古。
1661年 - 清の康熙帝が第2代皇帝に即位。
1663年 - 後西天皇が譲位し、第112代霊元天皇が即位。
1669年 - シャクシャインの乱。
1673年 - 清で三藩の乱が起こる( - 1681年)。
1674年 - 寛永通宝4貫=金一両と定め、古銭の通用を停止する。江戸市中の非人を改める。
1677年 - 美濃郡上藩の農民、江戸に越訴。郡上藩、増徴派と減租派の家中騒動始まる(延宝郡上一揆)。
1680年 - 徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍となる。
1683年 - 第二次ウィーン包囲。
1685年 - ナントの勅令廃止。
1686年 - 服忌令を改訂( - 1693年)。
1687年 生類憐れみの令(この後、1708年まで繰り返し出される。)田畑永代売買禁令が再び出される。
    後西天皇が譲位し、第113代東山天皇が即位。
1688年 - 名誉革命、大同盟戦争( - 1697年)
1689年  清とロシアの国境がネルチンスク条約で定まる。
     ピョートル1世がロシア皇帝として単独即位。
1690年 - この頃、浮世草子盛行する。
1699年 - 長崎奉行を四名に増員する。カルロヴィッツ条約。
1700年 - 金銀銭三貨の比価(金一両=銀六十匁=銭四貫文)を定める。
西暦1700年
*********************************************
【18世紀】西暦1701年
1700年 - スペイン継承戦争( - 1714年)
1700年 - 大北方戦争( - 1721年、スウェーデンとロシア帝国間の戦争)
1701年 - 播州赤穂藩主浅野長矩、江戸城中で高家吉良義央に斬りつけ切腹の刑となる。浅野家は改易される。
1702年 - 赤穂浪士大石良雄ら四十七人で、吉良を討つ。
1703年 - 幕府、大石らに切腹を命ずる。
1703年 - 長州藩、製蠟所を設置。
1703年 - 元禄地震(房総沖M8前後)
1707年 - 富士山宝永大噴火(降灰砂は東方90Kmの川崎で5cm・大被害)
1709年 - 徳川綱吉が64歳で没し、 徳川家宣が江戸幕府第6代将軍となる。
1709年 - 東大寺大仏殿の再建なり、落慶供養行われる。
1709年 - 生類憐れみの令を廃止する。
1709年 - 幕府、新井白石を登用する。
1709年 - 東山天皇が譲位し、第114代中御門天皇が即位。
1713年 - 徳川家宣が没し、 徳川家継が江戸幕府第7代将軍となる。
1716年 - 4月30日、家継が8歳で没し、吉宗が江戸幕府第8代将軍となる。新井白石らを罷免する。大奥法度十九箇条を出す。
1717年 - 大岡忠相越前守が江戸町奉行就任。
1720年 - 江戸大火。江戸町火消しいろは四十五組設置される。
1721年 - ピョートル大帝、サンクト・ペテルブルグにて元老院からツァーリ(ロシア皇帝)に戴冠される。国体的なロシア帝国の始り。
1721年 - 小石川養生所完成。
1722年 - 清の雍正帝が第5代皇帝に即位。
1733年 - ポーランド継承戦争( - 1735年)
1735年 - 中御門天皇が譲位し、第115代桜町天皇が即位。
1735年 - 清の乾隆帝が第6代皇帝に即位。
1739年 - ジェンキンスの耳の戦争。
1740年 - ハプスブルク家長女マリア・テレジア、ハプスブルク家の家督を継承。
1740年 - オーストリア継承戦争( - 1748年)
1745年 - 徳川家重が江戸幕府第9代将軍となる。
1747年 - 桜町天皇が譲位し、第116代桃園天皇が即位。
1755年 - リスボン大地震
1756年 - 七年戦争( - 1763年)
1758年 - 12月25日、ハレー彗星接近。
1760年 - 徳川家治が江戸幕府第10代将軍となる。
1762年 - 桃園天皇が没し、第117代後桜町天皇が即位。
1770年 - 後桜町天皇が譲位し、第118代後桃園天皇が即位。
1776年 - アメリカ独立戦争( - 1783年)
1779年 - 後桜町天皇が没し、第119代光格天皇が即位。
1782年〜1788年 - 日本、天明の大飢饉。
1783年6月5日 - フランス、アノネーでリンネル製の袋を使ってモンゴルフィエ兄弟が最初の熱気球の公開飛行を行った。(熱気球の日)
1783年9月19日 - フランス、ベルサイユ宮殿にてモンゴルフィエ兄弟が熱気球を飛ばす実験をした。実験は成功し、二人はルイ16世から勲章を与えられた。
1783年11月21日 - モンゴルフィエ兄弟によって熱気球の最初の有人飛行が行われた。
1787年 - 徳川家斉が江戸幕府第11代将軍となる。
1789年 - フランス革命( - 1794年) ※1789年−1799年は誤り
1796年 - 清の嘉慶帝が第7代皇帝に即位。
1798年 - 本居宣長、『古事記伝』を完成。
1800年 - 伊能忠敬、蝦夷地の測量に向かう。
西暦1800年
*********************************************

naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月04日

地球人類史簡略年表04【西暦1001年〜1500年】

*********************************************
【11世紀】西暦1001年
1002年 - この頃、紫式部の源氏物語が成立。
1004年 - 澶淵の盟
1006年 - おおかみ座に超新星(SN1006)出現。明るさは太陽と月を除いて史上最高の-9等級と推定される。後世、藤原定家が『明月記』に記録。他各国で記録あり。
1016年 - ジャワのクディリ王ダルマヴァンシャが殺害される。
1018年 - ダンカン1世がストラスクライド王国の王位を継承し、スコットランドのほぼ全域を支配。バシレイオス2世が第1次ブルガリア帝国を滅ぼし、東ローマ帝国がバルカン半島のほぼ全域を奪回。
1018年 - ガズニ朝のマフムードがインド遠征でプラティハーラ朝を滅ぼす。
1019年 - 刀伊の入寇
1025年 - チョーラ朝のラージェンドラ1世、シュリーヴィジャヤ征討の艦隊を派遣。
1031年 - コルドバのカリフ、ヒシャーム3世が死亡し、後ウマイヤ朝滅亡
1032年 - チベット系のタングート族が西夏を建国。帝位に李元昊がつく。
1037年 - トルコ人トゥグリル・ベク、セルジューク朝を興す。
1037年 - クディリのアイルランガ王が東部ジャワ再統一を完成し、カマラギャンに遷都。
1054年 - 東方正教会大主教とカトリック教会の教皇が相互破門。キリスト教の東西分裂が決定的に。(大シスマ)
1054年 - 7月4日超新星爆発。後のおうし座の「かに星雲(M1)」
1055年 - セルジューク朝軍が、バグダードに入城し、ブワイフ朝の勢力を追い払う。
1056年 - ムラービト朝のアブー・バクル・イブン・ウマルが指導者となる(王朝としての成立年代。宗教勢力としては1038年成立とされる)。 
1058年 - トゥグリル・ベク、スルタンを称す。
1066年 - ノルマンディー公ギヨームがイングランドを制圧し、ウィリアム1世として即位(ノルマン・コンクエスト)。ハレー彗星接近。
1069年 - 中国の北宋王朝で王安石の改革が始まる。
1070年 - 東チャールキヤ王クロトゥンガがクロトゥンガ・チョーラ1世として即位、東チャールキヤ朝がチョーラ朝を継ぐ形で合併される。
1071年 - 東ローマ帝国、マンツィケルトの戦いでセルジューク朝に大敗、小アジアにトルコ人が侵入。
1077年 - カノッサの屈辱。ルーム・セルジューク朝が成立。
1077年 - ムラービト朝がガーナ王国を滅ぼす。
1081年 - 東ローマ帝国でアレクシオス・コムネノスが反乱を起こし、皇帝に即位(アレクシオス1世コムネノス)。コムネノス王朝の開始。
1086年 - 白河天皇が第73代堀河天皇に譲位し、上皇として院政を開始。
1086年 - サグラハスの戦いでムラービト軍がカスティリア王アルフォンソ6世を破る。
1095年 - セルジューク朝の攻撃を受けていた東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスの救援要請を受け、ローマ教皇ウルバヌス2世がクレルモン教会会議において対イスラム教徒戦への参加を呼びかける。
1096年 - 第1回十字軍出発。
西暦1100年
*********************************************
【12世紀】西暦1101年
1101年 - 大地震、興福寺金堂・大門倒壊する。興福寺と金峰山の僧徒争う。
1102年 - 村上源氏が公卿の過半数を占める。
1107年 - 堀河天皇が没し、宗仁親王が即位(第74代鳥羽天皇)。
1107年 - 英国での叙任権闘争の終わりを意味するウェストミンスター合意なる(アンセルムスの項参照)。
1115年 - 女真族の完顔阿骨打が金を建国。
1122年 - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世とローマ教皇カリストゥス2世がヴォルムス協約を締結。叙任権闘争に一応の終止符をうつ。
1123年 - 鳥羽天皇が譲位し、第75代崇徳天皇が即位する。
1125年 - 金、遼を滅ぼす。
1126年 - 靖康の変が起き、金が北宋を滅ぼす。翌年北宋皇帝の弟趙構が南京で南宋を立てる。
1127年 - 新立の荘園を停止する(大治の荘園停止令)。
1130年 - ノルマン人が南イタリア・シチリアにシチリア王国を建国。 
1139年 - ポルトガル王国が建国される。
1140年 - スコットランド王デイヴィッド1世がイングランドよりカーライルの貨幣鋳造所を支配下に納め、スコットランドで初めてコインを製造。
1142年 - 紹興の和議(南宋と金の和議)。
1142年 - 崇徳天皇が譲位し、第76代近衛天皇が即位。
1147年 - 第2回十字軍(-1149年)。
1147年 - ムワッヒド朝がムラービト朝を滅ぼす。
1155年 - スウェーデン王エリク9世、フィンランド遠征。北方十字軍始まる。
1155年 - 近衛天皇が没し、第77代後白河天皇が即位。
      -モンゴル帝国を築くテムジン(チンギス・カン)の誕生の年とされる(1162年1167年と諸説ある)
1156年 - 保元の乱。
1158年 - 後白河天皇が譲位し、第78代二条天皇が即位。
1159年 - 平治の乱。
1164年 - 平重盛、正三位に叙される。
1165年 - 二条天皇が譲位し、第79代六条天皇が即位。
1167年 - 平清盛、太政大臣となる。
1168年 - 六条天皇が譲位し、第80代高倉天皇が即位。
1169年 - サラーフッディーンがエジプトの支配者となり、アイユーブ朝を興す。
1171年 - エジプトのファーティマ朝が断絶。
1174年 - 平清盛が大輪田泊(神戸)に経が島(経ヶ島)を築く
1177年 - 後白河法皇の側近達が鹿ヶ谷の陰謀を企てるが失敗。
1180年 - 高倉天皇が譲位し、第81代安徳天皇が即位。
1180年 - 源頼朝、平氏に対して挙兵。福原行幸。
1183年 - 平氏とともに西走した安徳天皇と並立して第82代後鳥羽天皇が即位。
1185年 - 壇ノ浦の合戦で平氏が滅亡。安徳天皇は祖母平時子に抱かれて入水し、8歳で崩御。
1187年 - ハッティンの戦い(7月4日)。アイユーブ朝のサラーフッディーンによりエルサレム王国の十字軍が壊滅。【映画『キングダム・オブ・ヘブン』】
1189年 - スコットランド王ウィリアム1世、イングランドからの主権を回復(カンタベリー協定)。
1189年 - 第3回十字軍(-1192年)。
1189年 - 奥州合戦。(奥州藤原氏滅亡)
1191年 - アルスフの戦い。リチャード1世の十字軍がサラーフッディーンを撃退。
1192年 - 源頼朝が征夷大将軍となる。(一般的にはこれを以って、鎌倉時代の始まりとされる)
1193年 - 曾我祐成・曾我時致兄弟が父の仇工藤祐経を討つ。(曾我兄弟の仇討ち)
1194年 - ホラズム・シャー朝がセルジューク朝を滅ぼし、イラン・イラクを制圧。
1198年 - 後鳥羽天皇が譲位し、第83代土御門天皇が即位。
西暦1200年
*********************************************
【13世紀】西暦1201年
1203年 - 源実朝、鎌倉幕府将軍となる。第2代将軍源頼家、伊豆に幽閉される。北条時政が初代執権に就任。
1204年 - 第4回十字軍、キリスト教国家東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃、占領。東ローマ帝国がいったん断絶(-1261年)。
1204年 - 伊賀・伊勢平氏の叛乱(三日平氏の乱)。頼家殺される。
1205年 - 藤原定家ら新古今和歌集編纂。
1205年 - 北条義時が鎌倉幕府第2代執権に就任。
1206年 - チンギス・ハーンがモンゴルを統一。この時51歳・44歳・39歳と諸説あり【映画「モンゴル」】
1206年 - インド北部で奴隷王朝が成立。
1209年 - インノケンティウス3世、小さき兄弟会(フランシスコ会)を認可。
1210年 - 土御門天皇が譲位し、第84代順徳天皇が即位。
1212年 - ナバス・デ・トロサの戦いでアルフォンソ8世のカトリック連合軍がムワッヒド朝揮下のイスラム連合軍を破る。
1215年 - イギリスでマグナ・カルタが制定される。
1216年 - ホノリウス3世、説教者修道会(ドミニコ会)を認可。
1219年 - 鎌倉幕府第3代将軍源実朝が暗殺され、源氏の正統が途絶える。
1220年 - 慈円が愚管抄を著す。
1221年 - 順徳天皇が譲位し、第85代仲恭天皇が即位。
1221年 - 承久の乱。
1222年 - 仲恭天皇が退位し、第86代後堀河天皇が即位。
1224年 - 北条泰時が鎌倉幕府第3代執権に就任。
1226年 - 藤原頼経が鎌倉幕府第4代将軍となる。
1227年 - モンゴルに西夏が滅ぼされる。
1232年 - 後堀河天皇が譲位し、第87代四条天皇が即位。
1234年 - モンゴルに金が滅ぼされる。
1238年 - タイでスコータイ王朝成立。
1240年 - マリ帝国成立。
1241年 - ワールシュタットの戦いで、モンゴルのバトゥがドイツ・ポーランド諸侯連合軍を破る。
1242年 - 四条天皇が没し、第88代後嵯峨天皇が即位。
1242年 - 北条経時が鎌倉幕府第4代執権に就任。
1244年 - 藤原頼嗣が鎌倉幕府第5代将軍となる。
1246年 - 後嵯峨天皇が譲位し、第89代後深草天皇が即位。
1246年 - 北条時頼が鎌倉幕府第5代執権に就任。
1250年 - エジプトにマムルーク朝成立。
1250年 - スウェーデン王ビルイェル・ヤール、フィンランド遠征(北方十字軍)。
1252年 - 宗尊親王が鎌倉幕府第6代将軍となる。
1256年 - 北条長時が鎌倉幕府第6代執権に就任。
1258年 - モンゴルのフレグがバグダードへ入城し、アッバース朝を滅ぼす。
1259年 - モンケが合州城近郊の釣魚山にて陣没。
1259年 - 後深草天皇が譲位し、第89代亀山天皇が即位。
1260年 - クビライが開平府にて即位し、カラコルムのアリクブケと帝位を争い内戦になる。
1260年 - マムルーク朝、モンゴル軍をアイン・ジャールートの戦いで破る。
1261年 - 東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国がコンスタンティノポリスを奪回。東ローマ帝国復活。
1264年 - アリクブケがクビライに投降し、年号が至元と改まる。
1264年 - 北条政村が鎌倉幕府第7代執権に就任。
1266年 - 惟康親王が鎌倉幕府第7代将軍となる。
1268年 - 北条時宗が鎌倉幕府第8代執権に就任。
1271年 - クビライが大都を首都と定め、国号を大元(元)と称した。
1274年 - 文永の役。
1275年 - 北条時宗が元のクビライが送った使者を鎌倉で切る。
1276年 - 博多湾に沿って防塁を築く。
1276年 - 元が南宋の首都臨安(杭州)を陥落させる。
1279年 - 元が南宋を涯山の戦いで滅ぼし、150年ぶりに中国を統一する。
1279年 - 北条時宗が元のクビライが送った使者を再度斬首する。
1281年 - 亀山天皇が譲位し、第90代後宇多天皇が即位。
1281年 - 弘安の役。
1284年 - 北条貞時が鎌倉幕府第9代執権に就任。
1287年 - 後宇多天皇が譲位し、第91代伏見天皇が即位。
1289年 - 久明親王が鎌倉幕府第8代将軍となる。
1293年 - 九州に鎮西探題を置く。
1294年 - ヴィジャヤが、元軍をジャワから追い払い、マジャパヒト王国を建てる。
1294年 - クビライが没し、テムルが、モンゴル帝国(元)の第6代大ハーンに就く。
1295年 - マルコ・ポーロ、ヴェネツィアに帰国する。
1296年 - イングランド王エドワード1世、スコットランドよりスクーンの石を奪う。
1297年 - 鎌倉幕府が、永仁の徳政令を出す。
1298年 - 伏見天皇が譲位し、第92代後伏見天皇が即位。
1299年 - オスマン帝国成立。
西暦1300年
*********************************************
【14世紀】西暦1301年
1300年頃、スウェーデンによるフィンランド遠征(北方十字軍の完了)。
1301年 - 後伏見天皇が譲位し、第94代後二条天皇が即位。
1301年 - 北条師時が鎌倉幕府第10代執権に就任。
1303年 - アナーニ事件。
1308年 - 後二条天皇が没し、第95代花園天皇が即位。
1308年 - 守邦親王が鎌倉幕府第9代将軍となる。
1308年 - ルーム・セルジューク朝滅亡。
1309年 - アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)。
1311年 - 北条宗宣が鎌倉幕府第11代執権に就任。
1312年 - 北条煕時が鎌倉幕府第12代執権に就任。
1315年 - 北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
1315年〜1321年頃 - ヨーロッパで激しい飢饉。→ 小氷期。
1316年 - 北条高時が鎌倉幕府第14代執権に就任。
1317年 - 鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる。(文保の和談)
1318年 - 花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
1320年 - スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立が決定的に。
1324年 - 後醍醐天皇の挙兵計画である 正中の変が発覚。
1326年 - 北条貞顕が鎌倉幕府第15代執権に就任。
1326年 - 北条守時が鎌倉幕府第16代執権に就任。
1331年 - 元弘の変
8月 後醍醐天皇、三種の神器を持って笠置山に入る。
9月 幕府の奏請により、量仁親王が即位して、北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。
10月 後醍醐天皇、神器を光厳天皇に渡す。
1332年 - 幕府、後醍醐天皇を隠岐島に流す。
1333年 - 足利尊氏・新田義貞らにより鎌倉幕府が滅亡。
5月 後醍醐天皇、光厳天皇と正慶の年号を廃止する。新田義貞、鎌倉を陥落させる。建武の中興はじまる。
6月、後醍醐天皇が京都に入る。
7月、記録所を復置する。
9月、雑訴決断所を設置する。
1334年 - 南禅寺を五山の第一とする。
1335年 - 北条氏の遺臣が中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害
1336年
3月 筑前の多々良浜の戦いで足利尊氏が多々良浜に菊池武敏を破る。
5月 湊川の戦いで足利尊氏、新田義貞・楠木正成を湊川で破る。
11月 後醍醐天皇、北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が「建武式目」を定める(室町幕府の成立)。
12月 後醍醐天皇、吉野へ逃れる。(南北朝分立、1336年 - 1392年)
1337年 - イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる(-1453年)。
1338年 - 四條畷の戦い 
5月 北畠顕家、高師直らと堺浦・石津に闘い、死ぬ。
8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍とする。足利尊氏室町幕府初代将軍となる。
1339年
8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。翌16日、後醍醐天皇、52歳で没する。
1341年 - 塩冶高貞、高師直の讒言により討たれる。
1344年 - アラゴン王国がバレアレス諸島のマヨルカ王国を併合。
1347年 - 黒死病が流行し、ヨーロッパの人口が激減( - 1351年)。
1350年 - タイでアユタヤ王朝成立。
1350年 - 観応の擾乱と呼ばれる室町幕府の内部抗争が勃発。
1351年 - 紅巾の乱。
1352年 - 応安の半済令施行。
1356年 神聖ローマ帝国皇帝カール4世によって、帝国の基本的な体制を規定する金印勅書が発布される。
    ポワティエの戦い 。
1358年 - 足利義詮が室町幕府第2代将軍となる。
1360年 - 5月、幕府執事の細川清氏が佐々木道誉の讒言で失脚する。
1368年  後村上天皇が没し、第98代長慶天皇が即位。
    朱元璋が明を建国。
    足利義満が室町幕府第3代将軍となる。
1375年 - アステカ王国の成立。
1378年 - 教会大分裂(シスマ)。
1369年 - ティムール王国。
1378年 - 花の御所の造営開始。
1379年 - 斯波氏のクーデターである康暦の政変で管領の細川頼之が失脚する。
1380年 - クリコヴォの戦い。
1381年 - イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす(ワット・タイラーの乱)。
1383年 - 長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。
1385年 - ポーランド王国とリトアニア大公国がクレヴォの合同を結ぶ。
1386年 - ポーランド・リトアニア連合王国成立(ヤギェウォ朝)。
1388年 - 北元滅亡。
1389年 - コソヴォの戦い。オスマン帝国、セルビア征服。
1390年 - 明朝の洪武帝、梁王国を滅ぼし、雲南地方を中国に併合 。
1391年 - 明徳の乱
1392年  李成桂が高麗を滅ぼし李氏朝鮮建国。
     南北朝の合一。後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代後小松天皇に渡す。
1394年 - 足利義満、将軍職を第4代足利義持に譲り、太政大臣となる。
1396年 - ニコポリスの戦い。オスマン帝国、欧州連合撃破。
1397年 カルマル同盟成立。デンマークが盟主。
    靖難の変。
1399年  6月 足利義満の命により大内義弘の兵が朝鮮に渡って倭寇を討つ。
    12月 応永の乱、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟大内弘茂降伏
西暦1400年
*********************************************
【15世紀】西暦1401年
1401年 - 足利義満、肥富某・僧祖阿らを明に派遣する。 土御門内裏の修繕が始まり、諸国に造内裏段銭を課する。 李氏朝鮮に使いを派遣する。
1402年 - アンカラの戦いでティムールがオスマン帝国を破る。
      - 明の燕王、建文帝を倒して第3代皇帝に即位(成祖永楽帝)。
1403年 - インドネシアのスマトラ島王室のパメスワラ王子がマラッカ王国を建国。
      - 明が首都・北平を北京と改名。
1404年 - 冊封使が初めて琉球へ来琉。日明貿易(勘合貿易)始まる。
1405年 - 明の成祖永楽帝、鄭和を南海遠征に派遣( - 1433年)。
1406年 - ベトナムのホー朝が崩壊し、明へ下る。
     紫禁城の建設始まる。
1407年 - フランスにてオルレアン公ルイがブルゴーニュ公ジャン・サン・プールの手によって暗殺される。
1408年 - 足利義満死去。
1409年 - グルンヴァルド(タンネンベルク)の戦い、ポーランド王国がドイツ騎士団を破る。
1410年 - 周文、芭蕉夜雨図。
1411年 - 明使の入京拒否による国交断絶( - 1432年)
1412年 - 後小松天皇が譲位し、第101代称光天皇が即位。
1414年 - コンスタンツ公会議( - 1418年)
1419年 - 応永の外寇。
1421年 - 明の永楽帝、首都を南京から北京に遷す。
1423年 - 足利義量が室町幕府第5代将軍となる。
1424年 - 明の洪熙帝が第4代皇帝に即位。
1425年 - 明の宣徳帝が第5代皇帝に即位。
1428年 - 称光天皇が没し、第102代後花園天皇が即位。
     - 正長の土一揆。
      - ベトナムで黎朝成立。
1429年 - 足利義教が室町幕府第6代将軍となる。
1431年 - アゾレス諸島発見。
1434年 - コジモ・デ・メディチ、フィレンツェにおける支配権を確立( - 1494年)。
1435年 - スウェーデン、一時的にカルマル同盟を脱する(議会の開始)。
     明の英宗正統帝が第6代皇帝に即位。
1438年 - パチャクテク即位によってインカ帝国は国家として再編する
1439年 - フランス議会、ブールジュの国本勅諚を採択。
1441年 - 嘉吉の乱
1442年 - 足利義勝が室町幕府第7代将軍となる。
1449年 - 明で土木の変。皇帝英宗正統帝がオイラート・エセン・ハンの捕虜となる。景泰帝が第7代皇帝に即位。
     - 足利義政が室町幕府第8代将軍となる。
1453年 - オスマン帝国がコンスタンティノポリスを陥落させ、東ローマ帝国滅亡。
1454年- 享禄の土一揆が徳政を要求する。
    - ローディの和、イタリアの五大国による和平協定(条約)。
1455年 - イングランドで、ヨーク家とランカスター家による王位争い(薔薇戦争)始まる。
1457年 - 明の英宗天順帝が第8代皇帝に重祚。
1464年- 後花園天皇が譲位し、第103代後土御門天皇が即位。
     - 明の成化帝が第9代皇帝に即位。
1467年 - 応仁の乱(-1477年)。室町幕府が衰退し、戦国時代へ。
1473年 - 足利義尚が室町幕府第9代将軍となる。
1474年 - 越前一向一揆
1476年 - 青松寺開創
1479年 - スペイン王国成立。オロモウツの和約、ハプスブルク家、オーストリアの支配権を失う(1479年 - 1490年)。 
1480年- モスクワ大公国のイヴァン3世、キプチャク・ハン国から自立。ロシア帝国のおこり。
     - 越中一向一揆。
1485年- ヘンリー・テューダーがイングランド王ヘンリー7世として即位。テューダー朝始まる。
    - 山城国一揆
1487年 - 明の弘治帝が第10代皇帝に即位。
1488年 - 加賀一向一揆
1490年 - 足利義材が室町幕府第10代将軍となる。
1492年 - ナスル朝が滅亡しレコンキスタ完了。クリストファー・コロンブスがカリブ海の島々に航海。
1493年 - 明応の政変によって足利義材が将軍職から追放される(日本の戦国時代の幕開けとされる)。
1494年- スペインとポルトガル、トルデシリャス条約を締結。
     - 足利義澄が室町幕府第11代将軍となる。
1498年 - 南アメリカ大陸発見。ヴァスコ・ダ・ガマがインドまで航海。
1500年 - ティムール帝国滅亡。
        - 後土御門天皇が没し、第104代後柏原天皇が即位。
       - 西ヨーロッパの文化、哲学、科学、芸術におけるルネサンス。
西暦1500年
*********************************************

naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月03日

地球人類史簡略年表03【西暦1年〜1000年】

*********************************************
【1世紀】西暦1年
8年- 王莽により前漢滅亡。新が建てられる。
9年- トイトブルクの戦いでローマがゲルマニア人に敗れる。
14年- アウグストゥス死去。
18年- 赤眉の乱(- 27年)
23年- 王莽が死亡し、新が滅亡。
25年- 劉秀(光武帝)が皇帝に即位する。後漢王朝の成立(- 220年)。
30年頃- イエス、パレスティナで刑死。この頃、キリスト教が成立。
36年- 後漢の光武帝、中国を統一する。
37年- パルティアとローマが和睦する。
40年- ベトナムで徴姉妹が後漢に対して反乱を起こす(- 43年)。
    ローマのブリタンニア支配が始まる。
57年- 倭の奴国王が後漢に朝献して、倭奴国王印(金印紫綬)を授けられる。
   (後漢・建武中元2、丁巳;後漢書光武帝紀、同東夷伝)
62年- エルサレムでキリスト教エルサレム教会の初代主教ヤコブが殉教
64年- ローマ大火。ネロがキリスト教を迫害。
68年- ネロ自殺。以降、4皇帝が乱立し内戦状態となる。フラウィウス朝の確立。
70年- ユダヤ戦争でエルサレムが陥落する。
73年- ローマ軍が包囲したマサダ要塞が陥落。
79年- ベスビオ火山の噴火によりポンペイが埋没。
80年- ローマにコロッセウムが完成。
85年ごろ- 鮮卑が北匈奴を破る。
94年- 後漢の班超が西域諸国を制圧。
96年- 古代ローマで五賢帝時代始まる(- 180年)。
97年- 甘英が班超により大秦国(ローマ帝国)へ派遣される。
1世紀末- 弥生文化が東北地方に波及する。
西暦100年
*********************************************
【2世紀】西暦101年
2世紀初めごろ- 日本で石器が消滅し、鉄器が普及する。
2世紀初めごろ- ペルーでナスカ文化がおこる。
101年ごろ- カンボジアで扶南が建国される。
105年- 後漢の蔡倫が製紙法を改良する。
107年 倭国王帥升ら、後漢の安帝に生口160人を献上する。(後漢・永初1年、丁未;『後漢書』安帝紀、同東夷伝)
    この頃、倭は朝鮮の弁韓・辰韓の鉄を盛んに輸入する。(『三国志』魏書韓伝)
117年 - ローマ帝国のトラヤヌスがパルティアに遠征し、ローマが最大版図となる。
130年ごろ- インドのクシャーナ朝でカニシカ王が即位する。(- 170年ごろ)
135年- ローマ帝国がユダヤ人の蜂起を鎮圧。ユダヤ人のエルサレム立ち入りを禁止する。
147年ごろ- 倭国大乱(- 189年ごろ)
156年- 鮮卑の檀石槐が北匈奴を破り、モンゴル高原を統一する。
166年- 後漢で党錮の禁が起こり、宦官が儒学派の官僚を弾圧する。
166年- 日南(後漢)に大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニヌス)の使者が到着。
184年- 後漢で黄巾の乱が起こる。
184年ごろ 倭国乱れ、互いに攻伐しあい(倭国大乱)、長い間盟主なし、と伝える。(魏志倭人伝)
     この後、卑弥呼が共立されて、王となる。(魏志倭人伝)
     「中平□年」の紀年銘を持つ大刀出土する(奈良県天理市東大寺山古墳)。中平は、184〜189。
192年- 後漢で権勢を振るっていた董卓、呂布に殺される。 また、同じく日南郡の区連が蜂起し、独立して林邑(チャンパ王国)を建国。
193年- セプティミウス・セウェルスがローマ帝国皇帝となる。
西暦200年
*********************************************
【3世紀】西暦201年
208年- 中国で赤壁の戦い。劉備・孫権連合軍が曹操を破る。中国は三分の形勢となる。
212年- カラカラ帝がローマ帝国の全自由民にローマ市民権を与える。
220年- 曹丕が後漢の献帝を廃して魏王朝を立てる(- 265年)。
220年頃 - ゴート族、東西に分裂。
221年- 劉備が蜀(蜀漢)を建てる(- 263年)。
222年- 孫権が自立して呉を建てる(- 280年)。三国時代が始まる。
226年- サーサーン朝ペルシアがパルティアを滅ぼす。
230年- ゾロアスター教がサーサーン朝の国教となる。
239年- 倭の女王卑弥呼が帯方郡に使者を送り、魏の明帝への奉献を願う。帯方郡の太守である劉夏は使者を魏の洛陽へ送る。明帝は詔して、卑弥呼を「親魏倭王」とし、金印紫綬・銅鏡100枚を授ける(魏の景初三年『三国志』魏書・東夷伝)。
243年- 倭王が魏に使者を送り、生口・倭錦などを献じる(魏の正始4年、『三国志』魏書・小帝紀、同東夷伝)。
245年- 魏の少帝、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする(魏の正始六年、『三国志』魏書・東夷伝)。
247年- 倭の女王卑弥呼、倭の使者を帯方郡に遣わし、狗奴国との交戦を告げる。魏は、使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を倭の大夫に与え、檄をつくって告喩する(魏の正始八年、『三国志』魏書・東夷伝)。
248年頃 - この頃、女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女壱与(または台与)が女王となる。
249年- 魏の司馬懿がクーデターを起こし、曹爽らを誅殺(正始の政変)。
250年頃 - サーサーン朝・シャープール1世がインドのクシャーナ朝を破る。
260年- シャープール1世がエデッサの戦いでローマ帝国のウァレリアヌス帝を虜囚とする。
260年 - 魏皇帝の曹髦、司馬昭を殺そうとして逆に殺され、曹奐が皇帝となる。
261年- 鮮卑索頭部の拓跋力微が魏に入貢する。
263年- 魏が蜀を滅ぼす。魏の司馬昭が晋公となる。
264年- 魏の司馬昭が晋王となる。
265年- 司馬炎(武帝)が魏に代わって、西晋を立てる(- 316年)。
266年- 倭の女王が晋に朝貢する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)。
267年- パルミラ王国の実権をゼノビアが掌握する。
268年- 晋が泰始律令を公布する。これは、体系的な統一法典としての最初の律令。
269年 - ウァレンティアヌス(聖ヴァレンタイン)がクラウディウス・ゴティクスの迫害を受けて刑死。
272年- ローマ皇帝アウレリアヌスがパルミラ王国(273年)、ガリア帝国(274年)を平定して、ローマ帝国の再統一を達成。
273年頃- マニが刑死。
280年- 晋が呉を滅ぼし中国を統一する。
284年- ディオクレティアヌスがローマ皇帝に即位(- 305年)。専制君主制を導入する
293年 - ディオクレティアヌスがローマ帝国の四分統治(テトラルキア)を始める。
300年- 晋で八王の乱が起こる(- 306年)。 この頃、日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘簿(首長墓)が現れる。
238年- 呉の「赤烏元年(238)」の紀年銘を持つ画面帯神獣鏡出土する(山梨県西八木郡鳥居原きつね塚古墳)。
239年- 「景初三年」の紀年銘を持つ神獣鏡が、大阪府和泉市の黄金塚古墳と島根県大原郡の神原古墳から出土している。
240年- 「□始元年」の紀年銘を持つ三角縁神獣鏡が、出土する(群馬県高崎市の芝崎古墳と兵庫県豊岡市森尾古墳)。
244年- 「□烏七年」の紀年銘を持つ画文帯神獣鏡が、兵庫県宝塚市の安倉古墳から出土している(呉の赤烏七年)。
    マヤ文明が興る
西暦300年
*********************************************
【4世紀】西暦301年
4世紀の初め頃から福岡県沖ノ島で盛んに祭祀が行われる。(平安時代初期頃まで続いた。)
301年- 9月3日にサンマリノが独立。
304年- 匈奴の劉淵が大単于を自称。中国北部は五胡十六国時代の戦乱に入る。
306年- コンスタンティヌスがガリアでローマ帝国皇帝を称す。
310年- クチャ出身の仏図澄が洛陽に来て仏教を布教。
311年- 中国で永嘉の乱。中国北方に異民族侵入が激化。
313年- ローマ皇帝コンスタンティヌス1世とリキニウスがミラノ勅令でキリスト教を公認する。
313年- 高句麗が楽浪郡を滅ぼす。
316年- 中国で晋王朝滅亡。
317年- 司馬睿(元帝)が東晋を建国(- 420年) 。
320年- インドでチャンドラグプタ1世がグプタ朝を建国。
325年- 5月20日 、第1回ニカイア公会議。ニカイア信条を採択、復活祭の日付を制定。
330年- ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がビュザンティオンを新首都と定める(コンスタンティノポリス)。前趙を滅ぼし華北の大半を併せた後趙の石勒が皇帝となる(高祖明帝)。
342年- 朝鮮半島で前燕に攻略された高句麗が一時的に壊滅状態になる。
346年- 朝鮮半島で伯斉が馬韓を統一して百済を建国する。
350年- アクスム王国(現在のエチオピア)がキリスト教を国教とする。
356年- 朝鮮半島で斯盧を中心に辰韓が統一されて新羅が建国される。
357年- 前燕が中原に進出する。これにより高句麗が再起する。
360年- コンスタンティヌス1世がコンスタンティノポリスに聖ソフィア大聖堂を建立。
360年 - 「背教者」ユリアヌス、ローマ皇帝に即位(在位:360年 - 363年)。
363年- ユリアヌスがペルシア遠征中に死去。
369年- 第287回オリンピック。記録に残る最後のオリンピック。
370年- 前秦が前燕を滅ぼし華北を統一。
372年- 高句麗に仏教が伝わる。
373年- シリアのキリスト教修道僧エフレム死去。
375年- フン族がゴート族を圧迫する。ゲルマン民族大移動の発端。
376年 - インドのグプタ朝でチャンドラグプタ2世が即位する。後の西ゴート人の前身となるゴート系難民集団、ローマ帝国領内に侵入を開始。
378年 - 皇帝ウァレンスがアドリアノープルの戦いで西ゴート人に敗れ戦死。
380年- ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教と定める。
381年- 第1コンスタンティノポリス公会議 - 三位一体論の定義、ニカイア・コンスタンティノポリス信条採択。
383年- 中国で淝水の戦い。東晋が前秦に勝利する。前秦は求心力を失い、以後華北は分裂する。
384年- 慕容垂が自立し、後燕を建国。
386年- 鮮卑の拓跋珪(道武帝)が自立し、北魏を建国。
391年- 倭軍、渡海して百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗広開土王碑)。
392年- ローマがキリスト教を国教とする。
393年- 第293回オリンピック。古代オリンピック最後の年といわれるが、記録には残っていない。
395年- テオドシウスが死去し、ローマ帝国が東西に分割相続される(東西分裂)。ローマ人がブリタンニアより撤退。
396年- 高句麗の談徳(広開土境好太王)、百済を攻め、その北部を領土とし、城下の誓いをさせる(広開土王碑)。
399年- 中国の法顕が仏典を求めてインドに赴く。百済、3年前の誓いに背き、倭と連合して新羅に侵入したため、新羅は高句麗に援助を求める(広開土王碑)。
400年- 高句麗、5万の兵を新羅に送り、倭軍を撃退する。迫撃して任那加羅に至る(広開土王碑)。

西暦400年
*********************************************
【5世紀】西暦401年
401年- クチャの仏僧である鳩摩羅什が長安に来訪。
402年- 柔然の社崙が初めて可汗を称する。
404年- 倭軍、もとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される。(広開土王碑)
この頃、大王クラスの大形前方後円墳が奈良盆地から大阪平野に移り、更に巨大化する。人物埴輪が現れる。
410年- 西ゴート人のアラリックがローマ市を占領・掠奪。西ローマ帝国の衰亡が決定的になる。
410年- 西ローマ帝国のブリタンニア支配の終わり。
413年- 倭国、東晋に朝献する。(東晋・義煕9、『晋書』安帝紀、『太平御覧』)
414年- 西ゴート人がイベリア半島に侵入。高句麗の広開土王(好太王)碑建つ。
415年- 西ゴート王国が成立する。
420年- 劉裕が東晋から政権を奪って、宋 (南朝)を建国(宋の武帝)。
421年(宋・永初2年)- 倭王の讃、宋に朝献し、宋の武帝から、除綬の詔うける。(おそらく安東将軍倭国王)(『宋書』倭国伝)
425年(宋・元嘉2年)- 倭王の讃、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる。(『宋書』倭国伝)
425年- エフタルがバクトリア地方に侵入
427年- 高句麗が平壌に遷都する。陶淵明没。
429年- ガイセリック率いるゲルマン人のヴァンダル族が北アフリカにヴァンダル王国をたてる。
430年 (宋・元嘉7年)- 倭国王、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる。(おそらく讃)(『宋書』文帝紀)
この頃、各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
431年- エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。
434年- アッティラがフン族の王となる。
438年(宋・元嘉15年)- これより先、倭王讃没し、弟珍立つ。この年、珍宋に朝献し、自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める。(『倭国』倭国伝)4月、宋、の文帝、珍を安東将軍倭国王とする。(『宋書』文帝紀)珍はまた倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される。(『宋書』倭国伝)
439年- 北魏の太武帝が華北を統一、中国は南北朝時代となる。
440-450年 - 千葉県市原市の養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。
442年 - 且渠氏により高昌国が成立。
443年(宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝献して、安東将軍倭国王とされる。
443年- スイス・フランス東南部にブルグント王国が成立
446年- 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
449年- エフェソス強盗会議が開かれる
450年ごろ - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
451年- カタラウヌムの戦いで西ローマ・ゴート連合軍がフン族のアッティラ王を破る。カルケドン公会議。
452年- アッティラ率いるフン族がイタリアに進攻。
455年- ヴァンダル人のガイセリックがローマを占領
460年- 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
471年- 埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した「辛亥年七月中」の干支銘を持つ金錯銘鉄剣が製作される。
475年- 高句麗が百済の漢城を攻める
476年- ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国が滅亡。オドアケルはイタリアに君臨する。
477年 - 倭国が宋に朝献する。(『宋書』順帝紀)これより先、興没し、弟の武立つ。
477年-スリランカ、シンハラ朝第65代の王位に父王を殺害したカッサパ1世が就いた。父王供養のためシーギリヤと呼ばれる町を建設。『獅子の山』とも呼ばれる岩山西側中腹の窪みに「シーギリヤ・レディー」と呼ばれる天女像が描かれる。
478年- 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする。(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)
479年- 中国で南朝の宋に代わり斉が成立。
485年- 北魏の孝文帝が均田制を実施する。
486年- クロヴィス1世がメロヴィング朝フランク王国を建国
487年- 高車が柔然の支配から脱してジュンガリアに建国
493年- 東ゴート人の族長テオドリックがオドアケルを破ってイタリアに東ゴート王国を建国。
494年- 北魏が大同から洛陽に遷都する。
495年-スリランカ、カッサパ1世が弟モッガッラーナの反撃に敗れ自害。
496年 - クロヴィス1世がカトリックに改宗する。
498年 - トルファン地方に麹氏の高昌国が興る。
日本各地で大型前方後円墳が築造される(古墳時代)。

西暦500年
*********************************************
【6世紀】西暦501年
502年 - 中国の南朝が斉から梁にかわる。
503年 - 「癸未年八月」の干支銘をもつ人物画像境が和歌山県橋本市の隅田八幡宮に伝わる。(癸未年を443年とする説もある。)
513年 - 百済より五経博士が日本に来る。
520年 - インドのグプタ朝が分裂し、事実上崩壊。
523年 - 北魏で六鎮の乱が起こる。
527年(継体天皇の21年)- 磐井の乱起こる(『日本書紀』)。
527年 - 東ローマ帝国でユスティニアヌス1世が皇帝に即位(- 565年)
528年(継体天皇の22年)- 磐井斬殺される。(『日本書紀』)
529年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がアテネのアカデメイアを閉鎖し、学者を追放する。
529年 - ベネディクトゥスがイタリアのモンテ・カッシーノに修道院を創設
530年 - ユスティニアヌス1世が古代ローマ法の集大成であるローマ法大全編纂を命じる(533年完成)。
531年 - サーサーン朝ペルシア帝国でホスロー1世が即位(- 579年)。サーサーン朝の最盛期を迎える。
532年1月 - ユスティニアヌス1世がニカの乱により退位寸前まで追いこまれるが、皇后テオドラの励ましによって武力鎮圧し、皇帝による専制支配を固める。
532年6月 - 東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」を結んで東方国境を安定させる。
533年 - 東ローマ帝国、北アフリカのヴァンダル王国を征服。
534年 - 北魏が東魏と西魏に分裂。
537年 - 東ローマ帝国でニカの乱で焼失した聖ソフィア大聖堂のユスティニアヌス1世による再建が完成。この3代目の建物が現存するアヤソフィアである。
538年 - 日本に仏教伝来。百済の聖明王、仏像と経論を朝廷に送り、仏教が公伝される。(宣化天皇3年、欽明称制7年、上宮聖徳法王帝説、元興寺縁起)(日本書紀では欽明天皇13年(552年)とされる)
550年 - 北斉が東魏を滅ぼす。
552年 - 北アジアで柔然が分裂する。突厥が建国される。
554年 - 東ローマ帝国がイタリアの東ゴート王国を征服。
557年 - 中国で西魏に代わり北周が建国。
557年 - 梁にかわって陳がおこる。
559年ごろ - サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥と同盟してエフタルを滅ぼす。
568年 - ランゴバルド人がイタリアに侵入し、ランゴバルド王国を建国。
577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。
580年ごろ - スラブ人が北ギリシャに侵入する。
581年 - 中国で楊堅が北周を滅ぼして隋を建国。
583年 - 突厥が東西に分裂する。
587年 - 蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす。
589年 - 隋が南朝の陳を滅ぼし、中国を統一。
590年 - ローマ教皇にグレゴリウス1世が即位。
592年 - 隋で均田法を施行される。
592年 - 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。
593年 - 聖徳太子が推古天皇の摂政となる。
598年 - 隋で科挙が行われる。高句麗遠征に失敗する。
600年 - 日本が第1回遣隋使を派遣。(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない。)
西暦600年
*********************************************
【7世紀】西暦601年
601年 - 厩戸皇子(聖徳太子)が斑鳩宮(いかるがのみや)を造る。任那回復のため、高句麗と百済に遣使する。
602年 - 撃新羅将軍を任命し、国造・郡司らの軍2万5千を動員する。
603年 - 新羅攻撃を中止する。小墾田宮(おはりだのみや)に遷る。冠位十二階を制定する。
604年 - 冠位十二階制を施行する。厩戸皇子、憲法十七条を作る。朝礼を改める。
604年 - 中国隋で煬帝が即位する。
605年 - 中国の煬帝が大運河の建設を命じる。
606年 - ハルシャ・ヴァルダナ、北インドにヴァルダナ朝を建国。
607年 - 第2回遣隋使小野妹子が派遣される。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」国ごとに屯倉(みやけ)を置く。
608年 - 小野妹子、隋使裴世清(はいせいせい)らとともに帰国する。隋使、朝廷に参内し、帰国する。小野妹子また隋に遣わされる。この時、高向玄理(たかむこのくろまろ)・僧旻(みん)・南淵請安(みなぶちのしょうあん)ら8人留学する。
609年 - 小野妹子ら帰国する。
610年 - 隋に使を派遣する。
610年 - 東ローマ帝国でヘラクレイオスが皇帝に即位。
610年 - ムハンマドがイスラム教を興す。
611年 - 隋が高句麗遠征を開始(- 614年)。失敗に終わる。
613年 - 東ローマ帝国、サーサーン朝にシリア地方を奪われる。
617年 - サーサーン朝が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを包囲。
618年 - 中国で煬帝が殺害され隋が滅亡する。李淵が唐を建国。
622年 - 厩戸皇子が斑鳩(いかるが)宮で没する。
622年 - ムハンマドがメディナへ遷る(ヒジュラ(聖遷)- イスラム暦元年)。
622年 - 東ローマ皇帝ヘラクレイオス、サーサーン朝への反撃を開始。
626年 - 唐で第2代皇帝太宗即位(- 649年)(貞観の治)
626年 - 蘇我馬子が没する。
628年 - 推古天皇が没する。
628年 - 東ローマ皇帝ヘラクレイオス、サーサーン朝を破って被占領地を奪回。
629年 - 第34代舒明天皇が即位する。
628年ごろ - 唐の僧侶玄奘(三蔵法師)がインドへ向けて出発(- 645年)。
630年 - ムハンマドがメッカを征服。遣唐使犬上御田鍬を派遣。
632年 - ムハンマドが没し、イスラム教団でカリフ制度がはじまる。
636年 - シリア地方のヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗。サーサーン朝から奪回した領土を再び失う。
640年 - イスラム帝国のシリア地方征服が完了。
640年ごろ - 中部ジャワにシャイレーンドラ朝が成立
641年 - 舒明天皇が没する。
642年 - ニハーヴァンドの戦いでサーサーン朝がイスラム帝国に大敗する。
642年 - 第35代皇極天皇即位。
643年 - 蘇我入鹿が山背大兄王一家を滅ぼす。
645年 - 6月12日、中大兄皇子・中臣鎌足ら、蘇我入鹿を宮中で暗殺する。蘇我蝦夷は自殺する。(乙巳の変)難波宮へ遷都(- 655年)。皇極天皇が譲位し、第36代孝徳天皇が即位。
646年 - 改新の詔を宣する(大化の改新)。
650年ごろ - スマトラ島にシュリービジャヤ王国が成立。
651年 - サーサーン朝ペルシアが滅亡。
653年 - 孝徳天皇と中大兄皇子とが不和になり。中大兄皇子以下は飛鳥に還る。
655年 - 東ローマ帝国がリュキア沖の海戦でイスラム帝国に惨敗。
655年 - 皇極天皇が重祚し、第37代斉明天皇となる。
660年 - 新羅と唐の連合軍が百済を滅ぼす。
661年 - カリフのアリーが暗殺され、ムアーウィヤ1世がカリフとなる。ウマイヤ朝イスラム帝国成立。
661年 - 斉明天皇が没する。
663年 - 白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗する。
667年 - 近江国の大津へ遷都(- 672年)
668年 - 高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされる。
668年 - 中大兄皇子が即位し、第38代天智天皇となる。
670年 - 全国的に戸籍をつくる。(庚午年籍)
670年ごろ - 南スマトラにシュリービジャヤ王国が興る。
671年 - 新羅と唐が対立する。
671年 - 第39代弘文天皇(大友皇子)が即位。
672年 - 天智天皇没する。壬申の乱で第40代天武天皇即位。飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)に遷る。
673年 - イスラム帝国海軍、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを678年まで毎年包囲。
675年 - 天武天皇は肉食禁止令を勅した。
676年 - 新羅が朝鮮半島を統一。
681年 - 飛鳥浄御原令の編纂を開始する。
686年 - 天武天皇が没し、第41代持統天皇が即位。
689年 - 飛鳥浄御原令を発令。
687年 - フランク王国でカロリング家の宮宰ピピンが実権を握る。
690年 - 戸令により庚寅年籍をつくる。
690年 - 唐で3代皇帝高宗の皇后武則天が女帝となり、国号を周とする(-705年)。唐王朝は一時断絶。
694年 - 藤原京に都を移す。
697年 - 持統天皇が譲位し、第42代文武天皇が即位する。
697年 - イスラム帝国が北アフリカのほぼ全域を制圧。
698年 - 靺鞨人大祚栄が震国(後の渤海)を建国。
西暦700年
*********************************************
【8世紀】西暦701年
701年 - 大宝律令の撰定が完成する。刑部皇子・藤原不比等らに禄を賜う。
702年 - 倭が唐の武則天(則天武后)に使者を送り、国名を日本と定める。
705年 - 武則天没する。唐が再興される。
707年 - 文武天皇が没し、第43代元明天皇即位する。
708年 - 和同開珎鋳造。
710年 - 平城京へ遷都。奈良時代はじまる。
711年 - ウマイヤ朝、西ゴート王国を滅ぼしてイベリア半島を占領。
712年 - 太安万侶(おおのやすまろ)、『古事記』を撰上する。
712年 - 唐で皇太子李隆基が皇帝に即位(玄宗)。唐は最盛期を迎える。
713年 - 諸国に「風土記」の編纂を命ずる。
714年 - 『続日本紀』に奄美・信覚・球美などの人々が来朝したとされる。
715年 - 元明天皇が譲位し、第44代元正天皇が即位する。
717年 - 東ローマ帝国でレオーン3世が皇帝に即位。イサウリア王朝を開く。
718年 - 東ローマ皇帝レオーン3世、コンスタンティノポリスを包囲したウマイヤ朝軍を撃退。
720年 - 『日本書紀』完成。舎人親王(とねりしんのう)、『日本紀』30卷・系図1卷を撰上する。
723年 - 田地開墾のため、三世一身(さんぜいっしん)法を施行する。太安万侶没する。
724年 - 元正天皇が譲位し、第45代聖武天皇(首皇子)が即位する。
726年 - 東ローマ皇帝レオーン3世、キリスト教における聖像使用の禁止を命ずる。
729年 - 長屋王の変。
732年 - トゥール・ポワティエ間の戦いで、カール・マルテル率いるフランク王国軍がウマイヤ朝軍を破る。これによって、718年の東ローマ帝国の勝利に続いてイスラム帝国の進撃を止めることに成功。
734年 - 遣唐使留学生井真成(せいしんせい)36歳で長安で没する。その墓誌が2005年4月に発見される。玄宗皇帝から官位を授かったことや「国号日本」と記されている。「日本」表記の現存資料としては最古である。
743年 - 墾田永年私財法を施行。大仏建立の詔。
745年 - 唐の玄宗が楊太真を貴妃とする(楊貴妃)。
749年 - 聖武天皇が譲位し、第46代孝謙天皇即位する。
750年 - アブー・アル=アッバースがウマイヤ朝を倒してアッバース朝を起こし、バグダードを首都に定める。
750年ごろ - ベンガル地方にパーラ朝が成立。
751年 - 唐の高仙芝(こうせんし)中央アジアに遠征し、タラス河畔でアッバース朝に敗れる。
751年 - フランク王国でカール・マルテルの子ピピン3世が国王となりカロリング朝成立。
752年 - 東大寺大仏の開眼供養が行われる。
753年 - 唐僧の鑑真が日本に着く。
753年 - ダンティドゥルガがラーシュトラクータ朝を興す
755年 - 唐で安史の乱が起こる。(- 763年)
756年 - 正倉院の始まり(聖武太上天皇の77回忌に当たり、遺品を東大寺に施入する)。
756年 - フランク王小ピピンが北イタリアをランゴバルドから奪い、ローマ教皇に寄進する。
756年 - ウマイヤ家のアブドゥル・ラフマーンがイベリア半島で独立し後ウマイヤ朝を興す。イスラム帝国は分裂する。
758年 - 孝謙天皇が譲位し、第47代淳仁天皇が即位する。
764年 - 恵美押勝の乱後、淳仁天皇を廃して淡路に配流し、孝謙上皇が重祚(ちょうそ)し、第48代称徳天皇となる。
768年 - カールがフランク王に即位する
769年 - 宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂が大隅国に流罪。
770年 - 称徳天皇が没し、第49代光仁天皇が即位する。道鏡を下野国に配流する。
775年 - 東ローマ帝国でコンスタンティノス5世・コプロニュモスに替わり、レオーン4世・ハザロスが皇帝に即位(在位775-780年)。
780年 - 唐、宰相の楊炎の建議により租庸調制から両税制へ税制を移行。
781年 - 光仁天皇病気のため譲位し、桓武天皇が即位する。
784年 - 長岡京に遷都。
785年 - 長岡京建設の責任者藤原種継が暗殺され、桓武天皇の弟早良親王が流罪となる。
786年 - アッバース朝で、ハールーン・アッ=ラシードがカリフとなる(-809年)。(アッバース朝の最盛期)
787年 - 第2ニカイア公会議でキリスト教が聖像使用の教義を確認。
788年 - 最澄は比叡山延暦寺を造る。
789年 - モロッコにイドリース朝が興る。
790年ごろ - インドネシアのシャイレーンドラ朝がボロブドゥールの建設を始める。
791年 - フランク王カールがアヴァール人を征討
794年 - 平安京へ遷都し、平安時代はじまる。山背国を山城国へ改称。
797年 - 東ローマ帝国で皇帝コンスタンティノス6世が母エイレーネーによって廃位され、エイレーネーがローマ帝国初の女帝として即位。
800年 - フランク国王カール、ローマ教皇から「ローマ皇帝」の冠を受ける(カール大帝)。
800年 - 富士山の延暦噴火。
西暦800年
*********************************************
【9世紀】西暦801年
801年 - 征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸奥へ向かう。
801年 - 畿内の班田を12年に一度とする。
802年 - ジャヤバルマン2世がカンボジアを統一。アンコール朝の成立。
802年 - 坂上田村麻呂、胆沢城を築かせる。後に鎮守府を置く。蝦夷の大墓公阿弖流為ら降伏する。
803年 - 坂上田村麻呂、志波城を築く。
804年 - 坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。
804年 - 最澄と空海が唐にわたる。
805年 - 最澄が天台宗を興す。
806年 - 桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。
806年 - 空海が真言宗を興す。
807年 - 生野銀山が開坑された。
809年 - 平城天皇が譲位し、第52代嵯峨天皇が即位。
814年 - 日本最初の勅撰漢詩集『凌雲集』が成立。
816年 - 空海が高野山金剛峯寺を開基。
818年 - 菅原清公らが『文華秀麗集』を編纂。
821年 - ホラサーンでターヒル朝が自立する。
822年 - 現存最古の説話集『日本霊異記』を景戒が編集。
822年 - 比叡山の大乗戒壇建立が勅許。
823年 - 嵯峨天皇が譲位し、第53代淳和天皇が即位。
825年 - イングランドでウェセックス王国のエグバート王がマーシアをエランダンで破る
827年 - チュニジアのアグラブ朝がシチリア島征服に着手
828年ごろ - 空海が綜藝種智院を創設
829年 - ウェセックス王国のエグバートがイングランドを統一。
830年ごろ - チェック人(西スラブ族)がモラビア王国建設
830年 - 唐で牛僧儒と李徳裕が争う(牛・李の党争)。(- 844年)
830年 - アッバース朝がバグダードにバイト・アルヒクマ(知恵の館)を建設する。以後、ギリシア語文献のアラビア語翻訳が盛んになる。
833年 - アッバース朝でムウタスィムがカリフに即位。トルコ人奴隷(マムルーク)で親衛隊を組織。
833年 - 淳和天皇が譲位し、第54代仁明天皇が即位。
836年 - アッバース朝がバグダードからサマッラーに遷都
838年 - 小野篁を隠岐国に配流
840年 - ウイグルがキルギスの攻撃により崩壊。
842年 - 嵯峨上皇が没する。承和の変が起こり、藤原良房が橘逸勢、伴健岑らを謀反の疑いで配流する。
843年 - ヴェルダン条約でフランク王国が3つに分裂。
845年 - 唐の武宗が仏教を弾圧(会昌の廃仏)
850年 - 仁明天皇が譲位し、第55代文徳天皇が即位。
853年 - 唐の商人欽良暉漂着。
858年 - 文徳天皇が没し、第56代清和天皇が即位。
858年 - 藤原良房が臣下としては初の摂政となる。
860年 - 行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建
862年 - 伝説ではノルマン人ルス族のリューリクがノブゴロド公国を建国する。ロシア国家のはじまり。
863年 - 東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。
864年 - 富士山貞観噴火
864年ごろ - 第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
866年 - 応天門の変がおこる。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる。
867年 - 東ローマ帝国でバシレイオス1世がクーデターで皇帝に即位。マケドニア王朝を開く。
867年 - イランにサッファール朝が興る
868年 - エジプトにトゥールーン朝が興る
869年 - イラクで黒人奴隷が反乱を起こす(ザンジュの反乱)
870年 - メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。
871年 - アルフレッドがイングランド王となる(- 899年)。
871年ごろ - アイスランドの植民始まる
875年 - 唐で黄巣の乱が起こる。(- 884年) 
875年 - 中央アジア最初のイラン系イスラム王朝であるサーマーン朝が興る。
876年 - 清和天皇が譲位し、第57代陽成天皇が即位。
877年 - トゥルーン朝がシリアを併合
878年 - イングランド王アルフレッドがヴァイキングのデーン人の侵入を撃退。
878年 - 藤原保則が陸奥の蝦夷平定に出発。
882年 - オレグがリューリクの子イーゴリを擁してキエフを占領し、キエフ大公国を建てる。
884年 - 藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代光孝天皇が即位。
886年 - イングランド王アルフレッドとデーン王グスルムとの間で協定が結ばれる。
887年 - 藤原基経が初の関白となる。
887年 - イタリアにおけるカロリング朝断絶
887年 - 光孝天皇が没し、第59代宇多天皇が即位。
888年 - 高地ブルグント王国が建設され西スイスがその版図となる。
889年 - 高望王に平姓を賜う(桓武平氏)。
891年 - 宇多天皇が菅原道真らを登用して国政改革に着手。
892年 - 朝鮮半島で甄萱(しんけん)が完山(全州)に後百済を建てる。新羅が分裂への道を歩み始める。
892年 - アッバース朝が再びバグダードに遷都
893年 - ブルガリア王にシメオン1世が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。
894年 - 菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
896年 - ハンガリーに騎馬民族が定住した。
897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
899年 - 藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣に就任。対立が激化。
西暦900年
*********************************************
【10世紀】西暦901年
901年 - 藤原時平によって菅原道真が大宰府へ左遷される。(昌泰の変)
902年 - 延喜の荘園整理令院宮王臣家が荒田閉地を請占するを禁ずる。
903年 - 菅原道真没 (59)。
904年 - 朝鮮半島で弓裔が摩震(のち泰封)を建てる。
905年 - 「延喜式」編纂開始。紀貫之・紀友則・壬生忠岑らが『古今和歌集』を撰進。
906年 - マジャル人によりモラビア王国が滅亡。
906年 - モースルにハムダーン朝が興る。
907年 - 節度使の朱全忠が唐を滅ぼし後梁を建国(五代十国)の始まり
907年 - 契丹(遼)の耶律阿保機が即位。日本では「延喜格」が完成。
909年 - チュニジアにシーア派のファーティマ朝が成立。「延喜格」を頒下する。
910年 - フランス中東部にクリュニー修道院が設立される。
910年 - イベリア半島ではレオン王国のガルシア王が領土拡張を開始。諸国に「延喜格」を写させる。
911年 - 東フランク王国でカロリング朝が断絶しフランケン公コンラート1世が王に選出(ドイツ王国ザクセン朝)。
911年 - ノルマン人の首長ロロがノルマンディー公国を樹立。
912年 - 「延喜式」の編集を促進させる。
913年 - ブルガリア王シメオン1世、皇帝を称す。
918年 - 朝鮮半島で王建が泰封を滅ぼして高麗を建国。
919年 - ハインリヒ1世がドイツ国王に即位する。
926年 - 契丹(遼)が渤海を滅ぼす。
928年 - ジャワ東部にクディリ朝が成立。
929年 - 後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世がカリフを称し、東西にカリフが分立する。
930年 - 醍醐天皇が没し、第61代朱雀天皇が即位。藤原忠平が摂政就任。
930年 - アイスランドで世界最古の近代議会「アルシング」が創設。
932年 - イラン系シーア派のブワイフ朝が興る。
935年 - 平将門・藤原純友による承平・天慶の乱が始まる(- 941年)。
935年 - 高麗が新羅を滅ぼす
935年ごろ - 紀貫之が最初の仮名日記である『土佐日記』を著す。
935年 - エジプトにイフシード朝興る。
936年 - 高麗が後百済を滅ぼして朝鮮半島を統一する。
936年 - 契丹(遼)が後晋から燕雲十六州を獲得する。
936年 - オットー1世がドイツ王に即位する。
937年 - 中国の雲南地方でタイ系の段氏が大理国を建国する。
939年 - ベトナムで呉朝が成立。
940年 - 平将門の乱が終わる。
941年 - 藤原純友の乱が終わる。藤原忠平が関白就任。
946年 - 朱雀天皇が譲位し、第62代村上天皇が即位。
946年 - ブワイフ朝がバグダードに入りアッバース朝カリフからアミール・アルウマラー(大アミール)の称号を得る。
950年ごろ - トンガがトゥイ・トンガによって統一。
950年 - 村上天皇が内裏歌合を催行。
951年 - 村上天皇が『後撰集』の編纂を下命。
955年 - ドイツ王オットー1世がレヒフェルトの戦いでマジャル人に勝利する。
957年 - キエフ大公国王母オリガが東方正教会に帰依する。
958年 - 高麗で科挙制度が採用される。
960年 - ミェシュコ1世がポーランド王国を建てる。
960年 - 趙匡胤(太祖)が宋を立てる。
961年 - イベリア半島でカスティーリャ伯領成立。
962年 - ドイツ王オットー1世、ローマ教皇から皇帝の冠を受け、神聖ローマ帝国が成立する。
962年 - アフガニスタンでトルコ系のガズナ朝が成立。
965年 - 北欧でハラール青歯王が洗礼を受ける。
966年 - ベトナムで丁朝が成立。
967年 - 藤原実頼が関白となる。
967年 - 村上天皇が没し、第68代冷泉天皇が即位。
968年 - 東ローマ帝国がアンティオキアを約330年ぶりにイスラム勢力から奪回する。
969年 - ファーティマ朝がエジプトに進出してイフシード朝を滅ぼす。
969年 - 源満仲の讒言により左大臣源高明が左遷される安和の変が起こる。
969年 - 藤原実頼、摂政就任。
969年 - 高麗の使節が対馬にくる。
969年 - 冷泉天皇が譲位し、第64代円融天皇が即位。
970年 - 藤原伊尹、摂政就任。
972年 - 藤原兼通、関白就任。
973年 - デカン高原でタイラ2世がラーシュトラクータ朝を倒しチャールキヤ朝を再興する。
976年 - 東ローマ帝国でバシレイオス2世が皇帝に即位( - 1025年)。東ローマ帝国は最盛期を迎える。
976年 - 神聖ローマ帝国がオーストリアにバーベンベルク家の辺境伯領を設ける。
977年 - 藤原頼忠、関白就任。
979年 - 宋の太宗が北漢を滅ぼして中国統一する。
984年 - 円融天皇が譲位し、第65代花山天皇が即位。
986年 - 遼が宋に侵入する(岐溝の戦い)。
986年 - 花山天皇が退位し、第66代一条天皇即位。
986年 - 藤原兼家、摂政就任。
987年 - 西フランク王国でカロリング朝が断絶し、ユーグ・カペーがカペー朝を開く(フランス王国のはじまり)。
988年 - キエフ大公国のウラディミル1世が東方正教会に改宗する(ロシア正教会の成立)。
990年 - 藤原兼家、関白就任。藤原道隆、摂政・関白就任。
991年 - イングランドにノルウェー王オーラフ1世来襲する。デーンゲルドの徴収始まる
993年 - この頃清少納言が枕草子を記す(成立年代については諸説あり)。
995年 - 藤原道兼、関白に就任するが、就任後12日で死亡し、「七日関白」と称される。
995年 - 藤原道長が内覧となり、事実上の摂政となる。
997年 - イシュトヴァーン1世がハンガリー王国を興す。奄美島人、対馬・壱岐に来襲。
1000年頃 - アイスランド人のレイフ・エリクソンが西洋人としてはじめて北アメリカ大陸に到達、ヴィンランドと名づける。
西暦1000年
*******************************************

naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月02日

地球人類史簡略年表02【紀元前2000年〜紀元前1年】

*********************************************
紀元前2000年(約4000年前)
紀元前2000年頃、ヒッタイト人、アナトリアに侵入。
紀元前2000年頃 - クレタ文明が興る
紀元前2000年頃 - エチオピアから農民と牧畜民がケニアに移住。メソ・アメリカ各地で定住農村村落の成立。
紀元前2000年頃 - 紀元後300年 - メソアメリカ、先古典期
紀元前2000年頃? バヌアツの砂絵が会話に使われ始めた。南太平洋上、80もの島々にオーストロネシア語族の人々が渡来してきて定住し始め、共通語のビスラマ語が出来るまで異なる島同士の会話には砂に描く絵が使われてきた。
紀元前1991年 - 古代エジプト、第11王朝の終わり、第12王朝始まる。
紀元前1932年 - アモリ人、ウルを征服
紀元前1913年 - 1903年 - エジプトとヌビアの戦争
紀元前1900年頃 - アカイア人、ギリシアに侵攻
紀元前1900年頃 - 最後のシュメール人王朝の没落
*********************************************
紀元前1900年
紀元前1829年 - 1818年 - エジプトとヌビアの戦争
紀元前1813年 - アモリ人、北メソポタミアを征服
紀元前1806年 - 伝統的記年法による夏王朝の終焉
紀元前1800年頃 - エジプトのアメンエムハト3世がファイユーム盆地を開発。
*********************************************
紀元前1800年
紀元前1787年 - 1784年 - アモリ人、ウルクとイシンを征服
紀元前1786年 - 古代エジプト、第12王朝の終わり、第13王朝と第14王朝のはじまり
紀元前1766年頃 - 中国、殷(商)王朝興り、夏王朝を滅ぼす。
紀元前1764年 - 1750年 - メソポタミア、ハンムラビ王による戦争
紀元前1759年 - ハンムラビ、マリ王国を攻略
紀元前1750年 - ヒクソス、北エジプト王国を占領
紀元前1750年 - アラスカ州、ヴェニアミノフ山が噴火
紀元前1749年 - 1712年 メソポタミアで反乱
紀元前1700年 - ミノア内乱
中央ヨーロッパで青銅器時代始まる
*********************************************
紀元前1700年
紀元前1680年頃 - ヒッタイトがクズルウルマック("赤い河"の意)周辺に王国を建国
*********************************************
紀元前1600年
紀元前1595年頃、ヒッタイトがメソポタミアの古バビロニアを滅ぼす。
*********************************************
紀元前1500年
紀元前1450年頃、ヒッタイト新王国の成立。フリ文化の色彩強まる。
*********************************************
紀元前1400年
紀元前1330年頃、ヒッタイト新王国のシュッピルリウマはミタンニを制圧する。この時、前線に出たのは、王の息子達であった。
*********************************************
紀元前1300年
紀元前1285年頃、カデシュの戦い、ヒッタイト新王国と古代エジプトとが、シリアのカデシュで衝突。ラムセス2世のエジプトを撃退する。ラムセス2世は、勝利の記録を戦いの様子と共にルクソールなどの神殿に刻んでいるが、実際にはシリアはヒッタイトが支配を続けた。この際に、世界最古の講和条約が結ばれた。
*********************************************
紀元前1200年
紀元前1200年頃 - 北アメリカ、先史プエブロ文化。西北インドへ進出してきたアーリヤ人達が、この頃にインド最古の文献である『リグ・ヴェーダ』を編纂し始めた。
紀元前1200年から同900年頃? メキシコ、ゲレロ州にあるフストラワカ洞窟(オルメカ様式の壁画) に壁画が描かれる。
紀元前1194年 - トロイア戦争(Trojan War) ○ミュケナイを中心とするアカイア人の遠征軍10万 VS 小アジアのトロイア●
紀元前1190年に、ヒッタイトが民族分類が不明の「海の民」によって滅ぼされたとされている。
紀元前1186年 - 古代エジプト第19王朝の終わり。第20王朝の開始。
紀元前1184年 - 伝承によればトロイア戦争の終わり。トロイア滅亡。
紀元前1150年頃 - ミュケナイ文明が前1200年頃から急速に衰退し滅ぶ。
*********************************************
紀元前1100年 
ギリシア、「暗黒時代」。
紀元前1066年 武王が殷を滅ぼし、周を興す。
紀元前1065年 魯、燕、衛、晋、曹、蔡、呉、陳、宋、斉、楚の諸侯、成立。
紀元前1100年ごろ フェニキアでアルファベットの使用が始まる。
紀元前1050年ごろ〜1020年ごろ 
・ギリシアで陶器の原幾何学様式がはじまる。
・フェニキア人、カナリア諸島に来航。
・フェニキア人、南スペイン(カディス)に入植。
*********************************************
紀元前1000年(約3000年前)
紀元前1000年頃 - バラモン教が成立する。メキシコ湾岸の熱帯低地(現ベラクルス州サン・ロレンソ)で大がかりな建築物や石の彫刻の技術を持った農耕民達によるオルメカ文化の繁栄が続く。
紀元前925年ごろ - ソロモン王の死後、イスラエルが北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂する。
紀元前925年ごろ -スパルタが創建される。

・このころより日本列島に中国大陸・朝鮮半島などから多数の移住者が渡来、定着する。
弥生時代の始まりが紀元前10世紀まで遡る可能性がある。
国立歴史民俗博物館の研究グループが、九州北部の遺跡から出土した弥生時代早期の土器に
付着していた煮焦げなどの炭化物の年代測定の結果、通説より500年遡ることが裏付けられたと発表した。
*********************************************
紀元前900年
紀元前900年頃 - メキシコ湾岸、オルメカ文明の中心がサン・ロレンソの破壊により、ラ・ベンタに移る。
紀元前841年 - 周の匆Δ国人に追放されて共和政治が行われる。『史記』の年表はこの年より始まる。
紀元前814年ごろ - フェニキア人によってカルタゴが建設される。
紀元前806年 - 鄭が建国。
紀元前800年ごろ - イベリア半島で古代ギリシア人とフェニキア人の交易が始まる。
*********************************************
紀元前800年 
ヒッタイト王国が滅びたあと、東南アナトリアに移動し紀元前8世紀頃まで、
新ヒッタイトと呼ばれる都市国家群として活動した。
ただし、この都市国家群の住民はかなりの程度フリ人と同化していたと考えられている。
紀元前771年 - 犬戎に攻められた周の幽王が殺され、周は洛邑に遷都する。これより春秋時代が始まる。秦、諸侯に列する。
紀元前771年 - アルメニアの隆盛
紀元前8世紀半ば - イリアス成立
紀元前8世紀半ば - アッシリア王国の隆盛、ダマスコとサマリアを征服する。
紀元前776年、記録に残る最古の古代オリンピック大会がギリシアで開催される。
紀元前763年6月15日 - アッシリア王アッシュール・ダン3世が日食を記録した。それを天文学的に割り出すと正確な日付が特定できたため、アッシリア年代学の基点となっている。
紀元前753年4月21日 - 伝承によればロムルスによりローマ建国。最初のローマ暦が古代ローマで採用された。ロムルス暦と呼ばれる。
紀元前722年 魯の隠公元年。この年より『春秋』の記述が始まる。
紀元前721年 - アッシリア王国のサルゴン2世によりイスラエル王国が滅亡する。
・ギリシア人、地中海および黒海沿岸に植民地を建設。
紀元前713年、ローマ国王ヌマ・ポンピウスによって改暦が行われ、ヌマ暦と呼ばれる。
Jānuārius(ヤーヌアーリウス、29日間)、Februārius(フェブルアーリウス、28日間)がつけ加えられた。
このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変えた。平年の1年の長さは355日になる。
2年に1度、2月の日数を23日に減じ、2月23日の翌日に Mercedinus(メルケディヌス)という名の27日間または28日間の閏月を挿入した。
この時期はまだ年始は3月1日であった。
*********************************************
紀元前700年
紀元前685年 斉の桓公、管仲を宰相に迎える。
紀元前685年 斉の桓公、周王より伯位を賜り最初の覇者となる。
紀元前660年 『日本書紀』によれば神武天皇が即位する。神武元年正月朔。
紀元前645年 管仲死す。
紀元前638年 宋の襄公と楚の成王が泓水(現:河南省柘城)にて激突し、楚が大勝する(泓水の戦い)。
紀元前636年 重耳、亡命19年の後即位し、晋の文公となる。(3番目の覇者)
紀元前632年 文公が率いる晋と楚が城濮(現:山東省西部の濮県の南)にて激突し、晋が大勝する(城濮の戦い)。
紀元前625年 新バビロニア王朝とメディア王朝始まる。アッシリア王国の滅亡。
紀元前611年 楚、秦、巴の攻撃で庸が滅亡。
*********************************************
紀元前600年
紀元前597年 - 晋と楚が河南省鄭県の邲において激突し、楚の大勝利に終わる。(邲の戦い)
紀元前586年 - 新バビロニア、ユダ王国を滅ぼす。エルサレム神殿破壊される。
紀元前575年 - 晋と楚が鄢陵(河南省鄢陵)にて激突し、晋が勝利した。(鄢陵の戦い)
紀元前560年 - クロイソス、リュディアの王に即位。
紀元前553年 - 『日本書紀』によれば、懿徳天皇が誕生。
紀元前550年 - ペルシアにアケメネス朝成立。 アケメネス朝ペルシア、メディアより自立し建国
紀元前548年 - 斉の崔杼が荘公光を殺し、弟の杵臼(景公)を擁立した。
紀元前547年 - ペルシアのキュロス2世、リュディアを占領。
紀元前543年 - 一説によると仏陀が入滅した年とされ、東南アジア諸国で使われている仏歴はこの年を元年として起算している。
紀元前539年 - 新バビロニアの首都バビロンはペルシア軍によって占領される。バビロニア王国の滅亡。
紀元前525年 - アケメネス朝ペルシア、エジプト、オリエントを統一。
紀元前509年 - 伝承によれば、ローマで共和制が始まる。(共和政ローマ)
*********************************************
紀元前500年
紀元前500年頃 - ペルシアとギリシアの間でペルシア戦争( - 紀元前448年)
紀元前490年 - マラトンの戦いで、ミルティアデス率いるギリシア軍がペルシア軍を破る。
紀元前481年 - 紀元前460年 シチリア島のエトナ山が噴火。
紀元前481年 - 斉の陳桓(田成子)がその君簡公壬を殺す。斉の実権が事実上田氏に移る。この年で、魯の年代記『春秋』の筆がおかれる。
紀元前480年8月,テルモピュライの戦い、共和制国家ポリス、
  ○ペルシア王クセルクセス率いる遠征軍100〜200万人VS共和制国家ポリスのスパルタ300人●
紀元前480年、9月20日ごろ(29日説あり)サラミスの海戦
  ○アテネのギリシャ艦隊386隻 VS ペルシャ艦隊684隻以上●
紀元前479年8月、プラタイアイの戦い
○スパルタ・アテネ連合軍 VS ペルシャ陸軍●
  完全な勝利をえて、ギリシャ諸市はペルシャから独立していきます。
紀元前478年 - デロス同盟が結成される。( - 紀元前404年)スパルタ、主導権を放棄(内向化)
紀元前473年 - 越が呉王夫差を自殺させ呉を滅ぼす。
紀元前461年 - 第一次ペロポネソス戦争が起こる。
紀元前453年 - 晋が趙、韓、魏に分裂。
紀元前434年 - エピダムノスとケルキュラの紛争が起こる。
紀元前431年 - 第二次ペロポネソス戦争が起こる。( - 紀元前404年)
紀元前413年 - アテネ、シチリアで敗北。
紀元前404年 - アテナイで三十人政権が政権を握る。
紀元前403年 - 趙、韓、魏が周王より諸侯として認定される。
       これより中国は戦国時代に入る。司馬光の『資治通鑑』はこの年より記述が始まる。
*********************************************
紀元前400年
・ケルト人、アイルランド島へ侵攻
・マケドニア王国、ギリシアを統一し、アケメネス朝を滅ぼす
・北部で、東山文化(青銅器文化)栄える。
紀元前400年頃 - メキシコのポポカテペトル山、噴火。
紀元前396年 - エトルリア人の町ウェイー、共和政ローマのマルクス・フリウス・カミルスにより陥落。
紀元前387年 - ケルト人、ローマを攻略、ローマが滅亡寸前になる
紀元前387年 - プラトン、学校アカデメイアを創設。
紀元前386年 - 太公望の子孫が公位を継承してきた斉(姜斉)に代わり、田和が新たに田斉を建て、周の安王により諸侯と認められた。
紀元前378年 - 最後の君主静公が退位を迫られ、晋が滅亡する。
紀元前375年 - 韓が鄭を滅ぼす。
紀元前371年 - テーバイ、スパルタとの戦争に勝ちギリシアの覇権を握る。
紀元前367年 - 古代ローマでリキニウス・セクスティウス法成立。
紀元前359年 - フィリッポス2世がマケドニア王に即位。
紀元前356年 - ヘロスタトス、エフェソスのアルテミス神殿に放火。
紀元前353年 - 斉と趙の連合軍が孫臏の計略により魏と宋と衛の連合軍を破る(桂陵の戦い)。
紀元前341年 - アケメネス朝ペルシアが、エジプトを征服。
紀元前341年 - 斉が孫臏の計略により魏を破る(馬陵の戦い)。
紀元前338年 - カイロネイアの戦いでマケドニアがアテナイ・テーベのギリシャ連合軍を破る。
紀元前337年 - マケドニアを盟主とするコリント同盟が結成される。
紀元前336年 - アレクサンドロス3世(大王)がマケドニア王に即位。
紀元前334年 - アレクサンドロス大王が東方遠征に出発する。
紀元前334年 - 楚が越を滅ぼす。
紀元前333年 - イッソスの戦いでアレクサンドロス大王がペルシア皇帝ダレイオス3世の軍に勝利。
紀元前323年、ディアドコイ戦争
マケドニア王アレクサンドロス3世(大王)が急逝した後、その配下の将軍たちが
大王の後継者(ディアドコイ)の座を巡って繰り広げた戦争のことである。

紀元前322年、ラミア戦争、 ○ギリシアのアテナイ VS マケドニア●
クランノンの戦い  ○マケドニア  VS ギリシア●
ヘレスポントスの戦い、ペルディッカス(⇔エウメネス) VS アンティパトロス(⇔クラテロスやプトレマイオス)

紀元前321年 - カウディウムの屈辱、共和政ローマがサムニウム人に敗北、屈辱的な和議を結ぶ。
紀元前319年、クレトポリスの戦い、エウメネスVS アンティパトロス(⇔アンティゴノス)
紀元前317年 - マガダ国のチャンドラグプタ1世がマウリヤ朝を建国。
紀元前317年、パラエタケネの戦い、カッサンドロス、アンティゴノス VS ポリュペルコン、エウメネスの戦い
紀元前316年、ガビエネの戦い、エウメネスはアンティゴノスに敗れ、味方の裏切りによって敵に引き渡され、処刑される。
紀元前316年 - 秦が蜀を滅ぼす。
紀元前315年、ガザの戦い、○プトレマイオスVSアンティゴノスの息子デメトリオス●
紀元前315年、バビロニア戦争、プトレマイオスの支援を受けたセレウコスVSアンティゴノス
紀元前312年 - セレウコス朝シリアが開かれる。
紀元前312年 - 古代ローマでローマ街道の建設を開始。
紀元前306年、キプロス沖サラミス海戦、○アンティゴノス、デメトリオスVSプトレマイオス●
紀元前305年 - プトレマイオス朝エジプトが開かれる。
紀元前301年、イプソスの戦い、○セレウコスとリュシマコスの連合軍 VS アンティゴノス、デメトリオス●
*********************************************
紀元前300年

中国(周・戦国時代〜秦、前漢)
紀元前265年 - 秦と趙による、長平の戦い。趙兵40万人が殺害される。
紀元前221年 - 秦の始皇帝、はじめて中国を統一する(‐紀元前206年)。
中国で万里の長城建設。
紀元前213年 - 秦の始皇帝、宰相の李斯の進言により焚書坑儒を実施。
紀元前209年 - 陳勝・呉広の乱
紀元前203年 垓下の戦い。劉邦と項羽の戦い。四面楚歌の言葉が生まれた。
紀元前202年 - 劉邦、項羽を滅ぼし、前漢を建てる。(‐紀元後8年)
----------------------------------------------------------------------
地中海世界
紀元前281年 - コルペディオンの戦い、セレウコスはリュシマコスを敗死させ、プトレマイオス朝の支配するエジプトを除くアレクサンドロス帝国の大部分を勢力下に置く
紀元前276年 - デメトリオスの息子アンティゴノス2世によるアンティゴノス朝がマケドニアに支配権を確立した
紀元前264年 - ローマとカルタゴとの間に第一次ポエニ戦争始まる(‐紀元前241年)。
紀元前219年 - ローマとカルタゴとの間に第二次ポエニ戦争始まる(‐紀元前201年)。 ローマ、スペインを征服。
紀元前202年10月19日-ザマの戦い。ローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。大スキピオ率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、第二次ポエニ戦争の趨勢を決した。

紀元前201年
*********************************************
紀元前200年
東アジア
紀元前200年 - 匈奴の冒頓単于が前漢の劉邦を破る。
紀元前195年 - 前漢で恵帝が即位(- 紀元前188年)。呂后の専横が始まる。
紀元前195年 - 燕の衛満が箕氏朝鮮を滅ぼし、衛氏朝鮮を建てる。(-108年)
紀元前180年 - 前漢で呂后死亡。呂氏一族が誅殺され、文帝が即位(- 紀元前157年)
紀元前157年 - 前漢で景帝が即位(- 紀元前141年)
紀元前154年 - 前漢で呉楚七国の乱。
紀元前141年 - 前漢で武帝が即位(- 紀元前87年)
紀元前139年 - 前漢の張騫が大月氏に派遣される。
紀元前136年 - 前漢は五経博士を置き儒教を重用する。
紀元前121年 - 河西の匈奴が前漢の霍去病に討たれる。
紀元前111年 - 前漢の武帝が南越を滅ぼす。
紀元前110年 - 前漢の武帝が泰山で封禅の儀を執行する。
紀元前108年 - 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の4郡を置く。

地中海世界
紀元前192年 - ローマとセレウコス朝のアンティオコス3世が戦争(‐紀元前188年)。
紀元前190年 - バクトリアが西北インドに進出。
紀元前188年 - アパメアの和約。シリア、ヨーロッパから撤退する。
紀元前153年1月1日〜紀元前46年まで最終期のローマ暦が使われた。年は12か月、355日だった。年始は1月1日であった。
紀元前148年 - ローマがマケドニアを属州にする。
紀元前146年 - ローマがギリシアを属州にする。
紀元前146年 - 第3次ポエニ戦争が終り、カルタゴがローマによって滅ぼされる。
紀元前133年 - ローマでティベリウス・センプロニウス・グラックスが護民官となる。
紀元前129年ごろ - パルティアがクテシフォンを首都とする。
紀元前123年 - ローマでガイウス・センプロニウス・グラックスが護民官となる。
--------------------------------------------------------------------------------
・この頃、テーラワーダ仏教がスリランカに伝わる。
・メキシコでテオティワカンが築かれる。
紀元前167年頃 - ユダ・マカバイがエルサレム神殿を回復。ハスモン王家によるユダヤ支配のはじまり。
紀元前101年
*********************************************
紀元前100年

紀元前99年 - 前漢の李陵が匈奴に降伏する。
紀元前98年 - 前漢の武帝が泰山で封禅の儀を執行する。
紀元前91年 - 古代ローマで同盟市戦争(- 紀元前88年)。
紀元前88年 - 古代ローマでミトリダテス戦争(- 紀元前63年)。
紀元前82年 - ルキウス・コルネリウス・スッラがローマの終身独裁官に就任。
紀元前73年 - 古代ローマで剣闘士のスパルタクスが反乱を起こす(- 紀元前71年)。
紀元前63年 - 古代ローマのポンペイウスがセレウコス朝シリアを滅ぼし、ユダヤを平定する。
紀元前60年 - 古代ローマでカエサルが執政官に就任、ポンペイウス、クラッススと共に第一回三頭政治を開始。
紀元前58年 - カエサルがガリア戦争を開始(- 紀元前51年)。
紀元前54年 - 匈奴が東匈奴と西匈奴に分裂。
紀元前53年 - カルラエの戦いでパルティアがクラッススを破る。
紀元前52年 - 弥生時代の池上曽根遺跡から出土した神殿らしい高床式建物に使用されていた柱を年輪年代測定法で検査すると、この年の伐採ヒノキ材であることが判明した。
紀元前48年 - カエサルがファルサロスの戦いでポンペイウスを破る。古代ローマの主導権を得る。
紀元前47年 - クレオパトラの妹アルシノエ4世はプトレマイオス側について、
クレオパトラ7世側と争ったが、ナイルの戦いで敗北。
クレオパトラ7世がエジプトの主権を握る。
    1929年トルコのエフェソスにおいて、アルシノエのものと推測される墓所と遺骨が発見され、
そこで安置されていた骨などのデ−タからは、アルシノエの骨はギリシャ系とアフリカ系の特徴を持ち、
身長は約154cm、骨が細いことから細身と推察される体躯、死亡年齢は16歳前後であった可能性が指摘されている。

紀元前46年 - ローマにおいて1年が445日存在する(翌年にローマ暦に代わってユリウス暦が導入されるための移行措置で、歴史上もっとも1年の日数(暦年)が多かった年とされている)。
紀元前45年1月1日 - ユリウス暦が実施された。(1582年2月24日まで使われる。)
紀元前44年 - 3月15日、 カエサルがブルートゥスらにより暗殺される。
紀元前43年 - アントニウス、レピドゥス、オクタウィアヌスが第二回三頭政治を開始。
紀元前37年 - ヘロデ大王がユダヤ王となる(- 紀元前4年)
紀元前37年ごろ - 高句麗が成立する。
紀元前36年 - メソアメリカ最古とされる長期暦の日付がメキシコ・チアパス州、チャパ・デ・コルソの石碑2号に刻まれる。
紀元前33年 - 前漢の王昭君が匈奴の呼韓邪単于に嫁ぐ。
紀元前32年 - オルメカの祭祀センター、トレス=サポーテスの石碑Cの日付。
紀元前31年 - アクティウムの海戦でオクタウィアヌスがアントニウス・クレオパトラ連合軍を破る。
紀元前30年 - プトレマイオス朝エジプトが滅び、ローマの属州となる。
紀元前27年 - 1月16日、オクタウィアヌスがローマ皇帝に就任、元老院からアウグストゥスの尊称を与えられる。
紀元前97年ごろ - 前漢で司馬遷が『史記』を完成。
紀元前7〜4年頃 - ナザレのイエス・生誕。
紀元前後 - 倭人が百余国に分かれて、1部の国が前漢の楽浪郡に朝献する。(『漢書』地理誌)
紀元前1年
*********************************************

naze_naze at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2070年01月01日

地球人類史簡略年表01【250万年前〜紀元前2000年】

*************************************************
250万年前から200万年前 人類誕生(ヒト亜科ヒト属ホモ・ハビリス)
30万年前 現代人の登場(ヒト亜科ヒト属ホモ・サピエンス・サピエンス
*************************************************
約4万〜1万年前 ヨーロッパにクロマニョン人が分布した後期旧石器時代
紀元前43,000年頃のホモ・サピエンス(現代人)の遺跡がロシアのドン川畔で見つかった。(米科学誌『サイエンス』2007年1月12日号に発表された。)
紀元前40,000年頃、アボリジニーがオーストラリアに渡来する。
約3万2000年前     フランス南部のショーヴェ洞窟壁画

紀元前30,000年頃、後期旧石器時代始まる。立川ローム基底部(X層)日本の旧石器文化発見。群馬県新田郡笠懸村岩宿の局部磨製石斧。

紀元前28,000年前、日本列島の旧石器時代人は、槍先形尖頭器、細石刃、有茎尖頭器、石槍という狩猟具を発達させ、ヘラジカ、ハナイズミモリウシ(野牛の一種)、原牛、ナウマンゾウ、オオツノシカなどの大型の哺乳動物やニホンシカ、イノシシ、アナグマ、ノウサギなどの中小のほ乳動物を狩猟していた。
紀元前21,000年頃、鹿児島県にある姶良火山が大爆発を起こす。九州から関東地方まで、直径2000キロのおよぶ卵形の地域に火山灰が降った。それが姶良火山灰層でATが俗称である。現在の鹿児島湾は姶良火山活動によってカルデラとなっている。この頃を境にナウマンゾウが日本列島から姿を消す。
*********************************************
約2万数千年前  ネアンデルタール人の絶滅
*********************************************
約18,500年前頃  アルタミラ洞窟に壁画が描かれた 
紀元前18,000年頃、ヒトの移動、メキシコに到達する。
紀元前18,000〜16,000年、最終氷期の最も寒い時期。海水面の高さが現在よりも約150メートル低かった。
紀元前16,000〜14,000年頃、沖縄県山下町第1洞穴、港川、ビンザアプ人。旧石器時代終末か縄文時代草創期の人類。沖縄県島尻郡具志頭村港川で人骨発見。
16,500年前〜14,000年前頃  アルタミラ洞窟に壁画が描かれた
紀元前15,000年頃、北スペイン・カンタブリア地方のアルタミラ洞窟の壁画が描かれた。
1万5000年前 後期旧石器時代にヨーロッパに分布したクロマニョン人たちがフランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置するラスコー洞窟壁画に動物を描いた(ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群)
紀元前14,000年頃、縄文時代の始まり。縄文土器がつくられはじめる。
紀元前12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始。(仙人洞・呂桶環遺跡)
紀元前12,000年以上前、米国に現代人(ホモ・サピエンス)がいたことを示す証拠が発見された。アメリカ合衆国オレゴン州の洞窟で人間の糞の化石が見つかった。ミトコンドリアDNAから東アジアやシベリアの人と共通する特徴をもっているという。(米科学誌『サイエンス』電子版 2008年4月3日付)
紀元前12,000年頃、イヌの家畜化。静岡県浜北人、沖縄県上部港川人(1.2〜1.数万年前)
紀元前11,000年頃、日本、縄文時代草創期。細石器・有舌尖頭器がつくられ、豆粒文様土器がつくられる(長崎県泉福寺洞窟遺跡)。日本列島でオオツノシカが絶滅。
********************************************* 
約1万2000年前【紀元前1万年年頃】
紀元前10,000年頃、ヒト亜科ヒト属ホモ・フローレシエンシス(フローレス人)の絶滅。人類はホモ・サピエンスのみとなる。
紀元前10,000年頃、縄文時代早期。日本列島の温暖化・温潤化が進む。ハナイズミモリウシや本州のヒグマなどが絶滅し、本州以南では陸上大型動物は消滅した
氷河期のうちウルム氷期が終わり第四紀(約200万年前)のうち完新世(1万年前)に移った。
地球が温暖化し、氷河がモレーン(堆石)を残して後退した。
地球各地が乾燥化し、草原に森林が形成され、マンモスやトナカイなどの大型哺乳類の生息環境を悪化させ、絶滅してしまう。
この頃には10数万年前から存在していたネアンデルタール人が姿を消し、われわれの直接の祖先である新人(現生人類)が活躍するようになった。
海水面上昇により黄海ができ、日本列島が大陸から分離する。
スンダランドが海中に没する。
ベーリング海に存在した陸橋ベーリンジアが温暖化の海進により水没し、北米大陸はユーラシア大陸から分離した。
紀元前9,050年頃、シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡で最古級の農耕の跡(ライムギ)。
********************************************* 
1万1000年前【紀元前9000年頃】
・ヤンガードリアス(最終氷期後の「寒の戻り」)が終了。地球の温暖化が進む。
温暖化による海水面上昇が続く
・日本では縄文時代早期。ドングリやクルミなどの堅果類を植林栽培する初歩的農業がはじまる。

紀元前9000年頃 - 牛乳が人間の食糧として飲まれはじめる。
紀元前8500年頃 - 長江流域で水田稲作がはじまる。
紀元前8300年〜前7300年 エリコで周囲を石壁で囲った集落が現れる。
*********************************************
1万年前【紀元前8000年頃】
・農耕革命(農耕の開始)
・西アジア〜西ヨーロッパ・北アフリカ〜エーゲ海で、細石器が普及する。
・フランスのトゥールーズ近郊マス・ダジール(アージル文化の標準遺跡)の中石器文化栄える。
・日本、縄文時代早期。隆線文・爪形文・無紋土器がつくられる。局部磨製石斧がつくられる。女性像を線刻した小礫がつくられる(愛媛県上黒岩遺跡)。
紀元前7500年頃
・中国長江流域で彭頭山文化がはじまる。
・千葉県の西之城(にしのじょう)貝塚と神奈川県の夏島(なつしま)貝塚が作られる。そこから出た土器を手懸かりにおおよその年代を割り出すと、現在まで発見された貝塚の中で最も古い時期の貝塚ということができる。
・トケパラ洞窟に壁画が描かれた。ペルーの南高地タクナ県の海抜2700mに位置する石期(Lithic)の岩陰遺跡。
*********************************************
【紀元前7000年頃】
・日本では縄文時代早期。温暖化が進み、海水面は現代とほぼ同じとなる。
・中国黄河流域で裴李崗文化が誕生。アワなどを栽培する農耕を行い、中国最古の土器をつくる。
 河南省舞陽県の賈湖遺跡などが見つかっている。
・南アジアのメヘルガル遺跡で定住農耕生活。
・北西ヨーロッパには森林が広がり、狩人達が新たな狩猟具を手にして獲物を追い始めていた。投げやりに替わって、弓矢が普及した時代で、中石器時代と呼ばれる。
・北アメリカでは、気候が温暖化し、マンモスが姿を消す。
・遊牧インディアンは定住・農耕生活へと向かう。
紀元前6500年頃 – ブリテン島がヨーロッパ大陸から分離、島となる。
紀元前6100年頃 – ノルウェー海で大津波による大規模な地すべりが発生。
*********************************************
【紀元前6000年頃】
・ヨーロッパ、中石器時代(中期新石器文化)。
・小アジア(トルコ)に農耕民の大集落できる(農耕文化)。
・日本、縄文時代早期〜前期。気温の上昇が続き、人口も増加傾向。
・朝鮮が新石器時代に入る。
紀元前6000年頃 - 世界各地で貝塚がつくられはじめる。撚糸文の尖底土器がつくられる。
紀元前6000年頃 -スペインのイベリア半島地中海沿岸のアラーニャ洞窟に岩絵が描かれる。最古の蜂蜜採りの絵がある。
紀元前5760年頃 – ピュイ=ド=ドーム山噴火。現在のフランス。→ ル・ピュイ=アン=ヴレ
紀元前5600年頃 – 北アフリカで砂漠化が始まる。この結果サハラ砂漠が生じた。砂漠化の結果、エジプトへの移住と人口集中がおき、文明化を促進した。
紀元前5600年頃 – 黒海洪水説にしたがえば、洪水によって約1万2500立方キロメートルの塩水が内陸の淡水湖だった黒海に供給され、地形を変形し、現在の黒海を形成した。
紀元前5600年頃 – Red Paint Peopleが現在のラブラドル島からニューヨーク州に及ぶ地域へ定住。
紀元前5509年9月1日 – 世界が創造された日と東ローマ帝国で信じられた日。世界創造紀元の起算日。
紀元前5500年頃 – 海面が数メートル上昇、現在の海面にほぼ近づく。その後、温暖化で現在よりも海面が高い時期もあった。→ 完新世の気候最温暖期、縄文海進
紀元前5450年頃 – ヘクラ山噴火。
紀元前5400年 – メソポタミアで灌漑。
紀元前5200年頃 – マルタ島に人が定住。
*********************************************
【紀元前5000年】
古代エジプトで新石器時代。
日本の縄文時代前期。縄文海進の最盛期で、海面は今より3〜5メートル高かった。
中国長江流域で大渓文化、黄河流域で仰韶文化。
紀元前5000年頃 - 紀元前3400年頃 - メキシコ南部のテワカン谷の人々がトウモロコシの栽培を始めた。最初は野生のトウモロコシを採集していた
紀元前5000年頃 - ギリシャ・テッサリア地方で、新石器文化の農耕民が集落が栄える。
紀元前5000年頃 - 日本ではこの時期、人口が大幅に増加し、竪穴式住居や貝塚が盛んに作られた。丸木舟による漁労活動や交易が盛んに行われる。
紀元前4713年1月1日 - ユリウス通日の起算日
紀元前4600年頃‐紀元前4200年頃、ヴァルナ墓地と呼ばれる金石併用時代の200基以上に及ぶ墳墓群が、黒海沿岸(現在のヴァルナ)に築かれる。
紀元前4500年 - メソポタミアでスサ文明およびキシュ文明。
紀元前4500年頃 - 黄河上流から中流にかけて、鮮やかな文様を描いた陶器が盛んに作られ、使われる。これを彩陶(さいとう)と言う。
紀元前4300年頃 - 鹿児島県の大隅半島南端佐多岬の南西約40kmの鬼界カルデラが大爆発する。その火砕流は半径100kmの範囲を覆い、またその火山灰は西日本各地に大量に降り注いだ。
*********************************************
【紀元前4000年】(約6000年前)
中石器時代の終わり
・ヨーロッパで巨石文明 → 巨石記念物、ドルメンなど参照。
・日本、縄文時代中期。温暖な気候を背景に、縄文文化は最盛期を迎える。
・キリスト教の若い地球創造説支持者は、原始的な世界の歴史が始まったと考えている。
・メソポタミアの肥沃な三日月地帯で文明が発展した。
・旧約聖書ではエデンの園があった。
・「クルガン文化」? - スレドニィ・ストグ文化(アゾフ海流域)とマイコップ文化(コーカサス地方)を包含する仮説の文化、インド・ヨーロッパ語族の候補。
・アンデスの高地でリャマの飼育が始まった。リャマは、毛と皮を利用するほか食用や運搬用に用いられている。
・稲の栽培がインド北東部のアッサム地方から中国雲南の雲貴高原にかけての山岳地帯でも始まった。
・「欧州人の肌の色が白くなったのは6000年前」とアメリカ・アリゾナ大学のノートン教授が率いる研究チームが研究結果としてを2007年に発表。
紀元前4000年頃、黒海北部から南ロシアに懸けての草原地帯で、はじめて野生種の馬が家畜化された。
紀元前3952年5月18日、ベーダ・ヴェネラビリスによると、この日、世界は創造された。
紀元前40世紀 - メソポタミアの都市国家ウルの創建
紀元前4000年-3000年頃 - ナイル川流域にナカダ文明(en:Naqada culture)
*********************************************
【紀元前3900年】
紀元前3807-3806年 - 世界で最古の道路であると言われる、
イングランドのスウィートトラックが建設されたことが、年輪年代学から明らかとなった。
*********************************************
【紀元前3800年】
ヘブライ神話によるとノアの洪水以前の時代。
紀元前3760年9月25日 - ユダヤ暦で天地創造の日。
紀元前3761年10月7日 - ユダヤ暦の起点。
*********************************************
【紀元前3700年】
クレタ島でクレタ文明が始まった。
*********************************************
紀元前3600年
シュメール文明。
マルタのジュガンティーヤ寺院。
マルタのイムナイドラ寺院。
コロンビアカケタ県で最初の洞窟画。
*********************************************
紀元前3500年
紀元前3500-2340年頃 - シュメールが栄えた。
紀元前3450年? - エジプトでナカダ文明が興った。
? - サハラ砂漠がサバナ気候から砂漠化し始めた。
現在は消失しているが、この頃から歴史の記録が始まったと考えられる。
*********************************************
紀元前3400年
紀元前3400年頃 - シュメールの寺院で円筒印章が作られた。
ウルクで楔形文字が使われるようになった。
*********************************************
紀元前3300年
太陽活動の変化により大規模な気候の変動が起こった。氷河が拡大して地上を覆った。気温は最低レベルまで落ちた。
それまで生物の住める環境だったサハラ砂漠が砂漠化した。
古代エジプトが統一され、エジプト文明が始まった。
エジプトで筆記用に粘土、骨、象牙が使われるようになった。これは現存する最古の筆記具である。
ハラッパーでインダス文明が起こった。

紀元前3300年頃 - 1991年にアルプスのエッツィ谷(海抜3210メートル)の氷河で5300年前の男性のミイラ『アイスマン』が氷づけ状態で発見され、作りかけの弓矢や、精錬された銅製の斧を所持していたという。発見場所にちなんでエッツィとも言われている。

紀元前3300年頃 - ウルクでピクトグラムが使われ始めた。
紀元前3300-3000年 - 現在はイラク国立博物館で収蔵されている、女性の顔の面がウルクで作られた。
紀元前3300-3000年 - 現在はイラク国立博物館で収蔵されている、彫刻された花瓶がウルクで作られた。
*********************************************
紀元前3200年
ブルガリアのヴァルナの共同墓地で現存する最古の金細工ができたと考えられている。
マルタで石造りの寺院ができた。
紀元前3150年頃 - ナルメルが古代エジプトで統治を開始した。
現存する最古のヒエログリフが書かれた。エジプト初期王朝時代が始まった。
紀元前3125年頃 - ナルメルが死去した。
クレタ島でクレタ文明が興った。
スコットランドのオークニー諸島で新石器時代の集落遺跡スカラ・ブレイが造られた。
アイルランドで25万トンもの石を使った羨道墳が造られた。
紀元前3114年 - この年の8月13日または8月11日にマヤ文明の長期暦(GMT対照法)が始まる(=マヤ文明による天地創造の日)
紀元前3102年2月18日 - ヒンドゥー教神話によるカリ・ユガ時代の始まり、伝承によるクリシュナの没日
*********************************************
紀元前3100年
紀元前3100年 - 紀元前2900年 アイルランドで25万トンもの石を使った羨道墳が造られた。羨道墳ニューグレンジが建設され、ノウスやドウスと37個の小さめの墳墓がブルー・ナ・ボーニャの遺跡群を形成している。
紀元前3100年 - 紀元前2500年 スコットランドのオークニー諸島で新石器時代の集落遺跡スカラ・ブレイが造られた。
紀元前3100年頃 - 古代エジプトでナルメルの統治が始まった。
紀元前3100年頃 - メネスがエジプトを統一した。
紀元前3100年頃 - エジプトで前王朝時代が終わった。
紀元前3100年頃 - ストーンヘンジの建設が始まった。
紀元前3100年頃 - ウルクにアヌを祀ったジッグラトが建設された。
紀元前3050年頃 - メネスが生まれた。
紀元前3000年 - メネスがエジプトを統一し、メンフィスに都が作られた。
紀元前3000年 - メネスが死去した。
紀元前3100年頃 - 楔形文字ができた。
*********************************************
紀元前3000年(約5000年前)
紀元前3000年頃 トウモロコシの野生種に改良が加えられ、穂軸が大きく、粒の落ちにくい栽培種ができあがる。
紀元前3000年 - エジプトで、メネス王が上エジプトと下エジプトの二王国を統一。ファラオとなる。
紀元前3000年頃 - 新石器時代が終わった。
紀元前3000年 - エジプト第1王朝第2代ファラオのジェル。が統治を開始した。
紀元前3000年頃 - 現在エジプト考古学博物館で所蔵されているパレットがヒエラコンポリスで作られた。
紀元前3000年 - アメリカ大陸で最も古い都市カラルの建設が始まった。
紀元前3000年頃 - イリオスの町が作られた。
紀元前3000年 - 現在イラク国立博物館で所蔵されている緋色の花瓶が作られた。
紀元前3000-2000年 - 世界の人口がおよそ3000万人となった。
紀元前3000年頃 - キクラデス文明が始まった。
紀元前3000年頃 - クレタ文明が始まった。
紀元前2955年頃 - エジプトのファラオのジェルが死去した。
紀元前2950年頃 - セメルケトが初めてネブティ名を用いた。
紀元前2925-2776年 - エジプトで戦争が起こった。
紀元前2920年頃 - ジェトが第3代ファラオとなった。
*********************************************
紀元前2900年
紀元前2900-2400年頃 - シュメール人のピクトグラムから表音文字ができた。
紀元前2900-2334年 - メソポタミアで戦争が起こった。
紀元前2900-2600年頃 - 1932年に発掘され現在シカゴ大学で所蔵されている像が作られ、エシュヌンナに奉納された。
紀元前2897年 - ベトナムで雄王で文郎国を建国した。
紀元前2890年 - エジプトでファラオのカアが死去し、エジプト第1王朝が終了して、エジプト第2王朝が始まった。ヘテプセケムイが統治を開始した。
紀元前2852年 - 中国で三皇五帝時代が始まった。
紀元前2832年 - カリフォルニア州にあるブリスルコーンパインの老木メトシェラが生まれた。
紀元前2874年頃 - エジプトで1年を30日ずつの10ヶ月と5日の閏日とする365日制の暦ができた。
紀元前2807年頃 - 5月10日頃の日食の日に、アフリカ大陸と南極大陸の間に小惑星または彗星が落下したということが、洪水伝説の分析から推定される。
ウルがシュメールで最も栄えた都市になった。
*********************************************
紀元前2800年
紀元前2800-2700年頃 - 現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されている「座ったハープ奏者の像」がキクラデス諸島で作られた。
紀元前2775-2650年頃 - エジプトで第二次王朝戦争が起こった。
紀元前2750年頃 - 紀元後300年 - メソポタミアで早期王朝I期が終了し、II期が始まった。
紀元前2715年頃 - 古代エジプトとエジプト古王国が建国された(紀元前2660年との説もある)。
*********************************************
紀元前2700年
紀元前2900-2334年 - メソポタミアで戦争が続いていた。
紀元前2775-2650年 - 古代エジプトで戦争が起こった。
紀元前2750-2600年 - スリランカのダンブッラで、人骨が発見された墓地遺跡ができた。
紀元前2737年 - 中国で神農が茶を発明した。
紀元前2700年頃 - 現存する最古の木であるメトシェラが生まれた。
紀元前2700年 - エジプト初期王朝時代が終わった。
紀元前2700年頃 - エジプト古王国が建国された。
紀元前2697年 - 中国の伝説によると、黄帝が中原を統一し、中国文明が始まった。
紀元前2686年頃 - エジプト初期王朝時代が終わった。
紀元前2686年頃 - エジプト古王国が建国された。
紀元前2686年 - カーセケムが死去してエジプト第2王朝が終わた。エジプト第3王朝が始まり、サナケトが統治を開始した。
紀元前2685年頃 - ウルのプアビ女王の墓から発見された、雄牛の竪琴が作られた。
紀元前2681-2662年頃 - エジプト第3王朝でジェセルの統治が始まった。
紀元前2668年 - セルケトが死去した。
紀元前2667年頃 - ジェセルの統治が始まった。
紀元前2660年 - エジプト初期王朝時代が終わった。
紀元前2648年頃 - エジプト古王国が建国された。
紀元前2630-2611年 - エジプトの宰相イムホテプによってサッカラの階段ピラミッドが作られた。
紀元前2627-2000年頃 - ペルーの都市カラルが作られた。
紀元前2613年 - フニが死去してエジプト第3王朝が終わた。エジプト第4王朝が始まり、スネフェルが統治を開始した。
紀元前2613-2494年頃 - ギーザでスフィンクスが作られた。
紀元前2601-2515年頃 - メンカウラー、カフラー、クフのためにギザの大ピラミッドが作られた。
紀元前2601年頃 - クフがエジプトの統治を始めた。
紀元前2600年 - インダス文明でハラッパーとモヘンジョダロが拡大し、全体では2500以上の都市ができた。この面積はエジプトとメソポタミアを合わせたよりも大きく、都市計画に基づいて下水処理のシステムができた。インダス文字もできた。
紀元前2600年 - メソポタミアで初期王朝II期の時代が終わり、IIIa期が始まった。
紀元前2700年 - 中央アメリカでトウモロコシの栽培が始まった。
*********************************************
紀元前2600年
紀元前2900-2334年頃 - メソポタミアでは戦争が続いていた。
紀元前2600年頃 - インダス文明が規模を拡大した。
紀元前2600-2500年頃 - デンマークでは野生の馬の狩猟が行われていた。
紀元前2589年頃 - エジプトでクフの治世が始まった。
紀元前2578年頃 - クフが死去した。
紀元前2575年頃 - スネフェルがエジプト第4王朝を興した。
紀元前2570年頃 - カフラーが治世を始めた。
紀元前2566年頃 - クフが死去した。
紀元前2558年頃 - カフラーが治世を始めた。
紀元前2550年頃 - ギザの大ピラミッドが完成した。
紀元前2550年頃 - エジプト政府が西部の砂漠のオアシスの開発を始めた。
紀元前2550年頃 - メスアンネパダがウルクを倒してウル第1王朝を築いた。
紀元前2544年頃 - カフラーが死去した。
紀元前2533年頃 - メンカウラーが治世を始めた。
紀元前2532年頃 - カフラーが死去した。
紀元前2532年頃 - メンカウラーが治世を始めた。
紀元前2515年頃 - メンカウラーが死去した。
紀元前2503年頃 - メンカウラーが死去した。
紀元前2500年頃 - 黄帝によって三皇の時代が終わって五帝の時代が始まった。
紀元前2500年頃 - ストーンヘンジのストーンサークルの建設が始まり、この後500年間続いた。
紀元前2500年頃 - 現在はボストン美術館に収蔵されている、メンカウラーとその后カメレルネブチ2世の像が作られた。
*********************************************
紀元前2500年 
・ハラッパー文化、最盛期
・スキーの壁画
紀元前2500年頃 - グリーンランドに最初のイヌイットの移住者
紀元前2494年 - エジプト第4王朝終焉、第5王朝の開始
*********************************************
紀元前2400年
紀元前2900-2334年頃 - メソポタミアの早期王朝の間で戦争が続いた。
紀元前2383年頃 - 史上最も在任期間の長い君主であるペピ2世が6歳で王の座に就いた。
紀元前2350年頃 - 紀元後300年 - メソポタミアで早期王朝IIIb期が終了した。
紀元前2350年頃 - シュメール人とアムル人の都市であるマリが最初の破壊を受けた。
紀元前2345年頃 - ウナスが死に、エジプト第5王朝が終わりを告げた。
紀元前2345年頃 - エジプト第6王朝が始まった。(紀元前2360年との説もある)
紀元前2340-2180年頃 - アッカド帝国が成立した。
紀元前2334-2279年頃 - アッカドの王サルゴンがシュメールとメソポタミアを征服した。
・インダス文明によってロータルの町が建設された。
*********************************************
紀元前2300年
紀元前2334-2279年 - サルゴンがメソポタミアを征服した。
紀元前2300年頃 - 青銅器時代が始まった。
紀元前2300-2184年頃 - 現在はペンシルベニア大学に収蔵されている、エンヘドゥアンナのディスクがウルで作られた。
紀元前2300-2200年頃 - 現在はイラク国立博物館に収蔵されている男性の頭像がニネヴェで作られた。
紀元前2300年頃 - ナイル川とモエリス湖を結ぶ運河が作られた。
紀元前2289年頃 - 94年に及ぶ在任期間の末にペピ2世が100歳で死去した。
紀元前2288-2224年 - 現在はブルックリン美術館に収蔵されている、ペピ2世とアンクネスメリラー2世の像が作られた。
紀元前2285年頃 - ウルの月の巫女エンヘドゥアンナが生まれた。
紀元前2254-2218年頃 - 現在はルーヴル美術館に収蔵されている、ナラム・シンの石碑がおそらくシッパルで作られた。
紀元前2278年頃 - ペピ2世が統治を開始した。
紀元前2215年頃 - グティの軍がザグロス山脈より撤退し、アッカド軍を破った。
紀元前2300年頃 - 北ヨーロッパで金属が使われ始めた。
*********************************************
紀元前2200年
紀元前2217-2193年 - アッカドが遊牧民に侵略された。
紀元前2200年 - エジプト第6王朝が幕を閉じた。
紀元前2190年頃 - 旱魃の影響でエジプト古王国が崩壊し、エジプト第1中間期に入った。
紀元前2184年頃 - ペピ2世が死去した。
紀元前2181年頃 - エジプト古王国が崩壊し、エジプト第1中間期に入った。
紀元前2181年 - ニトケルティが死去してエジプト第6王朝が終わり、ネフェルカラー1世の治世の下でエジプト第7王朝の時代が始まった。
紀元前2180年 - エジプト古王国が崩壊し、エジプト第1中間期に入った。
紀元前2180年頃 - グティ人の侵攻によってアッカド帝国が崩壊した。
紀元前2173年 - エジプト第7王朝が終わってエジプト第8王朝が始まった。
紀元前2160年 - ネフェルカホルが死去してエジプト第8王朝が終わり、エジプト第9王朝の時代が始まった。ネフェルカラーが治世を始めた。
紀元前2160年頃 - クレタ島で中期ミノア時代が始まった。
紀元前2150-2030年頃 - ギルガメシュ叙事詩が書かれた。
紀元前2150年頃 - ラガシュが建設された。
紀元前2144年頃 - ラガシュでグデアが治世を始めた。
紀元前2138年 - バビロンで5月9日に日食、5月24日に月食が起こった。
紀元前2130年 - エジプト第9王朝が終わり、エジプト第10王朝が始まった。
紀元前2124年 - グデアが死去した。
紀元前2120年頃 - 現在パリのルーヴル美術館に収蔵されている、グデアの奉納像がラガシュで作られた。
紀元前2119-2113年 - ウル・ナンムがウル第3王朝を建国した。
紀元前2116-2110年 - ウルクとグティの間で戦争が起こった。
紀元前2104-2103年 - 旧約聖書によると、ノアの方舟の大洪水が起こった。
*********************************************
紀元前2100年
紀元前2100年 - 中国最古の王朝である夏ができた。
紀元前2100-2050年頃 - ウル遺跡のジッグラトが建設された。
紀元前2091年 - アブラハム、イサク、ヤコブによる家父長時代が始まった。
紀元前2080年 - エジプト第9王朝で戦争が始まった。
紀元前2080年 - エジプト第1中間期が終了し、エジプト中王国が興った。
紀元前2071年 - アイルランド神話に記録された最初の戦争であるMagh Itheが始まった。
紀元前2070年 - 中国で禹が夏を建国した。
紀元前2064-1986年 - エジプトの2つの王朝の間で戦争が始まった。
紀元前2055年頃 - エジプト第1中間期が終了した(紀元前2040年との説もある)。
紀元前2055年頃 - エジプト中王国が興った(紀元前2040年との説もある)。
紀元前2055年頃 - テーベのメンチュヘテプ2世が古代エジプトを再び融和させた(紀元前2040年との説もある)。
紀元前2055年頃 - メンチュヘテプ2世がファラオとなり統治を始めた。
紀元前2049年 - シーヘンジのカシの木が倒れた。
紀元前2040年頃 - エジプト第1中間期が終了し、エジプト中王国が興った。
紀元前2040年 - メリカラーが死に、エジプト第10王朝が終了した。メンチュヘテプ2世がエジプト第11王朝を興した。
紀元前2034-2004年 - ウルとアムルの間で戦争が起こった。
紀元前2009-1997年頃 - メンチュヘテプ3世の墓が建設された。エジプト第11王朝が興った。
紀元前2004年 - エラムがウルを破壊した。
紀元前2004年頃 - メンチュヘテプ2世が死去した。

naze_naze at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)