May 08, 2006

ミック・ジャガー現る

 ラオスの古都であり、最大の観光地でもあるルアンパバーンを訪れるのは2回目のこと。が、今回は、そのあまりの変貌ぶりにともかく驚かされた。たった4年のうちに、前回泊まったゲストハウスの宿代は倍額に。砂利道だった道は全て舗装され、煉瓦の敷き詰められた路肩はおしゃれにライトアップされている。さらにナイトマーケットでは、少数民族の伝統的な刺繍やパッチワークが、いかにも欧米人好みらしいベッドカバーやバッグなどのお土産類にアレンジされ…。
 ここにいる旅行者も、他の街とは明らかに異なって、中には白いスカートなどをはいている人もいる。一瞬にして赤土まみれになってしまうこの国では、考えられないことだ。そう、ここはラオスであってラオスでない。もしバリに行ったことのある人なら、「ラオスのバリ島」と言うたとえが、分かりやすいかもしれない。
 その証拠(?)として、ちょうど同じ時期のルアンパバーンに、あのミック・ジャガーがお忍びで来ていたらしい。自分は残念ながらニアミスだったのだけど、何人かの旅行者から「ボディーガードと一緒に△△にいた」との目撃情報をゲットした。
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 とかなんとか言いながら、そんなルアンパバーンが嫌いになった訳ではない。まるで生き物のように成長している街をつぶさに眺めていると、新しい発見がそこかしこにある。他の街ではありえないブッフェ屋台、まるで欧米から引っ越してきたようなベーカリー…。飲食店ひとつとっても、この街には新しい商売のチャンスが転がっている。
 そんなある夜。街全体が停電に見舞われ、あたり一帯がろうそくの光に包まれた。ぼんやりと光に浮かぶ裏道の生鮮市場、静まり返った通りから聞こえる人々の笑い声…。街をいろんな角度から眺めていたつもりの自分にとって、この出来事は、ルアンパバーンから出された一つの答えのように思えてならなかった。


May 03, 2006

ラオスの巨石ミステリー

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 4年前のラオス旅行で気になっていたものの、時間の都合で断念した「ジャール平原」に行ってみた。断崖絶壁の山道をバスでひた走り、ラオスの国道7号線から一気に北上。標高2500メートル近い山々を眺めつつ、今度は東へ向けて、バスは次第に高度を下げていと、次第に緑の平原が眼前に広がってくる。ほどなくして、ポーンサワンという街に辿り着いた。
 この街には、1960年代〜70年代にわたるインドシナ戦争に介入したアメリカ軍が投下した爆弾の殻(?)が、家々の前に放置されている。これは反戦のメッセージなのか?と思ったら、どうやら鉄屑を財産としてキープし、いざというときに売るらしい。1kg=10,000kip(約1$)というから、1本あれば結構な財産になる。中には、これを縦割りにしてBBQ屋を営んでいる妙な店もあった。
 さて、ジャール平原とは、この街の周囲に広がる謎の巨石群のこと。先史以前の石棺であったという説が有力らしいが、ともかく自分の身長より高い石の壺が、緑の平原に数限りなく密集しているというのは奇妙な風景だ。
 ところで、自分はなぜか、穴やトンネルのようなものを見つけるとつい、入ってみたくなる衝動にかられてしまう。ダイビングのときも岩々の間にできたケープをくぐるのが大好きだし、公園にアーチなんかがあったら必ず通行する事にしている。なぜかと聞かれても、本能的に好き、としか言いようがないのだけど…。というわけで、もしこれが石棺だったら大変なバチあたりなのだが、今回もまた、すっぽりと収まってみた。大変満足である。


April 26, 2006

食い倒れビエンチャン

 持論だが、旅の楽しみの50%は「食」にあると思っている。4年ぶりのビエンチャン、当時の旅を懐かしく思い出すとともに、よみがえってきたのは鮮烈な舌の記憶。ラオスの首都ながら、特に大きな見所もないこの街で、中国ビザの申請に5日間も要したので、その間の楽しみといえばひたすらに食べることだった。(※1$=約10000kip)
vien1【フランスパン】
 ビエンチャンといえば、真っ先に思い浮かぶのがこれ。旧・仏領インドシナ各国にフランスが残した、唯一の偉大な遺産だと思う。パリッパリの皮を炭火であぶってさらにパリっとさせ、レバーペーストにハム&野菜各種をこんもり。しかし、ここにパクチー(コリアンダー)がないとお話にならない。口いっぱいに広がるアジアの香りが、それぞれの素材を一気にまとめあげるのである。ハーフサイズでも1個食べると、お腹がいっぱいで相当苦しい。これでだいたい、7000kip程度。

 

 

vien2【アイスコーヒー】
 アジアのコーヒーは、全体の1/3量がコンデンスミルクで占めている。まるでコーヒーキャラメルを飲んでいるようだ。日本ではブラックしか飲まない自分だが、暑い国ではなぜかこれが美味しく感じる。そして、ビエンチャンのこの特大コーヒーである。ビールの大ジョッキより大きいかもしれない。1杯5000kip。
【スルメ】
 海のないラオスでも、スルメ屋台はある。4年前、メコン川のほとりでビアラオを飲みながら食べたスルメは衝撃的だった。炭火でさっとあぶり、版画のローラーのようなものに通して、柔らかくのばす。それを細かく裂いた上に青いパパイヤの千切りをのせて、スイートチリソースをひとふり。一緒に食べるとそれはもう、スルメであってスルメではない。今回も到着してすぐさま、メコン川に直行。大サイズで8000kipだった。そして嬉しさのあまり、写真を撮るのをまた忘れてしまった。

vien3【カツ丼定食】
 また、日本食を食べてしまった。写真の通り、その味は日本そのもの。いや、日本でも相当レベルの高い部類に入る。ふんわり卵に、ダシでふやけたご飯。セットの冷やし中華も、麺からタレ、紅しょうがに至るまで全てが日本仕様。30,000kipで、極上の幸せを味わった。

「見るものがない」と旅行者の評判はイマイチのビエンチャンだが、私はけっこう好きだなぁ。と思う。


April 20, 2006

うるわしのデッド島

ded1「島」といっても、海の中にあるわけではない。カンボジアとの国境付近にある、広大なメコン川の間に浮かぶ「川中島」のことである。これらの数は4000にもなるとも言われるため、この付近は「シー(四)パン(千)ドン(島)」とも呼ばれるらしい。ニョコニョコッとそびえる島々をボートでかいくぐり、その中のひとつ、デッド島に向かう。川沿いのバンガローからは、村人が漁や洗濯をする様子が見える。メコン川とともにある人々の生活が、ここではとっても近くに感じられ、まるで時間が止まったかのよう。実際、滞在中の8日間は、ハンモックに揺られて川を眺め、たまに泳いで、散歩するだけでも「今日もいい1日だった」と思えるのだった。
ded2 正直いってこの島の良さは、自分のつたない筆力で十分にお伝えできる自信があまりない。夜9時頃に自家発電機が止まったあと、ランプの明かりをぼんやり眺め、あたりの静けさに言いようもない安らぎを感じながら眠りにつくだけで、ただただ幸せだった。

※というわけで、島の様子はフォトアルバムにアップしておきます。ちなみにこのデッド島、1年以内には24時間の電気が通るとの事。自分が抱いたこの幸せは、1年後には存在しないのかもしれない。


April 14, 2006

謹賀新年inラオス

pakse1  ソンテウ(=乗り合いピックアップ)を乗り継ぎ、フェンスで仕切っただけのシンプルな国境を越えた。ちょうど仏歴での正月シーズンに当たり、ソンテウは地元の帰省客ですし詰め状態。と、通行中の車に、子供たちが次々と水鉄砲で水をかけてきた。これはタイ・ラオス一帯の風習で、人々はお互いに水をかけあい、正月を祝うのである。乾期の終わりでもあるこの時期、もともと雨乞いの意味があったと聞くが、今では子供たちにとって、正月の楽しいイベントとなっているようだ。

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ラオス第2の都市(といっても中心は1km四方くらいの小さな街)パクセーに到着すると、まずは麺屋に直行。ラオスの麺には生野菜やバジル、ミントの葉などがこんもりと添えられ、自分で好きなだけちぎって入れるのである。これがスープで温まり、野菜がしんなり&ハーブの香りが立ちのぼる絶妙な味になる。そして翌日は、レンタルバイクで世界遺産のワット・プー(写真右)へ。どこまでも赤茶色の景色が続き、まだまだ長閑な国だな〜と実感。4年ぶりのラオス、やっぱり良い。
 夜。市場のあたりが何やら賑やかだと思ったら、正月恒例・ミスコンの真っ最中だった。近づいて見ていると、どうも来賓席にもぐりこんでしまったらしい。すると、地元の有力者らしき人がステージまん前のVIP席に座るよう声をかけてくれ、ビアラオ(ラオス産ビール。旨い。)にラオラオ(ラオスの焼酎。強い。)、スルメやらをどんどんすすめられる。ちなみにラオスでは、回された盃は必ず受け取らなければならない、という伝統がある。自分もこの伝統に素直に従ううち、さすがに頭がクランクランしてきた。
pakse4 パクセー県内の10都市と、県内の大学の代表が集まったというミス候補たちは、自己PR・伝統舞踊などの特技を次々と披露していく。審査中にもあちこちから声援がとんだり、ビエンチャンから呼び寄せた有名歌手のステージがあったりと、地元大注目のイベントなのだ。そして候補者は、最終的に7人にまで絞られる。この数字は、ランサーン王国(大昔のラオスの名称)が栄華を誇った時代、国王に才色兼備の7人の娘がいたことに因んだもの、と隣のラオス人が教えてくれた。深夜1時。ついに選ばれたミスは、嬉しいことに自分が目をつけていたお気に入りの子だった。同じ仏教徒として(一応)、新年をこんな風に皆と祝えたのは、すごくラッキーなことに違いない。


April 12, 2006

越境遺跡

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 カオプラヴィハーン。タイとカンボジア国境沿いの山頂にあるクメール時代の大遺跡である。両国の関係悪化によって、旅行者には長くその門戸が閉ざされていた。しかし、その地理的条件が微妙であればあるほど、旅人ゴコロをくすぐるのである。「車をチャーターしないと無理」「クメールの残党がウロウロしている」といった話も耳にしていたが、無理だったら諦めるつもりでとりあえず頂上アタックを試みた。
 まずはウボンからバスで2時間、国境近くの町・カンターララックへ。そこからソンテウ(乗り合いピックアップ)を乗り継ぎ、最後にはレンタルバイクまで登場して、何とかゲートには辿り着いた。が、達成感にひたっているのも束の間、団体バスでやって来たタイ人ツアー客がワラワラと到着し、言いようのない脱力感に襲われる。「地元っ子はいいよなぁ…」。つぶやきたくなる一瞬である。
さて。遺跡はカンボジア領内にあるはずなのに、何故だかカンボジア側からは行くことができない。タイ側もちゃっかりしたもので、その周辺を国立公園に仕立て上げ、しっかり料金を徴収するのである。さらに歩くうち、カンボジア側の料金所を通過し、いつの間にか国境を越えていたことを知る。パスポートなしで陸路国境を越えたのは、これまでの旅人生でも始めてのことだったかもしれない。

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 損傷ははげしいものの、遺跡自体の規模はかなり大きく、斜面に沿っていくつもの神殿が立ち並ぶその威容は、山頂からの景観もあいまってかなりの迫力。さらに数年前までクメールルージュの拠点として使われていたらしく、遺跡の石を積んで作った塹壕や機関銃、「地雷注意」のサインなどが生々しく残っていた。

 

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 帰りの足を気にしながら急ぎ足で見て回るものの、結局、最終のソンテウには乗り遅れてしまい、しばし途方に暮れる。が、心優しいタイ人の兄ちゃんがトラックの荷台に乗せてくれたので、帰路はらくらくなのであった。旅のさなか、ちょっとした冒険気分を味わえるのが、こうしたワンデートリップのいい所かもしれない。


April 08, 2006

ウボンの変な寺めぐり

 タイ東北部・イサーン地方ではいちばんの地方都市、ウボンラチャターニー。ラオスに向かう足がかりとして向かっただけなのだが、タイの旧正月「ソンクラーン」が目前に迫っていたので、少し滞在を延ばしてみた。が、特に見所もない街に5日間もいると、さすがに時間を持て余しぎみである。そんなわけで、広い街中に点在する寺を無理やり見て回ることにした。と、意外にも面白寺の宝庫であることが判明。以下にベスト3をあげると…。

 ワット・ノンブア
インドのブッダガヤを真似たという塔がシンボル。高層ビルのないこの街で、その異様な高さが妙に浮きまくっている(写真右下に小さく写っている自分と比べてご覧下さい)。塔がえらく豪勢な割に、周囲にはなぜかOKサインを出している僧などが配置されていたり、内部には仏様+大黒様÷2=守銭奴の商売人みたいな仏像がまつられていたりと、ゆるムード満載。さらに、裏手には金ピカ&ガラス張りの講堂があり、バブル時代の新興宗教のように、意味もなくド派手である。由緒ある仏教寺院でも、多額の寄進が集まると突拍子もないことを思いつくのだろうか…。

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ubon wat 1 ワット・トンシームアン
池に浮かぶ高床式の木造建築がめずらしく、そしてシブい。どうやら、写経などをする際に使う建物であったらしい。しかもこの時期、池に見事なハスの花が咲いていたのも、なかなか絵になる組み合わせであった。残念ながら中には入れなかったのだけど、本堂ではお坊さん&信者の皆さんが、寺じゅうの仏像をズラーっと並べて大掃除をしているのも、正月前ならではの風景であった。

ubon wat 2 ワット・シーウボン
ウボンラチャターニーの中心部にある大寺院。本堂はいたって普通なのだけど、本堂内には門外不出のエメラルド仏があるという。ここの扉、一般には固く閉ざされていて、仏像が人目にさらされることはない…。と聞いていたのだけど、行ってみたらあっさり開いていた。しかも恐る恐る覗いてみても、誰にも怒られる気配がない。どうやらここも正月で、虫干しを兼ねて一般開放している模様。しかし、せっかく目撃したエメラルド仏の写真は、何だかバチが当たりそうな気がして撮らず。かわりに、入り口にでーんと構える象たちをアップしておきます。


April 05, 2006

寿司を食べました

 バンコクに戻ったら、食べようと決めていたものが2つある。,寿司 ▲廖次Ε僖奪櫂鵝Εリー(蟹カレー)である。島生活では魚介類を食べまくり、屋台ごはんもどれもおいしいく、不満だったことは一度もないのだけど。,砲弔い討蓮移動中にあまりに暇だったので「食べ物しりとり」なるものをやったときに思い浮かび、以後、頭にこびりついてしまったのである。

sushi 近代的な地下鉄に乗り、向かったのは有名な歓楽街「パッポン」と並行する「タニヤ通り」。日本のおじさんたちが集う夜の街である。通りに一歩足を踏み入れると(って昼間です)、場末っぽい名前のクラブが立ち並び、まるで巣鴨か赤羽あたりの飲み屋街にトリップしたよう。と、ふと見上げると「バンコク女学園」なる看板が。タイ人の女の子にセーラー服を着せて喜ぶおじさん…。何もこんな所まで来て…。
 さて、お寿司である。握りセットに小鉢、お吸い物がついて198バーツ。日本円にして600円ほど。味は安い回転寿司を乾燥させたような感じ。こんなものである。それより、日本のサラリーマンや白人ビジネスマンに混じってピカピカの店内に座っているのが妙に落ち着かない。しかも店内のクーラーがガンガン効きすぎのせいで、後でお腹をこわしてしまった。今まで、何を食べても平気だったのに…。体質が思わぬ方向へ変わっていったようだ。

△蓮▲ニが世界で一番好きな食べ物の自分にとって、まるで夢のような食べ物であった。バキっと割ったカニを丸ごと炒め、ふわっふわの卵でとじて…。蟹の味がたっぷり染み出た汁をごはんにかけるとこれまた極上で、一滴たりとも残すのが惜しまれる。死ぬまでにもう一回は食べたいと思う。あまりにも夢中で食べたせいで、写真を撮るのを不覚にも忘れてしまった。これだけ食べて、昼間の寿司より断然安い。そんなものである。

※蟹カレーのかわりに、翌日食べた鶏からあげごはんの写真をアップしておきます。ご飯も鶏スープで炊いてあり、タイ料理の奥の深さに感心。しかも屋台で食事中、いきなり象が「パオン」と鳴きながらやってきた。ここはバンコクの街中である。タイは味わい深い。

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March 29, 2006

南のはての島

※諸般の事情によりネットができず、しばらくブログがストップしてしまいました。今後、過去の分もあわせて随時アップしていきたいと思います。

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 旅先で出会ったある人から聞いた、「タルタオという国立公園の中にある島がとてもいい」という話がずっと耳に引っかかっていた。ビザの関係で一度マレーシアに出てから再びボーダーを越え、いくつかの街をへて、さらにボートで3時間半。タイの南端、アンダマン海側のタルタオ群島の中のひとつ、リペという島にやって来た。
 細々と漁業を営んでいたこの島が、旅行者の目にとまったのはわりと最近のことらしい。自家発電機を使うため、泊まっているバンガローで電気が使えるのは夜間の数時間のみ。それでも4年前から毎年この島を訪れている人いわく「劇的な変化」だという。さらに1時間もあれば歩いて回れるほどの小さな島に山はなく、地下水が溜まらないため、隣の島の真水をパイプで引くための水道を新設。そのパイプも普通のプラスチック製のためすぐ壊れるので、しょっちゅう修理する必要があるそうだ。高まるいっぽうの人気に対して、島は急スピードで変わりつつある。これほど青くて透明な海と静かな環境をセットで味わえるのは、もしかするとあと2〜3年のうちかもしれない。

 ところで、島を通るビーチから少し中に入ると、萱葺きやトタン作りの家々が並ぶチャオレイという名の漁師の集落があって、人々の生活垣間見ることができる。ここの名物が「チャオレイケーキ」という揚げパンようなもので、散歩がてら村で唯一?と思われる食堂に寄ってみた。1個2バーツ也。手作りのカスタードクリームをちょこっとつけて頂くと、外がカリッとしたチュロスのような生地の食感とあいまって絶妙な旨さである。わらわらと群がるハエを追い払いつつ、10個あまりをものすごいスピードで完食してしまった。


March 20, 2006

バックパッカーとダイビング

 島シリーズ第3弾は、マレー半島の東沖に浮かぶプルフンティアン島。コタバルから港、港から船へと乗り継いでやって来た海は、ブルーというよりひたすら透明で、どこまで泳いでも真っ白い砂の底に光がキラキラ反射して見えるのだった。(実際の様子はフォトアルバムにアップしておきます。しかしこれは最初の1日だけで、満月で波が立って以後9日間は、普通にきれい、というレベルに戻ってしまいました。)
 野性のオオトカゲがウロウロしているこの島は、ダイビングでも割と知られた所。ポイントが近場に集まっており、ボートで気が向いた時間に潜れるので、ゆったり1日1ダイブと決めて島ライフの柱とした。ダレがちな島の滞在も、ひとつやる事があれば毎日にハリのようなものが生まれる。

 ところで、こうした島でインストラクターとして働く白人には、元or現役のバックパッカーであることが多い。世界各地を回るうち、気に入った島を見つけて住み着いた人。ある程度働いて資金がたまったのち、再び旅へ出る人…。資格があれば、旅をするうえで強力なツールとなるに違いない。が、彼らにもどうやら悩みもあるらしい。何年も旅を続けているイギリス人のアンディは、旅話をするうちに「いいなぁ、早く旅したいなぁ」とつぶやいた。この前まで1年間、日本を旅していたオージーのアンドリューは、プルフンティアンに暮らし始めて3週間。しかし、毎日ライセンス所得の生徒を教えるばかりで、数あるポイントのうち、まだ2ヶ所しか潜ったことがないらしい。「これ以上講習ばかりになるのは嫌だから、今以上の資格は(本当はすぐ取れるのに)申請しない」のだそう。
…これもまた現実。

※プルフンティアンでは何匹もカメに遭遇。見るだけで和みます。



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