2014年05月08日

「ふぇのラテ」が電子書籍になります

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neargarden at 20:21|PermalinkComments(0)

2014年01月21日

ふぇのラテ 初雪の降った日 2-5

「なんか、まだ実感が湧かないや……」

 手の上の札束を恐る恐る弄びながら、春名がそう呟いた。

「俺もだよ。……なんだか、悪い夢でも見てるみたいでさ」

「──……? どう考えてもいい夢じゃない」

 失言だった。

「……いい夢であればあるほど、目が覚めた時がっかりするだろ?」

 適当な言葉で本音を覆い隠す。折角の喜びに水を差すことはないのだから。

「ふうん……」

 春名は聡い。

 誤魔化しきれたとは思わないが、深く尋ねることもしないだろう。

 手に持ったままだったマフラーを春名の頭に置く。

「おっと」

 バランスを取るように、春名が上半身を軽く動かした。普段はこんなおふざけに付き合ってくれないので、よほど気分がいいようだ。

 すこし、疲れた。

 自室に戻り、ふぇのとラテを抱きまくらにするのも悪くないだろう。

「あ、兄さん」

 踵を返した瞬間、春名に呼び止められた。

「んー?」

「はい、これ」

 春名の指のあいだに一万円札が二枚挟まっていた。意図がわからないまま、それを受け取る。

「鞄、買いに行くんでしょ」

「あ」

 そうだった。この騒動ですっかり忘れていた。

「べつに五千円でも足りたのに」

 高価な品を買うつもりはない。五千円でも多いくらいだ。予算はあくまで予算として受け取り、お釣りはあとで返そうと思っていたのだから。

 俺の言葉に、春名が苦笑した。

「兄さんは無欲すぎますよ」

「そっかな」

 人並みに物欲はあるつもりだが、比較が難しいのでよくわからない。

「そうです。これだけの臨時収入があったら、ふつうは小遣いをせびるものだよ」

 言われてみればそうかもしれない。

「もう──すくなくとも、しばらくは遠慮しなくていいんだから」

 べつに遠慮しているつもりはない。そう言おうとして、やめた。ただ微苦笑を浮かべているだけの春名が、とても嬉しそうに見えたからだ。札束を目にした瞬間より、手に取ったときよりも、ずっと、ずっと。

 だから、安心して茶化すことができた。

「……そうやって頭にマフラー乗せてると、露天風呂でくつろぐおっさんみたいだな」

「あんたが乗せたんだろー……、がッ!」

 頬を紅潮させながら、頭上のマフラーを床に叩きつける。

 至極真っ当な反論だが、乗せっぱなしにしているほうにもいささか問題があるように思う。

「……はー、もういいです。行くならさっさと行ってきてください」

「ああ、せっかくだから超一流ブランドにしてやる。バッグをひとつ作るためにワニが三頭くらい天に召されるようなやつ」

「好きにしやがれー」

 コタツの天板に頬を乗せ、春名がふてくされた口調で答える。怒っているわけではない。拗ねているわけでもない。長年の経験から察するに、これは照れたときの反応だ。なにに対して恥ずかしがっているのか皆目見当もつかないが、しばらく放っておいたほうがいい。乙女心に関しては思考を放棄している俺である。

 そういえば、ベッドから落ちたふたりはどうしたろう。視線を自室へ向けると、床に座り込んだまま俺を見上げていたラテと目が合った。その表情が期待に満ち溢れている。

「ぁーもの?」

 直訳すると、「買い物?」。

 意訳すると、「もし買い物に行くならば、私も連れて行ってはいただけませんか?」。

 これほどまでにイノセントな視線に射竦められて、断る術を俺は持っていない。

「そう、買い物だ。ラテも行くか?」

 ラテの表情が明るさを増す。花が咲いたような──と表現すると、少々陳腐かもしれない。

「ぁーものっ、ぁーものっ、かーものっ!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、ラテが全身で喜びを表現する。もちろんしっぽは垂直だ。外に連れ出してあげられる機会が少ないこともあるのだろう。ラテの様子を微笑ましく思いながら、すこしだけ申し訳ない気持ちになった。

「んじゃ、ふぇのはどう──って、はや!」

 これ以上ないくらい着膨れたふぇのが、玄関で既に待機していた。

「はは、準備万端だな……」

 当然だとでも言いたげに、ふぇのの瞳が輝いた。鼻息も「むふん!」と荒い。

 ところで、尻尾が激しく振れるたびに靴棚が音を立てているのだが、痛かったりはしないのだろうか。もふもふだから大丈夫なのか。

「ラテ、コート着ておいで。こないだ出したやつがあったろ」

「うー!」

 元気よく自分たちの部屋へと駆けていくラテを見送り、自室に戻った。

 窓から見える景色が白くちらついている。もしかすると吹雪くかもしれない。マフラーだけでは心許ないと思い、ポリカバーを掛けたままになっていた冬用のピーコートを洋服箪笥から取り出した。

 紙製のタグを指で破り、袖を通す。上着の上から羽織ったため、着心地が良いとはお世辞にも言えないが、じきに慣れるだろう。

 床に落ちていたマフラーを首に巻くと、ふたりの匂いがした。バニラエッセンスを垂らしたカフェラテのような、甘い香り。それがなんだか心地よくて、口元を隠すようにマフラーを引き上げた。

neargarden at 23:21|PermalinkComments(0)

2014年01月20日

ふぇのラテ 初雪の降った日 2-4

 雪は依然として降り続いている。

 灰色の雲が削げ落ちているようだ、と思った。

「──……あー」

 二〇六号室の前の手すりに背中を預け、ぼんやりと空を見上げる。根雪になるだろうか。初雪が根付かないのは北国の常識だが、今年は例年よりずっと冷え込むらしい。なら、ありえない話ではないかもしれない。

「──…………」

 舌に冷たいものが触れて、消えた。思わず口を閉じる。

 頭のなかがぐちゃぐちゃで、どうすればいいかわからない。

 上着が、重い。

 実際の重量より、ずっと。

 受け取れないと断った。だが、断り切れなかった。

 伊戸崎氏はもう、メゾン・ド・南鷹庭に帰ってこないだろう。本当は、喜ぶべきことなのだと思う。手を汚さず、事態がこじれることもなく、素晴らしい置き土産を残して厄介者が消えてくれたのだから。

 長いあいだ俺たち兄妹の頭を悩ませてきた二〇六号室問題は、これ以上ない形で解決を見た──はずだ。

 だというのに、どうしてだろう。気分が晴れないのは。

 素直に嬉しいと、思えないのは。

 帰宅し、ポケットの中身をコタツの上に置く。

「なにそれ」

 それと同時に、デジカメを手にした春名が俺の部屋から顔を覗かせた。まだ撮影会の途中らしい。SDカードの残り容量が気になるところだが、その成果は相応のものだろう。

「開ければわかるよ」

「──……?」

 そっけない言い方になってしまったのは、わざとじゃない。伊戸崎氏から手渡された封筒の中身について、あまり考えたくなかったのだ。

 厚さ二センチ強の、あまりに厚い茶封筒。

 そのフラップを開き、春名が絶句する。

「──……ね、あの、ね。さ。これ、あの、あー、ん? さ、さ、さつたば?」

 面白いくらいに動揺する春名を笑う権利は俺にはない。つい先程、俺も似たような反応を伊戸崎氏に返していたからだ。

「そうだな、札束だな」

 マフラーを外し、軽く畳む。

「これ、さんきゅ。暖かかった」

「どっしてそんなに冷静なんですか──ッ!」

 耳をつんざくような怒号に、皮膚がぴりぴりと痺れる。

 どす!

 ほぼ同時に床さえも振動し、春名の肺活量に畏怖さえ覚えたが、それはさすがに勘違いだった。扉を開け放したままの俺の部屋で、ラテとふぇのがベッドから転げ落ちていたのだ。

「だって、さ、札束だよ! 札の束なんだよ! 福沢諭吉でパラパラ漫画ができるんだよ!」

「パラパラ漫画ができたら、それは偽札だろ……」

 耳鳴りがする。春名の大音声を至近距離で浴びたせいだ。

 空いている手で耳の上を押さえながら、自室へと視線を向けた。

「とにかくさ、落ち着けよ。ふぇのとラテが驚いてる」

「あ──……ご、ごめん」

 ふたりの様子に気付き、春名がばつの悪そうな顔をした。興奮し過ぎていたことを自覚したのだろう。今度は、幾分かトーンの下がった声で尋ねる。

「それで──どうしたんですか、この大金。一万円札の巻いてある一万円札の束なんて初めて見たんですけど」

「大体わかるだろ。まさか道中で拾ったわけじゃあるまいし」

「……あ、そーか。伊戸崎さんの家賃を回収しに行ったんですもんね。あの人と札束が、どうも頭のなかで繋がらなくて」

 我が妹ながらひどい言い草だが、同意はできる。伊戸崎氏個人に対するイメージを差し引いたとしても、数ヶ月間家賃を滞納していたことは動かしがたい事実だ。

「疑問なんですけど、滞納してた家賃にしては額面が大きすぎますよね。三十路でフリーターのワープアが、どうしてこんなに持ってるんでしょう。黒いお金かも」

 我が妹ながらひどい言い草だが、今度はフォローできない。どうしてこう毒舌なんだ。

「あー、順に説明していくとだな──」

 伊戸崎氏との会話を反芻する。

 まず、封筒の中身の内訳から。滞納分と今月分の家賃、しめて四ヶ月分。次に、敷金でまかなえない分の修繕費。賃貸借契約に則した中途解約料。二〇六号室に残した物品の処分費用。最後に、迷惑料。

 全体の半分以上が迷惑料という計算になるが、伊戸崎氏は「たかだかピーナッツ一個分だから」と笑っていた。なんらかの冗談なのだろうが、よくわからない。

 次に、何故伊戸崎氏の羽振りがよくなったのか。それは、家賃の滞納が目立ち始めた一年ほど前に遡る。それを聞いたとき、俺は驚いた。春名は俺以上に驚いていた。伊戸崎氏は昨年末、友人と共に起業していたのだという。

 とは言え、最初からおしなべて順調に進むほど現実は甘くなく、辛酸を嘗め続ける日々が続いていた。その影響は私生活にも飛び火し、家賃の滞納という形で表面化したわけである。

「──で、経営が軌道に乗りはじめたのが最近ってわけですか」

「そう。しかも、相当儲かってるみたい」

 封筒に視線をやる。何をする会社なのかまでは聞いていない。訊ねれば教えてくれたのかもしれないが、何故だかそうする気になれなかった。

「それにしても、伊戸崎さんも人が悪いです。もうすこし早く教えてくれれば、無駄に頭を悩ませる必要もなかったのに」

「最近、ろくに帰っていなかったみたいだから、仕方ないさ。今だって、家賃を払ったらすぐ仕事に戻って行ったわけだし」

 今回の急な転居も通勤時間の短縮が目的らしい。少々の金銭より時間を優先するほどの忙しさなのだ。大半がゴミとは言え、私物の処分を依頼していったことも頷ける。

neargarden at 22:16|PermalinkComments(0)