浅生楽の生活革命

作家見習い浅生楽、ゆるゆると革命始めてます。興味があったら寄って下さい。

『御霊セラピスト』イラストは小宮国春さんです、等々。

さて、本日めでたく『御霊セラピスト印旛相模の世直し研修−東京リバーサイドワンダー』が発売になりました!

さて、今回の作品は(も)情報量が(無駄に)多いので、ネタバレにならない範囲で、
幾つかまだ公開していない注釈情報を加えさせていただきます。



(1)美麗イラストは小宮国春さん。

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刀剣クラスタでは高名な方、だからということではないのですが、
今回は平将門の持っている剣にもこだわってみました。
「俘囚野剣」という、ちょうど将門が生きていた平安中期ごろの刀剣で、
東北地方に住んでいた蝦夷(俘囚)の刀が、日本刀に変化する中間くらいの形態の刀です。
柄が抜き身のまま毛抜のような形をしているので、
「毛抜形太刀」とも言われております。

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(2)今回は収録全三話、扉絵に関連地図付き。

井の頭
神田川
隅田川


副題の通り、「東京の川」に沿って物語は進みます。
今回は東京の地理、地形、地名にこだわって書きましたので、
もしお近くにお越しの際には、地図を片手に現地を歩いて頂いたりしますと、
より楽しみが深まるかと思います。



(3)同日発売の浅葉なつ先生著『神様の御用人6』もよろしく!

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これまた示し合わせたわけではないのですが、今回の作品は浅葉先生の作品の虎の威を借りたとあわせてお楽しみいただける内容になっております。
名前的にも隣に配置されることも多いかと思いますので、モフモフの狐と猫を間違えて併せてご購入頂ければ幸いです。


では、天下大乱、待ったなし!

「新作は宮台真司さんっぽい作品ですよ」

そんなわけで、どうも浅生です。

八月に入ってから十日間、延々と新巻の初稿を書いておりました。
今回8/25に上梓される『御霊セラピスト印旛相模の世直し研修 -東京リバーサイドワンダー-』の「続巻」です。
「続巻」と、わざわざ「」を付けるのには意味がありまして、

(1)この巻が出るかどうかは一巻の売り上げしだいなのでわからない
(2)この巻が「二巻」になるかはわからない。つまり、間にもう一つ話が入るかもしれない。

の二つがあるからなのですね。
ちなみに、今書き上がった初稿で、「御霊セラピスト印旛相模」は一区切りの予定です。

さて、そんなわけで色々と鍵を握る第一巻なのですが、
メディアワークス文庫HPの方には既に画像とあらすじが載っております。

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「見習いセラピストの女子大生印旛相模が研修先に派遣された都立精神地理学研究所。しかしそこで彼女が出会ったのは、平将門の幽霊(イケメン)と、所長だと名乗る感情の起伏を見せない少女五月。彼らは悪霊から東京を護っているのだと言う。こんなカルトな人たちとは付き合えないと、早々に研究所をあとにする相模だったが、実は相模は、彼女自身も知らない体質と能力を持っていて……。武蔵野は井の頭池から新宿の神田川、そして下町隅田川へ、東京の街を舞台に繰り広げられる、世直し人情物語。幽霊の悩み、それはあなたの悩みに似てるかもしれません。 」

ちなみに一番右が主人公の印旛相模。
中央が「感情の起伏を見せない少女」五月。
左が噂の大怨霊、平将門であります。

すばらしく美麗なイラストを描いて下さったのは小宮さんという
刀剣乱舞クラスタではかなり高名な方で、
ホームページを拝見すると、
男性キャラは勿論のこと、女性キャラの繊細な表情の描き方が素晴らしい。
そのおかげで相模は可愛く、五月は美しく儚げに、そして将門は本当にかっこよくなりました。
そして「メディアワークス文庫の定番ガジェットを全部ぶち込んだ」長々しきタイトルと副題に、
見事に収まりをつけてくださった敏腕の装丁様にも感謝の意を表したいと思います。

さて、あらすじには「東京の街を舞台に繰り広げられる世直し人情物語」とありますが、
今回はどうもどんな話なのかを聞かれてもどう答えればいいのかよくわからず、

普通の人「今回はどんな作品ですか?」
私「スマホの要らない『ポケモンGO』みたいな作品ですよ。ただ、気をつけないとモンスターに祟られます」

TV好きの人「今回はどんな作品ですか?」
私「『ブラタモリ』みたいな作品ですよ。扉絵にいちいち地図ついてるし。台地とか暗渠とか川沿い低地とか」

論壇クラスタの人「今回はどんな作品ですか?」
私「宮台真司さんっぽい作品ですよ。人間の『内発性』礼賛してますし。あのネタとかあのネタとかでてきますし」

アニメクラスタの人「今回はどんな作品ですか?」
私「ヒロインとサブヒロインを書いていた時の脳内CVは林原めぐみさんの一人二役でした(ご推察ください」

漫画クラスタの人「今回はどんな作品ですか?」
私「ヒラコーさんに足を向けては寝られません。『ドリフターズ』並に歴史キャラ出てきますし、メイン三人のキャラ配置、どう見ても『ヘルシング』だし」

小説クラスタの人「今回はどんな作品ですか?」
私「『神様の御用人』の世界に、シン・ゴジラが来襲するような作品です。神社でモフモフしているイラストの割には、題字が妙に禍々しいでしょ? そうです。実は日本も東京も、破滅めっしぐらなんです」

ぬこクラスタの人「今回はどんな作品ですか?」
私「相模の髪型とか髪の色とか、将門の制服とか剣とか、五月の袴の色とか、背景の御社とか、色々こだわりポイントはあるんですが、ネタばれになるので言えません。ただ、ちなみにお社の上に乗っかってるモフモフの元ネタに関してはこちらになります。

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と、まあ、相手によって言うことを変えざるを得ないような状況でございますので、
まずは手にとって読んでいただければ幸いにござります。

ではでは。

新作『御霊セラピスト印旛相模の世直し研修 -東京リバーサイドワンダー-』は8/25にメディアワークス文庫より発売です

どうも、ブログの方ではお久しぶり、浅生です。

諸々のToDoが一段落し、夜のお出かけまで「待ち」状態に入っております。
そんなわけで、久々にブログの方で告知などをさせていただければと思います。

まあ、表題のとおりです。
新作『御霊セラピスト印旛相模の世直し研修 -東京リバーサイドワンダー-』が
8/25にメディアワークス文庫より発売になるわけです。
ちなみに、こちらより、すでに予約が可能になっております。

私にしては珍しく副題まで入れて長々しいタイトルになっておりますが、
それもこれも、今回はこちらも思うところがありまして、すなわち、

メディアワークス文庫の定番ガジェットを、全部ぶち込む!!!!

元々は2chのメディアワークス文庫スレで、メディアワークス文庫の定番ガジェットを揶揄する、


混ぜるな危険

・京都、鎌倉、もしくは強めのローカル色
・神さま、妖かしなどの人外系
・カフェ、ショップ、職人、特殊職業
・日常系の謎解き、もしくは上記職業系を絡めた謎解き


というのを見かけたのがきっかけでした。
で、だとすれば全部ぶち込んでやろうと思うのが、当然の人情というものであります。

ちなみに7/25頃に公開されるであろう表紙絵には、

イケメン

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食肉目系哺乳動物

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という定番ガジェットがさらに追加される予定です。


とまあ、過剰なまでに「今時のメディアワークス文庫」っぽい作りにはしてありますが、
内容は相変わらずでして、
今回の作品は、今までの二つの作品の延長線上にある作品であると思っています。

まず一つが、前作『女神搭載スマートフォンであなたの生活が劇的に変わる!』。

前作の主題を一言で言えば、「まずは自分のできることからやろう」だったと思います。
で、前作を書き終えた後、次回作は「他人に働きかける」ことをテーマにした作品を書こうと決めました。
その理由は二つあります。

まず一つは、やはり我々は他人の助けを借りなければ生きられない存在である、ということ。
(これは、わざわざ詳しく論じるほどのことではないでしょう)
そしてもう一つが、どんなに「自分のできること」を頑張ったところで、
世の中に問題がある場合には、人間は幸せになれない、ということです。
まずは自分のできることをせずに他人に助けを求めたり、
世の中に不満ばかり言うというのは論外ですが、なすべき自助努力をなした後には、
やはり「他人に働きかける」力や、
「世の中を変えていく」という発想を避けて通るわけにはいかなくなると思うのです。

また私には、『桃の侍、金剛のパトリオット』三巻のあとがきで書いた、
「終わってしまった日本近代においては、ついに語られなかった物語を書く」という宿題もあります。

今回の作品では、日本という国において二度目の「近代の終わり」が始まった1995年以降の、
(そして、それが完全にとどめを刺されてしまった2011年以降の)
つまり現代の我々の時代が、物語の出発点となります。
この物語が、まったくの「パラレルワールド」として終わるか否かは、
ただの作家であり、歴史研究者である私にはよくわかりません。
というのは、私自身は、やはり「他人に働きかける」とか「世の中を変えていく」ということは、
「自分のできること」をするよりも遥かに難しいと考えていて、
だからこそ「自分のできること」をやっていればよいような職業を選んだようなところがあります。

しかしこの物語が、「他人に働きかける」とか「世の中を変えていく」といったことに対して
情熱を燃やすような人に、何か勇気を与えればいいなあ、とは心から願っています。
なので、過剰なまでに商業キャラ文芸的なパッケージングのあまり、
一番届いてほしい人に届かないのは嫌だなあ、という恐れから、
今回珍しくブログで注釈めいたことを書かせていただいている次第です。

まあそれはさておき、その他にも、

・百合クラスタ
・ブラタモリクラスタ
・ゼロ年代/ネット論壇クラスタ
・刀剣クラスタ

などにも、ウイングを広げた作りになっておりますので、
心当たりのある方は手にとっていただければ幸いです。


ではでは。

こにぽんbot全ツイートデータベース作ってみた。

ここをクリック

続:まじめに小日本(こにぽん)について論じてみる

さて、なぜ我々(というか私)は、これほどまでにこにぽんという少女(というか小鬼)に魅せられるのであろうか?

まず一つには、こにぽんが誰よりも人間らしい「人外」キャラという悲哀がある。ただでさえ鉄板の設定だが、私もご多分に漏れず弱い。たとえば、

おにもおうち! ふくもおうち! おにだけ外はおかしいと思う! リユウがないと思う!

おにごっこのルールわかったときすごいフクザツな気持ちになった。でもやってみたらたのしかった!

この辺りは色々と切ない。「小鬼」という設定が色々生きてくるあたりである。

しかし「小鬼」という設定は、まさにこにぽんbot自体が背負っている「三重のスティグマ」に加えるべき、キャラとしてのスティグマである。では、「にもかかわらず」こにぽんに悲哀を感じるとすれば、こにぽん自身の魅力について考えざるを得ない。

そんなわけで、私はこにぽんの過去ログを検証しつつ、こにぽんの魅力を以下の七点にまとめてみることにした。


1 こにぽんは物覚えがよい

さて、設定資料によれば、こにぽんは5〜8歳ということである。しかしだとすれば、これはどういうことだろうか?

普通5〜8歳の少女と言えば、身長は少なくとも1メートルに達しているはずである。しかしこにぽんの身長は1メートルに達していない。小柄な設定なのかもしれないが、それにしても5〜8歳のスペクトルなら、年齢が低い方に入るのではないか。

また、

おむつ付けてたら、おねしょしてもへいきだと思う。でもテイアンしたことはないけど・・・。プライドとかあるし・・・。

彼女には夜尿症の癖があるようだ。Wikipediaによれば、5-6歳までは約20%の幼児に夜尿症の癖があり、小学校低学年に向かうに向けて解消に向かうという。だとすれば、やはり彼女が5歳前後である可能性は極めて高い。

さて、以上をふまえ、以下の彼女の発言を見て頂きたい。

しってた? インドネシアはインドとちがいます。タイとタイワンもべつべつの国。あたしそういうの全部メモしてる。

こふんとかピラミッドって昔のおはかなんだって。昔はあんまりにんげんいなかったから大きく作れたのかなー・・・。今はいっぱいいるからちっちゃい。


彼女は五歳児にしては異様に知識が豊富であり、それらの知識を他人に披露するタイプの発言が非常に多い。また、

あたしすぐ泣きます。おけがした時は絶対だし、こわい時も半分くらいのカクリツで泣く。おにの目にもなみだ。

以上の発言からは、「ですます」調や「確率」という文語表現、故事成語を交えたこにぽんの極めて高度な表現能力が垣間見られる。

無論彼女の知識や表現には稚拙な部分も多く、そこがにやりとさせられるのだろう。だが、冷静に考えてみよう。これが八歳児だとすればそれでもよいだろう。だが、五歳児だとしたら、これは笑って済ませる話ではない。

彼女は恐ろしく発育の早い、天才児の可能性があるのだ。


2 こにぽんは科学的である

さて、こにぽんに天才児であるとすれば、彼女の適性は科学者であるように思える。彼女が有能な科学者となる9つの証左を、以下に記したい。

証左(1):好奇心
おはようございます。なんでおきるといつもポンポンでてるんだろう・・・ふしぎすぎる。

証左(2):演繹的知識欲
うつぼかずら。・・・ハエさんとか食べちゃう草。ずかんで見た。

証左(3):経験的観察能力
きいて! まがりかどのところにあるおじぞうさんのお水、よく見たらいっしゅうかん前よりへってた! おそなえの! おじぞうさんはちゃんとお水のんでる!

証左(4):実験精神
ピーナツの芽ぜんぜん生えてこない・・・。おねえちゃんにないしょでずっと前うめたのに。

証左(5):類推能力
ひとりの時いじっちゃだめなもの。ライター。カッター。ヒーター。ターのつくやつはだめなの多いなー・・・。

証左(6):既存のパラダイムに左右されない観察眼
あばれんぼうショウグンはあばれてないと思う。すごいちゃんとしてる。

証左(7):徹底した論理思考力
大人になるとおひげ生えてくるのに、おねえちゃんがそってるのみたことない。おねえちゃんまだちょっとこども・・・?

証左(8):「反証可能性」に開かれた態度
こんにゃくって何からできてると思う? あたし水だと思う。ぜったいじゃないけど。

証左(9):非科学的なものへの諦観
あたしもかめはめは出したいです。むりということはわかりますが。


こにぽんは五歳児だとすれば、恐らく(1)ー(7)は彼女が「子供」だからこそ持ち合わせているものなのかもしれない。だが、(8)と(9)はむしろ「大人」の態度である。普通(1)ー(7)は、(8)、(9)の大人の態度を身につけるに従って、次第に失われていく。だが、彼女が既に(8)と(9)を持ちながら(1)ー(7)が失われていないことを考えると、彼女はこのまま優秀な科学者として成長していく可能性はとても高いのではないか。


3 こにぽんは自己肯定感が高い

さいきんおぼえたコトバ。きくはいっときのはじ、しらぬはいっしょうのはじ。どういう意味かはよくわかんない・・・おねえちゃんにきいてみる。

しっぱいはせいこうのもとなんだって! あたしすごい安心した! これはすごいいいことをきいた。

自己肯定感の高さ、つまり物事を知らなくとも失敗しても、へこたれない心である。これがなければ知ったかぶりをしながら小さく纏まってしまったり、チャレンジを怖れて消極的になってしまう。しかしこにぽんは自己肯定感がとても高い。これは優秀な科学者として不可欠な精神性であるし、彼女が他の道に進むにしても、必ず彼女の成功を支えていくはずだ。


4 こにぽんは努力家である

かっこいい時代劇みたから、あたしも強くなろうと思ってうでたてふせしようとしたのね。そしたらできなかった・・・。まずはうでたてふせができるくらい強くならないといけないなー。

ホットはあったかいっていういみなんだって。でもホットケーキはさめてもホットケーキでいいんだって。こういうのいっぱいおぼえておりこうさんになる予定。

はじめちょろちょろなかぱっぱ、あかごないてもふたとるな。イミはわかんないけどいちおうおぼえた。ねんのために。

以上のTweetで彼女自身が明言している通り、こにぽんは文武両道に自己研鑽を怠らない。また「ねんのために」という口癖が示す通り、意外と慎重な性格である。彼女は自己肯定感は高いが、同時に自己理想も高いのである。


5 こにぽんは規範意識が強い

コンビニって女の人のはだかの本あるよね・・・なんかこわいから、あたしあのところ走って通る。けいさつにつかまるかもしれないし・・・。

おとしよりにはせきをゆずること。たべたらごちそうさま。おねえちゃんからならったホウリツ。ほかにもすこしいっぱいある。

ボンドつかったら白いすなでおだんご作れるかもしれないけど、でもちょっとむだづかいだからやらない。

天真爛漫なこにぽんであるが、人倫に沿い清貧を保つという意味で、内面化された規範意識はとても強い。おそらくお姉さんの鬼子さんの教育方針が厳格なのだろうが、ただ厳格なだけでは萎縮して自己肯定感を損ねてしまう。おそらく是々非々のバランスが絶妙なのであろう。鬼子さんは見事な教育者だと思う。

さて、とりあえずここまで書いたところで、こにぽんは実はとても文武両道で、真面目で、禁欲的な大人に育つのではないかということが予想される。実際、こにぽんの10年後を描いたイラストでは、妖怪に立ち向かう凛々しい彼女の姿が描かれている。

だが一方で、彼女には以下のような側面もある。


6 こにぽんは共感能力が高い

よなかにお便所いきたくなって起きたら、おねえちゃんが泣いてるとこハッケンした。びっくりして泣きそうになったけど、えいがみてるだけだった。あーよかった。あーよかった。

おねえちゃんが包丁でおケガすると、なぜかあたしが泣きます。ふしぎですが。


彼女は他者の感覚を自分の感覚として感知するミラー・ニューロンが発達しているようだ。つまり共感能力が高い、簡単に言えば、とても心優しい少女だということである。彼女は文武両道のクールな女剣士に育つかもしれないが、どこかで非情に徹しきれず、弱さを垣間見せることがあるかもしれない。


7 こにぽんは踊る

おこもみやきにかつおぶしかけるの、あたしの係。これはたいへんやりがいがある! かけるとフワフワうごいてすごいおもしろいです。ぜんぶかけたあとはいっしょにおどる。

アイスであたり出た時はアイスおどりする! おどりには二回ばんざいのうごきがあって、それでうれしいきもちをひょうげんする。


どうやらこにぽんは踊るのが好きらしい。しかも「おこもみやき」である。クールな女剣士としては、少しばかり「残念」なところがある。


と、そんなわけで、おそらく10年後のこにぽんというのは、キャラで言えばクーデレか、男勝り系のツンデレに育っている可能性が高い。しかも「デレ」は多めである。さぞかし男にモテるだろう。

お父さんは哀しい。

まじめに小日本(こにぽん)について論じてみる

そんなわけでこにぽん、こにぽん、こにぽんである。

ことの発端は今年の初め頃に遡る。私がTwitterで「日本鬼子」について言及したところ、その発言を拾われたのか「小日本」と称するアカウントにフォローされた。

最初はいわゆる「萌えアイコンのネトウヨアカ」なのかと思った。しかしよくよく見てみると、どうやら「小日本」とは以下のような設定のキャラであり、アカウントはそのキャラのbotということらしい。
小日本キャラ設定

私は元々「日本鬼子プロジェクト」に関しては好感を持っている。それが何故かというのは今回の話の主旨とずれるのでここでは触れないが、少なくとも「関わると面倒くさい」アカウントではなさそうだし、日本鬼子プロジェクトに関わるアカウントなら大歓迎よと、軽い気持ちでフォローすることにした後、一ヶ月ほど放置していた。

そして一月も末になった頃。

前々から私は歴史研究者や「めんたね副長」としての思考整理に特化したような副アカウントを作りたいと考えていた。そして めんたね副長アカ を立ち上げるに当たり、Twitter内外で繋がりの深いアカウントを新たに副長アカでフォローし直すために、Asailuckアカウントでフォローしている人々のリストを漫然と眺めていた。そしてその時、小日本botが目に留まった。

小日本botの発言頻度はそれほど多くない。四時間に一回、一日に五回が基本ペースである。botというのはあまりに頻度が高いと鬱陶しく感じるものだが、小日本botくらいのペースならば悪くない。それに私のTLというのは「世を憂う」タイプの発言者が多く、そんな中で小日本botは一服の清涼剤になるかもしれない。

と、この時も軽い気持ちでフォローした。だが、これが運の尽きであった。

副アカウントの方では、フォローしている人数もがくっと減ったため、小日本botが目につきやすくなった。そして小日本の発言を見ているうちに、何だか身体の奥にむずむずする感覚を抱き始めたのである。

たとえば、これは本日の彼女の発言である。

「あたしよくおねえちゃんとショッピングします。やおやさんとか行く。おだんご屋さんも」

「なわとびするときにいるもの、くつした。しっぱいした時ぱちんってなって泣きますので。泣いたときはなわとび中止になる」

内容的にはどうということもない発言である。あえて見所を語るなら、やおややおだんご屋は「ショッピング」じゃなくて「お買い物」だろうとか、「ぱちん」という幼児的表現と、「泣きますので」「なわとび中止」といった妙に大人びた表現が混在しているおかしみとか、そういった極めて微細な差異である。

しかし、こうした小さな小さな違和感が、ボディーブローのように効いてくるのだ。

この感覚を作家の天沢夏月さんは「じわじわくる」と表現した。同じく作家の乙野四文字さんは、「ついにフォローしてしまった…」と肩を落とした。同じことを感じているのは、どうやら私だけではないようだった。

しかし、私には意地があった。元々自分には幼女属性というものはないはずだし、私が幼女キャラに籠絡されるなど、あってはならない話だ。どんなに「じわっと」くる発言であっても、うっかり公式RTなどしてしまえば、「浅生楽は幼女属性に目覚めた」などとあらぬ誤解を与える事になりかねない。

だが、私は自分に対する言い訳も上手い。せっかくアカウントを二つに分けたのだ。どちらかと言えば人を選ぶような発言に関しては、副アカの方に特化させたのだ。それなら本アカの方では、「誰も傷つけず、かつ面白みもある」微妙なラインの発言を心がけた方がよい。だが、私は元々そういった発言があまり得意ではない。

それなら、本アカの方は小日本にアウトソーシングすればよいではないか!

何しろ小日本botほど「誰も傷つけず、かつ面白みもある」アカウントというのは珍しい。私は「一日に一回」と決めた上で、彼女の発言を公式RTし始めた。だが公式RTの回数は徐々に二回になり三回になり、最終的にはその日の全ての発言を公式RTする手動botと化した。また、意地でも使うまいと思っていた「こにぽん」という愛称も、もはや常態化した。

そうこうしているうちに、私のフォロワーさんたちが続々とこにぽんをフォローし始めた。やはり自分は正しかったんだ。何しろこにぽんはみんなに愛される。こにぽんに任せておけば、本アカの方は安泰……

結果:フォロワー30人減りました orz

まあ考えてみたらそういうものかもしれない。萌え絵で幼女キャラというだけでアレルギーを持つ人は確かにいるし、それにこにぽんは「小日本」という、「政治的な名称を背負うことで非政治性をアピールする」という、極めて高度なメッセージを背負って生み出されたキャラである。だが、そのメッセージに反感を持つ層や、そのメッセージを理解せずに政治的な名称だけで忌避してしまうような層には、確かに受け入れられないところがあるのかもしれない。

だが、私は自分に対する言い訳が上手い。

「自分の使命は抜群のクオリティを持ちながら、「萌え絵+幼女キャラ+小日本」という三重のスティグマを背負ったこにぽんを、アルファbotへと育て上げる事である。そして何よりもまずは、こにぽんのフォロワーが私のフォロワーを超えるところまで育て上げ「親離れ」をさせると同時に、私自身が「子離れ」の出来ない父親の気分を擬似体験することである。そして親とは自らの身を削ってでも子供を育てるものである」

こうして私の「こにぽん育てゲー」がスタートした。

(続く)

吹く風に沖部の波の高けれど 心静けき我港かな

さて、そんなわけで学事も『桃パト』シリーズも一段落し、無事西国の旅路を辿っております。

月曜日に伊勢入りし、伊勢→志摩→尾鷲→新宮と南下してまいりました。
明日には北転して大阪入りし、堺や河内赤坂あたりを回ろうと考えております。
伊勢神宮ー九鬼水軍ー熊野別当ー堺衆ー楠木党とキーワードを羅列して、
ピンと来る人は相当な日本史好きかと思われますが、
まあ、その話はおいおい。

とまあ、何はともあれ伊勢志摩から熊野にかけての海岸線を南下するということで、
九鬼水軍や熊野水軍にゆかりの深い神社を巡って参りました。
ざっとこんな感じです。

九鬼嘉隆の生誕地大王崎に建つ波切神社
Foto-1

九鬼水軍発祥の地九鬼裏に建つ九鬼神社
Foto-2


熊野水軍とゆかりの深い熊野速玉神社
Foto-3


新宮市を見下ろす峻険の上に建つ神倉神社
Foto-4


他にも色々と回りましたが、とりあえず神倉神社で今回の参拝ツアーはコンプリート。
まあ、最後ということで一応おみくじでも引いてみるかと思ったところ、
こんなん出ました。

Foto-8


「中吉」です。
まあ、悪くはないですね。
ただ、ここで私は神様に対してちょっとした悪戯心を抱いてしまいました。

ここ新宮にはこれだけの神社がある。
もし、このおみくじが本当だというなら、他の神社でも同じ卦が出るはずだ。

ということで、さっそく新宮の総本山、速玉神社に引き返し、
おみくじを引いてみたところ、

Foto-7


ほんとに同じのキターーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

二つの写真をよく見比べて下さい。
速玉神社のはしっかり封をしてあったので、はがす時に左上部分が破れています。
両者は同じ写真ではありません。にもかかわらず、同じ卦です。

「いや、たまたま同じ札だっただけだろう」
「中吉みたいな当たり障りのない卦は、多めに用意してるんじゃないの?」

当然そんなことも考えるわけですが、
ここで改めておみくじの内容を吟味してみたいと思います。

「吹く風に沖部の波の高けれど 心静けき我港かな」
「運盛に他所は嵐吹きても自分の所に何事もなく幸多し」


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「やるで。雪景色だ」男性(奈良県在住 作家)
「い、今外を見たら、この辺ではありえないくらい雪が積もってる……。どうしよう。いや、べつに出かけないからいいんだけど。なんか降り方が尋常じゃない」女性(兵庫県在住 作家)
「快晴ですよ」男性(和歌山県滞在中 作家)


同じ近畿地方なのに「我港」新宮だけ確かに「心静けき」感じなんですが……。

ちなみに卦を詳しく見ていくと、

□願いごと:早く叶いて喜あり。人を敬いてせよ。
□待ち人 :さわりなく来る。
□失物  :必ず出る。早く探せ。
□旅行  :何れに行くも損なし。
□商売  :売買い物何れも吉。
□学問  :自己への甘えをすてよ。
□相場  :買え。大利あり。
□争事  :騒がずとも自から勝つ。
□恋愛  :思うだけでは駄目。
□転居  :障りなけどまて。
□出産  :安心せよ 難なし。
□病気  :信神により平癒す。
□縁談  :あせらず静かにして居て思う様になる。

なんか謙虚にしてさえいれば、大概のことは上手くいきそうな卦ですね。
「旅行:何れに行くも損なし」というのは、今回の旅行に関しては今のところ当たっている。
「出産:安心せよ 難なし」というのも私に関係ないので安心しています(笑)
「縁談:あせらず静かにして居て思うようになる」というのも、
私は今のところ結婚するつもりはないので確かに当たっている(笑)

ということで、今回のおみくじについては折角なのでとことん真に受け、
ハード服従M的に従って動いてみようかな、と思っています。

まずは手軽なところで、何かなくし物をしてすぐに見つかったら、
いよいよしめたものです(笑)。

少し早いですが、年越し告知をいくつか。

ということでどうも。
明日から始まる怒濤の社交週間に、嬉しい悲鳴を上げている浅生です。
このタイミングを逃すと、年内の更新はないなと思われるので、今のうちにいくつか告知を。


(1)『桃の侍、金剛のパトリオット』の三巻について

順調に作業が進んでおりますので、近いうちに皆様のもとに届けられると思われます。
ちなみに次巻の新キャラはもし映画ならギャラだけで浅生が破産してしまうくらい、ビッグネームの嵐です。
小説って、本当にいいものですね(淀川長治の声で)


(2)「電撃スマイル文庫」について

詳しくはリンク先を読んで頂ければわかりますが、電撃文庫による震災復興支援チャリティー企画です。
『桃の侍、金剛のパトリオット』の後日談を描いた掌編が掲載されております。

今回は「笑顔」「絆」「希望」のどれかについて書いてほしいと頼まれたので、真っ先に「希望」をテーマとして選びました。

既にお読みの方はご存知の通り、『桃の侍、金剛のパトリオット』は、日本や亜細亜が動乱期に向かおうとする時代を描いており、どうあがいてもデッドエンドに向かう歴史のうねりの中、登場人物たちがいかに「希望」を見出すことが出来るかが元々のテーマでした。

そして大震災と原発事故でまたしてもパンドラの箱が開いてしまった今、箱の底に残された「希望」の形を描く時、『桃の侍、金剛のパトリオット』の世界観は格好の素材だったと思います。


(3)「ロージナ茶会」茶会誌について

公式ブログの方ではまだ告知されておりませんが、冬コミ31日土曜日「東地区“Q”ブロック−25a」にて販売される「ロージナ茶会」茶会誌に「現実と虚構」をめぐるエッセーを書かせて頂きました。
他にも白田秀彰総統を筆頭とする論客が、性表現規制や知的財産権などのテーマをめぐって論稿をよせております。

「真面目な事を不真面目に、不真面目な事を真面目に」(まさにそれが「文化」であると私は考えております)やるのがロージナ茶会でありますので、軟派かつ硬派な論稿の数々に、是非ご期待あれ。

なお、31日には私も売り子としてブースに立つ予定です。


ということで、色々と大変な2011年でありました。
来年も相変わらず大変かもしれませんが、何しろせっかくの乱世です。大きく動きましょう。
「希望」を捨てず、繊細かつ大胆に動ける人たちの間に、真の「絆」は生まれるのだと信じています。


では一足早いですが、良いお年を。

「もしも大学講師が『ライトノベルを書きたい人の本』を読んだら」Q&A

本日の特別講義「もしも大学講師が『ライトノベルを書きたい人の本』を読んだら」の最後に学生さんたちから頂いた質問に対し、Q&A形式でお答えいたしました。なお、主旨がかぶる質問については、一項目に統一いたしましたのでご了承ください。


【1】作家業全般について

Q:書く時に注意をしていることは何ですか?
A:書き手に回ってまだ三作目なので、本来注意すべきことをまだよくわかっていなかったりします。皆さん、どんどん注意してください。あと「納得いかないな」と思ってもとりあえず最後まで書いて人に見てもらう事にしています。

Q:ネタはどこから? どんな時に浮かびますか?
A:キャラ設定、世界観などは予め書きたいものを決めています。ストーリー展開に関しては予め想定しているものが五割、書いていくうちに浮かぶものが五割です。

Q:作家として何が一番大変ですか?
A:大学講師は他の仕事に比べると夏、春、冬に大きな休みがあるので兼業向きなのですが、出版スケジュールが必ずしも大学の休みとフィットしない場合は結構大変です。

Q:作品の完成までどのくらいの時間がかかりますか?
A:全くの新作を始める場合、構想に一月、初稿に一月、書き直しに一月、校正に一月、その他諸々入れて一冊に五ヶ月というのが現在のペースです。

Q:表紙の絵師さんは作家が決められるのか?
A:私の場合、担当さんが決めています。

Q:次の新作の発売予定は?
A:現シリーズの三巻が来年の頭に出ると思います。その後は新作を構想中ですが、発売予定は未定です。

Q:一瞬の閃きで本って書けますか?
A:一発のでっかい閃きで書いてしまうタイプの作家さんもいらっしゃいますが、私は割と小さな閃きの積み重ねと、それをどう繋げるかに腐心する凡人です。

Q:発想が浮かばない時、どうするか?
A:部屋を出て近所を二時間くらいうろついたりします。

Q:どうやって作家名を決めたのですか?
A:「浅生」は亡父のビジネスネーム。「楽」は実家の猫の名前です。

Q:小説ってどのくらいの量ですか?
A:メディアワークス文庫の場合、縦38×横34字で150枚(300ページ)くらいが平均的な量です。

Q:本を書くときは、どんな気持ちで書いているのか?
A:自分に一番近いキャラ(主人公やヒロインよりは、その脇にいるキャラが多い)の気分で書いていることが多いです。

Q:小説を書くのは大変でしたか?
A:それまでに学術論文を何本か書いていたので、長い文章を書く事自体に苦は無かったのですが、経験不足が祟りデビューしてからの方が一苦労です。

Q:小説の題材は何ですか?
A:元々歴史学者なので歴史的テーマについては今後も書き続けていくつもりです。あと盟友に心理関係に強いのがいるので、人間心理をめぐるブラックコメディも書きたいなあと思います。

Q:作家は楽しいですか?
A:楽しくなくなったらやめます、と言いたいところですが、しばらく辛抱してみるとさらに楽しくなる、ということも多いことも知っているので、楽しくなくなっても少し我慢してみようと思います。

Q:書くのにどんなところが苦労しましたか。
A:自分の一番好きなキャラを脇役に配置するとメインキャラが霞む壁があることがよくわかりました。それでもメインキャラを描ききるのがプロなのかもしれませんが、私はまだまだ未熟です。

Q:タイトルはどんな理由でつけるのか?
A:語呂のよさ、作品のテーマを十分に表現しているか、同時に「何だこれは?」とぎょっとさせるインパクトなどです。

Q:文章を考えるのは大変ですか?
A:人物のアクションや表情を形容するボキャをもっと増やさなければなあ、と思っています。


【2】おすすめのコンテンツについて等

Q:最も影響を受けたものは何ですか?
A:作劇という点では鴻上尚史さんの戯曲の影響が意外と大きいかもな、と最近感じています。

Q:おすすめの映画は何ですか?
A:今日お話しした「ゲーム的リアリズム」の話にからめると、ドイツ映画の「ラン・ローラ・ラン」がおすすめです。

Q:普段読んでいる小説は何ですか?
A:新潮社の日本ファンタジーノベル大賞受賞作家(佐藤亜紀さん仁木英之さん)の方々が大好きです。

Q:おススメの漫画は何ですか?
A:今日話した「コピー」の話に絡めると、岡崎京子さんの『pink』が面白いと思います。

Q:ゲームは好きですか?
A:受験の時にゲーム断ちして以来ほとんどしません。この20年でプレーしたのは「とらドラ!ポータブル」の川嶋亜美ルートだけです。

Q:おすすめのアニメは何ですか?
A:この質問は銀魂などの少年ジャンプ作品が好きだという方からのものだったのですが、私が一番好きなアニメはまさに銀魂です。あと、アニメ好きという他の学生さんと話した時に意外と知られていないんだなと思ったのが「イヴの時間」です。古典SF作家アシモフに対するオマージュでありながら、ヒロインの中の人は御坂美琴と同じ人です。

Q:一番好きなライトノベルは何か?
A:『ちわドラ!』

Q:面白いライトノベルを教えてください。
A:第17回電撃小説大賞銀賞受賞作の和ヶ原聡司さん『はたらく魔王さま! 』は電撃文庫の新機軸の一つとしておススメです。ライトノベルというと「男性向け」というイメージがありますが、この作品は女性が読んでも十分に楽しめるコメディであると同時に、とりわけ大学生の人たちには色々と訴えるメッセージがある作品だと思います。

Q:大学の時に読んだ本で、一番心に残っていることは何ですか?
A:西原理恵子さんの『まあじゃんほうろうき』にあった「かきくけ経費で蟹食いたい。さしすせ接待寿司食いたい。らららららら 金をくれ。何でもいいからいい目にあいたい」という歌は、それ以来私の座右の銘になりました。


【3】その他

Q:絵も描きますか?
A:恐竜やモンスターの絵、サッカーのフォーメーション図などは今でもよく落書きしてますが、人物画はほとんど描きません。

Q:子供の頃から興味ありましたか?
A:子供の頃は鼠や兎の冒険小説をよく読んでいたので、ある日思い立って蛙の冒険小説を書きました。ただ、小説家になるとは思っていませんでした。

Q:19歳の時の夢は何ですか?
A:大学三年から自分が選択するゼミに学科中の可愛い女の子が集まることが夢だったので、そのための諜報活動に暗躍していました。

Q:今の仕事につくまでに心が折れそうになったことはありますか?
A:大学三年の時に学科で一番可愛い女の子が違うゼミに行く事が判明した時は、心が折れそうになりました。

Q:どうしたらそんなに詳しくなれるんですか?
A:他の方のご意見で「取り上げた作品が自分が知っているものばかりで物足りなかった。もっとマイナーな作品をとりあげないと!」というものがありました通り、私は全くもって詳しくありません。

Q:本を読むのが苦手です。どうすればいいですか?
A:苦手と言っても色々なケースがあると思います。例えば小説は苦手だけど新書などの文章を読むのは大丈夫な人は結構います。そういう人は無理して読む必要はないし、そのことで気に病む必要はないと思います。私も映画化が決まっている小説とかは、わざわざ原作を読まずに映画を待つ事も多いです。
 一方、文章を読む事自体がどうも苦手という方は、学生生活や社会生活で少し苦労する可能性があるので、少しトレーニングをしたほうがいいかもしれません。その場合ぱっと思いつくのが、「映像化された作品を先に観てから原作を読む」ということ。「文章から場面をイメージしづらい」、「読んでいるうちに展開がわからなくなる」などの問題を抱えているなら、先に場面を映像として観ていたり、物語の展開を知っておけば、文章を読みやすくなるのでは。欧州の作家とかでやたら難解な作品などを読む場合に私がとっている戦略です。
 
Q:ジュヴナイルとは何ですか?
A:ここをクリック。

Q:授業中も頭は本のことですか?
A:そんな暇はないことは皆さんの方がよく知っているでしょう?(笑)

Q:学校の授業と小説書くのどっちが楽しいか?
A:全部終わってビールを飲んでいる時が一番楽しいです(笑)

Q:何で本を書こうと思ったのか?
A:非常勤講師をずっとやっていたので、ライフスタイル的にも物書きは一番フィットするし収入の足しになるかな、と思った矢先に常勤ポストが転がり込んで来て阿鼻叫喚です(笑)

Q:どんな種類の本を書きますか?
A:他にも一応歴史学者なので論文やたまに共著を書きます。ただあまり真面目な学者ではないので未だ単著はありません。

Q:結婚してるんですか?
A:嫁は亜美と申しまして女優をやっています。一見我がままですが、実は情に厚い江戸っ子気質です。

Q:なんでうちの大学に来たのか?
A:私と同じくらいの年齢の教員を片っ端から捕まえて私と友達かどうかきいてみてください。首を縦に振った人がいたらその人の紹介です。

Q:人生で一番楽しかったことは何か?
A:大学院時代が一番楽しかったので、あの頃の楽しさがいつまでも持続できるように色々と知恵を巡らせて生きております。が、人生は厳しい。

Q:文芸部の部誌は読んでいますか?
A:すみません。読んでおりませんので、今度持って来てください。あるいは私のポストに入れといてください。

「ファミレスでしか仕事が捗らない」とうそぶいている作家諸氏には"Go To Devil!"と罵声を浴びかけよう

ということで、あちこちでちょっとしたブームになっている第18回受賞式と第17回組歓迎会ネタに便乗して久々の更新。

私は受賞者ではないので、授賞式には出席していません。なので、その辺の様子も含めた詳細は綾崎さんとこ菱田さんとこに任せます。私の方としては、メインはあくまで第17回組歓迎会のお話。

『バクマン』を初めて読んだ時に、少年ジャンプ的なドラマ性ってのは現実だと漫画の現場くらいにしかないんじゃないか、と思ったものですが、同じ事を第16期のメンバーと初めて会った時に思い、今回第17期のメンバーと会って、ますますその確信を深めました。

春に西方行脚した時に、浅葉さんには仲町さんとともに色街で両手に花のもてなしを受け(最大限に誤解を呼ぶ表現をあえて用いる)、和ヶ原さん、広沢さん、兎月さん、蝉川さんとは既にTwitter上でのやり取りもありましたが、彼ら彼女らが一同に会したのを見て、私が思った事。

どこの少年漫画の野球部だよ?

とにかく皆キャラが立っております。和ヶ原さんは明るく元気だが実はチーム一の苦労人。マシンガントークの蝉川さんはムードメーカー。山羊さんは物静かな頭脳派なのに少し天然入った「おいしい」キャラ。そして主役は何と言っても広沢さん。理由など関係ない。主役とはそういうものだ。

そこにマネージャーとして浅葉さんまでつけてくるのだから、このキャラ配置の妙は、もはや電撃編集部のエディターシップの凄みすらびんびんに感じるレベルです。

とは言え、そういう表面的な愉快さとは別に、やはりそれぞれユニークなバックグラウンドから立ち上がってきた人たちだなあ、という印象を強烈に感じました。この辺の多様性は、メディアワークス文庫も含めた電撃の挑戦的姿勢の現れだと思います。さもなきゃ、私みたいな変なのがうろうろしてないって。

前にも書きましたが、電撃作家の集まりには、貴重な作家仲間の場ということもさることながら、様々なバックグラウンドの人と話せる旨味があります。むしろ作家という共通項を介して、様々な世界を覗き見る楽しさというべきか。

ただ最近思うのは、そうやって皆さんのことを知れば知るほど、皆さんの本を読む作業がどんどん大変になっていくなあ、ということであります。

以前指揮者をやっていたことのある方にお話をうかがったのですが、暗譜が出来るというのはそれなりの苦労がある。何故なら、たとえばモーツァルトのような天才の楽譜にはとんでもない情報量の音符が詰まっていて、少し曲を聴いただけで脳内に音符が溢れ、オーバーロードしてしまうからだ、という話でした。

同じように、実際に作家さんと会い、その人となりや背景を知ってから読む作品から受け取る情報量は、もはやライトノベルではなくヘヴィーノベルです。それに加え、何しろこちらは野良猫のように迷い込んだ駆け出し作家です。学ぶべきことも多ければ、自分ならどうするか?という脳内シミュレーションにも時間がかかります。もしもインテルが浅生楽に入っていればなあ、と夢想するのはそんな時です。

とまあ、そのようにものすごい情報量にさらされながら年甲斐もなくオールナイトの三次会にも参加したところ、寄る年波も相まって途中で頭がフリーズ。翌日に打ち合わせを控えていた和ヶ原さんと連れ立って中座しました。

で、その帰り道「やっぱりファミレスとかで書いたりしますか?」との私の質問に、和ヶ原さんは「いや、自分は飲食店で働いていたんで、店員の身になって考えると、そういうの絶対出来ないんですよ」

カッコいいぜ! これが伝説の魔王を生み出したバックグラウンドかっ!

ということで、ファミレスやスタバでの執筆ネタで盛り上がっている同期諸君は、ユダ、ブルータス、カシウスの三悪人のごとく、魔王の口の中で食い改めよ、と思ったのでした。まる。

日本近代埋葬計画、進行中

さて、今日の執筆ノルマが中途半端な時間で区切りがついてしまったので、
久々にブログでも更新することにいたします。

前回のエントリーから半年近くが過ぎようとしている今日この頃、皆様、お元気でしょうか?
私のほうは哀しくなるほど元気です。
これで世の中がくそったれでなければね、
と悪夢のような付帯条件を呪ってばかりもいられません。
とにかく、世の中は乱世でございます。
いっそかの佐々木道誉の如く、婆娑羅に楽しむしかありません。

乱世には乱世らしく思い切って動いた方が色々と面白いことが起きるものでして、
震災後のゴタゴタに乗じて、
かねてからTwitter等で奇抜なセンスとそのくせ極めて全うな知性に注目していた
ロージナ茶会総統白田秀彰先生の勉強会に参加させて頂き、
その後色々あって晴れて茶会員となりました。

白田先生は「インターネット時代の著作権」を御専門とされる法学者ですが、
同時に歴史家としての資質のほうも多分に強いのではないか、と思っております。
現代的な問題意識を持ちつつ、歴史的な「そもそも論」を展開するという、
私が最も好きなスタイルの人文学者であります。
と、偉そうなことを言ってはおりますが、
御著作のうち読んだのは薄い方だけで、厚い方はまだです。すみません。

上記リンクを見て頂ければわかりますが、とにかく多才な方であります。
このブログを読んでいる方で中高生の方がいらっしゃれば、
法政大学社会学部は候補として一考の価値ありです。
濃厚な大学生活になることは請け合いかと思われます。

なおロージナ茶会は毎回コミケにも茶会誌を出展しておりまして、
冬コミでは私も一筆書かせて頂ければと考えています。
日本文化を貫く共同体的智慧としての「ツンデレ」を、
夏目漱石から川嶋亜美に至る系譜を軸に考察する論稿というのが、
現時点での構想でありますが、言うまでもなく、予定は未定です。
いまんとこの仮題は「それから!とらドラ!」です。

以上、自慢終わり。
以下、宣伝始まり。

来たる今月25日、おかげさまで『桃の侍、金剛のパトリオット2』が発売になります。

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前巻が結構前向きな終わり方をしといてアレなんですが、
やはり舞台となる時代背景がアレなもので、
どうしても話がだんだんアレになってきます。
つまりアレです。やっぱり暗くはなってくるわけです。
さらに言えば、今書いてる三巻はもっとアレです。

一巻の後書きにも書きましたが、
この話は実際の歴史がどうこうというより、
司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』、関川夏央先生、谷口ジロー先生の『坊ちゃんの時代』の、
歴史的想像力を引き継いだ場合、
その後の時代にはどういう物語が展開するのか?
という個人的興味から始まっておりまして、
やはり関川先生言うところの「近代日本の青春=明治」が終わった時代です。
だって青春はもう終わっちゃったのです。アレなのは当たり前でしょう。

そう言えば「近代日本の二度目の青春=東京オリンピック前」を描いた
『コクリコ坂から』が上映されておりますが、
内田樹先生が「あれは『父親』を供養し、埋葬する映画だ」なんてことをおっしゃっていました。
近代日本に青春は二度あったようですが、
残念ながら私はどちらの「青春」からもあぶれてしまいました。
羨ましいなあ、と思いますが、過ぎてしまったものは仕方がありません。
もはや手厚く埋葬してあげるしかないなあと思いながら、粛々と筆を進めております。

ということで、ぼちぼち季節は秋の夜長。書けば書くほど、しんしんと寂しくなります。
辛気臭いことばかり考えていると、色々と気が滅入ってくるので、
次回作はもっとストレートな青春爆発、ジャンプ脳な「建国神話」を構想しております。
もはや時代に期待できない以上、物語は自分で動くか、自分で書くしかありません。

ということで、近況報告でありました。
それではまた次回。ごきげんよう。

註)

さて、珍しく連投いたします。

昨日のエントリーについては、方々から様々なリアクションを頂きました(特に一部では激震が走ったようで(笑))。で、つくづく思ったのは、やはり人間というのは結局中二病と高二病のどちらかに軸足を置いているようで、中二っぽい人からは中二っぽいリアクションが、高二っぽい人からは高二っぽいリアクションが得られるものだなあ、と言うことですね。

で、昨日は割とざっくり書きすぎてしまったな、という反省がありまして、今日は皆さんのリアクションに註釈的に応えることで、この問題を少し「撹拌」していこうかな、と。


では、まず@ShiraiRinoさんから

>戦前は結局、中二病高二病の不幸な結婚だった国家社会主義テロは成功せず、高二病的大政翼賛でなあなあのまま敗戦に向かった。このなあなあ体質は現在日本にも引き継がれてるのだがさて今回は…


北一輝や皇道派を「中二病高二病の不幸な結婚」とは、言い得て妙ですね。

北一輝のルーツは民権運動の流れをうけた亜細亜主義。言わば左出自の右です。手塚の『一輝まんだら』で見事に描かれていますが、若き日の北一輝は真正の中二病。三十年代に入ってからの一輝は、三井財閥から金を貰いながら恐喝屋として名を馳せることになりますが、ブラック会社のカリスマ社長に騙されて社二病に転身した元中二病の院生という感じです(笑)。

ヒトラーなんかもそうですが、世の中へのアカい怒りを溜め込んだアカい青年が、「理想の実現のためには手段は問わない!」と叫んだ時に、「僕と契約してファシストになってよ」とシロい悪魔が現れることが多かったようです。こうなると左/右というカテゴリーは無意味になってくるので、私は纏めて「ジャコバン」と呼ぶことにしております。


次に@p_moonさんから

>中二病=学生運動家→日和ると=高二病 メビウスの輪は昭和の頃から回っていたのだな


中二病/高二病問題は実は日本近代史の宿痾というべきもので、いよいよ日本がわやになったらこのテーマでドイツの大学に日本近代文化史で博論でも出してやろうかと密かに考えております(笑)。その場合の先行研究として真っ先に思い浮かぶのが以下の三つです。

山本七平 『「空気」の研究』

高田里恵子 『グロテスクな教養』

北田暁大 『嗤う日本の「ナショナリズム」』


ちなみにこの三作をぶっ続けで読むと、放射線被害がなくても日本から逃げ出したくなります(笑)。


さて、次は@chihirobelmoさんから

>ブラック社畜vsNEETの構図の正体がはっきりわかりました。護憲派vs改憲派とか経済vsエコとかいろんなとこに同じ構図がありそうですね。


さて、あーみんvsみのりんはこの構図の中でどう理解すべきでしょうか?(お約束) 
今思えば、あの二人の成長と対立、そして和解には、ニッポンの未来の鍵が潜んでいるようにも思えます。『TVたっくる』とか『朝生』を観ている暇があったら、『とらドラ!』を観たほうがよっぽど生産的であります。


そして真打ち登場。@pi_888さんから

>よって逆説的ですが、中2にせよ高2にせよ、君の○2病は素晴らしいのでますますそれを頑張りなさい、というパラドキシカルな、精神療法で言うところの、症状処方作戦が効くと思うんです。


全くおっしゃる通りです。なので、私は基本的に若者の中二病と高二病に関しては「どんどんやれ」と推奨することにしております。若者をおだて、安全圏にいるうちにどんどん失敗させて、自分の小ささを思い知らせる(笑)。まあ、単に面白いから&めんどくさいから、という説もあります(笑)。


>なので社会全体がそういう逆説介入に対して許容値があると膿がでて良いんですけど、日本がこれから『貧しい国』になり余裕がなくなるとき、 ○2病はゆるさん!になると、おそらく逆にそれが増すパターンになるのかな、とか思います。


ダメージがどの程度かによるでしょうね。また、「実益」と「プライド」を分けて考えること。人間の防衛機制を常に念頭に置くことが重要かと。

まず、実益において軽微なダメージの場合。この場合、プライドはかろうじて保たれます。この時起こりうる防衛機制が「まだまだ大丈夫だ」です。かくてゼロ年代に引き続き、中二VS高二の戦いは続きます。社会はダメージを受けた上に、中二VS高二の内ゲバに苦しめられますから、日本はジリ貧で貧しくなります。

次に、実益において中程度のダメ―ジの場合。あからさまに貧しくはなるものの、何とか食っていける程度の貧しさです。現実を突き付けられ、人々のプライドは崩壊します。「これも悪くないな」という防衛機制が生じればしめたものです。余計なプライドが崩壊した人々は「○二病」を忘れます。そこから心ある人々が台頭し、日本は次のフェーズに進みます。私が想定している最良のシナリオです。

そして、実益において最高度のダメージの場合。食っていけないほどの貧しさです。この時起こりうる防衛機制は、「自分は生き残る。何故なら自分は正しいから」。こうなったらもう、ファシズムとテロリズムのガチンコ勝負、夜明けまで百年の清末コース。客家になって海外に逃げるのが賢明でしょう。


と、絶望的な気分になったところで、千葉県の主婦の方からの直メールを紹介いたします。

>新しいシステムを起動させるにも日本が終わってたら不可能。例えしがらみであってもギリギリそこを守るのが私達のやるべきことなんだよ


前半部の文章については完全に同意します。ですが、私はこの国に「しがらみ」があるわけではありません(しいて言えば母親くらいですが、あれは気丈な女だし、英語も喋れるし、英国に妹夫妻もいるしなので、問題はないでしょう)。あるいはまた、しがらみに縛られることを選ぶかどうかも、根源的には内発的意志の問題ではないか、と。


さて、今夜も「ニーバーの祈り」を唱えながら眠りにつくことにします。

中二病と高二病のメビウスの輪

元々、なんとなく嫌な感じはしていた。

ただ、私は割と周囲の人間には恵まれていたし、幸いにしてあまり対人ストレスに煩わされず糧を得る仕事にも就けた。そんなわけで、とりあえず面倒くさい人たち、嫌な感じの人たちのことも「ほっときゃいいじゃん」と思っていた。

「中二病」と「高二病」の人たちのことである。

まあ、私のブログを読むような人たちは、少なくとも「中二病」というネットスラングについては既にご承知かと思うが、念のために解説を付記しおく。

中二病

また「中二病」から派生した諸々の「○二病」については以下を参照されたい。

高二病
大二病
社二病

とまあ、色々あるわけだが、ひとまず以下の分類を念頭においていただくと幸いである。

・「中二病サイド」のメンタリティー……「中二病」、「大二病」
・「高二病サイド」のメンタリティー……「高二病」、「社二病」

「中二病サイド」のメンタリティーとは、一言で言えば「世の中はクソ」である。
今までは「反抗期」とよばれていた言葉であろう、何に「反抗」するかでパターンが分岐する。例えば「クソ」である場合の「世の中」が大人である場合、「中二病」の現れ方は不良になるわけだが、それが同級生とかいわゆる三次元の女性である場合は、その現れ方は「オタク」になるのかもしれない。

次に、「高二病」だが、この言葉を知ったのはここ一年ばかりのことである。
実は『ミネルヴァと智慧の樹』が世に出た後、主人公は「高二病」だ、という評を読んで初めてこの言葉を知り、これこそ私が探していた言葉だと思った。あの話に出てくる同じく「高二病」の「先輩」のモデルは私の友人で、十年ほど前、似たような事情から自ら命を絶っている。以来、私はこの種のメンタリティーについては延々と考え続けていたのだ。

「高二病サイド」のメンタリティーとは、一言で言えば「世の中はクソだという奴はクソ」である。
彼らは一見、自分が属している環境を過剰に肯定するような言動を見せることすらある。だが、その実態はただの現状追認である。彼らは現状を好んでいるわけではない。「中二病サイド」が意識の上で現状に絶望しているとすれば、「高二病サイド」は無意識的に絶望している。だが、それに抵抗する勇気はない。それを自覚させられるのが嫌だから、また自分が嫌々甘んじている現状に甘んじようとしないことが許せないから、「中二病サイド」の人間を過剰に、あるいは真綿で首を絞めるようにやんわりと、攻撃するのである。そして「中二病サイド」の人間もまた、彼らを毛嫌いする。

さて、こうなると、世の人々は多かれ少なかれ「中二病サイド」か「高二病サイド」に属する。さらに言えば、人々はこの両サイドを行き来することも多い。

たとえばこんな人はいないだろうか? 高校の時は本ばかり読んで「リア充爆発しろ」と言っていた男子が、大学デビュー後急にセックスの素晴らしさについて語りだし、「プライドばかり肥大して現実を知らない奴は駄目だ」と連呼する。これは「中二病サイド」から「高二病サイド」への移行だ。

また、こんな人はいないだろうか? 入社してすぐの頃はTwitterに「忙しさ自慢」を書き連ねていた女子が、入社三年目に急に会社の愚痴が多くなり、「自分探し」のためにスピリチュアルなセミナーに通うようになる。これは「高二病サイド」から「中二病サイド」への移行である。

「中二病」も「高二病」も、根底に同じ心情がある。現実への(意識的/無意識的)絶望とそこに端を発する不安、関わらず自分は優れた存在でありたいという欲望、そして、それを裏付けるための互いに対する攻撃性だ。「高二病サイド」は「中二病サイド」に比べ、自分が「大人」であることを意識する。だが、彼らは決して成熟などしていない。精神構造は同じまま、ベクトルが真逆になっただけなのだ。

こうした全ての言動をあらわす便利な言葉に「痛い」というものがある。この感覚は私も非常によくわかるし、痛覚に敏感であることは重要だと思う。「中二病」も「高二病」も、自分やお仲間の「痛さ」をシャットダウンしつつ、「敵」の「痛さ」は過剰なまでに攻撃することが多い。周りの人間の「痛さ」を感じつつ、これを赦す包容力こそが重要なのだ。

とはいえ、「痛さ」に晒されるのは消耗する。なので適当にあしらいつつ相手をすることにしている。また、限度量を超える「痛さ」の持ち主に関しては、なるべく関わり合いになりたくないので「勝手にやってくれ」というのが私のスタンスである。いちいち彼らを攻撃しても仕方がない。

なのだが、一つ大きな問題がある。「中二病」や「高二病」の人たちが構成する社会というのは、あまりろくなものではない。「中二病」の人は文句ばかり言って働かないし、「高二病」の人たちの現状追認を利用してブラック企業が跳梁跋扈する。

とはいえ、歯車はギイギイ軋音を立てながらも回っており、まあ日本という国が持っているリソースからすれば、こんなポンコツの機械でも何とかなるだろう、と高を括っていた。

ところが、だ。

今更説明をすることもないだろう。我々は突如として楽園を追われることになった。そしてこの破局の背景には、確かに煩わしいが「すぐさま影響の出るレベルではない」と私が高を括っていた「中二病」、「高二病」問題が大きな翳を落としている。

私は歴史学畑の人間なので、院生時代には業界柄「活動家」的な人種と遭遇することもあった。どうにもとっつきにくく、お世辞にもコミュニケーション力が高いとは言えない人が多かった。確かにこの数十年、国家だか社会だかが彼らを封じ込めてきたことの影響もあろう。いじめられっ子は確かにいじめによって性格がねじ曲がるといったことも否めない。だが、ここは「誰が悪いか」を語る場ではない。人が誰かに耳を傾ける理由は、話の内容よりも人柄に左右される部分が大きい。いい歳をした「中二病」の彼らが「反原発」について語りだしたとしても、すすんで話を聞こうという人はどれほどいるだろうか?

そして「高二病」問題については、今となっては皆さんのほうがお分かりだろう。「現実厨」、「煽るな厨」……空気を読むことを過剰に気にし、楽観論を信じ込もうとする人々の病名は、まごうことなき「高二病」だ。

で、この後私は二つのシナリオを想定している。
一つは「中二病」と「高二病」を量産してきた日本社会のシステムが完全にぶっ壊れ、「中二病」と「高二病」のメビウスの輪を脱した「大人」の国として生まれ変わるというものだ。つまり「中二病」の理想主義者が強かな穏健さを身に付け、「高二病」の現実主義者が温かな寛容さを身に付ける。少なくとも私のタイムライン上には、こうした人々は確かに存在する――ただしそのためには、日本社会が失うリソースの度合いが壊滅的ではないこと、そして諸々の政治的なボタンのかけ違いが起きないことが必須の条件となろう。

しかしリソースの損失度合があまりにも深刻だった場合、あるいはそれに連動するボタンのかけ違いとして浮上するのがやはり「中二病」と「高二病」の問題である。「中二病」の最悪形態はテロリズムであり、「高二病」の最悪形態はファシズムだ。この国は全てのリソースを失いながらも、システムだけは壊れかけのまま残存し、テロリズムとファシズムの相争う場となる――それは必ずしも銃弾が飛び交うことを意味しない。より精神的な戦闘が繰り広げられるはずだ――そうなったら夜明けは遠い。だが、それが私が想定する第二のシナリオであり、その可能性は結構高い。

私は第一のシナリオを期待し、自分のできる限りのことをやっていきたいとは思っている。だが、私一人に出来ることは限られている。第二のシナリオが現実化した場合のことは、その時にまた話すだろう。

【至急】花見の会場について

本日開催予定の「命知らずな野郎のための被曝花見大会」ですが、
寒さ+雨(と含有される放射性物質リスク)のため、
最初から「屋内退避」で行われる可能性が出てきました。

なので、参加希望者の方へ。

もし会場の錦糸公園に人がいないようであれば、
そこから徒歩数分の「めんたね事務所」までお越しください。

めんたね事務所へのアクセス
http://mentane.net/access/pg102.html

1. 錦糸町北口駅前ロータリーの信号を渡り、吉野家がある通りに入ります。
2. そのまましばらく直進、セブンイレブンのある十字路を右折してください。
3. 左側に二台分の駐車スペースのあるコインパーキングがあります。コインパーキングの奥にある建物の入り口を入って501号室へお越し下さい。

なお、何かわからない点がありましたら、
尾谷幸治君(koji-mentane@ezweb.ne.jp 080-5499-0007)まで
ご連絡ください。

屋内なので、終日安心して飲んだくれることが可能です。
興味のある方はお好きな時間帯にお越しください。

追記
ちなみにめんたね事務所のビルは築30年、
ただちに人体に影響があるレベルではありませんが、
耐震強度には若干の問題を抱えております。
そのため場合によっては、
「命知らずの野郎のための被災飲んだくれ大会」
に名称を変更することを参加者希望者はあらかじめご了承ください。

命知らずな野郎のための被曝花見大会

ということで、すでに予告はしてありますが、


日時:4月3日(日)

場所:錦糸公園(JR錦糸町駅北口下車徒歩数分)

で、

命知らずな野郎のための被曝花見大会

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を開催いたします!


元々は私の盟友である尾谷幸治君と彼が主催する「めんたね」の仲間たちが毎年やっていた花見でした。

しかし我々は極めて怠惰であり、花見の場所取りなどもまじめにやらないので、
毎年広い場所も取れず、少人数で狭い場所でちんまりと行っておりました。

しかし、今年は都知事命令により、花見が自粛されるらしい。
              ↓
          花見客少ない?
              ↓
     広いスペースを確保できるかも?


ということで、今年は尾谷君と私のフォロワーさんたちまで裾野を広げて、
ひょっとしたら結構大規模な花見ができるかもしれない、と思いました。

しかし、福島原発より一定量の放射性物質が拡散しつつあるという事実から目をそらすことはできません!

つまり、屋外で花見をするということは、確かに被曝をするリスクを背負うものです。

しかし、

ただちに健康に被害があるレベルではありません


そんなわけで、たとえ20年後に何らかの被曝の影響をうけるとしても、
今日、酒を飲みたい、騒ぎたいという人達のために、
今回の企画を執り行うことにいたしました。

突然ぷらっと来ていただいて構いませんが、
事前に連絡していただけると合流しやすいと思いますので前日までに、
tg@mentane.net
までご連絡ください。

なお当日来られる方は、

(1) 一次会 13:00〜15:00 錦糸公園
(ブルーシートの周りに「め」「ん」「た」「ね」の文字を並べておきますので声をおかけ下さい)

(2) 二次会 16:00〜22:00くらい 「めんたね」事務所 (詳しくは下記地図参照)
(余興: 尾谷幸治講演会「震災後の日本を生き延びるために必要なメンタリティー〜人のことより自分のこと〜」 「めんたね震災パック」配布付き)

地図
http://mentane.net/access/pg102.html


の予定であります。


なお、1,000円〜2,000円程度で飲食物持ち寄りでお願いいたします。
(手づくり歓迎)


ということで、皆様のお越しをお待ちしております。


注)これはエイプリルフールのネタではありません。

パトリオットの理想と現実

はい、ということで、松陰先生の鼻息に終始押されっぱなしのインタビュワー浅生でした。
やっぱり本職の志士の方は違いますな。

まあ、幕末維新の頃と今で、何が違うかっていうと、やっぱり「人命」と「人権」の重さですよね。
松陰先生もしばしば暴発しかけておりましたが、あの頃は文字通り井伊直弼の「首を取れ」ば、
情勢はがらっと変わったわけです。
廃藩置県なんかにしても、今だったらあんな制度改革やったら失業補償だのなんだの大変ですよ。
そういう意味では昔よりは文明的な世の中になった分、急な「回天」はなかなか難しくもなっているわけです。

なので桜田門外の変だの幕長戦争だのは当然起きようもなく、
自分の持ち場で出来ることをやっていくしかないのですが、
まずは、4月25日に新刊『モモの侍、金剛のパトリオット』が、メディアワークス文庫より発売になります。

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HPでは絵師さんの名前がクレジットされていないようなので付記しておきますが、
イラストは同じくメディアワークス文庫から出ている永田ガラさんのシリーズを担当された鳥羽和博さんです。
しかしここまで何から何まで私好みに仕上げていただくと、感謝の言葉もありません。

さてこの作品、背景となるのが1910年代の日本と中国。
日露戦争にギリギリの勝利を収めた日本が、一種の脱力状態を経た後、
第一次世界大戦に参戦、大陸への進出を強めていこうという微妙な時代です。
そろそろ日本とかアジアについても考えたほうがいいんじゃないの〜
と割とゆるい問題意識で書いた話なんですが、
はかったように日本近代三度目の「国難」がやってきまして、
本当に真面目に考えざるを得なくなっちまいました。ほんと、やれやれです。

実はこの作品のキーワードは四つありまして、
それはズバリ、「桃」と「侍」と「金剛」と「パトリオット」です(見たまんまやないかっ!)
今日はこの中から「パトリオット」について少しお話します。

「パトリオット」というと「愛国者」という穏やかならぬ訳がよく使われます。
「愛国者」にあたる英語には「ナショナリスト」というのもあります。
両者の境界線は非常に曖昧であり、時代や文脈に応じて定義は大きく変わってくるのですが、
私はこの際「エイヤッ!」と意味を絞り、

「ナショナリスト=国に従う人」
「パトリオット=国をよくするため、場合によっては国に逆らう人」

と定義することにしました。

よく中国史モノで、王朝末期の腐敗しきった宮廷を取り仕切る悪役の宦官が自分と敵対する忠臣に対して、
「王の言うことに逆らうとは、この国賊がっ!」なんてことを言ったりしますが、
この場合宦官はナショナリスト、忠臣はパトリオットということになります。
真の「国賊」がどちらかは、わざわざ説明するまでもないでしょう。

もちろんパトリオットだからすべて正しい、というわけでもありません。
よい国にするために何をすればよいか、というのは本当に難しいし、
それが誰のためによい国なのか?という問題も常に付きまといます。
ただ色々問題があったにせよ、「日本をよくしよう」と思って幕府という「国」に刃向った明治維新の志士たちは、
少なくともナショナリストではなく、パトリオットでありました。
そして彼らが一人、また一人と亡くなっていくにつれ、
日本がナショナリストだけの国になっていったことも事実であります。

ただ冒頭にも書きましたが、ある国が文明化すればするほど、パトリオットであるということは難しい。
またパトリオットたることが求められる状況というのは、国が大変なことになっているとも言えます。

ということで、皆、まずは自分の持ち場で自分の仕事をするところからのスタートですが、
何しろ「明治は遠くなりにけり」です。
まずは無理のないように「一日一パトリオット」を志しつつ、
青雲の志と自分を労わる気持ちを何とか両立させていきたいと思っています。
そして偶然にもこの時期に発売される拙作が、
皆さんの「パトリオット・サプリメント」になることができれば、幸いに存じます。

吉田松陰先生一問一答〜私たちは国家を作った。あなたたちは社会を作れ〜

浅生楽(以下:楽)
ということで、黒船来航、敗戦に次ぐ三度目の危機と言われている現在、私は長州萩にあって、明治国家の父と言われる吉田松陰先生の薫陶を受けてきました。今日は最終日ということで、松陰先生に今後の我が国の目指すべき指針について伺っていこうかと思います。先生、よろしくお願いいたします。

吉田松陰(以下:松)
こちらこそ、よろしく。


ではまずお聞きしたいことですが、もし先生が現代の日本に生まれたとして、まずなさることは何でしょうか?


まずは可能な範囲で避難民を受け入れることを藩主に進言する。今の長州は過疎が進み、田畑が余っている。そして十分な労働力を持って、長州の農業を振興させる。そして上関原発の建設を完全に中止し、あの土地は新エネルギー開発の拠点とする。


今の長州には原発推進派も多いかと思いますが。


俗論派は高杉君たちに滅ぼしてもらおう。


……今の時代それは難しいとは思いますが……しかし過疎化で高年齢化が進んでいます。避難される方もお年寄りが多いかと思いますが、住民内の年齢バランスがさらに偏るのではないでしょうか?


インターネットの発達によって自宅で出来る職業も増えている。こうした若者を積極的に誘致する。被災地もさることながら、不安と不快を抱いた東国の若者ももちろんだ。さらにそうした仕事は専業ではなかなか難しいと聞く。長州にくれば、農業やエネルギー開発に携わる単純労働に加え、PCリテラシーの低いお年寄りの手伝いなど、インターネット世代の若者に出来る仕事は多い。柔軟なワークシェアリングの体制とともに、若者の兼業を支えていきたい。


ああ、それは嬉しいですね。電撃作家など兼業で悲鳴を挙げているのが多いですから、ありがたいと思います。


私が挙げたのはあくまで一例だ。やり方はそれぞれの藩の強みによって異なってくる。例えば隣国の福岡などは東京の雲行きが怪しい今、中心地としてその存在感を増すことが可能な場所だ。福岡が大きくなれば、長州はそのベッドタウンとして機能することも有り得る。まずはそれぞれに合ったやり方で移住者を受け入れ、藩を変えていく。そして互いに連携し、その中でまた新たな役割を見出していく――それが西国雄藩に課せられた使命だ。


東国では放射線汚染がどこまで進むかという不安が広がっています。東京に偏っていた日本の重心が、西に動くかもしれません。


ただ立法府と行政府は東京に残しておいたほうがいい。岡田斗司夫氏の言うとおり「責任の中央の明確化」が必要だ。それに東京がリスキーな場所であれば、地方からそこを目指す政界、官界の志士たちの質も上がるだろう。政治家と官僚は「美味しい職業」ではなくなるからな。地方分権は産業・文化を中心に行うべきだ。例えばドイツなどは政官の中心を首都ベルリンに置きつつも、金融はフランクフルト、ジャーナリズムはハンブルク、文化はミュンヘンと中心が分散している。日本もこれに倣うべきだ。社会的機能を分散することは、政官産マスコミの癒着を防ぐ意味でも大いに機能する。


しかし、今も東京では不安を押し殺して通常業務に戻っているサラリーマンも多いです。そう簡単に社会的機能が分散するでしょうか?


就職難にも関わらず地方の中小企業にはエントリーが少ないと言うが、若者にとって今回の破局は中央にいることのメリットを一掃したはず。これからは地方だ。企業する人も地方に注目するとよいだろう。徐々にではあるがこうした変化が進行すれば、中央にしがみつく企業はどんどん分が悪くなるはず。また今回の動きで見れば分かる通り、外資の動きは常に合理的だ。


そういえば、先生は攘夷思想をお捨てになったとか。


もはや帝国主義の時代ではない。この国の主権が侵されることは絶対になかろう。そんな時代に攘夷思想を持っていても仕方がない。元々思想は柔軟に持てと利輔(伊藤博文)や小介(山県有朋)には言い伝えておいたのだが、結局この国は西洋の真似事をしたまま暴走し、二度も破局を迎えてしまった。彼らの後に人が育たなかったのだな……利助は元々軽佻浮薄で頼りにならんところがあるし、小助は逆に沈着だがツンデレが過ぎて他人に誤解されやすいところがある。両人とも後進を育てる器ではない。まったく高杉君さえ長生きしてくれればなあ……。


……いきなりツンデレとか言わないで下さいよ。


ツンデレはやむにやまれぬ大和魂。『幕末魔法士』は私の愛読書だ。ところで久世伊織はいつ長州に戻ってくるのだ? 小五郎の説得が失敗したらしいではないか?


……史実と虚構を混同しないでください……まあ、今回も政府による事実の隠蔽を恐れて、海外メディアに頼る人も多いようです。


私は今の欧州に注目している。彼らも私が生きていた頃の欧州ではない。第二次世界大戦で痛い目にあったせいで随分変わった。今一度、地方分権、生活重視、エネルギー政策……彼らに多くを学ぶべき時期に差し掛かっていると思う。元々我々も欧州と同じことができるだけの伝統的地盤はある。ただ我々の時代には、植民地化の脅威に立ち向かうため強力な国家と国民意識が必要だった。それを作るのが我々がなした革命だったわけだが、欧州も日本も、強力な国家と国民意識の負の産物としての全体主義を経験した。欧州は二度と同じ轍を踏まぬよう、反省に立ってEUを作った。日本はこれに学ばず、今回の破局をむかえたわけだ。


実はその点に関してなんですが……今回の破局は戦後65年日本が積み重ねてきた様々な問題が一気に爆発したというのが私の意見であり、多くの論者もそう思っています。ただ、その際に大きく分けて二つの論調がありまして、一つは左派的というか、日本が戦前から引き摺ってきた全体主義的体質が今回も現れているというもの。もう一つが、某都知事の暴言にも表れているような右派的な論調で、日本人が堕落し、公共心を持たずに利己的な享楽に溺れていたことの帰結である、とするものです。先生はどちらだとお思いでしょうか。


私は両方だと思う。なぜならば、全体主義とは利己心によって支えられるものだからだ。侍の覚悟を持たぬ市井の民が侍を真似事をすると全体主義に繋がる。大体そういう輩というのは、自分は安全圏にいながら口では勇ましいことを言い、「侍の風上にもおけぬ」などと他人を糾弾する。だが、侍は侍、民は民だ。本物の侍は、民に侍の徳を求めることなどしない。そもそも他人にも期待しない。ただ黙って自分の行いをなすだけだ。侍の行いは賞賛されるべきだが、だからと言って民の行いが誹謗されてよいわけではない。民は侍を敬い、侍は民を慈しみ、民は民同士、お互いの弱さを赦しあうべきだと思う。


しかし、そうなると「四民平等」の理念というのはどうなるのでしょうか?


私が松下村塾で小介や利輔を見込んだのは、彼らはいわゆる民に近い出でありながらも、侍の徳を持ち合わせていると思ったからだ。侍であること、民であることに生まれは関係ない。しかしだからといって、両者の徳の違いまでが失われたわけではないと思う。今回の破局にあたり、人々に侍の徳が求められることは確かだ。だが、誰もが侍になれるわけではない。だから侍になれない者を糾弾してはいけない。それは全体主義の始まりだ。もしそういう口先だけの偽侍がいるとすれば、それこそ国賊であろう。早めに討滅したほうがよい。場合によっては高杉君に奇兵隊を動かしてもらい――


……い、いや、だから私もそうしたいのは山々なんですけど、それは
許されない世の中なんですってば! で、ちょうど国賊という言葉が出ましたが、実は今回天皇陛下の御言葉を聞き、陛下の振舞いを見るにつけ、ああ、これこそ「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」だと思いました。先生のおっしゃる「侍」にも同じものが求められているのかもしれませんね。


今回の破局のように国家が正統性を消失した時、陛下の御言葉は「最後の切り札」として正統性のよりどころとなる。敗戦以来初めて象徴天皇制が効果的に機能したのではないだろうか。私などがついつい考えてしまうのは、例えば今逃げ回っている東電の幹部なども、陛下が一言「事情を訊きたいから来い」と言えば、絶対に文句は言えないだろうということだ。まあ、錦の御旗を掲げることで既得権益を切り崩すというのは、実は我々がやったことなわけだが、そこには様々な複雑な問題を孕んでいる。あくまで「最後の切り札」として取っておいたほうがよいような気がする。


なるほど……。私も今回の破局は大きな危機でもありますが、21世紀の日本にとっての「黒船」――先生やお弟子さんがなさったように、日本をいい方向に変えるチャンスでもあると考えています。


長州藩では黒船が来る十年以上も前から藩政改革や海外事情の研究が進んでいた。黒船が来た時、長州は既に十分に準備が整っていた。今の日本でも同じような動きがあったはずだ。今回の件で急に騒ぎ出したような奴らはあてにしてはいけない。既に動き始めている人たちだけが頼りになる。また、そうした中でも時流にそぐわなくなっている人々もいる。幕末でも水戸や越前は結局最後に時代に乗り遅れた。誰が時代にあっているか、しっかりと見極めるべきだ。


ああ……私も「こりゃ駄目だ」と思ってTwitterをリムった人とかいますよ(笑)。


もっとも黒船が来たからといってこの先しばらくは大きな動きはないはずだ。皆、今まで築き上げてきたものがなくならないと信じたい、信じようという気持ちから、新しい動きには攻撃的になるだろう。だが、彼らに負けてはならないが、無駄な喧嘩をすることもない。彼らをうまくかわし、日銭を得ながら、様々なことを学び、人的なネットワークを作り、共に「次」を考えていかねばならない。その間に、じわじわと破局の影響が社会に浸透し、沈黙していた人々も黙ってはいられなくなると思う。


先生は今回の破局は「諌幕」では済まない、「倒幕」が必要だ、とおっしゃいました。しかし今は先生の時代ではありません。私たちの時代において、「倒幕」とは何を意味するのでしょうか?


危険を冒して作業に当たり被爆した作業員、放射線の恐怖にも限らず逃げられない人々、そして「原発廃止の代わりに来るのは停電」という恫喝――こうした全ては、弱者の「財布」を握っている既得権益層の自信に由来するものだ。もちろん彼らの経済的支配を完全に脱することは不可能にせよ、少しずつ依存度を減らしていくことは可能なはず。例えば二つ以上稼ぎ口がある、というのはリスクヘッジになるはず。若い人はそれを考えて技能を磨くといいかもしれない。


なるほど。これまた兼業作家にはいい話です(笑)


後はリソースを遮断された時のサバイバル能力。電力を使えない時も、灯油ランプが使えればよい。PCが使えない時はポメラだ。多くの選択肢を使いこなす能力と言い換えてもよい。また、今の日本は法治国家だ。今後何らかの「不法」に苦しめられる時のために、法律の知識は基礎リテラシーになるかもしれない。同時に「法」の考え方をしっかり理解することも、日本が新しい社会に生まれ変わるために必要だろう。そしてもう一つ、重要な基礎リテラシーはコミュニケーション能力だ。


ああ、「コミュ力」というのはここ数年話題にもなっていました。「KY」という言葉が流行語大賞にもなりました。「KY」的同調圧力が非常時において力を持ってしまうと、全体主義に繋がってしまいますよね。


ゆえにコミュニケーションから撤退する、というあり方が今までなら有り得た。それは個々にとっての部分最適化と言ってもよい。今まではそれでもよかった。個々の部分最適化は社会の全体最適化を確実に掘り崩していくものだが、だからといって今すぐ社会が崩壊するというものでもなかった。だが今回の破局でそうした社会の「余裕」はなくなった。


全体最適化を考えなければならない局面に来た、と。


だが「部分最適化は後回しにしろ! まずは全体最適化だ!」と声を大にしてしまうのは全体主義だ。「個々の部分最適化を摺合せ、集団としての全体最適化をはかる」というプロセスを下から積み上げていくことが重要。また、既得権益層の内部に潜り込まなければ、社会を大きく動かすことはできない。維新の業は、大久保一蔵殿が守旧派の久光公に取り入り、薩摩を動かすことで達成された。いずれにせよ、コミュニケーション能力というのは今まで以上に必要になってくるだろう。それも受動的に「空気を読む」能力ではなく、相手の望みを見極め、それに沿いつつ、「空気を作り出す」能力だ。


なるほど。それでは最後に一つ。日本国民にメッセージをお願いします。


我々は新しい「国家」を作った。今のあなたたちに作ってほしいのは新しい「社会」だ。国家は社会の道具に過ぎない。国家の悪口を言うのは結構だが、それはひょっとしたら社会のほうが国家を上手く操縦できていないからかもしれない。社会が変われば国家も変わる。あなたたち一人一人の「草莽崛起」に期待している。


ありがとうございました!

事態は深刻である、だが絶望的ではない

ということで久々のブログ更新がこんなことになるとは。

とりあえずこうやってブログを書いているということは、
私は今のところ無事です。
在京ですし、地震が起きた時は家におりましたし、
震災の直接的被害も間接的被害も蒙ることなく、
元気に過ごしております。
「買いだめ」で売れ残った野菜ばかり食べているせいで、
着々とダイエットにも成功しつつあります。

とはいえ、ルールは変わりました。
巷には様々な情報が満ち溢れていて、
悲観的なものから楽観的なものまで様々です。
何が起こるかは、もはや誰にもわかりません。
なので、悲観的な情報を単なるデマとして片づけたり、
楽観的な情報を「情報統制だ!」と糾弾することなく、
あらゆる状況を想定する。
まあ、結論から言えば、
もっとも悲観的な情報を想定しといたほうがよい、ということです。

もちろん、その後の選択は自由です。
まずわが身のリスクを考えた場合は、
とっとと西に逃亡したほうがよいでしょう。
ただしその選択によって維持された健康な精神と身体を、
社会的リソースとして活用する責任が後々で問われます。

次に、東にとどまるケース。
これは、最大限のリスクを踏まえた上での選択になりますから、
相応の覚悟が必要になります。
推奨できる可能性があるとすれば
今後の日本社会にとって本当に有益だと確信できる
「やるべきこと」を、現段階で持っている場合です。

私の選択は、いわば前者と後者の中間です。
今週末までは「やるべきこと」があるのでこちらに留まります。
そして来週初めから十日ほど、長州萩に「疎開」してきます。
まあ、元々アリーの故郷ということで、
取材に行っておかねばとは思ってはいたのですが、
原発リスクを最大限に回避したうえで、
むこうで「やるべきこと」をやろうと思います。

ということで、しばらく色々と忙しくなりますが、
逆にブログの更新頻度は上がるような気がします。
こういう事態においては、まとまったメッセージを発する上で、
Twitterよりブログのほうがよいのでは、と今感じています。

とりあえず今日の段階で言っておきたいことは、
タイトルの通りです。
二次大戦後のアメリカ記者の取材に、
ドイツ人は「事態は深刻だ、だが絶望的ではない」と答え、
オーストリア人は「事態は絶望的だ。だが深刻ではない」と
答えたという笑い話が元ネタです。

震災が起こる前、日本社会には閉塞感が漂っておりました。
何らかの理想像を持っている人ですら、
「そうはいっても無理だろう」という諦念とともにありました。
その諦念は私地震も共有する物でした。

しかし、少なくとも震災前に山積していた
いくつかの問題を解決する「勝ち目」に関しては、
少し上がったのではないか、と思っております。
「事態は絶望的だ。だが深刻ではない」から
「事態は深刻だ。だが絶望的ではない」へ。
ルールが変わったのではないか、と。

それではまた、近々お会いしましょう。

新居と新作〜秋葉原と浅草のはざまで〜

どうも、またしてもブログを放置しておりました。

何故かといいますと、大学のほうは休みなんですが色々とやることがありまして、

1.引っ越しと新居整備
2.確定申告
3.新作の初校ゲラチェック。二巻初稿。

研究者の性といいますか、ブログがレジュメみたいに箇条書きばかりになるのが私の癖ですね。
で、特に大仕事といえば1.でした。

「めんたね」の尾谷君とともに、
二年半を過ごした墨田区錦糸町を離れ、台東区に住むことになりました。
私が初めて『ミネルヴァと智慧の樹』を書き、
大学にもあそこから通勤し、
色々と思い出深い土地でありました。
しかし尾谷君も今年は一気に本を書き、飛躍の年になるでしょう。
私も大学人と作家業を両立させる上では、
(特に資料スペースの関係で)
色々と手狭になってきていたところでした。

で、今回の住まいのスペックですが(再び箇条書き)、

1.新御徒町駅から徒歩四分
2.LDK12畳
3.寝室6畳(+床の間)
4.築20年

これでなかなか格安のお値段でした。
これでLDK半分をキッチンスペース、もう半分を仕事スペース、
そして寝室は完全なプライベートスペースに割くことができます。

さらに(みたび箇条書き)

1.1−2年キャンパス最寄駅まで22分
2.3−4年キャンパス最寄駅まで3分
3.アスキーメディアワークス(移転先)最寄駅まで7分
4.錦糸町めんたね事務所まで自転車で15分
5.ドイツ人の友人宅まで自転車で5分

ほとんど私のために存在するようなロケーションでありますな(高笑い

「新御徒町」と言われてもとぴんと来ない人も多いと思うので、
今後自分の住まいについて説明する時は、
「秋葉原と浅草の間」ということにしました。
どちらも自転車で10−15分くらいの距離です。

で、もう一つ。
今日Web上に情報が載ったようなので、

『アリーmyラブ』
『桃の侍、金剛のパトリオット』
メディアワークス文庫より4月25日発売

『ミネルヴァと智慧の樹』は歴史が絡むとは言え現代ファンタジーでしたが、
今作の舞台は大正初期の日本と中国、
ライトノベルと歴史伝奇、「秋葉原と浅草の間」のような感覚です。
前作以上に注ぎ込まれた地熱の温度は高めだと思います。

海嶋さんにアリーはどこへ行ったのだと言われてしまいましたが、
どこに潜んでいるかは本を手に取って頂ければ幸いです。

では。新作については続報があり次第報告します。

歴男・歴女

最近ようやくライトノベル作家らしい話題が増えてきたような気がする私ですが。

 ガチで面白かったです。  
      ↓ ↓ ↓
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幕末魔法士<2>−大坂鬼譚−
      ↑ ↑ ↑
 でも分厚すぎてまだレビュー無し。誰か早く書いてくれ。

最近、30代の作家さんを中心に歴史小説のNew Waveが来てる気がします。
扱う時代も永田ガラさん(室町初期)、仲町六絵さん(戦国期)、仁木英之さん(江戸初期)、
そして田名部宗司さん(幕末)と幅広い。
みんな同世代なのは心強いが、皆さん関西方面なのは心細い。

ちなみに私の次回作は時代的には田名部さんの後にくる感じです。
本日初校が到着、今、最初の赤入れだん。
あと半月もすれば何らかの情報を公開できるかと思いますので、
しばらくお待ちくださいませ。
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運命の女神フォルトゥーナ、あるいは聖正六面体に振り回されて生きる作家見習い。秋葉原と浅草の間に生息。 Twitterはコチラ。 ホームページはコチラ
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