浅生楽の生活革命

作家見習い浅生楽、ゆるゆると革命始めてます。興味があったら寄って下さい。

2011年04月

註)

さて、珍しく連投いたします。

昨日のエントリーについては、方々から様々なリアクションを頂きました(特に一部では激震が走ったようで(笑))。で、つくづく思ったのは、やはり人間というのは結局中二病と高二病のどちらかに軸足を置いているようで、中二っぽい人からは中二っぽいリアクションが、高二っぽい人からは高二っぽいリアクションが得られるものだなあ、と言うことですね。

で、昨日は割とざっくり書きすぎてしまったな、という反省がありまして、今日は皆さんのリアクションに註釈的に応えることで、この問題を少し「撹拌」していこうかな、と。


では、まず@ShiraiRinoさんから

>戦前は結局、中二病高二病の不幸な結婚だった国家社会主義テロは成功せず、高二病的大政翼賛でなあなあのまま敗戦に向かった。このなあなあ体質は現在日本にも引き継がれてるのだがさて今回は…


北一輝や皇道派を「中二病高二病の不幸な結婚」とは、言い得て妙ですね。

北一輝のルーツは民権運動の流れをうけた亜細亜主義。言わば左出自の右です。手塚の『一輝まんだら』で見事に描かれていますが、若き日の北一輝は真正の中二病。三十年代に入ってからの一輝は、三井財閥から金を貰いながら恐喝屋として名を馳せることになりますが、ブラック会社のカリスマ社長に騙されて社二病に転身した元中二病の院生という感じです(笑)。

ヒトラーなんかもそうですが、世の中へのアカい怒りを溜め込んだアカい青年が、「理想の実現のためには手段は問わない!」と叫んだ時に、「僕と契約してファシストになってよ」とシロい悪魔が現れることが多かったようです。こうなると左/右というカテゴリーは無意味になってくるので、私は纏めて「ジャコバン」と呼ぶことにしております。


次に@p_moonさんから

>中二病=学生運動家→日和ると=高二病 メビウスの輪は昭和の頃から回っていたのだな


中二病/高二病問題は実は日本近代史の宿痾というべきもので、いよいよ日本がわやになったらこのテーマでドイツの大学に日本近代文化史で博論でも出してやろうかと密かに考えております(笑)。その場合の先行研究として真っ先に思い浮かぶのが以下の三つです。

山本七平 『「空気」の研究』

高田里恵子 『グロテスクな教養』

北田暁大 『嗤う日本の「ナショナリズム」』


ちなみにこの三作をぶっ続けで読むと、放射線被害がなくても日本から逃げ出したくなります(笑)。


さて、次は@chihirobelmoさんから

>ブラック社畜vsNEETの構図の正体がはっきりわかりました。護憲派vs改憲派とか経済vsエコとかいろんなとこに同じ構図がありそうですね。


さて、あーみんvsみのりんはこの構図の中でどう理解すべきでしょうか?(お約束) 
今思えば、あの二人の成長と対立、そして和解には、ニッポンの未来の鍵が潜んでいるようにも思えます。『TVたっくる』とか『朝生』を観ている暇があったら、『とらドラ!』を観たほうがよっぽど生産的であります。


そして真打ち登場。@pi_888さんから

>よって逆説的ですが、中2にせよ高2にせよ、君の○2病は素晴らしいのでますますそれを頑張りなさい、というパラドキシカルな、精神療法で言うところの、症状処方作戦が効くと思うんです。


全くおっしゃる通りです。なので、私は基本的に若者の中二病と高二病に関しては「どんどんやれ」と推奨することにしております。若者をおだて、安全圏にいるうちにどんどん失敗させて、自分の小ささを思い知らせる(笑)。まあ、単に面白いから&めんどくさいから、という説もあります(笑)。


>なので社会全体がそういう逆説介入に対して許容値があると膿がでて良いんですけど、日本がこれから『貧しい国』になり余裕がなくなるとき、 ○2病はゆるさん!になると、おそらく逆にそれが増すパターンになるのかな、とか思います。


ダメージがどの程度かによるでしょうね。また、「実益」と「プライド」を分けて考えること。人間の防衛機制を常に念頭に置くことが重要かと。

まず、実益において軽微なダメージの場合。この場合、プライドはかろうじて保たれます。この時起こりうる防衛機制が「まだまだ大丈夫だ」です。かくてゼロ年代に引き続き、中二VS高二の戦いは続きます。社会はダメージを受けた上に、中二VS高二の内ゲバに苦しめられますから、日本はジリ貧で貧しくなります。

次に、実益において中程度のダメ―ジの場合。あからさまに貧しくはなるものの、何とか食っていける程度の貧しさです。現実を突き付けられ、人々のプライドは崩壊します。「これも悪くないな」という防衛機制が生じればしめたものです。余計なプライドが崩壊した人々は「○二病」を忘れます。そこから心ある人々が台頭し、日本は次のフェーズに進みます。私が想定している最良のシナリオです。

そして、実益において最高度のダメージの場合。食っていけないほどの貧しさです。この時起こりうる防衛機制は、「自分は生き残る。何故なら自分は正しいから」。こうなったらもう、ファシズムとテロリズムのガチンコ勝負、夜明けまで百年の清末コース。客家になって海外に逃げるのが賢明でしょう。


と、絶望的な気分になったところで、千葉県の主婦の方からの直メールを紹介いたします。

>新しいシステムを起動させるにも日本が終わってたら不可能。例えしがらみであってもギリギリそこを守るのが私達のやるべきことなんだよ


前半部の文章については完全に同意します。ですが、私はこの国に「しがらみ」があるわけではありません(しいて言えば母親くらいですが、あれは気丈な女だし、英語も喋れるし、英国に妹夫妻もいるしなので、問題はないでしょう)。あるいはまた、しがらみに縛られることを選ぶかどうかも、根源的には内発的意志の問題ではないか、と。


さて、今夜も「ニーバーの祈り」を唱えながら眠りにつくことにします。

中二病と高二病のメビウスの輪

元々、なんとなく嫌な感じはしていた。

ただ、私は割と周囲の人間には恵まれていたし、幸いにしてあまり対人ストレスに煩わされず糧を得る仕事にも就けた。そんなわけで、とりあえず面倒くさい人たち、嫌な感じの人たちのことも「ほっときゃいいじゃん」と思っていた。

「中二病」と「高二病」の人たちのことである。

まあ、私のブログを読むような人たちは、少なくとも「中二病」というネットスラングについては既にご承知かと思うが、念のために解説を付記しおく。

中二病

また「中二病」から派生した諸々の「○二病」については以下を参照されたい。

高二病
大二病
社二病

とまあ、色々あるわけだが、ひとまず以下の分類を念頭においていただくと幸いである。

・「中二病サイド」のメンタリティー……「中二病」、「大二病」
・「高二病サイド」のメンタリティー……「高二病」、「社二病」

「中二病サイド」のメンタリティーとは、一言で言えば「世の中はクソ」である。
今までは「反抗期」とよばれていた言葉であろう、何に「反抗」するかでパターンが分岐する。例えば「クソ」である場合の「世の中」が大人である場合、「中二病」の現れ方は不良になるわけだが、それが同級生とかいわゆる三次元の女性である場合は、その現れ方は「オタク」になるのかもしれない。

次に、「高二病」だが、この言葉を知ったのはここ一年ばかりのことである。
実は『ミネルヴァと智慧の樹』が世に出た後、主人公は「高二病」だ、という評を読んで初めてこの言葉を知り、これこそ私が探していた言葉だと思った。あの話に出てくる同じく「高二病」の「先輩」のモデルは私の友人で、十年ほど前、似たような事情から自ら命を絶っている。以来、私はこの種のメンタリティーについては延々と考え続けていたのだ。

「高二病サイド」のメンタリティーとは、一言で言えば「世の中はクソだという奴はクソ」である。
彼らは一見、自分が属している環境を過剰に肯定するような言動を見せることすらある。だが、その実態はただの現状追認である。彼らは現状を好んでいるわけではない。「中二病サイド」が意識の上で現状に絶望しているとすれば、「高二病サイド」は無意識的に絶望している。だが、それに抵抗する勇気はない。それを自覚させられるのが嫌だから、また自分が嫌々甘んじている現状に甘んじようとしないことが許せないから、「中二病サイド」の人間を過剰に、あるいは真綿で首を絞めるようにやんわりと、攻撃するのである。そして「中二病サイド」の人間もまた、彼らを毛嫌いする。

さて、こうなると、世の人々は多かれ少なかれ「中二病サイド」か「高二病サイド」に属する。さらに言えば、人々はこの両サイドを行き来することも多い。

たとえばこんな人はいないだろうか? 高校の時は本ばかり読んで「リア充爆発しろ」と言っていた男子が、大学デビュー後急にセックスの素晴らしさについて語りだし、「プライドばかり肥大して現実を知らない奴は駄目だ」と連呼する。これは「中二病サイド」から「高二病サイド」への移行だ。

また、こんな人はいないだろうか? 入社してすぐの頃はTwitterに「忙しさ自慢」を書き連ねていた女子が、入社三年目に急に会社の愚痴が多くなり、「自分探し」のためにスピリチュアルなセミナーに通うようになる。これは「高二病サイド」から「中二病サイド」への移行である。

「中二病」も「高二病」も、根底に同じ心情がある。現実への(意識的/無意識的)絶望とそこに端を発する不安、関わらず自分は優れた存在でありたいという欲望、そして、それを裏付けるための互いに対する攻撃性だ。「高二病サイド」は「中二病サイド」に比べ、自分が「大人」であることを意識する。だが、彼らは決して成熟などしていない。精神構造は同じまま、ベクトルが真逆になっただけなのだ。

こうした全ての言動をあらわす便利な言葉に「痛い」というものがある。この感覚は私も非常によくわかるし、痛覚に敏感であることは重要だと思う。「中二病」も「高二病」も、自分やお仲間の「痛さ」をシャットダウンしつつ、「敵」の「痛さ」は過剰なまでに攻撃することが多い。周りの人間の「痛さ」を感じつつ、これを赦す包容力こそが重要なのだ。

とはいえ、「痛さ」に晒されるのは消耗する。なので適当にあしらいつつ相手をすることにしている。また、限度量を超える「痛さ」の持ち主に関しては、なるべく関わり合いになりたくないので「勝手にやってくれ」というのが私のスタンスである。いちいち彼らを攻撃しても仕方がない。

なのだが、一つ大きな問題がある。「中二病」や「高二病」の人たちが構成する社会というのは、あまりろくなものではない。「中二病」の人は文句ばかり言って働かないし、「高二病」の人たちの現状追認を利用してブラック企業が跳梁跋扈する。

とはいえ、歯車はギイギイ軋音を立てながらも回っており、まあ日本という国が持っているリソースからすれば、こんなポンコツの機械でも何とかなるだろう、と高を括っていた。

ところが、だ。

今更説明をすることもないだろう。我々は突如として楽園を追われることになった。そしてこの破局の背景には、確かに煩わしいが「すぐさま影響の出るレベルではない」と私が高を括っていた「中二病」、「高二病」問題が大きな翳を落としている。

私は歴史学畑の人間なので、院生時代には業界柄「活動家」的な人種と遭遇することもあった。どうにもとっつきにくく、お世辞にもコミュニケーション力が高いとは言えない人が多かった。確かにこの数十年、国家だか社会だかが彼らを封じ込めてきたことの影響もあろう。いじめられっ子は確かにいじめによって性格がねじ曲がるといったことも否めない。だが、ここは「誰が悪いか」を語る場ではない。人が誰かに耳を傾ける理由は、話の内容よりも人柄に左右される部分が大きい。いい歳をした「中二病」の彼らが「反原発」について語りだしたとしても、すすんで話を聞こうという人はどれほどいるだろうか?

そして「高二病」問題については、今となっては皆さんのほうがお分かりだろう。「現実厨」、「煽るな厨」……空気を読むことを過剰に気にし、楽観論を信じ込もうとする人々の病名は、まごうことなき「高二病」だ。

で、この後私は二つのシナリオを想定している。
一つは「中二病」と「高二病」を量産してきた日本社会のシステムが完全にぶっ壊れ、「中二病」と「高二病」のメビウスの輪を脱した「大人」の国として生まれ変わるというものだ。つまり「中二病」の理想主義者が強かな穏健さを身に付け、「高二病」の現実主義者が温かな寛容さを身に付ける。少なくとも私のタイムライン上には、こうした人々は確かに存在する――ただしそのためには、日本社会が失うリソースの度合いが壊滅的ではないこと、そして諸々の政治的なボタンのかけ違いが起きないことが必須の条件となろう。

しかしリソースの損失度合があまりにも深刻だった場合、あるいはそれに連動するボタンのかけ違いとして浮上するのがやはり「中二病」と「高二病」の問題である。「中二病」の最悪形態はテロリズムであり、「高二病」の最悪形態はファシズムだ。この国は全てのリソースを失いながらも、システムだけは壊れかけのまま残存し、テロリズムとファシズムの相争う場となる――それは必ずしも銃弾が飛び交うことを意味しない。より精神的な戦闘が繰り広げられるはずだ――そうなったら夜明けは遠い。だが、それが私が想定する第二のシナリオであり、その可能性は結構高い。

私は第一のシナリオを期待し、自分のできる限りのことをやっていきたいとは思っている。だが、私一人に出来ることは限られている。第二のシナリオが現実化した場合のことは、その時にまた話すだろう。

【至急】花見の会場について

本日開催予定の「命知らずな野郎のための被曝花見大会」ですが、
寒さ+雨(と含有される放射性物質リスク)のため、
最初から「屋内退避」で行われる可能性が出てきました。

なので、参加希望者の方へ。

もし会場の錦糸公園に人がいないようであれば、
そこから徒歩数分の「めんたね事務所」までお越しください。

めんたね事務所へのアクセス
http://mentane.net/access/pg102.html

1. 錦糸町北口駅前ロータリーの信号を渡り、吉野家がある通りに入ります。
2. そのまましばらく直進、セブンイレブンのある十字路を右折してください。
3. 左側に二台分の駐車スペースのあるコインパーキングがあります。コインパーキングの奥にある建物の入り口を入って501号室へお越し下さい。

なお、何かわからない点がありましたら、
尾谷幸治君(koji-mentane@ezweb.ne.jp 080-5499-0007)まで
ご連絡ください。

屋内なので、終日安心して飲んだくれることが可能です。
興味のある方はお好きな時間帯にお越しください。

追記
ちなみにめんたね事務所のビルは築30年、
ただちに人体に影響があるレベルではありませんが、
耐震強度には若干の問題を抱えております。
そのため場合によっては、
「命知らずの野郎のための被災飲んだくれ大会」
に名称を変更することを参加者希望者はあらかじめご了承ください。

命知らずな野郎のための被曝花見大会

ということで、すでに予告はしてありますが、


日時:4月3日(日)

場所:錦糸公園(JR錦糸町駅北口下車徒歩数分)

で、

命知らずな野郎のための被曝花見大会

hanami_dango_400_001


hanami


genpatu


を開催いたします!


元々は私の盟友である尾谷幸治君と彼が主催する「めんたね」の仲間たちが毎年やっていた花見でした。

しかし我々は極めて怠惰であり、花見の場所取りなどもまじめにやらないので、
毎年広い場所も取れず、少人数で狭い場所でちんまりと行っておりました。

しかし、今年は都知事命令により、花見が自粛されるらしい。
              ↓
          花見客少ない?
              ↓
     広いスペースを確保できるかも?


ということで、今年は尾谷君と私のフォロワーさんたちまで裾野を広げて、
ひょっとしたら結構大規模な花見ができるかもしれない、と思いました。

しかし、福島原発より一定量の放射性物質が拡散しつつあるという事実から目をそらすことはできません!

つまり、屋外で花見をするということは、確かに被曝をするリスクを背負うものです。

しかし、

ただちに健康に被害があるレベルではありません


そんなわけで、たとえ20年後に何らかの被曝の影響をうけるとしても、
今日、酒を飲みたい、騒ぎたいという人達のために、
今回の企画を執り行うことにいたしました。

突然ぷらっと来ていただいて構いませんが、
事前に連絡していただけると合流しやすいと思いますので前日までに、
tg@mentane.net
までご連絡ください。

なお当日来られる方は、

(1) 一次会 13:00〜15:00 錦糸公園
(ブルーシートの周りに「め」「ん」「た」「ね」の文字を並べておきますので声をおかけ下さい)

(2) 二次会 16:00〜22:00くらい 「めんたね」事務所 (詳しくは下記地図参照)
(余興: 尾谷幸治講演会「震災後の日本を生き延びるために必要なメンタリティー〜人のことより自分のこと〜」 「めんたね震災パック」配布付き)

地図
http://mentane.net/access/pg102.html


の予定であります。


なお、1,000円〜2,000円程度で飲食物持ち寄りでお願いいたします。
(手づくり歓迎)


ということで、皆様のお越しをお待ちしております。


注)これはエイプリルフールのネタではありません。
livedoor プロフィール

Asailuck

運命の女神フォルトゥーナ、あるいは聖正六面体に振り回されて生きる作家見習い。秋葉原と浅草の間に生息。 Twitterはコチラ。 ホームページはコチラ
  • ライブドアブログ