2023年05月02日

おしまいの夜がはじまる

北村です。

なんと4年振りのブログ更新です。オリンピックか。不精者の私は、何かお知らせがあるときくらいしか記事を書く気にならないわけで。ようやくお知らせしたいことができたと思ったら、これだけ間があいてしまいました。

さて、おしまいの夜です。



今回、私は脚本提供という立場で空間ベクトルに関わっています。台本を書く以外は特に何もしておらず、稽古も、顔合わせに同席した程度でほぼ何も見ていません。

で、このまま何もしらずに本番を迎えるのもどうなんだろう、という居心地の悪さみたいなものがあって。先日、通し稽古を観せてもらいました。今日はその話というか。通し稽古を観てこんなこと考えたよってことを書きます。

だらだらした読み物ですから、お時間のある時にどうぞ。いわゆるネタバレはありません。

そもそもこの戯曲、書き始めたのはコロナ前でした。いつか起きるだろうけど、あまり考えたくないこと。ただ、演劇のシチュエーションとしてずっと興味のあった題材を扱いました。

山ノ井くん(空間ベクトルの代表)とあれこれ話をして、さあ書くかってとりあえずフォルダを作成したぐらいから、武漢の報道が徐々に出始めて。なんだか恐いな気持ち悪いなって感じていたのを憶えています。

それからは、書いては止めて。書き上げては読んでもらって、また一から書き直して、の繰り返し。いつまでも終わらない粘土細工みたいな創作でした。

そうなってしまった理由はいろいろあるけれど。一番大きかったのは、書こうとしていたフィクションが現実に追いつかれ、追い越され、しかも悔しいことにその現実のほうがはるかに劇的で、言葉を選ばずいえば面白くて。その事実にうまく折り合いをつけられなくて、へこまされたこと。迷子になってしまったことなんじゃないかって思っています。

これだっていう解決策は特になくて、ただ愚直に書き続ける他ありませんでした。私はわりと器用な人間だという自覚があるのですが、作家としては本当に不器用です。これ終わるかなー、終わらないんじゃないかなー、でも約束しちゃったしなー、みたいにぼやきながら、いつまでもキーボードを叩いていた。

区切りをつけられた要因は、上演日が決まったことでした。あれは第何波を終えたあたりだったか、コロナの存在はもはやどっしりとした落ち着きさえ感じられ、世間で、これもう終わらなくない?それでもやっていくしかなくない?みたいな空気が浸透していき、おそらく当時、世界中の誰にとっても信じられないスピードで転がり続けていた現実が、少しだけその回転を緩めた。山ノ井くんはそういうタイミングを周到に見計らい、手堅い仲間を集め、劇場となる古民家を見つけ、ピンで止めるみたいにして公演を企画しました。

私はハラを決めて、こねまわしていた粘土を固めることにした。いたずらに時間を割いただけ、生暖かい熱がこもってしまったし、手垢やら何やら色んなものを練りこんでしまったけれど。脱稿しました。

去年の夏、顔合わせをして稽古が始まり、あーよかった、ようやくこのホンを上演できるんだって実感が出始めたその矢先、公演はあっさり中止となりました。あれは第何波だ。もう憶えてらんないよ。

そしてまた時が流れて。一度は心折れて腐って世捨て人みたいになってしまった山ノ井くんも、また髭を剃ってぱりぱりのシャツを着てお出かけできるくらいには回復して、色々なことを調整してあらためて。空間ベクトルは再始動しました。強いな、演劇やるひとって。

みたいなことを通し稽古を観ている間、私は考えていました。それはもうメタメタで、グダグダで、笑ってしまうくらいひどい通し稽古だったのだけど。演出家も制作も俳優たちも、この作品をよく読み込み、格闘してくれていることが伝わって、うれしかった。

座組は昨日から劇場(というか古民家)入りして、それはもうにぎやかに準備を進めています。ぽこぽこと流れてくるグループLINEの投稿がいちいち楽しそうで、うらやましいやら寂しいやら。

へらへらしやがって。

何はともあれ。

空間ベクトル「おしまいの夜」は、これより初日を迎えます。5/7(日)の千秋楽まで、限られた席数ではありますが、ひとりでも多くのひとに届きますように。観たひとにとって、ままならない現実と向き合うための、手がかりのひとつとなりますように。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

いわきへと向かうひたち7号より、愛をこめて。

neconokai at 11:05コメント(0) この記事をクリップ!
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