2024年10月14日
Human Errorと、まつもと演劇祭
北村です。
第27回まつもと演劇祭に参加してきました。ご報告がてら、その所感というか備忘録を残しておきます。
Human Error というのは、バンドです。
私はギターを弾いています。めっちゃ楽しいです。はい。
なので、ライブをやってきました。もちろん演劇祭なので、ただのライブではなくて音楽劇に仕立てました。作・演出みたいなことにはあまりこだわらず、メンバーとあーだこーだ言い合いながら作ってきました。おかげさまで、そこそこ評判よかったようでホッとしております。
楽しかった。あー、本当に楽しかった。
コロナ禍以降、演劇を上演することにはとことん消極的な自分がいて。まさか、自分が板の上でギターをかき鳴らす芝居を作る日が来るなんて。人生って、分からないものです。
期間中、演劇祭主催のシンポジウムにも出席しまして。それは地域の演劇活動について語ろうみたいな会だったのですが。むしろ私が今回の演目を準備する過程で考えてきたのは、音楽と演劇の違いってなんだろうっていうことでした。
シンポジウムでも発言したんですが、演劇について思うのはとにかくコスパ悪いよなあってこと。人のお金と時間と労力が、もう際限なく、それこそ無限に搾り取られていくじゃないですか、演劇って。よくよく考えると、音楽もそこまでコスパ良いわけじゃないですけどね。初期費用ハンパないし。
ただ、個別の練習だったりみんなで音を合わせたりして得られる満足感は、私は演劇より音楽のほうが高いんじゃないかっていう気がしています。バンドにハマっている今だからなのかもしれませんけど。
そして、音楽と演劇は似たような部分もたくさんありますね。生産性の乏しさとか。
芸術や娯楽を否定するわけじゃありませんけど、やっぱり多くの音楽も演劇も、そのほとんどは創り手からパッと放出されては何かにつながるでもないままくすぶって、やがて泡みたいに消えていくのだと思います。基本的にアンダーグラウンドなものほど、受け手の数は相対的に減っていきますし。
私自身、演劇の現場でプレイヤーとして20年に渡って作品を送り出し続けてきた経験から、その無力感みたいなものはヒシヒシと感じてきました。ま、売れないってそういうことだから仕方ないんですけど。そしてこの図式というかパターンみたいなものは、どんな業界でも同じようなものなんじゃないかと想像します。
ただ、勘違いしちゃいけないのは、受け手はゼロではないということです。
私が主宰する猫の会でも、公演のたびに駆けつけてくださるお客さまが一定数存在しましたし、そういった方々だけでなく、都度ご来場頂いたお客さまには何かを受け取って頂けたという自負があります。もちろん、必ずしも良いものばかりではありませんが。
それは今回、Human Error というふざけたロックバンドで劇を上演していてもやはり同じことでした。お客さまがそこにいること、反応を頂けることの価値って、何にも変え難いんです。たとえそれがひとりきりでもね。
だからやめられないんだよなあ。コスパだなんだと文句たれながらも、そのひとりに受け取ってもらえる楽しさや喜びは、人間としての根源的な何かをくすぐられるような気がします。ひさしぶりに人前に立って演じてみて、強く感じました。
我ながらロクでもないことしてるなー、と思います。特に家庭を持って以降は、これは本当に家族のQOLを下げてまで実現するべきことなのかね、と。自問することも度々です。今回だって、演劇祭に参加するために長男の運動会を観ることが叶いませんでした。次男は先週からずっとお腹をくだしていて。今朝、私がオムツ替えをした時もやっぱりくだしていて。そして、彼らのすべてを妻ひとりが受け止めてくれていたのです。
で昨日深夜に帰宅したくせに今朝からまた出張なもんでバタバタと家を出てきたんですけど。長男と10分しか遊べなくて、それが寂しいと泣かせてしまい…。もう、申し訳ないやら、情けないやら…。
ああ、いつの間にか反省文になってしまった。だけど、これが自分だもんなやっぱり、と開き直っちゃうんですけど。けっきょく。
5年振りに参加したまつもと演劇祭は、変わらぬホスピタリティと演劇愛に癒され続けた3日間でした。そして、私自身もそのなかで作品を紡げたことを誇りに思います。
みんな大好き。この人たちと一緒だから乗り切れたよ…
シンポジウムの締めくくりでまつもと演劇連合会の永高さんが、まつもと演劇祭の国際化について語られていたことが印象に残っています。その夢の壮大さ、思いの強さに敬服します。
私にはそんな大きな夢はないけれど、きっとこれからも好きなことをしていきます。だけど、家族のQOLも全力で守ろう。そして、家族のする好きなことを全力で応援しよう。
きっとこれは、矛盾しないと思うんだ。だけどとても難しいことであるのも事実だから、やり方はよくよく考えよう。
この文章は、成田から福岡へ向かう飛行機の中でちまちま打ち込んでいたのですが。なんと機長がアナウンスを始めたのは松本市上空でした。眼下には昨日まで見上げていた北アルプスや諏訪湖があって。なんだこれ、出来過ぎじゃねえかと笑ってしまいました。こういうことがここ数日は頻発していて、劇中で流していたゴルトベルク変奏曲が、不意に蕎麦屋で聞こえてきたり。帰りの中央道で突如眼前に打ち上げ花火が上がったり。こういうギフトをちょいちょいもらえた、不思議な旅でもありました。
考えごとや書きたいことは尽きないけれど、今日はそろそろこの辺で。
次は家族でゆっくり遊びにいこう。
ありがとう、松本。
第27回まつもと演劇祭に参加してきました。ご報告がてら、その所感というか備忘録を残しておきます。
Human Error というのは、バンドです。
私はギターを弾いています。めっちゃ楽しいです。はい。
なので、ライブをやってきました。もちろん演劇祭なので、ただのライブではなくて音楽劇に仕立てました。作・演出みたいなことにはあまりこだわらず、メンバーとあーだこーだ言い合いながら作ってきました。おかげさまで、そこそこ評判よかったようでホッとしております。
楽しかった。あー、本当に楽しかった。
コロナ禍以降、演劇を上演することにはとことん消極的な自分がいて。まさか、自分が板の上でギターをかき鳴らす芝居を作る日が来るなんて。人生って、分からないものです。
期間中、演劇祭主催のシンポジウムにも出席しまして。それは地域の演劇活動について語ろうみたいな会だったのですが。むしろ私が今回の演目を準備する過程で考えてきたのは、音楽と演劇の違いってなんだろうっていうことでした。
シンポジウムでも発言したんですが、演劇について思うのはとにかくコスパ悪いよなあってこと。人のお金と時間と労力が、もう際限なく、それこそ無限に搾り取られていくじゃないですか、演劇って。よくよく考えると、音楽もそこまでコスパ良いわけじゃないですけどね。初期費用ハンパないし。
ただ、個別の練習だったりみんなで音を合わせたりして得られる満足感は、私は演劇より音楽のほうが高いんじゃないかっていう気がしています。バンドにハマっている今だからなのかもしれませんけど。
そして、音楽と演劇は似たような部分もたくさんありますね。生産性の乏しさとか。
芸術や娯楽を否定するわけじゃありませんけど、やっぱり多くの音楽も演劇も、そのほとんどは創り手からパッと放出されては何かにつながるでもないままくすぶって、やがて泡みたいに消えていくのだと思います。基本的にアンダーグラウンドなものほど、受け手の数は相対的に減っていきますし。
私自身、演劇の現場でプレイヤーとして20年に渡って作品を送り出し続けてきた経験から、その無力感みたいなものはヒシヒシと感じてきました。ま、売れないってそういうことだから仕方ないんですけど。そしてこの図式というかパターンみたいなものは、どんな業界でも同じようなものなんじゃないかと想像します。
ただ、勘違いしちゃいけないのは、受け手はゼロではないということです。
私が主宰する猫の会でも、公演のたびに駆けつけてくださるお客さまが一定数存在しましたし、そういった方々だけでなく、都度ご来場頂いたお客さまには何かを受け取って頂けたという自負があります。もちろん、必ずしも良いものばかりではありませんが。
それは今回、Human Error というふざけたロックバンドで劇を上演していてもやはり同じことでした。お客さまがそこにいること、反応を頂けることの価値って、何にも変え難いんです。たとえそれがひとりきりでもね。
だからやめられないんだよなあ。コスパだなんだと文句たれながらも、そのひとりに受け取ってもらえる楽しさや喜びは、人間としての根源的な何かをくすぐられるような気がします。ひさしぶりに人前に立って演じてみて、強く感じました。
我ながらロクでもないことしてるなー、と思います。特に家庭を持って以降は、これは本当に家族のQOLを下げてまで実現するべきことなのかね、と。自問することも度々です。今回だって、演劇祭に参加するために長男の運動会を観ることが叶いませんでした。次男は先週からずっとお腹をくだしていて。今朝、私がオムツ替えをした時もやっぱりくだしていて。そして、彼らのすべてを妻ひとりが受け止めてくれていたのです。
で昨日深夜に帰宅したくせに今朝からまた出張なもんでバタバタと家を出てきたんですけど。長男と10分しか遊べなくて、それが寂しいと泣かせてしまい…。もう、申し訳ないやら、情けないやら…。
ああ、いつの間にか反省文になってしまった。だけど、これが自分だもんなやっぱり、と開き直っちゃうんですけど。けっきょく。
5年振りに参加したまつもと演劇祭は、変わらぬホスピタリティと演劇愛に癒され続けた3日間でした。そして、私自身もそのなかで作品を紡げたことを誇りに思います。
みんな大好き。この人たちと一緒だから乗り切れたよ…
シンポジウムの締めくくりでまつもと演劇連合会の永高さんが、まつもと演劇祭の国際化について語られていたことが印象に残っています。その夢の壮大さ、思いの強さに敬服します。
私にはそんな大きな夢はないけれど、きっとこれからも好きなことをしていきます。だけど、家族のQOLも全力で守ろう。そして、家族のする好きなことを全力で応援しよう。
きっとこれは、矛盾しないと思うんだ。だけどとても難しいことであるのも事実だから、やり方はよくよく考えよう。
この文章は、成田から福岡へ向かう飛行機の中でちまちま打ち込んでいたのですが。なんと機長がアナウンスを始めたのは松本市上空でした。眼下には昨日まで見上げていた北アルプスや諏訪湖があって。なんだこれ、出来過ぎじゃねえかと笑ってしまいました。こういうことがここ数日は頻発していて、劇中で流していたゴルトベルク変奏曲が、不意に蕎麦屋で聞こえてきたり。帰りの中央道で突如眼前に打ち上げ花火が上がったり。こういうギフトをちょいちょいもらえた、不思議な旅でもありました。
考えごとや書きたいことは尽きないけれど、今日はそろそろこの辺で。
次は家族でゆっくり遊びにいこう。
ありがとう、松本。