April 08, 2008
タイムマシンとはどんなものか考えてみた(2008年4月)
タイムマシンとはなんなのか。
タイムマシンができたらどうなるのかはわからない。
だがタイムマシンについて考えるとタイムマシンはタイムマシンを作っている期間に行けないと思う。
タイムマシンはタイムマシンを製作している期間にいってはならないなどのルールではなく、タイムマシンはタイムマシンを製作している期間に性能上行くことができない。
つまりもし、現代にタイムマシンがあるならば現代はタイムマシンの制作期間ではないといえる。
もし、現代にタイムマシンがないなら現代はタイムマシンを製作している期間であるといえる。
そうしたらもしそうだとしてそれがいつからだったかがタイムマシンが遡れる最近の過去であると考えられタイムマシンが作動した後の未来は何であるかが見えてくる気がしてくる。
ならばタイムマシンを動かして正常にタイムマシンが機能した時からどのくらいまで過去へ遡れどのくらい未来へいけるかが疑問になる。
それは俺も気になる。

April 06, 2008
愛とはどんなもの?(2008年春)
ニートが暇で退屈なときが訪れたらそのときはぜひ愛を考え解き明かして欲しいと思う。
「愛を考えるなんて今更」と思う人がどこまで愛を熟知しているか疑問に思うこともない。
だが暇なときがあったら愛を考えておくことは愛を深めることになると思う。
通常、人は愛に溺れて死ぬことは無いと思うが愛が深くなると人は溺れ続けられなくなるかもしれない。
だが愛は怖くない素晴らしいものと思う。
無人島に遭難して一人で生きていくならニートのように愛に溺れて生きてはいけない。
もしもたった一人の無人島に漂着してもどうにか生きていける無人島ならその環境に愛はあると思う。
一人でも生きていける環境に愛はあると思う。
だから日本のニートのように毎日インターネットやテレビを楽しんでお菓子食べたりジュース飲んだり食料を台所から頂いたり出来る環境は愛に溺れられる環境と思う。
それでも世の中に愛は無いと叫ぶニートはいる。
これは愛の副作用だろう。
こんなことを書いていても実のところ「愛」が何なのかその真実をわからない。
それでWikipediaで「愛」を検索すると残念なことに長文で全てを読むとこれから書こうとしていることを忘れる気がして読むのを止めた。
愛 - Wikipedia
定義から始まるwikipediaの愛はどうやら宗教によっても概念が異なるらしい。
恋とLoveについても書かれてあった。
本当に残念なことにWikipediaの愛の解説を読めば読むほど愛が解らなくなる気がした。
自分勝手な愛の解釈を深めないためにもYahoo!辞書で「愛」を検索した。
あい【愛】 - Yahoo!辞書
用例の愛の形は書かれてある。
だが愛とは何か愛はどのようなものか書かれてない。
このように辞書に目を通すことで意味が解らなくなる言葉がある。
俺はそれもまた愛ではないかと思う。
愛はどんなものなのかの全てを知らなくともその断片は今のところ少し見つけられる気がする。
愛は溺れられる。
愛は知るほど深くなり。
愛は裏切らない。
この3っつだけでも細かく解説すれば本になるのではないかとすら思う。
「愛がなぜ裏切らないか?」それだけでも暇のあるときに考えておいて欲しい。
誰がどんな奴だって、いつだって裏切る奴だって、その誰がいつだって裏切るもののどこかに愛がみえないか。
愛があるかないかを疑うかどうかなんてもう本当にとってもナンセンスだろ。
愛があるから生きてんだ。
愛の深さはわからないけれど愛を嫌わないで欲しい愛は裏切らないものだ。

March 05, 2008
春よ、来い
December 21, 2007
年末の定食屋で聞く小田和正のさよなら
どうも…。
真性ニートだった俺は、残り少ない貯金を株式市場に振り撒いて資産が底をついてしまった。
それでなんとか仕事をしなければならない心境になり、働き始めて辞めたいオーラを身にまとい働き続けた。
株式市場にお金を振り撒いていた頃は、激しい腰痛でパソコンの電源を入れることすら困難であった。
その状況を部屋で寝ながらブーブー屁をこいて回復させた。
そしてこんな状態を夏頃から脱出して年末まで働き続けてこられた。
これも偏(ひとえ)にFPSゲームで鍛えてきた身体の回復力のお陰である。
正直、俺はもう何も乗り越えられないんじゃないかと思っていた頃があった。
だがやってみたら、ささやかだがまたこうしてまだ何かを乗り越えられた。
俺もなかなかまだままだやれるじゃまいか。
ささやかな目標を乗り越えた年末に「そっか!」と思う。
実は「正直、俺はもう何も乗り越えられないんじゃないかと思ってきた」だったんだなって。
「思っていた」から「思ってきた」に変わる。
これが俺のささやかな文化である。
こんな感じで働くことや何かを乗り越え続けることに少し大切さを感じながら、ほんのりお金が貯まるとやはりどっぷりだらだらな休日を謳歌したい衝動がここのところの俺を襲い始める。
こんな衝動を抑え続けると社会に適応できなくなってしまうほど無気力に陥ってしまうんだったな…。
そんな俺はナチュラル・ボーン・ニートなんだなきっと…。
生まれついてのニート…。
この気持ちは何を乗り越えればいいのやらです。
まあ、もうちょろっとお金が貯まったら自分を探しに行こうか!なんてノー天気なこと言ってみてもいいが、もしそれを実行したら本当にどっぷり気分が暗くなる日が訪れる可能性が高い。
同じ過ちを2度3度と繰り返すのを乗り越えるのもいいと思う。
だが「これは駄目なんじゃないか?」って強く思うことを何度も繰り返すのは良くないと思う。
少し大人になり、少し弱虫になり、いろいろ考慮して自分を探す旅でなく妖精を探す旅とかボールを捜す旅とかそういうのに出ようかと思う。
これなら今までと同じ失敗ではない気がする。
海外の秘境とかにも行くかもしれないがこの旅のメンバーを随時募集する。
言っとくがゲームの旅じゃないよ、リアルだよ。
我こそは真のニートだという冒険者諸君の出発時期は当面未定だがメンバーにはなって欲しい。
なぜならもしちょろっと資金が貯まって旅立ちたくなった場合に妖精とかいる秘境に一人で行きたくないからだ。
仕事を続けることがなんとか乗り越えられて健康的思考になったのか健康を気にするレベルもやっとそれらしくなってきたと思っている。
これまでの独眼流正宗のように毒だろうが何だろうが出されたものを食う生活から食事の質を求める食生活になり始めた。
食べたいものが食べられるのであれもこれも食べたくて少しぷっくりしたが問題ない。
なにしろ腰が痛くて歩けなくなってから気落ちして禁煙した後の太り方に比べたら可愛い。
収入がなかった真性ニート時代は冷凍食品のピラフとかチャーハンを発見すると即チンして食った。(即チン=いやらしい意味ではない)
だが体を動かしているとあれは消化が悪い食い物ではないかと思い始めてそれから食べたくなくなった。
あれを食べるとコンビニ弁当同様にお腹にずっしりくるが、それが長時間胃に残ってやがて消化不良としてメタボリック症候群の要因になっている気がする。
何かの文献で見たとかそういう知識からではないが、おそらくそんな気がするのは大きな間違いではないと思う。
それでお腹にずっしり食べたいときは安い定食屋へ行く事にしたのであった。
これならどんな材料や作り方で出されているか分からない料理ではあるがコンビニ弁当や冷凍チャーハンより防腐剤などの保存料が使われていないだろうと推測できるから消化に良い気がする。
もちろん気がするという推測を実際に味わって確かめてる状態。
そしてあまり人が好んでいく場所でもないので一人で食いに行く。
あまり人が好まない安い定食屋へ食うぞと気合を入れて入るとまあまあ空いててまあまあテーブルも汚れていて今日もまあまあ気軽に食ったらすぐに店を出たくなるだろうなという空気を読む。
店内で落ち着いてなんていられないからだ。
本当なら食後に落ち着いた店内でゆっくりコーヒーやお茶を飲んだりしてくつろいで帰宅したい…。
それで席に座ると決まってあまり見ても意味のない窓の外の国道を見ようとした。
とにかくリアル世界は目のやり場に困るからだ。
いつもインターネットで繋がったディスプレイ越しに見ていた世界と違う。
やけに歩くのが速いチーターとか動けなくなってる低スペックとか居ない。
同じ空気と同じ重力で動いてる当たり前のリアル世界が広がっている。
リアル世界では女子中高生なんかのスカートがこれまでの俺の概念のスカートと違った意味のものになっていて、レオタード姿で泥棒をするキャッツアイの腰に巻かれたスカーフみたいなものになってる。
なので視界に入ったら即見ない振りしないと下手したら変態とか痴漢とかロリコンと思われて通報される気がする。
そういう恐怖と俺は日々戦い続けている。
定食屋の店内は寂しそうな親父とか育ち盛りで安く一杯食べたいと思われる学生達が無口に黙々と食ってる。
なのでこれをジロジロ見るのは通報されないまでもこれまでの経験から失礼と思っている。
このムシャムシャ(ドイツならハムハム)する場にはできるだけ当たり障りのないものを見るマナーがあるだろうという空気を俺は読んでいる。
そして感じる。
俺は今、明らかに間違いなくリアル社会に溶け込んでいるぞ!
俺は今社会に溶け込んでいるはずだ!
テーブルの上の無料の熱いお茶を我慢して飲めるけど熱いなのかそれともやっぱりまだ熱くて飲めないなのか悩みながら冒険して飲もうとしたときに店内のBGMとして流れている有線放送の曲が変わった。
優しそうな癒されるようなそんなイントロから始まる小田和正の「さよなら」だった。
そしてそのイントロの後の詩は、とても悲しく店内に浸透した。
貧しさが漂いつつもクールだった店内の空気を凍りつかせた。
♪もう 終わりだね 君が小さく見える
なんと説得力のあるメロディと言葉だろう。
食欲が一気に消滅する説得力。
一生懸命腹いっぱい食べようとしている最中の客の時空が止まる説得力。
それもおそらく店内の客全員の心へ届く説得力。
もちろん俺も説得された。
店内を歩く足音が止まり食事の音も確かに止まった。
明らかに聴き入った空気ではない「しまった!」、「やられた!」「な、なにぃ!」、「ゆ、油断した!」という空気。
「安く寂しく腹いっぱい食べたい人も繊細な季節なんだな…」そう他人事のように思考することで冷静を装う。
クリスマスまで残り数週間だった。
誰もがいつでもガラスの十代に戻ってしまう時期は存在するだろう…。
そしてやはり「ああ、俺もう終わりなんだ小さく見えるらしい」そう思った。
小さい言われた、でもあえて言われなくても…。
うわぁ〜ん
Ghost in the Shell - Sayonara - YouTube
October 14, 2007
もう10月
おまいら久しぶりだな。
年末に向けてどうにかブログを再開できるようにできないか悩んでるよ。
このブログやってないと俺って世の中に存在してないような錯覚がする。
あと、禁煙は今も余裕で続けていて脂肪も少しずつ落としてる。
今なら前よりは少しアクティブな文字を連ねられる気がする。
こうして毎日必死にやってても毎日ニートして寝てても日が経つのは早くて今年ももう10月。
そういえばニートになるときに時を止めたくてニートになったという衝動があったような気がする。
仕事をしていると本当に日が経つのが早い。
だが仕事中の時計の針は動くのが遅い。
時計の針は不思議だバカヤロウ。
給料を貰ってちょっぴりリッチな俺はエロいことを考えて香水を買った。
定番の匂いで嫌がられることは少ない匂いらしい。
これと俺のセクシーなまなざしで醸し出されるハーモニーがあれば女はイチコロなはず。
ちなみに安いよ。
100mlで3000円未満。
![]()
August 27, 2007
ペットがペットを育て始めると
もし、ペットとして育てられた人間がいてその人間が子供を産んで育てると、やはり子供をペットとして育て始めると思う。 その場合、ペットとして育てられた人々が子供をペットとして育てる社会に何か影響が出るだろうか?
自分は、現在教育現場で問題になっている「クレーム親」は親や社会にペットとして育てられた世代と思っている。 これに関連した部分を付け加えて考えたい。 自分は、本来のペットの意味の動物のペットも日本では虐待の意味を持つと考えている。 首輪をしているからとか残飯を食わせたりしているからとかそういう思考でなく、単にペットが嫌がっていることを「面白い!」「可愛い!」と楽しんでペットを自慢している人たちが目立つのでそう思う。 そのような人たちは近所に目立つだけでなくテレビやラジオにもペットの話題を持って出てくる。 気持ちが悪いが今や日本のテレビやラジオはそういう人たちの娯楽となった。
こういうことをログに残しながら、「ペットが嫌がってることを自分が本当に解っているか?」は自信がない。 もしかするとペットを飼っている人々の言うとおりに「あれは喜んでいる」のかもしれない。 もしくは、「あれは飼い主を喜ばせる為にしている」のかもしれない。 言葉を交わす人間同士でも相手の気持ちを本当に理解し続けることは本当に難しいことだろう。 だからこそ命は大切にしなければならないことだしペットを飼うことも賞賛されるべきことと思う。 だがこの忙しい社会でどれだけの人が自分のストレスやエゴをペットにぶつけて自分だけをスッキリさせていることだろうか? これを考えるとペットを飼う人々の本来の醜さを表に出さない為のプロセスにペットが存在し、ペットを飼っているから社会的地位を確立できる算段もあると勘ぐれる。
「ペットに飯を食わせているからペットでスッキリするのは当たり前だろ!」そんな風に言われる気もする。 だがちょっと待って欲しい。 ペットは機械のような無機質なものでなく、生きていて心臓が動いている動物で生き物だ。 言葉や心が通じないかもしれないが、それはそれなりの感情を持っている心のある動物。 嫌がっていることを飯を食わせているからやってもOKなんて付き合いなら年金問題やホワイトカラーエグゼンプションや派遣労働問題やネット難民など現代日本の問題は問題でなくなる。
ペットが一見嫌がっていない場面でも「それをやればペットが馬鹿になる」から「それをやって楽しむべきでない」ということを知ってか知らずかやってる飼い主を見かける。 自分から見てそう見える自分から見て勘違いなペットの飼い主達は自分で自分のペットを馬鹿にしておいて馬鹿なペットに悩んだりしてる。 彼等、馬鹿なペットの飼い主達はその悩みを実は楽しんでいると思う。 実に馬鹿にする喜びを味わっている恐ろしい気味の悪い群集に見える。
誰もが忙しく誰もが意味を忘れて働く日本では自分の存在もなんであるかを気付かない群集があると思う。 この群集に親のエゴからペットとして育てられ、その状態を受け入れたまま出産して子供を学校へ通わせている親が存在すると思う。 この群集は本来の意味を忘れているから理不尽なことを言う。 だがこの群集が成長して教育された現場へ鮭のように帰って理不尽なことをしているところは実に自然なことと思う。
こうしてペットがペットを育て始めると自然に世の中が理不尽になっていく風景が見えてくるのだと思う。 それからニートは現代でも単に馬鹿に出来ない時期と群集であることを改めてここに宣言する。
![]()
ニュースから思うこと - livedoor Blog 共通テーマ 人気blogランキング ![]()
August 19, 2007
フェニックスが休息期に突入したお知らせ
フェニックスとは自分が使用している一応自作パソコンの名前。 傷ついたり、古くなったり、故障しても生き返ることを前提として生まれた自分の自作パソコン。 このパソコンが休息期に入った。 それは何故か?
それは、パソコンの使用者であるニートジャパンが働いちゃったから。
自分は今、働いている。 それで炎の残像を残すが如く日々動き回っていたフェニックスは休息した状態になっている。 あのフェニックスがとても静かに休んでいる。
一方、自分は流石にニート歴が長くて脳の回転も鈍っていて職場に溶け込めない。 だがそんなことは仕事を始める前に百も承知。 7月からいろいろと疲れて休みの日も何もできない日々が続いていた。 それはこれからも続くとは思うが手取りは10万未満と思う。 正直、もう辞めたい。 再び派遣で工場へ行っているわけだけど職種や職場は秘密にしておきたい。
まあ、少なくとも年内は粘り続けたい。
それにしても暗闇を選んで散歩していた自分の格好が誰から見ても馬鹿にされるところから直さないといけないのは辛い。 ファッションとかさっぱり気にしていなかったからコーディネイトはこーでぃねいと(洒落)とかわからない。 Tシャツに穴が開いていたりしていたのも気付いていなかった。 その穴は「だがカッコイイ」というようなファッショナブルな穴ではなかったようだ。 「笑いたい奴は笑え、信じる奴はついて来い。」 そんなことを言いたいが誰もついてくるわけない。 それは自分でも理解できた。
まあ、あいつら国の先行きや政府の方針には鈍感だがファッションセンスは自分よりあるようだな…。
それからブログの更新を途絶えさせていた間、いろいろな事件や事故があった。 その中でブログに書き残せなくて一番気がかりだったニュースが「ポッチャリ王子、予選敗退」のニュース。 あのときの言葉に表せない凄い残念な気持ちをそのときの気分とタイミングで書き残したかった。
以上、フェニックス(不死鳥)が生き返る為の休息期に入ったお知らせでした。
![]()
日記。 - livedoor Blog 共通テーマ 人気blogランキング ![]()





