最近睡眠の調子がよくない

どうも、久しぶり。
最近睡眠外来にも行って、副作用で眠らせてくる薬をもらって飲んでいるが、なかなか中途覚醒が治らない。どうしたものか。
大学もあるから、できれば早めに起きて脳を覚醒させてから勉学に励みたいのだが。
さてどうしたものか
何か解決策のようなものがあればアドヴァイス求む
今回は以上

『星の王子さま』を読んだ

星の王子さま 表紙



一気読みなんてこれまでまずなかったのだが、恐らくそれなりの分量の文書では人生初の一気読み。『星の王子さま』を深夜に一気読みした。
昨日は寮の全体会議でディベートが催されて終了後それなりに好評を得たので寝付けなった。そのためとりあえず本を読んで過ごそうということになって、俺はとりあえず上京の際実家から持ってきた当該書籍を読んだのである。面白かった。
もともとこの本は俺のではなくて、昭和43年に刷られたと書いてあるので、恐らく祖母が私の父のために購入したものではないか。父は幼いころからまず本は読まない人なので、誰にも読まれず本棚に眠っていたのを、ニート時代に暇していた俺が発掘したのではないか。
さて、内容に関してであるが、想像していたよりもずっと大人向けだった。実質何も支配できていないのに威厳ばかりを気にする王様が出てきたり、実業家として数字のことばかり気にする人が出てきた。
王子さまが地球に来たら特急電車を見てスイッチマンと会話したり、商人と会話して時間の節約の話を聞かされたり、大人(社会)、特に「近代の合理的(或いは功利的)な頭の大人(社会)」を風刺しているように思えた。この作品はネットでみたところ200以上の国と地域で翻訳・出版されているらしいので、日本でもいくらでも批評はあるだろうから、それは他のサイトや媒体をご参照あれ。

星の王子様-Wikipedia

これを読んで元ニートの俺が思ったのは、「ああ、俺も大人サイドになってしまっている」ということである。これをもしあのニート時代に読んでいたならば感想は変わっていただろう。ただ、普遍的に変わらないことはある。それは、友情に関する箇所である。王子さまは人外とも話せるのであるが、そもそも王子さまはバラと喧嘩して自分の星を出てきたことになっている。その王子さまが地球でキツネと話す。そこで、キツネから、「仲良くなると、それまでその他大勢と変わらなかった者が、かけがえのない存在になる」という話を聞く。その後キツネは王子さまに「秘密」を教える。それは、「かんじんなことは、目に見えない」というものである。
”あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思っているのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ”
時間をむだにしたから大切な存在になるというのは感心した。面白い。

ただ、俺が一番心を動かされたのは、献辞である。
”わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちには、すまないと思う。でも、それには、ちゃんとした言いわけがある。そのおとなの人は、わたしにとって、第一の親友だからである。もう一つ、言いわけがある。そのおとなの人は、子どもの本でも、なんでも、わかる人だからである。いや、もう一つ言いわけがある。そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである。こんな言いわけをしても、まだ、たりないなら、そのおとなの人は、むかし、いいtどは子供だったのだから、わたしは、その子どもに、この本をささげたいと思う。おとなは、だrめお、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)そこで、わたしは、わたしの献辞を、こう書きあらためる。
子どもだったころの レオン・ウェルトに”
この本は第二次大戦中に書かれたものであるが、この、作者サンテグジュペリの友人、レオン・ウェルトはナチス支配下のフランスに住んでいたユダヤ人らしい。ジーンとくるものがある。

コロナが済んだら色んなところに行きたい

一番行きたいのは、現在コロナ禍により学生証の提示が必要であり関係者以外立ち入り禁止になっている他大学である。
せっかく東大生や東工大生と仲良くなったのであるから、ワクチンが出回ってコロナが済んだら東大の講義にも潜入してみたい。半分も理解できないかもしれないが、楽しいことには相違あるまい。
ボランティアとかで学生の知り合い増やそうかな。
せっかく東京に旅行でなく上京というかたちで来たのであるから、様々なことに挑戦したい。その挑戦というのも、形容が難しいが、できれば枠内の挑戦ではなく枠なき挑戦にしたい(もちろんそのためには相応の能力と、挑戦を「発見」する発想が必要になる)。もちろん枠内の挑戦も疎かにはしないが、枠の中にいながら枠にとらわれないようなあり方を目指したい。
俺の経歴は、誕生→地元公立小中卒→高校中退→ニート→高校→現在大学生、である。高校時代には給付型の奨学金をもらっていたのであるが、その奨学金の会があって、その席で他校の女子生徒が、「世の中はもっと楽しくできるはずだ、世の中を楽しくしたい」という趣旨のことを話していた。それは大いに結構なことだと思って、面白いやつだと思った。俺は、そういうやつばっかりになっても世の中かえって生き苦しくなると思うが、一定数いた方が楽しくなると思っている。俺はまあ世の中を楽しくするというほど大げさなことではなくて、自分が楽しくできればいいなと思っている。
将来なにか楽しいことをやるために今は学ぶ、というのが高校時代部屋に掲げておいたスローガンであったが、大学進学が達成された今、学ぶことも続けつつ、その楽しいことを始めていきたい。とりあえず今は自分が何かを発起するということではなく、そのための布石、下積みをやりたい。
まあ地元時代には教会から共産党事務所まで思いつくところを回ったので、東京ではなおさら下積みにかこつけて色んなところに出入りしたい。
小人閑居して不善をなす

オンデマンド授業やめてほしい 学費返せ(泣)

大学生になったはいいもののコロナ禍で対面と非対面が繰り返され、今日からは絶賛オンライン授業である。しかし、双方向性の担保されたオンライン授業ならまだいい。だが多くがオンデマンド授業という、動画か、最悪資料を貼り付けただけのものである。
対面の授業での体験が面白いものだっただけに、残念である。
萩生田文科相が大学側に対面を要請しているらしいが、(https://www.jiji.com/jc/article?k=2021040900640&g=soc)それは応援したい。
これ以上教員の怠慢を放置するようなら学生運動起こすぞ(冗談)
まあ、勉強は滞りなく進んでいるから問題なしというわけで、創造的休暇になるように心がけてそれなりに楽しくこの特殊なキャンパスライフを楽しみたいと思う。
しばらくの辛抱だ。

今日の大学は面白かった

私は大学生であり、哲学の徒である。
今日の講義では100人ほど入る教室の一番前の真ん中の席を陣取った。
講義自体は意図がよく掴めなかったが、終了後に教授と話せたのはよかった。
そして、初めて知り合った男とキャンパスの中を歩きながら講義の内容について話すといういかにも大学生らしいこともしてみた。
さて、私は成長していこう。
皆さんも日々の生活の中でどんどん身近な小さな挑戦をして、楽しんでいこう。

皆さんお久しぶりです。ニート俺氏です。

やあやあ久しぶり!ニートとしてネット上で全裸放尿配信などしていたニート俺氏、久々に更新(6年数か月ぶり)。
まあ歳月というのは人を変えるものであるが、三つ子の魂百までということで変わらないところもある。布団に射精して黄ばんだシーツを画像にしてアップしていたものだなあ(古文現代語訳風)。
俺はあの頃青春(あってないようなものだったが)真っ盛りの10代後半で、自分なりに極めて楽しく生きていた。郊外の山と川のある里を風のように散歩していたのが懐かしい。
24歳になっても、このブログおよび俺のネット上での主要活動期間である2014年は、先述した散歩の風景とともに俺の楽しいニートライフの全盛期を示している。2014年という1年は今も心に刻印されている。酒を片手にシャツ一枚で深夜の街を歩き回ったのもいい思い出である。

さて、俺は人より遅れて大学生になった。専攻は哲学である。コロナ禍は早くおさまってほしいが、それなりに充実した日々を過ごしている。
今回こうして再登場したのは、まあ気が向いたからである。なにか「哲学的」な転回があったわけではない。大学生は暇だという話を真に受けて暇になるのかなと思っていたが、想像していたより時間がつくれなくて少し驚いている。フルに近い単位を取ったからであるからでもあると思うが、一番はコロナでレポート課題中心の”講義”になったからだろう。しかし、哲学以外にも心理学や民俗学など履修できてたいへんに楽しいものである。来年は政治学や経済学も取ろうかな。

ちょっと今過去の記事を読んでみたが、当時から哲学的なるものへの言及があることと、諸々の内容から、なんか俺あんまり成長してないんじゃないかと思えてきた。しかし当時の俺より自己評価が低くなったのは確かだろう。或いは妥当なところに近づいたと言うべきか。

せっかく復活したから、なにかまた楽しいことでもできたらいいな。
ともかく俺は元気で、今も世界の一片として確かにここに生きているということを伝えて今回は終わりとする。

心にもないことを言う

心にもない自虐ネタをよく書き込む。
これでは「リア充爆発しろ!」などと書き込む者らと同じである。
しかし、影響しうる範囲根源的に総ては一つ、という考えに変化はないのであるから、これはこれでありなのだろうか。
これも便宜なのだから。


修業は自身のインフラ整備

誰でも何でも持てるから 持ってるだけでは意味がない

面白い記事を見つけたから紹介しておく それと俺のこじつけ

妄想と現実の二項同体-愚樵空論












サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことは
 たわいもない世間話にもならないくらいの どうでもいい話だが
 それでも、俺がいつまでサンタなんていう
 想像上の赤服おじいさんを信じていたかというと
 俺は確信をもって言えるが、最初から信じてなどいなかった。


知っ ている人にはお馴染みの『涼宮ハルヒの憂鬱』冒頭のキョンの台詞だが、この台詞に言い表されたこの感覚。これは、確かに私自身の感覚でもあった。『マンガ 日本昔話』で、人間がキツネやタヌキに化かされていたというファンタジーに接しても、「確信をもって言えるが、最初から信じてなどいなかった」。





かなり面白い記事だ。
そして、かなり面白そうな本だ。
幻影からの脱出

「第三章 田中角栄主義と原子力」において、72年体制、非主流派という概念が提示されている。


  一般には五五年体制は一九九三~四まで、つまり四〇年近くも継続した、と考えられています。しかし私はこれがもっと早く、一九七二年に、佐藤栄作率いる佐 藤派のなかの派中派として、田中角栄率いる「田中派」が成立したときに崩壊した、と見るべきだろうと考えたのです。そして同月の田中角栄の首相就任、一九 七二年九月の訪中によって、「田中角栄主義」とでも呼ぶべき政治思想が確立したと考えます。
 これによって日本の政治は、

  保守本流 (親米:都会の官僚、エリート層中心)
  田中派  (親中:田舎中心)
  社会党  (親ソ:都会の労働者中心)

という鼎立構造絵と移行したのです。私はこの体制を、「七二年体制」と命名したいと思います。
(『幻影からの脱出』 p.117,118)


そもそも私がこの記事を見つけたのは、”七二年体制”と検索したからだ。
そしてこの「幻影からの脱出」、目次を見るだけで面白そうだ。
はじめに

第一章 東大話法の本質
 虐殺の言語
 東大話法とは
 選択の自由
 「語りえぬもの」と「暗黙知」
 「完璧」な解答
 「箱」システム
 「芋づる式」の思考
 東大話法の下手な原発関係者
 大橋教授の開き直り
 措定された「文脈」
 「討論」と「言い争い」
 ヤラセの原理
 民主主義の形骸化
 フィードバックのために「名を正す」
 論語とサイバネティックス
 サイバネティックな民主主義
 大橋教授の誤謬
 歪められた「名」

第二章 『原子力安全の論理』の自壊
 放射線防護の基本的な考え方
 組合せ爆発
 DBEとPSAという魔法の杖
 経験に学ぶフィードバック
 人的因子
 名を歪める
 正直者を使いに出す

第三章 田中角栄主義と原子力
 田中派の成立と五五年体制の終焉
 七二年体制の政治構造
 体制派と非体制派との区別
 「我田引鉄」政策
 宮本太郎教授の概観
 親中政策
 田中主義
 小泉主義
 小沢一郎の政策と反小沢
 日本政治全体の見取り図
 原子力発電所の意味
 田中角栄と原子力
 田中主義の終焉
 小泉主義の終焉とアメリカの南米化

第四章 なぜ世界は発狂したのか
 ヴェルサイユ条約
 ヒトラーの出現
 「見せかけ」によらないマネジメント
 総力戦の時代
 靖国精神
 怨霊の思想
 テロ・ゲリラ戦争の時代
 原発と原爆
 妄想から現実へ

終章 結論――脱出口を求めて
 子どもに聞くこと
 放射性物質からの離脱
 なでしこジャパンの非暴力の戦い
 四川地震の日本の救助隊
 PRBC構想
 フクシマの「風評被害」
 日本ブランドをいかに回復させるか

 おわりに
 附論――放射能の何が嫌なのか
 文献



面白い記事だ。個人的にはオールスター揃い踏み感がある。
日本昔ばなしは大好きだしハルヒはそれ以上に好きだ。
さて、面白い記事を紹介しておいた。





「国会対策の処分が国会へ来てね、『そういう法律を出したら、お前を追放にする!』と言う追放にするト、どうして追放できんだと、わしゃアメリカの国会議員じゃいんだ。といっても追放できなかったがね。その時にできたのが道路三法。」
「みんな反対だった。ン政府も反対だったけどね、政府も反対だったし、アメリカも反対だった。
『こんな大きな道路を作ったら、軍用道路として、西ドイツが、第二次戦争を起こしたのと同じくなる!』
・・・あたしもねえ、こォの野郎と思いましたがねぇ。」
「世界中で最も自由な経済論者は、誰だ、それはユダヤと華僑った。」




7月7日に首相に就任したから「七日会」。






余談であるが、来年からアウトバーンも有料化されるらしい。



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目的なき勢力にならないために

目的を共にした勢力を作る。
これは目的を達するための有効な手段である。
しかし、勢力が形成され時が経つと、目的が忘れ去られてしまうということがよくあるだろう。
忘れ去られた時点でただの”勢力”になってしまう。おうたをうたうの?^^
輪になるのは有効であるが、ただそれだけではだめだということである。
輪があって、その中心に一人いる。これが大事なのではなかろうか。


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