【ソーラーシェアリングの魅力】

 今のメガソーラーをはじめとした野立てタイプ太陽光発電設備の現状を見てみると、山を切り崩して、木を切り倒して下にビールで覆ったり砕石を置いたりしているので、山の生態系は壊れ、パネルの下の土は死んでいます。地面は呼吸しなくなったり、ビニールを張れば他の所に水は行ってしまい、設備の回りの環境を壊してしいます。

 また太陽光パネルは温度が上がると発電量が下がってしまうのですが、ソーラーシェアリングですとパネルが高い所に有り下は植物があるので温度が上がりずらいので発電効率が野立てタイプよりが高くなります。

 

 通常のパネル一枚の重さは245キロあり屋根に付けると危ないので、素人には設置したり直したりできない。変な風に付けると雨漏りもしちゃう。田舎の人は単管パイプなどを使って小屋をつくるのは普通にやっているので、ソーラーシェアリングだと自分達でも作れるしとりもなおさず治したりする事も出来る。多くの人が建設に携わることが出来てその後のメンテナンスにも携わる。同時に多くの人に利益が分配されます。(風力発電などは中心の部分が80㍍はあるので大きな設備となり素人には建設もメンテナンスもできません。)

 夏の草むしりなども時々日影があるだけで凄く楽になります。また冬場は放射性冷却を防ぎ雪解けが34倍早く霜が降りずらい。それがソーラーシェアリングの農業面での良い所です。

 

 

【ソーラーシェアリングの課題】

 課題は認知がまだ低いこと。現状は全国で1500件、50都道府県で割ると各県30設備くらいの割合になります。千葉県は長島さんの試験場などがあることで突出して数が多く500ぐらいあり鳥取は1個しかない。千葉県ではそれなりに認知が上がってきていますが、それ以外の県では許可する農業委員会も知らない人が多くてなかなか許可されない。それでもここ数年は先例が出来て取りやすくなって来ている。

 それと金融機関の借入金返済はおおむね15年になるのですが、農業委員会の許可が3年毎の更新ということで、3年毎に上手くいくのかというと金融機関にとってはクエスチョンになってしまっていて農家さんに普通の銀行は簡単にはお金を貸しくれてない。

 それでも2年前に全国信用金庫の幹事的役割を担っている城南信用金庫さんは、うちの会社も含めて農家さんに貸し出すという事がパラパラと出て来ている。日本政策金融公庫も貸し出すようになって来たり、千葉銀行は絶対にダメだったのが現在は話を聞いてもらえて検討してもらえるようにはなってきました。。東北の福島の方では農林中金と言って政府系の金融機関で億単位で貸し出すようになって来た。まだまだですけれど大分変ってきています。

 建設費に関しては普通のソーラーパネルに比べて1.5倍程高い。全国で広くすすめることでコストダウンにつなげたい。今以上に安くしたい。

 農業面ではネックではないのですけれど20年耕作をつづけなければいけないので、その体制づくりをするのが大変です。若い跡取りがいる農家さんだと良いですけれど。

各地で耕作放棄が多くなって来ている中で、『それじゃどうするのか』『これからこれからの農業をどうするんだ。』などと地域で考えてみんなの力を出し合い地域を守って形成していくのには良いきっかけとなる法律ないのではないかと思っています。

 

【匝瑳メガソーラーシェアリング】

3月でちょうど通電して1年になりました。城南信用金庫から22千万を借りたのですが、この時資本金90万円の会社でしたので良く貸しくれたと思っています。小泉元首相と思いっきり脱原発を情報発信していた城南信金前理事長の吉原さんがここに何回も来てくれた。「これ、一番環境的負荷少ないよね」という鶴の一声で借りられたという所がある。 年間4700万円ぐらい見込んでいたところ昨日計算したら5400万円ほどの売電があり凄いパフォーマンスが出来ている。その内の200万円を地元の環境保全会に寄付して村の皆さんに相談して使ってもらっている。それと200万円をここの農業生産法人に渡している。農家さんはタダで土地を借りられて200万円売電収入が有り生産した物は全て入り、そうすると事で350万円~400万円ぐらいの収入になる。新規就農者を始める30代ぐらいの人ならギリギリ一家族が食べていける。実際のところここでの農業従事日数は365日の内60日なので残りの時間は自分好みのニワトリを飼ってトマトを作ってみたり葉物を野菜パックにして自分らしい家庭農業ができる。オーガニックをやりつつ収入も安定していることになる。これが達成できて本当に良かったです。

 耕作は小麦と大豆がエリアごとに分けて行われており、夏季/大豆が育っている間に麦の畑では緑肥の代わりにヒマワリを育てていた。ヒマワリは高さ3mあるので調度パネルの裏まで育っていて発電量が5%多かった。よくいう緑カーテンをやると気化熱で10度ぐらい下がる。それと同じことがここでも起きて凄く良かった。

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ちなみにここは全部で3.2町歩、32千平米なんですけれど半分近くは耕作放棄地でした。私たちがソーラーシェアリングをやる場合出来るだけ耕作放棄地を使う事にしている。草ぼうぼうだったところを農業を復活させて雇用を生み出す事になる。

 

【系統接続の問題】

 次の大きな予定地は約1メガを計画していてそこも耕作放棄地です。地元の大問題になっていて今度は土地を買い取ってやろうと考えている。先の設備は3億円かかったが、次はここ1年努力し技術の向上や仕入れも変わったので同じ設備なら78千万は安くなったので採算は取れると考えていました。東電の接続料は前回約600万円だったから高くても1千万円と計算していたらなんと11千万円でした。テレビでここ最近やっている京都大学の安田先生なんかが言っている送電網問題ですね。容量がないので7キロ離れた所から送電線をもう1本曳いてくるような問題が全国で出ている。1年ぐらい前までは対岸の火事のように見ていてへぇ~そんなことも有るんだと思っていた。去年の12月、書類が届いて何度もみても桁が違う・・と1千百万ではないのか・・と見直したけれどどうしても11千万円、コストダウン分以上のコストが上がってしまった。FIT32円だったけれど今年から18円になるのでどうなるか。一つの実証として捉えて前向きに只やって行く事でしかない。必ず活路は開けると思っている。

 

【市民エネルギーちば初号機】

 これが1号機で30キロの発電量。先の設備の40分の1サイズで素人7人で作ったのがこれである。750万円ぐらいでつくりました。身内に借金して何とかして短気でパネルオーナーとして125千円で市民のみなさんに購入してもらった。

 当時としてはかなり背伸びした感じで1基作ったが、小さくとも一つの実績を実現したことで3年経たずにああいう大きなものが出来た。やっぱり10でないというか0.1でも0.01でもほんとに小さな1歩でも何かやってみるということは凄く大きい事なんだと体感した設備でした。今も元気に発電しています。

 

【小さいけれど大きなこだわり/木製遮光版】

環境問題はみんな繋がっている。ふつうの太陽光発電業者さんは、パワーコンディショナーの遮光版を金属板をビスでババと止めて安くして長持ちさせる。FIT20年で終わり設備は30年持つと考えている。まあその時ごみは少ない方が良い。僕らは遮光板を間伐材で焼いてから柿渋を塗って一つ一つ手作りしている。10年ぐらいで朽ちてしまうので薪ストーブに使ったり朽ちたら朽ちたで土に戻るという事でやっている。全体として観て数字には現わせないですけれどやれることは精一杯やりたい。

 

【持続可能な地域つくり】

夕張と同じく次は破綻する最右翼だと銚子は言われていて匝瑳市も近い状況にある。

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いま年1.2%以上の下落率で拍車がかかって行っているのが現状。この事は悲しい出来事何ですがピンチをチャンスにして、1メガの3.2町歩をコツコツ創って来た。田舎というのは非常に保守的なので基本的に新しい事をやると拒否反応があるものですが、この地元にはこのままだと村がなくなってしまうという危機感があったので、逆に新らしい事を受け入れてくれる土壌があった。

 うちの会社では殆ど使っていないのに2か月で水道代が4400円。水道代は田舎の方が高く人口が減るとおそらくもっと高くなる。最後は社会インフラがもたなくなってしまう可能性がある。

 だから全体の活動を通して雇用が生まれ人口を増やして行くというのを目的としてやっている。匝瑳市で出来たことを今後、全国にシェアして行きたい。それが竹の子的に全国に拡がって湧いて出てくるようなイメージを夢みている。うちの会社のメンバーが他地域の建設までをすべてやると、工事代金の利益が他県から千葉県に来てしまう。だから最初だけ行って技術移転してすごく細かいノウハウも教えてその後は地元の施工会社にお金が落ちていく仕組みを模索中です。

 

 固定資産税は地元に高い比率で入ってくるので1000kwの設備でトータル2000万円以上が地元に入ってくる。農家さんへは年200万円払い20年で4000万円。土地代が年80万円、耕作放棄地は地代も発生していない。草刈りにお金も払わないといけない。地権者さんも固定資産税を払わないといけないそれ上回るお金も入って来る。

 さらに環境対策費として地元に年200万円払い20年で4000万円の拠出があり、それらは地元の教育や福祉・環境対策に回されている。

 平均年間1200名の方が見学などに訪れている。近所にお弁当頼むことでお金が落ちていく。法人事業税を払う。とにかく地元にお金が落ちていく流れが生まれる。過疎化しているという事は税収も落ちているのでこの事で多少寄与している。

 2018324日、調度1週間前に村づくり協議会が出来ました。構想から2年がかかりました。私たちのエリアは豊和地区という飯塚・大寺・内山の3つの村で構成されていて、それぞれの自治会長さんに参加してもらっています。他にも農家さんの団体、豊和小学校、地元の環境保全会、豊葉会というお祭りの団体、農業生産法人が2社。環境NPO『匝瑳プロジェクト』などが参加しています。

こけら落としのイベントとして415日には藻谷浩介さんを呼んで勉強会をやりました。

 

 協議会にはそれぞれの設備の収益金から年間300万円流れていく。これから出来る2メガ弱からも200万円の予定があり、合わせて年間500万円協賛金助成金という形で20年間行く。その1億円で収穫際とか小学校補修工事に当てたりしている。広い意味で教育か環境であれば何でもいいという事でお金出した人たちが何に使うかは口出しはしない。『地元の人たちで考えてください。』というスタンスです。

 お金出して何かやって行くというのは大事なんですけれど、意外と地区ごとの交流がないので地域としてこれからどうして行くんだと真剣に考えて行く場になってくれればと思っています。豊葉会は20代から40代の若手が多く、小学校のPTAだと30代が多いなど年代の違いによって考え方に違いがある。地方だと7080代の発言権が強いのでなかなか保守的で新しいプランが通りづらい。地域に新しい風というか息吹というかそいう意味でもこの協議会は生きてくる。例えば農家さんだけのカテゴリーで考えてしまうのではなく全部縦断する形でこれからの村をどうするんだという話し合いの場がないと衰退の一途だなあと思ってこういう事をやっている。

 農村と都市がつながるきっかけで農家さんも安全な物を作り、都市の人たちもありがとうと思っているのですけれどなかなか頭ではイメージを持っていてもリアルにつかむことが出来ない。ソーラーシェアリングなどの見学に来てくれると実際に農業はこうやっているのだと交流が生まれる。都会の人がたまには畑の仕事してみたいなあと思ってもどこにどう頼めばいいのか分からない。ソーラーシェアリングをつくると人の繋がりが出来るので畑をやりたいと言う人が畑に集まって来るのでそこでも交流が始まる。都市の人が来てくれると農家さんは元気が出る。跡取りの問題の方がTTPの問題よりはるかに大きい。去年の年末だと農業の平均年齢は66.7才ということで歯止めがかかっていない。だけど『うちのお父さんのところには都会の人たちが沢山来るなぁ、、、』などとお父さんは何か良いことをやっているだという事になってプライドが持てる。

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そうすると農業を継いでみたくなる。地域が活性化してくる。都市住民の方でもナチュラル思考の知的好奇心が強い例えば川口の人、神奈川の人、都会の人がそこで出会う。先日もワークショップの形で地元の間伐材を使って小屋作りをしました。神奈川横浜市役所に勤めている女性と千葉県船橋市の人がそこで出会ってほぼ結婚の方向で進んでいる。本当に良い事で東京にいると全国から色々と来るので自分と気の合う人と出会う。こういう場所だと環境、社会問題に関心のある人たちが集い出会いの場としては結構大きいと思う。都会だとたき火も出来ない。月に1回ぐらい思い切りやって見たい。自己実現の場になる。精神的な豊かさ心が大事なのかなと思う。

 

【農業生産法人Threelittle birds

2年前にスリーリトルバースという農業生産法人を作りました。現状78名。

32才と36才の若い二人がリーダーとして頑張っています。

 42才の寺本さんは3年前にユーターンして来て、元々レンチの料理人だったのでこれからカフェでもつくって毎日ではなく農業が中心なので月に一回は料理やってねという形で話している。

 37才の越智君は介護関係の仕事で10年以上働いていてお子さんが出来て食の問題でアレルギーもあって勉強していったら子どもに自然な物を食べさせたいと地方に移住して来た。農業大学校を卒業して設備の農業長になってお子さんが二人いて奥さんも安心して農業が出来る。彼はこれから百匹二百匹のニワトリを飼ってそれも収入にしたいと言っている。

 今後5町歩、5万平方メートルの畑を3年以内に倍ぐらいの規模に持って行く。ここで採れた大豆の半分はここにある工場で味噌をつくっている。今年は実験的に醤油を2樽ぐらい作っている。うまく行ったら醤油工場を建て来年には醤油を出して行きたい。今年の7月にもう一つの農業生産法人をつくるこれは後でお話をします。

 

22世紀のDNAを作る】

 22世紀のDNAをつくるという事で僕たちなりに頑張っているですが日本全体、世界全体でみると微々たる活動なんですけれど僕たちの地域で一つの輪、サイクルができれば全国で出来る所はマネしてもらいたい。規模の大小にこだわらず金型、DNAをつくっているような気持ちである。この企画書は3年前のものでコピペしたもの。それが今少しずつ実現し始めている。まだ出来ていなのが市民農園、カフェも。加工食品講座は2か月に1回色々とやっている。梅干しをつくったり竹の子掘りをやったり収穫祭も一応できた。ゲストハウスも少しずつ始まっている。

 いわゆる観光農業という言葉がありますが、言葉の方向として違和感を持っていて、個人的には『農業観光』のイメージを大切にしています。農村の普段の営みを都市部の人たちが見に来る。都市部の人たちに迎合した企画をして向かい入れるのではなく、元々ある自然、文化、伝統をそのまま見てもらう。ほぼ同じなんですけれどタッチというかテーストが違うと思っている。

 また今年は施設の下で大麦を育て、大した量ではないのですが500キロぐらい作付けしたのでそれを使ってビールをつくる。先ほどいったもう一つの農業生産法人をつくり、こういった6次産業化と農村民泊。最初に作った農業生産法人は耕して生産して1次加工の会社なんですけれど、新しい農業生産法人は色んな構想を実現して行く会社を創って行こうと考えている。当然この地域の地下水を使って基本的には地域の人しか飲めないようにしてそこでおしっこをしてもらって帰るというビールをつくる。収穫祭も去年やって皆さんにも来ていただいてありがたかった。700人ぐらいだったのかな、今年の目標は2000人ということで都内からも天ぷら油を使ったバス2台で来てもらい徐々に広げて行きたい。さつま芋の収穫では紅春香という人気の品種。

 小屋をつくって地元の間伐材を使って正倉院と同じ板倉造りでパコパコはめていく感じで夏涼しくて冬暖かいものを建てている。こだわりは土台に焼いた杉の木を地面に打ち込んでいる。コンクリートを打つと水脈が止まってしまう。微生物の発生が抑えられてしまう。その点焼いた杉の杭を打ち込むと土の中に入った杭の回りに菌が付きぐるぐると育って行く。その事で他の木から育って来た菌糸とそれぞれ絡み合っていく、そうする事でこの地域の生態系が良くなり生えてくる草が変わって来る。小屋一つ作るにもこだわっている。これも最初の1号機設備と同じで助成金150万円もらってプラス50万円はみんなで出合って200万円で作る。パタゴニアとプロジェクトを協力してもらって10戸。HISもソーラーシェアリングにすごく力を入れたいというので20戸、30戸と作って行きたい。そうしたら真ん中にカフェをつくろうとこれも構想3年だったのでまた01になって良かったなあと思っている。他の古民家でも色んな映画会、ヨガ教室と色んな講習会をやったり、NPOだとか地域の新しい人の活動場所に使ってもらう。これとは別の古民家を一昨年匝瑳市から借りて大分直して今年はそれを買い取って国から古民家再生には補助金が出るのでオリンピックまでは良いも悪いも出るので宿泊施設をつくろうという事でそれを使ってリノベーションして活用して行こうと考えている。最初に話しましたが耕作放棄地を開拓して行きたい。

 山の保全も大切です。パッと見、緑色で立派な山にに見えても、間伐もしていないので下草が育たず表土がドンドン取られてしまっている。実際に中に入ると不毛地帯で外から見ると緑だが中に入ってみると砂漠のようである。だから間伐をして光が入るようにして風通しを良くする。下草が生えてもっと広葉樹が増えていかないと日本の森はダメになってしまうのでバイオマス利用もやりたい。

 

【自然エネルギー100%の村つくり】

 太陽光は昼間は良いのですけれど夜や天気が悪い時は発電が出来ないので、バイオマス発電とも協力して、最終的には匝瑳市にも市民電力小売り会社がないので作りたい。他にも時代の流れに応じて色々とやってみたい。豊和地区ではすでに実質的に電気に関しては100%自然エネルギーになっている。

 ドイツのフライブルクのように匝瑳市が環境都市として目立って行ければいいなあと思っている。その事を全国の過疎化していく地域に使ってもらえるところは使って欲しい。

 

【最後に・・ぼくの活動イメージの原点】

 最後に。東京の会社の代表を辞めて千葉にちいさな会社(お店)を創ったのが323才でした。そのお店のエリアは千葉県内でも所得が一番低いところで、近くの県営住宅のごみ捨て場所には中国語、韓国語、台湾語、日本語でゴミ捨ての説明が書かれていました。暴走族が多いところでもあり、店の近くに自動販売機があって、夜はそこにたむろして自販機前の植え込みにエンジンオイルとかジュースを捨てるので土がカチカチなって雑草も生えない状態でした。他の街路樹より背が低く半分か3分の2しかない。その植え込みはうちの店の前にあっったのですが、その時は千葉に初めて来て知人もいなくて心が寂しかったので、その寂しそうな姿が自分と重なって『この木を元気にすると俺もきっと元気になる』と思って世話をすることにしました。

 最初は普通の植物が育たないのでイネ科の雑草を他から持って来て植えたのですが、10個植える9個は枯れてしまう。それでもたまに生き残るものがいてだんだん繁殖し、カチカチだったところへ少しずつ空気が入ってきました。ちなみに雑草は化学物質を分解する力が大きくて通行量の多い国道の空き地の土壌分析をすると驚くほど化学物物質の残留が少ない。雑草は実は環境を浄化する力が大きな存在なのです。

 土に空気が入り、水持ちなども良くなってきたときに、少しずつ雑草以外の植物も植え始めました。カモミールとか弱いハーブは全滅だったけれど、ミント系などの生命力が強いものの何分の1かは生き残るようになりました。。それを増やして行ったら多様性が生まれて僕がいつも来て土をいじっているのでごみを捨てる人もだんだんいなくなってきました。

 ある日、暴走族のみんなが「おじさん何やっているの」と声をかけてきて、私が「おじさんここで家庭菜園やっているから、お前らここでごみ捨てないでくれ」というと、「分かった仲間にも言っておく」と言ってくれて、ごみを捨てないでくれるようになって、そこから3年位経つとどんな植物でもちゃんと育つように変わっていきました。さらにその後、根本の環境が良くなったことでその木の背丈は他を追い抜かしてしまったのです。

 また別のある日、数軒先のお米屋さんがそんなことを公共の場でやって良いのかと聞くので「良いんじゃないですか・・」と答えました。『そうよね・・』という感じのリアクションで他のお店の人たちも別の植込みで参加するようになって、お米屋さん、クリーニング屋さんの前はハーブガーデンに代わって行きました。その通りの反対側の植込みでも団地の人も始めるようになりました。その通りでは、それまで除草剤や殺虫剤を撒いて行政が来て草を刈っていたのですが、「ここら辺はやらなくていいですよ。うちらで管理しますので・・。」と伝えることで、行政の負担は減り、農薬もその通りからなくすことができたのです。

 

 僕の中ではこの一連の変化が今の活動の原型なんです。

 

 ソーラーシェアリングも何の手がかりもない所から始めて『何とか生き残るんだ!』という意思だけが強くあって、途中から色んな人の助けがあってようやくまあこの辺ぐらいまで来たのかなあと思っています。

 まずは「知ること・認識する事が大事」だと今も思います。すぐに解決方法が浮かばなくても、まずは問題は問題として認識して、焦点をそこに当てて行動していくことがまず大事かなあ。と。

 当時も雑草を植えることがあっているかどうか分かりませんでしたが、何もしないよりはした方が良いということで行動してみた。そこで状況に変化が生じる。そうすると生態系の中に自立性が生まれてくる。行動するから失敗があるわけでそれで色んな失敗を通して工夫が生まれる。同じ事をやってもダメでこの段階で同じ事をこうやったら上手く定着する事になって最終的に、循環、発展になりそうという所がある。自分の環境の考え方は基本的にこういう所でやっている。

 人間は誰でも変わるのは怖いのでホメオスタシスという『変わらないようにいよう』という心がある。その心の動きは知ったうえで、『変わっていくのが普通なんだ・・』という感じで変わる事に慣れて行った方が時代の変化に対応していくためにはいいのかなと思っています。

 

 自分が変化してこれたのは、課題を認識し、まずは行動することで、新しい出会いとか新しい知識とか新しい体験などに出会えて、その中で最初は不可能に思えたことに活路が見えてきたからだと思います。

 他の人と違う道を歩んでいると落ち込むようなことも多々ありますが、悪い体験、良い体験などいくつか捨て去ると軽くなって変われこともあるし、自分一人では変われなくても誰かと繋がったりして変われることもあると思います。

 

 私は普段半径2キロ3キロ圏内で引きこもり的に生きていますが、今日はガソリンというエネルギーを使ってここまで来ました。自分自身は変わらないけれど視点を変えてみると世界が違って見える。使わせてもらったガソリンのエネルギー以上にそこで得たインスピレーションを活用して、これからの環境活動に活かしていきたいと思います。

 

 行動する事で変わって行く・・。変われるところから一つずつ変わっていく・・。変わって行く事が日常なんだ・・。などと変わることにフォーカスする中で、『自分て何なんだ。』『自分にとって幸せって何なんだ』と考えていくことで、逆に自分の中の変わらない大切な部分に近づいて行けたらいいなあと思って活動しています。

 

今日のプレゼンテーションは以上です。ありがとうございました。