希望の牧場と吉沢さん

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去る928日(金)、自然エネルギーを考える川口市民の会が主催する、福島県浪江町にある希望の牧場を訪ねるフィールドワークを実施しました。参加者は5名と少人数でしたが、原発事故後の“フクシマ”を考える、重いけれども充実した一日を過ごすことができました。希望の牧場の代表・吉沢正巳さんを訪ねて、現地でお話しいただいた記録をみなさんにお届けします。

 「希望の牧場・ふくしま」は、原発事故の生き証人・牛とともに原発を乗り越える世の中を目指す、非営利一般社団法人です。代表の吉沢正巳さんは、自身の被ばくを顧みず、福島第一原発事故から7年半たった現在も、300頭以上の旧警戒区域内に取り残された被ばく牛の保護・飼育にあたっています。原発事故後、近隣の農家は、牧場の放棄と家畜の殺処分を命じられました。その絶望の淵で吉沢さんは国や東電そして放射能に抗う「一揆」を決意して今日に至っています。それは、食べることも売ることもできない牛と歩む“意地”だけを武器にした闘いです。

オリンピック景気に湧く日本にあって、私たちは知らず知らずのうちに原発事故の記憶から遠ざけられています。吉沢さんのお話は、そんな電気を需要するだけの私たちの日常を厳しく問いかけるものでした。ぜひご一読ください。(蒔田豊明)

お話:吉沢正巳さん(18928日昼・希望の牧場にて)

※記録起こしは守谷裕之と蒔田豊明が行いました。写真と小見出しは蒔田がつけました。

ええ、埼玉? (そうです、埼玉川口市から来ました)埼玉県の電力を今日も一生懸命、元気に送っている福島県です。埼玉県700万人県民がいますけれど、電気をよそから頼ります。それを50年福島県がやっています。これからも続けます。その場所がここです。福島の火力、変電所が有ります。でかい変電所、関東に電気を送り出す1つの大事な場所なんですね。栃木県、埼玉県、東京には発電所がほとんどないんです。そこでずっと電気を送り続けている福島県は東北でありながら、何故か関東の電気を支えるという。事故の後、ここを電力供給植民地と言います。いやいや植民地なんです。あのなんの不思議もなく、東京、関東に電気を送り続けることを福島県はずっとやっているし、これからもやり続けます。何の疑問も不思議もないです。当たり前にどんなことがあっても電気を大都会に送り続けるのがこの福島県。つまり福島県の民度とはそんなものなんです。



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事故の後に考えたのは、首都圏は自分達で電気をつくってもらおうではないか。地産地消をやったらどうなんですか。まあ、出来るわけがない。火力発電所をつくろうとすればみんな反対はするだろうし、東京で原発なんて夢のような話ですよ。だけど福島県では当然なんです。石炭火力、原発10基、3.11が起きなかったならば、今ごろ原発7、8号機の大きな増設工事です。やれ原発ほれ原発、10基も原発つくって、あと2つ3つ作って何が悪いのか。その先に小高浪江の原発の計画もあった。小高浪江原発は反対運動で止めました。第三原発といわれていた。第1、第2、第3といくはずだった。ところがこれが津波と地震で、すっ飛んでしまったわけです。

ようやく東電も第2原発は全部、廃炉にすると言い出しています。ところがそれはね、汚染水、トリチウム汚染水を海に流すという交換条件になっています。それから新潟県の柏崎の原発の再稼働ということも取引条件になっています。なかなか原発を終わりにするという時代はむずかしい、やって来ないわけすよ。東海第2原発は規制委員会の審査もOKになりました。やってもいいよ、この事故が起きながら、原発の時代への逆戻りというのは実は動いている。こんな事故を起こしても反省がないわけです、日本はね。





原発事故と浪江町

これ(写真を見せながら)は3号機です。(113月)1411時に爆発音が牧場で響きました。プルサーマル運転をやっている最中に吹っ飛んだ。我々はプルサマール反対と言っていたんですが、力はなかったし、止める事はできなかった。その3号機が運転中にすっ飛んでしまったわけですね。プルトニウムMOX燃料という、普通のウラン燃料ではなくてプルトニウムも混ざったような危ない運転をやっていて、ふっ飛んじゃった。11時に爆発音が鳴り響きました。遠くで花火が上がるような音が聞こえました。でこっち(写真)は315日ですね。最初に爆発したのは1号機で12日にふっ飛んでますね。次にふき飛んだのが、これが15日に爆発した4号機。ここでは運転が止まっていて定期検査中でした。作業員が二人写っています。海側からヘリで事故の翌年、20125月に森泉隆さんというフリーの写真家が海側から撮った珍しい写真です。たいがい事故の写真は陸側からなんですね。海側から撮った写真は貴重なんですよ。原発というのは、こうやって壊れるんだということを肝に銘じないといけない。

福島第一原発というは非常に初期の原発なんです。日本のごく初期の原発で、当時、この建設工事にあたって耐震基準というのがなかったそうです。耐震基準というは後付けでできた。ですから14号機は地震で相当壊れています。津波のせいだとか言われていますが、そうじゃないんです。地震で中がガチャガチャになっていた。震度7の揺れで緊急炉心冷却装置は動かなかった。壊れちゃった。それから外部電源の送電線が1基倒れました。なんと原発敷地内の高圧送電線の鉄塔が造成工事して作った場所だったんです。それが震度7のあの地震で鉄塔がぶっ倒れた。ふつう送電線なんてね、ちゃんと地山に作るのが当たり前ですよ。ところが東電は土盛りをしたところに鉄塔を立てた。あの地震で緊急炉心冷却装置は壊れる、外部電源の鉄塔はぶっ倒れる。

そして津波から40分後くらいに15mの津波が来ています、15mを超える。で東電はこの第一原発を作る時、計画ではもう10m高く防潮堤を造るはずだった。ところが途中でそれを変えました。理由はですね、原子炉に冷却水、海水ですね、毎秒何10トンも送る、でかいポンプがタービン建屋に並んでいる。そのポンプを回すモーターの電気代が食い過ぎると、原発は絶対安全といわれていましたが、実はそうじゃなくて、経済コストを極限まで追求して儲けのために作られた施設なんですね。だから津波対策なんて最初から疎かだった。

 

事故の責任は安倍と東電

日本共産党の吉井英勝さんという国会議員が第一次安倍内閣の時に安倍さんに質問しています。福島第一原子力発電所の津波対策は大丈夫なんですか、という質問に対して当時の安倍さんは「全く問題ない、心配ない。全電源喪失なんてあり得ない」。だから福島の事故の責任は安倍さんです。あいつのせいだ。あの総理大臣は、思考能力はないし、口は達者なんだけれど反省能力はない。つまり思考能力はないから事故の責任、国の責任のかなりの部分は安倍さんのせいなんですね。あの時、総理大臣として何か対策した方がいい、対応した方はいいと言えば、話は違った。何かした方がいいと。供えた方がいい、という事だったら話は変わった。

そして質問の後に東電の旧経営陣が心配になりました。津波は本当にあるんじゃないか。計算してみると15mの津波というのはもう出ているんですね。業務上過失致死で強制起訴の裁判を旧経営陣は受けています。そういう事実がいろいろ明らかになって来ている訳です。本当に分かっていたのに対応しなかった。旧経営陣はここに10mの堤防を築きましょう、決めた時期がある。ところが500億という金がかかる。結局それも没にしてしまった。東海村の臨界事故の時に免震重要棟は間に合いました。ですから吉田所長以下決死隊5060人が残って色々となにかできたんですね。免震重要棟は間に合ったんだが、とうとう堤防を造らなかった。

 

浪江町の放射能避難と帰還

で、3.11の大津波です。やっぱり想定した通りの津波が来ちゃったわけですね。タービン建屋のシャッターがめくれて破れています。こういう所から津波が入っちゃった。なんと地下に緊急ディーゼル発電機がずらっと並んで、お陀仏になるんです。もう地震、津波そして全電源喪失ということでわずか翌日の121号機が吹っ飛び、浪江町は全町避難なんてことを12日早朝に決めるんですね。何の連絡も浪江町には来なかったんです。原発のある双葉、大熊、富岡、楢葉こういう4町にはちゃんと東電から連絡があって、避難用の大型バスが11日の夜には100台が来ている。浪江町は発電所がない町なんで放って置かれました。国、東電、福島、オフサイトセンターから何の連絡も浪江町にはなかった。馬場(有)町長はちょうどその時、テレビを早朝見ていたんですね。10キロ避難という報道を知って、あっ役場は10キロ圏内だ、もう全町避難だと直ぐに決めて、津島ここに皆で逃げようということになった。当然、津波を受けた請戸漁港、助けに行けなかった。それどころじゃなかった。助けに行こうと準備をしていたのが、急に話が逃げろの話に変わったんです。これはアニメ作品で「無念」(「無念 浪江町消防団物語」)という映像作品の上映がやられています。請戸漁港で190人が亡くなられていますけれど、助けに行かなかった。消防団と役場は、置き去りにした、そうやって逃げた。その逃げた所に314日と15日に猛烈な放射能が3号機、4号機、2号機の連続爆発と風向きが丁度悪かった。浪江町の方にもろに降ってしまった。この赤い場所は浪江町のことなんですね。

315日にやっと連格がきます。酷い放射が来ているという連絡がやっと入ってきて、みんなは峠を越えて二本松の東和というところに総崩れで15日に逃げたんです。もの凄い慌てぶりでみんな逃げた。そこから浪江の役場は場所を都合4回変わりました。津島に行って東和に行って男女共生センターそして二本松に移ってようやく二本松の工業団地にプレパブで仮役場としてつくったんです。4回、役場も変わった、それから浪江の人は通常、4回から7回、多い人は10回くらい場所替えしている。根無し状態になって、8年になる避難生活を送っています。

21,500人の町だったですけど、今、戻った人は700800人と言われています。4%ぐらい。みんなも結局、地図を見ながら考えていることは、ここへは帰れないということですよ。帰ってきてどうするの。放射能、そんな環境に子どもは帰すわけにはいかないわけです。だから幼稚園、小学校、中学、高校、2万人の町でしたから、あっちこっちに学校はあったけれど、全部実質的な廃校です。もうそこに子どもたちは帰っても元の学校の姿はないわけです。

ところが浪江町の役場は廃校ということを言えません。休校という言い方をします。実質廃校なんだけれど、休校と言うんです。廃校ということを認めると、それは廃町、廃村につながる。だから口が裂けても役場の連中は言えない。でも現実をみると、そこに人々は帰ってこない、子どもたちは帰ってこない。農業なんて成り立つはずがないわけです。ここに大柿ダムという、でかいダムがあります。ちょうど送電線の向こう側なんですけれど、ダムの底に一杯放射能が溜まっています。この水、使えるでしょうか、ということです。山間部は除染できません。放射能が延々と山から、この広大な流域の大柿ダムに全部来るんですよ。ところが国と県は最近になって、うわ水は使えると言い出しました。ダムの底はとんでもないんだけれど、うわ水は使えるんだと、検出下限値以下だから使える、水道水源としても問題ないと言い出した。そんなことを真に受ける人はまあ、いないだろうと思うですけれど…

この黄色い場所は解除になった場所です。居住制限区域といいます。1年半ほど前に解除になったところなんですけど、飯館村、浪江町の一部それから富岡町、問題なのはその内側のオレンジの場所です。帰還困難区域といいます。ここは生きて自分の家には帰れませんという場所です。浪江町の80%がこのオレンジの帰還困難区域なんですね。もう無理ということなんです。ですからこの町から離れ、さようならということが現実です。

 

浪江町、さよなら?

浪江町の(馬場有)町長が病気で亡くなりました、癌で。翁長さんと同じような格好で亡くなりました。本当に避難の疲れ、ストレス、そういう中でとうとう病気で倒れたんですけど、馬場さんが倒れたということで、よしということで町長選挙に私が出たんですけれど、非常に怒られました。牧場の入り口にある「さよなら浪江町」とはいったい何事だ、と。町長に出てくる奴がなんで“さよなら”と言うんだ、とんでもないと言うことで非常に問題になりました。

しかしよく話していくと、この帰らない帰れないという現実、みんなわかっているんです。だけどあの、“さよなら”という言葉が心に刺さるという事、浪江町の役場には“お帰りなさい、浪江町みんなで復興がんばろう”という看板がみえます。本当に真逆なんですよ。でもぼくは今ね、どちらの表現も正しいんだ、というふうに思うんですね。

ようやくみんな帰れたんだけれども、なかなかこの浪江に戻れないというのは、この汚染の地図をみんなわかっているので、ここに帰って戻ってどうするのということです。ですから浪江町の3分の1、7,000人は福島県外です。全国に散ります。それから福島県内の方々に福島、郡山、二本松、相馬、いわき、こういうようにみんな、ちりじりになります。もう絆は終わりました。さよなら、なんですね。

え~、思い出の場所です。かつて浪江という、そういう思い出があった場所で、今みんなは新しく土地を見つけ、家を作り、復興住宅に移り、だけど必ずしもみんな幸せに人生の最後を迎えているかというと、そうでもない。選挙だからいろいろ、どこに浪江の人がいるのか,わからないのですよ。もう7回から8回、場所を変っているんでね。もう雲をつかむような話ですけど、訪ねていって話を聞くとね、復興住宅を牢屋、監獄という人がいる。こんな所にいたくないっていう。でも津波で家はなくなっているし、壊れた家、取り壊しているんですよ。

浪江町の中で3,200件の住宅解体工事が今、真っ盛りなんです。解体だらけの町なんです。町の中心部でも家を壊して片付けて、はい、さようなら、つまり不在地主の、そういう場所なんです。土地は地べたには残っているんだけれども、そこに自分の家はないんです。3,200件というのはおよそ浪江町の3分の1は超える数だと思うんですね。もう本当に町の中を通ってみると、なんじゃこれは、毎日、毎日ね、あちこちで住宅解体工事、今だと国が全額費用負担でやります。片付けるんです、でもそこに新しく家を作るかというと、なかなか作らない、作る場所じゃない、だから作るんだったらよそに作る、よそに行くんです。みんな、よその人になっていく。

浪江町にはまだ住民票が1万5~6千残っているそうです。しかしいずれ近く総崩れします。今、我々は高速無料です。介護、国保免除、固定資産税免除、だから住民票を浪江にまだ残している。でもこれはいずれ行き詰まります。だっていわきに行ったって福島に住んでたって、その人はまだ浪江の住民票なんです。いわきの方だってもめますよ。あいつら住民票移さず納税もしない、あいつら賠償金貰っているじゃないか。もう金をめぐって軋轢がいろいろ起きています。いわきに行った人がやがていわき市民なるでしょう。なのに住民票が浪江に残っている。これでは仲良くしてもらえないということです。

いずれオリンピックが終わった時に、その無料措置は全部終わります。そしたら住民票はみんな、新しくそっちの住んでいる所に必ずなります。そうすると浪江町にいったい何人の人が残るか? 10分の1です。2万人の町が2千人くらいの、もう町とは言えない村のような姿になるんだということをぼくは選挙ではっきり言ったんです。だけどみんな、それを言われるのが、なんか傷口になんか塩をすり込まれるような、お前の言い方は許せないとかね。でもよく話を聞くと、これでは町は解体、解散だという人も、町民の中にはちゃんと考える人もいるんですよ。言われたくないだけ。

 

オリンピックと復興の絵づら

町とは何か、役場職員関係者の食い扶持の場です。町に税金がないんです、今。国の特別復興予算がついて300億円、町はなんとかやっています。いろいろできます。だけどそれはいずれオリンピックが終われば、終わるんです。復興庁だって10年で、2020年で終わりだと言っているわけだから。中央の役人連中はこう言うでしょう。人の戻ってこない所に予算はつけられない、必ず言いますよ。そうしたらオリンピックが終われば、我々の場所はまともに扱ってくれません。今だと被災地復興という大義名分があるんで、オリンピックのために被災地を見捨てなかった、というアリバイでいろいろ工事がばんばんやっています。浪江の請戸周辺で200億使っているそうです。ものすごい堤防工事、請戸漁港の再建工事、それからセリ市場の工事をやっています。でかいです。でも5km南に第一原発の汚染水を流すといってるんです。だれが請戸のセリ市場の魚を買いに来るか、買いに来ないよ。バカげたことをガンガンやっているんです。

でも請戸漁港の工事の姿は復興のものすごい絵づらになるんです。いかにもやっています、金使いました。だけどそこにだれも住めないんです。棚塩、請戸、両竹、だれもあそこに住まない。だけどそこに200億の金をぶちこんで、なんで港ばかりに金を使うのか? 復興の絵づらとして絵になるんです、あれが。こんな堤防を作りました。新しいでかい船を2526隻用意しました。だけど彼らのこれから待ち構えているのは汚染水問題です。そんなところでまた基準を超える魚が見つかるんです。この夏にいわきの海の方で59ベクレルという、福島県漁連の自主基準を超えるヒラメが見つかったんです。たちまち漁が自粛になって、できなくなった。汚染水を流せば基準を超える魚なんてこれから相馬でもいわきの方でも、もちろん請戸のなんて誰もそこに魚なんて買いにいかないだろうとおれは思うんです。あの汚染水を流すことは、オリンピックまでに全部、片付いちゃって、つまり絵づらになるんです。でもできるのか、難しいと思います。

もうバカにされているんです。福島県というのはおとなしくて、汚染水垂れ流しされても文句を言わないような、そういう福島県の浜通りというのは、東電と東北電力が支配する、そういう支配地域だったんですね。だって今だって働く場所は何かって除染作業と廃炉作業と、そういったもんですよ。もう原発なんていやだって言ったって、結局、みんな戻ってくるわけ、楽だし。もう放射能と折り合いをつける場所です。この山は5マイクロ(シーベルト/時)から場所によって10マイクロ(シーベルト/時)あります。うちの牧場でも場所によって2(マイクロシーベルト/時)くらいある場所もあります。折り合いつけしかないんです。

東京の、関東の電力供給のために、我々の場所は放射能と、これを耐え忍び、我慢せずに、20マイクロ(シーベルト/時)でもまあいいかという、そういう場所なんです。

 

原発事故を語り継いでいく

それでもやっぱり、福島で起きたことはよそ事、他人事ではありません。地震津波、また来ます。北海道の地震をみながら今度が東京あたりではないか、首都圏直下の今度は大地震、2020(ニイマルニイマル)までにぼくは起きるだろうと思っています。東海の10mの大津波が2020(ニイマルニイマル)までに起きるのではないか、小松左京のいった、日本沈没の予言のあの作品は3.11のあと、現実化したんだということ、終わっていないということ、また起きるんだと。今回また来る台風だって、半端じゃないみたいです。また関空が水びたしになっちゃう、震度7の地震なんて珍しくない、だから地震、大津波、火山大噴火、原発大事故、全部平等にやるべきだとぼくは思うんです。全国なかよく平等に、やはり日本の運命というのはこういう中にあるんではないですか。

分かってくれない人に向かって福島の電気を止めちゃうぞ、ってぼくは思うんです。この電気を止めたらどうなる? やるべきだとぼくは思う。たちまち関東なんて、もうパニックですよ。福島の電気に頼りながら、福島来ないでくれ、放射能バイ菌だ、福島から嫁をもらうな、という話、根深くまだあります。あちこちで避難民がいじめに遭い、子どもがいじめに遭い、だけど我々は強く言わないといけない、電気は福島が支えているんだと。福島をいじめるな、差別するな、というふうに強く私は事故の話を語り伝えていかなきゃいけない、というふうに思います。

これが近所でおきた、小高(町)の酪農家さんの牛舎です。こんなのはそこら中にある、めずらしくない、みんな置き去りにして命をこういう扱いにしたという、傷はまだ深く残っています。もう2度と牛はやりません、できない。そういう命の扱いを津波の現場で牛舎でも犬猫、ぺットでも、みんな置いてただただ逃げるしかなかった、ということなんです。だから本当に避難した人たちがなかなかこう、昔を取り戻すことはできないわけですね。まあ事故が起きるとどうなるか、もうこういうの、2回か3回経験すれば、日本人はみんな本当に骨身にしみてわかるでしょう。次は関西の方でどか~ん、時間の問題だろう、というふうに思います。(お話終わり)

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(車まで送っていただく途中で)

地震・津波は避けられない、原発事故は避けられる

…まあわざときつく言うんです、嫌な話をね、嫌な話をきつく言ってもわかってくれないんでね。どうやって伝えたらいいんだろう…(略)…希望の浪江をつくる会という、政治結社をつくります。だから選挙で言った、ADR裁判外紛争解決手続)の賠償金を国が50%増額を認めたんだから、それを裁判闘争でやりましょうとか、汚染水放出反対とか、こういう汚染の場所は農業が難しいんでバイオエタノールになる農業をやりましょうというふうに考える。これは砂糖きびのなかま、シュガーソルゴーといいますが、これを燃料にするんです。バイオアルコール、食物ではない、車の燃料です。今イラン戦争が始まります。そうするとガソリンが200円くらいを突破する、そうするとみんな、車なんか乗らないと言い出して、電気自動車かバイオエタノールみたいなものが見直しになります。食い物ではなくて車の燃料、甘い汁からアルコールをつくって、こういう農業で食っていける道を考えましょうと。…()…そういう学習会・講演会をやりましょうと、みんな農業の先がないんで困っているんです。結局草刈りだのなんなのしてもね、なんか収入になる作物を…

これ(吉沢さんの街宣カー。伊福部昭の「ゴジラ」のテーマ音楽が大音量でかかる)ね、福島県で一番最初に東電本社に、3月18日乗り込んだのはおれだよ。…(略)…国会官邸前を走るんです。青山通りとか渋谷駅周辺をなんか

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を、これで。ゴジラです。…(略)…お前はいつまで、バカやってんだといわれます。金にもならない、そんな国に逆らって、バカかって、…()…アベマリオって言います。書いてあります。2020、原発爆発、五輪返上と書いてあります。こちらは2020、大地震、大津波…時限爆弾です。アベマリオ、オリンピックがふっとぶんです。一番いやな、聞きたくない話を延々とやるんです。どうもあたりそうなんです。…(略)…そんなの関係なくかってにやってくるんだから。札幌、静岡、十勝だってああいう所で、起きるんだから。十勝の地震、ああゆうところで起きるんだから。どうなるか、わかんないよ。関空が水没するんだよ。ほらね、めちゃくちゃになるんだ。自然災害に人間なんて木端微塵にされるんだよ。

だけど原発はやめることができる。原発をやめようとしないから、困ったもんだ。だから二回か三回かの原発事故を経て、めちゃくちゃになって、今度は東海の原発がふっとぶんだよ。ふっとんでしまえばいいんだよ。東京はね、半分くらい放射能汚染地帯になればよかったんだよ。なんで俺たちだけ酷い目に合うのか…(ところで時間となりましたので)…別に本気にしないでください。バカ言ってる、冗談言ってるくらいで、聞き流してください。…みんなの不安な気持ちを悪いけど、グリグリやっているんだよ。(ここの記録はネットに流していいですか)はい、構わないです。あのね、埼玉県の電気は福島県が支えます。これを言うとね、埼玉のバスの見学の人たちが、もう頭下げて帰っていく、埼玉県の電力は今日も福島県が支えています、栃木県を支えています、東京を支えるんです。これからも電気を送ります。そして俺たちには放射能が残る。ここはそういう場所です。これを忘れないでくれよな。山なんてだれもキノコ、山菜を採らない。ナンセンスだよ、除染なんか一部しかしないんだから。放射能と折り合いつけて、まあいいかとやるんだよ。死にやしねえよ!放射能は活力源くらいに考えて、生きないとダメなんですよ。多少の放射能、まあいいか! 福島とはそういう場所なんだよ。フレコンバッグなんて、片付かないで、いっぱいある。風景になるんです、あれが。それを海に流すことになる、そうすれば、福島の漁師はあああって…(略)…はいじゃ、ありがとうございました。…(略)

我々が実力を持たない限り、扉を開くことはできない

ここ(希望の牧場)はすごく見学のルートになりましたから、メモリアル牧場というか、売れないけれど、命として幸せにここで、通常の家畜の何倍も生きる、牧場動物園です。友達、仲間といいます。話はできないんですけれど、気持ちは通じます。(正巳さんが歩くと付いてきますよ)だから牛を農水省の玄関先に一度連れていったことがある。これが突然変異だと、国がぐうたらぐうたら言っているから、牛ごと持っていっちゃった、そしたら大騒ぎになった。…(略)…農水省の役人もびっくり仰天、でも林大臣は会ってくれて、隠すんじゃなくて、ちゃんと理由や原因を調べろと。ところが、それは霞が関の連中にはやなことなんです、被曝の影響なんてこと、土俵にのれない。子どもたちの甲状腺のことだって認めないんだから。

だから放射能とは仲良くする、福島県浜通りは我慢を続けて、電気は送る、(今年復興大臣にいわれたんですが、三浦君は縛られ過ぎたと。地域に縛られ過ぎだと)じゃどうしろって?(よそにいって輸出産業についてくれといわれました)それじゃ、ここに残っている人はバカじゃない。(まあそういうことですね)だからおれはもう、いいんだよ、トランプに言われて牛肉も農産物も大開放するんだから、日本の農家なんか食っていけなくなるんだから、車さえ売れればいいんだから。目前に迫っている。トランプになんでもかんでもぎゅうぎゅう言われて、TPPどころじゃない、いわれた通りにするんでしょ。(まあ、そうだね)食料危機になればいいんだ! その時までにこの牛を立派に肥え太らせて、この牛たちは北朝鮮に献上するんだよ、将軍様に。おいしい肉なんです。食べるものなかったら喜ぶでしょ。(牛の寿命はどのくらいなんで?)生きるのが15年くらいっていわれているけど、こういう感じでやると20年くらい、20歳くらいまで生きるんです。だから配合飼料とか無理に育てる、そういうことじゃなくて、運動もできているし、つまり飼育という畜産のやり方は病的なんです。配合飼料どんどん食わせて、筋肉の中が脂肪でギザギザになるわけですよ。あれは病気なんです、全然ヘルシーじゃない、でも食って美味しいんです。病気のあれなんです、配合飼料をがんがん食わせてね。これ(牧草)はちょっと放射能のついた、二本松からもらったやつで、まだ出るそうです。検査に出すと放射能が30ベクレル超えるから、だからくれる、そういうのをありがたくいただいて、(まだ出るの?)出る、出る、除染したけど出る、10年我慢しないと。…()…(ということでよろしいでしょうか)どうもありがとうございました。

あの、あのバカが冗談言っていたと、くらいにしてください。あんまり真に受けないで。ハルマゲドンの話はできれば、みんな、自分には起きないと思って、それがみんなの一般常識ですから。ところがみんな不安な気持ちがどっかにあるんで、あんまりぐりぐりやられると心配になっちゃう。悪いことですかね、これは。不安心理をあおるなんていうのはね。できればオリンピックもバンザイ~にならないか。でもオリンピックもバンザイしようとするのですが、どうもそれまでに日本がもちそうもない。…(略)…だから日本もドイツのようにしっかり反省すればね、自然エネルギー社会にいかなくては。それは今もものすごくせめぎ合っていると思う。矛盾するし、せめぎ合う。だから力あるものが勝つんですよ、だから我々が実力を持たない限り、扉を開くことはできない、だからなぜ韓国が戦争をやめて原発もやめる時代が来るのか、それは韓国国民が本気で戦っているから、そういう道に行くんです。ムンジェイン大統領がひとり頑張っているだけではない、その背後に大勢の韓国民の声、運動、闘いがある、そこに行くとね、日本はあまりにもまだまだどうしようもない、なかなか安倍政治を倒せない、バカにされ、なめられている。国民のなかの広い連帯を、つまり国民がいかに実力をもつかにかかっていると思う。

だからそのためのカウゴジラにかかっているという結論になる、このカウゴジラの大音響で東京を…ゴジラの音でもって不安心理をグリグリ煽ってね、オウムだかなんだかわからなくなっているけど…本気にしないでください。(吉沢さんのお話・終わり)

電力をただただ需要するだけのぼくたちにとって、吉沢さんのお話はまさに傷口に塩を塗られるような話でした。それを気遣ってか、あのバカが冗談言っている、あんまり真に受けないで、本気にしないで、を繰り返した吉沢さん。現地で案内していただいた三浦広志さん(特定非営利活動法人野馬土の代表理事。福島の被災農家を支え、相馬で復興の砦を築く活動をされている)は、吉沢さんと旧知の仲ですが、「あんな弱音は吐かなかったのに」とおっしゃっていました。

吉沢さんは“怒り”を行動に移してきた方です。日本社会の“忘却”に対して“記憶”を強烈に対置されています。その生きざまは他者を圧倒し、時に孤立をも辞さない、強い意志が伝わってきました。埼玉からやってきたぼくたちにも厳しい視線は緩めず、忌憚なく言葉を叩きつけてきました。しかしそれはすべて真実の言葉です。言葉が肉体と結びついて遊離したところが全くありません。原発事故を全身で受けとめて生きる“語り部”であり、未来への警鐘を込めた説法ともいうべきものでした。

昨年末、埼玉県議会は原発再稼働を求める意見書を採択しました。原発や放射性廃棄物を引き受けるのでもなく、電気を受容するのは、吉沢さんの言葉通り、埼玉は福島を電力植民地化している宗主国ということです。この現実から私たちは、逃げられません。(蒔田豊明)