2016年12月26日

被害者の安全を確保し、加害者にはいじめをやめるまでしっかり対応を〜日本共産党の政策より

▼いじめも指導死も体罰もない、安全な学校をつくります

いじめ問題の解決を学校関係者、国民とともにすすめます……いじめは相手に恥辱や恐怖を与え、思い通りに支配しようとするもので、ときに子どもを死ぬまで追いつめる事件に発展します。

多くのいじめ被害者は、その後の人生を変えとしまうような心の傷をうけます。いじめはいかなる形をとろうとも人権侵害であり、暴力です。

そうしたいじめが全国の学校に広がっていることは、社会全体の大きな問題です。以下の方向で、学校関係者、国民と力をあわせます。

――学校での対応として、,い犬瓩悗梁弍をぜったいに後回しにしない命最優先の原則の確立(安全配慮義務)、△気気い覆海箸任睛融匕せずに対応するため、教職員・保護者の情報共有を重視する、子どもの自主的活動の比重を高め、いじめをとめる人間関係をつくる、と鏗下圓琉汰瓦魍諒櫃掘加害者にはいじめをやめるまでしっかり対応する、ト鏗下坩簑欧凌秦蠅髻崔里觚⇒」を尊重し、学校側がつかんだ情報をかくさない、などを重視することを提案します。


――行政側の条件整備や対応として、ゞ軌の「多忙化」解消、少人数学級推進、養護教諭・カウンセラーの増員、いじめ問題の研修、⊃執錣淵院璽垢紡弍できる全国的なセンターとして「いじめ防止センター」の設立、8携骸腟舛覆匹い犬甓魴茲傍婢圓垢詈向でなく、子どもの安全に生きる権利を保障する方向で「いじめ対策法」を運用する、いい犬甓魴茲傍婢圓垢襦◆屬い犬疊掌此廚覆匹凌値目標化、教職員をバラバラにする上からの教員評価などの教育政策をあらためる、を提案します。


――いじめ増加は子どものストレスの増大を示し、その背景には教育や社会の歪みがあります。過度の競争と管理の教育をあらためるとともに、弱肉強食の社会のあり方をかえていくことを重視します。


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2016年12月23日

野党連合政権で安倍政権打倒を

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野党連合政権で安倍政権を打倒する。

闘いに勝つために日本共産党を強く大きくする。

私はまさにいまの時代が自らの入党の思いを実現する時代だと感じています。

私が10代のとき、バブル経済の破たんで住宅金融専門会社がかかえた不良債権の処理に政府が税金をつぎ込もうとしたとき、共産党の志位さんが住専処理に税金を投入するなということを理路整然と道理ある主張をしていたことが私の胸に響きました。

アメリカ言いなり、大企業優先で国益や国民の生活を踏みにじる政治をしている政党が国会で多数を占めていて、理路整然と論戦する日本共産党が議席が少ないことに私は不満を持っていました。

そのうち、ただ、不満に思っているだけでなく自分にできることはないかと考えて、この共産党が多数の議席を持てば、正しいことを主張するだけでなく現実のものにできる、そのためには応援するだけでなく、自分自身が力の一つになろうと考えて、22歳のときに赤旗の集金の人に声をかけて入党しました。

参議院で力を発揮し、新潟知事選挙で大勝利させることになった野党共闘を衆議院選挙では、さらに本格化させて、安倍政権を終わらせましょう。

そのために、ぜひ、日本共産党に入党してご一緒に政治を変えませんか?

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2016年12月06日

〈 天皇の禁を破る自民党 〉 2014年10月の日本共産党 参議院議員 大門みきしさんのフェイスブックの投稿より

2014年10月の投稿です

〈 天皇の禁を破る自民党 〉 日本共産党 参議院議員 大門みきし

8日の予算委員会質問で、賭博の禁止は、西暦689年、持統天皇の「双六(すごろく)禁止令」から始まったもので、1300年以上の歴史をもつと指摘しました。

自民党議員のあいだで、このはなしが話題になっているとか。

そうなんだよ。天皇がお決めになったことを自民党が破っていいのか!
『賭博解禁はさっさと撤回しなさい』ーきっと持統天皇も雲の上からお叱りになっているはず。

ところで、『全現代語訳・日本書記』(宇治谷孟、講談社学術文庫)のなかに「686年9月18日、天武天皇は大安殿(内裏の正殿)におでましになり、王卿らを前に召して博戯(双六などのかけごと)をされた」とあります。
このころ流行した「双六博打(ばくち)」は唐から渡来したもので、サイコロをふって先に相手陣地に侵入したほうが勝ちというルールだとか(そのうち双六が面倒くさくなって、サイコロだけふるようになったのが丁半博打)。
ようするに、真っ昼間から宮中の正殿で、天皇と貴族たちが 博打に興じていたというはなしです。

天武天皇のギャンブル依存症がどの程度だったかはわかりませんが、妻の高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)は博打をする夫を快くおもっていなかったのではないか。

天武天皇の死後、 夫の跡をついで持統天皇として即位した高天原広野姫天皇がさっそくが発布したのが 「双六禁止令」。おそらく持統天皇は、夫の姿をみて、ギャンブル依存症が世の中に広がる怖さを肌で感じ取っていたのではないでしょうか。
勝手な想像をめぐらすうち、持統天皇、というより、 たかまのはらひろのひめのすめらみことさんが、とても身近な存在におもえてきました。


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キューバ・カストロ前議長への追想〜不破哲三

2016年12月2日(金)

心に深く刻まれた32年前の会談

キューバ・カストロ前議長への追想

不破 哲三




 11月29日、カストロ前議長の弔問にキューバ大使館を訪れ、記帳簿に「諸民族の自決権を語り合った三十二年前の会談、いまも深く心に刻んでいます。日本共産党 不破哲三」と記しました。

 「三十二年前の会談」とは、1984年11月、キューバ訪問の最後の日に、カストロ前議長(当時はキューバ政府首相)と語り合った会談のことです。(当時、私は党委員長でした)

 11月20日午後7時30分に始まったこの会談は、夜遅く10時45分まで3時間以上にもわたりました。思えば、これが、カストロ前議長と日本共産党との最初にして最後の会談となったのでした。

 キューバは、1959年1月、カストロを指導者とする革命勢力が対米従属のバチスタ反動政権を打倒して、民族の独立と自決の旗を高らかに掲げた革命政権を樹立し、その旗を守り抜くことに成功したラテンアメリカの最初の国家でした。60年代には、さらに進んで社会主義をめざす旗を掲げるようになり、1970年代には、革命勢力が人民社会党(共産党のキューバでの党名)とも合同してキューバ共産党を結成、1975年には第1回党大会を開催しました。

 私たちは、キューバ革命を最初から支持してきました。私自身について言えば、1970年の大阪万博の時、妻とともにキューバ館を訪れ、関係者と話し合ったのが、キューバとの最初の交流になりました。

 キューバ共産党が成立して以後、ただちに党間の友好関係を結び、1976年にはマチャド政治局員を団長とする代表団を招いて、私が日本側の団長となって東京で両党会談を開き、その後も機会をとらえて会談や意見交換をかさねて友好関係を発展させてきました。

 1984年のキューバ訪問は、こうして築いてきた友好関係を新たな段階へ進める意味をもつものでしたが、私自身としては、それにとどまらず、キューバの国際活動にかかわるいくつかの疑問点をこの訪問を通じて解決したい、という強い思いをもっていました。その疑問点とは、すべて、広い意味で、キューバ革命が一貫して掲げてきた諸民族の独立と自決にかかわる問題でした。

「ラテンアメリカの革命は一つ」を行動の原理とするのか


 一つは、ラテンアメリカの革命に対するキューバの態度の問題です。キューバをはじめ、ラテンアメリカの革命運動のあいだで、「ラテンアメリカの革命は一つ」という考えがかなり広くあることは、私たちも知っていました。実際、キューバ革命の立役者の一人で、カストロの片腕と言われたゲバラは、1956年、グランマ号でキューバに上陸した革命部隊の一人ですが、アルゼンチン人で、いわば意気に感じてキューバ革命に参加した人物でした。こういう国際的な相互援助は、ラテンアメリカの革命運動では常識的なことになっていたようです。

 しかし、キューバで革命に成功し、独立国家を成立させた後では、問題の性格はまったく違ってきます。キューバの革命政権に属する人間が、他国の革命運動に参加する、ましてやその地の運動を指導しようと試みることは、それは他国の内政にたいするキューバ国家の干渉行為であって、これを革命家同士の相互交流として正当化したり合理化したりすることは、許されません。

 この立場から、1966年にキューバを去ったゲバラが、1967年、南米のボリビアで武装闘争の準備中に政府軍の攻撃を受けて死亡したことは、私にとっては衝撃的な事件でした。これは、国際的な革命人であるゲバラの個人的な行動なのか、それともキューバの政府や党の路線を背景に持った行動なのか。ここにキューバでどうしてもただしたい一つの問題がありました。

アフリカへのキューバ軍派遣、アフガニスタン問題

 もう一つの問題は、アフリカにかかわる問題です。アフリカでの植民地体制の崩壊の結果、そこには多くの独立国家が生まれました。いくつかの国では、国家形成の過程が平和的には進まず、激しい内戦が始まりました。そして、1975年、アンゴラやモザンビークに起こった内戦に、政府軍援助の立場で、キューバが軍隊を送ったことは、国際的にもかなり大きな問題となっていました。それぞれの国での事態の経過に、私たちは特別の情報を持っているわけではありませんでしたが、海を越えて軍隊を送っている真意を聞きたい、ここにも私たちの懸念の一つがありました。 

 最後の問題は、ソ連のアフガニスタン侵略に対する態度の問題です。私たちが、この暴挙を覇権主義的侵略行為として糾弾したことは、ここで説明するまでもありませんが、キューバ政府は、ソ連のこの行為にたいして“支持”の態度をとったのです。民族の独立と自決を高く掲げて革命に勝利したキューバが、なぜこの侵略行為を支持したのか、この真意はどこにあるのか、これが第三の問題でした。

 しかし、これらの疑問点についての答えは、最高指導者にただす以外に道はありません。こういう状況でしたから、私は、1984年11月にキューバ、メキシコ、ニカラグアという中米3カ国への訪問を決めたとき、キューバで、カストロ首相と率直な意見を交わす機会をぜひ得たいという期待を、強く持ったのでした。

到着早々、カストロ首相との会談が約束されたが…

 最初の訪問国であるメキシコでの任務を終えて、キューバの首都ハバナの空港に到着したのは11月16日午後でした。出迎えてくれたのは、モンタネ国際部長(准政治局員・書記局員)が率いる一行でした。私は初対面でしたが、キューバ・ゼネラル・モーターズ人事部長という財界の要職に在りながら革命運動に身を投じ、カストロの最初の革命行動――1953年のモンカダ兵営攻撃に参加したという独特の経歴を持つ人物であることは、よく知っていました。そのモンタネ国際部長が、宿舎までの車の中で、「公式会談の代表者はマチャド同志だが、今回の訪問中に、カストロ同志との会談を必ず約束する」と、こちらの気持ちを見通したような話をくりかえすのです。おかげで、訪問の前途にはたいへん楽観的な気分になることができました。

カストロ首相の“日本びいき”。革命直後のゲバラ訪日

 しかし、この期待はなかなか果たされませんでした。キューバ共産党との会談は、17日にはモンタネ国際部長と、19日には旧知のマチャド政治局員と、それぞれ数時間にわたる会談をして、両党関係や内外の諸問題について充実した意見交換をおこないました。

 しかし、カストロ首相との会談の日程は、なかなか決まりません。モンタネ国際部長からは「必ず設定しますから」との連絡が毎日のようにあるのですが、首相の日程はたいへん多忙なようで、国際部が設定に苦労している様子がうかがわれました。

 その間、会談の合間にハバナ市内での視察をおこない、18日には空路、キューバ革命の発端の地である南部のサンチアゴデクーバに飛び、当時の銃弾のあとが壁に生なましく残るモンカダ兵営や、キューバ革命の国父とされるホセ・マルチ(1853〜95年)の廟(びょう)を訪ねることもしました。

 ハバナとサンチアゴデクーバという二つの都市を訪ねて感じたことは、アメリカによる経済封鎖など苦しい経済条件のなかでも、キューバの市民が独特の陽気さを失わず、明るく生活していること、くわえて、日本に特別の親しさを感じている様子でした。

 ハバナで、カストロたちが上陸を決行したグランマ号の記念館を見たのですが、その建物の建設は日本の企業に発注したのだとの説明でした。また子どもたちの多面的な才能を開発する目的でつくられた「ピオネール宮殿」を視察して、さまざまなクラブ活動に取り組む子どもの様子を見ますと、テレビをはじめそこで使われている電気器具類は全部日本の製品でした。市内を走る車を見ても、ほとんどが日本の車です。カストロが“日本びいき”なのだ、との説明も聞きました。

 それで思い出したことがありました。革命が成功して半年後の1959年7月、ゲバラが、カストロの親善使節団長として日本を訪問していたのです。中米の小さな国から軍服を着た使節が来たというので、日本の政財界は扱いに困り、ともかく商工会議所が世話役になって、東京と大阪で歓迎のレセプションを開いたとのこと。商談はあまり成功しなかったようですが、ゲバラは10日余りの滞在中に、日本の状態を徹底的に研究して、帰国後、膨大な報告書をカストロに提出したそうです。ゲバラの伝記で読んだ話ですが、現地で耳にしたカストロの“日本びいき”なるものも、案外、そのあたりに由来するのかもしれません。

 私たちの日程は、21日朝、次の訪問地ニカラグアに出発する予定でした。しかし、その前日の午後になっても、カストロ首相と会談の連絡はなく、夕刻に設定されたのは、国家評議会副議長のロドリゲス政治局員との会談でした。モンタネ氏の努力も実を結ばなかったかと思いながら、会談に臨んだものでした。

 ところが、会談が始まって30分ほどたったころ、届けられたメモを読んだロドリゲス副議長が、満面の笑みを浮かべて、「カストロ首相との会談が決まりました。私たちの会談はこれでやめましょう」というのです。意外な事態の急転でした。

 代表団は急いで夕食をとり、会談場所である国家評議会の議長執務室に向かいました。

カストロ首相との会談。日本問題で矢継ぎ早の質問

 会談が始まったのは、午後7時30分でした。

 長椅子にカストロ首相と私がならんで座り、その両側にそれぞれ通訳がつきました。

 今度の弔問のさいに、大使館のミランダ参事官にその時の写真を数枚、手渡しました。ミランダ氏は、カストロ前議長の若々しい姿に目をみはり、「本国に必ず送ります」と約束してくれました。若々しいはずです。カストロ首相が58歳、不破が54歳、お互い50歳代の会談でしたから。

 会談が始まり、あいさつが終わると、カストロ首相の口からまず出たのは、「国家元首である自分が、日本共産党の招待で日本を訪問する可能性があるだろうか」との質問でした。私は、それは可能であるとして、その席で招待の意志を伝え、「わが党の招待は何時(いつ)でも有効で、カストロ同志が計画を具体化したらそれに対応できる」と答えました。

 そのやり取りのあと、カストロ首相の口から飛び出したのは、日本の諸事情についての矢継ぎ早の質問です。農業はどんな具合か、議会や政府など政治制度の仕組みと現状はどうなっているか、日本経済の現状と問題点はどうか、などなど、日本問題に関するカストロ首相の並々ならぬ関心とその深さを、鮮明にあらわしたものでした。

 私がそれに答えたあと、話は世界情勢、とくにキューバや、最近革命勢力が政権を得たニカラグアの問題をはじめ、ラテンアメリカの情勢の問題に移りました。

 そのなかで、カストロ首相が、ニカラグアに対するアメリカの侵略の危険がさし迫った最大の脅威であることを強調したのにこたえて、私は、明日キューバを出発してニカラグアを訪問する予定であること、われわれも、いまニカラグアとの連帯を国際世論にすることが重要だと考えていること、そのためには、いかなる国の人民も自国の運命を自分で決める権利をもっているという民族自決権の擁護を、世界の世論にしてゆく活動が重要だ、と話しました。カストロ首相は、深くうなずきながら「正しいと思う」と語りました。

“各国の革命運動の自決権の尊重は「キューバの方針」”

 そういう議論の中で、私は、自決権という角度から、疑問点となっていた三つの質問を提起しました。

 第一は、ラテンアメリカの問題です。私は、「ラテンアメリカの革命は一つ」という考えが、一部にせよこの大陸の革命運動のなかにあったことを話しながら、「あなた方は、ラテンアメリカ各国の革命運動の自決権を認めているのかどうか」と質問しました。

 カストロ首相の答えは明確なものでした。

 「われわれは各国の革命運動の自決権を尊重する。干渉的なやり方はキューバの方針ではない」。

 ゲバラの1966〜67年の行動の背景については、現在でもいろいろな説が流れています。しかし、カストロ首相のこの言明は、ゲバラ主義的な行動が、「キューバの方針」ではないことを、最高指導者自身による明確な宣言として示したもので、たいへん重要な意義をもつものでした。

 第二は、アフリカ諸国への軍事援助の問題です。アンゴラなどに「どんな立場で軍隊を送っているのか」という私の質問に対して、カストロ首相は答えました。

 「第三世界はいろいろ援助を要請してくる。アンゴラなどに軍隊を送ったのは特別の要請を受けたからで、例外的なものだ。その場合にも、われわれは内政には絶対に干渉しない。小さな国への援助では、とりわけ不干渉の立場が重大だ。

 われわれが援助として送りたいのは、軍隊ではなく、教師、医師、技師などだ。現在、キューバは2000人の医師を25カ国に、大部分無償で派遣している」。

 これも、納得のゆく説明でした。私は、キューバが、この社会が必要とする以上の多数の医師や教師を養成しており、人口当たりの医師の数では日本を上回っていることをよく知っていました。医師や教師は、キューバでは「インターナショナリスト(国際主義者)」と呼ばれています。これは、この人たちが、要請があればいつでも外国に支援に出かける用意のある人たちであることを示す言葉でした。

“十字架”の言葉。キューバの苦悩がそこに表現されていた

 私がカストロ首相にただした最後の質問は、より深刻な意味を持つ問題―アフガニスタンの問題です。

 「あなた方は、アフガニスタンに対するソ連の軍事侵略を、どういう立場から支持しているのか」。

 私のこの質問にたいして、カストロ首相は、先の二つの質問の場合とは違って、実に深刻な表情を顔に浮かべながら答えました。

 「ソ連に要求されたからではない。これは、社会主義国として、われわれが担うべき“十字架”なのだ」。

 苦悩の表情で語られた“十字架”とは、なにを意味するのか。私は、あえてその意味をただすことはしませんでしたが、自分が正しいことをしていると確信している時に出る言葉では絶対にありません。そこに不正義があることを自覚しているからこそ、出た言葉でした。その言葉を通じて、カストロ首相の苦悩とともに、率直に私たちの質問に向き合おうとする誠実さがおのずから伝わってきました。

 後日のことですが、日本を訪問したキューバ共産党の幹部が、この間の事情を説明してくれました。アフガニスタン問題が起こった時、キューバは非同盟諸国会議の議長で、その加盟国であるアフガニスタンがソ連からあのような軍事攻撃を受けたことで、キューバはたいへん困難な立場にたたされたのでした。軍事侵略の不正義を自覚しながら、「社会主義国の連帯」という“十字架”を捨てることができない、その苦悩があの言葉を生み出したのでしょう。

 会談は、最後に、両党関係の今後を話し合って終わりましたが、会談の結びの言葉のなかで、カストロ首相が、日本共産党が「原則を守る党」であることへの評価をくりかえし、「あなた方の党の役割は、あなた方の国でも、地域でも、世界でも非常に重要だ。あなた方の原則的な役割を守り続けること、そのために大きな役割を果たすことが大事だ」と力説したことは、自決権の問題で真剣な対話を重ねたあとだけに、いっそう強く心に残るものでした。

 エレベーターの前まで送ってきたカストロ首相と最後の挨拶を交わし、エレベーターの中で時計を見ると、午後10時45分、会談は実に3時間をこえていました。

◇ ◇ ◇

 この会談の7年後、ソ連・東欧の崩壊は、キューバをめぐる国際環境を激変させ、主要な貿易相手国を一挙に失ったキューバは、経済面でおそらく建国後最も困難な時期を迎えました。しかし、その困難を国民の団結で見事に切り抜け、21世紀には、キューバが先駆的に掲げた独立と民族自決の旗が、ラテンアメリカの全域に広がるという、新しい時代が開かれました。2010年には、この地域の33のすべての国が参加して、「中南米カリブ海諸国共同体」(CELAC)が設立されました。これは、多年にわたって「米国の裏庭」と呼ばれてきたラテンアメリカの屈辱の歴史に終止符が打たれ、ラテンアメリカが自立した躍動的な地域に変わったことを、世界に高らかに宣言したものでした。

 こういう巨大な変化が進行するなかで、32年前のカストロ首相との会談を思い起こし、また、1950年代から半世紀にわたってキューバ革命の先頭に立ってきたカストロ前議長の闘いの歴史をふりかえるとき、世界史に残したその足跡の大きさを、あらためて思わざるを得ません。

 その思いを込めて、この追想をカストロ前議長への追悼の文章とするものです。

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2016年11月28日

予算要望の項目について

日本共産党川口市議団は11月21日に奥ノ木信夫市長に対して10分野130項目にわたる2017年度の緊急・最優先施策について予算要望を行いました。

これまでの要望に加えて新たに、公共施設等総合管理計画について、障害者差別解消法にもとづく施策の実施、障害者の入所施設の整備・拡充、建設業退職金共済制度の証紙購入と貼付の促進、消防訓練施設の老朽化への対応、ヘイトスピーチ対策なども追加しました。

2017年度予算編成ならびに各種施策における緊急・最優先要望

1、市民に開かれた市政を
 16項目

2、市民のくらしと福祉の充実を
 37項目

3、産業(中小企業)振興・労働者福祉向上で地域経済の活性化(再生)を
 17項目

4、子どもの成長と発達、権利を保障する学校教育を
 15項目

5、市民の文化、スポーツの活動の高揚を
  6項目

6、住みよい住民主体のまちづくりを
 10項目

7、安全で災害に強い都市づくりを
  9項目

8、自然環境と社会環境にやさしいまちづくりを
  7項目

9、女性の地位向上と青年にいきがい、差別なくすべての人に希望を
  5項目

10、憲法の平和等の諸原則をまもる市政を
  8項目


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2016年11月23日

堀部悦子元鳩ヶ谷市議と赤旗読者拡大

堀部悦子さんは看護婦だった36歳の時から4期16年鳩ヶ谷で議員をしていました。

私の大先輩です。

議員を降りてからも新日本婦人の会や埼玉土建の主婦の会、共産党や九条の会でさまざま先頭に立ってきました。

本日は日本共産党が発行するしんぶん赤旗の読者を増やそうと誘っていただき、一緒に活動しました。

赤旗の日刊紙読者が1人、日曜版読者が2人増えました。

堀部悦子さんは現在86歳ですが、「すこしでも貢献したいの」といつでも前に向かってがんばっています。


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2016年11月21日

奥ノ木信夫市長に予算要望書を提出

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11月21日に日本共産党川口市議団は10分野130項目の2017年度の「川口市の予算編成並びに各種施策に対する緊急・最優先要望書」を奥ノ木信夫市長に提出して意見交換を行いました。
順次、新川口において各予算要望事項についてお知らせしていきます。


予算要望書提出にあたって
 
はじめに、来年度(2017年度)予算編成にあたって、59万川口市民のくらしを守り、市民本位の市政をすすめる立場で後記の諸項目の市民要望をとりいれた上、市政執行されるよう強く要請します。

1、私たち日本共産党議員団は、9月定例議会後、これまで提出してきた要望書等の検討に加え、市民アンケート、市政懇談会、市内団体・個人との懇談・訪問活動などを行ない市民要望の整理と分析を行なって参りました。また、先に行われた「決算審査特別委員会」の審議内容を、ここに市民共通の声として集約し要望書として纏めたところです。

2、一部の大企業や大資産家にとっての景気は良くても、市内の経済状況はこれまでの消費税増税や非正規雇用の増大もあり消費が上向かず、市内企業の売り上げも厳しい状況が続いています。
そうした中で、川口市が地域循環型経済を軸にして市内企業の発展と市民所得の向上を掲げて施策を進めている点は大切なことです。
市民のいのち・くらし・しごとを守る先頭に立つべく川口市の市長として市民福祉の増進、市内業者の発展、市民所得の向上、市民負担の軽減に全力を傾注することを求めます。
さらに、本市においては中核市移行への検討が進められ、同時に新市庁舎建設・火葬場建設・川口市立高等学校建設などのプロジェクトが進められる中にあります。全市的な課題と各地域の実情に即したまちづくり並びに市民生活の向上のための各施策の充実が求められており、こうした問題が山積する中で特に早期に実施すべき緊急要望並びに最優先要望として本要望書に取り纏めましたので、ご回答を下さるようお願いいたします。

3、来年度の予算編成にあたっては、国に対して消費税の10%への増税は先送りではなくキッパリ中止を、富裕層と大企業への優遇税制をやめて地方財政の充実・強化をと強く求めるとともに、川口市として医療・介護・福祉の充実や中小企業と地域経済の振興をはかる対策、子どもの豊かな成長を保障する教育条件の整備、青年が生きがいをもって働ける雇用の確保、防災と環境を優先したまちづくりを重点とされるよう要望するものです。
なお、安倍政権は立憲主義・平和主義・民主主義を踏みにじるような政治を続けていますが、川口市としては、くらしや平和など、憲法と地方自治を守り発展させていく立場で国・政府にも対峙していただくよう求めるものです。

 この要望書の具体化にあたっては、本年度はもとより、新年度予算編成に生かし、合理性・計画性をもって施策の推進をはかるよう強く要望します。

2016年11月21日
川 口 市 長 奥ノ木 信夫 殿
日本共産党川口市議会議員団


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2016年11月08日

川口市立グリーンセンターで、親子ふれあいミニ鉄運転体験教室

グリーンセンターで、親子ふれあいミニ鉄運転体験教室

子どもたちに人気のあの“ミニ鉄”が運転できる、またとないチャンス!

お父さん(お母さん)を目的地まで連れて行けるかな?!

日時

平成28年11月20日(日)

1回目午前10時30分〜 

2回目午後1時30分〜(全2回)



場所

川口市立グリーンセンター(川口市新井宿700)

ミニ鉄道駅舎前(梅林脇)

*特設コースを運転します

対象者と定員

市内在住の小学生と保護者の2人1組

各20組、計40組



参加費

入園料のみで参加できます。



申込み方法

●事前受付(各回それぞれ10組)

11月10日(木)午前9時から電話で受付(先着順)

●当日受付(午前・午後ともに、残り10組)

当日10時からミニ鉄道駅舎前で抽選。


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2016年10月29日

初当選の時が30歳。あれから10年。さらにがんばらねば!

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以前、共産党中央委員会の山谷学習教育局長が講演していたが、日本共産党の綱領では「革命」という言葉は民主主義革命には使っているが、社会主義・共産主義には革命は使わずに社会主義的「変革」とか社会主義への「前進」という言葉を使っていると。

私は、それだけ民主主義の徹底が資本主義社会の段階でも国民の生活を一変させる大きなパワーを作り出すということかとあらためて感じました。

いま、野党共闘が安倍政権打倒、戦争法廃止の上で大切ですが、大きくみれば野党共闘どころか、国民の利益と敵対する勢力は少数であり、一人一票持つ現在の社会のレールがあればアメリカの支配や大企業の横暴を打ち破るために手をつなげる人なんか国民の大多数となるはず。

そのためには主権者たる私たち国民が大いに変わらなければなりませんが。

主義主張が違うので別々の政党なわけですが、現実の政治を動かして市民の生活をよくするために自民党の市議とも公明党の市議とも民進党の市議とも大いに一致点は見出せるはずと私はいつも感じています。

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2016年10月24日

2015年度川口市一般会計及び各種特別会計の決算審議を振り返って

2015年度川口市一般会計及び各種特別会計の決算審議を振り返って

一般会計及び各種特別会計の決算特別委員会が10月11日〜17日まで開催され、共産党は今井はつえ市議と私が委員として審議に参加しました。詳しくは12月市議会で討論をしますので、ぜひ主権者として議場に足をお運びください。

2015年度一般会計は、歳入決算額1,905億568万円、歳出決算額が1812億8001万円で、形式収支は92億2567万円、実質収支は80億7060万円の黒字でした。

当該年度の特徴のひとつとして、繰り返して決算に対する討論や一般質問で指摘されてきた多額の不用額を是正していくために3月議会で減額補正をおこなったこと、財政調整基金への59億8096万円の増額補正をしたことがあげられます。

そもそも自治体の歳入歳出は予算化してその予算を議会が議決することで議会や住民による監視の役割を果たし、財政民主主義を保障するものです。

今後は多すぎる財政調整基金なども活用して命にかかわる切実な市民の要求に応え、かつ合理的な当初予算を編成することが求められます。

川口市は他市と比べて人口に対する市職員数が少なく、民間業者への委託費を含む物件費の割合が高いのが特徴ですが、受託業者の労働者の賃金は低く公契約の改善が求められます。

さらに現業職員を含めた市職員の計画的な採用と働きやすい職場環境づくり、研修などを保証して職員の技術向上に努めることが大切です。

 当該年度は9月から保育料の改定が実施され、最高額が月6万円から6万9000円に、保育所児童保護者負担金では28.69%、公立保育所保育料では27.34%のかたが負担増となりました。

教育費は、市民の願いに応えて教室へのエアコン設置が開始された年ですが、教材など保護者負担の軽減をはじめ、需用費等の予算の確保が必要です。

また社会教育主事や図書館司書等を増やし、専門性が発揮できる職員体制の拡充をすること、放課後児童クラブ事業は、保育室の環境整備を急ぎ、保育内容の充実に努め、保護者の声を十分考慮することが求められます。

市内の商業、農業、工業が発展することに寄与できるよう予算措置をして市独自の施策を実施するとともに、事業者の実態を把握できるよう職員の増員、専門性の向上を図ることが重要です。

市民からは、生活道路の改善を求める声が多く、当該年度において道路橋梁維持費の当初予算では対応できなかったことからもきちんと予算増額が図られるべきです。

住宅改修資金助成事業は、希望者が多く、当該年度は1億円以上の経済効果も生み、予算の増額と制度の改善が必要です。

 水害対策でもある下水道事業特別会計、街づくりの区画整理事業特別会計など住民の生活に密着する事業の国庫補助金の内示率が6割台にとどまり事業の進捗に影響をもたらしています。

今後とも川口市として国に対して強く要望し改善を求めるべきであると考えます。

金子幸弘


neko19760607 at 19:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)