前に人望の猫版である「猫徳」について書いてみましたが、それと似た概念で猫のカリスマ性があります。人間でも当然ある概念ですけど、人間社会と猫社会の在り方が違うのでそこはまた発露の仕方は少々異なるものの共通してるのは「生き物としての強さ」かなと。

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当アカウントの登場猫で「猫のカリスマ」と言ったらこの猫しかいないでしょう、四護。
圧倒的な腕力ということもなしに猫社会を平定した胆力、流れ猫を寄せ付けず長年縄張りに猫を増やさなかった強さ。その最期のときまで衰えることがなかった眼力。普通の猫ではない、いわゆるオーラのある猫でした。

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そしてもう1匹、身体は4kgもない高齢猫にも関わらず、未去勢の若いオス猫をひと睨みで追い払い、ファミリーを護り続けた恐怖の皇帝猫・黒皇。
他猫に一切怯む事のない胆力、やはり抽象的な言い方になりますがそういうオーラみたいな物があったと思います。

そして、この猫のカリスマに共通していたのは人に可愛がられる一方での、その強さゆえの猫社会での孤独でした。

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四護は流れてきたものの、やはり1匹。ただ幸か不幸か、茶トラ1号というそういうものに一切気づかないアホ猫がいたお陰で定住した場所ではひとりではありませんでした。四護本猫はうざがっていたとは思いますが。
阿修羅も一緒にいたというよりは縄張りを共有して時にぶつかる仲。

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そして黒皇も同様で、気に入らない、歯向かう猫たちを追い払っていた事もあって、腎不全で衰弱してたときには面倒を見てたカツオ親子が若干遠巻きに帯同してたくらい。
ただ、黒皇も前の世話人に病院に連れて行ってもらったり、最期は自分の元へ来る事にもなりました。

そういう事ができない猫のカリスマももちろんいたと思います。

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猫のカリスマとはちょっと違うかもしれませんが、正反対に圧倒的腕力で猫社会をねじ伏せてた流れキジトラも、実はその元気なときからメス猫がずっと一緒にいました。
そして衰弱して公園から離れて引退した後、その隠居先の住宅で若い猫と一緒に居る所を何度か見ました。

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このオスの白キジ猫。ひょっとしたら流れキジトラのこどもなのかもしれません。

猫はひとりで生きる印象はありますけど、野良猫や家猫のような人に近い猫は完全にひとりで生きるという事はないように思います。
人間も猫も、生き物として強すぎるとその社会の枠では収まらず、内心では孤独を抱えるんだろうと感じます。



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