播磨姫路藩主の池田輝政は、豊臣秀吉の命令により、
東三河の吉田城主として赴いた時期、経緯は不明ではあるが、
吉田の観音(岩屋観音)を非常に信心していたとされる。
時を経て、曾孫である備前国岡山藩主、池田綱政が江戸からの帰路、
東海道の白須賀宿で夢に観音が現われ、大地震と津波の発生を告げた為、
急いで二川宿へと移動したと伝えられる。
その直後、宝永地震(1707年)が発生し、大津波により白須賀宿は壊滅した。
震源域が南海トラフ全域に亘る、超巨大地震と分析されている。
この件により、観音への感謝から、観音経1巻、絵馬4枚、黄金灯籠1対を寄進した。
観音の姿で現れた存在が、池田綱政を救うべき対象と見なしたのだろう。
このエリア上空が、ネビュラが頻繁に通過するエリアであるから、
池田綱政の夢に現れた存在は、J9、ネビュラかとも思えた。

池田輝政は、豊臣秀吉没後は徳川家康側に付き家格を大きく上げ、
姫路城を現在の姿にした功績が残る。
池田綱政は、治水工事推進と農業政策の成功により、岡山藩の財政を再建した。
両名は、吉田の観音への信心が成功へと導いたとも思えるが、
しかし、観音の姿を借りた何らかの存在だったのだろう。
この存在は、神や仏とは限らないと自分は考えている。
ちなみに宝永地震の50年後、吉田大橋の架け替え工事は困難を極めた。
これを請け負った江戸の大工達は困り果て、吉田の観音堂に籠り解決を懇願し、
夢によって告げられた手法で完成させたと伝えられる。
観音を名乗る存在は優秀な科学技術者でもあるのだろう。

宝永地震(1707年)と同規模の超巨大地震発生周期は、
その膨大なエネルギー蓄積と、同時連鎖の条件が関係する。
100年以内の周期としたのならば、単発震源域が起因した大地震と考えられる。
超巨大地震の定義(M9以上)に合致する規模ならば、400年前後の周期と予測する。
次の南海トラフ大地震の規模は、震源域が単発か全域同時かで大きく変わる。