かやのうち 〜蒼穹のトラベラー、関東・西日本の旅〜

「かやのうち」へようこそ♪ 関東地方および西日本の旅行記を中心に書いています。 旅気分のおすそ分けです♪

2010年春:茨城県の旅

水戸城(4)現存遺構「薬医門」☆2010年3月:茨城県水戸の旅・104

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 それでは、水戸城本丸跡にある「県立水戸第一高等学校」に入ってみましょう。
 実は、ここからでも薬医門は見えています。
 右側には土塁らしきものも見え、本丸跡なんだな〜ということが分かります。


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 高校の校内に入ってもいいのかな〜?と初めは迷ったのですが、ちゃんとこの看板がありました。
 史跡(薬医門)見学者は入って大丈夫なんです♪


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 校内に入って少し歩けば薬医門に着きます。
 元々は本丸の入り口(現在の校門の場所?)にあったらしいですが、長らく城外に移築されていたそうで、本丸跡に戻した際に、元あった場所ではなくこの場所に移築したそうです。


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 カンバンワ♪親切な説明書きです。
 画像をクリックすると大きな画像で見られますよ☆


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 薬医門、正面から。


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 薬医門、斜め前から。梅の花とのコラボレーションです。


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 近くで見るとこの屋根部分が迫力あります!


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 門の下から。


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 ちょうど梅が見頃の日でした☆


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 こちらは、校門の前、本丸曲輪と二の丸曲輪の間を渡る橋です。


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 本丸曲輪と二の丸曲輪の間の空堀跡には線路が通っています。
 この線路は水戸駅〜郡山駅(福島県郡山市)を結ぶ「水郡線(すいぐんせん)」の線路です。
 本丸と二の丸の間の堀跡を通っていく線路なんて珍しいですね。


 前の記事にあった「三階櫓(さんかいやぐら)跡」ですが、やはり三階櫓は二の丸にあったものだそうです。

『江戸時代の櫓は、二の丸に現在の茨城県立水戸第三高等学校と茨城大学教育学部附属小学校・附属幼稚園にまたがる形で存在した。三の丸には藩校などがあり、本丸は主に倉庫として使用されていたとされる。本丸を中心として使用していたのは江戸氏の頃とされる。天守は建造されず、3重5階建ての御三階櫓があった。御三階櫓は明治の解体を免れたが、太平洋戦争時の空襲で焼失し、以後再建されていない。』(ウィキペディアより抜粋)


 水戸城のレポートはこれにて終了です。
 また後で、この後に行った千波湖の詳しいレポートも書きたいと思います。




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水戸城(3)歴史ロードには学校がいっぱい☆2010年3月:茨城県水戸の旅・94

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 今日はどうもライブドアのサーバー側の調子が悪いんだか、ケータイからの文章・画像追加投稿がうまくいかなくて、いつものようにケータイで撮った写真を載せて更新することができません…。どうなってんの〜?
 まあ、こんな時ですし、途中になっていた「茨城県水戸の旅」の続きを書きます。
 実は、この水戸市を回った日の前日は福島県いわき市に行って、いわき湯本温泉に泊まっています。そちらについては別ブログ「おくのみち 〜東北地方・北海道の旅、トキどき新潟〜」で現在更新中なので、そちらも見てみてください。

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 さて、ちょっと二の丸の入り口まで戻りますが、大手門跡から二の丸に入る所には、左右に二の丸の端っこを固める土塁があります。


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 「水戸城 塁 及び 濠」の説明書きがあります。
 塁とは土塁のこと。濠とは堀のことです。現在、二の丸と三の丸の間の谷間は道路になっていますが、元は二の丸・三の丸を隔てる空堀(からほり)だったようです。現地に行ってみると、その空堀のダイナミックさが分かると思います…。


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 前に載せましたけど、下から見た現・大手橋の写真です。この道路が堀跡なのです。深い堀ですよね。
 道路の左側が三の丸、右側が二の丸です。


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 この地図で言う、大手橋の右側が二の丸になります。
 大手門前から、二の丸を横に横断する道が「歴史ロード」です。


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 ずいぶん近代的な広い道路なんですけどね…。


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 この道沿いには学校がいっぱいなんです。
 水戸城の城跡って、ほとんどが、いいように公共用地に使われてしまっているんですね。


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 こちらは「茨城大学の附属小学校」と、「茨城大学附属幼稚園」の入り口のようです。


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 道路を挟んで反対側は「市立第二中学校」。


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 さらに歴史ロードを進んでいくと、ここは?


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 水戸城の三階櫓跡?


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 水戸城御殿跡?中門跡?
 三階櫓も御殿も二の丸にあったのでしょうか?


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 おお〜、立派な三階櫓が復元されていますね〜!!
 って、これも学校だよ!(しかも3階建てじゃないし)

 こちらは「県立水戸第三高等学校」です。

 そして、この歴史ロードの先の「本丸」には……

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(;゚Д゚)不埒にも本丸を乗っ取るとは!!
 イケメン上杉景虎もビックリです。なんと、本丸跡地まで学校の敷地に使われてしまっているんです。
 本丸跡地は「県立水戸第一高等学校」になっています。

 学校敷地ですが、水戸城本丸の現存遺構「薬医門」の見学のためなら一般人も入ることができます。
 というわけで、続きもお楽しみに♪




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水戸城(2)水戸藩にまつわるあの人ら☆春の茨城県水戸の旅・84

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 水戸藩に行こう〜♪ 納豆食べ行こう〜♪

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 大手橋のたもと、三の丸側(弘道館側)にはこの人の像が立っていました。


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 徳川斉昭(とくがわなりあき)公の像です。


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 水戸藩9代目の藩主、徳川斉昭公は、前の記事でも書きましたが、藩校「弘道館」を建設させた方でもあります。
 『藩政改革に成功した幕末期の名君の一人である。しかし将軍継嗣争いで井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。(井伊直弼の刺客に暗殺されたという異説あり)』…ウィキペディアより。
 また、第15代将軍、徳川慶喜の実父でもあるそうです。

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 大手橋のたもと、二の丸側にも像があります。


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 こちらは…


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 徳川頼房(とくがわよりふさ)公の像。


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 徳川頼房公は水戸藩の初代藩主です。
 『1606年、弱冠3歳で常陸下妻城10万石を、次いで1609年、実兄頼将(頼宣)の駿河転封によって新たに常陸水戸城25万石を領したが、幼少のため駿府城の家康の許で育てられた。元服後に水戸に入部し、頼将の分家として家を興す。』(ウィキペディアより抜粋)


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 大手橋を渡って二の丸へ。広い二の丸の曲輪には、現在は中学校、小学校、付属幼稚園などの敷地となっていて、その中央を行く道路は「歴史ロード」と呼ばれています。
 この歴史ロードにも像がありました。

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 ん?何て読むんだ?


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 おおっ、この人は?!


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 「安積澹泊(あさか たんぱく)」は、水戸黄門様に仕える「格さん」のモデルになった人物だと言われていますね。


 水戸城跡散策はもう少し続きます。



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水戸城(1)水戸城へ行こう♪☆春の茨城県水戸の旅・74

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 茨城県水戸の旅の続きです。
 水戸駅の駅前からは既に水戸城跡が見えています。

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 道路沿いには建物が並んでいますが、その背後はもう水戸城跡地……というか、この道路自体も水戸城の空堀跡に造られています。


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 水戸駅周辺の地図です。クリックすると大きな画像で見られます。
 駅前の道を歩いていきますよ〜。


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 右側のこの山…右側は「二の丸」で、道路(空堀)を挟んで左側は「三の丸」です。


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 この「橋」は、現存物でも復元物でもありませんが、元々ここには二の丸と三の丸をつなぐ「大手橋」があったようです。


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 道路から橋のたもとへと上がる階段の途中で…
鳥発見( ・)∋

遠目で見て結構大きく見えたので、メスのキジが山から下りてきたのかと思ったんですが、ズームしてよく見てみたら「キジ鳩」でした。
この後、階段を登っていったら飛んで逃げてしまいました…。


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 これが現在の橋。


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 「大手橋」の説明書き看板。


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 「大手門跡」の説明書き看板。
 ここには立派な門があったようですが、明治の初めに取り壊されてしまったそうです。


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 橋を渡ると、三の丸跡地にあるのがこの「弘道館(こうどうかん)」です。
 江戸後期に建てられたもの(旧弘道館部分)なので、現存遺構ということになっていますが、「藩校」の校舎なので、城の現存遺構と言っていいのかは微妙ですね。
 弘道館は、第9代水戸藩主の徳川斉昭(とくがわなりあき)によって建てられたそうです。


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 団体の観光客はだいたいここを見学するようです。
 僕は見ませんでしたけど…。

 次は橋を戻って二の丸跡へ行きます。



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水戸駅前の水戸黄門像☆春の茨城県水戸の旅・64

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 JR水戸駅の前には、あのお方が…!
 デン♪デデデデン♪デデデデン♪デデデデデデデデデ♪
 じ〜んせい〜らくありゃ〜く〜もあるさ〜♪

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「静まれ〜!静まれ〜!この紋所が目に入らぬか!」


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「こちらにおわすお方をどなたと心得る!」


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「恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!皆の者!ご老公の御前である!頭が高い!控えおろ〜う!」

 ははぁ〜!!m(_ _)m恐れ入りました。


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 「助さん、格さん、水戸も変わりましたね〜。」


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 駅前には「黄門さまと助さん格さん」についての説明書きのある地図看板がありました。
 ※画像をクリックすると大きな画像で見られます。

 水戸黄門さまこと、水戸光圀こと、「徳川光圀(とくがわ みつくに)」は、江戸時代の水戸藩の2代目藩主です。
 去年の2月に日テレ系列の番組「日本史サスペンス劇場」の「水戸黄門ミステリー」の回で、加藤茶さんが徳川光圀公を演じ、分かりやすい説明がありましたが、実際の徳川光圀公は『国史編纂「大日本史」のために史局員の儒学者らを日本各地へ派遣して史料蒐集を行っているが、光圀自身は世子時代の鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、漫遊したという史実はない。(ウィキペディアより)』ということで、自身は時代劇のように諸国漫遊はしていなくて、助さん格さんのモデルとなった「佐々十竹(さっさ じっちく)」や「安積澹泊(あさか たんぱく)」らを各地に派遣していたそうです。

 この「大日本史」編纂には莫大な資金と時間がかかり、水戸藩は財政難に陥ったそうで、水戸藩は、幕閣や譜代大名から「綱條公は将軍の器にあらず」との認識を持たれることとなってしまい、御三家(尾張徳川氏、紀州徳川氏、水戸徳川氏)でありながら将軍を出せず、常に将軍のそばにいることから「天下の副将軍」と俗に言われるようになったそうです。(それは徳川光圀公より後の代の話になりますが。)「皮肉」だったのでしょうかね〜。


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 近くのコンビニの前にはこんな像もありました。
 おそらく水戸黄門とは無関係ですね。


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 他にも、駅前にはこんな像がありましたよ。


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 交通安全を願って設置された像でしょうか?




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