ねこぱんだのひとりごと

〈人間的なことで私に関係しないことはない〉という考えで、さまざまな事象にふれられれば、と思います。 基本的にネタバレ(初出レベルで)ありです。ご了解ください。 基本的に画像は使いません。これもご了解を。

2006年06月

伝統の重み

北天佑死去の報道に衝撃をうけているうちに、新番付の発表があった。
注目は新入幕の大真鶴。朝日山部屋ひさびさの幕内力士である。
そもそも、昭和2年に、東京と大阪の相撲協会が合併して、今の協会ができたときから、現在まで継続している相撲部屋のなかで、幕内優勝を出していないのは、朝日山だけなのである。
相撲部屋というものは、後を継ぐ有望力士が出ないと、けっこう断絶してしまうものである。年寄の名称は限られているから、別の一門の力士が襲名して新しく部屋を興すというケースはけっこうあるのだが、師匠から弟子へと、スムーズに(争いはあっても)継承できるほうが珍しい。
で、朝日山部屋は、先代の親方(若二瀬)まで、師匠と弟子の系統でずっと続いてきた。幕内力士も、あまり断絶しないで出してきた。ところが、9年前に、先代の親方が亡くなって、別系統の親方が今の部屋を相続してから、なかなか次の力士が出なかった。今場所大真鶴が入幕して、やっとその断絶が解消できる見通しができた。大真鶴は、先代の親方の時代に入門した力士だからである。
もう29歳だそうだから、朝日山部屋初の優勝力士になることは期待していないが、引退後、部屋を継承できるだけの実績を積み重ねてほしいと思っている。
相撲の社会は、やや特別なものだからこそ、そうした伝統の重みを受け継いでほしいのだ。

そっくりさんは観たくない

筒井康隆の『日本以外全部沈没』が角川から文庫で出た。
筒井作品をよく読んでいたのは、中学生のころで、そのころ近所の図書館にいっては、筒井の単行本を借り出していた。だから、この「日本以外全部沈没」も、たしか「万延元年のラグビー」と同じ本に入っていたようなおぼろな記憶がある。
「万延…」も、井伊直弼の首を取り返すのに、忍者部隊とタイムスリップしたイングランドの大学チームとがラグビーボールに見立てた首を取り合うという話で、これはこれでおもしろかったのだが、「日本以外…」のほうは、各国指導者たちが基盤のない争いをするのが楽しかった。
今回の角川文庫版をパラパラめくってみたら、登場人物に注がついている。それが年月の流れかと思うと、それはそれで感慨でなくもない。
で、『日本沈没』にあわせて、こちらも映画化されるということらしいのだが、各国指導者はどうするのだろうか。まさか、「フォレスト・ガンプ」みたいに、映像合成やるわけにもいかないだろうから、似せて演技をするのだろうが、金日成のそっくりさんが「岩手県モラウ」というのを聞きたいとは思わない。活字には活字のよさがあるのだから、何でも安易に映像化するのには賛成できない。

茄子

ケーブルで、『茄子 アンダルシアの夏』をやっていたので、劇場公開以来久しぶりに観た。ストーリー展開を知って、観てみると、やっぱりゆとりができて、今まで見ていなかった場面にも、少しはなるほどとおもうところもある。
ジブリ絵で、スペインのようなラテン系の地域を描くのは、けっこうはまっているように思えるので、この作品は、そういう点からも興味深い。
ああした、地元出身選手の応援なら、箱根の駅伝もそうした傾向があるし、それでなくても、沿道の観衆と、駅伝でも小田原の蒲鉾屋でみていたことがあるので、そうしたところもなかなかおもしろい。
ケーブルどまりだとしたら、惜しい。

追悼、北天佑

今、ニュースをみていたら、二十山親方がなくなったという。
彼は私と同学年で、北天佑の四股名で活躍していた。出世も早く、こちらが学生の頃にすでに幕内上位で活躍していた。たしか新井素子と誕生日が同じで、同世代の出世頭というふぜいがあった。
大関に昇進してからは、なかなか上位の壁が厚く、千代の富士にも勝てなくなってきたし、いつぞやは小錦に取り直しの相撲でおしつぶされて、取り直しの一番ではまったく相撲にならなかったこととか、あまり脚光を浴びることも少なくなってはいたが、よくがんばっていたと思う。
最近療養中とは聞いていたが、こんなに早く亡くなるとは。
部屋の力士たちもどうなるのだろうか。

くじら

ヤフーのブログ検索で、「ねこぱんだ」をかけると、ここ以外のサイトが出てくる。その中に、〈夫の寝言〉というブログがあって、主婦のねこぱんださんが夫の寝言をケータイで記録したものをアップしている。
それをときどき見ているのだが、夫さんが「くじら汁」を食べたとかどうとかいうものがあった。たしかに、いまどきくじらを簡単にどこでも手に入れるというわけにもいかないが、ときどきスーパーの鮮魚売り場に、塩鯨がでている。皮の部分を塩につけたもので、塩抜きしてから、じゃがいもと一緒に煮ると、塩味がしみでて、おいしく食べられる。適度に歯ごたえもあるので、脂肪分さえ気にしなければ、酒のさかなとしてもけっこういける。家族は好まないので、(じゃがいもだけは食べているが)こちらが食事をつくるときに、ときどき一品加えることがある。
上の子がまだ小さいときに、三重県の鳥羽や、和歌山県の那智や太地に行ったことがあったのだが、そのとき、昼時に勝浦のまちである店にはいったら、そこにはいるかの煮付けなどあって、くじらのように食されていた。太地の漁港近くに宿をとったのだが、そこでもくじらがおかずに出た。
アレルギーもおこしにくい食材なので、本当はもっと食べてもいいのだけれど、現在の状況では、このくらいが限度なのかもしれない。

いつのまにやら

太臓が見開き2ページを使って、人物相関図だそうな。際物だとばかり思っていたが、けっこうまともなキャラ立ちする作品になってきたということか。

ところで、柊父が37歳で、高校生の娘がいるということは、いったいいくつでこの男は結婚したんだ……というツッコミをしている人はいるのかしら。

まだ熱がのこっているのか、ばかなことしか思い浮かばない。

臥せっています

昨夜から熱発して、一日中臥床。
おかげで何も読めず、何も観ず。

原作通り

「絶望先生」じゃないけど、原作との関係の話でも。
原作とアニメとのちがいといえば、なんといっても『赤ずきんチャチャ』だろう。だいいち、彩花みんの、あのホワホワした絵が、アニメの絵になったとたんに変容するは、ストーリーはまったく共通点はないは、たまたま第1回をみて仰天して、それっきり見なかった覚えがある。
一方、ちがうことでよくなったのが『耳をすませば』だ。これは柊の作品としては、あまりよいものではないと今でも思っているが、あそこに両親というファクターをいれたことで、作品が重層的になった。以前ここでも書いたことがあるが、父親に感情移入できるところが、映画版のよいところだと思う。
さて、そうなると、今度の『ゲド戦記』はどうなるやら。原作がまだ三部作だったときに、一度読んだきりで、もう内容も記憶していないから、原作のことは忘れたほうがいいのかもしれない。あれは岩波が翻訳したので、当時『図書』で、河合隼雄だったかが、青年の成長ストーリーとしてのよみかたを述べていたような記憶がおぼろにある。

そういえば、『砂の城』も昼ドラになったとか。日本の話に置き換えられていたと、ほのかに聞いた覚えがある。こういう話をしだすと、きりがなくなりそうだ。それだけ、マンガが原作の供給源として、日本の映画やドラマの世界に重きをなしているということなのだろう。

総花的な感じ

『アニメへの変容』(現代書館)という論文集を読んだ。
とはいえ、いろいろな事象にふれていて、(ディズニーのライオンを主人公にしたアニメが、手塚作品の剽窃ではないかという疑惑についてのものなど)、テーマとしては面白いのだが、どれもやや突っ込みが足りないような感じもする。それぞれのテーマで1冊の本になるような内容を、全体でまとめたような印象か。
最後の論文のなかで、米村みゆきという人が、アニメ研究が緒についたばかりでまだ経済的な側面などに考察が偏っているので、もっと多面的に、研究を深めていくべきだといっているのは、納得できた。そうした、問題提起の本としてとらえるべきなのだろう。

言及しないほうがいいのかも

昨日、久しぶりに日本代表の試合を、中継で見た。
この前みたのは、昨年3月のテヘランでの試合だったように思う。
2002年は、中継では全く見なかったし。
観ないほうがいいのかもしれない。
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