2012年02月11日

お散歩>久留里線 (1) 再訪。もろもろ小さな変化の積み重ね。

 そーゆーわけでなんか千葉県がマイブーム(アワブームか)になったみたいで。いすみ鉄道・小湊鉄道に続いてこんどは久留里線です。

 久留里線ですが、過去にいちおう行ってはいます。2004年に、なぜか2週続けて行ってますね。ただ、いずれも乗るついでにいくつかの駅をざっと眺めた程度であり、それなりの数の駅の項目がありはしますが大半は「客扱いをしている間にあいてる扉から外を写しただけ」だったりして、ま、あれで「写真がある」とかいうと、それは詐欺みたいなもんです(=^_^;=)。
 ま、首都圏から近い国鉄の非電化ローカル線ですし、わけわかんない希少車もいますし、2012年1月現在ではタブレット閉塞も現役ですし、悪い路線じゃないと思うんですけど、いかんせん地味なんですよねえ。そのわりに車輌の塗装が派手で路線に似合っておらず、率直なところ「いまひとつ食指が動かない路線」という印象でした。
 しかしまあ、鉄道めぐりのツレともども、いいかげん近場は行きつくした感があり(=^_^;=)、千葉県づいたまんまイキオイでなんとなく「久留里線、いってみよーか」みたいな話になりまして。なんか最近、撮影枚数が異様に多くなってて、露出違いこみで撮影枚数が1470枚、生き残り写真が413枚ですか、けっこう死にそうになってました。すでに撮影してあった分とあわせると700枚越えましたねえ、久留里線にもそんなにいっぱい被写体があったんだー、とか思ったり(そりゃ、あるだろ(=^_^;=))。

 久留里線は7年半ぶりくらいだったんですが、えーと、たいして変わる要素もなさそうに見えてた路線だったんですけど、けっこう大きく変わってました。なんていうか、接客設備の更新がかなりの規模で行われたみたいです。具体的には、ホーム待合室の更新と、便所の新設ですね。
 無人駅となった駅の旧駅舎の取り壊しと無人駅仕様の駅舎の新築は、2004年時点ですでにかなり進んでいました。その後は、もともと駅舎なんかなかったような小規模駅のホーム待合室の整備などが行われた、ということでしょう。けっこうな数の駅で、車窓からテキトーに撮った旧ホーム待合室の写真が、それの唯一の写真てことになっちゃってたりして。
 マーフィの法則じゃないけどさ、「変わる要素があるものごとは、変わる」ものなのである、と。そもそも変わる要素があることに気づいていなかったあたりが甘かった、ということかもしれません。まあ、何が変わる可能性がある要素なのかを見抜くのってたいへんなんですけどね。大規模開発の手にかかると地形だって変わっちゃったりすっからなあ(ためいき)。

 んじゃそういうわけで、まずはその差分から行ってみましょうか。

 まず、木更津駅。ここは内房線の駅という要素の方が大きいんですけど。西口の売店が縦横ともに成長。
 

dsc12811
2004/09/24-13:33 , JR東日本 - East Japan Railway , 内房線/久留里線 , 木更津駅(千葉県木更津市)
西口の売店。
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2012/01/03-08:49 , JR東日本 - East Japan Railway , 内房線/久留里線 , 木更津駅(千葉県木更津市富士見1)
西口駅舎入口の売店。なんかちょっと成長したようです。
 
 上総清川駅。ホーム待合室が更新されました。この駅では便所の新設は行われていませんでした。
 
dsc12474
2004/09/19-13:55 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総清川駅(千葉県木更津市)
ホームとホーム待合室。このホーム待合室は、再訪時には更新されていました。
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2012/01/03-09:57 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総清川駅(千葉県木更津市菅生)
ホーム待合室。更新されてしまいました。線路上総亀山側。
 
 東清川駅。ここは2004年訪問時の写真がないのですが、他のいくつかの駅と類似した様式の便所とホーム待合室が作られていました。
 
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2012/01/03-10:07 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 東清川駅(千葉県木更津市笹子)
便所とホーム待合室。便所がホーム待合室をはさんで性別で独立しています。便所本体は規格型ですが、この配置は珍しい。
 
 横田駅。交換機能を持ち、訪問時点ではタブレットの受け渡しがあるため有人駅でした。
 まず、多少の構内整備が行われた模様。駅舎のすぐ前にあったこけしのオブジェが撤去されていました。まあ、これはもしかすると駅員の手作りのものとかであったかもしれず、その駅員が転属になったとかいう程度の理由でもなくなっちゃう理由にはなるものだったかもしれません。
 
dsc12728
2004/09/19-18:12 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
駅舎の線路側、上りホーム上にあった、切り株を利用したこけしのオブジェ。地図で見ると木材関連の店や加工業が散見されます。房総山地の木材集積場所のひとつだったのかもしれません。2012年訪問時には発見できず。
 
 同じく横田駅。便所が更新されました。まあ、便所はねえ・・・「駅の便所は汚い」という固定観念があるくらいだから、それを打ち破るべくがんばっていただいてちょうどよかったりしますし。にしても、実にこう、集中的に便所を作りましたなあ。
 
dsc12715
2004/09/19-18:02 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
便所・線路上総亀山側。
s3p75532
2012/01/03-10:33 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
便所。構内側。
 
 同じく横田駅。下りホームのホーム待合室。撤去されました。代替のものは作られていませんでしたが、まぁ、横田駅から下り列車にのるお客さんはそうは多くないのじゃないかと思います。
 
dsc12691
2004/09/19-17:54 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
下りホームのホーム待合室。
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2012/01/03-10:36 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
ホーム待合室の跡。
 
 東横田駅。ホーム待合室が、車掌車流用のものから新築のものに更新されました。過去に便所があったかどうかわかりませんが、それも新築されています。
 
dsc12826
2004/09/24-14:08 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 東横田駅(千葉県袖ヶ浦市)
車掌車の廃車体利用のホーム待合室。ヨ3500型ないしヨ5000型。※この車掌車は解体されたとの情報あり(2007/02/04追記)
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2012/01/03-10:48 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 東横田駅(千葉県袖ケ浦市横田)
駅入口。ホーム待合室と便所。車掌車流用駅舎は撤去されてしまいました。
 
 馬来田駅。2004年訪問時にすでに古い便所は撤去されユニット便所が並べられるかたちとなっていましたが、2012年訪問時には改めて新築されていました。ま、2004年時点のものは過渡的な状態だったということなのでしょう。
 
dsc12836
2004/09/24-14:15 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 馬来田駅(千葉県木更津市真里)
便所。ユニット式の便所が並べられていました。右から横書きの、もしかするとものすごく古いものかもしれない看板がかかっています。
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2012/01/03-11:08 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 馬来田駅(千葉県木更津市真里)
便所。表側。
 
 下郡駅。ホーム待合室が更新されました。過去に便所があったかどうかわかりませんが、他のいくつかの駅と類似した様式の便所が新築されていました。
 
dsc12677
2004/09/19-17:41 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 下郡駅(千葉県君津市)
ホーム待合室。
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2012/01/03-11:23 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 下郡駅(千葉県君津市山本)
駅名標と便所とホーム待合室。
 
 俵田駅。ホーム待合室が更新されました。過去に便所があったかどうかわかりませんが、他のいくつかの駅と類似した様式の便所が新築されていました。いやあ、便所はこの様式のものがいくつかの駅で使われていたんですが、ホーム待合室はけっこうばらばらのデザインなんですよねえ。どういう力学なんだろ。
 
dsc12494
2004/09/19-14:24 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 俵田駅(千葉県君津市)
ホーム待合室。
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2012/01/03-12:17 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 俵田駅(千葉県君津市俵田)
便所とホーム待合室。
 
 久留里駅。横田駅とならぶ現存の交換可能駅で(過去には馬来田駅をはじめとして、ほかにもいくつか交換可能駅があったようです)、久留里線の中核駅でもあります。訪問時点では有人駅でしたが、小さいとはいえ房総半島中部の拠点都市のひとつですから、タブレットが廃止されたあとも無人化されるかどうかはなんとも。
 駅施設については特に更新には気づきませんでした。ここは便所は2004年時点ですでに更新されていましたし。
 で、これはJRがやっているわけじゃないような気がしますが、駅前広場が更新中でした。どのようになるのかは不明ですが、とりあえず広場全域を新しくするようで、広い範囲で工事が行われていました。
 
dsc12637
2004/09/19-16:37 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 久留里駅(千葉県君津市久留里市場)
駅舎道路側俯瞰。
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2012/01/03-12:51 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 久留里駅(千葉県君津市久留里市場)
駅前広場越しに駅舎と便所。駅前広場は整備工事中でした。
 
 平山駅。特に変化はない・・・ように思えたのですが、写真を仔細にチェックしてみたところ、便所が更新あるいは新築されたようです。
 
dsc12600
2004/09/19-16:19 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
無人駅仕様の駅舎。クローズアップがありませんが、駅舎の向こう側には便所は見えていません。
s3p76493
2012/01/03-14:39 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
ホーム待合室。線路上総亀山側。
s3p76490
2012/01/03-14:38 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
便所とホーム待合室。線路木更津側。
 
 同じく平山駅。旧ホーム待合室は取り壊されてはおらず、無事でした。
 
dsc12601
2004/09/19-16:19 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
ホーム待合室。
s3p76496
2012/01/03-14:39 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 平山駅(千葉県君津市平山)
旧ホーム待合室。
 
 上総亀山駅。久留里線の終端駅です。
 駅舎には大きな違いはないようでしたが、便所は更新されました。
 
dsc12518
2004/09/19-15:05 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総亀山駅(千葉県君津市藤林)
便所・道路木更津側。
s3p76557
2012/01/03-15:06 , JR東日本 - East Japan Railway , 久留里線 , 上総亀山駅(千葉県君津市藤林)
便所。道路木更津側。
 
 いやー。
 2004年訪問時には、木更津駅・横田駅・馬来田駅・久留里駅・上総亀山駅くらいしか下車しておらず、情報としてはすかすかよねって感じがしていたのですなあ。それでも差分検出用というか、状況の変化を確認するといった目的ならば、「それなりに使えるものなんですなあ」とまるで自己弁護のような感想を抱きました。
 するとそれを聞いていたおれの中のもうひとりのおれが、「だからって枚数撮ればいいってもんじゃねえだろ、整理するのはおれなんだからな」とかぶつくさ文句を言っていたりするわけなんだなあ。あ、なんか目つきがけっこう険悪じゃありませんか、こりゃマジで怒ってるな〜(=^_^;=)。
  
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2012年02月08日

お散歩>小湊鉄道〜一応全駅コンプリート。

 そういうわけでいすみ鉄道をひととおり終わり、そのまま惰性で小湊鉄道へとなだれこみます。最初は養老渓谷駅。
 
s3p74859 - 2011/12/31 15:30
小湊鉄道 - 養老渓谷駅(千葉県市原市朝生原)
駅舎。道路五井側。
 
 しかしなんだな。雪景色だったとはいえ、上総牛久より東側の山線区間については、ふたりともすでに全駅をまわっていたのだよなあ。
 そこでこれからどうするか相談になり、「雪景色ではないノーマル(笑)な小湊鉄道の風景をおさえつつ日没までいく」「未撮区間で日没まで粘る」の2案を検討した上で、第二案を採用。途中をすっとばして馬立駅に向かいます。おれも全く撮っていないわけではないが、撮り落とし駅がそこそこあったような気がしていたんだよなあ。

 上総牛久を通り過ぎ、最初の駅は馬立駅。
 

s3p74875 - 2011/12/31 16:10
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
駅舎。道路五井側。小湊鉄道様式のいい感じの木造駅舎です。
s3p74899 - 2011/12/31 16:13
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
元貨物倉庫。五井側。
貨物側線にあるものですが、線路側壁面は封じられており、貨物ホーム上屋としては使えません。上総鶴舞駅にも同様のものがあったのですが、貨物輸送廃止後に業務用倉庫に転用したとか、なんかしらそんな事情があるのでしょう。
s3p74881 - 2011/12/31 16:10
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
駅前のタクシー屋(馬立タクシー)。
 
 いやまあなんというか。未撮駅がぞろぞろあったような気がしていたのだが、冒頭一発目ですでに既撮駅が出てきたぞ(=^_^;=)。ま、すでに馬立駅の写真はあるとはいえ、2001年のもので機材もポリシーもスキルも変わってますから撮りなおす価値は十分にあるのだけど。

 続きまして、上総山田駅。
 

s3p74980 - 2011/12/31 16:39
小湊鉄道 - 上総山田駅(千葉県市原市磯ケ谷)
駅舎と詰所。道路五井側。小湊鉄道様式のいい感じの木造駅舎です。
 
s3p74968 - 2011/12/31 16:38
小湊鉄道 - 上総山田駅(千葉県市原市磯ケ谷)
駅舎。道路上総中野側。
 
s3p74995 - 2011/12/31 16:42
小湊鉄道 - 上総山田駅(千葉県市原市磯ケ谷)
構内踏切から五井方面を望む。左側に側線が延びています。
 
 
 うおー。ここも既撮駅だわ(=^_^;=)。てゆーかまあ、チェックしていなかっただけで忘れていたというほど忘れていたわけでもなく。
 モノになっていない以上当然ボツになっているわけですが、以前ににちゃんねら鉄道板の有志で「1/87・12mmゲージで安価な模型を製造販売できないか」という思いつきの企画をはじめたことがあり、そのときの候補に「小湊鉄道の古典貨車」てのがはいっていたのですね。その候補の古典貨車のうち、無蓋車が、この上総山田駅に留置されていたんでした。トム10とトム11の2輌。片側にはバッファ穴がありもう片方にはないというところからみて、鉄道院の路線はまだバッファ&スクリューの連結器を使っていた時代に控車として使われたという履歴があるのではないかと思われる、とんでもない古典貨車でございます。
 んで、おれひとりでも一度きてるし、そのあと有志でオフを兼ねて巻尺を持って来たこともあった。駅はついででしたが、来た以上撮らないわけがないだろうって感じ。
 その古典貨車ですが、ちらっと見たところ側線はからっぽのようであり、ないのを確認するのも悲しかったのでちゃんとチェックはしないというヘタレな選択をしてしまったのですが(=^_^;=)、少なくとも2011年12月31日段階で、ここの側線からはいなくなっているようでした。移動しただけなのか、鬼籍にはいってしまったのかは、確認していません。

 んで、既撮駅が2つ続いたところで、次は上総三又駅。
 

s3p75011 - 2011/12/31 16:51
小湊鉄道 - 上総三又駅(千葉県市原市海士有木)
再建された駅舎。道路五井側。
 
s3p75017 - 2011/12/31 16:51
小湊鉄道 - 上総三又駅(千葉県市原市海士有木)
再建された駅舎。道路側。
 
s3p75020 - 2011/12/31 16:52
小湊鉄道 - 上総三又駅(千葉県市原市海士有木)
再建された駅舎。道路上総中野側。
 
 
 はいー。まだまだ続く既撮駅攻撃です(=^_^;=)。ていうか、上総三又駅は、おれが最初に小湊鉄道に乗って最初に降りた駅だな。
 ただ、ここはそのときに撮った駅舎、というかホーム待合室はその後火災にあって焼失しており、「駅を撮ったことがあるか」という意味では既撮駅ですが「現在の駅の状態を撮ってあるか」という意味では未撮駅なんで、もとより撮りなおすつもりでおりました。ま、この駅ではじめて「目標のひとつが達成できた」ということになりましょうか。しかし、時すでに夕暮れなのであります(=^_^;=)。

 隣は海士有木駅。ここは純然たる未撮駅。ああ、ようやくだ・・・。
 

s3p75044hdr - 2011/12/31 17:03
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
駅舎。道路側。
 
s3p75047hdr - 2011/12/31 17:03
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
駅舎。道路上総中野側。
 
s3p75050 - 2011/12/31 17:05
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
便所。
 
s3p75053 - 2011/12/31 17:06
小湊鉄道 - 海士有木駅(千葉県市原市海士有木)
駅名標。
 
 
 小湊鉄道様式の木造駅舎を持ついい感じの小駅です。駅舎は、車窓からは確認できていたんですが、列車本数が多くて来やすい上総牛久以西であることが理由となってあとまわしになっていたんでした。しっかしまあ、この扱いは、いったんあとまわしにしちゃうととめどなくあとまわしになる、という見本みたいなもんですなあ(=^_^;=)。

 そいや駅名なんですけどね。
 えーと「海士有木駅(あまありきえき)」っていちおう難読駅に分類されているような気がします。で、どっかでそういう話をしたところ、鉄分がぜんぜんないやつが「フツーに『海士』って書いて『あま』って読むじゃん。鉄ヲタって漢字読めないのか?」とか言ってくれちゃいまして。言われてみればそうだなあと。「海士有木駅」は、「海士+有木+駅」と容易に語素分解ができるし、分解しちゃえば個々の要素は難読でもなんでもないんですよね。なんで難読駅に分類されることになっちゃったんだろう? 誰か事情を知っているひとはいませんか(=^_^;=)。

 で、隣は上総村上駅。ここもまごうかたなき未撮駅だったんですが、駅名標を見るとさらに隣はもう五井駅なわけで、案外こう未撮駅は多くなかったなあと思いつつ、しかしすでにとっぷりと夕暮れなのであります(=^_^;=)。
 

s3p75056hdr - 2011/12/31 17:18
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
駅入口。
 
s3p75074 - 2011/12/31 17:21
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
便所。ラッチ外、駅舎入口の対面にあります。
 
s3p75101hdr - 2011/12/31 17:28
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
下り線ホームから駅舎。
 
s3p75104hdr - 2011/12/31 17:28
小湊鉄道 - 上総村上駅(千葉県市原市村上)
下り線ホームから駅舎。
 
 
 上総村上駅。
 えーと、駅舎本体の構造体の造りは「小湊鉄道様式」に準じているように見えるのですが、動線設計などは大きく異なり、ディテールも違っています。車窓から見ただけだったんですが、「なんかちょっと違う、小湊鉄道の駅舎としては異質の駅舎」ということはわかっていました。なので気になっていたというか。小湊様式では建てられないといった立地的制約があったようにも見えませんし、不思議です。まあ、別に「ひとつの鉄道の駅舎は様式をそろえるべきだ」とする理由もないわけですが、他は揃っているのになあ、とは思ってたわけです。
 で、じっくり見てどういう違いがあるのかは確かめることができたのですが、なんせ夕暮れなんですなあ。ていうかもう夜(=^_^;=)。
 でだ。
 この日は「いすみ鉄道の全線をまわる」というのが目標でしたし、そんなに時間に余裕がないのはわかっていたため、いざとなりゃハイダイナミックレンジ合成(HDR合成)を持ち出すつもりでおりました。結果は上の通りで、まあ、「その駅がどんなものであったかを知るための資料としては最低限の役には立つかもしれません」というレベルですが。この件については後日別のエントリを書くかもしれません。

 お・ま・け。
 

s3p74950 - 2011/12/31 16:25
小湊鉄道 - 馬立駅(千葉県市原市馬立)
高滝神社初詣列車のヘッドマーク。
 
s3p74756b - 2011/12/31 14:58
小湊鉄道 - 上総中野駅(千葉県夷隅郡大多喜町中野)
高滝神社初詣列車のヘッドマーク。
 
 
 大晦日だったものですから、初詣客を呼び込もうという趣旨のヘッドマークをつけた列車が運転されていました。ヘッドマークは少なくとも2種類ありましたが、もしかすっともっとたくさんの種類があったのかもしれません。

 ま、とりあえずそういうわけで、夜景になっちまった部分もあって多少の欲求不満がないわけではありませんが(=^_^;=)、それを言ったら房総半島の鉄道だとゆーのに雪景色しかない駅だって多々あったりするわけで(=^_^;=)、いちおう「小湊鉄道は全駅をコンプリート」ということになりました。別にコンプリートしたからって何かいいことがあるわけじゃあないんですが。

  
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2012年02月05日

2012年の真壁の雛祭り

 えーとそういうわけで茨城県は真壁町の雛祭りです。2012年のものがはじまったみたいなので、お知らせ。行くひとは、ついでですから「東日本大震災>真壁旧市街地の被災状況」にも目を通していってくれるとうれしい。

 概要は以下のページにまとめられています。

和の風第十章 真壁のひなまつり

 上記ページの「お知らせ(ご確認下さい)」にも、震災被害関連のコメントがあります。あわせてご覧ください。

 んで、バス便は以下。ふだんは公共交通機関だけでは真壁にたどり着くことはできないのですが、ひなまつりの期間内は臨時でバスが運行されます。ひなまつり見物だけではなく、真壁の町並みを眺めたいという方にとっても、とても便利になると言うことができます。この機会にぜひ。

・つくばエクスプレスつくば駅から(公式ページ
 運行期間2012年2月4日〜3月3日
 料金2日間有効の往復券で1500円
 時刻表の「筑波山神社入口」と「梅林入口」の時刻が同じ理由は謎
 つくばセンター - 真壁駅 真壁駅 - 筑波山神社入口 - 梅林入口 - つくばセンター
9:30 - 10:20 10:30 - 10:55 - 10:55 - 11:35
10:00 - 10:50 11:30 - 11:55 - 11:55 - 12:35
10:30 - 11:20 12:30 - 12:55 - 12:55 - 13:35
11:00 - 11:50 13:00 - 13:25 - 13:25 - 14:05
11:30 - 12:20 13:30 - 13:55 - 13:55 - 14:35
12:00 - 12:50 14:00 - 14:25 - 14:25 - 15:05
13:00 - 13:50 14:30 - 14:55 - 14:55 - 15:35
14:00 - 14:50 15:00 - 15:25 - 15:25 - 16:05
 15:30 - 15:55 - 15:55 - 16:35
 16:00 - 16:25 - 16:25 - 17:05
 16:30 - 16:55 - 16:55 - 17:35

・水戸線岩瀬駅から(公式ページ
 運行期間2012年2月4,5,11,12,18,19日(土日)
     2012年2月25〜29日/3月1〜3日
 料金片道500円
 JR岩瀬駅 - 真壁駅 真壁駅 - 雨引観音 - JR岩瀬駅
  9:40 - 10:05 10:00 - 10:25 - 10:45
 10:30 - 10:55 11:00 - 11:15 - 11:35
 11:30 - 11:55 12:10 - 12:25 - 12:45
 12:30 - 12:55 13:00 - 13:15 - 13:35
 13:30 - 13:55 14:00 - 14:15 - 14:35
 14:50 - 15:15 15:20 - 15:35 - 15:55
 15:30 - 15:55 16:00 - 16:15 - 16:35
 16:30 - 16:55 17:00 - 17:15 - 17:35

 いやあ。バス便の時刻表くらいは公式ページ見てもらえばわかることなんだけど、このページ毎年同じURLを使いまわしているので、過去情報が消えちゃうんだよね。なので毎年の記録ってことで、いちおうこっちにも掲載しときます。

 ご参考までに、行かれる方にとってはそれなりに使える資料なんじゃないかと思うものへのリンクを2件。
真壁町中心部の地図
真壁町の登録有形文化財一覧(たぶん2005年時点)

 おまけですが、過去の「真壁町のひなまつり」紹介エントリ
2010年 真壁町への臨時バス便が運行されます
2011年 2011年も真壁町への臨時バス便が運行されます  

2012年02月04日

モルヒネを使ってみた。

 残念ながら、非合法薬剤の話じゃありません。別に麻薬とかに特に忌避感はないんだけど、おおっぴらに言うのがかっこいい種類の話だとも思っていませんので。
 というわけで、モルヒネを使ってみた。これ。



 いやさ、痛いんですよ(=^_^;=)。んで、痛みなんてごく私的な感覚であり、他者と共有できるような感覚じゃないでしょ。いくら文字を連ねても、痛みとか、味覚とか、そういうものは伝えることが困難だ。喜びとか悲しみとかも同じ問題を抱えているんだけど。
 となると、チャレンジしてみたくなるじゃないですか。というのがこのエントリを書きはじめた理由だったりするわけだが(=^_^;=)。
 まあだからってどのように痛いのかを大げさな言葉を連ねて語ってみても伝わるわけもないし、他人が読んで背筋がゾクゾクしてきちゃうような路線は狙う気がないし、どうアプローチするか書き始めた時点では未定なわけですが。まあつらつら、痛みについて。

 なんだかよくわからんのですが、首のあたりで炎症が起きているんですなあ。喉の粘膜とかが炎症を起こしたとかいうのならばまあ風邪とかのときにお馴染みの感覚なんですが、そうじゃなくて、なんか筋肉組織の中のあたりで炎症が起きているらしい。きわめて限られた範囲での炎症であり、体温があがるとかいうような全身症状は出ていないんですが、しかしとにかく痛いんである。さらにあわせわざまで強烈な肩こりまで登場してきた。結果として、歴代痛みの強さランキングでいくとベストスリーにははいるんじゃないか。
 ちなみに、順位ははっきりしませんが、順不同でベストスリーを並べると「右足下腿複雑骨折(粉砕骨折)の受傷直後」「胆嚢炎」「今回」となるでしょーか。

 んで、当初はロキソプロフェン・ナトリウムという鎮痛剤を出してもらっていた。これ、胆嚢炎のときにも使った薬で、おれに関してはよく効くんだけど、悲しいかな、多少持続時間が短い。60ミリグラムの投与で6時間くらい。成人の一日極量が180ミリグラムだそうで、それを守る限りでは一日3回までしか使えないから、一回あたり2時間、一日合計で6時間くらい足らないんですなあ。
 そいやフェナセチン系の「セデスG」という、おれに関してはとてもよくきく鎮痛剤があったんだが、あれとかもあわせて出してもらえんもんかなと思ったんだよなあ。ロキソプロフェン系とそれ以外系とを適当に混用して極量制限をかいくぐるとかって手はないもんかと思ったわけですが、どうもそういう発想はないらしかった。で、調べてみたら、その「セデスG」は、というかフィナセチン系鎮痛薬そのものが、副作用が問題になったとかで製造中止になっていたりした(=^_^;=)。
 まあそういわけでその持続時間が足らない2時間×3回をどーすっかで悩んでいたところ、医者が「モルヒネだそーか」と言ってきまして。
 モルヒネでしょ、あのほれ末期癌患者の痛みをおさえるために意識の混濁とかをものともせずに使うというモルヒネですかあ、それが出てきちゃいますかあ、みたいな。ってまあモルヒネといっても量とかにもよるし、モルヒネは使用上限量がない(極量がない)らしくて盛大に使えばそりゃ意識くらい飛ぶでしょうが使ったら必ず意識混濁が起きるとかいうわけでもないんで、どうしたもんだろうかみたいな。別の知り合いの医者にも相談したところ「おれも普通に処方するけど(大意)」ということだったんで、出してもらうことにしました。

 使用量が少ないせいなのかもしれませんが、おれに関しては、モルヒネきかないねえ。いや、ぜんぜんきかないわけじゃないんだけど、期待していたほどには劇的な効果ってのはありませんでした。副作用はいっちょまえにありまして、慣れるまではけっこうぼーっとしたり、いつもとは頭の覚醒バランスが違っているみたいで寝付けなかったり、してましたけど。
 あ、その後もいまでも高性能バッテリーが落ちるときみたいに(つまりいきなしってことだが)、意識が遠のいていくってのがあるな。横で見てると「いきなし眠った」みたいに見えるんだろうなあとか想像しますが。これ、こないだからときどき出てた症状で、モルヒネのせいじゃないかもしれませんが。頻度と深度はモルヒネの使用開始後、あがったような気がしますけどねっ。

   *

 んで、痛みってのにも、そういやいろいろあるなあ、と。

 右足下腿の粉砕骨折ってのは、対抗右折車につっこまれたバイク事故で、相手の車のバンパーの厚さ分だけ骨があとかたもなくばらばらになっていたというやつで。
 これは、受傷直後はそらもう盛大に痛かったんですけど、なんか一発芸的な痛みだったような。
 そうねえ。なんか周辺じゅうのセンサが異常信号を出しまくっており、痛いぞセンサは痛いぞ信号を出しているのだが、それが受容値を越えて隣の警報システムになだれこんでいたのか、それとも熱いぞセンサが誤動作していたのか、どっちかっつーと痛いというよりは熱かったという記憶があります。
 ただ、痛かったわりには意識は清明で、思考が痛みに引きずられるということもなかった。救急車のスタッフや医者とは普通に話をしていたような気がするし(いやまあ、それなりにろくでもないこともクチバシってはいたのだろうけれども)。
 また、受傷後4時間くらいで痛みはさーっと引いていったように記憶しています。鎮痛剤とかも使ったんだろうけれども、まあセンサの方も「これ以上警報を出しても無意味」とか諦めたのかしらんし。骨折ってけっこう痛みが長引くこともあるみたいですが、おれの場合は毎回のように、受傷直後の痛みは長引かないで消えてますね。ていうか、たいして痛くないものだから骨折していることに一晩気づかなかった事件、てのもあったしなあ。
 とまあそういうわけで、このときの痛みは、「ものすごく痛かった」ということは鮮やかに覚えているものの、さほど印象に残る痛みというわけではなかったんでした。

 胆嚢炎のときの痛みはなあ。
 なんていうかこう、ちんどん屋のような痛みっていうか。延々と痛くてしかも持続してにぎやかで、たとえとしてどうかと思うが『美しき天然』がエンドレスでかかっているかのような痛み。んで、思考が痛みにひっぱられるのですなあ、四六時中「いたいよーいたいよー」とかいうモノローグが頭の中をめぐっている感じ。もうほかのことは考えられない。ちなみに、当初医者は、胆嚢炎をなんとかしようとは思っていたものの痛みをなんとかしようとは思っていなかったようで鎮痛剤を出してくれず、とりあえず痛いのをなんとかしてほしかったおれとしては「おれは何のために病院に行ったんだろう」とかいう疑問を抱いていたりしました。リクエストをちゃんと言うことを忘れるほどに痛かったということだな(=^_^;=)。
 あと、こんときの痛みは、なんていうか「眠れぬほどの痛み」というやつで、眠ってしまえばとりあえず楽になるとは思うものの眠るに眠れないという現象を引き起こしていました。まあそんでも眠気の限界がくれば眠ってしまうんだけどね(=^_^;=)。

 今回の痛みは、胆嚢炎のときにとはけっこう対照的。たとえていえばラヴェルのボレロのような痛みっていうか(なんかもうたとえがわけわからんがな(=^_^;=))。
 いっちばん対照的なのは、今回は「気を失える」ということでしたね。痛いんすよ、痛いんですけど、それがゆえに眠れないとかいうことはない。というか気を失ってしまえば痛くないから脳が気を失ってしまおうと思ったのかどうかよくわかりませんが、なにかっつーと気を失ってしまいそうになるんです。寝てるんだか失神してるんだか、そもそもその2つがどう違うんだか、よくわかりませんが。簡単にブレーカーが落ちる状態っていうか。で、そのブレーカーが落ちる状態はそのちょっと前から別の理由で生じていたんですが、まーとにかく落ちる落ちる、痛みの最盛期には面白いように落ちまくってましたね(=^_^;=)。
 ま、これ、胆嚢炎のときの痛みとは性格が違う痛みだったのか、痛みそのものは似たようなものだけど体の(ていうか脳の)対処方法が違ってきていたのだか、そのあたりはよくわかりませんけど。

   *

 とか言ってるところに、新手の脅威が登場(=^_^;=)。五十肩ってやつです(=^_^;=)。

 しょーじきこれ、関係があるんだかないんだか、よくわからないんだよね。関係している医者4名のうち3名までは「無関係(であり、自分の管轄ではない)」という主張、のこり1名は「関係あるかもしれないし、ないかもしれないけど、とにかく鎮痛剤は出しておきましょう」という対処。ただ、痛みの場所は近くて、炎症が痛いんだか五十肩が痛いんだか、しばしば区別がつかない場合があるんです(=^_^;=)。
 んで、肩こりに鎮痛剤はきくか、肩こりにモルヒネはきくか、っつーとあんまし期待できなさそうな感じで。鎮痛剤で肩こりが治るんだったら、肩こりにはとりあえずバファリンでも飲んどけって話になりそうな気がするんだけど、そういう話はあんまし聞かないもんなあ。
 基本的にはぐちゃぐちゃ言ってないでペインクリニックにでも行くべきなんだろうけどな。ううう。

 なお、更新が止まってますけど、これは別に痛みのせいではありません。ていうか、痛みがひどくなってきたのって12月の話だし。
 更新が止まっているのは、単に写真整理が追いつかないでいるためです。  

2012年01月24日

お散歩>いすみ鉄道 (2) 再生に向けての取り組み篇

 一時期はかなり深刻に廃線の可能性が取りざたされたいすみ鉄道(旧国鉄木原線)。まずは第三セクター転換後のおおまかな年表。

1988年3月24日 国鉄木原線を第三セクターに転換して開業。その後延々と赤字が続く。
2005年8月3日いすみ鉄道再生会議発足。
2007年2月社長の公募(第一次)。
2007年10月29日いすみ鉄道再生会議の最終報告発表。「2008年と2009年の2年間を検討期間とし、収支改善の見通しが立たない場合には廃止」という方向を確認。
2008年3月26日吉田平氏(平和交通社長)が、第一次の公募社長に就任。
2008年8月9日城見ヶ丘駅開業。
2009年2月吉田社長が千葉県知事選挙に立候補するため辞任すると発表。
2009年5月4日社長公募(第二次)。
2009年6月28日鳥塚亮氏(元ブリティッシュ・エアウェイズ旅客運航部長)が、第二次の公募社長に就任。
2009年7月1日命名権販売により、久我原駅を三育学院大学久我原駅に改名。
2009年9月1日命名権販売により、大多喜駅をデンタルサポート大多喜駅に改名。
2009年10月1日命名権販売により、国吉駅を風そよぐ谷国吉駅に改名。
2009年10月「ムーミン」をイメージキャラクターとして起用。また順次、大原・国吉・大多喜に直営売店を開店。
2010年3月訓練費自己負担(700万円)を条件として、運転士の公募(のち4名が採用され、免許を取得)。
2010年8月いすみ鉄道再生会議の最終報告に記載されていた効果測定の結果、いちおう「廃止は見送り」ということに。
2011年4月29日旧国鉄キハ52-125による営業運転を開始。

   *

 とりあえず年表にある案件をいちおう上から、見たままレポート。個人的感想は末尾に。

 城見ヶ丘駅の開業。
 ま、常識的なところで、駅新設による利便向上策。大多喜市街地のちょい外の幹線道路沿いにあるショッピングモールに近い場所への駅の新設です。ショッピングモールは、国道297号沿いのロードサイド店舗群で、コメリ・オリブ・ガスト・ヤックスドラッグなどが道端に並ぶ、まあよくある郊外型のもの。地図
 ただまあ、「近い」つっても数百メートルはあるわけで、どうなんでしょうねみたいな感じも。駅で降りて徒歩で買い物にいくひとがどんだけいるのかなぁ、ここらへんはもう完全に自動車社会だしなあ。
 これはまあ、たまたま線路のすぐ脇にそれなりの規模のショッピングモールとかがあれば、ある程度は効果が期待できるのかもしれませんが、条件が揃うかどうかは鉄道側の努力の範囲外なんですよね。たまたま条件が揃ったら受身でやってみてもいいかな、という性格の企画。類似の事例は、三岐鉄道北勢線の星川駅のものなどがありますが、あっちはどうなんだろ(ちなみに星川駅の場合は、駅前からショッピングモールがはじまっています。地図。もっとも、遠い店まではやっぱ数百メートルあるんだけど)。
 

s3p74352 - 2011/12/31 12:56
いすみ鉄道 - 城見ヶ丘駅(千葉県夷隅郡大多喜町船子)
大原側から駅全景。
s3p74367 - 2011/12/31 13:00
いすみ鉄道 - 城見ヶ丘駅(千葉県夷隅郡大多喜町船子)
駅入口の駅名標。
s3p74371 - 2011/12/31 13:01
いすみ鉄道 - 城見ヶ丘駅(千葉県夷隅郡大多喜町船子)
駅前通り、というか駅からショッピングモールがある場所に向けて伸びている道路。
 
 続きまして、命名権販売。

 国吉駅。スポンサーはパシナコーポレーション、ていうか鳥塚社長の会社。ま、自分で金を出して遊んでみました、ということでしょう、実効を目指したものではないだろうと思います(=^_^;=)。なので評価とかって無粋でしかないからやりません。
 

s3p74186 - 2011/12/31 12:08
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
大原側から駅全景。
s3p74256 - 2011/12/31 12:16
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
駅舎内の駅名標。
s3p74258 - 2011/12/31 12:17
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
駅名標。
 
 大多喜駅。スポンサーはデンタルサポート
 いやあおれは不勉強なことに「大多喜町の歯医者さんかなんかなんでしょう」と思っていたのですが(=^_^;=)、そうではなくて、訪問歯科診療などを軸とした新業態をやっている医療グループだそうです。試みとしてはけっこう面白そうな業態ではあるし、意欲的な事業を展開している会社であるとも思うし、実際使ったら便利でもあるだろうと思う。商売として成り立っているのかどうかは専門外なんでよくわからないけど。
 いすみ鉄道のネーミングライツ購入が宣伝効果につながっているかどうかは疑問、おれが「大多喜町の歯医者さんなんだろう」とか思ってたくらいだから。なんかもうちっと上手に宣伝してあげる手立てってないものなんかな。とりあえずおれはここで言及しオフィシャルページにリンクを張るというかたちで応援してみます。
 
s3p74378 - 2011/12/31 13:06
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
道路大原側駅全景。
s3p74416 - 2011/12/31 13:14
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
駅名標。
s3p74442 - 2011/12/31 13:17
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
駅名標。
s3p74440 - 2011/12/31 13:17
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
駅名標。「デンタルサポート」が書かれていませんが・・・書き忘れでしょうか(=^_^;=)。
 
 久我原駅。スポンサーは三育学院大学
 申し訳ないことに知らない大学だったんですが、調べました。大多喜町に拠点を置く大学で、1971年の設立だから案外古い。いちばん最初は1898年設立の芝和英聖書学校だから、ものすごく古い(=^_^;=)。キリスト教プロテシタント系列に属するセブンスデー・アドヴェンティスト教会を母体としており、グループ内に神学校も存在。英語学科・看護学科などがある。
 簡単にまとめると、一般の大学というよりは教団内の教育機関を目指して設立されたものだろうと思います。ただまあなんだ、カソリック系の聖ルカ病院をはじめとして、キリスト教系の医療施設とかってけっこう一般的でありかつ充実してたりするんで、一般の大学とかとはちょっと違った意味合いで存在感と存在価値のある学校なのであろう、と想像します。個人的には、調べて「ほーなるほど」って感じだった。
 で、キャンパスの最寄り駅だから命名権を購入したんだと思いますが、それ以上の意味合いはなさげ。通勤通学にこの駅を使う職員や学生がいるとも思われませんし。でもまあ、キリスト教的ヴォランティア精神での寄付と思えば、納得もいったりして。そういうところ、なんだかんだ言いつつ「神のいる国のひとびと」ってしっかりしてるんだよなあ、くやしいことに。
 
s3p74615 - 2011/12/31 14:14
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
大原側から駅全景。
s3p74620 - 2011/12/31 14:15
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
ホーム待合室の駅名標。
s3p74611 - 2011/12/31 14:13
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
駅名標。
 
 んで、現物は見られなかったし、おれは国鉄型にはまったく興味がないのでどうでもいいのですが(=^_^;=)、いちおうキハ52。一日乗車券に載ってましたので、それをはっつけておきます。
 
s3p76833 - 2012/01/03 19:36
いすみ鉄道 - 一日乗車券。「キハ52シリーズ」てのをやっているらしい。これはその2番目のもの。
 

   *

 年表にない案件。

 設備なんだけど、なんだかんだ言いつつ順調に更新は進んでいるみたい。目に見えるわかりやすい更新設備ってそうはないんだけど、気づいたものとして、たとえば以下。
 

s3p74012 - 2011/12/31 11:11
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
大原側にある第一中川踏切(第三種)。手前側警報機は全方向警告灯のもの。
s3p74057 - 2011/12/31 11:26
いすみ鉄道 - 上総東〜新田野(千葉県いすみ市佐室)
佐室踏切(第一種)。
s3p74065 - 2011/12/31 11:26
いすみ鉄道 - 上総東〜新田野(千葉県いすみ市佐室)
佐室踏切の全方向警報灯。
 
 何か所かの踏切で、全方向警報機を実見しました。もしかすっともう新品で購入できる踏切警報機は全方向タイプしかない、とかいう話かもしれませんが、いずれにせよ施設は着実に更新されているということの証ではなかろうかと思います。
 上の第一中川踏切なんて、踏切自体は激減の一途をたどる第3種踏切(警報機はあるけれど遮断機はない)なんで、そこに新鋭の全方向警報機なんていう組み合わせは全国でもここだけかもしれません。

 それから、いすみ鉄道応援自動販売機というのがけっこう目につきました。
 

s3p73953 - 2011/12/31 10:48
いすみ鉄道 - 大原駅(千葉県いすみ市大原)
ガンバレいすみ鉄道塗装の自販機。
s3p74011 - 2011/12/31 11:11
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
駅前の商店「BARBERフジヒラ」。いすみ鉄道応援自販機が設置されていました。
s3p74008 - 2011/12/31 11:10
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
駅前の商店にあったガンバレいすみ鉄道塗装の自動販売機。
s3p74627 - 2011/12/31 14:24
いすみ鉄道 - 総元駅(千葉県夷隅郡大多喜町黒原)
自動販売機。
 
 見てのとおりでパターンは2種。いすみ200型塗装のものと、国鉄色のもの。
 駅構内だけではなく、駅前商店などにも設置されているものがありました。もしかすると駅から離れた沿線商店などにも設置されているのかもしれません。
 以前に、なんだかよくわからないルートで飲料会社から「1本いくらのプレミアムマージンを出すという条件をつけるから、あまり販売機がないエリアで、新規に販売機を置かせてもらえるところを紹介してくれないか」という話が舞い込んだことがあります。「飲んで残そう○○鉄道」なんていうネタを考え付いたはいいんだけど、一か所声をかけたらそのままになっていて、まあおれにとっても個人的なメリットがあるわけじゃないしそのまま放置状態なんですが、そういう流れなんじゃないかと想像します。あ、この「自販機置かせてくれ」という話、なくなったわけじゃないと思うんで、興味がある鉄道会社のひととかいたらお声がけください。つなぎます。
 これ、街中にある程度以上氾濫したら、それなりに鉄道の存在感につながるかもしれず、そういう意味ではそれなりの効果がある方法論なのかもしれません。もっともまあ、塗装特注にかかる費用とか、がんばったけどだめで廃止になっちゃったときその自販機をどうするかとか、いろいろ悩ましいポイントもありそうですが。

   *

 んで、個人的感想です。

 いやあなんていうかね。こういう感想を述べるのって、鉄道会社に対してはものすごく失礼なことかもしれないし、そもそも大晦日にざっと見ただけだから観察が正しく行われたものなのかという疑問もあるわけですけど、ちょっと驚いたことがあるんです。
 言うぞ言うぞ、覚悟して読めよ(=^_^;=)。

 なんとまあ驚いたことに、*いすみ鉄道には客がいる* んですよ(=^_^;=)。

 幾多ローカル線を見て歩いてきましたが、駅ごとになんかしら利用者がいる、というケースってあんまし見た覚えがないのです。だけど今回、人数は少ないんだけど、駅にはけっこう列車待ちのお客さんがいたりした。列車が到着すると降りてくる客もいた。ちょっとこれは、予想外の高頻度であり、「なんだ使われているんじゃん」という感想につながったわけですよ。
 あ、乗り鉄撮り鉄系の利用者もいましたけど、そこらへんは除外して考えてます。趣味者はいずれにせよレギュラーの利用者じゃありませんから。
 

s3p74090 - 2011/12/31 11:31
いすみ鉄道 - 上総東駅(千葉県いすみ市佐室)
大原側から駅全景。下り列車待ちのお客さんがいます。
s3p74671 - 2011/12/31 14:38
いすみ鉄道 - 西畑駅(千葉県夷隅郡大多喜町弥喜用)
到着した列車。車輌は203。降りてくる家族連れがいます。
 
 なんせ大晦日ですから、「家族がみんな忙しくて車を出してくれず列車を使わざるを得なかったご老人」であるとか、「里帰りでたまたま列車を使っただけの非在住者」であるとか、そういうことだったのかもしれないんですが、通り過ぎる列車を見ても空気輸送状態ではなかったし、お客さん、いるんですね。採算が取れるほどの利用者がいるわけじゃないのが悩みのタネなんだろうけど、公共交通機関なんて最低限の地域サービスの部類で採算性で判断していいものかどうかビミョーなところがあるわけだし。
 公募運転士なんかのときにも「鉄道の実用性を無視して、趣味に走った政策である」みたいな批判がけっこうあったんですが、もし実用性を無視してしまっているのならばそれは問題だとおれも思うのですが、果たしてそういう流れになっているんだろうか。
 案外こう、いろいろと打ち出される奇抜な政策って、地元に対してもインパクトがあったりして、鉄道の存在感につながっているのではないか、なんてことをふと思ったりしたんでした。外から見ているのと、地元から見ているのとでは、案外見えている姿が違うのではないか、という感じだろうか。

 まあなんせ一回しかちゃんと見ていませんし、観察は甘いし、単なる通りすがりの趣味者なんで精緻な分析をしようとかいう意図もないんですけど、「予想外に利用者がいた」という一点をもって、いすみ鉄道はおれにとって「ちょっと気になる路線」へと格上げになったということは言えるように思います。とりあえず今回の感想はこんなところ。

  
Posted by 猫が好き♪ at 18:00 │Comments(0)TrackBack(0)
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2012年01月22日

お散歩>いすみ鉄道 (1) 趣味的観点篇

 そういうわけで本日の主目標であるいすみ鉄道です。

 いすみ鉄道は、すでに項目はありますが、これってば小湊鉄道のついでにざーっとまわっただけで、もう日も落ちていたし、要するにまあちゃんと見てはいない路線だったのでした。今回が初めてのまともな訪問であると言えましょうか。

 実はなー、いすみ鉄道にはいい思い出がないんだよなー。
 大昔にバイクで訪ねたんですよ。小湊鉄道を見て回って、それからいすみ鉄道に流れた、と。そしたら山道で土建屋の車にぶつけられましてね。大多喜の土建屋の車で、いくら地元だからってブラインドの山道で携帯電話をかけながら突っ走って来るんじゃないっつーの。んで、壊した分だけちゃんと金を払えば水に流してやらんでもなかったのに、そいつは「自分の車のラジエターも壊れた」とかいって過失相殺で修理代を値切ろうとしたんですな。カウルはぐちゃぐちゃにされたけどフレームはいってなかったし、いくら正面衝突とはいえその程度のあたり方で商用車のラジエターが壊れるかっつーの。こっちは止まれていたんだし、ぐちゃぐちゃ言ってないでてめえの不注意の分くらいは抵抗せずにおとなしく払いやがれ。
 そのちょい前にも一旦停止をしなかった土建屋の車に真横からぶつけられて鎖骨折ってるし、この2連発でしみじみ「土建屋ってろくなもんじゃねえな」と思うに至った。建築系の仕事を(も)しているおれが言っていいことじゃないような気もするけれども。んで、おれはモメる際にもいちおう落としどころは考えるように心がけてきたのですが、環境屋的活動の上では「土建屋は例外、土建屋の都合は一切考えなくていい」という方針を確立するに至ったのでございました。開発事業がストップして土建屋が干上がったっておれ知らんもんね、ということです。おまえその修理代のセコい節約は日本全国の土建屋にとって高くついたぞ、ざまあみやがれ。
 まあなんだね、おれがこんだけ感情的になるのは珍しいことでございまして、ま、そのくらい不愉快な出来事だったということです。
 とまあそういうわけでいすみ鉄道には何の責任もないところでおれ的にはバッドイメージがまとわりついていたりするわけですが、愚痴をこぼしたところで本論に戻ります。

 すでにWeblogでのいすみ鉄道の紹介でも書いたことですが、夜間にざーっと見た限りでは、「元は国鉄木原線とはいえ、国鉄型の駅舎は1棟も残っていないし、車輌はつまらん富士重工Le-Carだし、趣味的にはいまいち」という印象でした。しかしまあ、どんな場合でもその気になって丁寧に見れば「いいとこ探し」はできるわけでね。
 今回は、大原到着が午前10時40分頃、上総中野での撮影終了が15時ちょい過ぎくらい、日中が短い冬の日ではありますが、まあまあ余裕で全駅をめぐることができました。駅間や橋梁などの施設はほとんど見ていませんが、まあ一日でざーっと回ろうというときになんでもかんでもっていうのは無理がありますし、こんなもんでしょう。

 そうですねえ。いすみ鉄道の趣味的視野からの「いいとこ」っていうと、小駅の雰囲気でしょうか。もともと駅舎なんかあったとは思えない、待合室がぽつんとあるだけですみたいな小駅に、そこそこ見るべき風景がありました。たとえば以下。
 

s3p74044 - 2011/12/31 11:16
いすみ鉄道 - 西大原駅(千葉県いすみ市新田)
上総中野側から駅全景。
s3p74172 - 2011/12/31 11:48
いすみ鉄道 - 新田野駅(千葉県いすみ市新田野)
大原側から駅全景。
s3p74514 - 2011/12/31 13:48
いすみ鉄道 - 小谷松駅(千葉県夷隅郡大多喜町小谷松)
大原側から駅全景。
s3p74608 - 2011/12/31 14:11
いすみ鉄道 - 久我原駅(千葉県夷隅郡大多喜町大戸)
上総中野側から駅全景。停車中の大原行きの列車はいすみ206。
 
 ま、いずれも地味ではありますし重要な駅でもないわけですけど、その分「おらが町の第三セクター鉄道っ!」とかがんばって行政施設合造駅舎を新築するみたいな流れにはならなかったということなんでしょう。周囲の風情とかも含めて丁寧に観察するならば、それなりに見る価値はあるような気がします。どういう風景を見たいかとかいうベクトルにもよるのでしょうけど、大きめの駅は全部捨ててこういう小駅だけをめぐっても楽しいかもしれませんね。

 それから、「国鉄型の駅舎は全滅」と思っていましたが、それは間違いで、1棟だけ残っていました。上総東駅。
 

s3p74099 - 2011/12/31 11:31
いすみ鉄道 - 上総東駅(千葉県いすみ市佐室)
旧駅舎。線路大原側。
s3p74105 - 2011/12/31 11:32
いすみ鉄道 - 上総東駅(千葉県いすみ市佐室)
旧駅舎。道路上総中野側。
 
 駅舎としては使われておらず、どうも駅前の商店に貸し出されているか売却されたかみたいでいまはいすみ鉄道の管理物件ではなくなっているようですが、とりあえず1棟だけは、国鉄型の駅舎が残っていました。木造モルタル塗りの、まあちょっとクセはあって「典型的な国鉄型駅舎」とは言えないかもしれませんが、まあまあいい感じの建築物なんじゃないでしょうか。

 それから、すでに上総中野駅で発見してはいましたが、妙に背の低い信号機がいくつか発見できました。未撮影分にも同じようなのがいくつかあったはず。
 

s3p74181 - 2011/12/31 12:07
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
大原方面を望む。背の低い出発信号機があります。右側2線が行き違いができる本線で、その左側は側線。
s3p74184 - 2011/12/31 12:07
いすみ鉄道 - 国吉駅(千葉県いすみ市苅谷)
背の低い出発信号機。木原線の特徴でしょうか。
s3p74422 - 2011/12/31 13:15
いすみ鉄道 - 大多喜駅(千葉県夷隅郡大多喜町大多喜)
背の低い出発信号機。
 
 これって木原線様式なんでしょうかねえ。まあ、高く配置すればメンテナンスとかもたいへんになるわけで、実用上問題がないのなら、信号機を低く設置するというのはありだと思います。「あるひとつの路線に独特な雰囲気を演出する小道具」として、けっこういい感じのものだと思います。まあ、こういうのを鉄道模型のレイアウトとかでこれをやってしかもリアルに見せるとなるとたいへんだろうと思ったりもしますけど、実物の持つパワーってやっぱすごいわけで、特に不自然には見えなかったんですよねえ。

 おまけで、反射板つき道路信号機も1つ発見。
 

s3p74316 - 2011/12/31 12:35
千葉県いすみ市苅谷
反射板つき信号機の設置状況。T字路3方向の信号機のうち、反射板がついているのは1基(左端)だけ。
s3p74289 - 2011/12/31 12:23
千葉県いすみ市苅谷
反射板つき信号機。
 
 この反射板つき道路信号機ってのもよくわかんないんだよな。全方向に反射板がついているというケースはほとんどない。同時に更新されたのであろう信号機のうち一部の方向のものにのみ取り付けられているということが多いんです。日差しの関係で見えにくいとかいうのがあるんだろうかと思って考えてみたんだけど、必ずしも方向によって反射板がついているとかついていないとかが決まっているわけでもなさそうだし。
 鉄道の信号機だと、ゼブラ模様ではないにせよ、背景板がついているのが普通だったりします。このあたりってどういう事情によるものなんですかね。とか疑問を投げ出しただけでまったくもって解決につながる糸口は提供できないわけですが(=^_^;=)。

 ま、そんなこんなで、久しぶりのいすみ鉄道、そして(ぶつけられた時に途中までやっていたのを除けば)丁寧に見て回るのははじめてのいすみ鉄道ですが、まあ、それなりに楽しい路線ではあるようでした。車庫にしまいこまれていて見ることはできませんでしたが、なんか最近、国鉄型のキハ52を入れてレトロトレインとして走らせていたりもするみたいですし、そういうのが好きな方にとっては、「駅舎は残念だけど、それ以外には見所はありますよ」というのは、それなりに有益な情報となりましょうか。

 次回は、公募によって誕生した鳥塚社長の企画なども含めて、再生に向けてがんばっているいすみ鉄道の動向とかについて、ちょっと考えてみたいと思います。

  
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2012年01月20日

お散歩>外房線を2駅ほど・上総一ノ宮駅と東浪見駅

 そーゆーわけで上総一ノ宮におりました。そしたらやっぱ駅も見ていきませんとってことで、上総一ノ宮駅。玉前神社から上総一ノ宮駅までの参道にもいろいろ古建築があったっぽかったんですが、さすがにそこにまでひっかかると本日の目標が完遂できなくなるのはわかっておりましたので、さくさく飛ばします。
 
s3p73840 - 2011/12/31 09:52
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
神門県道から駅全景(安房鴨川側)。はー、ここが不用意に中距離列車で居眠りをするとつれてこられてしまうという恐ろしい場所なのですね(=^_^;=)。
 
 毎度恒例の駅前モニュメント
 
s3p73845 - 2011/12/31 09:53
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前モニュメント。標語時計台。
s3p73848 - 2011/12/31 09:53
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前モニュメント。標語塔。
 
 駅前広場です。駅舎そのものは、新しくはないけれど、だからといってさほど古くもない、なんていうかモダニズム系なのかな、な建築でございました。ていうか車が邪魔で全体像がよくわからん(=^_^;=)。
 
s3p73853 - 2011/12/31 09:54
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前広場。
s3p73860 - 2011/12/31 09:54
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅舎・道路安房鴨川側。
 
 駅周辺。さすがは古くから玉前神社の門前町としてにぎわったところだけあって、まあそれなりの古建築もあります。いつかチャンスがあればストラクチャーウォッチングをしにきてもいいかもしれません。
 
s3p73873 - 2011/12/31 09:57
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前の日本建築の商店「最首商店」。
 
 んで、招き猫がいたりもして。鮮魚屋さんなんだよなあ、いいもん食ってるんだろうなあ。
 
s3p73892 - 2011/12/31 10:03
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
招き猫がいた駅前商店「タカラ鮮魚」。
s3p73876 - 2011/12/31 09:58
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。
s3p73878 - 2011/12/31 09:58
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。肉球をいじられても動じません。タマタマが見えてますが、肉球はとにかくタマタマをはじいたりすれば相手をしてもらえたのかもしれません(発想が鬼だな・・・)。
s3p73883 - 2011/12/31 09:59
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。なんかシャッターチャンスの関係で寝てるようにも見えるのですが、そうではなくて、無防備に毛づくろいに夢中。
s3p73891 - 2011/12/31 10:02
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前商店の招き猫。無防備に毛づくろいに夢中。
 
s3p73885 - 2011/12/31 10:00
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
駅前のタクシー屋「日の丸自動車」。
 
 いやあいつのまにか車輌が変わっているじゃありませんか。どうした千葉動労。
 なんか通り過ぎるのを眺めていたら中がクロスシートになっているのが見えたりして。けっこう気合いのはいった改造がなされているようで、元は通勤型でしたけれども、それなりに中距離電車としてちゃんと使えるようになっているみたいです。
 
s3p73861 - 2011/12/31 09:55
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
進入する千葉色の209型。
s3p73867 - 2011/12/31 09:56
JR東日本 - 外房線 - 上総一ノ宮駅
出発する千葉色の209型。
 
 続きまして、となりの東浪見駅(とらみえき)。
 
s3p73893 - 2011/12/31 10:12
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口。
s3p73900 - 2011/12/31 10:13
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口。
s3p73914 - 2011/12/31 10:16
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口からホームへの階段。
s3p73902 - 2011/12/31 10:14
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
構内風景。千葉方面を望む。
s3p73908 - 2011/12/31 10:14
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
跨線橋。
 
 で、駅前にあった看板なんですが。
 
s3p73919 - 2011/12/31 10:16
JR東日本 - 外房線 - 東浪見駅
駅入口のところにあった「麻雀博物館」の看板。
 
 麻雀博物館があるのは、かまわないんです。ただ、「世界唯一!」というのをどうやって確認したんだろうかというのが疑問で。連れもほぼ同時にその疑問を思いついたらしい。しかしそういう疑問を思い浮かぶという時点で、けっこうつらい人生を選んでしまっているような気が、しなくもありません。素直に「そうか世界で唯一なのかーすごいなー」とか驚いてりゃいいのにってか(=^_^;=)。

 で、ここで思い出したんですが、本日の目標は外房線の駅めぐりじゃなかったんですね。主目的はいすみ鉄道だったはずです。すでに時刻は10時をまわっております。このまま外房線の駅をたどっていたら絶対に目標は完遂できないであろう、ということで外房線駅めぐりは打ち切って、大原に向かいます。いやあ危なかった、このまま気づかずに続けていたら大原にたどりつくのは何時になっていたことだろうか(=^_^;=)。

  
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2012年01月18日

お散歩>上総一ノ宮・玉前神社 〜 神社と死穢のビミョーな関係

 年末だっつーのに大掃除もしないでお散歩です(=^_^;=)。

 今回は突然のように「いすみ鉄道の鳥塚社長の手腕をみにいこーぜ」という話が持ち上がり、そういうわけで房総方面へ。アプローチは千葉東金道路→東金九十九里道路とたどって大原から。
 ところが、九十九里道路を降りるところでトイレのために一宮休憩所に立ち寄ったところで、さっそくの脱線(=^_^;=)。
 

s3p73682 - 2011/12/31 09:07
千葉県長生郡長生村一松丙
九十九里有料道路・一宮休憩所。ドライブイン風の休憩設備。
 
 「一宮休憩所って、上総一ノ宮ってことだよね?」
 「だろ」
 「上総国の一宮があるってことだよね?」
 「だろ」
 「寄っていこーぜ」

 という流れで、上総一ノ宮へ。
 上総一ノ宮といえば、総武線〜外房線の直通列車の終着駅だったりもするわけで、車内で寝ていたらなんかとんでもないところに連れていかれた記憶があったりもしますが(=^_^;=)、まあ馴染みがない駅名じゃありません。そうかそういえばそういう駅名なんだから神社があるはずなんだよなあ。
 行ってみたらありました。「玉前神社」というところだそうです。
 

s3p73707 - 2011/12/31 09:25
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。門前町の通り。まっすぐいくと上総一ノ宮駅。背中方向に玉前神社。
s3p73718 - 2011/12/31 09:26
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。街灯。商店名などははいっておらず、すべて「いちのみや」の札がかけられています。
s3p73704 - 2011/12/31 09:24
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。石造りの塀。さすがは一宮で、寄進者には江戸在住者の名前も多く見られました。上総国と取引があった商工業者もたくさんいた、ということなのでしょう。
 
 なんせ大晦日です。初詣の迎撃準備もいよいよラストスパートってところ。
 
s3p73715 - 2011/12/31 09:26
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。門前から入口を見る。一の鳥居は朱塗りの明神鳥居。
s3p73727 - 2011/12/31 09:27
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。初詣客を迎え撃つ準備が進む境内。はー、おれフライドポテトの屋台ってのがあるんだということをはじめて知りました。
s3p73729 - 2011/12/31 09:28
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。参道に設けられた茅の輪。後ろ側、2列目の鳥居は石造の明神鳥居。
 
 元旦のWeblogの記事の冒頭のっけにいたドラゴンさんですが、あれがこの玉前神社の手水場のドラゴンさんでした。手水場も、大量の初詣客をこなそうということらしく特設のものが作られていて、レギュラーの手水場はお休みになるようでした。
 
s3p73754 - 2011/12/31 09:31
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。参道屈曲部を曲がったところ。両側に初詣対応の臨時手水場が設けられていました。右側裏手にレギュラーの手水場があります。
s3p73758 - 2011/12/31 09:32
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。レギュラーの手水場。
 
 拝殿本体にいく前に周辺をご紹介。
 
s3p73792 - 2011/12/31 09:36
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。参集殿。バンケットみたいなものらしい。鉄筋コンクリートの二階建てだったかな、の大きな建物ですが、崖地にあるため、境内側からは平屋に見えるっていうか、サイズは把握しづらくなっています。
s3p73791 - 2011/12/31 09:36
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。招魂殿。おれが大嫌いで、ついでに蔑視している国家神道は靖国神社系。とはいえ、建立は国家神道が咲き誇っていたの1923年(大正12年)であり、当時に向かって「建てるべきではなかった」とか言うのはくだらないイチャモンにしかならないし、かといってじゃあ今から壊すとなるとそれもまたいろいろ厄介ごとが起きるのがわかっているしで、むずかしいところだ。やぱ国家神道の後遺症ってでかいわなぁ。
s3p73812 - 2011/12/31 09:40
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。脇参道と脇社。鳥居は石造の明神鳥居。
s3p73824 - 2011/12/31 09:43
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。なんかのご神木でしょうか。周囲には「はだしで歩こう」という玉砂利を敷いたドーナツ状の道が作られていました。普段は拝殿・神殿のまわりに「はだしの道」てのがあるらしいんだが。
s3p73830 - 2011/12/31 09:44
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。山車庫と山車。
s3p73776 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。奉納殿。拝殿前広場に面しています。
s3p73782 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。売店。拝殿前広場に面しています。
 
 で、本体拝殿なんですが・・・修理中でした(=^_^;=)。前回静神社のときにも書いたことですが、修理が終わってから再訪するとは限らないわけで。まあ、こういうのは出会いですから、拝殿を見られなかったのもそういう運命だったんだよってことで済ませるしかないんでしょう。
 
s3p73820 - 2011/12/31 09:41
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。拝殿前広場。
s3p73777 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。拝殿。「平成の大修理」中だそうで、仮宮でした。
s3p73784 - 2011/12/31 09:35
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。拝殿脇の特設おみくじ売り場。
 
 拝殿裏の神殿。
 
s3p73786 - 2011/12/31 09:36
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神殿。
s3p73798 - 2011/12/31 09:37
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神殿。瑞垣の壁では「絵馬展」が行われていました。
 
 で、裏手に抜けて駐車場に戻る、と。
 
s3p73834 - 2011/12/31 09:46
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。駐車場から裏手。
 
 はい。で、ここからが玉前神社最大の見所となった「神社と死穢のビミョーな関係」です(=^_^;=)。

 神社の裏手に墓地があったんですね。
 でもってまあ、すでに幾度も書いてきたことですが、「神社は死穢を嫌うため境内には墓地がない」というのは俗説にすぎないものと思われます。江戸時代までは、神道の神社と仏教の寺院は必ずしも分化していなかった、というか一体となっていることが多いものでしたし、葬儀利権は仏教側が握っていて離しませんでしたから、結果として神社側にはあまり墓地が作られなかった。それだけの話であろうと、おれは考えています。そもそも「捨て墓」と「参り墓」がわかれていた時代、墓(参り墓)って別に死体がある場所じゃなかったんだしな。
 死穢云々というのは、おそらく明治時代以降に、「なぜ神社には墓地がないのか」を説明するためにでっちあげられた妄想でしょう。

 と・こ・ろ・がっ(=^_^;=)。
 

s3p73701 - 2011/12/31 09:22
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神社に隣接する墓地。生垣の向こうは神社です。もともと別の敷地であったとは思いにくい。
s3p73695 - 2011/12/31 09:21
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神社に隣接する墓地と立札(右側)。
s3p73698 - 2011/12/31 09:21
千葉県長生郡一宮町
玉前神社。神社に隣接する墓地のところにあった立札。深読みしすぎかもしれませんが、「墓地は神域ではない」と玉前神社は言いたいようです(=^_^;=)。
 
 配置はこうです。

 明らかに玉前神社の境内であったであろう場所、あるいは今でも登記上は玉前神社の地所かもしれないんですが、そこに墓地があります。神社に墓地があるのはたいして珍しいことじゃないし、世田谷の松蔭神社なんて吉田松陰の墓地を神社にしちゃったものだったりするわけで、まあいいんですが、どうも玉前神社は「墓地は神域ではない。墓地は神社の境内ではない」と言いたいように見えるんですね(=^_^;=)。なんかこう、神社ご自身がごく最近に作られた物語を信じてしまっているような気配があってなんだかなぁで(=^_^;=)。
 ていうか、ぶっちゃけ「神社境内はダメだが墓地は犬が散歩しててもいいということなのかっ」ていうかより具体的には「墓地にならば犬のウンコがころがっていてもいいとおまいは思っているのかっ」みたいな妙な違和感がございました(=^_^;=)。

 まあなんだ、格式の高い神社ほど国家神道の影響を大きく受けたわけでしょうし(なんせ宮司とかの給料を国が出していたんだからなあ)、大きく格式の高い神社ほど国家神道の呪縛に深くからまっちゃってる、ということなのかもしれません。神道もいろいろたいへんだぁ、とかためいきをつきつつ、お散歩は続きます

  
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2012年01月13日

お散歩>茨城県那珂市静の静神社

 だんだんコネタになってきたお散歩報告ですが、常陸国二ノ宮だった静神社です。ていうかお散歩報告の性格が変わってきたんだよな、更新の回数が減ったかわりにお散歩報告でとりあえず写真を公開しちゃおう、みたいな感じです。

 水郡線に「静駅」というのがありますが(駅そのものはつまらん無人駅だ)、その駅名の由来となった地名の源流がこの神社であるらしい。常陸二ノ宮ですから(ちなみに常陸一ノ宮は鹿島神宮であるらしい)、まあかなりの神社であると言えましょう。
 もっともまあ、訪問が12月の16時でしょ、もう暗くてなにやらようわからん感じ。写真も露出不足でボロボロです。じゃあ出すのやめればとか思わないでもないんですが、生きてる間に再訪することがあるかどうか微妙な場所ってけっこうあるわけで、そういうところは「いつか再訪したときに」ではなく「とりあえず出す。再訪したら差し替える」の方がいいような気がするんすよね。ま、「もったいないお化け」が出ただけかもしれませんが。

 んで静神社。さすがは二ノ宮で、けっこうな規模の神社でした。しかしそれより、そろそろ年末なわけで、初詣の準備とかが中途半端に進んでおり、その「作りかけの舞台装置」みたいな部分がちょっと興味深かったのでした。いやな視点だなあとか思わないでもありませんが(=^_^;=)。
 

s3p73593.jpg - 2011/12/23 16:17
茨城県那珂市静
静神社。入口。一の鳥居、二の鳥居ともに石造の神明鳥居。
s3p73596.jpg - 2011/12/23 16:19
茨城県那珂市静
静神社。表札石碑。常陸二ノ宮だったことが刻まれています。
 
 参道入口周辺。
 
s3p73602.jpg - 2011/12/23 16:20
茨城県那珂市静
静神社。石段の入口。
s3p73606.jpg - 2011/12/23 16:20
茨城県那珂市静
静神社。手水場と街灯。
s3p73611.jpg - 2011/12/23 16:21
茨城県那珂市静
静神社。街灯ヘッド。
s3p73597.jpg - 2011/12/23 16:19
茨城県那珂市静
静神社。入口のところにある建物。
s3p73612.jpg - 2011/12/23 16:21
茨城県那珂市静
静神社。由緒書き1。
 
 で、参道の石段。正直、きつかったわぁ(=^_^;=)。んで両側に「御神燈」と書かれた行灯が延々と並んでいるんですね。初詣仕様なんでしょうねえ。並んではいるんだけど、しかし火ははいっていない。周囲はすでに暗い。なかなかにあやしげな雰囲気をかもし出しておりました。もっともこれで行灯に火がはいっていたら、その部分が露出オーバーになるわけで、写真を撮る上での条件はもっと厳しくなっていたようにも思いますが。
 
s3p73615.jpg - 2011/12/23 16:22
茨城県那珂市静
静神社。石段。
s3p73618.jpg - 2011/12/23 16:24
茨城県那珂市静
静神社。石段。
s3p73621.jpg - 2011/12/23 16:25
茨城県那珂市静
静神社。石段。
 
 石段を登りきったところにある平地。瑞垣で囲まれた中枢部の手前にもいろいろとあります。
 いやあ、ここらへんにも「御神燈」が乱立しておりますてね。狛ちゃんなんか御神燈に隠れてしまっていて、最初は気づかなかったもんなあ。おまいら番犬なんだからさ、人がとおりかかったら「ここに狛犬がいますよ」とかちゃんと吼えろとか、理不尽なことを思っちゃいましたよ。
 手水場のドラゴンは、帰り道で気づいたもので、もうほとんど真っ暗闇でした。よって手水場全体の写真はありません。
 
s3p73627.jpg - 2011/12/23 16:26
茨城県那珂市静
静神社。瑞垣門。
s3p73665.jpg - 2011/12/23 16:37
茨城県那珂市静
静神社。右狛犬。
s3p73668.jpg - 2011/12/23 16:38
茨城県那珂市静
静神社。左狛犬。
s3p73671.jpg - 2011/12/23 16:39
茨城県那珂市静
静神社。手水場の竜。
s3p73628.jpg - 2011/12/23 16:27
茨城県那珂市静
静神社。由緒書き2。
 
 瑞垣内部の拝殿・神殿ほか。
 
s3p73634.jpg - 2011/12/23 16:28
茨城県那珂市静
静神社。拝殿斜め。
s3p73640.jpg - 2011/12/23 16:29
茨城県那珂市静
静神社。拝殿と神殿。
s3p73649.jpg - 2011/12/23 16:31
茨城県那珂市静
静神社。神殿。
 
 やー。三脚つけて撮ればまあまだいける程度の光はあったんですが、手持ちじゃちょっと無謀でしたね。まあ、基本的にいちおう三脚は持っていることが多いんで、面倒がらずに「暗いな」と思ったら帯同することをまじめに考えようとか反省したのではございました(車に積みっぱなしにしていて持っていかなかった)。反省はしたけれど実践するかどうかは微妙なところですが。
  
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2012年01月11日

お散歩>たまたま発見したバスの保存車群。

 友人とドライブをしていたら、運転していた友人が突然「戻っていいか」とか言い出した。おれも視界の片隅にボンネットバスが見えていたので、それのことだろうと思った。ところが戻ってみたらボンネットバスだけじゃなくて、あるわあるわ・・・(=^_^;=)。保管場所の管理者に許可を得てじっくり眺めてきました。
 なお、ナンバープレートには例によってスクランブルがかけてありますので、実在の番号ではなくなっています。
 
バス保存車。全体像。
バス保存車。右側の車列。
バス保存車。左側の車列。
 
ボンネットトラックのタンクローリー。バス保存車にまざって置かれていました。
 
バス保存車。日野BH15。
バス保存車。MR-410(潮来)。
バス保存車。K-MS615SA(東急)。
バス保存車。形式不明・仮称奈良交通。
バス保存車。形式不明・仮称はとバス。
バス保存車。6RA-107。
バス保存車。形式不明・仮称JR特急東京行き。
バス保存車。形式不明・仮称日野ウイングコミュニティー。
 
草むらの中にいた車2台。マイクロバスとかいうわけではなく単なるワンボックスカーだと思うのだが、サベツするのもかわいそうなので、写真を撮っておきました。
 
バス保存車。形式不明・仮称5225。
バス保存車。形式不明・仮称赤おでこ。
バス保存車。日野RB-10P。
バス保存車。4R-94(加茂)。
バス保存車。トヨタDR-15(ホーチキ)。
バス保存車。UR-690。
バス保存車。形式不明・仮称東亜電子。
 
 帰ってきて調べたら、どうも趣味組織がかき集めたコレクションだったらしい。たぶんその筋のひとたちにとっては有名なものだろうし知ってるひとも多いのかもしれませんが、よくわからないのでもろもろ情報は伏せます。
 バスの保存というのもけっこう大変だろうと思うのですが、ぜひ末永く保存していただければ、と。何かお手伝いができるわけでもなく、陰ながらとしか言いようがないのですが、エールを送りたいと思います。
  
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2012年01月09日

お散歩>水車小屋2件・茨城県立博物館および県民の森

 そういうわけで別に水車に深くこだわるつもりはないんですが(=^_^;=)、水車小屋2件。

 まずは移築保存物件の茨城県立博物館にある水車。
 建築年代は幕末ないし明治初期とのこと。もとの所在地は山方町諸沢で菊池家のものだったそうです。
 水車の様式は上掛け(水輪の上から水をかけるタイプ)。このタイプの水車はパワーは出るものの傾斜地でないと設置できず(駒村清明堂の水車もこの様式でした)、平地に移築保存するとなると展示場所の選択がけっこうむずかしいしろものです。茨城県立博物館では、敷地内の崖を上手に使って、不自然ではないかたちで展示していました。
 

s3p73483.jpg - 2011/12/23 13:43
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。
s3p73479.jpg - 2011/12/23 13:43
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。
s3p73486.jpg - 2011/12/23 13:44
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。水輪。
s3p73489.jpg - 2011/12/23 13:44
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。
s3p73494.jpg - 2011/12/23 13:45
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水車小屋(移築保存物件)。説明看板。
 
 なんか説明によると、中のからくりがけっこう充実しているらしい。本体がそもそも二階建てで、碾臼に自動的に少しづつ蕎麦の実などを補給する木製のコンベアなども装備しているとのこと。ただ、中を見ることができるような展示とはなっておらず、そのメカニズムを見ることはできませんでした。また、そういうややこしいメカがあるせいか、動いてもいませんでしたね。まあ、しょうがないっちゃあしょうがないんですが、メカも含めて、動いているところを見たかったなあ。
 移築保存物件ではありますし、なんか茅葺屋根というあたりでありがちなステロタイプな物件を一瞬連想していやんな予感もしたんですが、詳細を見てみると水輪付近にはトタン波板が打ち付けられていたりもして、まあそれなりに使われていたものであるという痕跡も見て取れます。最初は「茅葺屋根にトタン波板」という組み合わせにはちょっと違和感も抱いたんですが、それはおれにもステロタイプな水車小屋イメージがある、ということの証明でしかないわね(=^_^;=)。

   *

 もう一件は県民の森に設置されているもの。こちらはちょぉっとヒドかった。ヒドいもんの方が写真の枚数が多いってのもなんですが。

 最初に説明看板。なんか池の浄化設備として木炭を使った循環システムを作ったらしいんですが、その一環として水車小屋も作ってみましたってことらしい。必然性がどこにあるんだかよくわかりませんが。そういうわけで移築物件でも保存物件でもなく1993年に税金で作られた新築物件です。
 

s3p73551.jpg - 2011/12/23 15:30
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋説明看板。
s3p73548.jpg - 2011/12/23 15:29
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋説明看板。
 
 で、せっかくの新築物件なんですが、その後放置されたらしく、廃墟と化しています。
 
s3p73552.jpg - 2011/12/23 15:30
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73581.jpg - 2011/12/23 15:35
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73556.jpg - 2011/12/23 15:31
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73559.jpg - 2011/12/23 15:31
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
 
 で、ぱっと見、下掛け水車に見えるんですね。水の流れに水車の下端を接触させて回すタイプの、パワーは出ないけど傾斜地である必要はなくある程度の水流があればどこにでも設置できるというやつ。上の写真を見るとそうとしか思えないでしょう。
 ところがこれ、上掛け水車なんだなあ。
 
s3p73561.jpg - 2011/12/23 15:31
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73571.jpg - 2011/12/23 15:32
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
s3p73566.jpg - 2011/12/23 15:32
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
 
 3枚目の写真に写っていますが、裏側に立ち上がっている鉄パイプがその無理やり上掛けにした証拠の送水管。おためごかしに木枠で囲ってはありますが、いかにも不自然なしろものです。なんでこういうことをやるかなあ。
 立地を見ればわかるとおり裏側には傾斜地があるんで、ちょっと場所を考えて崖に寄せるとか、高架水路でつなぐとかすれば、こんな不自然な上掛け水車にはならなかったはずなのにな。「茅葺木造の小さな小屋を新築」「平地にむりやり上掛け水車を設置」という、ある種の「最悪の展示用水車」の見本的しろものとなってしまいました。廃墟化しておりこのまま朽ちていくのでしょうが、まあ設置者がかなりいいかげんな気分で作っているのが手に取るようにわかるしろものなんで、それで良かったのかもしれませんわ。
 また、水輪も、詳細に見るとあまり例がないような作り方になっています(側板がたがいちがいに重ねられている)。こういう作り方をする地方がないとは断言しませんが、これは釘打ちなどを前提とした設計のように思われ、なんかちょっと釈然としないものを感じます。少なくとも水車に詳しい人や仕事として水車を作っている水車職人が作ったものではないような気がする。
 
s3p73578.jpg - 2011/12/23 15:34
茨城県那珂市戸
県民の森。水車小屋。
 
 中もいちおう、なんらかのメカニズム(搗臼でしょうか)が設置されていた痕跡があります。杵と臼は2セットあったんでしょうか。しかしどうやったらこのように壊れるのかわからないような壊れ方をしたままで放置されています。パーツも、全部そろっているような気がしません。

 なんか見ていて悲しくなるような水車でしたね。こういう無駄なものを税金で作るのはやめましょうや。作るんだったら、ちゃんと「作る意味があるだけのクォリティのもの」を作るようにしてほしい。まあ、ここの場合、「なんで木炭浄水設備に水車を作りつけようと思ったのか」からしてもうわけがわからず、予算が余ったから消化試合としてでっちあげたという以上のものには見えないのですがね。

  
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2012年01月07日

お散歩>茨城県立歴史博物館の移築保存物件の古建築

 茨城県立歴史博物館も再訪。お目当ては移築保存物件の水車小屋だったんですが、それは別の場所の水車小屋とあわせ技で次回。

 とりあえず再撮物件2件。まずは水海道小学校旧校舎。以前の分
 1881年の建築で、設計・施工は水海道の宮大工・羽田甚蔵氏であると伝えられています。典型的で大規模な擬洋風建築で、1973年に移築復元され、保存されています。元の場所は水海道(現常総市水海道)ですが、そちらの跡地は公民館かなんかになっていたような(小学校そのものは移転)。
 ま、ざっと外回りだけ。前回はたしか夕暮れ時であまり光線状態が良くなかったような記憶がありますが、まあ再撮影したからって格段にクォリティがあがるってものでもなく(=^_^;=)。
 

s3p73472.jpg - 2011/12/23 13:38
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
s3p73469.jpg - 2011/12/23 13:38
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
s3p73466.jpg - 2011/12/23 13:37
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
s3p73463.jpg - 2011/12/23 13:37
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水海道小学校(移築保存物件)。
 
 ふたつめは水戸農業高校本館。以前の分
 もともと茨城県立歴史博物館は水戸農業高校の跡地に作られたもので、保存物件ではありますが移築物件ではないような。多少場所が動いているくらいのことはあるかもしれませんが。
 んで、今回は日差しの向きが最悪(=^_^;=)で、下の写真の逆側からは撮れませんでした。いやあ、多少の逆光くらいならば後処理でなんとかしてしまうのだが、どう構えても太陽が視界にはいってくるような角度だと逃げ場がありませんわ(=^_^;=)。
 
s3p73476.jpg - 2011/12/23 13:40
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。水戸農業高校本館。陽のまわりのせいで、逆側(正面左側)からは撮れなかったんすよねえ・・・。
 
 新規は「茂木家住宅」。茅葺屋根の移築保存物件。
 そういうわけで前回は、水車小屋と茂木家住宅は、あるのはわかっていましたが日没タイムアウトで撮影しませんでした。今回はまあ、撮りもらし分の補完ということで。
 
s3p73544.jpg - 2011/12/23 13:57
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73509.jpg - 2011/12/23 13:50
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73514.jpg - 2011/12/23 13:51
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73541.jpg - 2011/12/23 13:56
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
s3p73537.jpg - 2011/12/23 13:55
茨城県水戸市緑町
茨城県立歴史博物館。茂木家住宅(移築保存物件)。
 
 あと移築保存物件は1件、水車小屋がありますが、それは前述の通りで次回ご紹介します。

 いちおうこれで、現在のところ茨城県立歴史博物館に移築保存されている建築物はコンプリートなんで、「茨城県立歴史博物館」という項目も作っておきましょうかねみたいな感じ。作ったからどうなるってものでもないんですが、「どこに行けば何が見られるか」のガイドという使い道もあるだろうし、まとまってた方が便利かもなあとか思うわけで。誰もこのサイトをそんなふうに使ったりはしねーか(=^_^;=)。

  
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2012年01月05日

お散歩>鹿島鉄道代替BRT・平日朝の利用状況。

 そーゆーわけで鹿島鉄道は2007年にあえなく廃線となってしまったわけですが、平行道路の渋滞が激しく通勤通学時間帯に公共交通機関のバスの定時運行が確保できないという問題が生じ、公共交通機関の利用者が鹿島鉄道時代と比べて4割減るとかいうような惨状に。もろもろあった結果、廃線敷をバス専用道路化するというBRT(バス・ラピッド・トランジット)事業が行われました。バスを高速化し便利にしようというのが主旨で、かかった費用は10億円、やったことは廃線敷を道路にし、一般自動車がはいらないように遮断機を取り付け、待合室などを新設する、などでした。
 過去にも幾度かこのWeblogで話題を扱っています。以下。

(1) お散歩報告>鉄道の残像〜茨城県のばやい(2010年10月18日)
(2) 時事ネタ>鹿島鉄道BRTの評価(2011年01月21日)

 BRT事業の対象区間は石岡から四箇村までの間で(上記 (2) のページに地図あり)、このルートを使うバスは、鹿島鉄道の代替バスである「石岡〜(四箇村)〜常陸小川〜玉造町〜鉾田」のルートと、「石岡〜(四箇村)〜常陸小川〜茨城空港」のルート。それらのバスは「かしてつバス」と名づけられ、横におおきく「か」の文字を記した専用塗装のバスが投入されています。便数も、地方ローカルなバスとしては異様ともいえるくらいに多い。

 そのBRT事業ですが、まあハードウェアとかだけを見ていても評価はできないわけです。なので、平日朝の利用状況を見てきました。観察日は2011年12月15日木曜日。
 ま、時系列での様子とかは更新を待って見てくださいとしか言いようがないんですが、まあざっと、とりあえずのご報告。
 

s3p71841 - 2011/12/15 06:46
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。6:50石岡駅発、8:00鉾田駅着の便。かしてつバスを待つ人々。
s3p71893 - 2011/12/15 07:14
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。7:20石岡駅発、7:40小川駅着の便。客を乗せるかしてつバス。
s3p71920 - 2011/12/15 07:30
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。7:32石岡駅発、7:52小川駅着の便。客扱い中のかしてつバス。
s3p71960 - 2011/12/15 07:51
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。8:00石岡駅発、8:40玉造駅着の便。かしてつバスを待つ客。
s3p71989 - 2011/12/15 08:02
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
下り。 8:12石岡駅発、8:32着の便。かしてつバスを待つ人々。大半が学生。
 
 下り(石岡発)の便はこんな感じ。まあ、沿線の学校に行く学生・生徒さんがメインなのはしょうがないですね。最大乗車人数でも十人ちょっとでした。
 
s3p71858 - 2011/12/15 06:53
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。5:45鉾田駅発、6:55石岡駅着の便。到着したかしてつバスから降りる人々。
s3p71884 - 2011/12/15 07:09
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。6:50小川駅発、7:10石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
s3p71897 - 2011/12/15 07:18
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。7:00小川駅発、7:20石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
s3p71913 - 2011/12/15 07:29
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。6:50玉造町発、7:30石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
s3p71940 - 2011/12/15 07:44
鹿島鉄道跡BRT - 石岡バスターミナル
上り。6:35鉾田駅発、7:45石岡駅着の便。到着したかしてつバスと降車する客。
 
 上り(石岡着)の便はこんな感じ。メモ取ってなかったんでどの便だったか言明できないんですが、上りで二十名ちょい乗っていた便が1便あった以外はせいぜい十人前後。ただ、見た感じでは「一桁前半」とか「空気輸送」とかってのは、この時間帯にはなかったような。

 で、小川駅まで一往復、乗ってみることにしました。8:12石岡駅発、8:32着の便です。
 

s3p72007 - 2011/12/15 08:15
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。学生さんがいっぱいいて、とりあえずほぼ席は埋まった状態。立っているひともいますが、座る席がないからというよりは、友人とのお喋りを優先とかそういう事情によるもので、着席定員を上回っているということではありません。
 
 しかしその学生さんたちは東田中駅で降りてしまいました。茨城県立石岡商業高校の学生さんたちだったようです。
 
s3p72013 - 2011/12/15 08:19
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。学生さんたちが降りていった。
s3p72016 - 2011/12/15 08:20
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。まだわれわれ以外に一人だけ乗っていますけれども。
 
 われわれ以外にたったひとり乗っていた乗客も四箇村駅だったかどこかそこらへんで降りていってしまいました。まああと二人乗ってはいるけれど、この二人はレギュラーじゃないんで、事実上は完全な空気輸送状態。
 
s3p72031 - 2011/12/15 08:30
鹿島鉄道跡BRT - 車内
かしてつバス車内。そして誰もいなくなった。
 
 小川駅に到着(バス停名は「常陸小川駅」ではなく「小川駅」となっています)。バスはそのまま8:40小川駅発・9:00石岡駅着の便として折り返します。
 
s3p72040 - 2011/12/15 08:35
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
駅前通り。いろいろ建物がなくなってすけてしまいました。タクシー屋の建物もなくなりました。
s3p72045 - 2011/12/15 08:37
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
待合室。
s3p72049 - 2011/12/15 08:38
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
待合室壁のかしてつバス応援団の壁画。
 
 かしてつバス上り。8:40小川駅発・9:00石岡駅着。
 
s3p72050 - 2011/12/15 08:39
鹿島鉄道跡BRT - 小川駅バス停
発車時、われわれ以外に客はいませんでした。以下、レギュラーではないうちら二人を除いた人数でカウントします。
s3p72057 - 2011/12/15 08:47
鹿島鉄道跡BRT - 新木ノ内バス停
お客さんがひとり乗ってきました。現在数1名。
s3p72061 - 2011/12/15 08:47
鹿島鉄道跡BRT - 玉里駅バス停
お客さんがもうおひとかた乗ってきました。現在数2名。
s3p72065 - 2011/12/15 08:50
鹿島鉄道跡BRT - 石岡玉里バス停
さらにもう一人乗ってこられて、現在数3名。
s3p72071 - 2011/12/15 08:53
鹿島鉄道跡BRT - 東田中バス停
もうひとり乗ってきて現在数4人。
s3p72074 - 2011/12/15 08:55
鹿島鉄道跡BRT - 大谷津南バス停
もうひとり乗ってきて現在数5人。
s3p72080 - 2011/12/15 08:56
鹿島鉄道跡BRT - 石岡南台バス停
石岡南台バス停でひとり降りて現在数4人。
s3p72083 - 2011/12/15 08:58
鹿島鉄道跡BRT - 石岡一高下バス停
石岡一高下バス停でひとり降りて石岡まで行ったのは3人。
 
 BRT化されたあとの2011年12月現在の状況は、いちばん多い便でも20人前後、その前後でも10人いけば多いほう、通勤通学時間帯をはずしてしまうと1桁前半から空気輸送が常態、という程度の乗客数でした。BRTでの速達化で公共交通機関の復権を目指したはいいけれど、10億円かけてこれじゃあねえ。鹿島鉄道の廃止やその後の状況を見てのあわてふためいてのBRT化は、個人的にはやはり「失敗」であったように感じられますが。
 まあ、いまさら何か言ってもせんないことですけど。

 いちおうメモ書き。
 鉄道の廃止とバス代替に関しては、いくつかの異なる論点がとっちらかって扱われているように思います。大枠でいって「コストの問題」と「交通機関としての安定性の問題」になるのかなあ。
 バス代替によって交通機関を維持するためにかかるコストは確かに安くなる場合が多いのだろうと思う。それと同時に、バス代替によって、減便や路線廃止が更に楽になるということもある。で、この2つの要素はそもそも全く別の要素のはずなんだけど、現実には必ずセットでやってくる。つまり、「鉄道の廃止とバス代替化」というのは、公共交通機関の安楽死のためのプロセスとして位置づけられてしまっている、ということです。
 別に鉄道を廃止しやすくするために助力する気なんか全くもってないけれども、それはとにかくとして、公共交通機関の維持という観点からすれば「バス代替によってコストを削減しつつ、しかし減便や路線廃止がしやすくはならないようにする」といった縛りをかけることができれば、だいぶ状況は違ってくるような気がする。まあ、それでも「ランドマークが地図から消える」という問題をはじめとして、鉄道がなくなることによるマイナスっていろいろあるんだけどね。
 率直なところ、この鹿島鉄道の廃止とBRT化というのは、コストパフォーマンスとしていかがなものかという感じはした。選択として失敗だったんじゃないか、とも思う。しかし現実問題、10億かけちったわけでしょう。そしたら、路線の廃止や減便はしにくいはずで、あの「無駄金10億円」がその「縛りをかける理由」として機能するかどうかというあたりに、個人的な興味は移りつつあるかな、とか。

 しっかしなあ。実際に「平日朝の通勤通学時間帯」を見てみて、やっぱ呆然とせざるを得ないような状況なわけで。平日の朝なんだぜ、通勤通学時間帯なんだぜ、それで、こうなんだぜ。鹿島鉄道の廃止からBRT化によるカンフルまでかなりのタイムラグがあったにせよ、なんだってバスってこんなに機能しないかなぁ、みたいな疑問ってやっぱしあったりするわけよ。
 個人的には、最近自宅周りでけっこうバスを使ってたりするんで(って必要最低限の路線しか把握していないんだけどさ)、まあ慣れればそれなりに使えるものだとかいうイメージも持ちつつあったりしたところだったので、ここまで鹿島鉄道代替バスが機能していないというのは、ちょっと想像していなかったんです。

  
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2012年01月03日

お散歩>勘十郎堀と千波湖とD51の保存車

 なんか脈絡がありませんが、水戸付近のお散歩です。

 一発目は勘十郎堀。
 説明は、6枚目の写真にある茨城町教育委員会の説明看板がなんとか読めますのでそちらをどうぞ。
 かいつまんで言えば、江戸時代前半の1707年から1709年にかけて、将軍でいうと5代綱吉から6代家宣にかけての頃に行われた大土木工事の遺跡です。その後も明治時代になるまで延々と構想は続いた鹿島灘房総半島ショートカット水運計画の初期のもののひとつ(この構想のトリとなったのが利根運河)、結局失敗に終わりました。説明看板ではぼやかされていますが、実際には難工事ということもあって「農民の一揆によってつぶれた」というのが正しいらしい(そう、一揆とかって案外ちゃんと抗議行動として機能していたらしいのだ)。
 でもってまあ、完成はしませんでしたが、一部は残されています。
 

s3p73344.jpg - 2011/12/23 11:54
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
農産物直売所「かんじゅうの里」。大昔の出来事であり決していいイメージで伝えられてはいないはずですが、人々の記憶には刻み込まれているようで、このような名前のお店がありました。
s3p73348.jpg - 2011/12/23 11:58
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
なんかの石碑。読めなかったんすが、勘十郎堀とは関係がありそうです。
s3p73349.jpg - 2011/12/23 11:58
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
なんかの石碑。読めなかったんすが、勘十郎堀とは関係がありそうです。
s3p73355.jpg - 2011/12/23 12:03
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
勘十郎堀跡。横断する道路から南側を望む。
s3p73362.jpg - 2011/12/23 12:04
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
勘十郎堀跡。横断する道路から北側を望む。写真で見るとわけわかんないが、奥のほうに多少水面が見えます。
s3p73354.jpg - 2011/12/23 12:02
茨城県東茨城郡茨城町大字城之内
茨城町教育委員会による「勘十郎堀跡」の説明看板。
 
 特に予備知識もなく、「見たい」という友人に連れられてついていっただけだったんすけど、えーと。
 農産物直売所「かんじゅうの里」のおばちゃんによると「何もないよ」ということだったんですが、確かにまあ観光施設的なものはなんもありませんでしたが、いやあけっこう巨大な遺構じゃありませんか。この規模の運河を2桁キロ単位で人力のみで作ろうって、まあうまくいけば見事だったんでしょうが、十分に失敗する可能性もある無謀な計画だったような気がしなくもなく。
 ルートは、航空写真を見ればわかるかなと思ったんですけど、案外痕跡が少なく、航空写真だけでは全貌を掴むのは無理っぽかったですね。まあ気が向いたら調べましょう。

   *

 ふたつめ。千波湖。
 いやあ、実は千波湖って行ったことなかったんすよね。通りかかかったことは数限りなくあったんですが。まずは湖畔にある蒸気機関車の保存車へ。
 

s3p73386.jpg - 2011/12/23 13:10
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。「D51駐車場」の看板。
s3p73381.jpg - 2011/12/23 13:05
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。駅名標型の看板。
s3p73364.jpg - 2011/12/23 13:02
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。エンジン。
s3p73375.jpg - 2011/12/23 13:04
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。テンダー。
s3p73371.jpg - 2011/12/23 13:03
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の保存車D51515。屋根に上るなの注意看板。誰かが登るのかと思っていたのだが、帰り際に見たらがきんちょどもがテンダーから屋根の上まで登って遊んでいたわ。確かに落ちたら大怪我で済むかどうか(=^_^;=)。看板の上の写真は現役時代のD51515のもの、場所は水戸線笠間駅。近場で働いていた機関車のようです。
 
 ま、フツーの保存車です。車種もD51だし。でもまあ実際に走っていた場所の近所に保存されているわけで、まあゆえなしとはしない。適当なものを置いておきました、というのとはちょっと違うような気がします。
 んでこれ、なんか保存会みたいなものがあるらしくて、ぴっかぴっかなんです。が、ぴっかぴっかはいいけど、始終ペンキを塗り替えてぴっかぴっかを維持しているようで、近づいて見ると「塗料の厚塗り」状態なんですね。へたっぴが塗装した模型みたい(=^_^;=)。いやあ、だからって旧来の塗装を剥離してから再塗装とかってのはえらい手間がかかるわけでそんなことは求めるべくもないんですが、なんかいろいろディレンマを感じたりもしました。

   *

 えーとそいから、周辺の様子。うむー。これがけっこう本格的に「うむー」でなあ・・・。
 

s3p73441.jpg - 2011/12/23 13:20
茨城県水戸市千波町
千波湖越しに水戸市街。
s3p73429.jpg - 2011/12/23 13:17
茨城県水戸市千波町
水戸黄門像。
s3p73438.jpg - 2011/12/23 13:19
茨城県水戸市千波町
千波湖湖畔の喫茶店。
 
 上。こうやって見ると水戸も大都会じゃん。中。水戸黄門以外に売り物はないのかっ。下。ここにもご老公ご一行がいるしー。

 んで友人いわく「水鳥いっぱいいるから望遠レンズ持っていけば」ってことだったんですが、望遠がついたD200は車に置き去りにして、標準ズームのS3Proだけを持参。それでもこんな写真が撮れてしまうくらいにすぐそばまで水鳥がやってきます。きみたち、野鳥だろうがっ。猫的には「おいしそう」って感じ。
 

s3p73392.jpg - 2011/12/23 13:11
茨城県水戸市千波町
ハクチョウ。
s3p73445.jpg - 2011/12/23 13:21
茨城県水戸市千波町
マガモ。
s3p73408.jpg - 2011/12/23 13:12
茨城県水戸市千波町
コクチョウ。
 
 ハトはまだいいんだ。そこらじゅうで餌もらうつもりでうろうろしてっから。なんでその中にマガモがまぎれこんでいるんだっ。しかもこいつ、逃げない。目が合うと「なんかもってない?」とか言いながら寄って来るのである。いやあ、ひとめがなければほんっと、猫的には「今晩の食事めっけ」ですよ。一羽つかまえてひとりじめできれば二三日は持つのではないか。これをくわえて他の猫にみつからない場所まで持って行くのはたいへんそうだけどにゃっ。
 
s3p73401.jpg - 2011/12/23 13:12
茨城県水戸市千波町
鳩と一緒に餌をもらう慣れたマガモ。
s3p73404.jpg - 2011/12/23 13:12
茨城県水戸市千波町
鳩と一緒に餌をもらう慣れたマガモ。
s3p73413.jpg - 2011/12/23 13:13
茨城県水戸市千波町
鳩と一緒に餌をもらう慣れたマガモ。「何見てんのよっ!」的にガンをつけられてしまいました。
 
 更にはハクチョウまで・・・。
 
s3p73448.jpg - 2011/12/23 13:21
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
s3p73449.jpg - 2011/12/23 13:21
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
s3p73452.jpg - 2011/12/23 13:22
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
s3p73454.jpg - 2011/12/23 13:22
茨城県水戸市千波町
餌をもらうためにアピールする白鳥。
「父ちゃん、みんな見てるよ、恥ずかしいよ・・・」。
「息子よ、スターになるためには視線が気持ちよくなるくらいでなければあかんのだ」。
「別にスターになりたいと思わないもん。ぼく小白鳥でいいもん」。
「ハクチョウとコハクチョウは別の種類の鳥だっ」
「しょうはくちょうだっ、しょうしみん(小市民)っていうだろっ」。
 
 わりと最近の話だったと思うんですけどねー。
 千波湖付近で撲殺されたハクチョウなどの死体が複数発見されて騒ぎとなり、近所の悪ガキかなんかがとっつかまったという事件があったように記憶しております。んで、世間様的には「ひどい話よねー」というご感想だったようですし報道もそんな感じだったんですが、おれ的には「野鳥だろ。撲殺って、どうやってつかまえたんだそいつ」という疑問を抱いたのであります。フツー、撲殺する前に逃げられてしまうだろうが(=^_^;=)。
 とか思っていたんですが、こういうことだったんですね・・・。なんか餌をもらえるものだから渡り鳥が留鳥化してるって話もあるし。
 いちおうこう、「餌をやるな」という掲示も出てますし、やっちゃあかんことになってはいるみたいなんですが、人間の側もおかまいなしで餌やってるし野鳥の側もおかまいなしで食ってるし。いやもう勝手にしてください状態になっておりました。んで、こういう状態だもんなあ、ときおり悪ガキに撲殺される個体が出るくらいはおまえら覚悟しとけよ、とか思ったりもしたんでした。まあ、当該事件、騒いだのは人間の側だけだったみたいですけどねっ。

 ま、うろうろしているといろんなことがありますわ(ためいき)。

  
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2012年01月01日

お散歩>鹿島鉄道保存線、震災からの復旧状況。

 あ、どうも。新年の挨拶とかあんまし好きじゃないんで基本やらないんですが、大晦日だっつーのに昨日散歩にでかけたら上総一ノ宮の玉前神社でこんなものを見つけましたので、まあせっかくだから(=^_^;=)。初詣客を迎える準備で忙しい玉前神社の手水場におられたドラゴンさんです。

 なんか初詣用に、参道の両脇に仮設の手水場ができており、レギュラーの手水場にいるこのドラゴンさんには出番がなさげだったんですが(=^_^;=)、まあ陰から見守っていますよってことなんでしょう。けっこう手水場にはドラゴンさんがいることが多いみたいなので、ついでですからちょっと見てみてあげてください。


 さて、グッドニュースで年をはじめようということで、鹿島鉄道保存線の東日本大震災からの復旧状況です。

 線路が液状化で沈み、保存車輌が傾いてしまっていたほっとパーク鉾田保存線の2輌の車輌ですが、いったん保存線から駐車場に移動、保存線を修復の上で、2011年12月23日に元の線路の上に戻されました。被害状況や復旧までの経緯、そして今後の予定などの詳しい説明は、鉾田駅保存会のWeblogの2011年12月24日の記事「【復旧作業情況】展示線の修復工事が終わり、保存車両が展示線に戻りました」にありますので、ぜひご覧ください。

 この復旧作業ですが、関係者のご好意で作業日程を教えてもらい、作業様子を見に行ってきました。以下、当日の報告です。

s3p73088 - 2011/12/23 08:18
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
修復なった保存線。霜が降りております。なかなか寒い朝でございました。
 
 作業開始前はこんなふうでした。
 
s3p73098 - 2011/12/23 08:20
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
線路から下ろされていたキハ601とKR505。
s3p73236 - 2011/12/23 09:26
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
地面直置きの様子。フランジを傷つけないように木材がかましてありました。
 
 8時頃から作業がはじまり、8時半にはクレーンが2台ともアームを上げ始めました。
 
s3p73141 - 2011/12/23 08:29
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
クレーンが2機とも立ち上がりました。
 
 先にKR505から移設作業が行われました。
 
s3p73147 - 2011/12/23 08:39
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505に玉掛が行われます。
s3p73167 - 2011/12/23 09:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の吊り上げ開始。
s3p73165 - 2011/12/23 09:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の吊り上げ開始。
s3p73169 - 2011/12/23 09:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505転回。
s3p73173 - 2011/12/23 09:05
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505転回。
s3p73177 - 2011/12/23 09:06
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505、保存線上へ。
s3p73198 - 2011/12/23 09:08
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の着陸。
s3p73200 - 2011/12/23 09:08
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505の着陸。
s3p73227 - 2011/12/23 09:19
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
KR505移動終了。
 
 続いてキハ601の移動作業が行われました。
 
s3p73242 - 2011/12/23 09:27
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601への玉掛け。
s3p73281 - 2011/12/23 10:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601吊り上げ開始。
s3p73284 - 2011/12/23 10:04
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601転回。
s3p73287 - 2011/12/23 10:05
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601転回。
s3p73291 - 2011/12/23 10:06
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601転回終了、保存線の上空へ。
s3p73299 - 2011/12/23 10:06
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601着陸。クレーンの手前にコートの人が写っていますが、実はこれ、鉾田市長だったりして。当日、ほっとパーク鉾田の駐車場で芋煮会だか餅つき会だかがあったようで、それに来たついでだったようですが、601の移動をほぼ最初から最後まで張り付いてご覧になっていました。
s3p73313 - 2011/12/23 10:12
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601着陸。
s3p73321 - 2011/12/23 10:20
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
キハ601も保存線上の定位置に到着。
 
 鉾田駅からの搬出作業のときもそうでしたが、今回も2台のクレーンを使っての作業。1台の大型クレーンで持ち上げると車輌が回ってしまったりしてけっこうたいへんみたいなんですが、この方法だと、なんか2回とも実にすんなりとうまく移動できていました。本当は連携とかけっこうたいへんなんでしょうけれども、見た感じ実にあっさりと簡単に移動しちゃったという感じです。見た感じのあっけなさと、でも実はきっとすごいことをやっているんだろうなあという想像との間で、毎度のことではあるんですが、やっぱけっこう驚嘆しますわね。

 ということで、作業終了。
 

s3p73331 - 2011/12/23 10:29
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
クレーン車撤収。
s3p73335 - 2011/12/23 10:38
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
定位置に戻った2輌。
 
 ということで、外構(柵など)はまだですが、保存線と車輌は、とりあえず復旧しました。車輌は、液状化で線路が沈んだ際に腹が着地してたり、いろいろ塗装がはげたりしている部分があるようですが、そのあたりはこれから修復作業を行うとのことです。

 ほっとパーク鉾田も、2012年1月中の営業再開を目指して、復旧作業が行われていました。
 

s3p73123 - 2011/12/23 08:23
鹿島鉄道 - ほっとパーク鉾田
施設本体・建築物の修復も進む。
 
 いやー。積み上げられているのは歩道に敷き詰められていたタイルなんですが、おれはこういう単調な作業は苦手なんで気が遠くなりますが(とか言いつつ6万枚を越える写真をいちいちレタッチしてたりするわけで、それもまた考えると気が遠くなるわけですが)、なんとか順調にいってほしいなあと思います。
 ほっとパーク鉾田の営業再開予定などについては、本日の時点ではまだはっきりとした日付は掲載されていませんが、おいおい公式サイトで発表があろうかと思います。営業が再開されたら、ぜひ保存車に会いにいってあげてください。


 ということで、2012年もよろしくお願いもうしあげます。

  
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2011年12月30日

お散歩>筑波山ロープウェイとつつじヶ丘。

 や。実は「ケーブルカー」というやつは何本か撮ってありましたけど、「ロープウェイ」というやつはこれまでに1本も撮っていませんでした。わずかに東武博物館で撮影してきた明智平ロープウェイの保存ゴンドラの写真があるくらい。
 というわけで、八郷町にいくついでに、初ロープウェイ撮影です(=^_^;=)。

 とはいっても、今回は時間もあまりありませんから乗りません。見るだけです。とりあえず筑波山ロープウェイの山麓側の駅があるつつじヶ丘へ。

 つつじヶ丘は、ケーブルカーの山麓側の駅がある宮脇と並んで筑波山観光の拠点なのですが、ロープウェイの開通は1965年とだいぶ遅かったこともあり、またおそらくもともとは何もない場所だったんでしょう、現在も集落は形成されていません。ロープウェイの駅のほかは、駅併設のレストハウス・筑波山京成ホテル・筑波ニュー三井谷という観光施設があるだけです。しかしま、寂れているわけでもなく、必要十分という感じでしょうか。個人的には、古くからの観光地特有の乱雑さがない分だけちょっとさびしく感じたりはしますが、筑波山総体としてはとにかくこの場所は「古くからの観光地」ではないわけで、ないものねだりですね。
 

s3p72645 - 2011/12/15 12:55
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
観光施設「筑波ニュー三井谷」と駐車場。駐車場は「10分まで無料」というけっこうせこいサービスのもので、10分を越えるといきなし400円。ま、観光地だしなあとは思いつつ、これだったら「無料時間」は最初からなくていいんじゃねーのって感じも(=^_^;=)。
nd207136 - 2011/12/15 13:09
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
観光施設「筑波ニュー三井谷」のガマガエル。
おれはそういうわけで時間節約のために行ってませんけど、「ガマ大明神」とか「ガマ洞窟」とか、この手のものが好きそうなひとにはたまらないのではないかと思われる文字が並んでおります。
s3p72637 - 2011/12/15 12:52
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
観光施設「筑波山京成ホテル(正面)」と「つつじヶ丘レストハウス(右)」。
 
 2枚目の「ガマ洞窟」なあ。
 ふと思いついて、故・荒川聡子さんのサイト「動物園、B級SPOT大好き!」を覗いてみたら、やっぱしあったわ(=^_^;=)→「ガマ洞窟」。検索したわけでもないのに一発でみつかっちゃうって、どういうことだ(=^_^;=)。

 で、お目当てのロープウェイです。
 

s3p72671 - 2011/12/15 13:08
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72648 - 2011/12/15 12:55
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72652 - 2011/12/15 12:57
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72654 - 2011/12/15 12:58
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
s3p72661 - 2011/12/15 12:59
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
駅舎。
 
 20分間隔の運転なんで、上って降りてで40分弱はかかるんですね。なので乗るつもりはなかったんですが、近くで見たくはあったので、「入場券ありませんか」と聞いてみました。
 
s3p72640 - 2011/12/15 12:52
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
出札窓口。
s3p72641 - 2011/12/15 12:53
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘駅
改札口。
 
 ありませんでした(=・_・、=)。
 出札窓口のにーちゃん、なんかとんでもないことを聞かれたかのような驚きの表情を浮かべていたなあ(=^_^;=)。まあ確かに、ここで入場券を求める客って、そうはいないんでないかと思うわけですが(=^_^;=)。

 というわけで動くのを待って撮影。
 

nd207061 - 2011/12/15 12:51
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
ケーブル。
nd207064 - 2011/12/15 13:02
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
白いゴンドラ。「1」の番号がつけられています。
nd207073 - 2011/12/15 13:02
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
白いゴンドラ。「1」の番号がつけられています。
nd207107 - 2011/12/15 13:05
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
赤いゴンドラ。「2」の番号がつけられています。
nd207127 - 2011/12/15 13:06
筑波観光鉄道 - 筑波山ロープウェイ - つつじヶ丘〜女体山
赤いゴンドラの走り装置。
 
 最近はとんと縁がありませんけど、ロープウェイに乗ったことがないわけじゃなし、まあこんなもんかなって感じで。

 そういえば。
 千葉の鋸山のロープウェイに乗ったときのことだったと思いますが、山から下る便に乗っていたときに、男の子がその母親に「おかーさんやっぱり降りる方が早いねっ!」とか大きな声で叫んだんですね。ゴンドラの中は笑いに包まれ、母親は「馬鹿なことを言ってるんじゃありませんっ、笑われてるじゃないのっ」とか叱っていたんですが。
 あんとき、「なんでそう思うの?」とか助け舟を出してやればよかったとか思ったんすよね。いまだに時々思い出す。
 確かにまあ、上りも下りもスピードは同じだけどさあ、「下りの方が速いと感じた」ってのはその時のその子にとっては真理(笑)なわけじゃん。時計的に同じタイムであることと、感じる時間が等しいことは、イコールじゃないんだしさ。ゴンドラの中が笑いで包まれたとしたって、別に頭ごなしに叱るようなこっちゃないんじゃないかと、おれ思ったんだよなあ。

 とか、脈絡なくロープウェイの思い出を語ってみました。ではまた。

  
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2011年12月28日

お散歩>茨城県旧八郷町(現石岡市域)の茅葺屋根建築物。

 茨城県の旧八郷町の風景です。

 もともとは、駒村清明堂と気象庁地磁気観測所が旧八郷町域にあり、そのために項目を作ったんでした。ところが駒村清明堂も地磁気観測所も追加撮影のせいもあってそこそこの巨大項目に発展、「八郷町」でくくるのも不適切っぽいし、分野別でもそれぞれを「工場」「公共施設」に入れておいても邪魔だしってことで、独立項目として仕立て直すことに。そしたら八郷町の項目はすかすかになるかと思いきや、別ネタがはいってきました。それが「茅葺屋根」。
 なんでだかよくわからないのですが、旧八郷町域にはけっこうな数の茅葺屋根の建物が残っているそうで、石岡市との合併前には、町の観光協会が「八郷町茅葺きマップ」なんてものを作って配布していたくらいです。せっかくなので、その茅葺屋根の現役建築物を見に行こうってことになりまして。なんかよくわからない展開だけどねー。

 まずは旧八郷町への道。
 八郷町は、筑波山の山麓にありました。ていうか、筑波山観光の拠点のひとつであるつつじヶ丘(ロープウェイが出てる場所)は、もう八郷町でしたし。というわけで、つつじヶ丘から八郷町に向かう道です。オートバイだと通行規制が多くてなかなか不自由だったんだよなあ(と、遠い目をする)。
 

s3p72676 - 2011/12/15 13:14
茨城県石岡市小幡
風返峠の警告看板。石岡警察署と石岡市役所による「ローリング族・ドリフト族・対策区間」のもの。
s3p72679 - 2011/12/15 13:16
茨城県石岡市小幡
そのセンターラインの特殊装備がこれであるらしい。
s3p72682 - 2011/12/15 13:16
茨城県石岡市小幡
なんてゆーか、別に一車線しかなくてもその幅でアウトインアウトとかできるし、コース取りもいろいろ悩めるわけで、センターラインを越えて道路の幅を全部使って走らなくちゃなんない理由なんてないような気がするんですけどね。そんでもそこらの小僧よりおれのが速いぞってか。
 
 八郷町の町並みと茅葺屋根の建築物です。なお、「茅葺屋根○○」の番号は、八郷町観光協会が発行した「八郷町茅葺きマップ」の番号(同マップは現在は入手不能。ただしこのマップだけで建物に行き着けるほどの精度のものではない)。特に意味はありませんが、まあ識別用ということで。
 全部を並べるとけっこうな枚数になっちゃうので、ここでは1棟1枚にしておきます。あとの角度は更新を待て(角度ってなんだ、『茅葺屋根の角度』とかいう本でも出すつもりかっ>おれ)。
 
s3p72687 - 2011/12/15 13:26
茨城県石岡市小幡
茅葺屋根11。住宅主屋。
s3p72716 - 2011/12/15 13:37
茨城県石岡市吉生
茅葺屋根13or14。長屋門。
s3p72851 - 2011/12/15 14:21
茨城県石岡市上曽
茅葺屋根16。住宅主屋。住宅ってか、もともとは宿屋かなんかを営業していたらしいけっこう大きな建物です。
s3p72922 - 2011/12/15 14:36
茨城県石岡市上曽
茅葺屋根17or18。長屋門。
s3p72933 - 2011/12/15 14:38
茨城県石岡市上曽
茅葺屋根17or18。長屋門から中を見ると、住宅主家も茅葺でした。
s3p72954 - 2011/12/15 14:54
茨城県石岡市鯨岡
茅葺屋根19。住宅主家。
s3p72967 - 2011/12/15 15:13
茨城県石岡市中戸
茅葺屋根24。長屋門。
s3p72979 - 2011/12/15 15:23
茨城県石岡市部原
茅葺屋根27。長屋門。
 
 街角にいたひもなしわんこ。かなりの老犬のようで、歩くのもおぼつかない感じ。「おいそこの若いもん、なにをしにきた?」って感じで寄ってきましたが、吠えるでもなく、逃げるでもなく。
 
s3p72878 - 2011/12/15 14:24
茨城県石岡市上曽
老犬。
 
 三輪神社。茅葺屋根の家を探していて、たまたま近くにあったものですから、お邪魔してきました。
 
s3p72882 - 2011/12/15 14:29
茨城県石岡市上曽字沖前1665
三輪神社。エントリ。鳥居は石造の明神鳥居。
s3p72892 - 2011/12/15 14:30
茨城県石岡市上曽字沖前1665
三輪神社。拝殿と脇社。
 
 佐久の大杉。このあたりに茅葺屋根の家がある、という情報があったのですが、結局みつからず。とりあえず目印とした「佐久の大杉」を撮っておきました。途中で折れてますけど、折れる前はどんだけ高さがあったのでしょうか。
 
s3p73016 - 2011/12/15 15:41
茨城県石岡市佐久
佐久の大杉&鹿島神社。エントランス。
s3p73034 - 2011/12/15 15:43
茨城県石岡市佐久
佐久の大杉&鹿島神社。拝殿。
s3p73044 - 2011/12/15 15:45
茨城県石岡市佐久
佐久の大杉&鹿島神社。杉を見上げる。
 
 マンホール。石岡市と合併して消滅した八郷町のものです。
 
s3p72712 - 2011/12/15 13:37
茨城県石岡市吉生
マンホール。八郷町(消滅自治体)の汚水用のもの。
 
 当初はそんなに期待をしていなかったんですが、いやあけっこうすさまじかったですね(=^_^;=)。
 なんていうか、ひとつひとつの住宅が、数百坪くらいの敷地を持つ豪邸で、そこに長屋門や住宅があってそれが立派な茅葺屋根の建物である、というのがいくつもいくつもありました。しかも、「保存物件」とかじゃなく、「廃屋」でもなくて、「現住民家(*1)」であり、手入れがいきとどいている。まあ、当然のこととしてアルミサッシ化などの改造改修や増築がなされているものも多くありましたけど、もうここまできっちり使われているのであればそんな改造なんか気にならない感じ。
 ま、茅葺屋根維持のための支援などの保護活動は行われており、茅刈ヴォランティアなんてのもあるみたいで、ある程度は茅葺屋根の建物を維持しやすい状況が整ってはいるのでしょうけれども、それにしてもひとつの町の中にメンテナンスの良い現役の茅葺屋根建築物が数十棟という数残っているというのは、なんかものすごいことであるように思います。公共交通の便がいいとは言いにくい場所ではあるけど、関東平野の真っ只中なんだし、穴場っていうかなんていうか。
 見たのはまだごく一部です。ってまあ全部を見ようとかいう方向性はないんですけど。

*1  くだんないと思いつつ書いておくのですが、「現住民家」は「現住+民家」であって、侮蔑的なニュアンスを帯びた言葉を含む「原住民+家」ではありません。ときおり「げんじゅうみん」という音が含まれているというだけの理由で漢字なんか見ないではしゃいで揶揄したりする馬鹿がおったりするので、無粋だけど、いちおう馬鹿封じとして説明を書いておきます。
 
 ただえーとなんていうんですか。
 これらの建物はたいへん貴重で価値の高いものではあるんですが、「保存物件」でも「廃墟」でもなく「現住民家」なんですよね。つまり、そこで生活をしているひとがいる。観光資源として客引きのネタにするには、ちょぉっと使いにくいものなわけです(=^_^;=)。
 前述の通り旧八郷町の時代には観光協会がマップを作っていましたが、現在ではそれは配布されていませんし、どこに茅葺屋根の建築物があるかといった資料はきわめて入手しにくくなっています。また、石岡市のサイトなんかでも「見学の際の注意事項」などがうるさく書かれています。いろいろ摩擦があったんだろうなあ。
 だいたい見物客が多少来たくらいじゃ実際に茅葺屋根建築を維持管理しているひとびとにとってはメリットなんかなさげだしね。こういう景観の維持とかもどうすりゃいいんだろうとか、いろいろ考えさせられてはしまいましたよ。

 もひとつおまけ。
 この手の私有物件を見に行く場合、どうすれば迷惑をかけず失礼にもならないかっていうのは、けっこう悩ましいところです。
 よくあるのが「挨拶をしてから撮影しましょう」ってやつなんだが、いちいち呼び鈴鳴らして挨拶をして事情説明をして許可取りをしてから撮影、ってのもおれの感覚では現実的じゃないんだよなあ。こっちとしても面倒なんだけども、それ以上に来られる側にとって迷惑でしょう。家の中でのんびりくつろいでいるところに、あるいは忙しく家事をかたづけているところに、なにかっつーと見知らぬ人がやってきて呼び鈴鳴らして撮影許可をくれと言ってくるだなんて、おれが住民だったらと仮定して想像すると、かなりうんざりする状況ですし。
 まあおれの場合は、「原則として挨拶や許可取りはしない。通常の立入が想定されていないと思われる敷地(*2)には入らない。さっさと必要最低限の撮影だけして退去」というあたりを原則としています。たまたまその物件の持ち主とかが表にいたりしたらなるべくにこやかに挨拶をする、といったことは心がけていますけど。

*2  商店の駐車場など、敷地内であっても部外者の事前許可を得ない立ち入りが禁じられているわけではないと思われる場所には、ケース・バイ・ケースで判断し立ち入る場合はあります。絶対に他人の私有地には立ち入るべきではない、とまでは考えていませんし、他人にも求めません。ただ、おれの基準はかなり厳しい方ではあると思う。一緒に行動することが多いやつのうち一人は、なにかっつーと不用意にかつ意識せずに私有地にはいりかけて、おれに「ひとんち!」とか怒鳴られてますし。
 
 ま、探せばこういう穴場みたいな場所は、まだほかにもあちこちにあるのかもしれません。八郷町のすぐそばだけど、真壁町なんかも同類、つまり「あまり知られていないけれども、町並みや建築物がすばらしい場所」だし。
 そういうところは、それなりに評価を受け、経済的にも潤ってほしいと思うけれども、なかなかうまくそういう流れを作る方法って、思い浮かびませんわねえ。うむー。

  
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2011年12月26日

お散歩>駒村清明堂再訪。晴れた日の水車。

 前回が夕刻でしかも雨という悪条件だったので、駒村清明堂を再訪してきました。前回分の追加撮影です。

   *

 まず、駒村清明堂の店舗。店売りがメインなはずはありませんが、現地でも販売しており、訪問しても線香を買うことはできます。こういうネタのときは、店舗と商品の写真を忘れちゃいけないよな(=^_^;=)。
 

s3p72341 - 2011/12/15 11:40
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。店舗。この日はご主人はおられず、おかあさまかな、が店番をしておられました。
 
 水路。
 
s3p72411 - 2011/12/15 11:59
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。地表を流れる水路。上流方面を望む。
s3p72419 - 2011/12/15 12:00
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水路。地表から木製高架に変わる部分。左側のコンクリートは、発電用水車につながっていた水管の跡。
 
 現役水路と平行に走るコンクリートの構造物は、発電用水路の跡だそうで。以前は螺旋水車かなんかで発電機を回して集落の電気をまかなっていたとのことです。現役水車が目的での訪問でしたけど、こういう産業考古学的遺構に出会えたというのは、望外の幸運でございました。
 
s3p72468 - 2011/12/15 12:06
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。発電用水路跡。
s3p72474 - 2011/12/15 12:06
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。発電用水路跡。
 
 水車小屋。
 前回は暗かったこともあって「近距離からストロボを焚いてなんとか」って感じでしたが、水車周辺ってけっこう水が飛び散っていて黒く、また日陰なので、晴れていてもやっぱし暗くなってしまうことに変わりはなかったりして(=^_^;=)。水輪だけについていうなら、前回の写真のがわかりやすかったかも(=^_^;=)。
 
s3p72348 - 2011/12/15 11:47
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。表で杉の葉の選別作業をしている方々がいました。左が上流方向。水輪は向こう側。
s3p72358 - 2011/12/15 11:49
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。表で杉の葉の選別作業をしている方々がいました。左側にちらっと高架水路が見えています。
s3p72596 - 2011/12/15 12:20
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。上流側から。左側に高架水路。
 
s3p72443 - 2011/12/15 12:03
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。水輪上流側から。
s3p72453 - 2011/12/15 12:04
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。水輪下流側から。
s3p72500 - 2011/12/15 12:07
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水輪。
s3p72540 - 2011/12/15 12:11
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水輪。
 
s3p72457 - 2011/12/15 12:05
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水輪と水路。下流側から。
s3p72460 - 2011/12/15 12:05
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。水車小屋。下流側から。
 
 杉葉小屋。ここである程度乾かしてから次の工程へ、ということのようです。
 
s3p72613 - 2011/12/15 12:21
茨城県石岡市小幡
駒村清明堂。杉葉庫。水車小屋の並びにあります。裏側に高架水路が通っています。
 
 駒村清明堂と直接に関係があるのかどうかは聞きそびれましたが、道を隔てて、水分神が祀られています。
 水分神(みくまりのかみ)は、神道系の水の神様で、水の配分などを司るとされており、水源地や水路の分流部などに祀られることが多いとのこと。「水配りの神」が「みくまりのかみ」になったのではないかと考えられています。
 
s3p72622 - 2011/12/15 12:31
茨城県石岡市小幡
水分神(みくまりのかみ)。小さくて読めませんが、右側に駒村清明堂の看板が出ています。
s3p72618 - 2011/12/15 12:31
茨城県石岡市小幡
水分神(みくまりのかみ)。
 
 ま、前回のと今回のを足せばだいたい全貌はわかるんじゃないかって感じです。
 いやあしかし人間の欲望というのは限りないもので、帰りの車の中で「ここまで見たんだったら、杉葉粉をこねるところとか、線香のかたちに整形するところとか、全工程を見たいよねえ」とかいう身の程をわきまえぬ会話が(=^_^;=)。
  
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2011年12月24日

お散歩>気象庁柿岡地磁気観測所を見学してきた。

 茨城県の鉄道の宿敵、気象庁地磁気観測所です。そう、あの鉄道の直流電化を拒む地磁気観測所です。初回は、たどりついたらすでに夕暮れ、雨もぱらつく日でございまして、入口だけしか見ていませんし、ほとんどわけわかりませんでした。

 そういうわけで二回目。Webに「見学は申し込めば随時」と書かれていたもんですから、前回も一緒にいった友人が見学を申し込んだところ、見学日でもなんでもないのにわずか2名の野次馬見学者のために見学ツアーを組んでいただいてしまいまして、えらい恐縮する羽目に(=^_^;=)。予約時間に訪ねたら、会議室には液晶プロジェクタが用意され、机の上には二人分のパンフレット類が並べられており、研究者とおぼしき方がお二方ほど迎撃体制を整えて待ち構えているんだもんなあ(=^_^;=)。なんかものすごく申し訳ないことをしてしまったような気が(=^_^;=)。

 で、気象庁地磁気観測所。東京の発展につれノイズが増えてきて観測に支障を来たすようになったため、それまで測定をしていた皇居から大正年間に柿岡に引っ越してきた施設で、移転時点の大正年間建築の建築物などが大切に使われていました。
 

s3p72325 - 2011/12/15 11:29
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。正門。
 
 構内風景。ノイズを極端に嫌う観測であるせいか、かなり土地をぜいたくに使っています。建物がせせこましく立て込んでいたりはしません。
 
s3p72310 - 2011/12/15 11:10
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。正門から続く道。
s3p72313 - 2011/12/15 11:10
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。構内の並木道。
s3p72322 - 2011/12/15 11:11
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。防火水槽とおそらく消防機材庫。
s3p72304 - 2011/12/15 11:09
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。官舎ではないだろうかと。
 
 第一庁舎。1925年、地磁気観測所が全面的に柿岡に移転してきたときに作られた洋館です。ドイツ風を意識して作られたとのこと。もともとは正面に筑波山を望めるように作られていたとのことですが、その後新たに建てられた建物のせいで、現在は筑波山は見えなくなっています。
 
s3p72107 - 2011/12/15 10:29
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。本館・第一庁舎。1925年(大正14年)の建築。正面。
s3p72251pf - 2011/12/15 11:04
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。本館・第一庁舎。1925年(大正14年)の建築。右側から。
 
 KASMMER地磁気観測施設。KASMMERは「Kakioka Automatic Standard Magnetometer」の略で、これこそが茨城県内の鉄道の直流電化を拒む中核の観測施設だそうです。なんか大正年間に東京を追い出されることになったきっかけは、周囲を走りはじめた市電が原因の電磁波だったそうで、どうも直流電化というものにトラウマがあるらしい(そういう話じゃねーか(=^_^;=))。
 4台のオーバーハウザー磁力計という装置を角度を変えて組み合わせ、その出力を合成して、地磁気を観測しているとのことです。
 
s3p72116 - 2011/12/15 10:34
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。KASMMER地磁気観測施設。
s3p72123 - 2011/12/15 10:35
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。KASMMER地磁気観測施設。
 
 空中電気室。1925年の建築。大気の電場変動を測定するための建物だということです。
 
s3p72130 - 2011/12/15 10:40
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。空中電気室。1925年(大正14年)の建築。
s3p72114 - 2011/12/15 10:33
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。空中電気室。1925年(大正14年)の建築。
 
 実験室。コンクリートで覆われていますが実は煉瓦造りで、屋根は銅板葺き、雨どいなども銅板で作られており、徹底して磁性材を排除して作られているとのことです。
 いやあ、見た感じちっちゃくてかわいい小屋で、やっぱこう松戸菜園味博士がこもって何かやっていそうな気配が感じられてならないのですが(=^_^;=)。
 
s3p72147 - 2011/12/15 10:42
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。実験室。1924年(大正13年)の建築。
s3p72167 - 2011/12/15 10:45
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。実験室。1924年(大正13年)の建築。
s3p72171 - 2011/12/15 10:46
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。実験室。1924年(大正13年)の建築。
 
 絶対観測室。「Absolute House」という表札が掛けられていました。
 
s3p72208 - 2011/12/15 10:51
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。絶対観測室2棟。
 
 測定機材とかいろいろ。
 
s3p72187 - 2011/12/15 10:49
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。北指示器。KASMMER地磁気観測施設の方位あわせに使うらしい。
s3p72217 - 2011/12/15 10:54
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。なんかのアンテナ。
s3p72239 - 2011/12/15 10:58
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。太陽電池パネル。測定機器への電力供給に電線を引き回しそこに電流が流れると磁気が発生してしまうため、なるべく電力のやりとりがないようスタンドアロンで動かせるようにということで、太陽電池を多用しているとのこと。はぁ(=^_^;=)、電線もだめすか(=^_^;=)。いちおうバックアップ用に電力線は引いてあるみたいですけど。
 
 第一変化計室。なんかの測定を行っており、温度変化を嫌うために、かまぼこ型の石造りの建物を作ってそれに土盛をして半地下にしてしまったとのこと。上に載っているのは、そういうわけでその土塁の日除けのための建物であって、本体ではないらしかった。
 
s3p72227 - 2011/12/15 10:56
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。石室・第一変化計室。1912年(大正元年)の建築。半地下の建物。表左側。
s3p72231 - 2011/12/15 10:57
茨城県石岡市柿岡
地磁気観測所。石室・第一変化計室。1912年(大正元年)の建築。半地下の建物。表左側。
 
 あんましこう、建物とか立地とかに興味を持って見学に来るやつなんかいないらしく(そりゃ、いないだろうなあ・・・)、応対してくれた方も勝手が違うらしくてちょっと困った顔をしておられたような気がしますが(=^_^;=)、けっこう楽しい見学でございました。

 個人的には地磁気観測所に怨みはないっていうか、常磐線の直流電化を阻止してくれたおかげで妙なものがいろいろ走ることになって趣味的には楽しいとか思っているんですが(=^_^;=)、まあ茨城県や産業的には、んなのんきなことを言っていらんない面もあるのでしょうし、まあいろいろ。
 そのせいか、「地磁気の観測はこのように役に立つ」といった方向性の説明が多かったような気がします。ただまあ、基礎科学なんてそうそう実益に直結するものではないし、そんでもいいんではないかとかおれは思ってるものですから、実益に結びつける説明のあたりに苦労を感じてしまったりしたんですよね(=^_^;=)。

 なにはともあれ、たかが野次馬見学者に実にていねいな応対をしていただきまして、いろいろとどうもありがとうございました。

  
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2011年12月22日

更新>小金牧・柏の葉・野田線江戸川橋梁・震災被害状況報告

 すっかり報告を忘れておりましたが(=^_^;=)、2011年12月7日に、それまでのお散歩分をまとめて更新しています。以下のお散歩報告の分。

久々の小金牧(高田台牧)・こんぶくろ池と弁天池
柏の葉・国立がん研究センター東病院
柏の葉・東京大学柏キャンパス
誰か「パーカートラス」のことを知りませんか?
小金牧(高田台牧)の駒木台・柏の葉の境界部分
東日本大震災>土浦旧市街地の被災状況
筑波鉄道(関東鉄道筑波線)の廃線跡
東日本大震災>真壁旧市街地の被災状況
駒村清明堂の水車
茨城県の鉄道の宿敵・気象庁柿岡地磁気観測所

 うち、駒村清明堂の水車と気象庁柿岡地磁気観測所は、そのあと追加撮影に出かけており、現状はサブセットというかたちになってしまいました。特に柿岡は、現状では入口の夜景写真しかありませんし、まあ報告を見てわかるとおりほとんど意味ないっすね。お散歩報告と次回更新を待て(=^_^;=)。

 ではざっと、主として新規項目へのリンク先ご案内という感じで。

 まず、小金牧(高田台牧)に2か所追加。
 ひとつはこんぶくろ池
 高田台牧の水場のひとつだったとされる湧水池で、大堀川の源流のひとつ。たまたま開発されずに残っていたことから「こんぶくろ池自然博物公園」として保全されることになりました。こんぶくろ池のほか弁天池という湧水池があり、そこから流出する河川もあまり人間の手がはいらない状態でよく残されています。
 以前はなかなか公共交通機関では行きにくい場所でしたが、柏の葉開発の結果バス便が整備され、だいぶ行きやすくなりました。
 もうひとつは流山市駒木台と柏市柏の葉の境界部分
 あまり期待しないで出かけたのですが、短い区間とはいえ、良好な状態の野馬土手・野馬堀が残されていました。とりあえず下調べのみで、追って再調査の予定です。

 続いて、上記高田台牧周辺で、柏の葉。主として2件。
 ひとつは「国立がん研究センター東病院」。こんぶくろ池に隣接する場所にある大規模病院。併設レストランが2件もあったり、巨大ビルの並びに平屋の緩和ケア病棟があったり、なかなか興味深い病院でした。
 もうひとつは「東京大学柏キャンパス」。がんセンターの向かいにあり、なんか妙に凝ったビルが立ち並んでいます。ざーっとひととおりビルを見てきました。しかし名前を聞いただけではなにをやっているのかわからない施設が林立しているわけで、けっこう気押されましたねえ。
 ま、新しい市街地というか、「鳴り物入りで作られたばかりの新しい街区」という意味では、それなりに見栄えがする存在なのではないでしょうか。

 今回の更新では数少ない鉄道関係。
 東武鉄道野田線の川間〜南桜井にある江戸川橋梁を見てきました。
 1930年架橋1955年改修の単線の曲弦ワーレントラス橋で、地味っちゃあ地味ですが、なかなか優美な橋梁です。曲弦トラス橋も珍しくなってきたので、きっちりおさえておこうかっていう感じ。
 ついでに川間駅付近もちらっと散策。千葉県野田市尾崎の風景。基本的には新興住宅地でありだからどうしたっていう感じですが。
 で、ここでは「ポトス(食べログ)」という喫茶店をみつけましてね。これがけっこう大ヒットだった。充実した古式ゆかしい洋食、というだけでもう大喜びなのに、なんと大盛りグラタンがありましてねーもう狂喜乱舞です。お近くに行かれましたらぜひ立ち寄ってあげてください。

 えーとそれから、茨城県関連で数件。

 まだ尾を引いている東日本大震災関連ですが、土浦市(主として旧水戸街道沿道)桜川市真壁町をチェックしてきました。
 土浦の方は、まあざっくり言ってしまえば「さほど甚大な被害はなかったようだ」という感じ。
 真壁ですが、こちらもざっくり言ってしまえば「さほど甚大な被害はなかったようだ」ということになるんだろうと思うんですが、町並み観光で売り出そうとしていたところに襲ってきた地震で、けっこう町並みというか景観への影響が大きいんですね。ちょっとこういう被害の様相というのは想定していなかったので、たじろぐものがありました。どうすりゃいいんでしょうか。

 それから、ほんのちょっとだけですが、筑波鉄道の廃線跡に追加。虫掛駅から田土部駅にかけての区間と真壁駅
 いやあ、ある程度整備は終了したとばっかし思ってしばらく目を離していたんですが、その後も整備は続いていたんですねえ。どこまで金をかければ気が済むんだろう。ていうか、やっぱこの金は筑波鉄道の存続に投入しておくべきだったのではないか、という気がしてなりません。

  *

 で、本体ページでは「今回の目玉」とか言ってる駒村清明堂ですが、夕方でしかも雨模様という状況だったんですね。というわけで再撮にでかけております。
 とりあえず現状の写真でも「現役水車というのがどういうものか」は十分にわかるかとは思いますが、すぐに大量の追加とヴァージョンアップがあるのがわかってるわけで、なんか新規項目としては紹介しにくいんだよな(=^_^;=)。

 なお、現在、駒村清明堂と気象庁柿岡地磁気観測所は「旧八郷町」の項目にまとめてありますが、いずれも追撮の結果、収録写真数が増えてそこそこ巨大項目になってしまったため、次回更新では独立項目にします。

 今回の更新は、こんなところです。  
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2011年12月20日

本>『靖国の戦後史』田中伸尚

 久々の書評シリーズ3。とりあえずこれで終わり。
 一発目に書いたことですが、この書評、どうせ長くなるし、興味がないひとには徹底して興味がないネタになろうかとも思うし、このWeblogの客層的にはどうなのかなあとも思います。なので「自分向けじゃないな」と思ったひとはさくさく飛ばしてしまうことをお勧めします。場違いなものをまきちらかしてすまん(=^_^;=)。



 「神道って、要するに何なの?」という疑問をめぐって読み散らかした本のうちの一冊。なんだかんだ言いつつおれもずいぶん神社の写真を撮ってきていますので、それなりに興味を惹かれる部分てのが出てきてたりしたのですよ。なので、知ろうと思ったというわけ。
 本書は、神道の概要を広く知る上では全く役に立ちませんが、おれがそこはかとなく抱いていた神道への不信感・不快感の原因についてはある程度の手がかりを得ることができ、そういう意味でおれにとっては有益な本でした。なので、紹介しておこうと思いました。
 しかしまあ、書いたことの大半が「本書の一片から考えたこと」であり、本書の内容とはあんまし関係がなかったりして、書評というのはオカシイかもしれません(=^_^;=)。


靖国の戦後史』田中伸尚
 岩波新書788
 ISBN4-00-430788-0 C0221
 2002年6月20日初版初刷

 そういうわけで資料として読み始めたんですが、わりと冒頭部であっけにとられるデータが出てきました。まあ、おれが知らなかっただけなんですけど。1945年の出来事に関する記述。以下、本書14ページ、「第一章 甦った靖国神社 1945〜1951年/2 遺族会の誕生と靖国信仰/神社本庁の設立」より。

 「神道指令」当時、神社は10万6137社を数え、このうち8万7217社が宗教法人法によって宗教法人となり、その約99%の8万6157社が神社本庁に結集した。

 えーと・・・神社って阿呆の巣窟ですか。

 まあ率直な感想がこういうものだったんですが、この感想をおれが抱いた理由について説明しないと、たぶん展開がわけわかんなくなるだろうな。というわけで説明します。

 神道の歴史の大胆なダイジェスト。

 神道の源流がどこにあったのか、それがどのようなものであったのか、そのあたりについては現段階ではいまだ解明がなされていないようです。まあ飛鳥時代以前の話になりますから、普通にわかんないわな(=^_^;=)。
 で、飛鳥時代の6世紀中ごろ(538年説と552年説がある)に日本に仏教が伝来(公伝)。それ以降、明治維新までの実に1300年余りの間、神道と仏教は区別があいまいなものとして扱われることになります。これを「神仏混淆」「神仏習合」などと呼びます。欧米流の宗教潔癖症から見ると想像を絶することであるらしいのだが、ま、各種の仏と各種の神とを対応させるなどして「同じものを別の切り口から見たもの」として扱おうとした、ということだわね。
 その途上で、たとえば江戸時代における一般的様相のように「仏教の優越」があったり、江戸時代水戸藩領などにおける様相のように「神道の優越」があったり、そのあたりはまあいろいろ。ただいずれにせよ、飛鳥時代以降の日本には、「純粋な仏教」「純粋な神道」というのは存在しなかった。また、神道は飛鳥時代に仏教と混淆してしまったことから、教義など理論的支柱は仏教によりかかることとなり、神道としての教義が明確化されることがないままに、1300年という時を過ごすこととなった。

 明治維新となり、明治政府は天皇のもとに国をまとめるという方針を考え、天皇を神道の神の一員と位置づけることにしました。その際に「その国家の支柱たる神道に教義がないというのは困る」ということになったらしい。そこで明治政府は、突然のように神道にも教義を作ることにした。
 それが国家神道なわけですが、当然ながら江戸時代までの「教義のないあいまいな宗教としての神道」と「明確な教義を持つ宗教である国家神道」は、まるっきしの別物ということにならざるを得ません。ていうか、江戸時代までの神道は明らかに「自然宗教(源流がよくわからない自然発生的に生じたとされる宗教)」だったわけだけど、国家神道は誰か人間が教義を書いた宗教なわけでそれは「創唱宗教(特定の個人あるいはグループによって提唱されて形成された宗教。キリスト教や仏教が典型例)」に分類されるものであり、もうその2つは系統として違うだろうと。
 なお、明治政府によるこの政策に関して、「神道という宗教が特別視されるとキリスト教が迫害されるのではないか」という懸念を抱いた諸外国が横槍を入れて神道の国教化を阻止、明治政府は「神社は宗教にあらず、習俗なり」という暴論を主張してこれを乗り切ります(1880年代あたり)。いやあ、神道ってば、性格を大胆に歪められただけでは済まず、かわいそうなことに宗教ですらないことにされちゃったんだぜ(=^_^;=)。
 で、政府内には神社対応部局が置かれ(最初は1868年の神祇事務科、以降機構はさまざま変転)、政府と国家神道は一体化したものとして運用されることになります。神社は、それなりに優遇されるかわりに、国家神道の名のもとに、政府によって組織化され、格付けされ、統廃合を含めていろいろと介入されることになった。
 なお、明治時代以降に、黒住教・金光教・天理教・大本教(正式には「大本」で「教」はつかない)など数多くの神道系の創唱宗教が誕生しており、それらは「教派神道」と呼ばれています。

 さて、第二次世界大戦が敗戦に終わり、1945年12月15日に占領軍が「神道指令」と呼ばれる指令を出しました。これは、第二次世界大戦の根源のひとつとして国家神道があるという認識のもとに、政府と国家神道との連携を断ち切ることを目的としたもの。
 それまでは国家神道を統べる機構が大日本帝国の政府内にあったわけですが、それはなくなる、と。その政府内にあった機構の代替として作られたのが神社本庁(という宗教法人。役所みたいな名称ですが役所ではありません。ま、役所っぽく見せたかったんだろうなあ)。
 その神社本庁に、神社法人のうち実に98.8%もの神社が集まった。そして後日そのことを知ったおれの目は点になり、この書評が始まった、というわけ。

 以上、大胆なダイジェスト終わり。

 ここから、おれの神道観。

 長い神仏習合の歴史があるから「神道ってなに?」「純粋な神道ってどういうもの?」という疑問への明確な答えというのは存在しないわけですけど、しかし明治時代以降の神道が国家神道を軸とすることによって改めて大きく歪められたということは事実であると言っていいとおれは思うんですよ。伝統を重んじるのであれば(そして普通、宗教というのは保守的なものであり、伝統を重んじるものであるはずだ)、神道は明治政府に対して怒りを見せるのが筋なんじゃないんだろうか。第二次世界大戦の敗戦を契機としてアホ政府から離脱しその影響下から脱することができるのなら、それは歓迎するのが当然ではないんだろうか、とおれは思うんですよ。
 ところがそうはならず、法人格を持つ神社のうち実に98.8%が、神道を歪めた国家神道の系譜に連なる神社本庁に結集したっていうんでしょ。おまえら伝統を重んじる気持ちはないのか、神社って阿呆の巣窟ですか、とつながっていくわけです。

 まあ、大日本帝国が政府内に神社担当部局を置いたのが1868年、神道指令によって政府内から神社担当部局が追い出されたのが1945年、その間78年ほど経っているわけで、その時間は1世代を越えていますから、「組織化され、教義を持ち、統制された姿の神社が当然のものである」という感覚が神道界の中に定着していたであろうことは想像がつきます。また、敗戦後のどたばたの時期ではありますからあえてそこで異議を唱えるのもめんどくさかったのであろうという事情もわからないではありません。
 もうひとつ、明治時代に先行した江戸時代には、神社は一般論として仏教寺院の下に置かれ虐げられてきていたわけですし、明治時代以降は優遇されてこの世の春を謳歌したわけだから、明治以降の流れに感謝をするということは当然にあったことだろうし、明治時代以前のような状態に回帰するのは避けたいという気持ちもまた強かったことでしょう。

 しかしそれにしても、やっぱ明治政府による神道政策は、神道の姿を歪めるものであったとも思う。それも、かなり深刻かつ決定的に歪めるものだった。
 また、大日本帝国は国家経営に失敗して滅びていったわけですが、その失敗の途上に、国家神道ははっきりと足跡を残してしまっている。それって、神道にとっては「黒歴史」と呼ぶべきものではないんだろうか。

 国家神道って、もしもおれが神道家であったならば、全力で否定したくなるようなしろものだったはずだ。そういう思いを禁じ得ないんですよね。でも、なんか神道の側には、そういう感覚がないか、あったとしても希薄であるように見える。それはいったいなぜなんだろう、というのがおれの疑問なんですよ。同時に、明治政府がやったことに怒らない神道に対して、おれがそこはかとない不信感・不快感を抱いていることにもつながっている。
 また、国家神道って、明治維新の際に新たに作られた創唱宗教なわけで、ある意味「国家が背景についていたとはいえ、たかが教派神道のひとつにすぎない」とも言えると思うんです。国家神道なんて、敗戦の時点で歴史はたかだか78年、2011年時点で計算しても144年の歴史しか持たない新興宗教ではありませんか。飛鳥時代から明治維新までをざっと計算して1300年余り、飛鳥時代以前から存在し少なくとも1300年以上の歴史を持つ旧来の神道が、たかだか78年ないし114年の歴史しか持たない新興宗教の国家神道ごときに牛耳られている状況に甘んじていてどうしようというのだ、とも思うんです。

 ここまで、おれの神道観。ま、半分くらい呆れ果てていて、残り半分くらいはしっかりしてくれよと思っている、という感じでしょうか。

 とまあ、そんなふうに思っているおれにとって、この『靖国の戦後史』というのは、それなりに改めて衝撃的だったわけですよ。
 なんていうの、こうも伝統を軽んじるひとたちがいるんだ、というのはやっぱある種の驚きにつながることです。さらには、伝統を軽んじる姿勢を臆面もなく恥も外聞もなく主張できるというメンタリティが、おれにはよくわからない。しかも、ご本人たちは「伝統を守っているつもり」であるらしいのだ。
 このひとたち(=靖国神社国家護持運動とかやってるひとたち)は、本当に神道の信者であるのだろうか? いや、このひとたちは決して「神道」の信者などではなくて、「国家神道」というよく似た名前の別の宗教の信者であると理解すべきなんでしょうけれども。
 なんか長々と書いたわりに本の感想の本体部分はわずか数行で終わってしまいましたけど、まあそういうわけで、おれ的には読む価値はある本だったと思います。

 なお、本書は基本的に、左系の思想に基づいて書かれているもののように思います。おれは特に左翼系思想へのアレルギーはないんでそこんところは特に気にはなりませんでしたが、左翼思想には根強い戦前全否定は単純に過ぎると考えており、そういう観点からの神道批判と足並みをそろえるつもりはない、ということは明記しておこうと思います。

   *

 これで終わりにすると神道のワルクチを書いただけに終わってしまうことになりそうなもんで、つけたし。
  
 幸いなことに、これまでの観察からして、現存する神社もまあいろいろで、あいかわらず国家神道の呪縛に囚われたままの神社も数多くあるにせよ、おそらくは国家神道なんてたいして気にもしないままに淡々と明治から昭和の時期を乗り切ってきたのであろう神社というのも少なからず存在しているように見受けられます。神社だって一枚岩ではない、というか。「淡々と国家神道の時代を乗り切ってきた神社」というのは、ある意味で民衆宗教・自然宗教のたくましさを感じさせるようなものでもあり、そういう「動じない姿勢」って宗教のような本来保守的であるはずのものにとっては、とても頼もしいと思ったりもする。
 更には、国家神道が終わってすでに半世紀以上が経過しているということもあって、神社本庁のレベルはとにかくとして、氏子のレベルでは、国家神道の記憶は薄れつつあるように思う。まあ、単に記憶を薄れさせちゃっていいのかっていうと疑問はあるわけだが、結果としてそれが、神道が本来の姿(てのが前述の通りよくわからないわけだが)を取り戻す上で役に立つのであれば、「良いこと」だと思うことにしようと思います。

 仏教の影響を受けなかった「神道」の姿を想像しにくいのと同じくらいに、国家神道の影響を受けなかった「神道」の姿も、想像しにくい。だけどまあ、それはいずれも、神道にとって「乗り越えていかなくちゃいけない歴史」なんだろうと思う。
 いまだ残る国家神道の亡霊をなんとか払拭して、神道が生まれ変わる日が来ることを、おれは祈りたいなあ。まあ、それはおれが生きている間に実現するようななまやさしいものではなく、たぶんまたずいぶんと時間を必要とするのだろうという諦観とともに。

   *

 おまけ。可能ならば独立した書評を書きたいのだが、たぶんそんな余裕はないだろうと思うので、おまけとして言及し紹介しておきます。

海老沢泰久
青い空〈上巻〉
海老沢泰久
青い空(下巻)

 いやあ。海老沢泰久。佐々木譲と並ぶおれの好きな作家だったんですが、最近新刊を見ないなあと思っていたら、死んでたんですね(=^_^;=)。2009年8月13日に十二指腸癌で死去。そら新作が出てこないわけです。

 もともと注目したのは『F1地上の夢』がきっかけ。その後、おれが全く興味を持たない世界であるプロ野球を舞台とした小説『監督』で「興味がない世界のことをこれだけ読ませてしまう作家って何なんだ」と驚かされ、同じくほとんど興味がない分野であった料理に関しても『美味礼讃』できっちり読まされてしまい、なにはともあれすごいなあと思っていたんでした。

 その海老沢泰久が末期にいろいろ書いていたのが「歴史小説」という分野。『青い空』の他に、連作短編で『追っかけ屋 愛蔵』や『無用庵隠居修行』などがあります(個人的には『追っかけ屋 愛蔵』の方が気にいっている。『無用庵隠居修業』は、なんかピンとこなかった)。まあ、著者が死んでしまったということもあってもう実現することはないだろうと思うのですが、『追っかけ屋 愛蔵』は連続ドラマで見たかったなあ、なんて思ったりするくらい。

 で、『青い空』。
 この作品は、「類族」とされる者、つまり摘発されたキリシタンの末裔である主人公が、幕末と明治維新の時期を生き抜いていくという物語です。江戸幕府の仏教優遇策から明治政府の神道優遇策への切り替わりを、類族という、仏教からも神道からも一歩離れたポジションから眺めるという図式になっている。物語として面白かったというだけではなく、その視点の斬新さがなかなかのものでした。
 この中に、明治時代に向けて神道の復権を夢見る若い神主が出てきます。この神主は、明治政府の重鎮にいいように利用され、そして物語の途中で何者かに殺されてしまうのですが、彼はおれが思うところの「明治政府に歪められる前の神道」の象徴のように感じられます。
 ご興味があれば、幕末や明治維新、そして神道と国家神道というこのあたりの要素の関連本として、ぜひご一読いただければと思います。  続きを読む

2011年12月18日

本>『百姓から見た戦国大名』黒田基樹

 久々の書評シリーズ2。
 一発目に書いたことですが、この書評、どうせ長くなるし、興味がないひとには徹底して興味がないネタになろうかとも思うし、このWeblogの客層的にはどうなのかなあとも思います。なので「自分向けじゃないな」と思ったひとはさくさく飛ばしてしまうことをお勧めします。場違いなものをまきちらかしてすまん(=^_^;=)。



 二発目は『百姓から見た戦国大名』黒田基樹。これは褒めます。


百姓から見た戦国大名』黒田基樹
 ちくま新書618
 ISBN4-480-06313-7 C0221
 2006年9月10日初版初刷

 日本史見直しの系列に属する本だと思います。なんだかんだ言いつつおれも網野善彦の影響を大きく受けてるなあ(苦笑)。で、いろいろな意味で面白かった。いろいろな意味とか言ってても話が拡散するだけだな、ざっくり今回書こうと思っている点をまとめると、「統治に関する意思決定システムの変遷」あたりになるでしょうか。

   *

 まずは、前回の『民主主義とは何なのか』から引き続きってことになる社会契約論をめぐる論点。

 旧来の日本史では、前近代の日本では大衆は虐げられており、主体的な存在ではなく、領主・大名などに隷属している存在ということになっていました。ところが「必ずしもそんなことはなかったみたいだぞ」っていうか、もっとはっきりと「それはぜんぜん違うぞ」っていうのが、最近の日本史見直しにおける流れ。
 かいつまんで箇条書きにまとめると以下のような感じになるだろうか。

中世の日本には「惣村」などと呼ばれる小規模の統治システム、集落単位での意思決定システムがあり、それはけっこう中世を通じて一貫して確立され機能していた。特に鎌倉時代後期(13世紀くらいか)から江戸時代以前(16世紀くらいまでか)の時期には、「惣村」は社会システムの上できわめて重要な存在であった。
「惣村」は、領主や大名などの上層権力と、原則として対等の関係にあり、相互の関係は契約によって規定されていた。惣村は上層権力に隷属する存在だったわけではなく、惣村側が契約先の上層権力を選んだり納得がいかなければ一揆や逃散などの抵抗をしたりということもあり、なかなかにしたたかで独立性のある存在であった。

 この「惣村」は、単なる集落としての「村」とは微妙に意味あいが異なります。簡単に説明するなら、「意思決定システムをそなえた主体的な村・集落」というあたりになるだろうか。
 中世の頃には生きていくことだけでもたいへんだったわけで、生存しようという目的を共有する地域住民によって地縁・血縁などを基礎として作られた機能集団が「惣村」であった、ということになります。一般の農民などは「惣村」を離れて生きていくことはできなかったから、「惣村」は生存の立脚点でもあった。

 なお、「惣村」の掟はまあそれぞれの惣村で決まっていたわけですが、多くが「入札(いれふだ)」と呼ばれる投票制民主主義に基づいて運営されていたということは、記憶にとどめておくべきでしょう。
 まあ「村のエラいひと」がある程度は固定されていたのも事実であり代々の庄屋・名主・肝煎とかいたしそれらは世襲制とも解することは可能ですが(まあでもそれは現代の民主主義体制度でも同じようなもんだと思うが(=^_^;=))、それが当然のことだとされていたわけではない。村としての行動の決定や中核メンバーの人選など、構成員の投票によってあらわされた意思に基づいて惣村としての意思決定が行われるというのは珍しいことではなかった。これは平等な投票権を保障するといったシステムではなかったなどの違いはあり近代的な意味あいにおける「投票による民主主義」と並行するものとして扱うのも乱暴ではありますが、「日本において、投票による民主主義は、それなりに定着し尊重されてきた風習であった」ということもまた否定はできないものと思われます。

 さて。
 なんせこの時代、生きていくだけでも大変だったわけです。ところで、生きていくためには「生産」という手段のほかに「掠奪」という手段があった。「生産」してその範囲で食っていくというのはまあ生業としてまっとうなものではありますが、「掠奪」したって食ってはいけるわけで(ここらへん、本書では「第一章 飢餓と戦争の時代」で扱っています)。で、惣村は、隣の惣村とかと、なにかというと戦っていたわけでございます(ここらへんは、本書では「第二章 村の仕組みと戦争」で扱われています)。
 いやあ、日本史における中世の戦いっつーと「大名同士が領土争いでやるものである」という印象をお持ちの方が多いんではないかと思うわけですが(おれはそれ以前にイメージそのものを持っていなかった。日本史には全く興味がないし、世界史選択だったりしたしで、日本史についてはそもそも一般教養すらなかった(=^_^;=))、どうもそれは、見直された現在の日本史の観点からは「根本から間違ったイメージ」となってしまっているらしかった。
 第一に、「戦いというのは、大名などの武装集団の専売特許ではなかった。末端の惣村あたりも、きっちり武装しており、主体的かつ積極的に、しかも日常的に、戦っていた」ということ。
 第二に、「戦いというのは、領地を争うものと限ったものではなく、農作物・人材などの掠奪もまた重要な目的であった」ということ。
 いやあなんていうの。同じ頃にはるか離れたヨーロッパの地でトマス・ホッブズというひとがなんか言ってたわけです。「自然な状態では、人間同士は、闘争的な対立関係となる。欲があるから、自然にそうなる」とかなんとか。ま、「惣村の戦い」は、そこから一歩抜けて「個人レベルでの戦い」が「集団レベルの戦い」に進化した形態だったわけですけれども。
 で、戦いですから、勝たなければなりません。そこで、「合力」という制度が生み出される。これは惣村同士が連合体を組み、どこかの惣村が対立する総村から攻撃を受けた場合に、合力を約していた惣村は助っ人として参戦するという制度です。かくして戦いは、個人同士の戦いから惣村同士の戦いへと進歩し、惣村同士の戦いから惣村連合同士の戦いへと規模を拡大し、更に大規模なものへと発展していくことになる。どこまでが助力の対象となるかもどんどん広がっていく。結果として、それなりの既存権力であった大名がひっぱり出されたり、アジールとして確立されていた武装寺社勢力がひっぱり出されたりすることになる。こうなってくると、「惣村の戦い」と「大名の戦い」は、もう区別がつかなくなっていくわけです。

 ところで。
 いちおうまあ時代は中世ですから、惣村にもそれぞれ「領主」というのがいたりするわけです。惣村は、当然のこととして、領主にも、合力を持ちかける。ところがまあ、領主というのは一帯を仕切っていたりするわけですから、対立する複数の惣村から合力を依頼されたりすることもある。だからといってそこで領主側が合力を断ったりすると、惣村側からすれば「非協力的な、年貢などを納めてもメリットがない、ダメな領主」ということになるわけで、支持を失ったり、極端な場合には別の領主に乗り換えられてしまったりすることになる。だから、領主としても惣村どうしの戦いというのは悩みのタネになっていった。
 また、当時の戦いでは、やり返されることを防ぐために相手方の戦力を低下させようということで生産手段の破壊というのもけっこう重要視されており、目先の掠奪のほかに、建物の破壊や未だ収穫には至らない段階の農地の破壊、労働力ともなる人間の誘拐と奴隷化なども並行して行われました。そういうのは地域の生産力を下げますから、領主としても歓迎できることではない(大胆に時代は下がりますが、第二次世界大戦における大東亜共栄圏構想の挫折は、この戦国時代にかたちづくられた日本的な戦略思想を日中戦争に持ち込んで掠奪と生産手段の破壊を派手にやらかしたことが反発をあおってしまったからではないか、という説もあったりしますね。けっこう納得がいく説だと、おれは思っている)。
 そこで、惣村と惣村が対立した際には、それぞれの惣村からしてみれば第三者である領主が、第三者という地位を武器に「仲裁」にはいるようになっていった。
 この「仲裁」は、惣村からしてみれば、「戦う権利の剥奪」につながるものでもありました。惣村が自らの意思として戦うことを決めたとしても、上層権力がその決議を否定してしまうのだからな。しかしまあ、世の中の流れは止めようもなく「戦うことの抑制」が広がっていく。このようにして、中世の日本にも、トマス・ホッブズが言っていた「相互に自分の権利を差し出すことによって実現される平和」、つまり社会契約論みたいな流れが生じてくる。ま、この段階では、「入札による意思決定」は広域化せず、第三者たる領主・大名などが意思決定をするようになっていくため、「独裁的な封建的体制が確立された」というように説明されることが多いんですが、違う側面から見てみれば「戦う権利の相互放棄と、それによってもたらされる平和の実現であった」と説明することもできる図式だったというわけだ。刀狩りなんかも、別の要素(たとえばアジールとして確立されていた武装寺社勢力の武装解除という目的など)もあったにせよ、この「戦う権利の否定」という要素もまた大きかったことは、たぶん間違いない。

 んでもってまあ、こういう「戦う権利を否定する権力の広域化」が行き着くところまで行ったのが「全国統一」ってやつで、豊臣秀吉によって実現され、徳川家康によって安定政権となり、徳川家による全国支配が続いたとされる江戸時代の間は「日本全国から(基本的には)戦いがない状態が実現する」ことになったわけ。
 なんかこう、おれが漠然と抱いていた戦国時代の姿とかとは、ぜんぜん違うんすよね。戦国大名というのは対外的には確かに戦う存在ではあったが、国内的には戦いを抑止する存在でもあったと。
 ただ、あの時代に「ひたすら戦うことが商売だった専従の武装集団がそれなりの数存在し維持されており、それらが民衆とは無縁のところで、国取り合戦をやっていた」ということは実は考えにくいんです。そんな余力がいったい社会のどこにあったというのだ(=^_^;=)。「生産者兼武装集団である民衆がそれぞれわりと勝手気ままに戦っており、それがボトムアップされた結果として国取り合戦に発展した」という方が、物語としても理解しやすい。ああ、そういうことだったんですか、という感じ。そしてそれが行き着くところまで行ったら「戦いが禁じられた社会」ができあがってしまった、と。

 で、かように視点を変えて論理を組み立てなおしてみると、戦国時代から江戸時代への流れというのは、「自らの(戦う・加害する)権利を相互に差し出しあうことによって、自らが攻撃されるような状況を避け、平和な状態を実現した」ものである、ということになる。
 この戦国時代から江戸時代にかけての流れというのは、トマス・ホッブズが提示した社会契約論が、現実の政治機構の中で具現化していく流れである、それも見本のように鮮やかにその流れを示したものである、というように見えてはきませんか。

   *
 
 第二点。「領主や大名などは、独裁者であったのか」という論点。

 明治時代になってからの江戸時代否定、第二次世界大戦の敗戦後におけるそれまでの歴史の全否定、なんてのがありまして、なんかいろいろ日本の歴史についての理解がおかしくなっている感じがするんですよね。
 で、明治政府の主張と、第二次世界大戦敗戦後の日本政府の主張とは、微妙に文脈は違うんだが、いずれも「江戸時代(およびそれ以前)は、武家勢力が、民衆を虐げてきた時代であった」という規定になっているように思われます。「封建的」という表現を「絶対悪」みたいに扱うといった傾向なんかも、その流れによるものだと言っていいでしょう。先ごろテレビドラマとしては終わってしまったようですが、『水戸黄門』なんかもそういう歴史観に基づいて物語が構成されてるわけよね。「権力者による理不尽な圧制が行われている」というのが前提となっており、「そこにさらに上層権力者が登場して問題を解決する」というカタルシスが根幹を成す、と。権力の上下関係というピラミッド構造が明確に存在していることが前提とされている。
 しかし果たして封建領主や大名というのは、独裁権力であったのか。ていうか、独裁権力であったとするならばそれはいったいどういう理由で権力たり得たのか。独裁権力であったと考える理由はあるのか。
 本書からは、そのあたりのことも読み取ることができます。

 これは、事例としては主として「プロローグ 代替わりと『世直し』」の項目で紹介されていることがらであり、その後はそういう権力構造のあり方を当然の前提として書き進められているのですが、要するに「民衆に支持されていなかった領主・大名は、領主・大名であり続けることはできなかった」ということです。つまり、領主・大名の権力は、民衆の支持に裏付けられたものであり、民衆の意思に反する政治を長期にわたって継続することができるような独裁権力ではなかった、ということでもあります。
 代表例として、小田原北条家における氏康から氏政への代替わり(1559年)、甲斐武田家における信虎から信玄への代替わり(1541年)などが挙げられています。これらはいずれも飢饉を背景としたもので(当時としては、飢饉は「為政者の徳が足らないために起きるもの」という発想があり、飢饉が発生したら為政者の人気は落ちた)、人気がない者をトップに据えていると政権の維持が難しくなるため、代替わりをしたのだという分析が加えられています。なお、北条氏康から北条氏政への代替わりは禅譲ですが、武田信虎から武田信玄への代替わりはクーデターによるもので、後者は「ほっといたら武田家による甲斐支配が危うくなる」という武田信玄の強い危機感に基づくものではないか、という推測も述べられています(実際、武田信玄はその後の政策での人気取りに成功したこともあって、甲斐においてはいまだに評価が高いとされる)。
 また、先に述べたことの繰り返しとなりますが、惣村は、上層権力からの理不尽な要求に対しては「契約継続の拒否」「一揆」「逃散」などの抵抗をしたり、可能ならば契約相手を乗り換えるといったこともやっています。ですから、江戸時代のイメージに根強くあるような「大名に隷属する存在」というのはかなり実態からは乖離したものであったようにも思われます。こういった抵抗を招くような不人気な領主・大名は、長期政権の維持はできなかったのではないかと考えられるのです。

 もうひとつ、事例としては、「上杉謙信の出稼ぎ関東侵攻(1560〜1567年)」なんかも、人気取り政策のうちにあげられるかも。本書では「第一章 飢餓と戦争の時代」のうちの「上杉謙信の関東侵攻」で扱われています。
 上杉謙信(長尾影虎)がテリトリーとしていた越後ですが、冬になると雪に閉ざされる場所なわけです。やることがない。そこで、やることがなくなった農民を糾合して、上杉謙信は出稼ぎ侵攻を行っていた、と。まあ当時、関東には北条氏に逆らえる政治権力がなくなっており、北条氏と対立する勢力から上杉に対して支援要請(ま、大規模な合力の要請だわな)を受けていたとはいえ、そんなひとさまの都合だけで兵を出せるほどの余裕があったとは思われません。これは多分に上杉側・越後側の都合があったはずである、と。
 で、要するに、冬の間やることがない農民にとってみても、その期間に関東に侵攻し、掠奪をし、雪のない関東で正月を過ごして、雪が消える頃に越後に帰るという関東侵攻ツアーは、それなりに人気が高い行事だったということなのでしょう。そうでもなけりゃ、んな8回も続けて恒例行事のように「冬にだけ関東に侵攻して掠奪」なんてことが繰り返されたはずはないんで。
 そうか上杉謙信の関東侵攻って「大人気! 出稼ぎ掠奪ツアー」だったのかあ。少なくとも「国取合戦のひとつ」と考えるよりは、はるかにわかりやすいし納得もいくわな。
 同時に「大衆の人気取りに走った政策というのは、しばしば迷惑なものである」という今に通じる真理がそこにも存在した、とか言えるかもしれないわけですが(=^_^;=)。

 で、なんだね。ちょっと強引かなあと思いつつなんだけどね。
 これってば、「投票によらない民主主義」とも呼べるものなのではないか。なにをもって民意の確認とするかっていうあたりがしごく微妙であり、民主主義と呼べるかどうかという点にも疑問はあるのだけれども、でも「民意を基盤として権力が成立していた」と理解することもできそうなわけで。
 まあ、んなことを言ったら、独裁制の政権だって倒れるときは倒れるわけで、「独裁制は民意を基盤として成立する」なんてことも言えるようになっちゃったりするんだけどね(=^_^;=)。

   *

 ここまで書いてきてちょっと不安になったので念のために付け足しておくんですが。

 本書は、おれが書いたような論点をベースとして書かれた本ではないし、このような主張をしている本でもありません。ただ、書かれた内容をある特定の方向から眺めてみると、このように読み解くこともできるのではないか、ということです。前回批評した『民主主義とは何か』のようなはっきりとした主義主張(しかしいまひとつ同意しがたい粗雑な主義主張)と並べてみたとき、本書がもともと考えていたのではないだろう側面が垣間見えてきた、とでも言えばいいんでしょうか。というか、並べて論じることではじめて見えてくるものがあると気づいたのでおれはこんな書評を書こうと思った、ということですが。

   *

 以下、おまけとして書いておこうと思ったこと。
 たぶんね、他にもいろいろ興味深い論点は探せると思うんですよ。この本だけじゃなくて、日本史の見直しの流れって、いろんな意味でエキサイティングで。
 そうねえなんていうかねえ。おれはそういうわけで日本史は忌避して生きてきました。大学受験のときも世界史選択だったし。でも、おぼろげレベルで知っている日本史と、最近の見直しが加えられた日本史は、なんかまったく違うもののようにも見える。そして、見直しが行われた以降の日本史って、けっこう面白いんです。特に、見直し以前と見直し以降の差分が、とても興味深い。
 日本史が嫌いだった方、おいでになろうかと思います。でも最近の日本史って、こんなふうにいろいろと面白い・・・ような気がします。久しぶりに日本史の関連書物とかを、立ち読みとかしてみませんか。気に入ったものがあったら改めてお勉強してみても、楽しいんじゃないかなあ。とか、突然妙な提案をして、この書評を締めようと思います。
 ではまた。  続きを読む

2011年12月16日

本>『民主主義とは何なのか』長谷川三千子

 久々の書評。次に書く『百姓から見た戦国大名』の書評に続きます。この2冊を連携させて批評するってのも乱暴だけどな(=^_^;=)、しかしけっこう深いところに密接に関係するテーマがあったりしたわけよ。書誌情報・目次全文は「続き」に格納してあります。
 なお、どうせ長くなるし、興味がないひとには徹底して興味がないネタになろうかとも思うし、このWeblogの客層的にはどうなのかなあとも思います。なので「自分向けじゃないな」と思ったひとはさくさく飛ばしてしまうことをお勧めします。ちょっといろいろありまして、ここらへんの思想関連のネタも、不十分ながら文書化しておきたい事情ができてきたんすよ。本来なら別のWeblogでも立ち上るとかしてそっちでやるべきなのかもしれないんだけどね。

 では、参ります。



 一発目は、文春新書の『民主主義とは何なのか』長谷川三千子。遠慮会釈なく貶しちゃいます。貶すのってけっこうムズカシくて、一歩間違うとダークサイドフォースに足を取られることになっちゃうんですけどねー、うまくいくんだろうか。


民主主義とは何なのか』長谷川三千子
 文春新書191
 ISBN4-16-660191-1 C0230
 2001年9月20日初版初刷

 いやあ、残念な本だ。全面的にクズ本なわけではなくて、部分的には見るべき部分はあるし興味深い分析もあるんだけど、根本のところがどうもダメっぽい。どうも著者は思想的には右翼傾向を持っているようなのだが、その結果目が曇ったっていうか、ウヨってやっぱダメなのかな、という感じ。ここまでちゃんと調べてお勉強をしているのに、しかしなんだってまた根底のところで道筋を間違ったまま行っちゃうかなあ。

 基本線として、「民主主義」を絶対視することに対して、異議を唱えている本です。もっと厳密に定義すると、「投票による民主主義」が対象ですね。「投票によらない民主主義なんてものがあるのか」というのは、今回はツッコミになんないのでそこんところヨロシク。
 んで、それを至上のもの・当然の前提として扱うことに対する異議申し立て。まあ、投票による民主主義なんてろくなもんじゃありませんから、それは良しとします。ていうか、そこらへんには同意したから買ってきたわけだけどさ。

 ただ、どうも著者の頭の中では、「投票による民主主義は、日本にはもともとは存在せず、欧米から持ち込まれたものである→だから日本にはなじまない」という物語が存在しているようなんですね。「そんなものを持ち込んだがゆえに第二次世界大戦敗戦後の日本は道を間違えたんだ」とか言いたそうであります。基本線、その路線で「投票による民主主義」を批判するという骨組みを作ってしまっている。しかしいくらなんでもそれは違うだろうと、おれは思うわけです。投票による民主主義なんてわりと誰もがすぐに考え付く方法論だし、日本にだって当然あったんだからさ(次回の『百姓から見た戦国大名』で詳説)。
 その先の章では、ギリシャ時代からフランス革命などを経て近代まで、欧米における投票による民主主義に対する分析と批判が展開されます。この部分は、まあそれなりに精緻に組み立てられていると言えるし、読む価値はある・・・と思う。このあたりの分析は、ジョン・ロックに全ての責任があるかどうかというあたりを除いて、おれの分析とさほど食い違わない。まあ、かなり煽りぶっこんでいるのが気になるし、目次を見ればわかる通りで「インチキ」「ペテン師」「プロパガンダ」などの否定的言辞が垂れ流されていることからけっこう感情的に書いているんじゃないかという懸念が禁じ得ないんだけど。
 というわけで、分析部分などには見るべきところがあるのだが、基本骨格のところでコケちゃっているので、おれ的な評価は「残念な本」ってことになるわけ。

 古来の日本には投票による民主主義はなかったのか。いやあ、あったんすよね、それもかなり古い時期から。「投票」「選挙」とは呼ばれておらず「入札(いれふだ)」と呼ばれていたのですが。入札がはじまった時期をおれは知らないんだけれども、戦国時代にはすでに確立された風習となっていた。へたすりゃそこから1000年くらいは遡るのではないか。そして、それは江戸時代も貫いてずーっと惣村の統治機構として存在し続けており、明治時代になだれ込んでいる。
 惣村における「投票による民主主義」がそれだけでは立ち行かなくなった理由あたりは次回の『百姓から見た戦国大名』の書評で触れます。そのあたりは洋の東西を問わずみんな似たような失敗をやってきてるわねー、って感じ。ある意味、相互に関係なんかないままにしかし同じように失敗するというこの普遍性こそが、投票による民主主義が抱える根本的な問題を明らかにする現象であり、その問題点を解析するための手がかりになるんではないかとかおれは思う。なんでそういうおいしい題材がすぐそこにころがっているのに、「日本は違う」とかいうお馬鹿な思い込みで、そこをスルーできちゃうのかがおれにはよくわからない。

 いずれにせよ、「投票による民主主義は、ギリシャ時代から続く欧米固有の思想であり、日本にはなじまない」という立ち位置はおかしい。そこがおかしい以上、今の日本がうまく動いていないとしても、その理由を「むりやり西欧の思想を輸血したせいである」とかいうあたりにこじつけるのは、無駄っていうか、間違いっていうか、徒労というか、そういうものにしかなり得ない。んなこと言うたかてなんら意義ある提案にも提言にもなりゃしませんぜ、ってことになります。

  *

 近世ヨーロッパにおける社会契約論との関係の部分について。
 社会契約論は、「第四章 インチキとごまかしの産物 − 人権」において、民主主義思想の根源とされる人権がどのようなものであったのかについての考察部分で、その理論的支柱をどう受け止めるべきなのかという観点で、言及されています。
 著者は、トマス・ホッブズの社会契約論をジョン・ロックが換骨奪胎したことが、人権概念が異常に肥大化するという結果を導いたとして、ジョン・ロックを激しく非難しているのですが、なんかそれは違うような気がする。

 トマス・ホッブズ(1588〜1679)が『リヴァイアサン(1651)』によって提示した社会契約論の新しい切り口と(あくまでも「新しい切り口」。トマス・ホッブズがはじめて社会契約論を提示したわけではない)、その後に展開された社会契約論を基礎とする国家主権論、国家主権の根底となるものとして位置づけられた人権思想との間には、かなりの乖離があるのは確かだ。本書の指摘通りに「なんか流れがおかしい」とは、おれも思うのである(ただし、トマス・ホッブズ以前の社会契約論も含めて眺めるなら、単に「トマス・ホッブズが異端だった」と位置づけることも可能。その異端のトマス・ホッブズの説が注目すべき新たな視点を提供したものである、という点は見落とせない重要な点なんだけれども)。
 本書では、トマス・ホッブズの思想を換骨奪胎したのはジョン・ロック(1632〜1704)であるとし、そのジョン・ロックが実はペテン師でありインチキをぶちまいて民主主義思想をゆがめたのだ、としています。まあそこらへんについておれはちゃんと裏を取っていないし、その分析が正しいかどうかについての断定的な判断は避けようと思いますが。

 トマス・ホッブズの社会契約論とは、簡単に説明すると、こんな感じになるでしょうか。
 ルールなき状態(これをホッブズは「自然な状態」と考えた)では、人間同士は闘争的な対立関係となる。欲があるから、自然にそうなる。そこでは、たとえば「殺し合い」も当然のこととされる。しかし人間誰しも自分が殺されたくはない。そこで、殺されたくない者同士で、「わたしはあなたを殺さない。そのかわり、あなたもわたしを殺さない」と相互に約束(双務的な契約)をする。つまり、「自分が相手を殺す権利、あるいは自分が相手を殺すという選択肢」を相互に放棄しあうことで、闘争的関係を終わらせることができる。それが「社会契約(Social Contract)」である。社会のルールは、この「社会契約」によって正当化される。
 それまでは、社会のルールは「神」などの人間社会にとって外的な存在によってしか正当化され得なかったが、この「ホッブズの社会契約論という思想」は、社会のルールの力の根源を人間界の中に持ち込み、社会を人間界の中で完結させることができるようにしたという点で画期的でした。

 ホッブズ以前にも社会契約論というのは存在していました(本書は、ホッブズ以前の社会契約論の流れには、ほとんど触れていない。天賦人権説にはちょっとだけ触れているけれども)。『戦争と平和の法(1625)』で有名なグロティウス(1583〜1645)あたりも社会契約論に言及していたらしいな。おれはグロティウスのそういう側面をほとんど知らなかったが。
 ホッブズ以前の社会契約論に共通することは、「自然な状態では、人間は自由で平等であり幸せであった」という原始共産制みたいな感覚で自然な状態を規定していたことだったらしい(おれはそこんところに、旧約聖書の「エデンの園」につながるような、ユダヤ教以来の宗教感覚があるように感じたりするのだけれども)。「自然な状態は、闘争状態であった」とするホッブズの社会契約論は、そのユートピア的前提を崩したところに意味がある。トマス・ホッブズの思想の特徴でありいちばん輝かしいところは、この自然状態の定義の部分であり、そこを高く評価していることについて、著者は正しい。ただ、その後のところがなぁ。
 社会契約論という大枠の流れの中ではトマス・ホッブズの後継世代であるジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソー(1712〜1778)は、当初の自然な状態を「闘争状態」ではなく「自由で平等で平和な状態」と規定しており(つまり「先祖返り」してしまっており)、従って「自らの権利をみんなが少しづつ差し出すこと」を社会契約であるとは位置づけていません。そこんところを、著者は「ジョン・ロックというペテン師がインチキをやった」と述べている。
 しかしなー。トマス・ホッブズの位置づけが難しくなるという問題はあるんだけど、ジョン・ロックはトマス・ホッブズの後継者なのではなくて古典的社会契約論系の思想の後継者であると規定するならば、「ジョン・ロックは、異端的社会契約論のトマス・ホッブズの思想をつまみ食いして、自分の主張に取り入れた程度である」と考えることもできる。ていうか、その方が適切なんじゃないんだろうか。そう考えた場合、ジョン・ロックは、「それまでの主流だった社会契約論に則って思想を組み立てただけであり、トマス・ホッブズの思想を換骨奪胎したペテン師でインチキヤローである、とまで言うのは言いがかり」ってことになるような気がする。まあ、「少なくとも、トマス・ホッブズの説のすごさがわからなかった程度には、ジョン・ロックというやつは、鈍感なやつだった」ということくらいは言ってもいいかもしれないけれども。
 ていうか、社会契約論に基づく国家主権の正当化や、大幅にダイジェストした場合の国家権力の根源としての人権思想を批判する際に、それらの間違いの責任をジョン・ロックに集約しようとするのは、ちぃっと乱暴だと思うんだよなあ。トマス・ホッブズの思想についていけなかったその世代の愚鈍な知識人たちが集団的に間違えたのである、とした方が正しいんじゃないんだろうか。

 ついでなのだが、トマス・ホッブズは別に特にクローズアップして言及してはいなかったと思うんだが、「人権」なるもの。
 この「人権」というのは、もともと誰もが持っているものとかではなく、至上のものでも当然の前提となるものでもなくて、この社会契約に基づく「他者に尊重される部分」のことなんだと、おれは理解している。「基本的人権」という概念は、いちいちその先まで遡って確認するのもめんどくさいから「公理」としておきましょう、という議論打ち切り基準という意味合いが強いんではなかろうか。
 ま、「公理」ですからその命題が正しいかどうかは別問題なんですが、「公理=正しいからそれ以上考える必要がないこと」と理解するという誤解は根強い。ただ、誤解は根強いのだが、それは「公理概念」に関する誤解なのであって、「人権概念」に特別に誤解が生じているわけではないだろうとも思う。なにはともあれ「人権は最大限に尊重すべきもの」みたいに教えてしまう現在の教育にももちろん問題はあって、それが公理概念としての「人権」を更なる誤解に導いているということは言えるんだけどね。

 いやあ。社会契約論についておれが悩んだポイントは過去に2つほどあって。
 ひとつは、犯罪者の位置づけという法哲学的論点。犯罪というのは、特に殺人などの自然的犯罪というのは、社会契約に反する行いであるがゆえに処罰が可能であると構成されるものなのだが、じゃあいったいいつどこで処罰の客体となる者が社会契約を結んだことにすればいいのかというのが、よくわからない。人間の始期の段階で自然に契約を結んだことが擬制される、とかってのはちぃっと乱暴だろう(=^_^;=)。というか、相互非殺人などの社会契約をそもそも締結していないと主張された場合、その殺人者をどういう根拠で処罰できるんだろうか、という論点。
 もうひとつは、人間外の存在と人権とのかねあいという論点。たとえば希少な猛獣と人間との摩擦が生じた場合に、どこまで人命(つまり、基本的人権のひとつである生存権)を尊重すればいいのかという論点。相手が人間であり社会契約を前提とできるのならば、その社会契約に基づいて善悪を判断できる。しかし相手が人間ではなく、明らかに社会契約を結んでいない場合、そこに「人権」という視点を持ち込むことに意味はあるのか。これは自然保護訴訟など必ずしも人間の利害のみでは完結しない対立についてどのようにして法的枠組みに取り込んでいくかというあたりで、争点となってくる場合があります(「人命のためならば何をやっても許される」といった極端な考え方は、しばしば人間界の枠を越えてはみ出してしまい、人間以外の存在に迷惑を及ぼすということです。「人命」を「幸福追求権」などの他の人権にまで拡張すると、その問題点はさらに顕著なものとなる)。
 いずれにせよ、社会契約・国家主権・人権のいずれもが「人間界の中のローカルルールである」というあたりの基本をふまえておけば、さほど深刻な対立要因とはならないような気がしているんですけどね。「人間界にとってはとても重要ではある。しかしたかが人間界のローカルルールなのであり、人間界のローカルルールにすぎない」という二面性を過不足なく理解しておけば済む話なんである、と。
 前半のさらに一部、「とても重要」だけが一人歩きしているような状況はあって、それは間違っているのだけれども、ただ本書のように「それは重要なものではない」と一方的に主張されても、それはそれで違うんじゃないかという気がする。「たかが、されど」みたいなもんだね。

  *

 もうひとつ、投票による民主主義の制度としての評価について。

 こういうものに絶対評価がなじむのかどうかよくわかりませんが、「投票による民主主義」を絶対評価するとしたら、まあ「ろくな制度じゃない」というのが正当な評価だろうと、おれも思います。「投票による民主主義」が唯一絶対の正しい方法論であるかのように扱われている気配があるんだが、それは明らかに間違っている。投票による民主主義が失敗した事例なんてのはいくらでもある。ワイマール共和国が投票による民主主義によって崩壊しナチス政権が誕生したことを「投票による民主主義の失敗」と位置づけることは可能だろうし、20世紀末から21世紀にかけて極東の日本という国で投票による民主主義のせいで政治がぐちゃぐちゃに混迷したという事例を「投票による民主主義の失敗」のリアルな事例として取り上げることも可能だろう。ギリシャ時代から現代に至るまで、「投票による民主主義の失敗」の事例は、山積みになっている。
 問題なのは、相対評価をしたときにどうなるかってことの方だね。

 投票による民主主義以外の統治制度としては、とりあえず「絶対王政」ってやつがあります。類似品だが「独裁制」や「神権政治」なんてのもある。いまのところ明確な定義はないが、というか具体的な制度提案はないが、「投票によらない民主主義」てのもあるかもしれない。
 それらのうちのどれかが「投票による民主主義」よりもましな制度であるのなら、さっさと「投票による民主主義」なんか捨ててそのよりましな制度に乗り換えるのが吉というものだろう。
 問題なのは、「絶対王政」にせよ「独裁制」にせよ「神権政治」にせよ、それらはそれらでけっこうな数の失敗の事例を積み重ねて来ているということだ。
 うまくころがれば「投票による民主主義」だってそれなりに機能することがあるだろうし、現代思想では極悪なもののように受け止められている「独裁制」だって良い独裁者を得られれば悪いものじゃないだろう。だからといって、うまくいった事例があることを理由として、特定の制度を持ち上げることが正しいようには思えない。
 なんていうかこう、すべての制度は、同じくらいに「ろくな制度じゃない」ということを前提とした上で考えるべきであるのだが、ろくな選択肢はないんだけれどもしかしわれわれは、それらの「いずれも等しくろくなもんじゃない制度」からどれかを選ばなければならないという、そういう状態に置かれているのだ。救いがないかもしれませんが、でもどうせ救いがないのなら、それを真正面から認めておいた方が気が楽だ。

 その中で「投票による民主主義」は、「失敗は、特定の誰かのせいで起きたものではなく、自分らひとりひとりの責任で起きたのだ」ということを引き受けさせるという観点からは、それなりに有効なのではないだろうかと、おれは思ってます。まあ、「失敗したのは政治家のせい」とか言ってしまって自分の責任を認めない有権者とかってのも多数いるわけだから、そういう意味では「投票による民主主義が有権者に当然に求める責任」てのも形骸化しているのかもしれませんが。
 制度としての「投票による民主主義」なんてものは、要するに制度でしかなく、道具でしかないわけです。まあ確かに、百円ショップで売っている工具のように「出来の悪い道具」ってのはあるわけだしスナップオンの工具のように「すばらしい出来の道具」てのもあるわけだが、しかし道具は道具なんで、うまくいかない理由を道具のせいにしてもはじまらないんじゃないんだろうか。
 「投票による民主主義」という道具は、至上の価値を持つ絶対の道具なわけではない。それは確認しておかなくちゃいけないし、あたかも至上の価値を持つ絶対の道具ででもあるかのように教育されてしまうという現状はオカシイとおれは思う。ただ、使い方によっては有益にもなる道具なんであって、否定してどうなるってものでもない。
 著者は、結語の章で「(投票による)民主主義とは『人間に理性を使わせないシステム』である」と述べているし、実際そういう側面はあるだろうと思う(そしてなぜか、その後突然、著者は聖徳太子による「十七条憲法」を持ち出してくるのだが)。しかし人間に理性を使わせるのってたいへんにむずかしいことなのであって、それはどの道具を選ぶかによって解決できるような楽な問題ではないのではないんだろうか。
 そんなこんなで、「本書は、なんか問題の所在を決定的に見誤っているのではなかろうか」という残念な読後感につながっていったのでありました。

   *

 腰巻のフレーズは編集者がつけるものであり著者には責任はないと思うんだが、本書の腰巻には「これでもあなたは民主主義を信じますか?」という惹句がつけられています。いやあ、(投票による)民主主義というものは「道具」なのであって、信じたり信じなかったりする対象ではないだろう。この腰巻の惹句こそが、実は本書が道を誤ったことの象徴になっているのではないだろうか、とか最後にイヤミを書いて、この書評を締めようと思います。
 ではまた。  続きを読む

2011年12月14日

お散歩>ゆめみ野駅。関東鉄道常総線コンプリート再び。

 近場ってこともあってわりと早い時期に全駅コンプリートを達成していたはずの関東鉄道常総線。ところが、そのコンプリートが破られていたのですなあ。ま、早い話が新規開業駅がある、というだけの話なんですけど。
 正直、新興住宅地の駅でありたいして興味も持てず先送りにしていたわけですが、E655の迎撃をしてそれだけで帰るのももったいないってことで、途中下車して撮ってくることにしました。というわけで関東鉄道常総線コンプリート再び。

 場所は、新取手駅と稲戸井駅の間。駅間距離はわりと短くて、わざわざ駅を作る意味あんのかっていう気がしなくもありませんが、不動産開発とのからみなんでしょうね。で、こじんまりとした新駅ができていました。
 

s3p71695 - 2011/12/10 11:52
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
駅舎と駅前広場。道路取手側(東側)からの全景。
逆側(南西側)にはR294が並行していますが、そちら側には出入口はありません。まあ出入口を作れるほどのスペースがない、って感じですけど。
A面になるのであろうこちら側(北東側)は、まだ未整備な状態です。
s3p71704 - 2011/12/10 11:53
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
駅前広場。
 
 いっきなし否定的な話で申し訳ないって感じですが。いやあ、新駅の例に漏れずここにも駅前モニュメントがあったんですけど、ここのはちょっとひどかったなぁ。

 周辺の住宅整備事業の起工にあわせ早くも1996年には発注していたものだそうです。作者は東京芸大名誉教授の望月積氏で、設置者は独立行政法人・都市再生機構。説明看板からではタイトルがわかりませんが、「花・鳥・風・雲」てのがタイトルなんでしょうか。
 おれ、この作家のひとがどういう傾向の彫刻家なのか知らないし、「おまえにはこの作品の価値がわからないんだ」と言われたら「はいそーですか(別にわかりたくもねーし)」みたいな感じなんですけど。いやあ、ネタとして提示されたものを適当に具象化して組み合わせただけ、正直おれには幼稚園児の落書き程度のものに見えてます。ていうか、それ以上のものには見えません。
 もともとおれは駅前モニュメントには冷たいんだけど、その理由として、「意欲が突出した結果、風景を壊してしまっている」ようなものが多いと感じるというのがあります。つまり、風景にとって邪魔、そんなものに金をかけるな、と。ところがこれは逆で、「あまりに投げやりなものだからそこに置いておく意味が見出せない系」とでも申しますか。まあ、そんなものに金をかけるな、という結論は変わらないのですが。
 

s3p71689 - 2011/12/10 11:51
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
駅前モニュメントと解説板。
s3p71692 - 2011/12/10 11:51
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
駅前モニュメントのクローズアップ。ね、ちょっとこれは、作品としても、ひどくありません?
 
 駅前モニュメントもなあ、百歩譲って「若手彫刻家の育成のためのバラマキ」みたいなことならまだしも多少は意味が見出せなくもないと思うんです。でも今回のはそれにはあてはまらないしなあ。かといって、説明を読む限りでは地元との関連があるとかいう話もなさそうだし。
 もうさ、こういうのやめにしましょうや、とか改めて思いました。「原則として、駅前モニュメントは、いらない。設置をするとしてもそれは例外的なものであり、特別になんらかの必要性が主張された場合にのみ、その都度検討する」くらいの扱いでいいんじゃないんだろうか。

 で、ゆめみ野駅。まあ新規開業駅ですから、(駅前モニュメント以外は)必要最低限のものがコンパクトにまとまっているという感じです。
 駅はやや段差のある場所に位置しており、ホームは上層に、駅舎などは下層に、という配置。駅舎をはいると地下レベルで、そこから階段orエレベータであがるとホーム。
 

s3p71698 - 2011/12/10 11:53
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
駅舎。道路取手側。
s3p71683 - 2011/12/10 11:50
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
出札窓口。日中時間帯は駅員は不在のようです。
s3p71680 - 2011/12/10 11:50
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
改札口。奥には、左右に階段、正面にエレベータ。
 
 上層のホーム部分。
 
s3p71644 - 2011/12/10 11:43
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
取手端から取手方面を望む。
s3p71640 - 2011/12/10 11:43
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
取手端から下館方面を望む。
s3p71653 - 2011/12/10 11:45
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
駅名標。
s3p71656 - 2011/12/10 11:46
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
地下道行き階段。
s3p71658 - 2011/12/10 11:46
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
地下道行きエレベータ。
s3p71668 - 2011/12/10 11:47
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
下館側ホーム端から取手方面を望む。
s3p71665 - 2011/12/10 11:47
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
下館方面を望む。
 
 とまあそういうわけで、関東鉄道常総線はふたたび全駅網羅に戻りました。ってまだ更新していないけど。

 おまけ。ゆめみ野駅ラッチ外待合室に貼られていたパーク&ライド駐車場のポスター2種。
 今回の増設で、パーク&ライド用駐車場として整備されているのは、以下の台数分となったようです。ポスターに掲出日などのデータが見当たらず増設日がわからないので資料的にはいまいちですが、まあ常総北線の客も増えてるみたいだし、それなりにつくばエクスプレスの開通とそれに伴う快速列車の運行、およびパーク&ライドの訴求は、軌道に乗ったと見ていいんでしょうかね。そうだったらうれしいなあ。

s3p71686 - 2011/12/10 11:50
関東鉄道 - Kantô (Kanto) Railway - 常総線
ゆめみ野駅
パーク&ライド駐車場のポスター2種。

駅名既設今回増設分
石毛駅50台分 12台分(合計62台分)
宗道駅7台分  
下妻駅69台分18台分(合計87台分)
大宝駅12台分 
騰波ノ江駅 20台分 
黒子駅10台分 
大田郷駅11台分 
下館駅10台分 

  
Posted by 猫が好き♪ at 18:00 │Comments(5)TrackBack(0)
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2011年12月12日

お散歩>お召し列車用編成E655の迎撃に行く。

 えー。お召し列車用編成のE655が団体専用臨時(団臨)で走るっていうんで、迎撃に行ってきました。

 当初は取手〜藤代の間の踏切で撮るつもりでいたんですが、タッチの差で乗るつもりだった列車を取り逃がし、取手駅から歩くと踏切に到着する前にE655に行かれてしまう可能性が出てきまして。しょーがないんで「陽のあたりが微妙なんだよなー」とか普段は考えもしないようなことで悩みつつ(=^_^;=)、藤代駅での駅撮りに変更。

 なんで陽のあたりなんかを気にしたのかっつーと、なんかコレ、露出がえらいむずかしい車輌だという噂は聞いていたせい。しかしどんなふーに露出が難しいのか事前にはよくわかってません。あんましわかろうという意欲もなかったし。んでもまあなんだ、写真の原理から考えても「ダイナミックレンジの上と下との間におさまっていれば後処理でどうにでもなるはず」なわけで、まあそういう姿勢ってのも写真をナメてかかっていると言われたら申し訳ございませんとあやまるしかないんすけど(でも口先だけ。反省はしない)、とりあえずためし撮りをして上と下を見てみる。そういえば藤代駅構内で写真を撮るのってはじめてだなぁ。

nd206996 - 2011/12/10 10:56
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
上りホームの上野側端から上野方面を望む。
 
 で、普通に上も下も、わりと狭いD200のダイナミックレンジにおさまることが確認できたので、露出違いモードは解除して、絞りもシャッタースピードも固定で枚数を稼ぐことに。今回は、通過する一瞬勝負なんで、ダイナミックレンジは広いけれども連写性能に劣る常用機のS3Proは出さない(笑)。
 そうこうしているうちにやってきました。
 
nd207001 - 2011/12/10 10:58
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
団体専用臨時列車(団臨)として運転されたお召し列車用編成E655。先頭はクモロE654-101。
nd207021 - 2011/12/10 10:58
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
同上。
nd207028 - 2011/12/10 10:58
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
同上。
nd207034 - 2011/12/10 10:58
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
同上。
nd207035 - 2011/12/10 10:58
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
団体専用臨時列車(団臨)として運転されたお召し列車用編成E655。末尾はクロE654-101。
nd207037 - 2011/12/10 10:58
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
同上。
nd207046 - 2011/12/10 10:58
JR東日本 - East Japan Railway
常磐線 - 藤代駅(茨城県取手市宮和田)
同上。
 
 はー。そういうことね。
 なんていうかこう、要するに「ぴっかぴっかに磨き上げられているため、反射がきつくて、どう撮ればいいかわからない」っていうシロモノだっていうことらしかった。まあ光りものって撮るのむずかしいし、しかもコレってばでかい上に動いているからどう反射が来るかわかんないし。現実問題、写真を見ても「で、結局何色だったの?」って感じだし(=^_^;=)。
 でもまあ、後処理のせいもあって、なんとなく「こんな感じ」てのはわかるレベルにおさまったんじゃなかろうかと。

 しかしなんだ。今回はお召し車輌を抜いた5輌の短い編成だったせいもあるんだろうか、音は静かだし、艶はあるものの基本線地味な色合いだし、なんかえらい存在感のない列車だなあというのが実感で。
 んで、なんか手はないかとか思ったのよね。で、「君が代のミュージックフォーンを鳴らして走る」とかってのを思いついたんですけど、君が代をミュージックフォーンにヘッドアレンジしてみたらなんか珍走団(暴走族のことです)にしかなんなくてさ(=^_^;=)。いやあ、君が代をミュージックフォーンにアレンジすると珍走団になる(珍走団にしかならない)って、けっこう新鮮な驚きがありました(=^_^;=)。まあ別にお召し列車って存在感をまき散らかして走る必要があるもんでもないし、これはこれでいっか、というあたりがとりあえずの結論。

 さて、と。おれ、基本線としては明治時代以降の天皇がクローズアップされてきた時代には好感を持ってない。天皇制に実用性を求めるなんて粋じゃないでしょ、って感じなわけ。だもんだからお召し列車ってのもどうでもいい感じなんですけど、それはとにかく。いやあ、そんなおれにとってみても、こないだまでのお召し列車ってあったじゃないですか20系客車をベースとしたお召し専用車輌をはさんだ客車編成、しょーじき、あれは理解を絶するしろものだったんすよね。
 お召し列車って「天皇の移動のために使われる列車」という位置づけから、どっちかっつーと「諸外国の元首などのうち鉄ヲタ傾向を持つやつが来日したときに接待用に走らせる列車」という位置づけに変わってきていたではありませんか。そしたらそれなりの車輌でないとあかんという気がしてたわけですよ。それが旧客(旧型客車)であってもそれはいっこうにかまわないんだけど、旧客なら旧客で「贅を尽くした旧客」であるべきだと思うし、編成美とかってのも大事でしょう。ところが旧お召し列車って、骨董品ではあるかもしれないけど、どう考えても美的ではない寄せ集め編成で、「これが日本を代表する国家元首用の専用車輌です」って言われても「・・・しょぼい」としか言いようがない感じでなあ。
 んで新しいお召し列車を作るとかいうから、どう振るのかなあ、というあたりには興味があった。技術立国日本!とか叫びながら未来志向で突っ走るっていう手もあるだろうし、エキゾチックジャパン狙いで伝統芸能系でいくという手もあるだろうし、どういくつもりなのかなーと。雑誌なんかで見た限りでは、この新お召し列車って前者狙いっぽいような気がしてた。
 ところがまあ、案外、後者の要素も強いものだった。そして、それなりにいいバランスでまとめたかな、という感じ。

 とまあ、そんな感想を抱いた、E655の迎撃だったのでございます。

  
Posted by 猫が好き♪ at 19:49 │Comments(4)TrackBack(0)
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