2006年11月30日

紹介>風景:茨城県・下妻

 茨城県下妻市です。
 もともとは下妻藩の城下町。城下町といっても下妻藩は陣屋藩であって城は持っていませんでしたが。えー、徳川家がはいったことがあったり、天領となったり、まあかなり忙しい国だったようです。
 陣屋があったのは駅の北東側あたりらしいのですが(多賀谷城跡公園というのがある。いや、だから城ではなかったとゆーのに)、市街地の中心は駅の西側です。いちおうここらへんの中核都市です。ですがその後、国道294号にバイパスができ、それが下妻市街から2キロほど東に離れたところを通ってしまったんですね。パイパス沿いには巨大なジャスコ(笑)とかもありまして、そっちはそっちで栄えてしまったもんですから、旧市街地はだいぶ厳しい状況に置かれているような気がしますねえ。
 そういや旧294号線は、南から北上してきて下妻市街に達する直前、峯T字路という交叉点で右折、ちょっと行ったところで小野子T字路というところで左折、更に警察署南という交叉点を右折して下館に向かっていたのですね。なんじゃこりゃと思っていたわけですが、そうかこれは枡形(クランク)の跡だったか。ん。しかしふつう枡形というのは城を避けるかたちで切られるのだが、そうじゃなくて陣屋に擦り寄るようになっているのだなあ。いったいなにがどうなっていたんだろう。

 んで下妻です。
 まあなんていうか、地元というにはちょっと遠いんだが、まあまあ近所ではあります。ですが町並みに興味を持ったのはわりと最近なことでございまして、それまでは近所であってもあんまし丁寧に観察なんかしておらんかったわけですなあ。
 そこに降ってわいたのが「下妻物語」。いやま〜なんだ。面白かった。出来は良かったのじゃないだろうかと思います。阿部サダヲを初めて意識した映画だったりもするなあ(気づくのが遅いってか)。
 というわけで、遅ればせながら町並み観察に行ってきたのでありました。つか、気合を入れて撮影にいくほど遠くはなく、かといって散歩圏内でもない。なんか中途半端な場所なんだよなあ(笑)。あ、今だったら東京圏からもつくばエクスプレスと常総快速を使えばわりと近いところですからストラクチャーハンティングにいかがっすかあ。


下妻市街> 栗山公民館 [direct]

 基本的に、駅の西側しか撮ってません。東側とかはまたそのうちに。ではいくつか。

中六興行タクシー
 駅前のタクシー屋さんです。えー、古い木造の建物と、その後建て増しされた一階部分がガレージになっている建物との組み合わせ。

中村屋旅館中屋旅館二本松旅館
 駅前周辺に3件も旅館があるのね。それも、それなりに新しい建物だったりする。

下妻消防団第一分団第二班詰所
 当然ながら望楼としてはすでに現役とは思われませんし、ネットかかってますからだいぶ痛んでるんだとも思うのですが、望楼小屋つきの立派な火の見櫓があります。

栗山公民館
 由来は調べていませんが、以前は役所だったとか言われても不思議はないですね。そんな規模だし。擬洋風とかの「気合い入れて作りましたっ」つう建築もいいものですが、こういうさりげないやつも悪くないです。どっちかというと、こういうやつの方が保存とかされず失われてしまいがちなので記録を取る上では重要、かもしれません。

ヤマカ洋品店
 看板建築・・・からはちょっと様式がはずれてる感じの建物。装飾性が少なく、また二階窓回りあたりの処理が、なんかしら看板建築っぽくない感じをかもし出しているわけですが。でも住居としては無意味に平面をぶったてるよりこういう方が使い勝手はよさげだよなあ。

外山書店ピザコーン
 蔵作りです。前者は由緒正しい蔵作り、後者は本体はなまこ壁の蔵作りなんですが表側を改造しています。

東口
 タクシー屋とパチンコ屋があります。右奥に見える木立がたぶん城跡公園でしょう。

 まあそういうわけで、まだ町並み探訪のセオリーをつかむ前の訪問なもので撮り落とし蛾ずいぶんあるよーな、あるよーな、気がします。ここらへんもなんだね、古くからそれなりに栄えてきたエリアだったりするんで、下館とかもひっくるめて改めて巡回してみても面白そうではあります。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:12 │Comments(7)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月29日

紹介>商店建築(一般)

 えー「苦しまぎれのカテゴリー」シリーズ、そのいくつだろう、商店一般です。いやあ、そんなもんをシリーズ化するつもりはないのだが、あっちにもこっちにもすっきり分けられないものが出てきてしまうのだよなあ。だからってそういうものを「典型的ではない」つうて切り捨てると、絶対に風景の記録の中で重要なものが欠落していくんだ。

 商店関連では、かなりいろいろカテゴリがあります。古日本家屋出桁造り看板建築集合型洋館土蔵ビルディングなどなど。ま、集合型のカテゴリなんかもうほとんど死んでるけどな(=^_^;=)。

 んで、「商店(一般)」というのは一般というかなんというか、早い話が「他のカテゴリにはあてはまらないもの」です。具体的にはなんだ、「比較的最近の作りの建築」「様式をクロスオーバーしてしまった建築」「様式とかは考えずにテキトーに建てられた建築」「いちおう様式はあるんだけども発見事例数が多くはなくて独立させるのは辛い建築」あたりになるでしょうか。まあ、そういうあいまいなカテゴリなもんで、かなり振れがあるというか、他カテゴリに入れる気になりゃ充分入れられますみたいなものもまざってますけどね。
 ただなんだね。そこらへんで見かける商店の中でいちばん多いのがここらへんじゃないかと思ったりもして。なんだかんだ現状7分割、しかも更に増えつつありますみたいな。ごった煮カテゴリなんであまり興味をそそらないものも少なからずありますが、面白いもんもそこそこあります。ほんとごった煮闇鍋みたいになっているな。
 具体的にどうすりゃいいのか考えてませんが、「昭和後期風モルタル塗り建築」とかいうカテゴリを作ればそこにぶちこめるものがかなりあるかもしれない。改めてちょっと考えてみましょう。ついでに「昭和末期以降新建材貼り建築」なんてのも作っておくと今後便利かもしれない(おい)。


商店(一般)> 足利市の城郭風商店 [direct]

 数が多すぎるんでねえ、ピックアップするのも難しいんだけどなあ。まあ、惰性で(=^_^;=)いくつか紹介しておきましょうか。

宮城県若柳町(業種不明)
 モルタル塗りの商店です。構造は見るからに木造軸組みですから「古日本建築系」に入れてもいいかもしれません。

福島県安達町(ファミリーマート)
 たぶんまぁ地域的な差はあんましないんでしょう。でもこれ、年代的な差は、これからけっこう出てくるぜえ。あんまし熱意がわかない被写体なんですが、やっぱ撮っておきませんと。おれは面白いと思わないんだが、レイアウト用のキットとかも出てたりするしなあ(笑)。

福島県原町市(酒屋)
 えー。看板建築の部類なのかなあ。構造は片流れの看板建築だと思うんですが、外見がどう見ても看板建築に見えんのです。構造は木造軸組みだと思うんですが。

群馬県沼田市(電機店)
 昭和30年代あたりの建築でしょうか。構造としては木造軸組みですが、古建築ではないだろうと思うわけで、商店一般送りとなりました。

群馬県安中市(医院)
 病院です。病院なんですが、いわゆるところの病院建築ではないよなあ、と。部分的にはかなり凝った作りも見られたりします。

栃木県大平町(業種不明)
 新興住宅地の計画立地された規格型商店なんかにありそうな建築です。

茨城県鉾田町(ボウリング場)
 ボウリング場です。建築様式というのがあるのかなぁ。まあ構造としては柱のない広い空間ですから、工場なんかと同じですわね。元ボウリング場なんてのも撮ってまわって分類すると面白いのかもしれません。

茨城県土浦市とか千葉県木更津市とか(ガソリンスタンド)
 ガソリンスタンドも猛烈な勢いで様式が変わってるもののひとつなんですよねえ。前者は、これは廃墟ですが、こういう地上据え置き型の給油機も、見かけなくなってきてますでしょ。後者は現役なのだが屋根がないのだぜ。これで給油機のスタイルがもうちょっと古ければ・・・(って、おい)。

茨城県龍ヶ崎市(飲み屋)
 看板建築に分類しておいてもよさげだけどな〜。皮を向いてみたら古建築だったりしてな(=^_^;=)。デコレーションがあとから加えられた建物ってほんっとカテゴリがわかんないんだわ。

埼玉県春日部市(ほか弁)
 昭和後期の建築ですわね。

埼玉県川越市(呉服屋?)
 これ、悩んだんですよねえ。景観保存地区の建物で、外見は古建築ないし出桁造りに分類すべきものです。んが、たぶん構造は全然違います。悩んだ末、とりあえず一般にぶちこんであります。

埼玉県飯能市(バーミヤン)とか埼玉県戸田市(安楽亭)とか
 ファミレス。これもまあ、コンビニ同様に経過観察が必要なシリーズということで。

 えーと、まだまだいっぱいあるんですが、どれを紹介していけばいいのかわかんなくなってきたので、今日のところはこのへんで。
 しっかしなんだな、ほんと建物って、施主と棟梁の数だけヴァリエーションがありやがるなあ。あたりまえの話だけどさ。  
Posted by 猫が好き♪ at 01:00 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月28日

銚子電鉄の続報・濡れ煎餅の発送遅れとか

 銚子電鉄がらみの続報です。

 まず経緯の確認。
 2006年11月16日でしたか、公式ページに「電車運行維持のためぬれ煎餅を買ってください!!」という緊急アピールが掲載されたのが発端。このなりふりかまわぬアピールに、まずにちゃんねるやらweblogやらが反応。続いてマスメディアが取り上げて話題は全国区へ。
 その結果、これまで一日せいぜい数件(ま、1桁)くらいだったぬれ煎餅の通販申し込みが激増。なんか現時点(2006年11月28日)で10000件を突破する勢いとなっています。
 とりあえず売れ行きは伸びているので、検査期限切れで休車に追い込まれ、仲之町車庫から笠上黒生駅の側線に移動させられていたデハ701の車両検査には着手できたとのこと

 ただ、問題は山積み。

 まず、さらに年度内に3輌が検査切れを迎えるので、その分の資金調達をしなければなりません。
 それから、この窮状に輪を掛けて2006年11月25日づけで国土交通省関東鉄道管理局より鉄道事業の改善命令が出されました。内容は見ましたが、個人的には「絶対安全主義は根強いなあ」という感じしかしませんでしたが、無視もできんと(いや、別に安全を軽視するわけではないが「踏切は悪」みたいな絶対安全主義の発想には、ちょっとついていけんのです。おれはね)。よって設備改善費がかかる、と。
 もひとつ。これが最も重大かもしれないんだが(=^_^;=)、一日数件の通販申し込みが千件を越えるような状況になったものだから生産・発送が追いつかなくなっていると。いや、そりゃまあそうだろうが(=^_^;=)。アルバイトの投入などによって体制の立て直しをはかってはいるようですが「24時間以内に発送します」と言っていたものが大幅に遅れているとのこと。もっともまあ、最悪の予想では数ヶ月待ちとかいう話もありましたが、27日時点で受け付け番号1000くらいまでは発送をしたらしいので、今後は多少渋滞も緩和されるんじゃないだろうかと思うわけですが。

 とりあえず、テレビ報道なんかで通販を申し込んだお客さんに「発送遅れが生じている」「なんとか急いで届けるべく努力はしている」というあたりを伝えるのが重要であろうってことで、そういうことをあちこちに書いておきましょうという呼びかけがなされています。
 つこって、おれんところにも書いておこうと思いました、はい。

 なお、銚子電鉄のぬれ煎餅は、通販以外でもあちこちで買えます。たとえばこんなとこ。

・JRキオスク各店
 錦糸町駅総武線各駅停車ホーム
 新小岩駅総武緩行線秋葉原寄りキオスク
 小岩駅総武線新各駅停車ホーム千葉より売店 ほか
・東京駅一番街 味のれん小路内 入船堂本店
・東急吉祥寺店 B1F FoodShow内 諸国銘菓コーナー
・東急ストア 立川駅南口
・三越百貨店池袋店 B1F全国銘菓 菓遊庵
 (ほか多数)

 販売店情報は「Save the 銚子電鉄@Wiki」で集約中。そういうわけで通販の方はハングアップ気味であること、通常の流通ルートには途切れないように流し続けているとのことなので、近所で扱い店があればそちらでご購入いただく方がよさげです。

 ついでなので、写真を一枚。銚子電鉄のマスコット「デキ3」です。普通の状態の写真はそこらにいくらでもあるので、整備中の写真をお見せしましょう。


銚子電鉄の車輌> 整備中のデキ3 [direct]

 えー。銚子は港町なので、潮風が吹きます。なので金属は錆びるのですなあ。デキ3は大事にされてきていましたが、2000年の段階では、やっぱけっこう錆びていました。ま、しょうがない。
 そこで、営業運転に使う車ではないけれどマスコットですからキレイにしてやろうってことで、銚子電鉄の有志のみなさんが、ていねいなレストア作業をしてくださいました。その作業中の写真が上のものです。全体にきれいにパテ盛りとかをしているのがわかります。いやあ、この作業をしているのを見たときには、ほんっと、ありがたいなあと思いましたよ。
 おかげさまで、今はぴっかぴかになってます。実はおれ、ぴっかぴかになってからはまだ見てないんですけどね(=^_^;=)。

※このblogの過去の関連ネタ
 ぬれ煎餅を買おう!〜銚子電鉄へ緊急支援の呼びかけ
 紹介>銚子電鉄  

紹介>JR東日本・常磐線岩沼〜いわき

 で、前回町並み紹介でやったばかりの場所だったりしますが、今日はその線路の方をやります。常磐線。

 常磐線は、東京から東北方面に向かう幹線のひとつで、太平洋岸を走っているものです。日暮里駅で東北本線から分岐して岩沼駅でふたたび合流する343.1キロ。他に、田端貨物駅から隅田川貨物駅までの路線も、線籍上は常磐線に繰り込まれています。
 東京以北の太平洋幹線ですから一時期は寝台特急なども走っていましたけど、そこらへんは全国的な削減の波もあって壊滅。夜間は線路を休ませるということで、よほどのことがない限り夜行は走らなくなってます(ときどき、北海道特急の迂回路として使われたりはしていますが)。
 特異な点は、常磐線沿線には新幹線がないことでしょうか。東北新幹線とはかなり離れていますので「東北新幹線を使え」というわけにもいきませんで、いまだに在来線特急がガンガン走りまくっています。常磐新幹線というのは、計画もありませんから、しばらくこのままでしょう。

 んで、距離も距離だし全部で80ほど駅があるため、「鉄道のある風景」では岩沼〜いわき以北いわき〜取手以北取手〜上野の3区間に分けて扱っています。しかしま、撮影駅数が増えたらさらにがんがん分割していかないと間に合わなくなるような気が、しなくもないですね(=^_^;=)。と思って数えてみたら、もう64駅は撮影してあるのか。一枚二枚しか取ってない駅も多いとはいえ、最大でも7分割くらいでいけそうな気もする。充分多いか(=^_^;=)。

 えー、水戸以北は、ほとんどこう縁がないというか動線にはいってないんですが、いわきまでは幾度か行きました。この夏にはいわき以北も乗るだけ乗ってきました。いやあ、距離が長いだけにどーしても駆け足訪問になっちゃうんですが、じっくり時間をかけて陸前浜街道探訪とあわせわざで回ったりすると楽しいんでしょうねえ、と。


常磐線・いわき以北> 新地駅 [direct]

 では、いくつか。北から順番に。

岩沼駅
 東北本線との北側ジャンクション駅であり、また奥州街道と陸前浜街道が合流する宿場町でもあります。駅舎は近代化されていますが片面駅で、構内跨線橋と自由通路跨線橋の間に改札を作るという荒業を敢行。大日本製紙岩沼工場への専用線も出ていて、かわいいスイッチャーもいます(おれがオーサリングをした北総レール倶楽部の「1985年常磐線・関東私鉄動画DVD」には、岩沼駅での貨車入れ替えシーンもはいっていますが、それはこの専用線がらみのものだったんでしょうね)。

亘理駅
 国鉄型の古い駅舎が残されていますが、背後にそびえ立つ行政施設「悠里館」に押されて完全に影が薄くなっています。B面にも駅前広場ができており、橋上化の要望書が出てるという話もあるので、現在の駅舎は、もうそれほど長い命ではないかもしれません。

浜吉田駅坂元駅新地駅相馬駅鹿島駅
 と、亘理駅を書いたところで、古いいい感じの駅舎がある駅を全部項目にしてたらえらいこっちゃになると気づいたので、まとめてしまいました(おい(=^_^;=))。とりあえずこの5駅の駅舎は、古い国鉄型の木造駅舎でございました。
 設備類はさまざまですが、基本的に跨線橋もわりと古い国鉄型のものです(ただ、改修が加えられているところもあります)。便所はどうだったかなぁ、坂元駅相馬駅は新しく、新地駅のは中途半端、鹿島駅のは模型にしたくなるようなクラシックスタイル。

逢隈駅駒ヶ嶺駅日立木駅磐城太田駅
 こちらは新しい駅舎になっていましたところ。駅舎というか、臨時改札用ブースみたいなやつだわね。というわけで降りてません。
 ただ駅設備はまあいろいろで、磐城太田駅の便所は、古いものを改修して使っていました(半端に改修されちゃうと、使う分にも見る分にもあまりうれしくないものができあがってしまうわけだが(=^_^;=))。

原ノ町駅
 陸前浜街道の要衝、原ノ町です。地名としては原町で、市街地も歩いてきています。映画館「朝日座」など、見所もいろいろありました。
 さて、原ノ町駅。
 駅舎は二階建てでかなり大きく、正面には4本の円柱が建つ立派な駅舎となっています。基本的に鉄筋コンクリート建築だと思うんですが、戦時中の建設であるらしく、円柱部分などあまり強度がいらないところは鉄筋ではなく竹を使っているとか。竹筋コンクリート。建築史的にも珍しいしろものであるらしい。
 駅弁もあるんですが、時間が悪かったのかざるそば弁当しか置いていませんでした。まあざるそばを弁当にしようというのもけっこうな暴挙で面白かったので、もちろん食ってきました。

 いわき〜原ノ町は、通り過ぎただけで降りてません。つか、ま、近場は残して遠くから攻めるべきという原則に従ったわけですが、しかしいわき以北って充分遠いんだよな(=^_^;=)。
 個人的にはいくつか降りてみたい駅はあります。
 筆頭は夜ノ森。なんだこの今様の駅名はと思うでしょうが、そうじゃなくてこれは由緒正しい地名なのだそうで、もともとは「余の森」。近所には「小良ヶ浜」という地名もあって、こちらは「俺が浜」。豪族どものつばぜりあいが地名に残ったのだそうであります。
 それから桃内。駅の西側に土蔵などを持つ豪邸があったんですね。たぶん醸造業者ではなかろうかと思うんですが、訪ねてみたいような気がします。
 もう一個、富岡。線路は集落のすぐそばを通っているのですが駅は町外れにできてます。どうしてこうなったのかとか調べてみると面白そう。地図で見る限りでは、町並みもそこそこ魅力的なような気がします。  
Posted by 猫が好き♪ at 01:02 │Comments(0)TrackBack(1)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月27日

紹介>風景:宮城県亘理・福島県新地と相馬

 地域紹介。今回は、あんまし数がない3エリアをまとめて紹介します。福島県の相馬と新地、そいから宮城県の亘理。共通点は、いずれも常磐線沿線というか、まあまあ陸前浜街道沿いという感じ。
 えーと、ちゃんと調べてないんで確たることは言えないんですが、相馬と亘理はたぶん駅と陸前浜街道がさほど離れてません。新地は、盛大に離れてます。とゆーか、相馬のすぐ北のあたりで陸前浜街道と常磐線はいったん離れて1キロ程度の距離を置いて並行、新地のあたりから北はさらに離れて最大2キロ強、んでようやく亘理に至って合流、という感じでしょうか。
 地図を見る限りではここらへんも市街地がそこそこ面白そうなんですが、たどるとなるといちいち常磐線に戻るのも効率が悪そうで。車かバイクを出すしかなくなっちゃうような場所ではあります。

 んではとりあえず今日の一枚。


福島県相馬市> 堀と相馬味噌「山形屋」 [direct]

 んじゃ、南から行きましょうか。

(1) 相馬
 えーとね、城下町だったはずなんですよね。上の写真も相馬城のお堀だったはずの堀と、その岸辺に建つ醸造業者です。
 ところが、駅を降りてうろうろしてみたんですけど、古い町並みがみつからんのです。城の堀のところまで来ても古い町並みがみつからない。ううむ。可能性としては、「古い町並みはあるが場違いなところを探している」というのと「すでに古い町並みは失われてしまった」というのとの2つ。時間は限られています。
 どうしたもんだか考えたあげく、今回は深追いをするのはやめることにして駅に戻りました。とまあそういうわけで、たいして写真がないんでありました。
 相馬なあ。十中八九、勘が働かなくて古い町並みに行き着けなかっただけだろうと思うんですけどね。まあ、そういうこともあるさ。
 トマソンな看板もけっこう撮ってきたんですが、京王企画標識社西武企画なんだよなあ。あまり見かけない会社のものがあってもいいだろうと思ったりするわけだが、フォースが働かないときはこんなもんだ。

(2) 新地
 えー。地図で見る限りでは、宿場町かなんかがあったように思われます。ただ、駅から西方向に1キロくらいの場所。駅にはバスは乗り入れてきていません。つこって新地の集落まで行くのはパス。
 で、えーと、駅西方向(山側)には約1キロで新地の集落があるんですが、南東方向(海側)には同じく約1キロで釣師浜という集落があるんですね。釣師浜は漁村なんでしょう。つうこって、東西両方とも集落は離れております。おかげさまで、駅周辺にはなぁ〜んもなし(笑)。こんだけ立地が悪い駅ってのも久々に見ましたわ(=^_^;=)。
 んじゃなんでそんな駅で降りたのかというとですね、「観海堂」という史跡があるんです。それがちょっと面白そうだったから。
 観海堂は、明治維新のときに作られた学校です。建物そのものは1769年の建築であり、茅葺屋根の民家でした。明治維新後の1872年、明治政府による学校制度化を待たずに地元の有志が学校を作ったのですが、それが観海堂というわけです。当時は、寺や神社などが耕作地を持ちそのあがりで維持するといったことも普通に行われていたんですが、観海堂も同じ制度が使われ、寄付された学校田を持っていたとのこと。なので、授業料が必要のない学校となっていたそうです。すぐに公立学校となり新校舎に移転していきましたので、観海堂にどの程度史跡的価値があるかというと微妙で、まあ「単なる古い民家」であるとも言えるわけですが(=^_^;=)、なんかそういう揺籃期のできごとって楽しいじゃないですか。
 さてこの観海堂です。普通に考えたら、新地か釣師浜の集落に作るんじゃないかと思うのですよ。が、どっちの集落とも離れた駅のそばにあるんですね(いや、そばっていっても数百メートルは離れているんですが)。これもまあ、新地と釣師浜の両集落の便宜を考えたというか、両集落で綱引きをやったとか、なんか歴史があるのでしょうなあ。
 鉄道趣味的・建築物趣味的には主旨不明な訪問ではありましたが、そこそこ楽しかったっす。暑かったけど(=^_^;=)。

(3) 亘理
 陸前浜街道の宿場町のひとつだとは思うんですが、あんまし時間がなくて旧市街までは足を伸ばしていません。というか、時間がない中で駅から旧市街の方向にちょっと歩いてみたんですが、おもいっきり区画整理がなされた跡があって、それ以上進むのを断念したという感じです。もっともまあ、そこはまだ市の中心部ではぜんぜんなくて、単に駅周辺の整備だった可能性も高く、旧市街のまっただなかにはそれなりの風情が残されているのかもしれません。
 地図を見ると枡形とかも残っていますからね、チャンスがあればいちど旧市街まで行ってみたいような気はしますねえ。

 亘理から逢隈を経て岩沼にいく道も、資料がないとどーなってんだかわからなかったりするんだよなあ。まあ地図から「これが旧街道だろう」なんて思ったとしてもハズれてることは珍しくなくて、要するにまあ「ちゃんと資料にあたれ」ってことになるわけですけど。
 いかーしかしなんだ。陸前浜街道も奥州街道も中仙道も、あっちこっちつまみ食いになってるなあ。やぱ長い街道となるとそうそう簡単に歩けるもんじゃないわけで、しょうがないっちゃあしょうがないんですが(笑)。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:56 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月26日

昨日のお散歩>鹿島鉄道の秋

 昨日のお散歩は鹿島鉄道。
 桜の鹿島鉄道で会ったわりと古い知り合いから「秋は行かないのか」とかいう連絡あり。んで案内しろとかいうから連れて行くことにする。つーてもこっちの予定を変える気にはなれんわけで、予定通り未踏破区間を歩くことにします。



鹿島鉄道> 桃浦駅

※リンク先はこれまでの鹿島鉄道のページ

 すでに歩いている区間。
 大昔に浜から玉造町まで歩いてます。常陸小川〜四箇村も8割がた歩いてる。浜から八木蒔までも歩いてはいるのだが、こちらは霞ヶ浦の堤防を歩いてしまったのでやり直しの必要あり。前々回、鉾田から巴川まで、前回は借宿前から玉造町まで歩いてます。残りは、巴川〜借宿前と、浜〜石岡。巴川〜借宿前は平行道路がないので歩くかどうかわからんなぁ。
 つこって、今回は浜から石岡方向に歩けるところまで。えー、結果はと申しますと、小川高校下あたりで日没となりました。残存区間は石岡〜四箇村ですかね、ややこしいところが残ったなという感想(=^_^;=)。
 んでえーと、天気が良くてね。秋ですから空気も澄んでましてね。結果どうなるかというと、風景のコントラストがむちゃくちゃ上がってるのですね。持ち込んだのは一眼デジ。あっちゃ〜みたいな感じ(=^_^;=)。だからってなー、一眼を2台持って歩くのも気が重いしな〜。フィルム機なんておそらく10駒撮らないしな〜(=^_^;=)。
 と、いろいろ悩ましい光線ではございました。しかしまあ写真なんてもんはね、もともとそういう限界をどうクリアするかってのがテーマみたいなもんでしたからね。ダイナミックレンジ100デシベルなんて記録方法が出てきたら面白いのかっつーと、そりゃまあものすごく面白いことは間違いないけど、今の写真とは全然違うものになっちゃうんだろうしな。

 さて鹿島鉄道。すでにいろんな季節訪問してますし、特にコレっていう狙いがあるわけじゃありません。まあ距離が長いものですからあまり歩いてないという問題があり、やぱ丁寧に記録を残すには歩くのが最善ですからひととおり歩いておかなくちゃいけませんかねみたいな感じ。というわけで、目に付いた踏切は全部写真に撮っておくとか、そういうわけわかんない道行となります。
 にしてもなんだな。やっぱニワカな人、増えてきてますね。線路内立ち入りとかもけっこう見かけましたねえ。うーん。んな廃止の噂が流れてから焦るくらいだったら普段から通っておきなさいよ、とあいかわずのように思うわけですが。
 これまで鹿島鉄道に通ってて、知らないひとと会うことなんか、ほとんどなかったんですな。まあ雪の日とかには多少の接近遭遇はありましたけど。ああ、この冬、積雪なんかあった日にはえらいこっちゃになるんだろうなあ(鬱)。

 えー。連れが満足したかどーかはよく知りません。距離は7キロくらいですかね、まあハイキングとしてはちょうどいいと思いますが、アクセントもドラマもないままに延々とただ歩くだけだからな(笑)。ご案内とかするんだったら古建築探訪とかの方がまだしも一般的かもしらん。って、めんどくさいから主催オフとかをする気は全然ないわけですが。

 んで日没。
 日没つっても、冬だからまだ5時くらいなんだよな。どーしたもんか考えた末、そういえば石岡の市街を見たことがなかったことを思い出しました。なので、ちらっと見て回ることにする。とゆーか、前述の通り秋の光線に一日苦しめられてまいりまして、んで三脚持ってるし、下見がてらフラットな光線で撮れる建物だけでもバルブでおさえて欲求不満を解消しようということだな。
 石岡市街、面白うございました。下調べしてない、というか地図を見てもどこが街道筋なのかよくわからんところで、そこらへんはあいまいな気分でのお散歩になっちゃいましたが。たぶん枡形とかあって、ぱっと見だけでは旧街道筋がわからんくなってるんだろうな。

 更新は、まあてきとーに後日。  
Posted by 猫が好き♪ at 20:03 │Comments(2)TrackBack(3)
記事個別ページおでかけ報告clip!

2006年11月25日

紹介>詰所および倉庫+銚子電鉄の続報

 どーも。まず銚子電鉄の続報。
 マスメディアがいくつか取り上げたこともあって、濡れ煎餅の売れ行きは激増中、とりあえず検査切れで運行から離脱していたデハ701は定検にはいったとのことです。ただ、一日せいぜい1件か2件くらいしか発注がなかった濡れ煎餅の通販が、一週間で7000件というとんでもない状況になったものだから、現場は大騒ぎになってるらしい。
 とりあえずなんだ、引き続き経過観察をよろしくどうぞ。ことがうまく回っていくといいんだけどな。

 さて、今回のネタは「詰所および倉庫」。

 なんかねえ、この項目はけっこう悩ましかったんですよねえ。そもそも「詰所」と「倉庫」というのは、違うんですよ。詰所ってのは人間がたまる場所であり、倉庫ってのはものをためとく場所である。それは、ぜんぜん違うものであるはずなんです。
 それがなんでひとまとめになってしまったかとゆーと。
 元は詰所だったんだが現状倉庫、というのが多いんですよねえ。現状倉庫になってしまっているものがかなりの数ある以上は、「詰所」と「倉庫」をきっぱり区分するのはとてもむずかしい。区別しようとすると絶対に無理が出る。「これは、誰がみても詰所だ」というものはあるし、「誰がみても倉庫だ」というものもあります。でも「詰所なのか倉庫なのか、この建物の明日はどっちだっ!」みたいなものがあって、それが困るんであります。悩んだ結果、「きっぱり詰所」も「はっきり倉庫」も「蝙蝠」もまとめてひとくくりにすることにしました。
 似たような事例として「建物/機関庫・車庫および整備工場」というのもあります。機関庫・車庫・整備工場ってのはそれぞれ違うものなんだけど、きっぱり区別しようと思うと無理が来る。
 世の中、そういうもんは珍しくないです(ふっ)。

 つこって今日の一枚。


詰所および倉庫> 蒲原鉄道五泉駅の詰所 [direct]

 今はなき蒲原鉄道五泉駅のホーム端にあった詰所です。中はこんな感じになってまして、雪国ですし、詰所として機能していたとは思えません。が、しかし昔は間違いなく詰所だったはずです。

 なんとなく「いい風情」だとおれが感じるような詰所や倉庫は、決して居住性がいいものではないし、望ましいもんでもないと思うんですよね。
 しばらく建築関係のVPを作ってて、おれが宣伝する建物はなんと画一的で魅力がないんだろうと思いつつ、だけど伝統的な日本建築よりは住み易いんだよななんて言い分けしてたりして。こういう建築物を眺めてるときの心の動きってけっこうしんどかったりもするんだよな。東武鉄道の駅舎なんかのときにも思ったことなんだけど、趣味的には木の羽目板張りの原型が残ってる駅舎の方がうれしい、だけど駅員さんが常駐する駅ならばそんなことは要求できない、そういう二律背反な。
 んー、まあ、趣味と現実はモードを違えておいた方が楽だってことなんだろーな(ふっ)。

 ついでなんで、確実非現存確認物件をいくつか紹介しときましょう。

日立電鉄
鹿島鉄道
関東鉄道常総線水海道駅
関東鉄道常総線黒子駅 (1)
関東鉄道常総線黒子駅 (2)
秩父鉄道羽生駅
東武鉄道伊勢崎駅
東武鉄道堀米駅

 ・・・疲れてきた。全カテゴリだと、確実非現存物件はいったい何件あるんだろーか(ふっ)。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:20 │Comments(2)TrackBack(2)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月24日

更新>成田線と、ちょっとだけ銚子電鉄

 更新しました。今回の更新は、成田線と、ほんのちょっとだけ銚子電鉄。先日の鹿島灘の難破船を野次馬しにいったときのものです。


成田線> 下総松崎駅 [direct]

 まず成田線。すでにいくつかの駅・駅間の写真はありましたが、まあ基本的にはかなり取りこぼしがあるというか、あまり真剣にまわっていない路線でした(でしたって、さほど状況に変化はないわけだが)。
 で、個々はこんな感じ。

湖北駅
 南側の写真は前から一枚だけありました。駅北側を追加。ふつーの橋上駅です。規模は、まあそれなりに大きい方でしょうか。
 トマソンな看板が豊作。えー、ちょっとデータベースの処理に失敗してしまっていて項目が立っていませんが、「東邦標識社」という新顔を発見。

新木駅
 項目新設。跨線橋とホーム詰所があるだけ。ちょっと前まで駅舎があったような気がするんですが、出遅れてしまったようです。

布佐駅
 項目新設。ちょっと気合を入れてみましたという感じの橋上駅。

木下駅
 項目新設。古い木造駅舎と古レール跨線橋が残っています。
 今回は写真を撮っていませんが、市街地もいい感じ。えーと木下は、水戸街道の古道の経由地であり(って古道だった時代には水戸街道とは呼んでいなかったと思うんだがな)、また北関東から成田に向かう街道筋でもありました。龍ヶ崎と利根川(利根川東遷事業以前は鬼怒川)を挟んだあたりですね。だからまあ、それなりの町並みが残っていても当然ではあるわけですが。

小林駅
 項目新設。枯れつつある駅舎があります。えー、古い駅舎なわけではないんですが、今様の駅舎でもありません。橋上駅舎でもないしね。調べてませんが、昭和30〜50年代くらいのものでしょうか。

安食駅
 追加です。古い木造駅舎が残されている駅で、駅舎は健在でございました。
 今回は町並みには追加がありませんが、安食市街もいい感じです。えー、安食もですね、龍ヶ崎から成田に向かう街道筋ではなかったかと。

下総松崎駅
 追加です。古い木造駅舎が残されている駅で、ここも駅舎は健在でございました。駅前の木とか、石段とかも、いい感じです。

 車移動だったもんで、成田は飛ばしました。

久住駅
 項目新設。新しい待合室と新しい跨線橋があるだけです。あ、一枚しか撮ってねーや(=^_^;=)。

滑河駅
 追加です。えーと、成田ゆめ牧場・羅須地人鉄道協会の最寄り駅でもあります。
 以前は古い駅舎があったんですが、その旧駅舎は解体されてしまったという情報がありました。確かに新しい駅舎に変わっていました。
 どーでもいいようなネタですが、ここの駅前で千葉県名物MAXコーヒーも撮ってあります。えー、むちゃくちゃ甘いコーヒー飲料です。
 ここらへんもねー、佐原とかを通って銚子に向かう利根川ルートの陸路街道があったみたいなんですよねー。

下総神埼駅
 項目新設。神崎ステーションホールという行政施設が合造された駅舎が新築されていました。駅舎内には写真が飾られており、旧駅舎の写真とかもありました。

大戸駅
 項目新設。跨線橋があるだけのブアイソーな駅です。踏切が鳴ったんで何が来るんだろうと思っていたらEF651038の単機回送でした。ここってばそういえば鹿島線経由で貨物列車が走ってるんですよね、と。

 ここらへんで時間切れで鹿島灘に向かったわけでございます。

 鹿島灘にまわったあと銚子にもちょっと寄りました。んで銚子電鉄にもわずかに追加。デハ101近況デハ701近況
 んで、基本的にはデハ101がどうなったのかを見に行ったわけですが、そしたらデハ701が笠上黒生の側線にいたのでどうしちゃったんだろうと思ってました。そしたらその数日後に事態が判明。例の「修理代を稼がなくちゃならないんです。ぬれ煎餅を買って下さい」です(って、このページにリンクしておいてもいつまで事情がわかるか微妙だけどなあ)。
 その対象車のうち最も緊急性が高い、すでに検査期限が切れてしまって運用を離脱していたのがこの701であったということですなあ。

 んで、今回の追加写真一覧。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:09 │Comments(0)TrackBack(2)
記事個別ページ更新報告clip!

2006年11月23日

紹介>東武鉄道桐生線

 東武鉄道桐生線です。
 もとは薮塚石材軌道だった路線だそーです。薮塚石材軌道は1911年に太田〜薮塚を敷設しましたが、その段階では人車軌道。同年太田軽便鉄道になり、1913年に東武鉄道が買収して相生まで延長、さらに1932年に赤城まで開通という順序。延長は20.3キロ。
 桐生線と名乗っていますが、桐生の市街地は通っておらず、渡良瀬川をはさんだ対岸に新桐生の駅があります。このあたり、東武足利市駅両毛線足利駅との関係と同じ。何なんでしょうねこれ。
 訪問時は太田駅の大改造前であり、桐生線と太田〜東小泉の小泉線支線とは全く別の路線でしたが、その後大改造後は直通運転をしているらしい。ま、小泉線支線もえらく半端な路線ですから、まとめちゃいたいということなんでしょう。


東武桐生線> 赤城駅 [direct]

 では、いくつか。

・赤城駅
 終点の赤城駅です。上毛電鉄とのジャンクション駅で、上毛電鉄への委託駅らしい。
 なんかね、桐生線ってやたら特急が走ってるんですよねえ。まあ赤城山は観光地とはいえ、それほど観光拠点になるような場所ではないのだよなあ。どういうニーズがあるんだろう。
 表題写真に使った赤城駅は、更新されてしまい、現存しません。いやあ、駅舎待合室とか、小物類とか、レトロ感満載でいい感じだったんですが。そいや東武3000型流れの上毛300型なんて電車もいたんですよねえ。
 新しい駅舎はこんな感じで、ついでにそれまでは駅裏だったところに駅前広場が出来てたりしました。
 なお、わたらせ渓谷鉄道の大間々駅は、歩いていける範囲。

・相生駅
 旧国鉄足尾線、現わたらせ渓谷鉄道とのジャンクション駅です。たぶんわたらせへの委託駅だと思うんだが。
 まあそういうわけで、駅舎は国鉄様式のもの。東武側は跨線橋を渡ったところに島式ホームがあるだけです。わたらせ側も2面2線だったりするもので、実に3面4線となっております。

・新桐生/阿佐美/薮塚
 この3駅はまだ降りてないんですよねえ。
 阿佐美はたしか、ホーム待合室かなんかがそれなりに風情のある独特の作りだったと記憶してます。
 薮塚は、駅には全然記憶がないんですが、近所にスネークセンターという施設がありましてね(official)。ここは蛇年の番組を作るときに取材に行ったもんで、数回訪ねてます。いずれも車orバイクだったんですが。「蛇きらい、きゃー」みたいなひとに無理にお勧めはしませんし、別段ペットとして蛇を飼うひとにシンパシーを抱くわけでもありませんが、あんがいこう、蛇もかわいいもんでございます。なんでしたら足をおはこびくださいまし。近所には木枯らし紋次郎の故郷というふれこみの三日月村なんてのもあったはず(こちらは未見)。

治良門橋駅
 ま、東武様式の駅舎です。ただ、今はどうだか知りませんが訪問時は有人駅だったので、新建材貼りになっていました。まあ、文句を言っちゃいけないんでしょうねえ(ぶつくさ)。

三枚橋駅
 えー、なんか国鉄様式に近い感じの古い駅舎でした。確か三枚橋で降りて用もなく治良門橋駅まで歩いたのだったような気がする。電車がなかったのかな。

太田駅
 あ、太田駅を桐生線に組み込んでないや。というわけで伊勢崎線のページから太田駅。
 そういうわけで太田駅はその後大改造をくらってまして、高架化されており、1999年撮影の写真の面影はなくなってしまっているようです。その後少なくとも一回は訪問しているんですが、そんときはもう北口駅舎は影も形もありませんでした。跨線橋には溝付レールが使われていたとかいう話もあったんですが、確認しそこねちゃいましたねえ。

 まあかなり初期に行った路線なもんで、いまひとつツッコミの足らない写真群になっちゃってますが。まあ、撮り落としもありますし、そのうちにまた行きましょう。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:09 │Comments(6)TrackBack(1)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月22日

紹介>風景:埼玉県・飯能

 えー、埼玉県の飯能です。
 東京都と境界を接した埼玉県の市で、南側は東京都青梅市と埼玉県入間市。市としてはけっこうでっかくて、東西は20キロ、南北は15キロくらいあります。今回扱う飯能市街は、飯能市域の南東端、まあ市の大半は産地森林ということになるでしょうか。
 飯能の市街は、西武鉄道の飯能駅、西武鉄道とJR東日本八高線の東飯能駅の周辺あたり。飯能駅の方が中心に近く、東飯能は町外れって感じでしたね。開業は、飯能駅(武蔵野鉄道)・東飯能駅(同)が1915年で、八高線が開業したのが1931年ですから、そういう意味でもメインは飯能駅の方でしょう。なお、西武飯能駅はスイッチバック駅で、飯能から秩父方面は一気に本数が少なくなります。

 さて、で、飯能。
 今でこそ東京の外周となってしまっていますが、江戸時代以前は「平野」というのは大河川の氾濫原であり、あまり居住に適した場所ではありませんでした。平野が安定して栄えるようになるのは、江戸時代の治水事業が行われたあとの話です。というわけで山地と平野の境目あたりがいちばん「いい場所」だったんですね。それが今の八高線が走っているあたり。隣近所に「高麗川」という地名があったりもしますが、帰化人が居住するような「いい場所」だったわけです。
 このエリアは、その後も林材をはじめとする山の幸のの出荷集積地だったりして、それなりに継続して栄えてきました。田舎になったのは最近の話である、と。というわけで、飯能あたりはそれなりに古いいい建物があったりするわけです。


埼玉県飯能市> 洋館建築の歯科医院 [direct]

 えーと、八高線沿線ってけっこう遠いんですよね。なんで行ったのかというと、いよいよユネスコ村が廃園になることが決定しまして、西武山口線の廃線歩きも兼ねてそちら方面に行ったからです。なんと申しますか、西武ってやっぱむちゃくちゃなことやってくださるところで地形が変わってしまうんだよねえ、なので廃園前に一度見ておこうと。
 んで時間が余りましたので、西武つながりで足を伸ばしてみたんでした。いやまあそういう歴史的背景はわかっていましたから八高線沿線にはそれなりに興味があったんだなあ。
 ま、下調べとかしてませんでしたし、到着したのがすでに夕方であまり時間もなかったんですが、予想外にこう豊作でございました。
 では、その豊作の中からいくつか。

・飯能駅周辺の古い商店
 駅に降りた時点でまずこの建物が目に入りました。けっこう期待が盛り上がったりなんかして。駅を出ると、こんどはこういう建物もあったり。
 けっこう幸先がいい感じでございました。

煉瓦張り風の看板建築
 ベーカリーです。看板建築なんですが、看板部分が煉瓦張り風になってます。最近だとこういう装飾は珍しくもなんともありませんが、けっこう古そうに見えるのですね。棟梁のオリジナリティなんだろうなあ。

・農業資材店と琺瑯看板
 農業資材店です。本体は看板建築ですが、まあ左官系とはいえさほどこう特徴のある建築ではありませんでした。んが、ここは琺瑯看板の宝庫でございまして。
 各社の社名や商品を記した長方形の看板も大量に並んでいましたが、何がうれしかったって水原ひろしと由美かおるを捕獲できたこと。水原ひろしのハイアースでしょ、由美かおるのアース渦巻でしょ。やや地味系ですけど金鳥蚊取もあります。

・土蔵建築
 とーぜんながら豪商がいた町ですから土蔵もぞろぞろ。
 米屋さんとか、商店ではないものとか、原型を保ったもののほか、増築されてるやつもいろいろ。CDショップ化粧雑貨とか。

・洋館
 洋館もありましたねえ。路地裏にあった洋館やら歯医者さん、それから飯能織物協同組合などなど。

・信号機
 前にも紹介した記憶がありますが、レトロな信号機。反射板を持つ信号機って最近見かけませんわねえ。ただ、全方向のものが同じスタイルのものだったわけではありません。

 いやあ。けっこう暗くなっていたこともあって、あんましいい写真は撮れてません。まあそのうちチャンスがあれば、高麗川なんかとペアでまた回りにいきたいもんです。

既存物件紹介一覧 101-200】  
Posted by 猫が好き♪ at 00:13 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ| |clip!

2006年11月21日

紹介>三信ビル

 三信ビルです。
 所在地は東京都千代田区有楽町。日比谷公園と日比谷通りを隔てた向かいに立っています。オフィスビルで1929年の建設ですから、震災復興建築のひとつですね。1955年に増築されています。これはたぶん北面のところのことじゃないかな、そこだけ様式が違うから。
 現在解体の準備が進められており、テナントはほぼ撤退。ただ、解体の時期などは、いまのところ明らかになっていません。


三信ビル> 一階廊下と二階コリドー [direct]

 外観はタイル貼りですが、さすがに有楽町の一等地でつい先日までバリバリの現役だったビルであり、剥落などもなく美しくキープされています。同時代のビルの中では地味な外観ですが、今様のビルと比べるとやっぱ装飾は多く、時代を感じさせてくれます。
 写真を撮り始めたときはまだ解体の話が出た直後であり、半信半疑というか、ここまで残ったんですからずっとこのまま残るんじゃないかなあみたいな気がしていました。が、解体の方針はどうやら本気だったようで、各界から保存案とかもいろいろ出されたんですが、結局所有者の三井不動産を動かすまではいかず、今に至っています。

 じゃ、各所を見ていきましょうか。

・外観
 全体は、茶色がかったタイル貼りのビルです。太い道路に面した角は面取りされており、東側南側西側には装飾つきの入口が設けられています。北側にも入口は設けられていますが、こちらは改築を受けているせいか、もともと細い道沿いだったせいか、あまり目立つ入口とはなっていません。
 入口のあるところの上部には、それぞれ多少のアクセントとしての造作があります(南側西側)。また、入口周辺には、何かが置かれていたような場所プレートなどもありました。
 他に地下につながる入口もあり、日比谷駅に直結すると同時に、地下商店街につながっていました。

・地下一階
 地下一階は、商店街となっていました。日曜日や夜になってからの訪問ばっかりで、商店街がきっちり営業している状態の写真がないのが、ちょっと残念です。
 中央階段私設の郵便物シュータなんかもなかなかの作りでした。

・一階と二階
 一階も商店街となっていました。で、一階と二階は吹き抜けでアーチ状の天井となっており、二階は回廊がまわされていました。前出の南側入口わきのプレートにもここの写真がはめこまれていたので、三信ビルを代表する場所だったのだろうと思います。
 また、地下と同様の中央階段があったほか、エレベータホールもみごとなものでしたね。二階のエレベータホールは一階ほどではありませんが、水場跡など、最近のビルに作られることはない設備を見ることができました。
 一階フロアでは、現在もまだレストラン「ニューワールドサービス」が営業しており、1/3程度は立ち入ることが可能です。二階は、見上げることはできますが、立ち入ることはできません。

・オフィスフロア
 三階以上は、ふつーのオフィスフロアになります。こんな感じの廊下が続いていました。
 地下の私設郵便箱につながるシュータは、このようになっていました。また階段も、今みたいに「非常用」なわけではなかったので、ちゃんと目立つところにありました。このあたりもまあ、設計年代の違いを感じますねえ。

・んで、地下二階
 バックヤードの地下二階です。
 地下二階には、ごみの集積所や機械室などがありました。ここはあんまし写真を見かけないよなあ(あたりまえだって(=^_^;=)>おれ)。
 えー、まあサービス施設などは、現役ビルだったわけですから更新されていたわけですが。床を見ると、なんか見るからに怪しい風情が感じられるんですね。もしやと思って調べてみたら、やっぱしトロッコの跡でした。
 中央階段のところで階段に近寄るようなかたちで、東西両方向にS字カーブを描いて、おそらくビルの全長に近い長さのトロッコが敷かれていたようです。どんなトロッコだったんでしょうかねえ(って、ごく普通のトロッコであり、実見できたとしてもさほど感動を呼ぶものではなかったのだろうと思いますが(=^_^;=))。

・閉鎖に向けての動き
 んで、閉鎖に向けての動きです。
 解体が発表されたのは2005年1月。
 まず、徐々にテナントの撤収がはじまりました。特に地下一階・一階フロアは、古くからやっていたらしいテーラーなどの老舗が並んでおりまして、移転するという張り紙もありましたが、廃業という張り紙もありましたね。まあ、撤退を潮に、ということなんでしょうね。さびしい話だが。
 まず、時期は把握しそこねましたが、三階より上のテナントの撤収が完了し、三階から上には登れなくなりました。ふと気づいたらエレベータの三階以上が無効とされ、階段も閉鎖されていました。
 続いて2006年6月頃に一階フロアの西半分と二階が閉鎖。閉鎖直後はロープが張られているだけで見通せましたが、その後エレベータホール西側に壁が立てられ、さらにその後、2006年8月頃にはこの壁がエレベータホールの東側に移動しました。
 同時だったと思うんだが、地下通路も閉鎖。以前は、隣の日比谷三井ビル側から三信ビルを通って日比谷駅まで地下通路が通じていましたが、その通路も閉鎖されました。翌9月には、地下鉄日比谷駅のA11出口も閉鎖されてしまいました。
 なお、最近は、あちこちに記録作成中の張り紙が貼ってあります。解体前にビル内の一般公開なんて、してもらえないもんでしょうかねえ・・・んなのは無理か。

 なんかこう、偶然にも、三信ビルの最後を看取るみたいなことになっちゃってます。いつごろまで姿が見られるのかわかりませんが、最後まで見守っていきたいもんだと思っています。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:14 │Comments(15)TrackBack(1)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月20日

更新>東京圏の駅・東急世田谷線の現況

 今回の更新。

 まず東京圏の駅うろうろ(リンクはいずれも個別ページ。タグの駅名リンクor地名リンクから一覧にはいれます。すまんね、一覧ページのURLは今後の更新で動いてしまうもので)。


今回の追加画像一覧> 荻窪駅を通過する検査車「East i-E」 [direct]

 まずは赤羽線関連+α。
 ・赤羽駅
 ・十条駅 - 十条駅周辺
 ・板橋駅 - 板橋駅周辺
 ・下板橋駅(東武東上線)
 赤羽と池袋を結ぶ都会の中のローカル線でしたが、北行新幹線の建設に伴い埼京線が建設され、また新宿がノシてきたこともあって、北関東から東京へのメインルートに昇格。しかし元が都会の中のローカル線でしたから、踏切も残っているし、わりとこう独特の雰囲気があります。ま、遠からず変わってしまうのではないかと思いますが、とはいえ埼京線の開通からはだいぶ経ってるわけで、案外こう変化のスピードが穏やかだなあという印象もあったり。
 板橋で降りたついでに東武東上線の下板橋にもまわってきました。日が落ちなければ北池袋まで歩いたんだけど。

 常磐線関連。
 ・三河島駅 - 三河島駅周辺
 落穂ひろいみたいなもんですが。
 収穫は三河島稲荷神社の狛狐。子連れです。子連れの狛犬はけっこう発見例があったんですが、なぜか子連れの狛狐とは遭遇していませんでした。この三河島稲荷神社で発遭遇。ま、「狛狐には子連れがいない」という知見を否定する実例があるとうれしいなあと思ってたわけですけど、晴れて否定事例がみつかりました。だからどうって話でもないんですけどね(もっとも、狛犬だか狛狐だかがよくわからない事例なら、すでに上谷中稲荷神社で発見できていたんですが。稲荷神社だからなぁ、これも狛狐だったのかなぁ)。

 山手線関連。
 ・田端駅
 ・新宿駅
 ・原宿駅
 これも落穂ひろいみたいなもんですが。
 田端駅は、北口が改築のため仮駅舎に切り替えられる寸前の姿です。仮駅舎はもうほぼ完成していました(当然だ)。どんな駅になるんでしょうかね。まあどこかにリリースくらい出ているんでしょうけどね。
 新宿駅は、ここは線数が多いからなあ、上野駅東京駅に続いて、そのうち「新宿駅総合」を作ることになりそうな予感がします。総合を作れるほどちゃんと写真を撮ってきていませんけれども。
 原宿駅は、欠落駅のひとつでした。関東の駅百選にも追加となります。

 東北線関連。
 ・尾久駅
 東京の、まあそれなりの場所にあるにもかかわらず、ややこしい事情から中距離電車しか止まらない駅ですね。止まらないというか、そもそも通勤路線が来ていません。4扉車が止まるようになったのもごく最近とゆー。
 本数も少なくはないし、他にも交通機関はあるし(都電荒川線だけど)、実用上特に問題はなく不便なわけではありません。が、山手線の駅とかとはちょっと違った感じはありますね。

 中央線関連。
 ・大久保駅
 ・東中野駅
 ・中野駅
 ・荻窪駅 - 荻窪駅周辺
 ・西荻窪駅 - ・西荻窪駅周辺
 中央線23区内区間の駅をいくつか。基本的にはほとんど縁のない場所なんですよねえ。町並みも見慣れないもんでちょっと新鮮でした。まあ数回も降りたら見慣れてしまうんでしょうけれども。
 たまたまEast i-Eの通過にもでくわしたりなんかして。
 荻窪駅北側、駅至近のエリアにかなり雑然とした商店街が広がっていていい感じなんですけど、なんとなくそこはかとなく、やばげな雰囲気が感じられました。取り壊されて更地になってるところもあったし、そろそろ再開発が来ちゃうんでしょうかね。

 それから、東急世田谷線。

 世田谷線は体質改善工事で大きく変貌しています。クライマックスは2001年2月10日夜〜11日朝にかけての一夜城工事であり、それについては準備篇当日篇とまとめてありますが、そのあとの仕上げについてはちゃんとフォローしてませんでした。そこで、簡単に全駅をまわって、体質改善工事完工後を撮って来ました。
 ・東急世田谷線
 それぞれの駅の末尾に現状を追加してあります。

 まあ、うろうろしていれば車輌も見かけるわけなんですけど。2編成かな、を除いて車輌の現状も見てきたわけですが(東急電鉄300型)。
 えーと世田谷線の300型、一時期はほとんどが広告電車になってたりしたんですね。ところが今回見たところ、広告電車は1編成もいませんでした。全部原色のまま。
 世田谷線の広告電車のお値段が高かったせいか(都電とかと比較して、えらい割高だったような記憶がある)、それとも都電や都バスなどがラッピング広告を受け付け始めてそっちの方が広告媒体として魅力があったせいか、それともなんらかの事情で広告受付をやめてしまったとかなのか、そのあたりがよくわかりませんが、ちょっと意外でした。客がつかないのでこうなっている、というのだとちょっと悲しいかも。

 小田急線関連。
 世田谷線に行ったついでに豪徳寺駅の新駅も追加。
 最近はもう、なにかっつうと地形を変えてしまうような工事が行われるわけですけどねえ、ここも地形が変わってしまってますねえ。うーん。同ポジ狙いをしようにも、目安になる被写体がなにひとつないんだもんなあ。

 三信ビルとニューワールドサービス関連。
 三信ビルそのものには変化がありません。ニューワールドサービスにまた行ってきましたので、その時にたべたメニューを追加。
 今回の追加メニューは、海老チーズカレーハムチーズサンドイッチチキンの唐揚ホットレモネード。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:19 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ更新報告clip!

2006年11月19日

ぬれ煎餅を買おう!〜銚子電鉄へ緊急支援の呼びかけ

 つい先日紹介したばっかしだったよーな気がする銚子電鉄なんですが、なんかややこしいことになっているようです。要は「金がない、助けてくれ」ということなんですが。詳しくは以下をご覧下さい。

銚子電鉄公式ページ
 「電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください!!
  電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」

 当面の緊急事態のバックグラウンドはこちらをどうぞ。

これからも銚子電鉄は走り続けます!

 いやあ。銚子電鉄のWebページをしみじみ見たことなかったんですけど、なんかはちゃめちゃというかやぶれかぶれというか。こんなもんもあります。

合格祈願切符

 文面が、すごいっすよ。「わが銚子電鉄は創業以来80年余りの間に、何度も存続の危機に直面」「存続していること自体が強運」「そこで、当社の持つ“運”を (中略)合格祈願切符として受験生の皆様にお分けしております」。
 なんかこう、不謹慎ながら、くりぃむしちゅーが出てくるテレビ番組の中の「貧乏自慢」のコーナーにただよう奇妙な明るさみたいなものを連想してしまいました(=^_^;=)。

 とりあえずはまあ、濡れ煎餅を買うくらいしかできることがありませんが(そいや先週、銚子には行ったんだよなあ・・・なんとタイミングの悪いことか)、話を広げるくらいのお手伝いはできるんじゃないかということで、こういうページを作ってみました。
 もしよろしければ、お知り合いの範囲などにも、銚子電鉄のぬれ煎餅をご紹介ください。銚子電鉄のオンラインショップのアドレスは http://chodenshop.com/ です。


銚子電鉄オンラインショップ> 仲ノ町駅を占拠するぬれ煎餅の箱
「鉄道のある風景」の銚子電鉄のページ

※バナーを作ってみました。なんでしたら、お使いください。

SaveChodenバナー(480×120dots) やや縮小表示中  

紹介>東急電鉄東横線

 東急東横線です。
 東急東横線は、東京渋谷と横浜あたりを結ぶ東急電鉄の幹線というか本線。東京圏の幹線のひとつなんですが、激変中で、風景がだいぶ大きく変わっています。横浜方はもう末端区間の廃線と付け替えが行われ、次は渋谷方で廃線と付け替えが行われる予定です。

 基本的に葬式鉄はやらないんですが、えー、東横線はちょっと例外にしました。以前しばらく横浜と縁があり、頻繁に使っていたのですねえ。だからけっこう馴染みのある風景でした。その風景が失われる前にということで、出かけてきたわけです。
 横浜方の廃線後は行っていませんが、なんか廃線敷は大きく変わっているようで。


東急東横線> 反町〜横浜の廃線区間を行く列車 [direct]

 ページの並びが渋谷から横浜に向かうようになっているので、その順番でいきます。

東急渋谷駅
 独特の形状をした壁を持つ、渋谷の顔のひとつです。渋谷の顔なんですが、東急渋谷駅は都営地下鉄13号線の開通に伴い相互乗り入れのために地下化されることになっており、その暁には地上駅は廃止されることになるんですよね。
 渋谷駅の東口側の風景は、東急文化会館が取り壊されたこともあってすでに激変の最中となっていますが、いまのうちに風景を目に焼き付けておきませんと。

渋谷川
 童謡に「春の小川」というのがあります。「春の小川はさらさらいくよ♪」というやつですね。そのモデルとなった川が渋谷川であるといわれています。
 渋谷川はもうコンクリート三面張りの都市河川になってしまっていますが、まあ春の小川を思い浮かべつつ眺めてみても風情があるのではないでしょうか(ないか(=^_^;=))。んでその渋谷川、東急東横線の渋谷駅から数百メートルの間、平行しています。

山手線橋梁
 山手線と東急東横線の立体交差。これも渋谷駅地下化が行われるとなくなります。

踏切
 渋谷〜代官山間にある踏切です。これもまあ、地下化が行われると消滅の予定。というか、地下化が想定されていたのでまだ踏切のまま残されている、ということなんでしょうね。

代官山駅
 地下化はこのあたりから行われます。代官山駅から横浜方面は現状維持、なんじゃなかったっけか。

中目黒駅
 東急東横線と東京地下鉄日比谷線のジャンクション駅。東武における北千住みたいな意味合いの駅ですね。地下化後は、この先のいずれもが地下鉄乗り入れになるわけです。

 以上、東京方。以下、横浜方。

東白楽駅
 東白楽です。横浜側は、東白楽と横浜側隣の反町駅の間で地下にもぐりました。東白楽までは大きな変化はないはずです。

東白楽〜反町
 この区間で、地上線から地下線に切り替えられました。なんか一晩で路盤を作り変えて地下化するという、東急建設ならではの工法でやったらしい。

反町駅
 というわけで、反町駅はもう地下化区間であり、場所は変わってませんが地上線はなくなっています。

・高島隧道(トンネル)
 反町駅を出たところには高島隋道がありました。その東京側横浜側。表題写真は高島隋道の横浜側出口の上から横浜方面を眺めた俯瞰です。
 ここんところには三宝寺がありまして、あまりにすさまじい建物なもんで、前に「リアルな風景・リアルでない風景」というお題で扱ったことがあります。

環状一号跨道橋
 横浜環状一号道路をまたぐトラス橋です。斜橋であり、下からも容易に観察できるありがたい橋でした。跡地利用プランの中にはこれを維持するというものもありましたが、結局撤去されてしまったようです。

横浜駅
 東急の横浜地上駅です。東横線は、さらにこの先、桜木町まで行っていましたが、横浜以南は横浜高速鉄道に付け替えられ、横浜〜桜木町は廃止となりました。東急東横線クラスの路線が、付け替えとはいえ廃止になるというのは珍しいできごとであり、廃止の際にはかなりのお祭りになってましたねえ。

横浜〜高島町
 基本的には、根岸線に沿って桜木町まで行っています。東横線廃止以降も根岸線は残っていますから、特に大きく風景が変わったということはないと思うんですが。

高島町駅
 けっこう作りの古い高架が続いていましたねえ。
 ま、高島町そのものは、ちょっと離れてはいますが新線でも新高島町の駅ができていますし、特にダメージを受けてはいないと思うんですが。

桜木町駅
 終点だった桜木町駅です。桜木町行きの方向幕(幕式LED式)も、もう見ることができません。
 地元民らしい夫婦が記念写真を撮ってたりしました。こういうシーン、おれはけっこう好きだったりします。

 まあ、なつかしい場所であったとはいえ、もう縁が切れてしまいましたから、廃線後は訪ねていません。そのうちにまた行くことがあるのかもしれませんが、いまさらたいした感慨もないんだろうなあとか思ったりします。感慨はないだろうという予測は、多少さびしいものだったりもしますけどね(笑)。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:13 │Comments(0)TrackBack(1)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月18日

紹介>風景:宮城県・柴田町(槻木宿)

 柴田町は、岩沼の近所、岩沼から奥州街道を南下してひとつめの宿場町。最寄り駅は槻木駅。槻木駅は、東北本線と阿武隈急行のジャンクション駅でもあります。
 ちゃんと下調べをせずに行ったのでよくわかっていませんが、槻木駅の東側で枡形(クランク)を構成して走っている通りが、旧奥州街道じゃなかろうかと思います。枡形の両端はショートカットが作られていてわかりにくいんですけど。
 ごく短い時間でしたが、まあまあ効率のいいお散歩になったような。


柴田町(槻木宿)> 逢隈旅館 [direct]

 では、いくつか。

・逢隈旅館
 表題写真に使った古い日本建築の旅館です。
 現在は枡形がショートカットされていて、逢隈旅館の前の道はメインルートからははずれていますが、たぶんこの前の交叉点が旧街道の南西側の枡形だったのではないかと思います。隣には土蔵もあり、この一角は時代が違うような印象だったりしますね。

・枡形をはみだしたあたり
 枡形を曲がらずにまっすぐ南西に向かったあたりにも古建築が。集落南端には石造の蔵があり、その手前には出桁造りがありました。

・看板建築
 旧街道の宿場町中心地と思われるところには看板建築の並びがありました。
 看板建築ということは、おそらく昭和初期以降ですから、さほど古い建物ではありません。また、看板建築としてはわりと無愛想な部類です。モダニズム系とでも言いますか(笑)。ただ、様式が揃っているのですよねえ。
 元が宿場町でそれなりに商業資本家がいたのだろうと思うんですが、あっさりしたデザインの看板建築が並ぶという結果になった理由は何なんだろうかと。いや、別にそれが悪いとかいうつもりはないのですが。

・出桁造りの民家
 出桁造りの民家もありました。
 出桁造りですからもともとはたぶん商家だったんだろうと思うんですが、改築を経て商店の面影は失われています。ストラクチャーの改造ネタとしてはおいしいかなと。

仙台屋食堂
 明治35年創業、の文字が店頭に踊る食堂です。
 いやあ、噂には聞いていたので時間があえば立ち寄りたかったのですが、午前9時前後ではさすがにやっておりませんで。このときの東北ツアーの心残りのひとつになってますね(笑)。

 まあなんだ、水戸街道や日光街道くらいならばとにかく、奥州街道とか中仙道とかになりますと、そうそう気軽に「歩こう」とか思い立つ度胸も出てきませんでね。つまみ食いレベルでうろうろするのがせいぜいなんですけどねえ。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:16 │Comments(1)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月17日

紹介>建築物一覧

 今回は、ちょっと毛色の違うページを紹介してみようかと思います。建築物一覧のページです。

 この「鉄道のある風景」も、いろいろ主旨に変動があったり、勢いで方向が変わったりしているわけです。いやあ、いっちゃん最初に写真を撮り始めた頃は鉄道車輌のディテール写真がほしいという欲求だったような気がするんだよなあ。その後シーナリーだのストラクチャーだのの比重が大きくなって今に至ってるわけですが。
 で、建物です。建物の整理って、いろいろやってみたけどすんげえ大変なんです。どうすれば求める建物にすばやく行き着けるのか、いまだに結論は出てません。

 とはいえ何もやらないわけにはいくまいということで、いろいろ考えた末、試行のひとつとして作ってみたのが「建築物一覧」というページです。新しいプログラムを作らなければならなくなり、どうせだったらということでもう1本別のデータファイルを作って鉄道50音順一覧なんてのも作ってます。


建築物一覧> 小野酒造店(岩沼市) [direct]

 現在、建物はだいたい3500棟くらいかな、登録してあるんですが、名称からでは探しようのない無名建築物を除いて約1000件が一覧に登録されています(一部に複数名称で登録してあるものがあるので、1200件くらいがリストアップされているんだろうか)。
 まあ、これを端から眺めて探してくださいというのは無謀なんで、必要ならこのページを表示した上でページ内検索(Windowsならばコントロール+F)で探すとかいう方法になるでしょうけど、まあ多少は探しやすくなるんじゃないだろうかと。あるいは、誰かが建築物名でGoogle検索とかしたときにこのページがひっかかってくれればいいな、なんてこともあります(ほんとは写真個別ページがうまくヒットするのがいちばん望ましいのだが、そこまでは期待すべくもない)。

 ま、そういうわけでデータベースを作ってプログラムで転回して一覧ページを作るようにしてみました。そうするとまあ、地域とか建築様式とかいうのとは違う切り口も見えてきたりするわけで。
 たとえば神社。稲荷神社って多いよなあと思ってました。しかしほんっとに多いのな。写真があるだけで45社。全カテゴリで3500件のうち45社だもんな。すげえなあ、とか。全然縁がなさげな地名がついてる店を発見して、ああご主人はそっちの出身者なのかなあなんて思いをはせてみたり。ま、名称分析をするとしたら母数が少なすぎて話になりませんけど。
 あるいは、てきとーなところからひとつづつめくっていくと、ランダムに建物を眺めるみたいな楽しみ方もできたりして(暇なとき、ときどきやってます。暗い趣味だ(=^_^;=))。

 建築物もなあ。とにかく数が多く、ある程度の傾向はありある程度の分類も可能だとはいえ、基本的に一品ものであって全部違うんだよな。特に昔のやつだと、棟梁によって微妙に様式が異なったりして。そういうのが面白い反面、整理したり資料化したりする上ではどうすりゃいいのかがよくわからない。で、この一覧というのは、いろいろとまあ試行錯誤をしつつやってみてる中のひとつである、と。
 もっともまあなんだな。この「一覧」という方法は、無名建築物には適用できないというきわめて重大な欠点があって。無名建築物の中にもいいものがけっこうあるんだよなあ。ま、基本的には、そんなもんは一枚づつ写真を見て気に入ったものにチェックを入れるとか、そんな方法しか思い浮かばないわけですけど。

 ま、建物は、これからもガンガン増えていくでしょう。整理の方法とかも、徐々にまた変わっていくんでしょうけどねえ。  
Posted by 猫が好き♪ at 02:01 │Comments(2)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月16日

紹介>京成電鉄

 京成電鉄です。
 えーと、関東の私鉄なんですけど、そもそもどこを走っているかについてすらよくわかっていません(=^_^;=)。なんかこう、京成・都営浅草線・京急などのグループとは縁がほとんどないんだなあ。というわけで、せっかくなんで調べてみました。

 現時点で6線102.4キロだそうです。
 本線が京成上野〜成田空港で69.3キロ。ありゃ、成田空港まで本線になっていたんだ。知らなかったなあ。
 東成田線が、京成成田(本線)〜東成田7.1キロ(ただし、うち6キロは本線と重複)。なんだこりゃと思ったら、柴山鉄道への乗り入れ線なわけですね。というわけで、東成田から先、芝山千代田まで、1駅だけ芝山鉄道というのが走ってます。
 押上線が、青砥(本線)〜押上の5.7キロ。都営浅草線への乗り入れ線。
 金町線が、京成高砂(本線)〜京成金町の2.5キロ。帝釈人車軌道の買収路線。
 千葉線が、京成津田沼(本線)〜千葉中央の12.9キロ。
 千原線が、千葉中央(千葉線)〜ちはら台の10.9キロ。旧千葉急行電鉄の路線。
 他に関連会社として、北総鉄道があり、京成高砂(本線)〜印旛日本医大となってます。

 なんでこんなに縁がないんだろうなあ(笑)。えーと、本線からして、津田沼〜京成成田を乗ってません。東成田線は全線未乗。千葉線は乗ったかなあ。多分一度くらいは乗ってるな。千原線に至っては、存在自体を知らなかった(=^_^;=)。ほんの何ヶ月かですが、京成線の沿線に用があってそのときは多少乗ったようなおぼろげな記憶もありますが、しかしすぐに総武線に乗り換えてしまったのだった。
 なんでこんなに縁がないのかがよくわかりませんが。まあ、気が向いたらまわるように心がけましょうか(=^_^;=)。


京成電鉄> 古い立体交差橋梁(新三河島〜町屋) [direct]
京成電鉄 - 車輌

 というわけで、体系的にまわってはいないんですが、まあぱらぱらと写真はありまして。そうねえ、古い時代に高架化しているところとかがけっこうありまして、そのあたりの設備が楽しいですね。
 そのあたりを見ていきましょう。

・ワイア式の踏切
 東武鉄道の竹ノ塚踏切事故のおかげで絶滅の危機に直面しているワイア式の踏切ですが、京成電鉄がらみでは二か所の写真があります。いち一か所はすでにワイア式ではなくなっていますが。
 まず船橋駅脇にあったもの。JRと東武の船橋駅の南口に行く道に設置されていたものですが、連続高架化工事が進められ、片側が高架になった段階で普通のバー式に変更され消滅。
 もう一か所は京成高砂駅脇にあるもの。京成高砂駅と高砂車庫の間にある踏切のもので、こちらは車庫線もありますので、多分現存していると思います。

行商専用車
 そういえば「行商」という営業形態も見かけなくなってきましたよねえ。

・金町線
 帝釈人車軌道を買収して電化した路線です。常磐線金町から柴又帝釈天への参詣客を運ぶジン者軌道だったわけですが、えーと、1キロちょっとなんだよね、当時のひとにとって歩いてしんどい距離じゃないです。実用目的というよりは参詣するというイベントを盛り上げるための小道具だったんだろうな。
 んで、金町〜柴又間は単線ですし、柴又駅の駅前にはフーテンの寅さんの銅像が建っていたりもします。ここらへんは、案外楽しいんだこれが。

・古い高架
 えー、ちゃんと乗ってないんでどこらへんに古い高架があるんだかよく知らないんですが、えーと少なくとも千住大橋〜日暮里あたりは古いです。京成関屋〜千住大橋とか、町屋のあたりとか、新三河島付近とか、日暮里周辺とか。
 このあたりは、駅もまあ、リニューアルは受けているとはいえそれなりに古い作りが残っていて、けっこうそそりますね。
 また、高架下のスペースが商店や倉庫などに貸し出されていて、それも丁寧に見ていくとけっこうヴァリエーションが豊かで楽しいものです。

博物館動物園駅
 営業している間には訪問しておらず、写真がありません。うむー。
 出入り口部の建物は残されています。石造の、まあそれなりに有名な建築物です。表札というかなんというか、「駅跡」になってますね。まあ「駅」のまま置いとくわけにゃいきませんわね、観光客とかもいるしね。

上野駅
 上野京成ビルがあったんですけどね。老朽化が激しく、ネットがかけられていたんですが、ついこないだ取り壊されてしまいました。今は駅入口の造作だけを残してサラ地になっています。駅入口だけはあのまま残すってことなんだろうけどなあ。
 このビルには「上野の顔」とも言える聚楽レストランがはいってました。けっこう上野でメシを食うときはここにはいってたなあ。向かいの通称上野西郷ビルにも聚楽がはいっているんですが、西郷ビルの方もそろそろ解体っぽいんで。上野をキレイキレイにしてもはじまらんだろ、魅力なくなっちゃうだろ、と思うんですけどねえ、新宿歌舞伎町まで浄化しちゃおうというご時世ですから、言うだけ無駄なんでしょうねえ(ためいき)。

 あー。まとめて見てみると、リニューアルされる前にまわっておいた方がいいような気がしなくもないな。ま、ちょっと考えてみよう。しかしなんか気分的に遠いんだよなあ。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:12 │Comments(4)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月15日

紹介>風景:茨城県・土浦

 土浦の風景です。

 土浦は、水戸街道の要衝であり、土浦藩の城下町として、江戸時代から栄えてきました。霞ヶ浦の沿岸にあり、水運の要衝でもありました。農業物資の集積地でもあったため、醸造業なども栄えていました。というわけで、まあ古くからかなり大きな都市であったということになります。
 旧市街は土浦駅の西側に広がっています。これは、もともと霞ヶ浦沿いの低湿地帯であったことから水害も多く、せっかく鉄道を通すんならということで、市街地と霞ヶ浦の間を築堤で通すことにしたためという説があります。ほんとだろうか。

 土浦藩の城は、駅の西北西約1キロ程度の場所にある亀城。で、水戸街道は、亀城の東側を迂回するように、複数の枡形(クランク)や屈曲を経て、抜けています。あまりわかりやすいとは言えませんが、この道筋はひととおりたどることが可能。地図も用意してありますから、旧街道を歩いてみたいひとはどうぞ。
 お江戸からもそれほど遠くありませんし、週末のお散歩とかにはちょうどいいんじゃないでしょーか。とか観光案内みたいなことを言ってみます。


土浦> てんぷら屋の「ほたて」 [direct]

 ではいくつかめぼしい建物を。

吾妻庵
 蕎麦屋です。
 景観保存区域(なのか?)の道筋にあるんで、もしかすっとその手の観光客向けの店かと思ったんですが、そういうわけではないようで、普通の蕎麦屋さんでした。創業は1873年、母屋は築200年、商店部分も築100年だそうで。

矢口酒店
 同じく景観保存区域にある酒屋。土蔵造りがきっちり残っています。19世紀中期の建築。

まちかど蔵大徳まちかど蔵野村
 引き続き景観保存区域の建物。
 大徳は1762年創業の呉服屋で土蔵建築、野村は1892年建築の砂糖問屋。いずれも土浦市が管理する観光案内所となっています。レンタサイクルもあるでよ(っておれはまだ使ったことがないが)。

石上霞月堂
 和菓子屋さんです。土蔵建築なんですが、旧水戸街道側は左官係看板建築になっています。改築によるものでしょうが、改築もけっこう古いものなので、原型がどーのとかいう話にはならず、これはこれでいいような気がしてきちゃいます(笑)。

ほたて
 てんぷら屋さんです。土浦の駅前通りと旧水戸街道がクロスする交叉点にあります。建物の年代は調べがついておりませんが、創業は1869年だそうです。そのときに立てた建築と言われても不思議はない感じ。並天ぷら定食が850円でした。

・看板建築群
 看板建築もたくさんあります。大正末期から昭和初期にかけての看板建築流行時に作られたものと思われるものですね。とりあえずざっと並べておくと、「石川美髪店(理容)」「佐竹時計店」「武蔵屋(水産物問屋)」「屋号不明(水産物組合の建物だったらしい)」「内田砂糖店」など。
 武蔵屋は、二階建てのビル建築と見まごうような堂々たる看板建築です。水産物組合の建物だったらしいやつはベランダ付きのもの。「洋館」に区分してもいいかもしれません。内田砂糖店は左官仕事が見事。

菊田産婦人科
 昭和初期の建築ではないかと思われる、洋館の病院建築です。すでに医院としては廃業しているようであり、また周囲の電柱とかが邪魔でけっこう撮りにくいんですが、見本のような洋館病院でして、みつけたときはけっこう感動しましたねえ。

・土蔵建築群
 前述の「まちかど蔵」のほか、土蔵も各所にあります。駅前通りの「新美堂」やその裏の土蔵2棟やら、裏手にあってたまたま見つけた崩落しつつあるものやら、煉瓦造りがけっこう目立つのも特徴でしょうか。

 他にも出桁造りやらなんやらもてんこ盛りで存在しています。
 いやあ、たぶんね、これだけ古建築があるところなんだから、街道筋からはずれたところにも見ておく価値のある建物が散在してるんじゃないだろうかと思うんですよね。どーせ近場なんで、おいおい丁寧に見て回ろうかと思ってます。

 なお、土浦そのものは城下町だったので、宿場町はちょっと離れたところに設けられていたようです。亀城より1キロ程度北にある真鍋に真鍋宿がありますね。旧筑波鉄道の真鍋機関区新土浦駅があったあたりが、真鍋宿の南端にあたります。
 真鍋・板谷・中貫あたりはまたそのうちに紹介しましょう。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:35 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月14日

紹介>島原鉄道

 長崎県の島原鉄道です。
 諫早〜加津佐、島原半島を半周する78.5キロです。開業は1911年から1913年にかけて旧島原鉄道の諫早〜南島原が順次開通、また1922年から1928年にかけて口之津鉄道が南島原〜加津佐を順次開業、そして1943年に口之津鉄道が併合されて現在の路線が完成しました。

 えーと、島原鉄道を目的に訪問したことはありません。諫早干潟干拓事業を野次馬というか取材というか調査というかしにいったときにちょっとだけ立ち寄ったという程度。しかも連れありの上に土砂降り(笑)、カメラも導入直後。なので、たいして写真はありません。長崎に行ったときに、もう一回立ち寄ろうかと思ったんですが、なんせ78キロだからなぁ、数時間ではなーんも見られないだろうと思って結局長崎電軌に集中しちゃいました(=^_^;=)。
 うーん、いつ再訪できるんだろうか。つか、再訪できるんだろうか、みたいな感じもありますけど。


島原鉄道>  [direct]
島原鉄道・車輌

 いやあ、やっぱローカル線ですから、本数は決して多くないんですよね。
 諫早周辺で何駅か、および諫早を離れる日に吾妻駅から島原外港駅までは乗りましたが(島原外港からは船で熊本に向かった)、諫早周辺をうろうろするときには結局タクシーか、地元のひとに出してもらった車で移動しちゃいましたからねえ。んー。丁寧に見て回ればきっと面白いんだろうと思うんですけど、やっぱ気合いは必要だよなあ。
 とはいえなんだ、乗った限りでは、けっこう客はいたんですよね。クロスシートだったためにロングシート車よりは客が多めに見えた可能性はありますが、さほど空席はありませんでしたし。まあなんていうの、田舎ですから車の方が利便性が高いとはいえ、なんせ78キロ、車を運転するのが楽しいというひと以外にとってみればけっこうつらい距離ではありますし。半分としても、普通に走ったら1時間コースだもん。
 御多分にもれず赤字であり、特に南島原以南はかなり状況が厳しいらしくて廃止も検討されているようですが、これがなくなったら島原半島はおもいっきし陸の孤島状態になっちゃうわけで、なんとかならんのでしょうか、と。

 うーん、やっぱあんましきっちり訪問していないところはあまり書くことがないな。再訪するまではこのままなんだろうなあ。
 雲仙岳噴火による運休とか復興とか、話題はいろいろあるんですけど、そっちまでは行ってないものでごめんなさい。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:33 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月13日

本日のお散歩>成田線と難破船

 友人より電話あり。このあいだの嵐で鹿島灘に座礁した船が何隻かある、せっかくなので見に行こうぜ、という誘い。車を出してくれるという。んで、話に乗る。いやあ、別にこう他人の不幸は蜜の味って感じなわけじゃないんですが、いちおうこの手の有りネガもおさえておきたかったもんで。こういうのとか、ときどき注文があるしね。
 そういえばこの友人とは以前には久慈浜に座礁した船も見に行ったのであった(って、野次馬にしか見えんわけだが(=^_^;=))。

 場所は波崎のあたり。銚子のちょっと北、鹿島港の湾外あたりですね。
 えー、はっきしゆーて、銚子は遠いです。どうやって行くかで紆余曲折があった末、茨城県側から攻めるのではなく、千葉県側から攻めることになる。難破船は鹿島灘にいるので午後が順光。午前中に出て成田線を我孫子側からたらたらとたどり、適当に切り上げて14〜15時に現場に到着できるように調整という感じ。

 成田線はまあ、いくつかの駅は撮影済みですが、まだかなり撮り落としもありました。とりあえずなんだ、新木・布佐・木下・小林・安食下総松崎とたどる(リンクがあるのは既撮影分がある駅)。
 成田は飛ばして久住・滑川・下総神崎・大戸。滑川は、建て替えられてしまったと聞いていましたが、確かに新しい駅舎になっていました。旧駅舎は結局夜景しか撮れなかったなあ。残念。
 んで、大戸の次は佐原。佐原は駅舎だけならばとにかく町並みが手ごわくてへたにひっかかると難破船まで行き着けなくなるのが明白、しかもそろそろ時間もやばかったため、ここで成田線は打ち切りって波崎に向かうことに。あああ、遠いところが残ってしまった(=^_^;=)。

 ここまでの収穫は、まあいくつかの駅舎もさることながら、木下や安食の町並みですかね。
 いずれも、佐貫あたりで水戸街道と分かれて龍ヶ崎に向かった街道が、更に成田に向かう街道筋(龍ヶ崎から南下して木下付近で利根川を渡る道、龍ヶ崎から南東に進んで安食あたりで利根川を渡る道、2本があったようです)。んで、利根川はそもそも物流ルートだったこともあって、それなりににぎわっていた模様。町並みがそこそこ面白いことは確認できました。安食はすでにちょっとだけ歩いていますが、このあたり、佐原なども含めていちどゆっくり歩いてみる価値がありそうでした。

 んで、難破船。

 全部で3隻座礁しているらしいのだが、うち2隻をチェック。
 一隻は、鹿島工業地帯の鹿島港南側沖。
 こちらはわりとうまく砂浜に着底したようで、喫水がおかしいのだが、まあ船に詳しくなければ事故を起こしているかどうかは見分けにくいと思います。どの程度ダメージを負っているのかは、よくわかりませんでした。
 もう一隻は、波崎砂丘北部、波崎風力発電所の北側あたりの沖。


鹿島灘の難破船> 1600×1200

 こちらは深刻なダメージを負っていて、というかもう船体がまっぷたつに裂けておりました。船尾側は沖合いで転覆、船主側は流されて砂浜に座礁。オーシャンタグがロップを張ってそれ以上流されないようにがんばっていましたが、これ、撤去ができる程度に天候が回復するまでず〜っとやっているんだろうか。たいへんだなぁと思うと同時に、普段見慣れているオーシャンタグは老朽船ばっかしなのでここに投入されていた(おれが見慣れているものよりははるかに)新しいオーシャンタグがすげえきれいでかっこよく見えたのでありました(おいおい(=^_^;=))(写真に写ってるやつは、その牽引作業をやっていたオーシャンタグではないです)。

 その後、鹿島のサシ489-8を利用したレストラン「L」で遅い昼食を食っていたらもう日没。
 銚子電鉄のデハ101の屋根がついに抜けたという噂を確かめに笠上黒生まで。もう暗かったので屋根が抜けているかどうかはしょーじきよくわかりませんでしたが、状態がますます悪化していてもう崩落は時間の問題ということだけはわかりました。はぁ。これ、台車だけでも保存してもらえないもんだろうか。
 ついでなんですが、この笠上黒生のデハ101が押し込まれている側線にデハ701も置かれていたのが気になりました。701も戦線離脱なんだろうか。

 本日はま、こんな感じの一日でございました。んー、並べてみるとけっこうメニューが多くておなかいっぱいな一日だったんだな。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:38 │Comments(4)TrackBack(1)
記事個別ページおでかけ報告clip!

2006年11月12日

紹介>工場&これまで見てきた酒蔵(笑)

 ストラクチャーのカテゴリ、工場です。この項目には、鉄道とは無関係な工場をまとめてあります(鉄道関連の工場は機関庫・車庫および整備工場にまとめてあります)。

 まあ、ひとくちに工場といってもいろいろあるわけですが、小さめな町工場がメインです。でっかーい今風の工場はあんまし撮ってません。というか、でっかい工場だと「建物」という感じじゃなくなっちゃうし、また中にはいらないと全貌がわからないとか、いろいろあるんだよな。
 んで、特にこう工場の種別などは考えておりませんで街中で見かけた工場はなんでもかんでも放り込むという方針でいますが、いつのまにか醸造所が増えてきてますね。醸造所もまあ工場のうちではあるのだが、なんかちょっとイメージ違うかもしれない。


工場> 桐生市の「織物参考館」 [direct]

 ではまず醸造業者以外。

川村義三郎商店
 海産物関連業者かなんかでしょうか。工場本体は建て替えられていますが、煉瓦造りの煙突はおそらく古いものがそのまま使われています。

織物参考館
 桐生市にある織物参考館。古い工場の一部を織物の博物館として使っています。
 ノコギリ屋根を持つ古式ゆかしい近代工場建築であり、中を見ることも出来ますし、古い設備の一部も残されています。えー、今でこそ機械類にはそれぞれモーターがついているものですが、以前はモーターも高く、大きなモーターを少数設置してそれぞれの機械にはベルトドライブで伝達していました。その頃の名残のプーリーシャフトなども見ることができます。

保安工業
 工場というか、メーカーの研修施設。信号機メーカーのものなので、研修用の信号機が林立しております。

鉄道用品株式会社
 常磐線馬橋駅の裏側にある工場で、気になっていた方も多いのではないでしょうか。以前は廃車の解体とかもやっていましたがいまはレールがつながっているようには見えません。主業務はどのあたりになるんでしょうね。
 なかなかいい味を出していた崩落しかけの木造建屋は、解体されてしまいました。ま、あのまま置いといても危なくて中にはいることすらできない状態でしたから、しょうがないんでしょうね。

崎陽軒東京工場
 えー、駅弁の崎陽軒の東京工場です。越中島貨物線を見に行ったら、沿線にありました。でっかい建物であって全貌は撮りにくく、また新しい建物なので気合を入れて撮ろうという気力もなかったんですが、まあなんだ、「ここでシウマイ弁当とかが作られているのかあ」と思って眺めるとそれなりに感慨もあろうかと(ないか(=^_^;=))。

レッテルの両山堂
 不忍池のほとりにあるレッテル工場。
 えー、小規模な町工場で、おそらく住居併設です。んが、作りがなかなかこう凝ってます。工場が実用一点張りのものになる前の時代のものなのでしょうねえ。

村越木材
 製材工場&材木問屋です。瀟洒な洋館風の事務所棟があります。

 引き続き、醸造業者。

相傅商店(宮城県岩沼市) official?
 造り酒屋で、代表銘柄は「名取駒」。奥州街道に面した商店部分は新しいものになっています。

桜川酒造(福島県桑折町) official未発見
 造り酒屋で、代表銘柄は「桜川」ですが、えーと、廃業しちゃったのかな。奥州街道沿いにいくつもの土蔵が並んでいます。写真を撮っていたら「中を見たいか」と声をかけてくれたひとがいたんで、もしかすると見学ができるのかもしれません(大急ぎ旅だったのでご遠慮してしまいました。もったいなかった)。

大天狗酒造(福島県本宮町) official?
 造り酒屋で、代表銘柄は「大天狗」。奥州街道からはちょっと奥まった場所、東北本線本宮駅のすぐそばにあります。

今村醤油店 official未発見
相馬味噌醤油 official未発見 (いずれも福島県原町市)
 調べてないんですが、並んでいるので、もしかするとこの前の道が陸前浜街道なのかもしれません。醸造業者以外にも茶園とかも並んでおりまして、こんだけずら〜っと並んでいるとなかなか迫力があります。

有田屋(群馬県安中市) official
 安中の名家でもある湯浅家の有田屋。煉瓦積みの立派な煙突がありますが、えー、表通り(旧中仙道)側には土蔵が並んでましてこの煙突は見えないんですよねー。

竹村酒造店(茨城県水海道市) official?
 造り酒屋で、代表銘柄は「富士龍」。水海道市街の中心地あたりにあります。

木戸泉酒造(千葉県大原町) official
 造り酒屋で、代表銘柄は・・・えーと、よくわかりませんでした(=^_^;=)。やぱ「木戸泉」なのかな。商品一覧を見ても「しぼったまんま」とか「大原裸まつり」とかヴァリエーション名が並んでいまして、銘柄がわからん(=^_^;=)。まあofficialに製品一覧もあるからてきとーに見てください。

窪田味噌醤油(千葉県野田市) official
 利根運河沿いにあります。OEMなどにも対応した調味料工場ですが、新しい工場棟のほかに古い蔵も残されています。

中久本店(東京都府中市) official発見できず
 造り酒屋で、代表銘柄は「国府鶴」。まあ、今もここで醸造をやっているのかどうかはよくわかりませんが。甲州街道沿いの蔵は喫茶店になっています。

中沢酒造(神奈川県松田市) official
 造り酒屋で、代表銘柄は「松美酉」。御殿場線松田駅の裏側にあります。

 結果としてなんか今回は酒蔵紹介みたいになっちまった。まるでのんべのようではないか・・・(えーと、おれはビールがせいぜいで、アルコール度数10%以上の酒は苦手なんでした(=^_^;=))。  
Posted by 猫が好き♪ at 01:04 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月11日

先日のお散歩>都内うろうろ+一眼デジのこと

 先日のお散歩。
 ぼくはほれ、鉄道には詳しくないので(笑)全然知らなかったのですが、JR東日本に都内一日フリーという乗車券があることに気づきました。730円でしたか。けっこう便利そうじゃんということで、こいつを使って都内撮り落とし物件の巡回。

 まわったのは、三河島・田端・東十条・赤羽・尾久・十条・板橋・下板橋(東武)・原宿・大久保・東中野・中野・荻窪・西荻窪。どーせなら山手線しらみつぶしとかやりゃいいのにな(笑)。
 そのあとJRの駅にも飽きたので久しぶりに世田谷線。近代化工事の記録が半端なところで終わっておりましたので、いちおう各駅の完成形をおさえるという感じ。こちらも一日フリーでさくさく回っておしまい。


<原宿駅>

 いや〜。
 一眼デジを使い始めたのが2006/08/25。ファーストショットは庭に出入りしているずうずうしい猫だったりしましたが。んで現在11月。稼動約2ヶ月ですね。で、駒数はすでに6700を越えております。36枚フィルム換算で186本ですかあ。EOS55は、最盛期で年36枚撮り170本くらいでしたから、すでにそれを上回っております。わはは(=^_^;=)。

 いやま、一眼デジが来てからコンパクトデジはほとんど出番を失っていますし、そもそも撮り方や被写体が以前とはさまがわりしているということはあるんですが、それにしてもなんだこりゃ。正比例でいくかどうかはわからないにせよ、このままのペースでいくと12ヶ月で40000枚とかいう数になるわけだなあ。
 えー、正直かなり諧調が狭くて苦労しており、露出違いのおさえとかも増えてますから、OKカットの比率は以前よりだいぶさがってます。半分くらいじゃないだろうか。とはいえ、それを上回るカット数で。
 まあ、それ自体はどうでもいいことなのだが。

 EOS-KissDとか、廉価な一眼デジが出てきてるじゃないすか。EOS-Kissなんて、フィルムの時代なら、たぶん「年にせいぜい10本撮るか撮らないか程度のユーザ」が対象だったんだと思うんだよね。その点、一日で百本まわしてしまいますみたいなEOS1系とかとは、使われ方のハードさが段違いだし、当然のように設計上の耐久性とかも段違いだったのではないだろうかと思量する。
 しかし一眼デジだと、ムービーカメラのように(笑)撮ってるひとがけっこう多いのではなかろうかなんて思った。それこそガキの運動会なんかでもさ、フィルムなら考えて撮るだろうけど、一眼デジならなーも考えずにスタートからフィニッシュまでモードラまわしっぱなしなんてことが平気であり得るわけだからな。
 同じクラスということになっているEOS-KissとEOS-KissDとの間でも、要求される耐久性はへたすりゃ2桁違うんではないだろうか。恐ろしいことだなあ(=^_^;=)。

 今借りてるNikonD70は、まあ中級機クラスだから、Kiss級ほどやわい設計ではないだろうと思うんだが、それにしても年間40000枚撮ってたらいつまで持つのかびみょーな気がしてきた。壊す前に返さないと・・・ってそういう話じゃなくてな(=^_^;=)。
 EOS55を買ったときに、はっきりとは覚えていないのだがカレンダーの年限がわりと限られていて、「ああキヤノンさんはこのカメラを一生モンとは思っていないのだなあ」とちょっとさびしい気がしたのであります。しかし一眼デジだと、もうそういう問題じゃなくなってるね。
 そもそも一眼デジは性能寿命がやたら短いので機械的寿命の話をしてもはじまらないということはあるのだが、しかしこんな使い方をしていたら機械的寿命という意味でも長持ちするとは思われん。まあ年間40000枚なんてのはかなりの異常値としても、年間10000枚くらいなら、廉価機の10万回級シャッターユニットでは10年で限界が来ちゃうわけだよな。おれが廉価機を使ったら2年ちょいで設計想定回数に達してしまう。
 D70を貸してくれたやつは、けっこうボディを更新していて、「フィルム費が浮いた分をカメラの更新に振り向け、カメラはもう消耗品と割り切るしかない」と言ってましたが、さもありなんという感じであります。

 いやあ。
 うちんちにころがってるライカコピーのキヤノン機はいまだときどき出番があったりするし、「カメラは一生モン」だった時代の風格みたいなもんを感じさせてくれます。しかしもうその時代はほんとに去っていってしまったのだなぁ、なんてしみじみ思う今日このごろなのでございました、はい。しかしそれにしても、ううむ・・・。

 本体の更新は、まあ、可能な限り早くできるようがんばります(笑)。そういうわけで今回の2日分で1300枚前後の撮影、本サイトにアップするものも500枚を突破する感じ。そうかこの問題もあったか・・・。  
Posted by 猫が好き♪ at 15:27 │Comments(6)TrackBack(1)
記事個別ページおでかけ報告clip!

2006年11月10日

紹介>風景:茨城県水海道

 風景シリーズ、茨城県水海道です。

 鉄道的には、関東鉄道常総線の南線北線のジャンクション駅。以前は機関区も置かれていました(今は南線区間側に新しい車輌基地ができているが)。
 水海道は、鬼怒川と小貝川に挟まれた場所です。水海道城の城下町であり、鬼怒川・小貝川ともにそれなりの規模の川ですから水運などにも使われていたのでしょう、交通の要衝としても栄えていました。ただ、鬼怒川と小貝川がもっとも接近した場所でもあり、いちばん狭いところではせいぜい1キロちょっとしかありませんから、決して広いわけではありません。逆にいうとまあ、市街地がまとまってより栄えたということもあるんでしょうが。
 というわけで、市街地は水海道駅の北西側1キロ四方くらいにまとまっていて、古建築なんかもそのエリアに集中しており、お散歩するには楽です(笑)。
 ま、鉄道趣味的にはあんまし水海道の町を歩こうって方向にはいかないと思うんですが、ストラクチャーハンティングとかをするにはかなりいい場所なんで、市街地にも注目したってくださいな(=^_^;=)。


風景:水海道>  五木宗レンガ蔵 [direct]

 では、いくつか見所を。

小貝川の木橋
 いっきなしナンですが(=^_^;=)、建物ではありません。木橋です。えーと、東から西にいくような並びなもんで。
 小貝川には、けっこう小さな橋が残されています。増水したら流されちゃってもいいや級の橋ですね。そのひとつが水海道駅からちょっと東に歩いたあたりにあります。他にもいくつか道路橋の方に載せてありますのでそちらもどうぞ。
 まあこの川幅の川をレイアウトに作ろうっちゅひとはそうそういないと思いますけど、橋脚の構造だのなんだのは参考にできるんじゃないでしょうか。

しんしんどう
 出桁造りなどに後年看板をまわした様式の商店ってけっこうみかけます(軒先が隠れていると出桁造りなのかどうかがわからず難儀します)。さて、たまたまそういう商店で看板部分を作りなおしているところに出くわしました。ほ〜こうなっていたのね、というかほんと単に看板をまわしただけだったりしてますが(=^_^;=)。

宝町会館の火の見櫓
 火の見櫓です。宝町会館というところにあります。えー、望楼部分に囲いがある立派なやつ。

・商店神社、その1その2
 なんだかよくわからないんですが、廃業したのだろう商店のあいている部分を神社に転用したものが2つほどみつかりました。永続的な神社なわけじゃないと思うんですが、どういう流行なんでしょうか。

報徳銀行水海道支店
 1923年建築の煉瓦積みの銀行建築。水海道市が買い取り、文化財的な位置づけとなって残されています。

水海道八幡神社
 戦国時代から存在していたという古い神社。社殿は瓦葺で寺院建築の要素を持つ、神社建築の本流のものではなく(まあ珍しいというほどのものでもありませんが)、水海道市の指定文化財。

五木宗レンガ蔵
 表題写真に使ったもので、水運業者だった五木田家の煉瓦蔵です。まあ煉瓦蔵なので、江戸時代級ではなく明治中期のものですが、三階建てという珍しいもの。国の有形文化財となっています。
 この五木宗レンガ蔵があるのは鬼怒川の川沿いの道で、水運時代の名残なのでしょう、土蔵ストリートとでもいうか、やたら土蔵が残っています。けっこう現役だったりするのがうれしい。

・というわけで土蔵ストリート
 煉瓦造りの「長田屋」、「立澤屋」、屋号不明1屋号不明2など。
 また、土蔵ストリートからメインストリートに伸びる道にも、廃業商店?、「水海道ライフサービス」、「八百久」などの土蔵建築が並んでいます。

・水海道第一高校の亀陵会館
 遠目には新しいんだか古いんだかよくわかんなかったのですが、近づいてみたら新しかった(笑)。旧講堂を模して建てられたという新築の学校施設棟です。

水海道天満宮
 鬼怒川沿いの神社。社殿は室町時代末期のものだそうで、わりと安普請で頻繁に建て替えられることが多い神社建築としてはすごく古いものです。

 えー、ここらへんで時間切れ夕暮れとなってしまいました。あといくつか見落としがありますので、また歩いてきましょう。
 見落とし物件のうちの大物は、旧水海道町役場(現二水会館)と、旧水海道小学校講堂ですかね。
 前者は1913年建築の洋館建築の役所建築。系列としてはなんだ、伊達郡役所なんかの並びですね。規模はだいぶ小さいけれども、建築模型を作るとなると伊達郡役所とかってけっこうでかくなるからなぁ(笑)。
 後者は1932年建築の木造の講堂兼体育館。この手の建物はがんがん重量鉄骨の近代的体育館とかに建て替えられてしまっていますからね、良好な状態で保存されているというのはありがたいことです。

 とま、そんなこんなで、水海道あたりでもけっこう丁寧に見ると面白いもんがあるんですよ、と。  
Posted by 猫が好き♪ at 03:09 │Comments(0)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月09日

紹介>東北の駅百選

 東北の駅百選、です。
 えー、関東の駅百選のときにも言いましたけど、全部をまわろうみたいな意思はないです。あちこちまわってるうちにコンプリートできればうれしいかな、とは思いますが。そんなこんなで東北の駅百選は現在18駅。

 駅百選は、関東が1997〜2000年にかけて、中部が1999〜2002年にかけて、近畿が2000〜2003年にかけて、それぞれ行われています。東北の駅百選は2002年のイベントで、要するに行われた中ではいちばん出遅れていたわけですが、一気に100駅を発表するという方法で近畿を抜き去って終了(笑)。
 駅百選は「公募に基づいて選定」とかいう誰もそんなん信じてないぞみたいな説明とともに行われる例が多かったんですが、東北の駅百選だけは「事業者からの自薦リストに基づいて選定」とされています。おそらくこれが実態を表しているのだと思う。妙に民主主義的な衣をまとわせようとしなかったあたり潔いなあと思いまして、おれは好感を抱いてます(=^_^;=)。

 表題写真はどれにするかなぁ。18駅しかないんでどれを代表として扱うかに悩みましたが。


東北の駅百選> 会津鉄道・湯野上温泉駅 [direct]

 えー、正直なところ、撮影済みのものはかなり偏ってます。JRの日本海側の駅なんかひとつもありませんし。行ったけどつまんなかったのか撮ってない駅ともいくつかありますねえ、今ならとりあえず撮っておくんだけどねえ。

 んじゃあるうちから印象に残ってるやつをピックアップしておきましょうか。リンク先は個別ページで、キーワードタグから一覧にはいることができます。

弘南鉄道平賀駅
 えー、とんでもない駅ビルです。農協ビルと一体化しているだけで、駅にはいると構内踏切のローカル駅だったりしますけど、この落差はけっこう衝撃的だったなあ。えーと、別にそれが悪いとかいうつもりはないです、どっちかというと田舎の鉄道は老人子どもの乗降性なんかを考えたらもっと構内踏切を活用すべき、というのがおれの持論ですし。

JR石巻線女川駅
 JR石巻線の女川駅です。石巻線の終端駅で、頭端式ホームを持つ風格のある駅です。

くりはら田園鉄道細倉マインパーク駅
 来年3月廃止が確定しているくりはら田園鉄道の終端駅です。なんかまあ、ありがちというか。うーん。そういえば百選駅も櫛の歯が欠けるように減ってきているんですよねえ(ためいき)。

JR東北本線白河駅
 1921年建築の木造三角屋根を持つ駅舎があります。以前は機関区も置かれていた基幹駅でしたが、新幹線の開通に伴い地盤沈下してしまいました。しかし駅舎やホームの造作には見るべきものがあります。

JR常磐線亘理駅
 常磐線の小駅。駅裏に悠里館という城郭デザインの公共施設があり、どちらかというとそっちが目だってしまっています。駅舎を新築して橋上化という話がありますが、どうなるんでしょうねえ。

会津鉄道湯野上温泉駅(別カット)
 表題写真にも使った駅です。裏づけを取っていませんが「日本唯一の茅葺屋根の駅」という説明をどこかで見かけた覚えがあります。ただし、建物そのものは古いものではありません。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:13 │Comments(6)TrackBack(0)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!

2006年11月08日

紹介>JR東日本・上野駅総合

 えー、上野駅です。
 1883年に開業。以来、東京の東北方面への表玄関となっていました。現在は、東北線(宇都宮線)・高崎線(上越線)・常磐線の東京側ターミナル駅。他にJRでは山手線・京浜東北線が通っており、また東京地下鉄銀座線・同日比谷線が接続しています。それから、ちょっと離れていますが、京成電鉄上野駅もあります。
 しかし。1985年に東北上越新幹線が開業、そして1991年にはそれが東京に延伸し、大半の新幹線列車が東京発着に切り替わりました。そして東北地方への表玄関の立場からは転落しつつ今に至っています。


上野駅総合> 地平ホームに待機する583系ほか [direct]

 で、上野駅です。
 いろいろな路線が入り組んでおります。で、波状に撮影していました。Disk版発売時点では74枚でしたね。そうこうしているうちに「上野駅」というくくりでは収拾がつかなくなってしまいました。それぞれの線区の上野駅の項目にずら〜っと駅舎が並んでてもうざいだけだからね〜。
 そこで、線区ごとに分割し、駅舎については独立項目を作って分離することにしました。そしてできたのがこの「上野駅総合」というわけです。
 まあなんだ、でかいターミナル駅とかだと線区別分類という方法にはかなり無理があるしね。まあおいおい、収拾がつかなくなった項目はこんなふうに整理をしていくことにしようかと。

 では、上野駅総合。

・中央口駅舎
 東北地方の表玄関だった中央口駅舎です。1932年の建築で、震災復興建築のひとつ。映画「三丁目の夕日」でも、六子が上京するシーンでCGで再現されていました。
 現在の状況は、御徒町側から全景道路側という感じ。駅前広場にはペデストリアンデッキが出来ていて当初の動線とは大きく変わっています。まあ、ここらへんはしょうがないんでしょうね。
 内部も、「エキナカ」とかで大きく変貌してます。ちょっと前まで古い喫茶店とか食堂とかあったんですけどねえ、きれいさっぱり絶滅してしまいました。

・中央口ホール
 中央口駅舎からはいったところにあるホールです。内部はまあ、たいして変わってないっちゃあ変わってないです。壁画も、記憶している範囲では、変わっていないような気がする。
 しかし以前、長距離列車がいっぱい出発していた時代にはワイアに札をぶらさげていて、それが上野駅の風物詩にもなっていたわけですけど、それはなくなってます。長距離列車の本数が激減したことと、電光掲示板が普及したこととの、あわせわざですね。現状こんなもん
 で、このホール、外から見るとどうなっているかと申しますと、こんな感じ。左に中央口駅舎、右に高架ホームが見えます。

・公園口駅舎
 上野公園側にも駅舎があります。上野の山の上に独立した駅舎が建ってます。最近はいってませんけど、ここの二階には食堂があるんですよねえ。古い上野駅の風情が残ってりゃうれしいんですが、んなことはないだろうなあ。

・地平ホーム
 表題写真にも使った地平ホームです。東北上信越方面への長距離列車が出発する表玄関の主役たるホームであり、いまでもわずかながら長距離列車が発着しています。「北斗星」とか「カシオペア」とかが発着する13番線とか。北陸方面夜行の「越前」や「能登」も発着してますね。常磐線の「ひたち」も長距離列車だな。

中二階通路
 地平ホームと高架ホームの間にある通路ですね。ここもちょっと前まで蕎麦屋とかありましてけっこう贔屓にしていたのですが、変わっちゃいましたねえ。

 あとはまぁ、それぞれ線区別。いちおう各線区の方とも重複掲載となってます。

常磐線高架ホーム
高崎線高架ホーム
山手線/京浜東北線ホーム

 最後に駅弁
 まあ長距離列車が残っていることもあって、駅弁もかなり並んでいます。NREの他駅でも売ってる駅弁が大半ですが「うえの弁当」のような限定商品や、NRE以外の調整元の駅弁(たとえばマコトの「銀鮭弁当」など)もあります。各地の有名駅弁を運んできて販売している店もありますね。個人的には「駅弁はその駅で買って食え」と思ってますけどね。

 ま、なんだかんだこんだけネタがあるんだから、やっぱ上野駅って凄い駅なんでしょうねえ。  
Posted by 猫が好き♪ at 00:21 │Comments(1)TrackBack(1)
記事個別ページ既存物件の紹介clip!
-- Livedoor's --