2011年01月25日

更新>茨城県玉造町の風景ほか

 更新しました。しかし今回は、お散歩報告でほぼ言い尽くしてしまった感じなんだよなー。どうしましょ(=^_^;=)。まあいちおう並べておきますか。

 鹿島鉄道がらみでわずかな追加。


鹿島鉄道跡BRT> 石岡バスターミナル [direct]

 まず、鹿島鉄道跡BRT(Bus Rapid Transit)関連の追加。
 撮り落としていた石岡バスステーションと石岡南台駅バス停を追加。
ついでに、ネット地図にはまだバス専用道路が記されていないものが多いので、BRT路線図をGoogleMap上に作っておきました。
 しかしそれにしてもなあ。なんで石岡駅と石岡バスステーションって、こんなにくっきりきっちり分けちゃったんかなぁ。距離はすぐそばなんだけど、視覚的にまったくご縁がないんですよ。おれ最初に代替バスに乗るとき、どこが乗り場かわかんなくて交番にいっちゃいましたもん。なんかどっかで誰かが根本的に間違っているような気がする。

 それから、玉造町駅および玉造町市街地。

 たいした変化はありませんが、玉造町駅の廃線後に多少の追加。
 前回訪問から1年半近くが経過していましたが、大きな変化はありません。
 ところで、前回通りかかったときに気づいていたのですが、なんでだかよくわからないのですが、行方市消防団第3分団第3部が、旧駅構内(貨物ホーム脇)から駅前広場に移築(?)されていました。もともと「なんでここに消防団の詰所があるわけ?」と聞きたくなるような場所に存在していたんですが、まあまあ常識的な場所に移動って感じ。たぶん移築だと思うんですが、多少窓の位置とかは変わっています。
 他に駅前モニュメントの再撮など。

 それから、玉造町市街地に大幅な追加。これまでにもあった駅前通りには追加、鹿島鉄道と平行していたメインストリートは新設。
 すでにお散歩報告で述べたことですが、正直、町並みのクォリティは高くはありませんね。前期看板建築や出桁造りなどの古建築はほとんど残されていません。後期看板建築やそれ以降の建築物に更新されていますが、そのあたりで更新がストップした感じでしょうか。
 また、1990年代中期に「中心商店街グレードアップ事業」というものが行われたようなのですが、その痕跡がけっこう痛々しい。ゲートを作ったり歩道などをキレイキレイにしたりという事業だったようなんですが、結果としてそれが町並みをぶちこわす最後の打撃として機能してしまったのではないかという感じがします。しかも、結局シャッター銀座化は食い止めることができませんでしたし。

 あと、撮り落とし分の補完で、ほっとパーク鉾田の外観とか。
 鹿島鉄道の保存車組のうち2輌はほっとパーク鉾田に保存されましたが、その移送や保存状況についてはすでに写真があったものの、施設そのものの写真がありませんでしたので。場所を提供してくれた施設なわけで、感謝もこめてご紹介ってところです。土日にしか行っていないせいかもしれませんが、案外お客さん多いんだよな。保存車を見に行ったら食事くらいしたってください。

  *

 全然別件。こんなもの作ってみましたー。
 2011年1月調査。1797品目(駅弁調製業者が作る駅弁以外の商品を含む)。

駅弁のリスト

 いや、特に何か目的があって作ったわけじゃないんですが、駅弁は業者も商品も栄枯盛衰がけっこう激しいじゃありませんか。そして、消滅業者の情報とか消滅商品の情報とかって、消滅後にはもうものすごく入手しづらくなっちゃうんす。そこで、ときおり「情報の定着・固定」をしとかないとつらいなあ、とか思ってたわけです。
 とりあえず、調製元の公式Webサイトから拾ってきたリストと、おれの実食情報を、とりまとめてみました。あと、駅弁以外も手広くやってる業者については、駅弁以外の商品(実用系弁当とか、高級仕出弁当とか)もそれなりに掲載してあります。
 えー、ヴァージョンアップとか考えたらかなりめんどくさいことになるんで、そういうことは考えないようにしようと思います。でも、とりあえず「2011年1月現在に駅弁として売られていたもの」の9割くらいは捕獲できてるんじゃなかろうかと思うわけで、まあそれなりに記録としては便利に使えるんじゃないかな。  
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2011年01月21日

時事ネタ>鹿島鉄道BRTの評価

 鉄道ネタなんだか時事ネタなんだか報道批評なんだかよくわかりませんが(報道批評ってのは、もう20年くらい延々と書き散らかしてきたネタなんですけどねー)。
 鹿島鉄道の廃線跡の線路敷を転用したBRT(Bus Rapid Transit)政策関連のネタです。当該プロジェクトの見たまま報告はこちらにまとめてあります


より大きな地図で 鹿島鉄道BRT を表示
赤=BRT区間 青=一般道路利用区間 黒=鹿島鉄道路線

 昨日書いたお散歩報告>茨城県玉造町(鹿島鉄道がらみ)に、「その『バス専用道』ですが、朝日新聞の地元欄に、こんな提灯記事が」というコメントがついたんですね。この記事、おれも「鹿島鉄道」でしかけておいたアラートで読んで「はぁ?」とか思っていたものなのですが、電話でコメントしてくれた方と話をした結果、おれがエントリ立てることにしました。記事引用をやるとすると著作権的リスクってあるわけで、そのリスクはおれが背負う方がいいだろうという結論になりました。そうしておけば、もしも万が一抗議なり告訴なりが来たときに、おれが管理者権限で編集すれば受け流せますから(=^_^;=)。

 というわけで、まず朝日新聞社茨城県版マイタウンからの記事引用。閲覧は2011/01/20。写真は省略。記事タイトルのリンク先が出典を兼ねます(リンクを切るのは朝日新聞社の勝手だが、リンク切れを理由として「引用要件としての出典明示義務を果たしていない」とか言うなよってことです)。

<引用ここから>

鹿島鉄道跡、バス快走 渋滞なし「評価」、利用15%増
2011年1月18日 asahi.com> マイタウン> 茨城> 記事

 廃線となった鹿島鉄道の線路跡に整備された専用道を走るバス高速輸送システム(BRT)が昨夏に運行開始されてから4カ月余り。石岡市が、その利用状況の調査結果を発表した。それによると、BRT以前の通常の路線バスに比べ、平日の利用者数が16%増加。市は「渋滞に巻き込まれない『定時性』が評価された」と見ている。

 バス専用道は、廃線となった石岡駅―小川駅(小美玉市)間の7.1キロのうち石岡―四箇村駅(同)間の5.1キロ。昨年8月30日から平日で112便の専用バスが運行。専用道を経由して茨城空港や行方市などへ運行している。

 市の調査は、石岡駅―小川駅間について、鉄道廃線に伴って運行していた代替バスの昨年4月時点と、昨年9、10、11月のBRTの利用者数の推移を比較調査した。

 その結果、BRTは昨年11月時点で平日1日あたりの利用者数が922人で、旧代替バスの同794人に比べて16%の増加。休日は6%増にとどまったが、平日と休日を合わせた全体で利用者数が15%伸びた。

 BRTは、平日に限れば運行開始間もない昨年9月と比べても、11月は8.5%の増加と、順調な伸びを示した。

 市によると、鉄道廃線に伴い親たちのマイカー送迎に通学手段を切り替えた高校生たちが沿線に相当数いるとみられ、通学生らの「回帰」がBRTの利用増のカギ。

 市企画課では「運行会社の関鉄グリーンバスなどで検討を始めている定期券の割引率の向上や、2月のダイヤ改正で深夜便と早朝便の運行時間が2分短縮されれば、利用が大幅に伸びる環境が整う」と期待している。(長田寿夫)

<引用ここまで>

 おれには、この記事が「提灯記事」なのかどうかは、よくわかんないです(「提灯記事」というのは、誰かにおもねってそいつをイイキモチにしてあげることを目的として書かれた記事、くらいの意味。このばやい、イイキモチにすべき相手は石岡市でしょうが、朝日新聞社や長田寿夫記者にとって石岡市が公平性を疑われてもいいからイイキモチにしてあげるメリットがある相手であるような気がしないって感じ)。ただ、不勉強な記事だなあとは思います。

 この効果測定というのは、おれも実見してます。おれが乗ったとき、バスの運転手は、バス停に止まるごとに「乗車人数」と「降車人数」を、メモしていました。そうすることを要請されていたのでしょうねえ。
 でも手動でメモが取れる程度しか客はいなかったってことなんだよね。そういうレベルで公共交通機関を語ってもしょうがないだろう、みたいな感覚が禁じえない。

 おれ、平日の通勤通学時間帯とかに鹿島鉄道代替バスに乗っていないので断定は避けたいんですが、土日祝日に2回ほどは乗っていて、まあほとんど「空気輸送(乗客がほとんどいない状態のこと)」だったりはしたわけですよ。鹿島鉄道時代も空気輸送だったような気はするんですけど。んで、行ったら自分が乗っていない便についてもどのくらい乗客がいるのかの観察はしていたのですが、あいかわらず空気輸送状態だったように思うんですよ。2回乗った往路(下り、つまり石岡→鉾田方面)でも5人以上は乗っていませんでしたし、1回しか乗っていませんが復路(上り、つまり鉾田→石岡方面)では3人くらいしか乗っていなかったような気がする。それぞれ対面交通の車内も見てましたけど、立ってる客がいた便はなかったような気がする。この石岡市がやっているBRTプロジェクトは、決してうまくいってはいないような気がする。

 細かい分析を拙速にやって墓穴を掘るのは避けたいので、言明はやめときます。でもなんかね、おれの実感と、この記事が述べた「BRTプロジェクトはうまくいっている」という評価とは、食い違うんです。
 この違和感については、気が向いたら後日改めて各種資料をきっちり見た上で、何か書ければいいなあと思います。おれはコンサルタント業者はやっていないので、調査にはコストがかけられませんから、敵前逃亡のように「書かずに済ませる」という選択をする可能性が高いんじゃないかとも思うのですけどね。

 なんか、世の中疲れることばっかしだなあ。

  *

 公共交通機関の廃止スキームなどについては、ちょっと思いつき、先日友人と議論をしたことがあり、これはそれなりに良いアイディアではないかと思ったこともあるので、そこらへんはもうちょい煮詰めてから、書くかもしれません(ていうか、書くかどうかをこれから煮詰めるって感じ。思い付きをへたに口にしたら、アイディアを殺してしまうかもしれませんので)。  

2011年01月20日

お散歩報告>茨城県玉造町(鹿島鉄道がらみ)

 久々に鹿島鉄道の保存車を訪ねる。主たる目的は届け物。

 公共交通機関はそういうわけで代替バスしかないんですが、猫と遊んでいたら5分の差で鉾田行きのバスを逃してしまう。玉造町行きバスが1時間後、鉾田行きのバスが2時間後。はぁ。鹿島鉄道があった時代はどうだったかなと思ってダイアグラムをチェックしてみたところ、やっぱ不便になっているような気がする。
 しょうがないんで、まずは石岡でゆっくり昼飯を食い、そのあと1時間の時間差を利用して玉造町を歩いてみます。今は行方市玉造になっているところですね。

 玉造町。
 霞ヶ浦北岸の町で、霞ヶ浦に注ぐ梶無川の左岸に市街地が広がっています。霞ヶ浦漁業の拠点地のひとつで、町域には荒宿漁港と手賀漁港の2つの漁港があったようですが、この集落は玉造町市街地とは離れています。歴史は調べていませんのでよくわかりませんが、霞ヶ浦水運の拠点地だったんじゃないでしょうか。
 鹿島鉄道の玉造町駅は、市街地の北端に位置しており、駅南側にわずかな駅前通りがあっただけですが、市街地の中心部はその駅前通りを突き当りまで歩いたあたりから更に南東に向かって伸びていたのですね。なので玉造町の町並みは鉄ちゃんたちには知られていなかったのではないかと思います。車で通りかかったとかいうひとはそこそこいたでしょうけれども。
 新道は市街地を南西側に大きく外れて走っており、住民動線はかんっぜんにはずれてしまっています。
 以前には駅前通りだけは歩いていました。以前撮影分。今回は1時間くらいありましたから主要市街地800メートルくらいの区間を見てきました。



 駅前通りを抜けてメインストリートとのT字路のところにあるビルです。三階建ての大規模な飲食店だったと思われるものです。建物としては現役っていうか現住のように見えますが、商店としては営業していないようです。この規模の商店があったわけですから、一時期は町はそこそこ栄えていたことがわかります。しかしこのクラスの資本家ですら閉店しちゃっているわけですから、町の状況が厳しいこともわかります。



 メインストリートにあった四階建ての廃墟ビルです。こちらは建物として退役物件のように見えます。かなりの数のガラスが割れています。そういや「割れ窓理論」なんてあったっけなあ。でも割れ窓理論とかそういうのとはベクトルが違うんじゃないかという雰囲気がございました。
 ビル本体はそれなりに新しいもののように見えます。様式としては1970〜1990年くらいの建築でしょうか。そういうビルがこういう廃墟になっちゃってるんだもんなあ、と言ったところ友人は「その年代にこのクラスのビルを玉造町に建てようと思ったのがもう間違いだったのではないか」なんて言っておりましたが(=^_^;=)。

 玉造町市街地全体の雰囲気ですが。
 古建築はほとんど存在しません。古い日本建築や出桁造りくらいは多少はありますが、前期看板建築は見当たりません。幾度か通りかかった時のおれの評価とも一致しますが、そういう意味で「町並み観察」の対象地としての魅力は少ないです。後期看板建築や現代建築はそれなりに存在しています。
 ざっくりまとめると、つい最近までは建物が順調に更新され続ける程度には栄えていた町であり、今でも農業地・住宅地としてはそれなりに健在。ただし商業都市という側面は昭和後期あたりを境に急激に地盤沈下し現在ではもうほとんど機能していない、という感じでしょうか。なお、南西部に出来た新道沿いにはロードサイド店舗などがそれなりに展開しており、車さえ持ってりゃ遭難するようなことはありません。車がないと生きていけない場所にはなってしまっていますが。

 別にこうなにもかもの責任を鹿島鉄道の廃止に押し付けるわけじゃありませんし、鹿島鉄道が健在だった時代にも衰退は進行していたわけですが、いやあしかしいつどこで誰が間違ったんだろう、実にこう見るからにしんどい風景が広がっていましたねえ。けっこう深刻に欝が加速しちゃったような感じがいたしましたわ。

 おまけ。道路元標。



 玉造町道路元標です。
 道路元標というのは、道路政策の基点を示すための工作物。明治時代からはじまった風習で、大正時代に法制化され、地方自治体ごとに道路元標が置かれました。おれはたいして興味がなくたまたま目にしたものを撮影しておく程度ですが(茨城県真壁町埼玉県浦和町埼玉県所沢町日本国)、Yahoo!ワイワイマップには「全国★道路元標マップ」なんてのもあったりして、現時点で153件ほどの位置情報がありますので、こういうのがお好きな方はどうぞ。

 んで、さぶい日だったんすよねー。珍しくも茨城県南部にもかなりの降雪がございまして。雪道を走りなれていないやつらが走るものだから、道路はあっちもこっちもミラーバーンになってまして。んで、ずぼ、とか道端につっこんでいる車をずいぶん見かけましたわ。



 これなんかたいした事故じゃないんだが、ミラーバーンが解消するまでは引き出せないよなーって感じで。ひとばんくらいはほっておかれたのではないでしょーか(=^_^;=)。

  *

 恒例、猫ハンティング。

 石岡でみつけた猫エリア。今回で2回目の対面ですからまだ顔見知りとか顔なじみとかいうレベルではありませんが、気配を殺して座っていたところ、だいぶ警戒心はゆるめていただけたようです。


にゃんこ(三毛)


にゃんこ(シロアカブチ)


にゃんこ(くろん)


にゃんこ(キジナガ)

 もひとつ、玉造町で見た風景。紐なしわんこ。いまどきこのサイズの犬がひもなしで街中をうろうろってのはあまり見かけないのですが、いいもん見ちったなあと思うべきか寂れてるんだなあと思うべきかでけっこうとまどってしまったのも事実だったのでございます。



 更新は、近いうちに。寒いものだからパソコンが落ちなくて楽でいいわ(=^_^;=)。  
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2011年01月12日

天竜浜名湖鉄道のダイアグラム・文化財情報ほか

 いやー。思いつきで「天竜浜名湖いこーぜ」という話が一瞬だけ持ち上がったんですが、なんせ思いつきなものであっとゆー間にぽしゃったのでございます。ただ、思いついてぽしゃるまでに一週間くらい間があってね、あんなとこなかなか行けないよなーとか思ったもので珍しく緻密に予定を立てることにして、ダイアグラム作っちゃったんすよね。いやあWinDIAを起動するのなんて何年ぶりだろう。
 そういうわけで、なんか文脈不明ですが、このまま抱え込んでいても不良在庫になるだけだと思うのでもったいないからアップしときます。


天竜浜名湖鉄道のダイアグラム> 2010年3月13日改正 ※クリックで印刷用JPEG

 ブルーは駅にはいっているテナントの営業時間ですが、当然ですがウヤっていうか定休日あるし、西気賀のグリル八雲だけだけども土日だけ運転時間が違ったりするし、売り切れ御免な店もあるし、印の時間は確実に営業してるってもんじゃないので、そのあたりは要確認です。
 作成ソフトはWinDIAでその出力をPhotoshopで加工したものなので、縦は駅間距離に比例してません。距離の数字あたりはあとで加工して入れたもの。
 不整合は退治したんで大きな間違いはないと思いますが、使うんだったら自己責任で。

 いやあ。ダイアなんてそうそう改変されねーだろ夏にでも行けばいいじゃんとか思わないでもなかったんですが、改定日時を見たら去年の3月やん、このダイア長持ちしそうにねーなってあたりが蔵出ししちゃおうと思った理由。データの打ち込みなんてこの程度ならほんの1時間か2時間なんすけど、一度やった作業をまたやるってのはかなり気分が重いし、まあやんないだろーなって感じ。

  *

 おまけ。調べたらいろいろ面白かったので、その蔵出しもしときます。下は持っていく印刷資料用として作ったメモ。GoogleMapってこういう使い方もできたのねえ(って、もともとこういう使い方をするためのものだろうって気もするわけだが)。


より大きな地図で 天竜浜名湖鉄道関連 を表示
天竜浜名湖鉄道登録文化財 廃線路線関連 その他

 天竜浜名湖鉄道は、国鉄二俣線を転換した第三セクターで、ざっくり言うと「第二次世界大戦中に、海岸沿いの東海道線が砲撃された場合にそなえた迂回路として建設された路線」なので、浜名湖を大きく北側にまわりこむように作られています。
 第三セクターの例にもれずあまり経営は芳しくなく、いろいろやっていて、んで若桜鉄道・わたらせ渓谷鉄道と並び「全線の文化財化」というのを試みています。現時点で全36件だったかな、駅舎やら扇形車庫やら橋梁やらを有形文化財として登録。
 まあそういうわけで、『D列車』流れっていうか、一度見てみてもいいかなあと思ったわけだ。

 が、しかーし、それだけでは終わらないのだ。あわせわざになっちゃうネタがいくつもあんのだよねえここらへん。

 まず、廃線。
 なんでか知りませんが、東海道線と天竜浜名湖鉄道との間は屍累々って感じなんすよね。生き残っているのは遠州鉄道電車線(浜松~西鹿島)の1本だけなんですが、他に3本もあったわけよ。西から遠州鉄道奥山線・光明電気鉄道・静岡鉄道秋葉線の3本。上記地図で南北に走っている線がそれ。
 奥山線はいとしのナローゲージだし、光明電気鉄道は「悲劇の」とかよく言われますがもう笑っちゃうしかないくらいに無謀にチャレンジングで自爆した路線だし、秋葉線はのーどかーな路面電車だし、いずれもかなり気になる路線ではあるわけです。まあ、今回は廃線探訪は主目的ではないわけですが、前2線については多少の遺構があるみたいなので、時間が許すなら訪問してみたいって感じ。しかしそれにしても似たようなところに4本も平行路線が建設されうち3本までが討ち死にしているってどういうことだよ(=^_^;=)。

・廃駅位置情報
 遠州鉄道奥山線
 静岡鉄道秋葉線

 光明電気鉄道は、ちゃんと調べてないんで、わかりません。上記地図のラインにもたいした信頼性はありませんので、そこらへんヨロシク。

 鉄道関連では、おまけで佐久間線。
 天竜二俣から北上して飯田線の佐久間駅あたりまで行く予定で建設が進められていました。が、国鉄再建騒動で1980年に建設が凍結されそのまま未成線に。
 ほとんど思い入れはありませんが、その後まんが作品『たびてつ友の会』の「幻の佐久間線」というエピソード(ヤングアニマル1997年10号/名物!たびてつ友の会(5))で取り上げられ、それはちょっといい話だったもので記憶に残っています。

 それから、旧道筋。
 旧東海道は浜名湖のあたりでは船を使っていたんですが、船を使うのがいやだっていう旅行者はそこそこいたわけで、内陸をまわって陸路でつなぐルートがありました。正街道に対して姫街道とか呼ばれるやつだね。磐田あるいは浜松から内陸部にはいります。それが、遠州鉄道奥山線から天竜浜名湖鉄道の西半分のルートにある程度重なってます。
 ここらへんはもう陸軍迅速測図の範囲を大幅に出てしまっているのでちゃんと旧道のルートを確かめたりはしていませんが、気賀宿と三ケ日宿が、気賀駅と三ヶ日駅に重なってます。
 もともと脇往還ですし、関東外縁都市群と同じような位置づけの場所なので、現在ではさほど町は栄えていなさそうです。ということは、そこそこ町並みとかにも期待が持てそうな気がしました。

 もひとつ、遠江森町。
 別にこう森の石松とかには興味ないんですが、下調べの段階ではどの程度町並みが楽しいのかわからんという感じではあったんですが、遠江森町(駅名では遠州森駅)もそれなりに面白そうではございました。

  *

 調べてて思ったんですが、天竜浜名湖鉄道のオフィシャルページって、けっこう出来がいいんですよ。情報はちゃんと整理され掲載されているし、ナヴィゲーションも悪くない。
 まあ「この情報がないやんけー」っていうところはそれなりにないわけじゃないんですけどねー。個人的には、駅にはいってる飲食店のメニューや単価帯があるとうれしかったし、登録有形文化財全36件のリストもあってほしかった(「世の中に存在しないものは自分で作れ」ということで、下に作っておきましたけれども)。そんなこんなでまだ改善の余地はあろうかとは思うわけですが、でもけっこうセンス良くまとめてあるわけよ。
 リリースで「浜松商工会議所主催の第6回浜松ホームページコンテストの最優秀賞の一つである浜松市長賞を受賞いたしました」とかうれしそうに告知してますけど、まあこれだけちゃんと作ってあるんだから、ほめられてしかるべきとか思いました。今回の空振りした下調べではこの天竜浜名湖鉄道のオフィシャルページをそこそこ使わせてもらいましたので、おれもほめておこうと思ったわけっす。

 おまけで資料。
 そういうわけで、登録有形文化財全件のリストは入手しやすいところには存在しません。文化庁のデータベースにもまだ5件だけしか格納されてねーし(ちっと仕事遅いぞ(=^_^;=))。なので報道発表からリストを作成しておきましたので、添付しておきます。「×」つきが天竜浜名湖鉄道のWebページに記載がないものです。並び順は掛川側から新所原に向けて。正確な場所がまだ突き止められていないものが3件ほど残っており、それには「場所不明」と明記してあります(区間は判明しています)。 2011/02/01追記。全文化財の場所が判明しました。マップにも付け加えてあります。

天竜浜名湖鉄道・登録有形文化財一覧 2011年1月現在
富部橋梁場所不明:掛川市富部666-3)×1935
桜木駅本屋及び上りプラットホーム 1935
原谷駅本屋 1935
原野谷川橋梁 1935
太田川橋梁 1935
遠州森駅本屋及び上りプラットホーム 1935
遠江一宮駅本屋 1940
一宮川橋梁×1940
神田隧道×1930(光明電気鉄道建設)
天竜二俣駅本屋 1940/昭和後期改修
天竜二俣駅上り上屋及びプラットホーム 1940
天竜二俣駅下り上屋及びプラットホーム 1940
天竜二俣駅運転区休憩所 1940
天竜二俣駅運転区事務室 1940
天竜二俣駅運転区浴場 1940
天竜二俣駅機関車扇形車庫 1940
天竜二俣駅機関車転車台 1940
天竜二俣駅運転区揚水機室 1940
天竜二俣駅運転区高架貯水槽 1940頃
二俣川橋梁 1940
天竜川橋梁 1940
岩水寺駅待合所及びプラットホーム 1940/1991改修
宮口駅本屋及び上りプラットホーム 1940
宮口駅待合所及び下りプラットホーム 1940
都田川橋梁 1940
瀬戸山橋梁
場所不明:浜松市北区都田町7490-10)
×1940 都田~浜松大学前~金指
瀬戸橋梁
場所不明:浜松市北区細江町中川382-3他)
×1938 浜松大学前~金指
金指駅上屋及びプラットホーム 1938
金指駅高架貯水槽 1938頃
気賀町高架橋 1938
気賀駅本屋 1938/1970・1987改修
気賀駅上屋及びプラットホーム 1938/1959改修
西気賀駅本屋 1938/1989改修
西気賀駅待合所 1938/1959改修
三ヶ日駅本屋 1936/1987改修
利木隧道×1936
  
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2011年01月08日

本>佐々木譲の、面白いけどなぜか感動のない作品群

 そういうわけで、おれには気に入った作家が何人かいます。佐々木譲はその最右翼。過去にも幾度となくこのWeblogでも言及しています。ま、全作品を漏れなく読んでいるというほどの熱心な読者ではありませんし、どうにも合わずに読まないことにしている作品群もありますが(北海道ウェスタン系とかは、おれはだめだなあ)。おれはそれが誰であろうとも信者になる気はないので、まあまあ健全な感覚かなあと思うわけですが。

 ところで、その佐々木譲の作品の中でわけわからないのが、「たいへんに面白いのだが、なぜか感動がない作品群」というやつ。面白いんですよ。だから、ものすごいスピードで読み進んでしまったりします。最近読んだ『疾駆する夢』なんて、文庫本上下1400ページの大部の作品なんですが、イキオイで一晩で読み終わりそうになり、あまりにもったいないのでなんとか途中で打ち切って二晩に分けたくらいで。
 しかし読み終わったところで、不思議なくらいに感動がないんですね。「あ、終わった」みたいな感じ(=^_^;=)。これはいったいなんだ、というのを考えはじめちゃったわけです。

 ぱっと思い浮かぶところで、このカテゴリに該当するのは以下の2作品。


警官の血・上(新潮文庫)

警官の血・下(新潮文庫)

 この『警官の血』は、三代にわたる警視庁警察官の家系を追った大河小説。第二次世界大戦敗戦後の大量採用期に警官になりその後芋坂跨線橋から転落死した初代、新左翼への潜入操作を命じられ公安警察官として大手柄をあげたが人格が崩壊し薬物事犯の逮捕に際して殉職した二代目、知能犯部門の刑事として綱渡りをしつつ実績をあげていく三代目、の三代記です。
 最近、初代と二代目が勤務したことになっている天王寺駐在所をはじめとする場所の舞台めぐりをしてきたのはすでにご報告した通り。日暮里駅脇の芋坂跨線橋も第一部のエンディングに登場しています。


疾駆する夢・上(小学館文庫)

疾駆する夢・下(小学館文庫)

 この『疾駆する夢』は、第二次世界大戦後に会社を起こして自動車の大メーカー(っていうか中堅メーカー)にまで育て上げた経営者の一代記です。メーカーは架空の「多門自動車」と名づけられていますが、まあホンダや松下やソニーを彷彿とさせるなかなかにエキサイティングな物語です。こちらはまぁ、舞台めぐりはやってません。

 やー。いずれも面白いんですよ。
 なんていうか、どちらも大河小説ですから前半から中盤にかけてはものごころついて以降のおれの人生と重なってなくてあんまし実感はないんですが、個々のエピソードを構成するできごとは、それなりに知識があるものが多い。ああ、あの頃はそういう時代だったのね、といった部分はあるわけです。
 たとえば『警官の血』では、敗戦直後の上野の浮浪児やヤミ市とか安保闘争(1960年と1970年)とか大菩薩峠事件(1969年。これは第二次安保闘争に関するもの)とか。『疾駆する夢』では、1963年から行われたことになっているル・マン24時間耐久レースへの挑戦とか(時代は10年違うんだが、1973年からのシグマ・オートモティヴという日本のチームによるル・マン挑戦を、ちょっと思い起こさせる)、マスキー法対策での大騒ぎ事件(1970年頃)とか。個々のエピソードは、とても綿密な調査・取材に裏付けられて組み立てられており、面白い。でも、そういう念入りな調査に裏付けられて組み立てられた数十年分の膨大なエピソードを読み通すと、そこにはその膨大なエピソードを受け止めるオチらしきものがないままに、すんなり物語が終わってしまうというか。
 おれ、なにがなんでもオチをつけろっていう感覚はないような気がするんですよね。世の中、実際にはそうそうオチなんかつかないってのはわかってますし。また『疾駆する夢』のもしかするとオチかもしれないエピソードがおれにとってオチではないのは、だいぶ前の文庫版下巻1/3あたりで見えてしまっていたからかもしれず(ああ、冒頭から触れられている新社長ってこいつの息子か娘なのね、ということ)、そうだったらそれはおれの特殊事情。
 でね。なんかまあ、普通はこう、「読んだどーっ」みたいなそれなりの感動があるわけだけど、それがない。それはないんだけど、ないことが不満なわけでもない。これって、すんごく珍しい読後感なんですよ。この奇異な読後感が、けっこう興味深い。

 まあそういうわけで、どこを切り取ってもそれなりに興味深いエピソードが散りばめられています。なのでおれは、ときおり手に取っては適当なページをひらいていくつかのエピソードを読む、みたいな読み返し方をしています。なんていうの、全体として大河小説かもしれないんですが、連作短編を拾い読みするみたいな読み方になってるのね。基本線として、おれはけっこう気に入っているのだろうけどなあ、なんか位置づけがうまく決まらない。

 佐々木譲作品としては、どっちかっつうと「比較的短い時間に起きた出来事を、濃密に描き出す作品群」の方に、おれは感動します。
 たとえば『ベルリン飛行指令』だと、いろいろ前置きはあるけど主たる物語は零式艦上戦闘機が日本を飛び立ってベルリンに着陸するまでの間に展開されている。たとえば『エトロフ発緊急電』では、これまたいろいろ前置きはあるけれども、主たる物語は、アメリカ合衆国のスパイであるケニー斉藤が日本に潜入したところから大日本帝国海軍の機動部隊が単冠湾を出航して真珠湾攻撃に向かうまでの間に展開されている。たとえば『夜にその名を呼べば』では、さらにまたいろいろ前置きはあるんだけど主たる物語は「スパイの濡れ衣を着せられて東側に亡命した男が帰国してくるはずの前後半日程度」に圧縮されている。『真夜中の遠い彼方』に至っては、舞台は新宿歌舞伎町に限られ、プロローグとエピローグを除けば時間もそこでの凝縮された数時間だけだし、短編だけど『鉄騎兵、跳んだ』ではモトクロスのスプリントレースがはじまって終わるまでの間に小説が終わってしまうのだからな(いや、カットバックはあるんだけどね)。

 なんかこう、小説と読者との間には、あるいは小説家と読者との間には、いろいろな相性とかあるんでしょうね。おれの場合、他には海老沢泰久の場合、長編は相性が良いのだが、短編は徹底して合わなかったりします。二三冊は買ったのだけどあとはもう海老沢泰久の短編集は跨いで通ろうと思っているな(=^_^;=)。
 おれにとって佐々木譲は、ある程度は長く、だけどとんでもなく長くはないような微妙な長さの長編小説で、しかも濃密な時間を切り取るタイプの作品がなじむ作家である、ということなのでしょう。

 この佐々木譲の大河小説2作品は、こういう相性問題みたいなものを自覚するきっかけになったみたいな面があります。感動の有無を通じて、そういう「自分に還ってくる視点」を提供してくれた。
 そういう点で、本読みとしてのおれにとってけっこう重要な作品群であるように感じています。  続きを読む

2011年01月04日

本>日本初「水車の作り方」の本


日本初「水車の作り方」の本 (小学館文庫)


 どう説明すりゃいいのかなあ。なんだかよくわからない本です。あ、つまらなかったという意味ではありません。えーとこれは先に目次を紹介した方がいいんだろうなあ。というわけでまずは書誌情報と目次をどうぞ。

== 書誌情報 ==
日本初「水車の作り方」の本
 著:吉田燿子 イラスト:寺垣豪憲
 (講談社文庫552)
 2000年8月1日 初版第1刷発行
 講談社 ISBN4-09-411371-1
 552円+税

==目次(簡略かつやや増補版)==
・口絵(巻頭グラビア)
・はじめに
・なぜ水車は“コットンコットンと回る”か
・水車作りに挑戦する
  水車のイロハ
  城端町を訪ねる
  水輪作りに挑戦
  動力部分を解剖する
  <水車大工列伝1 野瀬秀拓>
・広げよう、水車の世界
  楽しいからくり水車
  揚水水車の世界
  <水車大工列伝2 妹川矩雄>
・全国水車見て歩き
  映画の中の水車(長野県穂高町・群馬県大間々町)
  小鹿田の唐臼の響き・・・大分県日田市
  鮭と水車の「真昼の決闘」・・・北海道千歳市
  水車からくりが奏でる鎮魂歌・・・鹿児島県知覧町
・おわりに
・「水車の作り方」の寸法の目安
・もっと教わる、見に行くための問い合わせ先一覧
・参考文献


 水車とひとくちにいっても、大別して2種類あります。ひとつはかったんこっとんのんびり回っている日本の原風景的な水車(一般的には木造)。もうひとつはびゅーんとまわっている発電用などの近代水車(一般的には金属製。マイクロ発電用小規模水車なんかはこっちの一分野でしょう)。本書は前者の水車を扱っています。
 んで、専門書ではありませんね。小学館文庫で専門書を出してどうする。まあ、入門書ってことになるんですかね。ここに入門希望者がいるっていうか、入門書のニーズがあると思った編集者(文中では「Sさん」としか触れられていない)がなによりも凄かったってことかもしれません。

 水車くらいはあちこちで見た覚えはあります。でも、せいぜい民家園なんかにある保存建築物・再現建築物として、あるいは観光用の装飾品・外装品として蕎麦屋が作りつけたもの、そのくらいしか見てないんですよね。とても珍しい、つまり一般的ではない建築物としてしか目にはいっていませんでしたから、知識があるかっつうと、おれにはありません。

 本書が扱っているのはわりと初歩の知識、あるいは(作り方のあたりは)ある程度偏った知識なんだろうと思います。たとえば、こんなのどうよ。左から「下掛け」「胸掛け」「上掛け」と呼ぶらしい。左と右のものの存在は知っていましたが名前は知りませんでした。中央のタイプは存在すら知りませんでした。ほー、って感じ。



 他にもこう、水車には大別して「動力用」と「揚水用」の2種類があるとか、地域や大工によって水輪(と呼ばれる円形の部品)をどう支えるかという補強の様式が異なるとか、基礎の基礎でおれが知らないこと、っていうか意識してこなかったことがずいぶんあるんだなぁ、とか。世の中には「水車キット」なる商品があってそれがけっこういいお値段で取引されているとかいうあたりも目鱗でございました。
 水車の作り方あたりになると無駄に中途半端にディープな方向に暴走しているようにも思いましたが、「読んで楽しむ製作マニュアル」と思えばいいんだろうな。

 ついでになんですなあ。「胸掛け」「上掛け」だと、水を貯める羽根部分の設計でずいぶん効率が違ってくるなんていう指摘も。あーそりゃそうだろうなあ。どういう設計だとより良い効率を得られるのかとか考え始めたらけっこう止まらなくなってしまいますた。こういうの、思考ゲームとしてけっこう面白いんだよなあ。どうでもいいんだけど下記。


 左が、比較的多く見られる放射状の水受板を持つ水車。上掛けの場合、円周の1/4の範囲で水の重さを回転力に変換することができますが、胸掛けの場合には衝動水車(水の勢いを使うもの)としては機能しますが、水の重さは無駄になります。
 真ん中は、水受板に傾斜をつけた水車。この図では45度傾けていますが、一般には20度くらいまでらしい。45度で設計すると水を溜めることができる距離が円周の1/3くらいまで伸び、貯水量も増えますので、だいぶ効率は改善されます。
 右は、おれがさっき思いついたもの。水輪の円周に沿って水溜板を追加。水を受ける口が狭まってしまいますが、水を溜めることができる距離は円周の1/2近くまで伸び、量は更に多くなりますから、上掛け・胸掛けのいずれであろうとも、水の重量をそれなりに効率良く回転力に変換できるはずです。水量は左端で満タンになるくらいでちょうどいいはずで、あとは水量と見比べて幅を決めればいい。いちばん左のやつと比べると、同じ水量で少なくとも4倍くらいの動力を発生させることができるはずです。
 江戸時代に生まれて水車大工としてこれを思いついていたら、それなりに名工として言い伝えられていたかしらんなあ(笑)。でも水輪の半分くらいが板でふさがれている水車って、見慣れたものではないので、風景として美しいかどうかっつうと微妙なところだな(=^_^;=)。

 本書の欠落点は、そうだなあ。水車の実用性のあたりでしょうか。
 まあ今となっては、水車は動態保存+多少の実用性とか、観光目的の装飾用とか、そのくらいの位置づけしかないでしょう。でもまあ、もともとは実用性のあるものとして誕生し、重用されてきたものです。そういう側面での解説は、浅い。
 現在では揚水ポンプと組み合わせればどんな水車でもそこそこ回せますけれども、ポンプアップされた水で回すのって邪道でしょう(ついでですが、観光用の下掛け巨大水車とかってのも、おれはくだんないと思う。下掛け水車だったら直径にはたいした意味がないじゃん)。
 限られた自然水流でうまく回すにはどうしたらいいかという積み重ねられてきたのであろう知恵あたりにも、もうちょっと言及してほしかったなあ。

 おれは特にこう水車に詳しくなろうと思っていないのですけどねー、でも必要性の薄い知識を学ぶのって楽しいものですからねー、そういう意味ではこういう軽い入門書っていいもんだわぁ。類似のベクトルの持ち主の方にとっては好適な本ではなかろうかと思うのでございます。
 ただ、学術本ではないし筆者はかなり気をつけて信頼性を文面に反映している気配が感じられますが(つまり信頼性が薄い部分については伝聞形式にするなどしているように思えますが)、結果として根拠情報や文献を確認した上での信頼性の高い記述となっているとは限りません。まあなんていうの、教科書なんかもそうだけど、通説に属する範囲では書き飛ばしがある可能性があり必ずしも信じられるわけではない、という懸念が残る。おれだったら、別ソースを確認するまでは、この本を根拠としてなにかを主張することはないだろうなあ、という感じ。そういう本は少なくはないから特段のマイナス要因とはならないけどね(ふっ)。

 評価。

★★★☆☆

 ただまあ念のためだけど、そういうわけだから「入口としての価値」に限定しておきたい。

  *

 さてしかしここで話は終わらない。

 いやね。あんまし買う気もないのですが、もっと詳しい木造水車造りの本とかないもんかなと思ってざっと探してみたんですよ。案外、みつからないものですねえ。「小型水車製作ガイドブック (自然エネルギー・ガイド)」くらいのものだろうか。

 さらにあっと驚いたことにはだな。
 本の紹介をするにあたりいちいち書誌情報とかを細かく入力するのもめんどっちいなあアマゾンを頼ってしまおうかなあとか思ったわけですよ。本書については結局入力しちゃったけど。
 んでこの本についてもリンクを貼って飛び先を見てみた。そしたらまあ、2000年8月に初版初刷の本だから新本の入手が無理なのはしょうがないんですが、中古本の値段がものすごいのね。調べた時点(2011/1/3閲覧)で7点出てるんだけど、4700円から8000円くらいのけっこうな値付けになってるんですよ。ほんの10年前に税別552円で売られてた入門書だぜ、なぜにしてそれが揃ってこのお値段に?(=^_^;=)
 水車にどうしてこんなニーズがあるの? この文庫本、オークションとかに出せばそのくらいのお値段がついてしまう本だっていうの? ていうか、おれが知らないうちに世間では水車ブームが巻き起こっていたとかそういう話なんだろうか(違うな。だったら増刷かかってるはずだし)。
 なんかこう信じがたいんですけど、誰か理由を知りませんか(=^_^;=)。

  *

 おまけのおまけ。

 実物の水車・水車小屋はそういうわけであまり目にするものではなく、おれは「千葉県立房総のむら」のものと「川崎市立日本民家園」のものくらいしか写真を撮っていません。いずれも中は見ていない。
 どこか近場で水車をじっくり見ることができる場所はないかなあ、と思って探したところ、わたらせ渓谷鉄道が走っている大間々の山奥、小平の里に野口水車保存館というのがあるらしかった。なんかデマンドバスが走っているらしいので、公共交通機関だけでたどりつけそうです。
 精米動力として使われてきた屋内型の大型胸掛水車を持つ水車小屋が移築され、精米機器まできっちり復元の上で動態保存されているらしい。水車は10rpmのもので、動力軸3軸が連動しており、精米用の搗臼が16連、挽臼が1基、更に木製ベルトコンベアまであるという話。まあ、イメージとしては水車ってのどかなものだけど、当時としてはおもいっきし近代的な工業施設だったわけで決してのどか一方なものではなかったわけでな(=^_^;=)。
 隣には屋外型上掛け水車もあるとのこと。

 それから、上記「房総のむら」のものと「日本民家園」のものの再確認でしょうかねー。前者は搗臼2基、後者は少なくとも搗臼と挽臼がそれぞれ1基づつ、くらいの構成らしい。いずれも小規模なものではあります。
 あと、ざーっと関東圏内で実用水車を探してみたところ、少なくとも以下のものがあるらしい。

・吉井水車小屋(千葉県南房総市吉沢)※実用
・駒村清明堂(茨城県石岡市小幡)※実用
・日光市大室の水車 ※実用
・武蔵野の水車経営農家(東京都三鷹市大沢6丁目)※有形文化財

 商業装飾品ではない保存用・観光用のものではこんなところか。3行目以降はInfoAtlasというサイトで紹介されていたもの。

・板橋区立水車公園(東京都板橋区四葉)
・茨城県民の森(茨城県那珂市戸)
・山吹の里歴史公園(埼玉県越生町)
・根搦み前水田(東京都羽村市)
・薬師池公園(東京都町田市)
・向島用水親水路(東京都日野市)
・鍋島松濤公園(東京都渋谷区)
・片倉城跡公園(東京都八王子市)
・恩多野火止水車苑(東京都東村山市)
・青梅市郷土博物館(東京都青梅市)
・郷土の森(東京都府中市)
・小平ふるさと村(東京都小平市)

  *

 というわけで、ではまた。  

2011年01月01日

本>『乗ろうよ! ローカル線』 - 第2章は面白かった

 これもまた、「そらねっと通信局」さんに教えてもらった本です。
 面白かったのは、第2章と、第4章の一部だけだったのだが、その2ヶ所がけっこうおれの興味にはまりましたねえ。読んでよかった。



 著者の浅井康次氏は日本政策投資銀行の重役行員で、プロの金融屋さんです。

 えーと。おれは経済にはまるっきしうといっていうか、基本線興味はなくお勉強をする気もないので、率直なところこの本の対象読者ではないような気がします。しかしまあ、公共交通機関についていろいろ考える上でそちら方面の知識がぜんぜんないってのも大問題なので、ときにはこういう本も読んでみようかと。おれ的にはとても評価が高い阿川大樹さんの小説『D列車でいこう』をもっとちゃんと面白がるためにはある程度こちら方面の素養も必要だろうしなあ。
 当然のこととして、おれには本書はあまり深く理解はできませんでしたが、しかし案外面白く読めたのでございます。

 以下、章立ては「追記」内に記してある目次を参照のこと。

 中でも興味深かったのは第2章「ローカル線の運営と展望」。よくわかっていない分際でこういうことを言ってはあかんのかもしれませんが、しょーじき食いたりないというか、もっとつっこんでほしかったなぁという感じ。後述。
 第4章「路面電車は走る」は、もう一冊別の本を書けばって感じ。この章の中、「路面電車で町づくり」で触れられている「コンパクトシティ構想」ってけっこう重要な政策であり、さらっと紹介されている富山市の事例なんかはもっと詳しく知りたいとは思いましたが、まあこの一冊の中に押し込むのは紙幅が足らず無理という判断だったんだろうなと。ま、都市交通の話なんであって「ローカル線をどうすっか」という話とは微妙に違うという要素もあるし。
 対して、第3章「“三セク鉄道だより”から」は、著者的には「数字が並ぶ硬い話ばかりでは読者が飽きるのではないか」という気遣いがあったようで、第三セクター鉄道等協議会の機関紙『三セク鉄道だより』からの転載でまとめられているものですけれども、おれ的にはこの本で現場の声を読みたいとは思わなかったなあ。各鉄道の現状紹介をするのなら、それは寄稿でやるのではなくて、著者の視点で情報の取捨選択をして書き直したもので読みたかった。
 第5章「がんばれ観光鉄道」は、まあこれだけで一冊作るのは無理だろうから、この本に入れるしかなかったかもしれませんが(=^_^;=)、こちらもおれ的には場違いだった感じ。ていうか、ポイントがぼやけちゃったんじゃないだろうか。
 つまるところが、おれ的には、「興味を惹かれたその2ヶ所をもっとふくらませた別の本が読みたくなったぞ」って感じです。

 以下、もっぱら第2章がらみ。

 指摘として興味深かったのは、そうだなあ。86ページあたりから述べられているタイプ別分析。
 ここでは「A:人口希薄地の生活路線(過疎・生活型)」「B:一定人口集中地域における幹線の枝線輸送機能(フィーダー型)」「C:首都圏・中京圏・京阪神・北九州/福岡圏の通勤通学・レクリエーションなど(大都市圏補完型)」「D:中核都市(人口30万以上)における基幹または補完的交通機能(地方中核都市型)」に分類して分析をしているのですが、それぞれのグループの中でどのような要素を強化すれば改善が見込めるかというのを考察しています。
 あっちゃー、という結果だったのが「A:」のグループ。因果関係を規定する数式を成立させることができず、「何をどうやっても改善は困難」という結論に。著者は「過疎生活型では自家用車などのとの競争はすでに決着(している)」「誤解を恐れずに言いますと、市場競争原理が過疎エリアにおいてはもはや働かなくなっており、そこでは事業者はたとえ運賃を半額にしても、新車を投入してスピードアップしたとしても、さしたる効果は期待できない」とまで述べています。
 まあだからといって諦めて廃止しちゃえ、という結論にはつなげておらず、「事業者の自助努力には自ずと限界があり、クルマ社会にあるこれらの路線の維持については別段の配慮を要する」としてはいるのですが。

 もうひとつ。
 とかなんとか言いつつ、「赤字だとやっていけない」ことになっているわけです。いやあ、おれは赤字か黒字かだけで判断するようなこっちゃないだろ、と思っているわけですが、思うだけなら勝手なんだよねえ。
 このあたりについて、第2章の最後に「費用便益分析でみる鉄道の重要性」という項目があって、そこで実にこう薄く触れられています。いやあおれ、この本の中でなによりもここが重要なんじゃないかとか思ったんですが。
 紹介されているのは1999年に国が出した「鉄道プロジェクトに関する便益計算マニュアル」なるものだそうで。まあ手がかりはつかめましたから必要ならば原文にあたりゃいいんですけど。
 引用すると「事業者の収支・採算だけでなく、鉄道利用者の時短効果・移動コスト低減効果や交通事故軽減効果、CO2排出削減効果、渋滞緩和などの諸便益を、投資などの費用と比較考慮してプロジェクトの採択を決すべき」というもの。いくつか具体的な数字(値段)も掲載されていますが(たとえばCO2排出量の削減については2300円/カーボン・トンで計算する、など)、まあ最終章でさらっと触れられているだけですから、それ以上のことは本書からはわからないんですが。
 実践事例としては、上田交通別所線で行われた利用動向調査で「存在効果」なる便益の計算が行われたというものがあるそうです。
 なんていうか、前に『D列車でいこう』の書評でも触れた「鉄道の機軸機能(「そこに継続的に公共交通機関があり続ける公算が強い」という信頼って、人がその場所に住み続ける上で、すごく重要なことなんじゃないんだろうか、ってやつ)」なんかも、便益計算には当然に繰り込まれるべきものでしょう。
 このあたりが金額という数字でちゃんと出てくるようになれば、鉄道に公金をつっこむとしても、単なる「赤字補填」というような消極的な印象からはだいぶ離れ事態は好転するのではないだろうか、ということですね。

 まあ、これ以上つっこむとなったら新書の扱い範囲としては微妙なんでないかという編集判断があったんでしょうねえ。専門書や報告書を探せばそれなりに面白く詳しい資料は出てくるんじゃないかとも思いますし、手がかりとしては十分。

 ただまあなんていうかこう。『乗ろうよ! ローカル線』っていうタイトル、なんとかならんものだったんだろうか。このタイトルではしょもないローカル線ガイド本のようにも見えるわけで、内容を知らなければおれは手に取ることすらなかったような気がします。ついでに、サブタイトルの『貴重な資産を未来に伝えるために』とあわせると『乗って残そう○○線』系の机上の空論本にすら見えてしまうぞ、と(=^_^;=)。
 ま、交通新聞社新書って2009年夏に刊行がスタートしたシリーズみたいですし、まだまだ編集サイドにも模索があるのでしょう。

 というわけで、200ページあまりのうち50ページくらいだけがおれ的には興味を惹いた本ではあるのですが、案外評価は高かったのでございます。

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