2010年08月26日

紹介>水戸街道若柴宿(茨城県龍ヶ崎市)


水戸街道若柴宿(茨城県龍ヶ崎市)> 町並み [direct]

 水戸街道の若柴宿です。
 や。地図で見る限り典型的な宿場町の様相を呈しています。両側に枡形があり、神社と寺院で結界を築き、その間に宿場町が広がっています。地図で見た限りでは「これは期待できるんではないか」とか思いました。
 小貝川や牛久沼による湿地帯の北側台地上の水害を受けない場所にあり、江戸時代初期から水戸街道はこの場所を抜けていました。若柴宿より南の水戸街道は、江戸時代初期には、龍ヶ崎や布佐を抜けていました(その後、取手宿・藤代宿を抜けるように改められました)が、いずれのルートでも若柴宿は通ります。なので、歴史は古いってことになります。宿場町としては小規模であり、本陣は置かれていなかったようです。
 実際に行ってみたところ、明治時代に大火があって江戸時代級の建物は焼き払われてしまったとかで、単なる田舎町になってしまっていました(=^_^;=)。でもまあお屋敷は並んでいましたし、「宿場町」ではなく「街道沿道の町」と思えばこんなもんかな、と。道路の拡幅をくらっていませんから、大火さえなければなあ・・・と強く思いましたけどね(=^_^;=)。

 以下、江戸側から水戸方向に。

若柴宿に上がる坂道
 湿地帯から若柴宿に上がる坂道です。この台地上に若柴宿があります。

八坂神社
 若柴宿の南東端にある神社です。おそらくここらへんが見附でしょう。規模は大きくはありません。

長屋門
 お屋敷の長屋門です。こういうのが普通にあります。

板塀と土蔵
 お屋敷の板塀と土蔵です。こういうのも、普通にあります。

 この長屋門にせよ土蔵にせよ、いずれも明治時代中期級の建物ではないかと思います。大火さえなければ、江戸時代級の旅籠建築とかも残っていたのではないかなあと思うんですよね。両側の屈曲のせいなんかもあって、明治時代もわりと早い時期に新道筋に移り変わっていたのではないかと思われ、道路の拡幅もくらっていませんし、町並みが残る条件は揃っていたわけです。しみじみ、残念です。

蕎麦屋「田舎庵」
 若柴宿北西側の屈曲部内側にある蕎麦屋です。老舗ではなく、若柴宿に惹かれた店主が引っ越してきて開いた店だとのことでした。蕎麦屋としては一茶庵系(本店は足利市)だそうです。
 古民家を店として使っているため、古建築を見せてもらえるという意味でも、ありがたいお店でした。あ、蕎麦は一茶庵系ですから、かなりレベルの高いものでした。

金竜寺
 若柴宿北西側にある寺院で、おそらくここが見附ではないかと思います。屈曲を過ぎると町並みも途絶えますし。金竜寺の創建は1321年、新田義貞によるものと伝えられています。もともとは群馬県にありましたが、1590年に新田氏の国替えに伴いこの場所に引っ越してきたとのこと。国宝の絹本着色十六羅漢像を保有しています。
 南東側の八坂神社は小規模なものでしたが、金竜寺はかなり大規模な寺院でした。

星宮神社
 おそらく宿場町エリアからははずれた場所だと思いますが、星宮神社。創建時期は、924年説と880年説があり、現在の本殿は江戸時代のものとされる古いものです。

 このあと、基本的には大地上をたらたらと歩いて、牛久宿に続きます。道は細いんですが、どこから増え始めたのか、けっこう車の通行量は多くなってましたね。
 あまり見所が多い区間だったとは言えないのですが、途中には成井の一里塚()が残されていました。

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