2010年09月03日
紹介>中仙道・浦和宿と、浦和宿〜大宮宿区間
<中仙道・浦和宿>
<中仙道・浦和宿〜大宮宿> 与野半里塚 [direct]
中仙道の浦和宿と、あわせわざで浦和宿〜大宮宿区間です。宿間区間ってなかなか紹介しにくいので、ためしにやってみます。
江戸側から京都方面に向けて。
岸町防犯ステーション
埼玉県さいたま市浦和区岸町の岸町公民館前。元岸町交番。
最近、交番の整理統合がけっこう行なわれているようで、その一環で廃止された交番です。しかしま、交番としては廃止しても地域住民対策として「防犯ステーション」とかに名前を変えて建物だけ残すってことがしばしばあって。類例として警視庁月島警察署西仲通交番なんかもそうなってますね(そちらでは「地域安全センター」という名前になっています)。
退職警察官がヴォランティアで詰めるってことなのですが、なんていうかな、現場の警察官ってそういう方向でずーっと教育されてきてるわけだからそんなに抵抗を感じないのかもしれませんが、そこにつけ込んで安い労働力として使っちゃっていいものなんだろうかという気がします。
結局は、どこまで社会的コストを容認するかという問題に行きつくのですが。
調神社(つきじんじゃ)
えー。社伝によると(苦笑)、開化天皇3年、つまり紀元前156年創建という、とんでもなく古い神社です。紀元前156年かよ(=^_^;=)。さすがにこれは創作でしょう(=^_^;=)。
税(調)の集積地としても使われたため、荷物の出し入れに邪魔になる鳥居がありません。また「つきじんじゃ」という呼び名から月待信仰とも結びついており、神使は兎さんとなりました。手水場にも兎さんがいますし、池の中にも兎さんがいますし、近所ではたしか兎さんの和菓子も売られていたはずで、ま、兎づくしとなっております。
出桁造りの商店「協和米穀」
出桁造りの商店「文殊堂原田表具店」
出桁造りの商店「楽風」
旧道筋の商店です。けっこう「どかどかどかどかっ」という感じで古建築が並んでいます。それなりに商店として営業しているものが多くあるのが嬉しい。
駅前通りのアーケード
中仙道とは直行する浦和駅の西口駅前通りです。大半がすでに更新されビル建築になってしまっていますが、わずかに古いアーケードと古い商店の建物が残っていました。
浦和町道路元標
旧浦和町時代の道路元標です。おれはあんまし道路元標には興味がない・・・というか見かけたら撮っておく程度なんですけど、えーと他には、茨城県真壁町・埼玉県所沢町・日本国(日本橋)の写真があります。
玉蔵院
中仙道から西に参道が延びる寺院です。んが、境内の大半が公園になっているような。さいたま市指定文化財の玉蔵院山門を抜けると鐘楼などがある公園があって、そこから道を横断するとようやく本道にたどりつくのでした。
焼肉小倉優子がはいっていたビル
正直、こういうのって「いらんロイヤルティが料金に載っているだけでしょ」とかおれは思っちゃうんですけどねえ。ま、スケールメリットってのもあるか。
本陣跡の公園
代々本陣をつとめた星野権兵衛家の跡。建物は残っておらず公園になっていますが、まあ場所がはっきりわかるだけでもありがたいと思いませんと。
浦和陣屋跡
浦和陣屋は、その後裁判所に転用され、現在は常盤公園となっています。裁判所時代のものと思われる煉瓦壁が残されています。
慈恵稲荷神社
境内では市が立っていたそうで、「浦和宿二・七市場跡」としてさいたま市の史跡になっています。が、けっこう狭いんですね。もともとはもっと広かったのではないかと思います。
以下、浦和宿〜大宮宿の区間ページ。
浦和橋(東北線陸橋)
この付近に一里塚があったとのことです。以前は踏切で東北線を渡っており、その頃までは一里塚が残っていたとのことですが、立体交差化に伴い破壊されてしまったそうです。すぐ横に笹岡稲荷という神社があり、そこに一里塚の榎の子孫が植えられているということなんですが、どれがそうなのかよくわかりませんでした。ま、全員がご兄弟木ってことだって十分あり得ることだし、まあいっか。
北浦和駅東口
京浜東北線・北浦和駅の東口で、すぐ先を左右に横切っているのが、旧中仙道です。
北浦和駅は、東側が旧中仙道側なんですが、その後国道17号は西側を通ってしまい、どちらかというと西口の方が栄えているように見えます。
与野駅前
与野駅の東口側駅前通りと中仙道の交点から、江戸方面を望む。このくらいの道幅ですが、旧道時代と比べるとそれなりに拡幅されていますね。
半里塚
で、前後の一里塚は失われているのですが、与野駅前の半里塚は、幸い生き残っていました。ただ、道路の拡幅工事が行なわれており、もろにそれが半里塚にひっかかるんですね。どうなっちゃうんでしょうか。
さいたま新都心駅駅前
北浦和付近から大宮の先まで、東北線(京浜東北線)の東側に、旧中仙道が通っています。旧中仙道と記された標識もありました。
氷川神社・参道
さいたま新都心駅からわずかに大宮に寄ったあたりで、氷川神社の参道が分岐します。中仙道古道はこの氷川神社参道の方だったようなんですが、その後「境内を街道が通るのは無礼である」とかなんとかいうよくわからない理由から新道が作られました。いわゆる「大宮宿のエリア」は、その新道側。氷川神社参道ルートだった頃には、その大宮宿のエリアは通っていません。新道への切り替え前に繁華街がどこにあったのかがよくわかりませんが、まあその頃にはたいして旅行者とかもいなかったんでしょう。
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うーん。やっぱし、宿場間は説明しにくいなあ。うむー。
Posted by 猫が好き♪ at 17:00│Comments(0)│TrackBack(0)
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