最後に、若者に言っておきたいこと。

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さて、「書いて欲しいテーマがあったらコメントくださいシリーズ」第2弾。

様々な文化や伝統に対する「余所者」の(正しい・ステキな)関わり方について。

様々な国や地域に、色々な文化や伝統があると思います。
単純に珍しいというものから、先進国の一般的なモラルとはかけ離れているというものまで、幅広く。

そこに余所者が介入して、制度を変えたり、逆に勝手に保護すべき存在と決めたりしているのを見聞きするたび、モヤモヤします。

色々な場所で沢山の人たちと触れ合ってきたゴリさんの視点をおすそ分けしてもらえたら嬉しいです。

もしゴリさんのアンテナにひっかかりましたら、よろしくお願いします。



昔、大学の先輩に頼まれて、先輩の勤めている小学校に話をしに行ったことがありました。小6のクラスでしたかね。

そこで、こんな話をしました。


「この中で犬を飼っている人いる〜?」

何人かが手を挙げる。

「名前はなんていうの?」

「ポチ!」「ジョン!」「たろう!」

「そっかそっか、猫もかわいいけど、犬もかわいいよね。ところで、この中で、犬を食べたことある人いる?」

「え〜、いるわけないじゃーん!!」

「そうだよね、でもね、韓国とか中国の人たちは犬を食べます。」

「え〜〜〜!!!」

「どう思う?」

「気持ちわるい!」「犬はたべものじゃないし!」

「そっか。例えばさ、この中でうさぎを飼っている人いる?あ、いるよね。うさぎかわいいもんね。ところで僕はイタリアに行った時にうさぎを食べました。」

「ひっっっ!!(一番前に座っていた女子がドン引きな表情で声を漏らしたw)」

「うん。犬やうさぎを飼っていて、『かわいいね。』って思っているのに、その動物を食べるなんて信じられないことかもしれないよね。でもね、例えばさ、日本人はクジラを食べるでしょ?それをかわいそうだ、って思う人もいるのね。みんなはイナゴを食べたことがある?あれだってさ、他の国の人からすれば『虫を食べるなんて気持ちわるい!!』って思っているかもしれないのよ。

国が違ったり、住む場所が変わったりすれば、考え方というのは変わったりするのね。犬を食べる人達もいれば、クジラを食べる人たちもいて、うさぎを食べる人たちもいる。それはその人達にとっては普通のことなのよ。

でもさ、『自分たちがかわいいと思っている動物を食べるなんて、その人達はひどい!許せない!』ってことを一方的に決めつけてしまうのってどうかな?」

「それは、よくないかな・・・。」

「ちょっと、難しい言葉だけれど、『多様性』という言葉があります。私とあなたは違う。あなたと私は違う。私とあの人は違うし、あの人と私も違う。そういう違いがある時に、『気持ちわるい!』とか、『ダメだよ!』とかって決めつけるのではなくて、許して認めてあげることが大事だよね、っていう意味の言葉。

人間には違いがあるんだよね。自分と違っている人がいた時に、『気持ちわるい!そんなのダメだよ!あいつはバカだよ!』ってことを強く思ってしまうと、喧嘩になります。その気持がもっともっと強くなると戦争になったりします。

だから、誰かがすることや言うことに自分と違いがあったとしても、それだけでダメ出しをするんじゃなくて、『世の中にはそういう人もいるんだね。』ってことを思って欲しいんだよね。で、なぜそうしているのかわからないのならば、話を聞いてみて欲しいです。

違いを認めてあげることが、争いを避けることにつながるので。」




最近も、「ヌーハラ」とかって言葉が飛び交ってました。日本人が麺類を食べる時に音を立てることが外国の人からすると非常に不愉快であり、「ヌードルハラスメント」である、ってことだそうで。

うっせえ、バカ、ってことを思います。

日本人は麺類を音を立てて食べる民族なんです。落語でも多く取り上げられたりしますが、蕎麦をズズッとのどごしを楽しむ感じで食べるのが「粋」なんです。

そんな「粋」な仕草にどうこう言ってくるのなんて「無粋」以外の何者でもない。

要はね、「自分がやっていること・正しいと信じていること」以外のことをしている人間にダメ出しし、「下品だ。野蛮だ。」ってことを一刀両断する人たちこそ下品で野蛮なんです。

日本はそれが「粋」な国なんだから、その粋な感じに従ったらいいと思うんですね。で、ヨーロッパにいったら音を立てずに食べることがマナーなわけで、そのマナーに従ったらいいだけ。

それが違いを認め、相手を認めることに繋がるわけで。

私が認められないと思うのは、いまだに魔女狩りをしたり、エイズに罹っても処女の女とセックスをすれば治る、とかってことを信じてやり続けている方法論です。そんなのは文化でもなんでもない。

そこにどんな差異があるかと言えば、他者を明確に傷つけるかどうか。

人が人として明確にしてはいけないことは、「人を殺すな。人を傷つけるな。自ら死ぬな。」ってことくらいのものだと思うんですね。

「自ら死ぬな。」ってことに関しては、日本では「切腹」という文化があり、あれは、究極的な自身の生き方の発露であるため、私はそこまで否定することはありません。「脳死状態で寝たきりの人間を胃ろうで生きながらえさせることが人間として正しいのか?」っていう問いを持ちだして考えると簡単には答えは出ないことでもあるし。

ですが、自分が正しいと思っていること、自分では文化・伝統であるかのように思っている思想を持ちだして、他人を傷つけるようなことは認めるわけにはいかないと思っています。

その違いを認めると、私や私の大事な人が殺され、傷つけられる可能性も容認することになる。

それは多様性とはかけ離れた思想ですから。

お答えになったかどうかはわかりませんが、そんな感じですかね。






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さて、「書いて欲しいテーマ」がありましたら、コメントお待ちしてます、ってことを書いたら、早速コメントを頂いたので。

「良い宿題と悪い宿題」。

そもそもね、宿題って何のために出すんでしょうね。


・家庭での学習習慣の定着
・学んだことを復習することにより、理解を強くする
・自主的な学習意欲の向上



とかってことが浮かびます。

私個人の子供の頃のことを思い出すと、宿題、大嫌いでしたね。

「遊ぶ時間が削られるだろうが、ボケー!!」ってこと以外には感想はありませんでした。

なので、うちの小学校なんかは、近所の子が集団で登校班を作って登校する学校だったんですが、集合時間の10分くらい前に集合場所に行って、そこでババっと宿題を終えるのが常でした。

はい。適当ですw

家で真面目に勉強なんてしてらんねえよw


思うんですが、そんな10分程度でババっと終えられるような宿題ならば、別に出す意味は無いし、1時間とかかかってウンウン唸りながらやっても中々終えることの出来ないような宿題も出す意味がないと思うんです。

つまりね、子供が自分で考えても出来ないようなレベルの宿題は出しても出す意味がないと思うんですね。

ドラえもんの中でのび太はいつも、「わからない。わからない。」ってことを言って、宿題をほっぽり出して昼寝していましたが、あれね、しょうがないと思いますよ。

だって、どれだけやってもわからないものをやり続けることって、苦痛でしかないでしょ。

なので、「自分自身の努力で続けることは出来るけれど、時間が膨大にかかる」っていうようなことならば、宿題に出す意味はあると思うんです。

「字を綺麗に書く」とか、「やり方をわかっている計算式をたくさん解いてみる」とか、サッカーだったら、「リフティングを100回やってみよう」とか、野球だったら、「素振りを100回やろう」とか、剣道だったら、「竹刀を100回振ってこよう」とか、「定規を使わずに綺麗な三角を50個書いてみましょう」とかね。

あとはね、自主的に机に向かって教科書や辞書を引きたくなるような楽しい宿題ですね。

「地図帳を見て、変な名前の国や街を3つ探してこよう」とか、「氷を作る時に水を冷やすのとお湯を冷やすのではどっちが先に凍るか確かめてみよう」とか、「家の中にあるものを使ってダジャレを考えてきましょう。例えば、『ふとんが、ふっとんだ〜。』とかです。」なんてもの。

まあ、いつもいつも、そんな宿題ばかり出すのも大変でしょうが、私の中学の社会の先生が、毎回の授業の5分間で、「新聞に載っていたニュースで面白いものを探してきて発表しなさい。面白いニュースであれば、良い得点をあげます。」とかって言って、生徒が手を挙げて発表していくごとに、「10点。」「おお、それ面白いな、30点。」「良い!50点!」とかってことをやってくれたのは面白かったですね。

少なくてもあれから、新聞を読む、っていう習慣がつきました。


なので、思うのは、「やることは必要なんだけれど、どうしても膨大な時間と練習が必要である」ってものを家でやらせるという性質のものか、子供が「わからない・出来ない」っていう状態になることなく、自主的にワクワクしながら出来るようなことであれば、宿題に出す意味があると思うわけです。

よって、ちょっと考えてみた上で出た結論は、

・時間、練習が必要なもの
・自主的な意欲をかきたてる創作的なもの
・上記2点を「わからない」という状態になることなく出来るもの


なんてのが、「良い宿題」であり、そうでないものが「悪い宿題」になるんじゃないでしょうか。






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私が、ブログというものを知って、自分で書き始めて、他の人のものも読み始めるようになって、最も長い間読み続けているのが石田久二さんの「宇宙となかよし」というブログ。

このブログには本当に強い影響を受けました。

で、石田久二さんについて何を書こうかな、って思ったんですが、この動画を見て頂けると、少なくてもその「熱」は伝わるんじゃないかと思います。









ここね、新宿に行ったことがある人ならばわかるでしょうが、人通りの量は半端ないです。

この動画の後ろの信号を渡ったところに喫煙所があるので、私も新宿の西口に行くときはしょっちゅう通りますが、ず〜っと、東京ドームでの巨人戦が終わった後とか、埼玉スタジアムでの日本代表の試合が終わった後とか、武道館でジャニーズのライブが終わった後かよ、っていうレベルの人の量。

そこで、この叫びを出来るのって・・・。

ブログの文章でもそうですし、実際のお話もそうですし、とにかく、そのエネルギーが半端ない。その強いエネルギーはね、「ただ単にうるさい。」「ただ単にやかましい」とかっていうレベルのエネルギーとは別もんなんですね。

そこに強い思いがある。強い情熱がある。深い意味がある。そういうものをベースにしたエネルギーだからこそ、心のどこかを響かせるわけで。

少なくても私にはね、響いたわけです。ビンビンと。




そしてね、このトークライブのチラシを作ったそうで、「よければうちの店にも置かせてもらいますよ。」ってことを連絡したところ、数日してチラシが送られてきました。

で、開封すると、中にこのメッセージが入っていて。


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忙しい日々を送ってらっしゃる方なので、チラシも事務局あたりから送られてくるものだろうな、ってことを普通に思っていたんですが、宛名も手書きだし、手描きのメッセージまでも添えられていて。

凄まじい熱量を持ったエネルギーを持った部分と同時に、細やかな丁寧さも持ち合わせている方。

多分、私がセミナーや講演、勉強会、結婚式のスピーチ等、さまざまな人の話を聞いた中では、もっとも高速でお話をされる方です。しかも、3時間ぶっちぎりとかで。一切の原稿も読まず。そんなこと出来る?

そして、私が参加した公のセミナーでは、もっともヤバいレベルでの下ネタをお話された人。爆笑w(俺だけ)

そして、私がブログを読み始めた8年、9年くらい前から、ずっと、「斎藤一人さんに会いたい」ってことをブログに書かれていたんですね。昔、「高額所得者ランキング」ってのが公開されていた時に、全国で1位を取っていた人。その方にも今年会われたそうで。すげえな。

人によって、石田さんをどう感じて、どう捉えて、どう思うかは人それぞれでしょうし、それだけの様々な魅力が石田さんにあるのでしょうが、私が1番強く感動したことは、「父性の愛」のような、強く、時に厳しい大きな愛を持っておられるところです。

別に他人に厳しいとかってことではなく、そういう思いを踏まえた上で自分自身の行動を律し、他者を信頼し応援する礎にされているんじゃないかなあ、ってことを、強く感じているんです。

だから、嫌われることも恐れない。それはね、中々出来ません。

嫌われるの怖いからね。みんな。



というわけで、熱く語ってしまいましたが12月10日(土)の15時から世田谷区民会館で「どんよく TALK LIVE」と銘打って行われます。今週の週末ですね。

まだ、席があるそうなので、気になった方は是非行ってみてください。

お申込みはこちら→→ 「どんよくトークライブ」



私のブログ経由で石田さんのブログを読んだり、セミナーに参加している方も、知っている限り何人かいるそうで、ピンときた方は、是非♪








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