最後に、若者に言っておきたいこと。

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私はね、友人が苦しんでいる時悲しんでいる時に、その思いを語る場面があったならば、出来る限り話は聞きます。

そのことは全然イヤではないし、話を聞くことに苦痛も感じない。

でもね、愚痴を聞くのは大嫌いです。そんなもんに付き合ってらんない。

で、では、「愚痴」と、そうでない「苦しみや悲しみや辛い気持ちがある時の話」では、何が違うんでしょう?


多分、1番大きなポイントは、



・愚痴を言うことに罪悪感とか後悔を感じておらず、どんな状態であっても、なんだかんだで今の自分を肯定している


っていうことに尽きる気がします。

愚痴をいう人の愚痴の内容を精査すると、ほとんどの場合、自分は被害者であって、決して自分は悪いわけではなく、会社が悪い・学校が悪い・世間が悪い・あの人が悪いって感じで他者が加害者であり、自分は被害者で、いかに自分が被害を受けてかわいそうな感じになっているのか?ってことを、根拠のない主観の意見で押しまくります。

また、「私ってダメだから」「私はグズだから」って感じで自分にダメ出しする傾向もままありますが、その時も、「そんな自分を変えよう」とか、「もっとより良い自分になりたい」的な要素があることは、まずなく、「だからしょうがない」っていう、自分に責任があることなのに、他者に責任があるかのごとく理由づけて、「だから私はかわいそうな被害者・・・(ToT)」っていう結論に持っていきますね。

悲しみを抱えている人は、話に悲しみの感情があります。

苦しみを抱えている人は、話に苦しみの感情がある。

でも、愚痴を言う人の愚痴話には、感情というよりも、自分を正当化して肯定するいびつな物語が全面に出ていることがほとんど。

だから、私のように愚痴を節操無く垂れ流すことが大嫌いな人間は、すぐにその陳腐な物語に飽きて、「うっせえ、バカ!グチグチ言ってんじゃねえ。嫌ならやめろ!嫌なら変えろ!」ってことを思ってしまうわけですね。

で、たまに口に出しますw

酔ったおっさんが女の子を前にするとクソつまらない自慢話を垂れ流すのと同じで、愚痴を延々と節操無く垂れ流す人も「自分の陳腐な物語を聞いて肯定して欲しい」っていうところでは共通してますね。

おっさんは、「すごいですね〜♪」って言われたくて、愚痴ラーは、「かわいそうね・・・。」って言われたいっていう求める反応が違うだけで。


人間、愚痴の1つも言いたくなる時はあります。

そういう時はいっぱいあります。

それを言うことも、それを聞くことも、大事で必要なことでもあり、「ちょっと愚痴を話せる友達・ちょっと愚痴を言える知り合い」とかがいることはとても素敵なことでもある。

でもね、それを互いが了解出来ていて、「そんな時もあるよね。」って感じで普通に受け入れられている関係ならば良いですが、会うたんびに愚痴で、電話しても愚痴で、LINEしても愚痴で、顔はいつもへの字愚痴で、バッグだけは綺麗なGUCCIで、陰口・悪口・愚痴三昧な人にはね、「お出口はあちらです。さようなら〜♪」ってご案内するより他ないでしょ。

だって、生産性ないもの。一緒にいるメリットがない。楽しくないし、後味悪いし。

秋口から次の秋口まで、年中無休で愚痴を言い続ける人ってね、話を聞いてくれる相手に対して、「愚痴を聞いてくれてありがとね。」とか、「ごめんね、こんな愚痴っぽい話をしちゃって。でも、スッキリしたよ。」とかってことを言いません。

「自分は愚痴を言っている」という自覚もないし、それが相手に対してどういう影響を及ぼしているのか?っていう想像力も働かないから。

飲み屋で酔って、女の子や部下に、クソつまらない1ミリも凄くない自慢話をするおっさんは、「自慢話してごめんね。」ってことを言います?

絶対に言わないでしょw

「いい話を聞かせてやった♪」くらいの気持ちで、嘘の賞賛や嘘の笑顔を自分の手柄だと感じて受け入れる人しかいない。

愚痴と自慢話の相関性って、結構強いところがあるのかもしれないですね。








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俺Facebookより。
病気、っていう話でいうと、俺が基本的に健康体でいられるのは、ママンにもらった頑健なワガママバディがあるのはもちろんだけれど、子供の頃、「病気の時に大して優しくしてもらえなかった。」っていうところも、結構でかいと思っている。

もちろんね、俺も小学校の中学年くらいの頃は、風邪を引いたり、なんやかんやで、学校を休んで寝ているようなこともたくさんあったけれど、うちのオカンって、病気の時の俺に対して、優しくなかったのね。

いや、もろもろもの世話をしてくれて、おかゆを作ってくれたり、林檎のすりおろしを作ってくれたり、パジャマを替えてくれて、水枕を作ってくれて、もどしたりなんなりをしたら、その世話をしてくれたりもしてくれたのだけれど、それ以上の過剰な優しさみたいなのは全然なかった。

病気になったってさ、朝、超絶具合が悪くても、昼過ぎには治っちゃたりすることもあるじゃない?そんな時に「治った♪」って言っても、「学校休んでいるんだから寝てなさい!」っていう命令を下されて、ファミコンをすることはおろか、テレビを見るのもダメ、マンガを読むのもダメ、寝ること以外に何もさせてくれない。つらすぎるw

小学校の6年生の時だったから、反復性耳下腺炎というものになったんだけれど、それはほっぺがめっちゃ腫れる病気なんだけれど、ウィルス性のものではない。で、オカンもそれを知っているので、いつだったか、終業式の日にも盛大に腫れてしまったんだけれど、「午前中で学校は終わるんだから、行ってきなさい。その後、病院行くから!」って言われて、盛大に腫れたほっぺを抱えて学校に行った。結構痛いのよw

でさあ、当たり前だけれど、緑のおばさん的に交通安全の旗を持って、道々に立っている近所のおばさんとかが、「ただくん、どうしたの、そのほっぺ!だいじょうぶなの?」とかって心配してくれるんだけれど、「いや、これは、反復性耳下腺炎って言って、移るものではないので・・・。」的な説明をし、学校に行ったら行ったで、保険の先生に、「佐藤くん、どうしたの!」って言われ、教室に入ったら、担任のコワモテの先生に、「そういう時は休め!」って怒鳴られ、マジ、ろくでもねえ。病院に行ったら行ったで、お医者さんに、「お母さん、こんな状態で学校に行かせたの・・・?」ってため息をつかれる始末w


それと、社会科見学的なもので、「みんなで動物園に行く」っていう行事があったんだけれど、その時に運悪く風邪を引いてしまったのね。で、その行事には行けなかったんだけれど、その後に、「みんなで、動物園に行った時の思い出を絵に描きましょうーーー♪」的なことになり。

俺的には、当然、先生は、「佐藤くんは好きな動物の絵を描きなさい♪」ってことを言ってくれるかと思っていたら、先生曰く、「佐藤くんは、病気で寝ていた時のことを絵に描きなさい。」と言われw

え〜〜〜〜〜!!

それ、軽いいじめじゃんw

結果、みんなの、色とりどりの動物の絵が廊下に貼りだされる中、俺の「布団で寝込んでいる図」が、1番下の隅っこに貼りだされることになりw

それ、軽いいじめだろw

で、流石にそれを見た両親が俺を不憫に思っったのか、治ってしばらくしてから、親父が動物園に連れてってくれたんだけれど、そんなんさ、全然楽しくないわけよ。親父と一緒にどっかに行くのが嫌なのではなくて、俺は、同級生のみんなと動物園に行きたかったのよ。

なのでね、そんな諸々を含めて俺が学んだことは、「病気になっても得することは何もない」ってこと。「病気になったら、損しかない。」っていう厳然たる事実。

心と身体は常に密接にリンクしていて、ミュンヒハウゼン症候群的な、かまってちゃん向けな病気もあるわけで、「病気になることで、誰かに優しくしてもらえる」っていう部分は確かにあるわけで、俺は幼少期に、そういう病気のメリットを一切感じずに生きてきたからこそ、今、「病気にならない肉体」を保持していることは確かにあると思う。

病気になってしまう人を揶揄する気も、否定する気もないからね。そういう可能性がある人もいるでしょ、っていう話です。


「運動をするのがイヤでイヤでしょうがない子が、運動会の日にお腹が痛くなって休む」っていうのは、結構ありがちな話です。

会社に行きたくない、学校に行きたくないっていう思いが、体に変調を起こさせるってのは、経験がある人も多いと思うんですね。

精神と身体は密接にリンクしているので、「病気になった方が得」っていう判断を精神と身体が了解しきった時に、身体症状としての苦痛が明確に現れるということは、普通にある。

上に書いたミュンヒハウゼン症候群っていうのは、wikiによると、

ミュンヒハウゼン症候群(ミュンヒハウゼンしょうこうぐん、英語: Munchausen syndrome)は虚偽性障害に分類される精神疾患の一種。症例として周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自らの体を傷付けたりするといった行動が見られる。1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーによって発見され、「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族ミュンヒハウゼン男爵にちなんで命名された。

っていうものなわけですが、人間は基本的に、愛されたい・認められたい・関心を持ってもらいたいってことを強く願っている生き物であり、それを獲得しようとする時に、意識的に特に無意識的に「病になる」っていうのも1つの手段になってしまうところがある、って話です。

まあね、だからと言って、病気の子供が泣いていたら、「優しくするな。」ってことの方が無理な相談なわけですが、うちのオカン方式で、「病気なんだから寝てなさい。病気なんだからゲームなんてするな。病気なんだからおかゆを食っとけ!」くらいのことは、全然言い放っても良いと思いますw

だってさ、「お腹が痛い」って言えば学校に行かなくてもいいし、ずっとゲームをしてられるし、ずっとテレビも見てられる、ってことを学んでしまったら、そりゃ、学校に行きたくない時は、「お腹痛い」って言うがなw

特に子供の時には、過剰な優しさは禁物ですね。





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僕にまかせてください・・さだまさし 投稿者 prdlpp





さだまさしの音楽というものを、どう表現したらいいのでしょうね。

物語性のある音楽というのはたくさんあります。特に恋愛の歌においては、印象に残っている物語がいくつも挙がってくる人も多いでしょうね。

ドリカムのメットを5回ぶつけるくだりとか、ミスチルの風邪がうつるといけないからキスはやめとくくだりとか、B'zの君の好きな椅子を買って電車で運ぶとかっていう荒業なくだりとか。

ただね、さだまさしの楽曲には、印象的な物語が数多くあり、さらにその物語が「それ、俺でも書けるよ。」的な要素が全然ないところが凄いです。



きみはその手に花をかかえて
急な坂道をのぼる
僕の手には 小さな水おけ
きみのあとにつづく
きみのかあさんが眠っている
ささやかな石のまわり
草をつみながら振り返ると
泣き虫のきみがいた

両手をあわせたかたわらで
揺れてるれんげ草
あなたの大事な人を僕に
まかせてください

きみがとても大切にしてた
藤色のお手玉
あれは昔きみのかあさんが
作ってくれたもの
そして僕が大切にしてる
日だまりのような人
それもそっと きみのかあさんが
残してくれたもの

集めた落ち葉に火をつけて
きみはぽつりとありがとう
彼岸過ぎたら 僕の部屋も
あたたかくなる


彼女のお母さんの墓参りに一緒に行って、そこでお母さんに対しての誓いを立てる、っていうような歌詞、他の人に書ける?w

ミスチルファンの私は、桜井さんの書く歌詞は、本当に天才的だと思っているわけですが、それは哲学的な深さであったり、フレーズの使い方の見事さであったりな部分に凄みを感じているわけで、物語としての凄さを感じたことはほとんどない。

さださんに比肩する物語性のある音楽を紡ぐ人としてパッと浮かぶのは、後は中島みゆきくらいかなあ。「トイレの神様」とか、ストーリーも音楽も素晴らしいけれど、あのレベルの楽曲をいくつも生み出せるアーティストがどれだけいるのか?ってことになると、そうはいません。

私が初めてさだまさしの音楽を聞いたのは中学の時で、友達が、「これ、すごい良いから聞いてみそ。」って感じでベストアルバムの入ったテープを貸してくれたわけですが、思春期のあの頃に、なんとも素敵な楽曲に触れられたのは、ブルハとかコンプレックスとか、その他のJ-POP的なものから得たものとは違う意味で、大変ラッキーであったと思います。

音楽に「情緒のある物語」が封印されているものは、他にはそうはなかったので。

さだまさしや中島みゆきの楽曲は、グローバルスタンダード的な普遍性は持ち得ないかもしれません。日本語という世界的に見れば非常にマイナーな言語によって紡がれているわけで。

でも、だからこそ、日本人にしか理解できない、日本人しか感知出来ない世界観がそこにあって、それを楽しむことが出来る。

良い歌。





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