最後に、若者に言っておきたいこと。

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麗しき女性の方々におかれましては、「アダルトビデオ = エロビデオ」なんてものを見たことがない人もたくさんいると思われます。

ただ単に「イヤラシイことをしている動画」って思っている人もいるでしょうが、普通のドラマや映画のように、ちゃんとしたストーリーがあるものもたくさんあるんですね。

ですが、大抵の場合、ストーリー部分が尋常でなく陳腐です。

女優、男優の演技力が下の下であったりするところもあります。

「棒読みってこういうことか!」ってレベルでの棒読みが出てきたりしますw

ただね、私としては、そういうことよりも、女性が街を歩いているシーンがあったとして、その女性がカバンを持っていないところなんかに、尋常でない違和感を持ってしまうわけです。

近所を散歩するでもない女性が、カバンを持たずに街へ出ることなんてある?

しかも、ジーンズにパーカーにスニカーとかって感じでは全然ないですよ?スカートにヒラヒラした上着とかの女性らしい格好です。

それで、「カバンを持っていない」とかってさ、絶対にないでしょ?

なのに、アダルトビデオの世界ではそういうことを普通にやる。

リアリティゼロ。


私はね、小説にしろ、映画にしろ、漫画にしろ、AVにしろ、リアリティがないものには共感できないし、興味も持てないんですね。

前提の設定がぶっ飛んでいるのはね、それはそれでいいんですよ?「ドラえもんが来ました。」「オバケが見えます。」「あの世を探検します。」とかっていう設定があるのは良いんです。

でもね、人間が人間としての現実的な対応をしていないことには、猛烈な違和感を持ってしまい、とてもその物語の世界には没入出来ない。


そういう意味で、私はミュージカルが苦手なんですね。

あれ、本当に苦手。

それでもね、昔、名作と呼ばれるミュージカル映画はいくつか見てみましたよ。

「サウンド・オブ・ミュージック」「ウェスト・サイド・ストーリー」「オペラ座の怪人」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」あたり。

でもね。全部、無理w

最後まで見られたのはダンサー・イン・ザ・ダークだけで、「最後まで見なければよかった」って思うレベルの救いようのないラストシーンでしたが。

とにかくね、「いきなり歌い出す」ってことの意味がわからないんですね。

嬉しくて、楽しくて、踊るのはわかる。

感動して涙が出て、踊るのもわかる。

でも、悲しくて、苦しくて、切ない時に、あんなに高らかに歌を歌って踊りだす意味が全っっっっくわからん。

だって、私の人生において、そういうマイナスな状態の時に、歌い出して踊りだしている人なんて1人も見たことがないもの。

「悲しみ・苦しみ」っていうものを「歌い、踊る」という手法で表現することに、私はどうしてもリアリティを持てないわけです。

人間ってね、苦しみや悲しみを抱えた状態の時に、身体の動きが上へと行くことはないと思うんですね。下へ下へ行くものです。


ま、私にははまらないだけで、私の周りにも好きな人もたくさんいますし、私にはわからない魅力があるのでしょうが、「リアリティ」という意味で、私にははまらないところがあります。

エロビデオの女優が街に出るシーンでは、必ずバッグを持たせるようにw







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野球の試合で、ファールボールを取った人が、同じように欲しがっている子供にあげるという動画。

時に、子供が子供にプレゼントしたりしていて素敵です。

シンプルに感動的なんですが、この動画を見て、この歌を思い出したわけですね。







さっきとても素敵なものを拾って 僕は喜んでいた
ふと気が付いて横に目をやると 誰かがいるのに気付いた
その人はさっき僕が拾った 素敵なものを今の僕以上に 
必要としている人だと 言う事が分かった
惜しいような気もしたけど 僕はそれをあげる事にした

きっとまたこの先探していれば もっと素敵なものが見つかるだろう
その人は何度もありがとうと 嬉しそうに僕に笑ってくれた

その後にもまた僕は とても素敵なものを拾った
ふと気が付いて横に目をやると また誰かがいるのに気付いた
その人もさっき僕が拾った 素敵なものを今の僕以上に 
必要としている人だと 言う事が分かった
惜しいような気もしたけど またそれをあげる事にした

きっとまたこの先探していれば もっと素敵なものが見つかるだろう
なによりも僕を見て嬉しそうに 笑う顔が見れて嬉しかった

結局僕はそんな事を何度も繰り返し
最後には何も見つけられないまま 
ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたものでたくさんの 人が幸せそうに笑っていて
それを見た時の 気持ちが僕の探していたものだとわかった
今までで一番素敵なものを 僕はとうとう拾う事が出来た


マッキーの「僕が1番欲しかったもの」。

この歌を説明するのに、上の動画は最適ですね。これ以上わかりやすい「百聞は一見に如かず」な教材もないw

このアゲアゲ動画の何が素敵ってね、ボールをゲットしたこと以上のものを周りの人がたくさんあげていることです。

もらった子供が喜んでいるのはもちろんのこと、その子のお父さんお母さんも喜んで感謝してくれているし、自分のパパママも喜んで褒めてくれるし、周りの大人たちも賞賛して褒めてくれて、時にハグしてくれて、握手を求めてくれたりする。

野球大好きっ子だったら、ゲットしたそのファールボールは何よりかけがえのない宝物であるかもしれません。

でもね、それを欲しがっている誰かにあげれば、ボールと共に喜びを与えることが出来ます。

そして、それによって笑顔や感謝を受け取ることが出来る。

「誰かの役に立てたかも♪」っていう大きな貢献感を持つことも出来ます。

あげたことで、あげたもの以上のものが返ってくる。


息子と一緒に野球を見に行ってね、家に戻ってママにその日のことを報告する時に、

「今日はトムが、ファールボールをゲットしたんだよ!」

っていう話をするのと、

「今日はトムが、ファールボールをゲットしたんだけれど、そばにいた女の子にプレゼントしたんだよ!その子はとっても喜んでいたよ、なあ、トム!本当に良いことをしたな!」

っていう報告をするのでは、喜びの総量が違うと思うんですね。

ボールをゲットしたらトムはそこそこ嬉しいでしょうが、野球に興味のないママは大して嬉しくないかもしれない。少なくても、それを自分の喜びに変えることは出来ないでしょう。「トムが楽しい日を過ごせてよかった♪」くらいは思うかもしれませんが。

でもね、「トムが小さい子に、せっかくゲットしたボールをプレゼントした」という事実は、パパとママにとても大きな喜びをもたらすはずです。

両親が喜んだことに対して、トムも大きな喜びを得る。

なんて素晴らしい。


ただね、こういうのが難しいのって、「あげること」を他人に強要しても何も意味は無いんですね。

自発的な思いから来る行動でないと、ろくな結果は生みません。

だって、「ボールが欲しい」という気持ちは何も悪いことではなく、そばに小さい子がいようが何しようが、「渡したくない!僕のものだ!」って思うのも何も悪いことではないからね。

「あげること」を美化し過ぎて、それを大人のエゴとして子供に強要するのも違うと思うし、欲望を否定して、「分かちあうことこそ素晴らしい♪」っていう美談を押し付けるのも違う話。

「お兄ちゃんでしょ!」とか、「小さい子がかわいそうでしょ!」とかっていう論理で行動を強要するのも違う話。

あげたいのなら、あげたら良いと思うんです。

あげたくないのなら、あげなくても良い。

善意を強要するのではなく、「あげると、別の喜びがやってきたりもするよ♪」っていう事実を教えてあげるくらいの方が、気楽で良いのかもしれません。









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名曲ですね。

ミスチルを好きでない人でもこの曲を知らない人はいないであろう名曲。

ただね、20年以上前にこの曲を聞いて以来、この曲の素晴らしさに胸を打たれつつも、ちょっと良くわからないところはあった。

「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気がつけばそこにあるもの」

名曲だけれどさ、この文言の意味が、ずっとわからなかった。

ずっと、ずっと、ず〜〜〜〜っと、わからなかった。

で、昨日、気付いた。

桜井さんは、「そこ」って言っているけれど、俺の中での「そこ」は、「自分と対面して向き合う人を中心にした、相手ありきの場所から俺の場所まで愛を伸ばしてくれる場所」だと思っていた。

親や、恋人や、友人や、そういう人が持っている愛を、俺が何もしなくても、俺がいる場所まで伸ばしてくれるもの、その場所が、愛だと思っていた。それこそが、愛のある「そこ」だと思っていた。

でも、多分、違うんだよね。

桜井さんの言っている「そこ」は、俺にとっての、「ここ」なんだよ。


「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばここにあるもの」


多分、そうなんじゃないかなあ。

多分、それを言いたかったんじゃないかな。

俺は昨日、初めて「名もなき詩」を聞いて以来、それこそ、初めて、この歌のこの歌詞を納得できた。

俺なりに。俺だけのために。

「そこ」は、「ここ」だ。

ここにある。

誰かが愛を提示してくれなくても、自分が愛を提示したらいい。

誰からも愛されなくても、自分が誰かを愛せばいい。

なぜなら、愛はここにあるから。

奪うでもなく、与えるでもなく、ここにあるんだから。愛は。


愛されなくても、愛したらいい。

優しくされなくても、優しくしたらいい。

そういう自分であれたらいい。

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばここにあるものだからね。



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