最後に、若者に言っておきたいこと。

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昨日、「友だちとは、いつでも相手を立てる人間のことではない」っていう言葉を聞き。

いつでも相手を喜ばし、いつでも相手を笑顔にし、いつでも相手を褒め称えることも、大事なことではあると思います。

いつでも相手がそれに値する人間であれば。

そのことを考えると思い出すのは、清原逮捕の報を受けた桑田の会見。






清原に対して色々と小言を言い続けてきた桑田さんに対して、「もう関わらないでくれ。」っていう絶縁宣言をしたそうなんですが、桑田は清原にとっての良き友であったけれど、清原は桑田にとっての良き友ではあれなかったわけですね。

付き合っている相手が良き友であっても、自分がそれに値しない人間であり、自分がそれを受け入れられなければ、友人関係というものは成立しない。

いつでも自分のことを褒めて、認めて、オッケーを出してくれる人ばかりを自分の周りにおいておけば、それはそれで楽ですしね。

まあ、名誉や地位や大金を持っている人間ならば、そういうコバンザメ的な取り巻きが寄ってくることも多いのでしょうが、年を取れば取るほど、「正しく論理的で相手のことを思えばこそ」っていう説教をしてくれる友だちなんてのは減っていきます。

説教するのが好きで、文句を言うのが比較的好きな私でも、「友人の為に友人のことを思ってモノを言う」っていうことは簡単な作業ではありません。

それは、面倒であるし、簡単に受け入れられない可能性もあるし、喧嘩になる可能性もあれば、絶交する事態につながることだってある。

そういう自分に起きるであろうマイナスのことまで含めた上で、相手のために面倒な小言を言う、ってのは、決して好き好んでやりたい作業ではない。

だったら、ほっとくか、フェイドアウトしていったほうが精神衛生上は全然楽。

でも、そこで放っておけない、ってことを思って「箴言せねばならぬ。」ってことを思わずに入られない相手が友だちであって、ならば、友は友として、その小言や説教を受け入れる度量というか懐の広さも持っておくべきですよねえ。

友だち関係ってのは、「誰かの友だちであれる自分」っていうものがいない限り成立しないことであるわけで。


自戒を込めて。




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苦しくて、切なくて、悲しくてしょうがない時。

そういうことが起こった時、人は落ち込みます。

それはしょうがないことです。当たり前のことです。

ただ、起きたことに関して、いつまでもいつまでも、へこみ続けるのはあまり良いことではない。

それほどまでに自分を落ち込ませる出来事が起きてしまったのならばしょうがないのですが、落ち込みを自分の力で強化してしまっている場合もあると思うんですね。

それが、自分を「悲劇のヒロイン」にすること。

「つらいことがあったの・・・。悲しいことがあったの・・・。だから、今も涙がちょちょ切れるの・・・。」っていう風に、悲劇のヒロインであることを認め、それになりきってしまうと、その状態からはいつまで経っても抜けだせません。

だって、悲劇のヒロインになってしまえば、その人を責める人はいないし、頑張れなくても怒られないし、前向きになれなくても説教されないし、みんな、自分のことを慰めてくれます。

それが、当たり前の状態になる。

言い換えると、「自分は被害者である」っていう決めつけですね。このお話は実際に法的侵害を受けた被害者の方のお話は除外していますし、そういうことを言いたいわけではありません。


「起きた出来事をどうとらえるか?」っていうのは完全に個人の主観の問題です。

「まあ、しょうがねえか。」って思える人もいれば、「俺は何も悪くないのに何でこんなことに・・・。」って気持ちになって、無意識的に、時に意識的に、「私は悪くない。悪いのはあの人だ。悪いのは社会だ。」って思ってしまって、「そう思ったとしても、私は被害者だから悪くない。しょうがない。」ってところまで発展せさてしまう人もいるわけですね。

そうするとね、「自分は正義」であるから、他人を攻撃しても良いし、我が身を振り返る必要もないし、自分の考え方を変える必要もないし、周りの人間は私に気を遣ってくれるのが当然のことだ、っていう結論になってしまったりもする。

まあね、そうすると厄介ですね。


何度も言ってますが、私は20歳そこらでハゲ始めました。激しくハゲ始めました。

あの時、私がその「ハゲ」について被害者意識を持ち、それを恥ずかしいと思い、やるせないと思い、隠す方へ隠す方へと考えて動いていたら、40歳になる今、カツラを愛用しているかもしれません。

で、「ハゲ」という単語に常にビクビクし、自分に全く自信が持てず、彼女も出来ずに童貞だったりしたら、親を恨むし、隔世遺伝の大元であろうじいちゃんも恨むだろうし、世の幸せそうにしている人も恨むだろうし、自分の体も恨むだろうし、「俺は何も悪くないのに・・・。俺は被害者なのに・・・。」っていう強いセルフイメージによって、それでも、自分が負のスパイラルを抱え続けていることを正当化し続けているかもしれません。


でも、私は若かりし学生時代のあの日、「悲劇のヒロイン」になることをやめたわけです。選んだのは「喜劇のスター」になること。

チャップリンは言いました。

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である。」

物事をどうとらえるのか、なんてのは自分次第なんです。

昨日ね、「つらいこと、悲しいことがあった時には、感謝をしてみよう」って話を書きました。

今、私と同い年でハゲを気にして、日々、気に病んでいる人もいらっしゃるとは思いますが、そういう人でね、ハゲに感謝をしたことがある人なんてほとんどいないと思うんですね。

私はね、今、ハゲたことに関してマイナスな要素を心に抱えていないし、「ハゲたおかげで色々なものを得ることが出来た♪」っていう感謝の思いを普通に持てています。

だってね、「自分の力ではどうすることも出来ない身体的条件を他人にバカにされることがどれだけつらいことであるか」っていう気持ちを知ることが出来たし、「自分ではどうしようもないことはとっとと諦めたほうがいい」っていう方法論も学んだし、「自分の短所を笑い飛ばせるということによって、他人に『この人はコンプレックス無いんだな。さっぱりした人なんだな。』」っていう安心感を持ってもらえるし、髪型で悩む必要もないし、床屋に行く必要もないし、「ハゲててすいません!」って言えば、大抵の場合、大抵の人に笑ってもらえるし、良いこと尽くめだよw

私は今でも悲劇のヒロインをやっていたら、そんなことは全然思えないでしょう。

喜劇のスターになったからこそ、得たものはたくさんある。

悲劇のヒロインにもメリットは有るんです。上に書いたようなね。

でもその暗く重いメリットに寄り添って悲劇のヒロインをやり続けると、顔が悪くなるよ。

「私は悪くない。誰かが悪い。」って思い込み続けるわけで、精神衛生上もよくない。

なにより、感謝出来ない。

感謝できないから悲劇のヒロインであるし、悲劇のヒロインだからこそ感謝を出来ないわけで、まあ、ろくなことはない。

一旦、無理矢理にでも物事をロングショットで見てみて、「悲劇だと思っていたけれど喜劇かも?」っていう確認をしてみたらいいんですよ。

少しでも喜劇の要素を感じられたら、少しでも感謝を出来るようになるから。






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今日であなたの人生が終わるとして、誰に感謝をしたいですか?

は?感謝?感謝出来る人なんていないし、感謝出来る出来事なんてねえよ!!って思ったとしても、もう1回、考えてみてください。

今日であなたの人生は終わります。

最後に、文句を言いたいですか?怒りを伝えたいですか?呪いをかけたいですか?



そんなことよりも、あなたが少しでも、心暖まる思い出があるのなら、その人に感謝してみたらどうですか?

思い出してみたら、そういう思い出はきっとある。

思い出してみたら、そういう思い出は必ずある。

思い出してみてね、そこに感謝を出来たら、ゆっくり眠れますよ。

思い出してみて、そこに感謝を出来るのならば、心地よく眠れる。

どんなに些細な事でもいいから、感謝できることを思い出して、感謝してみたらどうでしょう?

きっと、明日は良い日になりますよ。




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