ゴリノート。

人生を3gだけ気楽にする、小さなたくさんのエピソード。

2018年04月

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「親友が欲しいです。」「心からわかりあえる友達が欲しい・・・。」


っていう相談は良く受けます。

そういうことを望む人に、私が言うのは、


・まず、あなたが、誰かの親友に値する人間になることが大事です。


ってことです。それを漏れ無く言います。

「親友」ってね、「はい、親友を持ってきました〜!」ってことを言われて、誰かを目の前に置かれても、その人はあなたの親友にはなりえない。

「心から分かり合える友達」とかね、「親友」とかってものはね、「関係性」なんです。

今、あなたの目の前に、誰かの親友である吉田君とかみゆきちゃんとかゴリさんとかを連れてきても、ただ、それだけであなたに親友が出来るわけではない。

わかるよね?

誰かにとっての「親友」になるには、あなたが、誰かにとっての「親友」に値する人間にならなければいけない。

誰かにとっての「心からわかりあえる友人」になるには、あなたが、誰かにとっての「親友」に値する人間にならなければいけない。

「良き友」は、探せばみつかるものではないんだよ。


例えばね、それなりの大きな都市圏に住んでいれば、小中高でそれなりの人数のクラスメイトと過ごすことになります。

過疎地域だったり、少人数教育を受けてきた人だったら別だけれど、例えば私の事で言えば、小中高のクラスメイトだけでも、500人は余裕で超える人と、日々同じ教室で長い時間を過ごしてきたわけで。

そこで、「親友」と呼べる人間と、ただの1人とも出会えなかったのならば、それは環境の問題というよりも、自分の問題が大きい可能性は相当に高い。

私自身のことを思い出してみても、ずっと、「親友が欲しい・・・。」ってことは思ってきたけれど、私自身に「誰かにとっての親友に値する何か?」っていうような意識は1ミリもなく、「俺の周りにはろくなやつがいねえ。」「俺の親友に値する人間が1人もいねえから、友達が出来ねえんだよ・・・。」っていうクソみたいな文句を延々と吐き出していました。

そんな人間と友達になりたい人間なんているわけないじゃん。


「友達」が欲しいならね、まず、自分が誰かにとっての「良き友」になりなさい。

「親友」が欲しいなら、何よりも最初に、自分が誰かにとってのナイスな友達であれる自分になることだ。

それは、ウソでもなく、とってつけたようないい感じのことを言うわけでもなく、付き合いを良くすることでもなく、やたらにプレゼントをしまくることでもない。

普通な自分の普通な行動として、自分が向き合う人に対して、出来るだけ穏やかに、出来るだけ思いやり深く、出来るだけ丁寧に、出来るだけ笑顔で、相手が喜ぶことを心の底からすることだ。

それが出来たのならば、それを続けられるのならば、あなたに「親友」が出来ないことなんてないからね。

ないよ。





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「大切なものは目に見えないんだよ」って言いますね。

「心」も見えない。

「愛」も見えない。

「やさしさ」も「思いやり」も「慈しみ」も目に見えない。


だったらね、目に見えるようにしたらいいと思うんですね。

好きな気持ちとか、ありがたいと思う気持ちとか、嬉しい気持ちとか、気持ちが気持ちのままだったら見えないけれど、それを言葉にして、手紙に書いて、メールに書いて、動画にして、ってことをすれば、目に見える。

耳に聞こえる。

心に残る。


幸いにしてね、「悪意」とか「敵意」とか「殺意」とかってものも目には見えません。

だから、目に見える形にしなければ、心を読める人以外はそれに傷つけられることもないわけですが、なぜか、リアルの世界でもネットの世界でも、見えない悪意や敵意をわざわざ見える形にして、直接誰かにぶつける人がたくさんいますね。

迷惑なことです。


心のなかのアレコレは、元々、見えないもの。

でも、それを見えるようにすることは出来ます。

そして、素敵なものを見えるようにすることも、ろくでもないものを見えるようにすることも、私たちの選択の問題。

このブログを読んでくれている人だってね、私の心の見えないものを見えるように文章に落としこんでいるから見えるし読めるわけです。

当たり前だけど。

ブログというものがなくて、私がそこに頭や心に感じたものを書き続けるということをしなければ、多分、今この文章を読んでいる人とは、99.999999%の確率でなんの関係性も持てなかったでしょう。

見えないものを見えるようにすれば、何かが変わり、何かが生まれ、何かがどこかへ行くかもよ〜♪










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ハリルホジッチが解任されて20日くらい経つわけですが、いまだに怒りと絶望感が消えません。







まあ、北澤はサッカー協会の理事をやっているので、協会側に立った意見を言うのは当然ではあるわけですが、それにしてもひどい。

もうね、わけがわかりません。

本来、サッカー協会こそが、もっとも厳しく公平なサッカーに対する意見を持ち、それを表明すべきであるのに、「選手との信頼関係が多少薄れてきた」とかっていう全く意味不明な理由を言い放ち、それによって監督を解雇するわけで。

ハリルホジッチも会見で言ってましたが、「ウクライナ戦で負けたから解雇する」ってことならば、わかるんですよ。

だけど、本番直前のこの時期に、そんなフワッとしたわけのわからない理由で本番で威力を発揮するだろう監督を切り、その監督を補佐してしかるべき技術委員長が監督にスライドって・・・。

ほんと、申し訳ないですが、Facebookには毎日のように恨み言を書いています。

これだけ悲しいのは、ドーハで負けた時と、フランス大会前にカズさんが切られた時以来かなあ・・・。

でもね、あの時は、「強くなればいい!」って思っていたし、カズさんのワールドカップ出場は叶うことはなかったけれど、それがあったからこそ50歳を過ぎる年齢に至る現在まで現役選手を続けていられるよね♪っていう風にポジティブにも捉えられます。

長い時間がかかったけどね。

ただ、今回のハリルホジッチ解任騒動は、サッカー協会内部のクソろくでもないグダグダ具合が産んでいるものなので、今の田嶋会長始め、似たような考えを持つ似たような人々がいる限り、ずっと続いていくというか、もっともっと悪化してしまう可能性もある問題なわけです。

10歳でサッカーを始めて30年以上経ちますが、これほどまでにサッカーに絶望した状況になったことはありません。

これも、あと10年、20年経てば、「あの時のハリルホジッチの解任劇があったから、今の状況があるよね♪」ってことを懐かしく思い出せる日は来るのでしょうか。

来て欲しいけど。

「日本代表がワールドカップ出れない?へ〜、そうなんだ。」とかって感じで何の興味すらなくなっているようなことになっていないと良いけど。






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