名曲ですね。
ミスチルを好きでない人でもこの曲を知らない人はいないであろう名曲。
ただね、20年以上前にこの曲を聞いて以来、この曲の素晴らしさに胸を打たれつつも、ちょっと良くわからないところはあった。
「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気がつけばそこにあるもの」
名曲だけれどさ、この文言の意味が、ずっとわからなかった。
ずっと、ずっと、ず〜〜〜〜っと、わからなかった。
で、昨日、気付いた。
桜井さんは、「そこ」って言っているけれど、俺の中での「そこ」は、「自分と対面して向き合う人を中心にした、相手ありきの場所から俺の場所まで愛を伸ばしてくれる場所」だと思っていた。
親や、恋人や、友人や、そういう人が持っている愛を、俺が何もしなくても、俺がいる場所まで伸ばしてくれるもの、その場所が、愛だと思っていた。それこそが、愛のある「そこ」だと思っていた。
でも、多分、違うんだよね。
桜井さんの言っている「そこ」は、俺にとっての、「ここ」なんだよ。
「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばここにあるもの」。
多分、そうなんじゃないかなあ。
多分、それを言いたかったんじゃないかな。
俺は昨日、初めて「名もなき詩」を聞いて以来、それこそ、初めて、この歌のこの歌詞を納得できた。
俺なりに。俺だけのために。
「そこ」は、「ここ」だ。
ここにある。
誰かが愛を提示してくれなくても、自分が愛を提示したらいい。
誰からも愛されなくても、自分が誰かを愛せばいい。
なぜなら、愛はここにあるから。
奪うでもなく、与えるでもなく、ここにあるんだから。愛は。
愛されなくても、愛したらいい。
優しくされなくても、優しくしたらいい。
そういう自分であれたらいい。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばここにあるものだからね。
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