茨の本棚

2007年12月23日

真実は太陽のごとく輝いている


作品として『ボボーク』が一番強烈に印象に残った。

ある男が葬式に参加する。葬式が終わった後、何気なく棺がいくつかおいてあるところに行き、棺の上に座っていると、どこからが話し声が聞こえてくる…。

そして、それは信じられないことに複数の棺の中から、聞こえてくるのである。

ある画家がたまたまわたしの肖像画を描いた。「なんといってもきみは文士だからな」と彼はいう。わたしは彼のいうままになった。すると、彼はそれを展覧会に出したのである。ふと新聞を見ると「この病的なきちがいに近い顔を見に行きたまえ」と書いてある。


「いや、ぼくはもう少し生きたかった!いや…ぼくは、その…ぼくはもう少し生きていたかった!」将軍と怒りっぽい奥さんとの間にあたるどこかで、ふいにだれかの新しい声が叫んだ。
「どうです、閣下、例の先生がまた同じことをいいだしましたぜ。三日間というものは黙って、黙って、黙り込んでいたくせにい、とつぜん『ぼくはもう少し生きていたかった、いや、ぼくはもう少し生きていたかった!』とくる。しかも、どうでしょう、あんな激しい勢いで、ひ、ひ!」





(03:30)

2007年12月15日



「わたしは幸福な王子だ」
「それじゃあなぜ泣いていらっしゃるのです?」


『幸福な王子』という話は有名で、なんとなくタイトルは聞いたことはあったが、まだ読んだことはなかった。しかしある時ワイルドという作家が気になって、どんな作品を残しているのだろうと調べてみると、何やら聞き覚えのある『幸福な王子』という本があったので、買って読んでみた。

社会風刺が痛烈な作品らしいが、私はそういった知識抜きにしても、とても楽しめる作品だった。基本的には童話ということで、読みやすいし、…と(?)考えさせられることが多かった。

特に今回は表題作のタイトルの中にもあるが、「幸福」について考えを進めることが出来た。

わたしもじっさい幸福だったのだ、もし快楽が幸福であるとしたらね。そんなふうにわたしは生き、そんなふうにわたしは死んだ。


太陽のない路地から飢えた目をした『貧乏』が忍びいり、ふやけた顔をした『罪』がすぐそのあとにつづく。朝になると『悲惨』がおいらの目をさまし、夜は『屈辱』がおいらといっしょに座っている。


ところが、ふたりが自分たちのみじめさを互いに嘆き悲しんでいたとき、奇妙なことが起こりました。大空から、とても明るい美しい星が落ちてきたのです。






(16:36)

2007年12月08日



ここではむしろ、これまで『異邦人』がどのように読まれてきたか、すなわち『異邦人』研究および解釈の全貌を紹介し、私たちの視点からそれらを整理しなおしてみようと思う。ツヴェタン・トドロフの書名『批評の批評』にならって言うならば、これは「『異邦人』批評の批評」と呼びうるものであり、いわば『異邦人』のメタ批評なのである。


…といったように、第一部では著者の解釈も入れながら、『異邦人』の物語にそって、著者によって読まれていくが、第二部では、これまでの研究の整理ないし批評といった内容だった。

そして、こちらの第二部が特に面白く、『異邦人』という作品の後ろ(前?)にたくさんの広がりが生まれて楽しくなった。また、こんなにもたくさん研究、批評がされてきたのだな、と驚いた。

特に、興味深かったのは、サルトルの批評と、広津和朗さんと中村光夫さんの「『異邦人』論争」だった。この二つは、いつか、読んでみたいと思う。

彼によれば、人間の裁きは何でもない、神の裁きがいっさいだった。僕に死刑をあたえたのは人間の裁きだ、と僕は指摘した。人間の裁きは、それだけでは僕の罪を洗い清めることはない、と彼は答えた。罪というものが何なのか、自分にはわからない、と僕は言った。ただ自分が犯罪者だということをひとから教えられただけだ。僕は罪人であり、償いをしている。だれもこれ以上、僕に要求することはできないのだ。





(23:51)

2007年12月01日



人間は本能のこわれた動物である。


「面白い本」というのはこういう本のことをいうんだな…と思った。

心理学者の著者が、「共同幻想」や「フロイトの説」などを土台にして、国家から日常生活にいたるまで考察していく。また、軽めのエッセイのようなものもいくつか所収されている。

わたしが特に面白かったのは「日本近代を精神分析する」、「何のために親は子を育てるか」だった。

前者は精神分析という観点から歴史を振り返ると……という内容でこんな歴史の見方ができるのかと、とても感心してしまった。

後者は、普段私が疑問に思っている問題に対する考えを進めてくれた。こういった洗練された思想で語られると、普段の自分のごちゃごちゃした考えが少しずつ、「あれとあれがつながって…」と整理されていく感覚がして楽しかった。

初めてこの人の本を読んで、少なくとも私はこんな面白い本があったのか、と思った。それで少しネット調べてみるとウィキペディア曰く「語り口の痛快さによって多くの読者を得て、80年代前半の思想界の注目を集めた。」人らしく、やはりかなり注目された人だったのか、と思った。(あくまでウィキペディアの内容を正しいとしたら、ですが)

私に、もう少しフロイトやユングの心理学の素養があったら、もっと楽しめたんだろうな、とも思った。

親孝行の思想はさらに露骨であって、無償では子を育てる気になれない親の気持ちがのぞいている。この思想は気の進まぬ親にだましだまし子育ての義務を引き受けさせようとする欺瞞策である。





(04:33)

2007年11月26日



幸せは蝶のようなものである。蝶を掴もうと思えば逃げられるけれども、他のものをじっと見つめていれば、いつのまにか蝶が静かに肩の上に止まっていたことに気づくものである。

(24日の分です。)
「自己愛」というキーワードを軸にして、見渡せる問題を箇条書きにしていき、さらにそれらを膨らませたような本だったと思う。

その中でも、「エゴイズム」と「幸福論」に関する考察が特に面白かった。論理的に考えていって、一つの結論に向かっていくような本ではなかったので、まだ説明のつかないことが自分の中ではものすごくたくさんあるが、グッっと来る言葉や、「そうかもなぁ…」と思う言葉がたくさんあり、何か、小説を読んでいるような気分になった。

扱われている問題が、今の私が持っている疑問に「こうなんじゃない?あるいはこうなんじゃない?」と素晴らしい言葉で触れてくれていた。少なくとも今の私にとっては読む価値のある本だった。

港とは、賛成してもらえなくても、自分の気持ちは分かってもらえる場である。


彼は誰かを愛しているつもりだったが、本当は愛していたのは自分自身だけであった。ただそれに気がついていなかったのである。


貴方が愛している人は貴方自身だけです。




(05:56)

2007年11月17日



葬式で、40歳の娘は「母は安楽死しました。母の最期の希望でした」と参列者に向けて話した。パラパラと拍手が漏れた。夏の青空が広がっていた。


安楽死について考えたいと思って読んでみた。

あとがきで著者が「安楽死を通じてオランダのことを書きたい」と言っていた通り、安楽死が合法化されるに至った経緯や、それまでの状況などでオランダについてよく書かれていて、それらも興味深かった。オランダは面白い国だなと思った。

大麻の喫煙所や、売春所が合法化されていて真昼間から堂々と営業している、高齢者の一人暮らしは当たり前、という話など、本当に「自由と寛容」を基盤とするユニークな社会なのだな、と思った。オランダの十代のモヒカン少年が「オランダでは、不良になるのは難しいんだ」と言っていたことがあったらしい(笑)。

実際に安楽死がされた時のことについてのルポも興味深かった。尊厳死というものについて、ほとんど知らなかったので、知ることが出来てよかったと思う。

この本を読んだあとも、やはり個人的には安楽死OKだと思うし、オランダなど安楽死を合法化している国に対する批判も、あまりピンと来なかった。

こういった問題は、話としては、当然個人の安楽死が取り上げられるが、こういう話を人類全体に広げて考えたいとも思う。




(21:09)

2007年11月03日



感動しました。

自分の人生はもはや毒されており、その毒が他人の人生をも害してしまう。しかもこの毒は弱まることなく、ますます彼の存在の全体に染み渡ってくるのだ。


そう、今まであった命がこうしてなくなろうとしている。なくなろうとしていて、しかも自分にはそれを止めることができない。


かつて死についての思いを追い払ってくれたいくつかの考え方があったので、彼はそうした考え方にもう一度戻ってみようとした。だが不思議なことに、かつては死の意識を追い払い、押し隠し、消し去ってくれたものがどれひとつとして、今はもうそうした効果を発揮してくれないのだった。


片時も静まらず疼きつづけるせつない痛み、もはや望みもなく消え去ろうとしながら、かろうじて消え残っている命の意識、唯一の現実である、あの恐ろしく忌まわしい、迫り来る死、そして相変わらずの嘘―


彼は自分の無力さを嘆き、恐ろしい孤独を嘆き、人々の残酷さを嘆き、神の不在を嘆いた。


「生きるって?どう生きるのだ?」心の声がたずねた。
「だから、かつて私が生きていたように、幸せに、楽しく生きるのだ」
「かつておまえが生きていたように、幸せに、楽しく、か?」声は聞き返した。そこで彼は頭の中で、自分の楽しい人生のうちの最良の瞬間を次々と思い浮かべてみた。
 しかし不思議なことに、そうした楽しい人生の最良の瞬間は、今やどれもこれも、当時そう思われたのとは似ても似つかぬものに思えた。幼いころの最初のいくつかの思い出をのぞいて、すべてがそうだった。
 幼年期には確かに、もしも取り戻せるならばもう一度味わってみたいような、なにか本当に楽しいものがあった。だがその楽しさを味わった当の人間は、すでにいないのだ。それはまるで、誰か別の人間についての思い出のようであった。





(21:49)

2007年10月27日



有名な作品であらすじは何回か読んだことがあったが、実際に読んだことは無かったので読んでみた。

予想に反してストーリー的にも、とても楽しめる作品だった。私小説の流れを決定的にした作品ということらしかったので、物語としては楽しみにくいかと思っていたけど十分楽しめたし、(当たり前かもしれないが)文章も綺麗でとてもよかった。『蒲団』を読もうと思って購入したが、一緒に所収されていた『重右衛門の最後』もとても面白かった。

2つの作品とも、丁寧な風景描写が印象的だった。


家を引っ越し歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、外国小説を読み漁っても満足が出来ぬ。いや、庭樹の繁り、雨の点滴、花の開落などいう自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。


さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深く碧く、日の光は透き通った空気に射渡って、夕の影が濃くあたりを隈どるようになった。取り残した芋の葉に雨は終日降頻って、八百屋の店には松茸が並べられた。垣の虫の声は露に衰えて、庭の桐の葉も脆くも落ちた。


「若い鳥は若い鳥でなくては駄目だ。自分達はもうこの若い鳥を引く美しい羽を持っていない」


野は秋も暮れて木枯しの風が立った。裏の森の銀杏樹も黄葉して夕の空を美しく彩った。垣根道には反りかえった落葉ががさがさと転がっていく。鵙の鳴声がけたたましく聞こえる。若い二人の恋が愈々人目に余るようになったのはこの頃であった。





(23:29)

2007年10月20日



【ノート】

●第1章:物語の成立とその形式
 1:物語と宗教…
   ・物語というものの起こりは、多く宗教と関係があった。その根本の動機は、神々の力を語り、神々をあがめ人間が神の力に服従する有様を語ろうとするもののようである。例えば、『イリアード』のような戦争物語も神を祭り神の力を語り伝える方法の発展したものである。
   ・物語は始めは韻文の形で語られるのが一般的であった。
   ・それらの物語の各部分がそれぞれの体験者や、体験者の弟子たちに口伝えに伝えられてゆくうちに、一つ一つのエピソードがしだいに磨き上げられていく。
   ・すなわち、よくできた短編小説のようなものが、各地にいくつもできる。
   ・あるとき一人の天才が現れて、それらの作品全体を集めて、ひとつの大きな物語にしたならば、もっと面白いものになると気づく。これが『平家物語』や『イリアード』の成立過程である。

 2:初期の形式…
   ・エピソード、すなわち世間に語り伝えられる小話というのは、昔は簡単な描写法しかなかったから、いずれも短いものであった。
   ・それらがなんらかのつなぎ目の役をする筋の中にはめ込まれて、しだいに大きな物語になっていく。それらは大体においては東洋も西洋も似たような進歩で、現代の小説形式に達したと言ってよい。
   ・例えば、『デカメロン』や『カンタベリー物語』は自分の知っている話をたがいに語り合う、という形式になっている。

 3:日本的並列形式…
   ・『源氏物語』は何人かの女性と光源氏がつぎつぎに交渉を持つという構造になっている。『源氏物語』の一人一人の女性は、ヨコの物語の中に順に並んでいるだけであって、それらの女性同士がたがいに結びついたり争ったりする場面はない。このような形式の小説を並列型の物語構造を持っているもの、と考えれる。
   ・社会の構造から日本の小説は、もっとも早くできたといわれる『竹取物語(811年)』や『源氏物語』から後も、長い間、じつに現代に至るまで並列的な構造から抜け出すことができないでいる。
   ・現代になって書かれた谷崎潤一郎の『細雪』でも同じことがいえる。
 4:集団の条件…
   ・ヨーロッパでも、中世から近代の初めにかけてできた小説の形式は、最近までの日本の小説形式と似ていた。
   ・やがて、人間関係が深めれる芸術形式が生まれる、その先駆となったのが「戯曲」である。(シェークスピアやモリエールなど)
 5:日本的な感動の特質…
   ・日本の文芸作品の特徴は、「無常観による生命の把握」という方法である。すなわち、失う時になって初めて、ものが存在したという感じを味わうということである。
   ・日本の近代文学の中にも、この無常観による感動形式は生きている。特に「時の経過」によってものの滅びてゆくことの感動を描いた作品としては国木田独歩やとりわけ田山花袋の中期の代表作がこの系統の考えを示している。例えば、『再び草の野に』や『時は過ぎて行く』などである。
 6:露伴の連環体形式…
   ・「日本的並列形式をもっと緊密な連絡のある物語構造にして、ヨーロッパの近代小説に近づけることはできないだろうか」日本の近代作家の中でこの問題をもっとも良く考えた人として幸田露伴がいる。



●第8章:下降認識と上昇認識

 1:「城の崎にて」…
   ・田中英光の小説のような破滅型の私小説を下降による生の認識と名づけられる。
   ・「城の崎にて」は、三つの生き物の死ぬ場面のスケッチで出来上がっている。そしてその生き物の生きていること、死ぬことの変化を微妙な点までよく捉えて描いてあるので、ごく短い作品であるけれども、この作者の傑作のひとつだと言われている。
   ・太宰治や田中英光のものは、水面からしだいに落ち、沈み、死んでゆく過程で人生を理解する形であり、「城之崎にて」は、水の底から浮かび上がろうとする時に感ずる感動を、生かしたものだと言うことができるだろう。すなわち上昇による生の認識である。

 2:小説の芸術性…
   ・この「城之崎にて」が立派な芸術作品であることは、三つのスケッチが生き物の死ぬところを描くことによって生命というものを考える思想を繰り返して表現している、というところにもある。

 3:長編小説の芸術性…
   ・「城之崎にて」のような短い小説とは違い、長編小説のような小説というものは、こういうようなモチーフ(死による生命認識)がいくつかあり、それがたがいに交錯したり、また交互に現れたりして、複雑な様相を呈しているものだと考えられる。

 4:死の意識による諸作品…
   ・「城之崎にて」のようなモチーフ(死による生命認識)は、現代文学の中でも多く、用いられている。

 5:人間の不安…
   ・全体的に言えば、日本人の芸術家はタテ系列の、死または無から存在を考えるということにおいて優れている。そしてヨーロッパ系の近代文学の考え方の原型は、タテの系列よりもヨコの組み合わせ方を描くのに優れている。




(09:04)

2007年10月13日



人間が地球上の他の動物となぜこうも違うのか、諸君は一度でも考えてみたことがあるかね?


月面を調査していた、調査隊が生き物の死体を見つけた。不思議に思い、地球に持って帰ると人間の死体だということが明らかになった。何故人間の死体があったのか、議論がされる。その後新たな事実が明らかになる。なんとその死体は5万年前に死んでいたのだ。地球の5万年前というと、まだ文明など生まれるずっと前である。なぜ5万年前の地球人の死体が月にあったのか…?その謎を解いていくにつれて、驚くべき事実が明らかになる…。

…という話である。ストーリーに引っ張ってもらえるので、気軽に読むことが出来ると思う。とにかく面白い話である。

万一、何らかの手段によってチャーリーが確かに別の世界で進化したのであるということが証明されたとすれば、わたしたちは観察された動かし得ない事実として、平行進化が起こったことを認めなくてはならないでしょう。現在の理論の枠内ではそれを説明できないのですから、われわれの理論は実に粗雑であり、不備であることになりましょう。その時、はじめてわれわれはこれまでに考えられていない別の要因を新たに解明しなくてはならなくなるでしょう。そうなれば、超越的な意思の力も正当な場所を得るのかもしれません。しかしながら、今この時点でそのような考えを導入することは、馬車を馬の前に繋ぐに等しいでしょう。それではわたしたちは最も基本的な科学の原則に反する罪を犯すことになります。


例えば、サメは魚ですが、イルカは哺乳類です。起源はまったく別ですね。ところが、最終的には概略似たような姿を持つようになりました。





(23:02)