【ダメな日本の保守シリーズ  ~「道義国家」を目指して夜郎自大化した大日本帝国 ~】
【ダメな日本の保守シリーズ  ~「体罰」を必要として求めてやまない日本人の体罰信仰の理由~】

ダメな日本の保守シリーズ  ~外圧によって維持されている日本人の倫理観と社会の秩序の危さ~

ダメな日本の保守シリーズ  ~軍事思考でなく感傷でとらえたがる日本人の戦争に対する意識~
ダメな日本の保守シリーズ ⑤ ~合理的なつもりで不合理に陥る日本人の思考判断~
ダメな日本の保守シリーズ ⑥ ~保守派が国民に押し付けたがる道徳の正体は道徳ではなく「認知の歪み」の現れ~

ダメな日本の保守シリーズ ⑦ ~特攻礼賛という自家撞着

ダメな日本の保守シリーズ ⑧ ~保守思考の"ズレた"「正義感ブーム」批判~

ダメな日本の保守シリーズ ⑨ ~カタルシスとしての武装攻撃願望~

ダメな日本の保守シリーズ ⑩ ~ペーパーテスト・エリートの妄想リアリズム(旧日本軍の員数主義)~

ダメな日本の保守シリーズ ⑪ ~「だが何も起こらない」ステージへの突入~

ダメな日本の保守シリーズ ⑭ ~インテリたちの求める"リアル"な安全保障政策と核武装信仰~
ダメな日本の保守シリーズ ⑮ ~保守派の「受動史観」~


保守派の重鎮・西尾幹二氏と歴史家・秦郁彦氏との、歴史についての対談。


秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」評 続き : 筆不精者の雑彙


西尾氏は、

「実証を誇る歴史家の歴史より、真の詩魂を持つ小説家のノンフィクションのほうがよほど立派な歴史になっている」

と主張。
また西尾氏は、実証を否定するのかと問う秦氏に対し、

「私は歴史の専門家を信用していないのでね。ことに日本史の専門家と聞いただけで眉に唾する習慣なんですよ。ハハハ」

「私は近現代史の専門家の存在に疑問を持っている」

といい、なぜならはそれは、

「現在の目で過去を見る専門家の視野では、正しい歴史が見えない」

からだと反論。

西尾氏の主張するところでは、いくら確定された過去の歴史上の事実を並べ立てたところで、それは単なる「年代記」クロニクルに過ぎず、歴史ヒストリーにはならないのだと。

歴史とは何か?歴史とは「物語」であると。

西尾 私は本誌三月号の論文で、過去の事実を知ることではなく(そんなことはできないので)、過去の事実について過去の人がどう考えていたかを知るのが歴史だと言いました。現在の立場で過去を知るのではなく、過去を過去として知る。戦争の時代を今の平和な時代の基準で裁いたり告発したりするのではなく、あの時代にはあの時代に特有の善悪があり、幸福感があったことを知るのが歴史だと書きました。ところが専門家はそれをしないで、「確立した学説」とか「学界の通説」まどを当て嵌め、現在の価値観で決めつけてしまう。時間が経つうちに価値観は変わるのです。史実は時代によって大きく動くんですよ。新しい局面を迎えれば、価値の構造は変わってくるから、秦さんが史実といっているものが、史実でなくなるかもしれないんです。

西尾氏は、

「過去の事実について過去の人がどう考えていたかを知るのが歴史」

で、だから、

「現在の立場で過去を知るのではなく、過去を過去として知る。戦争の時代を今の平和な時代の基準で裁いたり告発したりするのではなく、あの時代にはあの時代に特有の善悪があり、幸福感があったことを知るのが歴史」

とも主張するが、
近衛内閣時に提唱された、列強帝国主義諸国の植民地支配からアジアを解放して平和を築くという「大東亜共栄圏」構想は、1940年(昭和15年)6月中旬に、軍務局長時代の武藤章らによって作成された「綜合国策十年計画」においては、露骨に、
「『日、満、北支、蒙疆』は、『大和民族の自衛的生活圏』として建設する。」

 と、ハッキリ記されていた。

つまり、本音をいえば、日本が列強に変わってアジアを日本の植民地に変えるということであって、
それがまさに、

「過去の事実について過去の人がどう考えていたか」

という大日本帝国のヒストリーだった。

当時の日本は、列強同志で作り上げた東アジアを彼らが支配していくための枠組みである「ワシントン体制」を、「大東亜共栄圏」構想によって否定したが、
その大東亜共栄圏構想は、日本が中国を攻撃して日中戦争を巻き越している最中に発表されたものだった。

日本軍は満州から万里の長城を越えて中国内陸部である華北、華中へと侵攻し、蒋介石率いる南京国民政府の首都である南京まで軍事制圧し、そしてその上で国民政府へと突きつけた要求は、

「華北・上海における非武装地帯の設定、満州国承認、日中防共協定、華北での鉄道・鉱業その他の日中合弁事業の承認」

および、

「華北・内蒙古における自治政権の樹立、華中占領地域の非武装地帯化、華北・内蒙古・華中への保証駐兵、賠償金要求」

というものだった。

これが、アジアを解放するためだったという「大東亜戦争」の実態。

ただ、おなじ武藤でも、参謀本部の武藤章ではなく、当時『大阪朝日新聞』の論説委員でたいへん売れっ子の軍事評論家であったという武藤貞一が、1937年(昭和12)12月10日に出版した『抗英世界戦争』という本では、

田原総一郎『日本近現代史『裏の主役』たち』p.326、327

日本近現代史の「裏の主役」たち 北一輝、大川周明、頭山満、松井石根……「アジア主義者」の夢と挫折 (PHP文庫)
田原 総一朗
PHP研究所
2014-06-13


「日支事変は支那を舞台とする『日英戦争』に外ならない。イギリスのロボット政権たる蒋介石政府は、ここ数年間かかって支那を抗日で統一せんとしたが、イギリスに至っては、その規模を更に拡大し、世界を抗日で統一せんと企図しつつあるものである。<中略>
われわれはこのイギリスを、正面の敵とするに至った。
しかも『日英戦争』によって抗英の実践を企図するほど愚直であってはならぬ、よろしくかれの企図するところをそのままに逆施倒行して、日本こそソ連を引き入れ、アメリカと結び、支那もビルマもアラビヤも一斉に起たしめ、その他百年イギリスの迫害下にある一切の国々を動員して、一つの抗英戦争に結成せしめなければならぬ。
この意味で、我らが今後に望み見るものは、銃火戦争によるとよらざるとの別なく、実に広義の『抗英世界戦争』である」

と述べ、さらにこの武藤貞一記者は、日中戦争を、

「実は支那を白人侵略の魔手から救い出すための聖戦である」

とも力説していたという。

これなら西尾先生が好む「詩魂」に満ちた「ヒストリー」になる。

実際、当時の中国では反日感情が沸騰していたが、しかしその最大の原因は、満州事変で日本が満州の地を中国の主権から切り離して独立国として奪い取ったからだ。

しかも日中戦争は、

「支那を白人侵略の魔手から救い出すための聖戦」

などではなく、「華北分離」工作という北支における満州事変の再現として行われた軍事侵攻作戦だった。

現在でも保守派の人たちは、盛んに中国や北朝鮮に日本の領土が狙われていて、それに危機感を抱かない平和主義者たちを平和ボケだとののしっているが、
敵に領土を奪われて、反感を抱かないほうがどうかしているだろう。

しかもだけでなく、その敵は万里の長城を越えて軍事攻撃を加え、さらなる領土の分割を求めてきたのだから、どうしてこれが中国の防衛戦争ではなく"日本の防衛戦争”になるのか。

日中戦争を強行しようとする武藤章に対し、そのとき参謀本部の上司だった石原莞爾は止めようとしたが、それに武藤は、

「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」

と反論したともいうが、
武藤は石原が満州事変を起こして満州を中国から奪取したのと同じように、支那事変(日中戦争)を興して、華北や華中を中国政府から分離して日本の支配に変えようと目論んだ。

武藤は日本が華北に内地三個師団を派遣すれば、

「あそこらの有象無象が双手を挙げて来るだろう」

と豪語していた。

それもおそらく、満州侵攻時における中国側の行動をみていたからだろう。
満州事変のとき、張学良率いる奉天軍は、日本軍の攻撃に大した反撃もせずに逃げ回っていた。

しかしこのときの中国側の不抵抗はそれなりの理由があってのことだった。
応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴びるなど好ましくない結果をもたらすだろうとの考えがあったという。
また、このころは国共内戦の最中で、南京の国民政府が対日戦に兵を割く余裕が無かったこともあったという。

張学良 - Wikipedia

逆にいえば、満州事変を断行した石原莞爾の場合は、中国側のそうした消極姿勢を見込んだからこそ、実現に移せたことだった。

が、支那事変の場合は、既に日本が起こした満州事変によって、中国人の反日感情が沸点に達しようとしていた。
そんな状況の最中に兵を出せば、敵は逃げるどころか今度こそ本気の祖国防衛戦争を挑んでくるにちがいない。
実際、日本の中国内陸部侵攻に対しては、

「共産党は腹背の病、日本は皮相の病」

というほど徹底した共産党嫌いで有名だった国民党の蒋介石が、日本軍と戦うために「第二次国共合作」を決断したほどだった。

中国では日本の軍事侵略に対して反日感情が極限にまで達してレジスタンスの抵抗運動が展開されていたというのに、
日本国内では、これは、

「支那を白人侵略の魔手から救い出すための聖戦」

などといっているのだから救いようがない。

しかもその見方は、戦後80年以上経ても未だに変わらないという。

評論家の山崎行太郎氏は、自分たちの都合の悪い事実には目を伏せ、批難されれば被害者立場を主張し、悪いことを全て他者のせいにして、自分たちには何の責任もないとするような保守派にありがちな歴史観を、

「受動史観」

と呼んで批難する。

「自虐史観」とは何か - BLOGOS

 アメリカやコミンテルンが日本に対して謀略を仕掛けてきたのは間違いない。しかし、それは戦争なのだから当然のことだ。日本も日露戦争の時は明石元二郎が情報活動を行っていたし、昭和の時代には陸軍中野学校の卒業生たちが暗躍した。

 もちろんアメリカやコミンテルンの謀略に対しても、当時の日本の指導者たちは様々な形で抵抗した。しかし、残念ながら力及ばず戦争に引きずり込まれ、そして負けたのだ。「我々は悪くない」などと責任転嫁する暇があったら、「次は負けないようにしよう」「こちらから謀略を仕掛けてやる」くらいの主体性を持つべきだ。

 私は、悪いことを全て他国のせいにし、日本に責任はないとする歴史観を「受動史観」と呼んでいるが、この受動史観に囚われている人たちは、自分たちは「被害者」あるいは「弱者」であり、自分たちの手は汚れていないということを必死に証明しようとする。

 確かに「加害者」であることは辛く耐え難いものであり、「被害者」である方が楽だろう。しかし、自分たちが「被害者」であることを強調することで批判をかわしたり責任転嫁しようとするのは、それこそ悪しき左翼のやり方ではないか。ここに保守論壇の「左翼化」が端的に表れている。


批判や批難をされるのは、何らかの問題があってされるわけだが、しかし自分たちにとって不都合なことがらについては直視できず、反対に批判をしてきた相手に何か悪い点をみつけて、責任転嫁をする。

そうしていつまでも、自ら直すべき点には触れないまま、ひたすら周りの悪い点や問題点をあげつらって、ああこれだからダメなんだ、これがすべてを悪くしている要因なんだといって、責任逃れ、問題の先延ばしを延々と続ける。



そこでは「社会の問題」が、得てして個人の「道徳」の低下のせいにされるという「問題の個人化」が行われる。



「問題の個人化」とはつまり、"あいつらのせい"、"あいつらがいなくなれば何の問題もなくなる"化で、そうすることによって全体的な俯瞰の視点を失う。

【これからの学校教育を語ろうじゃないか】:宮台ブログ

貧困はどこの国でも共同体の問題として理解されます。ところが日本では貧困が個人の問題だと理解され、「俺のほうが困っているのに、なんでアイツがもらうんだ」と浅ましく騒ぎ立てる。
 こういう社会では国が何をしても幸福度は上がりません。これは教育の失敗です。


【これが答えだ! 新世紀を生きるための108問108答】:宮台ブログ

北欧諸国では「子供が学校に行きたがらない」と市に言えば、すぐにチューターが家に来る。イヤなら別のチューターにチェンジ可能。学校に行こうが行くまいが教育を受ける機会を奪わないという意思を大人たちが持っている。

「問題の個人化」によって、"誰かのせい"にして国民同士を排撃し合うように仕向けることは、統治権力者にとっては自分たちに国民の批判の目を向かせないように逸らせるための典型的な「分断支配」のテクニックになるのだが、
互いに対する憎悪の感情に覆われている間はとてもそんなことには気が回らなくなる。