ねろ追想

2004.9.23-2011.1.24 一緒に暮らし
6才で悪性リンパ腫のため逝った愛犬ねろの想い出を
飼い主の気持ちの整理のために綴ります。

ネロ生前に綴っていた犬日記は、兄弟の片割れルポの
ブログとして別に残しています。
〜 Brothers日記  〜

想い出日記 2004年9月

出会い(1) 写真

ねろとの出会いのキッカケはインターネット。

狼好きなもので、ハイブリッド・ウルフ・ドッグの検索をしまくるうち、
狼犬を扱っている犬舎で飼い主募集をしている黒プードルの写真に出会った。

その子の目つき顔つきに一目惚れ。
すぐにコンタクトを取って、次の休日に直接会いに行くことに決めた。

(ついでに言うと、この時期、プードルの仔犬の検索もしていた。
その辺の話は、また別記事で。)

ペットショップで_1

やっぱり変な顔だよね。
見た瞬間、「探しているのはこの子だ!!」と思った。

今、改めて見ると。
立派な肉球だよね。でかくなる筈だわ。

ちなみに。ねろの誕生日は2004年5月1日。
写真のタイムスタンプは誤り。
カメラの設定がなされていなかったんだと思う。

出会い(2) 面会

2004年9月23日木曜、秋分の日、
写真の黒プードルに会いに行った。

早く会いたくて、自分には珍しく
午前中から出かけたのを覚えている。

訪ねて行くと、奥の部屋から
その子を連れてきてくれた。

会って、思った通りの子だと思った。
即、気に入って、連れて帰ることに決めた。

その時に感じた本質的なところは
言葉に表現できないんだけどね。

その時に居た、大好きな狼犬の仔より
「私には、この子だ!」と思った。


それ以外のところでは、1.大人しいな
2.キレイだな 3.デカいな と思った。

丈夫そうだし元気もありそうだけど、
とても静かな子だった。とにかく吠えない。

そして、成犬より大きくないか?という
デカさだった。

当時、体重に興味がなくて測らなかったが
4kg前後だったんじゃないかと思う。

「デカくて騒がない」は、この後も
ねろの特徴となった。


連れ帰ると決めると、簡単にシャンプーして
くれることになったので、その待ち時間に、
犬の世話の仕方等々を教えてもらった。

犬と暮らすのは初めてだったので、
ケイジ、ペットシーツ、水入れ、フードetc.
必要なもの一式も購入した。

独りより多頭の方がいいのかな~
なんて話をしたのも覚えている。

「この子と仲良しなんですよ」と紹介された
アプリのプードルの子が居たが、
初めてなのにいきなり2頭というのは
自信がなかったのと、申し訳ないけど
その子にはビ・ビ・ビっとこなかったのとで
見送った。

後日考えると、同胎の弟だったんだと思う。

体格の釣り合いもとれていたし、
引取れば良かったと思うこともあった。
ま、縁がなかったんだろうけど。


大荷物になったので、家までタクシーにした。
ねろは籠に入れてもらった。

不安そうに見上げてきたけれど、
「大丈夫だよ。おうち帰るんだよ。
これから仲良く暮らそう。」と声を掛けると
何か分かってくれたみたいだった。

その日から、ねろは私の最愛&最良の
相棒となった。

ペットショップで_2

サイトに掲載されていた、もう1枚の写真。
真黒でアーモンドアイ、マズルの長い子だった。

しかし、何故に左手あげてばかりいるんだろ?

ねろが来た♪

気を取り直して(?)、想い出アルバムの再会だ。

タイトルは、かつて、この写真↓につけたものと同じ。
ねろが来た_3

ねろを引取って、身内に「犬と暮らし始めた。メチャ可愛い。」と
触れまわったら、親友に「写真を見せてよ」と言われ、撮ったもの。
9/25撮影になっているから、我が家に来て、3日目だね。

私には、写真を撮る習慣が無かったから、
2004年の写真はすごく少ない。それがちょっと残念だ。


この頃は、顔バリの羊チックなスタイルだった。

後のねろからすると信じられないことだが、フードを残している。

ブリーダーさんとこで使っていたというアイムスかユカヌバの
ポピュラーなやつを連れ帰った際に買ってきて与えていたのだが、
遊びながら少しずつつまむだけ。

困って、良さそうなフードを探し、たどりついたTLCに変えたら
それからは食べるようになったけど。

(その後は、フードを変えてもよく食べて、病気になるまで
食べなくて困るということはなくなった。逆はあったけど。)

この時の食の細さはなんだったんだろうな~。
家に馴れていなかったからなんだろうか? 不思議だ。
プロフィール

ねろまま

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