2006年02月28日

故郷未だ忘れ難く

元夫と別れると決意してから
息子殿をかぁさんに預けて一人博多へ・・
22歳の頃、ほぼ23年くらい前でした。


夜はかぁさんが若い時に勤めていたというクラブへ
夜中は朝5時までやってる博多五町にあったスナック。
そして午前11時から午後の4時までは川端の中華レストラン。
駆け抜けるような毎日でした。




夢のように流れる月日に
”追われ追われて半歳がすぎ
街の風にも何とか慣れた
ひとりすましていたが ♪
 (海援隊  唄  故郷未だ忘れ難く)



わたくしのアパートは中州、川端を櫛田神社で挟んだような町。
冷泉町というところにありました。
朝は10時前に起き(何しろ寝るのが5時くらいだから)
慌ててシャワーを浴びて準備をして・・飛び出す。
櫛田神社の中をぬけて裏の階段を降りると
もうそこは川端商店街のアーケードの入り口でした。



その階段の上だったか降りきった下のとこだったか
梅が枝餅を売るおばさんの屋台がありました。
アパートから中州、川端は歩いて5分もかからない。


梅が枝餅のおばさんの目の前を毎日通るわたくしは
朝は10時40分、午後4時5分〜10分に一度帰宅。
そして今度は午後6時半にクラブへ出勤する時は
すでにおばさんはいないことが多かったけれど・・


★ あんたのおかげで時計はいらんばい(笑)



そう言っておばさんは笑っていました。
とても明るくて朝イチに挨拶する相手としては
わたくしにとって癒される最高のひとでした。


レストランのママは女優かと思うくらい美人で・・・
そして気丈な・・・厳しいひとでした。
確か、わたくしと同じバツイチでお子さんがいて
だから気をはって頑張ってらしたのでしょう。


佐賀出身だという藤田まこと似の店長と
まだ若そうな(あの頃は)とぼけたチーフがいて
ランチタイムのバタバタが終わった時点で
わたくしに食事(まかない)を作ってくれてたのですが・・・


◆ な〜んかぁー。お前は仏さんの飯じゃあるまいしー。
  もっといっぱい食わんかぁー。そしたら家で食わんですむやろ?



少食のわたくしを見かねて心配してくれました。
それにいくらかでもわたくしの食費がうくようにと
気を使ってくれる優しさに感謝する毎日でした。




心の中まで吹き込む風が
思い出の風鈴ゆらします
  故郷未だ忘れ難く ♪



わたくしにとってあの頃のあの町とあの暮らしは
もうひとつの心の故郷です。
  

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2006年02月27日

愛燦燦

今日は親子ののようにお付き合いしてもらってる、
セレブなお方に連れられて初めての経験をしました。


伍代孝雄劇団公演の観劇です。
千秋楽でした。
これまでいろんなひとのディナーショーには出かけましたが
この類は初めてのことです。
女としてあらためて反省させらたひと時でした。



昔、勤めていたクラブのチェーン店にフィリピンニューハーフの
お店がありまして自分のお店がひけた後にお客様同伴で
ちょいちょい出かけていました。
その度に反省したのですが・・今回はまた身にしみました。




愛燦燦と この身に降って
心秘かな嬉し涙を流したりして♪
 (美空ひばり 唄  愛燦燦)



この曲と共に艶やかに現れた美しい女形。(伍代孝雄)
ほんとは男性のどこからあんな女らしい・・艶っぽさが
しかも抱きしめたくなるようないじらしさが出てくるのでしょう?


着物のぬき襟かげん・・そそられるような白いうなじ。
きっと追っかけ?
おば様方が夢中になって彼女(彼)の胸元や帯に
一万円札を差し込む気持ちがわかるような気がしました。


踊る指先、背中、腰・・
なんと言ってもあの目線に女であるわたくしでもドキっとします。
彼女(彼)を見ていると男性が女性に求めているもの・・・
こうあって欲しいと願っているであろう何か・・垣間見るようです。
そして女であるってことに安心して甘えて・・油断してる自分に
当然ながら反省!!
服装や化粧だけでは誤魔化せない何かに気づかせてくれます。




ああ 未来達は 人待ち顔してほほえむ
人生って 嬉しいものですね  ♪



その昔のフィリピンクラブでショータイムの終わりに
メンバー全員でステージからお客様にご挨拶をする時に
紛れ込んでいたわたくしをニューハーフと勘違いして
胸元にチップを入れようとしたけど
わたくしは思わず驚いて体をひいたので
手にお札を握らせてくれたお客様を思い出しました。  
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2006年02月26日

ナイトドライブ

元夫とわたくしのドライブコースのひとつでした。
長崎佐世保弓張岳は夜が格別でした。



帰したくはない
我が儘だねナイトドライブ
ヘッドライトのスマイル
闇すり抜け未来  ♪
 (堂本剛  唄  ナイトドライブ)



それほど広くない道といくつものカーブ。 
右カーブ曲がる度に彼の肩に触れそうになりながら
ドキドキ弾む心を楽しんでいました。
山肌に建ち並ぶ住宅やホテル・・・
その趣はやっぱり長崎の街に似ている。
助手席のの窓から夜景を見下ろすと何だか吸い込まれそうで・・
思わず目を閉じてしまうこともありました。


ほぼ頂上付近にある展望台。
弓の形をした屋根の展望台でした。
季節がよくて天気のいい日ともなると
たくさんのカップルや家族連れでいっぱいで・・
素晴らしい景色、夜景を見つめていました。



海にはドック入りの船の姿も見えます。
点々と浮かぶのは南九十九島。
あの島には幾度となく瀬渡しの釣りについていった。
そして・・米軍基地や佐世保の街のネオン。



あの頃のわたくしは彼の目元を
そういったものにも負けないくらい綺麗だと思っていた。




この道の何処までが
二人に与えられたのか
考えるのも幸せ
でも幸せ過ぎた後
不安と云う名の霧雨で
身体を濡らすよ ♪  
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2006年02月25日

月の砂漠

わたくしが物心ついた頃に月に1〜2度帰って来る。
”パパ”をずっと自分の父親だと信じていました。




たまにしか帰ってこないし、とても厳しい人で


★ パパが帰って来るよ^^  


・・・って言われると



かぁさんは確かに嬉しいでしょうけれど
わたくしは子供なりに緊張してちょっとビクビクしていました。




でもその無愛想で厳しい”パパ”は帰るたびに
珍しい物をわたくしへのお土産として鞄から取り出して・・
あの頃に(35年前)すれば高級だった万年筆やシャープペンシルを
小学校の低学年にもらったのを鮮明に覚えています。




きっと彼の精一杯のわたくしへの想いだったのでしょう。
あの厳しさも過ぎて思えば常識的なしつけの範囲でした。



実父は愛人さんと暮らしていて
かぁさんは実父に離婚はしてもらえず宙ぶらりんのままで
わたくしと二人の生活の中でのきっと彼が唯一の
心のガソリンだったのでしょう。





月の砂漠を はるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて
二つ」ならんでゆきました♪
 (中島美嘉 唄  月の砂漠)





わたくしが確か小学4年生の頃でした。
かぁさんと彼の恋路に同行しました。
わたくしとかぁさんは電車で塩味饅頭で有名なとこまで・・
彼と途中で落ちあって一泊して鳥取砂丘へ・・・



日本海に面して広がる果てしない砂丘。
子供の目で見るとよけいにとてつもなく広く感じました。



駱駝の背に乗せてもらって見下ろす砂丘は
とても日本とは思えない不思議な世界で空はどこまでも青く・・・




後ろを振り返るとかぁさんと彼が二人並んで歩きながら
何かしら楽しそうに話をしていて・・・
きっと頭のいい物知りの彼とかぁさんの砂丘談議です。






金の鞍には銀の瓶
銀の鞍には金の瓶
二つの瓶はそれぞれに
紐で結んでありました♪




女であるかぁさんの幸せそうな笑顔。


★ パパが帰って来るよ
  おかたづけしようね^^


わたくしの記憶の中に生きているかぁさんの一つの姿です。




二つ(ふたり)の瓶を結んだ紐は
いつしか解けてしまっていました。

  
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2006年02月24日

薔薇

わたくしが27歳の頃からだから17年になります。
あるお店でバニーガールとして働いていた時から
未だにお付き合いのあるお客様なんですが
(ほとんどの人がずっと繋がってはいますが・・・)
薔薇の生産者さんがいます。


とても素朴で気のいいご家族です。
当然、最初はご主人しか知りませんでしたが
後々奥さんや息子さんとも会うことになりましたので
家族ぐるみになりました。
・・・と言ってもわたくし側はひとり暮らしですので
わたくしと・・彼でお世話になってます。




愛情の深さ 薔薇の花びらで占う
棘で刺した くすり指の先 赤く♪
 (安全地帯 唄 薔薇)


 

実はわたくしは生花を頂くのは苦手です。
よそのお宅に飾ってある分にはいいのですが
たとえば花束なんかを頂いたりしてうちに生けたら
いずれは駄目になって捨てなければなりません。
その時がたまらないのです。


何だか死体でも捨てるような感じで恐くてたまりません。
わたくしが殺してしまったような・・
だからゴミ袋に入れたらもうわたくしの目の届かないとこへ・・・
そうしないといてもたってもいられません。
いつからそんなふうになったのか自分でもわからないのですが・・・



夜の勤めも永いことしていたので誕生日ともなると
お客様が必ず誰か花束を抱えて来店してくれました。
最初はなかなか言い出せなかったのですがせっかく頂いても
帰りには他の女の子に貰ってもらうか
お店に寄付するだけってことわかっているので
ある時期から正直に伝えて花だったら造花でってことに・・
そしたらすごいんですね。



”お前が造花って言うけん、こうたさぁーそいぎんびっくり!
      1万だしてもこいだけしかこんやったばい(笑)”



とても精巧に出来た造花だけどほんの3〜4本で1万?
生花よりも高価です。
薔薇屋さんがあんなに苦労して育てた花より高い?
なんか哀しい現実です。



薔薇屋さんにだけは生花が苦手だとずっと言い出せなくて
やっと2年ほど前に話しました。
いつだって仕事で伺うと帰りにはお土産と言って渡してくれる。
今では


”営業に役にたてんしゃい!”


そう言ってくれます。



薔薇を持って大事なお客さんとこに行って
仕事につながるようにしなさいと言ってくれるのです。
ありがたい心つかいです。
感謝しています。



余談ですが・・
ここの奥さんがわたくしと同じ名前です。
パソコンの設定の仕事で彼とお邪魔した最初の日のこと。
ご主人が奥さんを呼びました。
もちろんご夫婦なんだから呼び捨てでした。
パソコンの前で奮闘していた彼がふっと振り返って
不思議な目でわたくしを見ました。


”あ〜・・(笑)ここの奥さん、うちと同じ名前やけん”


納得したのか・・ニヤっと笑ってまたパソコンに向いました。
  
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2006年02月23日

山行きバス(道草ノススメ)

わたくしは比較的に幼い頃から
同じ年頃の子と比べると背が高い方でした。


晴れた空の下を
バスは山へと向かって走るよ
窓を開けて僕は
木々の匂いの光を浴びるよ♪
(遊佐未森 唄 山行きバス 道草ノススメ)

わたくしがまだ小学校に上がる前・・・
だから37〜8年前になると思います。
その頃の路線バスのことを思い出しました。
わたくしが住んでいた田舎は田舎のわりには
近代的なきれいなバスが走ってるっていう話でした。
子供のわたくしは他の土地のことはわからないので
大人のそういった噂話にいっちょまえに(一人前に)
頷いてみせてはまわりを笑わせていました。

その路線バスにはまず乗り込むとすぐに
大きな黒い皮のがまぐちを首からぶらさげた
若いおねぇさんの車掌さんが立っていて
降りる目的地を(バス停の名前)申告すると
お金と引き換えに切符を渡してくれました。
かぁさんは決まってわたくしをそばに引き寄せながら

”あの・・この子はまだ小学校に上がってませんから”

ちゃんと伝えないと子供料金を請求されてしまいますからね。
いうなれば自己申告で証明書などないのですが
そこが昔の長閑な田舎のバス?
子供のわたくしが見てもまぁまぁきれいなおねぇさんが
がまぐちぶらさげて(がまぐちはちょうどお腹のあたり)
お金をチャラチャラ入れる姿は
今になって思い出すとミスマッチですね(笑)

おねぇさんが目的地のバス停の名前を案内したら
手を上げて降りる意思を伝えるのです。
たまにはお年寄りとか・・・
バス停ではない場所でも降ろしてくれたり・・
バスに向ってまるでタクシーでもつかまえるみたいに
道端に立って手をあげる人を見つけたらちゃんと止めて乗せてくれて。
とても融通のきく便利な乗り物でした。

わたくしは一番後ろの窓際が好きでした。
少しだけ高い位置にあってみんなを見渡せて
窓の外の景色も存分に楽しめます。
ひとつだけ難点はわたくしがたまにバスに酔うこと・・
なるだけそうならないようにちょっとだけ窓を開けて
外の風と空気にあたっていました。

あの頃の空って・・・
今よりももっと青くて雲もふっくらとしていて
近いとこにあったように思えるのは気のせいでしょうか?  
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2006年02月22日

朝刊

子供の頃・・ほんとにたまにのことだけど
かぁさんと二人で叔母さんちに泊まりに行った。


かぁさんは3人姉妹で一番上。
その叔母さんはかぁさんのすぐ下の妹です。
福岡に住んでいました。(今でもそうですが・・)
何十棟も建ち並ぶマンモス団地に住んでいました。
今でこそ珍しくないけれど30年以上も前のことで
田舎育ちのわたくしにとっては何もかもが新鮮で
興味をそそることばかりで内心楽しみでした。



わたくしとかぁさんが住む借家は古い一軒家で
団地ってことそのものが不思議な建物でした。
田舎では見かけないものでしたから・・・
まだ小さい従妹とかぁさんと団地内を散歩すると
あちらこちらにささやかな公園があって・・
綺麗でおしゃれに整えられている。



あっ!記事を書きながら思い出しました。
叔母さんちに泊まりに行ってた理由のひとつをです。
あの頃は巷でボーリングが流行っていて
叔母さんはアマチュアでもなかなかの腕で
よくマイボール、マイシューズ持参であちこちに
泊まりで試合に行っていたのでした。



叔父さんはテレビ記者で忙しくて留守がちで・・
だからわたくしたちが借り出されてたんです。
あの・・”中山律子さん!!”の時代でした。




きみは早起きしたのがさも得意そうに
ねぼけまなこの僕を朝食に追いたて・・♪
 (グレープ 唄 朝刊)



わたくしはその団地の朝が大好きでした。
早朝から聞こえてくるのです。
心地いいおじさんの声で


”あさーりー〜! おきゅうとー〜!”



季節によって変わることはありますが
あさり貝と福岡の名物のおきゅうとを売りにくるのです。
あわてて団地の階段を駆け下りながらおじさんに合図を送る。
わたくしにとってここでしか経験できないことでした。
格別においしい朝食でした。


そう言えば ”ロバのパン”てのもあった気がします。
普段なら我慢しなさいって言われるんだけれど
その時ばかりはかぁさんも財布の紐を緩めてくれました。



すがすがしくてなんか平和な・・あの朝を忘れられません。
  
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2006年02月21日

涙そうそう


古いアルバムめくり
ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ♪
 (森山良子 唄 涙そうそう)


昔から写真に写るってことが苦手だったわたくしです。
おまけにかぁさんもそうでした。
気がつくとうちにはアルバムというものは
唯一・・たった1冊しかありません。


それもいっぱいにはうまっていません。
うちの息子殿の幼い頃の写真が数枚と
その頃もうすでに癌で心も体も病んで
元気だった頃とは見る影もないかぁさんが
それでも嬉しそうに孫であるわたくしの息子殿を
なんとか微笑んで抱きかかえてる写真が数枚。
あとはわたくしが仕事先で撮られた若い頃の写真。
ほぼそれだけです。



でもわたくしの記憶という心のアルバムには
色あせることのないたくさんのショットが
いつまでも息づいています。
そしてことあるごとによみがえって
懐かしい・・優しい笑みで励ましてくれるのです。



それがある時は学校の先生だったり・・
幼ななじみだったガキ大将のブルート(あだ名)だったり・・
ちなみにわたくしのあだ名はオリーブでした。
当時では背の高い痩せた体型でしたから・・・
残念ながらポパイ的存在がその頃はいませんでした。


ただM君って子。
警察官だったお父さんの転勤で中学の時に転校してきた子が
明るいいじめから守ってくれる正義の味方でした。
昔のいじめって今と違って陰湿でなく明るかったですから・・
その正義の味方はもちろんそのままって感じで警察官になりました。


心のアルバムにあるのは笑顔ばかりです。
不思議に辛かったこと・・涙したこと・・
間違いなくあったことなのに忘れている自分に気がつきます。




悲しみにも 喜ぶにも
思うあの笑顔
あなたの場所から私が
見えたら きっといつか
会えると信じ生きてゆく♪

いつか必ずまたかぁさんに会えると信じて・・・
  
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2006年02月20日

赤い風船


あの娘はどこの娘 こんな夕暮れ
しっかり握りしめた 赤い風船よ♪
 (浅田美代子 唄 赤い風船)

なぜなんだか・・ふっとたまに口をついて出る。
懐かしい歌です。
そして当然のごとく思い出すドラマがあります。

それは”寺内貫太郎一家”
1974年放送らしいのでわたくしが中学の頃です。
小林亜星(お父さん)加藤治子(お母さん)
梶芽衣子(姉)樹木希林(ばぁちゃん)
わたくしが大好きだった西城秀樹が浪人生の長男役で・・
わたくしの憧れる楽しげな大家族のドラマでした。

偶然にもわたくしの同級生でそこも貫太郎一家と同じ石屋さんで
おまけにおとうさんが貫太郎そっくりだったので
お邪魔するたびに呆然と見とれてしまったことも思い出します。

頑固ですぐかぁーっとなるとちゃぶ台をひっくり返すお父さん。
だけどそれは愛情の裏返しで・・涙もろくて・・どっかかわいい。
お母さんは明るくて優しくて穏やかだけど・・肝が据わってる。
あの頃の日本の家庭・・って感じでした。

ドラマの中での潜入歌はほんとは赤い風船ではなくて
これです。


夕焼けこ焼けで家に帰る路
小石をそっとける 明日も晴れる
夕空背伸びして 赤い屋根の上♪
 (浅田美代子 唄 しあわせの一番星)

お手伝いさん役の浅田美代子と秀樹が屋根の上で唄うのです。
ちょいと妬けたシーンでした(笑)

思わず笑えるのがドラマの中でジュリー(沢田研二)ファンの
樹木希林演じるばぁちゃんが壁に貼ったジュリーのポスターに向って

”ジュリー・・・!!!”と声を殺して叫ぶシーン。

ほんとにあれは傑作でしたー(笑)

そして思い返せばあの頃のわたくしといえば・・・
母子家庭であってもしっかりとかぁさんに
あの頃なりの世の中の荒波から守ってもらって
平穏な女子中学生でいたんだなぁーっとあらためて確信しました。


ルルルルル心に光るあの人の笑顔が
明日もきっと元気でいると胸をたたいた
夕日を追いかけ母さん忘れてる  ♪  
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2006年02月19日

海色の風

福岡〜唐津をつなぐ海岸線の国道202号線。
それに並行して山あいを走る二丈、浜玉有料道路。
わたくしはなんと言っても旧道の海岸線が好きです。
あんなに綺麗な景色だというのに
特別に開発されることもなく27年前のあの頃と
ちっとも変わらない風景を残しています。


素人のわたくしから見れば不思議な光景。
27年前にはすでに廃墟になっていたホテル。
唐津からと考えればやっと二丈町(福岡県)に入って
間もない・・ちょうどカーブした辺りに建っていて
場所としてはそこから見える景色も下に広がる砂浜も
ちょっとしたリゾートを味わえる素晴らしい所なのに
未だに放置されたままなのです。



哀愁香る 海色の風
幼い頃を 思い出させる
かけがえのない夢を離さず
君住む場所へ この愛をこめて♪
 (高橋真梨子 唄 海色の風)



離島の生まれのくせにかなづちで泳げないわたくしは
みんながやって来る海水浴場っていうのは苦手で
元夫やその仲間とは指定海水浴場ではないというのに
はるかに綺麗なそのホテルの下の砂浜に出かけた。
夏はもちろんのこと冬の海も大好きでした。



特に冬の夜の海は格別です。
道端の空き地に車を止めて寒いので降りることはなく
フロント硝子越しに眺める海。
はるか彼方に見える小さな島(?)ふたつ・・みっつ・・
月明りで光って輝いていた海。
このまま時間が止まればいいなんて考えたりした。



今でもあの場所へゆくと心がタイムスリップしそうです。
海色・・古い写真の色?
あの風がわたくしを待っています。  
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2006年02月18日

川の流れのように

佐賀城下ひな祭りが今日から始まりました。




知らず知らず歩いて来た 細く長いこの道
振り返れば遥かと遠く 故郷が見える ♪
(美空ひばり 唄 川の流れのように)



佐賀駅から県庁に続く大通りの道。
ちょいと横道に入ると小さな川・・松原川。


県のマスコット的な河童の石像(?)の親子が
いくつか無造作に・・かつ自然に置いてあって
その姿はまるで楽しそうに戯れているようです。


松原川に沿って植えられている並木には
ひなまつり開催中を知らせる赤い小さな旗が掲げられ
催し物会場へと誘っています。


わたくしは癖である早足をぐっと堪えてなるだけゆっくりと
川の流れに目をやりながら歩いていました。



ひとりのおばぁちゃんとすれ違う・・
懐に大事そうにちっちゃなチワワ(わんこ)を抱いて。

”あらー!かわいかねぇ〜(笑)”


そう言って駆け寄ってわんこの頭をなでるわたくしに


”う〜ん・・10年になるもうおとなよ。でもかわいかろ?
おりこうさんやけんねー。犬が好きね? ”


”好きよ。でもアパートやけんがかえんもんねぇ〜”


”そうねぇ〜 みんなそがん言わすもんねぇー。
この子はおりこうさんやし、おるだけで寂しくなかよー”



とても嬉しそうにおばぁちゃんは微笑んで・・・
身も知らぬおばぁちゃんだったけれど少しの会話から
あったかい気持ちをもらいました。


きっとほんとは寂しい環境の中で生きているおばぁちゃんで
あのわんこに癒されながら励まされながら
生活してるんだろうなぁーなんて勝手に想像しました。


”わんこ・・・ありがとう!!”



そして・・思い出しました。
かぁさんがいつも話してくれてたこと。


”あんたのおとうさんはね。あんたが赤ん坊の頃、
いつだってあんたを懐にいれて大事そうに抱いてたよ”



今はもう二人ともいません。
いつもと違ってやけに松原川の河童の親子が
羨ましく見えるわたくしでした。  
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2006年02月17日

家族

わたくしが大好きで・・お世話になってる大家族。
二家族あるんですけれどとりあえずその一家族。



いついつまででも暖かくて
一番大切なもの それは家族で♪
(星村麻衣 唄 家族)


仕事先で知り合ってもう10年近くなりますか
お付き合いしてもらってるご夫婦のお宅なんですが
息子さん夫婦と娘さん夫婦。
そして2ヶ月違いで1度に息子さんとこも娘さんとこも
子供さんが生まれてお孫さんが2人。
それがうまいとこ息子さん夫婦には女の子。
娘さん夫婦には男の子が生まれました。


お付き合いが始まったばかりの頃は
まだ娘さんは独身でおじいちゃんはもういなかったけど
おばぁちゃんが健在でした。
それととっても可愛がられていたわんこがいました。
おばぁちゃんは去年の9月に亡くなって
わんこは一昨年・・だったと思います。
お孫さんがお母さん達のお腹に息づいたってわかって
まもなく何となく急に弱って・・亡くなりました。
わんこもちゃんとご近所の方達が駆けつけてくれて
お坊さんこそ来ませんがお葬式ありました。


おばぁちゃんが亡くなった次の日から(お通夜の日)
わたくしはこのブログを始めました。
だから忘れもしません。
おばぁちゃんは9月15日です。


とても暖かい家族です。
わたくしもご夫婦を”かぁさん!とうちゃん!”って呼びます。
”ばぁちゃん!”もいました。
お宅を訪ねると第一声は ”あんた・・ご飯食べたね?”です。
わたくしが一人暮らしだからろくな物を食べてないって・・
まともな時間に食べてないって心配しているのです。
ここにいると擬似家族を味わえます。


夏・・
扇風機の風を感じながらばぁちゃんの部屋で
ばぁちゃんの昔話(若い頃の)を子守唄みたいに聞きながら
眠ったあの夜を思い出します。


若い男の人が好きなんだというわんこに
初めて会ったその日からなつかれてしまって
わたくしは若い男みたいなのかと・・
考えてしまったあの日を思い出します。
ちなみにわんこはオスでした。


ほんとに仲のいい大家族です。
仮面夫婦、仮面家族が増えた世の中なのに・・
こんな家族がもっともっと増えて欲しいと願います。



叱ってくれたこと全部ね 感謝してます
ありがとうの言葉だけじゃ全然足りないよ♪



実はブログを始めたら1日の時間が足りなくて
片道1時間は車でもかかる・・かぁさんちに
ずっと行けずにいます。
なんとか頑張って行ってみようーっと!  
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2006年02月16日

うれしいひなまつり


おだいりさまとおひなさま
ふたりならんですましがお♪
(童謡 うれしいひなまつり)



来る2月18日(土)〜3月31日(金)の期間。
佐賀城下ひなまつりが開催されます。
・・・で毎年その間、わたくしが日頃お世話になってる方が
私物のおひなさまを催し会場に展示されるので
今日は飾りつけのお手伝いに行きました。
わたくし自身は不器用で何のお役にも立たないのですが・・・
数人のおばさま方に混じっての作業です。



三人官女、五人囃子、右大臣と左大臣・・・
お人形やお道具をひとつひとつ飾りつけながら


”こりゃぁーお道具の多すぎるぅー!
いっぱい持ってきとんしゃんねぇ〜(笑)”


などとおひなさまに話し掛けながら飾るおばさま方の笑顔。
優しくて穏やかで心和むひと時でした。
所有者である75歳になる方が
お母さまから買ってもらったのだと嬉しそうに話してくれました。
現代物ではなく古い時代の流れを思わせるお人形が
よけいに味のあるお顔でわたくしたちに微笑んでくれてます。



実はわたくしの部屋には一年中おひなさまを飾っています。
段飾りとかではなくておだいりさまとおひなさまの二人だけ。
でもそれを8組ですから狭いアパートのあちこち・・
おひなさまだらけです。
仲つまじく並んでる姿がたまらなく好きなのです。



できれば、わたくしもいつまでもどんな時でも
誰かさんとあんなふうに仲つまじく・・・
寄り添って生きていきたいと・・・
おだいりさまとおひなさまを見るたびに思うのです。



きものをきかえておびしめて
きょうはわたしもはれすがた♪




鍋島小紋のおひなさま 福岡伊佐美

  
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2006年02月15日

生きることの1/3

今日の”ごきげんよう”って番組。
小堺さんが紹介してくれた言葉。
永六輔さんが言った言葉らしいのですが

”人が生きるということは
まわりに借りを作るということだ。
そして生きていくということは
その借りを返していくということだ”
 (微妙にどこか違ってるかもしれませんが・・・?)

なるほどと思わず心で頷いてしまいました。
たまには”生きる”ということに
なんとなく疲れた気がして投げ出したくなることが
なきにしもあらず・・なのですが
ほんとに投げ出したりしたら
借りを返すってことを放棄したことになっちゃうんですね。


生きるということの1/3は哀しみで出来ている
生きるということの1/3は悔しさで出来ている
残りの1/3はね 笑うことで出来ているはずさ♪
 (さだまさし 唄  生きることの1/3)

借りを返しながらもまた新たに借りを作る・・
その繰り返しで何とか生きています。
何しろ自分ひとりの力で生きているわけではないので・・
営業系の仕事のわたくしは毎日それを実感しています。

返したくても返しきれないまま・・
先に逝ってしまったかぁさんやTさんやYねぇさんや・・・
その分も頑張ってまわりのみんなに返していかないと・・と
背中を押してくれるいい言葉でした。

きのうはその前の日と打って変わってすごい雨でした。
今朝まで続いた雨が止んで・・・雨上がりの町は
わたくしが心落ち着ける情景のひとつです。
よけいな物を洗い流してくれたって感じです。
少しばかり汚れてた車が雨できれいになったみたいに
ついでにわたくしの気持ちの中のモヤモヤも
流されたように感じるのは気のせいでしょうか?

深呼吸して背筋伸ばして・・・
また”生きる”ということを頑張ってみます!

♪ 
きっと人を愛しながら きっと人を憎みながら
その手のひらに最後に残る1/3はきっと笑顔なんだろう♪

  
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2006年02月14日

心の駅

かぁさんは車の免許は持っていないひとで
だからふたりで出かける時はバスや鉄道でした。
あえて鉄道と表現したのはわけがあります。
だってわたしが小さい頃はあれはあきらかに汽車で
いつからか気がつけばディーゼル車あるいは電車に
変わっていました。

毎日、夜となく昼となく働きづめで
わたくしを放ってることへのかぁさんなりの思いやりか
休みの日というとどこへゆくにも連れて行ってくれました。
近所に買い物にゆくにもわざと帰りは遠回りしたりして
まるで散歩を楽しむように・・・

そんな時になにげに道端に咲いてる小さな花の名前を
ひとつひとつ教えてくれました。
近くの海辺にゆくとまだあの頃は海が綺麗で
あおさ(青海苔)も波打ち際で簡単にとることができて
季節季節であさり貝や牡蠣もとって・・・
牡蠣はその場でかぁさんが割って食べさせてくれました。
そういえば海のほおずきっていうのがあって
それのじごをとって食紅でピンクに染めたりして
口に入れて吹くと音が出てちょっとした楽器になったっけ・・


人は皆泣きながら この世に生まれたから
笑顔で帰るために 遠く旅をする  ♪
 (谷村新司 唄 心の駅)

たまの贅沢は食堂車がついてた特急の汽車で
特別な用事もなく博多まで行くのです。
確か片道わずか2時間足らずの旅です。
それでもわたくしに贅沢を味あわせたくて
わざわざ食堂車に座らせて食事をさせるのです。
なにしろ幼かったわたくしです。
実は何を食べさせてもらったのか・・覚えていません。
でも食堂車があったっていう情景だけが
何だか忘れられないわたくしです。

博多に限らずふらーっとふたりで小さな旅をしました。
かぁさんは知っているのか・・
わたくしにすれば見知らぬ町をかぁさんの後について行く。
ふたりとも洒落た綺麗な喫茶店が大好きで
疲れるとそんなお店を見つけては入り込んでいました。


星を数え 目覚めた夜
星の街から聞こえた声
父の背中 母の胸は 今も忘れない♪

泣きながら生まれたかぁさんは
泣きながら生まれたとうさんは
笑顔で帰っていけたのでしょうか?
  
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2006年02月13日

小春おばさん

今日は久しぶりの雲ひとつない晴天なり。
つかの間の”春”もどきでしょうか?


小春おばさんの家は 北風が通りすぎた
小さな田舎町
僕の大好きな 貸本屋のある田舎町 ♪
(井上陽水 唄 小春おばさん)

わたくしが通っていた中学の門を出て
バス停まで続く道は緩やかな下り坂。
山の麓って感じでもあり・・
なぜか海のそばでもある・・
今思えば不思議な田舎町でした。

下り坂の途中には小さな貸本屋。
・・・と言っても最近のレンタル屋とは全く違う。
普通のお宅の玄関先で子供相手に
ほそぼそとやってるって感じの
駄菓子屋的(お菓子は売ってませんが)貸本屋でした。

そこの息子さんが同じ中学でのひとつ先輩で
本の趣味がわたくしと似ていたことから
個人的に本の貸し借りをしたことがあって
学校の廊下でこっそり受け渡ししているのを見られて
ずいぶんとまわりに冷かされたものでした。
お互い漫画本には興味があんまりなくて・・
彼のお宅の貸本屋は漫画本が主だったもので・・

でもこうして記憶をたどっていると
いつ彼と本の話をして貸し借りが始まったのか
そのあたりがどうも思い出せません。
しかも同級生ではなくて先輩ですからねぇー。
一足先に彼は卒業してあたりまえのように会わなくなって
わたくし自身も卒業してからはあの町にさえ
まったくと言っていいほど行っていません。

バス停の前のそれも小さなお店では学校帰りの
”買い食い(かいぐい)”と称して
友達と小銭をかき集めて冬はおでん。
夏はところてんを買って食べました。
あの頃のメンバーの顔が浮かびます。

こんなにあたたかい思い出があるというのに・・
  
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2006年02月12日

未来予想図


私を降ろした後 角を曲がるまで見送ると
いつもブレーキランプ5回点滅
ア・イ・シ・テ・ルのサイン    ♪

(DreamsComeTrue 唄 未来予想図供



わたくしと元夫との恋。
車好きの彼は自慢の愛車。
シルバーメタリックに塗装したHONDAシビックで
わたくしを助手席に乗せていろんな場所に
ドライブに連れてってくれました。
わたくしのお気に入りはある海岸沿いの道。



もう27年も前の話ですが不思議なことに
ドライブ終了後のふたりの別れ際には
この曲と同じようなサインがありました。
わたくしたちの場合はブレーキランプではなく
車のリヤワイパーを5回というのが
ア・イ・シ・テ・ルのサインでした。 



未来予想図を初めて聞いた時は
思わず”ドキっ!”として
今となっては懐かしい儚い思い出に
ひとり浸ってしまったほどです。



そして考えてみるとふたりとも
その時、その時の”今”を精一杯で
未来予想図なんて描いていなかった気がします。



まさにわたくしにとっての”22才の別れ”になるまで・・
   
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2006年02月11日

なごり雪

ここ数日・・かすかに散らつく雪。
この雪をなごり雪と言うのでしょうか?


汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる ♪
 (イルカ 唄 なごり雪)

雪こそ降っていなかったけれど・・
高校時代のあの頃。
初恋の相手のK君と駅のホーム。
なごり惜しい気持ちを抑えて待っていました。
乗り込む列車は逆方向。
何かの手違いで列車が来なければ・・なんて・・
あわい期待なんかも心をかすめた。

送られることが苦手なわたくしは
決まってK君を見送った後の列車を選んでいました。


動き始めた汽車の窓に顔をつけて
君は何か言おうとしている  ♪

携帯電話なんてもちろんない時代。
明日になればまた学校で会えるとわかっていても
切ない想いは抑えられませんでした。
大げさでなくホームからしばらくは離れきれなかった。

去年だったか久しぶりにあの町に行き・・
思い出の駅を見に行きました。
すっかり姿を変えてしまって新しくなっていた。
時はしっかりと流れています。

わたくしの記憶の中の古い木造の駅舎。
K君の列車が見えなくなるまで確認してから
階段をかけあがり向こうのホームへと移動した。


時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま♪

ずっとこのままわたくしの中では
駅もK君の姿もあの頃のままでしょう。
  
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2006年02月10日

卒業写真

わたくしが通った高校は3月1日が卒業式。
なぜかいつも雪が降っていたのを思い出します。


門から校舎までのまっすぐのびた道。
その道は150mほどの並木道。
そして左右にはグラウンドがありました。
なんとも趣きのある情景に憧れたのも
この高校を志望した理由の1つでもありました。



悲しいことがあると開く皮の表紙
卒業写真のあの人はやさしい目をしてる♪
 (ハイ・ファイ・セット 唄 卒業写真)



真ん中の教員室や校長室がある校舎を挟んで
片方は女子ばかりのクラスが3つ(大奥と呼ばれてた)
片方は男女共学のクラスが4つ・・・
女子クラスのある校舎の斜め後方には体育館がありました。
3つの校舎は小さな渡り廊下で繋がっていて・・・



目を閉じると今でも鮮明に蘇ってきます。
思い出と一緒にみんなの明るい笑い声。
運動おんちだったわたくしでしたがただ走るのは好きで
陸上部の男子と学校の近辺の山道を走った。



いつもお腹を空かせていて弁当は2つ持参。
1つは2時限目の休み時間に・・・(笑)
クラブ活動の前には売店でパンを1個。
学校帰りには友達と寄り道でたこやき・・?


思わずにんまりと思い出し笑いです。




人ごみに流されて変わってゆく私を
あなたはときどき遠くでしかって
あなたは私の青春そのもの    ♪



あの並木道でみんなで人のトンネルを作って
卒業生を見送ったあの日・・・
在校生に見送られたあの日・・



並木道は今年でいくつの”あの日”を迎えるのでしょう。
あなたに見送られたわたくしは何とかここで頑張っています!  
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2006年02月09日

翼あるもの

息子殿が高校3年の時の担任の先生でした。

”考えてみればいちばん大変な時代に
この年頃になった可愛そうな子達なんですよね”

そんなふうにおっしゃったことを思い出しました・
確かにそうなのかもしれません。
頑張って大学まで行ったところで保証されていない将来。
ニートと呼ばれる人達で溢れた世界。
たまたま息子殿は希望どうりの専門学校を出て
希望どうりの仕事につけて幸いでしたが・・・
これが永遠とは決まってはいません。

わたくしたちがちょうど中学3年の頃は
高校に進学せずに集団就職して上京する子供達を
”金の卵”と呼んで大切にしてくれる時代でした。
贅沢を言わなければいくらでも仕事はありました。
そして貧しくても夢を持っていました。


自由を夢見て めざして
大きく はばたく
時代に生きる俺たちに
星は進路を指してくれる ♪
(甲斐バンド 唄 翼あるもの)

光のない道に迷って進めずにいる子に
夢にはぐれて力なく頭を垂れてる人に
自分で高く大きくはばたく翼をあげられたら・・・

少々、くたびれてはいるけれど
わたくしにはまだ翼はあります。
雑草だらけの道ですが何とか歩けます。
他人様をおんぶにだっこするほどの力は持っていないけれど
道案内くらいはできるかもしれません。

ただ分かれ道で右か左か選ぶのは自分自身ですよね?



小耳にそっと行く先たずねても
うつろな 今日
明日はどこへ行こう 明日はどこへ行こう ♪
  
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2006年02月08日

風の中の子供のように

押入れの隅のバックの中。
ふっと見ると一冊の古いアルバム。
誘われるように思わず取り出して開いていました。
そこには息子殿の幼い頃の写真。
眩しいくらいのいっぱいいっぱいの笑顔で
カメラを覗くわたくしを見ている。
それはほんとに天使のように穏やかで
何の疑いもなくすべてを受け入れています。


時の中を走りぬけて行く
ボクらはまだ旅の続き
風の中の子供のように
はしゃぎながら生きて行こう♪
 (チューリップ 唄 風の中の子供のように)


わたくしはいつ・・どこに置き忘れてしまったでしょう?
あの眩しい笑顔を・・・
この年齢になっても心は高校時代と変わらない。
そんなことを思ったりするわたくしですが
ずうずうしくも2歳の頃の息子殿と同じ笑顔を
今でも出来ますとは言えないわたくしがいます。

どのあたりを境に”大人”の仲間入りをしたのでしょう?
そして一体・・”大人”って何なのでしょう?

心が色あせて長い汚いものに巻かれて生きることが・・・
正しいことを正しいと思う気持ちを抑えて
要領よく生きていくことが・・・
それが”大人”なら息子殿の時を巻き戻してそこで止めたい。
そんな馬鹿げたことを考えてしまいました。


誰より高く空へ
近づけると信じていたね。
涙と汗と恋を譲れなかった なつかしい日々よ♪


ここであらためて自分自身に誓います。
どこまでも信じる道を生きて行こう。

せめて心の奥のその奥にはあの天使の笑顔を
いつまでも持ち続けて生きて行こう。

そしてそんな自分と同じ匂いを放つ人を見つけたら
眩しいくらいのいっぱいいっぱいの天使の笑顔を贈ろう。  
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2006年02月07日

歌う風

今日は木枯らしの冷たい一日でした。
今夜はまた雪になるかもと天気予報が・・・
暖かい春がやってくる前の最後の嵐でしょうか?

♪ 
ねぇ、大きな壁や少しの「キライ」も
今ここにある全てが愛しいと思えるの
あなたがいれば 私、歌う風になれる♪
 (平原綾香 唄 歌う風)

もうすぐバレンタイン。
この時期になるとまるで条件反射みたいに
永い時間で色あせた想いもふっと甦ったり
始まって間もない想いはよけいに燃え上がったり・・
これを機に始まろうとひそかに目を輝かせたり・・
きっとチョコレート売り場はいろんなドラマがあります。

わたくし事でいうならば(あくまで本命チョコの場合)
こういうイベントに浮立つような・・
お互い若い二人ではありませんし
二人共チョコは大好きであれば毎日でも食べていますから
特別なチョコは渡しません。
今年もこうしてそばにいるって心で確認する日かな・・?
とりあえず、わたくしにとって彼は心のガソリンでしょう。
バレンタインで言えば10回目になります。


あこがれだった大きな夢の続きをこの手で叶えるため
明日という未来が見えるでしょう
そしていつか出会うあなたが待ってる ♪

あたりまえのように頬をうつ風。
あたりまえのように照らす太陽。
あたりまえのように輝く星。
無くなっって・・きっと気がつく、なくてはならない存在。

そばにある存在にあらためて感謝しましょう。
恋人、夫、父、息子・・・
今年もちゃんといてくれて ”ありがとうー!!”
  
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2006年02月06日

心の言葉

わたくしが仕事を頂いてる会社の壁に
無造作にずっと貼ってあって(額に入れることもなく)
その紙の黄ばんだ色は
なんともいい感じの時の流れを物語っていますが・・

こう書いてあります。
誰の作なのかはわかりません。

    その一言
 
その一言で励まされ
その一言で夢を持ち
その一言で腹が立ち
その一言でがっかりし
その一言で泣かされる

言葉の力というものは良くも悪くも偉大です。
嫌というほどそんなことはわかっているのに
何かにつけ発する前の大切な深呼吸を忘れて
間違った使い方をしてしまいます。
特に<売り言葉に買い言葉>の状況になると最悪です。
それはほぼ仕事がらみの痴話げんかですが・・
思ってもいない嫌な言葉をダメだダメだと感じながらも
ブレーキの利かない車みたいに突っ走ってしまいます。
そして決まってくやし涙です。

それでも面と向かっての会話ならまだ救いようがあるけど
電話ではなおさら気をつけないとと痛感しています。
声だけが頼りですから言葉だけでなく声の調子も問題です。

ネットや紙面の世界ならもっと・・ですね。
文字・・文章だけで伝えることの難しさ。
今更ながら感じています。

こんな世の中ですから・・
自分も含めてできるだけ穏やかになれる。
どんなことも何とか乗り越えてゆくための
心のガソリンの補給ができる。
そんな記事が書けたらと思っています。


心の言葉を心の言葉を守って行くから見つめて行くから
そしてどんな事も君とどんな時も
力の限り生きていこうと誓う  ♪
 (石井竜也 唄 心の言葉)

もうすぐバレンタインデー
チョコレートに添えて心の言葉を!  
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2006年02月05日

いつも心に太陽を

数年前に早めの退職をしたH氏。
この彼とも15年ほどの付き合いになります。
もちろん、色恋ではありません。


彼は最近、何だか心の病です。
家族とはもう20年近く別居状態で
(正式離婚しないまま)
ひとりと猫一匹で暮らしています。


心臓の持病を持っていることもあって
思わず電話に出なかったりしたら
他人事ながら心配になるわたくしです。



去年まではそれでも心は元気のようでした。
今年になってから身体の調子もあるのか
夜になるととても不安になるそうです。


胸が何となく苦しくて横になって寝れずに
座椅子に座ったまま寝るのだそうです。


それもなかなかすんなり寝れないので
昼間のうちにいっぱい歩きまわって
疲れれば寝れるのだと・・そうしているみたい。
自分でうつになってるようだと気にしています。
確かに彼の瞳は・・それかも?




うまくいかないことばかりあって
つまずいているけど

いつも心に太陽を描いて歩いてる
いつの日かきっと微笑む日まで  ♪
 (岡村孝子 唄 いつも心に太陽を)




たとえ一人暮らしではなくても・・・
たとえ身体の調子が悪いわけではなくても・・・
心がなぜかマイナスの方に向いたりすることが
きっと誰にもありますよね。
わたくしにだってちょいちょいあります。
ちなみにわたくしは今一人暮らしです。



そんな時は”ひまわり”になりませんか?
太陽にむかって微笑むあの”ひまわり”
あなたのそばにきっとあるあなただけの太陽の
暖かい恩恵を受けて咲いてみませんか?



♪ 
嵐に打たれても明日に迷っても
息づいてる 今を感じてる  ♪



いつも心に太陽を!
ほんとはわたくし自身に言い聞かせていることです。
  
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2006年02月04日

夕暮れどき

仕事で行ったT市。
日頃の寝不足もあって帰り道に
たまらない睡魔に襲われてしまって
大きなパチンコ屋さんの駐車場。
車を止めてちょいと目を閉じた。
心地いい暖房のあたたかさと夢見気分の中で
かすかに聞こえてくるもの・・・
懐かしいメロディー・・童謡?


♪夕焼け 小焼けの・・♪


まだ完全に覚めきらないまま目をあけ
ぼんやりと空を見まわす・・
どこからともなく聞こえる音にタイムスリップ。
昔、子供の頃に確かに聞いていました。
夕方5時になると町中に流れてた。
早くお家に帰りなさいと・・せかすみたいに。

あの頃は共働きの家庭は少なくて
うちみたいに母子家庭でないとこの子供は
おかぁさんがすでに夕食の支度を済ませて

”○○ちゃ〜ん・・ごはんよー!!”

そういって迎えに来たりしていたっけ・・・
正直言って・・羨ましくて・・さびしかった。

それでも夕暮れどきは唯一の楽しい時間。
かぁさんが昼間の仕事を終えて
夜の仕事に出かける前のわずかな時間。
穏やかなあったかい家になるのです。
わたくしと違って料理上手のかぁさんは
短時間で完璧な食事を作ってくれて・・・


夕暮れどき自転車押して聞こえる子供の声
あと少し君といたいからゆっくり歩いている♪
 (ゆず 唄 夕暮れどき)

大きな楠の木のある小さな空き地。
その前にわたくしの住む家があって
隣には頑固だけど気のいいおじさんの和菓子屋さん。
店先にはいっぱいの駄菓子。
店番のおばさんがおまけしてくれた<すずめのたまご>
思えば・・いい時代でした。  
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2006年02月03日

ラブストーリーは突然に


あの日 あの時 あの場所で君に会えなかったら
僕らはいつまでも見知らぬ二人にまま ♪
(小田和正 唄 ラブストーリーは突然に)

とても思い出のある歌です。
だけど色恋の思い出ではありません。

東京ラブストーリーでしたね。
わたくしはこの時の<鈴木保奈美>さんが大好きで
上向きの視線で何かを訴える澄んだ瞳が大好きで
続きもののドラマは苦手なわたくしが
毎週、欠かさずに見ていました。
そして彼女がドラマの中でよく着ていた
白いトレンチコートに憧れて探しました。
やっと似たようなコートを古着屋さんで発見。
もちろんのことすかさず手にいれました。

これからが本題。

ある夜のこと。
バイト先のクラブのマスターとお店の帰り。
一軒のお茶漬け屋さんに・・
そこでびっくりです。
あのサッカー選手(今は監督さん?)ラモスが・・!

息子殿が大好きだと言っていたような・・??
わたくしは慌てました。
なんとか息子殿のためにサインでも戴かないとー。
でもこんな田舎町に滅多に有名人なんて来ないし
お店は色紙なんて用意していません。
終わらない夜の街の福岡中洲なら
コンビニみたいなとこに色紙くらいあるけれど
こんなとこにはないのです。

わたくしの一大決心です。
着ていた白いコート(例の鈴木保奈美系)を脱いで
”お願いします!”と差し出しました。
彼は人懐こい優しい笑顔で受けてくれました。

コートのことはちょっとさびしかったけれど
きっと息子殿が喜んでくれるだろうって・・
そう思うとなんだかホッとしました。
もう10数年前のことになりますねー。


君のためにつばさになる 君を守りつづける
やわらかく君をつつむ あの風になる ♪  
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2006年02月02日

ホームにて


ふるさとへ向かう最終に
乗れる人は急ぎなさいと
やさしいやさしい声の駅長が
街なかに叫ぶ   ♪
 (中島みゆき 唄 ホームにて)


わたくしにとってふるさとと言える唯一の場所。
それは子供の頃にかぁさんと二人で暮らした町。
あの頃はそれなりに広く大きく感じた農道も
今見るとなぜか狭く小さい・・・

バス停からうちまでの途中にある神社。
夏になるとその神社の境内と駐車場内で
盆踊りの練習が始まり、うちわ片手に
子供たちも大人も集まったものでした。
もっと広いと思っていました。
あれだけのひとが寄って来た場所。

神社の斜め前の小さな家。
宮崎から転校してきた友達が住んでいました。
ベイシティローラーズの大ファンで
そうそうヒデ&ロザンナも・・(笑)
そんな彼女も福岡で就職して結婚。
その家にはいません。
高校までわたくしと同じでした。
最後に会ったのは8年ほど前に福岡で・・
元気でいるのでしょうか?

中学の頃。
英語の塾の帰り道。
暗い夜道を一人家路を急ぐ。
何だか怖くて気がつくと走り出している。
不安をかき消すために歌いながら♪
線路を越えると見えて来る集落の明かりに向かって・・
まだまだ平和な時代だし田舎だし・・
塾への母親の送り迎えなんてありはしません。


涙の数 ため息の数
溜まってゆく空色のキップ
ネオンライトでは燃やせない
ふるさと行きの乗車券  ♪

頭の中を駆け巡るひとつひとつの想い出が
わたくしの心を温めてくれます。  
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2006年02月01日

花のように鳥のように


花のように鳥のように
晴れの日も風の日も人生
そんなふうに思えたら しあわせに近い♪
 (桂銀淑 唄 花のように鳥のように)




しばらく会っていなかった社長さん・・
わたくしの大好きなヨーロッパ家具や
小物を売ってるお店の社長さんなのですが
彼がそのしばらくの間に胃がんの手術をして
何とか退院してお店に出ていると
風の便りで昨日知りました。



それで今日は便りをくれた「風さん」と二人で彼に会いに・・

ただでさえ細い体がもっと細くなって
杖を頼りにお店の中を行ったり来たりしてる姿。
頭の白いものが増えてまゆげもうっすら白い。
わたくしたちの姿を見つけてにんまり微笑んで
立ちすくむ彼に


☆ わぁー 社長!なんかサンタクロースみたいやん(笑)
                    (わたくし)


★ ありゃ!あんたすこし太ったろ?   (社長)


☆ うん!
  社長は痩せたやん(笑)       (わたくし)



他愛もない挨拶代わりの会話で笑いました。
わたくしが29歳の時からのお付き合いなので
もう15年になるんだねとお互い確認し合いました。



癌は初期も初期で切除したからもう大丈夫とのこと。
でも胃を5分の3切り取ったらしい。
おいしいものと温泉が大好きな彼にとって
食事の量がいけなくなったことが辛い事。
だけど以前とちっとも変わらない笑顔でした。



今後は息子さんにお店を完全に譲って
自分は会長ということで事実上引退し
山の中に家を建て奥さんと二人で
畑でも作って静かに暮らすのだと笑っていました。



最後にわたくしに仕事をくださいました。
お店紹介のホームページ作成のの依頼です。
わたくしは営業だけで作成は別の人がしますが・・




花のように鳥のように
限りある一生を信じて
生きることが何よりも しあわせに近い♪




彼ももう70歳。
きっと頑張って生きてきた・・・
これから残りの人生をゆったりと穏やかに
どうぞお暮らしくださいと・・・
生まれて2ヶ月だというお孫さんの話に目を細める彼に
わたくしは心で呟きました。  
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