2006年03月31日

元気です

人として生きているといろんなことがあります。
いいことも・・そうでないことも・・
不思議なくらいにほどよい間隔で繰り返されます。

”あ〜・・もうだめかなぁー ”なんて落ち込んでいても
ふっとどこからか助け舟がやって来て
溺れそうなわたくしを救ってくれたり・・・

こんなに幸せでいいんだろうかと思いつつぬるま湯につかってると
思わず階段を踏み外すみたいに転げ落ちてしまったり・・・
人生七転び八起きとはよく言ったものです。



笑顔を作って”どうですか?”と問いかける
いろんなことがあり愛さえ見失う
それでも誰かと触れ合えば
そうだ 元気ですよと答えよう  ♪
 (吉田拓郎  唄  元気です)



ちょっと遅すぎますが最近気がつきました。
商売をしていると
”儲かりよるねー?” 
”う〜ん・・ぼちぼちね(笑)”
決して暗くなく明るく応えたりします。
それと似たような感覚なのか・・・
うまく説明が出来ないのですが実は元気ないときほど
元気かと聞かれたら
”元気です!”と明るく応えるわたくしがいます。
(彼氏含めて身内は別ですが・・・)

そうするとほんとに元気になれる気がします。
今はこんなだけど明日になって新しい朝を迎えたら
何かいいことが待っていて元気に笑ってる自分に会える。
不思議に洗脳される感じです。
”元気です!”




友や家族の手招きほどなつかしく
木の葉にうずもれて季節に身を任す
それでも私は私であるために
そうだ 元気ですよと 答えたい♪



”元気ですか?”

”はい 元気です!”
  

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2006年03月30日

生きてこそ

夫婦関係だけでなく親子関係まで破綻する・・
そんな哀しいことが多い世の中になりました。
一体どこでつまずいて、一体どこですれ違い。
一体いつから心を見ようとしなくなるのでしょうか?

今日はショッキングな事故(事件?)がありました。
34歳の母親が4ヶ月のわが子を乗せたベビーカーの
存在を忘れて置き去りにしたまま車を走らせ・・
結局はその子は遺体で発見されました。
いくらなんでも信じられないことでした。
母親がわが子を忘れるなんてあるのでしょうか?
おっちょこちょいのわたくしがよく忘れ物するみたいに?
携帯電話をどこかについ置き忘れるみたいに?



ママ私を初めて抱く気持ちはどうだった?
パパ私が生まれた日は嬉しかった?  ♪
 (Kiroro 唄  生きてこそ)



その母親はほんとに子供が欲しいと思って産んだのでしょうか?


わたくしは決して特別な子供好きでも子煩悩でもありません。
わたくしのかぁさんもそうでした。
母親としてというよりも女として生きた部分が多分にあるのは
わたくしもかぁさんも同じです。
自慢してはいけないことですが事実です。

それでもわたくしはすねるようなことはなかったし・・
息子殿もなかったと信じています。

かぁさんにとってわたくしは3度流産したあげくの
4度目にやっと授かった子供ということでした。
わたくしにとって息子殿は元夫との間に
どうしても欲しかった男の子として希望どおりに授かった子です。
わたくし自身も妊娠初期は切迫流産ということで入院しました。
おまけにひどいつわりで体重は異常に減って痩せ細りました。
無事に乗り越えて出産できたのが不思議なくらいの時期もあった。



あれから言葉を覚えて私なりの
愛も甘え方も身体にしみこんだ♪


かぁさんはわたくしとふたりになってからずっと・・・
確かに女としても生き続けたけれども
それと同じくらいに母親としても立派に生き抜いたひと。
それに比べてわたくしは息子殿に対して立派な母親ではなく
自由気ままに生きさせてもらっています。
だから息子殿にはほんとに感謝しています。

お互いにお互いの存在に感謝すること。
それを忘れてしまうことが心を見なくなるということでは?
そんなふうに思えるわたくしです。

そしてわたくしが息子殿の存在に感謝してるみたいに
息子殿にもそう思ってもらえるようになりたいと・・



生きてこそ生きてこそ今ここから始まる
生きてこそ生きてこそ広がってまたつながる♪  
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2006年03月29日

「いちご白書」をもう一度

わたくしが中学だったのかもう高校生だったのか・・
はっきりしないのですが確か冬・・・
きっと冬休みのある日の深夜だったと思います。
気持ち・・部屋の隅の方にこたつを置いて
さらにその隅にわたくしは陣取っていました。



いつか君と行った 映画がまた来る
授業を抜け出して 二人で出かけた♪
 (バンバン  唄  「いちご白書」をもう一度)



わたくしはほんとは未だに洋画、洋楽に興味のないひとですが
「いちご白書」をもう一度・・の原点?
その映画「いちご白書」がテレビで放映されるってことで
まるで義務か何かのように画面を見つめていました。

そのそばで少しもじっとしていないかぁさんは
わたくしにお茶を入れてくれたり台所を片付けたり・・
・・・かと思えば

”お腹空いてないね 何か作ろうか?うどんは?”


わたくしのために父親がいない分もひとりで
昼となく夜となくいっぱい働いているんだから
たまにうちにいる夜くらいはゆっくりすればいいのに
ほんとにじっとしていないひとでした。

わたくしはわたくしでせっかくかぁさんがいるので
早くに眠ってしまうのがなんとなく惜しくて
よく理解出来ないまま見ている映画に退屈して
襲って来る睡魔と闘いながら起きていました。

”面白いとね?”

”いやぁ・・なんかわからん!
 でも多分ね ひろみも見よるけん 見とかんとね”

”ふ〜ん・・・”

その頃のかぁさんとわたくしといったら
朝は顔を見ますが後は会えないままがほとんどでした。
かぁさんは夕方戻って夕食の支度をしたら夜の勤めに出る。
その繰り返しでわたくしが眠ってしまった頃の帰宅です。

この曲は恋の唄なんですが映画も含めて
わたくしにとってはあの夜のかぁさんの横顔と背中を思い出す。
懐かしくて切ない忘れられない唄になりました。



君もみるだろうか 「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度♪  
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涙がらがら

初めての街でのひとり暮らし。
何もかもが慣れなくて心細かったあの時期。
22年も前のことになりました。


博多の街でいろんなひとの優しさに支えられて
何とか毎日が流れて行く・・そんな日々の中で
絶対に忘れてはいけない恩を受けたひとがいます。





人恋しさに振り向いて見れば いつもと同じ
吹き抜ける風は言葉を消して 空へと帰る ♪
 (海援隊  唄  涙がらがら)




夜の勤めの中洲のクラブで知り合ったひと。
みどりさん・・っていう女性でした。
みどりさん・・とはいわゆる「ゲンジナ」でした。
水商売のひとがお店で使う名前のことです。
ちなみにわたくしはずっと本名で働いて来ましたが・・・


みどりさんはわたくしとは親子ほど年の離れたひとでした。
もちろん見かけはとても若く見える素敵なひとでした。
そのくらいの年代のひとはクラブにはたくさんいました。


かえって若すぎるとお客様相手はつとまらないので
25歳以上しか採用しないって言うお店なのに
若い時に勤めていたわたくしのかぁさんの顔で
まだ22歳だったわたくしは無理に入れてもらったくらいです。



新人のわたくしにみどりさんはとても気を使ってくれました。
まともな衣装も持たないわたくしは最初は
お店のドレスを1日500円で借りて着ていました。


そんなわたくしを見かねて彼女は自分の服の中から
ぴったりとわたくしのイメージに合う物を持って来て
まるでわが子に着せて喜ぶ母親みたいに笑って・・・
わたくしは姉さんのような・・かぁさんのような安心までもらいました。


熱を出してしまってお店を休んだ次の日。
彼女はおにぎりとわたくしが大好きだって話しておいた、
ピーマンの肉詰めを煮込んでわたくしの部屋を訪ねてくれました。


わたくしのためにピーマンの肉詰めを作ってくれたのは
亡きかぁさんと彼女だけです。
ちょっとした会話の中で話したことを覚えていてくれたのです。



あの頃は携帯電話なんてありませんでしたし・・
わたくしの部屋には固定電話さえありませんでした。
きっと彼女はお店に部屋を教えてもらって来てくれたのです。
彼女のはからいで彼女が休止したままにしてるという
電話の権利を貸してくれておまけに電話機まで持って来てくれて
やっとわたくしの部屋にも電話が繋がりました。




★ あ〜・・これで○○ちゃんとも連絡つくし
  何かあっても心配も半分ですむねぇ(笑)




わたくしは我慢できずに泣いてしまいました。
もちろん彼女の優しさに嬉し泣きです。
若かったわたくしには厳しい夜の世界で彼女の存在はひだまりでした。



彼女のお宅にも呼ばれてご馳走になることもよくありました。
あの頃、大学生の息子さんと静かで優しい旦那様。
それとマンションでしたがおりこうさんの柴犬が一匹いました。
わんこにはずいぶん癒やされたものです。





悩み続けた日々があるから 今はこの腕に
かけがえのない優しさだけが 眠りにつくはず♪




わたくしが博多を離れてからも時おり連絡は取り合っていました。
ただお互いに生活にも追われて頻繁にというわけにはいきません。
最後は旦那様からの電話で彼女が脳梗塞で亡くなったと・・
10年ほど前のことでした。
わたくしにとってふたり目のかぁさんを亡くした気分でした。  
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2006年03月27日

夢のチカラ

小学生の頃のわたくしは(30数年前)運動音痴のくせに
テレビ漫画の影響でバレーボールなんぞに夢中になって
あの白いボールがどうしても欲しくてかぁさんを困らせた。
そう・・・あのアタック癸
根負けしたかぁさんはどこから手に入れたのか
古い色褪せたボールを持って来て白いスプレーで化粧直し?
とりあえず喜んだのも束の間・・・
そのボールときたらとんでもなく固くて
わたくしは何箇所もつき指やら打ち身やらで痛い目にあいました。



その夢を叶えたい
たった一人の自分のために
「あきらめない」その言葉が
生きるという価値に変わる ♪
 (上戸彩  唄  夢のチカラ)


その頃に住んでいた借家は庭も驚くほど広くて
子供が暴れまわるには充分すぎるほどでした。
雨の日だって平気です。
玄関入ってすぐ左側の土間は非常用の広い物干し場。
友達と2〜3人で軽いバレーの練習くらい出来ました。
”消える魔球(?)”現実にそんなことが出来ると
どこか信じてる夢見る少女たちでした。


それと彼女たちのもうひとつの楽しみは
うちのかぁさんが作るおやつや食事にありつける・・
正直・・それ・・でした(笑

”ほらぁー!おいでー食べて帰りぃー・・”

”いえ・・あの・・もう帰りますから・・”

そう言いながらほんとは・・・
しつこくかぁさんが引き止めるのを待っているんです。
もちろん間違いなく引き止めるのはわかっています。
かぁさんは彼女たちにとっても物わかりがよくて面白い
おまけに料理上手のおばさんだったのです。



幸せなんて心の持ちようだから
雨上がり・・空に架かる虹のように
いつも微笑みを忘れずに   ♪


あれから気がつけば時は流れてわたくし自身が
あの頃のかぁさんの年令を越えています。
まわり道、まわり道しながらここまで来て
子供の頃にかすかに”夢”見たことを叶えてみたいと
やっとまた思えるようになりました。



その夢を叶えたい
遠く輝く 星に誓うよ
巡る季節それぞれの
生きる力を信じよう ♪  
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2006年03月26日

微笑がえし

わたくしが住むアパートは某大学のそばで
当然のように住んでいるのはわたくし以外は
ほとんどがその大学の学生ばかりです。
2年ほど前にわたくしはここへ越して来ました。



コの字型に2階建てのアパートが3棟並んで
真ん中の敷地が駐車場になっています。
わたくしの部屋は南向きで日あたりががよく
決して新しい建物ではありませんがとても気に入っています。





春一番が掃除したてのサッシの窓に
ほこりの渦を躍らせてます
机 本箱 運び出された荷物のあとは
畳のの色がそこだけ若いわ    ♪
 (キャンディーズ 唄  微笑がえし)




この時期になるとここは引越しラッシュがやって来ます。
大学を卒業して出てゆく学生。
新しく入学して入ってくる学生。
車のナンバーを見てみるといろんな所から来ています。
今日は日曜日でもありましたので朝から数軒の引越しが・・・
わたくしの隣の部屋もそのような様子でした。



年齢的にうちの息子殿とかわらない彼等を見ていると
何だかいつも微笑ましく・・ほっとした気分になります。
親元を離れてある意味は開放的になってるはずの彼等ですが
ここの学生たちはみな例外なく静かで変に騒ぎ立てることもなく
礼儀正しい学生ばかりです。



時おり親御さんらしい方の姿を見かけます。
遠方からはるばるやって来て息子さんの部屋を大掃除して
お米や食料を車から運び入れてらっしゃる様子を見ると
”この親にしてこの子あり”と温かいものを感じます。



卒業してゆく彼等は今度はどこへゆくのでしょうか?
親御さんのとこへ帰ってゆくのでしょうか?
それともまたどこか遠くへ就職でもしてさらに離れてゆくのか?
他人様の事なのに妙に気になってしまうわたくしです。




123(ワンツースリー)あの三叉路で
123軽く手を振り
私達 お別れなんですよ ♪ 




お別れというよりも新しい門出です。
もちろん入学も卒業も・・・・
彼等にとってこれからの人生が明るくて幸せのものであれと
あの親御さんたちのためにも祈っています。




タンスの陰で心細げに
迷子になった
ハートのエースが出てきましたよ♪  
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2006年03月25日

大丈夫

息子殿が10歳の頃だったと思います。
年末のことでした。


元彼と息子殿との3人でお正月を迎えるための
買い物に行く途中でお腹が空いたってことで
国道3号線沿いのステーキレストランに寄りました。


その時にわたくしらしくない・・魔がさしたというか・・
彼の車の中にバックを置いたままにしてしまい、
しかも・・車上荒らしにあってしまいました。
バックの中には財布(現金)、通帳、免許証 etc
なんともとんでもないことになってしまいました。
おまけに息子殿のゲームが入ったバックも一緒に消えてました。



慌てて警察へ連絡しましたら
パトカーが来て現場検証が始まり数人の警官の方が
指紋を取り始めて・・まるで刑事ドラマみたい?
まだ子供の息子殿は面白いのか目を丸くして笑って見ていました。


その後は交番に連れて行かれて被害届けを書いたのですが
もうそれだけで2時間近く足止めでした。
大晦日だというのにさんざんな日でした。
もちろん、盗られたものは戻って来ません。




君はどうしてる?
ひとりで大丈夫?
僕はここにいるよ
君は大丈夫
きっと大丈夫
僕はここにいるから♪
 (ウルフルズ  唄  大丈夫)




印鑑なんかも全てバックの中だったし
身分証明になる免許証もそうだったし
通帳の再発行さえ即日には出来なかったので
わずかに入ってる自分のお金さえおろせませんでした。


仕方ないからわたくしのそれこそわずかの貴金属を質に預けて
当座のお金はなんとかしました。
年が明けて平常な日になれば免許証も再発行してもらって
それが出来れば通帳も再発行してもらえるのだからと
そんなに気にはしてないつもりでしたが・・・



翌日の夜のことです。
のんびりと息子殿と部屋で過ごしながら
ふっと目についた昔の写真とかを見ていたら
亡くなったかぁさんの写真も出てきて
なぜかしんみりした気分になってきて思わず泣けてしまって・・
車上荒らしへの腹立たしさなんかも沸いてきて悔しくて・・・
すると息子殿がわたくしの顔を覗き込んで
ひとこと言ったのです。


”だいじょうぶよ。ケンスケがおるけん”



もっとずっと昔もそうでした。
元夫との生活に疲れていた時でした。
その時も息子殿とふたりきりの部屋でわけもなく涙が出て


”だいじょうぶよ。ねっ! だいじょうぶよ”



まだたどたどしい言葉で息子殿は
わたくしの顔を覗き込んで何度も言ったのです。





僕は考える
きっと大丈夫
心がちょっとザワついて
何かがはじまった  ♪  
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2006年03月24日

卒業

9年前の3月にわたくしは入院していました。
胆石で16日、結局は15日で退院させてもらいました。
それは息子殿の中学の卒業式にどうしても出るためです。
先生に無理を言ってお願いしました。



こみあげる淋しさに問いかけたのは
足ばやに過ぎた 時の流れ
青い空 青い海 風のささやき
帰らない日々がかけぬけて行く ♪
 (松山千春  唄  卒業)


卒業式に出るための退院の条件として
術後の病み上りには少々遠出の片道2時間だし
ひとりで行ってはいけない。
重いものはは持ってはいけない。
なるだけ揺れるような乗り物では行かないこと。
などなど・・言い聞かせられての退院でした。

本人はピンピンしてるつもりなのですが
まだ体が糸で吊られてるような違和感があったようです。
まるでサンダーバードかひょっこりひょうたん島の
あやつり人形みたいですね(笑

彼が一緒に行ってくれました。
なるだけ揺れないようにってことでしたので
どっちの判断が正しいのかわかりませんが
高速を使わずに一般道路で確か行きましたので
2時間どころか2時間半はゆうにかかった気がします。
でも通り道の遠賀川沿いの景色がわたくしは大好きで
しばらくの入院生活のストレスを消し去ることが出来ました。

たどり着いた時には式は始まっていて・・
(まだ始まったばかりのようでしたが)
わたくしは彼に手を引かれて一番後ろで立って見ました。
どこからか父兄さんのすすり泣く声が聞こえていていました。



あてもなく立ち止まりふり向いたのは
大人びた君の 後姿
忘れない何もかも青春の日を
想い出がぼくに背を向けて行く ♪


この時が彼と息子殿の初対面になりました。
式が終わって学校の門の付近で息子殿とわたくしのショット。
彼にシャッターを押してもらった時に
息子殿がわたくしにだけ聞こえるような小さな声で

”兄さん・・いい男やね(笑)”

あきらかにおじさんの年令の彼が兄さんかぁー・・・
まだお腹が引きつってるので笑えないわたくしがいました。
  
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2006年03月23日

ファイト!

息子殿は高校生の頃に焼き鳥屋さんとゲームセンターで
すでにアルバイトをしていました。
どちらかと言えばシャイな息子殿がお客様商売?
まともに出来るのだろうかって不思議でした。
・・・である計画を立てました。
予告なしにわたくしの彼と様子を見に行く。
もちろん、お客としてです。
あれからもう7〜8年なるのかと思い起こしています。



息子殿はわたくしが離婚して・・幼い頃から
かぁさんに託していましたからかぁさんの住む町にいました。
わたくしが住む町から車で2時間です。
計画を決行した日はすごい雪の日でした。
よくあれで高速が走れたものだと感じたくらいです。
出来れば息子殿のバイト時間が終わったら一緒に出れる。
そのタイミングに合うように考えてこちらを出ました。
わたくしたちの焼き鳥屋さんでの食事時間も考慮してです。




ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ♪
 (中島みゆき  唄  ファイト!)



海に面した街は雪と風で凍りつくような夜でした。
道行くひとにお店の名前を伝えて場所を聞きながら
やっと探しあててたどり着いて・・・
突然のことに息子殿は苦笑いでした。
わたくしたちを一般のお客様と変わらず対応して
注文を取り・・・料理を運ぶ姿に
わたくしも同じ苦笑いでした。



息子殿はよくそのお店でお客様からチップを頂くのだと
わたくしに嬉しそうに報告していたけれど
その理由がなんとなくわかった気がしました。
きっと・・・一生懸命だからです。



お店を出る時に初めてオーナーさんに
わたくしは親として挨拶をしました。
気を使ってくださってあと少し時間が残っていたのですが
息子殿に数本の焼き鳥を握らせて帰りながら食べなさいと・・
一緒に帰してくださったのをとても感謝しています。
わたくしと息子殿の事情を知ってらしてのことです。



3人でお店を出てせっかく久しぶりに会ったので
別の居酒屋さんに入りました。
育ち盛りの息子殿はもちろん歩きながら焼き鳥はたいらげて
居酒屋さんでもそこそこの食欲。
それを見ながらどこか単純に安心してるわたくしでした。




ああ小魚たちの群れきらきらと海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく    ♪




ファイト!
これからもまだまだ続く息子殿の人生に♪
  
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2006年03月22日

君の声

久しぶりに息子殿の声を聞きました。
彼は仕事中には基本的に電話(携帯)には出ません。
でも・・・ひょっとしてってことがあるので
ためしにかけて見ました。
いたずら電話のワン切りとまではいきませんが
2〜3回だけ鳴らして切りました。



君の声で溢れ出てくる言葉達はいつも想像
できないくらいの幸せをくれる ねぇ 知ってた?♪
 (Kiroro  唄  君の声)


彼をつかまえるのは結構大変です。
仕事が終わるのが早くても午後8時半。
それから毎日ジムに通って1キロの水泳をやって帰るそうで・・・
なかなか電話をかけても出ないのです。
おまけによく会社に携帯を忘れて・・
まったく笑わせてくれます。

”いい若いもんが携帯忘れるなんて
 ひょっとして彼女もおらんとやろ?
だけん忘れても平気とやろー(笑  ”

わたくしが茶化すとただ笑っています。

今回は珍しくすぐに息子殿から折り返しかかってきました。
わたくしの用件は彼からの携帯電話の注文の件。
わたくしの仕事のひとつは携帯電話の販売です。
彼はわたくしのお客様です(笑
そして、ある時は非常勤の営業マンでもあります。
お客様を紹介してくれるのです。

彼は仕事中でもあるし用件だけを伝えて
返事はメールでくれるように頼んですぐに切りましたが
変わった様子はなく元気そうです。
反面教師って言いますが・・・
まぁ 彼はわたくしと違ってしっかりしてるので
よけいな心配はいらないでしょう。
あれ・・・・これって親バカですか?



もし神様が邪魔したって運命つかんでみせてね
そんな恋に憧れて祈っているよ遠くからだけど♪



家族から遠く離れているひと。
そんなに遠くなくても別々に暮らすひと。
たまには”君の声”聞かせてあげてください。
きっと何よりの最高のプレゼントです。  
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2006年03月21日

ダンスはうまく踊れない

今夜は芸能人の社交ダンスの大会?
そんな番組がテレビで放送されていて・・・
またまた、かぁさんを思い出しています。




ダンスはうまく踊れない
あまり夢中になれなくて
ネコは足もとで踊り
私 それをながめている♪
 (高樹澪  唄  ダンスはうまく踊れない)




かぁさんは何を躍らせても上手でした。
まだ小学生のわたくしにも一生懸命に教えようとしてくれた。
ところが自慢じゃないけれどわたくしは体が硬くて
なかなかうまいところいかない(汗
ワルツみたいなスローテンポよりかえってジルバみたいに
アップテンポの方が誤魔化しがきくし・・・
相手の男役が上手であればなお更それで完璧に誤魔化せる。
そんなこともしっかりと教えてくれました。



たまにの事だけどかぁさんはわたくしを夜の街に連れ出して、
もちろん小学生の頃です。
たぶん、かぁさんの知り合いのスナックだったのか・・・
わたくしにはノンアルコールのカクテルを与えて
おつまみは洒落たガラスの器に盛られたチーズ。
あの頃のわたくしはチーズが苦手でまるで石鹸でも
口に入れたみたいな味だと思っていました。
でも体にいいからと言い聞かせられて仕方なく食べていたっけ。



カラオケなんてまだなくてジュークボックス(?)
今見れば、なかなかアンティークでいい物です。
テンポのいい曲をセットしてもらって
かぁさんがわたくしと踊りたがるのですが
ほんとはわたくしは恥ずかしくて勘弁して欲しかった。




ひとりきりでは
ダンスはうまく踊れない
遠いなつかしいあの歌 ♪



ある日、ふと気がつくと向かい側のテーブル。
わたくしが通っていた小学校の校長先生が座っていました。
きれいなおねぇさんを両脇にしてとても楽しそうに。
(おねぇさんはそこのお店のスタッフです)
見間違いかなってもう1度確認したわたくしと目が合って・・
かぁさんも気がついたのか仕方ないので目で挨拶を交しました。
考えてみたら先生は別に悪いことしてるわけじゃないから
気にしなくてもよかったのですが・・・
ほんとなら未成年のわたくしがたとえかぁさんとふたりでも
そこにいることの方がいけなかったかも?



それから間もなく校長先生からこちらの席に
フルーツの盛り合わせが届きました。
可愛そうにわたくしたちに会ったのが調子悪かったんでしょう。
なんだか申し訳ない感じでした。
その後に学校ですれ違ったら先生はちょっとだけニヤっと笑って
わたくしはいつもと変わらず会釈しただけでした。
子供のわたくしがちょっとだけ大人の世界を垣間見た、
そんなささやかな思い出です。




あなた限りない笑顔で
足を前に 右に 後左 ♪



かぁさんの楽しそうに踊る姿が目に浮かびます。
ツイストなんかも最高に決まってました。
きっとあちらでも元気に踊って楽しんでるかも?
  
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2006年03月20日

ガラスの心

ブログ仲間のねこみみさん。
年齢的にうちの息子殿より2つ下?
とにかく親子ほどの年の差なので何だかコメントを交す間に
勝手に娘のような気がしてきていました。
その彼女がわたくしが気がつかないうちに
ネットの世界で傷ついてブログを続けられない状態になりそうです。



絶望の夜 迎えた日 目の前はただ 真っ白で
何がいけない? 何が悪い?
わからないまま 時は過ぎて
涙のする誘惑にいつも勝てない    ♪
 (川嶋あい  唄  ガラスの心)


わたくしは今・・もどかしくてたまりません。
これがネットの世界でなければ
普段の生活の中で知り合えた相手であれば
直接に彼女の声を聞いてどんな傷なのか・・・
その傷はどうすれば癒やされるのか・・・
一緒に考えてあげられるのにと思います。


そう言いながらどこかでネットの世界の怖さ。
個人情報の流出が原因のいたずらとか・・
そんなことを気にして出来る行動が限られてしまい、
自分の優柔不断さが嫌になっています。

わたくしにとってブログは実生活での励みにもなってます。
そんなブログでもやめてしまおうかなぁーって
思っていまうようなことも確かにありましたが
いろんなひとがいていろんな考えのひとがいて・・・
だから記事の内容の受け止め方もいろいろだけど
読んでくださってコメントまでいただける・・・
なんてしあわせなことだと思うことにしました。
みなさん、ありがとうございます。

わたくしはブログを始める時に目的がありましたから
それを忘れてはいけませんね(笑

彼女もその中のひとりでした。
コメントや彼女の記事から受けるイメージは
とても明るくて聡明な娘さんです。
わたくしは彼女にエールを送りたくてこれを書いてます。
壁にぶつかることもあるけれど”負けないで!”
もうちょっと頑張りませんか?
それでもダメな時にまた考えましょうー。



Ahもろいガラスの心
Ah弱い自分を見せる
こおりついたこの心
溶かす春よきて ♪


わたくしも気がつかないうちにみなさんの心を
凍らすような言葉を使ったりしてることもあるかもしれません。
もしそうであればごめんなさい。
今後も気をつけながら頑張ります!

ほんとに勝手ですがみなさんもわたくしと一緒に
彼女の凍った心を溶かす”春”になってあげてください。
出来るだけたくさんの温もりが集まった”春”に・・

お願いします!!  
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2006年03月19日

地上の星

今日は夕方からしばらく先生と一緒でした。
わたくしは彼女のことを先生と呼びます。
わたくしは彼女の生徒ではないのですが
確かに彼女は先生なのです。


子供の頃のある事故がもとで
成長が止まってるというか・・
小学低学年ほどの背丈しかない・・そんなひとですが
(もっとかな?)
とても明るい立派な職業婦人です。
生徒さんもたくさんかかえてらっしゃいます。
年の頃は60代前半です。



風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った見送られることなく♪
 (中島みゆき  唄  地上の星)


”地上の星”は先生が好きだっていう歌です。
先生は両親は亡くなられていて未婚ですのでひとり暮らしです。
背丈が低いってことだけが難点で健康でいらっしゃるし
とんでもなく不自由ってことはないのですが
食事はほとんど外食。
それでよく来店されるわたくしの行きつけの喫茶店で
先生とも知り合いました。

運転免許がない先生は自転車が交通手段ですから
雨が降ったりするとタクシーで移動するか
外出を諦めるしかないのです。
それとやはり力が弱いので重い荷物が無理です。
それでせっかく知り合えたのでわたくしと先生の時間が合う時、
一緒に食事に行ったり買い物に出ます。
そういう時に普段は先生が行けない様な距離のとこに行ったり
重い物も買うようにしています。
わたくしは車がありますから・・・

今日はもちろん先生と食事をしました。

”あ〜・・美味しい物食べてる時が
   ほーんとしあわせやねぇ〜!”

そう言ってふたりで笑いながらゆっくりした時間が流れて
先生の子供のような無邪気な笑顔を見て
単純に嬉しくなる自分がいることに気がつきました。



人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう♪  
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2006年03月18日

命果てるまで

今夜は以前の記事のタイトルにもした、
「愛と死を見つめて」が新しくドラマ化されて
ちょうど今、放送されています。
そしてわたくしは肝臓癌で亡くなったかぁさんと
去年の7月に十二指腸癌で亡くなったTさんを
いやでも思い出してしまいました。



同じ花ならどうせ野に咲く花がいい
買われて飾られて枯らされてゆくより
冬を越える名もない野花になりたい
そして君のそばに咲きたい   ♪
 (ゆず  唄  命果てるまで)


かぁさんの時は本人には癌告知はされてないということだったし
わたくしが住む町から2時間以上はかかる町での入院。
だからほんとはいつだって行きたい・・
そんな気持ちを抑え続けての毎日でしたから・・・
結果、最初の入院から1年足らずでかぁさんが亡くなった時は
正直・・ほんとに後悔しました。

以前のバイト先でお世話になったTさんが入院して
どんなにまわりが否定してもきっとあの状態は癌だと
わたくしの勘が働いた時から今度は絶対に後悔したくない。
わたくしが出来る範囲でなんとかTさんの力になりたい。
勝手なひとりよがりだけれど強く思いました。

もしも、わたくしの勘が当たった時のためにと
癌治療について調べました。
そして見つけました。
ハイパーサーミア療法です。
癌治療に限らず全ての病気の発生を予防する効果があるらしい。
これに一番近い効果をあげるものが”岩盤浴”でしたから
Tさんが1度目の退院をされた折にその岩盤浴に
是非、Tさんを連れて行ってあげてと奥さんに伝えました。
でも実行してもらえませんでした。

案の定、Tさんは癌でした。
後で聞いた話ですが手術で開いてみたら切除不可能な場所で
結局は応急処置だけで切除せずに閉じたそうです。



同じ夢ならどうせ果てしない夢がいい
諦めてごまかして言い聞かせてゆくよりも
時には冷たい風に吹かれたとしても
願いが叶う その日まで信じていたい ♪



わたくしは諦めたくありませんでした。
人の生命力の奇跡を信じたいと思いました。
Tさんの身内でもなんでもない他人のわたくしが何が出来るかと
笑われそうですがそれを越えた想いだってあるのだって
行ける限り病室に通いました。
見る見る痩せ細っていくTさんに頑張ってって心で訴えた。


まるで思い出したように奥さんが
わたくしが話しておいたハイパーサーミア療法の話を言い出し
出来るならって相談して来た時にはもう本人の体力が無理でした。
あの時にわたくしの言うことを聞いてくれてたら・・・
わたくしももっと強く勧めるべきだったと悔やむばかりでした。

Tさんが亡くなった日に夢に出てきて

”あんたたちとおったとこが楽しかったー
ここは寂しかぁー 自由もきかんし・・つらかぁー”

そう言って泣いたのを忘れられません。



命果てるまで 心が枯れるまで
強く もっと強く 君を抱きしめたい♪  
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優しい陽射し

”優しい陽射し”
それはわたくしにとってうちの息子殿です。




過ぎ行く日々の中で 寂しくなる君は
うつろう心の理由に一人唇 噛み締めている♪
 (尾崎豊  唄  優しい陽射し)



わたくしが元夫のもとを去ったことにより
息子殿がしばらく父親に会えなくなったのは彼が2歳半の時。
6歳になってからは2度と会っていません。
夫として・・男としてはともかくとして
元夫は息子殿にとって優しい父親だったと思います。



父親と会わなくなってもう19年近くなるのですが
息子殿が父親のことを口にしたのは
わたくしの知る限りはたったの2回です。
知る限り・・というのはわたくしには言えなくて
祖母であるかぁさんには言ったかもしれないから・・



1度目はまだまだ4〜5歳の頃のこと。
わたくしとかぁさんと3人でいる時に

★ ねぇ〜 まぁーはもうおりこうさんになっとらすかもよ
  ねぇ〜 おりこうさんならおいでって言おうかぁー ”
 (まぁーとは父親の愛称です。まさと・・だったので)



父親は何か悪いことをわたくしたちにしたから
一緒にいられなくなったのだと息子殿は解釈していて
もうおりこうになっていたら呼んであげようと言いたかったらしい。
子供としてなんていじらしい想い。



2度目は小学5年の頃の年末のこと。
わたくしの元カレとドライブ中でした。
そのカレの仕事関係の大工のお兄さんも同乗していて
突然にお兄さんに向かって


★ ケンスケのお父さんはね○急便でどっか行ったとよ



わたくしは思わずドキッとしました。
元夫は別れる前はトラックに乗っていて
息子殿は○○急便を○急便と勘違いしてる様子でした。



父親はトラックでどこかに行った・・
そういう印象を抱いて息子殿は生きてきたんだとわかりました。
ただその言葉はわたくしに向っていなかった。
大工のお兄さんに聞かせた言葉だったのが
今でもわたくしの心にひっかかっていますが・・



◆ あ〜ん・・そうね・・どっか行きんしゃったとね・・?



お兄さんは軽く交わすしかなかったようでした。
息子殿もそれ以上のことは言いませんでした。




想い出が静かに 心包むから
夜に身を委ねて 心偽らず安らかに
何も悲しまないと 暮らしを彩れば
きっといつか 答えは育むものだと気付く♪




それからは2度と父親のことは口にしません。
何の質問もありません。
きっとそれはわたくしに対しての息子殿の精一杯の
優しさ・・思いやりではないかと感じています。



わたくしが困るから・・・
わたくしが哀しむから・・
そう思っているのではないでしょうか?



わたくしは息子殿の優しさに救われています。
母親が息子殿の想いに甘えて生きています。


わたくしが自分の気持ちのまま走ってゆけるのは
あなたのおかげです。

ありがとう!!  
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2006年03月16日

神戸

13年ほど前でしたか・・
年の瀬押し迫った12月のことです。
いろんな想いを抱えてそれまでの自分から脱皮したくて
神戸へ向いました。
1週間前から計画して新幹線の切符を前もって購入。
実は前日になって珍しく風邪をひいたのか熱をだしてしまった。
でも決めていた事なので予定通りに決行しました。
とても寒い日でした。



トンネルをくぐりぬけ降りたつ駅は
ドラの音の似合う街 少しだけ寂しい♪
 (前川清  唄  神戸)


もしも水が合えば、そのまま仕事でも探して根をおろしてみるか、
そんな気持ちもあって気合をこめて向いました。
神戸は港町で異国情緒に溢れ・・アンティークの似合う、
わたくしの大好きな長崎にどこか似ている・・
そういうイメージで憧れていました。
もちろん今でもそうですが・・・

降り立った駅は肌を刺すような冷たい風が吹きぬけ
思わず慌ててホームを走り駅舎へ逃げ込みました。
初めての街で右も左もわからずにどうやって行ったのか
記憶がはっきりしないのですが
気がつけばとにかく地下鉄に乗っていました。

わたくしが座っていた座席のそばで立っていたふたりの青年。
ふたりにしてみれば普段の何気ない会話でしょうけれど
漫才を目の前で聞いているみたいで圧倒されてしまいました。

”そっかぁー。ここは関西なんだ”

今更ながら確信してどこか自分とはテンポが合わない。
直にこうして感じてみるとどこかゆっくりのわたくしには
ついてゆけないかも・・・そう思いました。
怖いもの知らずのわたくしが初めて弱気になったのです。
ただの田舎者だったんだなぁーなんて(笑



風見鶏揺れている 夕暮れ時は
赤い靴 似合う街 少しだけ悲しい♪


結局は一晩過ごしただけで戻りましたが
憧れていた街は期待通りでした。
異人館、神戸港付近の海岸通・・
忘れられないのはあの六甲山の展望台から見下ろした景色。
すこしだけ沈んでいた、わたくしの心に光をくれました。
どこまでも広がる海を上から見てると
考えていたことがとんでもなくちっぽけなことに思えました。

それから数年後にあんな神戸地震があるなんて・・
想像も出来ないことでした。



神戸 流れ行く 景色の中で
心 心 探してる    ♪  
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2006年03月15日

春一番

去年の春は日帰りバスツアーで桜を見に行きました。
長崎県の大村公園です。



雪が溶けて川になって流れて行きます
つくしの子がはずかしげに顔を出します 
          もうすぐ春ですね♪
 (キャンディーズ  唄  春一番)



2月27日の記事”愛燦燦”でも書きました、
セレブなお方とふたりです。
75歳になるひとですがとても若くて魅力あるひとです。



旦那様はすでに亡くなっておられてひとり暮らしです。
娘さんは同じ市内にいらっしゃいますが
親が元気でいるうちはどうしても安心して疎遠になるのか・・
それにせっかく会えても我儘が出て喧嘩になったり・・
そういうこともあって行きつけの喫茶店で知り合ったのが
いいきっかけになっていわばわたくしたちの
楽しい”親子ごっこ”が始まりました。



わたくしも両親を亡くしていて息子殿はそばにいないし
ママ(そう呼んでます)と過ごす時間には救われています。


若い時から働いてばかりでろくに旅行もしていない、
そんなわたくしのためにふたりの都合が合えば
出来るだけいろんなところに連れて行ってあげようと
ほんとによくしてくれます。
感謝です!



バスツアーの楽しさもこうして教えてくれました。
自分で運転しないので疲れればバスでの移動中に休めます。
適当にいい場所を案内してくれて食事つきで・・
日帰りツアーだとその日に戻るのですから気軽に行けます。



大村公園はなんだか大村競艇場内にあるって感じで
不思議なところです。
かぁさんと来たときには競艇場の方に来ました。
最寄の町から出ている直行バスでした。
中学の頃でした。



そんなことも思い出しながらふたりで歩いた。
1時間ばかりの自由行動の間でした。
たくさんの家族連れや平日でしたので近場のサラリーマンさん?
お弁当をかかえてベンチでお昼をとる人達。
みんな桜の花に負けないような明るい笑顔で眩しかった。





別れ話したのは去年のことでしたね
ひとつ大人になって忘れませんか
         もすぐ春ですね♪



ほんとはママはそんなとこ何度も来ているのです。
ママはママなりに自分の思い出にも浸りながら
時おり、わたくしに昔話をしてくれたりして
しあわせそうに笑ってくれるとわたくしもしあわせです。
ママがいつも言う言葉です。



”誰かほんとに年をとらない薬を開発してくれたら
 いくらでもいいから借金してでも買いたい
 若返りなんて贅沢は言わない このままで年とらずに
         ずっと生きていたい 死にたくない”



わたくしもこの”親子ごっこ”をいつまでも続けたいと願います。  
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2006年03月14日

わたくしは今度の5月で45歳になります。
1年を45回繰り返したことになります。
でも・・・45回? そんなもの?
お正月もクリスマスも・・そんなもの?
何だかもっともっと何回も繰り返した気がします。



時はながれる 想いを乗せて
明日はどこへ行くのでしょうか
帰らぬ人も 忘れた人も
みんな心に会えたでしょうか♪
 (夏川りみ 唄  時)


いろんなひとと出会い・・別れて・・
毎日、気がつこうとも気がつかなくとも
大切な一期一会を繰り返して生きてきました。

わたくしのこのブログも今月で半年になります。
ほぼ毎日の更新でよく書くことがあるねって感心されます。
だけどわたくしが物心ついてからと考えても
40年以上の分の思い出があるのですから
わたくしが文章として表現さえ出来れば限りなく書けるほどの
思い出、物語をこれまで出会ったひと達に頂いています。
それを思い起こす時につくづく思うのです。
たった45回なんかじゃない・・・
もっといっぱいの”時”の流れを感じます。
もちろん、いい意味で・・・

一応、永遠の別れをしたひともいます。
大切なひと・・ お世話になったひと・・
そのひと達の”時”は止まりましたが止まった状態で
わたくしの心の中でわたくしと一緒に生き続けています。
たまに夢の中で逢ってあらたな思い出も残してくれます。



時はながれる 目眩(めまい)のように
いつか私がいなくなっても
世界は続く 続くならば
誰もがきっとひとりじゃないさ ♪


夫婦になれることはもちろんのこと・・
親子になれること。
家族になれること。
これもひとつの出会いだと思います。

出会うってことの不思議としあわせ。
そして一生の間で積み重ねられる思い出は
きっと”時の神様”のプレゼントではないかと思えるのです。  
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2006年03月13日

しあわせ

今朝は雪が降っていました。
3月の忘れ雪・・・ってひとは言う。
この寒さを越えたら春はもうすぐ・・・



しあわせ
季節をめぐらす風
大事な誰かのひとこと
感じられる今日があること♪
(川上美奈子 唄 しあわせ)


春と言えば中学の頃は毎年。
かぁさんがやっていたお店の女性達引きつれて
お花見で有名な公園へ・・・
車で1時間以上はかかるのにもめげずに出かけた。
料理上手のかぁさんのお弁当を楽しみに
桜の木の下に陣取ってのピクニック気分は
たまにしか味わえない大家族の雰囲気。
わたくしにとっての”しあわせ”でした。


そこの公園は2つの高校を挟んだ間にあって
学生達って授業受けながらにして桜を楽しめる。
ほんとしあわせなひとたちだなぁーなんて考えていました。
ただ一歩校門をでたら屋台もいっぱいで
みんなお祭り気分でうかれてる・・・・
そんな雰囲気を窓越しに盗み見ながら
真面目に授業も酷だったかもしれない。



しあわせ
いとしい人の笑顔
守るために持てる強さ
揺るがない自分を知ること♪


中学3年の春。忘れもしない・・・
わたくしはその公園で生まれて初めて軟派されてしまった。
相手はその公園の長い階段の下にある家に住んでいた
わたくしより一つ下の男の子だった。

大人の中に混じって中学生とはいえまだまだ子供。
イカ焼き、焼きりんご、とうもろこし・・
どうしてもお腹が空いてるってわけでもないから
買うのではないけれど見てまわるのが楽しくて
ひとりでうろうろと歩きまわっていました。
何だか背中に目があるような誰かに見られてるような・・
そんな気がして振り返ると3人連れの男の子がいて
わたくしと目が合うと桜の木のかげにさっと隠れる。
何を言うわけでもないのでまたわたくしは歩き出す。
しばらく歩いてそれでも気配を感じるので振り返ると
彼等と目が合い彼等はまた隠れる。

何度か繰り返した後・・
その中のひとりが意を決したのかわたくしの方へ寄ってきて
男の子のわりには白い頬をちょっと紅く染めて

”すみません。名前と住所教えてください!”

そう言ってメモ紙とペンをわたくしに手渡した。
あとのふたりの男の子から囃し立てられながら
照れくさそうに下を向いて待ってる彼が可哀相だし
こちらも恥ずかしいので慌てて書いて渡した。
思えば桜の木の下にふさわしい純な光景だったのでは?
これが他人事ならば・・・・

それから1年ばかり赤面したくなるような
彼からの”恋文”がわたくしのもとに届いた。
かぁさんが笑いながら部屋へ届けに来る。
正直言って”恋”なんていう感情にまだ興味がなく
困ってしまてるってことをかぁさんはわかっていたので・・

こうして何かにつけ、かぁさんを思い出す。
わたくしが29歳の時に逝ってしまったかぁさん。
29年のうちに喧嘩したことがないと言ったら嘘になります。
でも29年の間のわりにはしなかった方だと自信があります。

こんなふうにかぁさんを思い出せること。
わたくしにとってのいちばんの”しあわせ”かもしれません。  
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2006年03月12日

秋桜

わたくしが元夫と一緒になりたいと
かぁさんに告げた18歳の3月・・この季節。
いろんなことを言い合ったけれど
かぁさんの最後の言葉を思い出します。

”親としては絶対にやめた方がいいって言いたいけど
 同じ女の気持ちとしてはそんなに惚れてるんなら
 あんたの好きなようにしなさいってしか言えないね”

この言葉はわたくしがいつも心の中で
実父との永い別居状態の間でかぁさんがきっと寂しいのか
他の男性への報われない恋におちている時に
かぁさんにむかって呟いていた言葉そのものでしたが・・・
”あなたの娘としてはやめた方がいいって言いたいけど
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”



あれこれと思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今更ながらわがままな私に唇かんでいます♪
 (山口百恵  唄  秋桜)


同じ女として・・・
わたくしもかぁさんをずっと見ていました。
愛した男(夫)に裏切られて傷ついて・・
それでも母親として生きてゆかなければならない人生。
奇麗ごとばかりじゃなく女としての面もなければ
とても乗り越えてゆけない心の部分。
娘としては見ていられないこともあったけれど
女としては仕方ないことかもと目をつぶろうと思った。


かぁさんもわたくしに同じ想いで言ってくれたのだと
ほんとに嬉しくて泣けてしまったあの時でした。

”ダメだって思ったらさっさと引き返せばいいさ(笑)”

かぁさんは笑って言ったけれどきっと心は笑ってなかった。
わたくしが必ず引き返して来ることを察していた。
今・・・そう思えるわたくしです。



ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます 私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もうすこしあなたの子供でいさせてください♪  
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雨ニモ負ケズ

これまでわたくしは自分で言うのはなんですが
何でも馬鹿みたいに一生懸命にやってきました。
それは正直に言えばたいして自分に自信がないから
不器用で特別に取り得があるとは思えないので
せめて一生懸命な姿勢だけは見せていようと
わたくしなりの出来ることで頑張ってきました。


仕事に出れば無遅刻、無欠勤。
それがまず第一のわたくしの中での法律。
第ニに決して給料泥棒にだけはならない仕事。
第三に・・いてくれてよかったと思ってもらえる自分。
できるだけこの目標に近づけることが
わたくしにとっての励みで・・喜びでした。




胸を張って見せられるような
心を持つのは難しい
誰にも見えないからこそ
そんな心を持つのは難しい
雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ
自分ニモ負ケナイ
そういう心を持つのは難しい
その事をまず僕は思い知るべきだ♪
 (槇原敬之  唄 雨ニモ負ケズ)



その想いのあまりの強さが災いして
かあさんがまだ健在の頃にわたくしのとこまでやってきて


”これから温泉に行くけど・・あんたも来る?
なんやったら仕事休むくらいの日当くらいやるよ”



そう言って度々誘ってくれました。
その当時はもうかぁさんは再婚していて連れ合いさんと
わたくしが預けていた息子殿と・・・
だけどわたくしは行けませんでした。
日当・・お金の問題以上に仕事を休むということが出来なかった。



夜・・あるクラブに勤めていた時です。
もちろん、わたくしは無遅刻、無欠勤を貫いていました。
でも様子を見ていたらそんなことしてるのは
わたくしとわたくしのすぐ後に入店してきたSちゃんだけで
後の女性は毎日まともに出勤して来ることはありませんでした。
遅刻すれば罰金も取られるし休めばお給料は減ります。
考えてみたら早い時間にお客様が入ることは少ない
もしかしたらわたくしはよかれと思って頑張ってるけど
これって・・・給料泥棒??
ふと・・・そう思ってしまいました。



”ねぇ〜マネージャー もしかして迷惑かけてませんか?
 こんなして無遅刻、無欠勤で出てきてることって・・”


”はぁー?○○ちゃん!珍しいこと言うねー(笑)
 そんなことがあるもんかぁー ちゃんとたすかっとるよ”


”ほんとに? 給料泥棒じゃないん??”


”当たり前やろ!!よけいな心配するな(笑)”



少し下がりぎみのの細い目で笑って応えてくれるマネージャー。
わたくしもほっと肩をなでおろしました。
まったく不器用な性格のわたくしです。
そういいながらそんな自分が好きですが・・・



ただただ・・心残りはかぁさんのこと。
働きづくめのわたくしを気づかって誘ってくれたかぁさん。
あんなに早く逝ってしまって・・
こんなことならかぁさんのためにも誘いにのってあげればよかった。  
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2006年03月10日

ワインレッドの心


もっと勝手に恋したり
もっとKissを楽しんだり
忘れそうな想い出を
そっと抱いているより
忘れてしまえば  ♪
 (安全地帯  唄  ワインレッドの心)



この曲が流行っていた頃。
わたくしは元夫との生活から最初の脱走をしていました。
・・・と言っても結局はそのまま戻ることはありませんでした。


別れようと思ったのは彼の借金だけの問題ではありませんでした。
借金なんて返せばなくなること・・なんてことはないのです。
ふたりで働いて返せばすむからもう2度としなければいい。
彼もわたくしも朝から晩まで働いていました。
息子殿はかぁさんに預かってもらって・・・



なんだかんだ言っても疲れ果てふたりの会話も減り
些細なことで喧嘩もするようになりました。
彼の帰りも遅かったけれどどうしてもわたくしの方が遅い。
遊んでいるわけではありません。
もちろん、ふたり共が仕事で遅いのです。


わたくしは冬の夜。
化粧をおとす元気もなくコートを脱ぐ元気もなく
そのままの状態でこたつに寝てしまうことも・・
彼もそれに気がつくこともなく隣の部屋で寝ている。
疲れきっていたのです。
だからってそれで別れようなんて考えはしません。


そんな折の義母の決定的な言葉。
わざわざうちへ訪ねて来てわたくしに言ったひとことでした。


”お父さんのとこに行ってお金もらって来たら?”


実父が資産家だってことをわかっていての言葉でした。
わたくしがもう彼とはいられないと思った一瞬でした。
彼といるということはこの心無い義母とも
関わって生きていくということなのです。
もうそれだけは堪えられないと思いました。


同じ市内でも隣町に間借りをしました。
お風呂もトイレも共同の小さな部屋。
最低の必要な物を彼のいない間にひとりで運び出した。
息子殿はその時からかぁさんに託して・・
勤めも別のところにかえてとりあえず彼から脱走。



今以上、それ以上、愛されるまで
あなたのその透き通った瞳の中に
あの消えそうな燃えそうなワインレッドの
心を写しだしてみせてよ ゆれながら ♪



夜の勤め先のスナック。
わたくしとかわらない年頃の明るい若者で賑わっていました。
そして誰かがよくこの歌を唄っていました。
歌詞ブックが必要な8トラのカラオケ。



この時、わたくしは21〜22歳の間でしたか・・
今の息子殿よりも若い時でした。
もしかしてもっと大人だったらもっと・・
わたくしは逃げ出すことなく乗り越えられたのでしょうか?  
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2006年03月09日

もうひとつの人生

何かにつけ、かぁさんはわたくしに謝っていました。



★ ごめんねぇ〜・・あんたを連れて出たりせんやったら
  あの家に置いてかぁさんひとりで出れば
  あんたは今頃はお嬢様でよかったのに  



実の父親が一体誰なのかわたくしが気がついたあの夜。
11歳のあの夜からかぁさんは度々そう言ってうつむいた。



わたくしはかぁさんとふたりで暮らすことを苦労だなんて
感じたことは1度もありませんでしたから
かぁさんの嘆きの意味はよくわかりませんでした。



きっとかぁさんに守られて生きていたから・・・
かぁさんはどんな苦労もわたくしには見せなかったから・・
ただ、わたくしが自分の父親だと思い込んでいたひと。




かぁさんのいいひととかぁさんが痴話げんかして
殴られて泣いているのを見るのがたったひとつの苦痛でした。
”別れたらいいのに・・”子供ながらに思った。
父親だと信じてたひとと・・別れたらいいのにと。
離婚すればいいのにと思ったということです。





別の人生があったかも知れないと
鏡の中の自分を見ながら思う日がある
今の生き方を悔やむ訳ではなくて
決して自分の心を諦めるのじゃなくて ♪
 (さだまさし  唄  もうひとつの人生)




わたくしのためにということではなくて
単にほんとにわたくしを置いて出ていたら
かぁさんにはまた別のもうひとつの人生があったのかもしれない。
もっと楽な人生を生きてゆけたかもしれない。
わたくしはそんなふうに思ったりします。




それに実父がもっと早くに離婚を承諾してくれてたら
ちゃっかり自分は愛人さんと暮らしていて
だからかぁさんは堪えかねて出ていったのに・・なぜ?
かぁさんの人生とあの愛人さん(後に本妻)の人生。
実父は最後にどう考えて逝ったのだろう・・?





やり直したいなどと思いもしないけれど
逃げ出したいなどと思いもしないけれど
子供の頃に夢見た未来から
遠く遠く遠く遠く遠く離れて少し切ない♪





もしも可能ならば、わたくしはかぁさんを呼び戻して
”もうひとつの人生”を生きてみて欲しいと思っています。




そんなふたりもわたくしの部屋では小さな焼き人形になって
仲むつまじく並んでいます。
(2日前の記事の”愛が見えますか”を読んでください)  
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2006年03月08日

ハロー・グッバイ

わたくしの初恋、高校2年のわずか数ヶ月。
K君と過ごした時間はいつだって穏やかな春みたいでした。
大人の恋ではなかったことが尚更そうさせたのでしょう。
学校から駅までの帰り道にたまに立ち寄った喫茶店。
ちょっとだけ背伸びした・・ジャズ喫茶でした。


紅茶のおいしい喫茶店
白いお皿に グッバイ・・・バイ・・・バイ
そしてカップにハローの文字が
お茶を飲むたび 行ったり来たり ♪
 (柏原芳恵 唄 ハロー・グッバイ)


紅茶ではなく珈琲でしたけれど
あの頃はまだおいしいなんて思えなかった。
まだまだ、わたくしにとっては大人の味でした。
すまして飲んでいたけれどK君はおいしいと思っていたのか・・?
考えてみたら聞いてみたこともありませんでした。

わりと若くて・・でも渋い感じのマスターがいて
お店は建物そのものも古くて中の雰囲気は
学校の木の机や椅子を塗装して再利用してる・・
お金はかかってなさそうですがかえってお洒落で落ち着けました。

向かい合って座っていても
何だか照れくさくて話したいことはたくさんあるのに
お互いに饒舌にはなれませんでした。
見かねたマスターがたまに口を開いて軽い冗談で笑わせてくれた。
あの時のK君のやわらかい笑顔が今でも記憶によみがえります。

その喫茶店はわたくしとK君の別れの場所になる・・
そう・・駅のそばにありましたから
ふたりは校舎を出て門まで続く並木道の途中で落ち合い
(校舎から校門までの並木道は150メートルはありました)
最初は並んで歩き出しますが気がつくとわたくしは
190センチ近い長身のK君の後ろを小走りに追いかけてた。
ほんとは隣を歩きたかったけれど歩幅が間に合わないから・・
振り返ってわたくしが遅れていることを確認すると
K君はちゃんと立ち止まって待っていてくれました。


できることなら 生まれ変われるなら
私 春のきれいな夕陽になりたい
静かに そっと燃えながら
あなたの心に しずんでみたい ♪

追伸
過去の記事の”初恋”シリーズにも(11月)
K君との想い出は書いてます。  
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2006年03月07日

愛が見えますか

わたくしの実父とかぁさんはわたくしが18歳の時に
やっと正式離婚して・・同時にお互いに再婚しました。
16年ばかりの別居の果ての終章でした。
そしてわたくしは元夫と一緒になりました。



結局は実父とかぁさんはそれぞれの連れあいを残して
もちろん、わたくしも残して逝ってしまいました。
再婚していってからのことですのでわたくしのもとには
どちらの位牌もありません。





愛が見えますか 離れていても
愛が聴こえますか あなたの心に♪
 (堀内孝雄 唄 愛が見えますか)




1年ほど前にふっと思いついて最初はかぁさんのことだけ・・
陶芸をやってらっしゃる方に(プロの方ではないですが・・男性)
童やお地蔵さんをほんとに優しいお顔で焼かれる方を見つけて
かぁさんを思わせるようなものを焼いてくださいとお願いしました。
出来上がったらかぁさんだと思って何かにつけ話しかけたい。
それまではよく空を見上げて話しかけていたことを・・・



・・・で最終的は実父の分も焼いて頂きました。
実父とかぁさんの事情を説明して
一緒にふたりを並べてもいいものかを相談しましたら


★ ふたりは離婚しててもあなたにとってはご両親だから
       あなたの気持ち次第でいいと思いますよ



彼のその言葉で迷いも消えてふたりを並べています。
まるでお雛様とお内裏様みたいですが少々違うのは
気持ち・・顔と体がお互いの方に向いています。


1度は惚れあって一緒になった者同士が
永年の積もる話をしているみたいだと感じてしまうのは
わたくしの勝手な願いでしょうか?



かぁさんが厳しい嫁ぎ先で気苦労を重ねている間に
愛人さんを作って勝手気ままだった実父のことを
かぁさんがあちらで責めているとは思えません。
きっと・・かぁさんのことだから・・・




一日分の しあわせを
そっとひとりで かみしめる
片時さえも 忘れない
あなたがくれた優しさ ♪



ふたりの前にはお雛様用の古布で出来たお弁当。
ちゃんと重箱入りです。玉子焼き、かまぼこ、海老・・・
お猪口にはお酒の代わりにお水。
飲めない実父はよしとしてかぁさんの声が聞こえてきそうです。


”ちょっとー! お酒にしてよ〜”  
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2006年03月06日

万里の河

わたくしが現在住む場所からさほど遠くない所、
車で30分程度でしょうか・・・?
とても癒される風景、町並みを見せてくれる所があります。

福岡県柳川市です。
観光としての川下りはそんなに大きな川ではなく
流れも緩やかで・・ゆっくりと1時間ほどかけて楽しみ・・
船頭さんとのふれあいも心温る想い出をとなります。

川を挟んで左右に広がる町並みは時代をタイムスリップ?
ある特別な優しい風が吹いているような不思議な町です。

川のすぐそばまで迫って建っている古い住居。
川に下りるためにある小さな階段があるということは
きっとこれを下りて洗濯をしたり野菜を洗ったり・・
昔のひとのそんな穏やかな生活が想像できて
考えていると思わずボーっと自分の世界に入っています。



遠く遠く何処までも遠く流れる河で
暮れかかる空にあなた思い今日も待っています♪
 (CHYGE&ASKA 唄 万里の河)


そう言えば、わたくしが幼い頃に暮らした家にも
(もちろん柳川ではありませんが・・・)
裏の方には小さな川が流れていましたし庭には井戸もあって
かぁさんはその時々で川と井戸を使い分けて
洗濯や洗い物をしていたことをこの町は思い出させてくれました。
洗濯機なんてまだ買えない間は洗濯板なるもので
かぁさんは一生懸命・・・の背中をわたくしに見せていたっけ・・・



愛しい人よ私は歌う 
千もの言葉願いをこめて
遠い昔のおとぎ話の恋のように♪  


まさに”おとぎ話の恋”が似合いそうな町です。
なのに決まってわたくしはひとりで訪れます。
ひとりでふらっと川沿いを歩きながら
あの不思議な優しい風に吹かれていると
子供みたいに嬉しくなってゆく自分がいるのです。

あの階段に・・あの川面に・・
いるはずもないない、かぁさんの姿が浮かび上がって
笑ってわたくしを見ているようなそんな気がしてくるのです。  
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2006年03月05日

空を読む


思い通りになんていかない
 愛した人には伝わらない
明日が読めるわけでもないのに
どうして空を見上げるんだろう?♪
 (DreamsComeTrue 唄  空を読む)


どうして空を見上げるんだろう?
確かにそうだと・・・わたくしも気がつきました。
大事なひとの心がわからなくなった時、
何かに行き詰った時、
ため息と同時に上を向いています。
それがたまたま自分の部屋であれば空ではなく
天井にぶら下がった照明器具の4つの電球を見つめている。
これだって答えなんてありはしないのだから
思い悩むあんたが馬鹿げているんだと
自分自身にに言い聞かせながらも気持ち抑えられなくて
抑えようと頑張ると知らず知らず体が震えています。

上を向き・・空を見上げる。
わたくしの場合のそれはきっと・・・
くやし涙を瞳の奥で止めるためだと思います。
ひとたび流れ出すとその涙と一緒に
わたくしの中のすべての我慢が関を切って流れ出してしまいます。

がむしゃらにやってきたこれまでのこと・・
わたくしを残してさっさと逝ってしまったかぁさんのこと・・・
聞きたいことが山ほどあったのにまともな会話もないままに
父と娘に戻ることもなく逝ってしまったひとのこと・・・
みんなみんな・・想いが溢れ出てしまいます。

日頃は大事なあのひとの存在が忘れさせてくれているのです。
あのひとがいるから大丈夫なのだと・・・
錯覚でも・・・かまわないのです。
でもそれさえもわからないと感じてしまった時に
途方にくれて空を見上げる。
涙を止めるために無意識に上を向いている。


強くなくてごめんね 誰に言ってんのかな?涙と溜め息
全部詰め込む ポケットがあればいいのに ♪


結局はひとりではダメなのです。
なんだかんだ言ってもさびしいのです。
錯覚の世界かもしれないものさえ信じていたいとすがります。
それでいいんだと自分を納得させています。



約束も何もない あなたの言葉も
信じていなければ 明日さえ暮らせない♪
 (DreamsComeTrue 唄 LAT.43`N)  
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2006年03月04日

笑顔のゲンキ

息子殿が一歳になった時にわたくしは仕事に出た。
当時、住んでいた団地のほんの横にある縫製工場でした。
まだ小さい息子殿がいるのにわたくしが働くことに
かぁさんは断固反対していました。



でもわたくしは働くしかないと決心していました。
車道楽の夫がこさえた借金でうちは赤字で
ずっとかぁさんが食料やお金を援助してくれていたので
もうこれ以上は負担をかけるわけにはいかないと・・
結局はその事でかぁさんと喧嘩してしまって
連絡をとらなくなり・・
その間にわたくしは仕事を決めました。




息子殿は近くの託児所に預かってもらうことにしました。
かぁさんに納得してもらって喧嘩なんてしてなかったら
きっとかぁさんが息子殿を預かってくれたのでしょうけれど・・




息子殿が託児所に慣れるまでのことでしたが
毎朝の別れはほんとに辛いものでした。
泣いて後追いしてくるのです。
後ろ髪引かれるってこういうことなんだと噛みしめながら
走って工場へ逃げ込みました。




季節は夏です。
考えてみたら幸いでした。
暑い盛りにわたくしの担当はアイロンがけの所でした。
とめどなく流れるわたくしの涙もアイロンから出る熱が
誰にも気づかれないままに乾かしてくれるのです。





げんきなきみがすき いまはとおくでみてるよ
ほらッえがおが ううんきみにはやっぱりにあってる♪
 (SMAP 唄  笑顔のゲンキ)




仕事を終えて託児所に迎えにゆくと
息子殿はいっぱいいっぱいの笑顔で駆け寄って来ます。
一日中の立ちっぱなしでがくがくの足さえ忘れさせてくれる。
あれは最高の笑顔でした。




かぁさんの優しさにもわたくしは泣いていました。
働きに出たとは知らずに留守宅のわたくしの部屋のドア。
新聞受けのところから差し入れた封筒にはわずかばかりのお金。
ドアの外にはお米が置いてあったり・・
不甲斐ない自分が悔しくてたまりませんでした。




♪ 
どんなばしょにいても きみだとわかる
あかるいこえが あぁ きこえる
はなしかけてみよう ゆうきをだして
きみのとなりにすわってさ ♪




かぁさんはどこで聞きつけたのか・・ある日の夕方。
わたくしが託児所にたどり着くと玄関の前に待っていました。
嬉しそうに笑ってわたくしを見る息子殿の手をひいて・・・



何事もなかったみたいに
”お疲れさん・・(笑)”って!




あの時のふたりの笑顔にはほんとに救われました。  
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2006年03月03日

ひょっこりひょうたん島

わたくしの生まれた町は長崎県の壱岐という島です
実父の故郷でも(実家)あります。
わたくしが2歳半の頃にかぁさんはそこでの暮らしに
耐えかねてわたくしを連れて逃げ出したそうです。
だからわたくしの記憶には幼い頃の想い出は島にありません。



高校1年の時ですから30年前になりますか・・
年に1〜2度は愛人さんと暮らす実父に会っていて
突然に実父が壱岐に行こうと言い出しました。
さすがに愛人さんは同行を拒否して・・・
ふたりで出かけることになりました。




なみをチャプチャプ チャプチャプかきわけて
くもをスイスイ   スイスイおいぬいて
ひょうたんじまは  どこへゆく
ぼくらをのせて   どこへゆく  ♪
 (速水けんたろう 唄  ひょっこりひょうたん島)




選曲とは違ってしまいますが福岡空港から飛行機でした。
わたくしは船に弱いものですから・・・
プロペラの小さな飛行機です。
飛行時間なんてわずか20分程度で窓の下に 
唐津の虹ノ松原 が模型のように見えてきたかと思ったら
もう着陸の準備に・・って感じだった気がします。



生まれ故郷だというのに何の想い出も記憶もない、
そんなわたくしのために実父がタクシーを借り切って
壱岐一周の観光をしてくれたのです。
実父は日頃がおかかえ運転手さん付きだったらしく
車の免許を持ちませんでした。



芦辺、勝本、郷ノ浦、石田の4つの町。
確か一周したところで寄り道しなければ2時間もかからない
そんな小さな島です。
今はわかりませんがあの頃は信号さえほとんどありませんでした。



展望台や猿岩。
展望台からは天気がよかったのではるか向こうにはあちらの国が・


かぁさんがよく言ってました。

"お父さんは3年に1度ものをいえばいい方っていうくらい
口数が少なくて声をかけても忘れた頃に返事が返って来るよ”




確かにそんなひとでしたがこの時ばかりは頑張ってくれました。
一生懸命に何か説明をしています。
わたくしの顔を覗き込んで聞いていることを確認したり・・
その度にわたくしはドキッとしました。


実父にとってわたくしはわが子のなにものでもないでしょうけど
ずっと一緒に生活していないわたくしにとってはどうしても
単なる中年のしかもいい男・・なのです。



途中に食事休憩で立ち寄った温泉宿では
お酒なんて一滴も飲めない実父です。


まだ高校生のわたくしにビールをついで言葉なく
ただニコッと笑って自分の空のグラスを
”乾杯!”ってふうに差し出した。


実はわたくしはかぁさんの母親のばぁちゃんに
小さな頃から鍛えられていたので飲めば強いのです。
いっきに飲みほして見せたら何だか嬉しそうでした。


後で思ったことですが出来たらわたくしが男で
いつか親子で乾杯するのが実父の夢だったのではないか・・と
そのくせ自分は一滴も飲めない。
粕漬け食べるだけで顔は真っ赤になるひとでしたが・・・


わたくしと実父の最初で最期のふたりの時間になりました。 




まるいちきゅうの すいへいせんに
なにかがきっと  まっている
くるしいことも   あるだろさ
かなしいことも  あるだろさ
だけどぼくらは  くじけない
なくのはいやだ  わらっちゃお♪
  
Posted by net_i5750 at 23:59Comments(88)TrackBack(0)

2006年03月02日

見上げてごらん夜の星を

大分県日田市の川に湧き出た。天瀬温泉
初めて行ったのは20年ほど前のこと。
その当時に勤めていた喫茶店のママとひとりのお客様。
お客様は男性でしたが・・まぁ安全なひと。
雪のちらつく冬の夜でした。

高速を途中まで飛ばしても2時間近くの道のりで
店じまいしてからのことですのでたどり着いたのは
すでに夜もだいぶ更けていました。
玖珠川沿いに湧き出たのどかな温泉地は
やっぱり昼間よりも夜の方が一段と旅情を増します。
(その後、何度か泊まりがけででかけましたが・・)
しかも雪の夜・・・
川を渡したいくつかの古い橋が何とも味わいのある雰囲気です。



見上げてごらん夜の星を
小さな星の小さな光が
ささやかな幸せをうたってる♪
 (坂本九  唄  見上げてごらん夜の星を)


川岸にあちこちに露天風呂があって
料金箱(缶)に100円玉を入れるといつでも入れます。
(入れなくても入れるでしょうが入れてくださいね)

湯気ではっきりとまわりが見えないことをいいことに
わたくしたちは混浴です。
他にも数人の友達同士らしい若者もやって来ました。
露天風呂に身をゆだねながら見る夜空。
心の目にうつる星はまるで光る金平糖です。
この世の天国ってこういうことなんだって思いながら
ぼんやりと見上げていました。
まるでそこだけが時間が止まってしまったみたいです。


♪ 
見上げてごらん夜の星を
ボクラのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる ♪


数年後、忘れられずに彼とふたりで行きました。
止まってしまって欲しい時間でしたが
もちろん止まることなく確実に時間は流れています。
  
Posted by net_i5750 at 22:00Comments(88)TrackBack(0)