2006年04月30日

となりの町のお嬢さん 

となりの町のお嬢さんも4日目に入りました。
初めて読まれる方は4月27日の記事から順に読んでください。



心もお腹も大満足になったわたくしたちは吉宗を後にして
長崎浜の町アーケード街周辺の散策を楽しむことにしました。


佐賀市街のアーケード街と言えば大型のショッピングモールの
出店の影響をもろに受けて閉店が相次ぎ空き店舗が多発し
シャッターがおりたままの寂しい光景が続いていますが・・・
浜の町は違っていました。
歩いているわたくしたちにも元気をくれました。



何しろバラバラなわたくしたちです。
目を離すと誰が何処に入り込むやらわからないので
出来るだけ自分の世界に没頭することがないように気をつけながら
・・・と言いながらつい興味あるものを見つけると^^


基本的な好みはなぜか4人共似ているのでそこは助かりました。
気がつくとアンティーク系、古美術のお店にばかり目がいってました。
ここでのわたくしの記念の品物になってるのは小さな水晶のネックレス。
毎年この季節になると活躍します。





となりの町のお嬢さんに
僕は心もささげたい
忘れることは出来ないよ♪
 (吉田拓郎  唄  となりの町のお嬢さん)




次はYさんの希望で長崎西洋館へ行ってみることになりました。
今度はタクシーでの移動です。


実はこの長崎西洋館という名前をYさんはど忘れしてしまって
なかなか思い出せなかったものですから
タクシーを一旦端に停めてもらって慌てて娘さんに電話をかけて・・
何とか問題解決となりました。


行く先のわからないお客を乗せた時ほど困ることはないでしょうね。
運転手さん・・・ごめんなさい!
でも嫌な顔ひとつされませんでした。
感謝です。



たどり着いた長崎西洋館はヨーロッパ風の外観で
見ただけで心躍る気分でした。
大きな宝箱を見つけたって想いです。


うきうきして建物の中に入るとまた想像以上のテナントの充実に
どこから手をつけようかと迷うほどでした。
喫茶店の彼女なんて言うまでもなく子供にかえっています。
気持ちを冷静に戻すためにとりあえずお茶でもってことになりました。


ところがそのカフェもアンティーク物を展示即売してる中にあって
お茶しながらも心は視界に嫌でも入ってくる雑貨や家具に動き
落ち着いて飲んでいられないというのが正直なところでした。


ほんとに嬉しそうに目を輝かせて好きなものを物色する彼女等。
その姿を見ていると連れて来てよかったとほっとしました。
ただひとつの心残りは最後の最後までどうしようかと迷って
結局は買ってこなかったアンティークの黒のタイプライター。
使おうと思えば使用可能で・・でも使うことはまずなくて
部屋の飾り物になってしまうだけでしょうけれど
とてもおしゃれで気になって仕方ありませんでした。


西洋館で買った記念の品物はガレ風のスタンド。
なかなか灯りをつけることはありませんが
しっかりとわたくしの部屋に存在しています。



もちろんお嬢様ママさんはいっぱいのお買い物で
喫茶店をしているということもあるので
お店で使える物やインテリアに出来る物。
収穫は大でご機嫌なようでした。




好きになっちまったんだョ
ステキな君は町の人だ
いつか帰ると知ってるさ ♪




浜の町アーケード街。
長崎西洋館。
来て・・見て・・触って・・確かめて・・(富士通のCM ?)
見るだけも大好きで買えたらなおさら嬉しいおばさん4人の1日も
あっという間に夕方の時間になりました。



馬車がかぼちゃに変わらないうちに・・・
そんな現実が頭をかすめるのを止められません。



             つづく  

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2006年04月29日

となりの町のお嬢さん 

前日、前々日の記事の続きです。
まだ読んでない方は先にそちらを読んでください。



お昼時に無事に長崎市内に到着したわたくしたちは
そろって頭の中の想いは決まっていました。
長崎で有名な吉宗の茶碗蒸しを食べることです。


そのためにはアーケード街まで出る必要があり
路面電車か路線バスかと迷ってるといい具合に路線バスがやって来て
わたくしたちは慌てて飛び乗りました。



後ろのドアから乗車して整理券を発券機から受け取り
下車する時は整理券の番号で料金を掲示板で確認して支払い
前のドアから下車する・・・
佐賀の路線バスと同じ利用法の路線バスです。
座席は満席の状態でわたくしたちは立っていました。





となりの町のお嬢さんが
僕の故郷へやって来た
都会の香りふりまいて
夢を見させてくれたんだ♪
 (吉田拓郎  唄  となりの町のお嬢さん)




実は喫茶店の彼女の路線バスデビューでした。
生まれて初めてだったのです。
路線バスに乗るってことが・・・・


彼女は幼いときからずっとどこへゆくにも送り迎えつきで
自転車に乗るようになってからは自転車通学。
車の免許を取ってからは自分の車で移動。
その話は以前から聞いていました。



☆ ママー・・整理券、整理券取って! (わたくし)


★ うん? どれー? どこー?    (ママ)


☆ そこそこ・・そこの機械・・あるやろ? (わたくし)


★ あ〜・・これね?・・わかった^^ (ママ)


☆ ひょっとしてほんとね?バス乗ったことなかと?
                     (わたくし)


★ そうよ・・・          (ママ)


◇ そがんさー このひとお嬢さんやけん (Tさん)


☆ はぁ〜ん・・・        (わたくし)




運転手さんはこの会話をしっかり聞いていたのでしょう。
すかさずマイクでまるで子供に言い聞かせるような
丁寧でやさしい口調で路線バスの利用法を説明してくれました。


他の乗客のみなさんの珍しいものを見るような目を思い出すと
今でもなんだか笑えてくるわたくしです。
そしてあの運転手さんの温かさも忘れません。




初めて知った口紅の味
僕の胸ははりさけそう
月夜の晩にさそわれて
大人になると決めたんだ♪




バスを下車して市街地につきアーケード街を目指して歩きました。
小さな町なのに郊外に大きなショッピングモールを
必要以上に作って市街地の商店街やアーケード街をダメにした佐賀。
人通りなんてまだらで寂し過ぎる佐賀の市街地に比べたら
驚くほどの人の多さに心はうきうきしてそれだけで楽しくなりました。



そんな中でちょとだけ路地に入ったようなところに
古い佇まいで歴史の長さを想わせる雰囲気の「吉宗」がありました。
料亭のような・・・旅館のような感じで玄関で靴を脱いで上がり
2階の大広間に案内されました。


お昼時だったのもありますが部屋いっぱいのたくさんのお客様。
人気の高さが一目でわかります。



夢にまで見た吉宗の茶碗蒸し、蒸し寿司、豚の角煮。
テーブルに運ばれてやっと目の前にしたあの瞬間の
わたくしたちの満足の笑み・・・
記憶というカメラのシャッターを押しました。



補足(血液型)
喫茶店の彼女  A
   T さん  O
   Y さん  AB
わたくし    B


          つづく  
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2006年04月28日

となりの町のお嬢さん 

始めに・・・
続きものになっていますので前日の記事を読んでない方は
先にそちらを読んでください。



4人のおばさんの長崎日帰りの旅珍道中を計画してから
2週間後くらいでしたか・・・ついに決行されました。
運転手はわたくしです。
高速を利用して片道2時間半の長崎への道のりです。
午前9時を出発の時間に設定して彼女のお店。
喫茶店の前に集合としました。




となりの町のお嬢さんに
僕は心もささげたい
忘れることはできないよ♪
 (吉田拓郎  唄  となりの町のお嬢さん)



佐賀大和インターより長崎自動車道に入り走行ほぼ40分?
わたくしは当然、安全運転ですのでスピード違反はいたしません。
右手に大村湾の青い海の景色が広がってきます。
(彼女の2人の同級生の名前をTさんとYさんにします)
それはそれは綺麗な景色でどんどん彼女等のテンションも上がります。



助手席には喫茶店の彼女。
後ろの座席にはTさんとYさんです。
ちなみにわたくしたち4人はみんなそれぞれ血液型がバラバラ・・
まわりから観察すると会話が勝手に宙を飛び一方通行になっていて
聞いているととても面白いそうです。


そのうち誰かが叫びます。

★ ちょっとー ちゃんと聞いてよ〜!



長崎への道のりのお決まりの休憩場所は見晴らしのいい
長崎大村サービスエリアです。
海に向かって立ち・・大きく背伸びして深呼吸して心を入れ替えます。
ほんの少しだけど公園風にしてある敷地内だけは
南国って感じの植樹がしてあってわたくしは気に入っています。



そしてみんなが忘れてはいない本能の食い気。
めざとくソフトクリームのあの置物を見つけてさっそく駆け寄る。
そんな時の顔がきっといちばん嬉しそうかもしれません。
一息ついて・・・またいざ出発ー!





ステキナな君は町の人だ
いつか帰ると知ってるさ
切符を二枚買っちまえばいい
二人で恋の汽車ポッポ  ♪




とりあえずの目的地到着。
グラバー邸やオランダ坂もすぐ近くにあり・・・
わたくしが長崎に一泊する時にお世話になる長崎ビューホテル
斜め前にある海辺の大きな市営の駐車場に車を預けて
後は路線バスや路面電車、タクシーを利用するって計画。
4人のおばさんの短く・・長いドタバタな一日が始まりました。


        つづく  
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2006年04月27日

となりの町のお嬢さん

この時期の長崎の想い出をまたひとつ・・・
4〜5年前になると思います。
1月10日の記事であした天気になれで書いたのですが
とんでもなくくじ運のいい知り合い・・との想い出です。




となりの町のお嬢さんが
僕の故郷へやって来た
都会の香りをふりまいて
夢を見させてくれたんだ♪
 (吉田拓郎  唄  となりの町のお嬢さん)




その頃までは過去10年近くこの時期に毎年わたくしは
一泊で長崎へ出かけていました。
もちろん、この年もいつものように長崎へ行き・・
おみやげを抱えてくじ運のいい知り合いの待つ店へ戻りました。



くじ運のいい知り合い・・・
彼女はとある喫茶店のママです。
確か昭和24年生まれだったと思いますので56か57歳のはずです。
昔からお世話になっているある社長さんの紹介で彼女のお店へ行き
あまりにわたくしの亡きかぁさんに似ていたので驚きました。



長い黒い髪をひとつに束ねて化粧もせずにカウンターの中にいます。
それでもちっとも違和感を感じさせない美人です。
かあぁさんは育ちのわりには方言を基本的に使わないで
標準語をとてもきれいに話すひとでしたが
彼女は名実ともにお嬢様で同じようにきれいな標準語です。



年令的にには立派な大人の女性でありながら
どこか少女のような純でかわいいとこのある彼女に
わたくしは会うたびに惹かれていくのを感じました。
もちろん、わたくしは女ですので変な意味ではありませんよ^^



お店もわたくし好みです。
彼女の趣味でもあるヨーロッパアンティークの家具や小物。
作家物のコーヒーカップの数々。
間接照明のムードあるステンドライトもいくつもあって
つい時間を忘れて浸ってしまうほどです。



彼女はわたくしが買ってきたおみやげにはしゃいで
自分も長崎へ行きたいと言い出しました。
彼女と知り合ってから毎年わたくしのおみやげを待つだけなので
きっと子供みたいに心がうずうずしてきたのでしょう。





月夜の晩にさそわれて
大人になると決めたんだ
長い髪は夜霧にぬれて
青い月が可愛い女の
エクボの上でゆれてるよ♪




・・・で彼女の同級生というお友だち二人も加わって
4人のおばさんの長崎への日帰りの旅珍道中が計画されました。


                     つづく  
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2006年04月26日

青い星と君の言葉

21年前・・・
勤め先の社長がわたくしに投げるように
なのにとても愛情深い目でわたくしを見て言った一言。
今でも忘れられず教訓として支えにしている言葉があります。



流れた涙の数だけ強くなんてなれやしなかったけれど
切ない気持ちを勇気に変えたのは青い星と君の言葉でした♪
 (THE STAND UP  唄  青い星と君の言葉)



”○○ちゃん 働ける時に精一杯働いて・・・
 稼げるだけ稼げよー 金がある時に男に裏切られるのと
 金がない時に裏切られるのとは絶対気持ちが違うからな
                    がんばれよ!”

まだまだ若かったしどんなに寝不足しても身体は平気だったけれど
少しばかり心が疲れていた・・そんな状態の時だったので
まるで見通したような言葉に驚いてそれでもとても嬉しかった。
ただその時のわたくしにはその言葉の重みがまだわかりませんでした。

つくづくそうだと感じるまでにはそう時間はかかりませんでした。
裏切られるって表現とはまた違いますがちょっとした原因の
些細な痴話げんかでの不安な気持ちも・・・
会えない時間のひとりのさびしさも・・・・
お金がある時とない時では乗り越えられる精神的な力が違うこと。

”がんばれよ!”

頑張っていてよかったとあの言葉に感謝しました。



どこからか聞こえてくるメッセージ静かにその声を聞いた
その時初めて分かる事がある何一つ無駄なことはないんだ♪



これまでめぐり合ったひとたちに数知れずいただいた
忘れられない「言葉、一言」があります。

果たしてこのわたくしは誰かの心に残る「言葉」を
かけてあげたことってあったのでしょうか?
ふと・・・思ってしまいました。  
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2006年04月25日

記憶

わたくしの小学校の時の修学旅行は長崎への日帰り。
32年ほど前のこの時期でした。
今は同じ長崎への一泊旅行になっているそうです。



今でも君に話しかけるよ 迷ったりとても寂しいときに
必ず君は答えてくれる
いつもいつもいつもいつも君らしく暖かく     ♪
 (さだまさし  唄  記憶)



以前の記事の長崎の空でも書きましたが
長崎市はわたくしの大好きな街のひとつです。
おそらくわたくしの記憶ではこの就学旅行が長崎市・・初でした。



広島と同じ長崎も原爆被災地ということで
平和公園長崎原爆資料館など子供のわたくしにはなおさら
目を塞ぎたくなるような場所もありましたが
どこか異国に来た気分にさせてくれる不思議な街で
何度出かけてもまた行きたくなるそんな街になりました。



わたくしの記事に度々登場する親子ごっこのお相手。
ママに教えられて覚えてしまった日帰りバスツアーの楽しさ。
春一番という3月15日の記事にそのひとつを書いていますが・・
この楽しさは大人版の日帰り修学旅行といった感じで
わたくしをやみつきにさせてるんじゃないかと思えるのです。





時おり忘れてしまいそうだ やさしい君の声の響きを
それほど夢のように時は過ぎる
あっという間に僕もこんなに歳を取ってしまったよ ♪




オランダ坂グラバー園に続くあの坂道・・・
飽きることなく繰り返し何度歩いたでしょう。
上りきったところでふり返り眺める海が一番の癒やしなのです。



大人になっての長崎への旅もなぜかいつもこの時期です。
必ず出会う修学旅行のバスや子供たち一行を見ると
自分の修学旅行の思い出が鮮明によみがえって来ます。



買ったおみやげがカステラではなく「長崎の女」ってお菓子だったこと。
かぁさんには今思えば変に派手なブローチを選んで買ったこと。
原爆資料館で戦争の恐ろしさを初めて痛感させられて
自分がどれだけ幸せなのかと真面目に考えたこと。



間違いなく純粋でまっすぐなわたくしだったこと・・・





どんなに時が過ぎてゆこうと
花は咲き続ける またいつか春が巡る限り♪  
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2006年04月24日

忘れてた思い出のように

この時期、わたくしが子供の頃を過ごした町の
一番近い山の頂上には竹の古場公園という場所があり
つつじのお花見でとてもにぎわっていました。



麓の方から車で行けば30分ほどでたどり着く距離でした。
小学校の秋の遠足ではそれを2〜3時間かけて
みんなで歩いて行ったのです。




ありがとう いつも いつも
二人のどんな小さなことも
君に出会ってからの
すべてのことに 心をこめて
いつも ありがとう   ♪
 (小田和正  唄  忘れてた思い出のように)




あの距離を子供の足で・・・?
ふと自分の記憶に疑問を感じてこの記事を書く前に
その小学校に問い合わせたら昔は確かに行っていて
今はもうやめているそうです。


今の子供と昔の子供の体力の差が原因かなと想像したのですが
最大の理由は授業日数、授業時間の調整の問題だそうで
わりと近場に出かける春の歓迎遠足を残して
秋の遠足がとりやめになったとのことで
わたくしの思い出のひとつが消されてしまったようで
少しばかりさびしくなりました。


遠足の出発はもちろん学校の校庭に集まりみんなで
きれいに列を作って歩き始めた。
かぁさんに作ってもらったお弁当と金額を指定されて買ったおやつ。
たどり着いたら見晴らしのいい展望台のそばで
陣取ってひろげるのを楽しみに張り切って歩いた。


展望台付近の高台から見える景色は棚田ばかりの田舎の風情。
今でもあるのでしょうか?
炭鉱町でもあったので作業員さんたちの住む長屋が
いくつも建ち並ぶ一角もありました。
その炭鉱もわたくしが小学3年か4年の頃に廃止になったのか
1〜2年の時は12あったクラスも4つに減りました。
住人をなくした長屋・・・
廃屋になっても当時はそのままありました。


今ではとても考えられないことですが遠足の帰りは
学校まで戻るのではなく帰りながら自由解散。
自分のうちの近くを通ったら


”バイバイー!”・・・なんて


たまたまそばを歩いてる友達か先生に声をかけて
帰りやすい道を勝手に選んで別れていきます。
今だったらどんな事件に巻き込まれるかわからない時代ですから
絶対に学校も許してくれない行動だと思いますが・・・




君がくれた形のないもの
どうすれば君に返せるんだろう
僕にいつか見つけられるか
君が幸せになれること  ♪




”町はもうずいぶん変わっていますよ
学校もこの辺では一番きれいな学校になりました
      よかったらいつか見に来てください"


嬉しいお誘いの言葉を先生からいただきました。



思い出さがしの旅・・
是非、いつか出かけたいものです。
  
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2006年04月23日

旅の途中

更新、遅れてしまいましてごめんなさい。
最近はちょいちょいやってしまっていましたが
今回ははしっかり夜が明けてしまいました。



実は以前からカイロとスポーツマッサージの勉強をしていて
2月で無事にそれが修了しましたので先月より
副業としてぼちぼちフリーでお仕事をさせてもらっています。



ゆうべはこれから記事の更新をと考えていた午後10時半。
佐賀古湯温泉の旅館清川からの電話でお仕事の依頼。
市街地から車で30分ほどの距離にある山あいの温泉地です。





君はやって来た あの坂道を
駆けのぼってやってきた
どうでもいいはずの小さい思い出を
拾い集めたりしながら    ♪
 (スピッツ  唄  旅の途中)




旅館清川は古湯の町に入って間もなく右に下り坂を曲がり
川を渡した小さな赤い橋の向こう。
高台に佇むこじんまりした趣のある家庭的な旅館です。



ここのご夫婦とはわたくしの本業の方で
お客様の友だちの輪でたぐりあえたという感じです。
わたくしを含めて3人は同じ年令ということもあって
いつの間にか古い友だちのような関係になりました。
実際のお付き合いは10年ほどになります。



さっそく清川へ駆けつけ月に2度は宿泊される常連のお客様。
そのお客様とお連れの方、計3名をこなしました。
昼間のゴルフ疲れでかたくなった体をほぐして
楽になったと喜んでいただけるのがわたくしの喜びでもあります。
そしてこの清川の若夫婦の役にたてるのももちろんのことです。



本業の方でもなぜかわたくしはお客様から

”ありがとう”とか・・・

”あんたには世話になってるから”なんて言葉をいただきます。

ほんとならわたくしがお客様に言わなければならない言葉なのに。
いつだって先に言われて拍子ぬけしてしまうのです。
今回もそうでした。



正気な言葉をポケットに入れて
たまにふり返る旅の途中

君はやって来た あの坂道を
駆けのぼって やって来た ♪



いつもなら早めに連絡してくれるのですが
ゆうべは急に遅い時間の依頼だったのでずいぶん気にして
おかみさんはわたくしに”ごめんね”の連発でした。



結局は終わっても晩酌してほろ酔い加減になってる旦那さんと
真ん中の二十歳の娘さん(3人の娘さんがいるので)と加わって
4人で今後の旅館についてや娘さんの将来の話なんかに花が咲いて
気がつくと明け方だったのでした。


さすがに酔って調子に乗った旦那さんの

”泊まっていかんかぁー 3人で川の字で寝ろー”

このお誘いは無視して帰らせてもらいました(笑



わたくしにとってお客様はありがたい・・ありがたいひとたちです。
お世話になっているのはわたくしの方なのです。  
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2006年04月21日

希望

2005年4月25日JR宝塚線の脱線事故
この事故による被害者の方々の残された遺族。
そのいくつかの家族の想いをドラマ形式にして
今・・・テレビ放送されています。



希望という名のあなたをたずねて
遠い国へとまた汽車にのる  ♪
 (岸洋子 唄  希望)



いろんなひとたちのたくさんの希望と未来を乗せて
走っているのだと信じたい列車によって
なぜか絶たれてしまった希望と未来。
そして残された遺族に与えてしまった悲しみと絶望。

なぜ・・・・?

今でも疑問は解決されないままだそうです。

それぞれに大切な生活があり・・・
それぞれに大切なひとがいて・・・
それぞれに大切な夢を持って生きていたはずなのです。

ある遺族の方の言葉です。
”明日はない・・すべては今日しかないのだと教えられました”

突然に何の心の準備もなく妻を・・母親を亡くされた家族の
何だか哀しく辛い悟りのように聞こえて切なくなりました。



希望という名の あなたのあの唄
そうよあなたに また逢うために
あたしの旅は いままた始まる ♪


でもあれから一年足らずの間もどんなに辛くとも時間は流れ
きっと立ち止まっていることなんて許されなかったのです。
生きて・・生活していかなければならないのですから・・・

そのなんと言いようのない心のもがきの中から
見出した答えは亡くなったひとの残した想いを引き継いで
残された自分たちの想いとして貫いてゆくということのようです。

この答えがひとつの目標になって涙で濡れた遺族の方の瞳が
また希望の光でキラリと光った気がしたのですが・・・・?  
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平和の琉歌

息子殿が確か8歳の頃で16年ほど前になります。
夏休みの課題のひとつである作文を書く題材にしたいと
彼の希望で広島へゆくことになりました。
原爆資料館とかを見たいとのことでした。




この国が平和だと
誰が決めたの?
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下
夢も見ました
民を見捨てた戦争の果てに♪
 (サザンオールスターズ  唄 平和の琉歌)



とても健康とは言えないどこかやつれぎみのかぁさんでしたが
まだ癌に蝕まれてるとは思ってもいなかったかぁさんと
かぁさんの連れ合い(再婚相手)のおじさん。
(未だにおじさんとしか呼べないわたくしです)
4人で出かけた広島への旅でした。

彼は(息子殿)は祖母であるかぁさんをママと呼び
おじさんのことをパパと呼んでいました。
わたくしが元夫のもとを出てからずっと彼のことを
面倒見てくれていたふたりです。
事情を知らないひとの目から見るとかぁさんとおじさんが
彼の両親でわたくしはちょっと年の離れた姉のようでした。

彼の要望である原爆に関する資料館や平和公園を
一通り見てまわりながらわたくしは思い出していました。
かぁさんもまだ若く、わたくしはまだ子供だった頃。
かぁさんとふたりで広島へ来た時のことをです。
わたくしの口癖だった・・・

”ねぇ〜 どっか行こうー ねぇ〜!”

かぁさんがそれに応えてくれた広島でした。
わたくしが大好きだった西城秀樹の出身地だということで
秀樹の足跡をたどる旅を計画してくれたのです。

あの時のかぁさんの背中とこの時のかぁさんの背中を
無意識に心の目で重ねて見ている自分がいました。
小柄ながらも元気に満ち溢れていたあの時と
あきらかに変わり果てた空元気のこの時と・・・

わたくしにとってそんなかぁさんの命を奪った癌というものは
長崎、広島を襲った憎い原爆のようだと思います。




蒼いお月様が泣いております
未だ終わらぬ過去があります

愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ人々へ
いつか花咲く その日まで ♪


なんとか元気と思えるかぁさんとの旅行はこれが最後でした。
帰り道に立ち寄った宮島で鹿を見てはしゃぐ息子殿の姿に
嬉しそうに微笑むかぁさんが思い出されます。  
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2006年04月19日

たどり着いたらいつも雨ふり

以前の記事”旅の宿”にも書きましたが
わたくしは5月生まれで誕生日のお祝いをかねて
元彼と数年に渡って連休をはずした前後に
熊本の阿蘇と宮崎の高千穂峡への旅に出かけていた、
20代のある時期がありました。




いつかはどこかへ落ち着こうと
心の置き場を探すだけ
たどりついたらいつも雨ふり ♪
(吉田拓郎  唄 たどり着いたらいつも雨ふり)



2泊3日か3泊4日の旅の間に必ず降る雨。
しかもどしゃぶりに近い雨にもいつしか慣れました。
もちろん阿蘇も大好きですがどちらかと言えば地味でしなびた感じの
宮崎の高千穂の町はわたくしのお気に入りでした。

高千穂峡の真名井の滝周辺を水しぶきを浴びながら
ボートを漕いでもらったひととき。

人影もまだらな夜の町を旅館の下駄をならしながら
あてもなく今にも降ってきそうな星を見上げて歩いた。

ここにいる限り時間が止まってしまいそうな錯覚を感じる、
高千穂の町は日本むかしばなしの似合いそうな町でした。



♪ 
心の中に傘をさして
はだしで歩いてる自分が見える
人の言葉が右の耳から
左の耳へと通りすぎる  ♪


宿のおかみさんたちも飾らない普通のおばさんで
きれいな空気とどこからともなく聞こえてくる、
穏やかな水の音が心地よくて
ずっと眠らずにいたいくらいだったのに
いつだっていつの間にか眠ってしまっていて
目覚めた朝は少しばかり寂しかったわたくしでした。


あれから17年の月日が流れていますが
あの町は姿を変えたのでしょうか?
それともあの頃と変わらぬ趣でいてくれているのでしょうか?  
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五月の晴れた空

この時期から5月にかけて九州の嵐山と言われる、
佐賀川上峡では川面に鯉のぼりが泳いでいます。
その数は約600匹とのことです。

この土地で生活するようになって初めての4月。
噂を聞いてお馴染みになっていたタクシーの運転手さんに
案内してもらいました。
市街地から車で20分ほどの距離にあります。
その頃は自分の車を持っていませんでしたので・・・



五月のざわめく緑が
陽ざしを浴びてゆれている
涙もかわかないうちに
あの子は今日も歩き出す ♪
 (岡村孝子  唄  五月の晴れた空)



昼間見た光景さえ、わたくしは感動してしまいましたが
あまりにわたくしが喜んだので後日にタクシーの彼が
業務終了後にプライベートで夜の川上峡。
月の灯りに照らされた鯉のぼりたちを見せてくれた時は
思わず感嘆の声をあげました。

彼はわたくしが当時勤めていたスナックのお客様で
どこかわたくしと顔立ちが似通っているということで
ふたりは従兄妹同士なんだと他のお客様や
彼のまわりのひとたちをを騙してもらいました。
そうすれば下手にわたくしを誘うひとがいなくなるからです。
田舎の飲み屋さんてそんなものなのです。
今でもそのままで通していますのでわたくしは彼を
「兄ちゃん」と呼んでいます。
「兄ちゃん」にはだいぶ助けられました。

彼は今は運送会社、トラックの運転手さんで
そう言えば仕事の話で電話で話をするだけで数年会っていません。
この季節になると鯉のぼりの風景と共に思い出すひとです。




繰り返す波のように
どんなことがあっても
正直に歩いていく
そんな生き方 誰より好きだから♪



川上川の水はとてもきれいで川魚もたくさん生きていました。
(・・・いました・・ってしたのは最近は川まで覗いてないので)
何という魚なのかわたくしは覚えていないのですが
それを獲って帰り素揚げにしてもらって
(自分では出来ないのです。生きた魚をさばいたり料理するの・・)
昼間に勤めてた喫茶店でみんなで食べたことがあります。
あの時はまるで子供ににかえってジーンズの裾をまくりあげ
それでも水びたしになりながら頑張りました。
鯉以外は川魚が苦手なわたくしも獲れたて揚げたてのせいか
抵抗なく・・しかもおいしく食べられたのが不思議でした。


佐賀川上峡の鯉のぼり。
きっと今夜もあの川面に風になびいて泳いでいるでしょう。
あの頃のわたくしみたいなどこか人恋しい誰かさんに
元気を分けてあげるために力強く泳いでいるでしょう。

あなたに元気をもらったわたくしはここにいます。  
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2006年04月17日

青春の坂道

青春と呼ぶにはまだ早い・・小学校の高学年の時期に
わたくしが住んでいた借家は山あいの田舎で
急な坂を登りきった所にありました。
藁葺き屋根のそれ以前に住んでいた家よりも
また一段と古い家でした。

元気盛りのわたくしでさえたどり着く頃には息切れ状態。
毎日の歩いての通学はまるでトレーニングのようでした。
そのおかげかここにいる2年ほどの間に
50メートル走は2秒近く速くなりました。




青春は長い坂道を登るようです
誰でも息を切らして一人立ち止まる
そんな君の手のやさしさに包まれて
気持ちよく泣けたなら幸せでしょうね♪
 (岡田奈々  唄  青春の坂道)




わたくしの家の横の坂道を降りきって・・
まわりは田畑だらけの長閑な風景の中、
左方向に少しだけ平坦な道を歩くとまたひとつ急な坂。
その坂の入り口付近に同級生の女の子の家がありました。

活発で明るい彼女の家にはいつも数人の友だちが集まって
将棋の山崩しって遊びで盛り上がってたのを思い出します。
何しろ今時のテレビゲームなんてものはありませんから・・・
後はゴム跳び、縄跳び・・etc
いかにも健康的な遊びだった気がします。

彼女の家にあるものでまわりにはあまりなかった物。
もちろんわたくしの家にもなかった羨ましい物は
当時の電話の「磁石式電話」でした。
受話器をあげて電話機の横についてるハンドルを回すと
交換手のひとが出て・・かけたい相手先の番号を伝えると
取り次いでくれるシステムになってる電話でした。




言葉に出せない愛も心には通ってた
同じ道もう一度歩きませんか  ♪



あの頃はずいぶんとかぁさんにねだって困らせたものでした。
結局、わたくしの家に電話という物がついたのは
交換手の必要のない黒電話で高校生になってからでした。
それまでは近所で電話を持ってらっしゃるお宅に甘えて
取り次いでもらう日常だったのです。
ご近所さん・・さまさまでした。

今では携帯電話が必需品。
こんな世の中が来るなんて思いもしませんでした。
その分、どこか愛が薄れたような気がするのはわたくしだけ?



青春は長い坂道を登るようです
誰かの強い胸にしがみつきたいの♪  
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2006年04月16日

さすらい

息子殿が高校の頃だから8年は前のことでしょう。
一度だけ一緒にカラオケに行ったことがありました。
建築屋の元彼からの関連で付き合いがあり
息子殿が”兄ちゃん”と呼んで慕っていた大工さんと3人。
場所は当時わたくしが住んでいたとこから車で一時間。
わたくしの同級生が夫婦でやってるカラオケボックスでした。

大工さんはわたしたちふたりより3つ上で
彼女に「ほの字」でしたががすでに彼女は人の妻。
大工さんの片想いが始まりました。




さすらおう この世界中を
ころがり続けてうたうよ 旅路の歌を♪
 (奥田民生  唄  さすらい)



この曲はその時に息子殿が唄った歌のひとつです。
息子殿とは過去の記事にも何度か書きましたが
わたくしがバツイチになって彼がまだ幼い2歳半から
わたくしのかぁさんに託していましたので
ずっと一緒には暮らしていないのでしたが
学校の行事がある時や彼の学校が休みで尚且つ部活が休みの時に
こうしてたまに会っていました。

自慢ではないですがわたくしは音痴で
中州でカラオケ専門パブで働いた時に唄いすぎて熱が出たほど
あるひとに鍛えられてなんとか人並みになったほどです。
元夫もわたくしに輪をかけて下手だったはずです。
でもなぜか彼は鍛えられたわたくしを超えていたので
思わず聞き入ってしまったほどでした。
そのカラオケ専門パブの話を過去の記事の”オカマちゃん”
書いていますので見てください。10月8日の記事です。

そして彼がどんな曲に興味を持ちどんな曲を唄うのか
その時に初めて知って何だか嬉しくなりました。
単純なわたくしです。

逆に彼もわたくしが唄う姿を初めて見て聞いているので
とても興味があるようでした。
時々

”おー!(笑)”なんて感嘆の声をあげて笑っていました。



♪ 
さすらいの 道の途中で
会いたくなったらうたうよ 昔の歌を

・・・・・・・・・・

さすらいもしないでこのまま死なねえぞ
             さすらおう♪



ちなみに彼がその時に一番驚いた・・わたくしが唄った曲は
尾崎豊の「存在」でした。  
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2006年04月15日

色づく街

博多、中洲の夕暮れから夜にかけての街が好きでした。
わたくしが過ごした頃まではまだ景気もよくて
人通りもたくさんでとても毎晩賑わっていました。




街は色づくのに
会いたい人はこない
母に甘えて打ち明けるには
あー少し大人過ぎるみたい♪
 (南沙織  唄  色づく街)




ひとり暮らしのさびしさと心細さを忘れさせてくれる、
魔法のような雰囲気と温かさがあの街のネオンにはありました。
この頃の生活の一部を”故郷未だ忘れ難く”って
2月28日の記事に書いていますので読んでください。



何とか住む場所は夜の勤めのクラブが
バーンス(前借り)って形で費用を立て替えて用意してくださって
とりあえずの毎日の生活費というか食べる分のお金も
一日、一日、給金の中から前渡ししてくださいました。


それでも最初のお給料を受け取るまではほんとに心細くて
なるだけ前渡ししてくださるお金に手をつけたくなかった。
田舎から出て来た新人ということでお客様が気を使って
おまけにお金も使って買ってくださったケーキやお寿司には
ほんとに助けられました。



中州の大通りの四つ角にあったロイヤルってケーキ屋さん。
その斜め向かい角にあった中華屋さんの中華ちまき。
名前は忘れましたが同じ道筋のお寿司屋さんの持ち帰り特巻き。
お客様の温情に支えられて過ごした日々でした。



わたくしのアパートは中州のメイン通りから歩いても5分程度。
ネオンに後ろ髪引かれる思いで待つ人のいない部屋へ帰っていました。
それが嫌ですぐに探したのです。
クラブの後に朝までのスナックのバイト。



あの頃のわたくしにとって歩きながらの酔っ払いさんの奇声も
どこかのお店の呼び込みのおじさんの掛け声も
なぜか、とても落ち着ける心地よいものでした。




街は色づくのに
あいたい人はこない
人のやさしさ人のぬくもり
あー通り過ぎてわかるものね♪



二年ほど前に天神から中州に向かう国体道路を歩いていたら
声をかけてきた男性がいました。

”彼女ー!”


振り返って男性の顔を見ると見覚えがありました。
呼び込みをしていたひとでした。

”覚えてると?”

”うん・・あんたは慌ててあっちの方に走って行きよったやろ?
                 ぜんぜん変わっとらんよ”

”はぁー! もう十数年て言わんくらいなるとよ 年とったさー”



彼はわたくしがクラブが終わって急いで次のスナックへ・・
走って移動する姿を見ていたらしいのでした。
すでにとっくに中州にはいないわたくしのことを
覚えていてくれるひとがいた・・・何だか感動でした。  
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2006年04月14日

激しい恋

わたくしの初恋は過去の記事の
”初恋”シリーズで告白しましたが・・高校の時。
少々、遅咲きの花といったところでした。

それはわたくしが男の子そのものに興味がなかったって
そういうわけでは決してありませんでした。
実は厳密に言うとそれまでのわたくしにとって
見ているだけでドキドキと嬉しくなる異性は
彼がデビューした当時からブラウン管の向こう側。
秀樹(西城秀樹)彼だけだったのです。




やめろと言われても 今では遅すぎた
激しい恋の風に 巻き込まれたら最後さ♪
 (西城秀樹  唄  激しい恋)



わたくしの部屋は天井も壁も彼のポスターが貼られ
四方からわたくしに微笑みかけてくれているようで
単純にそれだけで幸せを感じているわたくしでした。
当時は「平凡」や「明星」と言って
芸能人でもアイドルと持て囃されるひとたちの話題を
満載した週刊誌だったか月刊誌だったか・・・?
付録としてポスターが付いてきたりするので
楽しみに欠かさず購入したものでした。

お小遣いも出来るだけ他のことには使わずに
彼のレコードやその手の本を買うために使いました。
誕生日やクリスマスのかぁさんからのプレゼント。
成績が上がったりした時のご褒美なんかも
すべて彼に関するものにしてもらいました。

彼が”愛と誠”って映画で主演になった時は
かぁさんとふたりで見に行きました。
ずいぶんたってから聞いたのですがかぁさんもファンだったそうです。

ある時、かぁさんが叔母さんに言ってた言葉を
わたくしはしみじみと思い出します。

”あの子がヒデキ・・ヒデキってのぼせてる間が華よー
  手を差し出せばすぐにでも手がとどくみたいなさ
  生身のその辺の男に惚れでもしたら大変よ
  親は心配でいてもたってもいられんほどになる・・・”

まさにその通りでした。
わたくしがその生身の男に恋をすることを知ってから
かぁさんには心配のかけどうしでした。



切ない胸 夜はふける
これが恋の 仕打ちなのか
僕の人生を 狂わせるような
黒い黒い 瞳の誘惑   ♪


そういえば昨日の4月13日は彼(秀樹)の誕生日でした。
何歳になったのでしょう・・・?

  
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祈り

元夫とわたくしが付き合いだした頃の彼といえば
小さなガソリンスタンドに勤めていました。
少々彫りの深い茶色い瞳がハーフっぽいきれいな目で
今で言えばイケメンの彼でしたので職場の近くにある高校の
女子生徒の間では彼のファンクラブが密かにあったそうで・・?



お前が去ってくその前に
なぜに電話してくれなかったか
やさしすぎるお前のことだから
それが思いやりのつもりだったのか♪
 (長渕剛  唄  祈り)



ある日曜日のことです。
彼は仕事の関連で「危険物取り扱い」の検定試験のために
車で1時間半ばかりかかる町の高校へ行くことになりました。
せっかくの日曜日でしたから離れ離れでいることがしのびなく
わたくしも一緒に同行して彼が試験を受けてる間は
わたくしは車の中で待つという手はずで出かけました。

行き帰りの間・・・
そして試験中に待ってる間にカーステレオから流れていたのが
長渕剛さんの曲の数々でした。
とても寒い日でしかも予想以上に永く感じた待ってる時間。
何度も何度も繰り返して聞いていました。

今思えば、まだまだ子供で恋に恋をしている・・・
恐さ知らずで駆け引きも知らないまっすぐなわたくでした。
そんなわたくしの心の中は1日のすべてが彼で始まり彼で終わり
笑うことも・・泣くことも彼次第だったあの頃を
とても懐かしく何だかオレンジ色の夕暮れのイメージで
想い出されるのはどうしてでしょうか?

そして彼を想い出す時にはいつだって
ハンドルを握った彼の横顔ばかりです。
対向車のライトの明りか・・・反射して彼の目元を照らす。
わたくしの一番のお気に入りだった一瞬でした。




お前が選んだ人生も
お前が歩いてきた道も
信じきれぬままのはがゆさの中で
ためらいながら
俺は人生を探すだろう     ♪



死ぬまでずっとこのきれいな瞳を見続けて生きていきたいと
彼の横顔を盗み見ながら本気で願った、
わたくしの”祈り”の想いに嘘はかけらもなかったのですが・・・
  
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2006年04月12日

白いギター

わたくしが中学の頃だったか・・・
かぁさんのすぐ下の妹にあたる叔母さんが
うちに泊まりに来たことがありました。
その叔母さんが

”○○○ちゃん、なにか欲しいものがあるね?
           あるなら買ってやるよ”

そう言ってくれたので甘えて買ってもらったのが
弾けもしないのに楽器店のウインドウに飾ってあった、
その頃に人気の白いギターでした。




白いギターに変えたのは
何か理由でもあるのでしょうか♪
 (チェリッシュ  唄  白いギター)



かぁさんにはふたりの妹がいました。
ほんとはかぁさんの上には姉さんがいたらしいのですが
若い時に失恋自殺をしたのだそうでわたくしは知りません。
でも見かけも性格もどこかわたくしに似ていたのだと聞かされ
わたくしもいつかそんなことをするのだろうかと
気になっていた時期もありました。
もちろん今は気にかけてはいませんが・・・



かぁさんはまともに学校も行かずに
子守奉公とかいって自分自身が子供の頃から働いて
家計を支えていたんだそうです。
わたくしの祖父にあたるかぁさんの父親も早くに亡くなっていたので。



かぁさんが働いてふたりの妹を看護学校に行かせて
無事にふたりとも看護婦(看護士)にしたのです。
きっとかぁさんにとってはわたくしと同じ・・
娘のような存在だったのだろうと思います。



ひとりっ子だったわたくしは
かぁさんが何かしら叔母さんたちのことを一生懸命に
世話をやいたり・・・心配したりしてる姿を見ると
羨ましく感じることがありました。
かぁさんにすれば叔母さんたちがいくつになっても
子供の頃のままの想いだったのでしょう。
それはわたくしに対してもそうだったでしょうが・・・




爪をかむのを 止めたのは
何か理由でもあるのでしょうか
黙っていると気になるの
あなたの身辺の小さな事が  ♪



考えてみるとかぁさんの人生。
静かで幸せだったと言える季節がどれだけあったのでしょう。
自分のためだけの人生を一体どれだけ過ごせたのでしょう。



せめて今はあちらでゆっくりと骨を休めて
好きな本を好きなだけ読んで・・・
わたくしと同じ願いだったこと。

”海老と蟹をもういやっていうほど食べたーい!”

その願いが叶っていたらいいね!  
Posted by net_i5750 at 21:00Comments(89)TrackBack(0)

2006年04月11日

出逢い

去年の9月16日からこのブログを始めて
わたくしも7ヶ月近くが過ぎました。
その間にたくさんの方たちとこの世界で知り合えました。

コメントをいただいてコメントを返しにお邪魔する。
そんな毎日を繰り返すうちに沸いてくる想い。
息子殿以上に若いひとからわたくしより年上の方まで
広い年齢層がまるでひとつの大家族のように思えて
すべて気にかかるひとたちになりました。




連絡はないけれど
元気でいますか
好きだった あの声
耳に残ってる  ♪
(安全地帯  唄  出逢い)




定期的に過去にコメントをいただいたひとの部屋にお邪魔すると
しばらく更新が止まってる状態にあるひとや
すでに部屋が存在しなくなってることも度々見かけ・・
何だか寂しくなったり心配になったりします。
わたくし自身がここまで頑張って続けてこれたのは
みんなが訪問してくださってコメントを残してくださる・・
みんなの温かさに励まされた結果だと思っていますので
わたくしもみんなに同じことをしてあげたいのです。

年賀状。
さくらメール。
暑中見舞い。
残暑見舞い・・・etc

そんなご挨拶を交わす気持ち・・
もしかしたらそれ以上の気持ちかもしれません。

元気でいますか?




そばにいなくても
抱きしめられて
いたのでしょうか
あなたに伝えたい
このぬくもりを ♪



ここに来てくださるみんながささやかでも幸せで
穏やかに過ごせることを祈っています。  
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2006年04月10日

愛を信じたい

数年前に自分でお店をしていた頃の話です。
小さなスナックでした。
車で毎日出かけて近くの通称500円駐車場に預けていました。
入る時に料金回収の機械に500円入れるとゲートが開き、
出るときはゲート付近まで行くと車を察知して
ゲートが開いて出てゆくことが出来るそんなパーキングでした。



空を大地を 冬の匂い
心の叫び声が聞こえてくるよ
空よ大地よ 夢を遥か
争いのない 愛を信じたい ♪
 (ZARD 唄  愛を信じたい)



わたくしはいつも疑問に思っていました。
基本は24時間・・1回につき500円。
(だから短時間の駐車が目的のひとには向かないのです)
前金制で出てゆく時はゲートは無条件で開きます。
・・・でもしも何かの事情で24時間を超過していても
それを見分ける機械もなければ
追加料金を回収する機械もないのです。

・・・である日の帰りに思い立ちました。
うちのお店のアルバイトの男の子と一緒でした。
その子も同じパーキングに車を預けていました。
わたくしの日頃の疑問を彼に説明をしてお願いをしました。
ゲートのそばに設置してある非常用の電話。
管理会社に繋がる電話をかけて質問をしてくれるようにです。

”もしも24時間を超過してしまった時はどうするのか・・・?”

彼は笑いながらもわたくしのお願いを聞いてくれました。
自分で聞けばよかったのですがなぜか気が引けて・・・
わたくしは電話をかける彼のそばでドキドキしながら
(なぜドキドキしたのか今でもよくわからないのですが・・)
管理会社からの回答を待っていました。

結果・・・感動しました!

”そちらの良心にまかせます”これが回答でした。

電話をかけた彼も驚いていました。
わたくしも何とも言えない感動と説明のきかない想いで
心の中がとても温かくなりました。
「良心」というものを信じようとするひとがいるのです。
しかも不特定多数の誰だかわからない相手をです。
わたくしならこんなひとは裏切れません。

信じるということの大切さを強く思いました。
信じてもらえるってことの喜びを知りました。



空を大地を 熱い鼓動
たった一つの二つとない魂よ
空よ大地よ 夢よ叶え
ダケド モウ ウシロハ フリムカナイ

争いのない 愛を信じたい ♪



くけ加えておきますが
わたくしは超過はしたことはありません。
した場合はどうするべきかと・・・
管理会社はそうなった相手に対して
どうあるべきと思っているか知りたかったのです。
  
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2006年04月09日

さくら

今日はわたくしの親子ごっこのお相手・・・
ママと一心行の大桜バスツアーへ出かけました。



ツアーのメインの目的は熊本県の南阿蘇白水村に息づく
推定樹齢400年の桜の木です。
阿蘇の山奥で広大な田畑の中に堂々と根付く一本の大きな桜。
その姿はわたくしが過去の記事””で書いた、
例えるなら男性が桜の木で女性が竹だというお話。
(記憶にない方は是非読んでください)
それを思い出させてくれました。





さくらさくら 今 咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ旅立ちの刻 変わらないその想いを 今♪
 (森山直太郎 唄  さくら)





昨年の台風により彼(桜)は老体に傷を負ったらしいのですが
それにも負けずに膨大な数のわたくしたち観光客を
優しく・・快く迎えてくれてるように見える彼の姿に
男性としての頼もしさと・・・なぜか切なさを感じました。




およそ400年もの永い間・・・彼はここに立ち、
この土地で生きるひと、動物、草花・・そのすべてを
あの優しい眼差しで見守って生きてきたのでしょうか?
そしてこれからも・・・



それを思うと・・
出来れば大切なひとには永遠に生きて欲しいと願う、
その気持ちと同じ想いを彼に対して感じている自分がいました。





どんなに苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても頑張れる気がしたよ♪  
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2006年04月08日

生まれ来る子供たちのために

今日は地元の公園へ少しの時間だけお花見に出かけました。
風で散る桜の中・・・まるで桜吹雪でした。
公園の池の周辺はまるでお祭りみたいにいろんな屋台がたくさん。
それから公園内には小さな遊園地があって
ほんとに小さくてささやかなジェットコースターなんかも
とりあえずはあるものですからお子さん連れで賑わっていました。



多くの過ちを僕もしたように
愛するこの国も
戻れない もう戻れない
あの人がそのたびに許してきたように♪
 (オフコース  唄  生まれ来る子供たちのために)



桜の木のそばに設置された椅子に腰掛けてそんな様子を見ていたら
自分の子供の頃の記憶がよみがえってきました。
わたくしが幼い頃に過ごした小さな田舎町でもおくんちってお祭りがあり
一様に町の隅から隅まで道の両脇には屋台が立ち並んで、
歩行者天国になったものでした。
浮流っていう踊りなんかもあってこの日のために
町の子供も大人も練習を重ねて本番に備えるのです。
3日間ほど続くお祭りでしたがその間は学校も早く退けるか
小学校あたりは休校だったような気がします。

かぁさんに浴衣を着せてもらって小銭を握りしめて・・・
わたくしのお目当てはいつだって決まっていました。
ルーレットをまわして止まったところの数字の分だけがもらえる
串にさしたスルメイカでした。
昼間はともだちと同じ道筋を飽きることなく何度も往復して
暗くなるとかぁさんと連れ立って出かけました。

神社の境内では特設ステージが出来たりして
のど自慢や素人のにわか劇なんかがあったりして
いつもは静かな町が大賑わいになるのです。

金魚すくいは大の苦手でした。
自慢ではありませんが一匹も自力ですくったことがありません。
それは大人になった今でも変りません。
見かねていつだってお店のお兄さんやおじさんが袋に入れてくれます。
こうして思い出すだけでも長閑でほっとする時代でした。




広い空よ僕らは今どこにいる
生まれ来る子供たちのために
何を語ろう何を語ろう
君よ愛する人を守りたまえ ♪


時代は流れても温かい人の心は生きてると信じたいのですが・・・  
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2006年04月07日

僕の胸でおやすみ

わたくしが中学の時にかぁさんは手術を受けて
しばらく入院したことがありました。
母子二人の生活だったので病院の配慮なのか
わたくしはずっと病院に泊まり込みで学校もそこから通い
食事も病院食を食べていたような気がします。

その時は詳しいことを誰も話してくれないので
何もわかっていなかったのですが大人になってから聞かされました。
かぁさんは癌だと言われて入院して手術を受けたのですが
それが開けてみたらまったくの誤診で単なる椎間板ヘルニア。
担当医だった人はそれが原因でその後に首になったそうでした。

わたくしはその病院にいる間に修学旅行にも行きました。
南九州への旅でした。




君の笑顔のむこうにある悲しみは
僕のとどかないところに あるものなのか♪
 (かぐや姫  唄  僕の胸でおやすみ)



バスガイドさんの説明もないような空白の時に
同じバスに乗っていた男子生徒が自分が持参したカセットデッキで
かぐや姫の曲を流していました。
少々お疲れぎみのみんなには心地よい子守唄になって
うたた寝をしている生徒がほとんどでした。

窓際に座って同じ日本でありながら南国の雰囲気の漂う景色を見て
かと言って眠りこけてる友達の横で誰も話す相手もなく
流れる曲に聞き入っているとつい思い出してしまいました。
病院のベッドに横になってるであろうかぁさんのこと・・・
でもそういうことでもなければいつだって働いてばかりで
しっかり休むこともないのですからかえっていいことなのかと・・・
いろんなことを考えながら多分あれはソテツの木・・や空を眺めていました。

あの頃のわたくしは本さえあったら何も退屈しない、
そんな子供だったのでかぁさんとの入院生活も苦痛ではありませんでした。
その誤診問題以外はわたくしたちの事情をよくわかってくれてる
良心的な対応の病院のようでしたしまわりの入院患者さんも
わたくしにはよくしてくださいました。
お年寄りのひとが多くてわたくしがお年寄りが好きだったからかもですが?

三泊四日の旅行を終えての帰路は担任の先生の心遣いで
かぁさんの待っている病院への入り口になる道路沿いで降ろしてくれました。
おみやげで膨れ上がったバックを抱えて歩いたまっすぐな小道。
なぜか足どりが軽かったように覚えています。





ふたりで歩いてきた道なのに
なんて淋しい
古いコートは捨てて僕の胸でおやすみ♪
  
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2006年04月06日

心の友よ

2日前に気にかけていた友だちからやっと連絡がありました。
何度か電話しても出ないしメールを送っても返事がなく
どうしたものかと心配になっていました。



彼女自身のことにはあまり触れていませんが
彼女との現在のつながりがわかる記事ですので
わたくしの過去の記事の”交尾・・?”を読んでください。



彼女は不思議なひとです。
彼女とはわたくしがいろんな意味で大変な時に知り合いました。
わたくしだけではなく彼女自身もそうでしたけれど・・・
わたくしより2つか年下のはずです。



4人の子供さんをかかえて・・
わたくしと違ってバツではありませんが大変なようでした。
それでも決してそんなことを感じさせない明るいひとで
一緒にいるとわたくしはとても癒やされました。





たとえば誰かに些細な事で
信じる気持ちを奪われたとしても
遠くにいたって離れていたって同じ空の下にはいつも♪
 (ゆず  唄  心の友よ )



年月だけのことで言えば、そんなに永い付き合いではありません。
それなのにもう何十年もの付き合いがあるような気がします。
何十年分ほどの安らぎを彼女にもらった気がします。
辛くて不安だった数年前のある時期に
彼女の笑顔を見て彼女の穏やかな声を聞くだけで
ずいぶんと救われて力づけられてたわたくしがいました。




彼女に言わせれば・・わたしは何もしていない・・そう言うけれど
いてくれただけでほっとできたことが彼女の不思議な魅力です。
わたくしよりも年下の彼女にかぁさんのような安心を感じたのです。



ちょっと心が疲れたりすると彼女の声を聞きたくなります。
くだらない近況報告でも話をするだけで落ち着けます。
そのたびにわたくしは彼女に感謝しています。



いつかこんなわたくしでも誰かにとって彼女のような存在になりたい。
不思議な力を与えてあげられるひとになりたい。
思うばかりで・・・・





たくさんの出会いや別れの中
こうしてあなたと出会えたから
ありがとう あなたに届くといいな
目を閉じればいつも心の友よ  ♪-  
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2006年04月05日

ありがとうのうた

某自動車学校・・・
わたくしの10年来のお客様です。


きっかけはわたくしが当時アルバイトしていたスナック。
そこにこの自動車学校の常務だった人がみえたこと。
ママのゴルフ仲間といらしたのが最初の出会いになりました。



わずかの時間の少ない会話の中でママの計らいもあって
わたくしの昼間の仕事の名刺を渡しておいたのが
その後のお付き合いを繋げるものになりました。



数日後、カタログと契約書を持って来なさいとの
常務さんからの電話で初めて行った学校は
ほんとに小さくてこじんまりした学校で
いかにもひとのよさそうな温かい感じの先生たちが
20人ほどのアットホームな学校でした。



常務さんの鶴の一声でみなさんが携帯電話を持つことになり
それから今までずっとお付き合いさせてもらっています。






ありがとうと言わせて欲しい
たとえば何年経っても
きっと変わらず僕はまだ
今日を覚えてるよ   ♪
 (V6  唄  ありがとうのうた)




ありがとうと何度言ってもいい足りないくらいに
お世話になった常務さんは出会ってから2年ほどで
肝臓癌で亡くなりました。




彼から実は入院してるのだと電話が入って慌ててお見舞いに
駆けつけた時には彼はもうだいぶ痩せていて
同じ病気でかぁさんを亡くしてるわたくしには
すぐに彼の病気の進行状態がわかりました。




わたくしが勤めていた会社の支店長と一緒にお見舞い来ていて
支店長が察して


★ そろそろ失礼しようか・・(支店長)


と言ってくれなかったら
  わたくしは気持ちを抑えられなくて彼の前で泣くとこでした。




彼がいなくなった後も他の先生方がちゃんと取り仕切って
携帯電話が必要な折は必ず連絡してくださいます。
わたくしは決まって学校の昼休みを狙って出かけ・・
前もって電話をかけて先生方と一緒に昼食がとれるように
同じ食事を注文してもらっておくのです。



彼が亡くなってもう8年の月日が流れましたが
当初は彼がいなくなって空いてしまった机を


◆ おまえの○○会社△△支店ってことで使えば?




そう言って笑ってくれる先生方に胸が熱くなったものです。




時おり温かさが恋しくなったら用事がなくても出かけます。
もちろん食事の注文をしっかりお願いして・・・



♪ 
ありがとうの言葉たちが
こんなに優しくさせるよ
笑ってシワをふやして
日々を重ねてゆこう ♪




今でもあの常務さんから頂いた名刺・・・
黄色くなってシワも入ってるけれど捨てきれずに
わたくしが持ち歩く名刺入れの中です。  
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2006年04月04日

島人ぬ宝

わたくしが16の時でした。
間違いなければ27年前の秋ではないかと思います。
かぁさんと実父はわたくしが2歳半の頃から別居していて
わたくしは愛人さんと暮らす父に年に2度ほど会っていました。



僕が生まれたこの島の空を
僕はどれくらい知っているんだろう♪
 (BEGIN 唄  島人ぬ宝)



虫の知らせだったのでしょうか?
たまたまその日は博多の実父の家にいました。
実父の母親・・祖母が亡くなったとの知らせが入ったのです。
祖母とはかぁさんがわたくしを連れて嫁ぎ先を出て以来は
この数ヶ月前に実父が観光がてらに自分の生まれ故郷でもあり
わたくしの生まれた土地でもある島へ連れて行ってくれた日。
その時に一度会っただけでした。
わたくしの生まれた土地は長崎県の壱岐という島です。

まだ籍に入ってるわけではない愛人さんは連れてゆけず
かぁさんも行きたくないということで
お通夜とお葬式は実父とわたくしが出ることになり
これで二度目の実父とゆく壱岐になりました。

壱岐の家には叔父さん(実父の兄)とその奥さん。
叔父さんはかぁさんが嫁いだ時にはすでに下半身不随で
不自由な体のの人だったと聞いています。
理由はわたくしは知りません。
その奥さんは当時は女中さんだったけれど
姑、小姑に苛められるかぁさんにとっては唯一の味方だったとのこと。
この二人が祖母と住んでいたようです。
祖父はもっと以前に亡くなっていたんですね。

父方の親類も駆けつけて・・・
わたくしは初めて数人の叔父や叔母・・そして従兄妹たちに会いました。
そしてたぶんこれが従兄妹たちとの最初で最後の顔合わせです。

わたくしがこれまで見たことのないような盛大なお葬式の後、
祖母の遺体の入った丸いお棺を誰かが担いで家を出ました。
わたくしたちはその後を着いて歩く。
するとわたくしたちが通る道筋の家々の人たちがみんな・・・
自分たちの家の前に立って手を合わせています。
わたくしは心の中で不謹慎にも思ってしまうのです。
まるで横溝正史の世界のようだと・・・
手を合わせてくださってる人たちに軽く会釈をしながら
やっとたどり着いたところはあれは確かにお寺でした。
・・・ということは土葬ではなかったかと思います。
何だかわたくしにとっては不思議な体験でした。



僕が生まれたこの島の唄を
僕はどのくらい知ってるんだろう♪


今思えば祖母が亡くなる数ヶ月前に
実父がわたくしを壱岐へ連れて行って祖母に会わせたこと
あれこそが虫の知らせの始まりだったのではと思うのです。  
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2006年04月03日

素顔

昼間のかぁさんは化粧ひとつしないひとでした。
まっすぐな黒く長い髪をしっかりひとつに束ねて・・・
癌に侵されて闘病生活に入る前までは・・・
わたくしの記憶の中では1度も髪型を変えたことさえなかった。



わたくしを女手ひとつで育てあげるために
昼間はほとんど女だてらに土木作業員をやっていました。


季節によってはみかんの撰果場。
たけのこを缶詰にする作業なんかもありました。


どの職場も責任者の方がとても人情のあるひとで
学校の長い休みの時にはかぁさんがわたくしを連れて
仕事場に来ることを許してくれていました。



だからわたくしはよく夏休みや冬休みには一人前に
かぁさんと一緒に出勤していました。


その甲斐あって土木現場では一輪車やほげといって
作業に使う道具も上手に使えるようになりました。



みかんの撰果場ではちゃんと撰果と箱詰めも出来ます。
ただボーっとしているより手伝いでもって思ってやってるうちに
ちゃっかり仕事も覚えてしまいました。





夜の顔を鏡に映せば
なんて悲しい顔なの
強がりばかりで
素直になれない
なんて悲しい顔なの♪
 (長渕剛  唄  素顔)




そんなかぁさんも夕方になると鏡に向かいました。
夜の勤めに出るためにです。
あまりに簡単なのでものの10分もかかりません。


わたくしの目から見ると昼間の素顔で働くかぁさんの顔の方が
たとえ日焼けで真っ黒に焼けた顔でもはるかに輝いていて
生き生きして綺麗だったような気がします。



比較的ショートヘアが多かったわたくしも
ここ数年かかって髪を伸ばして・・・
気がつくとだんだんかぁさんのあの髪に近づいています。
鏡に向かうと顔つきさえも似てくる自分がいます。
もちろん、わたくしの化粧も10分もかかりません。





お前の過去を 化粧で
かくすためじゃなく
素直な心を映せばいい♪





今でも車の運転中に見かける土木現場の中に
ふっとかぁさんの姿を重ねてしまいます。  
Posted by net_i5750 at 21:30Comments(98)TrackBack(0)

2006年04月02日

れんげ草

わたくしが子供の頃は田舎だったこともあって
あちらこちらが田んぼばかりででした。
ある時期になるとわたくしの好きだったれんげ草でいっぱいに。
今はなぜかあんまり見かけなくなりました。



山のふもとの ちいさな村に
咲いたかわいい れんげ草よ
おぼえているかい あの娘のことを♪
 (ビリー・バンバン  唄  れんげ草)



学校の帰り道には友達とよそのお宅の田んぼに入り込んで
時間を忘れて暗くなるまで夢中になることも度々・・
れんげ草を編んで花輪を作るのです。
首からかけたり・・・頭に王冠のようにかぶったり・・
ほどよく暖かく気持ちのいい日には寝転んでいると
空を見てるうちに眠ってしまうこともありました。
それでも一度だって叱られたこともありません。
逆に気がつくと心配そうに顔を覗き込んで
起こしてくれるおじさん、おばさんがいました。

得意げにうちへ持ち帰ってかぁさんにあげてたけれど
考えてみたらあんなものをもらっても
あの後はかぁさん・・・どうしていたんだろう?
確かに
”ありがとうー!”って笑ってはくれたけれど・・・

それより小学校からうちまでの片道40分ほどの道のりの間には
いくつか小さな神社みたいなとこがあって・・
鳥居があったので神社だったと思うのですが・・・
その敷地内には椎の木があってまわりには椎の実がいっぱい落ちてて、
我さきにと一生懸命にみんなで拾い集めました。
それを持って帰るとかぁさんがフライパンで炒ってくれた。
ちょっとしたおやつになるし、なかなかおいしかったのを覚えています。



おぼえているかい あの日のことを
おぼえているかい れんげ草よ  ♪


あの頃のわたくしたち子供にとって寄り道ってあたりまえでした。
そしてそのひとときはほんとに穏やかなものでした。
それを思うと今の子供たちって可愛そうな気がします。  
Posted by net_i5750 at 22:00Comments(97)TrackBack(0)

2006年04月01日

ちからをください

”触らぬ神にたたりなし”
その主義のわたくしです。
だから誰かのお供で神社に行くようなことがあっても
わたくし自身がお賽銭を投げて神様にお願いすることは
まず・・・ありません。

そんなわたくしは
”苦しい時の母だのみ”なのです。



ちからをください どうぞちからをください
大切な人を護るため もっともっともっともっともっと
                 ちからをください♪

 (さだまさし  唄  ちからをください)



天に召されたかぁさんにお願いするのです。
目を閉じて・・・心で手を合わせて
わたくしからかぁさんへのSOSです。
そうしたら不思議に落ちつけるのです。

心の目に映るかぁさんの顔は一番元気な頃の
明るくて優しい笑顔です。
ただ頷いて笑っています。


わたくしなりに生き抜くためには精一杯に努力しています。
いざという時に大切なひとや大切なものを守れる自分であること。
それがわたくしの目標なのです。

わたくしのまわりには心温かく・・しかもちからもある・・
(ちからというのはもちろん腕力のことではありません)
わたくしが目標とするひとたちがいます。
そのひとたちに励まされ・・癒やされながら
わたくしもいつか・・・・と思っています。

いつかもっともっと・・大きな人間になって
余裕のある大きな心で大切なひとたちを包み込める・・・
そんなわたくしになりたいのです。



大切な笑顔があります
大切な心があります
大切な未来があります
大切な夢があります
小さなこの手であなたを支え
自分を支えるささやかな   ♪


ちからをください!!
  
Posted by net_i5750 at 21:53Comments(99)TrackBack(0)