2006年05月31日

心でつながっていよう

今日はいつもの調子のわたくしの記事を楽しみに
立ち寄ってくださってるみなさんには申し訳ないのですが
わたくし自身の事に関してのご報告ともしかしたら
わたくしと同じような想いをしてらっしゃる方がいるとすれば
どうぞ一緒に戦いましょうという気持ちでこの記事を書きます。



心でつながってよう
心で信じあってよう ♪
 (平田輝  唄  心でつながっていよう)


実は数日前から(以前も似たようなことはありましたが)
とんでもなく心無い嫌がらせコメントに悩まされていました。
もしもみなさんの目にも止まるようなことがあれば
みなさんまでがブログという物を嫌になってしまいそうな
情けなく汚い内容でしたのでこちらで片っ端から
削除していましたが切りがなく・・・・
仕方なくコメント受け入れの設定を管理者が内容を確認の上
ブログ上に反映させるという形に変えていましたら
今日はこういう内容のコメントがその犯人から来ました。



「死んだほうがいいな
本当にどうしようもないバカだなおまえは、
醜いうえバカでおろかだから使い方も馬の糞以下で
バカ丸出しだということにきづいていない、
同情するよほんと、自分がバカですと公表しているようなもんだ
ど田舎のど素人でそのうえ醜くいやらしいうんこばばぁだから
しかたがねぇがはずかしいからやめたほうがいいぞ、
サイトからおまえの自宅住所ぐらいわりだすのが解析というんだ
お前のようなド田舎は割り出しに二日もかからん、
世の中はおまえの思っているほどあまくねぇし単純じゃねぇんだよ、
なんだ東京OCNって、みんな腹抱えて笑ってるぜ、」



なんというコメントでしょうか?
まるで脅迫でもしているようです。


幸い、わたくしは今は普通の精神状態ですから
ある程度は冷静に受けとめることが出来ますが
削除するたびにまた連発で来ますので
苦痛の何物でもありませんでした。
しかもわたくしが相手しないばかりに他の方々のところにまで
この魔のコメントが行くようなことになったら
ブログを通じていい仲間を作り楽しんでいらっしゃるひとたちの
心までを壊すことになりかねないとわたくしなりに考えました。

それでこのブログの管理者であるライブドアに報告し
こちらの警察署にもとりあえず相談しましたので
その旨を報告しておきます。
もしもみなさんのところにも嫌がらせコメントが入るような
そんなことがあったとしても決してブログまで嫌にならないでね。
心無い情けないひとはきっと希少です。
そう信じてください。



何も言わずとも解りあえるなら
そうさこんな不安や淋しさ怖くはないよね♪



みんなでブログの平和を守りましょうね。
警察の方がおっしゃいました。

”そのひとは(犯人)心が病んでいるのでしょうね”

かわいそうなひとかもしれません。




心でつながってよう
心で信じあってよう♪



明日からは通常に戻ります。  

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2006年05月30日

命の別名 

初めての方は先に
命の別名命の別名供命の別名
命の別名検命の別名后命の別名を読んでくださった方が
理解していただけると思いますのでよろしくお願いします。



彼の転院が実行される少し前のこと・・・
彼が前妻さんのところに残してきた25歳になる娘さんから
彼の今後の残り少ないと思える時間を身内だけで
見守りたいから会社関係やわたくしも含めて
面会はひかえて欲しいと連絡があったと彼の奥さんから電話をもらい
実はそれ以後はわたくしは彼のもとには行きませんでした。



最後に病院の食事でもどうにか彼が好んで食べていた酢の物と
食べたいと言っていた魚の開きを焼いたものと
後はグリンピースの豆ご飯、黒豆茶を水筒に入れて
奥さんに持って行ってもらいました。






くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を”心”と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも  ♪
 (中島みゆき  唄  命の別名)





わたくしは気になっていました。
おっちゃんが話して聞かせてくれたこと。
かぁさんが亡くなる前はかぁさんは若い頃に一緒に働いていた
仲のよかった友だちや近所に住んでいたおばさんやらに
妙に会いたがっていたと・・・
会いに連れて行ってあげたかったけれど
かぁさんの体力的なものが長距離の車での移動が無理で
願いを叶えてあげられなかったのだと・・・



彼は会社の仲間に会いたいと思わなかったのでしょうか?
急に行かなくなったわたくしを変に思わなかったのか?



彼が転院して亡くなるまで・・・何だかあっという間でした。
なぜかわたくしは彼が亡くなる日が10日ほど前からわかっていました。
ただそんな気がする・・てだけでこの予感ははずれてほしいと
ずっと願っていました。
その日はわたくしが「親子ごっこ」をしているママ
一泊で鹿児島の灯篭祭りに出かけて留守をする日でした。



土、日、祭日と続く3連休でしたのでもしも彼が亡くなったら
会社も休みで連絡がうまく行き届かずにわたくしのように
すでに会社とは関係なくなっている人間のところには
連絡が遅れるのではないかと心配したりしていました。





石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ         ♪




でも彼はちゃんと知らせに来てくれました。
きっとそうなんだとわたくしは思っています。



昨年7月17日・・鹿児島からの帰り道。
ママの彼が運転する車の助手席にわたくしは座っていました。
タイミングをみて運転を代わるためにです。


ところがわたくしはかぁさんが亡くなった日と同じように
たまらない睡魔に襲われました。
ドライブ好きのわたくしは見慣れない新しい景色を目にして
眠くなるなんてことは考えられない人間です。


嫌な予感がまた頭を駆け巡りました。
もしかして・・・・?


間違いでありますようにと願いながら携帯メールを打ちました。
奥さんに・・・

 まさか・・Tさんの容態がおかしくなってませんよね?


 ついさっき・・・亡くなりました





たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれど人には
笑顔のままで泣いている時もある♪





その夜は彼と夢で逢いました。
”さびしい”と言って泣く彼に・・・
今でもさびしいのでしょうか?



奥さんに彼の最後の日の様子を聞きました。
声が思うように出なくて震える手でメモ紙に



”アクエリアス・・・”と



わたくしが人間は水分はポカリかアクエリアスを取っていれば
簡単に死なないんだと言ったから・・・?
最後まで死にたくないと頑張った証拠よね?





命に付く名前を”心”と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも♪  
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2006年05月29日

命の別名 

この「命の別名」は6日目に入りました。
命の別名命の別名命の別名掘命の別名命の別名
初めての方は先に読んで頂いた方がいいかと思います。
よろしくお願いします。




わたくしはTさん自身の精神力とまわりの想いの力で
なんとか奇跡が起きて欲しいと願っていました。


いいえ・・・絶対に奇跡を起こすのだと心に誓っていました。
人間の「想い」というものは理屈では説明のつかない
大きな力がきっとあるのだと信じていたかったのです。





石よ樹よ水よ 僕よりも
誰も傷つけぬ者たちよ ♪
(中島みゆき  唄  命の別名)




病院はどこか冷たいものでした。
彼の回復が望めないからでしょうけれど
まるで骨と皮の痩せ細って不安げな彼に対して
自宅療養か自宅に近い病院か・・?
本人の希望の場所への転院を勧めたのです。


彼の体力や精神状態を無視した心ない対応に思えて
わたくしは何とも言えない腹立たしさを感じました。
本人は今まで通りにそこにいることを望んでいたようでした。
でも病院は・・・・



わたくしは27歳だった18年ほど前に急性肝炎を患い
その時に受診した病院から強制入院を言い渡されて
どうしても入院はしたくないという想いで
別の病院へ駆け込み事情を話して通院でどうにか助けて下さいと
無理にお願いして救われたことがありました。



黄疸も出て入院しなければ死ぬよとまで言われた状態だったのを
その病院の院長先生はわたくしの願いを聞き入れてくれたのです。
ただし自宅では絶対安静と駆け込んだ日が12月25日でしたが
年末もお正月も毎日病院へ通うことが条件でした。


ところが3ヶ月はかかるだろうとのことだったのに
3週間というとんでもなく早い完治で先生から



◇ すごい あんたは人間じゃないよ^^



そう言われてしまったわたくしでした。
このことを以前に彼に話していたからか・・・



★ どうしても転院なら○○が言いよった病院に行きたか・・・・
                    (Tさん)



・・・と彼が言っていると奥さんから聞かされました。
わたくしが助けてもらった病院を希望したのでした。





たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれど人には
笑顔のままで泣いている時もある♪




結局はご家族や病院側を含めての相談のもとに
病院側が勧めるとこへの転院に彼も納得しました。



        つづく  
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2006年05月28日

命の別名 

命の別名は続きものになっています。
初めての方は面倒ですがどうか先に
命の別名命の別名供命の別名掘命の別名を読んでください。




Tさんはもともと年令のわりには背が高く
がっちりとした体型の健康的なひとでした。
それに比べてわたくしは痩せの大食いのいくら食べても太らない
どちらかというと痩せぎすな女でした。




くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を”心”と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも ♪
 (中島みゆき  唄  命の別名)



わたくしは夜の勤めをいったんやめた数年前から
不規則だった食事の時間を出来るだけ規則正しく心がけ
プロテインを飲んでわたくしなりの筋トレを続けて
それ以前よりは体重も10キロは増やすことができ
まるでスポーツでもしているかのような体型に変貌し・・
彼が入院中も市営のジムの帰り道に病室に立ち寄ることもありました。



彼はそんなわたくしの姿を羨望の目で見ていました。
なぜなら彼は日増しに筋肉がおち・・頬はこけ・・
何だかだんだん小さなひとになっていきます。
声も細く・・・力がありません。
それでもわたくしには少しも変わりなく接してくれる。



★ 相変わらず あんたは元気かなぁー・・  (Tさん)




☆ うん・・でも今は午前様になる前に寝らんといかんよ
       もう夜中12時過ぎたら眠かもんねぇ〜
                      (わたくし)



★ あんたがね? 不死身の化けもんかと思いよったばってん
      あんたもやっと人並みの人間になったばいね?
                     (Tさん)



☆ 前のごと夜働きに出らんでよくてさ
  夜は家で火曜サスペンス見て・・・
  好きにしとかるってだけでしあわせばい
  そして今はね 週に1回ばってんさ
  マッサージ師になる勉強しに行きよるっちゃん
  ものになるごとなったらTさんも揉んでやるけんね!
                     (わたくし)



★ はぁ〜ん・・やっぱしあんたはすごかばい 頭の下がる・・
                    (Tさん)




☆ うちは自分で食べる道作らんば 誰も食べさせてくれんもん!
                     (わたくし)




何かの足しになれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい   ♪




どこか、わたくしを茶化すみたいな話し方も
気づかいなのか・・元気な頃の彼とちっとも変わらない。


一緒にムキになって仕事をしていたあの頃の情景が
病室の窓がスクリーンになってわたくしの記憶の目の中で
早送りのビデオの映像みたいに駆け巡って行くのを見ていました。
出来るなら巻き戻して・・・



そして今度はどうかスローモーションで・・・



          つづく  
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2006年05月27日

命の別名 

初めての方は続きものになってますので
命の別名命の別名命の別名を先に読んでください。



わたくしの息子殿は1度Tさんに会っていました。
息子殿が中学の頃で学校が冬休みだったかに
わたくしのところに来ていて、Tさん・・・彼が
夜の食事にと他の会社の仲間と一緒に連れて行ってくれました。



当時は息子殿は競艇の選手になりたいのだと言っていて
競艇好きの彼とは話が合っていたようでした。



育ち盛りなんだから遠慮するなとずいぶん気を使ってくれました。
今思えば前の奥さんのとこに残してきた彼の息子さんと
年令的に変わらなかったので面影が重なっていたのではと
何となくわたくしは思います。





君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を”心”と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも♪
 (中島みゆき 唄  命の別名)





彼が入院して間もない頃にわたくしの用事で
息子殿がこちらへ来たのでお見舞いに連れて行きました。
競艇選手の道は体格的なものから諦めて
まるで全く違うファッションデザインの世界に入っていることは
彼にすでに報告はしていました。



うちの息子殿を通して自分の息子さんを感じ・・
彼に頑張る力が湧けばとわたくしはそんなことを考えていました。
息子殿に対して・・・



★ おかぁさんが頑張り屋やけん 息子も頑張り屋やなぁ〜
                     (Tさん)


彼からの優しい言葉でした。



かぁさんの時には限界があってそんなに通えなかった後悔。
それを取り戻すように彼のところに通おうとしたこと
ある意味はわたくしの勝手な自己満足だったかもしれません。



彼にとって身内でもなんでもないのですから・・・
そう思いながらも通いたい気持ちを抑えられずにいました。



そして行くとなぜか居心地がよくて帰りそびれてしまいます。
さほど会話をすることもなくただわたくしは椅子に座って
病室の窓から空や外の様子を見つめて・・・・
たまにふられる彼からの質問にこたえている。


彼の会社の仲間の様子や天気の話やわたくしの仕事の話。
彼はベッドに横になっていて疲れていれば目を閉じている様子。



わたくしの携帯のバイブの音が響く・・・

★ ほら! お呼びやろ?出動せんば・・
              頑張ってきんしゃい^^
                      (Tさん)



逆に彼に励まされてお客様のとこに向かうわたくしだったりしました。



病院は午後からが面会時間になっていて8時までというのが決まり。
わたくしなりに考えてある時期からは午後7時過ぎに
彼の病室に行くようにしました。


そうすれば8時になれば嫌でも病院から追い出されるので
わたくしの気持ちも諦めがつくと思ったのです。


実際は少し前に病院に入り中にある食堂で食事を済ませて
彼の病室に向かいました。



手術後は薬の副作用か味覚に支障が起こり食事も進まず
食べ残しが目立つ食器がそのままで・・・


☆ Tさん・・うちがね 急性肝炎で死に損なった時に先生が
  人間は食べ物はバナナ食べて 水分はポカリとかアクエリアスば
  取りよったら簡単には死なんけん それだけは取りなさい
  そがん言いよったよ Tさんもちょっとそれだけは守りんしゃい
                       (わたくし)



そう言うと驚くほど素直に

★ 看護婦さん! ここのこの食事食べきらんけん
  でパンか・・・バナナとポカリこうて来てよかね?
                    (Tさん)


許可をもらって帰るわたくしと一緒に1階の売店へ・・・



☆ Tさん・・パン食べるくらいならふりかけでもかけて
  残しとるご飯ば食べんといかんよ わかったね ? 
                   (わたくし)

★ うん わかった そがんする   (Tさん)




たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれども人には
笑顔のままで泣いてる時もある♪





彼のそんな素直さが逆にわたくしには辛かった・・・・



             つづく  
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2006年05月26日

命の別名 

初めての方は
命の別名命の別名を先に読んでください。



Tさん・・彼と以前の職場で一緒に働かせてもらうことになった時
12年前になると思いますがその時はTさんはわたくしと同じで
バツイチさんで3人のお子さんは奥さんが引き取ってらっしゃると・・
本人からそんなことは聞いたことはありませんでしたが
自然と耳に入って来ました。



会社から推進されている年に1度の一泊人間ドックも
ちゃんと欠かすことなく毎年受けていた彼が発病したのは
再婚して4年目でした。


新しい奥さんには娘さんと息子さんの二人のお子さんがいて
息子さんは他県で自立して生活していたので
奥さんと娘さんと3人で暮らしていました。





石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ         ♪
 (中島みゆき  唄  命の別名)





体の異常を感じて最初に○○医大で受診した時には
胃潰瘍で入院の必要はないということで薬を渡されて帰され
実際にすでに食べ物も飲み物も受けつけない状態になっていて
見る見る痩せ細っていった彼が次に受診した時には
極度の栄養失調とのことで緊急入院になりました。
それが一昨年の8月26日のことです。



それから原因究明のための検査が繰り返されて
やっと手術ということになったのは11月1日。
病院の煮え切らない態度や説明を奥さんから聞かされる度に
わたくしは苛立ちを覚えていました。


なぜならわたくしの元彼が良性ではありましたが脳腫瘍で
同じ病院で入院ー手術ー退院まで40日で終わった経験があったから・・
元彼に限らずそこでは大概の入院は40日が最長のようでしたのに
彼は手術に漕ぎつけるまでにそれ以上の期間がかかっていました。



彼の3度目の入院の時に奥さんの口から初めて聞かされたのですが
11月1日の手術の時にすでに手の施し様のない状態になっていて
癌細胞は切除することなく最低の処置だけやって傷口を閉じたと・・



今でも覚えています。
まだ彼が手術を受ける前の頃。


わたくしがお見舞いに行ってる時に担当医の回診。
うちの息子殿と(今年25歳)変わらない年令の若い先生。
何だか頼りないぼそぼそって感じの口調。
質問に対しての歯切れの悪い返事。
そんな先生が出て行った後に・・・


☆ Tさん・・あげな頼りなか若造が担当ってことは
  Tさんの病気は大したことなかよ 心配せんでよか!
  ひどか病気ならもっとまともな医者つけるはずやろ?
                  (わたくし)
 

後で奥さんが話してくれました。

★ ○○が・・・あげな頼りなか若造が担当医ってことは
  大した病気じゃなか  心配せんでよか!って言うたけん
                おいは大丈夫ばい^^
                       (Tさん)



そう言って彼が笑っていたと・・・
何気なく言ったわたくしの言葉が少しでも彼に安心を与えたこと。
わたくしは言葉の持つ力をあらためて知りました。





知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある    ♪


         つづく

追記

最初に受診した病院の診断や治療法に疑問を感じた時は特に
セカンドオピニオンの検討をお勧めします。  
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2006年05月25日

命の別名 

初めての方は前日の記事の命の別名から読んでください。



それからTさんのことに触れた記事があと2つ・・
12月9日の記事、瞳を閉じて
3月18日の記事、命果てるまでがありました。
こちらも読んでいただければ理解が深まるのではと思います。





知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある     ♪
 (中島みゆき  唄  命の別名)




彼は以前の職場(わたくしはアルバイトで入ったのですが)で
その会社としては当時とても大切な新しい仕事の基礎を作るために
数人をアルバイトで雇い入れていて・・・
彼は社員さんとしてわたくしたちをまとめて一緒に仕事をする
そんな役目のひとでした。
丸1年ほんとにお世話になりました。



バイトで入った当初はわたくしは夜も雇われママとして働いていて
夜中の3時、4時までの勤務をした上に
昼間は彼たちと一緒にやりがいのある仕事をさせてもらっていました。


もちろん最初は夜も勤めているなんてことは内緒にしていましたが
田舎の狭い世界です。
ばれてしまうにはそんなに時間はかかりませんでした。



ところが責められるどころか・・・


★ よ〜働くなぁ〜 あんたには足向けて寝られんばい^^
                     (Tさん)




そう言って笑ってくれました。
あげくに会社での飲み会があるとわたくしが勤めるお店に
みんなを連れて来てくれて売り上げ協力までしてくれました。






何かの足しになれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい    ♪




もともと夜の勤めは好きではなく
離婚後、生きてゆくために選んだ道でせめての意地で
常に昼間も仕事を持って夜も働くという形を
若い頃からとっていました。


そのわたくしにとって彼がいた職場にアルバイトとして入ったことは
その後の人生さえ変えてしまうことになりました。



職種もわたくしには天職と思えるものでした。
(だから今でもそれに関わった仕事をしています)
おまけに彼に限らずその職場の課のみなさんに恵まれて
まるで職場でありながら家庭の中にいるみたいで
仕事に出ることが楽しみでたまりませんでした。




今だから告白しますが会社は基本的に土、日、祭日はお休み。
それでもわたくしは家にひとりでいるよりは・・って思い
こそーっと会社に出て行ってお休みで誰もいない時は
課のドアは暗証番号を打たないと開かないようになってるので
ひとりで入ったら閉めて机に向かってぼーっとしたりしてました。


もちろん誰もいないのですがわたくしの目にはみんなの姿が
ちゃんと見えてみんなの声が聞こえるようなのです。
そしてとてもホッとするのです。



残念ながら会社の規則でアルバイトは最長1年が期限でしたので
その後はそこの子会社に雇ってもらい移動しましたが
みなさんとのお付き合いはずっと続いていました。



彼は中でも体格はしっかりしていてたばこはやめている様子だったし
見かけによらずお酒は飲めない・・ある意味健康的なひとだったのに
彼の発病は信じられないことでした。





石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ          ♪


          つづく  
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2006年05月24日

命の別名

16年前にかぁさんを癌で亡くしてるわたくしは
以前の職場でお世話になったTさんが入院したと聞かされ
早速、お見舞いに行ってTさんに久しぶりに会った時に
実はすぐにいやな直感が頭を駆け巡りました。



この記事を読む前に
9月21日の記事、今は亡き・・Tさんへ
1月19日の記事、昨日 見た夢
5月20の記事、君たちを忘れないに彼のことを書いていますので
先に読んでいただいた方がわかりやすいかと思います。





何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい     ♪
 (中島みゆき  唄 命の別名)




わたくしにとって彼は特別なひとでした。
文章としてこの感情を表すのはとても難しいことですが・・・
あえて説明するならばわたくしのかぁさんが再婚した相手で
わたくしが元夫のもとを去ることにした時から
かぁさんと二人でわたくしの息子殿を幼い時から面倒見てくれて
かぁさんが亡くなっても今でもずっと息子殿と
一緒に暮らしてくれているおっちゃん・・・
(ずっとわたくしはおっちゃんと呼んでいるのです)



そのおっちゃんに顔がそっくりというのではないのですが
内面から湧き出る雰囲気がとてもよく似ていて
おっちゃんを見れば彼を思い出し、彼を見ればおっちゃんを思い出す。
不思議なひとでした。




もっとみなさんに理解してもらうためにおっちゃんの事を書きます。
おっちゃんはかぁさんよりも6つ年下です。
再婚してほぼ10年でかぁさんの癌が発覚して
それから1年足らずでかぁさんに先立たれた時は
おっちゃんはまだ46歳。
それからも再婚どころか彼女を作ることもなく
わたくしの息子殿と仲良く暮らしてくれているのです。


まるで「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事(藤田誠)って感じです。
そのおかげでわたくしは安心してのびのびと仕事も出来て
子育ての苦労も知らずに生きてこれました。





たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれども人には
笑顔のままで泣いてる時もある♪





息子殿が中学に上がる前にいい機会として


☆ パパもママが死んで・・彼女くらいつくらんといかんし
      あんたちょっと邪魔やけん こっちにこんね
                   (わたくし)



わたくしの言葉に息子殿は


★ パパはケンスケがおらんごとなったらさびしかって
               泣かすけん ダメよ
                    (息子殿)
                 




息子殿はわたくしのかぁさんをママと呼び・・
おっちゃんをパパと呼んでいたのです。
自分がいなくなったらパパがさびしがるとそういう優しさを
息子殿に持たせるおっちゃんとの生活はきっと息子殿にとって
とても居心地のいいものなんだろうと思います。
結局、ずっと二人は仲良く暮らしています。




彼はそんなおっちゃんに何だかとても似ていて
わたくしにとってはなんとも特別な存在なのでした。


             つづく  
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2006年05月23日

木蘭の涙

初めての方は5月20日の記事、君たちを忘れないから
先に読んでくださったらわかりやすいかと思います。
いつも読んでくださってる方は話が飛び飛びでごめんなさい。
何しろ毎日が記憶をたどりながら思いつきなものですから・・・



わたくしのかぁさんが肝臓癌のために亡くなるまで
入退院を繰り返した間の入院時は出来るだけわたくしは
週に1度の割りで病院へ顔を出しました。
気持ちは毎日でも通いたい想いでしたが自分の生活もあるし
あまり頻繁だとかえってかぁさんを不安にさせるので・・・
(かぁさんには癌の告知はしてなかったものですから)
高速を使って片道2時間の距離でした。





逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探してる
あなたを呼んでいる  ♪
 (スターダスト・レビュー 唄 木蘭の涙)





まず、病院に着くとかぁさんの気分転換のために
外出届けを出して病院の周辺の散歩に出かけました。
すぐ近くにある北九州旦過市場はいつものコースに入っていました。
しばらく福岡にも住んでいたわたくしにとっては
福岡の柳橋市場を思い出させる場所でした。



病気のためにやつれ始める前までは綺麗な長い黒髪で
いつもすっぴんでもちっともおかしくなかったかぁさんが
無造作に短い髪になって


”鏡なんか見たくない!”



かぁさんにそう言わせるほど顔色も顔つきも変わってしまって
それを見てると何だか哀れで涙が出てきそうになるので
ついわたくしはかぁさんより一歩後ろを歩いていました。



かぁさんの散歩の最大の目的は先生に止められていた
煙草を吸うことにもありました。
先生が言うには


”お酒はやめられないなら少しならいいけれど
たばこは血管をつまらせるから治療にさしさわりがあるんで・・”



でもかぁさんはお酒はやめられるけどたばこはどうしても
やめることが出来ないとわたくしに訴えるので
かぁさんのその時点の唯一の楽しみを取り上げるってことは
可愛そうな気がしてわたくしは強制出来ませんでした。





やがて 時はゆき過ぎ
幾度目かの春の日
あなたは眠るように
空へと旅立った  ♪




市場で調理済みのすぐに食べられるささやかなご馳走を買って
途中の小さな公園でベンチに座って食べるのも
わたくしたちの楽しみのひとつでもありました。
わたくしはたばこも吸わないしお酒も飲まないので
自動販売機でジュースを買って・・・
かぁさんはこっそりたばことカップ酒を買って・・・
そんな時はほんとにほっとした顔をかぁさんが見せてくれるので
永遠にこのままでいられたらと願ったものです。



かぁさんはいつだって強気で弱音を吐きませんでした。
体の具合が悪くてきつい想いをしていても
いつだって燐としていました。
だからわたくしはもしかしたらかぁさんには奇跡が起こるかもと
どこか期待する気持ちがありました。
かぁさんのことだから・・・・



こんな死にかかわる病状の時でもわたくしにとっては
誰よりも頼りになる心強い味方でした。





いつまでも いつまでも
側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね
わたしを置き去りに  ♪
  
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2006年05月22日

ペッパー警部

一度お邪魔した彼の家は長崎県佐世保市の通称石岳動植物園
石岳展望台に行く途中の道筋にありました。
急カーブだらけの上り調子の道。
山肌を縫うように住宅が建ち並んでいました。
よそ者の浅はかな想像では住みながらにして
毎晩、綺麗な佐世保の夜景が楽しめる夢のような場所でした。

彼とは当時佐世保の駅前辺りにあったアイススケート場で
声をかけられなんとなく友だちになりました。
高校の1年の頃の話ですから29年ほど前のことになりますか・・・
日曜日になるとたまに一人で1時間ばかり?
いや・・もっとかかったでしょうか?
バスにゆられて出かけていたスケート場でした。
残念ながら今はもう無くなっているようです。



ペッパー警部 邪魔をしないで
ペッパー警部
私たちこれから いいところ ♪
 (ピンク・レディー  唄  ペッパー警部)



彼はわたくしと同級で男子のわりにはわたくしよりも
背丈も小さくて小柄で明るく可愛い性格のひとでした。
そのおかげか異性でありながら恋というような淡い感情が
芽生えるということもなく同士っていうかなんと言うか・・
とにかくお友だちになりました。
でもなぜか連絡先を教えあったことはありませんでした。
もちろん携帯電話なんてない頃のことです。
偶然にそこで会えればいいってことでってことにしました。

だけど彼はおそらく毎週日曜日にはそこに来ていたのか
わたくしが行けば必ず会っていました。
そうそう何度か、かぁさんと一緒に出かけた時も彼はいて
かぁさんがとっつきやすいおばさんでもあったからでしょうけど
彼は物怖じすることなく寄って来て3人で食事もしました。

わたくしが彼の家に行くことになった成り行きが
今いち思い出せないのですがその日が大晦日で
彼の家のテレビでレコード大賞を見たことを覚えています。
彼に似た明るいおかぁさんと・・・
思えばそこも母ひとり子ひとりの様子でした。
わたくしはレコード大賞の大賞受賞の発表を聞いた後に
慌てておかぁさんに駅まで送ってもらったのです。
レコード大賞はピンク・レディーでした。
楽曲はもしかしたらこれではなかったかもしれません。



都会の空では 奇跡のような
星空ひろがる 夏の夜
ああ夢みたい その時なの
もしもし君たち 帰りなさいと♪


高校2年になってついにわたくしは同級生に初恋をして
もちろん佐世保へ出かけることもなくなり
彼に会うこともなくなりました。  
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2006年05月21日

どうにもとまらない

実は昨日のブログの更新は出先からの帰り道で
ある町の小さなインターネットカフェで行いました。
たまにその方向へ出かけた時にお世話になります。
そのお店は1階スペースはカラオケボックスになっていて
2階のスペースがネットカフェになっています。
いつのまにかわたくしもお馴染みさんになっているようです。

昨日はそこで珍しく・・・懐かしい物を見つけました。
それは今では骨董品とも言えるのではないかと思える
レコードを聴くためのプレイヤーです。
お店の受付のカウンターにさりげなく置いてありました。



うわさを信じちゃ いけないよ
私の心は うぶなのさ
いつでも楽しい 夢を見て
生きているのが 好きなのさ ♪
 (山本リンダ 唄  どうにもとまらない)



その型のプレイヤーはわたくしの記憶に間違いなければ
わたくしが生まれて初めて買ってもらった物と同じようでした。
持ち運び可能なコンパクトなものです。
プレイヤーと一緒に買ってもらったレコードの中のひとつが
山本リンダさんの「どうにもとまらない」だったと思います。
それはわたくしがある時期まで自分の父親だと信じていたひと
かぁさんの当時の彼・・パパから買ってもらった物でした。

わたくしはほんとに嬉しくてその直後のかぁさんとパパとの
擬似家族旅行にも持参したほどでした。
その旅行の様子は月の砂漠、2月25日の記事にあります。
このところずっと亡きかぁさんを偲ぶ記事が続いていますが
ゆうべのネットカフェでのプレイヤーとの出会いが
まるでとどめを刺すようにまたかぁさんとの想い出を
鮮明にわたくしの心に蘇らせてくれました。

あまりの嬉しさにそのネットカフェの責任者らしい
若いお兄さんに尋ねたら彼が自分の家にあった物を
面白いと思って持って来たのだということでした。



ああ蝶になる ああ花になる
恋した夜は あなたしだいなの
ああ今夜だけ ああ今夜だけ
もうどうにもとまらない  ♪


見るからにうちの息子殿と変わらない感じの彼に年令を聞くと
26歳でやっぱり6月で25歳になる息子殿と似たようなもの・・
だからわたくしとは親子のようなもので彼の親御さんが
わたくしと同じ時代を生きてきてあのプレイヤーを
今でも大切に保管してくれてたのかと思うだけで
何とも言えない不思議な感情と嬉しい気持ちでいっぱいになりました。  
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2006年05月20日

君たちを忘れない

この記事を読む前に前日と前々日の記事を読んでいただくと
わかりやすいかと思いますのでよろしくお願いします。



かぁさんが癌と診断されて(本人には胃潰瘍と告げられいていた)
実際に亡くなったのはそれから1年足らず・・
何度も入退院を繰り返した果てでした。
当時のことに触れた記事は1月12日から1月14日までの
終章(エピローグ)です。読んでください。




ありふれた愛も 届かぬ想いも
果たせぬ夢も 今 きらめいている♪
 (小田和正  唄  君たちを忘れない)




かぁさんは3度目の恋の相手と再婚していました。
わたくしが高校を卒業してすぐに元夫と一緒になることになり
実父もかぁさんとの離婚を承諾してくれて・・・
長い間、実父の愛人(内妻)として堪えてきたおばさんも
(わたくしは彼女のことをおばさんと呼んで仲良くしていました)
晴れて実父の籍に入り奥さんになることが出来ました。
おばさんの事に関しては12月24日の記事で別れの夜明けに書いてます。



かぁさんが亡くなる1週間ほど前にわたくしにかけて来た電話。
病院から公衆電話で


”また入院したけど今度はそんなに長くならないと思うから・・”



過ぎてみて思えばきっとかぁさんはもう感じていたのかもしれません。
自分の死が近づいていることを・・・
だから今度は長くならないと思うと言ったのでしょう。
単純に今度は入院が長くならないと理解してほっとしたわたくしは
まだまだ修行が足りませんでした。



かぁさんの容態が危ないからと病院から連絡をもらって
わたくしが駆けつけた時にはもう昏睡状態でした。
今でも不思議なのはあの緊急事態の時にわたくしは不謹慎にも
たまらない睡魔に襲われて立っていることさえままならない・・
そんな状態になってまわりに何かあったら起こしてくれるようにと
お願いして車の中で寝ていました。
前日はちゃんとまともな時間に就寝しているので睡眠不足ではなかったのに。




数え切れない出来事 その時その場所で
数え切れない思い出 今は君と   ♪




以前の職場でお世話になったTさんの時もそうでした。
Tさんが亡くなった日もわたくしは睡魔に襲われました。
もしやと不安になって確認のためにTさんの奥さんに携帯メールをしたら


”ついさっき亡くなりました”の返事。


当たって欲しくない勘が当たってしまった・・一瞬でした。




すべてのことは こうしてひとつになってゆく
涙にくれた日々も  愛の日々も    ♪




車の窓を叩かれ・・飛び起きてかぁさんのもとに急いだ。
先生の必死の心臓マッサージも虚しくかぁさんは・・・



ひとが死んで逝くときに残されるべく者が眠くなるのは
死者がそのひとを連れて行こうとしているのだと
何かで聞いたことがあるような気がします。
眠ってそのまま目が覚めなければ連れて行かれるのだと・・
もしもそれがほんとなら連れて行って欲しかったと
あの時は本心から思ったわたくしがいました。



一緒に傍にいなくても同じ空の下で生きていてくれている・・
それだけで安心して無茶も出来ました。
何がどうということでなく確かに支えてくれていた心のつっかい棒が
大きな音をたてて折れてしまったみたいな感じです。



かぁさんの存在はわたくしにとってそれだけ偉大なものでした。





この場所に来るたびに 心は揺れている
君たちを忘れない あの頃のぼくらを♪  
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2006年05月19日

恋月夜

実父との別居中の間のかぁさんの恋。
2つ目の恋はとても短い恋でした。


この事について書いた記事は12月20日のガラスの花です。
どうぞ読んでみてください。


それから初めての方はこの前日の記事でも読んでくださったら
わかりやすいかと思います。




あんたの匂いが恋しいよ
かざりも何にもいらないよ
ひとりじゃ寒かろ 辛かろうと
やさしい声が聞きたいよ  ♪
 (森進一 唄  恋月夜)




最初の彼とは10数年は続いていました。
かぁさんが偉かったとわたくしが思うのは
その彼との別れをわたくしに覚らせなかったことです。
さすがのわたくしでさえ気がつかないうちに終わっていました。


男と女って始まりよりも終わる時の方が何かと大変で
女としては辛いことではないかとわたくしは思っています。
その辛さを見せなかったかぁさんがわたくしはすごいと思ったのです。


この彼も2つ目の恋の彼と同じで妻あるひとでした。
かぁさんはもう亡くなっているので確かめるすべもなく
どちらからの別れだったのかがわかりません。



2つ目の恋をしている時のかぁさんはわたくしから見ると
それまでのかぁさんとはちょっと違っていました。
彼に会えない時間はなんだか自信なさそうでいつも不安そうでした。
まるで若い娘の純な恋を見ているようでした。


その不安に堪えられなくなるとわたくしに聞くのです。

★ ねぇ〜 あのひとのこと どう思う?


☆ う〜ん 多分ダメよ うちに(家庭に)帰るひとさ



わたくしはかぁさんが期待してる応えはわかっていました。
期待というよりも願っている応えというべきでしょうか?
でも、わたくしは正直に応えました。
彼を観察する限りそうとしか思えなかったからです。




どこでどうしていたなんていいよ
そうさ顔だけ見れりゃいいよ  ♪




わたくしが予想していた通りに彼は帰って行きました。
1年も続かなかった短いかぁさんの恋でした。
どんなことにも強気で万能で小さい体が大きく見えたかぁさんが
初めてかぼそく気弱に見えたあの頃がわたくしは忘れられません。


そんなかぁさんが娘のわたくしが大人になって・・・
かぁさんと同じように男性を好きになり心を持て余す様を見て
言った一言をあの頃のかぁさんに返してあげたかった・・・



「あんたの部屋とあんたの顔色を見たら一発でわかるよ^^
 あんたについてる男があんたにとっていい男なのか
 そうでないのか・・・いい男っていうのはあんたの心を
 穏やかにしてくれる男・・あんたを不安にさせない男」




どこでどうしていたなんていいよ
そうさ包んでくれりゃいいよ  ♪



「恋月夜」はかぁさんが好きな歌でした。  
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2006年05月18日

かぁさんの人生は恋多き人生でもありました。



わたくしが2歳半の頃から実父とは別居状態に入り
わたくしが高校を卒業してやっとのことで
実父に離婚することを承諾してもらい
当時の彼と正式に再婚するまでに
わたくしが知る限り3つの恋をしていました。





愛することに疲れたみたい
嫌いになったわけじゃない
部屋の灯りはつけて行くわ
鍵はいつものゲタ箱の中 ♪
 (松山千春  唄  恋)





最初の彼はわたくしが物心ついた頃からいたので
わたくしはてっきり自分の父親だとある時期まで信じていました。
月に1〜2度しか帰って来ないのは出張の多い仕事だからと
疑うことなくそう思っていました。




かぁさんと彼との話を書いた記事は月の砂漠
もうひとつの人生があります。
是非、読んでみてください。




わたくしが中学に上がった頃にやっと市営の住宅に抽選で当たって
それまでの雨が降れば雨漏りばかりの古い借家から
新築の市営の住宅に入居することが出来ました。



建物が新しくなっただけでなくまわりは何棟もの団地になっているので
山の中の寂しい一軒屋の借家と違ってある意味安心でした。



そうなったからなのかわたくしが中学になって
それなりにしっかりしてきたと思ったからなのか
かぁさんは時おりわたくしを残して数日留守をするようになりました。




かぁさんは行き先は言いませんでした。
わたくしもあえて聞きませんでした。




★ 3日したら帰ってくるから留守番しといてね。
  危ないけん、ガスコンロ使ったり包丁握ったらだめよ




そう言って3日分の生活費を渡して出かけて行きます。
ひとりではなく彼が一緒だということは察しがつきました。




そしてその頃にはすでに彼がわたくしの実父ではないということは
ある事をきっかけにかぁさんを問い詰めて聞いていたので
わたくしは理解していました。






今度生まれてくるとしたなら
やっぱり女で生まれてみたい
だけど二度とヘマはしない
あなたになんかつまずかないわ♪




変な言い方ですがこんな時にわたしはちょっと嬉しくなりました。
わたくしというまだ大人とは言えない人間を認めて
信じてくれたように思えたのです。




かぁさんがいる時にはほんとに危ないからと
何一つさせてくれませんでした。
過保護みたいに包丁さえ握らせてくれなかったのです。




だからこの時ばかりとわたくしはかぁさんの言いつけを破って
思いっきり学校で習った料理を作って食べて・・・
勘のいいかぁさんが帰って来てそれに気がついて誉めてくれることを
心のどここかで期待して待っていました。




日頃だってかぁさんは夜も昼も働いていて食事こそ作ってくれてるけど
ほとんど家にはいないのだし・・・そんなに変わるわけじゃない。
ひとりで起きて・・学校もちゃんと行って・・
何だかもうそれなりに一人前になったような気になっていました。




おまけにわたくしはかぁさんの”恋”のよき理解者なのだと・・・





男はいつも待たせるだけで
女はいつも待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめていた
それでも恋は恋      ♪  
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2006年05月17日

夕暮れ時はさびしそう

前日の記事のお話と同じ時期の事になりますが
最寄りのバス停から当時住んでいた借家までの
3つの坂道の2つ目の坂道での思い出です。
よかったら前日の記事から読んでください。



「母ひとり子ひとり」のふたりきりの生活だったわたくしは
まわりから一卵性親子みたいだと言われるほど
いつだっていられる限りかぁさんの後をついてまわる・・・
かぁさん一筋の子供でした。
もちろん、その日もそうでした。





夕焼け雲さん 伝えてくれよ
あの子娘のお部屋の 窓ぎわへ
虫にさされるのは いやだけど
肩を並べて いたいよと  ♪
 (N・S・P 唄  夕暮れ時はさびしそう)




どこかへ出かけた帰りでバスを降りて歩き出す。
2つ目の坂は最初の坂よりは少しばかり急で
わたくしはかぁさんの後を小走りでついて歩いていました。


手をつないでもらうのはもう卒業していたので・・・
辺りはもう夕暮れ時で食事の支度をしているお宅から
おいしそうな匂いがただようどこかホッとする時間帯でした。



うちへ帰ればかぁさんが台所に立つ。
それが楽しみで足どりも軽くなります。
そんな時にバタバタと何かが擦れるような音と同時に
わたくしの目に跳びこんで来たもの・・・
おそるおそる近づいて覗き込むとそれは羽に傷を負って
飛べずに溝にはまってしまってバタついてる雀でした。


”ねぇ〜 かぁさんかわいそうかよ 死なすかもよ”

”う〜ん・・うちに連れて帰るね?”

”うん! 帰ろ 帰ろ^^”



わたくしはかぁさんがそう言ってくれたことが嬉しくて
実は手の平に傷ついた雀を乗せてることの怖さも忘れて
はしゃぎながら歩いたのを覚えています。



自分ではまともに触ることも出来ないくせに
ただかわいそうだからと連れて帰った雀の手当てとお世話。
結局はみんなかぁさんの仕事になりました。


傷の手当てをかぁさんがどうやってしたのかは
正直・・わたくしは覚えていません。
ただダンボール箱にタオルを敷きつめて雀を寝せて
米粒を入れた小さなお皿と水を隅っこに置いていたようでした。




こんな河原の 夕暮れ時に
呼び出したりして ごめんごめん
笑ってくれよ ウフフとね  ♪



考えてみるとわたくしは全てをかぁさんに依存していました。
かぁさんに任せていれば大丈夫。
かぁさんさえいれば全てはうまくいくと・・・


助けた雀も確か1週間ほどで傷は癒えました。
飛ぼうと思えば飛べるはずの状態になっても
開いた玄関からなぜか雀は飛んで出よううとはせずに
土間をちょこちょこと可愛く歩く程度ですぐに
わたくしやかぁさんの側に戻って来ていました。
でも・・


”もうそろそろ仲間のところに帰してあげようか”


かぁさんが言って手の平に雀を乗せて庭に出て・・
空に向けて高くそのまま手の平を上げパッと放したら
雀はそのまま慌てたように羽をバタつかせてなんとか飛んで行き
青空の中で小さな姿は見えなくなってしまいました。



それでもわたくしたちはただボーっと空を見上げたまま
しばらく動くことが出来ずに黙って立っていました。
何だか寂しくて涙が出てくるのを知られるのが嫌で
わたくしはなおさら上を向いたままでいました。




夕暮れ時は さびしそう
とっても一人じゃ いられない♪



かぁさんの
”あー!!”って声で驚いて目線を変えると思わずわたくしも
”あー!!”って叫んでいました。
あの雀が戻って来て庭をゆっくり一周まわって
そしてわたしたちの目の前をさらにゆっくり旋回して
またあの空へと帰って行ったのです。  
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2006年05月16日

母に捧げるバラード

わたくしが小学4年の頃、35〜6年前のこと
住んでいた借家は最寄りのバス停からは
3つの坂道を登りきった所にありました。
当時のもうひとつの思い出を4月17日の記事で
青春の坂道に書いていますので先に読んでください。




セリフ
お母さん、今ぼくは思っています。
ぼくに故郷なんかなくなってしまったんじゃないかと。
そして、残っている故郷があるとすれば
それはお母さん、あなた自身です。
 (海援隊 唄  母に捧げるバラード)





最初の坂道はわりと緩やかで途中には
わたくしが通ったそろばん教室と同級生の家が一軒。
とりあえず一度坂道が切れて左側にちょっと歩くと
かぁさんにねだってよく立ち寄った駄菓子屋さんがありました。




わたくしが大好きだったのは大きな馬糞紙(ボール紙)に
大、中、小さまざまな大きさの甘納豆の入った袋が
上から大きい順に貼り付けて壁にかけてあって
子供のわたくしたちは箱に入れてある赤い三角のくじを引いて
1等、2等、3等・・・はずれ?
その結果次第で甘納豆の袋をいただけるようになっていたもの。




わたくしがひとりで寄った時ならいいのですが
かぁさんと一緒に寄るとなかなかそのくじは引かせてもらえません。
なぜかというとかぁさんがお嫁に行った先は
バス停の前でバスの切符もあり化粧品もあれば文房具もあり
もちろん駄菓子も売ってるお店をやっていて
なのに舅さんも姑さんも学校の先生だったので
お店の番はもっぱらかぁさんの役目だったそうで
かぁさんが言うには最初からは当たりくじは入ってないよ・・と




それでもわたくしはかぁさんが我慢させるために言ってるんだと
そう思っていたのでひとりの時にちょいちょい挑戦していました。
確かにかぁさんが言ったように大きな袋を手にすることは
滅多になく残り少ない状態になってる時の方が
確立が高かったような気がしました。



そんなある日・・
かぁさんが珍しくわたくしを自分から駄菓子屋さんに誘って
勢いよくお店の引き戸を開けて入って行きます。
そしていきなりお店のおばさんに


”あの甘納豆のくじ・・くじごとみんなちょうだい!”



あっけにとられておばさんもわたくしもかぁさんの顔を見た。
それでもかぁさんが本気で言ってるってことを覚ると
おばさんはくじ一式をかぁさんに渡してくれました。



持ち帰る時のわたくしは嬉しくてルンルンだったけれど
ひとりでくじを引いて目の前にある甘納豆を取るっていうのは
なんとも・・・


”おもしろくないぞ〜!”って気分でした^^




まるで芥川龍之介の芋粥です。

かぁさんはまだ子供のわたくしにずいぶん酷な悟りをさせたものです。






今も聞こえる あのおふくろの声
ぼくに人生を教えてくれた やさしいおふくろ♪

  
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2006年05月15日

風は南から

佐賀市街地から車でほぼ30分。
古湯という温泉町にそのお店はあります。
嘉瀬川沿いを山にむかって車を走らせ
雌淵、雄淵トンネルを抜けると古湯の町に入ります。



天河橋という小さな橋を渡り間もなくJAのガソリンスタンドを
右手に坂を下りてゆくとすぐ左側に佇むお店。
そこが瓦そば田舎です。
このお店の斜め前の赤い橋を渡ると以前の記事で紹介した
旅館清川も坂の上に見えます。




白い鳩が大空を舞う
夏の朝の光を目指してまっすぐに♪
 (長渕剛  唄  風は南から)




瓦そばとは焼いた瓦の上に香ばしくこれも焼いた茶そばをのせ
トッピングには牛肉、錦糸玉子、ねぎ、きざみ海苔
レモンをのせたもので専用の汁にもみじおろしを加えていただきます。
わたくしはここのもうひとつの名物なのですが
こんにゃくをちぎった 刺身こんにゃくも大のお気に入りです。



このお店のマスターとももう15年ほどのお付き合いになりました。
わたくしと同じバツイチさんで確か昭和30年生まれだったと
わたくしは記憶しています。わたくしの携帯電話販売の仕事での
お客様の輪で繋がった出会いで始まったお付き合いです。
古湯の町ではマスターを拠点にずいぶんとお客様の輪が広がりました。



お店はマスターとマスターのおかぁさんであるばぁちゃんと
お姉さんであるねぇちゃんとバイト生でやっていました。
いました・・というのはねぇちゃんが去年の7月に亡くなったのです。
まだ50代で・・癌でした。
わたくしはマスターはもちろんねぇちゃんのシャキシャキした声と
いつも明るい笑顔に元気をいっぱいもらっていました。




今頃君はまだ 深い深い眠りの中
この僕の想いよ君の街まで吹いて行け♪




福岡の娘さんとのメールのやりとりのためにと
パソコンのリースとネット環境のの工事の仕事をもらった時
わたくしも工事の立会いで一緒にいたのですが
ねぇちゃんの子供みたいな嬉しそうな顔は忘れられません。


ねぇちゃんのいないお店でもなぜかわたくしの耳に
ねぇちゃんのつっかけ(サンダル)の音や明るい声が聞こえたようで
思わずカウンターの向こうを見てしまう自分がいます。



心なしか以前より元気がなさそうなばぁちゃんも気になります。
そのくせ・・わたくしには変わらない明るさで話しかけてくれる・・
よけいにばぁちゃんの背中が愛しく感じます。



ねぇちゃんはいなくても今年も9月になればやってくる
古湯の町あげてのイベント古湯映画祭



”ねぇちゃん!今年は店で仕事せんでよかけん
          うちと一緒に行こうー!!”




そして君の心に突き刺され
今 風は南から     ♪



6月3日、4日は「古湯の森音楽祭」も待っています。  
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春だったね

昨日は先週の記事で予告しましたとおりに
先生と再びプチお出かけドライブと洒落こみました。

午後3時半に先生宅へお迎え・・いざ出発です。
国道34号線を佐賀から鳥栖福岡方面へ走り
佐賀県神埼市の神埼町役場前という信号を背振方向へ
山に向かって登って行きます。




風に揺れるタンポポそえて
君の涙をふいてあげたい
あ、僕の涙はあの時のまま♪
 (吉田拓郎 唄  春だったね)



道なりにまっすぐまっすぐ長閑な田舎道を行きます。
気分はまるで山に吸い込まれるように・・・・
平坦な道から少しずつ上り調子の道に変わってゆくと
左側には川の姿が視界に入り下の信号からほぼ10数分?
昭和バスの「岩屋」というバス停のそば。
今回は先週の豪華な食事とはちょっと違ってささやかな庶民の味。
おいしいうどんが最終的なお目当てでして・・
ここに”岩屋うどん”があります。
佐賀県神埼市背振町岩屋・・・

大人気の売り物は特大のしいたけが入っているしいたけうどん。
直径10センチはあるのではないかと思えるしいたけが
甘辛く味付けされてうどんの中に入っています。
それがたまらなくおいしい・・忘れられない味です。

一杯550円の庶民の味についてくるおまけ。
屋外に設置されたテーブルでいただくとついて来ます。
それはあっと驚くロケーションです。
お店の下を流れる城原川と向かい側の木々の緑。
ほぼ右下には岩屋の滝が流れそのそばの水辺のには
つつじの一群が花を咲かせていました。

お店の外にある坂道を下りて行った所のこじんまりした敷地は
オートキャンプも出来るようになっていいて
そこではうどん屋さんに注文すればバーベキューも可能です。
ちょっとだけタイミングをはずしましたが
もう少し早い時期に出かけていたらそこの藤棚の
藤の花の美しさも楽しめたとのことでした。

一杯550円で味わえるしあわせ^^
ついてくるおまけに更にいっぱい癒やされて
またまた先生の顔はスマイルマークでした。



広い河原の土手の上を
ふり返りながら走った
あ、あれは春だったね♪


追記
ただひとつ気になったことがありました。
先生とふたりで空を見上げていると一直線にまっすぐに流れる雲。
それも太さがそれぞれ違う4本の線・・・
山を下りるまで消えることがなかった線・・
あれって地震雲??
  
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2006年05月13日

空よ

前回に続いて温泉のお話になります。
今日はわたくしが福岡の友だちから教えてもらって以来、
個人的にひとりでふらりと出かける立ち寄り温泉のお話です。

佐賀を出て鳥栖筑紫野有料道路を利用して福岡県に入り
県道31号線をただひたすらまっすぐに車を走らせます。
福岡市南区の井尻の変形六つ角の信号を過ぎて
井尻橋を渡ってすぐに左に折れ・・
那珂川の河川敷を700メートルほどゆくと
その温泉旅館は右側にあります。
博多温泉富士の苑です。

わたくしがもしもこの近所に住んでいるのであれば
お天気のいい日は散歩がてらに那珂川の水の流れる音や
空に浮かぶ雲の変化を楽しみながら通えるのにと
つい妄想の世界に入ってしまう自分を止められません。



空よ 水色の空よ
雲の上に 夢をのせて
空よ わたしの心よ
思い出すの 幼い日を♪
 (トワ・エ・モア  唄  空よ)


わたくしももう2年以上はご無沙汰になっていますが
以前はずいぶんと通った時期がありました。
ここは泊まり客ではなくてもお風呂だけの外からのお客も
1時間400円で入浴させてくれるのです。
去年の9月26日の記事、とある温泉旅館でにも
ここでの思い出を書いていますので読んでみてください。

潮湯の天然かけながしで温泉質も最高とのことです。
もちろん内風呂もありますが
もっぱらわたくしは外の方の寝湯専門でした。
ほどよくぬるいお湯になっているのでいつまでも平気で浸かれます。
もじどおり浅い湯船に青空天井にゆったり寝ていられるので
うっかりするとほんとに寝てしまうことも・・・

そんなわたくしがここへ来て癒やされたことのひとつは
見ず知らずのおばぁちゃんたちとの会話でした。
最初は知らない者同士・・声をかけることもありませんでしたが
何度も顔を合わせるようになり軽い挨拶から始まって
いつのまにかお互いのその日の顔色や肌の状態まで
気にかけて心配するようになったこと・・・
優しい心の交流さえ生まれるという嬉しさを知りました。



ふるさとの 野山で
はじめて 芽生えた
あどけないふたりの 小さな愛♪


ほとんど聞き役だったわたくしでしたが
いろんなおばぁちゃんのそれぞれの人生や今の想いを聞くことは
わたくしの心の中で勝手に笑いあり・・涙ありの
生の感動ドラマを作ってくれました。
どこか今は亡きかぁさんの人生と重なる部分を感じると
なおさら、そのおばぁちゃんを愛しく感じたりしました。

月曜日と木曜日は旅館からの送迎バスが出るとかで
その日は特にたくさんのおばぁちゃんたちがやって来ました。
きっとおばぁちゃんたちにとってここでのわずかな時間。
お風呂でのひと時は大切な”命の洗濯日”なんでしょう。



空よ 教えて欲しいの
あの子はいま どこにいるの♪
  
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2006年05月12日

山ありし日のまま

わたくしは8年ほど前になりますか・・・
週に2回、夜は代行運転のアルバイトをしていました。
きっかけはその代行運転会社の社長さんが
わたくしの友だちの”いいひと”だったし
わたくしは運転は特別に得意ではないけれど
好きだったので興味半分で手伝いがしたいと言ったら
早速、アルバイトに雇ってくれました。

もちろん今ではバイトは辞めています。
そして社長さんとその彼女とのお付き合いも終わっています。
でもなぜかわたくしと社長さんとの交流は続いています。
理由はお互いに趣味が同じなのです。

おいしいものが好き。
温泉が好き。
そのためなら運転がちっとも苦にならない。
(実は最近のわたくしは運転に多少飽きていますが・・)



振り仰ぐ大空に雲は流れゆく
悔やめども山はただありし日のまま♪
 (サザンオールスターズ  唄  山はありし日のまま)


ブログを始める前までは頻繁に日帰り温泉へ出かけていました。
高速を使えば1時間強で熊本の山鹿温泉へも着きます。
24時間営業の貸切風呂が待っていますので
夜中に車を飛ばせばゆっくりお風呂につかって
(誤解のないように・・別々のお風呂に入ります)
充分に朝には帰って来れるのです。

あちこちの温泉に行きましたが中でもお気に入りは
熊本小国はげの湯温泉地帯にあるくぬぎの湯です。
ここへは高速を使っても2時間ばかりはかかりますが
それでも夜中に出て明け方には帰りついていました。

出かける時は決まって社長さんの仲間の
T市にある代行運転会社の社長夫婦も一緒でした。
みんな温泉が大好きなのです。
敷地内には何棟もの家族風呂や露天風呂が並んでいて
部屋を選んで入り・・コインタイマーにお金を入れると
約30分間お湯が出て約5分で湯船が一杯になります。

家族風呂 50分 800円
露天風呂 50分 1200円
露天風呂 50分 1600円
(ひのき)
料金は何人で入っても同じです。
ご夫婦はふたりで・・でしたが
あとはそれぞれひとりでひと部屋確保しました。
贅沢に50分1200円の露天風呂の方です。



涙もろき春の空 チラリホラリ
せつなく粉雪が舞い降りる  ♪



山の中にあるって感じの温泉地帯。
湯船につかっているとほんとに静かな景色の中で
まわりの木々の呼吸が聞こえてきそうです。
ひとり占めのお湯。
ひとり占めの夜空。
ひとり占めの・・・空気。

もうひとつの究極の楽しみがあります。
くぬぎの湯には”蒸し地獄”と言って地熱を利用した
蒸し器のようなものが何個か並んでいてお風呂に入ったら
それを自由に使うことが出来るので昼間のうちに
たまご、海鮮各種、さつまいもなどを調達しておいて持参。
お風呂から上がったらまるでキャンプに来た子供みたいに
蒸し地獄で蒸した牡蠣や蟹、たまご・・etc
夢中になって食べるのです。

おいしいもの・・・
おまけに温泉・・・

この世の天国を見つけた気分でした。



別れの言葉を告げて振り返れば
可憐に佇む尾根の白百合   ♪  
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2006年05月11日

憎みきれないろくでなし

前回の記事を書きながら思い出したことがありました。
わたくしが通っていた小学校は当時(小学校4年まで)
住んでいた町から子供の足で歩いて30〜40分の距離で
歩いて登校というのが決まりの学校でした。


校区の問題でちょうどわたくしが住んでいた辺りが
もうひとつの別の小学校との真ん中って感じで
どちらへ行こうと同じような距離でした。



すぐ近くからの登校の子はいいのですが
わたくしたちみたいに遠くから通う子たちは
朝は近所の子たちと決まった場所に集まって
集団登校するのが決まりだったようです。



もちろん親たちがついて来るわけではありませんので
上級生が下級生を守るように歩いていました。




昨日は昨日で どこかで浮かれて
過ごした筈だが 忘れてしまったよ
         気障な台詞だね♪
 (沢田研二 唄  憎みきれないろくでなし)




わたくしは幼い頃から犬やネコが大好きで
捨て犬や捨てネコ・・気がつくとわたくしの後をついて来た
迷い犬を連れて帰ってはかぁさんを困らせていました。


幸いにその頃に住んでいた借家は古いけれど
庭だけはとても広い家でかぁさんに頼み込んで家族にした
”マリ”という雑種の赤犬がいました。


この家での別の思い出は12月17日の神田川という記事に
書いていますのでよかったら読んでみてください。


マリにはずいぶん鍛えられました。
ちゃんと柱につないでついて来ないようにしていたはずなのに
気がつくとちゃっかりと集団登校の列の後ろに
澄ました顔してぴったりついて来ているのです。



それもすでに半分以上は学校に近づいているような場所で。
驚いてマリの顔を見るわたくしと目が合うと
ほんとに嬉しそうに得意げにしっぽを振って・・・




こんなに真面目に 愛しているのに
昨日や明日は関係ないだろう
         決まり文句だね♪



学校の敷地内に入った犬は犬とりに渡すのだと
先生に脅かされていたわたくしはただ慌てて走り出します。


上級生に早めに追いつくからと声をかけて
逆方向に家に向かって走り出すわたくしにマリがついて来ます。
わたくしのつらさなんておかまいなしに
マリは嬉しくてたまらない様子です。



今度こそはついて来ないようにとかぁさんにマリを渡して
わたくしはまたダッシュでみんなの列まで戻るのです。
そんな朝が何回あったことか・・・



わたくしにとってこの時のマリがまさに
”憎みきれないろくでなし”でした。




最後は疲れて疲れて私の胸で
眠るつもりでいるのでしょうね
憎みきれないろくでなし
憎みきれないろくでなし  ♪  
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雨の物語

きのうからこちらは雨でした。
今は止んでいる様子ですが春の嵐といったところでした。



化粧する君の その背中がとても
小さく見えて しかたないから
僕はまだ君を 愛しているんだろう
そんなこと ふと思いながら  ♪
 (イルカ  唄  雨の物語)


わたくしは雨も決して嫌いではありません。
かと言って長雨には困ることもありますが
たまに降る雨にはほっとしたりします。
雨どいをつたう水の音が何だか子守唄のように
わたくしを包んで油断していると夢の世界へ誘います。

雨・・・・
なぜか思い出します。
小学校の授業中の窓から見えた校庭。
ついつい気はそぞろで外に目がいってしました。

タイヤを埋め込んだ跳び箱(?)
高さの違う鉄棒が3つ・・・
風に震えるバックネット・・
出番を待ち構える季節はずれの25メートルのプール。
雨に濡れた情景がなぜか温かいものに思えたあの時でした。



窓の外は雨 あの日と同じ
肩を濡らした 君が
ドアのむこうに 立っていたのは♪


休憩時間になっても誰ひとり遊ぶことのない雨の校庭で
どこからやって来たのか戯れているわんこの姿に
わたくしはハラハラとして心で叫んでいました。

”早くおうちにかえりぃー!”

先生が言っていたから・・・
野良犬が入ってきたら犬とりに渡すって。
犬とりとは保健所のことで飼い主が現れなかったり
せめて里親でも見つからなかったら処分するとこらしくて
わたくしはわんこにそんな想いをさせたくなかったのです。



窓の外は雨 雨が降ってる
いく筋もの雨が
君の心の くもりガラスに♪


雨・・・
びしょ濡れになって帰りつくとかぁさんが決まって
縁側にわたくしを座らせて足を拭きあげてくれたっけ。

  
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2006年05月09日

いつか街で会ったなら

わたくしがまだ若かりし頃、福岡の街に住んでいた時、
たまのお休みの日の唯一の楽しみと言えば街の散策でした。


特にこの季節のお天気のいい日は最高の散策日和で
冷泉町にあったアパートを出て国体道路を天神方面へ
上向きかげんの気分で歩き出します。



昼間の中洲周辺は夜の華やかさとはうってかわって
寂しいだけでなく少しばかり小汚い感じで
その辺りは意識的に足早に通り過ぎていました。



那珂川にかかる春吉橋を渡りきりしばらく歩くと
道沿いの右側のビル2階にたまに出かけたお店で
もつ鍋屋さんの「笑楽」今でもあるのでしょうか?




何気ない 毎日が
風のように 過ぎてゆく
この街で 君と出会い
この街で 君と過ごす ♪
 (中村雅俊 唄  いつか街で会ったなら)




そこまで行くともう間もなく見えてくる
まるで別世界のように賑やかな天神の街。
わたくしはデパートみたいな建物の中の人ごみは苦手ですが
街を行き交う人の波はなぜか好きです。
すれ違うひとたちの顔はみんな不思議と明るい笑みで輝いて
こちらまでが楽しい気分になれる気がするのです。



大丸デパートの角の信号を更にまっすぐに横断歩道を渡り
警固神社を横目に赤坂方面に歩いてゆくと
わたくしの大好きなお洒落なけやき通りへと行けます。


わたくしの目を奪っていたのはこじんまりした店構えの骨董店や
かわいい小物を揃えた雑貨のお店・・・
それに海を渡って来たのでしょうかって感じの
外国物の古着屋さんでした。



その古着屋さんの壁にディスプレイしてあったジーンズ。
ほんとか嘘か・・・亡きジェームスディーンが愛用していたという
見た目には普通のジーンズが40万・・・?
今でもわたくしの記憶の中に鮮明に残っています。
あの頃からわたくしの古着屋さんめぐりの趣味が始まりました。



たまにはメイン通りを横道にそれて見知らぬ路地に入り込むと
思わぬ掘り出し物のような粋なお店を発見したりして・・・
それがまたアンティークっぽいカフェだったりすると
自分の隠れ家を見つけた気がしてうきうきしたものです。




この街で夢を壊したことも
君はきっと忘れるだろう
それでも いつか
どこかの街で 会ったなら
肩を叩いて 微笑みあおう ♪



そんなわたくしの想い出の町並みやけやき通りを
今では息子殿が楽しむ年頃になりました。
他のものはともかく同じような古着屋に心奪われ通っていると・・・
小粋な時のいたずら・・・ちょっとうれしい気分です。  
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2006年05月08日

風 

前回の記事からの続きになってます。
初めての方は前の方からどうぞ読んでくだいね。

わたくしたちが予約していた料理は白磁コースです。
メニューは
★付き出し ★ユッケ風鯉の珍味
★鯉のあらい★サラダ
★鯉のあんかけ★鰻★飯★鯉こく
★香物★果物
お一人様 3675円也

他に青磁コース、赤絵コースがあります。
もちろん単品での注文メニューもあります。
いただいたコメントの中に質問がありましたのでお答えします。
鯉こくとは・・鯉のお味噌汁です。



振りかえらずただ一人一歩ずつ
振りかえらず泣かないで歩くんだ
何かをもとめて振りかえっても
そこにはただ風が吹いているだけ♪
 (はしだのりひことシューベルツ 唄 風)


テーブル越しに先生の幸せそうな笑顔を見ていると
なおさらおいしくなる鯉料理でした。

次の先生の行き先のリクエストは有田ギャラリーです。
有田焼き、伊万里焼きの販売をするショップでもあり
食事メニューもある珈琲ショップ・・・喫茶店です。
ここでのわたくしのお気に入りの食事メニューは
ごどうふ定食です。
有田名物のごどうふはプリン風豆腐というか・・・?
なんとも説明しがたい・・とにかく絶品なのです。

今回は食事は済ませていますので食後の珈琲タイムということで。
喫茶スペースの四方の壁いっぱいに展示してある2000種もの
コーヒーカップの中から好みのカップを選んで
それで珈琲を飲ませてもらえます。
あまりの数の多さに決めがたいのが悩みの種ですが・・

先生は珈琲タイムに入る前にここで購入した
小さなお地蔵さんのお香立てにご満悦でニコニコです。
わたくしが思わず見つけたのですが

”あんたがよかとば見つけてくれたけん(笑 ”

そんなに喜んでもらえたらわたくしも嬉しい限りです。



人は誰も恋をした切なさに
人は誰も耐え切れず振りかえる♪


ついつい先生の笑顔につられてまた約束してしまいました。
来週の日曜日もプチお出かけ!  
Posted by net_i5750 at 22:00Comments(80)TrackBack(0)

昨日は以前、地上の星という記事で紹介した
先生と久々のデートでした。
佐賀市内から車で一般道を使って片道1時間半弱。
焼き物の町として有名な有田へのドライブです。



人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴりさみしくて振りかえっても
そこにはただ風が吹いているだけ ♪
 (はしだのりひことシューベルツ 唄  風)



最大の目的は二人とも大好きな鯉料理をいただくこと。
しかも創作川魚料理料亭龍泉荘で・・・・
午後1時半に予約を入れていたので12時出発でした。


日本名水百選・水源の森に選ばれたという地にあります。
調理場と受け付けのある母屋を拠点に
数個の古民家風に建てられた離れがあり
そのなんとも風情のある隠れ家のような離れで
わたくしたちは優雅に食事をいただけるのです。

さすがに焼き物の里有田ということもあって
器使いのセンスにはため息が出ます。
深く大きめの丸い器にまるで雪のように氷を砕いて敷き詰め
鯉の洗いを紅い薔薇のの花びらののごとく散りばめる・・・
ちょっとした飾りつけに自然の中に咲く季節の草花を
さりげなくあしらう心使いには料理の味の良さはもちろん、
目で楽しむ喜びも教えてくれます。

料理の品の数だけ入れ代わり立ち代わり・・・
それぞれに違う品のいい仲居さんが料理を運んでみえるのにも
最初に訪れた時はほんとに驚きました。
それも20代から50代までと思える満遍ない年齢層で・・・

部屋のガラス戸から見える木々やかすかに聞こえる風の囁き。
下を流れる川のせせらぎは全ての現実を一瞬忘れさせてくれます。
年に1〜2度の割りで訪れる場所ですが
その度に思うことがこれで宿泊設備があればということです。
せめて一晩の夢を見たい・・と願うひとときです。



何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が吹いているだけ♪


               つづく
  
Posted by net_i5750 at 00:02Comments(68)TrackBack(0)

2006年05月07日

もう少し 

前回の記事、もう少しの続き的なものになります。
読んでない方がいらしたら是非そちらからどうぞ。
5月5日の記事です。


次のマスターのお店はちょいと純喫茶とは違って
いろんな食事も出す食堂のような喫茶店です。
営業時間も午前9時から明けて午前2時までと長時間です。
おのずと客層もさまざまです。
そしてここも開店から30年を越えているそうです。



わたくしはこのお店に通うきっかけになったのは
夜の勤めをしていた頃に仕事が退けてからでも開いてる喫茶。
しかも食事も出来るということで魅力を感じて入りました。
車を預けていた駐車場のそばでもありましたので・・・
その駐車場の秘話も記事にしています。
愛を信じたいという4月10日の記事です。
よかったら読んでください。




もう少し ねぇもう少し 私を照らしていて
流れ星のように消えないでね
はかない夢のように          ♪
 (kiroro 唄  もう少し )




午後3時以降はマスターが仕切ってバイト生と頑張っています。
それ以前はマスターの奥さんが頑張っています。
昼間は学生や付近のサラリーマンの方でいっぱいで
どちらかというと男性のお客様が多いようなので
食事を頼むと普通でも大盛り状態です。
男性のお腹を満たすためのお店の気づかいが癖になってしまって
つい女性のお客様に対してもそうなってしまったのだと
マスターがある時、女性に説明しているのを聞きました。



わたくしがよく注文するのは”ケチャップ味のハムライス”
要するにチキンライスのハムバージョンです。
後は実はメニューに載っていないのですが
昔風のナポリタンスパゲティーです。
お子様味のケチャップが好きなのです。



今風の洒落た感じではありませんがほっとします。
子供の頃に食べていた懐かしい味を思い出させてくれるのです。
なぜか夜中にふっと恋しくなって出かけます。
今はブログを更新し終わって一息ついた時間などに・・・



考えてみるとわたくしが通う喫茶店3軒とも
オーナーは70歳前後です。
きっとカウンターの向こうからいろんなお客様の人生を垣間見て
いろんな形で受け止めて優しく包み込んでくれているのだろうと
わたくしは勝手に想像しています。





あと少し ねぇあと少し 私を抱きしめていて
いつのまにか 深い眠りに入るまで    ♪

  
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2006年05月05日

もう少し

現在、わたくしの行きつけの喫茶店が3軒あります。
ひとつは学生街の喫茶店って記事で書いたマスターのお店。
もうひとつは明日って記事で書いたママのお店。
最後のもうひとつは後日にまた紹介しますがマスターのお店。





もう少し ねぇもう少し あなたの側にいさせてよ
本当はずっとここにこうしていたいから    ♪
 (kiroro 唄  もう少し)




どのお店もたまらなく居心地のいい帰りたくなくなるお店です。
ひとつ目のマスターのお店は30数年続いているお店で
今では珍しい俗に言う純喫茶です。



実はわたくしが最初にこのお店に訪れたのは中学の頃ですから
もう30年は前のことです。
マスターはそれに気がついていません。
何しろ同級生という記事にも書きましたが
あの頃のわたくしとはだいぶ変わりました。
外見は変わらないらしく友達にはすぐばれるのですが
性格から出る雰囲気がきっと変わっていると思います。



中学の頃は通信教育で速記というものを習っていて
定期的にスクーリングといって佐賀大学へ通っていました。
その時にかぁさんが着いて来てくれてて
喫茶店好きのかぁさんと立ち寄ったお店でした。



かぁさんいわく・・・布で出来た濃し機を使って入れる珈琲が
ほんとはいちばんおいしいのだと・・
マスターのお店はこの辺では唯一それで入れるお店です。
後はダッチ珈琲と言って水出し珈琲を自慢にしています。
しかも豆は自家焙煎です。
時おり、すごい音をたてながら豆を焙煎しています。
そのうるさいほどの音さえ心落ち着けるものになっていることに
わたくしは不思議な気がします。



マスターは確か73歳・・・?
そこそこ高齢のもちろん男性です。
なのにマスターを見るとかぁさんを思い出します。
珈琲の入れ方にも妙に拘った職人気質。
正直で真面目で不器用で・・・
どこか気弱そうなのに実は心が(芯)強いひと。



かぁさんも若い時は福岡で初めての女のソフトバーテンだったと
よくわたくしに自慢していました。
マスターを見ているとかぁさんの姿と重なって
とても懐かしい気持ちになっていきます。
気がつくと恥ずかしながらカウンターに顔をうずめて
いつの間にか眠ってしまってることがあります。
寝つきと寝起きが素晴らしいわたくしでもありますが
ここはすごく安心できる場所なのです。



わたくしと同じように子供の頃から親に連れて来られて
いい年になった大人になって一旦は就職のためや
結婚をしてこの土地を離れて行ったというひとたちも
帰って来るとマスターの顔を見に来るというお客さんが絶えません。



彼等にとってここはもうひとつの心の実家かもしれません。





カレンダーめくるたび 二人の時間とぎれとぎれ
思い出ばかり増えて
このまま夢を見させて          ♪




わたくしにとってもとなりのお嬢さんのお嬢さんママと並んで
かぁさんを思い出させてくれる大切なひとです。
 
  
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2006年05月04日

ひまわり

息子殿は6月22日に生まれました。
あれからもう25年の月日がたとうとしています。
ほんとは7月7日が予定日でしたので
2週間ばかり早い出産になりました。



かぁさんはわたくしの安産のためにと
出来るだけ歩くということを勧めました。
だから24年前のこの時期はよくかぁさんと歩きました。
幼い頃にかぁさんと散歩した時みたいに・・・




北へ南へ東へ西へ
人は流れ流れて河川を下る
北へ南へ東へ西へ
たどり着くまでに太陽が笑う♪
 (長渕剛  唄  ひまわり)



当時のわたくしが元夫と暮らしていた借家から
かぁさんが住んでいたアパートまでは歩いてほぼ20分。
そこまで行って一息ついて今度はかぁさんと歩き出します。
着く頃には海につながる川沿いのサイクリングロードを
わたくしたちは出来るだけ選んで国道を横目に歩きます。



片道8キロほどの距離で思えば散歩とは言えない
すごい距離と所要時間でした。
きっとその間にいろんな話をかぁさんとしたのでしょうけれど
どんな話をしていたのか・・・
なぜか不思議と思い出せないわたくしです。




見上げる空からしあわせが降る
しあわせはやがて水になってくれるだろう♪



ただ目を閉じて記憶をたどると頬を打つ気持ちのいい風と
海に近づくにつれ漂ってくる潮の香りが
まるで今でも現実のようにわたくしを包むのです。



どんな時もかぁさんの存在を感じるだけで
心強く・・・安心することが出来ました。
かぁさんがいれば何も困ることはない、何も恐れることはない。
わたくしにそう思わせていたかぁさんはすごいひとだったと
今更ながら感じます。


そして思っています。
きっとわたくしはしっかりしている息子殿にとって
不甲斐ない母親なんでしょうと・・・
かぁさんがわたくしにくれた安心感をこのわたくしは
息子殿に与えてあげられずにいるのでしょうと・・・



♪見上げる空にはひまわりが咲き
ひまわりはやがて土に抱かれて眠る♪



でもいつかはきっと・・・
必ずいつかはきっと・・・
そう心に念じて生きていかなければ・・・  
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同級生

先日の事故、詳しいとは5月2日の記事、
ぬくもりを読んでみてください。

この件で警察署に出向くことになり
わたくしは暫く会っていない同級生のことを思い出しました。

彼はわたくしが中学に上がった時に転校して来ました。
わたくしが通った小学校ののそばの交番に勤務するための
警察官である彼のお父さんの転勤によるものでした。




雨でよごれた校庭で
彼はボールを追っていた
そっとさし出すハンカチに
白い微笑みくれました  ♪
 (森昌子  唄  同級生)



彼は転校生だというのに物怖じしない大らかなひとでした。
背も高くきっとお父さんの影響もあって柔道をしていたので
体格もしっかりしていてとても目立つ存在になりました。

その頃のわたくしはといえば口数も少なくて
決して明るい性格とはいえませんでした。
純文学の本ばかり読んでいて「勉強家」と噂されて
背の高い痩せた体型でしたので「オリーブ」ってあだ名でした。

そんなわたくしから見た彼はまるで太陽のような・・・
まわりを暖かく包む・・ほどよい日なたのようでした。
それなりの茶目っ気やいたずら心は持っていて
しっかりと強い正義感も隠し持っていました。

そんな彼のいたずら心のおかげで今のわたくしがいると
中学を卒業して高校生になり・・時は流れて・・
世の中に出てみてつくづく感じるようになり
わたくしは彼に感謝しています。

彼とは中学の3年間ずっと同じクラスでした。
1年の時に新学期と同時に転校して来てあっという間に
クラスの主導権を取るような存在になった彼。
彼が右と言えばほとんどの生徒が右と言いました。

おかげで目立つことが苦手だったわたくしが
彼の一言で弁論大会といえばわたくしが引っ張り出され
音楽会といえばまたもやわたくしが指揮者にされました。
生徒会の役員選出でもそうでした。
わたくしは3年間ずいぶんと彼のおかげで鍛えられ
ただおとなしい引っ込み思案の女の子ではいられなくなり
それなりの度胸がつきました。

正直言って当時は少しばかり恨み心がありました。
なんでわたくしが嫌がるようなことばかりさせるのかって・・・
それもさわやかな笑顔と鶴の一声で・・・
だけどそんなことがなかったらわたくしはあのままきっと
人前では堂々と話せない引っ込み思案の
おどおどとした人間で終わっていたかもしれないと思うのです。



肩をならべて帰る道
秋の落ち葉が降っていた
本の間に銀杏の葉
二人はさんで行きました♪


彼のお父さんは”火曜サスペンス劇場”で
いかりや長介さんが演じた刑事のモデルになったひとです。
そしてもちろん彼はお父さんと同じ警官になっています。  
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2006年05月02日

ぬくもり

わたくしのかぁさんが亡くなって16年になります。
ちょうどこの時期でした。
正確に言えば4月28日・・・・
その当時ののことは今年の1月12日から14日の3日間の記事、
終章(エピローグ)に書いていますので読んでください。

その4月28日、先週の金曜日の夕方です。
わたくしは信号機のある交差点の四つ角を左折しようとして
横断歩道を渡るひとが渡りきるのを待って停車中。
後方から来た車に追突されておまけに加害者には逃げられました。

警察に来てもらって現場検証をして・・・
念のために病院へ行って診察を受けて・・・
しばらくは精神的にパニックでしたのでやっと落ち着けたのが夜中。
ふっと思ったのでした。
何の因果だろうって・・・
かぁさんが何か伝えたかったとか・・・?




そのぬくもりが強さをくれるの前に進む勇気を
時にはきびしく時にはやさしく胸いっぱいの愛で♪
 (上戸彩  唄  ぬくもり)



この事故で勉強したことがあります。
それは決して他人は自分と同じ感覚ではないということです。
交差点の中での事故でしかも交通量の多い時間帯。
わたくしは他の後方の車に迷惑になるからと思って早急に
とりあえず完全に左折して邪魔にならない左端に車を移動しました。

当然、加害者はわたくしのところに来るものと信じていましたので
わたくし自身も慌ててることもあって
相手の車のナンバーや車種を確認することをしませんでした。

それにまわりにはわりとたくさんの車の行き来もあって
横断歩道を渡った自転車のお兄さんたちもいたはずでしたから
誰か見ていてくれたはずと少しばかり安心していました。
でもこれって結局はわたくしの物差しなのですね。
わたくしだったらこうするから相手もそうだろうって思うこと。
間違いだったと改めて思い知らされました。

もちろん、わたくしが加害者だったら逃げなかったし
ギャラリーだったとしたら逃げた車を追いかけて
車番と逃走経路を警察に通報したはずなのです。


かぁさんが亡くなった日。
わたくしはまた大人になりました。




心配かけないように笑っていれるように
それでも涙 こぼれちゃう夜は
あなたの温かな
ふるさとのメロディー子守唄にして歌って♪
  
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