2013年06月24日

行動指針(私たちの全ての行動の基となるものの見方、考え方)

新入社員自分たちの技術や知識で出来る最良で最高の【おいしさ】を召し上がって頂き、来店された全てのお客様が満足して頂けるよう、心のこもった【おもてなし】を提供いたします。
そして【馴れ合いでない優しさ】と【責め心のない厳しさ】でお互い切磋琢磨し『ありがとう、ごちそうさま、今日来て良かった』と全てはその一言をかみしめる為にも、いかなる努力も惜しむことなく日々研鑚して参ります。


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2013年06月21日

新事業開始 〜高級デリバリー弁当『黒毛和牛専門 かわはら』〜

6月1日より弊社の新業態 高級デリバリー弁当『黒毛和牛専門 かわはら』がスタートいたしました。
この事業はかねてよりお世話になっております【ぐるなび】社員の今井さんよりご提案頂き、平均単価2,100円のお弁当の配達を行うものです。早速ご注文を頂き、毎日が楽しくウキウキしております。またこの事業を始めるにあたりまして、全社員さんのモチベーションが相当上がって参りました。今後も報告をさせて頂きますね。YHT_047

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2013年06月06日

指示命令一元化の法則

先月の仙台への訪問の際に、関空から当日入りメンバーの飛行機(ピーチ航空)が、当日の激しい気流の関係で着陸出来ずに仙台空港上空を30分旋回後、関空に引き返すという問題が起こりました。私たちのメンバー(6名)は、関空に引きかえさせられ呆然となり、その後の指示を待っていました。その時、私は(所属する会の事務局長として)会議に出ており、メンバーからの電話対応で『30分以内』には結論を出さないと判断し、【正式な結論を30分以内に出します。私からの電話が公式の指示になります】と関空滞在リーダー格のF氏にお伝えしました。その後、足並みをそろえるために在阪3会の会長・事務局長(6名)で緊急会議を開催し、@15,000円/人の別途助成金を支払うことで、陸路『関空→新大阪→東京→仙台』で是非、仙台まで来て頂きたいという旨をお伝えしました。関空で待機中のメンバー6名は快く了解をして頂き、仙台に到着したのは18:30、当日の難波→関空(ラピート出発)がAM6:00ですから、実に12時間もの間【関空→仙台→関空(ここまでは飛行機)→新大阪→東京→仙台(新幹線)】長旅をされました。こんなことは一生に一度あるか否かです。ここでの学びはヾ惷に引き返したメンバーを安心させる(不安にさせない)確かな情報を即座に伝達する12時間かけて仙台まで来てくれたメンバーに対して、仙台到着後の労いのことばや態度を示す、ということです。中でも△両霾鵑療礎の部分は最重要項目であります。誰から誰へ正確な情報が行くのか、その情報は正確なのか、早急な対応が出来ているのか、本当にガチンコ勝負でした。結果として30分以内に指示を出し、6名のメンバーは無事合流しました。本当に学びの多い会でした(笑)。このようなことは私たちの会社やグループでも時として起こると考えても過言ではないです。また家庭や友人・知人同士でも起こる可能性は多々あります。日頃からアンテナを張っていることが大切です。Aさんも中国へお気をつけて行ってらっしゃいね。熱烈軒特製 冷麺 〜夏季限定

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2013年05月26日

社長使命(Manarer Mission)

私、川原清多は、株式会社 熱烈フードサービスのリーダーとして
いかなる場合も『肯定的・建設的・前向き』な考えで経営に取り組んで参ります。
そして、スタッフ・お客様・お取引先様のことを最優先に考え、利他の精神で行動いたします。
華美にならず『質実剛健』の精神に基づき健全経営で邁進していくことをここに誓います。


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2013年05月25日

創業の精神

株式会社 熱烈フードサービスの前身は、今から45年前の昭和43年10月に大阪市港区南市岡にあった繁栄市場(現在は閉店)で川原 修(故人・創業者特別取締役)が妻と二人で始めた小さな鮮魚店である。創業者(サブ)は、1943年佐賀県にて、農家の9人兄弟の7番目として生を受けた。その後、15才で兄を頼って来阪。兄に紹介された魚屋で10年間、住込で修行を行い、25才での結婚を機に独立を果たす。しかし、世間は厳しく、開店後、半年は何も売れなかった。お客様の反応の無さに、やりきれない気持ちの創業者は売れ残った魚を近くの商店街まで運び、地元ヤクザの目を盗んで路上で売った事もあった。何も売れず、そろそろ廃業を考え出した頃、初めての地元夏祭と同時にボツボツと、魚が売れ始めた。『今までと何が違うんだろう』創業者は色々考えたが、なかなか理由が浮かばなかった。後で解った事であるが高度経済成長期がやってきたのであった。日に日に売上は倍増し 2年もたたないうちに売上は数倍になり、従業員さんも4名に増やし、【地域一番店】を目指し夫婦は二人三脚で一心不乱に商売に打ち込んだ。二男一女にも恵まれ、家庭・商売・地域は、お客様と共に順調に成長していった。しかし、幸せはそう長くは続かなかった。その原因は当時・流行の【スーパーマーケット】の進出であった。まず、近隣の同業種が廃業、その後、近隣の市場や商店が閉鎖や廃業していくまで、そう時間はかからなかった。“新鮮一番”の魚千も、日に日に売上は落ちてはいったが、創業者はそこから何とか約20年間、必死に店を守り続けた。        

1990年代、修行に出ていた2人の息子も将来を考える時期となり、先行き不安な家業であったが、長男は跡を継ぎ、次男は結婚を機に、義父(草野秀和氏)が経営する飲食店【有限会社 あ:ラーメン工房 あ】に入社する。ここが我が社の誕生につながる転機である。今のラーメン業界の起点ともなる、ラーメンブームが訪れ、連日連夜ラーメン番組が放送され、テレビや雑誌・新聞・ラジオが取材に訪れ、「ラーメン工房 あ」は、瞬く間に有名店となる。家業が傾きはじめている事を知っていた次男は、寝食を忘れ必死で妻と働いた。1年365日、ぶっ通しの5年間であった。その間、塚口店、宝塚店、三田店と順調に事業拡張を続け、義父より【有限会社 あ】後継者としての話をいただくほどとなる。しかし、あることをきっかけに、次男は義父母の親族経営で安全路線を歩むよりも、自己実現欲求を満たす【独立開業】を決意する。いざ決意をしてみても、開業資金、技術、ノウハウ等々…不安材料ばかりが優先してしまう毎日であった。とはいえ、後にも引けない次男は、国金での金策、親類からの支援を受け、持ち前の明るさと行動力で、平成13年8月1日に、自身が生まれ育った地元・大阪市港区に1号店【熱烈軒らーめん弁天町店】を開業。その後、事業は順調に進み、現在に至る。

前身の【魚千鮮魚店】は、平成18年1月末に、36年間という長い歴史をもって自主廃業。
同時に創業者は弊社特別取締役に就任するも、7年間の勤務を経て、本年3月に永眠。

ミッションステートメントに【大阪西エリアにおいて おいしさ 店づくり 笑顔でありがとう の3つの領域でクオリティーナンバーワン企業になることを目指します。】を掲げ、ユニークな発想で固定概念にとらわれない経営を推し進め、現在、創業45年目、第二創業12年目となる。



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