2017年09月18日

音楽を聴くことが無くなった

沢山の大切なことを失った気がするが、同時にそれらがどうでも良くなった。

本当はどうでも良くないのかもしれないが、事実どうでも良くなった。

年をとったということなのか、なんかのか。

失ったことに寂しさを感じるけどそれが本当に悲しいのかどうかわからない。


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2017年05月14日

ただ珍しく面白く月日の経つのも夢のうち

「オイラーの贈り物」を読んでいる。微分のところまで。高校の時より、余裕があるのか面白い。

ふとしたきっかけで、漱石「私の個人主義」を読む。泣ける。1914年の講演会。第一次大戦勃発。知性とは、腑に落ちないことは腑に落ちない、と認めること。ただそれだけだと思う。

ふと、浦島太郎のことを考えた。

よく、不条理とか意味わかんない、と言われるこの話、逆にいろんな教訓が読めるように思う。

岩波文庫の「日本の昔話」に入っているものを読めば、「結婚して子供をつくらないと孤独死」する、という教訓は明らかだし、御伽草子では玉手箱には浦島が過ごした年月が入っており、それを開ければ歳をとりますよね、というガス栓開けてたばこすったらガス爆発起こりますよね、という話。

だがポイントは、乙姫との楽しい時間はやはり夢だ、ということではないだろうか。

生きていくことを辛いことの繰り返し、何て言う必要はないんだけど、酒飲んでいい気分になってる時間ってのは、それ以外の時間に支えられている、という認識は必要だろう。

飲んでない時間が辛い、というのも分からなくはない、というか良く分かるんだけど。そして痛風の発作などが出てしまったりしているんだけれども。

寝ます。

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2017年05月09日

he's a real nowhere man, sitting in his nowhere land, making all his nowhere plan for nobody.

それぞれの人がそれぞれの立場でそれぞれ必然の相に従って無数の刺激を受容して反応し応答して行動している。

アラン・ブース「津軽」を読んだ。良い本だった。この本には恋愛とか出てこないけれど、ノルウェイの森を思い出した。どこにも居場所が無い人が書いた文章。

文章はどこにも居場所が無い人が書かなければならない。居場所がある人が書くのは広告であって文章じゃない。

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2017年05月08日

Is it really a smart way to do so?

以前、英会話の教師と話をしたときに、まあ大抵は凡庸な日本論のようなものに落ち込むのだけれど、その時もご多分に漏れず落ち込んで、彼が"Everyone can be American. Anyone can't be japanese except those who have already been Japanese."みたいなことを言った。

ずっとこのことが気になっている、と書くとすごく気になっているようだがそうではなくて、時折このことへの同意と反論とそうは言ってもなあ、という気分を同じように反復してしまう、ということなのだった。

もうちょい具体的に書くと、この発言に対して、中国で俺もおんなじようなことを感じたよ。自由に扱えない言語が支配する空間に居続ける居心地の悪さったらないよね。時に暗い気分の時なんかは一人ぼっちさに耐え難いような時もあらあね。とかなんとか思う。

が、でもそんなのは俺にとっての日本、あんたにとってのアメリカだって一緒じゃあないのか、だからあんたは今日本にいるんじゃ?とも思うのだった。

けど、そうは言ってもやっぱ母国語が使える環境かどうかっておっきいよ。というところに落ち着くのだった。

で、問題はこのことが反復されている、というのは、私はこの一連の思考にやっぱり納得してないのだと思う。

で、思い出すのはI wasn't made for these times.それなら二番目の思考か、というとそういうことじゃない。

何が正しいかはわかっている。だからって正しいことが辛くないことであるとは限らない、ということ。正しいけど、しんどいなあ。しんどい。

寝ます。

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2017年02月03日

ところですべてのものは神の決定に依ってのみ必然的に真なのであるから

大変飲んだわけでもないが、大変有意義であったことだよ。

言葉が届く人に、適切な言葉を届けること。

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2017年01月14日

預言者たちはその敬虔を損ふことなしに無智であり得たし又事實無智であつた。

脳内物質の分泌と感情、進化論と共同体について考えているが、材料が少なすぎて、考えても詮無い気もするが、なんだかずっと考えてしまう。

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2017年01月07日

Hooray for Benedictus!

自由意思が無いとして、システムを有効に私自身の幸福に向けて組織すること。

non rigere, non lugere, neque detestari, sed intelligere.

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2016年12月28日

君と世界の戦いでは、世界の側を支援せよ

飲み会。Y、Uと。仕事の話とか。飲みすぎてあまり覚えてない。

まるで十年前と変わらないような書き方。だが多くが変わった。「三年経って十年経って変わらないものなどない」と歌った金剛地武志。

センゲ「学習する組織」やラズロ・ボック「ワーク・ルールズ」を読みながら、中沢新一「僕の叔父さん 網野善彦」を読み返していたら、はたと、文化人類学的「伯父ー甥」関係の導入が組織の珍妙な意思決定を防ぐのではないか、とか思うた。「野生の思考」とか読むか。

考えることは本当に難しい。思考の名を簒奪している思考以外のものを告発すること。

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2016年12月06日

what ethics is

失われてあること。引き裂かれてあること。自分から離れていること。

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2016年11月30日

刺す。さふも思った。

20代は酔えば良い。
30代は酔うても酔わぬが肝要。
40代は酔わずとも酔うが良し。

根拠を問わぬ輩に災いあれ。

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2016年11月29日

age quod agis

久し振りに書く。

もう書かないかも、と書いたが、もう一度書こうと思います。なぜか。書かないと、言語化する能力が落ちるから。まあ、仕事じゃ書くんだけど、仕事で要求される文体で書くし、その文体で書いていると、やはり書けないことはある、というか死角が生まれる、というか。

仕事の文体が問題なんじゃない。一つの文体だけで書くことが問題だ、ということ。

最近、昔の友人に会う。変わったとも言われるし、変わってないとも言われる。どちらもそうだろう。そういうこと。

以前の私はもう書かないかも、と言った。今の私はもう一度書こうと思う。変わったところもあれば、変わらないところもある。そういうこと。

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2014年01月05日

every time we say goodbye I die a little

ご無沙汰しています。

こちらは、ぼちぼち生きています。

おそらく、もうこのブログに書き込むことは無いと思います。それは今あれこれと考えていることとは無縁では無いのでしょう。ただ、それについて触れる気も無いのですが。

おそらく、私は中国に行っている間に一度死んだような気がします。あるいは死んだのは私ではなく、なにものか、なのかもしれません。いずれにせよ、私はずっと喪に服しているような気がします。

かつて、大学で知り合った友人が、「俺はもしかしたら、喪に服しているのかもしれない。」と言ったことがありました。何て気障な、と一笑に付したのか・・・いや、そこには何らかの真剣さがあったので、そんなことはできなかったようにも思います。今、10年ほど経って、彼が何を言わんとしていたのか、分かるような気がします。

こんな辛気臭いことを書いたからと言って、日々、暗い面持ちで生活しているわけではありません。仕事をして充実感を味わうこともあれば、友人と酒を飲んで気持ちの良いひと時を過ごすこともあります。そういった意味では、以前と何ら変わらないように見えることだろうと思います。いや、そうじゃない。以前よりも丸くなったよ、とか、以前より大人になったよ、と言ってくれる方もいます。それは、体重が増えて顔が丸くなったことでなければ、もしかしたら、喪に服すこと、何か失われたことへの諦めの表情を身に着けたことと、関係しているのかもしれません。

とにかくそれ以来、ブログへの文章を書く気持ちがどんどんと失せてきました。饒舌を連ねることに、飽きた、ということなのかどうなのか。

そういうわけで、まあこのまま放置はしますが、たぶんもう書きません。ではまたいずれどこかで。

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2013年08月25日

That which has been is that which shall be; and that which has been done is that which shall be done: and there is no new thing under the sun.

近況をつらつらと。

最近ジムに通い始めた。息継ぎはうまくできないけれど、プールにも通う。

「アンティゴネー」とか「真理の言葉・感興の言葉」とか「徳川時代の宗教」とか読んでる。

人生は簡単に変わる。生きることを諦めてしまわぬように。

ヨガをやる時は、自分でやる以外に必ず信用できる人によるアジャストメントと組み合わせないとダメ、絶対。ということが分かった。誰を信用できるかは何とも言えない。

親鸞は、法然をただ信じた。法然を信用できる人かどうか、などと考えてはいない。だが、誰が信用できるかどうか、というのは大抵分かるのだろう、とも思う。正確に言えば、信用できるかどうか、というのはその相手の問題よりも、信用する主体の自分の問題、と思う。

人を信用する、ということ、そして、たとえその人が信用に足る人で無かった、という結果が出たとしても、その人を恨まないこと、というのは誠に大切なことであるよ。

ZABADAK、というと遠い音楽、ということになるのだろうか。私はこの「Sarah」という曲がたまらなく好きなのである。ということをふと思い出した。


ブッダがかつて、ろうそくの火と幸福をアナロジーで説いた、という。一本のろうそくの火を他のろうそくに分けても、ろうそくの火は減らない。幸福もそのようである、と。原典は知らない。だが、これはおそらくは幸福、というよりも、その原因となる悟り(知恵)というものだろう、と思うた。

まあ、そんなことを相変わらずつれづれに考えている。本当に書きたいことはここには書けない。呑みにでも誘ってください。命あらば他日。

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2013年07月01日

Hosanna in the highest!

土曜日。クリーニングにいろいろ出してくる。

帰って来て、鎌田東二「『呪い』を解く」を読む。呪いと祈り、あるいは先祖の祟り、守護霊、幽霊、祟り神、云々をオカルトから救うことは可能か、ということで考えている。実は、それをすでに三遊亭円朝はやっているのだけれど。

寝まくる。あほみたいに寝る。素晴らしい。寝る能力。というわけで、J.D.Salingerの「For Esme - with Love and Squalor」の最後の部分を英文で検索。これはイスラム圏かしらん。

http://www.dibache.com/text.asp?id=173


そして、新潮文庫で「エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、元のような、あらゆる機――あらゆるキ――ノ――ウがだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。」と記憶していて、それは本当にそういう美しい希望として受け取っていたのだけど、今回、原文を見て、嫌なことに気が付いた。

You take a really sleepy man, Esme, and he always stands a chance of again becoming a man with all his fac-with all his f-a-c-u-1-t-i-e-s intact.

"f-a-c-u-l-t-i-e-s"でなくて、"f-a-c-u-1-t-i-e-s"なのだ。本当に、そんなチャンスはあるんだろうか、と思わせる表記に感じるのは、考え過ぎだろうか。

日曜日。

起きて、神保町に。途中、ドトールで「『呪い』を解く」を読了。ふむふむ。ブッダ神々との対話」「悪魔との対話」の解釈が面白かった。呪い、というよりは魔、とどのように向き合うのか、という本。魔は身近に潜む。そして、今、魔に魅入られる人が増えている、というのはそれはまたそう。だって、自己を相対化する機会はどんどん減ってるし、個人主義の時代だし、Serendipityを忌み嫌うかのようなPDCAサイクルの勧めは、合目的性への偏狭さへの誘惑だし。

神保町ではまた古本を適当に。

そんなのを読んだせいか、帰って来て部屋を片付けてヨガ。ふむふむ。肩がだいぶ内向きに凝っている。パールシュヴォーッタナーサナが全然できない。でも、それに気が付いて良かったことだよ。

私のあらゆる一切の選択は全く持って言祝がれるものであったことだよ、と思うた。魔境?まあ、何とでも言うが良い。

というわけで、またヨガをやろうかと。全然体力が無い。体重も増えた。少しずつ、健康になれば良いだろう。

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2013年06月23日

Nothing's Planted, I don't have a thing in the ground.

金曜日。

仕事。のあと、友人Mの壮行会。飲む。みなさん、お元気そうで何より、である。

二次会、ということでさらに飲む。体力的にきつかったので終電で帰る。他の友人は居残ったよう。すごいよ、君らは。

土曜日。

起きる。アーサー・ミラー「セールスマンの死」を読む。三浦雅士「青春の終焉」中、2001年9月27日発行の初版ではP404「文学者も社会学者もなぜか注目しないが、『セールスマンの死』は、セールスマンが自動販売機に敗れ去って死ぬ物語である。」という一文が気になって。でも、自動販売機の話は出ていなかった。とは言いつつ、読んでよかったよ。演劇も見てみたい。

夢をあきらめない、ということのネガティヴな側面、それは妄想でしかない。現実を引き受ける、ということ。これもバランスではあるのだけれど。後輩が、変に身につまされていた理由はなんとなくわかる。というか今度聞いてみよう。

本を読むと、かような連鎖が生まれる。というのが本を読む快楽よね。

クリーニングをだし、自転車でふらふらと。銀座に行ったら、二葉鮨、ってこれですか?というところを発見。へー。もちろん入れません。というか、店の前に紙が貼ってあって、なんか営業してなさそうな。移転?あんまり見てないから良く分からない。

http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13014814/

日曜日。

起きる。ラーメンを食う。神保町に。本を眺める。蓮實重彦「夏目漱石論」、講談社文芸文庫に入ってるんですね。保坂和志の小島信夫絶賛が気になり、探してみるがあまりない。小島信夫は確か高橋源一郎も絶賛していて、「抱擁家族」を読んだことがある。何とも不気味で、感想も書けなかった記憶がある。というわけで、再読しようかと。

と、古本を適当に買う。マイケル・ポランニー「暗黙知の次元」、光瀬龍「失われた都市の記録」、岡本太郎「青春ピカソ」など。のあと、立ち食いのちよだ寿司で立ち食い。ちゃっちゃと食って1,000円弱。鰹とか鯵とか鰯とか。青物ばっかりだな。

のあと、帰って来て、満喫行ってみたが、お目当てのベルばらは無く。もう、古典を読む時代じゃないんだろうな。でも、適当にハンター×ハンターとかメシバナ刑事タチバナとか読んで、とんこつラーメン食ってクリーニングを引き取る。帰宅。

ホント最近落語を聞きっぱなしである。落語は面白い。落語を聞いていると、坂口安吾の「大阪の反逆」を思い出す。「小説は、たかゞ商品ではないか。そして、商品に徹した魂のみが、又、小説は商品ではないと言ひきることもできるのである。」の「小説」は、どのような言葉と取り換えることが出来るだろうか。あらゆるものが商品となるこの資本主義の元で。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42853_35002.html

じゃあ、寝ます。

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2013年06月20日

We have maintained a silence closely resembling stupidity.

仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事。

のあと、帰ってくる。そばを食べる。

失望と諦念。

おやすみなさい。

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2013年06月16日

I just want to live calmly.

金曜日。仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事。

のあと、ラーメン屋で軽く飲んでラーメン食って帰る。

土曜日。

三浦雅士「青春の終焉」読了。「教養の時代の終わりは、少なくとも日本においては、明確な日付を持っている。1970年10月20日だ。」(P375)

「青春」も「教養」も、時代的に終わった程度で関係なくなる人にとってはおそらくは最初から関係ないのではないか、という気がしている。まあ、こういう風に個人だとか人間、を中心に考えてもしょうがない、ということもあるのかもしれないが、今、私はそんな風に思ってしまうのである。もし、~だったら、という発想自体が、歴史をもう一度やり直してみたら、という科学の実験のようなことを前提としているのであって、それと個人がどのように生きるか、という問題は明確に峻別する必要があると思っている。前者を否定しているのではなく、それとはまったく別種の問題だ、ということ。

まあ、もうちょっといろいろ考えているんだけど。

夕食。D、S、Tと。Dの誕生日、とのこと。おめでとうございます。スパゲッチーなど食らう。旨かったなあ。飲む飲む。のあとバーなど。飲む飲む。誕生日を祝ってもらったのは高校生以来だ、という彼の発言に同意。そういうものだ。外国に出てからは孤立させられちゃってさあ、という一言には泣けた。

いろいろ面白かった。

西村京太郎「寝台列車殺人事件」読了。

じゃあ、これから仕事に行ってきます。クソがっ!

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2013年06月11日

大差別があると自任しながら他が自分を解してくれんと云って煩悶するのは矛盾です

日曜日。

床屋に行く。髪を切ってもらう。おじいさんのせいか、鼻の下の髭を剃り忘れられた。まあ、そういうこともあろう。そのおじいさんの鼻毛がぼうぼうだった頃から、一抹の不安はあったのだ。

ジョナサンで飯でも食おう、と思っていたところにMから電話。愚痴を聞けというので飯を一緒に食うことに。神保町でカレー。三省堂で本を見る。古本屋を見る。廣松渉「哲学者廣松渉の告白的回想録」、古今亭志ん朝「世の中ついでに生きていたい」、江川卓「謎とき『白痴』」、ミステリーアンソロジー「川に死体のある風景」、今村仁司「排除の構造」など。それにしても、「白痴」ってのが一発変換されない、っていうのは、差別の問題と関係してなんだろうけれど、どうしてこう形式的に物事ばっさばっさ切るかねえ。実体的な部分を抑えるにはまずは形式から、って理屈も分からないでもないんだけれど、じゃあ、形式的なところを抑えている今、実体的なところを抑えにかかってるか、っていうと、全然そんな動きが見えない。

Mとだらだらと話をしながら、日比谷に一緒に行って、帝国ホテル名物シャリアピンステーキの話など。ガルガンチュワってこれだよなあ、と思っていたら、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%AF%E3%81%A8%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB

由来を書いている方がいらっしゃいました。

http://torizo.at.webry.info/200608/article_4.html

へー。そういう設定なのか。フランス・ルネサンスって読むと面白いのだろうか。渡辺一夫なんて「フランス・ルネサンスの人々」くらいしか読んだことない。

というわけで帰って来てラーメン食ってクリーニングにシャツを取りに行く。Fから電話。ふむふむ。

人に迷惑をかけずに生きていく、というのが「赤頭巾ちゃん気をつけて」のテーマだとしたら、やはり、それは間違っている。

月曜日。

仕事。のあと、飲み。Sさん、Kさんと。ほほう。のあと、Sさんとふらふら帰る。Sさんからお褒めと慰め。ありがとうございます。

火曜日。

仕事仕事。途中、ひどく眠い。さらにはやる気が出ない。まあ、仕方ない。

軽く残業。のあと、帰ってくる。「青春の終焉」を読み続けている。

そろそろ寝ます。明日も早い。

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2013年06月09日

Probably you found a cozy city, live with a dog.

金曜日。

仕事仕事仕事。仕事終わらない。ふひー。まあ、そういうものかも。

とあるきっかけから懐かしい方との飲み会。年齢はだいぶ離れているのだけれど、なんだか良くしてもらっている。大分飲んだ。

土曜日。

起きて、ラーメン。三代目志ん朝の「井戸の茶碗」「宋Δ梁譟廚覆匹鯆阿。良い話だね。人間努力を続けなくっちゃいけない、ってのはまことにもって真っ当なご意見。ただ、そういうことを照れ臭くって言えない、ってのは良くない。

お誘いあるも、お断りして寝てた。

「青春の終焉」を読んでいる。最近、何を読んでも同じ問題意識にぶち当たる気がしている。それは本当にそうだからそうなのか、私がその問題を探しているからそこに固着して見えてしまうのか。どちらもあるのかな。

日曜日。

起きた。さて、どうしようか。飯食いたい。床屋行きたい。仕事も行かなきゃ行けないような気がしている。

Facebookにて友人の婚約を知る。おめでとうございます。その直後にFacebookから出会い系かお見合いサイトみたいなのの案内。さすが、抜け目ない。

ヨガをやる。だが、筋力、肺活量ともに落ちている、ということなのか、とても疲れて2・3のポーズでやめる。それでも気分は良くなる。

シャワーを浴びた。

大体において、やりたいと思っていることはもう決まっていて、ただそれを実行するだけなのだ。

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2013年06月05日

Only the good die young.

仕事仕事仕事。

途中、懐かしい方に確認したら、所ジョージじゃなくて柳ジョージ。「青い瞳のステラ、1962年夏」だった。

基地の近く、ということ。山口昌男じゃないけど、境界、ということ。地理的にも、精神的にも、越境するっていうのはやっぱり引き裂かれてしまう、ということなんだろうか。あるいはどちらも知っている、ということなのだろうか。なんだか、私自身は越境してみたけれど越境する前の自分が何とも懐かしくて寂しい気持ちになってしまうことだよ。

のあと、帰宅。途中、中華そば、という名のラーメン。まずい。でも高い。昔ながら、って言ってホントに昔ながらのラーメン出してんじゃねえよ。と思うた。

三浦雅士「青春の終焉」を読んでいる。すいません、今さらで。

というわけでもう寝ます。明日も仕事。明日は飲み会。変に自主二次会とかやって木曜日つぶれてる、とかになりませんように。

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