鯉太郎の 心 ころころ

 


涼しいを通り越し、一気に寒くなった気がします。朝子どもの登校見守りの際、今までは日陰に立っていましたが、今は太陽を背に立っています。

九月はお彼岸の月。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、それはどういう事でしょう。

「春分や秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。秋は秋分の日(=彼岸の中日)を境に日が短くなっていき、秋の夜長に向かいます。つまり、太陽の出番がどんどん短くなるので、暑さも和らいでいくわけです。春はこの逆ですね。しかし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではありません。暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高いのですが、厳しい暑さや寒さも目処がつく頃なので、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになり、慣用句として定着していきました」。

またお彼岸にはお墓に参ります。なぜお墓参りに行くのでしょう。

「『暑さ寒さも彼岸まで』の彼岸にはお墓参りに行く風習がありますが、それはいったいなぜでしょう? 実は、春分と秋分の太陽に関係があります。
 仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私達がいる世界を「此岸《しがん》」といいます。そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました」。


天理教でも春秋三月九月に御霊祭を勤めますし、お墓にも参ります。それは仏教の意味とはちょっと違います。天理教では亡くなったら新しい体をお借りしてまた生まれ変わると教えられますので、御霊祭はお出直し(亡くなる)された方のご遺徳を称え、御霊をお慰め致し、個人を偲ぶよすがとして勤めさせて頂きます。

こんな事がありました。もう昔の話です。夕勤めを終えたとき、その頃小学生の息子の大悟が「お父さん、おじいちゃんがいたよ」というのです。数年前出直した父がです。

よく聞きますと「霊様を参拝しているとき、お父さんの前に白衣を着ているおじいちゃんがいて、ニコニコ笑いながら頭をなでてたよ」と。

ハッとしました。その頃私は自分の勤め方に自信がなく、今の私を父はどんなふうに見ているんだろうと悩んでいた時だったのです。霊様は私たちの近くにおられ、いつも見守って下さっています。九月はお彼岸です。



子どもの登校を見守り、帰り道よそ様の畑を見ますと、きれいな畑に大根の芽が。あせります。「早く大根蒔かなくちゃ。すぐに野沢菜蒔く時期がくるぞ」。その前に、まずは畑の草抜きか…。

よっこらしょと草抜きを始めますが、畝の草は抜きやすい。土がほっこりしているので、すっと抜けます。ところが普段歩いている道の抜きにくいこと。土が硬いので草が強いし、根が残る。ひと苦労です。汗をかきながら、こんな事を思いました。

この土は人の心と一緒だ。心が柔らかければ、苦労や悲しみや悪さでさえ、すっと抜ける。でも心が堅かったら、それは大変だ。抜きにくいし、根が残る。根が残ると、また芽が出てくる。

ならば心の柔らかさって、どうしたらいい。柔らかい心は、愛され、褒められ、頼られ、笑い、喜び、感動し、抱きしめられた経験がつくるのでしょう。

作家の柳田邦男さんの言葉。
「自分の人生がどんな危機に直面しても、あるいはどんなにつらく悲しい出来事があっても、幼少期にしっかりと愛された経験や美しいものとの出会いに感動した経験を持つ人は、振り子の錘が必ず中心に戻るように、そういう幼少体験が帰るべき心の故郷となり再出発する原点となるのだと思う」

子どもが歩むエネルギーは、喜び・自信・笑い・友達・遊び・感動・夢。

毎日子どもを褒めましょう。一緒に笑いましょう。それが心をやわらかく、温かくします。


 
「オリンピック・もう一話」

巻頭言にオリンピックで頂いた様々な感動を書きましたが、皆さんにお聞き頂きたい話がもう一つあります。

実は息子・龍平の友達が、オリンピックに出場しました。水泳二百断惘紡緝宗嶌輯峽病澄弖。

彼は龍平の天理高校の同級生で、しかも寮生活を3年間共にした友達。学校はともかく、生活を共にする寮の同じ階で、つらい事も楽しいことも3年間一緒にやってきた仲間。彼は天理高校卒業後大学社会人と進み、今回初のオリンピック選手に選ばれました。息子は今も交流があり、東御市の高地プールで全日本の合宿があるときは連絡をしてきて、一緒にご飯を食べたりする仲です。

今回のオリンピックは、家族でテレビで応援。懐かしい彼の姿に、涙が出ました。残念ながら準決勝で敗れましたが、まだまだ若い。これからも応援したいと思います。

オリンピック選手、それぞれ抱えている事もたくさんあると思いますが、実は彼にもありました。

ネット記事からの転用です。


□小中は不登校、高校で開花
 「水につけといたら大きくなる」

「なんで休んだん?」。そのひとことが嫌だった。

東京五輪の競泳男子200メートル背泳ぎに出場する砂間敬太さん(26)=イトマン東進=には不登校の時期があった。友だちから休んだ理由を尋ねられるのがおっくうだった。

奈良県大和郡山市の出身で、小4から中3まで学校にほとんど通えていない。だが、寮生活を過ごした高校時代に世界が開けた。

中3のとき、親から「家を出て行きなさい」と言われた。学校を休みながらも地元のスイミングスクールで続けていた水泳もやめ、自衛隊に入ろうかと考え始めていた。すると当時天理高校教諭で水泳部監督だった山本良介さん(65)から「ウチに来ないか」と誘われた。練習を見学したうえで、天理に進学することにした。

 監督が見抜いた
「持って生まれた水への感覚」

山本さんは砂間さんの小学生時代を知っていた。泳ぐ姿に「持って生まれた水に対する感覚がある。マリモみたいに、水につけといたら大きくなる」と感じた。高校では練習であれこれ言わずに見守った。「高校は通過点。絶対大きく羽ばたいてくれる。待ってたらええねん」。そんな山本さんのスタンスが、砂間さんには合っていた。

砂間さんが「第二の母親」と慕うのが、高校で3年間担任だった吉田美和さん(58)。寮に入っているとはいえ、吉田さんは彼が登校してくるかどうか、正直不安だった。

「敬太は来てるかな?」。朝の参拝で生徒が並ぶ列の後ろから彼の姿を探した。個人面談を毎日する気持ちで一日一回は声をかけ、コミュニケーションを深めた。「何でも相談できるし、聞いてくれた。家族みたいな感じです」と砂間さん。水泳の遠征や合宿以外での欠席はほぼなかった。

高2のころ、水泳を人生の中心にすると決めた。「高校からタイムが伸びてきて、勉強はできないし水泳でメシを食っていくしかないかなと。水泳と向き合って仕事として頑張ろうと思いました」と砂間さん。

仲間にも恵まれた。高3の4月。日本選手権で思うような結果が出ず、失意のどん底にいた。そんな彼をあたたかく迎えたのは天理高校のクラスメートたちだ。「俺たちのエースで賞」と題した手作りの賞状を用意してくれていた。砂間さんは「涙が出そうになりました」。また頑張ろうと決意した。

高校の卒業式で、砂間さんは全国大会優勝者らに対する特別表彰を受けた。校長先生が「オリンピックに行ってください」と声をかけると、砂間さんは「オリンピック出ます」。あの日の言葉が現実になった。「これ以上ないプレゼントをいただきました。笑顔で元気に泳いでくれたら」。吉田さんが笑顔で言った。






東京オリンピックが終わりました。コロナ禍での開催に賛否両論様々な意見がありましたが、いざ開催されると、アスリートたちの姿に心から感動しました。

柔道の金メダルラッシュ、兄妹で金。ソフトボール金・上野に感動。スケートボードの若者メダルラッシュ。バスケ女子銀メダル。フェンシング・ボクシング、日本人でも勝てる。体操男子個人総合優勝、すごいぞ橋本君。卓球の活躍、中国牙城の一角を崩す。柔道大野選手の完全無敵の金メダル。喜友名選手の沖縄初金メダル。

またメダルを取った種目・選手だけでなく、様々な感動がありました。池江璃花子選手の復活に涙。男子サッカー久保の大号泣。佐久長聖高校出身、大迫選手ラスト・ランに感動しました。

東京オリンピック開催に、世界の選手・関係者から、称賛の言葉が多く発信されています。「選手村の素晴らしさ、ボランティアの姿におもてなしの心。感動でした」。 帰国したアスリートからの言葉です。「こんにちは、日本と東京のみなさん、私たちから感謝の気持ちをおつたえしたいと思います。オリンピックが延期されました。オリンピックができるならそれは東京しかないと信じていました。日本の皆さんの努力のおかげで、私たち何千人ものアスリートが、夢を見ることができました。ありがとうございました」。

オリンピックは終わりましたが、パラリンピックが開催されます。私たちの日本代表。みんなで大きな声で応援しましょう。




古い信者様がお出直し(お亡くなり)になった。お若いとき小学校の代用教員になられ(その小学校は私も子どもたちの母校)、通うには家が遠いからと旧教会に下宿をされた。その小学校が百周年記念に出した記念誌の教員欄にお名前が載っていたので、お届けしたらびっくりするほど喜こんで下さった。

いろいろ教えて頂いた。私は畑を作るのだが、私の農業の師匠のお一人であった。天理教教祖中山みき様は自ら鋤鍬を手に取り、農民に農事から教えを伝えて下さったが、この方に教えて頂く畑の事々は、教祖同様私に信仰を教えて下さったのだと感じている。

信仰熱心な方だった。しかしその信仰は自分の願いではなかった。教会の月次祭には、娘さんとお孫さんのそれぞれのお名前で神様に御供をされた。お子さんとお孫さんたちの今は、その方の神様への願いが込められている姿だと思う。神様はしっかりと受け取って下さった。

その方は常々「教会の奥さんのように出直したい」と仰っていた。奥さんというのは私の祖母である。祖母は百歳を超え長命を頂いたある日、昼にお茶を飲み「すこしやすむよ」と寝床に入り、そのまま出直したのだ。

その方も朝食を頂かれ、娘さんが台所へ立たれ戻ってきた時には、お出直しになっておられたそうだ。まさに祖母のようなお出直しであった。素晴らしいお出直しと申し上げるのはご遺族には申し訳ないが、願い通りのお出直しであった。私もこんなお出直しでありたいと思う。

神様に守られ導かれたこの方の人生は、素晴らしい人生だったと思う。天理教では「死」は「出直し」という。それは体は神様からお借りしたもので、その体に自分のものである「心・魂」が入り込んで、今生を生きる。そして体をお返し(死)したら、また新しい体をお借りして、自身の同じ心で生まれ変わる。新しい人生をまた生きるのだ。ゆえに出直しと教えられる。

またお会いできるだろう。その時を楽しみに、今まで賜った御厚誼に心から感謝申し上げます。本当に長い間ありがとうございました。




所用にて車で出掛けました。走り出してすぐに、給油ランプが点灯。目的地までは70辧どうしよう?

車はガソリンが少なくなると給油ランプが点灯します。運転される方はどなたも経験がおありでしょう。もちろん私も初めてではありません。

たしか給油ランプは残量が5箸砲覆襪氾静瑤垢襪呂此リッター10劼箸靴討△50劼倭れる。目的地途中の安いガソリンスタンドまで40辧⊇淑足りるはず。このまま行こう。

ところが大丈夫と分かっていても、点灯する給油ランプがチラチラ目に入り、次から次へと不安がよぎります。ここからは峠を越える道。普通よりガソリンを食うよな、しかも雨…。もしかしてガソリン残量が違っていたら…。

そのうち他の考え事が浮かび、そんな不安も一時は忘れるのですが・・・

ふと我に返り「そうだガソリン少ないんだった」とハッと見る給油ランプは、どう見ても消えてはいません。その頃になると大丈夫なんて気持ちは少しもなくて、ただ不安だけ。「早く早く」とスピードも上がり、運転も荒くなります。

ドキドキしながら目的地のガソリンスタンドに到着。給油してようやく不安は解消。それからは安心して、今までの気持ちはどこへやら、鼻歌交じりのドライブです。

心に引っかかりがあると、どこでどんなことをしていても、不安がちくちくと心を痛めます。そして消えることはありません。

給油も不安も、早め早めの解消が大切ですね。


 


きっかけは1件のLINEからだった。

「話は変わりますが、大和軒閉めたそうです。

 大将の出直しとか・・・。

 Mさんも多分ガッカリでしょう。」



私の返信

「まじですか。ショック!!!

 大好きなお店でした。」


それから私は、タイムラインに投稿。

「天理市『大和軒』が廃業したとの情報です。

私が高校の頃、父が参拝に帰ると詰所近くであったこともあって、たびたび連れて行ってくれました。

食べるのは主に、ちゃんぽん。たまに中華丼。

天理在住時の子ども達も、よく連れて行きました。連れて行きます。安くて多くて美味い。最高の店でした。

お店の方々の接客も素晴らしく、通いたくなるお店でした。

これから息子達連れてどこへいったらいいの?途方に暮れます。

大将が出直されたからの廃業とか。間違えであってほしいと願います」
と。

多くの反響を呼びました。それだけ愛されているお店だということです。


ところがその後

「電話したら、やってるよ!と言ってたよ」

との情報がもたらせます。

? ? ?

そこで26日夜大和軒を訪れる予定という情報主に、潜入捜査を依頼。

次のタイムラインをあげました。

「大和軒、やっているとの新情報です。

本川西探偵事務局の探偵一名を26日派遣して、この真相を究明致します。

追情報をお待ち下さい」


 26日夜、派遣探偵よりまずLINEありました。

「大和軒行きました。

結論から言うと、店は営業してましたが、大将は出直されてました。

とりあえず、今いる人で切り盛りしてるけど、続けるかやめるか、まだ結論が出てないようです。」


続いて電話報告。内容はほぼ一緒ですが、

「しばらくこのまま営業して、一度閉めてどうするか考えるかも知れない」と。



高校から通っていた最高のお店「大和軒」。

大変な状況ではあることは重々承知ですが、私たちのふるさとの味です。

なんとか存続を願ます<(_ _)>



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教会神殿裏の二輪草が盛りです。半年ほど前でしょうか。ご近所の方が昨年の六月の会報に書かれていた「二輪草が見たい」と仰って下さいました。その時はまだ花もなく「咲いたらお知らせしますね」とお話したのでした。

二輪草今年もきれいに咲きました。先日道でばったりその方にお会いしましたので「二輪草が咲きましたよ」とお伝えしましたら、その足で見に来て下さいました。

その方は演歌歌手の川中美幸さんの「二輪草」という曲を聴いてから、一度見たいと思われていたそうで、満開の二輪草に大喜び。『二輪草』の一節を口ずさまれました。

♪かようふたりは ふたりは二輪草〜♪

気になって調べて見ました。「二輪草は、キンポウゲ科のイチリンソウ属の多年草で、春山を代表する花。花言葉は『友情・協力』。一本の茎から2本ずつ長い茎を出し一輪ずつの花を咲かせ、2本目の花は1本目の花に寄り添うように遅れて咲く。別名・ガショウソウ。イチリンソウ・サンリンソウもある」とありました。

もうしばらく楽しめそうです。どうぞご覧にお出で下さい。


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信州(関東)は梅雨入りしたのでしょうか。もう少し雨が欲しいのですが、降り続くと「そろそろ梅雨も終わって欲しい今日この頃です」なんて言葉も。まったく人は都合のいいものです。

さて過日夫婦であるお宅をお尋ねした時、帰り際おみやげに「峠の釜めし」を頂戴しました。久しぶりの釜めし。昔と変わっておらず、小さいときの思い出と共に、美味しく頂戴しました。
 
さてその後「釜めしの容器どうする?」ということになりました。容器といっても益子焼きフタ付きの土釜、御飯も炊けるほど立派なものです。心のこもったおみやげともあり、捨てるには忍びありません。

ネットで調べて見ますと「御飯を炊く」「ラーメンの容器」「漬け物入れ」「植木鉢」「ペットの水や御飯入れ」などなど、リサイクル情報が山ほど出て来ました。皆さん思う事は一緒です。

私は考えた末、机の上に置きメガネ立てに(右写真)。本当に使いやすく、百均で購入したメガネが沢山立っています。もう一つは外で、植木待ちです。

この土釜は釜めしのためにつくられた容器ですが、使い方は使う人によって様々。私はメガネ立てや植木鉢に。ある人は貯金箱や小間物入れ。人を殴れば凶器にもなります。

私たちの周りには、有形無形につけ、そういうことがたくさんあります。使う人がその価値・意味をつけるのです。良いも悪いも、使う私たちが決めている。

ゆえに見えてくる結果に不足をしてはいけません。物に人に不足をしてはいけません。それは全て自分で決めたことなのですから。





◎巻頭言に書かせて頂いた文ですが、相変わらず下手な文章で、そして肝心な所が抜けていました。末尾2行は今回書き足したものです。
 


▽一年前の5月。玄関に花桃を植えました。「植えた花桃が、大きく枝垂れて見事な花が咲く頃、近所の皆さんが花見に来て下さるように」と会報に書きました。その時の花桃です。


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一年たってこうなりました(下)


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皆さんも花の季節にぜひご覧にお出で下さい。玄関脇です。



▽巻頭の写真は教会玄関に飾ってある兜。知人に頂戴したので飾りました。皆さんなぜ5月に兜を飾るのかご存じでしょうか(ネットより転用)。

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5月「端午の節句」は、もともと古代中国の季節行事「五節句(七草の節句、桃の節句、端午の節句、竹(笹)の節句、菊の節句)」の一つでした。「節句」とは、季節の変わり目という意味。季節の変わり目には邪気が寄りやすいので、季節ごとの飾りとお供えものをして厄払いをし、無病息災を願う風習がありました。
 現在の5月はさわやかな初夏ですが、旧暦5月は今の6月。つまり旧暦5月の中旬以降は、梅雨の時期になるのです。「端午」は、旧暦5月の最初の午(うま)の日という意味。武士が台頭してくる鎌倉〜室町時代になると、この時期、武家では鎧や兜を出して、家の中に飾る習慣がありました。梅雨の目前に武具へ風を通し、虫干しと手入れをするため。端午の節句に兜や弓が飾られるのは、こうした武家の習慣に由来すると言われています。兜や甲冑、弓などを戦闘の用具ととらえる考え方もありますが、武将にとって兜や甲冑は、身を護る大事な装備。五月人形の兜や甲冑には、「わが子を守ってくれるように」という願いが込められているのです。


知っているようで、はっきりしらない端午の節句の「兜を飾る」意味でした。思いのこもった季節の行事。これからも大切にしたいと思います。

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