鯉太郎の 心 ころころ

 



神殿の瓦葺き替え真っ最中です。職人さんは私の知人で、奈良・静岡・千葉・大阪などから集まって下さっています。私と同じように天理教の教会を預かっておられますので、それぞれのスケジュールで動かれます。ですので作業は多い時で4人、少ない時は1人の時も。古い教会に泊まって頂いています。

葺き替えが始まった6月終わり、暑い日が続きました。日常で暑いと感じるのですから、屋根の上は大変だったと思います。夜も寝られないのではと心配したのですが、皆さん快適だと仰います。もちろん暑いのですが、湿気がなくて最高だと。夜も涼しくてよく休めると仰って下さいました。静岡や千葉など海が近いところは、湿度が異様に高く風があっても涼しくないそうで、ベタベタがとれなくきつい。信州は風が涼しいので快適だと仰います。

信州に住む私は当たり前だったので、それがどれほど有り難い環境であるかを教えられました。ついで冬は零下10度も下回りますと申し上げると、びっくりされます。そういえば、冬に静岡に伺った時のホワッとした暖かさに、心引かれるのを思い出しました。

自分のことだけでは、自分は分かりません。戦争のない日本がどれほど幸せか。今、世界の戦争に教えられるではありませんか。

自分だけでなく、周りを知りましょう。自分の環境だけでなく、周りの環境を知りましょう。自分の国だけでなく、世界の国を知りましょう。   


        

 
今年は梅雨も早く明け、暑い夏で水不足も心配されると言われていました。ところが梅雨が明けた途端に雨が続きました。その後夏らしい天気になりましたが、現在日本各地で豪雨による大きな災害が起きています。その原因が「線状降水帯」です。

【線状降水帯・大雨をもたらす原因は積乱雲。この積乱雲が連続して発生し、上空の風の影響で帯のように連なると線状降水帯となります。積乱雲が1つであれば、雲が風に流され、雨は一時的なものになりますが、積乱雲が帯のように連なった線状降水帯の場合、長時間にわたり大雨になります】
被災された方々の一日も早い平穏な日々をお祈り申し上げます。

さて私たちの体も水で出来ています。成人男性で体重の60%、新生児で80%。体内の水分が2%失われると、のどの渇きを感じ運動能力が低下。3%失われると強いのどの渇きや、ぼんやり、食欲不振などの症状。4〜5%になると疲労感や頭痛、めまいなどの脱水症状。10%以上になると死にいたることも。また水分不足は、熱中症・脳梗塞・心筋梗塞など、さまざまな健康障害の要因に。

脳も80%が水分で出来ているそうで、認知症予防にも水の重要が言われます。しかし水分の大切さを学ぶたびに、高校時代ラグビー部の「練習中に水は飲むな」という指導、あれはなんだったのかと思います。

ともかく、部屋の中でも熱中症になる今。家族の心の潤いも気に掛けながら、こまめな水分補給を心がけましょう。



 
短命に終えた鎌倉幕府に対し、徳川幕府は長期政権でした。

1582年6月21日、明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で倒れた時、家康はわずかな手勢と共に堺にいました。見つかれば、信長の盟友である家康は当然標的に。家康一行は決死の覚悟で脱出を試みます。ところが川で足留めを食らいます。渡る船がなかったのです。ここに現れたのが、近くの佃村の庄屋と漁民たちでした。手持ちの漁船と、不漁の時にと備蓄していた大事な小魚煮を、道中食として差し出したのです。舟はもちろん、逃避行にとって小魚煮がどれほどありがたかったことか。

以来佃村の人々に対する家康の信任は特別なものとなり、数々の特権を与えました。また後に、佃村の腕の立つ漁師を江戸に呼び寄せました。移住先になったのが現在の東京都・佃島です。その後小魚煮は「佃煮」と呼ばれ、保存性の高さと価格の安さから、江戸庶民に普及します。さらには参勤交代の武士が、江戸の名物・土産物として各地に持ち帰ったため、全国にも広まりました。

恩人を「そのような素性のものは一面識なし」と無視した頼朝。恩人に特権を与え、長く庇護した家康。『恩を知るもの・恩に報じるものに、天は味方する』との格言は、歴史に明白です。

頂いた恩は忘れずに、かけた心は忘れましょう。「してやった」と思った瞬間、恩を着せています。それでは天の味方はありません。

恩を忘れず、恩に着せず、毎日を通りたいものです。




基本、男はメロディを聴き、女は歌詞を聴く 
              智治語録より




最近心配事があって、夜目が覚めると、眠れなくなる。

昼間でも、ふと考えると、心臓がドキドキして止まらない。

人の少しの翳りに、心が落ち込む。



大丈夫だろうか、本当にいいんだろうか。



そんな気持ちを、妻の言葉に救われる。

中島みゆきに救われる。



ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

*中島みゆき「ファイト!」





動いているから、不安なんだろう。

動いているから、心配なんだろう。



終わるまで、闘おう。



落ち込みながら、不安に苛まれながら。

私が動いている、証拠。



がんばれ、私!!!




 

6年前の事。「小林君、真田丸凄いね。長野県民を尊敬するよ」と声を掛けてくれた北海道の知人に、「見てないです」と答えびっくりされた私が、今「鎌倉殿の13人」にはまっています。三谷幸喜の脚本。主演の小栗旬、大泉洋の演技。脇を固める豪華俳優陣。菅田将暉の義経は凄かった。賛否両論あると思いますが…。

知人に聞いた話です。

頼朝は若き頃、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆の国・蛭が小島(沼津あたり)に流されます。そこで苦労するのですが、その時頼朝を支えてくれたのは甘酒屋だそうです。頼朝は「自分が世に打って出たら、このご恩は必ず」と。その後鎌倉幕府を開いた頼朝に甘酒屋が挨拶に伺うと「そのような素性のものは一面識なし」。そこで詠まれた歌が「伊豆の国 蛭ヶ小島の甘酒は 喉元過ぎれば熱さ忘れる」だそうです。下の句はどなたもご存じかと思いますが、上の句とそのいわれ、私は知りませんでした。

ことわざに「恩報じは、出世の相。恩知らずは、乞食の相」とあるそうです。恩を知るもの、恩に報じるものに天は味方する。忘恩の徒・頼朝は一生疑い深く、多くの功臣を殺しました。結局鎌倉幕府は短命で終わった。恩を重く受ける人間、軽んずる人間、どう人生が進むか明白です。「恩はきるもの、きせぬもの」、肝に銘じたいと存じます。

自分の今を嘆く方、まずは心使いを振り返りませんか。そして「鎌倉殿の13人」お勧めします。ご覧下さい。 


   


▽5月「端午の節句」。もともと古代中国の季節行事「五節句(七草の節句、桃の節句、端午の節句、竹(笹)の節句、菊の節句)」の一つでした。「節句」とは、季節の変わり目という意味。季節の変わり目には邪気が寄りやすいので、季節ごとの飾りとお供えものをして厄払いをし、無病息災を願う風習がありました。
 現在の5月はさわやかな初夏ですが、旧暦5月は今の6月。つまり旧暦5月の中旬以降は、梅雨の時期になるのです。「端午」は、旧暦5月の最初の午(うま)の日という意味。武士が台頭してくる鎌倉〜室町時代になると、この時期、武家では鎧や兜を出して、家の中に飾る習慣がありました。梅雨の目前に武具へ風を通し、虫干しと手入れをするため。端午の節句に兜や弓が飾られるのは、こうした武家の習慣に由来すると言われています。兜や甲冑、弓などを戦闘の用具ととらえる考え方もありますが、武将にとって兜や甲冑は、身を護る大事な装備。五月人形の兜や甲冑には、「わが子を守ってくれるように」という願いが込められているのです。
 知っているようでしらない「端午の節句・兜を飾る」。思いのこもった季節の行事。これからも大切にしたいと思います(*巻頭写真は教会玄関)。

▽天理にはJRと近鉄線があり、天理駅として同じ建物に入っています。
 近鉄線は天理駅が発駅なのですが、次の駅が前栽《せんざい》駅(前栽町)です。農業師匠にセンザイときいて直ぐに前栽駅を思い、先日もしやと町名の由来を調べてみました。
 「前栽町は中世、東大寺領の千代庄《せんだいしょう》でした。千代《せんだい》を千載《せんだい》と書くようになり三転して前栽となったので、〈せんだい〉から〈せんざい〉に変わりました」。
 残念ながら思った前栽ではありませんでしたが、これで前栽畑は忘れないでしょう。いい勉強になりました。


「目には青葉山ほととぎす初鰹」、いい季節になりました。暗かった墨絵のような世界から鮮やかな景色を見ますと、生命を感じます。

さてこの時期、ご近所や知り合いから山菜を頂戴します。コシアブラ(漉油)、わらび(蕨)、こごみ(屈)、うど(独活)、タラの芽などなど。山菜は個性豊かで美味しいですね。私も蕨採りに行きたい。今からスケジュールを。

畑も始まりました。埼玉や京都などの畑事情を伺いますと、信州より一ヶ月は早い。こちらは4月に入っても霜が降ることがあるので、4月終わり頃からソロソロと始まります。私も山の畑にジャガイモ(キタアカリ)を蒔き、ネギを植えました。

先日、近所の農業の師匠のお一人と話をしたときのことです。「毎日手のかからない野菜は山の畑に、きゅうり・トマト・ナスなど毎日さわり神様にお供する野菜は、旧神殿の裏の畑につくります」とお話すると「センザイバタケだね」と仰っしゃいます。初めて聞く言葉で意味が分からず聞き返しますと、スマホで「前栽畑」と見せて教えて下さいました。

「前栽畑」を調べました。「前栽」とは家の前の庭や、その庭に植える草木を意味し、そこから家に近い畑を前栽畑と言うのだそうです。また「前栽物《せんざいもの》」という言葉もあり「青物・野菜」を意味し、「茄子《なす》や南瓜《かぼちゃ》の前栽ものか」との一文も。新しい知識が一つ増えました。

私もそろそろ、前栽畑の準備に取り掛かるとしましょう。




小林家に関わる人間は全員参加の掟。小林家総出の行事「味噌仕込み(2年ごと)」行いました。次回のために反省も含めて記録します。

 味噌仕込みの5日ほど前に、麹(こうじ)を出します。時々味噌を作っていると伺うお宅もありますが、麹から出すご家庭は聞いたことがありません。うちは麹から出します。
 まずは米を洗います。丁寧にそっと洗っていたのですが、実は麹菌が繁殖しやすいようにゴシゴシと洗うことを、終わってから知りました。2年の各家庭分ですので米は30圈よく洗った米を野沢菜の樽で一晩水に浸けます。
 翌朝ふかします。堅さはやや堅めと伝えられてきたのですが、実は麹菌が芯まで侵入しやすいように、柔らかめがよいらしいです。

IMG_6523


IMG_6524


IMG_6522




 ふかした米を煮沸殺菌した白布にひろげます。米が熱々では麹菌が死んでしまうので、かといって冷たいのでは活動しないので、手を入れてホッと温かいくらいに保ちます。全てをふかし終わったらひろげます。
 人肌の米に、茶こしを使って麹種を散布します。固まらないように広く広く。まずは一袋を散布し、その米を混ぜ合わせます。ちなみに麹出しは妻と私の2人で行ってます。よ〜く混ぜたらもう一袋。麹種は「もやし」とも呼びます。マンガの「もやしもん」ですね。麹種はネットでも購入できますが、私は近くの味噌屋で購入。一袋350円。こちらで作る味噌は米が二斗ですので二袋在れば良いのですが、万が一のために3袋購入。よーく混ぜ合わせたら、その白布のまま半切り(桶)に入れます。木の桶は保温に優れるのです。そこに電気毛布を、温度の調節がしやすいので。他毛布・布団を掛けて、一度部屋を暖かくします。昼前に保温を始めたのですが温度が上がらない(麹種が活発に活動してくると中が手を入れられないほど熱くなります)ので、電気毛布強。夜確認すると熱くなってきている。そうすると菌が死んでしまうので電気毛布きり。一晩おきます。この辺りが一番気を遣うところです。
 (写真)次の朝、桶の手前に出ているのが、一晩おいた麹です。大分麹菌が繁殖し、真っ白にふかふかになってきました。これを砕いてまた桶の中に。それを3回ほど繰り返して完成です。ひろげて乾かします。

IMG_6528


IMG_6526
IMG_6525


IMG_6533


IMG_6530




 さて味噌仕込み。前日豆(大豆)を洗います。豆は30圈LA垢砲海世錣襪里覆蕁豆も自分でつくってと言いたいところですが、大豆はつくるのが大変すぎて諦めました(^_^;)
 洗った豆は一晩たっぷりな水に浸します。翌朝5時から豆を煮ます。いっきに煮るのではなく、ゆっくりゆっくり吹きこぼさないように。2時間で親指と小指で潰せるくらいに。小さいときにはこの豆が楽しみで、よくつまみ食いしたものです。砂糖かけたり醤油をかけたり。思い出です。
 さて豆が煮上がる頃に、参加者が集まってきます。今回は私達夫婦・弟夫婦2組・長女・長男夫妻・次女夫妻、ほか顧問として母の総計12人。麹出しは2人でも何とかなりますが、味噌仕込みは大勢の手が必要です。

IMG_6537


 
IMG_6536


IMG_6543




 男衆は外の準備を。女衆は中に入ります。女性陣は先日出した麹に塩を入れ混ぜ合わせます。割合は米3圓鳳1,2圈ですので30圓12圓留。ここに30圓瞭Δ入ります。

 いよいよ始まります。外で男達が豆を豆つぶし機に投入。つぶされてにょろにょろ出て来ます。それを受けてブルーシートにひろげます。熱いのでひろげて冷ましながら。あっという間に豆は潰されます。昔はハンドル手回しで行っていましたが、余りにも大変なのでモーターを付けて電動になりました。ハンドル回すのは子どもの役目だったので、心から感謝<(_ _)>

 全ての豆が潰れてひろげられ、粗熱が取れたら、先ほど塩と混ぜた麹を豆に投入。それをしっかり混ぜ合わせます。これが一番の重労働。混ぜ合わせながら手元に引き寄せ、それを真ん中に放り投げ、それをまた手元に持ってくる。この作業を何回も何回も繰り返します。そしてその堅さを見て、堅ければ豆を煮て出た汁を適量、今回も2回入れました。またもやよ〜く混ぜ合わせます。この辺りから女性陣がヒイヒイハーハー言い始めます。そして遂にキャプテン嫁さんの「OK!」が。
 その声で味噌を丸めます。その丸めた味噌が、ラグビーボールさながらパスされて、樽の前の私に。私はその味噌ボールをばしっばしっと、空気を入れないように桶に投げ込みます。全てが終わったら表面をきれいにして。作業は終了です。1日そのまま置いて、味噌が完全に冷えたら表面にホワイトリカーを塗って(カビ防止)、ビニールをきっちり。三分の一の重量の重しをのせてフタをして、味噌作り全ての作業完了となります。1年後、美味しい味噌になります。楽しみ(^_^)v

IMG_6541


IMG_6544


IMG_6550


IMG_6554




 2年後使うために、釜をお掃除の男性陣。昔はこの後バーベキューをしてのんびりしたのですが、今はそれも叶わず。今回は昼食を用意して飲める人は飲んで、楽しい時間を過ごしました。
IMG_6560




 昔は近所総出で味噌仕込みをしました。今日は○○さん宅、次は××さん宅と。だから味噌仕込みに使う道具は皆でお金を出し合って。半切りの裏には7人の名前と昭和34年四月吉日の文字が。この名前の方々は、もう1人もおられません。一番左が私の祖母。
 その後も残された家族が味噌をつくってきましたが、1軒辞め、2軒辞め、残った2軒のうち1軒が昨年辞め、遂に味噌をつくるのは教会だけになってしまいました。
 味噌は買った方が安いかも知れない。でもうまさは格段の差があるし、何より家族一同が集まって味噌をつくるというこの時間はかけがえのない時間です。いつまで続ける事が出来るのか。私がそうであったように、子ども達に伝えられるよう、楽しい時間であるように、伝え残していきたいと思います。

IMG_6519



【次回のために】
・米はゴシゴシ洗う
・麹種は多めに(3袋)
・3回くらい出し入れして、麹を出す
・低温より高温に注意
・米は柔らかめにふかす。親指小指でひねって餅になるくらい。
・豆は前日18時間以上水に浸す
・水はいっぱいにいれておく
・豆は4時から煮て、9時開始。
・火はとろび。吹きこぼさないように。
・さし水は多くなりすぎないように。
・樽は2樽。
・味噌が冷えたら、ホワイトリカーで消毒。






スポーツ以外あまりテレビは見ない私ですが、NHK朝ドラ「カムカムエブリバディ」には、すっかりハマってしまいました。妻と毎朝この時間が楽しみで、特に最終週は、ティッシュ片手に涙々の15分でした。

見ないとはいえ、妻が見ているドラマを眺めることはあります。  

しばらく前、ネットニュース制作会社のドラマがありました。女性編集長が「なぜ」「どうして」「教えて」と迫ります。相手の顔色・戸惑いを気にすることなく、真実を追求する編集長。最終回は見てないので、結末がどうなったか分かりませんが、今も「なぜ」というセリフが頭に残ります。

家庭で、夫や妻が、またお父さんお母さんが、あらゆることに「なぜ、どうして」と迫ったら、毎日が辛いだろうと思います。家の中もぎくしゃくするでしょう。

もちろん、尋ねたい「なぜ」もあります。しかしいつでもなんでも「なぜ」と圧の強い方も。間違えでもないと思いますが、その言葉に私達はなにを感じるでしょう。それは「自分を責める言葉」と、圧を感じると思います。受け取る側には、そう聞こえるのではありませんか。 
 
「なぜ」という言葉は素晴らしい言葉です。知識・経験のスタートとなる言葉。子どもたちには、答させるためではなく、答えたくなる・考えたくなる「なぜ」と使いたいものです。

新学期のスタートです。子どもを褒めましょう。笑いましょう。一緒に楽しみましょう。




Number Web より



甲子園&阪神の応援でおなじみ「ファンファーレ」、発祥は天理高だった…!
2022年3月22日 11:02 天理高校吹奏楽部提供



 日々熱戦が繰り広げられている、第94回選抜高校野球大会。1回戦屈指の好カードが、天理(奈良)対星稜(石川)の名門対決だ。


 今大会では、吹奏楽部の演奏も、「50人以内」「奏者同士の距離を十分に取る」などの条件付きでOKに。3年ぶりにセンバツに生音が戻り、コロナ禍前と変わらない雰囲気が懐かしくも感じる。

得点時の曲、天理発祥って知ってた?


 長きにわたって甲子園常連の天理だが、ヒットが出た際や得点時に多くの学校が奏で、阪神タイガースも使っているファンファーレ、「♪チャーラーラー チャララ チャッララー」。この曲が、実は天理高校吹奏楽部発祥ということは意外と知られていない。

 音階でいうと、

 ♪ソーファーレー ドレファ ソッレソー

 聴けば誰もがわかる、おなじみのアレである。

 同校吹奏楽部は、戦前から幾度も全日本吹奏楽コンクールに出場している、日本の吹奏楽界に多大なる影響を与えてきた名門校だ。

 1936年に誕生した天理高校吹奏楽部。1942年、天理中学校時代に初めて全日本吹奏楽コンクール(当時の名称は「大日本吹奏楽大会」。翌年の第4回から「全日本吹奏楽コンクール」となる)に出場。栄えある3位を受賞した際、審査員は「テンリ」と読めず「アマリ中学校」と呼び間違えたという。今では信じられないエピソードだが、名門天理にもそんな時代があったのだ。

定番ファンファーレの“誕生秘話”


 1959年、第31回選抜高校野球大会で天理が演奏し始めたこのファンファーレの原曲は、アメリカの作曲家リチャード・ボウルズが作曲した「マクシンカッキー序曲」。

 吹奏楽部が演奏会などでこの曲を演奏し、初代指揮者の矢野清氏が、曲中のフレーズをアレンジして作ったものだ。

 2016年、筆者も出演したNHK-FM「今日は一日“吹奏楽”三昧リターンズ」で、NHKのアナウンサー山田朋生氏が、アメリカのチャットフィールド楽譜図書館で原曲譜面を発掘し、天理高校吹奏楽部に演奏してもらったことがある。実際に音源を聴いたが、1フレーズを抜き出してファンファーレに仕立てており、ほぼ原曲のまま。

「序曲の中からこの一部分を抜き出してアレンジし、ヒットが出た時に演奏する」というこのアイデアがかなり斬新だったのではないかと、甲子園で多くの学校がこの曲を演奏するたびに、しみじみと思うのだ。

今や「ヒット」「得点」と呼ぶ学校多数


 同校では、単純に「ファンファーレ」と呼んでいるが、吹奏楽部OBで、現在指揮者を務める吉田秀高氏によると、「当時は『ファンファーレ』とも呼ばず、『ヒットが出たら「マキシンクッキー」やるぞ』という感じで、原曲名で呼んでいました」という。

 当時はこの曲の正式名称がわからず、「マキシンクッキー」と読んでいたというが、山田アナが発掘した原曲譜面には、タイトルに「Maxinkuckee Overture」と記されており、「マクシンカッキー序曲」が正式名称と判明。おそらく、読み間違えて伝承されていったのだろう。

 同曲が天理発祥と知らずに使っている学校も多く、「ヒット」や「得点」と呼ぶ学校が大多数だ。それくらい、「ヒットの時や、点が入ったら吹く曲」ということが浸透しきっているということだろう。

 吉田氏は、1978年に入学。1年夏にベスト8、2年時は春夏出場。3年の夏はベスト4という成績を残しており、何度も甲子園で演奏しているが、当時すでに、「ファンファーレ」は他校も使っていたという。

「いっちょホンマものを聴かせましょうか、と(笑)」


 現在、筆者が甲子園で全試合の応援を取材していると、半数どころか8割近い学校が同曲を演奏する年もあるが、天理の対戦校のスタンドからファンファーレが聴こえてきたら、どう思うのだろうか。

「いっちょホンマものを聴かせましょうか、という気になりますね(笑)。でも、これだけ多くの学校が演奏してくださって、とてもありがたく思っています」(吉田氏)

 吉田氏は阪神タイガースのファンでもあるが、同球団も「ファンファーレ」を演奏することについては、どう感じているのだろうか。

「いやぁ、特に何とも思いませんが、ありがたいです。それよりも『勝ってほしい』という気持ちです(笑)」

 と言い、「多くの学校で演奏されているバージョンも、阪神版に近いかもしれませんね」とも続けた。

天理は攻撃の初回にも…「景気つけよう! と」


 本家天理の「ファンファーレ」には、どっしりとした低音のベースラインがあり、クラリネットやピッコロなどのトリル(2度違いの音を繰り返し吹く奏法)が加わり、重厚ながらもどこか華やかさも感じる。

 一方、多くの学校が演奏する、吉田氏がいうところの「阪神版に近い」バージョンは、複数の楽器が同じメロディを演奏する「ユニゾン」という奏法が主流。同じ曲でもまったく異なる印象を受ける。

 近年、天理は攻撃の初回にスローテンポの「ファンファーレ」を演奏する。ヒットや得点時のアップテンポな演奏と違い、重々しく威圧感まで感じさせる演奏だ。なぜ初回にこのような演奏をしようと思ったのだろうか。

「攻撃開始なので、景気つけよう! という感じでしょうか」(吉田氏)

ファンファーレにあった「幻の歌詞」


 ちなみに、同曲には歌詞があるということもほとんど知られていない。本家の天理も甲子園で歌詞を披露しているわけではないので、知られていないのも無理はないのだが、せっかくなので、この幻の歌詞を記しておきたい。

【「ファンファーレ」歌詞】

 てんり ナイン がんばれ
 てんり ナイン がんばれ
 てんり
 てんり
 がんばれ がんばれ がんばれ

 現在の高校野球は攻撃時しか演奏出来ないが、かつては攻撃時、守備時の両方とも演奏出来たことから、歌詞も2パターンある。上記は守備時の歌詞で、攻撃時は「がんばれ」が「かっとばせ」となる。

“シェア率ダントツの事実”を作曲者が知ったら…


 高校野球の応援曲は、「あの学校のあの応援がカッコいいので、うちもやりたい」と野球部が吹奏楽部にリクエストをして広まっていくパターンが非常に多い。昔も今も、勝ち進んでテレビで何度も流れた強豪校の曲が全国の野球部に広まっていったが、ヒットや得点時の曲は、天理の「ファンファーレ」のシェア率がダントツ。日本一多くの学校が演奏する曲といえるのではないだろうか。

 近年は、「みんな天理のファンファーレをやるので、うちは他ではやっていない曲をやりたい」と、オリジナリティを出す学校も徐々に増えつつあるが、揺るぎないポジションを築いた「ファンファーレ」。原曲「マクシンカッキー序曲」作曲者のリチャード・ボウルズ氏が天国でこの事実を知ったら、さぞ驚くに違いない。



(「甲子園の風」 梅津有希子 = 文)

このページのトップヘ