鯉太郎の 心 ころころ

 


【巻頭言】


「今未来の扉を開けるとき」

3月二つの卒業式に出席させて頂きました。「松本筑摩高等学校通信制課程」「松本市立旭町中学校桐分校」です。両校とも全国の受刑者から希望者が募られ、松本少年刑務所内で授業が行われます。卒業式は両校とも刑務所体育館で挙行されました。

筑摩高校は男子。代表して答辞を読んだ彼は、涙に言葉が続けられず長い間涙を流しました。その中で「学ぶ楽しさを知りました」「人の温かさを知りました」と。彼のつらく悲しい日を思います。筑摩高校校歌の作詞は先頃亡くなられた詩人の谷川俊太郎さん。校歌一番の三行が心に響きます。

「 問いかける心あらたに 
  鉛筆をにぎるこの手が 
  限りない未来をつくる 」

彼の涙と共に、学ぶ大切さを強く感じました。


旭町中学校桐分校は昨年初めて女性を受け入れ、1期の卒業生となりました。もう一度中学を学び直したい思いとは、どんな人生を送ってきたのでしょう。

来賓の一言。「AIと人間の違いは何かと入学式で皆さんに問いましたが、分かりましたか。それは人間は感動が出来る、ということです」。また「学べば学ぶほど分かることが出来る。視野が広がり人生が良い方向へ向かう」。

彼女たちが最後に涙ながら歌った「Believe」、最後のフレーズに涙がこぼれました。

「 今 未来の扉をあける時 
  悲しみや 苦しみが 
  いつの日か喜びに変わるだろう 」

彼ら彼女らの卒業・スタートに、大きな拍手を送りました。




□陽気講座(2頁〜3頁)〈信濃毎日新聞3月7日朝刊より〉

 松本少年刑務所内の桐分校

 女性受刑者 初の卒業

松本少年刑務所(松本市)にある全国唯一の刑務所内の公立中学校「旭町中学校桐分校」で6日、1955(昭和30)年の開校以来初となる女性の受刑者5人が卒業した。これまで同刑務所では入学者を男性に限っていたが、性別に関係なく教育の機会を提供しようと本年度は女性を受け入れた。5人は中学校の課程を修了。本来受刑していた刑務所に戻り、社会復帰を目指す。
 
刑務所内で開かれた卒業式で、20代女性1人が代表して1年間の学びを振り返った。他の女性受刑者と机を並べたり、旭町中学校の生徒と交流したりすることで「勉強を頑張ろうと思えた」。卒業後について「皆さまの気持ちを裏切ることがないように、社会の一員として精いっぱい努力する」と誓った。

5人は全国で入学を希望した受刑者から選ばれた20〜60代。松本少年刑務所には女性用トイレを新設するなど、女性を収容できる態勢が整えられ、5人は同刑務所内から桐分校に通った。昨年4月から1日7時間の授業を週5日受け、1年間で中学校卒業程度の学力を身につけた。

桐分校はかつて戦後の混乱期に中学校の教育を受けられなかった受刑者が対象だったが、現在は改善更生のために「学び直し」を目的に入学する受刑者が大半。これまでは同刑務所が男性専用のため、入学できるのも男性だけだった。

法務省矯正局によると、同校への女性の入学は、受刑者の更生を重視する改正刑法が6月に施行されることが背景にある。2023年に新たに収容された受刑者のうち54・4%が高校未修了。女性に門戸を広げたのには、服役中に学力を身につけることで円滑な社会復帰を促す狙いがある。

刑事収容施設法は性別ごとの収容を規定しており、教室などに限りがある桐分校は男女が同時に学ぶことはできない。25年度も女性のみ5人が入学を予定している。



 学び直して知った楽しさ

 更生へ思い新た

 かつては勉強嫌いで 学校に行かず、非行に…

松本少年刑務所内の旭町中学校桐分校を6日に卒業した女性5人のうち、1人は昨年に信濃毎日新聞の取材に応じ、「勉強するのは楽しい」と日々の充実感を語っていた。

女性は薬物事件関連の罪で服役した。勉強が嫌いで中学の途中から学校に行かず 、入学した定時制の高校も半年で退学。その後非行に走ったという。5年前、日記を付けるようになった際に漢字が分からず、勉強しなかったことを後悔した。

「仲間と一緒に勉強ができ、答えにたどり着くまでの方法がそれぞれ違うことも面白い」。女性は昨年7月、取材にこう話した。母親に手紙で入学を報告した。「頑張るなら、もう一回(中学校に)行っておいで」。母から励ましの手紙が届きうれしかった。 漢字を丁寧に書くことを心がけ、テストで高得点を取るなど達成感を得たという。

「勉強をしていたら悪いことをせず、違う道に進めたかな」。学びを通じ人生を振り返るとともに、更生への思いを新たにした。出所後、娘たちと一緒に勉強することが夢だという。

女性たちの学びを支えた法務教官の男性は「彼女たちは何かしらの生きづらさを抱えてきた。桐分校が手助けをすることで再犯を減らすことにつながってほしい」と願った。(記事ここまで)

○学ぶことの大切さ、学ばせることの大切さ。
学びは人生をおくるための羅針盤。
子どもも大人もいつになっても学びたいと願います。





【最終頁】

神殿玄関にお雛様をお飾りしました。今年は五段の台を据え賑やかです。本来ならば玄関を開けて道行く方にご覧頂きたいのですが、一昨年開放したところ猫ちゃんまでご覧においで下さいまして。玄関は閉めてありますが鍵はかかっていません。3月いっぱい飾りますので、どうぞ遠慮なく自由にご覧下さい。
 
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学生の頃勉強を好きだと思ったことはありませんでした。今ようやく学ぶ大切さを感じています。貴重な時間でした。

学ぶことは「自分を知る」ことです。ゲームより勉強が好きな子どもがいるでしょうか。ゲームの方が楽しいでしょうね。しかし勉強は未来を開く。それを子どもに伝えるのは大人です。伝える親が学ぶ大切さを知っていなければなりません。

バーナード・ショーは「人間を賢くし人間を偉大にするものは、過去の経験ではなく、未来に対する期待である。なぜならば、期待をもつ人間は、何歳になっても勉強するからである」と。

子ども達に未来を教えたい。素晴しい未来があるよと伝えたい。そんな大人でありたいと思います。





学校の先生とお話しする時、「早寝早起き朝ごはん」という言葉を度々耳にします。子ども達が健全に育つためであり、それは身体もそうですが、子ども達のこころが育つために重要だそうです。

文部科学省のサイトに「人間の生体リズムは、脳が毎朝太陽の光を視覚で認識することにより調整されます。これを毎日同じ時間に繰り返していると脳が認識し、次第に自然な目覚めとともに、昼間に活発な「からだ」「あたま」「こころ」の働きが促されるようになります。また成長に欠かせないホルモンも、このリズムに沿って分泌されるようになります。寝不足や不規則な睡眠リズムは、こうした物質の分泌に影響を与えてしまい、心身の健康を損なう恐れがあります」と。調べによると現在小学生の約1割が朝食を食べず、夜10時以降に寝る子が4割。「寝るのが遅い→朝起きれない→朝食を食べない」の悪循環。心配ですね。しかしこれは子どもだけでなく、大人も同様です。

天理教祖は「一日の理は朝にある」と説かれました。「その日がどういう一日になるか朝が肝心」ということ。また「朝起き・正直・働き」と、人間として大切な廉目であると教えられました。朝起きは、正直・働きに繋がるのでしょう。

朝早く起きて太陽の日を浴びるとセロトニン(幸せホルモン)が増え、体だけでなくメンタルにも効き、ストレスの軽減も。

まさに「早起きは三文の徳」なのです。



ひのきしんとは何かというと、信仰の喜びがおのずから日常の生活態度や行為になってあらわれたものを指す、ということになろう。

親神の存在とその思召を知るならば、そこに信仰の喜びが生じてくる。この喜びは、もともとは、自分一人の心の内の喜びであるが、これがいつまでも個人の心の内だけにとどまっているとしたら、十分とはいえない。

信仰の喜びは、心の内だけにとどまらず、日常の態度や行為となってあらわれてこなければ無意味である。信仰とは行為であり、この行為によって、自己が改造され、世界がよくなる。世界一れつは兄弟ということも、それは単なるスローガンではない。それを信じ実行に移してゆくことによって、はじめてその実があがってゆくのである。

行為という以上、それは社会という場に展開される。そこでひのきしんは、一人一人の心の内なる信仰の喜びが、何によらず人のために尽くすという方向で、社会の上に反映され発露された行為である、といえるであろう。しかもその行為が、他から強制されたり、あるいは制度だからするというのではなく、また、報いを求めないところに重要な点がある。人だすけのために無条件に己を捧げていく行為がひのきしんである、ともいえるであろう。          【『天理教とは』(道友社刊)から】


                                  天理時報特別号 第727号


新春を寿ぎ
謹んでご挨拶を申し上げます

旧年は教会の上に真実のお心寄せ頂きましたこと、また会報をご覧頂きましたこと、厚く御礼申し上げます。本年も変わりませず御厚誼賜りますようお願い申し上げます。

昨年元旦令和6年能登半島地震発生、多くの方が犠牲となり多数の負傷者と、未だ避難所生活の方。世界に目を向けると、ロシア・ウクライナを始め幾多の戦争に、悲しみ苦しまれる多くの方々。

人ごとではありません。我がこととして通りたい。

毎日の生活に「感謝」、毎日の生活に「慎み」、毎日の生活に「たすけあい」

新しき年、心に置いて通りたいと思います。



一年ありがとうございました。多くの方に教会報を読んで戴き、心から感謝申し上げます。

さて師走。あっという間の一年でした。皆様はどのような年をお過ごしだったでしょうか。

先日妻からこんな言葉を知りました。「晴れた日は枝が伸びる 雨の日は根が伸びる」。調べてみますと実業家・福島正伸さんという方のお言葉でした。福島さんがどこでどのように語られた言葉か分かりませんでしたが、この言葉に関して大勢の方がご自身の思いを書かれています。私はこう思います。

天気は毎日異なります。晴れの日も雨の日も。晴れの日は嬉しくてこころも明るく幸せいっぱい。しかし雨の日は暗くて、外にも出られず、スカッとせずにつまらない。私たちの人生も、晴れの日も雨の日もありますね。その中私たちは、晴れの日に喜びや幸せを感じやすくないでしょうか。反面雨の日(つらい・悲しい・寂しい。自分にとってマイナスと思われる日)は苦しいと感じる。しかし晴れの日に枝が伸びるように、雨の日には根が伸びるのです。苦しいとき悲しいときには、自分の根が生長する。しっかり立てるように、しっかり歩けるように。心の台が成長する。根がしっかりしていなければ、木は倒れ枯れてしまいます。

一年いろいろありました。雨の日も晴れの日も。しかしそれは私に必要な日、大切な日でした。これからも、どんな日も陽気に楽しんで歩きます。



先月10月はいろいろあった月でした。先月号にも書きましたが、蜂に刺されて二度目のアナフィラキシーショックで入院。一時は危険だったと聞かされました。

友人教会の「神殿落成・教会設立百周年記念祭」参拝に、妻と共に北海道にまいりました。また7月に会長が代わられた、いとこの教会にも参拝しました。

もう一つ「蓼科山登山」。本来ならば昨年登る予定だったのですが、私の骨折で延期になっていたリベンジです。ほぼ同い年の4人が長野・松本・伊那・佐久から集い、前日当教会に泊まって頂き懇親を深め、翌朝大河原峠から登りました。蓼科山は日本百名山の1山で標高2531m。片道1時間半・初心者向け登山コースと紹介され、当地では小学校5年生が学校登山で登りますが、60半ばのおっさん達には大変な行程で、なんとか登り切り頂上に立ったときは感激でした。

来年もどこかに登ろうと、御嶽山・駒ヶ岳・浅間山と候補は勇ましく挙がりますが、こちらは年々加齢と共に弱る一方。どうなることやら、です。





野球シーズンもほぼ終わりました。大リーグは大谷・山本選手が所属するドジャースが優勝。日本では横浜DeNAがセリーグ3位からの下剋上で優勝。阪神ファンとしては寂しい思いもありますが、長野県中野市出身の牧選手の活躍に拍手を送りました。

野球が大好きな知人がいます。彼と野球の話をした時のこと。「野球の基本はなにか」と尋ねると、彼は「キャッチボール」と即答。キャッチボールこそが大切(基本)なのだと教えてくれました。

私には息子が二人いますが、二人とも小さい時からキャッチボールをしてきました。教会玄関でするのですが、時々の暴投で神殿玄関のガラスを割っています。二人とも中高野球で汗を流しました。

ところでなぜ「キャッチボール」というのでしょう。どちらかというと、投げる「スローボール」の方があっているように思うのですが。しかしキャッチと名がつくのですから、投げるよりも「受けること」の大切さを感じます。

キャッチボールは「会話や言葉はキャッチボール」と使われます。なるほど言葉のやりとりですから、まさにキャッチボール。となるとまず大切なことは、相手の言葉をしっかり受けること。そして相手の捕りやすい言葉を投げること。たとえ相手のボールがどんな暴投でも、自分が動いて胸の前で受けとれば「ナイスボール」です。

キャッチボールは一人では出来ません。大切にしたいものです。名キャッチャー目指しましょう。






9月6〜8日石川県珠洲市に、災害救援ひのきしん(ボランティア)に行かせて頂きました。現在能登は豪雨災害に苦しんでおられますが、私はその前の地震被害の活動で、被災されたお宅のお手伝いをさせて頂きました。

1月1日令和6年能登半島地震から十ヶ月が経ちました。能登半島は道路が整備され、幹線に至っては走りやすくなりました。ところが一本裏道に入ると、地震当時と変わらぬまま。そこに豪雨災害が重なり、被災された方々はどのような思いだろうと心が苦しくなります。そしてそのすさまじいほどの現場を前に、私たちの小さなお手伝いが何の役に立つのかと、むなしく思います。

さて皆さん「バタフライエフェクト(蝶々の効果)」という言葉をご存じですか。「中国での蝶の羽ばたきが、カリフォルニアで台風を引き起こす」。つまり「非常に小さな出来事が、最終的には予想もしていなかった大きな出来事につながる」という意味です。

私たちの活動は蝶々の羽ばたきかもしれません。しかしいつか大きな力に繋がる。大切な事は、まず羽ばたく(動く)こと。落ちているゴミを拾う・困っている人の話を聞く・泣いている人にハンカチを差し出す・町の子どもに目を向ける・人に挨拶をする・地域に勤める・近所のご老人に声をかける、などなど。

小さな行いがどれほど大きくなるか結果は見えませんが、どこかで必ず繋がる。楽しみに毎日を歩きましょう。



子どもの夏休みが終わり、久しぶりに登校見守りに立ちました。

私が立つ場所は交差点歩道外側の土。一ヶ月ぶりにさぞかし草ボウボウだと思いきや、草が一本もはえていません。立つ場所だけ丸く穴が空いているようです。

4つの小学校が合併となり通学路が変更、交通量の多いこの交差点に立つようになりました。石の上にも三年といいますが、続けるとはこういうことかと、ぽっかり空いた土手を眺めます。

私の周りの続くは「教会102年」「生きる64年9ヶ月」「本川西便り35年6ヶ月」「結婚生活33年」「保護司15年」などでしょうか。生きるは続けているというより続いているですが、続けることは本当に難しい。
 
天理教の神様の言葉に
「つゞいてあつてこそ道といふ、つゞかん事は道とはいはん(明治39・5・21)」
と、続けることを道と教えられます。

道という言葉は「道理」「道徳」「道筋」などと、人の歩むべき過程・修めるべき筋とも使われます。続けることは難しい。だからこそ「続いてこそ道」と説かれるのでしょう。歩くが道。一歩一歩を重ねましょう。 



「道程(高村光太郎)」より 

 どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない 
 僕の前に道はない 
 僕の後ろに道は出來る 
 道は僕のふみしだいて來た足あとだ
 だから
 道の最端にいつでも僕は立つてゐる




⃞▢暑い日が続きます。どなたにお目にかかっても、まず「暑いですね〜」から挨拶が始まります。
 さてこの暑さの原因はヒートアイランド現象にあると言われているそうです。ヒートアイランド現象は都市の気温が周囲の気温よりも高くなる現象。その原因は緑が少なくなり土が減ったこと。都市部の地面のほとんどがアスファルトやコンクリートになって熱をため込み、なかなか冷えません。「そのせいか確かに昔より暑くなった」と言いたいところですが、歳のせいもあるでしょう。若い頃はもう少し暑さにあがらえたと思います。 どうぞみなさん、もったいないからとか暑くないからとか仰らず、クーラーをうまく使ってお過ごし下さい。この暑さももう少しです(だと思います)。

▢長女が第二子を出産して里帰りしています。教会には母の部屋にしかクーラーがないのでこの暑さにまいっていますが、みどりごは元気に育っています。ありがたいことです。さてその子の姉は1歳9ヶ月。私はお世話係に任命されているのですが、子どもながらに思いが見てとれて楽しい。しかしその元気さについていけません。  
 先日遊具で遊んでいる時に障子に指がブスッ。わざとではなかったので仕方ないと見ていたのですが、穴を見ながらその隣をブスッとやりそうに。こりゃいかんと「だめだよ」と一言。これは穴あき障子理論でしょう。一つ穴が空いていると幼子なりに「やってもいいのでは」と思うようです。教会が荒廃しないうちに、早々に穴を塞ぎました。

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