鯉太郎の 心 ころころ

 

昨日、叔父の講社祭が、小さい声で勤められることを書いた。もう一つ、叔父の講社祭で聞いたことを、書き足したい。

叔父のアパートは一棟に50戸ほどが固まっている。それが何十と立っている。当然知り合いと、全然知らないお宅とがある。

叔父が仲良くしているお宅があった。その方が亡くなった。お通夜に伺った叔父・叔母は、びっくりした。なんと棺の中にハッピが入っていたのだ。その方は天理教の信仰者だったのだ。しかもハッピを棺に納めるくらい、熱心だったと後に聞いた。長い付き合いであったが、亡くなるまで、知らなかったのだ。

その団地ではある宗教が権力を握っていて、他宗教のお宅は徹底的に弾圧されると聞く。他宗教の方は、さぞかし大変であろうと思う。しかし私たちの周りを見回しても、お道はその露出が少なくないか?良い悪いは別として、どうも隠す方向にあるのではないか?


私はよく電車の中で、大望や天理時報特別号を読む。それを見て誰か話しかけてくれないかな?と思う。また似たような雑誌を読んでいる方を見ると、「大望かな?」と眺め、声をかけたいと思うが、残念ながら、いまだにその機会はない。

会った瞬間に「おっ、天理教の人だ!」と、分からないものか。

もちろんハッピを来て歩けばすぐに分かるけれど、社会に出るのに、天理教徒はどこでもハッピを来ていればいい!、とも思わない。それなりの格好は必要だと思う。ならば、どうしたらいいのだろうか。

誰か、教えて下さい。

部内月次祭にやらせて頂きました。今月は上級前会長さんが御巡教で、私のお話はなし。有り難い!

さて半年くらい前になりますか、この教会の祭典中(前半途中くらい?)に玄関でなにやら騒ぎになった事がありました。参拝して下さっていた信者さんが応対して下さったのですが、怒声が聞こえます。玄関のドアがガンガン鳴っています。祭典中でしたので、勤めていた者はそのままでした。前半が終わり部内会長さんが下におり、参拝の信者さんに聞きますと、隣のご婦人が「風邪を引いて寝ているのに、ドンドン、バンバン、うるさくて仕方ない。いい加減にしてくれ」と、すごい血相で怒鳴り込んで来られたそうです。

会長夫妻は事の次第を聞き、祭典途中ながら、その足で事の善し悪しは別として、お詫びに行かれました。しばらく後帰って来られて、「後半は小さい音でお願いします」と。それからは、私は地方でしたが小声で、特に太鼓の音がうるさいと言うことで、隠れるようにして、後半を勤めたのです。

実は、私が小さい声(音)で勤めるのは、これが始めてではありません。埼玉・東京方面の講社祭の時に、武蔵村山の叔父のアパートに行くのですが、その時叔父が「小さい声で」と言われるのです。初めての時は、びっくりしました。実はその近所はある宗教のお宅が多くて、他の宗教を信仰している家庭は、徹底的に弾圧されるのだとか。今はもう慣れましたが、本当にささやくようなお勤めは、一時期憂鬱だったのを覚えています。

しかし、昔天理教が弾圧された頃。おつとめをしているのが分かれば、教祖が監獄に連れて行かれる、との事から、そっと、勤められたとの、歴史があります。今私にもその思いの髪一筋分だけでも、先人の先生方のお気持ちが分かるような気がして、有り難いと思うのです。また、こんな事でなく、住宅事情から、精一杯の声で勤めることがかなわない教会もおありでしょうね。

晴天の心、と申します。声は小さくとも、勇んで、喜んで、楽しく勤めることが、親神様、教祖にお喜び頂けると、信じます。

災救隊の会議(懇親会含む。う〜ん、どちらがメインかな?)に行って参りました。

災救隊の集まりは、同じ系統の者が集まるのでなく、様々な系統の道の兄弟が集まります。いいですねぇ、信仰談義、地域の話題、つまらない話、なんだかんだと時が過ぎます。


どれくらい前になるでしょう、大教会巡教の話です。大教会から来られた役員先生が、神殿講話でこんな話をされました。
「…とにかく、大教会長様の思いにだけ添っていればいい。大教会長様が喜んで下さればいいんです。ですから支部のご用なんて引き受けなくてもよろしい。とにかく大教会に心を運べば、尽くせばいいのです」。

これを聞いて私は、「おやおや、なんてことを仰っしゃられるのですか(オイオイ、なんてこと言うんだ)! びっくりです(ふさけんなよ)。後で一言申し上げなければ(後で一言文句言わねば)」と。

神殿講話が終わり、直会が始まりました。「よし、行かせて頂こう(よっしゃ、行くで)」と先生の前に進み出ようとしますと、すでに会長(その頃)が前にどかっと座り、「そんなこと言っているから、天理教はだめなんですよ」と、お話中でした(^^;)。

おぢばから遠くなればなるほど、地域の活動が大切になります。集まりが大切になります。地域に於いて、○○大教会、××大教会なんて関係ありません。それぞれの教会は、地域においてすべて同じ天理教です。ですから、にをいがけも、おたすけも、ひのきしんも、地域としての活動が、大切だと思うのです。天理教として、地域の信用・信頼が大切だと思うのです。

おぢばに近くなればなるほど(地理的に)、地域の活動に無関心になっていないか?本部に近くなればなるほど、地域の活動より大教会のご用だけに力を入れていないか? もちろんそうでない教会もあるでしょうが、あまり聞きません。

せめておぢばの声として出される、例えば、ハートクリーン、にをいがけデー、などの行事には、直轄教会はスケジュールを入れるべきではない。それどころか、声を出して「地域の活動に積極的に参加しよう。がんばろう」と、いうべきではないかと思うのです。

そういう意味で、災救隊最高です。どんどん、参加しましょう。地域の活動に参加しましょう。

# しかし懇親会もあまりに長くなりますと、飲めない私とはいえ、次の日(というより当日)体調崩し、大変でした。深く反省申し上げた次第です。

昨日、一昨日と、みたまうつし、告別式ひのきしんを勤めさせて頂いた。

27日お見舞いに伺ったときは、まさかこんなに早くとは、思いもしなかった。28日早朝、突然のお出直しであった。

みたまうつしの夜から雪になり、翌朝火葬場に行くときは、とてもノーマルタイヤでは行けなくなった。そこでうちの車が駆り出され、行く予定のなかった私が火葬場までご一緒することになった

焼く場に入るおばあちゃんをみて、大粒の涙。そして焼けて骨になった姿を見て、また涙。そのお骨揚げを見ながら、ふと思った。

昭和60年8月12日、群馬県御巣鷹山に日航機が墜落、520人がお亡くなりになった。そのほとんどの遺体が、墜落の衝撃に損傷激しく、ばらばらであったという。集められた医者が、そのばらばらの遺体を一つにするための苦労が筆舌に尽くせない苦しみであり、特にパーツが揃わない犠牲者遺族からのプレッシャーが、その気持ちが分かるだけに、一番の苦しみだったと話されている。日本人は死後、来世、また別の世界を信じ、そこで生きるために体の全てが揃っていないと再びの生を全うできないと考えるため、遺体の全てが揃うことを求めるのだ。

犠牲になった520人の中に、22人の外国人がおられた。事故後、関係者がその連絡、対応に追われたが、韓国人(キリスト教徒を除く)以外の外国人は、死と遺体の処置に関する考え方は、ほぼ共通であったという。

キリスト教人の韓国人女性犠牲者の遺族は、電話で確認時に様々な説明の後「ご遺体はどのようにされますか」と尋ねると、「娘は神様のところに召されて幸せです。肉体は一緒になくなった人と共に埋葬して下さい」と答えられた。

アメリカ人男性遺族は、「遺体はそちらにお任せします。飛行機が落ちた場所に埋めていただいてもいいし、荼毘に付してもいいです」。

イギリス人男性の父親。「息子は死んで神に召された。死んだことがわかったので、死体は持ち帰らなくてもいい」。

係がなぜ遺体を引き取らなかったのか、と日本人的感情も入って強い口調で尋ねると、「デス、イズ、デス、つまり死は死である。もらっても(遺体を)生き返ってくるわけではない。魂は神のもとへ召された」という事だったという。

自分を思った。もし自分の家族が異国で出直すようなことがあったら、私は「そちらで埋葬してくれ、それで結構です」と言うであろうか。絶対日本に、生まれ育ったふるさとに連れて帰りたいと思うだろう。

その亡骸には、思いがある。共に過ごした歴史がある。自分の歴史でもある。だから、「出直したのなら、もういいです」とは、言えない。

天理教では、死ぬことを出直しという。新しい体を神様にお借りして、同じ魂でまた生まれ変わると、お聞かせ頂く。この教えが心に治まったら、「神様に召されたのだから、亡骸は、もう結構です」と、言えるのだろうか。

いえそうにない。

こんな私は、軟弱なのかもしれないなぁ。

おばちゃん危篤の電話を頂いて、すぐに病院へ伺いました。おばちゃんといっても92歳。母の実家教会の部内教会の親奥さんで、近くにお住まいでした。

おばちゃんの枕元にたった母親は、涙ながらのおさづけ。まもなくして母のお兄さんが着かれました。すぐに枕元へ。

「おばちゃん、本当にありがとうございました。モンゴルにいってご苦労されて、本当に尽くして下さいましたね。本当に、本当にありがとうございました」。おさづけを。

私はそのおさづけの添い願いをしながら、「先ほどの伯父の言葉は、長い間心からつながっていた人の言葉だ。共に苦労し、共に喜んだ。そんな時間を一緒に過ごしたから、さっきの心からの言葉が語られたんだ。私にはそこまでの付き合いはないな…」と。

伯父、母親達の長い歴史。私もこれから長い時間を共に過ごし、共に歩く方を、御守護頂きたい。それには、こちらからどんどん関わりを頂かねばならない、と思いました。


帰り際に、共に帰ることになった伯父が、
「おばちゃん、一度帰るよ。おばちゃん…、もう頑張れなんて言えないね。今までこれほどまで頑張ってきたんだから」。

本当に、その通りだと思いました。

帰って神様に「どうぞ、もう苦しむことなく、穏やかにお迎え下さい」と。出直しも、御守護ですね。

あごひげに、白髪を発見、歳を感じ、ちょっとショックの鯉太郎です。

今日は1日雨でした。明け方から雪になっていて、このまま降り積もれば雪かきかな?と思っていたのですが、暖かさも手伝って、昼前から雨に。残っていた雪も、雨に溶けてぐちゃぐちゃでした。

お仕事に、行楽に、ふるさとにお帰りに、雨は残念ですね。できたら、お天気に歩きたいところです。しかし、心はころころ。雨が少なくダムの貯水率が毎日のように放送されていた昨夏を思い出します。

雨は神様からの贈り物。

感謝して、受け止めたい、頂きたいと思います。

今日も 心 ころころ


今日おひな様を出しました。ちょうど土曜日で、子供達にも手伝わせて。ちょっと遅かったけれど、出さないのもおひな様が可哀想なので。

うちのおひな様は、家内が小さいときにお母さんに買ってもらった物。家内が嫁入りに持ってきました。だから2代目ですね。

子供達と一緒に、わいわい言いながら、おひな様を出しますと、去年、またその前の年の思い出が一緒に出てきます。

只、飾るだけではないですね。思い出をつくりながら、思い出を飾りながら、おひな様が並べられるのだと、思います。

良い思い出を、飾りたい。ただしその時が楽しいから、楽しい思い出ではないと思います。その時楽しくても、あとで苦しいものになったり、その時苦しくても、後で素晴らしい思い出になったり、します。

だから毎日を、大切に通りたい。子供達にも、今だけの喜びを教えるだけでなく、末代の幸せ、喜びを、飾らせてやりたいと、思います。

今日も、心、ころころ。

私たちは、毎日、心を、ころころしながら、歩いています。

どんなに確かと思われることでも、次の日には、ころころ転がっています。

そんな毎日を、自分を、振り返る縁として、記したいと思います。


よろしくお願いします。


このページのトップヘ