鯉太郎の 心 ころころ

 

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Number Web より



甲子園&阪神の応援でおなじみ「ファンファーレ」、発祥は天理高だった…!
2022年3月22日 11:02 天理高校吹奏楽部提供



 日々熱戦が繰り広げられている、第94回選抜高校野球大会。1回戦屈指の好カードが、天理(奈良)対星稜(石川)の名門対決だ。


 今大会では、吹奏楽部の演奏も、「50人以内」「奏者同士の距離を十分に取る」などの条件付きでOKに。3年ぶりにセンバツに生音が戻り、コロナ禍前と変わらない雰囲気が懐かしくも感じる。

得点時の曲、天理発祥って知ってた?


 長きにわたって甲子園常連の天理だが、ヒットが出た際や得点時に多くの学校が奏で、阪神タイガースも使っているファンファーレ、「♪チャーラーラー チャララ チャッララー」。この曲が、実は天理高校吹奏楽部発祥ということは意外と知られていない。

 音階でいうと、

 ♪ソーファーレー ドレファ ソッレソー

 聴けば誰もがわかる、おなじみのアレである。

 同校吹奏楽部は、戦前から幾度も全日本吹奏楽コンクールに出場している、日本の吹奏楽界に多大なる影響を与えてきた名門校だ。

 1936年に誕生した天理高校吹奏楽部。1942年、天理中学校時代に初めて全日本吹奏楽コンクール(当時の名称は「大日本吹奏楽大会」。翌年の第4回から「全日本吹奏楽コンクール」となる)に出場。栄えある3位を受賞した際、審査員は「テンリ」と読めず「アマリ中学校」と呼び間違えたという。今では信じられないエピソードだが、名門天理にもそんな時代があったのだ。

定番ファンファーレの“誕生秘話”


 1959年、第31回選抜高校野球大会で天理が演奏し始めたこのファンファーレの原曲は、アメリカの作曲家リチャード・ボウルズが作曲した「マクシンカッキー序曲」。

 吹奏楽部が演奏会などでこの曲を演奏し、初代指揮者の矢野清氏が、曲中のフレーズをアレンジして作ったものだ。

 2016年、筆者も出演したNHK-FM「今日は一日“吹奏楽”三昧リターンズ」で、NHKのアナウンサー山田朋生氏が、アメリカのチャットフィールド楽譜図書館で原曲譜面を発掘し、天理高校吹奏楽部に演奏してもらったことがある。実際に音源を聴いたが、1フレーズを抜き出してファンファーレに仕立てており、ほぼ原曲のまま。

「序曲の中からこの一部分を抜き出してアレンジし、ヒットが出た時に演奏する」というこのアイデアがかなり斬新だったのではないかと、甲子園で多くの学校がこの曲を演奏するたびに、しみじみと思うのだ。

今や「ヒット」「得点」と呼ぶ学校多数


 同校では、単純に「ファンファーレ」と呼んでいるが、吹奏楽部OBで、現在指揮者を務める吉田秀高氏によると、「当時は『ファンファーレ』とも呼ばず、『ヒットが出たら「マキシンクッキー」やるぞ』という感じで、原曲名で呼んでいました」という。

 当時はこの曲の正式名称がわからず、「マキシンクッキー」と読んでいたというが、山田アナが発掘した原曲譜面には、タイトルに「Maxinkuckee Overture」と記されており、「マクシンカッキー序曲」が正式名称と判明。おそらく、読み間違えて伝承されていったのだろう。

 同曲が天理発祥と知らずに使っている学校も多く、「ヒット」や「得点」と呼ぶ学校が大多数だ。それくらい、「ヒットの時や、点が入ったら吹く曲」ということが浸透しきっているということだろう。

 吉田氏は、1978年に入学。1年夏にベスト8、2年時は春夏出場。3年の夏はベスト4という成績を残しており、何度も甲子園で演奏しているが、当時すでに、「ファンファーレ」は他校も使っていたという。

「いっちょホンマものを聴かせましょうか、と(笑)」


 現在、筆者が甲子園で全試合の応援を取材していると、半数どころか8割近い学校が同曲を演奏する年もあるが、天理の対戦校のスタンドからファンファーレが聴こえてきたら、どう思うのだろうか。

「いっちょホンマものを聴かせましょうか、という気になりますね(笑)。でも、これだけ多くの学校が演奏してくださって、とてもありがたく思っています」(吉田氏)

 吉田氏は阪神タイガースのファンでもあるが、同球団も「ファンファーレ」を演奏することについては、どう感じているのだろうか。

「いやぁ、特に何とも思いませんが、ありがたいです。それよりも『勝ってほしい』という気持ちです(笑)」

 と言い、「多くの学校で演奏されているバージョンも、阪神版に近いかもしれませんね」とも続けた。

天理は攻撃の初回にも…「景気つけよう! と」


 本家天理の「ファンファーレ」には、どっしりとした低音のベースラインがあり、クラリネットやピッコロなどのトリル(2度違いの音を繰り返し吹く奏法)が加わり、重厚ながらもどこか華やかさも感じる。

 一方、多くの学校が演奏する、吉田氏がいうところの「阪神版に近い」バージョンは、複数の楽器が同じメロディを演奏する「ユニゾン」という奏法が主流。同じ曲でもまったく異なる印象を受ける。

 近年、天理は攻撃の初回にスローテンポの「ファンファーレ」を演奏する。ヒットや得点時のアップテンポな演奏と違い、重々しく威圧感まで感じさせる演奏だ。なぜ初回にこのような演奏をしようと思ったのだろうか。

「攻撃開始なので、景気つけよう! という感じでしょうか」(吉田氏)

ファンファーレにあった「幻の歌詞」


 ちなみに、同曲には歌詞があるということもほとんど知られていない。本家の天理も甲子園で歌詞を披露しているわけではないので、知られていないのも無理はないのだが、せっかくなので、この幻の歌詞を記しておきたい。

【「ファンファーレ」歌詞】

 てんり ナイン がんばれ
 てんり ナイン がんばれ
 てんり
 てんり
 がんばれ がんばれ がんばれ

 現在の高校野球は攻撃時しか演奏出来ないが、かつては攻撃時、守備時の両方とも演奏出来たことから、歌詞も2パターンある。上記は守備時の歌詞で、攻撃時は「がんばれ」が「かっとばせ」となる。

“シェア率ダントツの事実”を作曲者が知ったら…


 高校野球の応援曲は、「あの学校のあの応援がカッコいいので、うちもやりたい」と野球部が吹奏楽部にリクエストをして広まっていくパターンが非常に多い。昔も今も、勝ち進んでテレビで何度も流れた強豪校の曲が全国の野球部に広まっていったが、ヒットや得点時の曲は、天理の「ファンファーレ」のシェア率がダントツ。日本一多くの学校が演奏する曲といえるのではないだろうか。

 近年は、「みんな天理のファンファーレをやるので、うちは他ではやっていない曲をやりたい」と、オリジナリティを出す学校も徐々に増えつつあるが、揺るぎないポジションを築いた「ファンファーレ」。原曲「マクシンカッキー序曲」作曲者のリチャード・ボウルズ氏が天国でこの事実を知ったら、さぞ驚くに違いない。



(「甲子園の風」 梅津有希子 = 文)


陽気12月号「この一年をふり返って」に、拙文掲載いただきました。

多くの方からご感想いただき、感謝感動しております。


その中「どういう経緯で依頼されたのですか」と多くご質問頂きましたので、ちょっと書かせていただきます。


9月末、茨城の知人から「陽気から依頼を受けたけれど、忙しくて書けないから、鯉太郎さん代わりに受けていただけないですか」と連絡を頂きました。内容を伺いますと「一年をふり返って」。つくし・運びなどと言われたら書く自信はないですが、一年の振り返りならとお引き受けした次第です。本来ならば知人のほうが書ける方でもありますし、素晴らしい信仰をお持ちのご夫婦なので、私が読ませていただきたい。しかし確かに知人のその頃を考えると忙しいのはもっともで、お受けした次第です。これが依頼の経緯です。

実は陽気誌に掲載頂いたのは2回目なのですが、一回目依頼の経緯は分かりません。しかし掲載後担当者とお話のさい「〇〇という特集があるのですが、どなたかご推薦いただける方はおられませんか」との話がありましので、多分その方面からの紹介依頼が多いのではないかと考えます(今回は聞かれませんでした)。


多くの皆さんの信仰の毎日をお聞きするたびに、私ごときがと思いましたが、掲載後私の全く存じ上げない高齢の会長さんから「私と同じようにがんばっておられる会長さんがいると読み、嬉しくなってどうしても話がしたいとお電話しました」とご連絡いただきました。30分ほどお話しましたが、最後に「ともども勇んで勤めましょう」とエールを頂き、大きなエネルギーを頂戴しました。陽気誌に書かせていただいてよかった。感動しました。



これからも楽しんで勤めたいと思います。拙文お読みくださった皆様、ご感想お声がけいただきました皆様、本当にありがとうございました。




昔ある方に

「君は漫画なんか読んでいるのか・・・」と言われたことがある。

どういう思いで仰られたのか分からないが、もし漫画を軽く見られた発言であるならば

「それは違いますよ」と申し上げたい。

私は漫画も読むし、小説なども大好き。最近お道の本の読書量が減少気味だが (^_^;)

私の本箱には様々な漫画が(も)並んでいる。

「リアル」「JIN」「ヴィンランド・サガ」「スラムダンク」「どうらく息子」「ヒカルの碁」「ウッシーとの日々」「うしおとトラ」「ヒストリエ」「マスターキートン」「バガボンド」「ピアノの森」「BLUE GIANT 」などなど。(「鬼滅の刃」も子どもに借りて読んだけれど、良い本だとは思うけれど、私にはそこまでの感動はなかった。というか、読み切れなかったのかな)

ぜひ多くの子ども達に読んで欲しい。


今回「大人に読んで欲しい漫画」をご紹介。娘に勧められ、どはまりした。


私が勧めるまでもなく、すでに超注目の本ですが。

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「ミステリと言う勿れ 」田村由美



どんな漫画かというと説明が難しいのでネットから引っ張ります。


「カレー好き、天然パーマが特徴の大学生 久能 整(くのう ととのう)君が、あの名探偵であるコナン君ばりに事件(ミステリー)に巻き込まれ、それを解決していく物語です。なかなかの巻き込まれ力で、いろんなミステリーに巻き込まれ、嫌々ながら解決していきます。本筋のミステリーがよくできていて、とても面白いのです。ちゃんと伏線が各所に散りばめられており、綺麗に回収してくれ、想像の右斜め上をいくストーリー展開が魅力的。物語の先が気になり過ぎて一気に読んでしまう漫画です。最大のオススメポイントは他にもあります。それは、久能 整の小言。ウンチク。ウンチクというか、人生について色々考えさせられることを教えてくれます。」

「久能が持つマクロな視点が人生の本質を暴く。「ミステリと言う勿れ」の魅力は整が発する数々の言葉ですね。
 俯瞰で物事を捉えていて、人々が当たり前だと思っている事についてもそれを根本から覆す視点で話してくるんですよね。代表的なものは「真実は一つではない」という言葉。どこぞの小学生名探偵が聞いたら血相を変えて抗議してきそうですがこの言葉は芯を捉えているんですよね〜真実と言うのは受け取る側の解釈一つですからね。
 悪意を持って受け止める人と善意を持って受け入れる人では、同じ行動でも結果(その人にとっての真実)は変わってきます。正当防衛で人を殺めたとしてそれでも殺人だから罪に問うべきだという真実を持った人とこれは仕方のないことだから罪に問うてはいけないという真実を持った人が分かれて2つの真実が出来上がっていく訳です。「うーん、なるほど」という感じがしますよね。

他にも、なぜ人間が人間を殺してはいけないのか?
(戦争時などは人を殺した方が賞賛される事もあるのに)

なぜいじめられっ子がカウンセリングを受けなくてはいけないのか?
(いじめる方が心の病があるはずなのに)

というように私達が子供の頃から教えられてきた、いわゆる“常識”という奴を根本から壊してくれます。
堅苦しい常識に囚われて良いことはありませんからね。整君のマクロな世界観を体験して是非、貴方の常識をぶっ壊してほしいですね。」


人によって読み方はざまざまですが、一度読んで下さい。私がなぜお勧めするか、分かって頂けると思います。


様々お勧めシーンがあるのですが、一つだけ。

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これを知るだけで、楽になる子どもがいるような気がします。


「ミステリーだけではなく、人生論・哲学論を頼める漫画になっているので、深みのある作品が好きであれば、是非一度見てほしい漫画」




ぜひお読み下さい<(_ _)>





*あくまで私の主観によるお勧めです。
















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朝勤めはおふでさきと、逸話篇を拝読する(長くても短くても、一朝1話)。

逸話篇は200の御逸話なので、7ヶ月弱で終わる。そうするとまた1から繰り返すのではなくて、道友社配本とか読みたいお道の本を、1冊挿む。それが終わると、また逸話篇。という具合だ。

先日逸話篇が終了。今回はかねてから読みたいと求めていた「世界たすけに活かすおやさまご逸話(茶木谷吉信・著)養徳社」を。

これがいい。引き込まれるように読んでいる。私が教会を留守にするときは妻が読むのだが、読まれるのが惜しい。またその妻も「読むのが楽しみ」と言う。私も留守にして読めなかったところは、帰ってきてすぐに読む。

こう書くと「なにがいいのですか?」と聞かれるだろう。説明するのが難しいのだけれど、一言申すならば。

この本を読むと、逸話篇から今まで知らなかった・感じられなかったおやの思いを知る。御逸話から教祖のお姿が見える。そして何を教えて下さっているのかの、輪郭がはっきり見える。そしてそこに「世界たすけに活かす」という著者の思いを感じるのだ。

この本を読み終わり、新たに逸話篇を拝読する時、今までと違った読み方・感じ方がするに違いない。それが今から楽しみである。


もちろん「今更遅いよ。もうとっくに読んだよ」と言う方ばかりだと思うけれど、もしお読みでない方がおられたら、ご一読をお勧めする。我が教会のように朝勤めの時に読むのも「あり!」です。というか、お勧めしたい。








『天理時報 立教183年11月1日号「座右のおふでさき」』に、私の拙い文章を載せて頂きました。依頼から掲載まで2ヶ月。どんな行程を経て、どの様に思い考え進んできたのかを、これから書かれる方、また記録のために、書き残しておきたいと思います。



まず最初に、長い間ご指導・お付き合い下さった道友社・Sさんに、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。楽しくドキドキとした時間を頂きました。



天理時報「座右のおふでさき」の依頼を頂戴したのは、確か8月後半だったように思います。「長野教区の代表社友をお勤め下さっている・・・」というお言葉があったので、それからのチョイス。私ごときがと思ったが、Sさんの勧めに「はい」とお受けしました。

『「座右のおふでさき」は、文字数は600字程度で『日々の生活の中でふと浮かぶお歌や、支えとなったお歌、また「忘れられない」「心に刻み付けている」おふでさきの一首を挙げ、お歌にまつわる具体的な思い出などを、テーマをしぼってお書き頂きたい』との事。

締め切りを伺うと「9月半ばくらいに」にと仰って頂いたが、私はきちんと決めて頂かないと尻に火がつかず出来ない人間だから、9月14日と仕切って頂いた。

その後執筆するに関して伺ったこと。『文体』。「である体」なのか「ですます体」なのか。選べるならば私はですます体で書きたいのですがとお聞きすると、執筆者が女性であれば「ですます体」。男性は「である体」とさせて頂いています、との答えでした。了解です。

締め切りまで1か月。朝子どもたちの登校を見守りながら、畑で汗を流しながら、布団の中でと、様々思いを巡らせました。

おふでさきはすぐに浮かびました。あとはそこに向かってどう進めるか、ひろげるか。自分の中に幾つか決め事・キーワードを挙げました。

1つ、「幸子(妻)」という文字
1つ、「天理教校附属高等学校」と「天理教校第二専修科」
1つ、エピソードは入れない
1つ、くすりとする箇所

1ヶ月悩みに悩み、締め切り9月14日20:16、送信ボタンを押しました。その際Sさんに送った文面。



道友社 S様

お届け頂く天理時報の座右のおふでさき読ませて頂きながら、先生方の素晴らしい体験とお言葉に、こんな私でいいのか、こんな言葉でいいのかと、締め切りギリギリまで悩みました。

読み返す度に、あちらこちらと、気になるのです。読み返す度になおす箇所がある。しかし締め切りというのはありがたいもので、どうでもこうでも送らなければならず、締め切りに救けて頂きました。

遅くなりましたが、原稿送らせて頂きます。少々長くなりました。あとはお願い致します。

多分送信ボタンを押すのに、決心がいるだろうと思います。

本当にありがとうございました。よろしくお願い致します。




不安にドキドキしながら、送信ボタンを押した。

結局、ここから最終稿まで5回の変更・校正が入りますが、一番最初に送らせて頂いた私の原稿。



しんちつが神の心にかなハねば
いかほど心つくしたるとも (12-134)

 附属高等学校・第二専修科をスタートに、ふるさとに帰った時は二十年が過ぎていた。
 「さあ、なにをしよう」と思った時、教区災救隊から声を掛けて頂き、多くの現場に立たせて頂いた。またその繋がりから教区のご用も勤めさせて頂くようになった。教会にあっては、出来る限り地域のご用を受けようと父の後を継ぎ民生委員や、数々のお役を引き受けた。また教会報に天理時報特別号を入れ、町中に配布。「楽しみにしています」の声も、悩み相談も頂くようになった。
 思えばおぢばから帰ってきて「どうしよう」の連続だった。その時私はいつも、お二方の「かみさん」に尋ねる。お一方はもちろん「親神様・教祖」である。そしてもう一人は、おかみさん「妻・幸子」である。
 私は陽気な人間だと思われがちだが、実は小心者で心配性な人間だ。心が揺れる事があると、神様に伺った上で妻に相談する。白梅出身の妻はゆっくり話を聞き、子供を教えるかのようにアドバイスを。妻は私に安心と勇みをくれる。かみさんに守られ支えられる毎日、ありがたいと思う。
 そんな自分を戒めていること。よかれと思って勤めていることが、実は自己満足に過ぎないのではないか、ということ。「神の心にかなわねば」と仰る。私の心が向くのは神様であり、難儀されている方である。第二専修科で憶えた「させて頂く」を忘れるなと、自分を戒めている。
 コロナ禍の現在大変だけれど、私たちのすべきことは変わらない。手立て・手段が変わるだけ。おぢば・直属・上級からエネルギーを頂き、教区・支部活動にヒントを見つけ、信者さんのために、地域のために、難儀されている方のために、教会がおぢばへの道標となるよう、ゆっくり歩いている。






文字数が多くなりましたが、その辺はSさんにおまかせしようと。また校正を頂くのも、楽しみでした。プロにちゃんとした校正を受けるのは初めて。どんな文章になるのか。


数日して校正された第1稿が届いた。それはアップするのは控えるが、次の事をご指摘頂いた。憶えている限り書きたい。

・災救隊に入ったということは、当然現場に赴くことだから、「多くの現場に立たせて頂いた」という表記は必要ない。
・お二方の「かみさん」の表記は、誤解を招く恐れがあるから、カット
・あれもした・これもした、こんなことをしている・こんなことをした、と並べるのは鼻につく。
・「私の心が向くのは神様であり、難儀されている方である」「コロナ禍の現在大変だけれど、私たちのすべきことは変わらない。手立て・手段が変わるだけ」は、会長さんご夫妻は皆さんそう思っておられるので必要ない。
・情景が浮かぶ文章を。


電話にて丁寧にご指摘・ご指導下さった。その言葉も大分配慮下さっていて、やさしい言葉で遠回しに指摘下さったように思う。勿論「鼻につく」なんて言葉は仰らない。これは私が「つまり、鼻につく!という事ですね」と突っ込んだ言葉。その辺り大分気を遣われていると感じた。

その説明を受ける中、Sさんがよく仰ったのは「読者の目線」ということ。書く人は自分が分かってて書くので、どうしても読者に伝わらない事がある。どうしたら読者に伝えられるかを、編集者は考え整理をしますと。

600字という短い文章なので、あれもこれもとしてしまうと、主題がぼやけてしまう。きゅっと絞った方がよい。

主題を伝えるに、文章をどう組み立てるか。それによって文章を入れ替えることも。



正直、校正され送られて来た文章は、自分の文章ではない気がして、「これは私の文章なのになんで」と感じた。

頂いたメールに、一文が添えられている。「事実関係の誤り、思いと異なる点など、ご指摘下さい」と。頂いた文章を手直しして、送らせて頂いた。

それをSさんが校正して返してくれる。また気になり手を入れ返信。

またSさんが校正し返してくれる。しかしどうもしっくりこない。

ちょうどその時、教区の例会があった。そのことがふっと心に浮かんで、前半部分を大きく書き直した。

それが今回掲載頂いた文章の冒頭部分。
『1日教区連絡会議。片道一時間30分、妻と共に向かう。道中、信者さんのこと、教会のこと、子ども達のこと、教会将来のこと、話は尽きない。なかなか一緒に帰れないが、おぢばに向かう6時間も、ずっと話をしている。』

他数カ所の手直しをおこない、送信した。

返ってきた文章は、編集者さん皆さんそうであるかと思うが、上の方と相談をされ、幾つかの提案がなされていた。

それを頭にもう一度文章を読み直し、提案も考え、再度手を入れた文章を送らせて頂くと、10月27日最終稿として「座右のおふでさき」掲載と同じ版組で送られてきた。

その稿から自分のものとして違和感なく読めるようになった。ただ1つ思いと違う箇所があったので、そこの訂正をお願いして、これでお願いしますと、やりとりは終った。




さて当初考えた思いのキーワードはどうだった?

○「幸子(妻)」という文字

△「天理教校附属高等学校」と「天理教校第二専修科」(第二専修科が入れば、附属は勿論なのでカット)

○エピソードは入れない

×くすりとする箇所(残念・・・)



今回良い経験・勉強させて頂きました。正式にこうした校正を頂いた事はなかった。普段こうしてブログは書くことはあっても、読者目線でなど文を書いた事はない。もちろん文章の組み立て方もさほど意識してなかったように思う。今後書くだろう文章に生かされると思います。



しかし一方、知人目線で考えると、今回の「座右のおふでさき」は「小林」らしい文章かといえば、どうなんだろうかとも思います。小林らしくないと思う方もおられるのでは。


しかしやはり天理時報というおぢばの声ならば、これでよかったのだと思いました。



実は今回の「座右のおふでさき」、依頼を頂いていることは妻・幸子には話しましたが、内容は掲載された天理時報が手元に届くまで、いっさい漏らしませんでした。読んでさぞかし驚いたと思います。いつもありがとう。

そして私の、妻の、大勢の知り合いから、感想と喜びの言葉を頂戴しました。本当にありがとうございました。これからのエネルギーになります<(_ _)>




長い2ヶ月でした。




最期に、Sさんとやりとりした一番最後のメールに書かれていた、本当に嬉しかった一文を載せて、終わりたいと思います。

『お電話では、お時間をいただきました。
言いそびれましたが、3稿で追加された冒頭部分は、読者として引き込まれれるように感じました。』



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中島みゆきさんの「四十行のひとりごと」

信者さんが是非にとのことで、お渡ししました。



翌日夜参拝に来られて

すぐに「あの本、深いですね」と一言。


彼はお渡ししたその日の夜、用事で市内に出られた際、待ち時間にスタバで読まれたそうですが、読んでいるうちに、涙が止まらなくなり、恥ずかしかったと笑っておられました。



同じ本を読んでも、涙が止まらなくなる人。つまらないと感じる人。分からないと思う人。嬉しい人。感動して、人に勧めたくなる人。積ん読の人・・・

様々です。


でもこの方達が、別の時に読んでも同じ感想かというと、違うでしょう。


心が喜んでいるとき、心が悲しんでいるとき。春に読む、冬に読む。朝読む、夜読む。仕事中に読む、時間のあるときに読む。一遍だけ読む、沢山読む。トイレで読む、ベランダで読む。男性が読む、女性が読む。寒いときに読む、暑いときに読む。若い子が読む、老人が読む。お茶飲みながら読む、珈琲片手に読む、ウイスキーかたむけながら読む。お道の信仰者が読む、天理教知らない人が読む。中島みゆきファンが読む、ジャニーズファンが読む。字が読めるようになって読む、出直し前に読む・・・



その人の、心含めた立ち位置によって、感じ方は変わるに違いありません。



昔、テレビだったでしょうか。「今でしょ!」の林先生が、小学校から大学まで毎年同じ本で読書感想文を書かれたという話をされていました。同じ本でありながら、全く違う感想文であったそうです。


「四十行のひとりごと」だけではなく、私たちが生きるこの世界、見える事・聴くこと全てが、そうではないでしょうか。

だから、「私が思うことが正しい」は、違います。10人いれば10人、100人いれば100人の感じ方・思い方があることを、心に置かねばならないと、「四十行のひとりごと」を読まれた信者さんに、教えて頂いた気がします。


実は私も、まだ「四十行のひとりごと」完読しておりません。




ハイボール片手に、と言いたいところですが、夢の中で読むことになりそうなので、珈琲片手に、ゆっくり読みたいと思います。



感想文とまでは行きませんが、長く、読みたい1冊です。













9月登殿参拝に帰らせて頂きました。

25日早朝3時、上級会長さんとともに出発。8時過ぎ到着。厳しい雨にて、少々車で待機。9時参拝。

帰りに道友社三島店で、信者さんのおみやげに大特価天理カレー10パック入りを購入。

三島店を後にして50m程本通りを下るが、思い直してもう一度三島店へ。平積み山積みの最上段・中島みゆきさんの「道友社さん江」のサイン色紙を写メ。のち「中島みゆき 第二詩集 四十行のひとりごと」を購入。帰ろうとすると、道友社の若い女性記者さんより、本購入のインタビューを受ける。道友社のやる気が見える。みなさん、たくさん購入を<(_ _)>。ちなみにそのインタビューがもしかしたら天理時報に掲載される(場合もあります)との事。掲載されなかったらガッカリするので、密かに楽しみにしております。


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その後重いカレーを抱えたまま(本来なら車に置きたいのだが、雨がすごくて、その中車に戻れず)本通りを下る。

ダイソーにて買い物。その後すぐ下の古本屋で物色中、ふと見ると小柄なおじさんが本を選んでいる。天理大学の佐藤先生だ。先生は第二専修科で講義をして下さり、私も受けさせて頂いた。が本当に申し訳ないが、ほとんど寝ていただけで、講義に関しての記憶は薄い。「そのお詫びを」と、40年も前に教えて頂いた先生に、果敢にも声をおかけした。

なんと先生は私を憶えていて下さって、親しくお話を下された。私はあの時のお詫びを申し上げ、今思う一言を申し上げた。

「いま先生の講義をお聞きしたいです。本当にそう思います。今ならどれほど嬉しく、ありがたく、楽しく、講義を受けられるか、そう思います」と。

先生は笑いながら「ありがとう」と仰って下さった。本当にそう思います。第二専修科のあの頃の講義を、今受けたい。

その後、私の附属の同期で同郷(長野県)の、天理大学雅楽部にいたM君の話になり(先生は雅楽部の顧問を勤めておられた)、「彼はどうしてるかな」と聞かれたので、「彼は痩せました。落としましたよ」と申し上げると「そりゃいい、素晴らしい。彼によろしく伝えて下さい。いつか一緒に訪ねて来て下さい」と仰り、歩いて行かれた。


その頃には雨も上がり、太陽が覗いてきた。


その後教庁にて用をすませ、その足で、陽気ホールで開催されている「全国社友大会」に。30分ほど遅れたので、第1部終了までホールで待機していると、モニターにこの大会のために製作された(と思われる)中島みゆきさん紹介ビデオが流された。

中島みゆきさんは信仰者である。修養科に入られていたときは私も天理にいたので度々お見かけしたし、関西方面でコンサートなどがあると、一人で参拝に来られるという。

今回天理時報に掲載された彼女の文章が、第二詩集「四十行のひとりごと」として発刊されたが、彼女ほどのビッグネームの本が、日本中どこの出版社も喉から手が出るほど欲しいのに、それが大手出版社からでなく、道友社という地方の一出版社から発刊されることは「どひゃーーーーー!」というくらいびっくりする事で、実際発刊されることも危ぶまれていたくらいなので、感動です。みなさんどんどん買いましょう。

話がそれましたが、大会で流されたビデオは、中島みゆきという一人の信仰者と本教との関わりを動画という媒体で紹介して下さったもので、遅れたのは仕方なかった事とはいえ、この動画をホールの大画面で、それなりの気構えを持って見ることが出来なかったのは、今回のおぢば帰りで唯一の後悔です。

道友社社長様、お願いです。なんとかもう一度見る機会をお与え下さい<(_ _)>

でその貴重なビデオの中で、中島みゆきさんが青年会総会の前夜祭で歌われたシーンが流れたのですが。

実は私その前夜祭に行っていたのです。

この話を書くと長くなるのですが、長くなりついでに、長くなるのを覚悟で、長く書かせて頂きます。

あの前夜祭は立教139年(1976年)4月18日。つまり私が附属高校に入ったその月のこと。厳しい寮生活でしたが、入りたての私はなんとなく厳しさは感じつつ、まだ本当の厳しさを知らずにいた頃の話です。

青年会の前夜祭、保護者も沢山お帰りのことと、厳しい中にも特別外出許可が出た寮でした。私も同級生と勇んで外出を致しました。西泉水プール付近の特設会場は大勢の観客。どんどん出し物も進み、たしか漫才があって、その次マイク真木さんが「バラが咲いた」他数曲を歌い、いよいよ中島みゆきさん。しかし寮の門限が迫ってきた。このまま彼女のステージを見たら、門限に遅れるのは必至。厳しい厳しい寮の門限が・・・。様々思案した結果、ギリギリまで見て間に合うように帰ろう!と決めました。

人をかき分け最前列付近に。素晴らしステージでした。ギター一本で歌う彼女の「時代」「アザミ状のララバイ」「わかれうた」など6曲(多分)。

こんなことがありました。途中みゆきさんが「先ほど真柱様の奥様にお会いして、ハワイのレイ(花の首飾り)を頂きました。皆さんにもおすそわけ」と、レイをほどいて観客席に投げ入れだしたのです。でどうなったか。そうです、私がその中の一輪をキャッチ。感動でした。その花は本に挟んで押し花にしようとしましたが、もちろん行方不明です。


途中途中の彼女のMCは楽しく、時を忘れました。門限も忘れました・・・


素晴らしい時が終わりました。その途端興奮も冷め、現実に戻りました。祭りの後の寂しさといいますが、私たちにとっては祭りの後の恐怖しかありません。恐る恐るこっそりと寮へ帰りますと、寮の玄関には竹刀をもった幹事さんが仁王立ち。その怖さにどうしようか迷いましたが、すぐに見つけられ、その後は推して知るべし。本当の厳しさを教えていただいたのでした。その後門限破りは一度もありません。

しかしあの恐怖を押しても、中島みゆきさんのステージを最前列で見られたことは、貴重な体験でした。後悔はありません(その当時は後悔しかありませんでしたが・・・)。中島みゆきさん、今ではプラチナチケットで、とても見ることは叶いませんね。

再度お願いです。松村社長。ビデオもう一回見せて下さい。このブログをもしかして、万が一、奇跡にもご覧頂けていたら、ご連絡お待ちしております(どんだけ上から目線なんだよ。反省<(_ _)>)。10月社友会でお願い申し上げます。

社友大会第1部ビデオ上映後休憩。その時ホールに道友社の本が安く売り出されいて、私も購入させて頂きましたが、本を眺めているとき隣の人影。なんと松村社長さんでした。中島みゆきさんのコンサートの話を。「羨ましいです。私はそのころ中学生で、行けませんでした」と。ビデオの話、思えばその時お願いしておけばよかったな。

さて第2部は、記念講演「歴史小説と現代をつなぐもの」作家:澤田瞳子(さわだとうこ)氏。
プロフィール「1977年生まれ。日本の小説家。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院文学研究科博士課程前期修了。専門は奈良仏教史。受賞多数」。

 正直に言いますと、夕方所用もあり、一部で失礼しようかと思っていたのですが、妻に常々「そういう講演は勉強になるし楽しいから、絶対聞いた方が良い」と言われていましたので、前から三列目正面付近で聞かせて頂きました。

いや本当に楽しく面白い講演でした。氏の著書「若冲」は知っていて、読みたいとは思っていました。

澤田さんはこんな話から切り出されました。

「歴史小説と時代小説の違い」

時代小説は、テレビで言うと、「暴れん坊将軍」「水戸黄門」など

歴史小説は「麒麟(NHK)」

つまり史実に基づいてつくられるのが歴史小説で、黄門様・水戸光國はおられたけれど、全国漫遊の旅にはでていないわけで、そういうものが時代小説。

史実を集める・確認する・大切にするというのが、澤田さんの小説。で史実を確認するとおもしろい事が見えてくるとお話になったのが。

一例として巌流島の決闘。ご存じ宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘ですが、まず巌流島は岩だらけの島で砂浜などはなく、テレビで言うところの2人が向き合って砂浜をたたたたっと走るなどは、本来であれば無理と。また史実に照らし合わせてみると、巌流島の決闘の時、武蔵は28歳くらい、小次郎はなんと68歳くらい。昔の68歳ですから今で言うご老人であり、テレビとは全く違うのだと。

また一例として、菅原道真が太宰府に流され、都を懐かしみ、苦難の末2年で亡くなるという話。あれも史実を丁寧に見ると、その頃の太宰府というのは九州の文化の中心で港町として大層栄えた町で、菅原道真の屋敷はその大通りのど真ん中、残された文献の、あまりにもひどいあばら屋ということや、その毎日のひもじさなどは、考えるに流された人の自分を哀れみからくる誇張ではないかと思われる、とのことでした。あっという間の一時間で、時を忘れました。史実というか、元を尋ねる確認するということは、本当に大切な事で、私たちの信仰もそこを忘れてはだめだな、と感じ入った次第でした。

翌26日は登殿参拝。久しぶりの本部月次祭参拝に感激しましたが、それ以上に心に残る事がありました。

私が座ったのは東礼拝場南の後方。ちょうど階下から上がる階段の柵を背中にした辺りでした。一畳に1人、次に一畳あけて一畳に1人。ちょうど私の列がその階段の柵の一畳前で、柵の前の列は誰も座られない場所でした。

しばらくして1人の老会長さんがおいでになりました。もう80歳も半ばでくらいではないでしょうか。それはきれいな教服を着ておられます。もしかして新調なされたのではないかと感じました。

その老会長さんは、階段の柵を背中にもたれてお座りになりました。元々あける畳ですので他にはどなたもお出でになりません。座ることがご不自由なんだな、それはそれでいいなと思い拝見しておりました。そこは一番南ですので、時々廊下に足を出されて、椅子のように座っておられました。

つとめ人衆や本部員先生方が西回廊からおいでになる15分ほど前でしょうか、係の青年さんが老会長さんになにやらお話になっています。どうやら真柱様がお通りになられるので上に座って下さいとのようです。老会長さんは畳にあがられました。

しばらくして真柱様が車椅子でお通りになられました。久しぶりにお姿拝見する真柱様。胸が熱くなりました。拝をしながら嬉しくなってふと老会長さんを見ますと、老会長さんは真柱様のお姿が見えた途端、畳みに頭をすりつけ、深々と拝をされたのです。その拝は真柱様が南礼拝場にお入りになるまで続きました。

私はもう感動して。

老会長さんの真柱様を思われるその思いに、感動して涙が出ました。

どういう会長さんなんだろう。このお歳まで会長さんとは、後継者はおられないのかな。幸せな教会生活・会長生活されているのかな。おだやかな毎日であったらいいなと、心からそう願いました。

お元気でいて下さい。




久しぶりに拝する月次祭、本当にありがたい9月のおぢば帰りでした。







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お勧めです。

特にビートルズ好きには、たまらないぞ!!!

みんな、見るべし!



「トレインスポッティング」「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイル監督と「ラブ・アクチュアリー」の脚本家リチャード・カーティスがタッグを組み、「ザ・ビートルズ」の名曲の数々に乗せて描くコメディドラマ。イギリスの小さな海辺の町で暮らすシンガーソングライターのジャックは、幼なじみの親友エリーから献身的に支えられているものの全く売れず、音楽で有名になる夢を諦めかけていた。そんなある日、世界規模の瞬間的な停電が発生し、ジャックは交通事故で昏睡状態に陥ってしまう。目を覚ますとそこは、史上最も有名なはずのバンド「ザ・ビートルズ」が存在しない世界になっていた。彼らの名曲を覚えているのは世界でただひとり、ジャックだけで……。イギリスの人気テレビドラマ「イーストエンダーズ」のヒメーシュ・パテルが主演を務め、「マンマ・ミーア! ヒア・ウィ・ゴー」のリリー・ジェームズ、「ゴーストバスターズ」のケイト・マッキノンが共演。シンガーソングライターのエド・シーランが本人役で出演する。

2019年製作/117分/G/イギリス





8月上旬、ある原稿の依頼を頂いた。

私ごときと思ったが、有り難くお受けさせて頂いた。

細々お話を伺い、最期に「9月中旬くらいに出して頂ければ」とのお言葉。

私はお願いした。

「締め切りを、何月何日と決めて頂けませんか」

9月14日と締め切りを頂いた。



私は教会報巻頭言は勿論、どんな文章でも取りかかりが遅い。

それでも今回の文章は早く取り掛かったのだが、なかなか決まらない。

見返す度に、訂正がある。

見返す度に訂正は、どんな文章も同じ。毎回この繰り返し。

ごろっと変えるのは当たり前で、細かい箇所に至っては、読み返す度に、は→を、とか、が→も、とかが非常に気になる。

そこそこ出来ると、印刷をして、紙を読む。そうすると、全く印象が違うのだ。また、訂正。その繰り返し。

教会報もあの程度の文章だけれど、それこそ何十回も校正・訂正を繰り返している。



教会報は祭典(10日)に皆さんにお渡しするので、8日には完成したい。が決まらず浮かばず、9日にずれ込み、セブンイレブン印刷所にて夜中に印刷することもしばしば。ガラスに映る疲れた自分の顔を見て、その度にもっと早く取り掛かれば、と自分を情けなく思う。まぁそれ程遅くなるのは書くテーマが浮かばないというのが一番の問題なんだけれど、月次祭前になると、今月教会報どうしようと胃が痛くなる毎月である。

出来た教会報は天理時報特別号を挟み込み、信者さんや町中にも配るのだが、配る前に一読すると「を」ではなく「が」だったなとか、この表現はつまらないとか、反省ばかりが浮かぶ。




長々失礼しました。つまり何が言いたいかというと、文章の完璧はないし、見直せば必ず訂正がある。だから締め切りがなければ、私は文章は出来ないだろうな、という反省・言い訳です。



今回の依頼の文章も同様。締め切り当日9月14日、しかも夜、その前に何回も何回も読んで治して。最期には締め切りに促され背中を押され、ようやくあきらめて送信ボタンをどきどきしながら押した次第です。



お道では「しきる」ということの大切さを聞かせて頂きますが、締め切りも仕切るということだと思います。





ああ、今から依頼の文章を読むのが怖い・・・






*ちなみにこの文章も、勿論、訂正訂正の、繰り返しでありました <(_ _)>






ようやく、観ました。20年振りくらいでしょうか。

やはり、感動しました。泣けました(T_T)

ただし、若い頃観たときと、感動が違いました。

若い頃は、カルベロ(チャップリン)とテリーの恋愛部分にフォーカスして、観ていたように思います。

その頃心に残った言葉は

“Yes, life can be wonderful, if you're not afraid of it.
All it needs is courage,Imagination, … And a little dough”
そう、人生はすばらしい。人生を恐れてはいけない。
人生で必要なものは、「勇気」と、「想像力」、…そして少しばかりのお金」

でした。

今回心に残ったのは、死にたいと言うテリーにかけた言葉。そしてそれはカルベロ自身にいう言葉なのでしょうが。

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今回は、特にカルベロの「老い」が心にありました。

やはり30代に観るのと、60代に観るのと、全く違います。

観て良かった。

観ながらブログにあげようとメモをとりました。

まとめて書こうと思いましたが、書けません。そのまま、羅列します。



・カルベロのプライドと意地。
・歳をとって分かる人生の素晴らしさ
・ネビルのピアノでテリーが踊る美しさ。それを観るカルベロの気持ち。
・舞台に一人残されるカルベロ
・テリーのテーマが流れる度に、涙。心が・・・
・70歳に、80歳に、もう一度観てみたい。どう感じるだろう。


とにかく、多くの皆さんにご覧頂きたい。是非。
(レンタルも、販売もあるかと)



プチ情報:最期の舞台で競演するピアノのコメディアンは、チャップリンと双璧をなすバスターキートンです(知らない人も多いかも)。それも楽しみに、ご覧下さい。






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