上級教会で神殿講話を勤めさせていただきました。
いつだったでしょうか。たしか道の友だったと思いますが、神殿講話の講案つくりの勧め!という記事がありました。あの時から時々、講案をつくるようになりました。
今回の神殿講話を、覚え書きのためにこちらに出させていただきます。ご一読いただけたらありがたいです。また感想など、お会いする機会ありましたら、ぜひお聞かせください。
○上級祭典講話/2022.02.22
先月の祭典は欠席させていただきました。失礼しました。まさか私がコロナに関わるとは思いもしませんでした。
先月21日おぢばに帰りまして、天理大学3年の息子とゆっくり話を。夕飯を一緒に食べていた時のことです。息子のスマホが鳴りました。確認した息子が「お父さん、友達がコロナになった」と。そして彼と三日前に飲み会があったと。「そりゃお前も感染の可能性があるぞ。もしものことがあったら困るから、明日必ず検査に行きなさい」といって別れ、詰所に戻りました。
すぐに上級の会長さんに電話。ことの由を申し上げ、私は濃厚接触者の可能性がありますと。翌日の祭典をどうしたらよろしいかを相談。結果もしものことがあると大変なので、欠席させていただくことになりました。翌朝上級に参拝し献米を降ろし、その足で信州へ戻りました。妻にもその旨伝えてあったので、教会到着後、妻にも母にも顔を会わさず、隔離生活に入りました。結局息子は陽性でした。保健所の聞き取りを待つことになりました。
本来陽性と診断された時点で、保健所に連絡が行きます。そして保健所による聞き取り調査があり、濃厚接触者の特定などがなされます。その時点で濃厚接触者にあたる私に追跡調査があるはずなのですが、あまりにも感染者が増え追いきれず、若い人は後回しだったそうです。結局息子に保健所から連絡があったのは、自主隔離期間10日目だったとのこと。陽性の息子がそうですから、私になど連絡が来るわけがありません。
自分でこちらの保健所に連絡して濃厚接触にあたるとお話をいただき、10日を目安として自主隔離生活を始めました。結局症状もなく、妻に抗原検査薬を買ってきてもらい、最初と最後に検査をして陰性。そこで再度保健所に連絡をして確認、それなら大丈夫ですとお墨付きをいただき、隔離生活の終りとしました。
隔離されて感じたことは心が病むことでした。致し方ないことだと思っていても、症状もなく一室に閉じこもり何もできないという時間は、周りが普通に動いているだけに、自分自身がこれでいいのかとなんとも言えない気持ちになりました。
また自分が感染したのではないかという怖さはさほどありませんでしたが、しかし人にうつすのではないかという恐怖を強く感じました。教会は人の出入りがあります。その方たちにうつしたらどうしようという恐怖感がありました。それが一番苦しかったことです。
とはいうものの、隔離生活は楽なものです。朝夕勤めは部屋から参拝。食事は妻が部屋の前まで運んでくれます。やることがないので(いや熱心な方は12下りとか教理勉強などをされるのでしょうが)、なかなか読めなかった本をガバっと読みました。ありがたかった。いい時間を頂きました。そんな生活を過ごしていました。
さて昨年中盤感染者0人の県が増え、あの東京でさえ7人の日がありました。東京で7人、長野の0人よりすごいと思いました。いつ日本感染者ゼロの日が来るかと楽しみでしたが、オミクロン株が現れて、あっという間に、前にも増して感染者が増え続けています。恐ろしいほどです。一日何万人という感染者です。
自主隔離生活を送りながら、ふとこれがお道の話であれば、こんな嬉しいことはないのにと思いました。一日に何万という方がお道を信仰するようになるのです。ところがなかなか。
お道がなぜコロナのように全国に広がらないのか。コロナでいえば感染ですが、信仰でいえば伝える・伝わる、にをいがけも類語でしょうか。お道がどうしたらコロナのように広がるのか。感染するのか。そんなことを自主隔離生活でふと思いました。一言勉強させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
今から28.9年前でしょうか。敷島大教会で「修養科一千名」のお打ち出しがありました。百名でもびっくりしたと思いますが、一千名には驚きました。全教がざわついた、と言っても過言ではありません。ちょうどあの頃こちらの教会の大教会世話人はO先生で、神殿講話で「旬の声にはい!と手を上げると、それが帆となって旬の風を受けて教会が大きく進むんだ。その手も一本ではなく、『はい、はい!』と2本の手を上げれば、倍の勢いで教会が動く」とおっしゃられたことを思い出します。11月の神殿講話で前々会長様が「旬の声」を受ける大切さをお話になりましたが、本当にそうだと感じたことがあります。
あの時一千名ということで、各教会4名を目標にとのお打ち出しでした。ドキッとしました。その頃全く修養科生など出ていない当教会としましては、至難の業です。祭典でお願いしたり、心当たりを探すなどしたのですが、全く見つかりません。一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、そうしているうちに四月になりました。電話がかかってまいりました。部内の女性会長さんからです。その頃はまだ教会ではなく布教所でした。
「会長さん、修養科生が3人できました」。 私はもう嬉しくて、天にも昇る心地です。
「どちらの方ですか」
「近所のKちゃんという若い男の子です。ちょっと知的障害ありますけど、大丈夫です」
「おお、2人目は」
「近所のCちゃんというご婦人です。てんかん発作がありますが、大丈夫です」。 この頃から、喜びよりも不安の方が先に立つようになりました。
「3人目は」
「3人目はMさんと言って、私の古い友達で、20年くらい精神科に通ったり入院したりしているんですが、今入院していて、丁度いい機会だから無理やり退院させました。医者には『勝手にそんなことして、どうなっても知りませんよ。責任持ちません』と強く言われましたが、神様で助けるからと大喧嘩して退院させて、今布教所にいます」とのことでした。
もう嬉しいどころではなく、心配しかありません。こうなったら私が付き添うしかない。しかし考えれば、4人という目標だからこれも神さんの思し召しかと、4人で6.7.8月修養科に入学することになりました。
一ヶ月、二ヶ月が過ぎました。K君はちょこちょこやらかしましたが、私が24時間一緒ですので大丈夫。Cちゃんはしょっちゅうてんかん発作を起こし、同期の方や教養係の先生方にお世話になりながら、なんとかマイペースで勤めています。
さて一番心配だった、長い間精神科に入院されていたMさんです。なんと入学当時のボーッとした感じがあっという間になくなり、元気一杯に喜び勇んだ修養科生活なのです。体を動かし、規則正しい修養科生活、おぢば・旬の声の素晴らしさに感激しました。
あまりに嬉しいので、布教所に電話して3人の様子を伝えました。所長さんはもう大喜び。「会長さん、本当に嬉しいです。会いに行きます」。次の土日に天理に会いに来られました。詰所に着いたと言うのでホールにおりますと、所長さんお一人ではなく、見知らぬ中年男性がご一緒です。どなたか伺うと、Mさんのご主人だとのこと。初めての天理で、初めての詰所。溢れんばかりの人々。不審そうな顔をしておられます。ところがそこへ20年来入退院を繰り返し、うちに帰っている時でも薬でボーッとされていた奥さんが、「お父さ〜ん、お帰りなさ〜い」と手を振りながら笑顔でおいでになられたのですから、これにはご主人もびっくり、感激です。天理に修養科に感動して、埼玉に帰っていかれました。
いよいよ修養科最後の三ヶ月目が始まりました。その途端、Mさんは動けなくなりました。体に力が入らない。布団から全く起き上がれなくなりました。寝っぱなしになりました。意識も朦朧としています。信じられないほど汗をかきます。流れた汗が布団をしみ抜けて、畳に人のかたがつくほどです。結局そのまま三ヶ月目が終わりました。迎えに来られた所長さんは「ご主人があんなに喜こばれ、帰ってくるのを楽しみに待っているのに、このまま帰せない。布教所に置きます」と埼玉に帰られました。
布教所生活が始まりました。埼玉に帰ったとて同じ状態です。寝たまま。Mさんの布団の隣に自分の布団をひいて、簡易トイレを置き、つきっきりのお世話です。体に力が入らなくグニャグニャで座れないので、食事の時は椅子にハッピの帯でくくりつけて、口をこじ開けスプーンで無理矢理ご飯を流し込む、そんな生活が始まりました。一ヶ月、二ヶ月、半年、一年が過ぎ、Mさんは元通りになりました。元気に普通に戻ったのです。大喜びでご主人が待つ自宅に帰られました。
それからMさんの喜びの生活が始まりました。ご自宅は歩いて五分です。日参が始まりました。布教所の月次祭前後日は泊まり込みでひのきしんと片付け。信州のうちの教会にも布教所長さんと毎月ご参拝くださいます。支部・教区の行事・御用はもちろん、本部にも大喜びで帰ります。喜びの日日です。
そしてもう一つ始められたこと。にをいがけを始められたのです。うちは教会報を出しているのですが、あまり天理教臭のない教会報に、天理教部門担当の天理時報特別号と上級の月の言葉を挟んで配ります。Mさんはそれを持ってご近所を歩きはじめました。「みなさん私が今までどういう生活を送ってきたか知ってるでしょう。ずっと病院に行ったり来たり。それが、今の私を見てください。天理教でたすかったのです。所長さんにたすけられたのです」。そこから新たな道がつき始めます。
ちなみにその時のこぼれ話です。所長さんは元気になったMさんを連れて、「どうなっても知りませんよ。責任持ちませんからね」と大喧嘩をした医者に会わせに行ったそうです。一言言ってやろうと。ところが医者も大したものです。「あのMさんが、どうしたらこんなに元気になるのか教えてください」と頭を下げたそうです。そこで所長さんはにっこりと「信仰と医学は両輪です。お互い頑張りましょう」と仰ったとか。
Mさんの楽しい喜びの時が流れました。しかし修養科出られてから15年ほど経ったでしょうか、身上であっという間にお出直しになられました。悲しかった。私ですらつらいお出直しでしたから、所長さんの思いはいかばかりだったでしょう。ニコニコ笑ったMさんの遺影を見ながら「Mさん、悲しいけれど、最後の時間は素晴らしい時間だったよね。所長さんに支えられて、お父さんと笑いながら、楽しい時を過ごしたね。幸せだった。本当にありがとうございました。」と声をかけました。しかしその一方、これでM家の信仰は終わったと思いました。
ところがそうではありませんでした。ご主人が信仰を継いだのです。奥さん同様に、熱心に勤められるようになりました。ご主人はある会社の会計をお勤めだったと聞きました。細かくてうるさくて、社員に煙たがれていたと。私も最初にお会いした時の印象は、とても信仰される方には思えませんでした。そのご主人が奥さん同様に熱心に運ばれるようになった。不思議でした。
祭典のあるとき、ご主人と二人きりになった時、私は伺いました。
「ご主人はMさんが亡くなられて今、どうして信仰を続けられているのですか」
「私は妻を所長さんにたすけられました。救ってもらいました。私は天理教のことは分かりません。教理も知りません。しかし私達を救って下さった所長さんが信仰されている天理教を信じます。そしてその所長さんが信頼しておられる会長さんを信じます。」と仰ったのです。遺影のMさんの笑顔が思い出されました。
ご主人はその後、布教所が教会となり会長となられた所長さんを、物心両面の支えとなってくださり、祭典を何よりの楽しみとして過ごされましたが、昨年11月にお出直しになりました。亡くなられる数日前にお電話で話し、「コロナがおさまって、早く信州の教会に行きたいですよ」と話をしたばかりでした。
こちらの教会の祭典日は18日です。毎月参拝させていただきますが、おつとめが終わりますと、役目柄一言お話しさせていただきますが、私はこちらでお話しするのが怖いです。私の話の後に会長さんがお話されるのですが、私のようなペラッペラの薄いお話でなく、本物です。時々教内で末端教会というワードが使われますが、あまり好きではありません。末端ではなく先端です。「先端教会」です。地域に食い込む先端の教会。この根が枯れたら、木も枯れます。大切な大切な教会。そんな本物の話です。
さて私は、最初にお道がどう伝わるか・感染するかを考えたと申しました。今世間はコロナに感染しないためにはどうするかという毎日です。ではお道を伝えるには、この反対をすればいい。マスクはしない。どんどん話しましょう。手の消毒はしない。天理教ベタベタの手で、人に触りましょう。密にならない。一人でいるだけではコロナに絶対感染しません。ならば人が集まるところに、どんどん出ていけばいい。地域の御用を引き受けて、人の中に入りましょう。
そしてもう一つ。大切だと思うこと。
当初コロナ情報が出てきたとき、私達はもう一つピンときませんでした。コロナウイルスの説明を聞いても見ても、ピンときませんでした。ところが日日感染者が増えてくるのが目に見えてきた。有名人が出直した。重篤者が増えてきた。病院がいっぱいになった。社会が動かなくなった。不自由な生活が始まった。さあどうする、どうする! 知識ではなく、見えて初めてその怖さが分かったのです。つまり天理教も話だけではだめ。天理教に感染したらどうなるかを見てもらうことこそが、大切なのだと思います。
天理教に感染したら、こんなに楽しくなりますよ。親孝行・夫婦仲良く、楽しい毎日ですよ。喜びいっぱいの毎日が見えますよ。つらいこと、悲しいことも、しっかり受け止めることができますよ。地域の御用も喜んで受けますよ。困った方がおられたら声かけてください。親身になって相談に乗りますよ。一人暮らしの高齢者にも、足運びますよ。毎日毎日が、明るく歩けますよ。
いかがでしょうか。埼玉の会長さんも、教理はまず話されません。しかし難儀されている方・高齢お一人の方・困っている方・悲しんでおられる方に、いそいそと足を運ばれます。大根をたくさん炊いたからと、近所のご老人に運びます。体調悪いと聞けばすぐに伺って、病院に連れていきます。Mさんご夫妻は教理に信仰したのではありません。天理教という信仰をエネルギーとして、親神様・教祖のおっしゃった「難儀な人をたすける」という行動に、感激をして信仰に繋がった。まさに教祖のおひながたではないかと思うのです。天理教に感染したらどうなるかを見ていただくことこそが、私達のすべきことではないか、と隔離生活で考えた次第です。
おぢば・直属・上級から信仰のエネルギーを頂き、そのエネルギーで地域に根ざす。そこが私たちの目指すところだと信じます。私も、もっともっと天理教に感染しなければ。まだまだ感染が足りないかな。
ご清聴ありがとうございました。





