鯉太郎の 心 ころころ

 

カテゴリ: 信者・友人・知人



上級教会で神殿講話を勤めさせていただきました。

いつだったでしょうか。たしか道の友だったと思いますが、神殿講話の講案つくりの勧め!という記事がありました。あの時から時々、講案をつくるようになりました。

今回の神殿講話を、覚え書きのためにこちらに出させていただきます。ご一読いただけたらありがたいです。また感想など、お会いする機会ありましたら、ぜひお聞かせください。




○上級祭典講話/2022.02.22

 先月の祭典は欠席させていただきました。失礼しました。まさか私がコロナに関わるとは思いもしませんでした。

 先月21日おぢばに帰りまして、天理大学3年の息子とゆっくり話を。夕飯を一緒に食べていた時のことです。息子のスマホが鳴りました。確認した息子が「お父さん、友達がコロナになった」と。そして彼と三日前に飲み会があったと。「そりゃお前も感染の可能性があるぞ。もしものことがあったら困るから、明日必ず検査に行きなさい」といって別れ、詰所に戻りました。
 すぐに上級の会長さんに電話。ことの由を申し上げ、私は濃厚接触者の可能性がありますと。翌日の祭典をどうしたらよろしいかを相談。結果もしものことがあると大変なので、欠席させていただくことになりました。翌朝上級に参拝し献米を降ろし、その足で信州へ戻りました。妻にもその旨伝えてあったので、教会到着後、妻にも母にも顔を会わさず、隔離生活に入りました。結局息子は陽性でした。保健所の聞き取りを待つことになりました。

 本来陽性と診断された時点で、保健所に連絡が行きます。そして保健所による聞き取り調査があり、濃厚接触者の特定などがなされます。その時点で濃厚接触者にあたる私に追跡調査があるはずなのですが、あまりにも感染者が増え追いきれず、若い人は後回しだったそうです。結局息子に保健所から連絡があったのは、自主隔離期間10日目だったとのこと。陽性の息子がそうですから、私になど連絡が来るわけがありません。
 自分でこちらの保健所に連絡して濃厚接触にあたるとお話をいただき、10日を目安として自主隔離生活を始めました。結局症状もなく、妻に抗原検査薬を買ってきてもらい、最初と最後に検査をして陰性。そこで再度保健所に連絡をして確認、それなら大丈夫ですとお墨付きをいただき、隔離生活の終りとしました。

 隔離されて感じたことは心が病むことでした。致し方ないことだと思っていても、症状もなく一室に閉じこもり何もできないという時間は、周りが普通に動いているだけに、自分自身がこれでいいのかとなんとも言えない気持ちになりました。
 また自分が感染したのではないかという怖さはさほどありませんでしたが、しかし人にうつすのではないかという恐怖を強く感じました。教会は人の出入りがあります。その方たちにうつしたらどうしようという恐怖感がありました。それが一番苦しかったことです。
 とはいうものの、隔離生活は楽なものです。朝夕勤めは部屋から参拝。食事は妻が部屋の前まで運んでくれます。やることがないので(いや熱心な方は12下りとか教理勉強などをされるのでしょうが)、なかなか読めなかった本をガバっと読みました。ありがたかった。いい時間を頂きました。そんな生活を過ごしていました。

 さて昨年中盤感染者0人の県が増え、あの東京でさえ7人の日がありました。東京で7人、長野の0人よりすごいと思いました。いつ日本感染者ゼロの日が来るかと楽しみでしたが、オミクロン株が現れて、あっという間に、前にも増して感染者が増え続けています。恐ろしいほどです。一日何万人という感染者です。
 自主隔離生活を送りながら、ふとこれがお道の話であれば、こんな嬉しいことはないのにと思いました。一日に何万という方がお道を信仰するようになるのです。ところがなかなか。
 お道がなぜコロナのように全国に広がらないのか。コロナでいえば感染ですが、信仰でいえば伝える・伝わる、にをいがけも類語でしょうか。お道がどうしたらコロナのように広がるのか。感染するのか。そんなことを自主隔離生活でふと思いました。一言勉強させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

 今から28.9年前でしょうか。敷島大教会で「修養科一千名」のお打ち出しがありました。百名でもびっくりしたと思いますが、一千名には驚きました。全教がざわついた、と言っても過言ではありません。ちょうどあの頃こちらの教会の大教会世話人はO先生で、神殿講話で「旬の声にはい!と手を上げると、それが帆となって旬の風を受けて教会が大きく進むんだ。その手も一本ではなく、『はい、はい!』と2本の手を上げれば、倍の勢いで教会が動く」とおっしゃられたことを思い出します。11月の神殿講話で前々会長様が「旬の声」を受ける大切さをお話になりましたが、本当にそうだと感じたことがあります。

 あの時一千名ということで、各教会4名を目標にとのお打ち出しでした。ドキッとしました。その頃全く修養科生など出ていない当教会としましては、至難の業です。祭典でお願いしたり、心当たりを探すなどしたのですが、全く見つかりません。一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、そうしているうちに四月になりました。電話がかかってまいりました。部内の女性会長さんからです。その頃はまだ教会ではなく布教所でした。

「会長さん、修養科生が3人できました」。 私はもう嬉しくて、天にも昇る心地です。
「どちらの方ですか」
「近所のKちゃんという若い男の子です。ちょっと知的障害ありますけど、大丈夫です」
「おお、2人目は」
「近所のCちゃんというご婦人です。てんかん発作がありますが、大丈夫です」。 この頃から、喜びよりも不安の方が先に立つようになりました。
「3人目は」
「3人目はMさんと言って、私の古い友達で、20年くらい精神科に通ったり入院したりしているんですが、今入院していて、丁度いい機会だから無理やり退院させました。医者には『勝手にそんなことして、どうなっても知りませんよ。責任持ちません』と強く言われましたが、神様で助けるからと大喧嘩して退院させて、今布教所にいます」とのことでした。
 もう嬉しいどころではなく、心配しかありません。こうなったら私が付き添うしかない。しかし考えれば、4人という目標だからこれも神さんの思し召しかと、4人で6.7.8月修養科に入学することになりました。

 一ヶ月、二ヶ月が過ぎました。K君はちょこちょこやらかしましたが、私が24時間一緒ですので大丈夫。Cちゃんはしょっちゅうてんかん発作を起こし、同期の方や教養係の先生方にお世話になりながら、なんとかマイペースで勤めています。
 さて一番心配だった、長い間精神科に入院されていたMさんです。なんと入学当時のボーッとした感じがあっという間になくなり、元気一杯に喜び勇んだ修養科生活なのです。体を動かし、規則正しい修養科生活、おぢば・旬の声の素晴らしさに感激しました。

 あまりに嬉しいので、布教所に電話して3人の様子を伝えました。所長さんはもう大喜び。「会長さん、本当に嬉しいです。会いに行きます」。次の土日に天理に会いに来られました。詰所に着いたと言うのでホールにおりますと、所長さんお一人ではなく、見知らぬ中年男性がご一緒です。どなたか伺うと、Mさんのご主人だとのこと。初めての天理で、初めての詰所。溢れんばかりの人々。不審そうな顔をしておられます。ところがそこへ20年来入退院を繰り返し、うちに帰っている時でも薬でボーッとされていた奥さんが、「お父さ〜ん、お帰りなさ〜い」と手を振りながら笑顔でおいでになられたのですから、これにはご主人もびっくり、感激です。天理に修養科に感動して、埼玉に帰っていかれました。

 いよいよ修養科最後の三ヶ月目が始まりました。その途端、Mさんは動けなくなりました。体に力が入らない。布団から全く起き上がれなくなりました。寝っぱなしになりました。意識も朦朧としています。信じられないほど汗をかきます。流れた汗が布団をしみ抜けて、畳に人のかたがつくほどです。結局そのまま三ヶ月目が終わりました。迎えに来られた所長さんは「ご主人があんなに喜こばれ、帰ってくるのを楽しみに待っているのに、このまま帰せない。布教所に置きます」と埼玉に帰られました。

 布教所生活が始まりました。埼玉に帰ったとて同じ状態です。寝たまま。Mさんの布団の隣に自分の布団をひいて、簡易トイレを置き、つきっきりのお世話です。体に力が入らなくグニャグニャで座れないので、食事の時は椅子にハッピの帯でくくりつけて、口をこじ開けスプーンで無理矢理ご飯を流し込む、そんな生活が始まりました。一ヶ月、二ヶ月、半年、一年が過ぎ、Mさんは元通りになりました。元気に普通に戻ったのです。大喜びでご主人が待つ自宅に帰られました。

 それからMさんの喜びの生活が始まりました。ご自宅は歩いて五分です。日参が始まりました。布教所の月次祭前後日は泊まり込みでひのきしんと片付け。信州のうちの教会にも布教所長さんと毎月ご参拝くださいます。支部・教区の行事・御用はもちろん、本部にも大喜びで帰ります。喜びの日日です。
 そしてもう一つ始められたこと。にをいがけを始められたのです。うちは教会報を出しているのですが、あまり天理教臭のない教会報に、天理教部門担当の天理時報特別号と上級の月の言葉を挟んで配ります。Mさんはそれを持ってご近所を歩きはじめました。「みなさん私が今までどういう生活を送ってきたか知ってるでしょう。ずっと病院に行ったり来たり。それが、今の私を見てください。天理教でたすかったのです。所長さんにたすけられたのです」。そこから新たな道がつき始めます。

 ちなみにその時のこぼれ話です。所長さんは元気になったMさんを連れて、「どうなっても知りませんよ。責任持ちませんからね」と大喧嘩をした医者に会わせに行ったそうです。一言言ってやろうと。ところが医者も大したものです。「あのMさんが、どうしたらこんなに元気になるのか教えてください」と頭を下げたそうです。そこで所長さんはにっこりと「信仰と医学は両輪です。お互い頑張りましょう」と仰ったとか。

 Mさんの楽しい喜びの時が流れました。しかし修養科出られてから15年ほど経ったでしょうか、身上であっという間にお出直しになられました。悲しかった。私ですらつらいお出直しでしたから、所長さんの思いはいかばかりだったでしょう。ニコニコ笑ったMさんの遺影を見ながら「Mさん、悲しいけれど、最後の時間は素晴らしい時間だったよね。所長さんに支えられて、お父さんと笑いながら、楽しい時を過ごしたね。幸せだった。本当にありがとうございました。」と声をかけました。しかしその一方、これでM家の信仰は終わったと思いました。

 ところがそうではありませんでした。ご主人が信仰を継いだのです。奥さん同様に、熱心に勤められるようになりました。ご主人はある会社の会計をお勤めだったと聞きました。細かくてうるさくて、社員に煙たがれていたと。私も最初にお会いした時の印象は、とても信仰される方には思えませんでした。そのご主人が奥さん同様に熱心に運ばれるようになった。不思議でした。

 祭典のあるとき、ご主人と二人きりになった時、私は伺いました。
「ご主人はMさんが亡くなられて今、どうして信仰を続けられているのですか」
「私は妻を所長さんにたすけられました。救ってもらいました。私は天理教のことは分かりません。教理も知りません。しかし私達を救って下さった所長さんが信仰されている天理教を信じます。そしてその所長さんが信頼しておられる会長さんを信じます。」と仰ったのです。遺影のMさんの笑顔が思い出されました。

 ご主人はその後、布教所が教会となり会長となられた所長さんを、物心両面の支えとなってくださり、祭典を何よりの楽しみとして過ごされましたが、昨年11月にお出直しになりました。亡くなられる数日前にお電話で話し、「コロナがおさまって、早く信州の教会に行きたいですよ」と話をしたばかりでした。

 こちらの教会の祭典日は18日です。毎月参拝させていただきますが、おつとめが終わりますと、役目柄一言お話しさせていただきますが、私はこちらでお話しするのが怖いです。私の話の後に会長さんがお話されるのですが、私のようなペラッペラの薄いお話でなく、本物です。時々教内で末端教会というワードが使われますが、あまり好きではありません。末端ではなく先端です。「先端教会」です。地域に食い込む先端の教会。この根が枯れたら、木も枯れます。大切な大切な教会。そんな本物の話です。



 さて私は、最初にお道がどう伝わるか・感染するかを考えたと申しました。今世間はコロナに感染しないためにはどうするかという毎日です。ではお道を伝えるには、この反対をすればいい。マスクはしない。どんどん話しましょう。手の消毒はしない。天理教ベタベタの手で、人に触りましょう。密にならない。一人でいるだけではコロナに絶対感染しません。ならば人が集まるところに、どんどん出ていけばいい。地域の御用を引き受けて、人の中に入りましょう。

 そしてもう一つ。大切だと思うこと。

 当初コロナ情報が出てきたとき、私達はもう一つピンときませんでした。コロナウイルスの説明を聞いても見ても、ピンときませんでした。ところが日日感染者が増えてくるのが目に見えてきた。有名人が出直した。重篤者が増えてきた。病院がいっぱいになった。社会が動かなくなった。不自由な生活が始まった。さあどうする、どうする! 知識ではなく、見えて初めてその怖さが分かったのです。つまり天理教も話だけではだめ。天理教に感染したらどうなるかを見てもらうことこそが、大切なのだと思います。

 天理教に感染したら、こんなに楽しくなりますよ。親孝行・夫婦仲良く、楽しい毎日ですよ。喜びいっぱいの毎日が見えますよ。つらいこと、悲しいことも、しっかり受け止めることができますよ。地域の御用も喜んで受けますよ。困った方がおられたら声かけてください。親身になって相談に乗りますよ。一人暮らしの高齢者にも、足運びますよ。毎日毎日が、明るく歩けますよ。

 いかがでしょうか。埼玉の会長さんも、教理はまず話されません。しかし難儀されている方・高齢お一人の方・困っている方・悲しんでおられる方に、いそいそと足を運ばれます。大根をたくさん炊いたからと、近所のご老人に運びます。体調悪いと聞けばすぐに伺って、病院に連れていきます。Mさんご夫妻は教理に信仰したのではありません。天理教という信仰をエネルギーとして、親神様・教祖のおっしゃった「難儀な人をたすける」という行動に、感激をして信仰に繋がった。まさに教祖のおひながたではないかと思うのです。天理教に感染したらどうなるかを見ていただくことこそが、私達のすべきことではないか、と隔離生活で考えた次第です。



 おぢば・直属・上級から信仰のエネルギーを頂き、そのエネルギーで地域に根ざす。そこが私たちの目指すところだと信じます。私も、もっともっと天理教に感染しなければ。まだまだ感染が足りないかな。


 ご清聴ありがとうございました。




昨日朝登校見守りの時、いつもの男の子。

この子は6年生、6年の4月にお母さんの結婚で埼玉から転校してきた、静かな子でいつも一人。

私は子どもたちに積極的に声をかけている。無視されようが振り向きもされなくても、一方的になろうが、とにかく声をかける。

この子は特に気にして、声をかけている。

「正月はお年玉もらったか?」

「はい、もらいました」

「いいなぁ、おれもお年玉もらいたいよ」

「ちなみにクリスマスプレゼントは?」

「もらいました」

「何もらったん?」

「ブーツもらいました。雪に履くブーツ」

「おお、そうか。何色?」

「黒です」

「かっこいいんか?」

「はい、かっこいいです」

「それじゃ、はやく履きたいな。雪降ればいいね」

「はい」

「おお、青だ。いってらっしゃい」

これが昨日朝。


今朝、待ってましたの雪が降った。



雪が多ければ交差点歩道の雪かきをするが、今日は15センチ位。これくらいならかかないほうが子どもたちは嬉しいだろうな。

それにあの子も、喜んでるだろう。会うのが楽しみ。


今朝一番にあの子が来た。足元を見る。黒のブーツを履いている。

「おお、おはよう。それか?」

「そうです。ブーツです」

「めっちゃ、かっこいいやん。」

「はい」

「どう、はきごこちは」

「中がふわふわして、暖かくて気持ちいです」

「よかったなぁ〜。めっちゃかっこいいぞ」

「はい」

「おお青だ。いってらっしゃい。よかったなぁ」

本当に嬉しそうに、雪の中を歩いていきました。


見守りに立つようになって13年目。小学校4校が合併して新しい小学校ができて、通学路が変更になり一番交通量の多い事故の多い道路を渡ることになったので、見守りに立つことにしました。

ただ立っているだけなのに、挨拶をする車も30台くらいに、PTAの知り合いも増え、その流れで小学校の推進委員に。「小林さん、市会議員に出なよ。みんなで押すから」と声をかけられたことも。「そんな事している暇はありません」とお断りさせていただきましたが(^_^;)

ただ立っているだけなのに、いろいろなところに影響が波及します。地域活動を考えるには簡単にできることの一つかと。地域をお考えの方、ぜひお試し下さい。



太陽が出てきました。空にも、私の心にも。


さあ今日も勇んで、歩きます。








古い信者様がお出直し(お亡くなり)になった。お若いとき小学校の代用教員になられ(その小学校は私も子どもたちの母校)、通うには家が遠いからと旧教会に下宿をされた。その小学校が百周年記念に出した記念誌の教員欄にお名前が載っていたので、お届けしたらびっくりするほど喜こんで下さった。

いろいろ教えて頂いた。私は畑を作るのだが、私の農業の師匠のお一人であった。天理教教祖中山みき様は自ら鋤鍬を手に取り、農民に農事から教えを伝えて下さったが、この方に教えて頂く畑の事々は、教祖同様私に信仰を教えて下さったのだと感じている。

信仰熱心な方だった。しかしその信仰は自分の願いではなかった。教会の月次祭には、娘さんとお孫さんのそれぞれのお名前で神様に御供をされた。お子さんとお孫さんたちの今は、その方の神様への願いが込められている姿だと思う。神様はしっかりと受け取って下さった。

その方は常々「教会の奥さんのように出直したい」と仰っていた。奥さんというのは私の祖母である。祖母は百歳を超え長命を頂いたある日、昼にお茶を飲み「すこしやすむよ」と寝床に入り、そのまま出直したのだ。

その方も朝食を頂かれ、娘さんが台所へ立たれ戻ってきた時には、お出直しになっておられたそうだ。まさに祖母のようなお出直しであった。素晴らしいお出直しと申し上げるのはご遺族には申し訳ないが、願い通りのお出直しであった。私もこんなお出直しでありたいと思う。

神様に守られ導かれたこの方の人生は、素晴らしい人生だったと思う。天理教では「死」は「出直し」という。それは体は神様からお借りしたもので、その体に自分のものである「心・魂」が入り込んで、今生を生きる。そして体をお返し(死)したら、また新しい体をお借りして、自身の同じ心で生まれ変わる。新しい人生をまた生きるのだ。ゆえに出直しと教えられる。

またお会いできるだろう。その時を楽しみに、今まで賜った御厚誼に心から感謝申し上げます。本当に長い間ありがとうございました。


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教会神殿裏の二輪草が盛りです。半年ほど前でしょうか。ご近所の方が昨年の六月の会報に書かれていた「二輪草が見たい」と仰って下さいました。その時はまだ花もなく「咲いたらお知らせしますね」とお話したのでした。

二輪草今年もきれいに咲きました。先日道でばったりその方にお会いしましたので「二輪草が咲きましたよ」とお伝えしましたら、その足で見に来て下さいました。

その方は演歌歌手の川中美幸さんの「二輪草」という曲を聴いてから、一度見たいと思われていたそうで、満開の二輪草に大喜び。『二輪草』の一節を口ずさまれました。

♪かようふたりは ふたりは二輪草〜♪

気になって調べて見ました。「二輪草は、キンポウゲ科のイチリンソウ属の多年草で、春山を代表する花。花言葉は『友情・協力』。一本の茎から2本ずつ長い茎を出し一輪ずつの花を咲かせ、2本目の花は1本目の花に寄り添うように遅れて咲く。別名・ガショウソウ。イチリンソウ・サンリンソウもある」とありました。

もうしばらく楽しめそうです。どうぞご覧にお出で下さい。




長い間教会を1人でお守り下さった老会長さんが出直され、無人の教会となった。

その後月次祭は上級の会長さんが通われ勤めておられたが、今回その教会がお戻し教会となり、お目標様は上級教会に寄せられた。

ここしばらく教会の整理・片付けひのきしんに通わせて頂いた。いわゆる大いなる断捨離である。



破棄される品々の中に、一台の振り子時計。老会長さんが使われていたもの。

あまりにしのびなく、頂戴して持って帰り神殿玄関においた。

玄関にいいのか?とも思ったが、参拝に来られた方が時間を知るのにいいね!という声に背中を押されつけてみた。



何十年ぶりかにねじを巻く。小さいときの仕事だった。

もちろん毎時ボーンボーン、その間30分毎にボーン。

うるさいか?とも思ったが、神殿玄関なので。




神殿に音が響く。懐かしく、小さい時を思い出す。

そしてその音が、老会長さんの声に聞こえる。

がんばれ、がんばれ!と声を掛けて下さっているように聞こえる。




人間は必ず出直すが、その生きてきた証は消えない。

振り子時計が鳴る度に、老会長さんを思い出す。

私が出直すまで、振り子時計の音に、その証を思うだろう。




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一周忌の法要が続いた。

◎11月26日
その日行かなくてもよかったのだが、なんとなく行く気になって民生委員でお尋ねしたお宅で、本人が倒れているのを発見・通報。すでにお亡くなりになっていたが、「小林さんに見つけて頂いた」と、こちらが恐縮するほど感謝してくださって、御葬儀は勿論、一周忌法要にも声を掛けて下さった。勿体ないほどの御礼の言葉を頂戴しながら、ご縁を結んで下さった故人に、心から御礼申し上げた。

◎12月3日
小さい時からおぢばに足を運んで下さった信者さんの一周忌法要だった。
お出直しのその日、いろいろと用事もあったのだが、やりくりして病院におたすけに伺った。なんと集中治療室におられたのにはびっくりした。知らなかったのだ。

ご本人は酸素マスクを付けて非常に苦しそうだった。付き添っておられた息子さんのお嫁さんと、本人の娘さんにお願いして、おさづけを取り次がせて頂いた。添い願いもお願いした。おふたりは信仰はないが、素直にお願いして下さった。また明日伺いますと病室を後にしたのだが、その数時間後のお出直しだった。

今日法要の前にお宅に伺ったとき、その時付き添っておられた娘さんが「あのおさづけ、頭から足の先まで、こう、すうっとおたすけくださったあと、父の呼吸が楽になって、苦しそうだった父は穏やかになりました。すごいなぁと思って、安心してしばらく病室を離れた後、誰もいないときに眠るように亡くなったんです。今もあの時のことを思い出します。おさづけはすごいですね。本当に有り難かったです」。

故人が自分のお出直しまでも、信仰を遺して伝えて下さったのだと思う。僕は嬉しくて、涙がこぼれた。





おさづけはすごい、ありがたい。心が震える。そしてこのおふたりを通して思う事は、旬の大切さだ。旬は、言い換えると神様のご意志のあらわれだと思う。

こういうことはよくあることだ。勿論後から思う事なんだけれど。

このおふたりの他にも、教区からの帰り道、せっかくだからと教会を飛ばして病院へおたすけに伺ったところ、病室は臨終の場だった。おさづけ取り次がせて頂いて、この方が最後に口にしたのは、私がおぢばから持ち帰った、御本部の水だったと聞かされた。他の物は一切駄目だったけれど、あのお水だけは本人が喜んで口にしたと。その方も病室を後にして数時間後、お出直しの連絡を頂戴した。「あれから穏やかに呼吸も楽になって、亡くなりました」と。

また天理に生活していたとき、自教会の月次祭に帰り、おぢばへの帰り道、峠を越えて30分も走った後、入院しておられた信者さんのことを思い出し、逡巡した結果、病院に戻って面会。また来月来ますからと失礼したが、その日を待たず、数週間後お出直しになった。


もちろん「明日でいいや!」と失敗したこともあって、今も心にしこりのように残っている。

神様ちゃんと教えて下さっているんだよなぁ。それをちゃんと受け止めて、その通り勤めればいいんだ。旬を逃すなよ。神様のご意志を受け止めろよ!


そう、教えて頂いた、2つの法要でした。







昨朝、登校見守りからの帰り道

赤ちゃんを抱えた奥さんとすれ違った

先日民生委員の用事でお会いした方だ

「おはようございます」

「おはようございます、先日はありがとうございました」

「小林さん、神様をもっておられるんですね。配られたお知らせに書かれていましたね」

毎月教会報を出して、信者さんに送ったり、特別号をいれて町中に配っているが、結構喜んで頂いていて、あちらこちらで声を掛けられたりする。

「はい、お読み頂いたのですか」

「私はクリスチャンなので、神様をお持ちだと言う事、嬉しいです」

としばらく立ち話。またお話ししましょうと、別れた次第。





先日9月3日、教区の行事が行われた。その責任者として勤めさせて頂いたが、午前は教区内から選ばれた方の感話。午後からその方々をパネラーとしたパネルディスカッションを行った。教区始まって以来の教会関係者限定の行事で、様々な教会の問題を本音で話し合うことのできた素晴らしい行事だった。

その午前の感話で、Gさんという教会長さんのお話があった。Gさんは信仰初代だ。信州大学に入られて、アパートも決まっていたのになぜか教会に下宿。その親奥様に聞いた教祖のお話に「そんな方がおられるんだ」と感動、そして入信。教会の娘さんと結婚、後に部内無担任の教会を預かり、昔「ヤクザから教会長に」という本があったけれど、「未信者から教会長に」という波瀾万丈の人生。

30分程の感話だったが素晴らしく、記録写真を撮るのを忘れるほど、引き込まれた。

その中の、心に残る一言。

「教会をお預かりすることになった時、『今日からは教祖とご一緒だとわくわくした』」





僕はわくわくしているだろうか。





クリスチャンの奥さん、Gさん、お二人に打ちのめされたような、情けない、申し訳ない、気持ちを今僕は感じている。






3年ほど前の事

信者さん宅で「駐車場の屋根が雨漏りして困る」というお話を聞いた。

早速登ってみると、タキロン(透明な波板)が古すぎて繊維が剥がれ落ち、それがとゆにたまって固まりダムのようになっていて、そこが原因で溢れていたのだ。

早速その塊をとり応急処置は終了。

下に降りてその話をすると「この屋根も、もう15年くらいになります。だんだん暗くなって困るし、上はそんな感じでしたか」と。

その時私は「これなら替えれますよ。私でも」と。

「いやいや会長さんお忙しいのに、そんなこと頼めませんよ」

いくら忙しくたって、信者さんのこと最優先が会長の勤め。

「大丈夫です。おまかせ下さい。空いてる日みてやりますから」

と請け負ったのだ。

それが3年前・・・

情けない会長です



お邪魔する度に、その車庫を見る度に、その下にある耕耘機をお借りする度に、私の胸はずきずきと痛んだ3年。

しかしいい加減このままではいかん!と、出来る日にちに関わらず、とにかくタキロンを必要枚数買ってしまい、もう抜き差しならぬ状態に自分を追い込みました。

でいよいよ、着工。

4月の事でした。


2間半 × 2間半  大きいんです。


ようやくできました。いつもいつも「会長さんはお忙しいから、お忙しいから」と待って下さった信者様、本当に申し訳ありませんでした。

仕上げてから私は自分を振り返ると

「できんのやない せんのや せんのやない する気がないのや」

どこかで聞いたお言葉ですが、まさにその通り。するすると良いながら、する気がなかったのだと、自分の怠慢を恥じた次第です。


完成、本当に嬉しかった。ずっと心に引っかかっていた重荷が降りました。


アドバイス頂いた半田の棟梁、棟梁ほど上手くいきませんが、感謝です。



しかしあれですね、天理教の会長さんはなんでも出来ないと、というか、やろうとすればなんとかなるもんですね。向かうその姿勢が大切だと感じた今回でした。


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