ひのきしんとは何かというと、信仰の喜びがおのずから日常の生活態度や行為になってあらわれたものを指す、ということになろう。
親神の存在とその思召を知るならば、そこに信仰の喜びが生じてくる。この喜びは、もともとは、自分一人の心の内の喜びであるが、これがいつまでも個人の心の内だけにとどまっているとしたら、十分とはいえない。
信仰の喜びは、心の内だけにとどまらず、日常の態度や行為となってあらわれてこなければ無意味である。信仰とは行為であり、この行為によって、自己が改造され、世界がよくなる。世界一れつは兄弟ということも、それは単なるスローガンではない。それを信じ実行に移してゆくことによって、はじめてその実があがってゆくのである。
行為という以上、それは社会という場に展開される。そこでひのきしんは、一人一人の心の内なる信仰の喜びが、何によらず人のために尽くすという方向で、社会の上に反映され発露された行為である、といえるであろう。しかもその行為が、他から強制されたり、あるいは制度だからするというのではなく、また、報いを求めないところに重要な点がある。人だすけのために無条件に己を捧げていく行為がひのきしんである、ともいえるであろう。 【『天理教とは』(道友社刊)から】
天理時報特別号 第727号
