鯉太郎の 心 ころころ

 

カテゴリ: 信仰


ひのきしんとは何かというと、信仰の喜びがおのずから日常の生活態度や行為になってあらわれたものを指す、ということになろう。

親神の存在とその思召を知るならば、そこに信仰の喜びが生じてくる。この喜びは、もともとは、自分一人の心の内の喜びであるが、これがいつまでも個人の心の内だけにとどまっているとしたら、十分とはいえない。

信仰の喜びは、心の内だけにとどまらず、日常の態度や行為となってあらわれてこなければ無意味である。信仰とは行為であり、この行為によって、自己が改造され、世界がよくなる。世界一れつは兄弟ということも、それは単なるスローガンではない。それを信じ実行に移してゆくことによって、はじめてその実があがってゆくのである。

行為という以上、それは社会という場に展開される。そこでひのきしんは、一人一人の心の内なる信仰の喜びが、何によらず人のために尽くすという方向で、社会の上に反映され発露された行為である、といえるであろう。しかもその行為が、他から強制されたり、あるいは制度だからするというのではなく、また、報いを求めないところに重要な点がある。人だすけのために無条件に己を捧げていく行為がひのきしんである、ともいえるであろう。          【『天理教とは』(道友社刊)から】


                                  天理時報特別号 第727号


天理時報11月2日号第1面に、『「諭達第四号」ご発布』と、ご発布下される真柱様のお写真が掲載された。

私は勿論、全教のみなさんにとって、本当に久しぶりの真柱様のお姿、お声だった。感激された皆様も多い事だろう。私の周りの方々も口々に感動を仰った。

穏やかでお元気そうな真柱様のお写真、しかしこの時の真柱様は「たとえ我が身どうなっても」との命をかけてのご発布だったと私は感じている。天理時報の写真に、あの時の真柱様のお姿は浮かばない。




10月26日秋季大祭、私は東礼拝場結界前から3列目南の角に座ることが出来た。

25日ちょっとした務めがあり出発が遅れたので、天理到着後別席場駐車場にて車中泊。とはいえ、そのつもりで準備しワゴン車の後ろをフラットにして、エアマットと布団で完全宿泊。翌朝7時30分神殿に向かった。

良い天気とはいえ、さすがに寒さを感じる。中庭であたたかく、知り合いと久しぶりの再会を楽しみながらのんびり参拝と考えていたが、神殿近くになると、東礼拝場に上がる人が少ない。そこでせっかく諭達発布の秋季大祭だからとカバンに靴をしまい込み、東礼拝場に上がってみた。するとガラガラ。「あれ時間間違えたか?」と思いながら前に進むと、コロナ対策に一畳2人のアナウンスに奇数人数で参拝の方は、一畳に1つ空きが生まれる。ひょいひょいと前に進むと、前から3列目に座ることが出来た。位置は南の角、ちょうど先生方が出入りされる横。



秋季大祭が始まる。つとめ人衆の先生方が西から入られる前に、真柱様がおいでになられる。南礼拝場までは車椅子で、そこから杖を手にご自身お一人で歩かれる。椅子に座られる。そのお姿が目の前にはっきりと拝せる。嬉しい。ありがたい。よくぞ東礼拝場に上がった。

秋季大祭が始まる。大亮様の元気な祭文が奏上される。真柱様が椅子を降りて正座される。そのお姿に感激で胸が一杯になる。真柱様とご一緒にかぐら勤めを拝せるのだ。

かぐら勤めが終わり、真柱様が退席される。私の横をお歩きになる。そのご不自由なお姿に、自然と頭が下がる。


後半下り途中、真柱様がお戻りになる。ご発布は大亮様ではないかの声も度々聞いた。しかし真柱様がお戻り下された。真柱様直々に諭達のご発布を頂けるのか。胸が熱くなる。それほど久しぶりのお姿・お声なのだ。

後半下りが終わり、指図方の先生より、真柱様から御挨拶・諭達のご発布を頂ける旨のお話。

真柱様がお立ちになる。杖は座した横に置かれたままだ。お付きの方の肩に手をかけられ、ご自身で演台に進まれる。ゆっくりゆっくり歩かれる。演台の前にようやく立たれ、椅子にゆっくり座られる。少しずつ少しずつ座る位置をなおされ、ようやく原稿を手にされる。めくられるお手も、大変そうだ。

「皆様方には、本日、秋の大祭に各地よりお帰り下さいまして、大変ご苦労様でした。また、未だコロナの影響も続く中、たすけ一条の御用の上におつとめ下さって、心よりお労い申したいと存じます。少しご挨拶をさせて頂きたいと思います。(拍手)
 年頭の挨拶で、私は教祖の年祭を、140年祭をつとめさせて頂きたいという旨、お話いたしました。そしてその後、希望もありましたので、今日付けをもって、諭達を出すことにしたのであります。
まず読みます。口がうまく回らないし、息も続きませんが、お聞き苦しいと思いますが、聞いておいてください」。

「口がうまく回らないし、息も続きませんが、お聞き苦しいと思いますが、聞いておいてください」。真柱様のお言葉に、涙があふれる。

諭達ご発布

真柱様のお姿を、その大変なお姿を眼前に拝しながら聞かせて頂いた諭達は、私の心にズドンと入った。

ご発布を終わられた真柱様がお下がりになる。お疲れに見える。杖を手にご自身でお歩きになる。そのお姿を隠されることなく、今ご自身でおできになられること全てを、参拝している私たちにお見せ下さりながら、お下がりになられる。横をお歩きになる真柱様に拝しながら、涙が流れた。

本当にありがたい感激の、秋季大祭・諭達ご発布だった。




今回私は1人だったから、気軽に東礼拝場に上がれた。上がりたくても、上がれない方もたくさんおられただろう。その中私は真柱様のそのお姿を拝見し諭達ご発布を頂けたことは、本当にありがたいことであった。

真柱様が命をかけてご発布下さった諭達、この三年千日の通り方は定まった。今日の感激・感動を忘れずに歩きたい。



天理時報1面の真柱様のお写真は、お元気そうに穏やかに映っておられるように見える。しかし我が身どうなってもとの思いこもられたご発布だったと私は感じている。そのお姿を、真柱様を拝見出来なかった皆さんに知って頂きたい、お届けできたらと願う。



拙文ではありますが、お知り合いの皆様にご紹介頂けたら、嬉しいです。











涼しいを通り越し、一気に寒くなった気がします。朝子どもの登校見守りの際、今までは日陰に立っていましたが、今は太陽を背に立っています。

九月はお彼岸の月。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、それはどういう事でしょう。

「春分や秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。秋は秋分の日(=彼岸の中日)を境に日が短くなっていき、秋の夜長に向かいます。つまり、太陽の出番がどんどん短くなるので、暑さも和らいでいくわけです。春はこの逆ですね。しかし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではありません。暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高いのですが、厳しい暑さや寒さも目処がつく頃なので、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになり、慣用句として定着していきました」。

またお彼岸にはお墓に参ります。なぜお墓参りに行くのでしょう。

「『暑さ寒さも彼岸まで』の彼岸にはお墓参りに行く風習がありますが、それはいったいなぜでしょう? 実は、春分と秋分の太陽に関係があります。
 仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私達がいる世界を「此岸《しがん》」といいます。そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました」。


天理教でも春秋三月九月に御霊祭を勤めますし、お墓にも参ります。それは仏教の意味とはちょっと違います。天理教では亡くなったら新しい体をお借りしてまた生まれ変わると教えられますので、御霊祭はお出直し(亡くなる)された方のご遺徳を称え、御霊をお慰め致し、個人を偲ぶよすがとして勤めさせて頂きます。

こんな事がありました。もう昔の話です。夕勤めを終えたとき、その頃小学生の息子の大悟が「お父さん、おじいちゃんがいたよ」というのです。数年前出直した父がです。

よく聞きますと「霊様を参拝しているとき、お父さんの前に白衣を着ているおじいちゃんがいて、ニコニコ笑いながら頭をなでてたよ」と。

ハッとしました。その頃私は自分の勤め方に自信がなく、今の私を父はどんなふうに見ているんだろうと悩んでいた時だったのです。霊様は私たちの近くにおられ、いつも見守って下さっています。九月はお彼岸です。



苦い薬が飲めない子がいる。

我慢して飲める子もいるけれど、どうしても飲めない子がいる。

大人は効能が分かっているから、苦くても飲む。

でも飲めない子は、苦いから、飲まないし飲みたくない。

そんな子どもに、更に「我慢して飲め」と大人は言うけれど、2.3回我慢して飲んでも、自らは飲もうとしない。続かない。飲みたくないんだから。

そんな子どもを見て、大人は薬の効能書きを読んで聞かせ、薬の効き目を解くけれど、それでも薬は苦いから、飲みたくない。

効き目が分かっても苦いから飲めない子どもに、薬を飲ますにはどうするか。

大人みんなで相談して「大人が効能を分かっていないから飲まないのだ。その効能が伝わっていないから飲まないのだ。親がもっと効能を知らなければ駄目。そして理解した効能・効き目を、もう一度子どもに教えよう」と、親がもう一度効能を勉強して再確認し、子どもにもう一度話して聞かせるけれど、勿論子どもは飲もうとしない。だっていくら説明されても苦いんだもん。

ではその飲めない子どもに薬を飲ますには、どうしたらいいか。

どう効能を説明したって苦いこと自体は変わらないんだから、親は薬が苦いことは認めて、飲めない子どもに「仕方ない、飲むか」と思わせるしかない。

それには?

「この薬飲んだら、飴ちゃん上げるよ。苦いけど、すごくよく効く薬なんだから」
「この薬飲んだら、一緒に遊びに行こう。キャッチボールしよう。早く飲んで、遊びに行こうよ」
「薬飲んだら、ラーメンでも食いに行くか」

苦い薬は嫌だけれど、飲もうとさせる魅力が必要だ。だって子どもだもの。苦いけれど飲もうと思わせるご褒美がいる。

他にも
「○○ちゃんも飲んでるよ。お前も飲めるでしょ」
「○○ちゃんと一緒に飲もうよ。ほら、○○ちゃん我慢して飲んでるよ。良い子だね」と。

そして飲んだら、めっちゃ褒める。

「すごい、飲んだね。すごいすごい、お利口だね。嬉しいよ」
と褒める。だって苦いけれどよく効く薬なんだから、飲んだ子どもを褒めて上げなくちゃ。

更に大切なのは、親が子どもの前で喜んで飲む事。
「苦い!」なんてこぼさずに、「良い薬だね。お母さん」「良い薬ですね、お父さん」「この薬飲むと、すぐよくなるね」「本当だね」「ありがたいね」と。

その親の姿が、子どもは「嫌だけど、飲もうかな。お父さんお母さんも喜んでいるし」と飲む理由の一つになる。

それなのに
「こんな薬飲んでも効かねえよ」「苦いだけで、何の効能もない」「飲む必要ないよ」「苦くていやだけど、飲めっていわれるから」なんて言っていると、もちろん子どもは飲まない。当たり前だよ。親が嫌な薬、子どもが飲むわけない。

中には強引に苦い薬を飲ます親もいる。
嫌がる子どもの口を無理矢理開けて、苦い薬を流し込む。「お前のためだ」と強引に飲ます。そりゃそうだけど、無理に飲ませたって薬は苦いんだよ。そんな薬が効くわけない。そんな薬を子どもが飲むわけない、例えよく効く薬でも。

こんなことを繰り返すと、ますます子どもは薬を飲まなくなる。一生飲まなくなる。そればかりか、強引に飲ます親の元を離れて、家を出て行ってしまう。そうなったらもう一生薬は飲まない。薬を見るだけで避けるようになり、近寄らない。もちろん親にも近づかない。絶対に薬嫌いは治らない。

本意ではないけれど、子どもにご褒美をあげてでも苦い薬を飲むようになれば、飲みながら大人になるに従って、それは習慣となって当たり前に飲めるようになる。だんだん癖になって苦い薬も美味しくなる。苦いブラックコーヒーが美味しくなるように。そこまでの親の心配りが必要だ。そうなったらしめたもの。あとは黙っていても、自分で飲む。喜んで飲む。誘われて飲む。友達と飲む。慣れたら薬なしにはおれないようになる。それどころか、人に勧めるようになる。この薬はよく効くよ。ちょっと苦いけれど、飲んでみて! そして一生薬を飲むようになる。

その上で子どもが「大好きなお父さんお母さんの言う事だから」と思ってくれる気持ちは大切です。その為にはもっと子どものために時間を使いたい。授業参観・運動会・遠足・部活・・・。時間がないからではなくて、その時間をつくりたい。そんなお父さんお母さんの言う事は効きませんか?



そして何より大切だと思う事は、お父さんお母さんの仲が良いことです。それが苦い薬を飲むための、子どもの一番の力になると思います。

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