2011年05月22日

それそのかんじ

なんか、こう

それにその名前ナイス!!



みたいなものがいい



例えば、


プリンはまさに

プリン


見た目がプリンプリンだからプリンになったのか。



これが全ての名前の付け方になったら






例えば、最近よくみる、さきの尖った靴

これをアフロ田中では「ドギャンとした靴」
と例えています。


この靴の名前をプリンの考え方でつけるなら


「ドギャン靴」

または

「ドギャン」


なんだかあの靴がいかにも武器のように感じるではないか

なにか強そうな武器に思えますね。



これはなかなかいいんではないですかね。

もともとドギャンの本当の名前もしらないですし。


newatho at 21:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月02日

かたむき

私は証明写真をとるのが苦手である。


普通の写真のように、ただそこに自然にある表情をとられるのならどんとこいであるが、証明写真のそれではまったく話が別だ。


まずどんなモチベーションで撮るのか、気持ちをどこに持って行くのかが分からないのだ。


例えば、履歴書などの写真をとるのであれば多少写真の表情や雰囲気で印象が変わり、アピールになるのであろう。
それならば、暗い写真よりは明るくイキイキとした写真を撮れば良いのであろう。

だが、一般的に履歴書の写真ではポーズを決めることは不可である。
つまり、表情それひとつで自分の明るさ、人間を表現しなければならないのである。

もしも履歴書の写真にポーズを決めることが許されていたならば、こんな私である。
有り余る生命力を体の中、いや足のつま先から頭部のつむじまでを命を燃やすように使い、全力をもって裏ピースを決めてやろうではないか。

そんなことはまずないのだけれども。


とにかく、表情ひとつでそこまでを伝えれるとすれば、すでにその人はプロである。

勿論私に、そのような選ばれし人間に与えられる特殊能力は無い。


必死になって作り出した顔は、わざとらしく開いた目、ぎこちなく歪んだ口

なんとも言えない表情である。




勿論これだけではなく、免許証、証明書の写真についてであるが。


これはそもそも「この写真は私本人ですよ。ほら見て。同じ顔でしょ?」と確認の為にあるわけだ。


それならば、いつでも私と分かるように、一番自然にいる時を写真にするのが当然であろう。

それがそうもいかないのである。

まず「それでは写真とります」の合図がある時に私は間違いなくカメラの直線上に構え正しい姿勢になおり「さぁ撮りなさい!」と貴族のお嬢様ばりに構えるのである。


貴族のお嬢様は大袈裟かもしれないが、少なからず皆構えることは当然であろう。
その時点でそれは自然ではないのである。


そして私は重要なことに気がついたのである。


証明写真にしろ普通の写真にしろ、大切なのは自然であることではないだろうか。


プライベートで撮影した写真にはその自然体ゆえの柔らかな雰囲気が出る。

これを証明写真にも使えば良いのだ。

ポーズを決めようが決めまいが、自然な表情で撮影した証明写真にもきっとその人の柔らかさ、または凛々しさがきっと写し出されるのであろう。


その飾らない表情が履歴書では好印象をもたせ証明書では必ず私だと分かってもらえるはずだ。


その気持ちを忘れずにいることで、力を抜き、自然に微笑んだ最高の表情を写し出すことに成功した。

私は苦手であった証明写真を撮影することに成功したのである。


今までの自分に腹の底から声を上げ、見下すように勝利を宣言したのだ。


なんと清々しい気分であろう。

新たな道を切り開くことは、こんなにも素晴らしいことなのかと大嵐の後に晴れ渡る青空のよいに、
バトルフットボーラーを万能地雷した時のように清々しいのだ。


さあ
新たな自分が画面に写し出される、注目しよう。
NEW島田を。


なんと自然な表情でしょう。
なにも否定出来ない、素晴らしい表情である。

そして
私は気がついたのだ。
自然体な私は首が曲がっているらしい。
顔が左に傾いている。


私は証明写真が苦手である。


newatho at 17:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月26日

これからについて

HPにもありますが、Gt岩上氏が活動休止になりました。

大変急な発表にご迷惑おかけいたします。

今後も活動は続きますのでathoをよろしくお願い致します。


newatho at 15:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)