シアトル日々是好日

シアトル在住、宮古島出身の勤労中年おばさんの日記。愚痴、書評、映画評、料理、日々考えていることを本音で綴りたいと考えています。

毎週、金曜日の夜、宮古島の両親に電話するようにしている。こちらの夜八時は日本時間のお昼ころ。
例のごとく、電話すると、母がハイテンションで、電話にでた。声が大きい。
「元気?」
「ああ、元気、元気!何も変わったことないよー。」
「暑いでしょう?」
「暑いさー。でも今日も朝早く起きてグループ体操に行ってきた。楽しいよ。知らなかった人とも会って話をするさー。」
「ふーん。親父さんはどう?」
「ああ、相変わらずさ。頑固で強情でヒトのいう事なんか聞かんさー。昔から変わらんさー。たまには食事作るのが大変だから外食でもと思うけど、外食嫌いなヒトさー」
「ホント、大変だねー。毎日、いろいろ工夫して作っていて、すごいさー」
「そうよー。毎日、ミキサーで野菜やら果物やらを使ってミキサーでジュースを作って飲ませるさー。それにご飯とみそ汁、卵焼きにお惣菜とか5品くらいは食卓にだすさー。でも美味しいとは言わんさー。黙って食べるだけさー。」
「ホント、献身的にやっていると思うよ。きっと心の中ではきっと感謝してるよ」
「ふん!昔はさー、自分はおしんかと思うくらい耐えたけど、今は耐えないよー。好きなようにやるさー。だから、友達とも会ってコーヒーやに行ったりもするさー。」
いいことだとは思うが、喫茶店でオバアのグループが大声で笑っているのを想像するとちょっと怖い。何しろ、沖縄のオバアのパワフルさは有名である。

それから、日野原重明先生が亡くなったことやなんかを話題にする。先生の本も読んでいるらしく、大層、感銘を受けた様子だ。この分だと日野原先生の105歳をこえるかもしれないなーと思ったりする。

土曜日。日系人老夫婦のもとで食事作り。
メニューは
あさりご飯(インスタントの混ぜるだけのものを使った)
豆腐、キャベツブロッコリの炒め物
サーモンの照り焼き
トマト、キャベツ、モッツァレラチーズのサラダ
さつま芋入りぜんざい。
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自宅に戻り、オットがお腹空いたというので、夕飯にローストビーフと昨晩の残りのパエリア、やっぱりトマト、キュウリ、モッツアレラチーズのサラダ。それにブルーベリー。
この季節になるとフレッシュなブルベリーが沢山いただけるのがウレシイ。毎日のようにブルベリーを食べている。

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平穏に生活できて、何も起こらなければ、オットは実にいいパートナーであるが、何が決断したり、新しい事に取り組まなければならないとき、いつもオットと意見の食い違いで衝突する。

私の頭の片隅のどこかに「男というものは頼りになるもの。女、子供を守るもの」という概念の残骸がまだ住み着いているのだろう。物事を相談して、がっかり!ということが多い。というのは、うちのオットはちょっと不思議なほど、現実離れした楽天家である。非常に大陸的というか、涙もろいくせに神経質なところが全くなくて、「大丈夫さー」みたいな気分で生きている。

月曜の晩はほぼ一睡もできないま、朝を迎えた。たいてい寝つきはいいほうなのだけれど、昨日は”得たいの知れている突然の不安”というやつに襲われたのだ。

この夏、家を売る予定であるが、我が家のガレージと地下には膨大な量の本が収納されている。オットは大きな本棚をガレージにモザイク状に並べその中に本を収納している。ネット販売をしていて、本はほぼ毎日のように少しずつ売れてゆく。彼にとっては、このガレージに所狭しと並べられている本こそが、「俺はまだ本やであるぞー」というアイデンティティを維持するための「大事な物」らしい。男というのは大層、未練がましいものだとつくづく呆れ果てる。

「あのさー、とにかく、断捨離してさっぱりして新しい生活始めようって決意したじゃん。兎に角、できるだけ早くうっぱらおうよ」
「でも、アマゾンには委託販売したくない。」
「うーーーん。気持ちは分かるけど、どーしようもないじゃん」
というような喧嘩腰の会話が続き神経を消耗している。

火曜日。帰宅して食事を済ませると、直ぐにベットに入り、きっちり8時間睡眠。眠る前に山本周五郎か藤沢周平の作品の朗読をネットを使って聴いている。目が疲れないのがいい。サムライものはやっぱり男の声で聴くほうがしっくりとくるような気がする。山本周五郎の「墨丸」を聞いて涙をながしたりする。訳のわからないオットと言い争いをするより精神の安定にずっといい。


図書館にいると、結構学生たちとの交流が生まれる。特に大学院生は、図書館に籠りっきりで勉強をする人が多いので、親しくなって、個人的な問題を打ち明けられることもある。
先週はT大から留学してきているK君がやってきて、
「ネエ、話聞いて。俺さー、今、すっごい、落ち込んでんの。やっぱりさー、アメリカにいてすっごい孤独、感じるんだよねー」
「それは、外国暮らしそのものが、ある意味チャレンジだからねー。特にちょっと慣れたころには、そんな感じにだれでもなると思うよー」
「どーしたら、いいのー。なんか、哀しくって。」
「うーーん。ほら、大学にカウンセリングしてくれるとこ、あるじゃん。ちょっと行って相談してみなよー。私は、カウンセリングで簡単に解決するとは思わないけど、なんか、解決の糸口になるかもしれない。それに、君は日本じゃT大で、今まで、優遇ちゅうか、結構、大事にされてきたと思うけど、アメリカじゃT大ブランド、通用しないからねー。」
「それは、分かってる。」
「でも、君の研究はうまくいってるみたいだし、先生方も、君のこと褒めてたよー。やっぱり、すごく勉強してるって」
と励ましてみたりする。これは結構、有効だと私は思っている。
K君はとたんにちょっと嬉しそうに、
「ホントー?」
「ホントだよ。M先生がこの前、君はT大の学生だけれど、あんまりエリート風ふかせないし、謙虚に勉強してるって。だから自信をもって研究すればいい。個人的な悩みはだれにだってあるから。本道がうまくいっているってこと、大事じゃん。そこで躓くときついよー。まあ、ここに籠って勉強するだけじゃなく、もっと大学以外の世間を見るほうがいいかもしれない。」
とあれこれ話をする。でもよく聞いてみると、やっぱり秀才故の苦悩ということかもしれないなーとも思う。
K君は地方の有名校から東大、そして奨学金をもらってのアメリカ留学と絵にかいたようなエリート学生だけれど、話をしていると、30近い年齢の男としては、とても幼く見える。多分、社会に出たことがないので、その分、若く見えるのだろう。それに驚くほど素直でもある。
私は、
「東大には入れたってことは、秀才で、どんな科目でも優秀だったってことだと思うんだよね。でも、これからは、自分はこれだ!って個性を求められると思うよ。その個性を批判するヒトも出てくると思う。でも、そのことに耐えられる強さが必要だよね。」
「頭では、オレ、分かってるのー。でも、昔からさー。オレ、これだけはすっごい優れているってものないのよー。なんでも結構、できたっていうかー。」
「へー。なんでもできちゃうヒトは選択の幅が広くなって大変なんだねー。でも、これからはこれじゃなっきゃってものが必要だよ。」
と劣等生だった私が優等生K君にアドバイスしたりした。世の中は面白いものだ。

今週はいろいろ忙しく過ごした。忙しいとは言っても、近所の映画館に2回行った。それも仕事を終えて、夜の9時を過ぎてからである。どうしても見たい映画というわけではなかったけれど、映画は私たち夫婦の共通の趣味なので、何とか時間を作ってゆく。

1本目は「Norman」。リチャード ギアが主演のニューヨークのFixerと呼ばれる職業の男の物語。Fixerという存在職業がとても分かりにくく、こんな人間が存在するのかと不思議であある。ヒトの弱みにつけこんで、問題を解決する仲介業のような仕事らしいが、結局、よく理解できないままに映画は終わった。

2本目は「Book of Henry」。これはNaomi Watt主演の天才少年をもった母親の物語。子供が死んでしまいその喪失感から立ち直ってゆく物語だが、ミステリーの仕立てに出来上がっている。Naomi Wattはオットの好みの女優。

リチャードギアもナオミワッツも私たちと同年代の役者だと思うが、ちゃんと年齢を重ねて、その様が画面にキッチリ表れている。そこんとこにとても共感する。

私がなぜこんなにも映画好きかというと、宮古島での子供時代の体験がある。子供のころ、島に何軒か映画館があったが、我が家から歩いて5分もしないところに国映館という洋画を専門に見せる映画館があった。10代の私はそこに入り浸っていた。私は中学生のころから一人で映画館に入る事に躊躇のない性格で、この映画館は私の学校だったように思う。

この映画館でハリウッド映画やフランス映画を見た。スクリーンという映画雑誌も購読していので、私はハリウッドスターやヨーロッパの俳優たちについても詳しかった。子供のくせに、フランス映画の「男と女」やソフィアローレンのイタリア映画が好きだった。ハリウッド映画ではローバートレッドフォードにノックアウトされていた。あんなに笑顔の魅力的な男はいないと思ったし、アランドロンみたいな美男がいるのかと驚愕したりしていた。映画館でみるアメリカ人やヨーロッパ人の暮らしぶりは、島の少女の憧れをかきたてた。
あんなに自由で男も女も情熱的に生きているのかと思うと、あの世界に入っていきたいと思った。毎日のように野菜と豆腐チャンプルーを食べて地味な制服を着て学校に通っていた宮古島の少女の心に火をつけた映画という存在。やっぱりすごいメディアだと思うのだ。


好きな女性は沢山いるが、年下で好きな女性というと漫画家の西原理恵子。彼女の「パーマネント野ばら」には泣かされた。共感できるところの沢山ある逞しい女性であると感じていた。

その彼女が朝日新聞で、女の子へ「寿司と指輪は自分で買おう」といメッセージを載せている。
流石だなー、このヒトは本当に自分の人生を自分でつかみ取って確かに歩いているヒトなんだと感心する。

女の子へ「寿司と指輪は自分で買おう」 西原理恵子さん

 

 http:/www.asahi.com/articles/ASK2R5QZ9K2RUTIL04Q.html

 
3月8日は国際女性デー。高校生の娘をもつ漫画家の西原理恵子さんは「男に頼り切るのは危険。自分で稼いで。おすしと指輪は自分で買おう」と語ります。
  

西原理恵子のような女性をお母さんにもったら女のこは百人力だろう。が西原理恵子のような強い母親はそうそういない、とも思う。

自分を含めて回りを見渡しても、自分の娘には「いいパートナーに出会って、幸せになってくれるといいなー」と願っている。だがしかし、幸せは天上からスーッと降りてくるものではない。全てが何かしらの結果として生まれてくる。だから、いいパートナーは自然には生まれない。

宮古島で同級生と久しぶりにあって、お喋りを楽しんだ時、
「あなたはいいわねー。優しい旦那様で。本までよんでくれるんでしょう」
と言われた。
「うん。優しいよ。いいオットでいい父親だねー。でもねー。私、今のオットに出会うまで、男には結構、授業料払ってきたと思うよ。結婚するまでいろいろあって、ひどいのに会ったり、泣かされたり、まあ、こっちもひどい目に合わせたりしたかもしれないけれど、結婚したいなーと思える男に会うまでは結構時間がかかった。」
「ええ、そーなの」
「そーだよ。較べる比較対象があったのはよかったかなー、と思っている。でも、うちのオットは甲斐性はないよ。それでも、大事なのはいいパートナーでいい父親だっていう事だと思うから、お金稼ぐ能力ないのには目、つむることにした」
「へっつー」
というような会話があった。そして、
「だから、娘はこれまで何人かボーイフレンド変わったけれど、いいことじゃないかなーって思っている。男修行だからさー。変なの捕まえて取り返しのつかない傷をおっちゃうよりはいいよね」
「うーーーーーん」
と真面目な宮古島の同級生は、瞠目した。

ヒトには経験からしか学べないことがある。

土曜日。
日系人老夫婦のもとで食事作り。
メニューは、
玄米ご飯
ピーマンの肉詰めのオーブン焼き
ニラとキノコと卵の炒め物
大根の煮物
サツマイモの甘露煮
トマトときゅうりのサラダ
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宮古島に帰っていたりしたので、ほぼひと月ぶりこの老夫妻に会うが、とても元気そうだ。夫妻はついこの間、娘さんたちに連れられて、ロスで開かれた孫娘の結婚式に参列することができたそうだ。車椅子を使っての移動で、なかなか大変だったと思うけれど、孫娘の結婚式に出席するのは夫妻の念願だったので、とっても達成感があったのだろう。
「ホントによかったわー。いい結婚式だったのー」
と奥さんは何度も繰り返して語っていた。


夏学期中の金曜日ということで、職場は閑散としている。のんびりと仕事をしていると、日本人のT先生とN先生がいらしったので、日本語で楽しい雑談。今、読んでいる本のことやら日本の状況などについて、とりとめもない話をする。

T先生60代後半、私50代後半、N先生40代後半と世代が一段階くらい違う。皆、いづれは日本に生活の場を移したいと考えていることは共通しているが、具体的にいつ、どこに、どうやったらと中々実行に移すのが難しい。私も永いい外国暮らし故に、都度都度、「日本人でなくなった変なヒト」扱いされる。
この前、母が私のことを
「お前は日本人じゃーないからー。アメリカーさー」
なんて批判がましく言うと、父が突然怒り出した。
「どーして、そういう事を言うんだー。R(私)は日本人に決まっているじゃないかー。ただ、個性の強い日本人というだけだ。これは昔からそうだ!」
と援護射撃してくれる。この父は、いつもこうやって私を庇ってくれた。

まあ、それはそうとして、長い外国暮らしを切り上げて日本に帰るというのは思っているよりは難しい。特に家族のいる場合には。

日本人の暮らしぶりは、時として小津の映画を見るように美しい。東京に行くと、横浜で暮らしているWさんのとこにお世話になるのだけれど、W夫妻の生活ぶりを見るにつけ、「いいなー」と羨望する。なんというか、日本人独特の丁寧な暮らしぶりを夫婦で実践しているのだ。贅沢ではないが、穏やかで豊かな暮らしとでもいおうか。
例えば、W夫妻は毎日一緒に駅前のスーパーまで食料品の買い出しに行く。そして、W夫人が
「きょうは相模湾で朝採りされたお魚が出ていたわ。新鮮で美味しいわよ。」などと言いながら、夕飯に供する。アメリカじゃこんなことは到底考えられない。私の場合、食料品の買い出しが週に1,2度。洗濯は週1回くらいのものである。

また、W夫妻は小さな庭の縁側にメダカや小鳥などを飼っている。小さな菜園も作っている。
Wさんは週一度、絵画教室に通い、奥さんはサンスクリット語の教室に通っている。それに、Wさんは日本語を外国人に教えるボランティアもしている。奥さんはインド舞踊を教えてもいる。充実した老後を送っていて、羨ましいばかりである。

が、しかし、普通なら羨ましいなあで終わってしまうのだけれど、私はへそ曲がりなので、何かが足りない気がしていた。ずっと考えていたが、あの結構とんがりだったWさんが、現在の穏やかすぎる生活に満足というわけではないのはないか。だから彼らはしょっちゅう旅に出るのではないかと考えたのだ。旅に出ると、沢山の問題に出会い、日常から脱皮できる。
いくら平穏無事な過不足ない生活であっても、何か挑戦するというかチャレンジするものが人生には必要なのではないか。一山超えて、一休み、というようなリズムが必要ではないのか、と考えるのである。
まあ、私の場合、これからも越えなければいけない山が沢山ある。ないもの尽くしではあるが、山登りのつもりで、これからの人生を凌いでいこうかと考える。

つい数日前、娘から
「母さん、VFP-ROCKのアソシエイトメンバーにならない?」
と誘いがかかってきた。VFPはVeterans for Peace(「平和を求める元軍人の会」)の略称で全米に支部をもつNGOである。ROCKはRyukyu Okinawa Chapter Kokusaiの略で琉球沖縄国際部の意である。以前からこの組織の活動には大きな敬意をいだいていたが、組織という名の付くものに苦手意識があるので、なるべくどんな組織にも属さないようにしてきた。
でも今回、参加しようという気になったのは、娘に誘われたからだけではなく、この組織の行動力に感心していたからだ。

実際に戦場体験をしたものだけが、戦争の悲惨さを伝えることができる。また軍隊の中にいてその不条理を体験してきた者だけが軍隊の内実を知っていると思う。残忍な戦場をかいくぐってきた体験が、彼らの熱い反戦運動の原動力である。また、市民を守るのではなく抑圧するため道具として使われたという権力に対する怒りが彼、彼女らを実際の行動にかきたてている。

VFPのメンバーの辺野古での活動には大変勇気づけられるものがあった。それに、VFPはアメリカ国内ではダコダパイプラインの建設阻止運動へも積極的に参加している。辺野古でオバアやオジイたちと愉快に語り合い、共に座り込みに参加し、かつまた、ノースダコダの極寒の地でキャンプをしながら警官隊と向き合う屈強な男たちの映像はなんとも私を力づけてくれた。

そのことに感謝の思いを伝えたく思ったので、私も協力会員となることにした。会費$20を払い(これは娘が先払いしてくれた)自己紹介を英文と日本文でメイルで送ると、入会が許可され、すぐに会員たちからWelcome mailが次々と送られてきた。会員の中に知人の名前もあり、嬉しい発見をした。

娘からは、
「英文の翻訳をしたり、いろんな形で役にたつと思うよ。」
と言ってもらった。


オットの仕事のスケジュールが変更になって、帰宅が深夜の一時を過ぎることが多くなった。仕事が終わると「帰るコール」をしてくれるのだけれど、そのころにはウツラウツラとソファに横たわっている。オットは帰宅してから、夕飯というか深夜飯を食べる。先に就寝してもいいのだけれど、帰宅するまでは、何となく眠れない。おかげで私は、オットが仕事のある日は、睡眠不足気味である。

娘と電話で話す。娘はこの夏から日米協会で日本語のクラスを取り始めたらしい。
「日本語のクラスにお母さんが宮古島のヒトがいるよ。何だか、私と少し似ているよ」
「ホント!宮古島のヒトはどこにでもいるんだね。どんなヒト?」
「うん、30歳を過ぎていて不動産の仕事をしている女のヒト。私とは随分考え方が違うけど。お父さんは軍人さんだったらしい。お母さんはオキナワ会で活動している」
「ふーん。でも友達になれたらいいね」
「いい感じのヒトだけど、私のことは子供だと思っているらしい」
「まあ、それだけ年が違えばねー」
娘は授業料を200ドル払ったので、今月はちょっとお金がないと言っていたが、
「大丈夫?」
と尋ねると、
「全然、大丈夫!今月はちょっとタイトだというだけ」
と返事が返ってきた。娘は日本語だけではなくYMCAでボクシングのレッスンも受けているそうだ。ボクシングはストレス解消に一役かっているらしい。

土曜日。ダウンタウンのPioneer Squereにある本の修繕をする工房へ紙を届けに。うちで扱っていた紙が本の修繕に適しているということで、在庫として残っていた紙を売りに行く。ここに行くのは店を閉めて以来5年ぶりくらいだろうか。周りには空き店舗が目立ったが、この工房は昔と少しも変わることなく地道にいい仕事をしているようだった。技術があるというのは、生き延びていくためには本当の強みになるのだいう事が良くわかる。

久しぶりに日本のスーパー宇和島屋により、たらこやら蒲鉾やらを買い込んだ。弁当も買って海の見えるSunset Hill という小さな公園でいただいた。ここは私とオットのお気に入りの場所だ。夕日が綺麗である。

Photo of Sunset Hill Park - Seattle, WA, United States. Early spring sunset

週末になると、どうしても昼夜逆転してしまうような生活を送る。
土曜日は早起きして山に行く予定を立てたが、オットも私も朝寝坊をしてしまい断念した。日曜日には、早起きして山に行くぞ!と誓ったけれど、やっぱり寝坊してしまい、Skyhomishまでドライブすることにした。シアトルから東側に位置するカスケードの山脈に向かって車をはしらせること約一時間。車を降りて、渓流を眺めながら、ぼんやりとすごした。この冬は降雪量がおおかったせいか、川の流れが急である。
特別に何をしたわけではないが、外出して自然に接したという満足感を得ることはできた。山登りは来週にでもしよう。

宮古島に帰郷している間、立川志の輔の落語を聞きに行った。妹によると志の輔は、とても人気のある落語家だそうである。古典と創作の2種類の落語をやってくれたけれど、心底、プロの芸とはこんなにもすごいものかと感心した。もっと感心したのは、はるか遠くの宮古島までやってきて、心を込めて力演してくれた。そのことがヒシヒシと伝わってきた。

それから、クラシックのコンサートに一人で出かけた。たまたま、デュオ三木というピアノとバイオリンのプロの演奏家が小さなコンサートをすることを知り、チケットを購入した。「カルメン」「モンゴル民謡」「中国の民謡」「島の民謡」などをピアノとバイオリンで堪能させてくれた。特に私が感動したのは、最後に演奏してくれた「Lark ひばり」という曲。ルーマニアの曲だと思うが、大空を自由に舞うひばりの様子。自由への憧れが良く伝わってくる曲だ。


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