シアトル日々是好日

シアトル在住、宮古島出身の勤労中年おばさんの日記。愚痴、書評、映画評、料理、日々考えていることを本音で綴りたいと考えています。

土曜日。
ゆっくり起きて、パンケーキの朝食。
4月中に、コンドの修繕費として2千ドル支払わなければならない。頭のいたいことである。

午後から、日系人老夫婦のもとで食事作り。
玄米ご飯
ナムル
ほうれん草のお浸し
キュウリとわかめのサラダ
豚の角煮と大根の煮物

簡単にできるものだけだけれど、保存がきくものを大量に作るように心がけている。なにしろ、この老夫婦は普段は、娘さんがカリフォルニアからきて作って冷凍したものを解凍して食べているのだ。豚の角煮だと温めながら数日は食べられるだろう。それになるべくは新鮮な野菜なども食べてもらいたいと思っている。
私が沖縄に帰るというと、奥さんは
「そーうー。残念ねー」
ちょっとショックを受けたようなので、
「ここにいる間は今までどうり来ますし、それに沖縄から帰ってきたら連絡しますね。今回は一時的にかえるのですから」
と言っておく。
この老夫婦の食事を作るようになってから2年近くは経過している。いつも美味しいと喜んでくれているので作り甲斐があるし、この仕事を楽しんでもいる。だけど、この一年間の間にも、この夫婦の健康状態は下降しているのが良くわかる。お喋りが好きだった奥さんは、今ではソファでウツラウツラしている時間が長い。
「生きているだけで一仕事なのよ」
とおっしゃるが、94歳という年齢であれば、それが実感なのだろう。それに、娘さんたちは年老いた両親をケアホームに入れたいといろいろ説得しているけれど、二人は費用が高すぎるといって拒絶している。日系のホームでいいとこは一人月5千ドルするそうである。日本円で50万円。財産を処分してはいるヒトが殆どである。
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前にこのブログで紹介した「At the Existentialist Cafe」の本をオットと共に継続して読んでいる。読んでいるというよりも読んでもらっている。時間に余裕のある就寝前に読んでもらっているので、なかなか遅々として進まないが、それでも第7章まで進んだ。

大きく感動するのは、「自由」への意志というか情熱を、サルトルが強く抱き続けていることだろう。 サルトルは何者からも神からも国家からも自由であり続けようとした。そんなことが可能なのだろうか、と考えるが、無論、私たちにとって、いや、私にとっては可能ではない。すでに、沢山の物事に縛られている。国家や宗教などといった大きな枠組みでなくても、身近な家族という存在、共同体などに縛らていきている。そして、私という個はその束縛から得られる安心感をも知っている。だが、しかし、私たちは必然的に束縛される以上に束縛をもとめているのではないか。それは、『安心』というものを金銭にだけ求めるからではないだろうか。

妹が私の帰島計画について、このブログに具体的な助言を書いてくれている。ありがたいことではあるが、私の計画は単なるマスタープランの段階でしかない。それに状況は刻一刻と変化している。今のアメリカ、日本、宮古島が5年先にはどうなっているか、本当に見えないのが現状ではないだろうか。
私は本当の世界の激動期はこれから、そして近いうちに訪れるような気がしている。そのとき、私はどういう風に生きていたいのかを模索しているのである。

現実的に生きることは勿論大事ではあるが、それだけでは人生はつまらないし、子供たちに夢を与えることもあり得ない。大人が死ぬまで夢を追いかけて生きているさまを見せたいというのが、私の現実的な夢でもある。もっと、具体的に言うと、娘が私の死ぬ前に
「おかあちゃん、よかったね。楽しい人生をおくれて」と言ってもらえるような人生を生きたい。

とりあえず、親の側にいて、今まで聞けなかった話を思う存分聞いて、記録を残したいと思う。宮古島の一庶民の生活誌の記録をパート仕事の傍らやってみたいという希望もある。

妹への返信として、「現実は大事、お金も大事、でもそれだけではないんだよ、人生は。」と答えたい。
現実には見えないもの、例えば「自由」とか「愛」とか「平和」とか考えて追いかけることも大事なのではないだろうか。
私の賢い妹ならば、私の意図するところをくみ取ってもらえるものと信じている。


 

寒い。何となく憂鬱。お天気のせいかそれとも未来に対する漠然とした不安のせいか。多分、60近くになって、自分の住む世界が過去のものとなりつつあることを自覚してきたのかもしれない

NHK WORLDのニュースを見ていて、PCや携帯にダウンロードするゲームアプリが、世界中の若者に人気だそうである。あんな小さな画面でゲームを楽しめる人間の神経が分からない。自分が20代であれば、あんなものに夢中になったのだろうかと考えてみるが、どうもそうとは思えない。

毎晩、仕事を終えると、娘と短い会話を楽しむ。こちらの午後7時がDCでは10時ころなので、電話して5分から10分ほと会話をする。
「今日、どうだった?忙しい?」
「まあまあ、YMCAのメンバーになろうかなーと思っているんだ。ヨガのクラスも取りたいし、アパートから近し、なんたって、いいサウナがあるんだ。ちょっと、会費高いけど」
「高いったって月70ドルくらいのもんでしょう。自分の健康に投資するのは大事だよ。ストレスはある程度運動で解消されるし。サウナに入れるのはうらやましいよ。お勧めよ」
「うん。」
というよな、何でもない話をする。そして、ぼんやりと「この頃、娘に精神的に依存しているなあー」と反省する。自分が自分のことで忙しくしていれば、「遠くにいて元気でやっていてくれればいい」と思えるのに、自分の心が弱っているのだろう。 
 
ちょっとばかり無理しても、やっぱり新しいことを始めよう。妹よ。はい、宮古島に行っても仕事をするつもりです。 具体的なプランについては、宮古島で話します。あなた方にも協力してもらわなければならないと思うので。

日曜日。本当に久しぶりにいい天気となった。空気はまだ少し冷たいけれど、陽の光が眩しいのは久しぶりなので、オットとエドモンドに散歩に出る。我が家から坂をどんどん下っていけば、エドモンドのダウンタウンに着く。エドモンドにはフェリーの船着き場があり、ヨットハーバーがあり、犬の遊技場がある。海岸線を二人でぶらぶらと散歩する。

帰宅して、花をつけ始めた庭の椿の木から花を頂戴してキッチンの出窓に飾ってみた。何となくウレシイ。いい日曜日となった。

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ここんところ、寒いし雨続きなので、私は映画をよく見ている。

木曜日。大学の中の美術館で日本映画の上映会があるというので、仕事を終えて見に行った。
題名は「修羅」、監督は松本俊夫。1971年制作のとんでもなく暗く残酷な映画である。時代劇なので、残酷さのリアリティは薄まるが、赤子まで殺してしまったり人間の首を持ち歩いたりと、アメリカ人観客にとっては、とてもグロテスクな映画に思えたことであろうが、歌舞伎の物語に題材をとった映画であれば、日本人にはとっては残酷ではあるが、様式的に分かりやすい映画だ。白黒画面がとてもスタイリッシュで構成がしっかりとした映画である。
映画が終わって、日本文学専攻のアメリカ人の院生に、
「ねえ、あの映画アメリカ人はどう見ると思う?」
と尋ねると、
「いやー、残酷すぎる映画だと思うでしょうねー」
という話だった。確かに、切腹とか首を切り落として持ち歩くなんてことは、彼らにとっては文化的背景を理解しないと単に残酷でしかない。

時々、思うんだけれど、アメリカ人ってのは物事を抽象化してみることが苦手なんではないだろうか。というのは、多民族国家故に、デフォルメされたり抽象化されたりしたものよりも、沢山の人に共通して分かりやすい表現方法をとらざるを得ないのではないかと思ったりしたのである。要するに、ラテン系もヨーロッパ系もアフリカ系もアジア系もすぐに理解できるものが必然的に求められるのである。特に映画というメディアにおいてはその傾向が著しいのであろう。何しろ、映画は娯楽性が強いのでヒットしなければいけないという使命を持っていて、一部のインテリだけが分かる映画は日の目をみないのだから。

土曜日はディズニーのアニメ「モアナ」を見に近所の映画館へ 足を運んだ。
「沖縄人が共感を持てるアニメだよー」
言っていたのである。アニメを見るのはは「ポニョ」以来である。
モアナという女の子が島の危機を救うために冒険に出る話であるが、映像が美しくモアナはとても愛らしく造形されている。褐色の肌に真っ黒な髪と大きな目。モアナは生気に満ち溢れた南洋の島も娘である。
多分、ポリネシアの伝説から作り上げた物語だと思うが、あのように自然に頼って豊かに暮らせる世界はもはやどこにも存在しないのではないか。いや、もとから存在していたのかすら分からない。自然に頼るという事は自然の脅威にいつも晒されていう事でもあるのだから。 
とても感動したというんではないが、飽きることなく2時間弱のアニメを楽しむことができた。

こんな風に私は時間があれば映画を見ているが、映画館でいい映画を見ると、いい本を一冊読んだくらいの充足感と感動が味わえると思っている。 

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土曜日。相変わらず寒い。
午後から日系人老夫婦のもとで食事作り。
今日は沢山の小鉢ものを作った。

メニューは
玄米ご飯
天ぷら(えび、かき揚げ)
鶏肉とアスパラ、シイタケの辛味炒め
キュウリとわかめの酢の物
切り干し大根とレタスサラダ(レンチドレッシング)
きんぴらごぼう

帰宅して、家で冷蔵庫にある残り物のピザを温め、スーパーで買ったローストチキンにポテトをベイクして付け合わせた。ブドウとイチゴ、ヨーグルトなど、有り合わせのもので夕食を終える。

日曜日。
あんまりだらけた週末ではいけないと自責の念が起こり、午後からYMCAでヨガ。オットはジムで一汗かいた。
帰宅してうどん、サラダ、残り物のチキンで夕飯を済ませ、近所の映画館へ「Hacksaw Ridge」を見に行く。

戦争映画は好きではないが、これは沖縄戦を描いているというので、見に行く。銃を持たない信念をもった兵士のアメリカ側の英雄の物語である。彼は銃を携帯せずに、ひたすらに友軍の兵士を医療兵として救助する。戦場は沖縄であるが、民間人は一人も出てこない。アメリカの側からみた沖縄戦ではあるが、戦闘のすざましさは、息を飲むばかりである。兵隊たちがああやって、バンバンと殺し合いをしている間に、民間人はあの戦場を逃げ隠れしながら生き延びようとしたのである。そのことを想像すると、私は涙が止まらなくなった。監督はメル ギブソン。
映画の主役Andrew Garfieldの演技が光る作品でもある。
戦争というのは、兵士の中に英雄を作り出すが、ただただ追われ、巻き添えをくって殺された民間人は、単なる戦争による死者として片づけられるのである。
沖縄戦が想像できないほど凄惨な戦闘だったことは、生き残ったアメリカ軍の兵士の中に多くの戦闘神経症と呼ばれる精神疾患が膨大な数で発生したことからもわかる。
以下はWikipediaからの引用である。

アメリカ軍の沖縄戦における戦闘神経症[編集]

沖縄でアメリカ軍を苦しめたのは、戦闘による戦死傷だけではなく、今までにない膨大な数の兵士に生じた戦闘神経症であった。[246] 5月末までに、アメリカ軍の戦闘によらない死傷者が、海兵隊で6,315名、陸軍で7,762名合計14,077名発生しているが、この内の多くが戦闘神経症による傷病兵であった[141]。そして、沖縄戦終結時点では26,211名に膨れ上がっていた[247]

症状としては、軽いものでは感覚麻痩を呈する者が多く、さらに運動麻痩や涕泣、無言、無表情といったものであったが、パニック障害、精神錯乱を起こすものもいた。中には大小便でズボンを汚したり、機関銃を乱射する等の異常行動もみられたという[248]。戦闘神経症患者はこれら症状により「生ける死者」とも呼ばれていた[249]

沖縄戦での戦闘神経症発生比率は7.8%と、ヨーロッパ戦線(1944年)の5.2%、太平洋戦線(1944年)の4.8%と比較してかなりの高率となっている[250]が、その理由としてアメリカ陸軍は「最大要因は日本軍の集中砲撃である、それはアメリカ軍が今まで経験したこともない物凄い量であった。この他には日本軍による狂信的で絶え間ない肉弾攻撃もあった」と分析している[251]

アメリカ軍は、戦闘神経症対策として多くの精神科医を沖縄に送り込み、大規模な野戦病院も準備したが、その野戦病院は常に3,000名〜4,000名の戦闘神経症患者が詰め込まれていた。[252]野戦病院の治療により、沖縄戦初期の5月8日までは68.2%の患者が原隊復帰を果たしているが、戦闘が激しくなるにつれて復帰率は下がり、末期の6月28日には非戦闘任務復帰者も含めて復帰率は38.2%に落ち込んでいる。[253]

復帰出来なかった兵士はグアム島かアメリカ本土に後送されたが、そこでも完治せず終戦後も症状に苦しんだ兵士も多かった。戦後に追跡調査できた患者の内で2,500名が「現実と分離したまま」の生活を送っていたという調査結果もある。[254]また未だに症状を訴える元兵士も存在している[
 

日本本土の人たちは、なぜ沖縄県が、声高に基地反対とか戦争反対とか叫ぶのか、よく理解できていないのではなかろうか。沖縄は地獄図のような地上戦を経験したのである。だから、沖縄のお年寄りの記憶からあの当時見たことが消えないのである。

アメリカ追従のお坊ちゃまが総理大臣をし、その軽はずみな妻が基地反対運動の現場を訪ねたりして、顰蹙を買っているが、知性と想像力の欠如しているのではないだろうか。

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週末。この冬は長い。いつもならこの時期には桜が満開のはずなのに、今年はまだ硬い蕾のままだ。ちょっと恨めしい気持ちで、小雨模様の空を眺める日が続いている。

娘と毎日電話で話しているが、新しい仕事に興奮している様子は感じられない。多分、かなりの重圧感を感じているのではないだろうか。 頑張れ。何でも経験だ。とあまり説得力のない言葉で励ます。

Hちゃんから電話。
「結婚の届をだしてきました。ジャッジがいいヒトでとってもいいセレモニーだったの。二人とも、なんか泣いちゃって」
「ホントにおめでとう」
「ありがとー」
Hちゃんの新しい出発にエールをおくる。

宮古島の母に電話。父は入院が必要らしい。今、すぐに悪くなるというような状況ではないらしいが、職場を引退することを決めてよかったと思う。これで、仕事の心配をせずに、自由に宮古島に里帰りすることができる。

私にとっても娘にとっても新な人生が始まる。いや、もう始まっている。

先週末の日曜日。本当に久しぶりに友人のHちゃんがやってきた。彼女と会うのは実に数年ぶりだけれど、殆ど会う事がなくても心が繋がっているといると感じられる友人である。私よりは4,5歳ほども年上なのに、絶対におばさんにならない珍しいヒトである。彼女は私のことをRさん、私はHちゃんと呼んで、私のほうが姉さんみたいである。
その彼女が 、珍しく電話してきて、
「ねえ、これからいっていい?」
「いいよー。待ってるー」
ということで、日曜日の晩、お寿司のパックと私の大好物のいくら持参でやってきた。
「昨晩、鶏鍋つくったからさー、残りのスープで雑炊作ったんだよー。キムチと一緒に食べよう」
と雑炊、キムチ、お寿司と結構豪華な夕食となった。
Hちゃんが来るときは、絶対何かある。人生に新しい展開があったのだ。顔が嬉しそうなので、きっといいニュースだ。
「私さー、結婚することになったんだー」
「おめでとー。 良かったねー。この前、お寿司屋さんであなたの彼に偶然会ってさー、そしたら、ニコニコして、あなたも元気だって聞いてたから、ああ、うまくいってるんだなー、とは思っていたけど」
「そーなの。この前、二人で日本に旅行したの。四国まで行ったの。息子もこの夏、結婚するの」
彼女が型破りなのは、この結婚が4度目で、今度の相手は30ほども年下のイケメン男性である。こんなこと書くと、 どんな魔性の女で美魔女かと想像するかもしれないが、彼女は化粧けのない元気な運動好きなナチュラルな女性である。外見はかなり若々しいが、それは内面が少女のようだからなのだ。
私は、
「なんか、今の幸せ夢みたいだねー。ほら、あなたの息子がまだ小さくて、あなたが必死で子育てしていたころを思うと。私もアメリカ来たばっかりで、下働きのコックとして働き始めて。二人とも生活するのに必死で。それから、職場を解雇されたことがあったじゃない。あんとき、ホント、辛そうだったよねー。」
「うん、私はさー、外国でホームレスになるんじゃないかって怯えて寝れない時代もあったもの」
「わかる。私もお金なくてどん底の時、これからどーなるんだろーって、家手放すしかないのかなーって思ったこともあったよ」
「うん。今、日本に観光旅行して、温泉楽しんだりして夢みたい」
「7年も一緒にすんでの結婚だから、彼の愛は本物だと思うよ」
「ありがとー」
この結婚は本当によかったと思う。年が離れているせいで彼女も いろいろ逡巡したこともあるだろうけれど、でも、さすがはHちゃん!と思う。
これまでいろいろな苦労があったが、その苦労は彼女のシミにはならなかった。むしろ、苦労してもっと優しいヒトになったというべきだろう。世帯やつれもせず、おばさんにもならず、いつもカワイイ女の子が彼女の中にはあった。それは、きっと大事に愛されてそだったからかなーとも思ったりした。

彼女のために下手な俳句を一句。

分別を跳んで越えたの春うらら

後で添削しなければ、なんか座りの悪い俳句である。 

土曜日。オットが久しぶりに土曜の友人たちとのブランチ会に出ようというので、いつもより早めに起きた。ブランチには友人たち4,5人がすでに集まっていて、賑やかに話し込んでいた。
「あらあら、久しぶりねー」
「そうねー。今日は頑張って早起きしたわ」
「DCの娘さん、どーしてる?」
「ああ、やっと、フルタイムの仕事が決まったらしい」
「まあ、それは良かったねー」
などと近況を報告し合う。ここに集まってくる友人たちは長い付き合いで、特に子育ての面でかなり頼りにしてきた。いろいろな悩ましいことが起こるたびに助けてくれたので、娘のことをよく知っていて、今、DCにいる娘のことも応援してくれている。
「Aちゃん(娘のこと)は、ほんと、すごいわー。この前、わたし、ハガキもらったよー。ヤヨイクサマの美術展を見てきたっていうポストカード。おかげでヤヨイクサマっていうアーティストのことを知ったわ。なんかー不思議なアートよね。今時、ハガキなんかもらうことないから特に嬉しかったわー」
「ホントにあの子は筆まめで、親からみてもコミュニケーションの達人だと思うよ。誰に似たのかしら。わたしもマークもずぼらなのにねー」
「彼女はあなたとマークのいいとこばっかりとったのねー。強いとこはあなたからよー」
と褒められる。子供が褒められるのは、自分が褒められるのよりウレシイ。これが親ばかというものだろう。
60代女性が中心のこの会はいつも賑やかだ。そして、思うのはおばさんはみな、お喋りだ!ということである。おばさんのストレスは、どーやらお喋りによって解消されるらしい。

娘の就職が決まって、私は心底ホッとした。娘はこれまで、友達や知り合いの伝手でパートタイムの仕事をしてDCでサバイバルしてきた。彼女も大変だったろうと思う。こちらのほうから金銭的な援助はしなかったし、娘も言い出さなかった。でも、とにかくホッとした。

夜、友人のAさん来る。オットと三人で鶏鍋。一羽丸ごと生姜と一緒に土鍋で煮て、 最後に野菜を入れて、ポン酢でいただくという、いたって簡単な料理だけれど、とても美味しい。寒い冬には尚更だ。

このところ、週末は随分と自堕落に過ごしている。オットも私も寝ることが大好きである。それで、土日は、夫婦揃ってお昼近くに起きだす。天気が良いと、遠出したり散歩に出たりするのだけれど、このところ天気が悪いので、家に籠って過ごしている。
そういう風に怠惰に過ごすと、いくら私でも罪悪感が起こる。
それと
「宮古島にかえったら、お昼近くまで寝ているなんてのは、許してもらえないだろーなー、とか母親からだらしない!怠け者!と罵られる のではないか」というような不安も起こってくる。今までは、私は仕事をさえしていれば、だれに文句を言われることもなかった。オットにも家事やなんかで文句を言われたことはない。喧嘩はいつもこちらから売っていた。
だから、オットは怖い相手ではない。だが、親はまだ怖い。60近くになっても怖い。文句を言われるのもいやだ。私と母親とは全く気質が違うので、対立することは避けられない。このところは私もかなり、いい加減な相槌をうったりするようになったけれど、基本、母親の話を面白いとは思わない。なんか、彼女と対立しないでうまくやっていく方法はないものか、と思案中である。

日本放送のテレフォン人生相談にでも電話して今井先生か加藤先生にでも聞いてみようかと思っている。 

娘から電話。やっと正規の就職が決まったようだ。来週から働き始めるらしい。大変そうな仕事だけれど、彼女にとっては大変に勉強になる場所のような気がする。何か、就職祝いを送ってあげようと思う。 

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