マディスン日々是好日

シアトルでの図書館勤務引退後、ウイスコンシン州マディスンに移住。現在、ケイタリング会社でCookとして働いています。宮古島出身の勤労中年おばさんの日記。愚痴、書評、映画評、料理、日々考えていることを本音で綴りたいと考えています。

店をたたんでから、もうすでに一年がすぎた。
このブログも古本屋としての看板を下ろすべきではないかと考えている。思うに、ネットで古本を商っていても古本屋とは呼べないような気がするのだ。理由はやはり、お客様との直接の接点を失ってしまったということだろう。
「店は劇場であった」と振り返って思う。特に本屋の場合、その要素が強いように思う。本屋ではお客同士が本を巡って話しが弾むこともよくあったし、わが店の場合、詩の朗読会などをしていたので、文学仲間の出会いというのもけっこうあった。本を媒介としての出会いがあり、そこでは小さなドラマが生まれた。
経営的にはいつも大変だったけど、楽しんで本屋をやっていた。そして、残したのは、5万ドル(約500万円)を越える借金となった。これは、多分、商売というよりは道楽といったほうがよかったのかもしれないが、まあ、終わった後も本は残り、そしてそれが、私たちを助けてくれている。
そして、この借金返済がようやく来月で終わる。終わる。終わる。!!!!
なんという、解放感であろうか。

なんだか、ちょっと涙がでてきた。よく頑張ったなーと自分を褒める。節約人間でない私が、なんとかやりくりをしてやって来た。オットもよく頑張ってくれたし、娘もグレないで奨学金をもらい大学に行ってくれた。
アリガトー!である。

これからもブログは続けるつもりでいるが、場所を変えて、名前を変えて続けようと思うが、未だ定かではない。


土曜日。
紅葉を求めて郊外の村へ。なんだか、このところ毎週、農村通いが続いている。野菜やりんごジュースなとを買う。国道沿いにある小さな店でハンバガーとシェイクで昼食をとる。オット、嬉しそうである。我が家ではコークとかは買う習慣がないので、コークやシェイクをいただけるのはこうやってアメリカの田舎に行ったときだけだ。アメリカの田舎出身のオットにとっては故郷の味であり、子供のころを想い出させる食べ物だ。私だって、たまに飲むコーラは美味しいと思うし、脂っこい食べ物にはよくマッチしていると思う。

久しぶりに宮古島の母に電話をする。
母、上機嫌。母は長年父の会社の経理をしていたが、もう80も近いのでついにリタイアしたらしい。もっと前に引退すべきだったのだろうが、夫婦二人で築き上げてきた商売だったので、諦めきれなかったのだ。今は私の弟が社長となっている。
「長い間、ご苦労様でした」
と切り出すと、
「40年も働いたから、いいんじゃないかー。H(私の弟)が2歳のとき、保育園に預けて働き始めたから」
「それで、今は何をしてるの?」
「書道を習いに行っているけど、これが大変でさー。漢詩とかって、今まで読んだこともないし、分からんさー、アッハー、なるほどねー、と思うことが沢山あってよー」
「それは良かったね。退屈してるんじゃないかと思ったけれど。」
「退屈する暇はないよ。あれこれ忙しい」
と言っていたので安心する。
私の母はある意味で女傑である。なにしろ、7人もの子供を産んで、7番目に始めての男の子が生まれると、跡取りを産んで責任を果たしたと思ったのか、弟を保育園に預けて簿記の学校に行き仕事に通い始めた。車の免許をとったのは60を超えていたのではなかったか?勝気で負けず嫌い、洋裁、和裁、なんでもこなし、綺麗好きで働き者である。こんな母に貶されながら育てられたものだから、私は母が得意なことには嫌悪感を持って育ち、縫い物などは苦手である。性格も几帳面な母とは違いルーズ。
まあ、いろいろあってかなり反抗的なこどもであったが、それでもやっぱり、母は大したものだと思う。母が潔く弟を保育所に預けたり子離れしやすい性質であったために、私たち姉妹弟は、結構、親から早くに自立することができたと思う。
母は、最後にお決まりの
「あんたもワイッツーと頑張りなさい。お金も無駄遣いしたらいかんよー」
と私に説教する。
ワイッツーというのは宮古島の言葉で忍耐とか辛抱とかの意味であるが、積極的な行動としての意味合いがある。
私は、「はいはい。ワイッツーと頑張るさー」
と言って電話を切った。

 

娘が生後6ヶ月のとき、東京からシアトルに移住してきたので、もうアメリカ暮らしが19年を越えた。シアトルはこれまでの人生で一番長く暮らしている町となる。
それなりに社交的な性格なので、友達もいるし淋しい暮らしはしていないが、日本の友人、知人たちとはだんだん縁が薄くなってゆく。ただ、知っていたヒト、付き合っていた友達がこの世から旅だってしまったのも知らず、後から何かの拍子に知って茫然とすることがある。それは外国暮らし故に起こるとても哀しく辛いことだ。

「どーして誰も知らせてくれなかったのかなー」
「どーして知らずにきてしまったのかなー」
という後悔とも恨みともつかぬ感情に支配されて、なんともやりきれぬ思いが付きまとう。このところ、そうしたことが続き落ちこんだ。

村井吉敬先生が今年の3月にお亡くなりになっていたことを知ったのは、つい最近、韓国系の学生と雑談したのがきっかけだった。先生のお連れ合いの内海愛子先生のことに話が及び、
「愛子先生はお元気かしら、お連れ合いの村井先生はどうしていらしゃるのかしら。もうリタイアされたかしら」
というふうに私が問いかけたのだった。新聞だって、一応毎日ネットの記事は目を通していいるのに、どういうわけか、先生が膵臓ガンで今年の3月にお亡くなりになったということを見落としていたのである。
村井先生とは知り合いというわけではない。村井先生は市民運動に積極的に関与されていた関係から、会合などで2,3度言葉を交わしたことがあるというだけだ。ただ、そのお人柄の清廉さが心に残っている。ずっと大学で教えられていたけれど、先生というよりは書生のような雰囲気をお持ちだった。
私が関わっていた、アジアのこどもたちに関係する会合で、先生が、
「ぼく、沖縄の石垣島に行ったことがありますよ。学生のときで、まあ気ままな放浪でしたが、島で銭湯に入ったんです。そしたら、男たちが、みな赤銅色の肌色をしていて、漁師なんでしょうか、精悍な感じで、僕だけが生シローくて、恥ずかしかったなー」
そう話されていたのを思い出す。先生は学生時代から先生になってもずーっとそうやってアジアを旅して回られた。いいホテルなんかマッタク泊まらずに、普通の暮らしをされている人々とせっしてこられた。
いつまでも育ちのいいお坊ちゃまという風貌を残されていたが、優しいお人柄のなかに確固とした志を抱き、信念に忠実な人生を送られたのではないだろうか。カソリックの堅信をされていたと聞くが、何を信じ何を思っておられたのか、聞いてみたい気がする。

先週は仕事が忙しかった。帰ると疲れてしまっていて、殆ど何もしないで就寝という感じだったけれど、土曜日は心気一転、活動的に動き回った。
日ごろ親しくしている友人が、このところいろいろあって消耗している様子なので、日本庭園の散歩に誘う。シアトルの南のほうに窪田ガーデンと呼ばれる日本庭園があると知ってはいたが、行った事はなかった。窪田さんという日系移民の方が作った日本庭園で、そこを今、シアトル市が買い上げて、市民に開放している。入場無料。
紅葉が始まってはいたが、もう少しまだ、本格的な紅葉というわけではなかったが、オット、私、友人Aと3人で公園を巡る。空気がひんやりとして、秋の匂いがする。1時間ほどの散策ののち、友人も一緒に我が家で夕食。ポークのピカタ、アスパラときのこのバター炒めを手早く作り、夕食を済ませた後、お茶を頂ながら、長い雑談。
その後、9時半から近くの映画館で 「ウォーバリンWolverine」をやっているというので、3人で見に行く。私、こういう映画はあんまり好みではないのだけれど、日本でロケをしたというのと主演のヒュー ジャックマンのことをなかなかいい俳優だと思っているので、見に行くことを提案した。まあ、けっこう楽しめました。しかし、日本の女優たちのあの着物の着方、あれ、なんというんですか、ドレス的着物の着こなしというんでしょうか。多分、ハリウッドの映画会社、監督の指示なんだろうね。まあ。だらしなく着物を着ているわけです。
映画を終えて、友人を家までおくると、深夜12時過ぎ。
目いっぱい遊んだ休日でした。131012_0004 (2)

 

日曜日。2週間ぶりに日曜ミサに出席。ミサに出席すると、なんとなく一週間キチンと生活しました、という気持ちになる。
オットの友達のランディが退院したらしいが、居所が知れない。ランディはホームレスみたいな暮らしをしているので、オットは心配して友人の間を聞きまわっている。ランディを援助している元退役将校のTomによると、
「車椅子に乗ってたけど、骸骨みたいにやせて、いくらか金をやったがね。どこに住んでいるのか訊ねたけど、はっきりとは答えなかった」
ということである。
「なんだか、ランディってハックベリーフィンみたいなんだよね。ああいう徹底して束縛を嫌う生き方、きっとアメリカだからできるような気がする」
「日本にだっているだろー」
「ちょっと違う。日本の場合ホームレスになっちゃうと世間とは切れるんだよ。切れる覚悟が必要なんだ。でも、ランディって結構友達いるじゃん。あんたとか、飲み仲間とか、Tomは定期的に援助しているみたいだし、あんただって小遣い渡してるでしょ。そういうふうに世間の堅気の衆と友達でいて、でも絶対仕事についたりしないで、みんな、あれがあいつの生き方だって認めてる。ハックベリーフィンもさー、どこかに所属するって気持ちが全くなかったでしょう。私、トムーソヤーを原文で読んだとき、一番好きな英語の本になった。あれにはアメリカらしさがいっぱいで、アメリカのヒトと広大な自然があって可能な生き方って気がする。放浪してて、暗さとか悲壮感がない」
「ランディがハックねー。でも納得するよ」
『来週、仕事が休みのとき、ランディの行くバーに行ってみたら。」
「うん、そーする」
まあ、傍から見たら、なんで私たち家族がランディをこんなにも気にするのかと思うだろーけど、ランディと私たち家族にはちょっと不思議な絆がある。別に同情しているわけではない。お互いに好きなのだ。いや、好かれているのが分かるのでほっとけないという気持ちなのだろう。ランディは不思議なほど柔和で綺麗な目をしている。
 

土曜日。ゆっくり起きてほうれん草のオムレツとウィンナーソーセージにベーグルで朝食。
土曜日ゆっくり朝食を取れるのはうれしい。
今日も天気がよいので、スノーホーミッシュ遠出することに決めた。スノーホーミシュはカスケード山脈の裾野に広がる農村地帯だ。私は農家で直に野菜や果物を買うことをとても楽しみにしている。
国道2号線を東へ。モンローを越えるともう一面の農村地帯。途中、農家の経営するマーケットでりんご一箱(24ドル)トウモロコシ7本で1ドル、それにトマト、きゅうり、玉葱などを買う。合計で30ドル未満。
それからSaltanという小さな街の図書館にはいり、
「このへんでどこか景色が良いピクニックポイントはありませんか」
と訊ねると、Wallace Fallを薦めてくれた。滝 めぐりのできるハイキングコースのある州立公園が近くにあるらしい。図書館というのはホントに便利なものです。
軽いハイキングならということで、往復約3マイルほど歩く。ハイキングの途中、膝が痛んだ。毎年、冬が近づくと神経痛のように昔、スキーで捻挫した膝が痛む。なんだか、自分がバアサンになったような気がして情けなかった。
帰りに”Flesh Eggs"という看板に惹かれて農家に入っていく。そこで卵を1ダース、ゲット。 信じられないほど、気さくで親切な農家の老夫婦。鶏小屋に入っていって卵をとってきてくれる。家にも招きいれてくれてた。やっぱり、田舎に行くとみんなとてつもなく親切なのである。シアトルではまず、そんなふうに見知らぬヒトを家に招きいれたりもてなしたりしない。
オットも私も感激してしまって、
「農家のヒトってホントに親切だねー。 おおらかで、アメリカのいいとこ、もう一つ発見っていう気分だよ」
「そーだねー。」
「IT業界とかには存在しない人種だね」
「そーかもしれないねー」
と会話する。
いい一日だった。
 

一週間ほど雨の日が続き、今日(金曜日)は快晴。
「おお、週末は天気がよさそうだ。週末はどこか行きたいなー。フェリーに乗ってキングストンまで行くか、それともパイクプレイスマーケットをぶらつくか」
いづれもあんまりお金をかけなくて楽しむこことができる。今週はちょっとだけ経済的に余裕がある。なぜなら、オットが先週は頑張って週6日働いてくれたから。本屋で3日、空港で3日、計54時間も働いてくれた。
来週から11月末のサンクスギビングまでは、また少し暇になるだろうから、オットは少しばかり休養が取れるだろう。しばらくネット販売に力を入れてもらおうと思う。

働いては一息つく、というような毎日であるが、遊ぶことを諦めたり我慢したりはしない。少しでも余裕があれば、ちょっと遠出したり美味しいものを食べたりする。実際、そういうことがないと人生楽しめないのではないかと思うのである。我慢しているうちに年とっちゃった、なんてのは大いに避けたい。出来ることはすぐにでもやるべきだ、楽しみはは先延ばしするなというのが、私の人生哲学である。

大学に勤務していると、大学の授業にタダででることができるという特典がある。勿論、いつでも気ままに授業に出ていいというわけではないが、私は年に数回ほどは特別な講演があったりしたときは出る。
今日はそれで、UCLAから来ている教授の講演会に出席。
何が言いたいのか殆ど分からなかった。英語が分からなかったというよりも彼の研究の意図するものが見えなかったと言ったほうが正しいだろう。それにいくつかの事実についての誤りもあったような気がするが、沢山のヒトのいる前で私のヘタな英語を披露するのには腰がひけて何も言わなかった。
対で会話するにはあんまり苦労はしないのだけれど、大勢のヒト、10人以上の人前で英語を話すのは、未だもって難儀している。仕方がない。

この頃、急激に冷えてきた。
YMCAのサウナにでも入って温まってから帰ろうと思う。

日曜日、激しい雨。
娘に頼まれたものをオリンピアまで持参。
ハウスメイトのロレーンを紹介してもらう。新しいアパートには、中古の家具が入り、居心地良さそうな2DKに女の子二人暮らし。
オットと私に昼食を作ってくれる。
「貧乏学生だから大したものつくれないけど、サラダとパスタでいい?」
「もちろん!こんなことしてくれるの始めてじゃない」
「そんな事ないよ。ところで、ソースはインスタントのものだけど、チーズを添える?チーズは、ブリーとゴーゲンゾーラとチェダーとスイスがあるけどどっちがいい?」
「エッツ、ちっとも貧乏学生なんかじゃないじゃん。うちではブリーだのゴーゲンゾーラだのってのはめったに買わないよ。ゼイタクー!!!」
「ロレーンも私も肉あんまり食べないけど、チーズは好きなんだよ」
とのたまう。
 「私だってチーズ好きだよ」
と言おうとしてやめた。娘には娘のプライオリティというものがあるんだろう。

ついつい自分の貧しかった東京での学生生活と比較してしまうが、娘が私よりは恵まれた環境にあるというのは、喜んでやるべきなのだろう。それに、彼女は仕事も見つけ、自分の力で生活しようと決意している。ありがたいことだ。
帰りの車の中で、オットに
「やっとネット販売が軌道にのってきたから、それから、不足分のあの子の学費、補ってあげよう。 本屋やっている間、支払いだけで精一杯でお金にはならなかったけれど、本が残った。それが今、助けてくれている。まあ、借金作るだけではなかったんだよ。これはあんたの財産だよ。」
 と言うと、オットは大きくうなずいた。

土曜日。一日雨。オットは大学の本屋で一日仕事。朝、8時半に家を出るオットをベットの中から見送った。
「弁当持った?」
「いや、サブウェイでサンドウイッチでも買うよ」
「あ、そ、頑張ってね」
「じゃ、Sweet Dreams」
「Thank you」
といって、11時まで寝た。雨音が心地よく響く。
午後からネット入力の仕事に集中し、30件ほど入力。
夕方、ビーフシチューをつくる。私のビーフシチューは、NHKの「今日の料理」にのっていたレシピ。古いレシピだが、一応、市販のルーは使わない。玉ねぎをよく炒めて、野菜と小麦粉をまぶした大きなダイズ型の牛肉を土鍋で煮る。味付けは塩とニンニクとトマトソース。私は殆どのシチューやカレーなどは、鉄のフライパンで炒めたあと土鍋に移してコトコト煮る。
7時にオッとが帰ってきて、ゆっくりと夕食。
一雨ごとに冬が近づいてくる。
 

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