店をたたんでから、もうすでに一年がすぎた。
このブログも古本屋としての看板を下ろすべきではないかと考えている。思うに、ネットで古本を商っていても古本屋とは呼べないような気がするのだ。理由はやはり、お客様との直接の接点を失ってしまったということだろう。
「店は劇場であった」と振り返って思う。特に本屋の場合、その要素が強いように思う。本屋ではお客同士が本を巡って話しが弾むこともよくあったし、わが店の場合、詩の朗読会などをしていたので、文学仲間の出会いというのもけっこうあった。本を媒介としての出会いがあり、そこでは小さなドラマが生まれた。
経営的にはいつも大変だったけど、楽しんで本屋をやっていた。そして、残したのは、5万ドル(約500万円)を越える借金となった。これは、多分、商売というよりは道楽といったほうがよかったのかもしれないが、まあ、終わった後も本は残り、そしてそれが、私たちを助けてくれている。
そして、この借金返済がようやく来月で終わる。終わる。終わる。!!!!
なんという、解放感であろうか。
なんだか、ちょっと涙がでてきた。よく頑張ったなーと自分を褒める。節約人間でない私が、なんとかやりくりをしてやって来た。オットもよく頑張ってくれたし、娘もグレないで奨学金をもらい大学に行ってくれた。
アリガトー!である。
これからもブログは続けるつもりでいるが、場所を変えて、名前を変えて続けようと思うが、未だ定かではない。
このブログも古本屋としての看板を下ろすべきではないかと考えている。思うに、ネットで古本を商っていても古本屋とは呼べないような気がするのだ。理由はやはり、お客様との直接の接点を失ってしまったということだろう。
「店は劇場であった」と振り返って思う。特に本屋の場合、その要素が強いように思う。本屋ではお客同士が本を巡って話しが弾むこともよくあったし、わが店の場合、詩の朗読会などをしていたので、文学仲間の出会いというのもけっこうあった。本を媒介としての出会いがあり、そこでは小さなドラマが生まれた。
経営的にはいつも大変だったけど、楽しんで本屋をやっていた。そして、残したのは、5万ドル(約500万円)を越える借金となった。これは、多分、商売というよりは道楽といったほうがよかったのかもしれないが、まあ、終わった後も本は残り、そしてそれが、私たちを助けてくれている。
そして、この借金返済がようやく来月で終わる。終わる。終わる。!!!!
なんという、解放感であろうか。
なんだか、ちょっと涙がでてきた。よく頑張ったなーと自分を褒める。節約人間でない私が、なんとかやりくりをしてやって来た。オットもよく頑張ってくれたし、娘もグレないで奨学金をもらい大学に行ってくれた。
アリガトー!である。
これからもブログは続けるつもりでいるが、場所を変えて、名前を変えて続けようと思うが、未だ定かではない。