2010年02月15日

「早春」と「春浅し」の違いはなに?

まだまだ冬のような寒さが続いている。

立春後しばらくの間、寒さのもっとも厳しい頃は「早春」。この季語は、明治後期に成立したものなのだとか。

「早春」とほぼ同じ意味の季語に「春浅し」があるが、これも明治時代に成立した新しいものらしい。

ここで、季語の成立とはなんだ? という問いにぶつかる方もいらっしゃるだろう。

季語は、季節感のある言葉というだけでは足りず、これぞという一句が誰かの手によって生み出され、周知されると成立する、というのが一般的に言われてきたことだ。

たとえば、夏の「万緑」。見渡す限りの緑と生命力を表す季語だが、歴史はかなり浅く、中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」という句によって昭和に成立したとされる。

では「早春」「春浅し」はどんな句が生まれたことによって成立したのか。

私が季語研究のためにまず当たることにしているのが山本健吉の『基本季語五〇〇選』(1986年刊行)。

その中には「早春」は項目として立てられておらず、「春浅し」のみが掲載されている。

さっそく見てみると「子規派で初めて季語として立てられたのだろう」という見解が書いてある。

続いて、河東碧梧桐の「春浅き水を渉るや鷺一つ」などいくつかの句が紹介されているが、「当時として新しい感覚を持った写生句だった」と言うに留まり、何か決まった句が「春浅し」を成立させたとは明言されていない。

季節の言葉として一門でまとめて句を発表していくことにより、その後、季語として人々が使うに至った、という成立の仕方だったのだろう。

その後も幾人もの手によって数々の名句が生まれている。なかでも私が好きなのが次の句。

春浅し空また月をそだてそめ 久保田万太郎

言葉は生き物。なかでも俳句の中で約束として使う「季語」は、“言霊”と言われるまでに強い生命力を放ち、特別な意味を持つ。数々の作り手によって言葉が命を宿し、成長していくのだろう。

私達が俳句を作るということは、「季語」に新しく力を与えていく行為でもあるということだ。

『基本季語五〇〇選』の「春浅し」の説明文の最後に、「早春、初春とほぼ同じ時期を表すが、『浅し』と言ったところに特殊な感情が籠る」とあった。

なるほど、「早春」は単に時期を表す言葉で、「春浅し」は意味のこもった言葉ということか。健吉は最後に答えを用意してくれていた。

明日も寒いらしい。春浅し。


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