2011年10月10日

気づけば1年以上更新していない・・・


1年というのはとてもあっという間ですね。

色々思うところがあって更新してませんでしたが、今後は

「斉藤喜博先生の言葉を引用しながら教育について考えようかな」

と思います。



手塚治虫氏の漫画ブラックジャックで

「人間が生き物の生死を自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」

というような言葉がありましたが、

「人間が人を自由に教育しようなんてなんとおこがましいことか」

と思う最近です。



newhigenopopo at 22:18|PermalinkComments(0)clip!斎藤喜博先生 

2010年08月22日

学校の先生批判は理解できるが、納得いかない


甲子園が終わりました。

高校生の時は
「何が面白いんだ。プロ野球のほうがいい」
と思っていましたが、
社会人になってからというもの、見方が変わりました。
あの1球、あのワンプレイによる一喜一憂。
最後までどう転がるかわからない。
そして、負けたらそこで終わり。
見過ごしたらその瞬間を見ることが出来ない。
その勝敗を分ける瞬間を見たとき、
そのときのうれしさ、悲しさを考えると、
うるっときてしまいます。
だから、今はプロ野球もいいが、甲子園はもっといいと感じています。


さて、わけのわからないタイトルですが、

たまたまネットサーフィンをしていたら、

塾の先生が学校の先生を批判しているサイトを見てしまいました。

ためしに、同様のサイトを検索してみたら、

「学校よりも塾のほうがわかりやすい」
「塾のほうが学力を上げてくれる」

など、結構こういった意見はあるようです。


私も大学の4年間で塾の講師のバイトをしていましたので、

学校の先生に対して思うことはありました。

そのときに、たまに進度が遅かったり、子どもに計算力がないと、

「おいおい、頼むよ、学校の先生」

と思うことはしばしばでした。

小学校よりも中学校のほうが「?」と思うことが多かった気がします。

そして、

「俺は、教師になったら進度も遅れず、子どもに学力をつけられるようにするぞ」

と意気込んだものです。


しかし教師になって、

「学校は学力だけ育てるのではない」

ということを勉強させられました。


それに気づいていなかった自分は先輩の先生からよく

「学校は塾じゃないからな」

と言われていました。

このことについてはまた後ほど触れます。



さて、確かに塾の先生のほうが学校の先生よりも

「学力」

をあげられるでしょう。

プロの塾講師は、だいたいの学校の先生よりも

学力につながる知識として

たくさんのことを知っていたりします。

悔しいですが、これは疑いもありませんし、

だからこそ、学校の先生批判が出るのでしょう。


そもそも教員養成課程の大学では

「細かい知識」

は習いません。

「特定単元の指導案の書き方」や「一般的なその教科の教育論」

は習いますが、

全ての学年のものをやるわけではありません。

実践的なものは習いません。

指導案を書くときには、その分野について深く知らないとかけませんから、

とても勉強したり教材研究してから書きますが、

おそらく4年間で多くて書いても1つの教科で5つの単元くらいでしょう。

下手したら教科によっては1単元です。

6年間のことを考えたらほんのわずかです。

教育実習も長くて4週間ですから、

単元も各教科で1つを教えるくらいです。

大学によっては3年生から教科に分かれて「ゼミ」がありますから、

そこでは、その教科について深く勉強できますが、

他の教科はそこまで深く勉強しません。

専門の教科以外は現場に行ってからそれぞれ勉強するしかないのです。

教員採用試験ではどうでしょうか。

ここでは各教科の知識を問う問題が含まれます。

小学校の先生はそれぞれの教科の中学校卒業程度、

中学校の先生は高校卒業程度の知識が必要です。

しかしそれは、「系統的なもの」ではないので、

あまり現場では生かされませんし、

プロの塾の講師の知識量に比べると、わずかなものです。



けれど、だからと言って、

塾の先生が学校の先生を批判することは納得いきません。

どんなにその先生が良くないといってもです。

1つの理由は、「学校は全国にあるから」です。

その意見を読んだ人は

「じゃぁいまの学校の先生は信用できないのね」

と思ってしまいます。

「学校の先生」とひとくくりにします。

地域に関わらず、全国どこにいてもです。

学校の先生は100万人います。そういった批判を受ける先生は

一体何%でしょうか。1%でも1万人いますから、批判にあうような

「ひどい先生」は0.何%の世界ではないでしょうか。

(いること自体が問題と言われればそうですが・・・)

いくら、その塾の先生が「ほとんどの先生はしっかりやってくださっている」

と言ったとしても、意味のないことです。

塾の先生はどうでしょう。

塾はたくさんの会社があります。

その塾の先生が批判を受けても、地域が違っていれば

「うちには関係ない」ですみます。


2つ目の理由は「学校は学力だけではない」ということです。

ようは、「学校は塾ではない」ということです。

勉強だけ教えていればいいわけではありません。

受験のテクニックを教えているだけでいいだけではありません。

高校受験にしても、塾はそれに向けて子どもたちが同じ目標をもてますが、

学校には様々な子がいます。

それに、取り巻く環境が変わって、今の中学校は「学級」という意識が

うすいようで、それよりも「居心地のいい学級を越えた友達関係」

が大事なようです。

この中で「同じ目標を!!」と言っても難しいのではないでしょうか。





そもそもこういう批判が出るのは

「塾と学校のどちらが大事か」

ということがはっきりしていないからいけません。

「学校の教育」と「塾の教育」の違いをみましょう。



学校は

「学んだものを全て忘れてしまったとしてもなお残っているものがある」

という教育の役割を持っているのではないでしょうか。

少なくとも私は今の勤め先ではそれを学びましたし、

今の自分はそれが信念です。

では塾はどうでしょうか・・・。考えてみてください。





学校の先生が学力をつけてくれないという批判の気持ちもわかりますが、

こういった学校の教育の役割や、学校の先生の現状をふまえて、

それでも、批判するなら、改善するために、行動を起こしてください。

それが本当の「子どものため」でしょう。

ちなみに私はまだ「信じられないほど良くない先生」にお目にかかっったことがありません。

もしかしたら、実は自分が・・・?

またえらそうに語ってしまいました・・・。

批判してください・・・。




「算数」でも

「学んだものを全て忘れてしまったとしてもなお残っているものがある」

ようにすることが学校教育の役割です。

それについてはまた後日・・・

newhigenopopo at 22:10|PermalinkComments(4)clip!真面目な教育論 

2010年08月16日

これからの「正義」の話をしよう


1ヶ月前あたりから読んでいた
「これからの『正義』の話をしよう」
をやっと読破しました。

4月頃に本屋で山積みになっていたのは知っていまして、
興味は持っていたのですが、
読もうかどうかそのときは悩みましたが、
難しそうで買うのをやめたのです。

読んでみようと思ったきっかけが何だったかは忘れましたが、

「NHKで講義の場面をやっていたなら見ればよかった」

と思いました。

実際に呼んでみると、専門用語も多く、何回か読み直さないと
よくわからないことも多かったですし、翻訳独特の言い回しもあって
読むスピードはかなり遅かったですが、
「具体例」
が多く、著者が何をいいたいかはなんとなくわかりました。

そして、「道徳」ということについて深く考えさせられました。

内容としては
「道徳的ジレンマ」
が生じた場合に『どちらを選ぶことが正義であったのか』ということを
考えることや、また、人間はなぜそう考えるかということなどが多く出てきます。
そういった道徳的なジレンマを判断する上で3つの考え方があるということですが、その3つとは簡単に言うと

1、「正義」は最大多数の最大幸福を意味する
2、「正義」は選択の自由を意味する
     (自由の意味は説明すると長いので、本書を読んでください)
3、「正義」には美徳を涵養することと共通善について判断することが含まれる


ということです。ちなみに筆者は「1」「2」の考えを批判しています。
おそらく1と2の考えの批判が本書のメイン的なところでしょう。


身近な問題から入り、最終的にはそういったものを判断する「社会(共同体)」の役割・問題というテーマにまで至ります。
その中で「公正な社会」ということにも言及していて最終的には

「道徳に関与する政治は、回避する政治よりも希望に満ち足りそうであるだけではない。公正な社会の実現をより確実にする基盤でもあるのだ」(本書345ページより引用)

としめくくっています。

詳しくは、読んでみてください。


さて、学校にも「道徳」という授業があります。

この本を読んで

「公教育での道徳教育の役割はなんだ?」

ということについて考えさせられました。

道徳の授業では
道徳的ジレンマについて話し合う場が
設定されていますが、
「話し合う」ことについて、
おそらく、筆者の意見では、それは悪くないことではないかなと思います。

例えば「道徳ジレンマ」の問題の中では、最終的にどちらが正しいか
オープンエンドになっているケースもあるでしょう。
意見を言わせた上で、最終的な判断は子どもにゆだねる、という感じです。

そのように道徳的不一致の場面はあるのだから
問題に「向き合う」ことが「正義」にふくまれる、ということでしょうか。



さて、もしそこに、対等な対場ではない
「教師」
が介入してきたら
それは「正義」になりえるのでしょうか。

特に小学校では、教師と子どもとの間に信頼関係があれば、
それと同時に少なからず
「上下関係」
のようなものが存在しているはずです。
(教師と子どもの間に信頼関係があれば)
つまり、
「先生の意見は友達の意見よりも影響力がある」
という状態です。

その中で例えば、
「最大多数の最大幸福」
を前提にしてものごとを考えることを教師は言っていいのか悪いのか。
「人に迷惑をかけないようにしなさい」
という「善」の考えを教師(私も)は言うかもしれないが、
それはいいのか悪いのか。
それとも、そういったものに対して常に「批判的精神」を持つように
指導していくのか・・・

本書を読んだことでたくさんの新たな疑問が出てきたと同時に、
我々教師がどう「道徳」の授業を進めることが「正義」なのか、という疑問を
非常に感じてしまいました。



・・・たぶん、一生、答えは出ないでしょうな。


newhigenopopo at 19:29|PermalinkComments(0)clip!日常 | 真面目な教育論

2010年08月03日

算数の基礎・基本は何なのでしょう?(1)


「算数の基礎・基本は何ですか?」
と聞かれたらなんと答えるでしょうか。

とあるサイトにこう書いてありました。

「計算力」は算数の基礎中の基礎です。計算なくしてはどの問題も解くことはできませんね。


でも、本当にそうでしょうか。
最近色々な本(陰山先生の本も)を読んでいて、疑問に思うのです。

そもそも「基本」とはyahoo!の辞書によると

「基本」:判断・行動・方法などのよりどころとなる大もと。基礎。

とあります。
「基礎」は「基本」の意味の中に出てきているので、同意なのでしょう。
省略します。


算数の「大もと」は計算でしょうか?

私はそう思いません。



そもそも、日本での算数科の目標は

「算数的活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的な知識及び技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数的活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活や学習に活用しようとする態度を育てる。」

とあり、「計算力を身につけること」とは一言も書いていないのです。

確かに指導要領の各学年の「内容」で細かいところを見れば
「計算を確実にできるようにする」
などと書いてあります。

しかし、算数の大もとは、計算ではありません。

計算はあくまでも「手段」です。
極論を言うと、計算を知らなくても
言葉と数字の数え方を知っていれば、問題解決できます。
ただ、短時間で問題解決するためには「計算」が必要、というだけです。

計算がおおもとであったら、
その上にあるものは何でしょうか。
「計算」以外何もありません。

もし計算が基本であったならば、
計算が出来れば、文章題・図形問題も解けるということになります。

実際はそうではありませんよね。

それに、算数の楽しさは「計算」ではありませんし、
「計算が出来ることによって文章題や図形の問題が解けること」
でもありません。

算数の本当の楽しさは
「自ら目の前の問題を試行錯誤して考えて、解決すること」
であり、学習指導要領の目標にもつながっていると思います。
日常は「問題」だらけですから。




・・・





では算数の「基礎・基本」とは何でしょうか。

実は私の中では答えは出ていません。

ただ、花まる学習会の「高濱先生」やどんぐり倶楽部の「糸山先生」
のどちらの著書にもちょくちょく出てくる
「イメージ力」
が1つにあると思います。
でも、それだけではないと思いますし、抽象的過ぎます。

実は今、そこが一番悩んでいるところなのです。




計算が大事ではないと言っているわけではありません。
「数学」という視点で見れば、計算力は必要です。
しかし計算力をつけるのは高学年からでも十分に間に合うのではないでしょうか。
「考える力」は10歳あたりまでにしか伸ばせないと思います。


※※
問題なのは
「計算力」
を基礎・基本として、
そこからやる気を持たせたり、
達成感を持たせたり、学習に集中させたりというレベルの
今の日本の実態だと思います。

けれど、
「文章題」

「パズル」
などを使って、大人も少し辛抱強くなれば
もっと良い方向に行くのではないかと思うのですが・・・。




まだまだ書きたいことがありますが、この辺で。





newhigenopopo at 22:14|PermalinkComments(0)clip!算数 | 真面目な教育論

2010年07月18日

今年度から担任です・・・


やっと1学期が終わりました。
実は、今年度から担任です。
担任になってみると、

「責任感」

これが、一番違います。
自分の指導1つで子どもたちが動く。
もし、間違ってしまったら・・・・・という「不安」。
自分が思ったとおりに出来る・・・・という「わくわく感」。
色々な気持ちが織り交ざっていました。

子どもたちは毎日トラブルを起こしますが、
「それは子どもの成長につながる」
と思えば、冷静に対処できますね。

しかし、壁はいっぱいありそうです・・・。

ところで担任になったら絶対やってみたいことがありました。

それは・・・
「どんぐり倶楽部の文章題」!!

何よりこれができるようになったことがうれしかったですね。

週に1回ぐらいのペースで宿題に出しています。

どうやら子どもたちは
「答えを早く出す」
という意識が強いようで、普通の文章題でも図をかかせているのですが、
式を書いてから図をかいている子が思ったよりいるのです。

これでは
「視て考える」
ことにつながらないではないですか!!

まぁ教科書程度ならまだ頭の中で想像できてしまう部分もあるのでしょうが・・・。

でもだからこそ、どんぐり倶楽部の文章題を考えていくことで

「絵を描いたほうがわかりやすい」

という意識を植え付けて、少しずつ

「絵をわかりやすく変えててみる」

とか少しずつ工夫するということができるようになればいいかなぁ・・・

なんて思っています。


そして、自分の今後の夢としては
「どんぐり倶楽部の文章題をやることで結果を出して、
学校中にその効果を示したい」
ということです。

誤解されたくないのですが、どんぐり倶楽部を
そのまま信仰してやっていこうとは思っていません。

はっきりいうと、リスクがでかすぎます。

例えば、ご家庭のご協力がないと意味がありませんし、
家庭環境によっては難しいこともあるのです。
それを無理やり・・・というほど
どんぐり倶楽部を信用しきっていない自分もいます。
いや、どんぐり倶楽部の考えをそのまま子どもたちに
伝えていく自信がないのかもしれません。

今の考えは、

どんぐり倶楽部の考えを基盤にして、
実際の目の前の子どもたちを見ながら
柔軟に対応していこうということです。

実際にどんぐり倶楽部の文章題をやらせていて、気づいたことは
たくさんあります。

それはまたの機会にしたいと思いますが、
学校現場で使うには、やり方の工夫が必要だと感じました。


先日、来年度からの教科書を見たのですが、少しうれしくなりました。
1年生の教科書を今のものと来年度からのものを見比べてください。
「絵を描いて考えましょう」
など、絵や図をかいて考えることが
今までよりもたくさん盛り込まれているのです。

「これなら教科書を使いやすい」

そう思いました。



それにしても、最近斉藤喜博先生の本を読めていない・・・
夏休み中に読みたいなぁ・・・


久々に書いたので、思いつくままかいてしまい、
ぜんぜんまとまっていないわかりにくい文章ですが、
読んでいただいた方、ありがとうございました。

あぁ・・また誤解を生むかも・・・。

2010年01月01日

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。


さて、最近ホームページも見ていない状態でしたが、
たまたま見た時に
先日掲示板でこのブログ・HPに関しての批判意見がありました。

確かに受け止めなければいけない部分はありました。
昔、同じような意見が昔あったので、
タイトルなども変えました。
これからも改定していく予定です。

けれど、どんぐり倶楽部の信奉者であることを
「偏った考え」
とされたのは、私自身は疑問です。
そしたら全ての先生は「偏った考え」になると思うからです。

屁理屈に聞こえるかもしれませんが、
もしどんぐり倶楽部が偏った考えならば
100マス計算も偏った考えですし、
教師用教科書に書かれていることさえも偏った考えです。
日本の教育システムそのものも偏ったものです。
なぜなら世界共通ではないからです。

たくさん考えがある中で、時代に合い、文化に合い、
さらに子どもと対峙し、何がベストかを考えるのが教師ではないでしょうか。
そして私は過去から今までの経験から考えると、
どんぐり倶楽部が合っているのではないか、ということです。
(さまざまな事情の家庭がありますから、全ての子どもに合っているとは限りませんが)

ちなみに、どんぐり倶楽部の考えだけでなく、
花まる学習会の考えもふまえてます。

確かに今一般的に広まっている考えからすれば
どんぐり倶楽部の考えではないかもしれません。
(ただ最近は雑誌などを読むとそうでもないかも?)
だからこそ「偏った」とされたのでしょう。



でも、なぜ私がどんぐり倶楽部の糸山先生の考えをおすのか
自分自身のためにも新しい年が始まる今日、整理したいと思います。
(過去の日記すべてを読めばわかると思うのですがそれも面倒でしょう)




私は大学1年生から個別指導塾でアルバイトをさせていただいていました。
毎年小学生の主に中学受験生の算数・理科を指導していました。

2年間中学受験生を見ていて、大学3年生の時、
算数の授業をしながら、算数が苦手な子のある共通点に気付いたのです。

それは、

「これどういうやり方?」
「これは何算?」
「これたすのかな、かけるのかな。先生、どっち?」

など、自分で考えず文章題の数字をやみくもに計算してみたり、
すぐやり方を聞いてパターン化してしまおうとしてみたりする子が多いのです。
計算は出来るのですが、文章題になると全くだめ。
初めは国語力かな、とも思いました。

けれど何かピンとこないのです。

この解決策を求めてネットサーフィンをしている時であったか、
たまたま「どんぐり倶楽部」を見つけたのです。
これを見た時は驚きでした。
まさに、今の小学生、特に中学受験をめざしている子に
必要な考えだと思いました。
根拠も科学的に基づいているのです。

さらに他にも似たような考えをされ実践されている人が
たくさんいることも知りました。

それから数年たって小学校教師になった今に至りますが、
やはり糸山先生のおっしゃる「危険な子ども」
が特に塾に通っていて、真ん中以下のクラスにいるような子に多いのです。
おそらく、成績をあげなければいけないプレッシャーに押しつぶされて、
何でもいいからできるようにならなければ、という考えがあるのでしょう。
とにかく覚えようとだけするのです。

果たしてこんなに自分で考えずパターン化した、マニュアル化した
状態で大人になって、「生きる力」があると言えるのか・・・。


ということで、私はどんぐり倶楽部の考えが
今一番時代に合っているのではないかと考えます。

ただ先ほども少し書きましたが、
色々な家庭・子どもがいます。
100マス計算によって、いい傾向になった子どももいるでしょう。
なので、全ての家庭がどんぐり倶楽部の考えでうまくいくかはわかりません。

それでもどんぐり倶楽部の考えが受験社会のこの世の中には
絶対必要だと思うのです。
まだまだ実践には至っていない状況で、
小学校に生かせるいい教材を開発したいなと、思ったりなんかしていますが、
それにはもう少し時間がかかりそうです。
他にもどんぐり倶楽部を実践されている方はたくさんいらっしゃいますし、
ブログも増えてきています。
ぜひそちらをご参考ください。
日本ブログ村の教育ブログの中で検索すると4つくらいあります。


最後に、どんぐり倶楽部を「偏った」とされる方、
「そう考える根拠」をはっきりさせるなど
(こういう失敗があったからよくない、など)
反対意見はどんどん言ってくださって構いません。

おそらくお互いにプラスになるはずです。

中途半端な感じかもしれませんが、
それでは
今年もよろしくお願いいたします。


2008年11月24日

算数の授業は難しい


今年から、理科に加えて、
5年生の算数も受け持っているのだが、

「やりづらい」

のである。

何が難しいかというと、
勤めている学校の子どもたちは
塾に通っている子が多い反面、
学校も塾もどちらの勉強も消化しきれていない子が
少なくない。

だから、「適切なレベルの課題」を考えるのに一苦労する。

日々、失敗の連続である。

レベルに差がある中で、どのように授業を進めればいいのか・・・。

基本的なところをやっても、3分の1の子どもたちはつまらないし、
少し難しくなっても、まだ3分の1の子どもたちはつまらないし、
だからと言って、難しい課題にするとやはり3分の1の児童は参加できない。

「結構むずかしめの問題をヒントを与えて段階的に」

というのがベストと言えるだろう。

ただ、そうやって、日々失敗しながらも
子供たちから出てくる意見をもとにして
次の授業を考えていると、
授業が待ち遠しくなってくる。

「こうしたらどのような反応があるだろう」

「こういったらうまくいくけど、こういってしまった場合は・・・」

と考えると、楽しい。

・・・が、それもつかの間。

だいたい期待していた方向性とは違った方向に行ったりする。


目指したいのは

「みんなで考えて、参考書や教科書以上の
『整理の仕方』『わかりやすい説明』
を見つけ出す」

という算数の授業。

つまりは
「塾で習った考え方に束縛されるな!!もっといい方法があるはずだ」
ということを子供たちに伝えたいのだ。

工夫・改善のしようはいくらでもある。


そういったことを教師も考えるが、子どもたちも考える。
そんな授業をしていきたいが、まだまだしっくりこない。

先は長いな・・・



newhigenopopo at 20:10|PermalinkComments(2)clip!算数 | 小学校

2008年11月17日

7か月ぶりの投稿とタイトル変更の理由


しばらく更新していなかった。
いや、できなかったというべきか。

ブログを書くときは
「書きたい」
という気持ちを強く持った時に書いているわけであるが、
その気持ちを今日まで持てなかったのだ。

その理由を考えても、よくわからない。
段々日々が「惰性」になっていたからだろうか
人間関係の問題であろうか。
何かうまくいかないことに対する気持ちがあったからだろうか。

少なくとも、何か納得できないものがあったからだろうとは思う。



そんなとき、転機が訪れた。


夏にお墓参りも兼ねて、父方の祖母の家へ行った。
祖父はもう亡くなっている。

祖母も祖父も元小学校の校長先生であり、
ふと「もう読まないから」と、
川島浩さん(文:斎藤喜博)の「未来誕生」という大きな本を渡してくれた。

そのとき、この本について祖母が話している時の顔が印象的であった。
この本が、また、この本の写真家、そして斎藤喜博先生がどれだけ
その当時、カリスマ的な存在であったか、非常に伝わってきた。

これが斎藤喜博先生の本との出会いであった。

それ以来、斎藤喜博先生の本を読みあさっている。
すでに絶版の全集も、古本屋などで集めて、読んでいる。


一言で言うと、
「目から鱗」
である。


読んでいるうちにそれまで自分の中にあった「もやもや」
が晴れた気がした。


これだ。
おれが目指す教師の生活は、これしかない。

時代も

場所も

違うことは分かっている。

でも、自分を変えるため、そして子供を変えるためには、
毎日の授業で勝負していかなければいけない。

例え1人であっても、事実に基づいて実践していけばよいのだ。



・・・そんな気持ちを持った。

2学期に入って、
職員室での人間関係、子供との人間関係
に悩み、精神的にも不安定であったが、

斎藤喜博全集を読み進めるうちに、
安定してきた気がする。
ブログを書こうと思えたのもその証拠の1つである。

でも問題が解決したわけではない。

ここからはいかにして
「島小」の先生方のようになっていけるかである。

目指す道はきまった。
したがって、タイトルも変更しようと思ったわけだ。

一生かかっても無理かもしれないが、
子供を、そして自分をどこまで高められるかやってみたい。


「いってきかせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」
とにかく子供と多く関わろう。
一緒に多くの仕事をしよう。
そこからまた子供から多くのことを学ぶだろう。
その上で自分がどうしなければいけないか見えてくるだろう。


そして、職員室の中では裏方に徹しよう。
表の仕事は誰でもできる。
誰にも気づかれなくても、
そういったことがきっと、何かにつながるだろうから。


この考え、間違ってますかね?

newhigenopopo at 22:45|PermalinkComments(0)clip!小学校 | 真面目な教育論

2008年03月16日

「自分で判断」が大事な環境問題


おそらく、どの小学校でも
科目に関わらず
1回は扱ったことがあるでしょう

「環境問題」

地球温暖化については、
1月にブログの記事にしましたが、
この、学年末でテストも成績付けも
全て終わってしまった時期に
もっと、視野を広げるために
5年生の子どもたちに考えさせた。

目標と言うか、ねらいは

”縮未世院見ただけ、テレビで聞いただけの情報から
 安易に流されていかないようにする

⊃А垢幣霾鵑ある中で、
 どう対策していくのか、どう考えていくのか、
 “自分で”判断できるようにする

という2つ。
20個ほどの環境問題について用意していって、
授業の中で子どもたちの反応や
会話の流れから、その20個の中から選択していきました。

先日の授業では、
「日本は世界を見習うべきか」
というところから、
「風力発電」
について考えていった。

「日本は世界を見習うべきか」
については、論議しあったけれど、
結局半々といった感じで、
その議論の中で、オランダの風車から、風力発電についての
話が子どもから出たので、

「じゃぁ、このプリントの阿痢◆愽力発電はもっと増やすべきか』について
考えていこう」

となった。
風力発電は増やすべきと答えた人は7割くらいいて、
3割くらいは減らすべきとか、どちらとも言えないという意見であった。



「日本には土地が少ないので風力発電にあっていない。」
「風力発電は効率が悪いのでだめ」
「風力発電は二酸化炭素を出さないのでよい。」
「でも、作るときに色々とお金がかかったり二酸化炭素を出すことがあるのではないか」
「いや、何年かやっているうちに元は取れるでしょう」
「原子力をやっていたほうが二酸化炭素を出さないし、効率がいい」
「いや、怖い事故があったから、原子力はだめだ」


事実を知らない割にはかなり深い論議になったように感じました。
ある程度落ち着いたところで、こちらからいくつかの事実を出しました。


『風力発電は原子力発電1基の1000分の1の発電量。』
『風力発電の寿命は15,6年で、作るときにだす二酸化炭素などを考えると効率が悪い。』
『風がないときに発電できない』
『バードストライク現象が起こる』


「ほらー」とか「鳥がもう少し賢ければいいのに」とか、
色々な声が上がりましたが、
最後にある子どもから。

「どの発電にも長所短所があるから、風力発電を増やすべきか減らすべきかは
きめられない」


うーん、確かにそうなんだけどね。

あと1回の授業でどのようにしていこうか、ただいま思案中です。



それにしてもやはり、いわゆる
「知ったか」
が多いですね。

でも、

「先生が今言ったこともある本からとったけど、
これも正しいかどうかわからない。」
「自分たちで調べるしかないんだよ」

といっています。

だからこそ、学校ではだまされないように
勉強しているんだということです。

暗記だけではだめ!!


こういう授業はやりがいがありますね。



newhigenopopo at 18:57|PermalinkComments(0)clip!理科 | 小学校

2008年02月10日

かなり久しぶりに休み!!


ぅわーい!!

雪が降ったぞ!!積もったぞ!!

と思ったのもつかの間。

もう昨晩積もった雪は
すでにほとんどとけてしまいました。

なぜ雪が降ると、
かくもうれしくなるものなのだろうか。

つくづくわれながら
「子どもっぽいな」と思ってしまう。

おそらく雪国の人たちには絶対ない感覚だ。
むしろ、怒られそうな勢い。

きっと、心が楽なのは、
久しぶりに休めるから
というのもあるだろう。

1ヶ月ぶりだ。
しかも2連休。

でも、残っている仕事はたくさんある。
どうにかなるだろう。




それにしても、
やっぱり大人の世界と言うものは
好きにはなれない。

誰かの機嫌を見たり、
気を使ったりする。

気づいたら、そうなっている自分にも
嫌気がさしている。

人と人とのつながりは
すごい大事だけれども、
ここまで気を使わなくては
いけないものだろうか。

やはりこれは「和」を大事にする
日本人の特性ではあろうが、
だから、自分も含めて、
自分を表現する力が
ついていないとも思う。

日本は
「出る杭は打たれる」
のだ。

記述式の問題に弱いのは
きっとこの独特の文化のためではないだろうか。


それに、
表ではいいことを言って、
裏では悪口。

少なくとも自分は、
他人の悪口は言わないことを
心がけている。

何かその悪口が
自分にも返ってきそうな気がするから。

それに、良いところというのも、
どんな人にもあるから。

人は自分を偽善者と思うかもしれない。
ようは、自分を守っているだけ。
ずるいと言われるかもしれない。

否定はしない。

きれいごとを言う偽善者だ。
心では、人を恨んでいることはたくさんある。

でも、もうこの弱い心は
どうにもならない。



newhigenopopo at 17:06|PermalinkComments(2)clip!日常 | ただの日記

2008年01月26日

結果と結論の違いを意識する


今、日本人の科学的思考力が弱いと、
指摘を受けている。

世界の学力テストで、記述問題がかけないからだ。

その原因は、自分は塾にあると思うのですがね。。。

教えられることになれた子どもが、
自分で色々考えていくのでしょうか。
大半の人は、考えずに覚えようとする方が楽です。
だから、楽な覚えるだけの方に勉強法は偏ります。
でもそれでは、意見を求められてかけるはずがありませんよね。


それを危惧してか、
「理科の教育」の2007年11月号
では、このことにふれて、
「PISA型」をふまえた理科の授業について、
色々書かれていました。

その中で納得したのが
「結果と結論が区別できていない」
ということ。

特に、塾などに行っている子は、
すでに知っていることを実験するケースもあるので、
結果に色々書いてしまう。

そのため、結論で何を書いていいか、わからない。

こういうタイプの子はえてして、
実際の問題でも、その実験だけではわからないのに、
色々と自分の知っていることを書いて、
×をもらってしまう結果となる。

これは、普段、なかなか結果や考察をかけない子に効果がある。
結果は「見たまま」書けばいいだけの話である。
そして結論は、そこからわかることを「目的」と照らし合わせて、
班でも相談しながら書けばいい話だ。


だから、教師として大事なのは

「『目的』をいかに意識させるか」

基本的な流れは、自分の場合は現段階で

1、目的

2、仮説・予想

3、実験の内容と方法

4、結果

5、結論

というようにしている。
ただ、内容によっては3と4を一緒の欄に書かせている。

今まで理科の授業を見てきて、
色々なことに気づいてはいるものの、
大事な目的が何であったのかを忘れている人が多い。

だから、まとめることが難しい。

結局何やったのかわからない。

それに悩んでいたのだが、
ここにきて、解決方法が見えてきた。

「目的の意識付け」

である。
教師はとにかくこれを重視して教材研究していけば、
よいのではないだろうか。

あとは、
「目的」と対応した「結論」
を書けるようにさせていけばいい。

この、書く段階で科学的知識を使う機会が訪れる。
なぜこうなったのか、考える児童も出てくる。
目的を思い出させれば、横道にそれる班も少ない。

こういったことに慣れていくうちに、
最も難しい「仮説・予想」についても、
自然に考えられるようになってくるのではないかなぁ…。
とおもっているのですが、どうなのでしょう。

次の課題はこの部分なのです。


ちなみに自分は、5年生の「もののしょうとつ」から、
この形式で書くことを学ばせていっている。

3年生〜4年生では、
「結果は見たまま」
「結果から、『わかったこと』(結論)を書く」
ということだけで、
その前の段階はこちらでやってしまうことも多い。

それよりも、色々と体験させてあげたい気持ちがあるのだ。

まぁそれはともかく、
今、5年生の「ものの燃え方」で、この方式を使っているが、
まだまだ結論を書くことが難しかったりするようだ。
仮説・予想も、書きづらいので教師がわの助言が多い。
実験自体は子どもたちが工夫しているし、
結果もスラスラかけているが、
結論の書き方がまだまだ。。。

もっともっと研究しなければいけませんね。


newhigenopopo at 22:43|PermalinkComments(0)clip!小学校 | 理科

2008年01月07日

明日始業式


明日から3学期が始まります。
6年生とは最後の学期であり、
子どもにとっては、2月の「中学受験」
がある大事な時期でもあります。

おそらくまた更新が滞るでしょうが、
心の余裕ができたら
気の向くままに更新します。

最悪でも1ヵ月に1回は更新したいと思います。

研究をしていると、
伝えたいことが山ほどでてくるのですがね…。


newhigenopopo at 20:47|PermalinkComments(2)clip!ただの日記 | 小学校

2008年01月06日

変わりゆく地元・・・


今日、新学期からの授業に
「あったらいいなぁ」
と思うものを求めて、
東急ハンズに買い物に行った。

色々まわって、
粘着磁石やら指し棒やら
「何かに使うときがきそうな気がする」
ということで衝動的に買った。

7500円・・・ちょっと調子に乗りすぎか?


帰り、かなり久しぶりにマックで
昼飯を食べた。

駅前で、その駅には大きな学校があるので、
中学生やら高校生やらが来るのだが、
明らかに、
「神様はお客様」
を逆手に取ったような態度なんだよね。
店員さんも、マニュアルどおりにならなくていいのに・・・
と思いつつ、
でもマニュアルどおりにやらないとクビだろうなと
も思い、
これが日本の文化なのかと・・・。

帰りは、家まで20分かかる道のりを
わざと少し遠回りして、昔からの自然が残るような道を
とって帰りましたが、

「あぁ、ここにも開発の手が・・・」

と思いましたね。

小学生の頃、秘密基地と称して、木と木の間を抜けて
進んだあの場所が木が切り倒されていたり、
田んぼがただの野原になっていたり・・・

すごい寂しい気がしました。

でも、そんな野原で子どもと一緒に遊んでいる親子を見たり、
凧揚げをしている家族を見たりしていると、
なんか、ほっとしますよね。


と、新学期を前に、少しのんびりした一日・・・
いや、30分でした。

今は・・・
「あぁ、新学期に間に合うかな」

あせることばかり・・・。

もっともっと、理科の授業について
知見を広めたいのですけれどね。



newhigenopopo at 23:39|PermalinkComments(0)clip!ただの日記 

2008年01月03日

クイズヘキサゴンのあの男の人は、本当に頭が悪い?


正月早々、
クイズヘキサゴン兇離好撻轡礇
を見ていました。

あの番組、人気があるみたいです。

人気の根源となるのは、
定番の出演者の
珍回答
と、それに対する
島田紳助の的確な面白いコメント。

その中で、「脳解明クイズ」というクイズ。

小学生レベルの文章題であるが、
解法に関係のない数字や裏設定があるのが特徴。

しかし、この関係ない数字や設定は実は
日常で起こりうるものである。

そして、この関係ない数字に惑わされて、
「質問コーナー」で、どうひっかかるかが、
笑いをとる部分のようである。

けれど、
こういう問題にすんなり反応できて、
すぐ解けてしまう人は、

「受験脳」

なのかもしれない、
と思った。

例えば小学校の算数の問題で
「A町からB町まで60kmあります。太郎君は、
自転車で時速15kmで進みました。
何時間かかりますか?」
と言う問題はよくあるだろう。

しかし、こんなシチュエーション日常でありますか?
純粋(?)な人ならば、
途中で信号にあったらそのロスは・・・
とか、
全く休みはとらなかったのか?
とか
気になるでしょう。

けれどそんなこと考える人はまずいませんよね。

でも、「羞恥心」の人たちは、
こういうことも考えています。

パターンに惑わされることなく、
「日常レベル」
でものを考えていることになります。

シチュエーションを頭の中で
「イメージ」
できているのです。
しかも、基本的な速さの計算をしっかり考えられていますし、
頭は悪いとは思いません。

もしわざとやっているのならばなおさらですよね。

そして、正月のスペシャルで、
「羞恥心」のうちの
どちらかは忘れましたが。
1時間45分=1 3/4時間
とできていたのです。
(回答は何時間何分何秒で答えるので、
全く意味がなかったのですが・・・)

「当然だろ」
と思うかもしれませんが、

彼の解いたあとを見ると、
時計を書いて
45分と言うのが4つに分けたうちの3つであること
を自ら確認もしくは導いたのです。

そのあと、わけのわからない紳助とのやりとりがありましたが、
これで
「あ、こいつはそこらへんの大人よりよっぽど頭がいいかも」
と思いました。


計算ドリルやら100マス計算やらでは、
もしかしたらこういった
「自分で書いて考える」
ということをしなくなるのではないかと
危惧している私ですが、

計算はできずとも、
自分で自分なりに課題を解決しようとする
彼らの能力はすばらしいのではないでしょうか。

そして、彼らを馬鹿にして、
計算にいっそう励もうとしたりして、
自由に絵を描きながら考えることを
恥ずかしいと思う人が増えるのではないかと、
思ってしまいます。

そうだとすると、
つまらない世の中になりますね。。。

どんぐり倶楽部のサイトを見ていただきたいものです。




もうだいぶ
「小学校3年生までが勝負」
ということが、はなまる学習会の高濱先生
の著書やら何やらによって広まってきているのは、
いい傾向だと思います。

もっともっと、世間に広まればいいのになぁ・・・。




newhigenopopo at 20:07|PermalinkComments(0)clip!日常 | 真面目な教育論

2008年01月01日

去年の反省と今年の抱負は・・・


去年の一番のデキゴト・・・
それは
これまでの人生で
一番つらかったデキゴトでした。

今思い出しても胸がしめつけられる思いです。

でも、そのデキゴトによって、
大きな決意ができました。

そして、勤めて、
その日をすごすのに精一杯で
忘れていた、

「子どもが好き」

ということ。

思い出しました。

あれ以来、ちょっと自分自身が変わった気もします。

でも、
逆にそれから

新たな悩みも出たり、

葛藤が出たりもした、

そんな2007年でした。

今年はどんな年になるでしょうか…。

またたくさん子どもから学ぶことでしょう。

来年はどうやら新しい先生も入ってくるようです。

先輩の先生として、意識して行動しなければいけません。


とにかく最優先なのは、

「要領よく仕事をこなすこと」

ですかね。

あとは理科の研究もしたいし、
生徒指導についても力をつけたい。

色々やりたいことはあるのですが、
中途半端にならないようにせんと・・・。



newhigenopopo at 20:22|PermalinkComments(0)clip!小学校 

2007年12月29日

地球温暖化を偏った視点で教えないで!!


今一番ホットな環境問題・・・
それはおそらく

「地球温暖化」

でしょう。

けれど、この問題を日本ほど偏った
理解の仕方をしている国はないのでしょうか。

本屋に言って、地球温暖化問題の授業の流れを
書いている教育書もいくつかあり、
それを先日読んだら、

「決め付け」

ているんですよね。

例を出しましょう。

(実際に起こっていることは「真実」
データなど、人が手を加えているものは「事実」
と表現します)


二酸化炭素が増えているのは事実。
気温が上がっているのも事実。
二酸化炭素に温室効果があるのも事実。

これだけの事実ならば、
二酸化炭素が増えたから気温が上がった、
と言ってよいでしょうか。

確かに論理的な意見の1つですが
あくまでも

「仮説」

にすぎないわけです。

こんなこと
を言っていますが、
これは「現在の気温が高くなっている証拠」ではありません。

逆に、
keelingのグラフと言う、
グラフがあります。
(くわしくは検索してみてください)
これは、
「気温が上がってから二酸化炭素が上昇している」
わけです。
つまり、このグラフを見る限りでは、
「気温が上がったから、二酸化炭素が増えた」
という“事実”があるわけです。

ただこれも
「これは短期的なものを見ているだけで、
長期的なものがぬけている。
こうなる理由はエルニーニョが原因」
と言われているので、このグラフと温暖化の因果関係が
このグラフだけで言えるわけではありません。
つまりこれも「仮説」の1つなわけです。


なんかややこしいので、まとめると

すべて
「仮説」
だ!!

ということです。

そもそも地球温暖化が人間が原因と言うのも
「産業革命あたりから気温があがりはじめたから
人間が原因だろう」
という科学的とはいえないものからなのです。

今ではそれが疑いもない前提となっているのが
気に食わないですね。

これでは天動説と地動説の言い争いと同じレベルです。


それに、海面上昇のことを言いますと、
「北極の氷がとけると海面が上昇する」
というのはウソです。
これは欧米の人ならば当然なのですが、
日本人はこれを信じている人は、まだ過半数いるのではないでしょうか。
(ちなみに先日小学校5年生に聞いてみたら、
ほぼ全員がこう思っていた)

原因は・・・気象庁の人のIPCCの論文の英語の誤訳です。
これが、テレビなどで大々的に言われたため、
そう信じている人が多いのです。

確かに南極の氷がとければ海水面が上昇しますが、
南極の氷は逆に8%増えていると言うデータ(事実)です。

ゴアさんの本についても、9つの点で疑問視されています。
地球温暖化が原因とはわからないのに、あたかもそうであるように、
色々な写真を載せているからです。


他にもまだまだあります。

しかし普通の人は信じますよね。
「地球温暖化は人の活動で増えた二酸化炭素が原因だから、
二酸化炭素を減らすようにしよう」
って。

特に、テレビや新聞などマスコミからの情報ならば。

異常気象も「これも地球温暖化が原因ですかね」
と言われれば、そう思ってしまいますよね。


実際の教育現場でも
マスコミと同じような「決め付け」をしているのではないでしょうか。

「北極の氷が解けたから」
とか
「南極の氷が解けたから」
と言っている教師はどれだけいるでしょうか

それよりも、地球温暖化を使って授業をするならば、
実際にIPCCなどの出したデータを使って、
色々な見方をつけていくのが「理科」や「科学」でしょう。

ただ非常に複雑すぎるので、
小学生には限度がありますが・・・。

でも、えらそうなのですが、
教師をしている方々にはぜひ
「地球温暖化はまだまだ不確かなところが多い」
と言うことは知っておいていただきたいですし、
扱うならば、
マスコミ的な「決め付け」のものではなく、
“こういう事実から”
“こう考えられる”
という、科学的な解釈を子どもとともにして、
その上で
「こういう考えもできる」
という見方もしたりして。。。

そこから最終的に、それでも二酸化炭素を減らす努力をするか
子どもたちには考えさせればいい話です。

マスコミの言うことが
“真実”
ではないということを
子どもに伝えてほしいのです。

そして、この問題から
事実を信じるのではなく、
「考える」
ことの必然性を高めてほしいのです。
(OECDの調査で、記述式が苦手というのは、
考えることが苦手ということでしょうか?)

まだまだ言いたいこと
(ここから政治問題やら、
理科の目的やら・・・)
はたくさんありますが、
この辺で、今回は終わりにします。

newhigenopopo at 21:48|PermalinkComments(4)clip!小学校 | 理科

2007年12月28日

児童と遊ぶべきか、授業を磨くべきか・・・


ここ2ヶ月近く、
とにかく
子どもと遊ぶなど、
接している時間をできるだけ長くして
すごしてきたわけですが、
途中から葛藤が始まりました。

「子どもと接している時間を長くしていると、
授業に関する準備などが自分が本来したいもの
と違ってきてしまっている。
けれど、授業の反省やらそれを次の授業に
いかすとかそういうことを考えていると
子どもと接している時間がなくなってくる。
それに気づいて子どもと接していると
気づくと次の日になってしまっている。」


(前提として、睡眠は最低でも
「4時間半以上」
はとりたいというものがあります。
理由は「健康維持」のためです。
うちの学校は体調を崩すことは絶対に避けなければ行けません。
まわりに多大な迷惑をかけますし、
その分まわってくる「つけ」で、
また体調を崩すという悪循環におちいります。
自分はまだ専科だからちょっとはましなのですが、
体調を崩していいのは、児童が登校しない休みのときだけです。)


11月以降、8割前後は、去年と同じ教材を使っています。
あまりうまくいっているとは去年感じず、
「来年は違ったアプローチをしてみよう」
と決心したものもいくつかあったのですが、
結局、考えている時間もなく、
去年と同じものを使って、
流れだけは児童の実態に合わせて使っているという感じです。

当然、また去年と同じような「違和感」を感じているわけです。
「なんか違うな」
というものです。
もっともっと、子どもが強く関心を引いて、
実験に取り組み、ポイントをつけるような流れにした
授業にしたいわけです。

詳しい話をすると長引くので、おいておきまして、
ようは、
「授業」と「児童」
どちらを重視するべきかと言うことです。

小学校は人間形成の場ですので、
「児童」
を重視し、子どもが学校にいる間は子どもとずっと接している
のが当然ですし、ここ2ヶ月はそうしてきたのですが、
「理科の授業が好き!!」
と言わせたい。
「理科が得意」
と言わせたい。
「DSなぞを使わなくても授業に集中させたい」
と思うわけです。

そのためには、教材研究が不可欠ですよね。
でも、ただでさえ要領の悪い自分、
そして、往復3時間かかる家に住んでいる自分には
その日の軽い反省をメモし、
次の授業の流れを書くこと、
そして実験の片付けと準備で終わってしまうわけです。

やはりこちらがよく考えた授業という乗り物には
子どもたちの「乗り方」が違ってきます。
不完全だった授業という乗り物には、
子どもたちはのってきません。

時々、沈んでしまいます・・・。

だから今の冬休みは、
やっとゆっくり考える時間ができた感じです。
本や雑誌を色々読んで、
そして読むだけではあまり意味がないことに気づいたので
読みながら書いているわけです。
けれど、休みの日は休みの日でやることがたくさんあるので
こればかりしてはいられません。

ちなみに今は主に「粒子概念」と「地球温暖化」
について深く考えています。
地球温暖化については、間違って捕らえている方も多いので、
(教育関係の本にも間違ったことが書いてあったりします)
明日あたり書きたいです。

それはともかくとして、
3学期が始まって、どうすべきかです。
3学期は学芸会もあるので、それも考えなくてはいけません。


「児童と接すること」を重視すべきか、
「授業を磨くこと」を重視すべきか・・・

授業は磨きたい、でも、子どもとも接していたい・・・。
うーん・・・。




newhigenopopo at 22:40|PermalinkComments(0)clip!日常 | 小学校

とにかくかけぬけた1ヶ月半・・・子どもと遊んでやれ!!


前回書いた記事よりも約2ヶ月開きました。

その間、とにかく子どもと遊んでいた気がします。

「授業?何とかなるやろ!」

の気持ちで、朝から遊んで、中休みも遊んで、
昼休みも遊ぶ、その繰り返しでした。
それも、日曜日以外毎日・・・。
エブリデイです。

雨の日は、すごい残念な気持ちです。
12月の最後の方は、雨が降っていると、
ストレスも感じていました。
だから、そんな日は
掃除の時など、
異様に子どもたちにからんだりしていたわけですが・・・

ようは、自分も遊びたいわけですね。


今までは遊んでなかったのかと言うと
別にそうではありません。
ただ、しっかり授業の流れをくんで、
イメージできないと、外に出なかったので、
出られない日もありました。

けれど、12月中は雨の日以外の休み時間や朝には、
全て外にでていたのではないでしょうか。
そんな勢いです。

結構しんどいですよ。

特に2学期はサッカーやバスケがはやっていたので、
「全力疾走」
です。

そのときは走って、すがすがしくて
気持ちがよいのですが、
放課後から
「きます」ね。
眠気と一緒に疲労感が・・・。

家帰ったら、ご飯食べてお風呂入って
即就寝です。

テレビはもちろん、パソコンさえつけなくなりました。

では授業は?

朝4時前後に起きて準備ですね・・・・。

12月ですから、テストの採点やら点票やらがあります。
そのときは当然ねるわけにはいきません・・・。
11月末〜12月前半は実験も多く、
準備と片付けもあり、
さらに成績付けなどもある12月の前半は、
マジで倒れそうでした。

そんななのに、休み時間に遊んでいる自分…。
いや、遊ばないとおかしくなってしまっていたかも…。



でも時々、大きな葛藤があります。
いや、時々ではないですね。
それは次の記事で・・・。




newhigenopopo at 21:50|PermalinkComments(4)clip!日常 | 小学校

2007年11月02日

なぜ書く気力がなくなってきたのか


更新頻度がかなり少なくなっている。

家に帰ってきても、
最近はインターネットさえ、
使わなくなってきた。

家は、ご飯食べて、風呂入って、寝る。
または授業の準備をする、計画を立てる。

そういった場になってきている。


でも、それ以上に何かがある気がした。



職員室の中の人間関係の問題か。

子どもとのことについての問題か。

いや、もうそういったこと全て含めて、



「何が正しいのかわからない自分がいる」



と言うのがあるように感じる。
だから、整理できずに、ブログにかけないのか?

大学生のときは、塾で教えていることには
それなりの自信があったから、
また、社会的責任もそこまで大きくないので
好きなことをかけたが、

今は社会人であるし、
塾でみにつけたものなど
学校のメインの目的を考えたら大きな意味は持たない。

今まで信じていたものが崩れている部分があるから、
迷っているから、
なかなか書けない。

色々やりたいことがあったり、
理想通りのことをしたいのであるが、
それをやりきれる状態にないから、
くやしくて、書けない。



ということで、あとどれくらい時間かかるかわかりませんが、

おそらく

自分の理想(徐々に変化すると思います)



現実



うまいぐあいにマッチしたら、

また頻度がたかくなるでしょう。


それまでお待ちください。





newhigenopopo at 22:24|PermalinkComments(2)clip!日常 | ただの日記

2007年10月09日

友人の死を受けて


あれは9月の最終週であっただろうか。

信じられないメールが届いたことが始まりだった。

一昨日会ったばかりの塾のバイトの後輩が

亡くなった。


信じられなかった。

一昨日、笑顔で別れたのに・・・。

ショックだった。



未だに、信じ切れていない。



ふと

塾に立ち寄ればいるのではないか

そんな気分になる。


呆然とするなか、そいつのことをよくよく思い出してみた。

自分以上にまじめで、
自分以上に責任感が強く、
自分以上に優しかった。



教師を目指していた。


告別式、父親の話。
成人以来、初めて本気で泣いた。

何で彼が・・・。

子どもに対してあそこまで“バカ”になれる奴は
そうそういないのに。。。

何で・・・




だから思った。



彼の分まで生きて、

彼が教師になったら
救っただろう
子どもたちの分を

自分が引き受けて、

自分があの世で

あいつに会ったとき、

うらみごとをいっぱい言ってやろう。






これから自分が苦しむことがあっても、

彼の苦しみに比べれば、

たいしたことないのだから、

全力でぶつかろう。




もう、逃げない。


あいつにあの世で顔向けできるように。





newhigenopopo at 21:33|PermalinkComments(0)clip!日常 

2007年09月13日

どんぐ理科


「もののとけかた」で、
とけ残りを考えたり、
実験が書いてあって、
その結果の情報から色々考えるといった場合、
文字が多すぎで、混乱するヒトが多い。

そこで、昨日、「言葉のトリガー理論」につながる話をした。
「書いて考える」ということを習慣にしたいからだ。
授業中に突発的に思いついたので、
話はどんぐり倶楽部そのものではないが、
言わんとしたいことは同じである。

NOPOPO「“りんご”」
NOPOPO「さて、今頭の中で、ちゃんと色のあるりんごが思い描けた人!」

・・・10人程度

NOPOPO
「たぶん、中には言葉だけだったり、
言葉で連想されるものしかでなかった
人もいるでしょう。
その人たちはたぶん算数の文章題も、
3行くらいのものになるとできないよな」

NOPOPO
「“りんこ”」
「さて、これもしっかり頭の中でイメージできた人は?」

・・・当然いない

「知らない、というのはそういうことです。
知らなかったらイメージもできない。
言葉と言うのはイメージを結び付けます」

・・黒板に“りんこ”を書く。

「これがりんこです。
こうすれば、頭の中で“イメージ”ができるようになるだろ。
面白いものであったり、体験したものであれば
イメージもしやすくなるし、はばも広がっていく」

「ところで、ここにある問題。できない人はなぜできないか。」

「言葉でしかその文章を見ていないから。」

「例えばすらすら解いたO君なんかは、おそらく
 頭の中で実験の様子と流れが問題を見ている段階で
 すらすら流れているんではないかな。」

・・本人は「かもなぁ〜」という表情。

「じゃぁ、解けるためにはどうするか。
それは書くしかない。問題を読みながら、
どういう状況なのか、
“言葉”

“イメージ”
にしてあげなければいけない。」

「そうすれば、考えやすくなる。」

「だから、まずは自分のできるところまででいい。」

「書け!!!」




2007年09月03日

あいさつは子どもから?教師から?


もう2学期開始か。
行事が多いから、
理科・行事・バレー
を3つこなさなければならないな・・・。

ところで、この夏休みは色々な本を読んだのだが、
同じ話題で、意見が2つに分かれるものがあった。

「あいさつは教師が率先してする」


「あいさつは子どもからするようしつける」


色々な教育に関するをよんでいると
しばしばこういうことが起こる。
どちらも現役の教師・校長が書いた本だ。

結局これも、
「どんぐり倶楽部が良いか」
「100マス計算が良いか」
のちがいに近いものがある。

ただ、あいさつについて
個人的には
低学年には「100%」ではないが、
後者の方がいいと思う。
昔の自分ならば、即答で前者だろう。


最近は、目上の人やお客様にたいして
ため口で話したり、
言葉遣いを知らない奴が多いと聞く。
挨拶をしない若者(自分も?)も増えているとか。

体育系の部活に入っていれば、鍛えられるが、
最近の部活はそうも言い切れない場合もあるとか。

子どもの頃から、大人に対して敬語を使っていれば、
友達以外の人に敬語をつかなければ、違和感を感じるようになる。
自分なんか特にそうだ。


あいさつも然り。
子どものときからのしつけが大事だと思うのである。

1学期、終礼も終わった3時半頃、図書室から出てくる自分と
図書室に向かう2年生の子とすれちがった。

しかし目が合ったのに
その子は何もいわなかった。
だから言った。

「今日はもう会わないかもしれないだろ。
だから、『さようなら』じゃないの?」

また会ってしまったらしょうがない。
何度でも言うのだ。

最高1日に同じ子に3回「さようなら」と言い合ったことがある。
(高学年)

最後の方は苦笑い。

でもそれでいいのではないでしょうかね。

目が合ったのに何も言わないのはおかしいというもの。


ただ教師から言うのも、時には必要。

ケースバイケースだろうね。


けれど、教師から言う場合、
「おはようございます」
ではおかしい気がする。
確かに子どもは私立にとってはお客様だが、
「おはよう!!」
で十分。

さて、みなさんはどうお考えでしょうか。




newhigenopopo at 04:30|PermalinkComments(2)clip!小学校 | 真面目な教育論

2007年08月26日

ブログを書く気力


今日喫茶店に行って、注文をしたら、
「えーっと、ジャーマンソーセージとプリモカフェですね」
と、
指折りで2つ数えながら
注文を繰り返している女性店員がいた。
一歩間違えたら、
腹立たしいが、
目が大きい子で、その目でこちらを見るものだから、
許せてしまった・・・。

そんな日曜日。


ところで、
そんな胴でもいい話は置いておいて、
学校に勤め始めてから、
どうもブログを書く気力が落ちている。

大学生の頃の日記。ブログを見たら、
本当にたくさん、
日々あったこと・考えたことを
書いている。

実際に勤めてから
子どもとのやり取りは多く、
考えることが日々多いはずだし、
実際電車の中でたくさん考えて
いるのだが、
実際に家に帰っても
昔のように

「さぁ、書こう」

とは思わない。

なぜなんだろうね。

夏休みだから書いてもいいはずなのに、
ごらんのように、イマイチだ。

この記事も
気づいたら
前回から1週間たっている。

というか、時間が立つのが早すぎなんだよな。

ぐうたらになっているのだろうか…。


24日が全校生徒が登校し、
そこから数日間上級生が登校するので、
感覚的には2学期が始まっている。

まだ30%くらいしか準備していないのに…。



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2007年08月19日

団地 ともお


今、はまっている漫画がある。
それは
「団地 ともお」
と言う漫画。

団地に住む小学生とそのまわりの人間
のことを書いた漫画であるが、
はまったのには理由がいくついかある。

\亮分も友達と団地の中で遊んで、なつかしい
△犬辰気い砲△蠅修Δ如∈ではなかなかない話がおもしろい。
青年コミックのためか、時々、教訓のような話がいい。
げ燭發箸蠅┐ないけれど、時々人情あふれる行動をする少年にひかれた。

子どもや先生が主人公の、比較的まじめな漫画
を結構読んでいるが、
なかなか最後にすっきりした気持ちになるタイプは初めて。

主人公の「いい奴」っぷりなためだろうなぁ。

いつもは言われれば言い返す、
相手の気持ちを何も考えずに悪口を言う、
クラスに1人はいたひねくれたようなタイプなのだが、
最後の方に「いい奴」の発言をするのがにくらしい。

例えば、

ある女の子の一番つらい悪口を言って、その女の子が
主人公「ともお」とはそれ以来、口を聞こうとしなかった。
けれど、
「大食い大会で優勝して親に旅行をプレゼントしたい」
ために、最後にあまっていた、ともおと
しょうがなく、
コンビを組んで大会に出た。

しかし実力はなく、ペースは遅い。
けれど、なぜかがんばる、ともおにたいして
「どうしてがんばるの?」
みたいな事を聞くと、

「だって、お前優勝して親にプレゼントするんだろ」

なーんて発言(たしかそんなかんじ)。

こういうの好きです。
普段、心無い発言するだけに、
また、見返りとか利害とか考えず、
素直に出ている言葉なので、
余計に「こういうのいいなぁ」と思ってしまう。



暇な人におすすめの漫画です。



newhigenopopo at 21:39|PermalinkComments(0)clip!日常 | ただの日記

ちょっとしたことに幸せを感じている・・・どうなの?


今日は、私立小学校のフェアーがあって、
それに行ってきたのですが、
その途中で、学校の子どもと親が来て、
「NOPOPO先生〜!こんにちは〜」
と挨拶してくれました。

ただそれだけなんですが、
なんというか、
満腹感みたいなのが今、あります。

帰りに田町周辺のどこかで、
学校の男の先生方と喫茶店に寄ったのですが、
そこはオープンカフェで、目の前は川(水路?)。
なぜか船着場があって、
話によると結構、ボートで来る人が多いらしいですし、
水上バスみたいなのが、きていまして、
そこから人が乗り降りしていました。

そこにいて、
「あぁ、こういう休日を過ごしている人がいるんだなぁ」
と思うと、何か非常にむなしい気分になってきました。

格差社会ですよ・・・。

きっとこの満足感は、
このむなしい気分の紛らわしなのだろうなぁ。。。

本当に軽い鬱みたいですね(苦笑)。



明日は熱帯魚買うぞ〜!!

今日水槽見たら、
1学期最後に4匹いたネオンテトラが一匹しか
いなかったんだよね・・・。

夏休み中もちょくちょく来てたのに
気づかないなんて・・・orz。





newhigenopopo at 21:14|PermalinkComments(0)clip!日常 | ただの日記

2007年08月16日

GTO ⇒ 人は脳が大きすぎる


毎年、夏休みのこの時期にGTOのドラマをやるよな。

あらすじはだいたいわかっているのだけど、
ついつい見てしまう・・・。

今日、テレビをつけたら最終回でしたね。


改めてこの番組を思い返すと、
「自分の立場ばかり考えている教師への批判」
をひしひし感じます。
さらにいうと、
「大人の世界のことばかり考えていて、
生徒のことを考えていないことへの批判」
ともいえます。


おそらく日本中のほとんどの、
教師になりたくてなっている人は、
鬼塚先生のような教師を理想に
思っているのではないでしょうか。
内山田教頭みたいになりたいと思う教師は
きっといないでしょう。


先日読んだ本の中に
「教師は、大人同士でコミュニケーションを
とることが苦手な人が多い」
というようなことが書いてありました。

グサッときました。

自分がそうなのです。

もちろんそれではいけないと思ってはいるのですが、
まぁなかなかうまくいかずに悩みの種の1つです。

そもそも大人自体が好きではないのかもしれません。
表では愛想がよくて、裏で何言っているかわからない。
もちろん自分もそうです。
だからそういう自分が嫌いでもあります。

でも、本音と建て前がなければ
「付き合い」ができず、社会の中で孤立します。


ところで、
子どもは、
表裏がそこまでないですよね。

だから時々、思います。
「大人になりたくなかったなぁ…」
と。

小学校の教師を目指そうと初めに思ったのは小学校6年生のときで、
目指そうと思ったのにはもっと大きな理由がありますが、
少なくとも
自分が子どもを好きなのは、
「大人の世界ではない場所にいられるから」
なのではないかなぁ、と思いました。


暑いですね。
だからこんな変なことを考えてしまうんです。

宇宙の中ではわれわれはものすごいちっぽけなのに、
なぜこんなに悩むのだろう。

木々に囲まれた自然の中で空を見上げると、
こういういうことに悩んでしまい、

こういうことに悩んでしまう自分に悩んで、
それでさらにわけのわからない自分に悩んで・・・


やめよう。鬱になりそうだ。

人は脳が大きすぎるんですよ。



newhigenopopo at 17:47|PermalinkComments(0)clip!日常 | ただの日記

2007年08月14日

塾の仲間と飲み・・・


昨日は、塾の教務と、講師や事務と飲んでいました。

今あの生徒はどうなっているのか。
今の塾の状態はどうなのか・・・。
聞いていると、出るのは「ため息」ですね。
あの頃の「あつさ」は今はないみたいで・・・。

ところで、教務の人の話は聞いていてためになります。
塾と言うのも大変な業種だなとつくづく感じます。

でもやはり人気のある教室は「人間味にあふれている」と感じます。
お金とか関係なく、
しっかりその子のこと(バックグラウンドをふまえて)を考えた上でのこと。
講師にしろ・教務にしろ。
結局は営業に結びついてしまうのが、個人的にはきらいなところですがね。
でも、その場しのぎで対応しているよりかはましかもなと思います。
まぁ、実はこれは今の自分にも言えるのですが・・・。

それにしても、自分は一番いい時期にその塾に入ったのかもなとつくづく感じます。
おそらく、もし今大学1年生で、
そこで講師を始めていたらと思うと怖くもなります。

やはり大手の塾は嫌いですが、
その中にも「あつい講師」がいるのを忘れてはいけませんね。

では自分は何をするか。
そこで身につけたものを子どもたちに伝えること。。。

忘れていました。
ここ長い間、「大人の世界」ばかり気にしていた気がします。
大学生のときはそんなことなかったのになぁ・・・。

ちょっと、初心を再度思い出しました。

さぁ、がんばろう。

まじめな教育についての話をした後は、
やる気が出てきます!!
(数時間できれますが・・・)


newhigenopopo at 23:02|PermalinkComments(0)clip!日常 | 真面目な教育論

2007年08月08日

もし、中1女子2人に、「昼ごはん食べに行きましょう」と誘われたら・・・?


銀行によろうと、
いつもあまり使わない大きな駅で
降りたのが
始まりでした。

何も道端で中1の女の子に逆ナン
とかそういう話ではありません。

その「大きな駅」で、銀行によって、
そのまま学校に向かう途中で、
卒業生に会いました。
何でも、
「学校によっても誰もいなかったからその帰る途中」
だということです。
その場で立ち話を1分ほどして、
「NOPOPO先生がいるなら学校戻ります」
ということで、学校へ。

今日、学校は研修やら有給休暇やらで
誰も来ていません。

色々職員室で話をしていると
お昼になってきます。

「先生、お昼食べに行きませんか」

一瞬悩みました。
みなさんならどうしますか?

マックで、明らかに中学1年生か小学校高学年に見える
女の子と、見た目20代後半のサラリーマンみたいな
男が一緒に昼飯を食べている姿を想像してください。

明らかに「怪しい」です。

子どもへの犯罪が増えている現在、
“面倒ごと”になるのは可能性として十分あります。

1秒後・・・
「先生は買ってきたのがあるから、
お前らで行って来いよ!!」
「えー」
「じゃぁ、いかない。」
などと、30分くらい
グダグだな感じで話をした後、
結局2人で、マックに行って、
で、また戻ってきました。

その後も結局15時まで職員室で
グダグダな感じで、話をしていました。

結局この日はほとんど仕事にならず終了。
帰り、本を3冊ばかり購入して、帰宅です。

でも、少しテンションは上がってきました。
ここ数日、仕事モードにいまいち乗り切れていなかったので、
明日からはきっと、仕事もはかどる・・・ハズ。

その意味で彼女らには感謝。
銀行によろうと思わなかったら、
また、
少しでも時間が変わっていれば
彼女らに会うことはなかったのですよね。
そう考えると不思議な気分になります。

やる気の出なかった自分への
神様のお導きかな?

だとしたら、よりがんばらねば!!



newhigenopopo at 22:18|PermalinkComments(3)clip!日常 | 小学校

2007年08月07日

やっと「理科モード」になってきた


7月末の臨海学校が終わってからも、
バレーの練習があり、なかなか「理科モード」
ではなく、教材研究する気が起きなかったのですが、
昨日からやっと、理科モードになってきました。

けれどやるべきことを考えているうちに、
「夏休み中に終わるか?」
という気になってきました。

2学期はイベントが盛りだくさん。
だから、なるべく多くプリントの
作成をしておきたいのですが、
3年生から6年生まで全てを考えているのは
さすがに厳しい。。。

去年のものが参考にはなりますが、
作り直したい部分がたくさんあるために
結局もう一度、全体の構想から考えています。

基本は

「どうしたらイメージできるようになるか」

です。
言葉はイメージ。
どんぐり倶楽部から学んだことです。

目に見えないもの、見ることが難しいものを
考える上では、とても大切なことです。

理科は言葉だけの知識ではありません。
いろんなイメージができる子が、頭のいい子。
応用力のある子。

こういった子をいかにして育てていくかが、
授業を考える一番のポイントです。





親方日の丸の役人方が、
我々の税金や年金を好き勝手に使っている現状。
簡単に言うと
「我々はだまされている」
わけですよね。

だまされないで、考えられる大人になるためには
「イメージして考える」
ことが基本になってくる気がします。

だまされないために、論理的思考を鍛えるためにも、
理科という教科がある気がします。




2007年07月20日

1学期3年生理科


3年生1学期は・・・
「植物」
「昆虫」
「人の体」
をやりました。
去年とやっていることは同じなのですが、
やはり多少変わりますね。

クラスの雰囲気に合わせて、
去年の反省も生かして・・・
と言う感じです。

特に今年は
「話し合い」
を意識しました。
「アオムシは昆虫か」
「昆虫と虫は何が違うのか」
などなど、聞かれると大人でも
即答できないものを考えていったりもしました。

『反対意見の場合は左手を挙げる』
1学期にとりあえずは定着させていきました。



ちなみに「植物」は、
アブラナがメインでサブでホウセンカとマリーゴールド。
増やし方の例として「ジャガイモ」と「サツマイモ」。
そして、他の色々な植物、と、やっています。
これは必須です。

なるべく実物にふれさせています。

「昆虫」は、
「モンシロチョウ」がアブラナつながりでメインテーマ。
比較としては「アゲハチョウ」。
そして他の色々な昆虫と、
昆虫以外の代表として「クモ」。

昆虫であるものを身の回りの「虫」から、
話し合いで考えさせて、
すべての昆虫に当てはまる特徴をとらえ
させることをしました。

カブトムシが昆虫でなくて甲虫だとか、
色々こちら側も考えさせる意見が出て勉強になりましたね。

「人の体」では、
『なぜそれがあるのか、その役割は何かを考えるときは
「もしそれがなかったらどうなるのか」を考える』
ということをテーマに進めました。

目はなぜ2つあるのか、骨はどのような役割をしているのか・・・など、
子どもたちも自分たちの体に興味を持ったみたいでしたね。

この3年生は「女子」が結構、ポイント。
4年間も付き合うのだから、色々うまくやらないと・・・。





newhigenopopo at 21:19|PermalinkComments(0)clip!小学校 | 理科