August 17, 2011

Am I Katie?

30の鐘を聞いた私のもとへ、10年来の後輩がやってきた。
彼女が自社の飛行機を利用してわが町へ来るのは、私の人生において、お盆に墓参りをするのと同じくらい恒例の行事になった。

彼女と夜中の三時過ぎまで語り明かした。
「おやすみ」
寝ようと目を閉じても、どちらかがつい、次のネタを提供してしまう。
私、あと数時間後には出勤するっていうのに。
まるで、すべて吐き出しておかなければどうにかなっちゃうとでもいうかのように。

彼女と同じ学年に、私はもう一人大切な後輩がいる。
「じゅんこさん、『Sex and the City』のCarrieみたいですね」
と、以前私に向かってコメントした後輩だ。

Sex and the Cityのドラマで、映画『追憶』を引用しているエピソードがある。
Carrieが言う。
「女には『普通の女』と『ケイティ』の2種類がいるのよ」
「私はケイティよ」

後輩と毎年、一年間分の恋愛を振り返る。それも含めての恒例行事。
それはあのドラマで主人公たちがしている会話に近い。
どんなに深刻な話題であっても、ネタにするときには笑いに変わっている。
私はCarrieのようには恋愛経験豊富でないが、それでも、案外ネタは尽きない。
「心の中に、今は誰もいないけどね」
私は何度も言う。
新しい10年を、真新しい気持ちでスタートさせたいって決意なのか。

たくさんの人と語りあい、多くの恋愛小説を読み、頭でっかちになったり、ふと自虐的になったりしながら走り抜けた20代のゴールラインを、格別の感慨もなく突っ切った。
そして今、はっきりとわかるのは、「私と同じ人間はいない」という、当たり前のことだ。
でも、私には偉大なる大発見だ。
何時間、何年も語りあって、どんなに目の前の相手が自分に共感を示し、うなずいてくれているとしても、自分のことは自分で決めなきゃいけない。自分を幸せにできるのは自分だけなのだから。

私は後輩たち、いや、もっと若い、人生のうんと後輩たちのお手本になろうとしていた。
果敢にも挑戦したのだ。職業柄、そうするしかなかったとも言える。
新しく誕生日を迎え、私は辞めることにした。
誰かのお手本になる生き方をするために我慢することを放棄した。
それは楽ではない道のりかもしれない。ケイティのように、誰にも選ばれないかも。

ドラマのあの回を繰り返し見た。
心の中に誰もいないはずなのに、涙が出た。
誰のことを思わずとも、号泣してしまった。
There are ‘simple’ girls and the ‘Katie’ girls.
私もケイティだ。
自分で自分の操縦ができやしない。

newjun at 01:32|PermalinkComments(0)