透明なる幻影の言語を尋ねて

遠い日の著名な詩集を読み返し,その心と言葉ををめぐる。新しい発見に繋がらなくても楽しければいい。《詩人の透明な幻影の飛沫をとっぷり浴びてみたい》

ご訪問 ありがとうございます。近・現代詩人の詩集等を再び読みかえし、新基軸な発見があれば幸い、でもなければくてもいいのです。楽しい時間にかえられるなら。そう、たぶん反論もあるでしょう。あなたのご意見おきかせください。

しばらくの休みでした。

悲鳴


はっときずくと
安楽椅子にもたれたまま
私にもどる
一瞬の闇、いかにも
甘い記憶が拭い去られるとは信じがたい
無言の時の欠落に
魅入られていた
くらくらするような喪失感に
どことなく
酔いしれていたわけではなかった


部屋の色も匂いも
かわりもなく
このまま向こう側の
見えない意味の漂流という
観念にあまえながら
見ようとする空しい意識の切迫に
切なさを滲ませて
おそらく無駄な空気感を突き抜けてく
ここにはいない人のことが
よみがえるのだろう


瞬間の
まぶしい午後のひかりのなかで
おそらく死の儀式が
ひっそりとゆきすぎるのを
みおくるために
おきあがろうとする
異色な彼の疲れ切ったゆらめきは
影もしらない
反目する安楽椅子に抱かれたままの恐怖、闇の手か?
青ざめた悲鳴が天井を走る


shuuu10




























しばらく現代詩を続けます。(毎週土曜日)

上村萍と『野がかすむころ』(富山詩史の流れ中で)

*今日から現代詩について、すこし書いていきたいと思う。すこしながくなるかもしれないが、じっくり読んで頂くとうれしい。



富山の戦後詩史の流の中で
ー上村萍と『野がかすむころ』( 田中勲)


(1)
 高島順吾の詩誌「骨の火」は、富山県下の若い詩人をあっというまに火に包んだ。
その結果、古里保養園(国立保養所)から上村萍が「SEIN]を創刊。ついで石動町(現小矢部市)の埴野吉郎が「謝肉祭」を、魚津の島崎和敏が「BUBU」を、滑川町(現滑川市)から神保恵介が「ガラスの灰」をつづいて発刊する。のちに、上村、埴野、神保はそれぞれ「VOU」にはいる。なかでも著しい活動を展開したのが、上村萍(1982ー1975)であった。
 上村は下新川郡山崎村(現朝日町)の生まれで、父は医師である。上村は武道専門学校に学ぶ。昭和二十四年に胸を患い国立療養所の古里保養園にはいり、そこの文芸サークルに関わり、詩誌「三角座」「SEIN]などを主宰する。そのあとはデザインの仕事につき詩活動を展開する。昭和三十七年富山県現代詩人会が発足すると、事務局を担当し、年間詩集「富山詩人」などの編集に従事する。(稗田菫平『とやま文学の森』参照)
 
 高島順吾との関係も詩誌を通じて深まる。私の詩友の吉浦豊久詩が第一詩集『桜餅のある風景』を発刊するときに同行して、上村さんにお目にかかったのが最初であった。長身で瘠せ型のいかにも詩人らしい風貌(?)だったことを憶えている。上村さんの出身地が私の隣町であることを知って、みような親近感をもった。とはいえひとたび詩の話になると急に真剣な顔になった先輩詩人の厳しい表情に内心おどろいた。いまにおもえば何処か神経の細やかな面倒見のいい詩人だったように思う。あの頃から体調に変化が起きていたことを後にしる。それでも上村氏は詩誌に精力的に作品を発表した。

 県内ではこの年(1972年)の前後は、現在も活躍する詩人たちの新しい詩集ラッシュがつづいた。近年まれに見る光景であったようだ。はじめは五月に尾山圭子(景子)詩集『圭子』が同じく、吉浦豊久詩集『桜餅のある風景』、六月には吉川道子(故人)詩集『旅たち』、七月に堀博一詩集『鍵のトレモロ』、ほかに島田世士夫、笠原まちこ、山本哲也などの詩集がつづいて発刊された。翌年は六月に田中勲詩集『蒼い棘』、八月に米沢力詩集『花粉の戯れ』が発刊。このうち尾山、吉浦、掘、米沢、田中、は 高島順吾指導の「北日本詩壇」の出身で、そこで高島氏の指導をうけたメンバーであった。その後七十年後半までは新人が、まったく輩出しなかったが、私の町の当時高校生だった宮野一世くんが北日本詩壇に登場し、後に横浜の大学に入って詩活動を活発化していくほかには、この教室から新しい詩人はいまだに現れていない。(私が知らないだけかも知れないが)
詩集こそだしていなかったが八十才になって、若い頃のモダニズムを手放さなかった高橋貞一(故人)さんの同人誌での活躍もその詩的出発は北日本詩壇であった。高島順吾の詩的影響力のすごさがわかるとおもう。この教室以外から輩出した詩人では、高橋修宏、本田信次がいる。それぞれ第一詩集を発刊して高い評価をえた。高橋は俳句の世界でも活路を見出し、俳壇から注目を集めている。彼等の後に続く詩人は私の視野には今はない。むしろ気になるのは、かつてお互いに競うように詩集を出した多くの詩人が今世紀に入ってすっかり落ち着いたようで、淋しい気もする。ただし、わすれてはいけない先輩詩人として、松沢徹、池田瑛子、柴田恭子、永沢幸治の各氏は、今も同人誌等で充実した詩的活動を、かいま見ることが出来て心強いものがある。

(2)
 上村萍は昭和五十年(1975年)被包性肋膜炎により死去。享年四十六才でった。関わった詩誌は「ガラスの廃(神保恵介)、「奪回」(野海青児)、「パンポエジ」(岩本修造)「VOU](北園克衛)「象」(市谷博)「しらん」(石田敦)など。そこでもモダニズム系の新鮮な世界を構築する抒情を越えた言語空間をめざし意欲的な詩作の期間がつづいた。
その意欲的な行動は自らの病魔をふきはらうかのように、だが身体は確実にむしばまれていたという。
 昭和五十年に遺稿詩集『野のがかすむころ』が刊行された。(序・高島順吾。解説・野海青児)実はこの詩集は亡くなる四年前に出版する予定で「順吾さんに序文をお願いすればすべて完了」と坂田嘉英(故人)に語っていたことが遺稿詩集のあとがきで坂田氏が書いている。この詩集に収録された作品の初出誌は「奪回」「菌」「しらん」の三誌で十冊(19767年4月から1973年秋)分にあたる。

    くさそてつのかげからあの青い
    苔のみえる路をまがってきた男は
    眼のなかにタンポポを生やしていた
    遠く烟っている野がみえる炉端で
    タンポポの咲けをつくった
    モグラの肉も土にとけ
    女の肉も水にとける季節の隙間から
    頭も土の方へ傾いていった
  ロダンは傾いたまま永遠に動かず
    傾く考えは水のように重くなるのだ
    徳利はいつも傾いたままわらっているが
    傾かなかった駱賓王は行方知らずだ
    水っぽい思いで腹も湿り
  ズボンもしめってきた
    客とふたりで
    しめった文明に瘠せた知りを向け
    医師の風呂でねむった
    チッチキ
    チッチキ
    耳のうらの谷間の地獄で
    やまがらがないている           (「野がかすむころ・Ⅰ」全行)

 「野がかすむころ」の「野」とは詩人にとってはなんだったか。
上村は少年の頃から医師であった父の死によって富山の生地から東京へ、そして戦後、生地ではなく富山市へ居住を変転している。現実の生地であった豊かな「野」から疎外されていたことと、深い関わりがあるのだろうか。おそらく原風景としての「野」は、すでに幻の野、「幻野」でしかない。だから詩と云うコミューンのなかで見えないはずの「野」をつくりだすことであったか。だが見えないはずの「野」に接近すればするほど詩人の実存は「幻野」からの疎外に悩まされることになるだろう。
   詩人という旅人にとって永遠に行き着くことのない「野」とは、永遠にかすんでみえないところの魂のふるさとであるとしても、それさえも拒まれているとしたら自らが幻想化するしかない。

(3)
 遺稿詩集の(1)から(23)までの作品を通じて、有名無名を問わず固有名詞や愛称がこれほど多く集められた詩集がほかにあるだろうか。

 ロダン、駱賓王、ユトリロ、ケルクフルウル、春夫、一刀齊、ダンテ、ジョン・ケージ、
筍子、老子、スピノザ、シャカ、イエス、忠治、南子(衛の零公夫人)山陽先生、Yと
いう女流作家、オイデプス、ハムレット、俊寛、クサンチッペ、スッタイドーチョオースケ、ソクラテス、マダム・ノミ、ノミセイジ、ジョンソン、セニュオール・オフン、卑弥呼、ヘンドリックス、クリシッポス、ロッキョムノカアカ、…

 さりげなく呼びよせられたこれらの名詞には深い意味がない。意味がないわけではないが、詩人にとっての代名詞的な役割を果たすために、ぽんと、投げこまれただけだ。ふと詩人の脳髄を横切ったばっかりに無理な役割を担わされた固有名名詞もあるだろうが、繊細な詩人の本心を隠蔽するというよりは固有名詞による無意識の含羞もあるのだ。と詩人の行為を理解したい。とはいえ、萍さんの手法には比喩そのものかもしれないと思う。
確かに直喩や隠喩がすくない。すくないわけではないが、比喩による書法を避けている。この直製法によって古典的な抒情性を拒んでいる。それもこれも固有名詞の多用と相関関係にあるのが、上村詩における書法のひとつであるといえるだろう。
 先の詩では、中国、初唐の詩人駱賓王の反乱に失敗して行方不明であることが、さりげなく詩行にまぎれこんでいて、まさか駱賓王の長編「帝京編」をこのとき意図していたわけではないと思うが、上村詩の「しめった文明」批判が「チッチキ、チッチキ」やまがらの鳴き声にのって読者にやわらかく響く。漢字とひらがなの絶妙な使い分けが視覚と聴覚をやわらかく刺激する。この詩の底流に西脇順三郎の「旅人かえらず」を重ねて見ることは容易だろうが、それはスタイルの上だけで意図する内容はまったく正反対であるのではないだろうか。上村詩には自らの身体の衰弱を、言葉で克服するというのではなく、自然を通じて永遠というもうひとつの命につながる。といった言葉の切ない延命装置が感じられる。まさに言葉は生命なのだ。

    冷たい日本の尾てい骨に
    ぶらさがった自在鍋を男根でたたきながら
    ジョン・ケージーの鼓膜について
    思いをめぐらしているかもしれない
    東京では人類の尻尾がみえぬだろう
    ふるさとのかすむ野へかえってこい        (「野がかすむころ・6」最終行)

    そういえば荀子の性悪説は
  土を破って出る筍のようなものだ
  老子をてのひらにのせて
    屈に見るありて信にみるなし
    といったというが             (「野がかすむころ・7」部分)

 この詩が書かれた六十年代の潮流に、上村さんといえどもその影響を受けている。
その先の世代である五十年代の詩の歴史的役割と見られている「感受性そのものの祝祭としての詩」の代表的な詩人である大岡信が六十年代の詩の特徴をかつてつぎのように総括してみせた。

 「風俗現象としてきわめて私的なモチーフとを強引に結合し日常と非日常とを暴力的に言葉のなかで  混合し、具体的な喚起力に富んだ、そしてまた夢あるいは悪夢の意外性にたえず惹かれている私的  世界に親近する、といった特徴がある」
 
 上村詩にもまさに私的なモチーフを日常と非日常との強引な結合ということではそのとおりかもしれない。しかも夢夢の意外性にひかれた私的世界への接近も、まさにその通りというべきかもしれない。むろん、そのような総括されたことばでこの上村詩の総てをいいつくしたたことにはならない。同時代の霧の彼方から「時代は感受性に運命をもたらす」という堀川正美のことばが私の耳元でかすかに響いている。ふり向けば、萍少年が佇んだのは現実にはみえないばかりか、たたずむはずの萍少年もすでに記憶のなか住人であり、さらに東京で暮らした頃の萍少年もはるかに現実の野から疎外されている。
この、二重三重の疎外感から逃れるためにはあらゆる過去を断ち切るか目をつぶって忘れるしかない。
 現実直視によって自らの幻想と化すことから逃れることが、詩を書きつづけることではなかったか。
だから、
 眼を閉じてはいけない。閉じれば過去が一層はっきりみえてくる。
しかり、
明日の光を見続ける。一日でも、一分でも、一秒でも長く生き続けるために。過去をふり向き懐古する時間などない。得意なカメラのレンズを通して現世のすべてを写し取るようにのぞき込みながら、反転するこの世の影像に限りない命を焼き付けるためにも。

    「幻の皮をめくる思いたちきれず」(20)」

    「人生とは転んだら起きねばならぬものか」(22)

(4)
 この稿は、二〇〇三年におこしたものだが、上村萍さんの遺稿集を読み返すと過去の記憶がよみがえってくる。ここによく登場する「吉祥院」へ、一度吉浦さんと上村さんを偲んでたずねたことがあった。その寺院は、富山県朝日町山崎で飛騨山脈が日本海になだれ込んだ山の麓の草深くところにあった。上村さんが子供の頃によく行ったというお寺はひっそりとたたずんでいて、住職さんが快くむかえてくれて、そこで何を話たのか、いまはもう憶えていない。

  またも心の曲がった人の
  曲がった言葉の毒に曲がり
    しきりにからだのなかで
    カタバミの破裂するこのかなしみは
    ごくつまらぬ日常の土瓶から
    立ちのぼるかげろうにすぎないが
    やがてふくれあがった人間の
    滅亡のよろこびに出会ったときこそ
    最高のかなしみとなるのだ
    なぜ急ぐのか
    家路を捨てよ
    返るのをやめよ
    石垣のあいだからカナヘビがのぞいている
    あの冷たい目つきは
    人間の臭気がわかる目つきだ
    人間の行末など誰にもわからぬが
    女が乳を失ったのはまぎれもなく
    不吉な退化のしるしだ
    山は町に近づき田園は荒野に返ろうとしている
    向う岸からふしぎな呼び声が
    えんえんときこえてくる
    ロッキョムノカアカヨコオコトリニイラッセセエエエエ
   (略)                                   (「野がかすむころ・23」後半部分)

 やや長い引用になったが、遺稿集の最後に置かれた作品である。
今改めて読んでも、上村氏の言葉はすべて現実に根ざしている。ときどきはするどい文明批判であったり、高邁な夢をのべたりするのだが、決して知識だけではない観念の闇までも直視するその憂愁の眼差しに、あの草深い麓の風景が、詩人から日々遠ざかって云ったのだろう。薄紫に烟る夕暮れの帰路『野がかすむころ』の原風景にふれた思いである。
もううっかり「永遠」ということばを口にしてはいけない。「コオコトリニイラッセ……、」という幻の野の向こうのふしぎな呼び声にふり向いてはいけない。

 高島順吾氏は序で「上村萍君よ、君は古代と近代の人間の悲鳴を荒縄でしばって腰にぶら下げ、石仏のころがるかすむ野のかなたに、虹の消えるように聡明にきえていった」(「萍君よ、土はぬくいか冷たいか」)と結んでいる。まさに「幻の皮をめくってしまった」ために、虹のように聡明に消えていくさだめのひとであったのだろう。
  さらに、野海青児氏はその解説で「いや『無いいものがある』の発想を得たとき萍さんの生まれ故郷を原風景として吉祥寺ガラス玉演技がくるくる廻る万華鏡となったのである。帰るべき故郷がもはやないゆえに帰るべき超自然の共和国がそこに想像されたといえる。」と惨事を惜しまない。
 若い頃のモダニストの詩から戦後は抒情の詩へと自らシフトを換えながら、なによりも生きぬくためのの自由の獲得に詩精神を燃焼したその結果「超自然の共和国」の創造主として迎えられたのだ。
 すべては上村萍の上村萍による上村萍のためのワールドをまえにして、さらに眼を閉じはいけてないと呟いている。遅れてきた私がいる。                                          (この稿了、以下次号)


今日の名言-ユ-ゴー

「死刑台はもちろんの革命から転覆されていない唯一の建物である。」
(ユーゴー『主刑因最後の日』140より)
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今日の名言-ゲーテ

「われわれは見慣れていることだが、人間というものは、自分にわからないことはこれを軽蔑し、また自分にとって煩わしいとなると、善や美に対してもぶつぶつ不平をいうものなのだ。」
(ゲーテ『ファウスト』(第一部)85より)
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今日の名言-アンデルセン

「人間というのもは、不幸のどん底にいる時でも、たいそう見えをはることがあるものです。」
(アンデルセン『枝のない絵本』 58より)HCA_by_Thora_Hallager_1869アンデルセン

今日の名言-ゴーリキ

「人間は今日も働いて食べた、明日も働いて食べた、そうやって自分の一生を毎晩毎晩働いてたべつづけるだけだったら、そこに何か立派なことがあると言えるでしょうか?」
(ゴーリキ『母』 166-167より)
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今日の名言-ロマン・ロラン

「すべてを所有している時に社会を否定するのは、最上の贅沢で或る。」
(ロマン・ロラン『ジヤン・クリストフ』(二)69より
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今日の名言-ニーチェ

「真の男性は二つのものを求める。危険と遊戯である。だから彼は女性を、もっとも危険な玩具として、求める。」
(ニーチェ『ツァラストゥストはこう言った』(上)109-110より)
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今日の名言-ショペンハウエル

「真理はそのままでももっとも美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。」
(ショペンハウエル『読書について』74より)
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今日の名言-ルソー

「子供を不幸にするいちばん確実な方法はなにか。それをあなたがたは知っているだろうか。それは胃湯でも手に入れられるようにしてやることだ。」
(ルソー『エーミル』 (上)119より)
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