2005年01月13日
第10号
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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第10号>>
2005年1月13日
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今号でメールマガジンの配信をひとまず一区切り付けさせて頂きます。石川真生さんからのご挨拶、そして前嵩西一馬さんによる連載「遍在する肉声」の第4号をお送り致します。
■■■
■感謝を込めて
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
2004年10月17日〜12月13日まで開かれた写真展が好評の内に幕を閉じた。「写真展会場を訪れる人の反応を見たい」「直接アメリカ人と話し合いたい」。そんな思いを抱いて二ヶ月間ニューヨークに滞在し12月19日に沖縄に帰ってきた。多くの観客から「こんな事実があるなんて知らなかった」「もっと多くのアメリカ人に見てほしい」という感想をもらった。ニューヨーク展に確かな手応えを感じた私は「やってよかった。写真展は成功した」と思っている。
「9・11テロ以降、それまで文化活動に当てられていた助成金が減らされ全てテロ関係の支援に回されアメリカの美術館の経営が厳しくなった」「テロ以降、アメリカ全体が保守的な空気に包まれ自由な発言が規制されて不自由なアメリカに変わった」「アメリカのマスコミはアジアの国で米軍が地元の人々にどう見られているのか全く報道しないし報道規制が激しい」そんな重い空気を私は二ヶ月間の滞在の中で感じたし、アメリカ人から直接話を聞いた。当然PS1の経営も厳しいし保守的な重圧もあるだろう。それでも私達の政治的な写真展を開催してくれたPS1には心から感謝している。営利目的でないので他の美術館に比べてPS1は入館料が大人5ドルとがぜん安い。経営が厳しい中、私達がガードマン料などの運営費をPS1に支払わないといけなかったのはしかたないことと私は理解している。
沖縄で大阪で東京でニューヨークで、そして全国からどれほど大勢の人々が私達写真家を支えてくれたことだろう。心から感謝している。みなさん、本当にありがとう!そしてPS1での成功は2005年2月スタート予定のアメリカ全国巡回展へと発展し準備がすでにスタートしている。これからも多くのアメリカ人と出会いたい。一人でも多くのアメリカ人に私達アジアの写真家が「内なる視点」から撮った写真を見せつけていきたい。2005年の一年間はアメリカ全国巡回展に当てたいと計画している。
もう一度、みなさん、本当にありがとうございました!
2005年正月
【石川真生】
写真家。
HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■
■遍在する肉声4――「内なる光景」の彼岸――
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
インフルエンザとウイルス性腸炎に罹ってしまい、昨年末のホームパーティ・シーズン(日本ではさしずめ忘年会の季節)を見事に棒に振った。夕暮れ時を見はからい、一週間ぶりにようやっと外出した僕は、二番街の交差点で足を止める。目を閉じて、鼻の奥につんと広がる痛みを確かめるように深く息を吸い込む。目を開けて、ゆっくりと口から吐き出される息が白いのを確認する。ダウンタウンの方向にどこまでも続く赤提灯の行列が一斉に青に変わり、信号待ちの車たちが動き出す。放埒な眠りにその身を任せようとする街の景色に軽く会釈をすると、屹立するスカイラインの遙か向こうで茜色に織られた絨毯が、孤高の気流にゆらりとなびいた。
多くのひとは病気になる度に、たとえそれが小さな風邪であったとしても、性懲りもなく「健康」の有り難さに気づき、日頃の不摂生を呪い、布団のなかで身悶える。再び歩き始めながら、米軍基地の消えない沖縄はひょっとして病気なのかと考える。国策という名の処方箋によって補助金という薬が長期間大量に投入され、「振興開発」なる療法が行われ続けている。その副作用でときとしてまともな思考が困難になっている社会では、深刻な合併症をも抱え持つ。80年代日本を席捲した「ポストモダン」とは異なる径路で発症した「沖縄病」という名の多幸症。「ふつうのくに」などという明後日の方角を目指す国の、まともではない状況。しかも「ふつうのくに」になることが、その疾病を取り除くということにつながらない。そんな絶望的な病床で、「未来!」と人々の耳元で囁いたかと思うとすぐに姿をくらましてしまう語り部を探し求め、彼らの視線は宙を彷徨う。
なかば自由のきかない病人は、それでも今回、病床の風景すなわち「内なる光景」をようやく窓の外へと持ち出した。「前菜が終わって、さあこれからいよいよアントレよ、ってときに終わってしまった感じだったわ。」写真展に足を運んだ友人が使ったその独特の言い回しが妙に印象に残っている。日本の社会問題に極めて明るい彼女にとって、今回の展示はあまりにも作品数が少なく、物足りなかったのだろう。しかし前回のレポートで述べたように、実際は多くのアメリカ人にとって、その「永続する瞬間」はどれも初めて見るものばかりで、「おかわり」どころではなかった。白色の壁に掲げられた写真群の向こうには、それらを目撃した人たちそれぞれの「風景」が広がっていたのだとあらためて思う。
僕が見た風景について、ひとつだけ話をしたい。展示室の左端の壁に、大きな顔写真がひとつずつ一列に並んでいた。写真家イ・ゼガブさんの作品で、韓国に住む、米兵と韓国人女性との間に産まれた「アメラジアン」と呼ばれる人々の顔を撮った作品だ。実はこの作品、今回の展示中もっとも多くの質問を観客から受けた。この作品を見た多くのアメリカ人にとって、彼らの顔がいったい何を意味しているのか、理解できなかったのだ。何しろそれらの顔は、「混血」それ自体が特別視されない(有徴性を持ち得ない)この街で、どこにでもいそうな面々だったのだ。そう、彼らの顔は、誰かが呟いていたとおり、ついさきほど乗った地下鉄で、向かいの座席に座っていた中年のひとたちの顔と同じに見えるのだ。
もちろん僕は、朝鮮戦争を背景とした韓国におけるアメラジアン問題を隠蔽しようとしているのでもなければ、比較的似通った身体的特徴を持っている人々が多く住む国よりもどんどん「混血」化が進む社会の方がすばらしい、と移民大国アメリカを手放しで賞賛しているわけでもない。ある社会におけるひとつの差別の原因が、よその場所では全く意味をもたない、という真実を感覚的に知る経験の大切さ、そしてその経験を、その差別をなくしていくための「装置」として練り直し、その社会にどうやって持ち帰ることができるか、という問題意識を共有したいのだ。写真の背後にある風景から、僕らはこうしておみやげをひとつ持ち帰ったことになる。
「内なる光景」を外に見せることによって、僕らは新たな地平を捉えることができると信じている。それによって変化した自らの視線は何を捕まえるのか。そしてそこで聞こえてくるものは何か。今回いくつもの作品をひっさげてニューヨークに上陸した石川真生さんが、さらなる「光景」を探し求め、ここアメリカの地でシャッターを切り続けた軌跡に、僕らは答えのひとつを見つけるだろう。間もなくアメリカ国内で改めてスタートする写真展の巡回先でも、また別の答えを見つけるだろう。めくるめく変化をとげる自己が発する声に耳を澄ます。常に変化していくその精神のなかで、ようやく語り部の声を聴く準備が整う。
久方ぶりの街の冷気が、快復しつつある躰に思った以上に心地よかったせいか、家路を急ぐ気持ちがはぐらかされる。アパートの周りを当て所なく歩いていると、いつも通り過ぎる街角の見慣れた壁の落書きが、ふと目に入る。プエルトリコ系の人々が多く住むイーストハーレムの一角。そこには、U.S.Navy Out of Vieques(米軍はビエケスから出て行け)といった落書きがあった。隣にあるショーウィンドウに掲げられた「アフタークリスマス一掃セール」のサインに負けないくらいの大きさで。ビエケスとは、プエルトリコ領にある、米軍基地の撤退や劣化ウラン弾の処理問題などに対する社会運動が盛んな島である。沖縄の米軍基地問題とも深い類似性があり、基地反対派同士のつながりもある。コロンビア大学で催された写真展シンポジウムのあと、参加者のひとりが新聞記者のインタビューに答える場面でも、その島の名前を耳にした。

「落書き」は、書かれたその瞬間に一種の経験として光りを放つ。その光は、事後的にその時代特有の枠組み、「文脈」というプリズムを通して「階級」、「文化」、「エスニシティ」といった像を結ぶ。当然それらのイマージュはすでに表象以外のなにものでもない。しかし、だからといってその落書きについて語ることが無意味な戯れかと言えば、決してそんなことはない。「経験」という内破する閃光が、その語りが指し示そうとするもの、シニフィエの横顔を照らし出すその一瞬、僕たちはその壁の向こう側にある、現在も書き殴られている無数の落書きを同時に目撃することができる。
毎日のように通り過ぎる街角にそれはあった。「内なる光景」とは、どこかの内側に存在するのでもないし、どこか他所で見つけられるものでもない。それれ、ある種の態度に宿る、瞬間の啓示なのかもしれない。その啓示は、遍在する肉声とともにやって来る。それはどこにでもある生の声、つまり世界中いたるところで聞こえる声、ひとりひとりが唯一どこでも聴くことができる、己自身の声。
僕がそのとき身震いしたのは、少しばかり外に居すぎたということだけではないだろう。そのときその落書きが意味するものを知りたいという「欲望」そのものが、僕に語りかけたのかもしれない。
語り部はどこにでもいる。
だから今度はあなたが囁く番だ。
未来!
【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。 沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。 写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、 自らの視点をそこに織り込んでいきたい。
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日(終了)
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■編集後記■■■■
書くこと、撮ること、話すこと、そういった人間の営みは、自らが抱える経験(内なる光景)がどうしようもなく、外へとはみ出してしまうような、情動的な反応であるのだと、このメールマガジンを通じて再確認をしたように思います。
メールマガジンでは多様な方々の記事、エッセーを配信させて頂きました。写真家、アーティスト、活動家、学生、名も無き訪問者・・・。多様な声がそれぞれ反響しあいながら、このメールマガジンという場が織り成されていったように思います。ある情動が別の情動を導き出し、それぞれが変形し、旅立っていく。そのような光景が最後まで持続したように思います。
写真展自体も今後、米国巡回展がスタートする予定となっています。さらに旅は続くわけです。それぞれの土地での新たな「内なる光景」の出会い、変容、そして旅立ちと別れが続いていくことでしょう。未だ来たざる世界を切り開いていくために、その旅のプロセスにぜひ注目して頂ければと思います。
今後いつ皆様とメールマガジンで、HPでお会いできるのかは未定ですが、まずは創刊からこれまで、どうもありがとうございました。今後もよろしくお願い致します。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2005 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。出所としてメルマガHPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第10号>>
2005年1月13日
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今号でメールマガジンの配信をひとまず一区切り付けさせて頂きます。石川真生さんからのご挨拶、そして前嵩西一馬さんによる連載「遍在する肉声」の第4号をお送り致します。
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■感謝を込めて
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2004年10月17日〜12月13日まで開かれた写真展が好評の内に幕を閉じた。「写真展会場を訪れる人の反応を見たい」「直接アメリカ人と話し合いたい」。そんな思いを抱いて二ヶ月間ニューヨークに滞在し12月19日に沖縄に帰ってきた。多くの観客から「こんな事実があるなんて知らなかった」「もっと多くのアメリカ人に見てほしい」という感想をもらった。ニューヨーク展に確かな手応えを感じた私は「やってよかった。写真展は成功した」と思っている。
「9・11テロ以降、それまで文化活動に当てられていた助成金が減らされ全てテロ関係の支援に回されアメリカの美術館の経営が厳しくなった」「テロ以降、アメリカ全体が保守的な空気に包まれ自由な発言が規制されて不自由なアメリカに変わった」「アメリカのマスコミはアジアの国で米軍が地元の人々にどう見られているのか全く報道しないし報道規制が激しい」そんな重い空気を私は二ヶ月間の滞在の中で感じたし、アメリカ人から直接話を聞いた。当然PS1の経営も厳しいし保守的な重圧もあるだろう。それでも私達の政治的な写真展を開催してくれたPS1には心から感謝している。営利目的でないので他の美術館に比べてPS1は入館料が大人5ドルとがぜん安い。経営が厳しい中、私達がガードマン料などの運営費をPS1に支払わないといけなかったのはしかたないことと私は理解している。
沖縄で大阪で東京でニューヨークで、そして全国からどれほど大勢の人々が私達写真家を支えてくれたことだろう。心から感謝している。みなさん、本当にありがとう!そしてPS1での成功は2005年2月スタート予定のアメリカ全国巡回展へと発展し準備がすでにスタートしている。これからも多くのアメリカ人と出会いたい。一人でも多くのアメリカ人に私達アジアの写真家が「内なる視点」から撮った写真を見せつけていきたい。2005年の一年間はアメリカ全国巡回展に当てたいと計画している。
もう一度、みなさん、本当にありがとうございました!
2005年正月
【石川真生】
写真家。
HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
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■遍在する肉声4――「内なる光景」の彼岸――
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インフルエンザとウイルス性腸炎に罹ってしまい、昨年末のホームパーティ・シーズン(日本ではさしずめ忘年会の季節)を見事に棒に振った。夕暮れ時を見はからい、一週間ぶりにようやっと外出した僕は、二番街の交差点で足を止める。目を閉じて、鼻の奥につんと広がる痛みを確かめるように深く息を吸い込む。目を開けて、ゆっくりと口から吐き出される息が白いのを確認する。ダウンタウンの方向にどこまでも続く赤提灯の行列が一斉に青に変わり、信号待ちの車たちが動き出す。放埒な眠りにその身を任せようとする街の景色に軽く会釈をすると、屹立するスカイラインの遙か向こうで茜色に織られた絨毯が、孤高の気流にゆらりとなびいた。
多くのひとは病気になる度に、たとえそれが小さな風邪であったとしても、性懲りもなく「健康」の有り難さに気づき、日頃の不摂生を呪い、布団のなかで身悶える。再び歩き始めながら、米軍基地の消えない沖縄はひょっとして病気なのかと考える。国策という名の処方箋によって補助金という薬が長期間大量に投入され、「振興開発」なる療法が行われ続けている。その副作用でときとしてまともな思考が困難になっている社会では、深刻な合併症をも抱え持つ。80年代日本を席捲した「ポストモダン」とは異なる径路で発症した「沖縄病」という名の多幸症。「ふつうのくに」などという明後日の方角を目指す国の、まともではない状況。しかも「ふつうのくに」になることが、その疾病を取り除くということにつながらない。そんな絶望的な病床で、「未来!」と人々の耳元で囁いたかと思うとすぐに姿をくらましてしまう語り部を探し求め、彼らの視線は宙を彷徨う。
なかば自由のきかない病人は、それでも今回、病床の風景すなわち「内なる光景」をようやく窓の外へと持ち出した。「前菜が終わって、さあこれからいよいよアントレよ、ってときに終わってしまった感じだったわ。」写真展に足を運んだ友人が使ったその独特の言い回しが妙に印象に残っている。日本の社会問題に極めて明るい彼女にとって、今回の展示はあまりにも作品数が少なく、物足りなかったのだろう。しかし前回のレポートで述べたように、実際は多くのアメリカ人にとって、その「永続する瞬間」はどれも初めて見るものばかりで、「おかわり」どころではなかった。白色の壁に掲げられた写真群の向こうには、それらを目撃した人たちそれぞれの「風景」が広がっていたのだとあらためて思う。
僕が見た風景について、ひとつだけ話をしたい。展示室の左端の壁に、大きな顔写真がひとつずつ一列に並んでいた。写真家イ・ゼガブさんの作品で、韓国に住む、米兵と韓国人女性との間に産まれた「アメラジアン」と呼ばれる人々の顔を撮った作品だ。実はこの作品、今回の展示中もっとも多くの質問を観客から受けた。この作品を見た多くのアメリカ人にとって、彼らの顔がいったい何を意味しているのか、理解できなかったのだ。何しろそれらの顔は、「混血」それ自体が特別視されない(有徴性を持ち得ない)この街で、どこにでもいそうな面々だったのだ。そう、彼らの顔は、誰かが呟いていたとおり、ついさきほど乗った地下鉄で、向かいの座席に座っていた中年のひとたちの顔と同じに見えるのだ。
もちろん僕は、朝鮮戦争を背景とした韓国におけるアメラジアン問題を隠蔽しようとしているのでもなければ、比較的似通った身体的特徴を持っている人々が多く住む国よりもどんどん「混血」化が進む社会の方がすばらしい、と移民大国アメリカを手放しで賞賛しているわけでもない。ある社会におけるひとつの差別の原因が、よその場所では全く意味をもたない、という真実を感覚的に知る経験の大切さ、そしてその経験を、その差別をなくしていくための「装置」として練り直し、その社会にどうやって持ち帰ることができるか、という問題意識を共有したいのだ。写真の背後にある風景から、僕らはこうしておみやげをひとつ持ち帰ったことになる。
「内なる光景」を外に見せることによって、僕らは新たな地平を捉えることができると信じている。それによって変化した自らの視線は何を捕まえるのか。そしてそこで聞こえてくるものは何か。今回いくつもの作品をひっさげてニューヨークに上陸した石川真生さんが、さらなる「光景」を探し求め、ここアメリカの地でシャッターを切り続けた軌跡に、僕らは答えのひとつを見つけるだろう。間もなくアメリカ国内で改めてスタートする写真展の巡回先でも、また別の答えを見つけるだろう。めくるめく変化をとげる自己が発する声に耳を澄ます。常に変化していくその精神のなかで、ようやく語り部の声を聴く準備が整う。
久方ぶりの街の冷気が、快復しつつある躰に思った以上に心地よかったせいか、家路を急ぐ気持ちがはぐらかされる。アパートの周りを当て所なく歩いていると、いつも通り過ぎる街角の見慣れた壁の落書きが、ふと目に入る。プエルトリコ系の人々が多く住むイーストハーレムの一角。そこには、U.S.Navy Out of Vieques(米軍はビエケスから出て行け)といった落書きがあった。隣にあるショーウィンドウに掲げられた「アフタークリスマス一掃セール」のサインに負けないくらいの大きさで。ビエケスとは、プエルトリコ領にある、米軍基地の撤退や劣化ウラン弾の処理問題などに対する社会運動が盛んな島である。沖縄の米軍基地問題とも深い類似性があり、基地反対派同士のつながりもある。コロンビア大学で催された写真展シンポジウムのあと、参加者のひとりが新聞記者のインタビューに答える場面でも、その島の名前を耳にした。

「落書き」は、書かれたその瞬間に一種の経験として光りを放つ。その光は、事後的にその時代特有の枠組み、「文脈」というプリズムを通して「階級」、「文化」、「エスニシティ」といった像を結ぶ。当然それらのイマージュはすでに表象以外のなにものでもない。しかし、だからといってその落書きについて語ることが無意味な戯れかと言えば、決してそんなことはない。「経験」という内破する閃光が、その語りが指し示そうとするもの、シニフィエの横顔を照らし出すその一瞬、僕たちはその壁の向こう側にある、現在も書き殴られている無数の落書きを同時に目撃することができる。
毎日のように通り過ぎる街角にそれはあった。「内なる光景」とは、どこかの内側に存在するのでもないし、どこか他所で見つけられるものでもない。それれ、ある種の態度に宿る、瞬間の啓示なのかもしれない。その啓示は、遍在する肉声とともにやって来る。それはどこにでもある生の声、つまり世界中いたるところで聞こえる声、ひとりひとりが唯一どこでも聴くことができる、己自身の声。
僕がそのとき身震いしたのは、少しばかり外に居すぎたということだけではないだろう。そのときその落書きが意味するものを知りたいという「欲望」そのものが、僕に語りかけたのかもしれない。
語り部はどこにでもいる。
だから今度はあなたが囁く番だ。
未来!
【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。 沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。 写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、 自らの視点をそこに織り込んでいきたい。
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日(終了)
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■編集後記■■■■
書くこと、撮ること、話すこと、そういった人間の営みは、自らが抱える経験(内なる光景)がどうしようもなく、外へとはみ出してしまうような、情動的な反応であるのだと、このメールマガジンを通じて再確認をしたように思います。
メールマガジンでは多様な方々の記事、エッセーを配信させて頂きました。写真家、アーティスト、活動家、学生、名も無き訪問者・・・。多様な声がそれぞれ反響しあいながら、このメールマガジンという場が織り成されていったように思います。ある情動が別の情動を導き出し、それぞれが変形し、旅立っていく。そのような光景が最後まで持続したように思います。
写真展自体も今後、米国巡回展がスタートする予定となっています。さらに旅は続くわけです。それぞれの土地での新たな「内なる光景」の出会い、変容、そして旅立ちと別れが続いていくことでしょう。未だ来たざる世界を切り開いていくために、その旅のプロセスにぜひ注目して頂ければと思います。
今後いつ皆様とメールマガジンで、HPでお会いできるのかは未定ですが、まずは創刊からこれまで、どうもありがとうございました。今後もよろしくお願い致します。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
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*Copyright (c)2005 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。出所としてメルマガHPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
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2004年12月30日
第9号
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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第9号>>
2004年12月30日
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写真展会場にはコメント帳が置かれ、訪れた人々が思い思いの言葉を残していきました。今号は前嵩西一馬さんによる連載「遍在する肉声」にて、そのコメント帳に記された言葉を取り上げます。
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■遍在する肉声3 ――リアルな、あまりにリアルな――
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初秋に始まったPS1での写真展は、さりげないクイーンズの夕暮れとともに静かに幕を閉じた。ようやく氷点下に落ち着いたニューヨークの朝、街ゆく師走の喧噪が今日もまた、無数の白い吐息とともにゆっくりと動き出す。繰り返し訪れる日常の最中PS1に足を運んだ多くの人々が、会場に置いてあったコメント帳に率直な感想を書き綴ってくれた。
自分の名前だけを刻む者、とりとめのないジョークや似顔絵を残す者、ありがとう、という言葉のみを記す者、帳面に記載されている「年齢性別国籍を記して」という指示に異議を唱える者。将来ジャーナリストになりたいという少女による暖かい賛辞から、中年男性の過剰な発言まで、複数の声が写真展の多彩なインパクトの模様を伝えてくれる。なかでも多くのひとがrealityという言葉を使ってコメントを寄せている。リアリティ。現実。ほんとうのこと。約2ヶ月という開催期間に、会場の片隅に少しずつ積み重ねられていった彼らの呟きにしばし耳を傾けつつ、今回は「リアルなもの」について少し考えてみたい。
10月23日
「肝心なところはわかったが、まだわからないことがある。
誰の責任なのか、そしてこれらの代償は何なのか。」
10月28日
「かき乱された。」
10月29日
「人々が関心を持つべき、不穏な現実…(以下略)。」
10月30日
「正義って何だろう?」
11月1日
「アメリカと日本は友達です。」
(おそらくアメリカ人が書いたと思われる日本語。)
11月4日
「実に目を開かれる思いだ!」
「コラテラル・ダメージ?」
(軍事用語で付随的な民間人死傷者の意。)
「政治的なアートの不十分な点。
1.大統領に届かない。
2.政治家に届かない。
3.マジョリティに届かない。
よってこの手の作品に政治的な力はない。
米国内で展示される外国の政治的アートの不十分な点。
1.99.9パーセントのひとが扱われる問題に目もくれない。」
(記されたメールアドレスから察するに、ニューヨーク市立大学または大学院に在籍する日本人男性かと思われる。)
11月5日
「くたばれアメリカ。日本が一番!」
11月6日
「この展示はとても強烈でアメリカを違った視点で見ることができた。
すばらしい。」
「政治的すぎる。」
11月7日
「いつの日かこんなことがなくなるように! Imagine!」
「地獄に落ちろ、二度と来るな。」
上記の一文が誰かに棒線で消され以下の文章が書かれている。
「花、花、きれいな花たち。」
11月8日
「ありがとう。写真は、きっと(物事を)伝えることができるし、また
変化への触媒となり得る。今日、何かを学びました。」
(51歳・女性・アメリカ人)
「僕らが悪い奴らに見えるような写真をこんなに展示する必要はないんじゃないの。」
「↑そういうあんたこそがそのひとりだし(そして無知だし)。」
「痛烈な展示。とても生々しくて意味深で。真実への看破、ありがとう。」
「これまで見なかったことを見たし、知らなかったことを学びました。
ありがとう。強くあれ。」
11月11日
「いったいこれは何?」
11月19日
「ひどい、悲しい!!! 現実。」
11月29日
「この展示で描かれている多くの事件について全然知らなかった自分が恥ずかしい。とてもためになった。」
(22歳・女性・アメリカ人)
12月5日
「めちゃめちゃいらつく! 何を表現しようとしてるんだ?」
(男性・17歳)
「多くの人がひどくいらつくだろうけど、でも究極の真実はときにあまりにも
惨すぎてそれに耐えられないひともきっといるだろう。ぼくは、ぼくら自身が
ひとつの国としてこれらの過ちから学んでほしいと願っている。」
(男性・17歳・ドミニカン)
12月12日
「パワフル。婉曲的ないい回しを寄せ付けない。『コラテラル・ダメージ』と
はこのようなもの。孤独もまたこのようなもの。」
(67歳・男性・アメリカ人)
12月13日
「ここに本当のことはひとつもない。全部許されうる厄介ごとにすぎない。」
上記の文章が棒線で消されて、以下の文章。
「このでたらめは現実なんだ。すばらしい!」
彼らのコメントは、そのひとつひとつが、文字通りアメリカ側における「持続する瞬間」の目撃証言となる。その証言を通して、この国がいまどうなっているのかという一般的な動向を把握しよう、などと言うつもりはない。ただそこには、写真展に実際に足を運んでくれた人々のコメントという具体的なフレームを通して見えてきた、アメリカの「リアル」な風景(当然そこにいる日本人の姿も含む)がある。
その風景を風景として成り立たせているのは、実はあるひとつの「ずれ」があるからだ。それは通常パララックスと呼ばれる。ひとつの対象物を二つの視点からみたときに生じるずれを意味すると同時に、カメラのファインダーを通して見たときに見える範囲と、実際にフィルムに写る範囲とのずれを指す言葉でもある。それは経験と表象のずれであると言い換えてもいいだろう。自分が経験したことと自分がそれを語ること、そのずれを通して初めて「リアルなもの」の存在を幽かに感じることができる。
写真家がファインダー越しに見たリアリティ、フィルムに焼き付いたリアリティ、それを見つめる者における各々のリアリティ、そしてそのリアリティが彼らによって表象された際に発現されるリアリティ。それらのどの「現実」においても、ただひとつの「現実」のなかでは僕らは「リアルなもの」に出会うことがない。何十枚ものコメント用紙をめくりながら、ここで僕はふと思う。この言葉たちが紡がれていた瞬間に、またそのメッセージを読んでいるいまこの瞬間に、僕たちは「リアルなもの」に、かろうじて出会ってはいないだろうか。(もちろんそこには「リアルなもの」が持つ不可能性が常に口を開けて待っている。あえて米軍に対するアンビバレンツな自文化の肖像画を差し出した写真家の意志を、微塵も理解していないコメントも多数あったのだから。)
たとえば、12月13日に書かれた最後のコメントを見てみよう。”Nothing is real.”( 「すべて本当ではない」)という文のなかで、”Nothing”という 言葉が棒線で消され、別の何者かによって”This shit”という文字が書き加え られ、”This shit is real”( 「このでたらめは本当だ」)という文が新たに 創られている。「すべて本当ではない」が「このでたらめは本当だ」に書き換 えられたその痕跡に、「リアルなもの」のしっぽの先っぽがちらりと見えは しないだろうか。
その先っぽをさらに探し求める視線はいつしか、アメリカでも韓国でも沖縄でもない、圧倒的多数の人々の視点から疎外された弱者という立場から、世界という「現実」を見つめる、強靱な眼差しに変わるかもしれない。ベトナムに派兵した韓国、戦争に荷担し続けている日本、そして基地のある沖縄、ともに加害者としてのあるいは勝者の恩恵を授かっていることへの困惑、羞恥、自省といったプロセスを経て、その「強靱さ」はときに奇妙なねじれを伴いつつ、これからも継承されていくだろう。「リアルなもの」が、ほんとうにリアル、つまり現実そのものになるときは決して来ないとしてもだ!
【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。 沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。 写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、 自らの視点をそこに織り込んでいきたい。
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日(終了)
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■■編集後記■■■■
コメント帳に並んだ声。なんと印象的な言葉が並んでいることか。コメント帳という時空に声と声が響きあい、応答し、時には消され、書き加えられる。私の中でそのイメージは街のありとあらゆるところに生起するグラフィティへとつながっていく。人間、思想、経験の痕跡として書き込まれた言葉、イメージ。時には鋭く本質をついた言葉が、時には感情のうねりを書きなぐったかのような言葉。コメント帳はアメリカや世界の一面であり縮図でもあるかもしれない。であるならば、しばしば行なわれた書き換え=書き加えという営為の中に、「異なる世界」=「ありえたかも知れない現実」を作る創造力を見つけることができるのではないだろうか。
1968年5月、パリ、「革命」と呼ばれた季節に記された、こんな言葉を思い出す。
「レアリストになり Soyez realistes
求めよう、不可能を。demandez l’impossible.」
(西川長夫『フランスの解体?』人文書院、1999.p112)
次号でメルマガ第一期を終了する予定です。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
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*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
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張ってください。よろしくお願いします。
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<<第9号>>
2004年12月30日
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写真展会場にはコメント帳が置かれ、訪れた人々が思い思いの言葉を残していきました。今号は前嵩西一馬さんによる連載「遍在する肉声」にて、そのコメント帳に記された言葉を取り上げます。
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■遍在する肉声3 ――リアルな、あまりにリアルな――
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初秋に始まったPS1での写真展は、さりげないクイーンズの夕暮れとともに静かに幕を閉じた。ようやく氷点下に落ち着いたニューヨークの朝、街ゆく師走の喧噪が今日もまた、無数の白い吐息とともにゆっくりと動き出す。繰り返し訪れる日常の最中PS1に足を運んだ多くの人々が、会場に置いてあったコメント帳に率直な感想を書き綴ってくれた。
自分の名前だけを刻む者、とりとめのないジョークや似顔絵を残す者、ありがとう、という言葉のみを記す者、帳面に記載されている「年齢性別国籍を記して」という指示に異議を唱える者。将来ジャーナリストになりたいという少女による暖かい賛辞から、中年男性の過剰な発言まで、複数の声が写真展の多彩なインパクトの模様を伝えてくれる。なかでも多くのひとがrealityという言葉を使ってコメントを寄せている。リアリティ。現実。ほんとうのこと。約2ヶ月という開催期間に、会場の片隅に少しずつ積み重ねられていった彼らの呟きにしばし耳を傾けつつ、今回は「リアルなもの」について少し考えてみたい。
10月23日
「肝心なところはわかったが、まだわからないことがある。
誰の責任なのか、そしてこれらの代償は何なのか。」
10月28日
「かき乱された。」
10月29日
「人々が関心を持つべき、不穏な現実…(以下略)。」
10月30日
「正義って何だろう?」
11月1日
「アメリカと日本は友達です。」
(おそらくアメリカ人が書いたと思われる日本語。)
11月4日
「実に目を開かれる思いだ!」
「コラテラル・ダメージ?」
(軍事用語で付随的な民間人死傷者の意。)
「政治的なアートの不十分な点。
1.大統領に届かない。
2.政治家に届かない。
3.マジョリティに届かない。
よってこの手の作品に政治的な力はない。
米国内で展示される外国の政治的アートの不十分な点。
1.99.9パーセントのひとが扱われる問題に目もくれない。」
(記されたメールアドレスから察するに、ニューヨーク市立大学または大学院に在籍する日本人男性かと思われる。)
11月5日
「くたばれアメリカ。日本が一番!」
11月6日
「この展示はとても強烈でアメリカを違った視点で見ることができた。
すばらしい。」
「政治的すぎる。」
11月7日
「いつの日かこんなことがなくなるように! Imagine!」
「地獄に落ちろ、二度と来るな。」
上記の一文が誰かに棒線で消され以下の文章が書かれている。
「花、花、きれいな花たち。」
11月8日
「ありがとう。写真は、きっと(物事を)伝えることができるし、また
変化への触媒となり得る。今日、何かを学びました。」
(51歳・女性・アメリカ人)
「僕らが悪い奴らに見えるような写真をこんなに展示する必要はないんじゃないの。」
「↑そういうあんたこそがそのひとりだし(そして無知だし)。」
「痛烈な展示。とても生々しくて意味深で。真実への看破、ありがとう。」
「これまで見なかったことを見たし、知らなかったことを学びました。
ありがとう。強くあれ。」
11月11日
「いったいこれは何?」
11月19日
「ひどい、悲しい!!! 現実。」
11月29日
「この展示で描かれている多くの事件について全然知らなかった自分が恥ずかしい。とてもためになった。」
(22歳・女性・アメリカ人)
12月5日
「めちゃめちゃいらつく! 何を表現しようとしてるんだ?」
(男性・17歳)
「多くの人がひどくいらつくだろうけど、でも究極の真実はときにあまりにも
惨すぎてそれに耐えられないひともきっといるだろう。ぼくは、ぼくら自身が
ひとつの国としてこれらの過ちから学んでほしいと願っている。」
(男性・17歳・ドミニカン)
12月12日
「パワフル。婉曲的ないい回しを寄せ付けない。『コラテラル・ダメージ』と
はこのようなもの。孤独もまたこのようなもの。」
(67歳・男性・アメリカ人)
12月13日
「ここに本当のことはひとつもない。全部許されうる厄介ごとにすぎない。」
上記の文章が棒線で消されて、以下の文章。
「このでたらめは現実なんだ。すばらしい!」
彼らのコメントは、そのひとつひとつが、文字通りアメリカ側における「持続する瞬間」の目撃証言となる。その証言を通して、この国がいまどうなっているのかという一般的な動向を把握しよう、などと言うつもりはない。ただそこには、写真展に実際に足を運んでくれた人々のコメントという具体的なフレームを通して見えてきた、アメリカの「リアル」な風景(当然そこにいる日本人の姿も含む)がある。
その風景を風景として成り立たせているのは、実はあるひとつの「ずれ」があるからだ。それは通常パララックスと呼ばれる。ひとつの対象物を二つの視点からみたときに生じるずれを意味すると同時に、カメラのファインダーを通して見たときに見える範囲と、実際にフィルムに写る範囲とのずれを指す言葉でもある。それは経験と表象のずれであると言い換えてもいいだろう。自分が経験したことと自分がそれを語ること、そのずれを通して初めて「リアルなもの」の存在を幽かに感じることができる。
写真家がファインダー越しに見たリアリティ、フィルムに焼き付いたリアリティ、それを見つめる者における各々のリアリティ、そしてそのリアリティが彼らによって表象された際に発現されるリアリティ。それらのどの「現実」においても、ただひとつの「現実」のなかでは僕らは「リアルなもの」に出会うことがない。何十枚ものコメント用紙をめくりながら、ここで僕はふと思う。この言葉たちが紡がれていた瞬間に、またそのメッセージを読んでいるいまこの瞬間に、僕たちは「リアルなもの」に、かろうじて出会ってはいないだろうか。(もちろんそこには「リアルなもの」が持つ不可能性が常に口を開けて待っている。あえて米軍に対するアンビバレンツな自文化の肖像画を差し出した写真家の意志を、微塵も理解していないコメントも多数あったのだから。)
たとえば、12月13日に書かれた最後のコメントを見てみよう。”Nothing is real.”( 「すべて本当ではない」)という文のなかで、”Nothing”という 言葉が棒線で消され、別の何者かによって”This shit”という文字が書き加え られ、”This shit is real”( 「このでたらめは本当だ」)という文が新たに 創られている。「すべて本当ではない」が「このでたらめは本当だ」に書き換 えられたその痕跡に、「リアルなもの」のしっぽの先っぽがちらりと見えは しないだろうか。
その先っぽをさらに探し求める視線はいつしか、アメリカでも韓国でも沖縄でもない、圧倒的多数の人々の視点から疎外された弱者という立場から、世界という「現実」を見つめる、強靱な眼差しに変わるかもしれない。ベトナムに派兵した韓国、戦争に荷担し続けている日本、そして基地のある沖縄、ともに加害者としてのあるいは勝者の恩恵を授かっていることへの困惑、羞恥、自省といったプロセスを経て、その「強靱さ」はときに奇妙なねじれを伴いつつ、これからも継承されていくだろう。「リアルなもの」が、ほんとうにリアル、つまり現実そのものになるときは決して来ないとしてもだ!
【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。 沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。 写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、 自らの視点をそこに織り込んでいきたい。
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イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
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比嘉豊光 「戦争の傷跡」
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コメント帳に並んだ声。なんと印象的な言葉が並んでいることか。コメント帳という時空に声と声が響きあい、応答し、時には消され、書き加えられる。私の中でそのイメージは街のありとあらゆるところに生起するグラフィティへとつながっていく。人間、思想、経験の痕跡として書き込まれた言葉、イメージ。時には鋭く本質をついた言葉が、時には感情のうねりを書きなぐったかのような言葉。コメント帳はアメリカや世界の一面であり縮図でもあるかもしれない。であるならば、しばしば行なわれた書き換え=書き加えという営為の中に、「異なる世界」=「ありえたかも知れない現実」を作る創造力を見つけることができるのではないだろうか。
1968年5月、パリ、「革命」と呼ばれた季節に記された、こんな言葉を思い出す。
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求めよう、不可能を。demandez l’impossible.」
(西川長夫『フランスの解体?』人文書院、1999.p112)
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2004年12月24日
第8号
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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第8号>>
2004年12月22日
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今年の夏、米軍ヘリ墜落事件を経験した沖縄国際大学の大学生が写真展に合わせてNYへと飛びました。今号はその安達菜子さん、仲尾美希さんにそれぞれの渡米5日間を綴ってもらいます。
■■■
■ニューヨークで考えたこと
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今回私達がNYに行くきっかけになったのが、真生さんのこの一言。沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件に関する新聞記事を持って行ってほしいと頼みに行った私たちに、真生さんは「あんたたちが来れば?」。こうして私たちは一週間後の10月18日、NY行きの飛行機に乗っていた。
8月13日、私の通う沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落、炎上した。自分の通う大学にある日突然米軍のヘリが落ちてくるなんてことがありうるのが、今の沖縄の現状なのだ。その事実を、改めて突きつけられた。それと同時に、沖縄に来た頃はあれだけ敏感に反応していた米軍機の騒音やその恐怖に慣れつつあった自分にも、ショックを受けた。そして墜落当日とその後の数日を本土で過ごした私は、本土と沖縄の基地問題に対する温度差を文字通り肌で感じたのだった。その中で、沖縄から発信することの重要性を痛感した。そんな私にとって、今回は沖縄に基地を置く国の人々と話が出来るまたとないチャンスだった。とにかく、沖縄で学び、このヘリ墜落を受けて今自分が思っていることを正直にアメリカの人に話してこようと思った。NYで感じたことは、とにかく沖縄の基地問題の現実はアメリカでこれっぽっちも知られていないということだ。今回の墜落事件に関しては、それほど知られていないだろうなあということはある程度覚悟していた。なにせ、本土でも知らない人がいるくらいなのだから。しかし現実は、沖縄どころかアメリカがアジアに基地を置いているということさえ知らない人にもたくさん出会った。そんな中で真生さんたちがアメリカでこの写真展を開いたことの意味を、改めて感じた。まさに、写真を持って“乗り込んだ”という言葉がぴったりだと思った。
しかし総じて、NYで出会った人たちは私たちの話をとても熱心に聞いてくれたと思う。やはり、墜落直後の様子をとらえた写真がでかでかと載った新聞を持って“私の大学に米軍ヘリが墜落したんです”というのは、かなりインパクトがあったに違いない。中には、少々好戦的とも言えるような態度で基地の経済や政治の問題に対して意見する人もいたが。その中で、アメリカと日本という二国の関係だけではなく、“沖縄”という立場をその歴史も含めていかにかれらに論理的に伝えていくかということの難しさ、そして同時にその必要性を強く感じた。まだまだ学ばなければいけないことは山のようにある。そういう意味では、今回は宿題をたくさんもらった。
NY滞在5日間のうち、はじめ私たちの予定に入っていたのはシンポジウムでの発言だけだった。でも行ってみたらとても多忙な、というよりは本当に充実した5日間を過ごすことができた。真生さんは、なかなか積極的になれない私たちのお尻を蹴っ飛ばしてくれた。そしてたくさんの方たちの協力があり、ニューヨーク大学の学生やコロンビア大学の院生とも話す機会をいただけた。今回得たすべての出会いに心から感謝し、出会った人たちみんなに“ありがとう”と言いたい。真生さんも言うように、人とのつながりは大きな財産だ。今回思い切ってNYに行って、本当によかったと思う。
でも、これはあくまでもはじまり。NYに行って終わりではない。帰国後も、とても多忙な…とても楽しい毎日を過ごしている。NYでもアピールさせていただいたが、私は今、ヘリの接触、炎上で真っ黒に焼け焦げた一号館の“壁”を保存しようという活動をしている。学内外で様々な議論があるが、私はあの壁を今回の事件を記録するものとして、また私たちの記憶を風化させない“記憶の場”として、そして沖縄の戦後60年を象徴し、そこからたくさんのことを考え学べる場として、あの壁をぜひ残したい。壁の保存を求めて沖国大の平和学ゼミナールとともにはじめた署名は、7400筆に迫ろうとしている。また、私たちはこれから学習会や沖国大周辺のフィールドワークなども続けていく予定だ。そして今回の出会いを大切に、沖縄でも輪を広げていくと同時に、これからも本土やアメリカに発信し続けたい。
最後に、私たちの今回のNY行きは、私が参加している“アジアを歩く”石敢當というグループが送り出してくれたものだ。その資金作りのために、私たちは黒砂糖を売った。沖縄や東京や、そしてNYでも黒砂糖を買って協力していただいた方たちに、この場を借りてお礼を言いたい。
これからも石敢當の仲間たちとともに、とにかく今自分たちにできることをこつこつと、そしてあくまでも楽しく、続けていきたいと思う。
【安達菜子】
沖縄国際大学1年
■■■
■二つの記憶の場
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2004年8月13日沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。私は沖縄で生まれ育ったが基地があるということが当たり前になって、初めて危険な場所で生きているのだと思い知らされた。それから米軍基地の存在が私の中で大きくなっていった。
以前から真生さんがNYで展示会をすることをHPで知っていて、「面白いそうだな、みてみたいな」と思っていたら突然真生さんに会うことになり、「来たら?」と言われ一週間後にはNY行きの飛行機に乗っていた。
コロンビア大学でのシンポジウムは沖縄と韓国における米軍基地問題や事件事故についても改めて知ることができ、とても勉強になった。最後に私たちが沖縄国際大ヘリ墜落事故についての報告と、ヘリの墜落で真っ黒になった一号館の壁の署名の協力を求めた。大勢の人が署名してくださり、とてもうれしかった。
その後、たくさんの人の協力でNY大学やコロンビア大学院の授業などで学生たちと話すことができた。そこで感じたのはアメリカ国外にある基地についてほとんど知らないということだ。自分たちの国のことなのに知らないという現状にはとても驚かされた。
PS1での写真展にも行った。韓国の写真も沖縄の写真も違うパワーを感じ、基地の現状をありのままに私たちに訴えていた。見たいと思っていた写真展をみれてとてもうれしかった。写真にも興味があったが、写真展にやってきたアメリカ人も興味津々。みんな、じーっとどれも一生懸命にみていた。写真をみて何を考えていたのだろう。
私は以前にもNY滞在したことがあって、今回が二度目だった。今回、私はどうしてもグランドゼロに行きたかった。前回はバスで行ったがグランドゼロから放たれるパワーで私はバスから降りることもできず、ただバスの中から眺めることしかできなかった。フェンスに遺族のメッセージ、亡くなった方々の写真、花・・・どれも生々しく、9.11に起こった恐怖を私も感じることができた。しかし、今回もう一度グランドゼロへ行ってみるときれいに整備され、あのとき感じたパワーや生々しさがまったく無くなっていたのである。
私たちが今、保存を求めている壁もありのままに残さなければグランドゼロのようになってしまうと思った。グランドゼロも沖国大にある壁もそれぞれの事故・事件を記憶として残し、様々な人々に見て考えてもらう場にしてもらいたいと改めて感じた。
今回NYへ行って多くの人たちに出会うことができ、とても感謝している。真生さんの一言がなければ、NYへ行けなかったと思う。これからもNYでもらったパワーを力に仲間とともに沖縄から発信していきたい。
【仲尾美希】
沖縄国際大学1年
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日(終了)
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■■編集後記■■■■
NYグラウンドゼロと沖縄国際大学の壁。それぞれの歴史経験・出来事を
伝える場です。グラウンドゼロから新たな「戦争」が始まり、沖縄は少
なからずその「戦争」を支える(ことを強要される)基地と化していき
ました。では、沖縄国際大学の壁からは何を生み出すことができるので
しょうか?壁保存運動とこの写真展が出会い、さらにたくさんの人々と
の対話を生み出したことの先に何を作っていけるのか?今もその営みは
続いていることを、安達さん、仲尾さんのエッセーは伝えています。
さて、あと2号、配信する予定です。次号は前嵩西一馬氏による
「遍在する肉声」3号を通じて写真展訪問者の多くの感想・コメントを
お届けする予定です。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第8号>>
2004年12月22日
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今年の夏、米軍ヘリ墜落事件を経験した沖縄国際大学の大学生が写真展に合わせてNYへと飛びました。今号はその安達菜子さん、仲尾美希さんにそれぞれの渡米5日間を綴ってもらいます。
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■ニューヨークで考えたこと
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今回私達がNYに行くきっかけになったのが、真生さんのこの一言。沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件に関する新聞記事を持って行ってほしいと頼みに行った私たちに、真生さんは「あんたたちが来れば?」。こうして私たちは一週間後の10月18日、NY行きの飛行機に乗っていた。
8月13日、私の通う沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落、炎上した。自分の通う大学にある日突然米軍のヘリが落ちてくるなんてことがありうるのが、今の沖縄の現状なのだ。その事実を、改めて突きつけられた。それと同時に、沖縄に来た頃はあれだけ敏感に反応していた米軍機の騒音やその恐怖に慣れつつあった自分にも、ショックを受けた。そして墜落当日とその後の数日を本土で過ごした私は、本土と沖縄の基地問題に対する温度差を文字通り肌で感じたのだった。その中で、沖縄から発信することの重要性を痛感した。そんな私にとって、今回は沖縄に基地を置く国の人々と話が出来るまたとないチャンスだった。とにかく、沖縄で学び、このヘリ墜落を受けて今自分が思っていることを正直にアメリカの人に話してこようと思った。NYで感じたことは、とにかく沖縄の基地問題の現実はアメリカでこれっぽっちも知られていないということだ。今回の墜落事件に関しては、それほど知られていないだろうなあということはある程度覚悟していた。なにせ、本土でも知らない人がいるくらいなのだから。しかし現実は、沖縄どころかアメリカがアジアに基地を置いているということさえ知らない人にもたくさん出会った。そんな中で真生さんたちがアメリカでこの写真展を開いたことの意味を、改めて感じた。まさに、写真を持って“乗り込んだ”という言葉がぴったりだと思った。
しかし総じて、NYで出会った人たちは私たちの話をとても熱心に聞いてくれたと思う。やはり、墜落直後の様子をとらえた写真がでかでかと載った新聞を持って“私の大学に米軍ヘリが墜落したんです”というのは、かなりインパクトがあったに違いない。中には、少々好戦的とも言えるような態度で基地の経済や政治の問題に対して意見する人もいたが。その中で、アメリカと日本という二国の関係だけではなく、“沖縄”という立場をその歴史も含めていかにかれらに論理的に伝えていくかということの難しさ、そして同時にその必要性を強く感じた。まだまだ学ばなければいけないことは山のようにある。そういう意味では、今回は宿題をたくさんもらった。
NY滞在5日間のうち、はじめ私たちの予定に入っていたのはシンポジウムでの発言だけだった。でも行ってみたらとても多忙な、というよりは本当に充実した5日間を過ごすことができた。真生さんは、なかなか積極的になれない私たちのお尻を蹴っ飛ばしてくれた。そしてたくさんの方たちの協力があり、ニューヨーク大学の学生やコロンビア大学の院生とも話す機会をいただけた。今回得たすべての出会いに心から感謝し、出会った人たちみんなに“ありがとう”と言いたい。真生さんも言うように、人とのつながりは大きな財産だ。今回思い切ってNYに行って、本当によかったと思う。
でも、これはあくまでもはじまり。NYに行って終わりではない。帰国後も、とても多忙な…とても楽しい毎日を過ごしている。NYでもアピールさせていただいたが、私は今、ヘリの接触、炎上で真っ黒に焼け焦げた一号館の“壁”を保存しようという活動をしている。学内外で様々な議論があるが、私はあの壁を今回の事件を記録するものとして、また私たちの記憶を風化させない“記憶の場”として、そして沖縄の戦後60年を象徴し、そこからたくさんのことを考え学べる場として、あの壁をぜひ残したい。壁の保存を求めて沖国大の平和学ゼミナールとともにはじめた署名は、7400筆に迫ろうとしている。また、私たちはこれから学習会や沖国大周辺のフィールドワークなども続けていく予定だ。そして今回の出会いを大切に、沖縄でも輪を広げていくと同時に、これからも本土やアメリカに発信し続けたい。
最後に、私たちの今回のNY行きは、私が参加している“アジアを歩く”石敢當というグループが送り出してくれたものだ。その資金作りのために、私たちは黒砂糖を売った。沖縄や東京や、そしてNYでも黒砂糖を買って協力していただいた方たちに、この場を借りてお礼を言いたい。
これからも石敢當の仲間たちとともに、とにかく今自分たちにできることをこつこつと、そしてあくまでも楽しく、続けていきたいと思う。
【安達菜子】
沖縄国際大学1年
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■二つの記憶の場
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2004年8月13日沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。私は沖縄で生まれ育ったが基地があるということが当たり前になって、初めて危険な場所で生きているのだと思い知らされた。それから米軍基地の存在が私の中で大きくなっていった。
以前から真生さんがNYで展示会をすることをHPで知っていて、「面白いそうだな、みてみたいな」と思っていたら突然真生さんに会うことになり、「来たら?」と言われ一週間後にはNY行きの飛行機に乗っていた。
コロンビア大学でのシンポジウムは沖縄と韓国における米軍基地問題や事件事故についても改めて知ることができ、とても勉強になった。最後に私たちが沖縄国際大ヘリ墜落事故についての報告と、ヘリの墜落で真っ黒になった一号館の壁の署名の協力を求めた。大勢の人が署名してくださり、とてもうれしかった。
その後、たくさんの人の協力でNY大学やコロンビア大学院の授業などで学生たちと話すことができた。そこで感じたのはアメリカ国外にある基地についてほとんど知らないということだ。自分たちの国のことなのに知らないという現状にはとても驚かされた。
PS1での写真展にも行った。韓国の写真も沖縄の写真も違うパワーを感じ、基地の現状をありのままに私たちに訴えていた。見たいと思っていた写真展をみれてとてもうれしかった。写真にも興味があったが、写真展にやってきたアメリカ人も興味津々。みんな、じーっとどれも一生懸命にみていた。写真をみて何を考えていたのだろう。
私は以前にもNY滞在したことがあって、今回が二度目だった。今回、私はどうしてもグランドゼロに行きたかった。前回はバスで行ったがグランドゼロから放たれるパワーで私はバスから降りることもできず、ただバスの中から眺めることしかできなかった。フェンスに遺族のメッセージ、亡くなった方々の写真、花・・・どれも生々しく、9.11に起こった恐怖を私も感じることができた。しかし、今回もう一度グランドゼロへ行ってみるときれいに整備され、あのとき感じたパワーや生々しさがまったく無くなっていたのである。
私たちが今、保存を求めている壁もありのままに残さなければグランドゼロのようになってしまうと思った。グランドゼロも沖国大にある壁もそれぞれの事故・事件を記憶として残し、様々な人々に見て考えてもらう場にしてもらいたいと改めて感じた。
今回NYへ行って多くの人たちに出会うことができ、とても感謝している。真生さんの一言がなければ、NYへ行けなかったと思う。これからもNYでもらったパワーを力に仲間とともに沖縄から発信していきたい。
【仲尾美希】
沖縄国際大学1年
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日(終了)
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■■編集後記■■■■
NYグラウンドゼロと沖縄国際大学の壁。それぞれの歴史経験・出来事を
伝える場です。グラウンドゼロから新たな「戦争」が始まり、沖縄は少
なからずその「戦争」を支える(ことを強要される)基地と化していき
ました。では、沖縄国際大学の壁からは何を生み出すことができるので
しょうか?壁保存運動とこの写真展が出会い、さらにたくさんの人々と
の対話を生み出したことの先に何を作っていけるのか?今もその営みは
続いていることを、安達さん、仲尾さんのエッセーは伝えています。
さて、あと2号、配信する予定です。次号は前嵩西一馬氏による
「遍在する肉声」3号を通じて写真展訪問者の多くの感想・コメントを
お届けする予定です。
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2004年12月22日
第7号


※撮影:阿部小涼
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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第7号>>
2004年12月16日
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いよいよ閉幕となる当写真展。メールマガジンはもう少し続きます。今回はNY在住、阿部小涼さん(琉球大学)からのエッセーを掲載します。
また、写真展終了後、石川真生さんが帰国報告を行なうイベント情報もお伝えします。
■■■
■巻き込まれていること:「永続する瞬間」展を見て
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「僕には、どうやったら参与と観察を同時に行えるのかわかりません。コミュニティーに暮らしている間、僕は観察しているときには参与できず、参与しているときには観察できませんでした。(・・・)参与観察という
言葉には、自分もまた観察され試されているんだという現地の人々の立場からの状況把握が完全に欠如しているのも気になります。」保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(お茶の水書房2004年)より。
「永続する瞬間:沖縄と韓国 内なる光景」がニューヨークのPS1で展示されたことの意義は、「テロの現場から」というだけでは不充分だ。悲劇はいとも簡単に管理されるのだと知っている現在となっては。ナショナリズムに安易に展開していったその後のアメリカ社会を見ながら、そう思う。
例えば、ニューヨークが多く包容する移民という存在を抜きにしては、この写真展の意味もありきたりなものに終始するかもしれない。志願兵によって米軍が構成されている現在、兵士の多くは退役後の経済的な機会を望むもの、そして市民権取得のショートカットを望む移民達だ。こうした兵士を「英雄」として賞揚しておきたい社会が最も見たくないものが、兵士の日常だろう。連日新聞を飾る戦場の写真は、無力な被害者と勇敢な兵士、残酷な敵戦闘員の姿のみが、選ばれて国民の前に届けられる。規制網をかいくぐって無警戒にこぼれ出た写真にこそ、見えなかった、見たくなかった、真実の光景がある。このような真実をもってこそ、家族を戦争に送り出して、国家への忠誠を試されながら、愛国の擬態を受け入れざるを得ない人々が抱き続ける「ねじれ」の感情に訴えることが出来るのではないか。訴えて欲しいと思う。そういう展示であったと、後に総括出来るよう期待したい。
無警戒にこぼれ出たといえば、「永続する瞬間」展と、時期を重ねるようにして開催されている、もうひとつの写真展がある。それは、国際写真センター(International Center of Photography) の「不都合な証拠:アブグレイブからイラク捕虜収容所写真」展である。米軍の残虐な行為が、リアルな映像によって暴露される、という点でふたつの写真展は共通した意義を持つ。それが、大統領選挙の帰趨に揺れる「現在」の米国民に問いかけられているだけに、尚更である。
写真展と併行してシンポジウムが開催されたのも、ふたつの展示に関わった人々の間に、それが火急の「問題」であるとの強い認識が横たわっているからだ。ICPのシンポジウムは数百人という規模で米国の市民運動の殿堂とも言えるクーパー・ユニオンのホールを満員にした。「永続する瞬間」のシンポジウムでは、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの教室を数十人の人達が埋めた。規模の違いはあろうけれども、そこに集まったのは、いずれも現在の米国について危機意識を共有出来る人々だ。
「永続する瞬間」とは、今年の夏に亡くなった写真家カルティエ・ブレッソンの言葉「決定的瞬間」からの言い換えである。キュレーションに当たった木幡和枝は、ドキュメンタリ写真家の最高峰であり、写真家集団マグナムの創設にも関与した彼の死を連想させることで、この写真展を米国で展示する説
得力を与えようとしている。
しかし、これは単なる言い換えというよりもアイロニーと言った方が相応しいだろう。自身が被写体となることを拒んだといわれるカルティエ・ブレッソンの、撮影者としての権力的な高見の位置に、コリアとオキナワの写真家を重ね合わせて論じることは、とうてい出来ないからである。同時に、これらの写真の迫力は沖縄人の写真家が撮ったものだからだ、とエセンシャルな表現に安易に落着しないように注意しなければならない。巻き込まれている。渦中にいる。そうした写真家たちの、場への介入をこそ、注視しなければならない。戦争の傷を撮影しながらおじいやおばあたちの思いを託されてしまう比嘉の写真は、撮影者自身がその中に投影されているものであり、映し出されたドキュメンタリは、かれら自身のライフヒストリーでもあるからだ。
カルティエ・ブレッソンが、被写体への圧倒的な支配者であったとしたら、石川真生の凄味は、被写体に、露出の場に、自身を投げ打つところにある。否定出来ないリアルを暴露する。一見無謀なようで、周到に意図された作品群に、オーディエンスは立ち向かわなければならない。その点で石川の写真は暴露された秘密をのぞき見る快楽の少しも許すことはないだろう。(石川は今回の来米を期に、駐留した米兵のビフォア/アフターを取材して撮りたいと言う。彼女がある種の「客観性」「観察する視覚」を用いたときに、どのような映像が、私たちの前に提示されるのだろうか。興味が尽きない。)
コロンビア大で行われたシンポジウムは、写真やドキュメンタリを云々するのではなく、直裁にアジアに配置されている米軍基地問題について情報交換し議論する場であった。アーティストである写真家たちは、基地の存在を批判する運動者としてパネル席に並び、来歴や現状を説明する役割を求められたのである。写真家が運動者として振る舞わなければならない。そうした立場に立たされることについて、アン・ヘリョン氏は、区別することが出来ないと語った。私の質問を最後まで言わせず私の言葉に重ねるようにしての即答だった。おそらくは聞き飽きた問いであると同時に、自分の答えがごく当然のことであるとの、氏の強い思いが込められていると感じた。
関わること、参加すること、自らも巻き込まれること、その方法として写真が選ばれている。撮影者と、被写体と、展示、そして観客。この4者は時に協同しながら、時に相克しながら、写真の真実を構成していると言える。この写真展の試みが、単発に終わらずに、アメリカ国内で回数を重ねて、展示の方法についても試行錯誤を重ねながら、その時々の文脈の中で問題を提起する力を持ち続けるよう、強く願う。足を運ぶ観客たちもまた、プリントされた真実に立ち向かいながら、イシューに巻き込まれていくことが可能だ。圧倒的な瞬間よりも、むしろ、際限なくだらしなく永続するような日常の暮らしのなかに、怒りを維持するための力が注がれることを願ってやまない。
冒頭は、1年ほど前に亡くなった歴史学者の友人の言葉だ。参与観察とは人類学の用語で、異文化を観察するときに自らもその社会に溶け込みながら観察を行う(のがよい)というような考え方だ。オーストラリアでアボリジニ社会のフィールドワークを行った彼は、「観察」の高見に立つことなく「参与」しながらも、自分が見て聞いて体験した瞬間を、言葉を用いて外に向かって表現することの重要性を認識していた。立ち会った瞬間に歴史性を読み、瞬間を書き取ることで、かれらの将来に参加する責任を受け取ったのである。この言葉
を想起しながら、ドキュメンタリ写真という方法を用いて、参与と観察を切実な思いで同時に行おうとする人達を、私は見たと思った。
【阿部小涼】
琉球大学法文学部助教授。カリブと米国を接続するような社会史をめざして
研究している。現在、研修でNYに在住しており、この貴重な写真展を体験
することが出来た。
■■■
■石川真生さん 帰国報告会!!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■真生さん!お帰りなさーい。ニューヨーク写真展報告会@東京
日時:12月17日(金)午後7時から9時
場所:琉球センター・どぅたっち(東京都豊島区駒込2-14-7。
山手線駒込東口2分。)
問い合わせ:琉球センター・どぅたっち 島袋陽子
y-ryu@lck.bias.ne.jp 03−5974−1333
【主催者よりコメント】
12月16日、2ヶ月にわたるニューヨーク P.S.1での写真展を終え、
石川真生さんが東京に戻ります。沖縄に帰る前に、ホッとな報告・歓迎会
を開きます。大統領選挙の最中、真生さんが、何を見、どう感じてきたのか
興味深いお話が伺えると思います。参加費1000円。
■ニューヨーク写真展報告会@大阪
日時:12月19日(日)午後1時30分から5時まで
場所:弁天町市民学習センター(オーク2番館7階)特別会議室
NY写真展実行委員会の名前でとっています。
連絡先:080−1404−4324(中條)
【主催者よりコメント】
NY展とコロンビア大学等でのシンポジウムの様子などについては、
たっぷりお話が聞けると思います。さらに、10月中旬から12月中旬
まで、たっぷり2ヶ月間アメリカに滞在していた真生さんですから、
大統領選をめぐる様々な話を伺うこともできるはずです。また、海兵隊を
多く出している街や海兵隊にかかわる人々を取材してくるとおっしゃって
いたので、その取材から得たことなども聞けると思います。
■連続ティーチ・イン沖縄第4回@ICUのお知らせ
第四回ティーチ・イン沖縄
沖縄をめぐる写真の行方――基地、表現、そして真実――
日時 2004年12月18日[土]14:00〜19:00
第一部:14:00〜15:00 スライドショー+トーク
第二部:15:30〜17:00 ティーチ・インと車座集会
−石川真生さんを囲んで
第三部:17:30〜 交流会
(映像作家・本田孝義による沖縄国際大学「米軍ヘリ墜落事件」上映予定)
会場 国際基督教大学 大学本館260
交通:JR中央線・三鷹駅/武蔵境駅下車 「国際基督教大学行き」
バス約10分 http://www.icu.ac.jp/campusguide/index.html
参加費 500円(資料代)
(第三部参加者の方からは飲食代1000円をお願いします)
去る8月13日に起こった海兵隊ヘリ墜落事故。そのとき、まったく偶然に、
石川真生は事故現場に近接する佐喜真美術館で『沖縄ソウル展』を開催中で
あった。彼女は、カメラをもってすぐに現場に飛び出した・・・・・。
石川真生は、復帰直後の1970年代、「東松照明教室」のワークショップ
を通じて写真を学ぶ。以来現在まで、「基地を取り巻く人々」「港町エレ
ジー」「戦世(いくさゆ)オキナワ48年目の夏」「フィリピン人ダンサー」
「日の丸を視る目」「沖縄芝居 『劇団でいご座』」「沖縄の自衛隊」など、
被写体一人ひとりの人生に迫る作品を発表し続けている。
また、9月12日には、三万人の人々が集まり、ヘリ墜落に抗議する宜野湾
市民大会が開催された。これまで自然写真家として活動してきた石川直樹
は、事故現場を訪れ、その厳しい自然状況に目を凝らした。
第四回目の今回のティーチ・インでは、個の立場で沖縄の真実を見つめ、表
現に取り組む写真家・映像作家を迎え、中央メディアでは「認知されない」
沖縄をいかに表現するか、そのメッセージから、共に考え、読み解き、そ
して、参加者それぞれがどのように応答し、表現できるのか、その可能性を
探る試みです。
ゲスト・スピーカー
*石川真生(写真家・http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/)
身体から溢れる沖縄を写真で表現・アピールし続けている、石川真生さん。
NYでのグループ写真展から帰ったばかりの真生さんを迎え、展示作品を紹
介しつつ、アメリカ人の反応や大統領選の様子を交えて、沖縄をめぐる写真
の行方について、お話をうかがいます。
写真・記事展示
*石川直樹(写真家・http://straightree.com)
<宜野湾市民大会について〜写真・記事展示>
自然の奥深さを見つめてきた眼で、沖縄の今はどう写るのか。
そのチャレンジに囲まれて、語りましょう。
主催:連続ティーチ・イン沖縄実行委員会
伊佐由貴(一橋大学)、石川直樹(東京芸術大学)、岩崎稔(東京外国語
大学)、鵜飼哲(一橋大学)、岡本由希子(群島舎)、金子活実(国際基督
教大学)、金城太生郎、熊手あゆみ(上智大学)、熊本博之(早稲田大学)、
後藤拓也(一橋大学)、坂元ひろ子(一橋大学)、鈴木直子(青山学院短期
大学)、 田中藍子(映像作家)、谷口基(早稲田大学)、戸邊秀明(早稲田
大学)、中嶋泉(一橋大学)、中野敏男(東京外国語大学)、中本進一(一
橋大学)、濱治佳(山形国際ドキュメンタリー映画祭)、東琢磨(音楽批評)、
前田丈志(岩波書店)、水谷明子(津田塾大学)、本橋哲也(東京都立大学)、
森口豁(ジャーナリスト)、羽矢みずき(立教大学)、港千尋(多摩美術大学)、吉田遼(東京都立大学)、若林千代(津田塾大学)
問い合わせ先:chiyow@tsuda.ac.jp
■■■
■カンパのお願い
■■■■■■■■■■■■■■■
賛同人のカンパにより当写真展は運営されています。
カンパのご協力をお願い致します。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
================================
■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■■編集後記■■■■
掲載した阿部さんのエッセーの印象的な言葉。
「撮影者と、被写体と、展示、そして観客。この4者は時に協同しながら、
時に相克しながら、写真の真実を構成していると言える。」
写真展終了後、帰国する石川真生さんはその足で東京・大阪での報告会へ
向います。NY展に足を運べなかった方々は、撮影者でも、被写体でも、
展示(者)や観客でもありませんが、何かの縁で少なくともこの写真展と
いう磁場に集まった方々なのかもしれません。ぜひ、この写真展に注目し
ていただいた、このメールマガジンの読者の皆さんにも報告会に足を運んで
頂きたいと思います。
次号もNY発のレポート、エッセイを掲載します。また報告会の様子も配信
予定です。乞うご期待。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。出所としてメルマガHPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
2004年12月16日
大阪でも帰国報告会があります
東京のあと、大阪でも石川真生さんによる報告会が開かれます。
ぜひお気軽にお越し下さい。
■ニューヨーク写真展報告会@大阪
日時:12月19日(日)午後1時30分から5時まで
場所:弁天町市民学習センター(オーク2番館7階)特別会議室
NY写真展実行委員会の名前でとっています。
連絡先:080−1404−4324(中條)
【主催者よりコメント】
NY展とコロンビア大学等でのシンポジウムの様子などについては、
たっぷりお話が聞けると思います。さらに、10月中旬から12月中旬
まで、たっぷり2ヶ月間アメリカに滞在していた真生さんですから、
大統領選をめぐる様々な話を伺うこともできるはずです。また、海兵隊を
多く出している街や海兵隊にかかわる人々を取材してくるとおっしゃって
いたので、その取材から得たことなども聞けると思います。
ぜひお気軽にお越し下さい。
■ニューヨーク写真展報告会@大阪
日時:12月19日(日)午後1時30分から5時まで
場所:弁天町市民学習センター(オーク2番館7階)特別会議室
NY写真展実行委員会の名前でとっています。
連絡先:080−1404−4324(中條)
【主催者よりコメント】
NY展とコロンビア大学等でのシンポジウムの様子などについては、
たっぷりお話が聞けると思います。さらに、10月中旬から12月中旬
まで、たっぷり2ヶ月間アメリカに滞在していた真生さんですから、
大統領選をめぐる様々な話を伺うこともできるはずです。また、海兵隊を
多く出している街や海兵隊にかかわる人々を取材してくるとおっしゃって
いたので、その取材から得たことなども聞けると思います。
2004年12月15日
石川真生さん 帰国報告会!!
写真展も閉幕です。帰国される石川真生さんがその足で、東京に立ち寄り、帰国報告会を開かれます。ぜひみなさんお集まり下さい。
■真生さん!お帰りなさーい。ニューヨーク写真展報告会■
●日時:12月17日(金)午後7時から9時
●場所:琉球センター・どぅたっち(東京都豊島区駒込2-14-7。
山手線駒込東口2分。)
●問い合わせ:琉球センター・どぅたっち 島袋陽子
y-ryu@lck.bias.ne.jp 03−5974−1333
12月16日、2ヶ月にわたるニューヨーク P.S.1での写真展を終え、
石川真生さんが東京に戻ります。沖縄に帰る前に、ホッとな報告・歓迎会
を開きます。大統領選挙の最中、真生さんが、何を見、どう感じてきたのか
興味深いお話が伺えると思います。参加費1000円。
■連続ティーチ・イン沖縄第4回@ICUのお知らせ■
第四回ティーチ・イン沖縄
沖縄をめぐる写真の行方――基地、表現、そして真実――
●日時 2004年12月18日[土]14:00〜19:00
第一部:14:00〜15:00 スライドショー+トーク
第二部:15:30〜17:00 ティーチ・インと車座集会
−石川真生さんを囲んで
第三部:17:30〜 交流会
(映像作家・本田孝義による沖縄国際大学「米軍ヘリ墜落事件」上映予定)
●会場 国際基督教大学 大学本館260
交通:JR中央線・三鷹駅/武蔵境駅下車 「国際基督教大学行き」
バス約10分 http://www.icu.ac.jp/campusguide/index.html
●参加費 500円(資料代)
(第三部参加者の方からは飲食代1000円をお願いします)
去る8月13日に起こった海兵隊ヘリ墜落事故。そのとき、まったく偶然に、
石川真生は事故現場に近接する佐喜真美術館で『沖縄ソウル展』を開催中で
あった。彼女は、カメラをもってすぐに現場に飛び出した・・・・・。
石川真生は、復帰直後の1970年代、「東松照明教室」のワークショップ
を通じて写真を学ぶ。以来現在まで、「基地を取り巻く人々」「港町エレ
ジー」「戦世(いくさゆ)オキナワ48年目の夏」「フィリピン人ダンサー」
「日の丸を視る目」「沖縄芝居 『劇団でいご座』」「沖縄の自衛隊」など、
被写体一人ひとりの人生に迫る作品を発表し続けている。
また、9月12日には、三万人の人々が集まり、ヘリ墜落に抗議する宜野湾
市民大会が開催された。これまで自然写真家として活動してきた石川直樹
は、事故現場を訪れ、その厳しい自然状況に目を凝らした。
第四回目の今回のティーチ・インでは、個の立場で沖縄の真実を見つめ、表
現に取り組む写真家・映像作家を迎え、中央メディアでは「認知されない」
沖縄をいかに表現するか、そのメッセージから、共に考え、読み解き、そ
して、参加者それぞれがどのように応答し、表現できるのか、その可能性を
探る試みです。
ゲスト・スピーカー
*石川真生(写真家・http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/)
身体から溢れる沖縄を写真で表現・アピールし続けている、石川真生さん。
NYでのグループ写真展から帰ったばかりの真生さんを迎え、展示作品を紹
介しつつ、アメリカ人の反応や大統領選の様子を交えて、沖縄をめぐる写真
の行方について、お話をうかがいます。
写真・記事展示
*石川直樹(写真家・http://straightree.com)
<宜野湾市民大会について〜写真・記事展示>
自然の奥深さを見つめてきた眼で、沖縄の今はどう写るのか。
そのチャレンジに囲まれて、語りましょう。
主催:連続ティーチ・イン沖縄実行委員会
伊佐由貴(一橋大学)、石川直樹(東京芸術大学)、岩崎稔(東京外国語
大学)、鵜飼哲(一橋大学)、岡本由希子(群島舎)、金子活実(国際基督
教大学)、金城太生郎、熊手あゆみ(上智大学)、熊本博之(早稲田大学)、
後藤拓也(一橋大学)、坂元ひろ子(一橋大学)、鈴木直子(青山学院短期
大学)、 田中藍子(映像作家)、谷口基(早稲田大学)、戸邊秀明(早稲田
大学)、中嶋泉(一橋大学)、中野敏男(東京外国語大学)、中本進一(一
橋大学)、濱治佳(山形国際ドキュメンタリー映画祭)、東琢磨(音楽批評)、
前田丈志(岩波書店)、水谷明子(津田塾大学)、本橋哲也(東京都立大学)、
森口豁(ジャーナリスト)、羽矢みずき(立教大学)、港千尋(多摩美術大学)、吉田遼(東京都立大学)、若林千代(津田塾大学)
●問い合わせ先:chiyow@tsuda.ac.jp
■真生さん!お帰りなさーい。ニューヨーク写真展報告会■
●日時:12月17日(金)午後7時から9時
●場所:琉球センター・どぅたっち(東京都豊島区駒込2-14-7。
山手線駒込東口2分。)
●問い合わせ:琉球センター・どぅたっち 島袋陽子
y-ryu@lck.bias.ne.jp 03−5974−1333
12月16日、2ヶ月にわたるニューヨーク P.S.1での写真展を終え、
石川真生さんが東京に戻ります。沖縄に帰る前に、ホッとな報告・歓迎会
を開きます。大統領選挙の最中、真生さんが、何を見、どう感じてきたのか
興味深いお話が伺えると思います。参加費1000円。
■連続ティーチ・イン沖縄第4回@ICUのお知らせ■
第四回ティーチ・イン沖縄
沖縄をめぐる写真の行方――基地、表現、そして真実――
●日時 2004年12月18日[土]14:00〜19:00
第一部:14:00〜15:00 スライドショー+トーク
第二部:15:30〜17:00 ティーチ・インと車座集会
−石川真生さんを囲んで
第三部:17:30〜 交流会
(映像作家・本田孝義による沖縄国際大学「米軍ヘリ墜落事件」上映予定)
●会場 国際基督教大学 大学本館260
交通:JR中央線・三鷹駅/武蔵境駅下車 「国際基督教大学行き」
バス約10分 http://www.icu.ac.jp/campusguide/index.html
●参加費 500円(資料代)
(第三部参加者の方からは飲食代1000円をお願いします)
去る8月13日に起こった海兵隊ヘリ墜落事故。そのとき、まったく偶然に、
石川真生は事故現場に近接する佐喜真美術館で『沖縄ソウル展』を開催中で
あった。彼女は、カメラをもってすぐに現場に飛び出した・・・・・。
石川真生は、復帰直後の1970年代、「東松照明教室」のワークショップ
を通じて写真を学ぶ。以来現在まで、「基地を取り巻く人々」「港町エレ
ジー」「戦世(いくさゆ)オキナワ48年目の夏」「フィリピン人ダンサー」
「日の丸を視る目」「沖縄芝居 『劇団でいご座』」「沖縄の自衛隊」など、
被写体一人ひとりの人生に迫る作品を発表し続けている。
また、9月12日には、三万人の人々が集まり、ヘリ墜落に抗議する宜野湾
市民大会が開催された。これまで自然写真家として活動してきた石川直樹
は、事故現場を訪れ、その厳しい自然状況に目を凝らした。
第四回目の今回のティーチ・インでは、個の立場で沖縄の真実を見つめ、表
現に取り組む写真家・映像作家を迎え、中央メディアでは「認知されない」
沖縄をいかに表現するか、そのメッセージから、共に考え、読み解き、そ
して、参加者それぞれがどのように応答し、表現できるのか、その可能性を
探る試みです。
ゲスト・スピーカー
*石川真生(写真家・http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/)
身体から溢れる沖縄を写真で表現・アピールし続けている、石川真生さん。
NYでのグループ写真展から帰ったばかりの真生さんを迎え、展示作品を紹
介しつつ、アメリカ人の反応や大統領選の様子を交えて、沖縄をめぐる写真
の行方について、お話をうかがいます。
写真・記事展示
*石川直樹(写真家・http://straightree.com)
<宜野湾市民大会について〜写真・記事展示>
自然の奥深さを見つめてきた眼で、沖縄の今はどう写るのか。
そのチャレンジに囲まれて、語りましょう。
主催:連続ティーチ・イン沖縄実行委員会
伊佐由貴(一橋大学)、石川直樹(東京芸術大学)、岩崎稔(東京外国語
大学)、鵜飼哲(一橋大学)、岡本由希子(群島舎)、金子活実(国際基督
教大学)、金城太生郎、熊手あゆみ(上智大学)、熊本博之(早稲田大学)、
後藤拓也(一橋大学)、坂元ひろ子(一橋大学)、鈴木直子(青山学院短期
大学)、 田中藍子(映像作家)、谷口基(早稲田大学)、戸邊秀明(早稲田
大学)、中嶋泉(一橋大学)、中野敏男(東京外国語大学)、中本進一(一
橋大学)、濱治佳(山形国際ドキュメンタリー映画祭)、東琢磨(音楽批評)、
前田丈志(岩波書店)、水谷明子(津田塾大学)、本橋哲也(東京都立大学)、
森口豁(ジャーナリスト)、羽矢みずき(立教大学)、港千尋(多摩美術大学)、吉田遼(東京都立大学)、若林千代(津田塾大学)
●問い合わせ先:chiyow@tsuda.ac.jp
2004年12月12日
第6号
==============================
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第6号>>
2004年12月6日
==============================
今週号は先週号に引き続き石川真生さんのエッセー最終号を掲載します。
「アメリカ全国を回らねば」と現在の心境を語ってもらいました。
またNY在住のアーティスト、折田裕子さんからの寄稿をお届けします。
■■■
■ニューヨークで写真展を! その3
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
10月24日のPS1の全体オープニングは大勢が来てそりゃもう、
にぎやか、にぎやか。ヨーロッパ、アジア、アメリカ各地から観客が
やって来た。私達の写真展会場の反応は、「こんなことがあるなんて
知らなかった。初めて見る写真ばかりだ。これはアメリカ人が見ない
といけない写真だ」という意見が大半で好評だった。やってよかったわ。
感激したね、あたしゃ。
PS1というのは、知らなかったけど知名度が高いのよね。「PS1で
やるのよ」と言うとアートをやっている人はだいたい知っていて、
「わーっ、すごい!」と、うらやましがられた。私達写真家は知らな
かったけど、世界中からアーティストが参加する現代美術館なんだっ
て。おかげで私達が宣伝しなくても連日世界中から見学者が来るので
大助かり。ありがたいことだわ。誰かが言っていた。「世界へデビュー
する第一歩の場所ですよ、PS1は」。
後日、写真展会場に「感想文を書いてください」と紙を置いたら結構
みんな書いてくれてる。詳しい内容は私のホムページの「talk」に載せ
てるので見てね。会場でガードマンをしている若い女の子が、「他の
会場よりもここの展示会場が一番いいわ」と言ってくれた。うれしいね。
会場の外ではニュージャージーに住む私の叔母、定子・与那覇・トー
シーを始め10人のニューヨーク沖縄県人会のメンバーによる沖縄の
唄、サンシン、踊りでオープニングを盛り上げてくれた。ズラッと観客
が取り囲み大受け。みんな興味深々で見ていた。私は沖縄人としての
「誇り」で感激。こういう時に自分達の文化を見直すのよね、人って。
最後はもちろん沖縄恒例のカチャーシーで幕。外国人の飛び入り参加
もあって楽しかったわ。
10月17日の写真展オープンから一ヶ月半余り、みんな帰っちゃって、
残っているのは私一人。私が現在住んでいるアパートの家主の照屋勇賢
さんは私と入れ替えに沖縄に帰っていて不在なの。
アパートには沖縄や東京からやって来た女の子達が多い時は6人いたの
で、そりゃもうにぎやかだったわ。
「高いホテルなんて泊まらないで、みんなで雑魚寝しよう」と呼び掛け
たらいっぱいになっちゃった。最初は比嘉豊光さんもいたけど、さすが
に女だらけになったので別の知り合いのところに移っちゃった。という
よりか、追い出した?
比嘉さんが撮影した映画の編集を手がけた田中藍さんや武山忠司さんも
東京からやって来て、ビデオでの記録係りやなんやかんやと手伝って
くれた。かようにしていろんな人達がいろんな形で手伝ってくれたん
です。ほんと、みんなには感謝だわ。
ただ1つ残念なのは、「みんなでアメリカに、ニューヨークに乗り込
もう!」と勢い込んでいたのに、ビザなどの都合で韓国からはアン
ヘリョンさんただ一人しか来れなかったこと。昨年は全員が日本での
写真展とシンポジウムに参加できたことを考えると、残念!
私は写真展の最終日(12月13日)を見届けて、予定通り12月
16日(日本時間)には帰国するわよ。
PS1での写真展の次は、「やりましょう」と名乗りを上げてくれた
大学もあるし、アメリカ全国巡回展ができたらいいな、といろんな人
に声を掛けているところ。
「アメリカ人に見せたい」と始めた写真展ですもの、アメリカ全国を
回らねば。心当たりのある方はご一報を。
(終わり)
【石川真生】
写真家
HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■
■アートの見る夢
■■■■■■■■■■■■■■
私がP.S.1に赴いた当日、美術館は他2つのグループ展のオープ
ニングとも並行し、アートファンで賑わっていた。「永続する瞬間」
展会場には、日本からのメディア関係者が目立ち、なにやら仰々しい
特殊な雰囲気が漂っていたが、厳粛な面持ちで閲覧する観客の間を、
突然、3人の女性パフォーマーがヴァイオリンを片手にけたたましい
音を奏でながら走り回り人々の目を惹く。笑う人、眉を顰める人、耳
を塞ぐ人様々。まるで、ここがあくまでもニューヨークのコンテンポ
ラリー・アートの舞台であることを見せつける様であった。そんな会
場の佇まい、基地問題の「シリアスさ」をそのまま纏う観客にまじっ
て、アートを鑑賞しにきた観客の「戸惑い」「興味」そして「批評」
は、展覧会キュレーターが写真展開催において提示した課題への回答
を直接示しているように見えた。
興味深く見入る観客からは「こんな横暴は許せない。」という怒りや
同情の感想が聞こえた。ニューヨークには沖縄が米軍基地が占領する
島である事を知る人が意外と多く、私が沖縄出身と知ると、米軍の事
をコメントされることもしばしばであった。しかし、兵士達の無法や
軍の横暴は、「知らざれる事実」だろう。特に、ノ・スンテックさん
の写真は、韓国における少女の圧死事件で爆発した、米軍に対する群
衆の怒りの声を、ストレートに記録し、「反米」のメッセージ全面で
伝えてくる。それらの写真は、アメリカの正義というもが、力の法則
をもとに成り立つものである事を弾劾し、アメリカの信じる「正義の
絶対性」の不完全さと支配と非支配者の関係における不平等を「怒り
」と「群衆」の強烈なイメージで伝える。その群衆が支える大きな一
つの韓国旗とアナだらけで分散した星条旗の対比写真は、アメリカ人
を居心地悪く立ち止まらせる十分なパワーを持つだろう。(二人の少
女の死が「国旗」に象徴されていく過程は、普遍的な現象でもあり興
味深い。そして"United Power" が国を越えて、平和への意思として
開放に進む事を祈らずにはいられない。)
一方で、「政治的すぎるんだよね」という非常にショッキングで、そ
の言葉の意図を疑うコメントを日本人の作曲家から聞いたし、ある
アートギャラリーのオーナーは、外で行われていたエイサーと三線の
パフォーマンスに「一体なんでここでフォークロアのダンスなんかや
っているの?」と苦々しく話してかけてきたりもした。沖縄の歴史や
文化、社会事情などを説明すると「それは驚いた。」と突然興味を持
ち始め、「是非訪れてみたい。」と興奮気味になったが、私には「ド
キュメンタリー」と「アート」の舞台の落差をしみじみと感じた瞬間
だった。そして正直言って、「人は見たい物しか見ない」と実感した
のはこの時だ。「事実を知る」ことと「事実を理解する事」の差は大
きい。アメリカの50%の「事実を理解しよう」とする人々と50%
の「事実を理解してもらうべき人達」に、事実を伝えるために、作品
の伝える趣旨が、新聞の一面写真として終わってしまわないために、
この展覧会に課された次の課題は非常に重い。
【折田裕子 Hiroko ORITA】
那覇市生まれ。明治学院国際学部、School of Visual Arts,
Film/Video科卒業。大学在籍中、ヴィデオ・アートとマクルーハン理論
に触れる。中国、ヨーロッパ、アフリカ、メキシコの旅を通して大地と
記憶、此所と彼方をテーマに作品を制作。現在、ニューヨークのパブ
リック・アート・オーガニゼーション、Creative Timeにて、キュレト
リアル・インターンを務める。www.creativetime.org
最近、Artist Spaceで行われている"Thank you"展を見て、アートの
社会における可能性を再び再認識中。この展覧会は「見る事で参加す
る。」HIV/AIDSベネフィット・プロジェクトです。オンラインからの
参加も可能なので、是非ご覧下さい。http://www.wooloo.org/
■■■
■メディア情報
■■■■■■■■■■■■■■■
『InterCommunication』No.51(Winter 2005:特集Visual Histry)に
当写真展キュレター・木幡和枝さんの「記録する者と展示する者――
美術空間における経験 P.S.1写真展『永続する瞬間――沖縄、韓国
内なる風景』」が掲載されています。
http://www.ntticc.or.jp/Publication/Icm/index_j.html
■■■
■カンパのお願い
■■■■■■■■■■■■■■■
賛同人のカンパにより当写真展は運営されています。
カンパのご協力をお願い致します。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
================================
■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■編集後記■■■■
『InterCommunication』No.51に載っている当写真展キュレター・
木幡和枝さんの文章を興味深く読んだ。「記録する者」=写真家と
「展示する者」=キュレター/展示会場側との緊張関係がこの写真展の
成り立ちに刻まれているということ。政治とアートを区分けしようと
する場には、このような緊張関係はアートをめぐって生まれないはずだ。
この緊張関係は政治とアートが切っても切り放せないものであること、
そしてこの緊張関係こそが新たな対話、表現、コミュニケーションを
生み出すのだということを物語っているように思えた。
次号もNY発のレポート、エッセイを掲載します。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。出所としてメルマガHPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第6号>>
2004年12月6日
==============================
今週号は先週号に引き続き石川真生さんのエッセー最終号を掲載します。
「アメリカ全国を回らねば」と現在の心境を語ってもらいました。
またNY在住のアーティスト、折田裕子さんからの寄稿をお届けします。
■■■
■ニューヨークで写真展を! その3
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
10月24日のPS1の全体オープニングは大勢が来てそりゃもう、
にぎやか、にぎやか。ヨーロッパ、アジア、アメリカ各地から観客が
やって来た。私達の写真展会場の反応は、「こんなことがあるなんて
知らなかった。初めて見る写真ばかりだ。これはアメリカ人が見ない
といけない写真だ」という意見が大半で好評だった。やってよかったわ。
感激したね、あたしゃ。
PS1というのは、知らなかったけど知名度が高いのよね。「PS1で
やるのよ」と言うとアートをやっている人はだいたい知っていて、
「わーっ、すごい!」と、うらやましがられた。私達写真家は知らな
かったけど、世界中からアーティストが参加する現代美術館なんだっ
て。おかげで私達が宣伝しなくても連日世界中から見学者が来るので
大助かり。ありがたいことだわ。誰かが言っていた。「世界へデビュー
する第一歩の場所ですよ、PS1は」。
後日、写真展会場に「感想文を書いてください」と紙を置いたら結構
みんな書いてくれてる。詳しい内容は私のホムページの「talk」に載せ
てるので見てね。会場でガードマンをしている若い女の子が、「他の
会場よりもここの展示会場が一番いいわ」と言ってくれた。うれしいね。
会場の外ではニュージャージーに住む私の叔母、定子・与那覇・トー
シーを始め10人のニューヨーク沖縄県人会のメンバーによる沖縄の
唄、サンシン、踊りでオープニングを盛り上げてくれた。ズラッと観客
が取り囲み大受け。みんな興味深々で見ていた。私は沖縄人としての
「誇り」で感激。こういう時に自分達の文化を見直すのよね、人って。
最後はもちろん沖縄恒例のカチャーシーで幕。外国人の飛び入り参加
もあって楽しかったわ。
10月17日の写真展オープンから一ヶ月半余り、みんな帰っちゃって、
残っているのは私一人。私が現在住んでいるアパートの家主の照屋勇賢
さんは私と入れ替えに沖縄に帰っていて不在なの。
アパートには沖縄や東京からやって来た女の子達が多い時は6人いたの
で、そりゃもうにぎやかだったわ。
「高いホテルなんて泊まらないで、みんなで雑魚寝しよう」と呼び掛け
たらいっぱいになっちゃった。最初は比嘉豊光さんもいたけど、さすが
に女だらけになったので別の知り合いのところに移っちゃった。という
よりか、追い出した?
比嘉さんが撮影した映画の編集を手がけた田中藍さんや武山忠司さんも
東京からやって来て、ビデオでの記録係りやなんやかんやと手伝って
くれた。かようにしていろんな人達がいろんな形で手伝ってくれたん
です。ほんと、みんなには感謝だわ。
ただ1つ残念なのは、「みんなでアメリカに、ニューヨークに乗り込
もう!」と勢い込んでいたのに、ビザなどの都合で韓国からはアン
ヘリョンさんただ一人しか来れなかったこと。昨年は全員が日本での
写真展とシンポジウムに参加できたことを考えると、残念!
私は写真展の最終日(12月13日)を見届けて、予定通り12月
16日(日本時間)には帰国するわよ。
PS1での写真展の次は、「やりましょう」と名乗りを上げてくれた
大学もあるし、アメリカ全国巡回展ができたらいいな、といろんな人
に声を掛けているところ。
「アメリカ人に見せたい」と始めた写真展ですもの、アメリカ全国を
回らねば。心当たりのある方はご一報を。
(終わり)
【石川真生】
写真家
HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
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■アートの見る夢
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私がP.S.1に赴いた当日、美術館は他2つのグループ展のオープ
ニングとも並行し、アートファンで賑わっていた。「永続する瞬間」
展会場には、日本からのメディア関係者が目立ち、なにやら仰々しい
特殊な雰囲気が漂っていたが、厳粛な面持ちで閲覧する観客の間を、
突然、3人の女性パフォーマーがヴァイオリンを片手にけたたましい
音を奏でながら走り回り人々の目を惹く。笑う人、眉を顰める人、耳
を塞ぐ人様々。まるで、ここがあくまでもニューヨークのコンテンポ
ラリー・アートの舞台であることを見せつける様であった。そんな会
場の佇まい、基地問題の「シリアスさ」をそのまま纏う観客にまじっ
て、アートを鑑賞しにきた観客の「戸惑い」「興味」そして「批評」
は、展覧会キュレーターが写真展開催において提示した課題への回答
を直接示しているように見えた。
興味深く見入る観客からは「こんな横暴は許せない。」という怒りや
同情の感想が聞こえた。ニューヨークには沖縄が米軍基地が占領する
島である事を知る人が意外と多く、私が沖縄出身と知ると、米軍の事
をコメントされることもしばしばであった。しかし、兵士達の無法や
軍の横暴は、「知らざれる事実」だろう。特に、ノ・スンテックさん
の写真は、韓国における少女の圧死事件で爆発した、米軍に対する群
衆の怒りの声を、ストレートに記録し、「反米」のメッセージ全面で
伝えてくる。それらの写真は、アメリカの正義というもが、力の法則
をもとに成り立つものである事を弾劾し、アメリカの信じる「正義の
絶対性」の不完全さと支配と非支配者の関係における不平等を「怒り
」と「群衆」の強烈なイメージで伝える。その群衆が支える大きな一
つの韓国旗とアナだらけで分散した星条旗の対比写真は、アメリカ人
を居心地悪く立ち止まらせる十分なパワーを持つだろう。(二人の少
女の死が「国旗」に象徴されていく過程は、普遍的な現象でもあり興
味深い。そして"United Power" が国を越えて、平和への意思として
開放に進む事を祈らずにはいられない。)
一方で、「政治的すぎるんだよね」という非常にショッキングで、そ
の言葉の意図を疑うコメントを日本人の作曲家から聞いたし、ある
アートギャラリーのオーナーは、外で行われていたエイサーと三線の
パフォーマンスに「一体なんでここでフォークロアのダンスなんかや
っているの?」と苦々しく話してかけてきたりもした。沖縄の歴史や
文化、社会事情などを説明すると「それは驚いた。」と突然興味を持
ち始め、「是非訪れてみたい。」と興奮気味になったが、私には「ド
キュメンタリー」と「アート」の舞台の落差をしみじみと感じた瞬間
だった。そして正直言って、「人は見たい物しか見ない」と実感した
のはこの時だ。「事実を知る」ことと「事実を理解する事」の差は大
きい。アメリカの50%の「事実を理解しよう」とする人々と50%
の「事実を理解してもらうべき人達」に、事実を伝えるために、作品
の伝える趣旨が、新聞の一面写真として終わってしまわないために、
この展覧会に課された次の課題は非常に重い。
【折田裕子 Hiroko ORITA】
那覇市生まれ。明治学院国際学部、School of Visual Arts,
Film/Video科卒業。大学在籍中、ヴィデオ・アートとマクルーハン理論
に触れる。中国、ヨーロッパ、アフリカ、メキシコの旅を通して大地と
記憶、此所と彼方をテーマに作品を制作。現在、ニューヨークのパブ
リック・アート・オーガニゼーション、Creative Timeにて、キュレト
リアル・インターンを務める。www.creativetime.org
最近、Artist Spaceで行われている"Thank you"展を見て、アートの
社会における可能性を再び再認識中。この展覧会は「見る事で参加す
る。」HIV/AIDSベネフィット・プロジェクトです。オンラインからの
参加も可能なので、是非ご覧下さい。http://www.wooloo.org/
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■メディア情報
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『InterCommunication』No.51(Winter 2005:特集Visual Histry)に
当写真展キュレター・木幡和枝さんの「記録する者と展示する者――
美術空間における経験 P.S.1写真展『永続する瞬間――沖縄、韓国
内なる風景』」が掲載されています。
http://www.ntticc.or.jp/Publication/Icm/index_j.html
■■■
■カンパのお願い
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賛同人のカンパにより当写真展は運営されています。
カンパのご協力をお願い致します。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■編集後記■■■■
『InterCommunication』No.51に載っている当写真展キュレター・
木幡和枝さんの文章を興味深く読んだ。「記録する者」=写真家と
「展示する者」=キュレター/展示会場側との緊張関係がこの写真展の
成り立ちに刻まれているということ。政治とアートを区分けしようと
する場には、このような緊張関係はアートをめぐって生まれないはずだ。
この緊張関係は政治とアートが切っても切り放せないものであること、
そしてこの緊張関係こそが新たな対話、表現、コミュニケーションを
生み出すのだということを物語っているように思えた。
次号もNY発のレポート、エッセイを掲載します。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。出所としてメルマガHPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
2004年12月04日
第5号



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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第5号>>
2004年11月30日
===============================
今週号は先週号に引き続き石川真生さんのエッセーを掲載します。
今回は開催が決定してからの様子や、オープニングとシンポジウムをどのように
受け止めたのかを書き綴ってもらいました。
またNY発、前嵩西一馬さんによる連載「遍在する肉声」No.2もお届けします。
■■■
■ニューヨークで写真展を! その2
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
以前はよく外食していたけど懐具合が心配になってきたので、今は家で
料理することが多い。ずっと昔、居酒屋を経営していたことがあって、
その時の習慣かしら、料理したら一度にたくさん作っちゃうのよね。
作ったら作ったで目の前にあると食べないと気がすまない食いしん坊
なので、最近の私、鏡を見るのが怖い。「ゲッ!また太ったぜ」
10月14日、沖縄からやって来た私と比嘉豊光さん、それに韓国から
やって来たアンヘリョンさんの写真家3人と、東京からやって来たPS1
の客員キューレーターの木幡和枝さん、それにPS1のデザイナーの
トニーさんとで、それぞれの写真家が持ち寄った作品を見ながらお互い
ケンケンガクガク。
事前に東京で私と木幡さんとアンさんの三人で、「だいたいこれで行き
ましょう」と、参加写真家6人全員の写真を調整して選んだはずなのに、
実際に大きくした写真を会場に持ち込んでみたら違いが出てきた。
写真家は全部の作品を見せたいし、PS1側は会場の広さと全体のバラ
ンスを考えて減らそうとするしで大攻防戦。どうにかこうにか収まって
決まったのが写真展オープンの前日。はー、しんどい作業だったわ・・・。
10月17日は写真展のオープンの日。まだPS1の他の展示会場は
オープンしてないところもあるので、観客の出足はチョボチョボ。
10月19日はコロンビア大学でシンポジウム。大学内にある「平和教育
センター」が主催してくれ約80人が集まった。司会は元センター長の
ベティー・リアドンさん。75歳だというのにとってもおしゃれでチャーミング。
私と比嘉さんとアンヘリョンさんにはそれぞれボランティアの通訳が付いて
くれた。秋林こずえさんと、ニューヨーク在住の沖縄人(うちなーんちゅ)
の池原えり子さん、それに韓国人留学生の女の子。アンさんが用意してくれた
スライドを見ながらPS1での各写真家の展示作品の説明。みんな、熱心に
見てたわ。
その後、フロアーを交えての「沖縄と韓国における米軍基地問題」の話し
合いに入った。「アメリカの支配者階級の白人にもっと来てほしかった」
と、私は率直にフロアーに感想を言った。この日は日本人や韓国系及び
アジア系アメリカ人が多かった。
聴衆の大方は「安保」も「米軍による事件事故」も何もしらない。だい
いち、沖縄がどこにあるかさえ分からない人もいる。「アジアにある米軍
基地で何が起こっているのか、人々はそれをどう見ているのか」をアメリ
カ人に知らせる旅は今始ったばかりなんだ、とつくづく思い知らされた。
前日の18日、沖縄国際大学の学生、安達菜子さんと仲尾美希さんがこの
シンポジウムに参加するために急遽、沖縄から駆けつけた。私もその行動
力には、オウ・マイ・ガット!
最後に2人が、8月に起こった同大学での米軍のヘリコプター墜落事件を
報告。「真っ黒に焼けただれた壁の保存の署名集めをしてます」。緊張しな
がらも報告すると、会場から暖かい拍手。終了後、2人が持ってきた墜落
事件の新聞記事をみんなが興味深く見て、彼女達にいろいろと話しかけて
いた。よかったね。
(次号へ続く)
【石川真生】
写真家
HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■
■遍在する肉声2 「わかる」ということ
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
マンハッタンはイーストハーレム南端にあるアパートをあとにして、
アッパーウェストサイドにある親戚宅へ向かう、今宵は感謝祭。17
世紀初頭、飢えに苦しむ開拓者らが、ある実りの秋に、作物の育てかたを
教えて助けてくれたインディアンたちを食事に招いたのが、その起こりと
される。アメリカという国が 「他者」の記憶を刻印する祭日、サンクス
ギビング。マンハッタンの東から西へと街を横断するバスの車内は客も
まばらで、セントラルパーク内のトンネルにちょうどさしかかる。おそらく
走行車両の高さを制限する標識かなにかだと思われるが、9’−11’と
記されているサインが車窓からちらりとのぞく。9、11。決して軽くは
ないその「偶然の一致」に対してとくに深い考えを思いつくわけでもなく、
クロスタウンのバスはいつものようにするりとトンネルを抜け、次の
停留所へと向かう。
複数の展示が行われているPS1において、この写真展の持つ緊迫感は
異彩を放つ。6人の写真家達による作品群が、最小限のキャプションと
ともに整然と四方の白壁に掲げられている。それぞれの作品に一瞥をくれる
やいなや足早にその前を通り過ぎ、そそくさと別の部屋の展示を見に行く者
もいれば、ひとつひとつの写真の前で立ち止まり、じっくりと食い入るよう
にそれらを見つめる者もいる。
会場に訪れた多くの観客から、もっとこれらの作品に関する背景の説明が
ほしい、わかりにくい、という声が聞かれる。たしかに僕が初めてこの展示
会に足を運んだときも、「ひょっとしたら沖縄や韓国の事情を知らないアメ
リカ人が見たら、わかりにくいかもしれないな」、そう思ったことを覚えて
いる。
さて、この「わかりにくい」というのは、そもそもどういうことなの
だろうか。あるいはこれらの作品を「わかる」ということは何を意味
するのだろうか。 「わかりにくい」ということは、「わかる」という
コミュニケーションの(一般的な意味においての)最終形態を想定した
うえで、それが遂行されることの困難さを示しているのだろうか。
写真家6人の伝えたいメッセージがそれぞれあって、それらがひとり
ひとりの観客に正確に伝わるということ、これが「わかる」ということ
なのだろうか。韓国と沖縄における「基地反対」の声をアメリカ市民に
伝える、ということと、韓国と沖縄の米軍基地を取り巻く現実に対峙した
写真家たちの作品をニューヨークの美術館で「わかる」ということの間に、
裂け目はないのだろうか。
「もっと多くのアメリカ人がこの写真展を見るべきだ」、「こういう草の根
的な活動を続けていくことは本当に大切なことだと思う」。本写真展に対して、そのように肯定的な意見を伝えてくるアメリカ人が大勢いる一方で、否定
的な意見を持つ者も存在する。「どうしてこんなひどい写真を展示するんだ」、という声が、たとえば会場であるPS1の工事現場で働いているひとたちの一部から聞こえてくる。「俺たちの払った税金ちゃんと使われてんじゃん!」という皮肉まじりのメッセージをコメント帳のなかに見たこともあった。星条旗とともに米軍に対する侮蔑的な文句を写したある作品を見て、激怒
したアメリカ人もいたという。彼は、わかったから激怒したのか、わかって
いないから激怒したのか。彼の直覚は「わかる」ことからもっとも遠い反応
だったのか。それともその直裁的な営為は、「わかる」ことへの始まりだった
のか。
親戚宅でのサンクスギビングの宴もたけなわ、元米兵のおじさんから、
30数年前の沖縄でのおばさんとの馴れ初めをはじめて聴く。今夜の七面鳥
はやけに旨い。海兵隊にいた頃経験した訓練の過酷さについても、ボジョレ・
ヌーボーを片手に語ってくれた。「もしあたしがそんなひどい仕打ちを受け
たら弁護士雇って訴えてやるわ!」軍隊が持つ暴力的な性質に真剣に怒る娘
に対して、おじさんは呵々と笑って応える。「それが戦士を育てる訓練って
もんなんだ。」愛すべきおじさんの傍ら、僕の喉元にあったこのうえなく
美味な七面鳥の肉片は、ごくりと飲み込んだワインとともにゆっくりと
どこかに落ちていった。そのとき、石川真生さんの写真を見つめる僕を
見つめ返す「眼差し」が、どこかしら優しさと壊れやすさを秘めていた
のをふと思い出した。米兵とともに写っている沖縄の女たちの顔。家族。
作品とその作品が提供されている環境との間にある種の緊張関係をもたら
す。これは優れた芸術がなし得ることのひとつと言っていいだろう。この
写真展で経験されるもののなかに、すくなくとも僕が必要とするアートが
あるようだ。ひょっとして、あのひとかけらの七面鳥の肉は、その「裂け
目」に落ちていったのではないだろうか。
【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、自らの視点をそこに織り込んでいきたい。
■■■
■カンパのお願い
■■■■■■■■■■■■■■■
賛同人のカンパにより当写真展は運営されています。
カンパのご協力をお願い致します。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
=============================
■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■編集後記■■■■
アート、とりわけドキュメント写真における「わかる」ということを
どのように捉えたら良いのか。このような問いにつながるエッセーを
2本お届けしたのかもしれない今号。「『アジアにある米軍基地で何が
起こっているのか、人々はそれをどう見ているのか』をアメリカ人に
知らせる旅は今始ったばかりなんだ」と語る石川真生さん。コミュニ
ケーションという「旅」。一方、前嵩西さんを乗せたバスは「9’−11’」
という標識を通り、次の停留所へと向かう。この先に何が生まれるのか。
いよいよ写真展の会期も終盤へ突入します。
次号も石川真生さんのエッセーなどをお届けします。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎しますが、上記HPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
2004年11月30日
第4号
===============================
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第4号>>
2004年11月23日
===============================
今週号も2本立てでお送りします。まずは当写真展に出展している石川
真生さんより、今週号から3号連続で写真展の企画から現在までを語って
もらいます。そして、ニューヨーク在住のキュレーターで、当写真展の
運営ボランティアをされている渡辺真也さんのエッセーを掲載します。
■■■
■ニューヨークで写真展を! その1
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ここニューヨークは日に日に寒さが増して南国沖縄育ちの私は震えてい
る。最近は昼間でも外は寒くて吐く息が、はぁ〜、と白い。
私の日課は、写真展会場のPS1に観客の様子を見に行くか、「ビフォー
andアフター海兵隊」(米軍入隊希望者、軍を辞めたばかりの元米兵、
イラクに行く前の、あるいは帰ってきたばかりの米兵など)の取材をして
いるか、残りの日は家でゴロゴロしたり、友達と遊んでいる。
昨年10月にオーストリアで開催された写真展に出品し、シンポジウムに
招待された。そこで同じくパネリストとして招待されていた、東京芸術
大学教授の木幡和枝さんに出会った。今日はこれから日本に帰ります、
という最後の日、ホテルのロビーで私は彼女に声を掛けた。
「テロのあったニューヨークで沖縄と韓国の米軍基地の写真展をしたい。
どこか心当たりはありませんか?」
「私、ニューヨークの美術館、PS1のキューレーターよ」
「えっ!そうなんですか、ぜひ検討してください」
PS1がどういう美術館かも分からなかったが、「この出会いは運命だ
わ」と勝手に思って、すがるような気持ちで沖縄から持ってきた、昨年
日韓合同写真展を開催した時に作った図録を木幡さんに参考にと
手渡した。
そしてPS1側が正式に「企画展としてやりましょう」と、OKを出し
てくれたのが今年の1月。それから私と木幡さんと韓国の写真家のアン
ヘリョンさんの三人の間で数え切れないほどのメールのやり取りがあった。
「アメリカ人と話す場、シンポジウムをやりたい」。その願いをニュー
ヨークのコロンビア大学院出身で、現在は東京のお茶の水女子大学
ジェンダー研究センターの研究者、秋林こずえさんがかなえてくれた。
コロンビア大学教育学部大学院の中にある「平和教育センター」が
主催してくれることになったのだ。
昨年の合同展の時にカンパを集めてくれた沖縄、東京、大阪の写真展
実行委員会のメンバーに再びニューヨーク展のカンパ集めをお願いしたら、
「ニューヨークで写真展が開かれるなんてすごい!夢が実現するのね」
と、喜んでくれた。
沖縄出身でニューヨーク在住のアーティストの照屋勇賢さんとそのお友達
の、同じく沖縄出身でコロンビア大学院生の前嵩西一馬さん、アーティス
トの秋好恩さん、キューレーターの渡辺真也さんが現地ニューヨークでの
協力者になってくれた。
私の名台詞(?)がある。「私は金脈は全然ないけど、人脈だけはある。
これが私の財産だ」。31年間の写真人生の中でどれほどの人と出会い、
どれほどの人に助けられたことか。今回のニューヨーク展もしかり。
どれほど大勢の人がこの写真展に関わっていることか。私の知らない
ところできっと助けてくれている人もいるはずだ。
「アジアの米軍基地で何が起こっているのか、アメリカ人に見せつけ
よう。アメリカの人達と会って話しをしてこよう、ニューヨークに乗
り込もう!」。そう意気込んで10月、ニューヨークへ渡った。
(次号へ続く)
【石川真生】
写真家
HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
■■■
■畜生、前進だ!
■■■■■■■■■■■■■■
イラク戦争の直前の1月の寒い冬の日のこと、当時ニューヨーク大学の大
学院生であった私は、コロンビア大学・ニューヨーク大学の学生と共に国
連ビルの前にある1stアベニューを封鎖した。イラク戦争の開始を狙うア
メリカに対して圧力をかける為の実力行使である。私達は狭い檻の様に
与えられたスペースで1000人以上がぎゅうぎゅう詰めになりながら反対
運動をしており、デモ隊を分断してふんぞりかえっている警察のやり方には
皆相当頭に来ていた。
封鎖、と言っても20人ほどの学生が反戦の横断幕を広げ、交通を5分ほど
完全に遮断しただけであったが、私達は真剣であった。戦争が止められる
のなら、どんな事でもやってやろう、という気迫が私達の中にはあった。
私は横断幕の右端を押さえていたのだが、警察はその学生たちの映像を
ビデオで撮影後、左側の学生から順に逮捕して行った。
一番左側の学生はまるで見せしめの様に警察達に囲まれ、警棒で殴られ、
護送車の中に放り込まれた。警棒で殴る、と言っても想像つかないかも
しれないが、かなり強烈なものであり、おそらくあばら骨数本は折れて
いたであろう。しかし、警察官はそれからも無抵抗の学生を、次々と
逮捕していった。
「みんな、逃げよう、やばいせ!」私は周りの学生に言ったのだが、彼ら
は聞く耳をもたない。「People, United, We Never Be Defeated!」の
大合唱だ。私の左隣にいる人達はどんどん捕まって行き、ついに私の
番が来た。ここで捕まったら俺は日本へ強制送還だ。(この20人にいた
中で、おそらく私が唯一の外国人であった)俺の人生はどうなる?!
私は一目散に逃げ出した。一方通行の1stアベニューを車をかき分け
逆走し、全速力で走り続けた。3人の警察官が血相を変えて追いかけて
きたが、5ブロックほど走った所で彼らも諦め、私は脱走に成功した。
しかし、私が他の学生が逮捕されたにも関わらず、自分だけ逃げてしまった
事に関して、非常に申し訳ないという気持ちに苛まれ、非常に落ち込んだ。
しかし、私があそこで逮捕されても、それには何の意味もなかった事だ、
と自分を正当化しようと努めている自分がいた。
ニューヨークで行われたデモにほぼ全て参加してきた私は、アメリカの
リベラルな人達の考えが分かる様になった。しかしそんな彼らでも、
沖縄や済州島で何が起こったか、そして起こっているのかを知っている
人たちは少ない。またその表裏の問題として、日本ではグァンタナモや
ニカラグア、ソマリア、セルビアでアメリカが何をして来たか知っている
人たちは少ないし、さらに日本が中国、マレーシア、シンガポール等で
何をして来たかを知らないし、知ろうとしない。

ちなみにこの写真展の展示会場であるPS1は更生施設としても機能して
おり、ここで働いているガードマンは元犯罪人であり、社会復帰の一歩
として働いている。美術館が厚生施設としても機能しているというのは、
アメリカの懐の深さではなかろうか。写真展の会場でガードマンとして
働いている彼女にこう私は話しかけられた。
「これ、ぜんぶ中国なんでしょ?中国にアメリカ人がいるんだねー」
その後、私は本当に何も知らない彼女に丁寧に説明をした。沖縄が日本
の南部にある美しい島である事。第二次世界大戦以降、沖縄がアメリカ
の一部であった事。72年の本土復帰以降も、沖縄に米軍基地が残って
いる事、そして沖縄の経済が基地に依存している事や、本土と沖縄で
基地問題に対して温度差がある事など、かみくだいて説明した。
突然初めて聞く話ばかりで、彼女は驚き、目を丸くしていたが、それでも
話は真剣に聞いてくれた。しかし、この彼女の反応はアメリカ人の普通の
反応として十分あり得るものだ。アメリカは若い国だ。まだ彼らが知らな
ければならない事は沢山あるし、彼らにも学ぶ姿勢は残っている。こんな
小さな一歩でも、考え方に変化が起こるのであれば、やっていくしかない。
五月革命のリーダーの言葉を引用して、このエッセイをこう締めくくりたい。
「畜生、前進だ!」
【渡辺真也】
スパイキーアート・キュレーター。
大学時代から世界28カ国を放浪する過程にて、国民国家と美術をテーマ
とした問題に関心を持つ様になる。経済学を修めた後、ニューヨーク大学
にて美術修士号取得。今回の写真展にはインスタレーションや通訳等
お手伝いさせて頂きました。
現在、ニューヨークの非営利ギャラリー・ホワイトボックスにて沖縄出身の
アーティスト照屋勇賢の作品を含む展示「もう一つの万博 ― ネーション・
ステートの彼方へ」を企画中。展示は来年の夏、NYにて行われる予定です。
ただ今スポンサーを募集中。
http://spikyart.org/anotherexpo/index.htm
■■■
■メディア情報
■■■■■■■■■■■■■■■
メールマガジン創刊号でプレスリリース文を掲載した
キュレーター・木幡和枝さんの「写真の思い、NY市民に」と題する
エッセーが11月20日『朝日新聞』夕刊・文化欄に載っています。
また、朝日新聞WEB(asahi.com)の沖縄ページには写真展紹介の
記事「撮った基地の傷 NYで伝える」がアップされています。
http://mytown.asahi.com/okinawa/news02.asp?c=18&kiji=379
■■■
■カンパのお願い
■■■■■■■■■■■■■■■
賛同人のカンパにより当写真展は運営されています。
カンパのご協力をお願い致します。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
=============================
■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■編集後記■■■■
以前、東京・渋谷で行なわれたサウンドデモに参加した際、デモの
最中、思い思いに歩き踊る参加者の間でいつの間にかビールのリレー
が行なわれていたことをふと思い出します。見ず知らずの他人が、
それぞれの思いを抱えて<音>に引き寄せられるように集まる。
そして、「どうですか?」とビールを差し出す手と声がつながって
いく。誰がどうやってビールを持ち込んだのかは分からないけれど、
ビールは口から口へ、手から手へ回されていった。渋谷という無数の
人々が集まる空間に新たにコミュニケーションが生まれる瞬間だった。
写真展を通じて新たな出会いの連鎖が生まれることを願いながら、
これからもメルマガを配信していきます。またメルマガHPでは
配信時にはお送りできない写真などもアップしています。ご訪問を
お待ちしております。
次号も石川真生さんのエッセーを掲載します。乞うご期待。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
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*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。部分的な転送・転載はせず、全文の
転載・転送をお願いします。合わせて、上記HPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第4号>>
2004年11月23日
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今週号も2本立てでお送りします。まずは当写真展に出展している石川
真生さんより、今週号から3号連続で写真展の企画から現在までを語って
もらいます。そして、ニューヨーク在住のキュレーターで、当写真展の
運営ボランティアをされている渡辺真也さんのエッセーを掲載します。
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■ニューヨークで写真展を! その1
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ここニューヨークは日に日に寒さが増して南国沖縄育ちの私は震えてい
る。最近は昼間でも外は寒くて吐く息が、はぁ〜、と白い。
私の日課は、写真展会場のPS1に観客の様子を見に行くか、「ビフォー
andアフター海兵隊」(米軍入隊希望者、軍を辞めたばかりの元米兵、
イラクに行く前の、あるいは帰ってきたばかりの米兵など)の取材をして
いるか、残りの日は家でゴロゴロしたり、友達と遊んでいる。
昨年10月にオーストリアで開催された写真展に出品し、シンポジウムに
招待された。そこで同じくパネリストとして招待されていた、東京芸術
大学教授の木幡和枝さんに出会った。今日はこれから日本に帰ります、
という最後の日、ホテルのロビーで私は彼女に声を掛けた。
「テロのあったニューヨークで沖縄と韓国の米軍基地の写真展をしたい。
どこか心当たりはありませんか?」
「私、ニューヨークの美術館、PS1のキューレーターよ」
「えっ!そうなんですか、ぜひ検討してください」
PS1がどういう美術館かも分からなかったが、「この出会いは運命だ
わ」と勝手に思って、すがるような気持ちで沖縄から持ってきた、昨年
日韓合同写真展を開催した時に作った図録を木幡さんに参考にと
手渡した。
そしてPS1側が正式に「企画展としてやりましょう」と、OKを出し
てくれたのが今年の1月。それから私と木幡さんと韓国の写真家のアン
ヘリョンさんの三人の間で数え切れないほどのメールのやり取りがあった。
「アメリカ人と話す場、シンポジウムをやりたい」。その願いをニュー
ヨークのコロンビア大学院出身で、現在は東京のお茶の水女子大学
ジェンダー研究センターの研究者、秋林こずえさんがかなえてくれた。
コロンビア大学教育学部大学院の中にある「平和教育センター」が
主催してくれることになったのだ。
昨年の合同展の時にカンパを集めてくれた沖縄、東京、大阪の写真展
実行委員会のメンバーに再びニューヨーク展のカンパ集めをお願いしたら、
「ニューヨークで写真展が開かれるなんてすごい!夢が実現するのね」
と、喜んでくれた。
沖縄出身でニューヨーク在住のアーティストの照屋勇賢さんとそのお友達
の、同じく沖縄出身でコロンビア大学院生の前嵩西一馬さん、アーティス
トの秋好恩さん、キューレーターの渡辺真也さんが現地ニューヨークでの
協力者になってくれた。
私の名台詞(?)がある。「私は金脈は全然ないけど、人脈だけはある。
これが私の財産だ」。31年間の写真人生の中でどれほどの人と出会い、
どれほどの人に助けられたことか。今回のニューヨーク展もしかり。
どれほど大勢の人がこの写真展に関わっていることか。私の知らない
ところできっと助けてくれている人もいるはずだ。
「アジアの米軍基地で何が起こっているのか、アメリカ人に見せつけ
よう。アメリカの人達と会って話しをしてこよう、ニューヨークに乗
り込もう!」。そう意気込んで10月、ニューヨークへ渡った。
(次号へ続く)
【石川真生】
写真家
HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
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■畜生、前進だ!
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イラク戦争の直前の1月の寒い冬の日のこと、当時ニューヨーク大学の大
学院生であった私は、コロンビア大学・ニューヨーク大学の学生と共に国
連ビルの前にある1stアベニューを封鎖した。イラク戦争の開始を狙うア
メリカに対して圧力をかける為の実力行使である。私達は狭い檻の様に
与えられたスペースで1000人以上がぎゅうぎゅう詰めになりながら反対
運動をしており、デモ隊を分断してふんぞりかえっている警察のやり方には
皆相当頭に来ていた。
封鎖、と言っても20人ほどの学生が反戦の横断幕を広げ、交通を5分ほど
完全に遮断しただけであったが、私達は真剣であった。戦争が止められる
のなら、どんな事でもやってやろう、という気迫が私達の中にはあった。
私は横断幕の右端を押さえていたのだが、警察はその学生たちの映像を
ビデオで撮影後、左側の学生から順に逮捕して行った。
一番左側の学生はまるで見せしめの様に警察達に囲まれ、警棒で殴られ、
護送車の中に放り込まれた。警棒で殴る、と言っても想像つかないかも
しれないが、かなり強烈なものであり、おそらくあばら骨数本は折れて
いたであろう。しかし、警察官はそれからも無抵抗の学生を、次々と
逮捕していった。
「みんな、逃げよう、やばいせ!」私は周りの学生に言ったのだが、彼ら
は聞く耳をもたない。「People, United, We Never Be Defeated!」の
大合唱だ。私の左隣にいる人達はどんどん捕まって行き、ついに私の
番が来た。ここで捕まったら俺は日本へ強制送還だ。(この20人にいた
中で、おそらく私が唯一の外国人であった)俺の人生はどうなる?!
私は一目散に逃げ出した。一方通行の1stアベニューを車をかき分け
逆走し、全速力で走り続けた。3人の警察官が血相を変えて追いかけて
きたが、5ブロックほど走った所で彼らも諦め、私は脱走に成功した。
しかし、私が他の学生が逮捕されたにも関わらず、自分だけ逃げてしまった
事に関して、非常に申し訳ないという気持ちに苛まれ、非常に落ち込んだ。
しかし、私があそこで逮捕されても、それには何の意味もなかった事だ、
と自分を正当化しようと努めている自分がいた。
ニューヨークで行われたデモにほぼ全て参加してきた私は、アメリカの
リベラルな人達の考えが分かる様になった。しかしそんな彼らでも、
沖縄や済州島で何が起こったか、そして起こっているのかを知っている
人たちは少ない。またその表裏の問題として、日本ではグァンタナモや
ニカラグア、ソマリア、セルビアでアメリカが何をして来たか知っている
人たちは少ないし、さらに日本が中国、マレーシア、シンガポール等で
何をして来たかを知らないし、知ろうとしない。

ちなみにこの写真展の展示会場であるPS1は更生施設としても機能して
おり、ここで働いているガードマンは元犯罪人であり、社会復帰の一歩
として働いている。美術館が厚生施設としても機能しているというのは、
アメリカの懐の深さではなかろうか。写真展の会場でガードマンとして
働いている彼女にこう私は話しかけられた。
「これ、ぜんぶ中国なんでしょ?中国にアメリカ人がいるんだねー」
その後、私は本当に何も知らない彼女に丁寧に説明をした。沖縄が日本
の南部にある美しい島である事。第二次世界大戦以降、沖縄がアメリカ
の一部であった事。72年の本土復帰以降も、沖縄に米軍基地が残って
いる事、そして沖縄の経済が基地に依存している事や、本土と沖縄で
基地問題に対して温度差がある事など、かみくだいて説明した。
突然初めて聞く話ばかりで、彼女は驚き、目を丸くしていたが、それでも
話は真剣に聞いてくれた。しかし、この彼女の反応はアメリカ人の普通の
反応として十分あり得るものだ。アメリカは若い国だ。まだ彼らが知らな
ければならない事は沢山あるし、彼らにも学ぶ姿勢は残っている。こんな
小さな一歩でも、考え方に変化が起こるのであれば、やっていくしかない。
五月革命のリーダーの言葉を引用して、このエッセイをこう締めくくりたい。
「畜生、前進だ!」
【渡辺真也】
スパイキーアート・キュレーター。
大学時代から世界28カ国を放浪する過程にて、国民国家と美術をテーマ
とした問題に関心を持つ様になる。経済学を修めた後、ニューヨーク大学
にて美術修士号取得。今回の写真展にはインスタレーションや通訳等
お手伝いさせて頂きました。
現在、ニューヨークの非営利ギャラリー・ホワイトボックスにて沖縄出身の
アーティスト照屋勇賢の作品を含む展示「もう一つの万博 ― ネーション・
ステートの彼方へ」を企画中。展示は来年の夏、NYにて行われる予定です。
ただ今スポンサーを募集中。
http://spikyart.org/anotherexpo/index.htm
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■メディア情報
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メールマガジン創刊号でプレスリリース文を掲載した
キュレーター・木幡和枝さんの「写真の思い、NY市民に」と題する
エッセーが11月20日『朝日新聞』夕刊・文化欄に載っています。
また、朝日新聞WEB(asahi.com)の沖縄ページには写真展紹介の
記事「撮った基地の傷 NYで伝える」がアップされています。
http://mytown.asahi.com/okinawa/news02.asp?c=18&kiji=379
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■カンパのお願い
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賛同人のカンパにより当写真展は運営されています。
カンパのご協力をお願い致します。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■編集後記■■■■
以前、東京・渋谷で行なわれたサウンドデモに参加した際、デモの
最中、思い思いに歩き踊る参加者の間でいつの間にかビールのリレー
が行なわれていたことをふと思い出します。見ず知らずの他人が、
それぞれの思いを抱えて<音>に引き寄せられるように集まる。
そして、「どうですか?」とビールを差し出す手と声がつながって
いく。誰がどうやってビールを持ち込んだのかは分からないけれど、
ビールは口から口へ、手から手へ回されていった。渋谷という無数の
人々が集まる空間に新たにコミュニケーションが生まれる瞬間だった。
写真展を通じて新たな出会いの連鎖が生まれることを願いながら、
これからもメルマガを配信していきます。またメルマガHPでは
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お待ちしております。
次号も石川真生さんのエッセーを掲載します。乞うご期待。
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■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
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2004年11月18日
第3号
================================
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第3号>>
================================
「永続する瞬間」展を開催中のNYでは先日、大統領選を迎えました。
第3号からは写真展の運営ボランティアを担当している前嵩西一馬さん
によるNY発連載レポート「遍在する肉声」をスタートします。
また、NY沖縄県人会からTeiko与那覇‐Tursiさんのエッセイをお伝えします。
■■■
■遍在する肉声1 ――大統領選を終えて――
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
およそ800万の人間が暮らし140を超える言語が交わされる街ここ
ニューヨークで、「永続する瞬間」というタイトルのついた写真展が
PS1で開催されている。写真家たちの作品を通して、僕らは「永続する
瞬間」を見ることができるだろうか。本展プレス・リリースの文面に
あるように、米軍基地を取り巻く様々な現実という表層の彼岸に横た
わる「歴史」の永続性をかいま見てしまう者もいるだろう。韓国と沖縄
で今なお刻印されている冷戦構造の「永続」性を正面から見据えた写真
家たちの眼が、その「瞬間」をレンズの切っ先で切り取り、その切り取
られた「瞬間」に焼き付けられた彼らの眼が、いまその写真を見ている僕
にふたたび向けられる。そんな眼差しに目を背けないでいられるひとは、
どのくらいいるのだろうか。
多くのニューヨーカーにとって残念な結果に終わった大統領選だった
が、今なおニュースや番組がその話題を取り上げる。コロンビア大学で
行われた写真家を交えてのシンポジウムのなかで、写真家の石川真生
さんが、アジア系を中心としたマイノリティの参加が目立つ客席を前に
して、ある言葉を洩らした。「この国を牛耳っている『白人』にもっと
足を運んでもらいたかった。」キリスト教右派の多くがブッシュ政権の
保守性に賛同したことが、今回のブッシュ氏の勝因のひとつとしてあげ
られている。その一方で、今回の勝利は「キリスト教」のイメージを貶
めた、と嘆く人たちもいる。ちょうど9.11のテロがイスラム教の名
を辱めたように。
革新系のあるラジオ番組の中で、リスナーが電話をかけてきて訴えた。
「どこかよその国で投票をしたら良かったのに、俺は本当にそう思うん
だ。」奇妙この上ない意見に、DJは真剣に相づちを打つ。ナショナル・
エレクションなのに、アメリカではない別の国で、誰がアメリカの大統
領にふさわしいのか(誰がふさわしくないのか)声を聞くべきだった、
と。”Vote or Die!”(投票しろ、さもなくば死ね)という過激な文句
が折り目正しく印刷されたサインを街中にいくつも見ていたにもかかわ
らず、「死」を選んだ市民は半数を超えた。
大統領選挙の結果がわかった直後、ケリー氏の勝利を疑わなかったア
メリカ人の一部が、カナダへの移住を薦めるウェブサイトの閲覧に殺
到したという。世界に名だたる「移民国家」に暮らすリベラルなアメ
リカ人は、もはやエクソダス(脱出)というファンタジーにすがるし
かないという皮肉。
世界中のあちこちでいろんなことが起こっている。その惨状や悲劇をな
んとか「世界」に伝えようと、多くのジャーナリストや市民団体、政治
家、研究者、そしてアーティストたちがニューヨークにやって来る。観
光客が途絶えることのない5番街の交差点では、中国で当局に弾圧され
ている某宗教団体の人目をひくデモが毎日のように行われている。そう、
ニューヨーク中のあちこちでいろんなことが起こっている。
撮られた「現実」に向き合うための「現実」をどうやって作り出してい
くか。ファインダーを覗きシャッターを切った写真家たちのまなざしに
向き合おうとする人々の声を、街の様子を交えつつ次回のレポートか
ら伝えていきたい。
【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。 沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。 写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、 自らの視点をそこに織り込んでいきたい。
★本文と関連して、大統領選挙結果について、興味深い統計データを
メールマガジンHPに掲載しています。
http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/archives/9311171.html
■■■
■沖縄韓国写真展を見て・・・
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
写真家の説明付きで合同写真の一部をコロンビア大のシンポジアム
(10月19日)で見たのが最初。2回目はPS1にてのオープン(24
日)に、我がNY沖縄県人会の会員達による沖縄踊りとサンシン(三
味線)の披露をした際、衣装着替えの合間にさっと見た。この記事を
書く目的で3回目の11月7日には 観客の意見を訊いたりそこの
ガードさんに観客の質についてのコメントを訊いたりする程余裕を
もって見る事が出来た。NYの隣りの州このニュージャージーから、
時には120キロ飛ばして片道2時間半かかって観に行った事に今さら
ながら重大な意義を感じ、この記事を偽りなく書ける自信をもてた。
と同時に姪である真生(*編集部注:出展写真家の一人、石川真生
さんのこと)の作品に対して必要以上に客観的に批評しない様にと努
力している自分を意識している。
写真は米軍基地をめぐる人権無視、奪われた土地問題、撤去、犠牲、
反対、賛成運動などの大胆な行動で訴えていてインパクトがある。
撮る側の心境を想像させられる。沖縄と韓国からの訴えは写真で一目
瞭然。しかも最も人種多様のNYで、そして展示は世界につなぐ。
ガードの一人は観客について「今のところ観客はヨーロッパ人特に
ドイツ人、それからアメリカ人、アジア人特に日本人、韓国人が多い
が、様々な国からやって来る」と答えた。石川真生の展示室で出会
った28歳のニューヨーカー女性は写真が趣味で友人とやって来た。
真生が女だと知った後、その女性はすかさずこう述べた。「やはり女
の写真家だ。だから人間の個人の動き、生活態度に繊細的だ。」
真生の四壁の写真は色んな角度から撮影されている。基地があるが故に
及ぼす影響の賛否両面、矛盾、葛藤、そして私的で観客に話し掛けてい
る。あらゆる人のあらゆる生き様の現実を基地の外と内側から表現して
いて印象的。実はこれは私が最初(10月19日)から体験した直感で、
今三度目に観た感想を単に明確に固めているだけである。他の写真家たち
の行動的な大胆な写真と対照的でバランスがあり、これこそ合同写真の
利点だと思う。ペンネームの様に写真をとおして「真に生きる」真生、
米国在住のウチナンチュ(沖縄人)として脱帽します。
2004年11月8日
【Teiko与那覇‐Tursi】
1941年沖縄名護市出身。1964年に国際結婚・渡米。
子ども3人、孫4人。 1978年、夫に死別。
過去20年間ニュージャージー州の南部郡立精神保健所(County
Mental Health)にて自殺未遂やうつ病などの精神問題を
抱えた児童・青少年と彼等の家族を対象に 危機カウンセラー
(Crisis Counselor)・マネジャーとして勤務。
今年の3月に定年し、以前からそのシステムを日本に普及中。
それに関する著書発行『心のさけび』、1996年、ニライ社。
現在、以前からやっている沖縄タイムスの海外通信員を続ける。
■■■
■カンパのお願い
■■■■■■■■■■■■■■■
賛同人のカンパにより当写真展は運営されています。
カンパのご協力をお願い致します。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
================================
■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■次号以降の予告と編集後記■■■■
第3号はレポート2本立てで配信させて頂きましたが、いかが
でしたか。
先日、ある映画でこの写真展会場であるPS1と出会いました。
若くして亡くなったアーティスト、ジャン=ミシェル・バス
キアの人生を描いた『バスキア』(1996年。ジュリアン・
シュナーベル監督作品)。バスキアがちょっとしたきっかけで
その才能を認められ、自らの作品をはじめて(であろう)出展
した場面、その場所がPS1だったのです。
PS1という場所がどのような歴史を持つ場所なのかを考える
きっかけとなった出来事でした。
次号以降、出展写真家・石川真生さんのエッセーや、今号から
始まった前嵩西さんの連載を配信します。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。部分的な転送・転載はせず、全文の
転載・転送をお願いします。合わせて、上記HPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第3号>>
================================
「永続する瞬間」展を開催中のNYでは先日、大統領選を迎えました。
第3号からは写真展の運営ボランティアを担当している前嵩西一馬さん
によるNY発連載レポート「遍在する肉声」をスタートします。
また、NY沖縄県人会からTeiko与那覇‐Tursiさんのエッセイをお伝えします。
■■■
■遍在する肉声1 ――大統領選を終えて――
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
およそ800万の人間が暮らし140を超える言語が交わされる街ここ
ニューヨークで、「永続する瞬間」というタイトルのついた写真展が
PS1で開催されている。写真家たちの作品を通して、僕らは「永続する
瞬間」を見ることができるだろうか。本展プレス・リリースの文面に
あるように、米軍基地を取り巻く様々な現実という表層の彼岸に横た
わる「歴史」の永続性をかいま見てしまう者もいるだろう。韓国と沖縄
で今なお刻印されている冷戦構造の「永続」性を正面から見据えた写真
家たちの眼が、その「瞬間」をレンズの切っ先で切り取り、その切り取
られた「瞬間」に焼き付けられた彼らの眼が、いまその写真を見ている僕
にふたたび向けられる。そんな眼差しに目を背けないでいられるひとは、
どのくらいいるのだろうか。
多くのニューヨーカーにとって残念な結果に終わった大統領選だった
が、今なおニュースや番組がその話題を取り上げる。コロンビア大学で
行われた写真家を交えてのシンポジウムのなかで、写真家の石川真生
さんが、アジア系を中心としたマイノリティの参加が目立つ客席を前に
して、ある言葉を洩らした。「この国を牛耳っている『白人』にもっと
足を運んでもらいたかった。」キリスト教右派の多くがブッシュ政権の
保守性に賛同したことが、今回のブッシュ氏の勝因のひとつとしてあげ
られている。その一方で、今回の勝利は「キリスト教」のイメージを貶
めた、と嘆く人たちもいる。ちょうど9.11のテロがイスラム教の名
を辱めたように。
革新系のあるラジオ番組の中で、リスナーが電話をかけてきて訴えた。
「どこかよその国で投票をしたら良かったのに、俺は本当にそう思うん
だ。」奇妙この上ない意見に、DJは真剣に相づちを打つ。ナショナル・
エレクションなのに、アメリカではない別の国で、誰がアメリカの大統
領にふさわしいのか(誰がふさわしくないのか)声を聞くべきだった、
と。”Vote or Die!”(投票しろ、さもなくば死ね)という過激な文句
が折り目正しく印刷されたサインを街中にいくつも見ていたにもかかわ
らず、「死」を選んだ市民は半数を超えた。
大統領選挙の結果がわかった直後、ケリー氏の勝利を疑わなかったア
メリカ人の一部が、カナダへの移住を薦めるウェブサイトの閲覧に殺
到したという。世界に名だたる「移民国家」に暮らすリベラルなアメ
リカ人は、もはやエクソダス(脱出)というファンタジーにすがるし
かないという皮肉。
世界中のあちこちでいろんなことが起こっている。その惨状や悲劇をな
んとか「世界」に伝えようと、多くのジャーナリストや市民団体、政治
家、研究者、そしてアーティストたちがニューヨークにやって来る。観
光客が途絶えることのない5番街の交差点では、中国で当局に弾圧され
ている某宗教団体の人目をひくデモが毎日のように行われている。そう、
ニューヨーク中のあちこちでいろんなことが起こっている。
撮られた「現実」に向き合うための「現実」をどうやって作り出してい
くか。ファインダーを覗きシャッターを切った写真家たちのまなざしに
向き合おうとする人々の声を、街の様子を交えつつ次回のレポートか
ら伝えていきたい。
【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。 沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。 写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、 自らの視点をそこに織り込んでいきたい。
★本文と関連して、大統領選挙結果について、興味深い統計データを
メールマガジンHPに掲載しています。
http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/archives/9311171.html
■■■
■沖縄韓国写真展を見て・・・
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
写真家の説明付きで合同写真の一部をコロンビア大のシンポジアム
(10月19日)で見たのが最初。2回目はPS1にてのオープン(24
日)に、我がNY沖縄県人会の会員達による沖縄踊りとサンシン(三
味線)の披露をした際、衣装着替えの合間にさっと見た。この記事を
書く目的で3回目の11月7日には 観客の意見を訊いたりそこの
ガードさんに観客の質についてのコメントを訊いたりする程余裕を
もって見る事が出来た。NYの隣りの州このニュージャージーから、
時には120キロ飛ばして片道2時間半かかって観に行った事に今さら
ながら重大な意義を感じ、この記事を偽りなく書ける自信をもてた。
と同時に姪である真生(*編集部注:出展写真家の一人、石川真生
さんのこと)の作品に対して必要以上に客観的に批評しない様にと努
力している自分を意識している。
写真は米軍基地をめぐる人権無視、奪われた土地問題、撤去、犠牲、
反対、賛成運動などの大胆な行動で訴えていてインパクトがある。
撮る側の心境を想像させられる。沖縄と韓国からの訴えは写真で一目
瞭然。しかも最も人種多様のNYで、そして展示は世界につなぐ。
ガードの一人は観客について「今のところ観客はヨーロッパ人特に
ドイツ人、それからアメリカ人、アジア人特に日本人、韓国人が多い
が、様々な国からやって来る」と答えた。石川真生の展示室で出会
った28歳のニューヨーカー女性は写真が趣味で友人とやって来た。
真生が女だと知った後、その女性はすかさずこう述べた。「やはり女
の写真家だ。だから人間の個人の動き、生活態度に繊細的だ。」
真生の四壁の写真は色んな角度から撮影されている。基地があるが故に
及ぼす影響の賛否両面、矛盾、葛藤、そして私的で観客に話し掛けてい
る。あらゆる人のあらゆる生き様の現実を基地の外と内側から表現して
いて印象的。実はこれは私が最初(10月19日)から体験した直感で、
今三度目に観た感想を単に明確に固めているだけである。他の写真家たち
の行動的な大胆な写真と対照的でバランスがあり、これこそ合同写真の
利点だと思う。ペンネームの様に写真をとおして「真に生きる」真生、
米国在住のウチナンチュ(沖縄人)として脱帽します。
2004年11月8日
【Teiko与那覇‐Tursi】
1941年沖縄名護市出身。1964年に国際結婚・渡米。
子ども3人、孫4人。 1978年、夫に死別。
過去20年間ニュージャージー州の南部郡立精神保健所(County
Mental Health)にて自殺未遂やうつ病などの精神問題を
抱えた児童・青少年と彼等の家族を対象に 危機カウンセラー
(Crisis Counselor)・マネジャーとして勤務。
今年の3月に定年し、以前からそのシステムを日本に普及中。
それに関する著書発行『心のさけび』、1996年、ニライ社。
現在、以前からやっている沖縄タイムスの海外通信員を続ける。
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○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−34 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−19−1−304
中條佐和子 (TEL) 080 −1404−4324
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 03−5974−1333
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■次号以降の予告と編集後記■■■■
第3号はレポート2本立てで配信させて頂きましたが、いかが
でしたか。
先日、ある映画でこの写真展会場であるPS1と出会いました。
若くして亡くなったアーティスト、ジャン=ミシェル・バス
キアの人生を描いた『バスキア』(1996年。ジュリアン・
シュナーベル監督作品)。バスキアがちょっとしたきっかけで
その才能を認められ、自らの作品をはじめて(であろう)出展
した場面、その場所がPS1だったのです。
PS1という場所がどのような歴史を持つ場所なのかを考える
きっかけとなった出来事でした。
次号以降、出展写真家・石川真生さんのエッセーや、今号から
始まった前嵩西さんの連載を配信します。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
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*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
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転載・転送をお願いします。合わせて、上記HPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
2004年11月14日
アメリカ大統領選挙結果を知る
写真展開催中に実施されたアメリカ大統領選挙。
ブッシュ再選という結果を統計データから詳細に見ると・・・。

図1:大統領選挙の州別人口カルトグラム(統計地図)
赤:共和党(ブッシュ氏)支持
青:民主党(ケリー氏)支持
人口に比例して面積が大きくなっているため、
テレビなどで見られる地図と印象がかなり違います。
http://www-personal.umich.edu/~mejn/election/より転載

図2:大統領選挙投票者内訳(出口調査)
www.pollingreport.comより転載。

図3:大統領選挙における投票要因
茶色:民主党投票者
青色:共和党投票者
www.pollingreport.comより転載
ブッシュ再選という結果を統計データから詳細に見ると・・・。

図1:大統領選挙の州別人口カルトグラム(統計地図)
赤:共和党(ブッシュ氏)支持
青:民主党(ケリー氏)支持
人口に比例して面積が大きくなっているため、
テレビなどで見られる地図と印象がかなり違います。
http://www-personal.umich.edu/~mejn/election/より転載
図2:大統領選挙投票者内訳(出口調査)
www.pollingreport.comより転載。

図3:大統領選挙における投票要因
茶色:民主党投票者
青色:共和党投票者
www.pollingreport.comより転載
2004年11月13日
第2号

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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<第2号>>
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第2号は、写真展オープニングと、19日にコロンビア大学で行なわれた
写真展シンポジウムの現地レポートをお届けします。
■■■
■オープニングとシンポジウム
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
地下鉄でマンハッタンを出てすぐ、イースト・リバー越しにミッドタ
ウンの摩天楼を望む場所に、P.S.1はある。オープニングの17日(日)
は、うす曇りで気温も平年より低かったが、常時、数人は「永続する瞬間」
の展示を訪れていた。
会場は柱でスペースが2つに区切られていて、一つのスペースは石川真生
さんの写真だけで構成されている。そしてより大きなスペースに、アン・
ヘリョンさん、イ・ヨンナムさん、イ・ゼガブさん、ノ・スンテックさん、
比嘉豊光さんの写真が、壁を一回りして展示されている。サイズも異なり
カラーとモノクロが混在する作品それぞれが、在沖・在韓米軍基地を取り
巻く現状と、そして現在も人々の体に残る60年前の沖縄戦を力強く訴えて
いる。
コロンビア大学でのシンポジウム(19日(火)午後6時〜9時)は、雨の
中、約80名が参加し活発な議論が行われた。真生さんはがっかりしたよ
うだが、参加者の大半が日本や韓国からの留学生あるいはアジア系の学生
であった。だが、米国社会でアジアの米軍基地について語ろうとするとき
には、これが現実だろう。
CDに落とした写真を大きなスクリーンで見せながら、アンさん、真生
さん、比嘉さんが話し、その後、討論が行われた。討論の最後には、ニュ
ーヨークまでやって来た沖縄国際大学の学生がヘリ墜落事件と墜落跡の
「壁」保存運動について訴えた。シンポジウム終了後も10時近くまで、
参加者は写真家や沖国大学生と話をしていた。
24日(日)、P.S.1の全体オープニングは、いくつもの展示が一斉に公開
ということで、さすがに人出が多かった。沖縄県人会による唄、踊りなどの
パフォーマンスは肌寒い屋外で行われたにもかかわらず、多くの観客
を集めていた。
一階正面入り口のすぐ脇に位置している「永続する瞬間」は入りやすい
場所のようだし、P.S.1というのは、在外米軍基地に関して全く知識を持
たない人たちを呼び込める場所であることは間違いない。ただ、そういう
人々を対象とするのであったら、もう少し写真の背景についての解説が
あった方がいいのではないか。
これから12月13日までの間に、どれくらいの米国市民がこの展示を観る
のだろうか。多くのニューヨーカーがPS1を訪れることを願う。そして、
これらの写真が全米巡っていくことを願う。
【秋林こずえ】
(お茶の水女子大学ジェンダー研究センター)
研究者。沖縄の「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」と共に
活動しながら、会の研究を行っている。コロンビア大学教育学大学院
平和教育センター非常勤講師。
■■■
■メディア情報
■■■■■■■■■■■■■■■
『沖縄タイムス』で「PSIで踊り披露 沖韓写真展オープニング」と
いうタイトルのオープニングについての記事が掲載されています。
http://www.okinawatimes.co.jp/kaigai または
http://www.okinawatimes.co.jp/kaigai/kaigai20041030.html#4
今後もメディアで掲載された情報を皆さんへお伝えします。
■■■
■カンパのお願い
■■■■■■■■■■■■■■■
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霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−1 9−1−3 0 4
中條佐和子 (TEL) 0 8 0 −1 4 0 4−4 3 2 4
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 0 3−5 9 7 4−1 3 3 3
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■次号以降の予告と編集後記■■■■
アメリカ大統領選挙で続投が決定したブッシュ大統領。
アメリカ社会の多様性と、ある頑なな<正義>や利権の根深さを
痛切に感じます。
「永続する瞬間」展にどのような人々が足を運び、どのような
ことを感じているのか。そして会場を去った後、何が生まれるのか。
アメリカ社会の多様性の別の響きか方を信じたくなります。
さて、次号からは写真展の雰囲気について現地レポートのほか、
参加写真家の一人、石川真生さんのエッセイなども配信します。
HPでは自由にコメントを書き込めます。メルマガのご感想などをどうぞ
お寄せ下さい。
(編集部・大野光明)
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
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転載・転送をお願いします。合わせて、上記HPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
2004年11月06日
創刊号!!
===============================
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<創刊第1号>>
===============================
■■■
■創刊にあたって
■■■■■■■■■■■■■■■■■
皆さん、こんにちは。2004年10月17日から12月13日まで、アメリカ・
ニューヨークのPS 1 Contemporary Art Center(ニューヨーク近代美術館
提携機関)において沖縄・韓国の写真家6名による写真展「永続する瞬間
――沖縄と韓国 内なる光景(The Perpetual Moment――Visions from
within Okinawa and Korea)」が開催されています。
米軍基地をめぐるドキュメント写真を中心とした写真展がニューヨークで
どのようなインパクトと出会いをもたらすのか?このメールマガジンを
通じて皆さんへお伝えしていきます。
写真展の概要については以下のHPをご参照ください。
○出展写真家の一人・石川真生さんのHP
http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/okinawasouru.html
○PS 1 Contemporary Art Center HP(英文)
http://www.ps1.org/exhibits/exhibit.php?iExhibitID=29
発行は今年いっぱい、週1回の予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
創刊号はキュレターの木幡和枝さんの文章を中心に
写真展の概要をご紹介させていただきます。
■■■
■写真展「永続する瞬間」への招待
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
写真家集団MAGNUMの創設者の一人アンリ・カルティエ=ブレッソン
(2004年8月死去)は写真集のタイトルに『決定的瞬間 The
Decisive Moment』(1952刊)という決定的な言葉を残して、プロ・
アマをとわず写真を撮るあらゆる人を呪縛している。写真としての決
定的瞬間と、事実としての決定的瞬間とはどう違うのだろうか。カル
ティエ=ブレッソンは「写真としての決定的瞬間」のチャンピオン
かもしれない。だが、本写真展<永続する瞬間―沖縄と韓国、内なる光
景 The Perpetual Moment―Visions from within Okinawa and
Korea>は、社会参加する写真家、あるいは良心の写真家たちの作品
をとおして、歴史のある瞬間がいかにして時を超えて持続するか、
その因果関係(cause and effect)を明らかにしている。
視覚表現の観点から、本写真展は二つの課題を検証しようとしている。
一つは、ここに展示された事実factの記録としての写真は、見る者を
どこまで現実realityに、そして現実を作りだしている複合的な歴史へ
の思索に引き込むことが出来るか。さらには、そこから、どれだけの
感情的・理性的な判断と勇気とを誘発して、真実truthと正義
justiceを見きわめる眼を引き出すことが出来るか。二つ目の課題は、
ドキュメント写真は現代芸術のパラダイムをもって論じうるものか否
か、という誰もが抱く疑問への回答の試みである。現代芸術は現代の
現実、現代人の真実を表象する有効で斬新な方法を模索し続けている。
事実を基底に置くドキュメント写真は、そのなかでも揺るぎない動機と
題材を得ている分野だ。個人のアイデンティティーと世界の現実。
ドキュメント写真においては、この方程式がきわめて明解に表出して
いるとは言えまいか。
フランスの人文主義者アンドレ・マルローは、近代芸術の出発点は芸術
と美とが分かれた瞬間だと言い、その例に18世紀にフランシスコ・
ゴヤが描いた戦争の凄惨なイメージをあげた。その後、写真技術の発
展により、現実を活写する写真が人間の痛み、懊悩、格闘する姿を数
多く記録してきたーー人間の愛、歓び、楽しさの記録に加えて。血塗ら
れた反省をこめて「戦争の世紀」と呼ばれる20世紀には、戦闘、戦
争、それらに起因する苦悩する人と場所の写真が無数に残された。報
道写真、フォト・ジャーナリズムの躍進は不幸にもそうした歴史を背
景としていた。スペイン、ロシア、第一次・二次世界大戦、朝鮮、イン
ドシナ、中東、アフリカ、中南米、中欧、東欧、バルカン半島、イラク
・・・ 国と国の戦争ばかりではなく、内戦、革命、独立闘争、宗教
対立、部族対立など、残酷な戦争の種はつきない。
報道写真、あるいはフォト・ジャーナリズムの世界ではごく最近まで、
マスメディアをとおして私たちが目にしてきた写真の多くが、被写体
である場所や人々の外部から来たプロフェッショナルが撮影したもの
だった。スペイン内戦のロバート・キャパ(インドシナで地雷被爆
死)、朝鮮戦争やインド独立戦争のマーガレット・バーク=ホワイト
(彼女がポートレートを撮影した直後に、ガンジーは暗殺された)
・・・ 20世紀の記憶はこれらの視像と切り離せない。だが、この
部屋で目にする視像は戦場や戦闘の写真ではない。本国からはるか遠
く隔たり、戦闘の行われている前線からも離れた、第三国の領土内に
置かれた軍事基地とその周辺を写したものである。日本の領土に組み
込まれている沖縄と、朝鮮半島にいまだ分断国家としての存在を強い
られている韓国に1945年以来存在する、アメリカ合衆国軍の基地
とその周辺住民の生活と苦悩、ときには人間としての喜怒哀楽を活写
したものだ。
これらの写真には大きな特徴がある。当事者の目から撮った写真、被
写体の内部からの写真であるという点だ。写真機が発明されて150
年近くたった今、その場所の、事態の、人々の内部からの眼で撮られ
たこれらのプロフェッショナルな写真群が、外部者とはことなる深く、
重層的な、当事者の歴史の響きのこもった声で、現状を伝えている。
写真家たちは、かつてのようにLIFE誌から、あるいはUPIやAFPと
いった国際的な通信社から派遣されたのではない。自分の場所、その
歴史の内部から、今、ここ、を見ている。1945年にもたらされた歴
史の「決定的な瞬間」が、これらの場所ではいまだに持続している。
その因果が、みずからの国や場所だけではなく、現代世界の全域に世界
規模の不幸な現実として波及していることを、これらの撮影者たちは
自覚している。サルトルは「文学は飢えた子供たちを救えるか」と問い
かけたが、これらの写真家たちは「写真は私たちを、私たちの世界を
救えるか」と自問している。
1945年4月、連合軍が日本にとどめを刺すべく、最南端に位置す
る沖縄に上陸し、沖縄の非戦闘員を含む15万人が死んだ(住民の四
人に一人)。そのなかには、日本軍に命じられて自決した学徒動員の
若者たちや、集団自決で互いを殺し合った家族や同窓生たちも多く含
まれていた。8月15日、日本は連合軍に対し無条件降伏した。そし
て9月、朝鮮半島のインチョン港に米軍が到着。36年にわたる日本
の植民地支配から朝鮮人民を解放すべく来た米軍。だが、その場に歓
迎に集まった朝鮮人民の2名が日本の警官に射殺され、10名が負傷
した。「ニューヨーク・タイムズ」紙の特派員Richard E.Rauterbuk
は、日本の警官は米軍の指令で発砲した、と報じた。日朝関係の矛盾
を反映した、米軍と朝鮮人民との不幸な邂逅だった。戦後世界の東西
の対立(自由主義ブロックと共産主義ブロック)はさらに朝鮮半島に
色濃く集約され、1950年の朝鮮戦争以来、朝鮮半島はいまだに分
断国家の苦しみを抱えている。
そして沖縄列島でも朝鮮半島でも、60年におよぶ米軍基地の存在が
続いている。米軍の戦闘機が、空母が出掛けてゆく戦闘地域は時代に
よって変わり、兵器も演習内容も変わった。だが、外国の軍事基地が
もたらす問題はますます悪化している。周辺民間人の生命、尊厳、そ
して住環境への悪影響は複雑化している。この半世紀、一瞬の切れ目
もなく戦争の辺縁に置かれてきたこれらの場所の人々は、現実の表層
の向こうに、歴史の「永続する一瞬」を見ている。「決定的瞬間」は
未来へも持続する。それは起こってしまったら止められない。因果律
causalityと正義 justice。事実の具体的なイメージは、人間の悟性
と感情にどこまで力を与えることが出来るのだろうか。
文責=キュレター 木幡和枝
出典:写真展案内文
■■■
■P.S.1コンテンポラリーアートセンターとは
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
廃校となった赤煉瓦造りの公立学校PS1(Primary Schoo No.1)。
ニューヨーク近代美術館と提携し、今世界的にも最もホットな展覧会、
パフォーマンス、スタジオ・プログラムを発信する現代アート・センター
として注目されている。
PS 1コンテンポラリーアートセンター
ニューヨークのクイーンズ、22-25ジャクソン通り&46条46通り
※マンハッタンから地下鉄で20分、又マンハッタンにあるMoMAと結んで
無料シャトルバスが運行される
地図:httm://www.ps1.org/cut/gen.html
www.ps1.org
www.moma.org
■■■
■カンパのお願い
■■■■■■■■■■■■■■■
賛同人のカンパにより当写真展は運営されます。ぜひ賛同人になって
ください。PS1の企画展ですので、美術館使用料の必要はありま
せんが、写真家たちは、写真送料と写真家の渡航費、展示室に配置
するガードマン費用など計100万円を負担し開催しています。
NY展が終了後、韓国・沖縄の写真家を招請して、東京、大阪、沖縄
で報告会をしたいと考えています。そちらにも是非ご参加ください。
賛同人になってくださる方、賛同金を振り込んで下さいますよう
心よりお願い申し上げます。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−3 4 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−1 9−1−3 0 4
中條佐和子 (TEL) 0 8 0 −1 4 0 4−4 3 2 4
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 0 3−5 9 7 4−1 3 3 3
================================
■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■次号予告と編集後記■■■■
いよいよニューヨークで「永続する瞬間」展が始まりました。
米国政治や米軍をめぐる様々な出来事に注目が集まる今、
この写真展のインパクトはどのようなものになるのでしょうか。
創刊号はキュレターの木幡さんの文章を掲載しました。
ご感想など、下記HPまでお寄せ下さい。
次号は写真展のオープニングとシンポジウムのレポートを
現地ニューヨークからお届けします。ご期待下さい。
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。部分的な転送・転載はせず、全文の
転載・転送をお願いします。合わせて、上記HPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<創刊第1号>>
===============================
■■■
■創刊にあたって
■■■■■■■■■■■■■■■■■
皆さん、こんにちは。2004年10月17日から12月13日まで、アメリカ・
ニューヨークのPS 1 Contemporary Art Center(ニューヨーク近代美術館
提携機関)において沖縄・韓国の写真家6名による写真展「永続する瞬間
――沖縄と韓国 内なる光景(The Perpetual Moment――Visions from
within Okinawa and Korea)」が開催されています。
米軍基地をめぐるドキュメント写真を中心とした写真展がニューヨークで
どのようなインパクトと出会いをもたらすのか?このメールマガジンを
通じて皆さんへお伝えしていきます。
写真展の概要については以下のHPをご参照ください。
○出展写真家の一人・石川真生さんのHP
http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/okinawasouru.html
○PS 1 Contemporary Art Center HP(英文)
http://www.ps1.org/exhibits/exhibit.php?iExhibitID=29
発行は今年いっぱい、週1回の予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
創刊号はキュレターの木幡和枝さんの文章を中心に
写真展の概要をご紹介させていただきます。
■■■
■写真展「永続する瞬間」への招待
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
写真家集団MAGNUMの創設者の一人アンリ・カルティエ=ブレッソン
(2004年8月死去)は写真集のタイトルに『決定的瞬間 The
Decisive Moment』(1952刊)という決定的な言葉を残して、プロ・
アマをとわず写真を撮るあらゆる人を呪縛している。写真としての決
定的瞬間と、事実としての決定的瞬間とはどう違うのだろうか。カル
ティエ=ブレッソンは「写真としての決定的瞬間」のチャンピオン
かもしれない。だが、本写真展<永続する瞬間―沖縄と韓国、内なる光
景 The Perpetual Moment―Visions from within Okinawa and
Korea>は、社会参加する写真家、あるいは良心の写真家たちの作品
をとおして、歴史のある瞬間がいかにして時を超えて持続するか、
その因果関係(cause and effect)を明らかにしている。
視覚表現の観点から、本写真展は二つの課題を検証しようとしている。
一つは、ここに展示された事実factの記録としての写真は、見る者を
どこまで現実realityに、そして現実を作りだしている複合的な歴史へ
の思索に引き込むことが出来るか。さらには、そこから、どれだけの
感情的・理性的な判断と勇気とを誘発して、真実truthと正義
justiceを見きわめる眼を引き出すことが出来るか。二つ目の課題は、
ドキュメント写真は現代芸術のパラダイムをもって論じうるものか否
か、という誰もが抱く疑問への回答の試みである。現代芸術は現代の
現実、現代人の真実を表象する有効で斬新な方法を模索し続けている。
事実を基底に置くドキュメント写真は、そのなかでも揺るぎない動機と
題材を得ている分野だ。個人のアイデンティティーと世界の現実。
ドキュメント写真においては、この方程式がきわめて明解に表出して
いるとは言えまいか。
フランスの人文主義者アンドレ・マルローは、近代芸術の出発点は芸術
と美とが分かれた瞬間だと言い、その例に18世紀にフランシスコ・
ゴヤが描いた戦争の凄惨なイメージをあげた。その後、写真技術の発
展により、現実を活写する写真が人間の痛み、懊悩、格闘する姿を数
多く記録してきたーー人間の愛、歓び、楽しさの記録に加えて。血塗ら
れた反省をこめて「戦争の世紀」と呼ばれる20世紀には、戦闘、戦
争、それらに起因する苦悩する人と場所の写真が無数に残された。報
道写真、フォト・ジャーナリズムの躍進は不幸にもそうした歴史を背
景としていた。スペイン、ロシア、第一次・二次世界大戦、朝鮮、イン
ドシナ、中東、アフリカ、中南米、中欧、東欧、バルカン半島、イラク
・・・ 国と国の戦争ばかりではなく、内戦、革命、独立闘争、宗教
対立、部族対立など、残酷な戦争の種はつきない。
報道写真、あるいはフォト・ジャーナリズムの世界ではごく最近まで、
マスメディアをとおして私たちが目にしてきた写真の多くが、被写体
である場所や人々の外部から来たプロフェッショナルが撮影したもの
だった。スペイン内戦のロバート・キャパ(インドシナで地雷被爆
死)、朝鮮戦争やインド独立戦争のマーガレット・バーク=ホワイト
(彼女がポートレートを撮影した直後に、ガンジーは暗殺された)
・・・ 20世紀の記憶はこれらの視像と切り離せない。だが、この
部屋で目にする視像は戦場や戦闘の写真ではない。本国からはるか遠
く隔たり、戦闘の行われている前線からも離れた、第三国の領土内に
置かれた軍事基地とその周辺を写したものである。日本の領土に組み
込まれている沖縄と、朝鮮半島にいまだ分断国家としての存在を強い
られている韓国に1945年以来存在する、アメリカ合衆国軍の基地
とその周辺住民の生活と苦悩、ときには人間としての喜怒哀楽を活写
したものだ。
これらの写真には大きな特徴がある。当事者の目から撮った写真、被
写体の内部からの写真であるという点だ。写真機が発明されて150
年近くたった今、その場所の、事態の、人々の内部からの眼で撮られ
たこれらのプロフェッショナルな写真群が、外部者とはことなる深く、
重層的な、当事者の歴史の響きのこもった声で、現状を伝えている。
写真家たちは、かつてのようにLIFE誌から、あるいはUPIやAFPと
いった国際的な通信社から派遣されたのではない。自分の場所、その
歴史の内部から、今、ここ、を見ている。1945年にもたらされた歴
史の「決定的な瞬間」が、これらの場所ではいまだに持続している。
その因果が、みずからの国や場所だけではなく、現代世界の全域に世界
規模の不幸な現実として波及していることを、これらの撮影者たちは
自覚している。サルトルは「文学は飢えた子供たちを救えるか」と問い
かけたが、これらの写真家たちは「写真は私たちを、私たちの世界を
救えるか」と自問している。
1945年4月、連合軍が日本にとどめを刺すべく、最南端に位置す
る沖縄に上陸し、沖縄の非戦闘員を含む15万人が死んだ(住民の四
人に一人)。そのなかには、日本軍に命じられて自決した学徒動員の
若者たちや、集団自決で互いを殺し合った家族や同窓生たちも多く含
まれていた。8月15日、日本は連合軍に対し無条件降伏した。そし
て9月、朝鮮半島のインチョン港に米軍が到着。36年にわたる日本
の植民地支配から朝鮮人民を解放すべく来た米軍。だが、その場に歓
迎に集まった朝鮮人民の2名が日本の警官に射殺され、10名が負傷
した。「ニューヨーク・タイムズ」紙の特派員Richard E.Rauterbuk
は、日本の警官は米軍の指令で発砲した、と報じた。日朝関係の矛盾
を反映した、米軍と朝鮮人民との不幸な邂逅だった。戦後世界の東西
の対立(自由主義ブロックと共産主義ブロック)はさらに朝鮮半島に
色濃く集約され、1950年の朝鮮戦争以来、朝鮮半島はいまだに分
断国家の苦しみを抱えている。
そして沖縄列島でも朝鮮半島でも、60年におよぶ米軍基地の存在が
続いている。米軍の戦闘機が、空母が出掛けてゆく戦闘地域は時代に
よって変わり、兵器も演習内容も変わった。だが、外国の軍事基地が
もたらす問題はますます悪化している。周辺民間人の生命、尊厳、そ
して住環境への悪影響は複雑化している。この半世紀、一瞬の切れ目
もなく戦争の辺縁に置かれてきたこれらの場所の人々は、現実の表層
の向こうに、歴史の「永続する一瞬」を見ている。「決定的瞬間」は
未来へも持続する。それは起こってしまったら止められない。因果律
causalityと正義 justice。事実の具体的なイメージは、人間の悟性
と感情にどこまで力を与えることが出来るのだろうか。
文責=キュレター 木幡和枝
出典:写真展案内文
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■P.S.1コンテンポラリーアートセンターとは
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廃校となった赤煉瓦造りの公立学校PS1(Primary Schoo No.1)。
ニューヨーク近代美術館と提携し、今世界的にも最もホットな展覧会、
パフォーマンス、スタジオ・プログラムを発信する現代アート・センター
として注目されている。
PS 1コンテンポラリーアートセンター
ニューヨークのクイーンズ、22-25ジャクソン通り&46条46通り
※マンハッタンから地下鉄で20分、又マンハッタンにあるMoMAと結んで
無料シャトルバスが運行される
地図:httm://www.ps1.org/cut/gen.html
www.ps1.org
www.moma.org
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■カンパのお願い
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賛同人のカンパにより当写真展は運営されます。ぜひ賛同人になって
ください。PS1の企画展ですので、美術館使用料の必要はありま
せんが、写真家たちは、写真送料と写真家の渡航費、展示室に配置
するガードマン費用など計100万円を負担し開催しています。
NY展が終了後、韓国・沖縄の写真家を招請して、東京、大阪、沖縄
で報告会をしたいと考えています。そちらにも是非ご参加ください。
賛同人になってくださる方、賛同金を振り込んで下さいますよう
心よりお願い申し上げます。
○賛同金:1口1000円
○郵便振り込み 01720−4−105909
「10人の眼展実行委員会」
【連絡先】
○沖 縄:那覇市首里崎山町3−3 4 喫茶室アルテ崎山店
霜鳥美也子(TEL) 098-884-7522 ,090-9076-1488
○大 阪:河内長野市清見台4−1 9−1−3 0 4
中條佐和子 (TEL) 0 8 0 −1 4 0 4−4 3 2 4
○東 京:豊島区駒込2-14-7 琉球センター・どぅたっち
島袋陽子(TEL) 0 3−5 9 7 4−1 3 3 3
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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
(ニューヨーク近代美術館提携機関)
http://www.ps1.org/cut/main.html
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
■■■■次号予告と編集後記■■■■
いよいよニューヨークで「永続する瞬間」展が始まりました。
米国政治や米軍をめぐる様々な出来事に注目が集まる今、
この写真展のインパクトはどのようなものになるのでしょうか。
創刊号はキュレターの木幡さんの文章を掲載しました。
ご感想など、下記HPまでお寄せ下さい。
次号は写真展のオープニングとシンポジウムのレポートを
現地ニューヨークからお届けします。ご期待下さい。
■■NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部■■
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン
編集部.All rights reserved.
*転送・転載は歓迎します。部分的な転送・転載はせず、全文の
転載・転送をお願いします。合わせて、上記HPへのリンクを
張ってください。よろしくお願いします。
■■
2004年10月20日
2004年10月19日
創刊準備号(サンプル)
==============================
■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
<<創刊準備号>>
==============================
●●●創刊へ向けて●●●●
皆さん、こんにちは。2004年10月17日から12月13日まで、アメリカ・
ニューヨークのPS 1 Contemporary Art Center(ニューヨーク近代美術館
提携機関)において沖縄・韓国の写真家6名による写真展「永続する瞬間
――沖縄と韓国 内なる光景(The Perpetual Moment -- Visions
from within Okinawa and Korea)」が開催されることになりました。
写真展の概要については以下のHPをご参照ください。
*出展写真家の一人・石川真生さんのHP
http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/okinawasouru.html
*PS 1 Contemporary Art Center HP(英文)
http://www.ps1.org/exhibits/exhibit.php?iExhibitID=29
そこで、東京を中心とした支援メンバーでは、NY写真展「永続する瞬間
――沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジンを創刊し、現地ニューヨ
ークでの写真展に対する反応や写真展を通じた出会いの様子など、
広がりのある現地レポートを幅広く日本の皆さんへ配信していきます。
発行は今年いっぱい、週1回の予定です。
●●●写真展開催にあたってのメッセージ 写真家 石川真生●●●●
昨年6月に沖縄、7月に大阪と東京、8月に韓国のソウルと4ヶ所の会場
で写真展“記録と記憶のトライアングル〜韓国・在日・沖縄を撮る10
人の眼〜”を開催し、大勢の人が観に来てくれました。
韓国の写真家と日本の写真家の合同写真展は、「在韓、在日米軍基地
問題」「慰安婦、被爆者、戦後補償問題」という共通のテーマで、韓国
と日本の観客に問題提起をすることができたと、私たち参加写真家は
自負しています。「いずれは米軍基地問題の写真展をアメリカで開こ
う。しかも同時多発テロがあったニューヨークでやろう」「アメリカは
テロの報復でアフガニスタンとイラクに戦争をふっかけ、多くのアメリ
カ国民が支持した。これ以上、アメリカの勝手な言い分による犠牲者は
出したくない」「米軍基地が置かれている韓国と沖縄で米軍が何をして
いるのか、地元住民がどう思っているのか、アメリカの国民は知るべき
だ」「そのためにもテロが起こったニューヨークで、その後の世界を
変えたニューヨークの地でぜひとも写真展をやりたい」。そんな私たち
の願いをニューヨークにある世界的に有名な美術館「PS1(パブリッ
クスクール・ナンバーワン)」がかなえてくれました。
私たち韓国と沖縄の写真家はニューヨークへ乗り込みます。アジアの
米軍基地問題をアジア人である私たち自らが写真をたずさえ乗り込み
ます。そして一人でも多くのアメリカ人と直接話し合うために、
「全員でニューヨークに行こう!」を合言葉に意気込んでいます。
昨年に引き続き、みなさんの応援をよろしく願いします。
●●●NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部NY写真展●●●
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
●●●NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」●●
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center(ニューヨーク近代美術館提携機関)
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部
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<<創刊準備号>>
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●●●創刊へ向けて●●●●
皆さん、こんにちは。2004年10月17日から12月13日まで、アメリカ・
ニューヨークのPS 1 Contemporary Art Center(ニューヨーク近代美術館
提携機関)において沖縄・韓国の写真家6名による写真展「永続する瞬間
――沖縄と韓国 内なる光景(The Perpetual Moment -- Visions
from within Okinawa and Korea)」が開催されることになりました。
写真展の概要については以下のHPをご参照ください。
*出展写真家の一人・石川真生さんのHP
http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/okinawasouru.html
*PS 1 Contemporary Art Center HP(英文)
http://www.ps1.org/exhibits/exhibit.php?iExhibitID=29
そこで、東京を中心とした支援メンバーでは、NY写真展「永続する瞬間
――沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジンを創刊し、現地ニューヨ
ークでの写真展に対する反応や写真展を通じた出会いの様子など、
広がりのある現地レポートを幅広く日本の皆さんへ配信していきます。
発行は今年いっぱい、週1回の予定です。
●●●写真展開催にあたってのメッセージ 写真家 石川真生●●●●
昨年6月に沖縄、7月に大阪と東京、8月に韓国のソウルと4ヶ所の会場
で写真展“記録と記憶のトライアングル〜韓国・在日・沖縄を撮る10
人の眼〜”を開催し、大勢の人が観に来てくれました。
韓国の写真家と日本の写真家の合同写真展は、「在韓、在日米軍基地
問題」「慰安婦、被爆者、戦後補償問題」という共通のテーマで、韓国
と日本の観客に問題提起をすることができたと、私たち参加写真家は
自負しています。「いずれは米軍基地問題の写真展をアメリカで開こ
う。しかも同時多発テロがあったニューヨークでやろう」「アメリカは
テロの報復でアフガニスタンとイラクに戦争をふっかけ、多くのアメリ
カ国民が支持した。これ以上、アメリカの勝手な言い分による犠牲者は
出したくない」「米軍基地が置かれている韓国と沖縄で米軍が何をして
いるのか、地元住民がどう思っているのか、アメリカの国民は知るべき
だ」「そのためにもテロが起こったニューヨークで、その後の世界を
変えたニューヨークの地でぜひとも写真展をやりたい」。そんな私たち
の願いをニューヨークにある世界的に有名な美術館「PS1(パブリッ
クスクール・ナンバーワン)」がかなえてくれました。
私たち韓国と沖縄の写真家はニューヨークへ乗り込みます。アジアの
米軍基地問題をアジア人である私たち自らが写真をたずさえ乗り込み
ます。そして一人でも多くのアメリカ人と直接話し合うために、
「全員でニューヨークに行こう!」を合言葉に意気込んでいます。
昨年に引き続き、みなさんの応援をよろしく願いします。
●●●NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部NY写真展●●●
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
●●●NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」●●
○会期:2004年10月17日〜12月13日
○会場:PS 1 Contemporary Art Center(ニューヨーク近代美術館提携機関)
22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」
アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」
ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
比嘉豊光 「戦争の傷跡」
石川真生 「基地を取り巻く人々」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
*Copyright (c)2004 NY写真展「永続する瞬間」メールマガジン編集部
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創刊のお知らせ
2004年10月17日から12月13日まで、アメリカ・ニューヨークのPS 1 Contemporary Art Center(ニューヨーク近代美術館提携機関)において沖縄・韓国の写真家6名による写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景(The Perpetual Moment – Visions from within Okinawa and Korea)」が開催されることになりました。写真展の概要については以下のHPをご参照ください。
*出展写真家の一人・石川真生さんのHP
http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/okinawasouru.html
*PS 1 Contemporary Art Center HP(英文)
http://www.ps1.org/exhibits/exhibit.php?iExhibitID=29
「沖縄と韓国における米軍基地をめぐるドキュメント写真を中心とした写真展を、ニューヨークでぜひ成功させたい。」そのような思いから、東京、大阪、沖縄などで写真展開催に向けたサポートグループが作られ、カンパ集めや情報発信などを中心に活動を行なっています。
そして、東京のサポートグループでは、写真展をめぐるニューヨーク現地レポートを中心としたメールマガジンを発行します。米軍基地をめぐる今日的状況――沖縄での度重なる「事件」・「事故」の発生、名護市辺野古沖への新基地建設をめぐる反対運動の全国的な展開、流動化する朝鮮半島情勢、米軍のグローバルな再編計画の浮上、イラクでの<戦争>状態の継続、そして迫り来る米国大統領選挙・・・――において、ニューヨークでのこのような写真展が開かれることの意義は大きいと思います。このメールマガジンでは、写真展の内容や写真展を通じた出会いの広がり、そして現地ニューヨークの反応などを発信していきます。ニューヨークでの写真展のインパクトが太平洋を挟んだ日本、沖縄、韓国へと伝わり、新しい出会いや力が生まれることを期待しながら。また、現実的なことを言えば、写真展開催のために不足しているカンパの呼びかけも行ないます。
このメールマガジンで配信される情報や意見はすべて、写真展を応援することを目的につくられたメールマガジン編集部の責任によるものです。出展する写真家ならびにPS 1 Contemporary Art Centerによる正式な情報や意見の発表ではございません。
それでは、週1回ほどのニューヨークからの便りをお楽しみください。
メールマガジン『写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」』 編集部
HP:http://blog.livedoor.jp/newyorkphoto/
E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com
*出展写真家の一人・石川真生さんのHP
http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/okinawasouru.html
*PS 1 Contemporary Art Center HP(英文)
http://www.ps1.org/exhibits/exhibit.php?iExhibitID=29
「沖縄と韓国における米軍基地をめぐるドキュメント写真を中心とした写真展を、ニューヨークでぜひ成功させたい。」そのような思いから、東京、大阪、沖縄などで写真展開催に向けたサポートグループが作られ、カンパ集めや情報発信などを中心に活動を行なっています。
そして、東京のサポートグループでは、写真展をめぐるニューヨーク現地レポートを中心としたメールマガジンを発行します。米軍基地をめぐる今日的状況――沖縄での度重なる「事件」・「事故」の発生、名護市辺野古沖への新基地建設をめぐる反対運動の全国的な展開、流動化する朝鮮半島情勢、米軍のグローバルな再編計画の浮上、イラクでの<戦争>状態の継続、そして迫り来る米国大統領選挙・・・――において、ニューヨークでのこのような写真展が開かれることの意義は大きいと思います。このメールマガジンでは、写真展の内容や写真展を通じた出会いの広がり、そして現地ニューヨークの反応などを発信していきます。ニューヨークでの写真展のインパクトが太平洋を挟んだ日本、沖縄、韓国へと伝わり、新しい出会いや力が生まれることを期待しながら。また、現実的なことを言えば、写真展開催のために不足しているカンパの呼びかけも行ないます。
このメールマガジンで配信される情報や意見はすべて、写真展を応援することを目的につくられたメールマガジン編集部の責任によるものです。出展する写真家ならびにPS 1 Contemporary Art Centerによる正式な情報や意見の発表ではございません。
それでは、週1回ほどのニューヨークからの便りをお楽しみください。
メールマガジン『写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」』 編集部
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E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com