2004年12月30日

第9号

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■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」メールマガジン■
               
              <<第9号>>

            2004年12月30日

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写真展会場にはコメント帳が置かれ、訪れた人々が思い思いの言葉を残していきました。今号は前嵩西一馬さんによる連載「遍在する肉声」にて、そのコメント帳に記された言葉を取り上げます。


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■遍在する肉声3 ――リアルな、あまりにリアルな――
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初秋に始まったPS1での写真展は、さりげないクイーンズの夕暮れとともに静かに幕を閉じた。ようやく氷点下に落ち着いたニューヨークの朝、街ゆく師走の喧噪が今日もまた、無数の白い吐息とともにゆっくりと動き出す。繰り返し訪れる日常の最中PS1に足を運んだ多くの人々が、会場に置いてあったコメント帳に率直な感想を書き綴ってくれた。

自分の名前だけを刻む者、とりとめのないジョークや似顔絵を残す者、ありがとう、という言葉のみを記す者、帳面に記載されている「年齢性別国籍を記して」という指示に異議を唱える者。将来ジャーナリストになりたいという少女による暖かい賛辞から、中年男性の過剰な発言まで、複数の声が写真展の多彩なインパクトの模様を伝えてくれる。なかでも多くのひとがrealityという言葉を使ってコメントを寄せている。リアリティ。現実。ほんとうのこと。約2ヶ月という開催期間に、会場の片隅に少しずつ積み重ねられていった彼らの呟きにしばし耳を傾けつつ、今回は「リアルなもの」について少し考えてみたい。


10月23日
「肝心なところはわかったが、まだわからないことがある。
誰の責任なのか、そしてこれらの代償は何なのか。」


10月28日
「かき乱された。」

10月29日
「人々が関心を持つべき、不穏な現実…(以下略)。」

10月30日
「正義って何だろう?」

11月1日
「アメリカと日本は友達です。」
(おそらくアメリカ人が書いたと思われる日本語。)

11月4日
「実に目を開かれる思いだ!」

「コラテラル・ダメージ?」
(軍事用語で付随的な民間人死傷者の意。)

「政治的なアートの不十分な点。
1.大統領に届かない。
2.政治家に届かない。
3.マジョリティに届かない。
よってこの手の作品に政治的な力はない。
米国内で展示される外国の政治的アートの不十分な点。
1.99.9パーセントのひとが扱われる問題に目もくれない。」

(記されたメールアドレスから察するに、ニューヨーク市立大学または大学院に在籍する日本人男性かと思われる。)

11月5日
「くたばれアメリカ。日本が一番!」

11月6日
「この展示はとても強烈でアメリカを違った視点で見ることができた。
すばらしい。」


「政治的すぎる。」

11月7日
「いつの日かこんなことがなくなるように! Imagine!」

「地獄に落ちろ、二度と来るな。」
上記の一文が誰かに棒線で消され以下の文章が書かれている。
「花、花、きれいな花たち。」

11月8日
「ありがとう。写真は、きっと(物事を)伝えることができるし、また
変化への触媒となり得る。今日、何かを学びました。」

(51歳・女性・アメリカ人)

「僕らが悪い奴らに見えるような写真をこんなに展示する必要はないんじゃないの。」
「↑そういうあんたこそがそのひとりだし(そして無知だし)。」


「痛烈な展示。とても生々しくて意味深で。真実への看破、ありがとう。」

「これまで見なかったことを見たし、知らなかったことを学びました。
ありがとう。強くあれ。」


11月11日
「いったいこれは何?」

11月19日
「ひどい、悲しい!!! 現実。」

11月29日
「この展示で描かれている多くの事件について全然知らなかった自分が恥ずかしい。とてもためになった。」
(22歳・女性・アメリカ人)

12月5日
「めちゃめちゃいらつく! 何を表現しようとしてるんだ?」
(男性・17歳)

「多くの人がひどくいらつくだろうけど、でも究極の真実はときにあまりにも
惨すぎてそれに耐えられないひともきっといるだろう。ぼくは、ぼくら自身が
ひとつの国としてこれらの過ちから学んでほしいと願っている。」

(男性・17歳・ドミニカン)

12月12日
「パワフル。婉曲的ないい回しを寄せ付けない。『コラテラル・ダメージ』と
はこのようなもの。孤独もまたこのようなもの。」

(67歳・男性・アメリカ人)

12月13日
「ここに本当のことはひとつもない。全部許されうる厄介ごとにすぎない。」
上記の文章が棒線で消されて、以下の文章。
「このでたらめは現実なんだ。すばらしい!」


彼らのコメントは、そのひとつひとつが、文字通りアメリカ側における「持続する瞬間」の目撃証言となる。その証言を通して、この国がいまどうなっているのかという一般的な動向を把握しよう、などと言うつもりはない。ただそこには、写真展に実際に足を運んでくれた人々のコメントという具体的なフレームを通して見えてきた、アメリカの「リアル」な風景(当然そこにいる日本人の姿も含む)がある。

その風景を風景として成り立たせているのは、実はあるひとつの「ずれ」があるからだ。それは通常パララックスと呼ばれる。ひとつの対象物を二つの視点からみたときに生じるずれを意味すると同時に、カメラのファインダーを通して見たときに見える範囲と、実際にフィルムに写る範囲とのずれを指す言葉でもある。それは経験と表象のずれであると言い換えてもいいだろう。自分が経験したことと自分がそれを語ること、そのずれを通して初めて「リアルなもの」の存在を幽かに感じることができる。

写真家がファインダー越しに見たリアリティ、フィルムに焼き付いたリアリティ、それを見つめる者における各々のリアリティ、そしてそのリアリティが彼らによって表象された際に発現されるリアリティ。それらのどの「現実」においても、ただひとつの「現実」のなかでは僕らは「リアルなもの」に出会うことがない。何十枚ものコメント用紙をめくりながら、ここで僕はふと思う。この言葉たちが紡がれていた瞬間に、またそのメッセージを読んでいるいまこの瞬間に、僕たちは「リアルなもの」に、かろうじて出会ってはいないだろうか。(もちろんそこには「リアルなもの」が持つ不可能性が常に口を開けて待っている。あえて米軍に対するアンビバレンツな自文化の肖像画を差し出した写真家の意志を、微塵も理解していないコメントも多数あったのだから。)

たとえば、12月13日に書かれた最後のコメントを見てみよう。”Nothing is real.”( 「すべて本当ではない」)という文のなかで、”Nothing”という 言葉が棒線で消され、別の何者かによって”This shit”という文字が書き加え られ、”This shit is real”( 「このでたらめは本当だ」)という文が新たに 創られている。「すべて本当ではない」が「このでたらめは本当だ」に書き換 えられたその痕跡に、「リアルなもの」のしっぽの先っぽがちらりと見えは しないだろうか。

その先っぽをさらに探し求める視線はいつしか、アメリカでも韓国でも沖縄でもない、圧倒的多数の人々の視点から疎外された弱者という立場から、世界という「現実」を見つめる、強靱な眼差しに変わるかもしれない。ベトナムに派兵した韓国、戦争に荷担し続けている日本、そして基地のある沖縄、ともに加害者としてのあるいは勝者の恩恵を授かっていることへの困惑、羞恥、自省といったプロセスを経て、その「強靱さ」はときに奇妙なねじれを伴いつつ、これからも継承されていくだろう。「リアルなもの」が、ほんとうにリアル、つまり現実そのものになるときは決して来ないとしてもだ!


【前嵩西一馬 Kazuma MAETAKENISHI】
那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程在籍。本写真展運営
ボランティア。 沖縄県与勝半島でのフィールドワークを終え、現在
博士論文執筆中。 写真という媒体のなかに文化と政治のプリズムを
読み込む作業を通して、 自らの視点をそこに織り込んでいきたい。


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■■NY写真展「永続する瞬間--沖縄と韓国 内なる光景」■■■
○会期:2004年10月17日〜12月13日(終了)
○会場:PS 1 Contemporary Art Center
 (ニューヨーク近代美術館提携機関) 
 http://www.ps1.org/cut/main.html
 22-25 Jackson Ave. Long Island City, NY 11101
○参加写真家:
 イ・ヨンナム 「坡州の米軍基地と住民の闘い」    
 アン・ヘリョン 「神聖不可侵地域-米軍基地」
 イ・ゼガブ 「韓国のアメラジアン」            
 ノ・スンテック 「米軍による女子中学生死亡事件」
 比嘉豊光 「戦争の傷跡」               
 石川真生 「基地を取り巻く人々」HP:http://w1.nirai.ne.jp/mao-i/
 

■■■■編集後記■■■■


コメント帳に並んだ声。なんと印象的な言葉が並んでいることか。コメント帳という時空に声と声が響きあい、応答し、時には消され、書き加えられる。私の中でそのイメージは街のありとあらゆるところに生起するグラフィティへとつながっていく。人間、思想、経験の痕跡として書き込まれた言葉、イメージ。時には鋭く本質をついた言葉が、時には感情のうねりを書きなぐったかのような言葉。コメント帳はアメリカや世界の一面であり縮図でもあるかもしれない。であるならば、しばしば行なわれた書き換え=書き加えという営為の中に、「異なる世界」=「ありえたかも知れない現実」を作る創造力を見つけることができるのではないだろうか。

1968年5月、パリ、「革命」と呼ばれた季節に記された、こんな言葉を思い出す。

「レアリストになり  Soyez realistes
 求めよう、不可能を。demandez l’impossible.」
西川長夫『フランスの解体?』人文書院、1999.p112)

次号でメルマガ第一期を終了する予定です。

(編集部・大野光明)


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 問い合わせ先E-mail:okinawakoreaphoto@hotmail.com

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