Welcome To My ”俺の感性”

音楽のレビューというか感想をてけとーに書き殴るブログです。

岡田拓郎 『ノスタルジア』

Artist 岡田拓郎
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Album 『ノスタルジア』
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Tracklist
01. アルコポン
02. ナンバー
03. アモルフェ(Feat. 三船雅也)
04. ノスタルジア
06. イクタス
07. 手のひらの景色
08. ブレイド
09. グリーン・リヴァー・ブルーズ
10. 遠い街角(Feat. 優河)

「森は生きているとは何だったのか?

スティーヴン・ウィルソンTo the Boneのレビューを書いている約一ヶ月間、そのSWの音楽を聴きながら頭の中で常に気にかけていた事があって、それというのも、2015年に解散した森は生きているの中心人物である岡田拓郎くんがOkada Takuro名義で「ソロデビュー・アルバム」を、同じくユニバーサルから「メジャーデビュー」を果たしたSW『To the Bone』と同じくあのHostess Entertainmentからリリースされると知ったからで、僕にとってこの一連の出来事はもはや「運命の引かれ合い」としか思えなかった。

先日、AbemaTVの『72時間ホンネテレビ』を観てて何よりも嬉しかったのは、元スマップの「森(くん)は生きている」ことで、しかしその一方でバンドの方の森は生きているが2015年に突如として解散したことが、個人的にここ最近の中で最もショッキングな出来事としてあって、何故なら森は生きているの存在は、現在はイギリスを拠点に活動する神戸出身のThe fin.とともに、このクソみたいな邦ロックが蔓延る今の邦楽シーンおよび日本語ロックシーンに現れた「救世主」、まさに「希望」そのものだったからだ。


改めて、森は生きているの遺作となった2ndアルバム『グッド・ナイト』は、それこそピンク・フロイドをはじめとした60年代から70年代のプログレッシブ・ロックおよびサイケデリック・ロックに代表されるアンダーグランド・ロック、トラディショナルなジャパニーズ・フォーク、アヴァンギャルド、アンビエントや環境音楽、そして現代的なポストロックが時を超えてクロスオーバーしたような、これぞまさにイギリスを発信源とするPost-Progressiveに対する極東からの回答であるかのようだった。その中でも約17分の大作”煙夜の夢”は、(まずこの曲をMVにしちゃう変態っぷりも然ることながら)それこそSWの創作理念の一つである聴き手を「音の旅」に連れて行くような、ちょっと童貞クサい純文学を実写映画化したような壮大なスケールで綴られた組曲で、それはまるでSW率いるPorcupine Treeの初期の名曲”The Sky Moves Sideways Phase”への回答のようでもあり、もはや森は生きている「日本のPorcupine Tree」あるいは「日本のTemples」に値する存在その証明でもあり、そのバンド内で中心的な役割を担っていた岡田くんSWは「ほぼ同一人物」と呼んじゃっても差し支えないくらい自分の中で親近感を持つ存在で、その僕がリスペクトする二人の音楽家が遂にこの2017年に邂逅してしまったのは、今世紀最大の衝撃だったし、同時に泣きそうなくらい嬉しかった。

「SWは『To the Bone』で何を示したのか?

スティーヴン・ウィルソンは、この「メジャーデビュー・アルバム」で自身のことを「プログレ側の人間」であると同時に「ポップス側の人間」であるということ、そして何よりも誰よりも「ニューエイジ側の人間」であるという自己紹介、あるいは明確な意思表示を音の中に詰め込んでいた。それはまるで現代の「キング・オブ・ニューエイジ」として「シン・時代」の幕開けを宣言するかのような歴史的な一枚だった。音楽的な面で特に『To the Bone』最大のコンセプトとして掲げていたのが、他ならぬ「ポップ・ミュージックの再定義」である。この度、SWがメジャー・デビューする上で避けて通れなかったのは、現代の音楽シーンの変化は元より、音楽リスナー側の環境の変化への対応で、つまり従来の「アルバム」として聴く時代は終わりを告げ、現代の音楽リスナーはSpotifyApple Musicなどのサブスクを使って「プレイリスト」という形で「自分だけのアルバム」を作って聴く「シン・時代」、それに対する適応である。これまでアンダーグランドの世界で「プログレ側の人間」として、当たり前のように「アルバム」で聴くことを前提に作品をクリエイトしてきた彼が、今度は一般大衆が「プレイリスト」で聴くことを前提にした、いわゆる「一口サイズのポップス」に挑戦しているのだ。結局このアルバムの何が凄いって、いわゆる「初老」と呼ばれ始める保守的になりがちな年齢(アラフィフ)にありながらも、あえて先進的で未来志向(リベラル)な考え方を選択する、あえて「困難」へと挑戦し続ける姿勢はまさに「ミュージシャン」、それ以前に「人」として人間の鑑だと呼べるし、それは同時に彼がこの地球上で最も「Progressive(進歩的)」な存在であることを証明している。このアルバムは、まさにそんな彼の「存在証明」でもあった。

そのSW『To the Bone』で示し出した「ポップスの再定義」・・・何を隠そう、岡田拓郎くんはこの『ノスタルジア』の中でSWと全く同じことをやってのけているのだ。この『ノスタルジア』は、森は生きているのどの作品とも違う。端的に言ってしまえば、SW『To the Bone』で80年代の洋楽ポップスを現代の音にアップデイトしたならば、岡田くんはこの『ノスタルジア』で当時のポップス(大衆音楽)だった70年代の歌謡曲をはじめ、吉田拓郎さだまさしなどの伝統的なジャパニーズ・フォークを現代の音に結合することで、この2017年の現代においる「ポップスの再定義」を実現させている。もちろん、SWがイメージする「ポップス」が「ただのポップス」でなかったように、岡田くんがクリエイトする「ポップス」も「ただのポップス」ではない。決してただの懐古主義的なノリではなくて、あくまでも「イマ」の音楽として邂逅させることを目的としている。お互いに共通するのは、まずSW『To the Bone』というタイトルは、あらゆる意味で自身を構築する「骨」となった「過去」への憧憬、あるいは「郷愁」であり、それすなわち岡田くんの『ノスタルジア』へとイコールで繋がる。

アルバムの幕開けを飾る一曲目の”アルコポン”から、それこそ2017年を象徴するバンドの一つと言っても過言じゃあない、ブルックリンのCigarettes After Sexにも精通するスロウコア然としたミニマルでローなテンポ/リズム、プログレ/サイケ界隈では定番のミョ~ン♫としたエフェクトを効かせたペダルスティールをはじめ、「80年代」のシューゲイザーをルーツとした電子ギターのリフレインやアコースティック・ギター、ピアノやパーカッション、マンドリンやオートハープ、それらの森は生きているでもお馴染みの楽器が奏でる色彩豊かな音色が調和した、その優美なサウンドにソッと寄り添うようにたゆたう岡田くんの優しい歌声と文学青年の悶々とした日々を綴った歌詞世界が、まるで休日の部屋に差し込む日差しを浴びながら昼寝しているような心地よい倦怠感ムンムンの蜃気楼を描き出していく様は、まさに表題である『ノスタルジア』「郷愁」の世界そのものであり、もはや「日本のThe War On Drugs」としか例えようがない、まるで80年代のAORを聴いているような懐かしさに苛まれそうになる。何を隠そう、SW『To the Bone』で「80年代愛」を叫んだように、そのSWと同じように岡田くんはペット・ショップ・ボーイズに代表される「80年代」のAORを愛する人間の1人で、この曲の中にはそんな彼の「80年代愛」が凝縮されている。なんだろう、確かに自然豊かな森のささやきのように多彩な音使いは森は生きているを素直に踏襲しているけど、そのいわゆる「ピッチフォークリスナー」ライクな雰囲気というか、森は生きているで培ってきた従来の音使いにモダンなアプローチを加えることで一転してグンと洗練された美音へと、そのベースにある音像/音響としては「ピッチフォーク大好き芸人」みたいなイマドキのインディへと意図的な「変化」を起こしている。その「変化」を裏付ける証拠に、今作のマスタリング・エンジニアにはボブ・ディランをはじめ、それこそCigarettes After SexThe War On Drugsの作品を手がけた(テッド・ジェンセン擁する)STERLING SOUNDグレッグ・カルビを迎えている事が何かもう全ての答え合わせです。

今作は岡田くん初のソロ・アルバムというわけで、森は生きているでは主にコーラスやコンポーザーなど言わば裏方の面でその才能を遺憾なく発揮していたけど、このソロアルバムでは「シンガーソングライター」としてボーカルは勿論のこと、森は生きているでは今作にもサポートで参加しているドラマーの増村くんが歌詞を書いていたが、今作では作曲は元より作詞まで自身で手がけ、ミックスからプロデュース、他ミュージシャンとのコラボレーション、そして様々な楽器を操るマルチプレイヤーとして、1人のミュージシャンとしてそのポテンシャルを爆発させている。ところで、SW『To the Bone』の中で強烈に印象づけたのは、ヘタなギタリストよりもギターに精通してないと出せないようなギターの音作りに対する徹底した「こだわり」だった。同じように岡田くんも今作の中でギターリストとして音楽オタクならではの「こだわり」を、ギターに対する「プレイヤー」としての「こだわり」を、様々なエフェクターやギター奏法を駆使しながら理想的な音作りを貪欲に追求している。それと同時に、SW『To the Bone』で垣間見せたのは、「80年代」という「過去」の音楽に対する咀嚼力の高さで、つまり創作における基本的な創作技術を忠実に守ることによって、SWがこのアルバムで掲げた「ポップスの再定義」を実現させる上で最大の近道へと繋がった。そのSSW界の先輩であるSWの背中を追うように、バンド時代では実現不可能だった、ある種の『夢』をこの岡田くん(SW)は果たそうとしていて、その『夢』を実現する過程の中で最重要課題となる「過去の音楽」への向き合い方、しかしその「過去」という『ノスタルジア』をどう理解(解釈)し、そしてどう料理するか、その最善かつ最適な方法を彼らは既に熟知している。

話は変わるけど、2013年に相対性理論『TOWN AGE』がリリースされた当初の主な評価として挙げられた、何故に「やくしまるえつこのソロっぽい」という風にフアンの間で賛否両論を巻き起こしたのかって、それこそトクマルシューゴ大友良英をはじめとした国内の実験音楽やニューエイジ界隈に影響されたやくしまるえつこヤクマルシューゴに変身したからだ。何を隠そう、岡田くんが”ナンバー”という曲の中でやってることって、(こう言ったら岡田くんに怒られるかもしれないが)端的に言ってしまえば「岡田拓郎なりのシティ・ポップ」、すなわち『NEW (TOWN) AGE』なのだ。つまり、さっきまで「80年代」のAORのノスタルジーに浸っていた彼は、今度は「90年代」に一世を風靡した「渋谷系」への憧憬あるいは「郷愁」に浸ることで、昨今オザケンの復帰により俄然現実味を帯びてきた「90年代リバイバル」に対する岡田くんなりの「答え」を示し出している。

話を戻すと、その”ナンバー”が付く曲タイトルは数多くあるけれど、”名古屋ナンバー”には気をつけろっていう話は置いといて、例えばトリコットの場合だと”神戸ナンバー”だったり、実は相対性理論の曲にも”品川ナンバー”とかいう名曲がある。勿論、その曲を意図して名づけられた訳ではないと思うが、そういった面でも、この曲には相対性理論(やくしまるえつこ)と岡田くんの強い「繋がり」を(少々強引だが)見出した。しっかし、このタイミングであの問題作『TOWN AGE』再評価の流れ、それを作り出した本人が森は生きているの岡田くんという神展開・・・こんなん泣くでしょ。

改めて、この『ノスタルジア』を聴いて思うのは、やっぱりトクマルシューゴというかヤクマルシューゴ的ないわゆる理系ミュージシャンの系譜に合流した感はあって、そのナントカシューゴ界隈をはじめジム・オルーク大友良英など、あらゆる界隈から岡田拓郎という1人の音楽家の「ルーツ」すなわち「骨」を紐解いていくようなアルバムだ。なんだろう、今後岡田くんはトクマルシューゴヤクマルシューゴの間の子であるオカマルシューゴと名乗るべきだし、もはやトクマルシューゴの後継者争いはヤクマルオカマルの一騎打ちだ。

現代...というか今年は特にだったけど、今って「映画」と「音楽」と「小説(文学)」それぞれの分野が隣り合わせで密接に関係している、つまり「繋がっている」ことを切に実感させられる時代でもあって、もはや言わずもがな、当たり前のようにこの岡田くんも得体の知れない「ナニか」と「繋がっている」。例えるなら、SW『To the Bone』を聴いて、その「80年代」のイメージを最も的確に表した映画がジョン・カーニー監督『シング・ストリート 未来へのうた 』だとすると、岡田くんの『ノスタルジア』は井の頭公園の開園100周年を記念して製作された、橋本愛主演の映画『PARKS パークス』だ。

この映画『PARKS パークス』は、『孤独のグルメ』の原作者ふらっと久住のバンドザ・スクリーントーンズによるDIY精神溢れる音楽をバックに、今にも井之頭五郎が登場してきそうなほど、緑に囲まれた井の頭公園を華やかに彩るような色とりどりの楽器が鳴り響く音楽映画だ。驚くなかれ、この映画の音楽を監修したのが他ならぬトクマルシューゴで、しかもそのエンディング曲を担当しているのが相対性理論ってんだから、更にそのサントラの中に大友良英と岡田くんも参加してるってんだからもう何か凄い。

改めて、劇中に井之頭五郎がヒョコっと登場してきそうなくらい、『孤独のグルメ』の音楽にも精通するパーカッションやアコギや笛などの楽器を駆使した、それこそトクマルシューゴ節全開のDIYな音楽に彩られたこの映画『PARKS パークス』は、リアル世界の井の頭公園でも園内放送されたやくしまるえつこによる園内アナウンスから幕を開ける。話の内容としては、序盤は「50年前に作られた曲に込められた恋人たちの記憶」を巡って奔走する普通の青春音楽ドラマっぽい感じだったけど、後半から急に「過去」「現在」「未来」が複雑に絡んでくるSFサスペンス・ドラマ的な序盤のイメージに反して予想だにしない展開に変わって、その瞬間に「あ、この映画普通じゃないな」って察した。というか、そもそも相対性理論の曲がテーマ曲になっている時点で察するべきだった。劇中クライマックスで「何が起こった!?」って考えている内に、エンディングの”弁天様はスピリチュア”が流れてきた時点で全てを察したよね。

とりあえず、能年玲奈系の顔立ちをした若手女優の永野芽郁橋本愛大友良英の組み合わせってだけで某『あまちゃん』を思い出して「うっ、頭が・・・」ってなるんだけど、まぁ、それはともかくとして、主演の橋本愛がギターを抱えて演奏するシーンとかきのこ帝国佐藤千亜妃にソックリだし、この映画にはトクマルや「謎のデブ」こと澤部渡(スカート)を筆頭に、今作のサントラにも参加しているミュージシャンがカメオ出演しているのだけど、中でも音楽監修のトクマル本人が出てきたシーンのトクマルの演技がヤバすぎてクソ笑ったんだけど。

オカマルシューゴ

そしてエンドクレジットで岡田くんと相対性理論が一緒の画に収まっているの見たら、「うわうわうわうわうわ・・・遂に繋がっちゃったよ・・・こんなん泣くって」ってなった。正直、ここまでクレジットを凝視した映画は初めてかもしれない。で、気になる岡田くんが手がけた曲は”Music For Film”というタイトルで、曲自体はまさに劇中クライマックスで「現実か虚構か」の狭間でSFっぽくなる絶妙なタイミングで登場するのだけど、肝心の曲調はそれこそハンス・ジマー坂本龍一『async』みたいなアンビエントで、なんだろう、ここでも再度「繋がってんなぁ・・・ハア」とため息ついた。

しかし、この映画『PARKS パークス』に関してもっとも面白い話は他にある。それというのは、映画の話の中で主演の橋本愛染谷悠太がバンドを組むってことになるんだけど、そこでバンドメンバーを集めて奔走する場面のシーンを筆頭に、それこそジョン・カーニー監督『はじまりのうた』をオマージュしたような演出が随所にあって、なんだろう、ここで初めてSWと岡田くん、そしてやくしまるえつこが「音楽」という枠組みを超えて、その「音楽」と密接に関係する「映画」を通して一本の線で繋がった瞬間だった。なんかもう面白すぎて泣いたよね。なんだろう、人って面白すぎると泣けるんだなって。

ポップスにおける普遍性=アヴァンギャルド

これらの「映画」「音楽」「文学」の垣根を超えた「繋がり」からも分かるように、いわゆる「シューゴ界隈」からの実験的な音楽に対して敬意を払いつつも、何だかんだ叫んだって彼は森は生きているを一番の「ルーツ」としていて、それこそROTH BART BARON三船雅也をゲストに迎えた”アモルフェ”は、いわゆる「New Age」を一つのルーツとする岡田くんのミュージシャンとしての本質をピンズドで突くような「ニューエイジ・フォーク」だ。個人的に、この曲を聴いた時にまず真っ先に頭に浮かんだのがデヴィン・タウンゼンド『Ghost』で、このアルバムはデヴィンの変態的な才能が岡本太郎ばりに爆発した、サブカル系ニューエイジ・フォークの傑作である。そのアルバムの表題曲”Ghost”のカントリー・フォーク然とした曲と岡田くんの”アモルフェ”には、「アヴァンギャルド」と「ポップス」という2つの精神が混在している。面白いのは、かつて音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』森は生きている『グッド・ナイト』を取り上げた時のインタビューで(その号の表紙はSW『Hand. Cannot. Erase.』)、岡田くんはポップスにおける普遍性=アヴァンギャルドであると語っている。この彼の発言というのは、それこそ音楽界の異才あるいは奇才あるいは変態と称されるデヴィンSWの創作理念と共通する一つの「答え」で、その「答え」を突き詰めていくと最終的に辿り着くのが、それこそ今なおポップス界の頂点に君臨するビートルズである事は、もはや人類の共通認識でなければならない。



改めて、SW『To the Bone』で最大の野望として掲げていた「ポップスの再定義」、その「野望」あるいは「夢」を実現させるには従来の考えを捨てて、全く新しいやり方で一般大衆の耳に届くような、いわゆる「一口サイズのポップス」の制作に早急に取りかからなきゃならなかった。それは『To the Bone』に収録されたシングル曲を見れば分かるように、これまで「プログレ側の人間」として10分を超える長尺曲を得意としてきた彼が、いわゆる「ポピュラー音楽」として必須条件とも呼べる曲の長さが3分から4分の曲を中心にアルバムを構成している。その「一口サイズのポップス」、それは岡田くんもこの『ノスタルジア』の中で全く同じ考え方を示していて、もちろん森は生きている”煙夜の夢”のような超大作は皆無で、基本的に2分から3分の一口サイズの曲を意図的に書いてきているのが見て取れる。これは森は生きていると最も違う所の一つで、ひとえに「ポップスとは何か」を考えた時に、まず真っ先に曲が一口サイズになる現象は、SWと岡田くんに共通するものである。

表題曲の#4”ノスタルジア”やMVにもなっている#5”硝子瓶のアイロニー”は、まさに今作における「一口サイズのポップス」を象徴するような曲で、序盤のフォーク・ロック的な流れから一転して、ポップス然としたアップテンポなビートアンサンブルをはじめ、クラップやスライド・ギター、そして「80年代」のニューウェーブ/ポストパンクの影響下にあるモダンなアプローチを効かせたシンセを大々的にフィーチャーしている。これもバンド時代にはなかった試みの一つで、大衆の心を鷲掴みにするポップスならではの「キャッチー」な要素を与えている。しかし、一見「王道」のポップスのように見えて「ただのポップスじゃない」、その「実験性」と「大衆性」の狭間で蜃気楼のように揺れ動く幽玄な音世界は、まさに「70年代」の革新的かつ実験的な音楽から脱却を図ろうとする「80年代」の音楽が持つ最大の魅力でもある。その流れからの#6”イクタス”は、例えるならRoyal Blood的なブルージーな解釈がなされた岡田くんなりの哀愁バラードで、これがまたサイコーに良い。

様々な分野で、とある作品やとあるモノを評価する際に、よく「メジャーマイナー」「マイナーメジャー」という表現を用いた例え方をされる場合がある。例えば、漫画の世界だと『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦なんかは典型的な「メジャーマイナー」の作家である。その表現法を「音楽」の分野に応用して、この『ノスタルジア』がどれに分類されるのかちょっと考えてみた。はじめに、『To the Bone』におけるSW「メジャーマイナー」だと仮定すると、岡田くんの『ノスタルジア』トリコット『3』「マイナーメジャー」に分類される。まずSW『To the Bone』で、3大メジャーレーベルのユニバーサルから「メジャー」デビュー、Spotifyを活用した「イマドキ」のプロモーションやバズマーケティング、オエイシスの作品でも知られる「メジャー」なプロデューサーを迎え、ぞしてその音楽性は「80年代」のポピュラー音楽をリスペクトした「ポップスの再定義」を図っていることから、少なくともガワの面では「メジャーメジャー」と言っていいくらい「メジャー」だが、しかしその反面、音楽性は幼少の頃から「プログレ側の人間」かつ「ニューエイジ側の人間」であるSWがクリエイトするポップスはポップスでも「ただのポップス」ではない「マイナー」な音楽だから、SW『To the Bone』「メジャーマイナー」という結論に至る。あっ、予め言っておくと、「音楽」の分野に「メジャーマイナー」「マイナーメジャー」などの表現を使う場合、とあるモノや作品の知名度や人気を表わす本来の使い方ではなくて、今回の場合はあくまでも「音楽性」とその「精神性」を表しているので、その辺の誤用はあしからず。

それでは、岡田くんの『ノスタルジア』トリコット『3』が何故「マイナーメジャー」に分類されるのか?まずトリコット『3』の場合は、ひと足先に「メジャー」に行って「最悪の結果」に終わった盟友赤い公園に対するアンチテーゼとして解釈すると、この『3』でトリコットが示したのは、それこそ「インディーズ」=「マイナー」からでも「メジャー」を超えられる、「メジャー超え」できるという歴史的な証明である。まずアルバム一枚1500円ポッキリという点も「インディーズ」ならではのプロモーション戦略と言えるし、その音楽性もいわゆる「マスロック」とかいう「マイナー」な音楽ジャンルと、いわゆるJ-POPという「メジャー」なポピュラー音楽をクロスオーバーさせた、まさに「マイナーメジャー」と呼ぶに相応しい作品だった。

改めて、SW『To the Bone』「メジャーマイナー」ならば、岡田くんの『ノスタルジア』「マイナーメジャー」である。まずは森は生きているの存在をこの言葉を応用して表すならば、それは「マイナーマイナー」だ。その童貞文学青年みたいな、60年代や70年代の音楽が大好きなサイコーにオタク臭い音楽性から、その知名度的にも『ストレンジ・デイズ』みたいなオタク全開の音楽雑誌を愛読しているような童貞オタクしか知らない、これ以上ないってほど「マイナーマイナー」な存在である。それでは、その「マイナーマイナー」森は生きている「マイナーメジャー」の岡田くんは一体何がどう違うのか?まずは岡田くんがこの『ノスタルジア』でやってること、それは紛れもなく「ポップスの再定義」である。SW『To the Bone』で「80年代」の音楽をイマドキのポップスに再定義すると、この岡田くんは「マイナーマイナー」森は生きているを音楽的ルーツにしながらも、ピッチフォークリスナーライクな「マイナーメジャー」然としたインディ・ムードや「メジャー」に洗練されたプロダクション、そして70年代のジャパニーズ・フォークをルーツとする「大衆的(ポピュラー)」なメロディを駆使して、「日本の伝統的な大衆音楽」をイマドキのポップスにアップデイトしている所は、もう完全に「マイナーメジャー」としか言いようがない。でも結局のところ、「メジャーマイナー」とか「マイナーメジャー」とか、正直そんなんどうでもよくて、最終的にお互いに一緒の「ホステス所属」ってことに落ち着くし、なんかもうそれが全てですね。

この『ノスタルジア』「マイナーメジャー」的な作品である、その真実を紐解くような曲が#7”手のひらの景色”だ。僕は以前、椎名林檎『日出処』のレビュー記事の際に、とある曲で森は生きているの名前を出した憶えがある。そのお返しとばかりに、この曲は初期の椎名林檎やメジャー以降のきのこ帝国がやっててもおかしくないオルタナ系のJ-POPで、さっきまでは「マイナーメジャー」だった彼が一転して「メジャーマイナー」に変化する瞬間の怖さというか、あわよくば椎名林檎みたいなドが付くほど超メジャーなポップスに急接近するとか・・・岡田くん本当に天才すぎる。ある意味、これは「アンダーグランド」から「メインストリーム」のJ-POPに対するカウンターパンチだ。皮肉にも彼はSWと同じように、「アンダーグランド」の人間こそ「メインストリーム」の事情を最もよく知る人間であるという事実を、岡田くんはこのアルバムで証明している。なんかもう赤い公園津野米咲に聴かせてやりたい気分だ。

確かに、今作は「一口サイズのポップス」が詰まったアルバムだが、その中で最も長尺(6分台)となる#8”ブレイド”は今作のハイライトで、それこそ森は生きているのプログレッシブな側面を岡田くんなりに料理した名曲だ。まずイントロのフルートやサックス、そしてインプロ感むき出しのジャズビートを刻むドラムとピアノの音使い、叙情的な音作りまでSWがソロでやってきた事、すなわち「Post-Progressive」の音世界そのもので、特に暗転パートのシュールなアコギの響かせ方、音の空間の作り方がStorm CorrosionあるいはSWの2ndアルバム『Grace for Drowning』に匹敵するセンスを感じさせるし、更にはクライマックスを飾るメタル界のLGBT代表ことポール・マスヴィダル顔負けのフュージョンの流れを汲んだソロワークとか、なんかもう天才かよってなったし、この曲聞いてる間はずっと「holy...」連呼してたくらい。この曲は、まさに岡田くんの音楽的ルーツの一つでもあるジャズ/フュージョンに対する愛が凝縮されたような曲で、何を隠そう、SW『To the Bone』にもジャズ/フュージョンを扱った”Detonation”という”ブレイド”と同じくアルバム最長の曲があって、そういった「繋がり」を改めて感じさせたと同時に、なんかもう岡田くんマジ天才ってなった。26歳で既にSWと肩を並べる、いやもう超えてるんじゃないかってくらい、もはや嫉妬通り越して結婚したいわ。ごめん俺、もう岡田くんと結婚するわ。大袈裟じゃなしに、この曲をSWに聴かせたら2秒で来日するレベル。

そこからギャップレスで#9”グリーン・リヴァー・ブルーズ”に繋いで、流水のように瑞々しいピアノと初期Porcupine Treeみたいなアンビエンスを効かせた音響系のピアノインストぶっ込んでくる余裕・・・なにそれ天才かよ。そんなん「え、もしかして坂本龍一の後継者ですか?」ってなるし。

SW『To the Bone』って、ある意味では彼が幼少期に母親からドナ・サマー『誘惑』をプレゼントされた事を伏線とした、言うなれば「女性的」なアルバムだったわけです。勿論、僕はずっと前から「Post-Progressive」とかいうジャンルは「女性的」なジャンルであると説いてきた。まさにそれを証明するかのような作品だった。この『ノスタルジア』にも、やっぱり「女性的」な、どこかフェミニンな雰囲気があって、そのアンニュイな作風は『To the Bone』と瓜二つと言える。例えば日本のアイドル界隈を見れば分かるように、「女性」というのは大衆のアイコンとして存在し続けるものである。この『ノスタルジア』における「象徴」として存在しうるのが、他ならぬシンガーソングライターの優河をボーカルに迎えた#10”遠い街角”である。

元々、森は生きているのデビュー当時から「ポップス」に対する素養の高さ、その若かりし野心と類まれなるセンスを断片的に垣間見せていたけれど、この岡田くんのソロでは表面的に、かつ真正面から「ポップス」を描き出している。その結果が、「ポップス=アヴァンギャルド」であるという答えだった。なんだろう、自然に寄り添うようなアンプラグド的なDIY精神を貫いていた森は生きているに対して、一転して現代的というか未来志向のモダンなアレンジを取り入れた岡田くんソロといった感じで、例えるなら森は生きているがこってり味の豚骨ラーメンで、岡田くんのソロがアッサリしょうゆ味みたいな感覚もあって、なんだろう、毎年ノーベル文学賞が発表される時期になると集合する重度のハルキストが、村上春樹を差し置いてノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロに寝返ったような感覚もあって、なんだろう、村上春樹作品に出てくる主人公がSEXして童貞卒業したような感覚。まぁ、それは冗談として、そのヴィンテージな音世界とモダンなサウンドとの融合、それこそ「懐かしい、でも新しい」みたいな糸井重里のキャッチコピーにありそうな音楽は、まんま『To the Bone』の世界に繋がっている。

確かに、どんだけ岡田くん好きなの俺みたいなところもあって、でもこんなん聴かされたら流石のやくしまるえつこも岡田くんを認めざるを得ないでしょ。何故なら、岡田くんを否定することはスティーヴン・ウィルソンを否定する事となり、それすなわち「日本のSW」であるえつこ自身を否定することになってしまうからだ。それはともかくとして、岡田くんはこの『ノスタルジア』で、やくしまるえつこに肩を並べる「日本のSW」である事を証明してみせたのだ。リアルな話、もしSWがライブをするために来日した場合、この今の日本でSWのサポートできるミュージシャンって岡田くんしかいないでしょ(えつこは元より)。というか、SWに見せても恥ずかしくない唯一の「日本の音楽」が岡田くんの音楽です。それくらい、「繋がり」という点からこの『ノスタルジア』は、ありとあらゆる角度からSW『To the Bone』を補完するものであり、そしてこの「2017年」を締めくくるに相応しいサイコーのアルバムだ。

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メリークリ◯リス!


なんつうか、クリスマスに必死に音楽のレビューを書き続ける人生とかサイコーにハイってやつだと自分でも思う。こうしてる今でも某オカマルシューゴのデビュー作についてせっせとカタカタ書いている状況マジアナルトランプ。これがまた年間BEST間違いなしのサイコーに面白いアルバムで、しかし面白いだけあって書き手側からするとSWの『To the Bone』と同じくらいハードモード。つうか、オカマルくんがこのデビュー・アルバムでやってることって、SWが『To the Bone』でやった事と同じだから、これも俺しか書けないことだから俺が書くしかない。

年間BESTは狩猟解禁までには出したい(願望)。年末中には今まで逃げ続けてきたana_thema書き上げたい(願望)。それが終わってようやく下半期の良さげなアルバムに着手していくような状況。メタルは元より、邦楽でも赤い公園とかポルカとか未だに聴けてないのは本当に酷いと思う。なんかもう俺の文句はメイドに言えって感じ(責任転嫁)。ともかく、でもこれ1月中じゃぜってー無理だわ・・・。

今年のWelcome To My 俺のメリクリソング

【12/09】BAND-MAID お給仕 TOUR Autumn-Winter 2017 追加公演 「燃えたの?萌えたの?どっちだったの?」〜燃 vs 萌〜@Zeppダイバーシティ

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なんだろう、「色々あった」としか言いようがないんだけど、とりあえず俺たちダイバー完全敗北して笑った。

新木場スタジオコーストで開催されたワンマンお給仕ツアーファイナルからから2週間ぶりに追加公演のお給仕を受けに東京に来たわけなんだけど、なんかもう東京に住んだ方が早いんじゃねーかって感じなんだけど、だから東京の音楽業界の方いたら僕を雇ってくだちい、なんつって。そうだ!良いこと思いついた!サイコパス渡辺に雇ってもらおう!なんつって。でも、今日のお給仕の前日にWACKのフェスがあったのはちょっと面白かった。

まぁ、そんな冗談は置いといて、とりあえず前回のツアーファイナルのお給仕で見せた過去最大規模の演出、その高いハードルをこの追加公演でどう超えてくるかに期待と注目が集まった。個人的にツアーファイナルの記事の中でダイバーシティの見所として挙げたのは以下の5項目だ。

【12/09】追加公演Zeppダイバーシティの見所
  • 「お給仕はじめます」で始まるか否か
  • メンバーも自身ありげなセットリスト
  • 改めてステージング&舞台演出
  • ダイブ賛成派VS.ダイブ否定派の最終決戦
  • 女ダイバーの回収(右手の童貞卒業)
今日のお給仕の整理番号は新木場をゆうに超える、それこそ最前中の彩前が狙えるクッソ良番で、開場から数分で会場入りするとドセンから上手にかけて一人ずつ最前が埋まっていき、そして自分の番になってまだ空いている上手側の最前に陣取った。ほぼ新木場の時と同じ、つまりギターの歌波が真ん前にくる位置だ。ステージは新木場よりも横に広く、ステージには新木場と同じく草が装飾された5枚のモニターと大きなシャンデリア。ここらは新木場と変わらない。

6時開演。お馴染みのSEでメンバー登場かと思いきや、なんとSEが新バージョンに!後ろのモニターにはロゴがアイアンメイデン風に変わったBAND-MAIDの文字が浮かび上がる!僕は「おうおうおうおう、そうきたか」とワクワク感がマシマシになる中、まずは初っ端の見所として挙げた「お給仕はじめます」で始まるか否か、その運命の結果は「お給仕はじめます」は今回もなかった。おいら、今回のお給仕で「お給仕はじめます」で始まるか否かを確認することで、このバンドメイドの本性が「従順なメイドなのか」、はたまた「ただの勘違い女バンドなのか」を図る大きなポイントとして捉えていて、何故ならこうやって「メイドらしさ」のある演出、つまり個性を無くしていくことで、一般大衆に結合していく売り方に変わっていくことに僕は否定的だからだ。なんだろう、そのロックバンドにあるまじき「ハンパ」な行為というか、そのロックバンドらしからぬ「ブレ」みたいなのってどうも日和って見えるしクソダサい。だから、今日のお給仕で「お給仕はじめます」がなかった場合、僕はバンメアンチになって今後はバンメをディスってやろうと考えていた。で、シン・SEが鳴り終わって静寂の中でまず一番に聴こえてきた音は、なんと彩ちゃんの「お給仕はじめます」ではなく、歌波のギターだった。その瞬間「あっ・・・」ってなったのもつかの間、「でもちょっと待って、なんだこのクソカッコイイ始まり・・・って、これ新曲じゃん!」ってなった。バックのLEDモニターには歌詞が映し出され、とにかくこの新曲は歌詞がこれまでになく強烈な意志が込められた歌詞で、その中でも「宣告」の文字が一際印象に残った。その新曲のタイトルは”World Domination”、これは来年2月14日にリリースされる2ndフルアルバム『WORLD DOMINATION』すなわちバンドメイドが結成当初に掲げた『世界征服』宣告するかのような曲で、その曲調自体もメジャー感マシマシでカッコイイんだけど、特にブレイクダウンみたいなパートが”モラトリアム”みたいな感じで頭振れそうだった。恐らく、この新曲は2ndフルアルバムの一曲目に収録されると予想。


メイドは常に前進し進化し続けていたんだ。「過去」に囚われていたのは俺たちご主人様だったんだ。たかが「お給仕はじめます」で始まるか否かでバンドの全てを測ろうとするなんて愚の骨頂だったんだ。今のバンドメイドにとって、ステージ演出およびバンドの世界観をより良いものにしていく上で、「お給仕はじめます」の存在はその世界征服の足かせにしかならないのだ。そう考えたら、「お給仕はじめます」を排除したことはお給仕における大きなエポックメーキングに値するかもしれない。この「変化」は「正しい選択」なのか「間違った選択」なのか、それはまだ今の段階では判断できない。

続いて、バンメンバーも自信ありげなツイートしてた今日のセットリストについてなんだけど、まず初っ端から新曲ブッ込んできた時点で今日のセトリはもう本当に予測不能で、その新曲の後に2曲目で”alone”が始まった時は「エ゛エ゛~!?ここでマジアローン?!」っていう感じで、映画『ホームアローン』のマコーレ・カルキンみたいになった。で次に3曲目に”FREEDOM”が来た時は「えうっそ、えうっそ、早くないっすか、フリーダム早くないっすか」ってなって、4曲目に”Unfair game”を挟んでから、MISAのソロから始まる5曲目の”Play”の後に6曲目で”セクレト”こと”secret My lips”が始まったら「もう(セトリ)分かんねぇなこれ・・・」って僕は理解することを諦めた。メンバーがあれだけセトリに自信ありげだった理由がわかったわ。こんなん読めねえわ。なにこのドSなセトリ。

見所の一つであるステージングおよび舞台演出の面では、もはや殆どの曲がソロやアレンジで始まったんじゃねえかってくらい、楽器隊の三人が活躍する場面が多くて、中でも新木場と違ったのはメジャー感溢れるイントロを追加で鳴らしてたこと。それについてちょっと心配になったのは、お給仕の醍醐味であるノンストップな連続性や勢いテンポに悪影響を及ぼさないかという疑問。一方で舞台演出では、今日はやっぱり5枚のモニターが大きな役割を果たしていて、特に小鳩ソロの”TIME”が終わった後にメンバーが一旦全員ステージ袖に捌けると、後ろのモニターにカセットテープっぽいものが映し出されて、それが再生されるとまだお給仕で披露されたことのない”OOPARTS”をはじめ、”Beauty and the beast”や”Don't apply the brake”などの過去作の音源がミックステープ的な感じで断片的に流れて、「オイオイオイオイ、これはもしかしてもしかすると~?」みたいに期待感を煽ってからの「遂に”Thrill”キターーーーーー!!」って感じ。なんだろう、小鳩を8レベルまで上げてしてようやく「初スリル」が見れて嬉しかった。皆んなで「ヘーイ!」のコールできた。そこで頭に浮かんだのは、「ちょっと待って、これはもうミックステープの過去曲を遡って披露するパティーンきたこれ?」ってウッキウキになってたら全然そうじゃなくて、流石に「エーーー!!この演出この流れで過去曲一切やらんのかーーい!スリルだけかーーい!」ってツッコんだわ。あれか、あのミックステープはこれから過去作の曲を小出しにしていく宣言か。個人的に過去作で聴きたいのは”Price of Pride”や”Don't Apply The Brake”、あとは「さっさと”Beauty and the beast”やれやデブ」って感じ。あと、個人的にこのミックステープの中に  聴いたことない曲もあって、それこそこの度再発が決まったBAND-MAIDの最初期のアルバム『MAID IN JAPAN』の曲で、実は今まで自分は『MAID IN JAPAN』を聴いたことがなくて、確かに今はCD廃盤になっているが、音源自体は配信とかで聴けなくはないのに一切手を付けてなくて、それというのも、これは完全に個人的なものなんだけど、自分の中で「聴いたことがない音源があった方が面白い」という謎の価値観を持っていて、まさにその価値観をバンドメイドに当てはめた場合、この『MAID IN JAPAN』が「聴いたことがない音源」として自分の中で存在し続けていて、しかしそのアルバムが遂に再発されるとなると、流石にその謎の価値観を捨てて聴かざるをえないというか、この再発のタイミングで解禁しなきゃいつするのって感じ。

この流れでダイバーの話は正直虚しすぎる。確かに、”Don't let me down”の時にダイバーおったけど、新木場と比べるとダイバー全滅で笑ったというか、やっぱZeppダイバーシティの場合は柵が多くある箱なんで、ダイバー的にも飛びづらい箱なのかもしれない。でもなんかダイブ禁止の張り紙があったらしい?客の盛り上がり的にも、新木場と比べると大人しかったかなというより、今日はセトリが初っ端から想定外だったし、セトリがイビツ(ドS)でお給仕の流れが全く読めなかったのもあって、もちろん十二分に盛り上がってはいたのだけど、その盛り上がりは断片的なモノであり、新木場のような継続的な盛り上がりではなかったかもしれない。でも音響だけは新木場と比べ物にならないくらい改善されていて、彩ちゃんの歌から楽器隊の音までバランス良く聴こえていた。

【12/09】@Zeppダイバーシティ
セットリスト
01. Opening
02. World Domination 
03. alone
04. FREEDOM
05. Unfair game
06. Play
07. secret My lips
08. Don't let me down
09. Take me higher!!
10. matchless GUM
11. Daydreaming
12. Before Yesterday
13. Awkward
14. TIME
15. Thrill
16. YOLO
17. Puzzle
18. LOOK AT ME
19. decided by myself
20. モラトリアム
21. Don't you tell ME
22. Shake That!!
23. the non-fiction days
24. you.
25. REAL EXISTENCE
26. Choose me

あらためて見ても今日のセトリ、ちょっとイビツ過ぎんな・・・って感じなんだけど、本来ならお給仕終盤に持ってくる”secret My lips”や”alone”が前半にあって、逆に本来ならお給仕序盤の盛り上げ役の”モラトリアム”や”Don't you tell ME”を後半に持ってきて、そして極めつけはこの秋冬ツアーでオープニング曲としてその存在感を発揮してきた”Choose me”を大トリに持ってくるあたり、なんだろう「やっぱこいつらこえーわ」ってなったよね。こうやってオープニング曲として活躍してきた曲を、一転して大トリに抜擢しても全然通用してしまうというか、それこそバンドメイドの楽曲が持つ「柔軟性(フレキシブル)」を強く垣間見せる部分でもあるし、こうやってベタなこともイビツなことも両極端なこともできちゃうこのメイド恐ろしすぎる。今ツアー最高の全25曲演って、”スリル”以外でめぼしいところでは”Before Yesterday”や”Shake That!!”が追加されている。

小鳩「くるっぽ~!」
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俺ら「デブっぽ~!」
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小鳩「萌えたの?燃えたの?ツイートするっぽ!」
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俺ら「だからオメーには萌えねぇし燃えねぇよ野口」
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今日の「おまじないタイム」こと「スーパーデブっぽタイム」では、ケツアゴことMISAがドラムで小鳩の邪魔をする展開が見れたし、今日の歌波は新木場と違って真っ赤なPRSを輝かせながら、新木場以上に幾度となく僕の目の前でGソロを披露する姿は、まさにカナミ・カエルオーカーフェルトでしかなかった。やっぱ歌波は僕にめっちゃレスくれるから推せる。相変わらずスラッシーなザックザクなキザミがキモティカった。今日の彩ちゃんはなんか意識的に前方にレス配ってた気がする。リアルに自分と10秒間くらい見つめ合ってた気がするし、ついでに指も刺されたような気がするし、でもこれは間違いなくいつもの勘違いだと思うから彩ちゃんマジドS。でも珍しく彩ちゃんが上手側一杯まで来て煽ってたのはレアだった。あと、なんか彩ちゃんが歌い出し間違えたらしいけど全然気づかなかった。もしかして彩ちゃんが不自然に屈んだ時か?その時の彩ちゃん妙に可愛かったんだが・・・完全に「萌えた」わ。

予想したとおり、今年最後となる本日のワンマンお給仕は、来年以降のバンドメイド、その新しいヴィジョンすなわち「シン・メイド」をご主人様・お嬢様に「宣告」するような、まさに世界基準世界規模のお給仕、その幕開けに相応しい追加公演だった。でもソールドアウトしなかったのは良かったと思う。そもそも、去年までクソ無名だったバンドが今年新木場とZeppダイバーで演れただけでも贅沢な話で、もし今日の追加公演がソールドしてたら絶対に勘違い女バンドになる所だったからソールドしなくて良かったわ。終演後は、5枚のモニターに来年の2月14日に2ndフルアルバム『WORLD DOMINATION』の発表と(prediaと被ってるんだよなぁ・・・)、そして来年の4月から始まるツアーの大阪名古屋東京の日程が映し出され、そのツアーは世界への【宣告】ツアーとなるらしく、それに合わせて今日お披露目となった新ロゴとシンボルマークも新たに公開された。帰りにその新ロゴ&シンボルのステッカーを配ってたけど自分は貰わなかった。しっかし、来年は更にキャパの広いZepp東京でやるとか攻めすぎだろ。

『世界征服』とは一体何なのか?

『世界征服』・・・それは、今や日本を代表するアーティストにまで駆け上がったBABYMETALを例に、今のBAND-MAIDが置かれた状況を重ね合わせてみれば、自ずとその答えは見えてくる。ご存知、ベビメタは2013年にサマソニ初出演を飾り国内で話題を掻っさらうも、しかし国内での人気は意図的にほどほどに抑えてから、逆に今度は海外からフェスのオファーやワールドツアーを重ね、その海外で得た人気をいわゆる逆輸入みたいな形で再び日本に凱旋し、爆発的にその人気に火がついたように、今日に追加公演でBAND-MAIDが掲げた『世界征服』というのは、その「サマソニ以降のベビメタ」がやってきた海外展開の小規模版みたいな計画を目論んでいるのかもしれない。何故なら、今のBAND-MAID「サマソニ以降のベビメタ」と全く同じ状況で、今日のお給仕で発表された来年4月の「宣告」ツアーも現段階で決まっているのは東京大阪名古屋のたった三ヶ所という、明らかに規模の小さい国内ツアーで国内のご主人様・お嬢様の飢餓感を煽る気満々な所を見ても、来年のBAND-MAID「サマソニ以降のベビメタ」と同じように海外メインで活動していく可能性が高い。その流れで、国内凱旋一発目がMステなんて話も、もしかするともしかするかもしれない。勿論、これは全て「元日本一のベビヲタ」である僕の推測に過ぎない。しかし、今のBAND-MAIDの周辺を整理すればするほど、今のBAND-MAID「サマソニ以降のベビメタ」と解釈すると驚くほどにシックリくる。恐らく、既に小鳩ミク改め小鳩ヨシキの頭の中には、『世界征服』という『野望』その詳細なヴィジョンが描かれているハズだ。とは言え、その『世界征服』という大きな野望がどの程度の規模で計画通りに進むかなんて未知の話で、今はただ来年の2ndアルバムと4月からの国内ツアー、そして『世界征服』へと繋がる更なる続報を待つしかない。とにかく、来年もBAND-MAIDの「動き」に目が離せないのは確かだ。

なんだろう、今日のお給仕を体験して思ったのは、「新規が増えるってそういうこと」ってのを古参はこれから徐々に実感していくんじゃあないかって。それこそ今日の演出がそれを強く示唆していたと言っても過言じゃあなくて、つまり「これから」の未来志向の面と「これまで」の「過去」を紡ぎ出すような演出でもあって、そこのほころびが生まれたらバンメは将来危ういんじゃあないかな。今年付いた新規を見す見す逃すような余裕は今のバンドメイドにはない。そういった意味でも、今のバンドメイドは良い面とそうでない面がグッチャグチャに混ざり合わさってる。色々な意味で今が一番ロックバンドらしくて、今が一番面白い時期なのかもしれない。

改めて、個人的に今日のお給仕が今年のライブ納めで、まさか自分自身今年の1月に知ってから8回もお給仕に帰宅するなんて想像もしてなかった(我ながら頭おかしい)。振り返ってみると、ワンマンに限ると例外だった初ワンマンの大阪以外は全部一桁と二桁のクッソ良番(そのうち2回も最前中の彩前)でお給仕を受けられたのは我ながら強運としか言いようがなくて、このツキにあやかって今日のお給仕前に宝くじ買ったんだけど、もし当たったら彩ちゃんに貢ぎまつw とにかく、今年は自分の人生の中でも過去最高のライブシーズンとなった。もはやただのバンドメイドオタクになりつつある(なお、既に来年のツアー名古屋と東京を申し込んでしまった模様)。もうそろそろいい加減マジメに音楽聴かなきゃ・・・だから来年はバンメアンチになります!ってのは冗談で、もし来年Mステ出たら客入りのステージで女ダイバーさせてBiSHブチ抜くのが目標です(えっ)。
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